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帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成

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帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成

ー ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 小 伝 1

中 嶋 毅

は じ め に

筆 者 は か つ て ﹁ 革 命 と ロ シ ア ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ ﹂ と 題 す る 論 文 に お い て ︑ 帝 政 ロ シ ア の 知 的 伝 統 を 受 け 継 い だ

イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ が 一 九 一 七 年 の ロ シ ア 革 命 期 に ど の よ う に 知 的 活 動 を 展 開 し た か を ︑ 当 時 の 若 き 知 識 人 ニ コ ラ イ .

   

ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ と い う 人 物 を 取 り 上 げ な が ら 考 察 し た こ と が あ る ︒ そ こ で は ︑ こ の 人 物 を

対 象 と し た 理 由 を ︑ 彼 が ﹁ そ の 出 自 や 自 己 形 成 の 過 程 に お い て も ︑ ま た 一 九 一 七 年 の 革 命 に 対 す る 態 度 や 十 月 革 命 後

の 行 動 様 式 に お い て も ︑ 伝 統 的 な ロ シ ア ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ の 一 つ の 典 型 を な す 人 物 ﹂ で あ る と 同 時 に ﹁ (革 命 後 の )

内 戦 の 過 程 で 思 想 的 転 換 を 経 験 し ︑ そ の 終 結 後 に は ソ ヴ ィ エ ト 権 力 に 対 す る 協 力 の 呼 び か け を 積 極 的 に 展 開 し て ︑ い

わ ゆ る ﹃道 標 転 換 派 ﹄ の 指 導 者 と な っ た こ と に み ら れ る よ う に ︑ ロ シ ア の 知 的 伝 統 を 独 自 の 立 場 か ら 発 展 さ せ よ う と

し た 人 物 ﹂ で あ っ た 点 に 求 め た ︒

本 稿 は ︑ 旧 稿 執 筆 時 に は 利 用 で き な か っ た 最 新 の 研 究 成 果 を 用 い て ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 思 想 形 成 の 過 程 に つ い て 再

考 す る こ と を 通 じ て ︑ 帝 政 末 期 か ら ソ ヴ ィ エ ト 時 代 初 期 に か け て の ロ シ ア の 知 的 世 界 の 歴 史 的 意 義 を 考 察 す る た め の

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 ( 中 嶋 ) 四 五

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人 文 学 報 第 五 一 ニ ー 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 四 六

一 事 例 を 提 供 す る こ と を 目 的 と す る も の で あ る ︒ 筆 者 は 長 ら く こ の 興 味 深 い 人 物 に 関 心 を 抱 き 続 け ︑ 幾 編 か の 論 考 を

公 表 し て き た が ︑ 本 稿 で は 特 に 彼 の 自 己 形 成 期 に 焦 点 を あ て て ︑ 右 の 課 題 に 接 近 し て み た い ︒

ま ず は ︑ こ の 人 物 に つ い て 改 め て 簡 潔 に 紹 介 し よ う ︒ ニ コ ラ イ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 一 八 九 〇 年 に ペ テ ル ブ ル ク に

生 ま れ ︑ 一 九 〇 八 年 に モ ス ク ワ 大 学 法 学 部 に 入 学 ︑ 一 九 = 二 年 に 卒 業 し 一 九 一 六 年 に 同 学 部 の 国 法 学 講 座 の 私 講 師 に

就 任 し た ︒ 政 治 的 に は 彼 は カ デ ッ ト 党 (立 憲 民 主 党 ) に 属 し ︑ 十 月 革 命 の 後 に モ ス ク ワ を 離 れ ︑ 一 九 一 八 年 秋 か ら は

ペ ル ミ 大 学 で 教 鞭 を と っ た ︒ そ の 後 彼 は ︑ オ ム ス ク の コ ル チ ャ ー ク 政 権 の 広 報 課 長 と し て ま た カ デ ッ ト 党 中 央 委 員 会

東 方 支 部 長 と し て ︑ ボ リ シ ェ ヴ ィ キ に 積 極 的 に 抵 抗 し た ︒ 一 九 二 〇 年 初 頭 の コ ル チ ャ ー ク 政 権 の 崩 壊 後 ︑ ウ ス ト リ ャ ー

ロ フ は ハ ル ビ ン に 亡 命 し ︑ 同 年 三 月 か ら ハ ル ビ ン 市 の 高 等 経 済 法 科 学 校 ( 一 九 二 二 年 か ら は ハ ル ビ ン 法 科 大 学 と 改 称 )

の 教 授 と な り ︑ 一 九 三 四 年 ま で そ の 地 位 に あ っ た ︒ ソ ヴ ィ エ ト ・ ロ シ ア が ネ ッ プ へ 移 行 し た の ち ︑ 彼 は ソ ヴ ィ エ ト 権

力 に 協 力 す る よ う に な り ︑ 在 外 の ま ま ソ ヴ ィ エ ト 国 籍 を 取 得 し て 一 九 二 五 年 か ら 中 東 鉄 道 学 務 課 長 ︑ そ の ポ ス ト が 廃

止 さ れ た 二 入 年 以 降 は 中 東 鉄 道 中 央 図 書 館 長 の 職 務 を 勤 め た ︒ 一 九 三 五 年 に 中 東 鉄 道 が 売 却 さ れ た 際 に ウ ス ト リ ャ ー

ロ フ は ︑ 中 東 鉄 道 の 他 の ロ シ ア 人 職 員 た ち と と も に ソ 連 に 帰 国 し ︑ モ ス ク ワ 交 通 技 師 大 学 で 経 済 地 理 学 を 教 授 し た ︒

し か し 大 テ ロ ル の 中 で 一 九 三 七 年 六 月 六 日 に 逮 捕 さ れ ︑ 取 調 べ の の ち 同 年 九 月 十 四 日 に 死 刑 判 決 を 受 け て 即 日 処 刑 さ

れ た ︒ 第 一 次 世 界 大 戦 ︑ ロ シ ア 革 命 ︑ 国 内 戦 ︑ 亡 命 生 活 ︑ 大 テ ロ ル と ︑ 歴 史 の 激 動 に 翻 弄 さ れ た 生 涯 で あ っ た ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ と ロ シ ア の 知 的 世 界 と の か か わ り に 関 す る 日 本 と 欧 米 の 研 究 は ︑ 旧 稿 発 表 の 時 点 か ら ほ と ん ど 進

   

展 が み ら れ な い 状 況 で あ る ︒ 一 方 ロ シ ア に お い て は こ れ と 対 照 的 に ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に 関 す る 研 究 は 急 速 に 進 展 し ︑

質 ・ 量 と も に 充 実 し て き た ︒ 旧 稿 執 筆 時 に は す で に ︑ モ ス ク ワ に 住 む ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 息 子 の 妻 が 保 管 す る 個 人 文

   

書 を 利 用 し た ペ テ ル ブ ル ク の 研 究 者 ブ ィ ス ト リ ャ ン ツ ェ ヴ ァ の 伝 記 的 研 究 が 発 表 さ れ て い た ︒ そ の 後 ニ ジ ニ ・ ノ ヴ

   

ゴ ロ ド の 歴 史 家 ロ マ ノ フ ス キ ー が ︑ 二 〇 〇 六 年 と 二 〇 一 〇 年 に 二 冊 の ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 伝 を 刊 行 し て い る ︒ こ れ は

ロ シ ア で 初 め て の 本 格 的 な ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 伝 で ︑ 本 稿 で は 二 〇 一 〇 年 の 伝 記 を 参 照 し た ︒ ま た ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の

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故 郷 カ ル ー ガ で は ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ と 彼 に 関 す る 様 々 な 歴 史 に さ さ げ ら れ た ﹃ ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ . ウ

ス ト サ ヤ ー ロ フ ー カ ル ー ガ 論 集 ﹄ が 現 在 ま で に 六 冊 刊 行 さ れ て い る ︒ こ の よ う に ︑ 故 地 カ ル ー ガ を 中 心 と し て ︑ ロ

シ ア で は ﹁ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ ・ ル ネ サ ン ス ﹂ と も い え る 成 果 が 生 み 出 さ れ て い る の で あ る ︒

本 稿 で は ︑ 右 の 最 新 の 研 究 成 果 に 学 び な が ら ︑ 公 刊 さ れ た 同 時 代 史 料 や 新 た に 公 表 さ れ た 著 作 を 検 討 し ︑ ウ ス ト

リ ャ ー ロ フ の 自 己 形 成 過 程 を 明 ら か に し た い ︒ そ の 際 ︑ 対 象 と す る 時 期 を ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ が 政 治 的 ・ 評 論 的 活 動

を 本 格 的 に 展 開 し は じ め た 一 九 一 六 年 ま で に 設 定 す る ︒ こ の 時 期 ま で に 形 成 さ れ た 彼 の 思 考 様 式 が ︑ 一 九 一 七 年 の 二

つ の ロ シ ア 革 命 と そ の 後 の 政 治 的 展 開 の 中 で の 彼 の 行 動 を 規 定 す る こ と に な っ た と 考 え る か ら で あ る ︒

な お ︑ 本 稿 で 利 用 し た 文 献 は ︑ 二 編 の 日 本 語 論 文 と ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 自 身 の 著 作 以 外 は ︑ す べ て 旧 稿 発 表 以 後 に

利 用 可 能 に な っ た も の で あ る ︒ ま た ︑ 日 付 の 記 載 は ロ シ ア 暦 (旧 暦 ) で 示 さ れ て い る ︒ 現 在 の 暦 法 に 換 算 す る に は ︑

一 九 世 紀 で は 一 二 日 を ︑ 二 〇 世 紀 で は = 二 日 を 加 算 す れ ば よ い ︒

一 ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 家 の 人 々

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 家 の 出 自 に つ い て は ︑ 先 に 紹 介 し た ブ ィ ス ト リ ャ ン ツ ェ ヴ ァ に よ っ て そ の 概 要 は す で に 明 ら か に

さ れ て い た が ︑ そ の 後 ニ コ ラ イ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 郷 里 カ ル ー ガ の 歴 史 家 シ ャ ー ポ シ ニ コ フ が ︑ ペ テ ル ブ ル ク の 公

   

文 書 館 史 料 に 基 づ い て ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 家 系 に 連 な る 人 々 の 足 跡 を 詳 細 に 提 示 し た ︒ こ こ で は 主 に シ ャ ー ポ シ ニ

コ フ の 最 新 の 研 究 成 果 に 基 づ い て ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 自 己 形 成 に 大 き な 影 響 を 与 え た 彼 の 家 系 を た ど っ て み よ う ︒

ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 先 祖 の 中 で ︑ 史 料 の 上 に 現 れ て く る 最 初 の 人 物 は ︑ 彼 の 曽 祖

父 ゲ ラ シ ム ・ ト リ ー フ ォ ノ ヴ ィ チ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ ( 一 七 六 六 ‑ 一 八 三 〇 ) で あ る ︒ ゲ ラ シ ム は ︑ オ リ ョ ー ル 県 マ

ロ ア ル ハ ン ゲ リ ス ク 郡 ボ ゴ ロ ツ コ エ に あ っ た ク ラ ー キ ン 公 爵 の 領 地 に 住 む 農 奴 で あ っ た ︒ オ リ ョ ー ル で 発 表 さ れ た 研

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 ( 中 嶋 ) 四 七

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人 文 学 報 第 五 一 ニ ー 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 四 八

究 に よ れ ば ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 家 は 一 八 一 六 年 時 点 で ︑ 家 長 ゲ ラ シ ム が 四 三 才 ︑ 妻 の ヴ ァ ル ヴ ァ ラ は 三 九 才 ︑ 長 男 ニ

コ ラ イ ( 一 〇 才 ) ︑ 次 男 フ ヨ ー ド ル (七 才 ) ︑ 長 女 ア ン ナ ( 六 才 ) ︑ 次 女 エ リ ザ ヴ ェ ー タ (四 才 ) ︑ 三 男 ア レ ク サ ン ド ル

( 二 才 半 ) ︑ 三 女 ヴ ェ ー ラ (半 年 ) の 八 人 家 族 で あ り ︑ ク ラ ー キ ン 家 の 屋 敷 付 き 農 奴 一 家 で あ っ た ︒ ゲ ラ シ ム は ク ラ ー

キ ン 家 の ボ ゴ ロ ツ コ エ 領 で 家 令 (領 地 管 理 人 ) を 務 め て い た こ と か ら ︑ 一 八 二 七 年 に ク ラ ー キ ン 公 爵 が 彼 を 家 令 の 職

を 解 く 際 に 解 放 し た こ と で ︑ 一 八 六 一 年 の 農 奴 解 放 令 の は る か 以 前 に 家 族 と と も に 自 由 な 農 民 身 分 と な っ た の で あ

麗 ・

家 令 の 職 を 務 め た こ と か ら ︑ ゲ ラ シ ム は ク ラ ー キ ン 公 爵 に よ っ て そ の 能 力 を 高 く 評 価 さ れ た も の と 推 測 さ れ る が ︑

そ の 子 供 た ち も 恵 ま れ た 才 能 と 努 力 に よ っ て ︑ そ し て 教 育 機 関 を 経 由 し た 国 家 勤 務 を 通 じ て 社 会 的 上 昇 を 遂 げ る こ と

が で き た ︒ 中 で も 有 名 な の は ︑ 長 男 ニ コ ラ イ と 次 男 フ ヨ ー ド ル で あ る ︒ 長 男 ニ コ ラ イ ・ ゲ ラ ー シ モ ヴ ィ チ ( 一 八 〇 五

‑ 七 〇 ) は ︑ オ リ ョ ー ル で 中 等 教 育 を 終 え た の ち 一 八 二 四 年 に ペ テ ル ブ ル ク 大 学 を 卒 業 し て 大 蔵 省 に 勤 務 し ︑ 二 八 年

か ら は 同 時 に ペ テ ル ブ ル ク 第 三 男 子 ギ ム ナ ジ ヤ で 教 鞭 を と っ た ︒ 囲 ハ味 深 い こ と に ︑ 大 蔵 省 に 勤 務 し て い る 時 期 ま で ︑

ニ コ ラ イ ・ ゲ ラ ー シ モ ヴ ィ チ は 法 的 に は 農 奴 の ま ま な の で あ っ た ︒ 彼 は 一 八 三 一 年 に ペ テ ル ブ ル ク 大 学 の ロ シ ア 史 の

   

講 師 と な り ︑ 三 六 年 に は 学 位 を 取 得 し て 教 授 と な っ た ︒ 彼 は ペ テ ル ブ ル ク 大 学 の 歴 史 学 教 授 を 長 く 務 め ︑ ﹃ ニ コ ラ イ

一 世 皇 帝 陛 下 治 世 の 歴 史 概 説 ﹄ ( 一 八 四 七 年 刊 ) や ﹃ピ ョ ー ト ル 大 帝 治 世 の 歴 史 ﹄ 全 六 巻 ( 一 八 五 九 ー 六 三 年 刊 ) な

ど の 著 作 で 著 名 な 歴 史 家 と な っ た の で あ る ︒ 一 方 ︑ 次 男 の フ ヨ ー ド ル ・ ゲ ラ ー シ モ ヴ ィ チ ( 一 八 〇 八 ‑ 七 一 ) は ︑ モ

ス ク ワ 大 学 を 卒 業 後 に 交 通 技 師 学 校 に 勤 務 し た の ち に 陸 軍 省 に 移 り ︑ 長 年 に わ た っ て 陸 軍 省 内 局 で 勤 務 し て 昇 進 を 遂

   

げ ︑ 三 等 文 官 の 官 等 を 授 与 さ れ た 優 秀 な 官 僚 で あ っ た ︒

ブ ィ ス ト リ ャ ン ツ ェ ヴ ァ は ︑ 大 伯 父 ニ コ ラ イ ・ ゲ ラ ー シ モ ヴ ィ チ が ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ ・ ウ ス ト リ ャ ー

ロ フ に 及 ぼ し た 思 想 的 ・ 知 的 影 響 を 推 測 し て い る ︒ 彼 女 に よ れ ば ︑ 歴 史 家 と し て の 二 人 に は ︑ 事 実 を 尊 重 し ︑ 歴 史 過

   

程 の 客 観 的 法 則 と 研 究 者 の 道 徳 的 信 念 の 重 要 性 を 承 認 す る 点 で ︑ 共 通 性 が あ る と い う ︒ 青 少 年 期 か ら 社 会 や 政 治 に

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関 心 を 持 ち ︑ の ち に 政 治 思 想 家 ・ 評 論 家 ・ 教 育 者 と な る ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ が ︑ 大 伯 父 で あ る 偉 大 な 歴 史

家 か ら 相 応 の 影 響 を 受 け た と 考 え る こ と は ︑ あ な が ち 的 外 れ で は あ る ま い ︒

本 稿 の 主 人 公 ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ の 祖 父 で ゲ ラ シ ム の 四 男 で あ っ た イ ヴ ァ ン ・ ゲ ラ ー シ モ ヴ ィ チ

   

( 一 八 一 八 ‑ 六 一 ) も ま た ︑ 兄 た ち の 優 れ た 資 質 を 共 有 し て い た ︒ 父 ゲ ラ シ ム の 死 後 に 一 家 で 移 住 し た ペ テ ル ブ ル ク で ︑

長 兄 ニ コ ラ イ も 教 鞭 を と っ た 第 三 男 子 ギ ム ナ ジ ヤ を 卒 業 し た イ ヴ ァ ン は ︑ ペ テ ル ブ ル ク 大 学 を 卒 業 後 に 次 兄 フ ヨ ー ド

ル が 勤 務 す る 陸 軍 省 に 就 職 し ︑ フ ヨ ー ド ル と 同 じ 陸 軍 法 務 官 の 道 を 歩 ん だ の で あ る ︒ 一 八 五 五 年 に カ ル ー ガ 県 の 名 誉

市 民 コ ジ ェ ー ヴ ニ コ フ 家 の 娘 エ リ ザ ヴ ェ ー タ ・ ミ ト ロ フ ァ ー ノ ヴ ナ と 結 婚 し た イ ヴ ァ ン は ︑ 陸 軍 法 規 集 成 第 二 版 の 編

纂 に 尽 力 し た 功 績 に よ っ て ︑ 一 八 六 一 年 一 月 一 日 付 で 聖 ヴ ラ ジ ー ミ ル 四 級 勲 章 を 授 与 さ れ た ︒ こ の と き イ ヴ ァ ン は 五

等 文 官 で あ っ た が ︑ お そ ら く は 自 ら の 死 期 を 悟 っ た 彼 は ︑ 当 該 勲 章 授 与 の 事 実 に 基 づ い て 自 身 と 家 族 へ の 世 襲 貴 族 身

分 付 与 の 承 認 を 請 願 し た ︒ こ の 請 願 は 元 老 院 に よ っ て 審 議 さ れ ︑ イ ヴ ァ ン の 死 後 の 五 月 一 二 日 付 で イ ヴ ァ ン と そ の 家

   

族 に 世 襲 貴 族 身 分 が 認 め ら れ て ︑ 貴 族 系 譜 書 第 三 部 に 記 載 さ れ る 権 利 が 与 え ら れ た ︒ 貴 族 身 分 を 獲 得 し た も の の 夫

を 失 っ た イ ヴ ァ ン の 妻 エ リ ザ ヴ ェ ー タ に は ︑ 陸 軍 省 侍 従 武 官 長 で あ っ た リ ハ チ ョ フ 少 将 の 取 り 計 ら い に よ っ て ︑ 陸 軍

 ね 

省 か ら 年 額 四 九 〇 ル ー ブ ル の 終 身 扶 助 金 が 支 給 さ れ る こ と に な っ た ︒ ・

ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ の 父 ヴ ァ シ ー リ ー ( 一 八 五 九 ‑ 一 九 一 二 ) は ︑ イ ヴ ァ ン ・ ゲ ラ ー シ モ ヴ ィ チ ・ ウ ス

ト リ ャ ー ロ フ の 次 男 と し て ペ テ ル ブ ル ク で 生 ま れ た ︒ 父 イ ヴ ァ ン の 死 後 ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 一 家 は 母 エ リ ザ ヴ ェ ー タ

の 故 郷 カ ル ー ガ に 移 住 し た ︒ ヴ ァ シ ー リ ー ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に は 双 子 の 妹 マ リ ア の ほ か に ︑ 二 才 年 上 の ア ン ド レ イ

と 一 才 年 上 の ア ン ナ の 兄 姉 が い た ︒ 長 男 ア ン ド レ イ は カ ル ー ガ の 男 子 ギ ム ナ ジ ヤ を 卒 業 後 に モ ス ク ワ 大 学 に 学 ん だ が ︑

 お 

一 八 八 一 年 一 月 に 早 世 し た ︒ 一 方 ヴ ァ シ ー リ ー は ︑ 男 子 ギ ム ナ ジ ヤ を 卒 業 し た の ち に キ エ フ の 聖 ヴ ラ ジ ー ミ ル 大 学

