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『〈 グ ロ ー バ ル ・ ヒ ス ト リ ー 〉 の 中 の キ リ ス ト 教

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れた呼びかけとも受け止めることができる︒宗教学のディシプリンにこだわり細かい点に目くじらを立てて門戸を閉ざすよりも︑歓待的な対話を試みるほうが研究の土壌を豊かにするためにも有用である︒本書は︑様式の変遷を基本とする建築史の枠組みを脱構築するという困難に挑んでいる︒再帰的な近代の事象に自己言及し︑概念構築者を歴史のなかで構造化しながら﹁感動﹂の余地を残す記述の在処を示している︒これは建築のみならず︑文学や絵画や音楽や映画などの芸術にも応用可能ではないだろうか︒その意味でも貴重な貢献である︒ ミラ・ゾンターク編

﹃︿ グ ロ ー バ ル ・ ヒ ス ト リ ー ﹀ の 中 の キ リ ス ト 教

││  近代アジアの出版メディアと  ネットワーク形成 ││

新教出版社 二〇一九年六月刊A5判  二九〇頁  五二〇〇円+税

野  口  生  也   本書は︑グルーバルな視点から︑近代アジアのキリスト教ネットワーク形成における﹁出版メディア﹂の役割を歴史的に考察する論集である︒編者は近現代日本キリスト史を研究するミラ・ゾンターク氏である︒彼女が﹁はじめに﹂の中で本書のねらいを述べている︒歴史が﹁世界史﹂と﹁自国史﹂に分けられている現状は問題であり︑その﹁溝﹂を埋めるには︑﹁統合﹂と﹁差異﹂を包括的に分析する﹁グローバル・ヒストリー﹂という新しい視野が必要であると指摘する︒特に︑これまでのキリスト教史は﹁西洋人宣教師の英雄史﹂または﹁西洋教会の諸教派の教派史﹂に過ぎず︑﹁現地人キリスト教徒の声﹂を拾えていなかったとする︒よって︑それを拾うために︑過去三〇年の間に収集された﹁出版メディア﹂に注目するという︒

  このようなキリスト教の﹁グルーバル・ヒストリー﹂を一九九〇年代から牽引してきたのは﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂である︒同学派の二人の論文および同学

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スト教国際主義 クラウス・コショルケ﹇平田貴子訳﹈第 第  アドリアン・ヘルマン﹇平田貴子訳﹈ における独立公表 ﹁フィリピン独立教会﹂││植民地支配下の公共圏  6章フィリピン教養人イサベロ・デ・ロス・レイエスと

第 研究  3部近代東アジアにおけるキリスト教系新聞・雑誌の比較 第  ミラ・ゾンターク 代日本キリスト教徒エリートの﹁神の国﹂論  7章キリスト教愛国主義と大日本帝国の膨張主義││近

第  マイケル・I・シャピロ ローバルな伝道文化との関連で  8章﹃新人﹄の誕生││同時代のキリスト教におけるグ 第  ││儒学的価値観との対立と調和倉田明子  9章﹃万国公報﹄における中国人知識人のキリスト教観 第  る自立教会の形成をめぐる議論渡辺祐子 10 章考││十九世紀後半におけ 第  割をめぐって髙井ヘラー由紀 教会白話ローマ字と﹃台湾教会公報﹄が果たした役 11 章近代台湾における非エリート的文字文化の成立││

 ト教公共圏形成マイケル・I・シャピロ ﹃公道﹄と﹃基督青年﹄にみる植民地朝鮮のキリス 共﹂と朝鮮キリスト教︵一九一〇︱一九一九︶││ 12 章大日本帝国と福音派プロテスタント教における﹁公 の通りである︒ 研究する五人の論文が本書に掲載されている︒本書の目次は次 派が研究対象としていなかった近代東アジア・キリスト教史を

はじめに第

第 とは何か  1部﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂ 第  クラウス・コショルケ﹇工藤万里江訳﹈ 図の必要性  1章キリスト教のグローバル・ヒストリー││新しい地

第  クラウス・コショルケ﹇平田貴子訳﹈ の多極的歴史観  2章宗教と人口移動││グローバル・クリスチャニティ 第  クラウス・コショルケ﹇平田貴子訳﹈ 前のアジアにおける大陸ネットワーク  3章東シリアのネストリウス派﹁東方教会﹂││近代以

