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イメージと政治的イメージ フェルドマン オフェル

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フェルドマン オフェル

人間の政治的生活において,もっとも頻繁に用いられ,にもかかわらずほとん ど理解されていないことば,それが「イメージ」であろう。本稿は,イメージと いうことばについてその意味するところを紹介し,それに関するいくつかの見 方について論じようとするものである。

イメージは現代の政治的生活,特に今日の民主的欧米社会において,重要な役 割を果たしていると言われている。というのは,政治的イメージ(人々が自分 の置かれている政治社会的環境をどう感じ,またいかにして認識しているかと いうこと)と,一般的な政治的態度や政治的行為,(投票やデモ,抗議行動への 参加など)あるいは政治活動から自らを疎外してしまうこととの間には強い関 係が存在するからなのである。1

であるから,政治的環境における個人や大衆の態度や行為を理解するために,人 間がこのような政治的環境をどのような方法で受けとめるかということにも観 察が必要となってくる。政治的生活におけるイメージの重要性を分析するにあ たり,本稿では後述するように,まず一般的なイメージということばに焦点を当 て,その後イメージとは何か,またその構造と機能は何かといった問いに答えて いこうと思う。その後,広い見地から見た政治的イメージ,特に政治的リーダー のイメージ,そしてこのようなイメージが個人的,社会的な要因ごとの,その受 け取られ方や影響の違いについて論点を定めていく。

1.イメージとその特徴

1.イメージとは何か

一般的に言って,『イメージ』とは定義しにくいことばである。イメージの

様々な側面を取り扱った研究においても,一つとして確立された定義や,特に

良く用いられる定義といったものはない。

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ことばとしてのイメージの語源は idea であり,そのそもそも意味は to

see ナある。これは,「イメージとはある特定のしるし(sign)ではないが,

歴史の舞台における役者のようなもの」ということである。2つまりイメージ とは人間に対して何かを意味するために,その人間にとっては『酷似,類似,相 似」などに結びつかざるを得ず,すなわちその人間の『生活』にも必然的に繋 がることとなる。3

おそらくイメージの定義として最も知られ,またよく引用されるのはケネス・

ボールディング(Boulding)によるものであろう。4 ボールディングは,イ メージを,主に人間の行為をつかさどる主観的な知識の集積と考えた。5 それ は経験からつくられたものであり,人間が認知している精神世界を表したもの であり,現実に対する明確な知識というよりは,単なる反映と考えられる。ボー ルディングによると,あるものに対するイメージとは,その人間が,現在だけで なく,過去や未来を通じてそのものに対してずっと持っている様々な考え方に 関連する。言い換えれば,人間があるものに対して連想することは,様々な特定 の思い出や期待であったり,また,そのものに対する一般的な信念や意見だとい うのである。

イメージについては,ボールディングの他にも,いろいろ違った方法によって,

それを具体的に表そうとしたり,定義しようと試みた人々がいる。ウィリアム・

スコット(Scott)は,国に対するイメージに関連づけ,イメージとは人間があ る対象について認識したり想像したりしうる特性が総合されたものをあらわし ていると定義した。6そしてカール・ドイッチェ(Deutsch)とリチャード・

メリット(Merrit)は,イメージは複合的な構造を持ち,目に見える経験と類 似したものとしている。7

さらに最近では,ダン・ニモ(Nimmo)とロバート・サベージ(Savage)

が,『イメージ」の定義について,明らかに一致した見解というものは存在しな いと述べている。8 また,一般的概念として,人間の認知と評価の心理的過程の 中にイメージを定義したものがある。従ってイメージとは,人聞が現実を自分 なりに表現し直すことを通じてできる知的構造なのである。

競合する第二の見解として,イメージとはその源に左右される,つまりイメー ジの対象の客観的な特徴や特性によって決まると見るものもある。9

第三に統合された概念は,イメージを,イメージ源とイメージの受け手とに関

わる相互のつながりとしたものである。ニモとサベージによって提示された,

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このような見解によると,イメージとは,『人間が,あるものや事柄,あるいは入 物によって投影された特性を認知し,それを配列することによって構築された

もの。あるイメージは(1)主観的かつ精神的に構築された物で,(2)物事の認知の されかたに影響し,(3)投影されたメッセージに影響される』こととなる。1°一 方,アレックス・エーデルスタイン(Edelstein)の述べるところによれば,特

に国家のイメージについては,精神形成に対する『画像』 (picture)という概 念が付け加えられている。それは個人の認知,またそれらの認知に対する感情 や評価は,精神構造の形態と必然的に関わっているという提言である。11

イメージということばについて最も重要な見解をまとめてみると,現在のと ころ,イメージとは個人の認知システムにおいて,ある対象の表現を組織したも のといえるだろう。イメージの核となるのは,ある対象の認知された特徴であ

り,個人にとってその対象が何かという概念である。イメージとは,その対象が どうやって経験されるかというよりも,むしろ曖昧で形のない構築物といえる。

対象に対する概念は,大部分が,さまざまな描写や評価の次元において,個人が その対象をどこに位置づけるかということに関わっている。

      し Q.イメージの構造と機能

本論に関する二つの重要な命題となるのが,イメージの構造とイメージに対 する必要性である。すなわち,イメージは何からできているのかということと,

イメージが満たしている機能とは何かということである。

まず第一の命題については,イメージに関するさまざまな見解を分析したボー ルディングに触れておくべきだろう。ボールディングは『人間の抱くイメージ』

について七つの構成要素を見出した。12まず,個人が自分をとりまく空間にお ける自分の位置を画像化した,空間的イメージ(spatial image),時間の流れに おける自分の位置を画像化した,時間的イメージ(temporal image),自分の回

りの世界を調和のシステムとして画像化した,関係性のイメージ(relational image),自分を人間,役割,機構的に見,世界の中心に位置づけた人間のイメー

ジ(personal image),イメージ全体の中のそれぞれ違った部分をより良いも の,あるいは悪いものというスケールによって順番をつけた価値のイメージ

(value image),そして愛情のイメージ(affection image)や情動イメージ

(emotional image)は,感情や愛情によって影響されたイメージを指す。

最近の研究では,イメージの構造についてより確固な観察がなされているが,

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そこではイメージと態度との密接な関係について論じられている。この点につ いて詳しく掘り下げるにあたって,まず社会心理学の見方を紹介しよう。一般 的に社会心理学者は,態度とはある環境での事象や物に対する思考,感情,行動 の傾向から成っているということに賛意を唱えている。13そして社会心理学で は態度についての定義を,たいてい社会的刺激に対する後天的評価反応として いる。この定義によれば,人間は他の人々の物事,考え方に対して,感情的な反 応を示すものと考えられよう。人間はあるものに対し,それを好いたり嫌った