医 学 部 に 学 び ︑ 一 八 入 五 年 に 卒 業 し て 医 師 と な っ た ︒ 彼 は ま た 同 年 入 月 に ︑ カ ル ー ガ の 商 人 の 娘 ユ リ ヤ ・ ペ ト ロ ヴ ナ ・

エ ロ ー ヒ ナ と 結 婚 し ︑ ペ テ ル ブ ル ク に 移 り 住 ん で 医 師 と し て 働 い た ︒ 彼 ら の 間 に は ニ コ ラ イ ( 一 八 九 〇 ー 一 九 三 七 年 )

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る 砿 ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 "中 嶋 ) 四 九

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人 文 学 報 第 五 一 ニ ー 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 五 〇

な   と ミ ハ イ ル ( 一 八 九 二 ー 一 九 四 四 ) の 二 人 の 息 子 が 生 ま れ た ︒

一 八 八 八 年 に 母 エ リ ザ ヴ ェ ー タ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ ヴ ァ が 死 去 し て 遺 産 を 相 続 し た の ち ︑ ヴ ァ シ ー リ ー ・ ウ ス ト リ ャ ー

ロ フ は 一 九 〇 〇 年 に ペ テ ル ブ ル ク か ら カ ル ー ガ に 一 家 で 移 住 し ︑ そ の 地 で 医 師 と し て の 活 動 を 続 け た ︒ カ ル ー ガ で 著

名 な 医 師 と な っ た 彼 は ︑ 市 会 議 員 を 務 め た ほ か ︑ 教 区 学 校 監 督 官 ︑ 市 公 共 図 書 館 管 理 委 員 会 や 衛 生 委 員 会 な ど の 委 員

を 務 め ︑ 市 の 名 士 と し て 活 躍 し た ︒ ヴ ァ シ ー リ ー は 読 書 家 で ︑ 自 宅 に は 専 門 の 医 学 書 は も と よ り 自 然 科 学 ︑ 歴 史 ︑ 法

 ほ 

学 な ど 様 々 な 領 域 に わ た る 素 晴 ら し い 蔵 書 を 有 し て い た と い う ︒ 彼 は 一 九 一 二 年 九 月 に 重 い 腎 炎 で 死 去 し た ︒

ヴ ァ シ ー リ ー の 次 男 で ニ コ ラ イ の 弟 の ミ ハ イ ル に つ い て も ︑ こ こ で 触 れ て お こ う ︒ 二 才 年 下 の ミ ハ イ ル は ︑ 兄 と 同

じ カ ル ー ガ の 男 子 ギ ム ナ ジ ウ ム で 学 ん だ 後 に ︑ 父 に な ら っ て モ ス ク ワ 大 学 医 学 部 に 進 学 し た ︒ 第 四 学 年 終 了 後 に 彼 は

軍 務 に 召 集 さ れ ︑ 一 九 一 七 年 一 〇 月 ま で 連 隊 附 軍 医 と し て 勤 務 し た ︒ 復 員 後 は 大 学 に 復 帰 し て 学 業 を 続 け ︑ 一 九 一 八

年 三 月 に 国 家 試 験 に 合 格 し て 医 学 士 の 学 位 を 得 て カ ル ー ガ に 帰 郷 し ︑ そ の 地 の 精 神 病 院 に 長 年 勤 務 し て 著 名 な 精 神

科 医 と な っ た ︒ 兄 ニ コ ラ イ の 逮 捕 ・ 処 刑 の の ち 兄 の 家 族 を 庇 護 し た ミ ハ イ ル ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 結 核 の た め

 め 

一 九 四 四 年 三 月 に カ ル ー ガ で 死 去 し た ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 一 族 の 主 要 な 人 々 の 足 跡 を た ど る と ︑ 教 育 を 通 じ て 獲 得 し た 専 門 知 識 を 生 か し て 人 生 の 進 路 を 切

り 開 く 力 量 ︑ 自 ら の 天 職 を 誠 実 に 全 う す る 真 摯 な 姿 勢 ︑ 勤 勉 さ な ど の 共 通 の 特 徴 が み ら れ る よ う に 思 わ れ る ︒ 政 論 家

と し て ま た 思 想 家 と し て 独 自 の 位 置 を 占 め る こ と に な っ た ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ も ま た ︑

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 家 の こ う し た 特 徴 を 有 し て い た の で あ る ︒

ニ ニ コ ラ イ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 自 己 形 成

ヴ ァ シ ー リ ー ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 長 男 と し て 一 八 九 〇 年 = 月 二 五 日 に 生 ま れ た ニ コ ラ イ は ︑ 一 九 〇 〇 年 に 地 元

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カ ル ー ガ の 男 子 ギ ム ナ ジ ヤ に 入 学 し た ︒ 自 身 の 回 想 に よ れ ば ︑ 彼 は 一 九 〇 四 年 頃 ま で は 必 ず し も 政 治 に 関 心 を 示 し た

わ け で は な か っ た ︒ そ の 彼 が 内 政 問 題 に 関 心 を 持 つ 契 機 と な っ た の は ︑ 日 露 戦 争 と 一 九 〇 五 年 革 命 で あ っ た ︒ 彼 は 新

聞 や 雑 誌 で 戦 争 に 関 す る 情 報 を 熱 心 に 集 め ︑ 極 東 で の 出 来 事 を 注 視 し た ︒ 敗 北 主 義 の 立 場 を 示 す 社 会 主 義 者 や 革 命 家

の 世 界 は 彼 に と っ て は 別 世 界 で あ り ︑ 異 質 な も の だ と 感 じ ら れ た ︒ し か し そ れ と 同 時 に 彼 は ︑ 君 主 主 義 的 な 気 分 に 与  ぜ す る こ と は な く ︑ 当 時 ﹁ 黒 百 人 組 主 義 (幽 O ℃ 国 O O O 目 0 国 O 目 ロロ O ) ﹂ と 呼 ば れ た 極 右 主 義 に は 全 く 縁 遠 い 立 場 で あ っ た と い う ︒

一 九 〇 五 年 の 政 治 的 経 験 は ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ を ﹁ 明 確 に 愛 国 主 義 的 で ︑ 国 家 的 ・ 国 民 的 特 徴 を 備 え た 穏 健 な 自 由 主 義 ﹂

   

の 立 場 に 導 い た ︒ こ う し て 彼 は ︑ の ち に ﹃道 標 ﹄ と ﹁ ス ト ル ー ヴ ェ 学 派 ﹂ を 受 け 入 れ る 素 地 を 身 に つ け た の で あ る ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ が 社 会 問 題 に 目 を 向 け 始 め た 二 〇 世 紀 初 頭 の ロ シ ア は ︑ 文 化 や 芸 術 の 領 域 を 中 心 に き わ め て 活 発

な 創 造 的 活 動 が 展 開 さ れ た ﹁ 銀 の 時 代 ﹂ と 称 さ れ る 時 代 を 迎 え て い た ︒ 知 的 世 界 に お い て は ︑ マ ル ク ス 主 義 の 立 場 か

ら 離 れ て 観 念 論 に 移 行 し た ベ ル ジ ャ ー エ フ ︑ ス ト ル ー ヴ ェ ︑ ブ ル ガ ー コ フ ︑ フ ラ ン ク ら が ︑ ソ ロ ヴ ィ ヨ フ の 弟 子 で あ

る セ ル ゲ イ と エ ヴ ゲ ー ニ ー の ト ル ベ ツ コ イ 兄 弟 ら と と も に 一 九 〇 二 年 に モ ス ク ワ で 論 集 ﹃ 観 念 論 の 諸 問 題 ﹄ を 刊 行 し ︑

実 証 主 義 を 批 判 し て ソ ロ ヴ ィ ヨ フ の 宗 教 哲 学 へ と 傾 斜 し て い っ た の で あ る ︒ そ し て 一 九 〇 五 年 革 命 を 挟 ん で ︑ こ れ ら

の 人 々 が 中 心 と な っ て ︑ 一 九 〇 九 年 に ペ テ ル ブ ル ク で 有 名 な 論 集 ﹃ 道 標 ﹄ が 刊 行 さ れ た ︒ こ の 論 集 は ︑ 同 時 代 の ロ シ

 お 

ア 知 識 人 に 大 き な 衝 撃 を 与 え ︑ 広 範 な 論 争 を 呼 び 起 こ し た ︒

ギ ム ナ ジ ヤ の 学 年 が 進 む に つ れ ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 政 治 的 ・思 想 的 立 場 は ︑ さ ら に 明 確 な 形 を と る よ う に な っ た ︒

彼 の 父 の 世 代 が コ ン ト や ミ ル ︑ ダ ー ウ ィ ン ︑ ス ペ ン サ ー ら に よ っ て 育 ま れ た 実 証 主 義 の 世 代 で あ っ た の に 対 し て ︑ ウ

ス ト リ ャ ー ロ フ ら 若 い 世 代 は ﹁ 銀 の 時 代 ﹂ の 新 た な 思 想 潮 流 に 魅 了 さ れ た ︒ 彼 に と っ て の 座 右 の 雑 誌 は ス ト ル ー ヴ ェ

   

と フ ラ ン ク が 編 集 す る ﹃北 極 星 ﹄ と ﹃自 由 と 文 化 ﹄ ︑ そ し て ト ル ベ ツ コ イ の ﹃ モ ス ク ワ 週 報 ﹄ で あ っ た ︒ 政 治 的 な 面 で は ︑

彼 は 当 初 エ ヴ ゲ ー ニ ー ・ ト ル ベ ツ コ イ の 影 響 を 受 け て カ デ ッ ト 右 派 の 立 場 に 共 感 を 示 し て い た が ︑ 一 九 〇 七 年 の 第 二

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国 会 の 時 期 に は 最 終 的 に ス ト ル ー ヴ ェ や ブ ル ガ ー コ フ 流 の カ デ ッ ト の 立 場 に 立 つ に 至 っ た の で あ る ︒ こ の よ う に 彼

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 (中 嶋 ) 五 一

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人 文 学 報 第 五 一 ニ ー 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 五 二

の 政 治 的 ・ 思 想 的 志 向 の 基 本 的 な 土 台 は ︑ 大 学 入 学 以 前 の ギ ム ナ ジ ヤ 時 代 に 形 成 さ れ て い た と と ら え る こ と が で き る ︒

一 九 〇 八 年 に 優 等 の 銀 メ ダ ル を 受 け て ギ ム ナ ジ ヤ を 卒 業 し た ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 同 年 九 月 に モ ス ク ワ 大 学 法 学 部

に 入 学 し た ︒ 大 学 生 に な る と す ぐ に ︑ 彼 は 本 格 的 に 政 治 活 動 に 関 与 し 始 め ︑ カ デ ッ ト 党 学 生 フ ラ ク シ ョ ン の メ ン バ ー