第 ヘン学派﹂の最新プロジェクト 較研究││﹁グローバル・クリスチャニティのミュン  2部近代アジアとアフリカのキリスト教系新聞・雑誌の比 第  クラウス・コショルケ﹇工藤万里江訳﹈ ジェクトの狙いと選定資料の紹介 アフリカ現地人キリスト教徒エリート││研究プロ  4章新聞・雑誌に映し出される一九〇〇年頃のアジア・

ネットワーク││日印交流によって促進されたキリ  5章近代アジアにおける現地人キリスト教徒エリートの

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の多極的歴史観﹂︵クラウス・コショルケ︶では︑従来の教会史が区切られた領域に基づいて描かれていたことを反省し︑﹁キリスト教のグローバル・ヒストリー﹂は︑人口移動とキリスト教が存在する地域間の交流により注視すべきだと提唱されている︒歴史的事例として︑五つのディアスポラ・ネットワークが挙げられている︒

  第3章﹁東シリアのネストリウス派﹁東方教会﹂││近代以前のアジアにおける大陸ネットワーク﹂︵クラウス・コショルケ︶では︑キリスト教の多極的構造が現代に限定されるものではなく既にヨーロッパの近代以前の事例として︑東シリアのネストリウス派﹁東方教会﹂を取り上げている︒

  第2部﹁近代アジアとアフリカのキリスト教系新聞・雑誌の比較研究││﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂の最新プロジェクト﹂では︑﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂によるアフリカ︑インド︑フィリピンの事例研究の論文が掲載されている︒

  第3部﹁近代東アジアにおけるキリスト教系新聞・雑誌の比較研究﹂では︑日本︑韓国︑中国︑台湾といった東アジアの事例研究において︑﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂の方法論を批判的に適用している︒その点において︑第3部は本書の中心的な位置づけであるといえる︒

 第3部の最初の第7章﹁キリスト教愛国主義と大日本帝国の膨張主義││近代日本キリスト教徒エリートの﹁神の国﹂論﹂は︑本書の編者であるゾンタークの論考である︒この章では︑現地日本人キリスト教徒による雑誌を分析している︒日本では 引用・参考文献一覧新聞・雑誌一覧おわりに  本書は︑目次を見て分かるように︑章ごとに扱う時代や地域が異なっている︒また︑同一の著者が複数の論考を寄せているが︑内容的な連続性は決して高くはない︒これらの全ての内容を細かく追うことは評者の知識不足により難しい︒よって︑評者の個人的な関心によって︑以降の概観の仕方に偏りがある点をあらかじめお断りさせていただく︒

  第1部﹁﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂とは何か﹂では︑同学派の創始者であるクラウス・コショルケ氏の論文が掲載されている︒

  第1章﹁キリスト教のグローバル・ヒストリー││新しい地図の必要性﹂︵クラウス・コショルケ︶では︑コショルケ主導の研究プロジェクトが採用する歴史学的アプローチが概観されている︒それは次の三つの原則からなる︒︵一︶キリスト教の教派的︑地域的︑文化的な差異をより大きな全体の一部として捉えるための﹁キリスト教のグローバル・ヒストリー﹂の新しい拡大地図の必要性︑︵二︶キリスト教は現代のみならず実に黎明期から歴史的に複数の中心地を有する多極構造であったという認識︑︵三︶キリスト教の地域を超えた繋がりと多方向的大陸間交流史としての﹁キリスト教のグローバル・ヒストリー﹂という概念への注目である︒