りし,さらに評価を加える。この意味からすれば,態度とは評価的反応と考えら れる。この反応の対象となり得るのは,人物(隣人,同僚)や集団(中国人,黒 人),静物(絵画,車),あるいは思想(社会主義,ファシズム)などである。態度

とはある対象を,良い・悪いとか好き・嫌いといった単純な次元で評価する傾 向のことであるが,一方で社会心理学者は,態度にはさらに三つの構成要素があ るとしている。まずは愛情の要素(affective component)で,これは怒りと か愛,同時に愛情に関する言語表明など,情動的な反応に関するものである。ま た,認知的要素(cognitive component)は,ある対象の特徴に対する信念から 成っている。そして,動態的要素(conative component)は,ある対象に対す る行為が,好意的か反好意的かという傾向に関するものである。これらをまと めて簡潔に述べるとすれば,態度とは社会的刺激に対する情動的反応であり,信 念であり,かつ行為の傾向であるといえよう。

イメージも往々にして,態度と同じようにとらえられているが,イメージもや はり態度の構成要素と同じく,分析すると三つの際立った側面あるいは構成要 素(認知,愛情,そして動態)から成っていると考えられる。 4第一に,人間が その対象を知的に理解するための認知的特性があげられる。認知的要素は,イ メージの示すものについて思考することやその意味を翻訳することである。認 知は,人間の環境に対する情報や知識に関わっている。第二に,イメージは愛情 の要素も含むことがあり,それは物事,人間,事象に対する感情を表している。

それは,焦点を定めた対象についての好意や嫌悪,愛と憎しみ,温かさと恐怖な

どの感情を含む。ドイッチェとメリットのこれについての見解は,全てのイメー

ジは認知的内容を持つが,しかし,そのいくつかのみが,対象の良し悪しを暗示

するような明確な評価としての構成要素を含んでいるというものである。15最

後に,イメージは行動の要素を帯びることがあるが,これは人間がその対象から

認知した特性に照らして相応しいと考えた行動を選ぶということである。これ

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が,特定の合図が与えられた場合に引き起こされた行動に関与する,イメージに おける動員的要素である。16しかし,これら三つの要素が経験的に識別される ということはほとんどない。ある対象についての信念や感情,そしてそれらの 関係から紡ぎ出される観念は,たいてい典型的なイメージ構造の中で密接に絡 まり合っているものであろう。

一般的に,イメージは対象に向けての愛1青ということばに特徴づけられるだ ろう。それは人間が,その対象に近づこうするか避けようとするか,好きになろ うとするか嫌おうとするか,認めようとするか逆らおうとするかという度合い を示す。この,対象に向けての一般的な愛情の見方が,通常態度と同じ意味を持 つのである。普通あるイメージに伴う態度には,肯定的なものと否定的なもの が含まれる。この点についていえば,イメージはその要素の数によって違うが,

特に詳細な部分とニュアンスの数だけ違うといえる。それらは多かれ少なかれ 豊かでかつ精練されており,あるいは複雑かっ分化されたものであろう。ある イメージが相対的に複雑だが分化しし得るものとすれば,それはいくつかの態 度をしめすためにはより的確であるだろう。そして人間はイメージの対象につ いて,自分自身と関わる側面によって,多少なりとも好意的かあるいは非好意的 な態度かを示す。

さて,ここで再び既に述べた第二の命題,すなわちイメージはどのような機能 を満たすのか,という問に戻ろう。これは言い換えればイメージとは何のため のものなのか,ということである。一般的に,イメージは人間の生活において重 要な役割を果たしており,イメージの機能のいくつかはこの点で言及できるだ

ろう。たとえば,イメージは情報を翻訳し,行動の指針となり,人間が行動や信 念,知識をつくり上げる場合において広く参考となる枠組を供するものであり,

また,人間の成長の基礎となり,情動的な安全の感覚を与えるものなのである。17 ドイッチェとメリットは,イメージとは新しい情報を選択して受け取る際の スクリーンとなるものであり,また,それらが完全に無視されたり,否定された

り,あるいは抑制されたりしない場合は,しばしばそれらの情報を感知したり意 味を翻訳したりすることをコントロールしていると見なしている。18しかし同 時に,外部からの新しい情報が,時々その人間が既に持っているイメージを変え てしまうことがある。それは個人に限らず,その集団における共通の文化やコ

ミュニケーション・システムにおけるイメージでも同じ事が起きる。外部の情

報だけでなく,内部の情報もイメージを変化させることがある。このような情

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報は,イメージが記憶から分離することから生じ,いくつかの構成要素をばらば らにする。このような構成要素のいくつかが再度組み変えられることによって,

新しいパターンや,別のイメージや,他のイメージの要素とのさらなる組み合わ せに変わっていく。あるいは,古い記憶とイメージとの間のさまざまな内部的

フィードバック・システム,新しい組み変えと現在の情報によっても変化する。

従ってイメージは,内部的な組み合わせの過程やフィードバックの過程を通 じて,自律的に変化させることができる。そうしてほとんどの場合,イメージは 有機的成長の産物としてより,人間の内部における情報のフィードバック・プ

ログラムが発達する時の要素やステージだと考えると,最もよく理解できるの ではないだろうか。19

個人や集団の必要性を示したり,その環境を整え,構築し,組織化するのも,イ メージの主要な機能の一つである。そして『名前を与え,限定し,不純なものを 取り去ることによって,この世界の物事や事象は認識され,取り扱われる。順序 は観念の機構を通じて押し付けられるものなのだ。』2°最終的にイメージは,

人間が経験した環境の上での影響を,全て網羅した世界図を与えるものと考え られている。加えてイメージは,人間を取り巻くものを考慮し,それを応えやす くするために,人間の自分自身に対する方向づけを補佐する。イメージは道具 であり,何が現実で非現実か,あるいは可能か不可能か,達成可能か不可能かと いうことを区別しやすくすることで,人間が目標を明らかにし,それに到達する ことを補佐する。イメージはまた,何が良くて何が悪いか,必要か不必要か,好 きか嫌いかの判断を助けることで,人間の環境に対する評価の基準ともなる。

また,最後にイメージは,人間の自分自身や自分のアイデンティティ,要求,希望,

欲望を表す機会を与えることにより,自己表現としての意味も持つのである。2 では,焦点をある特殊なイメージ,すなわち政治的なイメージに移し,現代社 会におけるその役割と重要性について論じていこう。

H.政治的イメージ

1.政治体制とイメージ

政治的には,イメージは情報公開過程の「結果』であるところの社会的,政治

的な過程と考えられている。この観点からすると,イメージは常に本物よりも

多くのものを示唆している。たとえば政治家のイメージは,その人物とその人

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間の個性以上のものを意味しているのである。イメージは,長期あるいは短期 的な政治過程の結果として発生する総合的なものといえる。この総合性の中 には,人物(性格,自己表現,行為の特徴など),考え方(政治的背景,個人的な