と な っ た ︒ 社 会 主 義 者 に も 保 守 派 に も 共 感 を 持 た な か っ た 彼 の 政 治 的 立 場 か ら す れ ば ︑ 西 欧 的 な 自 由 主 義 者 の 政 党 で

あ る カ デ ッ ト 党 を 活 動 の 舞 台 に 選 ん だ の は 自 然 な こ と で あ っ た ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 家 に 残 さ れ た ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー

リ エ ヴ ィ チ の 個 人 文 書 を 調 査 し た ブ ィ ス ト リ ャ ン ツ ェ ヴ ァ に よ れ ば ︑ 彼 が カ デ ッ ト 党 を 選 択 し た 理 由 は ︑ 彼 が カ デ ッ

ト 党 の 信 奉 者 に な っ た と い う わ け で は な く ︑ カ デ ッ ト 党 が ﹁ 真 に 知 的 な 政 党 ︑ ロ シ ア ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ の 最 高 の

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代 表 者 た ち の 政 党 ﹂ と 考 え た か ら で あ っ た と い う ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 後 年 に も ︑ ﹁ 特 に 有 能 で 知 的 な ︑ い わ ば 世 襲

 お 

名 誉 イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ の 若 者 が ︑ カ デ ッ ト 党 学 生 フ ラ ク シ ョ ン に 入 っ た ﹂ と 回 想 し て い る ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ が 大 学 に 入 学 し た 当 時 ︑ 学 生 は 活 発 な 政 治 活 動 を 展 開 し て お り ︑ 様 々 な 党 派 の 組 織 が 影 響 力 を 競

い 合 っ て い た ︒ 彼 が メ ン バ ー と な っ た モ ス ク ワ 大 学 カ デ ッ ト 党 学 生 フ ラ ク シ ョ ン の リ ー ダ ー は エ フ ィ モ フ ス キ ー と ゲ

オ ル ギ ー ・ ヴ ェ ル ナ ツ キ ー で ︑ 後 者 は の ち に 著 名 な 亡 命 歴 史 家 と な っ た 人 で あ る ︒ カ デ ッ ト 党 学 生 フ ラ ク シ ョ ン の 活

動 は 取 り 立 て て 危 険 と い う も の で は な か っ た が ︑ そ れ で も 当 局 は 取 り 締 り の 目 を 光 ら せ て い た ︒ 一 九 〇 八 年 秋 の モ ス

ク ワ 大 学 学 生 ス ト ラ イ キ に 関 連 し て 開 催 さ れ た カ デ ッ ト 党 フ ラ ク シ ョ ン 会 議 の の ち ︑ 会 議 の 参 加 者 に 対 し て 行 政 当 局

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に よ る 処 分 が 実 施 さ れ ︑ 会 議 に 参 加 し て い た ウ ス ト リ ャ ー ロ フ も 一 〇 日 間 の 拘 留 を 経 験 し た の で あ る ︒

当 時 の 学 生 の 多 く が 魅 力 を 感 じ た の は ︑ カ デ ッ ト 党 よ り も む し ろ エ ス エ ル 党 (社 会 主 義 者 ロ 革 命 家 党 ) と 社 会 民 主

労 働 党 の 社 会 主 義 政 党 で あ っ た ︒ モ ス ク ワ 大 学 に お い て も ︑ 学 生 大 会 で 最 大 の 成 功 を 収 め る の は い つ も 社 会 主 義 者 の

弁 士 で あ っ た ︒ な か で も モ ス ク ワ 大 学 の 学 生 の 間 に 大 き な 影 響 力 を 及 ぼ し て い た の は ︑ 社 会 民 主 主 義 者 す な わ ち マ ル

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ク ス 主 義 者 だ っ た ︒ 当 時 の マ ル ク ス 主 義 は ︑ 学 生 の 心 を と ら え 彼 ら を 鍛 え る 教 義 だ っ た の で あ る ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ

フ が モ ス ク ワ 大 学 に 入 学 し た 時 に マ ル ク ス 主 義 者 グ ル ー プ の 指 導 者 だ っ た の は ︑ 法 学 部 経 済 学 科 の 学 生 ニ コ ラ イ ・ ブ

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ハ ー リ ン で あ っ た ︒ ブ ハ ー リ ン は マ ル ク ス 主 義 者 グ ル ー プ を 率 い て ︑ マ ル ク ス 主 義 の 観 点 か ら 観 念 論 者 と 激 し い 論 争

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を 展 開 し て い た ︒

一 九 〇 九 年 四 月 に ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ モ ス ク ワ 大 学 の と あ る 学 生 団 体 で ︑ ﹁ 現 代 社 会 主 義 の 危 機 ﹂ と 題 し た 報 告

を 行 っ て い る ︒ こ の 報 告 の 基 本 的 な 主 張 は ︑ 社 会 主 義 は 唯 物 論 的 で マ ル ク ス 主 義 的 な 基 礎 で は な く 観 念 論 的 で 哲 学 的

な 基 礎 を 持 た ね ば な ら な い と い う も の で あ っ た ︒ 彼 は す で に ギ ム ナ ジ ヤ 第 八 学 年 の 時 代 に セ ル ゲ イ ・ ブ ル ガ ー コ フ の

論 文 集 ﹃ マ ル ク ス 主 義 か ら 観 念 論 へ ﹄ ( 一 九 〇 三 年 刊 ) を 読 ん で お り ︑ 大 学 入 学 後 に は ド イ ツ の 社 会 民 主 主 義 者 で 哲

   

学 者 力 ー ル ・ フ ォ ア レ ン ダ ー の ﹃ カ ン ト と 社 会 主 義 ﹄ ( 一 九 〇 〇 年 刊 ) を 読 ん で 影 響 を 受 け て い た ︒ フ ォ ア レ ン ダ ー

の 著 作 を 読 ん だ こ と は ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ が マ ー ル ブ ル ク 学 派 の 新 カ ン ト 派 哲 学 に 直 接 触 れ る 契 機 と な っ た も の と 推

測 さ れ る ︒

こ の よ う に ︑ ウ ス ト リ ャ レ ロ フ の 政 治 的 活 動 の 中 で も 大 き な 位 置 を 占 め て い た の が ︑ 哲 学 や 思 想 ︑ 理 念 に 対 す る 強

い 関 心 で あ っ た ︒ 彼 が 入 学 し た 時 期 の モ ス ク ワ 大 学 法 学 部 と そ の 周 辺 に は ︑ 法 学 概 論 ・ 法 哲 学 講 座 の エ ヴ ゲ ー ニ ー .

ト ル ベ ツ コ イ ︑ パ ー ヴ ェ ル ・ ノ ヴ ゴ ロ ッ ツ ェ フ ︑ ポ リ ス ・ ヴ ィ シ ェ ス ラ フ ツ ェ フ ら ﹁ 哲 学 す る 法 学 者 ﹂ の ほ か ︑ 国 法

学 講 座 の セ ル ゲ イ ・ コ ト リ ャ レ フ ス キ ー ︑ ボ グ ダ ン ・ キ ス チ ャ コ フ ス キ ー ︑ モ ス ク ワ 商 業 高 等 専 門 学 校 の 政 治 経 済 学

   

教 授 ブ ル ガ ー コ フ ら ﹁ 銀 の 時 代 ﹂ を 代 表 す る 知 性 が 集 ま っ て い た ︒

モ ス グ ワ 大 学 で ウ ス ト リ ャ ー ロ フ が 師 事 し た の は ︑ セ ル ゲ イ ・ト ル ベ ツ コ イ の 弟 エ ヴ ゲ ー ニ ー ・ト ル ベ ツ コ イ で あ っ

た ︒ ト ル ベ ツ コ イ 兄 弟 は 一 九 世 紀 末 か ら 二 〇 世 紀 初 頭 に か け て の ロ シ ア 宗 教 哲 学 界 の 代 表 的 な 存 在 で ︑ 著 名 な 思 想 家 ︑

自 由 主 義 運 動 の 活 動 家 ︑ 指 導 的 な 評 論 家 で あ る だ け で な く ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ と 同 じ カ ル ー ガ の 男 子 ギ ム ナ ジ ヤ の 出

身 で ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に と っ て 身 近 な 存 在 で も あ っ た ︒ 大 学 入 学 直 後 か ら ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ ソ ロ ヴ ィ ヨ フ に 始 ま

り ド イ ツ の 批 判 的 観 念 論 の 詳 細 な 分 析 に 至 る 最 新 の 哲 学 を エ ヴ ゲ ー ニ ー ・ ト ル ベ ツ コ イ の も と で 学 ん だ の で あ る ︒ 後

 み 

年 ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ ト ル ベ ツ コ イ の ﹁ 卓 越 し た 教 育 の 才 能 ﹂ を き わ め て 高 く 評 価 し て い る ︒ ト ル ベ ツ コ イ の 演

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 (中 嶋 ) 五 三

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人 文 学 報 第 五 = 一‑ 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 五 四

習 で ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 国 家 法 史 専 攻 の ス テ パ ン ・ ケ チ ェ キ ヤ ン ( 一 八 九 〇 1 一 九 六 七 ) や ︑ 十 月 革 命 後 に 彼 と 政

治 的 行 動 を 共 に す る こ と に な る 国 際 法 専 攻 の ユ ー リ ー ・ ク リ ュ ー チ ニ コ フ ( 一 八 八 六 ‑ 一 九 三 八 ) ︑ 教 会 法 専 攻 の こ

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コ ラ イ ・ フ ィ オ レ ー ト フ ( 一 八 九 一 ‑ 一 九 四 三 ) ら 同 世 代 の 友 人 と 出 会 っ た ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 自 身 の 思 想 形 成 に 大 き な 影 響 を 与 え て い た の は ︑ 自 由 主 義 的 法 学 者 の ポ リ ス ・ チ チ ェ ー リ ン で あ

り ︑ 偉 大 な 哲 学 者 ウ ラ ジ ー ミ ル ・ ソ ロ ヴ ィ ヨ フ で あ り ︑ ソ ロ ヴ ィ ヨ フ の 思 想 を 支 持 し た 哲 学 者 レ フ ・ ロ パ ー チ ン で あ り ︑

宗 教 哲 学 者 セ ル ゲ イ ・ ト ル ベ ツ コ イ で あ っ た ︒ な か で も ソ ロ ヴ ィ ヨ フ か ら は 特 に 強 い 影 響 を 受 け て お り ︑ ウ ス ト リ ャ ー