  第2章﹁宗教と人口移動││グローバル・クリスチャニティ

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いたという︒

  第

る﹁説得﹂と中国人信徒の﹁納得﹂の過程が示されている︒ 立に取り組んだ宣教師による報告記事が考察され︑宣教師によ 議論されてきたとする︒本章後半では︑実際に教会の経済的自 政問題および宣教師を派遣する欧米教会との関係維持の是非が 題として︑教会堂建設費の調達や中国人牧師の雇用をめぐる財 的な提言があったという︒一八八〇年代に入ると︑現実的な問 〇年代の記事には︑宣教団体による教会堂建設を反対する実質 意識が中国各地の宣教師の間で共有されていたとする︒一八七 の掲載以降︑教会自立について多数投稿されており︑その問題 ﹁自養︑自伝︑自治﹂という﹁三自﹂定式に言及している論考 に関する記事である︒同誌第一巻第一号冒頭において教会の 考察対象となっているのは同誌の一八九〇年代までの教会自立 体をみる万華鏡のような総合情報誌﹂であったという︒本章で 勢や文化など欧米に紹介する﹁キリスト教伝道を中心に中国全 宣教師がお互いに活動報告する媒体であり︑また中国の社会情 のに対し︑英文のは中国各地の欧米人 ある︒中国語のキリスト教系雑誌が中国人知識人向けであった れているのは一八六七年発刊の雑誌で 師らがどのように議論していたかを考察している︒取り上げら けるプロテスタント教会の宣教団体からの自立について︑宣教 る自立教会の形成をめぐる議論﹂︵渡辺祐子︶では︑中国にお 10章﹁考││十九世紀後半におけ

 このように︑同じ近代中国においても︑分析する出版メディアによって︑キリスト教の﹁多極性﹂及び宣教師と現地人キリ 初期の段階から﹁キリスト教愛国主義﹂と﹁大日本帝国の膨張主義﹂が見られ︑﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂が強調するような植民地解放といった論調はなかったとする︒この日本の事例に続き︑中国︑台湾︑朝鮮半島の事例を扱う章においても︑各地域における独自な展開が明らかにされる︒なかでも︑異なる著者による近代中国の事例は比較の観点から興味深い︒

  第9章﹁﹃万国公報﹄における中国人知識人のキリスト教観││儒学的価値観との対立と調和﹂︵倉田明子︶では︑中国人知識人信徒の儒教言説を検討することで︑彼らのキリスト教観ひいては中国におけるキリスト教の土着化について考察している︒研究対象とされているのは一八六八年創刊の中国語の週刊誌﹃教会新報﹄および六年後その後継誌として一般向け月刊誌となった﹃万国公報﹄である︒これら二誌は︑以前に存在したプロテスタント宣教師らによる定期刊行物とは違い︑一八六〇年代の近代化が進む中でキリスト教と西洋知識を紹介しつつも中国人知識人信徒の投稿文を積極的に掲載した先駆的なものであるという︒二誌の掲載文のなかでも比較的に中国人知識人信徒のキリスト教観があらわれているものとして儒教との関わりでキリスト教を論ずる文章が検討されている︒それらからは︑中国人知識人信者による儒教とキリスト教の思想的また儀礼的な融和の試み︑すなわち儒教的価値観に根差したキリスト教を目指すという土着化の志向が読み取られている︒それは十九世紀後半に既に各地の中国人知識人が持ち始めており︑情報交換および議論の場として﹃教会新法﹄と﹃万国公報﹄が機能して

(5)

貢献するものであることは間違いない︒スト教徒との間の﹁相互認知作用﹂が違って見える︒

  以上︑網羅的ではないが︑本書の内容を概観した︒ゾンターク氏が﹁おわりに﹂の中で︑いくつか今後の課題を述べているが︑それら以外のことを指摘したい︒まず﹁はじめに﹂で述べられているように︑本書の狙いは︑これまでの﹁西洋﹂中心のキリスト教史では注目していなかった﹁現地人キリスト教徒の声﹂を拾うことであるが︑いったい﹁現地人キリスト教徒﹂とは誰をさしているのか︒その定義を事前に明確にするべきだったと思う︒第

とでは意味が違うであろう︒ 扱っている︒同じ﹁現地人﹂であったとしても︑民衆と知識人 論じているが︑本書における他の多くの事例は﹁エリート﹂を 11章では台湾の﹁非エリート的﹂な空間について   もう一つ指摘したいのは︑訳語の問題である︒本書では︑英語表記のMunich School of World Christianityを﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂と訳している︒英語圏の研究においては︑World ChristianityとGlobal Christi-anityを使い分ける研究者がいる︒その意味合いは人によって違うであろうが︑はたして同学派の英語名称には特別な意味があるのか︒本書においては﹁グローバル・クリスチャニティ﹂がキーワードであるため︑やはり︑当訳語の選択の説明が必要であったであろう︒

  以上の点が気になるものの︑﹁グローバル・クリスチャニティのミュンヘン学派﹂の業績を日本語で初めて紹介したことと彼らの方法論を東アジアの事例研究において批判的に発展させたことは︑今後のキリスト教史ひいては宗教史の研究に大いに

参照

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