『イデオロギー』と意見),行動(政治的地位,組織内の役割など),履歴(教育,

職業,家庭など)といったことが含まれている。

イメージは,そのそれぞれがどういった種類の政治的現実から成り立ってい るかということが理解された時に『政治』となる。ここでイメージとは社会的 な力と目標への動輪となる。イメージの,この動輪としての役割は,リーダーと フォロワーの『交流』なのである評

政治的イメージは,政治体制に直接関係している。政治体制はその体制内で の合法的な序列や組織,またその集団が問題を解決する際に用いる手続などか ら成立している。あらゆる体制は,イメージに左右されるところが大きく,たと えイメージの動能的要因が影響せずとも,少なくともイメージの認知的,愛情的 な側面の影響を受ける。特に政治についてどれほどの人々がそれを知り,また どう感じているかという点に左右されるのである。あらゆる体制における合法 性,たとえば大衆がその体制が通常の統治にふさわしいと見なすことなどは,国 民が国家的アイデンティフィケーションや愛国心,誇りなどを通じて,体制への 支持を表明することが,継続的に広まるかどうかにかかっている。これが広ま

るかどうかは,ある面では,政治的シンボルの的確な操作で決まる。

以上のような理由によって,国家は大衆の政治的環境に対する支持を動員し,

それを築くという目的のために,多大な金銭とエネルギーを費やす。旗や制服,

国の祝日,役所の印鑑公の儀式や葬儀などは,全て政治的環境の象徴的な表明 なのである。これらのものや他のシンボルは,政治的環境のイメージに対する 忠義を再度是認し,強める役割をする。

あらゆる政治体制は悪いというよりも「良い』イメージを,信用でき,頼るこ

とができ,上手く物事を処理できるというイメージを持たれようとする。あら

ゆる政府は,合法的な序列に対する国民の信頼を得ようとし,物事を改革するた

めの能力に対する信頼を持たせようとする。政府が人々に対して,感じたり理

解したりすることを求めているのは次のようなことである。政府が個人を大事

にしているということ,人が政府のしていることを本当に理解できるというこ

と,政府に対する親近感,そして政府のすることや,その人の状況を改善するた

めの政府の能力に対する満足することなど。人々の間にこのような好意的なイ

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メージを創造するということこそ,あらゆる体制の目標といえる。

2.政治的イメージの受容

人間はどのような政治的イメージを受容するのだろうか。心理学者や社会心 理学者は,人間の一般的な学習の説明にさまざまな理論を用いている。その中 で特に本論と関わりがあるのは,人間が学習を行うのは心理的な時期や段階の つながりを通じてであることを強調したものである。人間は,それぞれの段階 を通過する際に,認知,信念,価値観と行動,つまりイメージの構成要素同士の間 に,よりはっきりとした区別をつけるようになる。さらに,人間はこれらのさま ざまな段階を通じ,イメージの構成要素を組織することを学習する。この心理 的状況の重要性は,特に子どもの認知や道徳観の発達を研究する学者達によっ て,強調されてきた点である。

子どもの認知や道徳観の発達

「認知」の発達は大雑把に言い換えれば,知能の発達,つまり我々の生活の中 で,多くの注目を集めている過程のことである。この分野で最も著名な研究者 であり,かつ理論家でもあるのは,スイスの心理学者,ジャン・ピアジェ(Pia一 get)である。ピアジェの最も基本的な言及の一つは,知能は人間の環境に対す

る積極的相互作用に関わっているということである。世界は確定した規則や基 本理念で組織されており,子どもは行動を通じて,何が規則であるかを見出して ゆく,ピアジェは,自分の子ども達が遊ぶのを注意深く観察し,認知の発達には 主に四つの段階があるということに気付くにいたった。各段階は,その前の段 階から準備されており,また次の段階への準備ともなっている。認

その第1は感覚運動期(sensorimotor period)であり,これは言語を習得す る以前の0〜2才ごろにあたる。この時期の活動は,たとえば反射のような生 得的なものから始まるが,このことは,活動とは単に身体的な運動だけではなく,

感覚的なはたらきをも意味するということを示しているといえよう。これらが しだいに内面化(interiorize)され,シェム(schem)を構成し,そしてさらに 2才ごろになると,心象(mental image)や言語をつくるようになる。第2は 前操作期(preoperational period)と呼ばれ,2〜6才に相当する。このころ

になると,感覚運動から次第に表象的活動,すなわち操作が現れてくる。つまり,

環境に対する接触を,経験や予想によって,現時点のみならず過去や未来にまで

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広げられるようになる。これによって,子どもは模倣や遊びができるようになっ ていくのである。しかし,因果的思考(causal thinking)はまだできず,それ についてはまだ呪術現象的(magico−phenomenal)段階にあり,すなわち原因 と結果を論理的に結びつけることはできない。また,同一性(identity)に対 する認識も,質的なものにとどまっており,たとえば粘土の固まりを形を変える 前と後で見せた場合,両方とも質的には同じ粘土であるということは理解でき

ても,量までが同じかどうかということについては,形が変化することでわから なくなってしまう。

第3は,7〜8才からll〜12才までに相当する,具体的操作期(period of concrete operations)である。この時期では全体と部分の関係を理解し,それ

によって物事を系列化したり,分類を行ったりし,またある部分を単位として,

時間や空間の全体を測定や比較したりできるようにもなる。最後の第4段階は,

形式的操作期(period of formal operations)と呼ばれ, ll〜15才の知能レベ ルを指す。この段階はすでに成人の知能の発達段階と見なされ,現実を可能性 の相対の中に位置づけた上で認識し,仮説演繹的な思考をするようになるとさ れている。したがって,操作もそれぞれの現実の可能性を踏まえた上で行われ

る。

ピアジェが子どもの認知と感情的思考の発達について研究したのに対し,ロー レンス・コールバーグ(Kohlberg)は,子どもの道徳観念の発達について多大 な関心を持った。コールバーグは,人間の道徳観念の発達は,基準が作られる以 前と,基準が作られる間,そして基準が作られた後という三段階に区別できると 述べている。彼は人間の道徳観念の発達に関する研究を主導した人物であり,

道徳観念の発達についての理論を提唱した。彼の理論は,一部ピアジェの認知 的発達に触発されたものと言えよう。

コールバーグは,道徳観念の発達について三つの段階を提示した。そしてそ れらの各々について二つずつの準段階を設けている詔

道徳観念の発達の第一段階は主に就学時期以前,つまり子供が物事の道理 を理解する年齢であるだいたい7才頃にみられるという。この前道徳段階

(premoral stage)にある子供は,社会的環境を力による闘争と見なしており,

何かから逃れることができれば,それは自分が 正しい からであり,もし 悪 い とすれば,捕まってしまうと考えている。

第二段階は,主に就学期と少年期にあたる。慣習段階(conventional stage)