ロ フ は 一 九 〇 九 年 一 二 月 の 手 稿 の 中 で ︑ ﹁ ウ ラ ジ ー ミ ル ・ ソ ロ ヴ ィ ヨ フ の 積 極 的 で 宗 教 的 な 世 界 観 と わ れ わ れ の 最 新

の 文 化 社 会 思 想 を ︑ 現 代 の 新 カ ン ト 派 の 批 判 的 方 法 に 接 合 す る こ と が 可 能 で あ る だ け で な く 必 要 で さ え あ る ﹂ と 記 し

て い 煙 ︒ 興 味 深 い こ と に ︑ 古 い 思 想 や 価 値 観 を 単 に そ の ま ま 引 き 継 ぐ の で は な く ︑ そ の 優 れ た 部 分 に 異 な る 要 素 を

組 み 合 わ せ な が ら 新 た な 状 況 の 中 で 発 展 さ せ よ う と す る ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 発 想 を ︑ 早 く も こ こ に 見 出 す こ と が で き

る ︒ こ う し て 彼 は ︑ 西 洋 と ロ シ ア を 新 た な 次 元 で 総 合 し よ う と す る 視 角 を 獲 得 し た の で あ る ︒

学 生 時 代 の ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 専 門 の 法 学 や 哲 学 の 研 究 と 政 治 的 活 動 に 精 力 的 に 従 事 し た だ け で な く ︑ 評 論 活 動

に も 関 心 を 示 し て お り ︑ 学 生 時 代 か ら 新 聞 や 雑 誌 に 寄 稿 し て い た ︒ 彼 の 最 初 の 論 文 ﹁ 果 て し な い テ ー マ へ の 不 十 分 な

見 解 ﹂ は ︑ ペ テ ル ブ ル ク の 雑 誌 ﹃知 識 通 報 (uu ¢ ︒ 目 臭 田 臣 愚 ) ﹄ の 一 九 〇 九 年 第 八 ・九 合 併 号 に 掲 載 さ れ た も の で ︑ こ

の 論 文 は 超 時 性 と 時 間 ︑ 意 識 的 な も の と 無 意 識 の も の ︑ 直 感 的 な も の と 合 理 的 な も の ︑ と い っ た 人 間 存 在 の 複 雑 な 諸

問 題 を 扱 っ て い た ︒ そ の 後 も こ の 雑 誌 の ほ か に ︑ モ ス ク ワ の 学 生 向 け 新 聞 ﹃ 学 生 生 活 (O 醤 畠 潟 貫 器 渓 蕊 奮 ) ﹄ や 雑 誌 ﹃学

 お 

生 問 題 (∩ 暑 ① 田 ① ︒ 6 0 宕 き ) ﹄ に 寄 稿 し て ︑ 幾 つ か の 論 文 を 発 表 し た ︒ 学 生 時 代 の 文 筆 修 行 は ︑ の ち の 政 論 家 . 評 論

家 ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に と り て ︑ 実 践 的 な 経 験 を 積 む 格 好 の 場 と な っ た も の と 推 測 さ れ る ︒

一 九 一 一 年 に ト ル ベ ツ コ イ が 大 学 を 辞 職 し て か ら ︑ 法 学 概 論 ・ 法 哲 学 講 座 の ヴ ィ シ ェ ス ラ フ ツ ェ フ の 指 導 下 で 学 業

を 続 け て い た ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 一 九 = ご 年 の 春 ︑ 卒 業 の 時 期 を 迎 え た ︒ 彼 は 法 学 部 の 法 学 概 論 ・法 哲 学 講 座 に ﹁ 歴

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史 に 表 わ れ た 倫 理 ミ ニ マ ム と し て の 法 理 論 ﹂ と 題 す る 四 二 一 頁 の 卒 業 論 文 を 提 出 し ︑ 国 家 試 験 に も 合 格 し て 同 年 六 月

に 第 一 級 卒 業 証 書 を 授 与 さ れ 趨 ︒ 講 座 主 任 の ヴ ィ シ ェ ス ラ フ ツ ェ フ は ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に 対 し て 教 授 資 格 取 得 の た

め 大 学 に と ど ま る こ と を 薦 め ︑ 彼 は 二 年 間 モ ス ク ワ 大 学 で 研 究 を 継 続 す る こ と に な っ た の で あ る ︒

三 若 き 自 由 主 義 者 の 成 長

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ が 大 学 を 卒 業 し た 一 九 一 三 年 か ら ロ シ ア 革 命 直 前 の 一 九 一 六 年 の 時 期 は ︑ 外 見 的 に は 安 定 し て い

る か に 思 わ れ た ロ シ ア が 世 界 戦 争 に 突 入 し ︑ 政 治 的 に も 社 会 的 に も 混 迷 の 度 合 い を 深 め て 体 制 の 危 機 に 至 る 時 代 で

あ っ た ︒ し か し ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に と っ て こ の 時 期 は ︑ 自 立 し た 研 究 者 と し て だ け で な く 自 立 し た 思 想 家 . 評 論 家 と

し て の 成 長 期 で あ り ︑ 価 値 観 の 混 乱 の な か で 自 身 の 思 想 の 骨 格 を 確 立 す る 実 り 多 い 時 代 で あ っ た ︒

一 九 一 四 年 の 春 ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 大 学 か ら ヨ ー ロ ッ パ 留 学 に 派 遣 さ れ る こ と に な っ た ︒ 彼 は 大 学 在 学 中 の

一 九 一 〇 年 に ︑ 画 家 で 芸 術 研 究 家 の ア レ ク サ ン ド ル ・ ロ ス チ ス ラ ヴ ォ フ と と も に 短 期 間 ミ ラ ノ を 訪 れ た こ と が あ っ た

が ︑ 学 術 研 究 の た め の 滞 在 は こ れ が 初 め て で あ っ た ︒ 一 九 一 四 年 に ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は パ リ と マ ー ル ブ ル ク を 訪 れ て

い る が ︑ .彼 の 日 記 を 編 纂 し た 現 代 ロ シ ア の 研 究 者 ル イ バ コ フ よ れ ば ︑ パ リ 滞 在 は 四 月 二 〇 日 か ら 五 月 二 三 日 ︑ マ ー

   

ル ブ ル ク 滞 在 は 五 月 二 六 日 か ら 六 月 二 三 日 ま で で ︑ そ こ か ら ロ シ ア に 帰 国 し て い る ︒ 本 来 な ら ば ソ ル ボ ン ヌ 大 学 を

訪 れ た 後 で マ ー ル ブ ル ク 大 学 に 長 期 滞 在 し て 哲 学 研 究 に 従 事 す る 予 定 で あ っ た が ︑ こ の 時 に 独 露 間 の 緊 張 が 急 速 に 高

ま っ た た め に ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 帰 国 を 余 儀 な く さ れ た の で あ る ︒

マ ー ル ブ ル ク は 当 時 ︑ 新 カ ン ト 派 哲 学 の 中 心 で あ っ た ﹁ マ ー ル ブ ル ク 学 派 ﹂ の 拠 点 で あ っ た ︒ 新 カ ン ト 派 哲 学 は 同

時 代 の ロ シ ア 哲 学 に 大 き な 刺 激 を 与 え て お り ︑ 多 く の ロ シ ア 人 哲 学 者 が マ ー ル ブ ル ク を 訪 れ て い た ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ

フ の 自 己 形 成 過 程 に 影 響 を 及 ぼ し た 哲 学 者 や 思 想 家 の 多 く が 新 カ ン ト 派 の 強 い 影 響 を 受 け て お り ︑ 彼 の 指 導 教 官 で

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 ( 中 嶋 ) 五 五

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人 文 学 報 第 五 一 二 ー 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 五 六

あ っ た ヴ ィ シ ェ ス ラ フ ツ ェ フ 自 身 も マ ー ル ブ ル ク に 留 学 し て ︑ マ ー ル ブ ル ク 学 派 の 総 帥 ヘ ル マ ン ・ コ ー エ ン や パ ウ ル ・

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ナ ト ル プ か ら 直 接 の 影 響 を 受 け て い た ︒ コ ー エ ン 自 身 は 一 九 一 二 年 に は マ ー ル ブ ル ク を 去 っ て い た も の の ︑ 学 生 時

代 に 新 カ ン ト 派 哲 学 の 洗 礼 を 受 け た ウ ス ト リ ャ ー ロ フ が 留 学 先 に マ ー ル ブ ル ク を 選 ん だ の は 自 然 な こ と で あ っ た ︒ そ

の 地 で 彼 は ︑ 歴 史 に お け る 国 家 の 役 割 と 意 義 を 絶 対 化 し た コ ー エ ン の 学 説 を 研 究 し た ︒

パ リ と マ ー ル ブ ル ク で の ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 活 動 が 窺 わ れ る 史 料 を 利 用 す る こ と は 困 難 で あ っ た が ︑ 当 該 期 を 含 む

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 葉 書 の 文 面 が 二 〇 一 四 年 に 翻 刻 さ れ ︑ そ の 一 端 を 知 る こ と が で き る よ う に な っ た ︒ 彼 は パ リ で メ ー

デ ー の 祝 賀 集 会 を 見 物 し ︑ フ ラ ン ス 人 弁 士 の 演 説 だ け で な く ド イ ツ 人 ︑ ベ ル ギ ー 人 ︑ イ タ リ ア 人 ら 外 国 人 弁 士 の 演 説

も 聞 い て 関 心 を 示 し て い る ︒ ま た ル ー ブ ル 美 術 館 を 訪 れ た り ︑ フ ォ ン テ ー ヌ ブ ロ ー を 訪 問 し た り し て お り ︑ フ ラ ン ス

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文 化 を 満 喫 し て い た ︒ マ ー ル ブ ル ク に は ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ よ り 先 に モ ス ク ワ 大 学 の 同 僚 カ ラ ベ ゴ フ が 滞 在 し て お り ︑

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モ ス ク ワ 大 学 と マ ー ル ブ ル ク 大 学 と の 緊 密 な 関 係 が 窺 わ れ る ︒ 彼 は マ ー ル ブ ル ク で も 大 学 で 熱 心 に 講 義 を 聴 講 し て

い た が ︑ へ ー ゲ ル の ド イ ツ 語 を 学 ぶ の は ひ ど く 難 し い と 弱 音 を 吐 い て み た り ︑ ド イ ツ 語 を 話 す の は 難 し い と 嘆 息 し た

り と ︑ 家 族 に は 留 学 生 活 の 本 音 を 語 っ て い る の は ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 人 間 味 を 垣 間 見 る よ う で 興 味 深 い ︒ ま た 彼 は ︑

現 地 の 新 聞 を 読 ん で 情 報 を 得 る と と も に ︑ カ ラ ベ コ フ が 入 手 す る ロ シ ア 語 紙 ﹃ ロ シ ア 報 知 (ξ o o 霞 o bコ Φ h o ζ o o 目 ) ﹄ や

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カ フ ェ に あ っ た ﹃ レ ー チ (℃ ¢臣 ) ﹄ を 読 ん で ロ シ ア の 最 新 情 報 に 触 れ る こ と も 忘 れ な か っ た ︒

外 遊 か ら の 帰 国 後 ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 学 位 取 得 を 目 指 し て 研 究 に 専 念 し た ︒ 一 九 一 五 / 一 六 年 度 に 彼 は 修 士 学 位

試 験 を 受 け て 合 格 し ︑ 一 九 一 六 年 秋 に は ﹁ プ ラ ト ン の 政 治 論 ﹂ と ﹁ ス ラ ヴ 主 義 者 の 専 制 理 念 ﹂ の 二 つ の テ ー マ で 試 験

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講 義 を お こ な っ た ︒ こ う し て 試 験 終 了 後 に 彼 は ︑ モ ス ク ワ 大 学 の 私 講 師 の 資 格 を 獲 得 し た ︒ 一 九 一 六 年 ︑ 二 五 才 の

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は モ ス ク ワ 商 業 高 等 専 門 学 校 の 助 手 に 就 任 し ︑ 大 学 教 師 と し て の 道 を 歩 み 始 め た の で あ る ︒ 翌 一 七

年 に は ︑ モ ス ク ワ 大 学 法 学 部 の 私 講 師 と し て ロ シ ア 政 治 思 想 史 講 義 を 担 当 し た ほ か ︑ シ ャ ニ ャ フ ス キ ー 記 念 モ ス ク ワ

市 民 大 学 の 講 師 を 務 め た ︒ こ の 大 学 は ︑ 陸 軍 少 将 で リ ベ ラ ル の 教 育 活 動 家 で も あ っ た ア ル フ ォ ン ス ・ シ ャ ニ ャ フ ス キ ー

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の 遺 志 で 設 立 さ れ た 民 衆 に 開 か れ た 大 学 で ︑ 当 時 は エ ヴ ゲ ー ニ ー ・ ト ル ベ ツ コ イ を は じ め ︑ モ ス ク ワ 大 学 講 師 の 哲 学

者 イ ヴ ァ ン ・ イ リ イ ン ︑ モ ス ク ワ 農 業 高 等 専 門 学 校 講 師 の ア レ ク サ ン ド ル ・ チ ャ ヤ ー ノ ブ ︑ 元 モ ス ク ワ 大 学 教 授 の 植

物 生 理 学 者 ク レ メ ン ト ・ チ ミ リ ャ ー ゼ フ ︑ 詩 人 で 文 学 者 の ヴ ァ レ ー リ ー ・ ブ リ ュ ー ソ フ ら の 指 導 的 研 究 者 が 講 義 を 担

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当 し て い た ︒

学 位 を 取 得 し て 教 職 に 就 く こ ろ か ら ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 評 論 家 と し て の 本 格 的 な 活 動 を 展 開 し 始 め た ︒ す で に

在 学 中 か ら 学 生 向 け 新 聞 雑 誌 に 寄 稿 し て い た ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 評 論 活 動 は 教 師 た ち の 問 で も 広 く 知 ら れ て お り ︑

彼 の 指 導 教 官 の ヴ ィ シ ェ ス ラ フ ツ ェ フ は 彼 に 対 し て ︑ 自 身 が 協 力 し て い た モ ス ク ワ の リ ベ ラ ル 系 新 聞 ﹃ ロ シ ア の 朝

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(< 弓 o 勺 0 8 § ) ﹄ に 寄 稿 す る よ う 勧 め る と と も に ︑ 同 様 の 政 治 的 志 向 を 持 つ 知 人 の 誰 か を 紹 介 す る よ う 依 頼 し た ︒ ﹃ ロ

シ ア の 朝 ﹄ 紙 は 進 歩 党 の 有 力 者 パ ー ヴ ェ ル ・ リ ャ ブ シ ン ス キ ー が 発 行 し て い た 新 聞 で ︑ 発 行 部 数 は 四 万 部 に 達 す る 有

力 紙 で あ っ た ︒ リ ャ ブ シ ン ス キ ー 兄 弟 や コ ノ ヴ ァ ー ロ フ ら モ ス ク ワ の 有 力 企 業 家 の 資 金 に よ っ て 支 え ら れ た 同 紙 に は ︑

ヴ ィ シ ェ ス ラ フ ツ ェ フ の ほ か ベ ル ジ ャ ー エ フ ︑ ブ ル ガ ー コ フ ︑ コ ト リ ャ レ フ ス キ ー ︑ ト ル ベ ツ コ イ ら 著 名 な 自 由 主 義

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者 が 寄 稿 し て お り ︑ 同 紙 は リ ベ ラ ル 右 派 の 論 調 を リ ー ド す る 役 割 を 果 た し て い た ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 師 の 提 案 に 関 心 を 示 し ︑ 愛 国 主 義 と 革 命 的 国 際 主 義 に つ い て の テ ー マ で 二 編 の 評 論 を 書 い た ︒

こ の 評 論 は ︑ 一 九 一 四 年 に 訪 れ た パ リ で 目 撃 し た メ ー デ ー 集 会 で の 経 験 に 着 想 を 得 た も の で ︑ 周 到 で あ り な が ら 生 き

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生 き と し た も の と な っ た ︒ こ の 論 考 は ﹁ 現 代 の 審 判 を 受 け る 愛 国 主 義 ﹂ と ﹁ 戦 争 と 道 徳 ﹂ の 二 編 の 論 説 と し て ︑ ウ

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ス ト リ ャ ー ロ フ の 署 名 入 り で ﹃ ロ シ ア の 朝 ﹄ 紙 に 相 次 い で 掲 載 さ れ た ︒ こ う し て 有 力 紙 に デ ビ ュ ー を 果 た し た 新 進

気 鋭 の 評 論 家 は ︑ こ の の ち 同 紙 を 中 心 に 評 論 活 動 を 精 力 的 に 展 開 し て い く こ と に な る ︒

自 立 し た 教 師 と し て ま た 評 論 家 と し て 歩 み 始 め た ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 専 門 の 哲 学 研 究 の 領 域 で も 独 自 の 発 展 を 示

し 始 め た ︒ こ こ で 主 要 な 活 動 舞 台 と な っ た の は ︑ 彼 が 学 生 時 代 か ら 参 加 し て い た モ ス ク ワ 宗 教 哲 学 協 会 で あ っ た ︒ 同

協 会 の 積 極 的 な 討 論 者 と し て の ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 活 動 を ︑ 一 九 三 〇 年 に 彼 自 身 が 回 顧 し た 文 章 が 残 さ れ て い る ︒ そ

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 ( 中 嶋 ) 五 七

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人 文 学 報 第 五 = 一‑ 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 五 八

れ は 一 九 一 五 年 末 の 出 来 事 で ︑ 宗 教 哲 学 協 会 の 会 合 に お い て 会 員 の 宗 教 哲 学 者 ヴ ラ ジ ー ミ ル ・ エ ル ン が ︑ 進 行 し つ つ

あ っ た 戦 争 の 哲 学 に つ い て 考 察 し た ﹁ カ ン ト か ら ク ル ッ プ へ ﹂ と 題 す る セ ン セ ー シ ョ ナ ル な 報 告 を お こ な っ た 時 の 出

来 事 で あ っ た ︒ そ の 報 告 で エ ル ン は ︑ カ ン ト は 巨 大 軍 需 産 業 ク ル ッ プ に 対 す る 責 任 を 有 し て お り ︑ ド イ ツ 哲 学 の 伝 統

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的 内 在 論 が 凶 暴 な 軍 国 主 義 と ナ シ ョ ナ リ ズ ム を も た ら し た ︑ と 主 張 し た ︒ 多 く の 参 加 者 は こ の 報 告 を ﹁ す ば ら し い ﹂

と 考 え た が ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に は 馬 鹿 げ た も の と 思 わ れ た ︒ 彼 は ︑ 意 見 を 同 じ く す る 友 人 の ク リ ュ ー チ ニ コ フ や ケ

チ ェ キ ヤ ン ら と と も に 討 論 に 立 つ こ と に 決 め た ︒ 彼 ら 若 き 論 客 た ち は ︑ 決 し て ﹁ 敗 北 主 義 者 ﹂ で は な い が ド イ ツ を 評

価 し 敬 意 を 表 す る こ と を や め る わ け に は い か な い ︑ と 主 張 し た ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に よ れ ば ︑ ド イ ツ の 精 神 的 偉 大 さ

は こ の 戦 争 に 対 し て 責 め を 負 う べ き で あ る と 同 時 に 罪 は な い の で あ り ︑ 罪 深 さ の 中 に あ っ て さ え 威 厳 が あ り 偽 り の な

い 古 代 の 悲 劇 の 英 雄 に ド イ ツ を な ぞ ら え て ︑ エ ル ン の 単 純 な 議 論 を 批 判 し た ︒ こ う し た 批 判 を 承 け て 開 か れ た 次 の 会

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合 で は ︑ 哲 学 者 イ ヴ ァ ン ・ イ リ イ ン が 報 告 に 立 っ て ︑ エ ル ン の 主 張 に 反 対 す る 痛 烈 な 演 説 を お こ な っ た ︒ こ の よ う

に ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 彼 と 哲 学 的 思 考 を と も に す る 友 人 た ち と と も に ︑ モ ス ク ワ の 哲 学 サ ー ク ル で 次 第 に 独 自 の 位

置 を 築 き 始 め た の で あ る ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 自 身 の 思 想 的 立 場 も ま た ︑ 戦 争 と い う 危 機 の 中 で 次 第 に 明 確 な 形 を 取 り 始 め た ︒ 一 九 一 六 年 三 月

二 五 日 に 彼 が モ ス ク ワ 宗 教 哲 学 協 会 で お こ な っ た 報 告 ﹁初 期 ス ラ ヴ 派 の 国 家 の 問 題 ﹂ は ︑ 広 範 な 学 識 に 裏 打 ち さ れ た

自 立 し た 思 想 家 ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 本 格 的 な 登 場 と い う 点 で 特 筆 す べ き も の で あ っ た ︒ こ の 報 告 は ︑ 初 期 ス ラ ヴ 派 の

思 想 家 イ ヴ ァ ン ・ キ レ エ フ ス キ ー と ア レ ク セ イ ・ ホ ミ ャ コ ー フ の 国 家 (臣 長 国 ) に か ん す る 学 説 を 検 討 し て ︑ 彼 ら に