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の時期では,法や秩序を信じているが,その信用は自分の思考の過程というより も,教えられたことに基づいたものなのである。この段階では,権威の象徴のよ うな重要な地位にある人間が正しいと言えば,それが正しいと思いたがる傾向 が見られる。総じて,権威的象徴に対する服従は,混迷した社会において望まれ,

かつ必要であると言えよう。また慣習的段階にある人間は,権威に対する盲従 の危険に晒されているとも考えられる。

最後の段階は成人期に相当する。観念段階(principle stage)にある人間は,

大部分を自分自身の考えや分析に基づいた基準を,自分の中に持っている。そ の場合の価値体系は,既存の規則よりも,さらに大きく他人の繁栄をも鑑みたも のとなる。しかし忘れてならないのは,全ての成人が観念段階に達しているわ けではないということであろう。多くの人々が慣習段階に留まったままなので ある。社会化の途中にある人間や,パーソナリティの混乱(personality dis一 order)をきたしてしまっているような人間は,通常は幼年期に訪れる前道徳段 階のままである場合もある。

政治的学習

認知的発達,感情的発達,道徳的判断力の普遍的な過程は,政治的学習の基本 となるものを供する。この政治的学習は,子どもの一般的な精神的発達の中の,

別な段階と見なされている。そして政治的イメージは,政治的学習,つまりある 人間がその時代の政治体制に即した規範態度,行為などを徐々に学習していく 過程と関係している。この人間が政治に対する耐久的な方向づけを獲得してい

く過程を,政治的社会化と呼ぶ。

一般的に言えば,政治的社会化とは政治について学習していく過程のことで もある。人間は政治に参加することを教えられ,正しい行動や,他人や政府との 関係の持ち方などについても学習する。であるから政治的社会化の本質とは,

集団における価値観と規範について学び,教えること,また受け入れること,伝 えることに関わるものと考えられよう。

人間は政治的社会化の過程において,自分たちの政治や社会,及び経済体制に 関して,またこれら全てにおける自らの役割や位置に対して,動機,情報,規範,

態度,価値観といったものを習得していく。すなわち人間は,政治的社会化を通

して初めて;政治体制の構成員になると言える。ここで自分に期待されている

ことや,社会や政治体制の中で生活し,関係を持っていく方法を学ぶのだといえ

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よう誇

政治的社会化には主に二つの特徴がある。第一に社会化とは垂直的な過程,

つまり,親と子供,教師と学生,情報の送り手と受け手といった,レベルの異なる 人間のあいだで行われるということであり,第二は青少年期(preadult)の学 習に関係しているということである。現にほとんどの社会化に関する研究では,

前述したように,政治的学習は青少年期に深く根ざしており,認知や情動の発達,

道徳的判断といった,より一般的な過程から引き出されるものだということが 指摘されている。

青少年期の学習が特に重視されるのは,子どもの頃に学んだことが,成人して からの政治的態度や行動に重要な影響を与え,未熟な年代に身に付けた価値観 や態度は,一生を通じて継続し,後に制度や価値観を受け入れるか否かを判断す る条件の基礎となるからである。この時期に学んだこと,あるいは学ばなかっ たことが,後から何らかの学習を始めたり,何かを作り出したりすることの基本

となる。

政治的社会化は,『本質的政治学習」と,政治の周辺にある物事についての

『非政治的学習』の二つのエリアに分けられ,% さらに,公式(forma1)なも のと非公式(informal)なものとにも区別される評 しかし,より重要なこと

として,認知的(cognitive)社会化,感情的(affective)社会化,そして政治体 制に対する評価(evaluation)を区別しておくべきだろう諮

認知的社会化とは,政治知識と情報の伝達に関するものだが,この情報には政 治的事件の原因や結果だけでなく,政府や官僚組織の構造,役割,機能,そして一 般的な政治的行為についての情報などが含まれている。情報は公式,非公式を 問わず身に付くものだが,その内容の本質は政治的なものである。政治体制に ついての情報の取得は明らかに重要なことだが,そうしないと大衆は政治体制 がどう機能しているかを知ることができないからである。

しかし,認知的社会化だけでは政治への理解と参加を説明するには足りない。

体制がどう動くのかを知ることは重要だが,それに対する忠誠,支持,愛着など

は,感情的社会化によって初めて説明できるのである。感情的社会化とは,常識

的価値観や感情をどう受け入れているか,そして政治体制をどの程度信用して

いるかといったことに関するものである。子どもは自分の国の政治体制につい

て何も理解しないうちから,かなり好意的な感情を持つことを学ぶ。支持や愛

着の感情なしには,どんな体制も継続レない。そして子どもたちが社会的,ある

(12)

いは政治的環境を理解する場合には,まず感情的なものが認知的なものよりも 先にくるといわれており,感情面での社会的あるいは政治的経験は肯定的なも のである。認知的発達は,感情的発達よりも『政治的世界』に対する漠然とし た理解を促す役割を果たす。29

政治的社会化のもう一つの要因は,事実としての情報や価値観を統合した評 価を行うこと,つまり政治体制についての判断や意見を示すことである。政治 的現象についての評価や査定は道徳的な基準(良いか悪いか)や経験的基準

(その働き方が認められるものか否か)が基本となっており,これらが政治的判 断の中心と考えられている。そして誰もが常時このような判断を行っている。

それは,何が正しく,何が正しくないやり方かという仮説を発展させては習得す るという作業の組み合わせをもとに行われているのである。

いずれにしても価値判断というものが,決定すること,特に合法的なものとそ うでないものとの決定をやりやすくする。例えば自由経済体制を認める人間に とっては,政府が殆どの経済を統制することは非合法的と思われるだろう。政 府抗争の多くは,異なる価値判断やそれを実行しようとする努力を元に起こる。

それは人間が,体制ごとに異なる方法や行動を取るように社会化されているか らなのである。

子どもの社会化

人間は18才になった途端,急に政治的思考や認知を発達させたりするわけで はない。また,この様な思考の発達過程は,16才や13才で始まるわけでもない。

実際,高校に入学する頃には,政治そのものや政治に関する情報や思考,政治的 態度をかなり身に付けている。非公式的な政治的学習は,子どもの性格が形成

され始め,権威や規則に対する基本的な態度を学び出す2才か3才頃に始まる。

法律や正義,規則,政府,そして公的な役割などについての思考は,政治に対して 影響を及ぼすことができるようになる年齢の遥か以前から発達を始めるのであ

る評

まず幼児は,かなり早い時期から,家族や学校とは別の,その上に存在する権 威について知り始める。31たとえば父親が警官とのいざこざを避けようとして,

交通規則を守るのを見たりする。7才や8才になると,支持,服従,あるいは尊

敬を必要とする外部の人間や組織の存在を知り始める。しかしこのような力に

ついての子どもの理解は限られているので,この歳では政府などという言葉は

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わからない。しかし,こういった力に気付くということは,幼児期から政治的思 考の発達が見られるということを示している。子どもは,大統領や総理大臣,警 官といった人間を通じ,最も早く,最も単純な形で政治的権威を認識するのであ る。国会や内閣といった集合的なものは明らかに理解しにくいので,幼い子ど もにとっては,衆議院とか参議院などの集団よりも,大統領や総理大臣を理解す る方がずっと簡単なのであろう。