よ る ロ シ ア 国 家 の 普 遍 的 使 命 の 考 察 に 着 目 し た も の で あ っ た が ︑ そ こ に は ウ ス ト リ ャ ー ロ フ 自 身 の 思 想 的 立 場 と 同 時

代 の ロ シ ア が 直 面 す る 現 実 的 ・ 具 体 的 な 問 題 に 対 す る 彼 自 身 の 関 心 が 色 濃 く 反 映 さ れ て い た ︒ こ の 報 告 は の ち に 論 文

と し て ﹃ ロ シ ア 思 想 ﹄ 誌 に 掲 載 さ れ て 大 き な 反 響 を 呼 ぶ こ と に な っ た が ︑ こ の 論 文 は ︑ 初 期 ス ラ ヴ 派 の 思 想 を 分 析 し

考 察 す る と 同 時 に ︑ 彼 ら の 言 葉 を 用 い な が ら 自 身 の 主 張 を 展 開 し た も の と と ら え る こ と が で き る ︒

(15)

こ の 観 点 か ら み て 重 要 な の は ︑ 諸 国 家 の 関 係 に つ い て の 彼 の 考 察 で あ る ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に よ れ ば ︑ 諸 国 家 の 原

理 的 平 等 に つ い て の ス ラ ヴ 派 の 学 説 は ︑ そ の 内 部 の 本 質 的 不 平 等 の 学 説 と 併 存 し て お り ︑ 平 和 的 民 族 自 決 の 自 由 の 宣

言 は 世 界 的 に 選 ば れ た 国 家 と い う 理 論 と 矛 盾 す る も の で あ る ︒ 彼 は ︑ こ れ ら の 矛 盾 を 考 究 す る こ と を 自 ら の 課 題 に 設

(47∀

定 す る ︒ ﹁ 諸 国 民 (国 巷 o 琶 ) は 不 滅 で は な く ︑ 個 々 の 人 間 個 人 と 同 じ よ う に 生 ま れ ︑ 年 老 い そ し て 死 ぬ こ と を ︑ 歴 史

は わ れ わ れ に 教 え て い る ﹂ ︒ 彼 は ︑ ﹁ 無 益 な ﹂ ︑ 思 想 性 の な い ︑ ﹁ 死 ん だ ﹂ 国 家 の 存 在 は ︑ 国 家 の 使 命 と い う 学 説 と 全 く

矛 盾 し な い ︑ と 論 じ る ︒ 国 家 の ﹁ 理 念 ﹂ が す で に 使 い 果 た さ れ な が ら も 国 家 が 外 見 的 に は 存 在 す る こ と は し ば し ば あ

る ︒ 問 題 は 国 家 理 念 の 本 質 で あ る ︒ 具 体 的 な 形 で 表 れ た 一 つ の 国 家 理 念 の 本 質 は ︑ し ば し ば 他 の 国 家 理 念 の 本 質 を 否

(48)

定 す る ︒ こ こ に 諸 国 民 の 友 好 的 協 力 で は な く ︑ 深 刻 な 相 互 不 一 致 が 現 れ る ︒ こ う し て ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ ス ラ ヴ

派 の 国 家 観 か ら 出 発 し て ︑ 国 家 間 の 対 立 の 契 機 を 重 視 す る の で あ る ︒

民 族 自 決 は 歴 史 的 に 形 成 さ れ た 枠 組 の 中 で 平 和 裡 に 進 行 す る 過 程 で は な い ︑ と ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は 指 摘 す る ︒ 彼 に

よ れ ば ︑ あ る 国 民 が 他 の 国 民 の 絶 滅 を 要 求 す る こ と が あ る ︒ 世 界 史 の 過 程 は ︑ 歴 史 を 作 り 出 す 諸 国 民 (§ 8 ℃ 蚤 o ︒ 霞 o

匡 巷 o 避 ) の 絶 え 間 な い 交 替 に よ っ て の み 実 現 す る の で あ る ︒ 歴 史 は 犠 牲 を 要 求 す る の で あ り ︑ お そ ら く 消 滅 す る 国

(49)

民 は 滅 亡 す る こ と に よ っ て ︑ 自 ら が 存 続 す る よ り も よ り 多 く の 価 値 を 人 類 の た め に 捧 げ て い る の で あ る ︒ さ ら に ウ

ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ ホ ︑︑︑ ヤ コ ー フ と キ レ エ フ ス キ ー の ﹁ ロ シ ア の 特 別 な 世 界 的 使 命 ( 目 ℃ = ω 口0 9 踏 国 O ) ﹂ に つ い て の 学 説 が

国 家 的 使 命 の 原 理 と 矛 盾 す る か も し れ な い と い う 一 般 的 指 摘 に よ っ て 覆 さ れ て は な ら な い ︑ と 論 じ た う え で ︑ ロ シ ア

(50)

国 家 の 使 命 の 本 質 を ﹁ 真 に 精 神 的 で 内 的 な 特 徴 ﹂ に 求 め た ︒ ︑こ う し て へ ー ゲ ル 的 世 界 観 に 立 っ て ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ

フ は 歴 史 に お け る ロ シ ア の 使 命 を 正 当 化 し た ︒

そ れ と 同 時 に 彼 は ︑ 西 欧 と ロ シ ア の 本 質 に つ い て の ス ラ ヴ 派 の 見 解 が 国 家 的 使 命 の 理 論 と は か か わ り の な い も の で

あ る と 主 張 し た ︒ さ ら に ︑ 現 実 の 試 練 は 祖 国 の 世 界 的 使 命 へ の 確 信 を 損 ね る も の で は な い も の の ︑ そ の 具 体 化 の 様 式

(51V

に 対 す る 見 方 を 修 正 し て い る と 指 摘 し た ︒ こ の よ う に 彼 は ︑ ﹁ 世 界 に お け る ロ シ ア の 使 命 ﹂ と い う ス ラ ヴ 派 の 立 場 に

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 ( 中 嶋 ) 五 九

(16)

人 文 学 報 第 五 = 一ー 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 六 〇

拠 り な が ら も ︑ 伝 統 的 な ス ラ ヴ 派 的 思 考 に 必 ず し も と ら わ れ な い ︑ リ ア リ ズ ム に 立 っ た 独 自 の 観 点 を 提 示 し て い た ︒

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の こ う し た 哲 学 的 立 場 は ︑ 世 界 戦 争 の 中 で ロ シ ア が と る べ き 道 に つ い て の 具 体 的 な 提 言 と 密 接 に

結 び つ い て い た ︒ 同 じ く 一 九 一 六 年 一 〇 月 に 発 表 さ れ た 彼 の 論 文 ﹁ ロ シ ア 帝 国 主 義 に つ い て の 問 題 に 寄 せ て ﹂ に は ︑

強 力 な ロ シ ア 国 家 を 求 め る ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 志 向 が 顕 著 に 現 れ て い た ︒ 彼 に よ れ ば ︑ 理 論 上 は 国 民 が 国 家 を 形 成 す

る こ と を 否 定 で き な い け れ ど も ︑ 現 実 に は 国 家 こ そ が 単 一 の 国 民 を 形 成 し て い る の で あ る ︒ し た が っ て ﹁ 偉 大 な る ロ

シ ア ﹂ は 何 よ り も 国 家 で な け れ ば な ら な 晩 )・ ﹁ 帝 国 主 義 ﹂ の 理 念 は す べ て の 現 代 国 家 の 政 策 の 基 礎 に あ る の で あ 倹 ﹁ 偉    大 な る ロ シ ア の 外 交 政 策 は 大 国 的 政 策 ︑ す な わ ち 帝 国 主 義 政 策 で な け れ ば な ら な い ﹂ ︒ 彼 は 世 界 戦 争 を ︑ 現 存 国 際 秩

序 の 再 評 価 を 意 味 す る も の ︑ そ れ と 同 時 に 現 代 の 国 家 組 織 の ﹁ 物 質 的 お よ び 精 神 的 な 力 ﹂ を テ ス ト す る も の ︑ と 理 解

し た ︒ こ の 観 点 か ら 彼 は ︑ 偉 大 な る ロ シ ア 国 家 は ﹁ ヨ ー ロ ッ パ の 自 由 の た め の 戦 争 ﹂ ﹁ 帝 国 主 義 に 対 す る 戦 争 ﹂ ﹁ ド イ  ま ツ 軍 国 主 義 に 対 す る 戦 争 ﹂ と い っ た ス ロ ー ガ ン と 絶 縁 す べ き で あ る と 主 張 し た ︒ こ こ で の 彼 の 主 張 は 明 ら か に ︑ ス ま   ト ル ー ヴ ェ の ﹁ 偉 大 な る ロ シ ア ﹂ の 国 家 観 か ら 非 常 に 強 い 影 響 を 受 け て い た ︒ し か し ウ ス ト リ ャ ー 白 フ は そ こ に と

ど ま る こ と な く ︑ ス ト ル ー ヴ ェ か ら 継 承 し た 国 家 観 と 現 実 の ロ シ ア 国 家 が お か れ て い た 状 況 と を ﹁ 総 合 ﹂ し て ︑ 自 ら

新 し い 方 向 性 を 模 索 す る こ と を 通 じ て ︑ ロ シ ア 国 家 の 帝 国 主 義 的 拡 張 政 策 を 肯 定 的 に 評 価 し た の で あ る ︒

論 文 ﹁ ロ シ ア 帝 国 主 義 に つ い て の 問 題 に 寄 せ て ﹂ を 掲 載 し た ﹃偉 大 な る ロ シ ア の 諸 問 題 ﹄ 誌 の 編 集 部 は ︑ こ の 論 文

が 興 味 深 い も の で あ る こ と を 認 め な が ら も ︑ 著 者 の す べ て の 命 題 に 意 見 を 同 じ く す る わ け で は な い と 付 記 を つ け て

い 麺 ︒ こ の 論 文 は 大 き な 反 響 を 呼 び ︑ 早 く も 同 誌 翌 月 号 に は ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ と 同 世 代 の 国 際 法 学 者 ア レ ク サ ン

ド ル . ラ ド ゥ イ ジ ェ ン ス キ ー が 同 論 文 を 批 判 し た 論 考 を 発 表 し た ︒ ラ ド ゥ イ ジ ェ ン ス キ ー に よ れ ば ︑ ウ ス ト リ ャ ー ロ

フ は ﹁ 偉 大 な る ロ シ ア ﹂ の 理 念 を ﹁ 法 に 対 す る 国 家 の 優 位 ﹂ の 視 点 か ら と ら え て い る が ︑ 国 家 を 法 の 上 位 に お く 観 点