ほとんどの子どもにとって,大統領のような政治的権威は,信用でき,聡明で 優しく,力のある良い人で,助けになってくれるように映る。子どもは,大統領

や警官のような人間は,困った時はいつでも助けてくれ,絶対に間違いはせず,

何につけても誰よりも詳しく知っている存在と信じているように考えられる。

このような子どものリーダーに対する考え方,つまり良いリーダー( bene一 volent leader )という考え方は60年代に現れた。まずブレッド・グリーンス

タイン(Greenstein)は,認 4学年から8学年の学童を対象にした研究を行い,

ロバート・ヘスとディビット・イーストン(Hess&Easton)は潤 2学年 から8学年を対象にして,同様な研究を行った。これらの研究によると,7才か それ以上の子どもは,一般的に政治的権威を良く思うようになるとされている。

ほとんどの子どもは,大統領が誰で何をしているのかを理解していない。し かしそれでも,彼らは大統領は重要で力があり,個人的にも自分たちの幸福に関 心を持ってくれている人間だと感じているようなのである。こういう子どもた

ちは,大統領を人格のみで考えているわけだが,10才を過ぎると大統領の役割と 人格とを区別し始める。子どもたちは,自分では世界の何をもコントロールで

きないという自らの弱さ(vulnerabillity)を感じており,その感覚の結果,大 統領に対してこのような高い評価をすると考えられている。子どもたちは大統 領を,離れた所で自分たちを悪から守る守護霊の一種と見なしているのだろう。

子どもたちはこの過程を経て,権威や助けに対する感覚を,家族からこのような 離れた政治的人物へ移していくと考えられている。

また,組織化は認識の発達に関する最後の特徴である。幼い子どもは徐々に 政府や国会などの非人的対象についても学んでゆく。事実,子どもは大統領や 警官の特徴としていたものを,これらの組織に転換してゆくと思われるのであ

る。

(14)

イメージの受容における人格的要素と社会的要素

イメージの受容過程のほとんどは,二つの力の相互関係から成り立っている。

その第一は個人的な要素,その知性と道徳観の発達に一致すると考えられる。

その中には,年齢,性別,社会的階級,あるいは知能といったものが挙げられるだ ろう。また第二は,環境から受ける政治的な刺激を和らげ,かつ個人の認知を形 成されやすくする媒体である。

第一の要素に関しては,政治的学習や知識やイメージは,年令,性別,社会的階 級,居住地などの変数によって左右されるということがわかっている。たとえ ば,子どもが政治的権威を認知する場合,女子は男子よりも政治的権威を人格化

したり理想化することが多い。また,男子は女子よりも政治に関心があり,政治 的な事柄やリーダーについての知識を得ようとしたり,政治活動に関わったり,

より保守的な政党を好むという点でも女子に勝っている詳 年令については,

グリーンスタインがアメリカの子どもは概してかなり早い時期に,政党に対す るアイデンティフィケーションを持つと述べている。4学年の子どもの60パー セントは,民主党と共和党の違いを示すこともできないにもかかわらず,どちら を支持するかを表明し得たのである詳一方,リチャード・メレルマン(Merel一 man)は,36ロサンゼルスにおける6学年,9学年,12学年からなるサンプルの 約半分は,自分を共和党員とも民主党員とも自覚していないとしている。さら

にアメリカの子どもにおいては,高学年と低学年を比べると,政治的な問題につ いての話題は学年が高まるほどに多くなっていく。そして,都会の子どもは田 舎の子どもより,政治的問題に対する関心が高いのである。

加えて,個人に関わる要因としては,家族や学校,同僚集団,そしてマス・メディ アといった社会的媒体が存在し,それらはエイジェントとして政治に対する子 どもの態度に影響を与え,政治的学習やイメージを左右するのである。どのエ イジェントがどう影響するかは,個人の生活によっても,それが作用する政治的・

文化的環境によっても異なる。安定した政治体制や文化の中では,家族が最も 重要なエイジェントになると考えられているが,社会が急速に変化しており,公

に社会で発達しつつある価値観と伝統的価値観や家族の価値観が対立する場合

は,学校が主なエイジェントの役割を果たすこともある。特に極端な圧力のあ

る状況では,政党や宗教団体が再社会化(resocialization)の重要なエイジェ

ントとなる場合もある。そして,マス・メディアも社会化のための刺激を均質

(15)

化するものとして,かなり重要になってきている。

家族は政治的社会化においても最も影響のあるエイジェントと考えられきた。

ほとんどの場合,家族は社会化のエイジェントとして最も早く現れるものであ るから,当然最も重要だと考えやすいので,影響力も強いと思われるのも当たり 前のことだろう。さらに幼児と家族は感情を元に接しているので,家族の視点 が最も重大な影響として現れてくるのである。37

ただし,最初の政治的,あるいは政治に関連した学習が,家族の中で行われる というのは事実である。この学習はほとんどが非公式なもので,多くはそれと 意識しないままに行われる。家族はまず幼児が生きて成長するのに必要な,食 べ物,安全,愛情,社会的関係などの全てを与える。これは家族が幼児の基本的 な性格の発達や,政治的とまで言えなくとも政治に関連した価値観を得ること に強く影響するということを意味しよう。であるから,信頼や協力に対する能 力といった,子どもの基本的な性格の方向づけの最初のきっかけは,家族の中に あると考えられる。

同様に,政治に関した考え方や価値観,例えば権威や規則,服従に対する適切 な行動や方向づけも,家族の中で発達する。つまり家族に階層重視とか権威主 義といった特徴があると,子どもにも権威に対して服従したり,自分より劣って いると相手に対し威丈高な態度をとったりする傾向が見られる。

親が政治に対して活発な場合は,子供も成長してからやはり活発になる傾向 がある。これはおそらく,子供が親を真似たり,親の価値観を吸収したり,政治 的,社会的,経済的な知識を積極的に得られるような恵まれた環境などの結果で あろう。親が政治に関わることを嫌ったり,政治的,社会的,経済的なことをめっ たに話題にしなかったり,家庭内での決定に子供を参加させなかったりすると,

その子供は成長してからもあまり政治に関わらなくなることが考えられる。

しかし家族は公式な意味での教育機関ではないので,民主政治の複雑な規則 や政治参加の方法を教える場としては不適当である。このような目的を果たす エイジェントとしては学校が最も重要なのである。

学校には多くの情報があり,無意識的な学習も行われているが,そこにおける 政治的社会化の過程は家族に比べると遥かに形式的で意識的,かつ計画的なも のである。

学校は社会にとって望ましい価値観や情報,規範を伝えるための社会的機関

であって,最も重要な社会化エイジェントの一つと言えるだろう。子どもは多

(16)

くの時間を学校で過ごすわけであるから,ある一定の態度やその方向づけが学 校の中で発達し,強化されると考えるのは妥当と思われる。認明らかに,学校の 影響は重要だが,政治的なものであろうとなかろうと,学校は子供が持ち得る知 識の全てに対し支配的役割を果たしている。そして学校や,そこで行われる授 業が政治的態度に大きく影響するということも報告されている。

多くの場合において,学校は政治的態度の発達に重要な影響があると言えよ う。しかし,その効果は教師の質,教材,学校そのものや授業の社会政治的構成,

環境や時代,あるいは場所によって変化すると考えられる評 たとえばある授 業が,二,三人の生徒にだけ重要な効果を与えるとすると,それはその生徒たち がたまたまその授業に対して特別の関心があったり,あるいはちょうど授業で 取り扱う問題の発達段階にあったり,また,教材の使い方が親や友人から受けた 影響と関係があったりとしたからであろう。同じ授業が他の生徒には全く影響 を与えないかもしれないのである。同様に,教師や教え方についても,何人かに は影響を与え,他には何もならないということもあり得るだろう。

このように学校は社会化のエイジェントとして大変重要な役割を持つので,

常に体制の大きな関心を集めてきた。ほとんどの社会では,学校から政治色を 無くそうとしているが,ある場合は国家や大企業が,政治#経済を支配する階級

にとって都合のいいように学校を操作しており,つまり学校は政治的影響に最 も直接的に晒されている公的組織となっているという場合もある。

社会化の過程においては,同僚集団(peer groups)も,重要なエイジェント である。同僚集団とは,社会的に同じ様な立場にあって,同じ様な関心を持つこ ともある人々の集まりのことであり,たとえばクラスメイトや会社の同僚など である。実証的な結果はそれほど多くないのだが,子どもであれ成人であれ,同 僚からはたくさんの事を学ぶと考えられている。子どもが成長して大人になっ

てしまうと,もはや生活の中の情報源は,学校や家族ではなくなり,したがって 同僚や友人が対人関係における唯一の情報源となるのである。さらにそれは,

ほとんどの人間が実際に政治参加を始める時期にも重なるので,より一層重要 と考えられる。

同僚とは,経験や考えを日常的に分かちあっているし,緊密な相互関係を通じ,

他の人々の価値観や考え方を学ぶことができる。もし,同僚との接触が均質で 安定したものであれば,自分の価値観や行動をそれらの人々に合わせるように

なるが,多くの異なる集団と接していると,一つの定まった強化を受けることが

(17)

ないので,特定の規範に同調するようにはならないであろう。したがって同僚 集団には,情報源と,何らかの意見に対する受け入れ方をつくるという二つの役 割がある。大抵の場合,人間が家庭的環境から離れ,いつも意見を分かち合える 人々と一緒にいない場合は,新しい環境に意見を適応させなければならない。

経済的,社会的な変化の多い社会において,さまざまな生い立ちの人々が集まる のは,まず仕事の場であろう。新しい情報とは日々の経験の一部である。同僚 集団の仲間同士が社会的関係の中で,生い立ちや意見,価値観を異にすることは 往々にしてあり得ることである。環境や考え方が違っていればこそ,同僚との 関係が重要な情報源となり,大きな影響力を持つのである。4°

最後に,若者が政治的な問題やリーダーシップを認知し,政治的イメージを受 容する際の影響力をしだいに増しつつあり,そのため特に注目に値する,ある重 要な社会化のエイジェントがある。それがマス・メディアである。マス・メディ アには社会化のエイジェントとして,他のエイジェントと比べいくつか固有の 特徴がある。まず第一にマス・メディアとの接触は,子どもも大人も対人接触 より遥かに多い。マス・メディアの中でも特にテレビの場合がそうである。た とえばアメリカでは,子どもは約2才からテレビを見始め,小学校の低学年では 平均して週15〜25時間テレビを見,そして18才になると,学校にいるよりも多く

の時間をテレビの前で過ごしている。41

幼い子どもが,テレビを通じてニュースという物に触れるのは,まず初めに子 ども向け番組,そして大人向け番組の中の,スポーツや天気予報などが一般的で ある。小学生では,地方や全国ネットのニュース番組で,普通のニュースに表面 的な接触をするのは,通常三分の一ぐらいだが,毎日接触を行ったり,関心を持っ て見るのは僅かであり,公共問題などの内容はあまり一般的ではない。全国ネッ

トや地方ニュースを見ることは,中学生や高校生になると倍に増え,五分の二が ほとんど毎日見るようになる。テレビが情報源として強くアピールする原因は,

それが視覚と聴覚という二つの知覚を同時に刺激し,他のマス・メディアより

もずっと鮮やかだという事実で示されよう。特に視覚にアピールするので,受

け手は事実をあたかもその場にいるように感じとれる。百聞は一見にしかずと

言うまでもなく,だからテレビは信用されるのである。印刷媒体とは異なり,そ

れほどの集中も,回りの多少の雑音も気にする必要はなく,他のことをしながら

でも『見る』ことができる。テレビは娯楽のためのメディアだと思われがちで

あるが,テレビニュースは直接的な政治認識に対するテレビの影響をよく表し

(18)

ている。また娯楽番組も,間接的な政治理解には役立っているのである。

新聞を読み始めるのは小学校の高学年になってからであり,最初は漫画,スポー ッ記事,あるいは子ども向けに編集された版などに接触する。新聞への頻繁な 接触は,小学生では六分の一だが,高校生では二分の一にまで増加する。第一面 はかなり広く読まれているが,政治に最も関係のある国内政治面や外向面に対 する関心は,限られたものになる傾向があり,高校生で頻繁にこのような記事を 読むのは三分の一以下である。

また,ラジオのニュースを毎日聞くのは小学生で三分の一,中学生や高校生で はほとんど半分である。

第二の特徴は,子供に影響を与える社会化のエイジェントとしてのものであ る。政治的社会化の過程におけるマス・メディアの役割に関しては,いくつか の見方がある。あるものはマス・メディアは受け手に対して即影響すると論じ ているし,またあるものはそれらの影響は内容や個人によって異なるので,即効 的でもなければ一貫性もないと述べている。、政治行為は,刺激によって自動的 に続くものではなく,まず知覚をフィルターとし,そしてさらに個人の習慣,価 値観性格,特質,社会状況などによって次々と余計なものが取り除かれていく のである。