か ら 安 定 し た 法 秩 序 の 理 念 を 論 じ る べ き で は な い ︒ ﹁ 偉 大 な る ロ シ ア ﹂ に 必 要 な の は ︑ 好 戦 的 で 攻 撃 的 な 外 交 政 策 で

は な く ︑ 平 和 的 で 文 化 的 な 発 展 の 可 能 性 な の で あ り ︑ ﹁ 偉 大 な る ロ シ ア ﹂ 理 念 は 自 由 で ︑ 法 に か な っ た ︑ 文 化 的 で ︑

(17)

(57)

豊 か で 平 和 な 国 の 理 念 で あ る ︑ と ラ ド ゥ イ ジ ェ ン ス キ ー は 論 じ た ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 独 自 な 立 場 は ︑ ス ト ル ー ヴ ェ

に 影 響 を 受 け て ﹁ 偉 大 な る ロ シ ア ﹂ 理 念 を 信 奉 し た 人 々 の あ い だ で さ え ︑ 必 ず し も 無 批 判 に 受 け 入 れ ら れ る も の で は

(58)

な か っ た ︒

こ の よ う に ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ ス ラ ヴ 派 お よ び ﹃道 標 ﹄ 派 の 思 想 的 枠 組 を 土 台 と し て 自 己 形 成 を 遂 げ た 点 で は ︑

同 時 代 の 若 き ロ シ ア ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ の 一 類 型 を 示 す 典 型 的 な 人 物 で あ っ た ︒ し か し 彼 の 思 想 的 発 展 は そ の 枠 組

の 中 に 留 ま る も の で は な く ︑ ス ラ ヴ 派 や ﹃道 標 ﹄ 派 の 理 念 を 大 き く 乗 り 越 え て い く こ と に な っ た の で あ る ︒

お わ り に

帝 政 末 期 の ﹁ 銀 の 時 代 ﹂ に 青 年 期 を 過 ご し た ニ コ ラ イ ・ ヴ ァ シ ー リ エ ヴ ィ チ ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ ト ル ベ ツ コ イ

兄 弟 を 通 じ て ソ ロ ヴ ィ ヨ フ の 哲 学 を 吸 収 す る と と も に ︑ 同 兄 弟 を は じ め ベ ル ジ ャ ー エ フ ︑ ブ ル ガ ー コ フ ︑ ス ト ル ー ヴ ェ

ら の 最 新 の ロ シ ア 哲 学 を 学 び つ つ ︑ 自 身 の 思 想 的 土 台 を 形 成 し て い っ た ︒ 彼 は 当 初 エ ヴ ゲ ー ニ ー ・ ト ル ベ ツ コ イ の 影

響 の も と で 成 長 し た が ︑ 次 第 に ス ト ル ー ヴ ェ の 思 想 的 立 場 に 接 近 し ︑ さ ら に 戦 争 と い う 危 機 の 時 代 の 中 で 独 自 の 思 想

的 展 開 を 経 験 し て い っ た ︒ 彼 は ス ト ル ー ヴ ェ の ﹁ 偉 大 な る ロ シ ア ﹂ 理 念 を 引 き 継 ぎ な が ら も ︑ そ れ を 同 時 代 の 列 強 の

勢 力 図 に お け る ロ シ ア の 位 置 に 接 合 し て ︑ 国 家 に よ り 高 い 価 値 を 見 出 す 観 点 を 提 示 し た ︒ こ こ に リ ア リ ス ト と し て の

ウ ス ト リ ャ ー ロ フ の 成 長 と と も に ︑ ロ シ ア 的 な リ ベ ラ リ ズ ム の 伝 統 と ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 新 た な 要 素 と を ﹁ 総 合 ﹂ し て

独 自 の 方 向 性 を 開 拓 す る 彼 の 思 想 的 発 展 を 見 出 す こ と が で き る ︒

こ う し て ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ 論 壇 に お い て 新 進 気 鋭 の 論 客 と し て 登 場 し た 一 九 一 六 年 ま で に ︑ そ の 思 想 の 骨 格 を

確 立 し た と い え よ う ︒ こ の 時 期 に 現 れ た 彼 の 思 想 的 深 化 は ︑ 一 九 一 七 年 の 二 つ の ロ シ ア 革 命 を 経 て ︑ さ ら に 深 く 幅 広

く 展 開 さ れ る こ と に な る の で あ る ︒

帝 政 末 期 ロ シ ア に お け る リ ベ ラ ル ・ ナ シ ョ ナ リ ス ト の 自 己 形 成 (中 嶋 ) 六 一

}

(18)

人 文 学 報 第 五 一 ニ ー 九 号 二 〇 一 六 年 三 月 六 二

一 九 一 六 年 末 ︑ 帝 政 は 破 局 の 瀬 戸 際 に 立 っ て い た ︒ 多 く の リ ベ ラ ル 知 識 人 と 同 様 に ウ ス ト リ ャ ー ロ フ も ま た ︑ 統 治

シ ス テ ム が 変 わ ら な け れ ば ド イ ツ に 対 す る 勝 利 も あ り え な い こ と を 十 分 に 理 解 し て い た ︒ し か し 彼 は 一 二 月 一 五 日 の

日 記 の 中 で ︑ 君 主 制 原 理 の 威 信 が 失 墜 す る の は 良 く な い こ と で あ り ︑ 一 九 〇 五 年 の 革 命 家 が ば か げ た も の で あ っ た よ

う に ︑ ロ シ ア で 革 命 が 起 こ る の は 愚 に も つ か ぬ こ と で あ る ︑ と 記 し た ︒ そ の 直 後 に ラ ス プ ー チ ン が 暗 殺 さ れ ︑ 事 態 は

さ ら に 悪 化 し て い っ た ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ は ︑ フ ラ ン ス 革 命 の 歴 史 が ロ シ ア で 繰 り 返 さ れ て い る と 感 じ た ︒ そ し て ︑

(59)

事 態 が そ の よ う に 進 む な ら ば 結 末 も 同 じ に な る だ ろ う と 考 え ね ば な る ま い ︑ と 覚 悟 し た ︒ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に と っ て ︑

ま た ロ シ ア の 歴 史 に と っ て も ︑ 過 酷 な 試 練 の 始 ま り は 間 近 で あ っ た ︒

( 1 ) 中 嶋 毅 ﹁革 命 と ロ シ ア ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ i N ・ V ・ ウ ス ト リ ャ ー ロ フ に み る 知 の 継 承 と 展 開 ﹂ 小 谷 江 之 編 ﹃ 歴 史 に お

け る 知 の 伝 統 と 継 承 ﹄ 山 川 出 版 社 ︑ 二 〇 〇 五 年 ︒ (2 ) こ こ で は 文 献 名 を 挙 げ る の み に と ど め る ︒ 竹 中 浩 ﹁道 標 転 換 派 と 一 国 社 会 主 義 ﹂ 漢 内 謙 ・ 荒 田 洋 編 ﹃ ス タ ー リ ン 時 代 の 国

家 ど 社 会 ﹄ (木 鐸 社 ︑ 一 九 八 四 年 ) ︑ 廣 岡 正 久 ﹃ ロ シ ア ・ ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 政 治 文 化 1 ﹁ 双 頭 の 鷲 ﹂ と イ コ ン ﹄ (創 文 社 ︑

二 〇 〇 〇 年 ) ︑同 ﹁ ニ コ ラ イ ・ウ ス ト リ ャ ー ロ フ と ﹃道 標 転 換 ﹄ 運 動 ﹂ ﹃ 法 学 研 究 ﹄ (慶 慮 義 塾 大 学 ) 第 七 六 巻 第 = 一号 ( 二 〇 〇 三

年 = 一 月 ) ︑ 国 ︒ = 舘 q ︒ ヨ き " 9 ミ き Oq き 冒 § 賄 ミ ミ ミ 偽 象 く 馬ミ 肉 £ ㌧ミ % § 偽 .︑Q ・'§ 喩 轟 9 讐 ︒ 昌 ︑. § ︿ § § ミ ミ § 凶 肉 § 亀 § 肉 ミ 鷺 跨 ミ

ミ 馬 穿 ︑ 骨 N 遭 象 (U O 丙 巴 戸 = 嵩 ロ 9 ︒︒ " Z O 冨 ﹃ Φ ヨ ロ = 昌 O 冨 ¢ 巳 く 0 δ 一蔓 ℃ お 朗 9 一 〇 〇 轟 ) い 目 丙 ℃ 超 o . O o 器 同 o 霞 邸 ↓ o ℃ 寓 国 員 o ℃ " と × o 臣 口 o 暮 o 目 o o ゲ 一員 蚕

︒ 同 碧 臣 ︒ 6 ﹃ ︒ 口 8 ︒ ℃ ︒ 冨 一 〇 一 刈 占 O P ︒︒ ﹄ 醤 碧 o 日 日 一 〇 雪 ⁝ タ マ シ ・ ク ラ ウ ス 著 ( 堀 江 則 雄 訳 ) ﹃ ソ ヴ ィ エ ト ・ テ ル ミ ド ー ル ー 現 代 ロ

シ ア 政 治 の 源 流 ﹄ ( 東 洋 書 店 ︑ 二 〇 〇 三 年 ) ︒ 研 究 史 上 の 位 置 づ け に つ い て は ︑ 中 嶋 ﹁ 革 命 と ロ シ ア ・ イ ン テ リ ゲ ン ツ イ ヤ ﹂

一 九 〇 頁 を み て ほ し い ︒

( 3 ) 昌 ・ ﹀ ・ 貯 ︒ 月 冨 目 ① ︒・ 9 ﹄ 属 6 員 慧 野 ︒ 目 ゲ ︒ b・ 匿 ぎ ぞ 曽 ︒ ︒・ \\ 寄 國 ρ 渉 ω ( ひ ソ ち o ︒︒ 葛 ・ 渓 ¢ . 寓 壱 ︒ ・・ ︒ 層 ︒ 臣 ︒ 国 ︒ 9 ・ ︒ 目 器 臣 ︒ ‑目 ︒ 員 § § ︒ ︒ 臣 凶

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( 4 ) ゆ ● 零 ℃ ︒ § 国 ︒ ︒・ ︒ 図 畏 頻 国 田 ・ 臣 慧 塁 目 憲 田 ︒ 窟 ① ︒ 冨 ︒ 田 容 昌 舘 ⇔d p ︒ 自 語 圏 ・︒ ぎ 紹 曽 畠 暫 ( 蕊 8 占 o ω 刈 ソ ζ ︒ ︒ 臣 p 8 0 9 団 門 ︒ 蓉 ・ ヨ 6 員 愚

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