異なるメディアに対する接触によって起こり得る影響についての研究による と,一般的に,子どもへの政治情報に関する影響には三種類ある。第一は認知効 果であり,ニュース・メディアへの接触によって,まず何かを知り,知識を得る ということである。たとえばニュース・メディアへの接触は,継続的に,さまざ まな国内や海外の政治的事象に対する知識や,また,アメリカの政党が代表して いる利益団体や,議会が政府の立法機関であることを知ったり,政治リーダーの 識別ができるようになったりすることに関わっていることが知られている。42

第二は感情的効果であり,これには政治的人物や組織に対する評価や公共問 題に対する関心などが含まれている。メディア接触と,政府やリーダーに対す

る支持,政治的有効性,特定政党へのアイデンティフィケーション,ある候補者 に対する好き嫌いなどは,子どもの年齢の違いに関係している。43

第三はメディア接触による行為に対する効果であり,例えばここには政治的 事柄に関して,両親や友人とコミュニケーションをとることなどがある。テレ

ビを見たり新聞を読んだりすることは,高校上級の場合,党員としての政治行動

(例えばキャンンペーンでの活動,政治集会への参加など)に関係しているとい

(19)

フェルドマン:イメージと政治的イメージ       43 う。さらにニュースへの接触は両親や友人との政治的会話とも関連している評

ニュース・メディアの最後の特徴は,若者は一般的にマス・メディア,特に 情報源として,テレビからより多くを学ぶということが挙げられよう。アメリ カでは,中学生と高校生は主要な情報源としてまずメディアを挙げ,ついで教師,

両親,友人を挙げている。45

同時に,高校生の五分の三は情報をメディア,特に新聞よりもテレビに依存し ており,学校,家族,友人,教会などは情報源としては二次的な重要性しか持って いない。46さらにさまざまなメディア・チャネルが,いろいろなレベルの学生 にとっての政治的人物や議会,最高裁,国内や外国の問題などの情報源となって いることがわかっている。47情報をメディアに高く依存しているということは,

メディアの内容が若者の政治的価値観やイメージ,態度,さらに行為の発達に重 大な結果をもたらすということを表しているいえよう。

皿.政治リーダーのイメージ 1.リーダーとフオロワー

政治体制の一般的なイメージは,合法的序列に結びついている。警官や官僚,

裁判所,政党などについてのイメージは,大衆が最もそれを問われることの多い 組織であろう。しかし『政府』ということを考えると,もっぱら人々は国会議 員や大統領,首相やこれに類する組織を思い浮かべる。たとえばアメリカでは,

ほとんどのアメリカ人にとっては大統領が最も目立つ象徴である。大統領制は アメリカ政府に対する感情的反応の焦点ともなり,儀式的な催しや他国との関 係での中心となる。

リーダーシップについての包括的理論では,リーダーの性格やフォロワー,集 団,状況のみについて言及されるべきではなく,「むしろリーダーにとっての自 分自身や他人からの認識他の人々に対するリーダーの認識リーダーと他の人々

とが分かち合う集団活動と状況に対する認識を把握しなければならない』とさ れている謹

政治リーダーのイメージには重要な意味がある。というのは,政治リーダー

の認識のされ方が,大衆の政治体制や政治的生活,一般的な政策に対する反応の

仕方に影響を与えるからである。49また,大衆がリーダーをどう考えているか

によって,彼らが政治的環境の全体を信頼するか否かも決まるからである。一

(20)

方,リーダーにとってもイメージは大変重要である。政治リーダーとエリート があるシンボルをもたらし,非エリートつまり一般大衆はその意味を解釈する。

ということはいわゆるイメージとは一つ一つの政治的イメージの集まりであり,

それはリーダーによって操作された政治的シンボルに与えられたものだと言う ことができる。リーダーがフォロワーの欲求や要求を満たすシンボルをもたら すことに成功すれば,大衆を動かすことができる。リーダーは,潜在的な支持者 がリーダー自身に対して持っているイメージや 理想的 なリーダーに対して 持っているイメージを自覚させることで支持者の従属を得ると考えられるだろ う。かたや大衆はイメージをもとにリーダーに対して反応し,好きにしろ嫌い にしろ,大衆はリーダーとの同一化や模倣を目指そうとするのである。5°

リーダーが大衆に対して特定のイメージを構築しようとする時,そのリーダー シップのスタイルには多くの要因が影響する。たとえばリーダーが能動的か受 動的かということがあるが,もし能動的であれば,論争を進め,注目を集めるた めに課題や理念を掲げ,明瞭な政策を定めるであろう。逆に受動的であれば,同 様な問題の処理においても注意深く,慎重で,曖昧なアプローチをかけるであろ う。大衆に対するリーダーシップのイメージを左右するもう一つの要因として,

馬鹿という評判をたてられるより,英雄であろうとするための努力ということ が挙げられる。また,リーダーが大衆の政府決定に対する不満や欲求不満など に気づいた場合は,さらにそれを自覚しようとするかもしれない。そして自分 のことを美徳にあふれ,信頼でき,権力を持ち,決定力があり,国際的な認知を持 つリーダーであることを誇示するため,最も適した状況を選ぼうとする。

特にリーダーはフォロワーたる大衆の中に,愛1青にも似た堅固な直接的信頼 をそれとはなく作りだそうと努める。リーダーの唱える個人的かつ直接的な道 徳上の関係は主に二つの常套句で言い表される。つまり家庭的な(familia1)

と神聖な(numinous),ということである。

家庭的なやり方としては,リーダーが自分とフォロワーとの間の親密さを率

直に主張し,そのことでフォロワーの献身を求めることがある。間接的に行わ

れる家庭的なやり方の一つとしては,リーダーも彼の率いる人々と同じような

人間だと示すことで信頼に足る人物だと思わせ,そうして信頼を招くという方

法がある。彼は「一人の男』であり,「皆と同じ感じ」を持ち,『大勢の中の一

人の人間』などであったりする。家庭的な雰囲気を促すものとして,あだ名と

いう手もある。ウィンストン・チャーチル(Churchill)は「ウィニー』,バー

(21)

ナード・モンゴメリ(Montgomery)将軍は『モンティ』,ドワイト・アイゼ ンハウァー(Eisenhower)は『アイク』と呼ばれた。家庭的な呼称は他にも ある。ガンジー(Gandhi)はインド人の『マブ・アブ』 (両親)であったし,

ゴルダ・メイア(Meir)はイスラエル国民の「おばあちゃん』であった。

ある種のリーダーは,家庭的なやり方をとっていると思われる。このような リーダーは,全員の意見の一致を求め,いわば決して一番に立とうとはせず,自 分のことを同輩中の第一人者(primus inter pares),人々の意志を示し,人々 を理解し,かつ人々が何を欲しているかをよく知っている人間と考えているが,

それはリーダー自身が自分のことを大衆そのものと考えているからなのである。

かたや,神聖なやり方を用いるリーダーは,人々の統率する力と能力のイメー ジを与えようとする。彼は,言葉の意味そのまま,神のような印象を伝えようと するのである。このような印象は,肉体的なデモストレーションを通じて荒っ ぼく作られることも多く,ばかばかしいようなものもいくつかある。ウガンダ のイディ・アミン(Amin)は自分の側近を従えて,ボクシング・リングや水 泳プールで競技会を行った。よくしたもので,驚くまでもないことだが,彼が出 れば必ず勝ったものである。あるいは,肉体的なエネルギーを誇示するため,毛 沢東は車椅子に乗るようになっても揚子江を泳いだりしたし,フランクリン・

ルーズベルト(Roosevelt)は足が不自由なのにもかかわらず馬に乗り,また プールで友人を追い越したりしてみせた。

リーダーは決断のイメージや,意志決定を行い,かつそれにどれほど専念して いるかというイメージをも与えなければならない。決断力は,それとともに展 望の有無や目指す目標に向けての周到さなどの,また別の特性も示すことにな る。チャーチルは戦時下のイギリスにおいて,シャルル・ド・ゴール(de Ga一 ulle)はフランスにおいて,ディヴィッド・ベングリオン (Ben−Gurion)はイ

スラエルにおいて,アブドゥル・ナセル(Nasser)はアラブ世界において,そして ガンジーはインドの自由の正当性について,疑い無くこのような展望を持っていた。

展望とは,その中になにもかもが収まるような枠組みをもたらすことなのである。

リーダーは大衆の野望の筆頭にあると信じ,そのシンボルであろうとするた めに祭典や儀式を行い,劇的効果を狙う。たとえば1969年,当時のニクソン

(Nixon)大統領は,月に下り立った二人の宇宙飛行士に電話をかけ,劇的効

果を盛り上げた。ニクソンは,月の表面に立つ宇宙飛行士に話しかけ,そして

彼らを讃えるだけでなく,ニクソン自身がこの歴史的な達成とあたかも一体化

(22)

したかのような演出を行ったのである。

また,リーダーの多くは政権を獲得するとすぐに海外に飛び,各国のリーダー を歴訪する。新聞やテレビでは,こちらでアメリカ大統領と,あちらでは別の国 の首相と握手を交わす写真が出るが,このようなことは彼が世界的リーダーに も知られており,今や彼もその一員なのだということを印象づけるために有効 なのである。

いずれにしても,多くの方法によって,リーダーは大衆に象徴的イメージを与 えることができる。しかし,特定のイメージを造り出したり,従来のイメージを 変えたりすることが常に上手くいくとは限らない。リーダーが最大の努力を行っ た場合でも,自分の意のままにならないいろいろな理由,たとえば口がすべった り,ある語句の使い方を誤ったなどということで,イメージ・トラブルに巻き込 まれてしまうことがある。このようなトラブルの例として,特に日本の首相の 失言によって起きたものを二つ挙げておこう。まず,吉田茂元総理は,1953年3 月,衆議院予算委員会の席上で, バカヤロー と発言したことで,国会の不信 任を受けている。もう一つは,中曽根前総理が1987年,自民党のセミナーにおい て日本の教育レベルはアメリカよりも比較的高く,それは日本が単一民族国家 でアメリカのように少数民族,例えば黒人,プエルト・リコ人等の問題がないか

らだと述べたことで,これらは国内と海外,特にアメリカの友人たちの双方から 大きな非難を浴びた。

2.政治リーダーに対する大衆の見方

近代国家における大衆は,日常生活を通じて,ごく自然に新聞やテレビなどで 政治リーダーの写真や話題に接し,リーダーがどこで何を,いつ,誰と,なぜして いるのかということを知っている。実際,これらの多くはさっさと忘れられて

しまうが,あることが何らかの理由で記憶に残り,リーダーの関わる政治的事象 に対する大衆の理解を助け,リーダーのイメージを形成したり,変えたりするの である。

政治リーダーに対する大衆の見方に関する研究は,ほとんどがアメリカで行 われたものであり,他の国のものはごく僅かしかない。過去40年間というもの,

アメリカでは大統領や大統領候補に対する大衆の評価について多くの研究が成

されてきており,この中ではリーダーが注目される点や,リーダーの評価される

基準等が検証されている。そのい.くつかを紹介しよう。

(23)

まず大衆は第一に,リーダーをその所属政党によって評価するということで ある。アンガス・キャンベル(Campbel1)と彼の同僚は,51政党に対するア イデンティフィケーションを,政党に対する個人的な愛着の感覚と定義してい る。アメリカ人はこのような愛着をかなりまじめに捉えており,著名な政治家 に対する判断は,ほとんど政党に対する肩入れを反映したものだとされてい る。陀近年の研究では,政党に対するアイデンティフィケーションは必ずしも 人の政治的判断から切り離せないというものではなく,政府内での活動と新し い候補者が出てきた時に影響があるということがわかった。脇 しかし普通の アメリカ人が大統領を選ぶ時には,やはりいまだに政党に対するアイデンティ フィケーションが中心となっているようである。

第二は,リーダーのイデオロギーや政策に対する見解である。リーダーは自 らの進める,あるいは反対する政策,訓 または特定の争点に対する立場によっ て判断される。騙政治リーダーはそれらの結果,即ち自らの業績によって評価 されることもある。外交問題の処理の仕方,失業率,物価や賃金の上昇率等の全 てがリーダーに対する支持を左右する。アメリカの場合は特に,物価と失業率 の上昇は,大統領の支持率を下げる傾向にあると言われている。56

第三にリーダーの評価を決定するのは,愛着心(affection)である。バーバー

(Barber)によると,アメリカの大統領は極めて象徴的なリーダーであり,政治 の未来に対する人々の希望や恐怖を左右し,体現する人物だという。たとえば 選挙キャンペーンの期間中,リーダーは,自分達の成功は潜在的投票者の希望や 誇りなどの,いわば良い感情に依存しているという方向に大衆の感情を動かそ

うとし,一方で恐怖や怒りなどの悪い感情を持たれるのを避けようとする。57 第四として,リーダーの一般的イメージはその人物の外見にもよる。人間は 肉体的に魅力のある人をより聡明でかつ有能だと見なしがちであるし,当然喜 んで従う傾向がある。もちろん外見の良さとリーダーシップとは何の関係もな いとは誰もが知っていることであるから,いかなる国であれ,リーダーの笑い方 とか眼鏡の形,髪型がそれだけで選挙結果を左右することなどありえないし,候 補者の背が高かろうが低かろうが,太っていようが痩せていようがたいした違 いはないのである。しかし,大衆のリーダーに対する評価の幾分はその外見に 起因しているという考えもある。

最後は政治リーダーの個性(personality)である。アメリカでは有力な大

統領候補についての好き嫌いを尋ねた時,多くの人々がその候補者の個性をも

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