九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
フラクタル構造を持つ超格子ポテンシャルに入射す るGraphene中の電子の輸送問題
小川名, 太一
http://hdl.handle.net/2324/4475168
出版情報:九州大学, 2020, 博士(理学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
令和 2 年度 博士論文
フラクタル構造をもつ
超格子ポテンシャルに入射する
Graphene 中の電子の輸送問題
九州大学大学院 総合理工学府 量子プロセス理工学専攻
学籍番号 3ES18005Y
小川名 太一
指導教員
坂口 英継 准教授
令和 2 年 12 月 20 日
目次
第1章 序論 2
1.1 本研究の目的 . . . 2
1.2 研究背景 . . . 4
1.2.1 ランダムなフラクタル構造を持つ系の振動とfracton . . . 4
1.2.2 決定論的フラクタル構造を持つ系の振動と透過率. . . 9
1.2.3 相対論的特性を持つ系とフラクタル構造 . . . 18
1.3 本論文の構成 . . . 20
1.3.1 第1章の概要. . . 20
1.3.2 第2章の概要. . . 20
1.3.3 第3章の概要. . . 20
第2章 Graphene中における電子のダイナミクスと周期的構造を持つ系の特徴 22 2.1 量子力学と輸送問題 . . . 22
2.1.1 Schr¨odinger方程式と解の性質 . . . 22
2.1.2 波動関数の伝搬と転送行列. . . 23
2.1.3 転送行列の計算手法 . . . 25
2.2 Graphene中の電子の伝搬解. . . 26
2.2.1 Grapheneの電子構造 . . . 26
2.2.2 Graphene中の電子の有効質量近似 . . . 29
2.3 Graphene中の電子のポテンシャル問題. . . 30
2.3.1 ポテンシャル内のGraphene中の電子の波動関数 . . . 30
2.3.2 階段型ポテンシャルに対するGraphene中の電子の透過率 . . . 33
2.3.3 障壁ポテンシャルに対するGraphene中の電子の透過率 . . . 35
2.3.4 N重ポテンシャル障壁を透過するGraphene中の透過率. . . 38
第3章 Cantor型超格子ポテンシャルに入射するGraphene中の電子の輸送問題 43 3.1 Cantor集合とその性質 . . . 43
3.2 3-adic CSPにおける転送行列と透過率 . . . 46
3.2.1 3-adic CSPにおける転送行列. . . 46
3.2.2 高エネルギー領域における透過率の振る舞いの解析 . . . 52
3.2.3 3-adic CSPの透過率における自己相似性とMultifractal性 . . . 54
3.3 (2N−1)-adic SVCSPにおける転送行列と透過率 . . . 59
3.3.1 (2N−1)-adic SVCSPにおける転送行列. . . 59
3.3.2 高エネルギー領域における透過率の振る舞いの解析 . . . 66
3.3.3 (2N−1)-adic SVCSPの透過率における自己相似性とMultifractal性 . . . 67
3.4 磁場を印加した場合の転送行列と透過率. . . 72
3.4.1 磁場を印加した場合の障壁ポテンシャルの転送行列 . . . 72
3.4.2 磁場が印加された(2N−1)-adic SVCSPの透過率. . . 74
3.4.3 磁場の印加による透過率の変化の解析. . . 84
第4章 総括 87 4.1 本研究の成果 . . . 87
4.2 今後の展望 . . . 88
4.2.1 2次元構造を持つフラクタルポテンシャルの輸送特性 . . . 88
4.2.2 動的外場下におけるフラクタルポテンシャルの応答 . . . 88
4.2.3 フラクタル構造を持つメタマテリアルの設計 . . . 89
付録A フラクタル 90 A.1 フラクタルとは. . . 90
A.2 フラクタル次元. . . 92
A.3 フラクタル次元の一般化とMultifractal解析 . . . 96
付録B 特殊関数の数理的構造 99 B.1 Chebyshev多項式 . . . 99
B.2 Laue関数. . . 102
参考文献 105
発表業績 109
謝辞 111
図目次
1.1 1次元上で構成されるフラクタル構造 . . . 2
1.2 スピン―格子緩和における直接過程とRaman過程の模式図 . . . 4
1.3 ヘムタンパク質のESRにおけるスピン―格子緩和過程の実験結果と異常次元の解析 . . . 5
1.4 2次元パーコレーションネットワークにおけるfracton励起 . . . 9
1.5 原子配列を表す2つの近似モデルの概略図 . . . 10
1.6 2次元平面上のSierpinski triangle型格子 . . . 10
1.7 世代10におけるSierpinski triangle型格子のエネルギー状態密度. . . 12
1.8 世代10におけるSierpinski triangle型格子のエネルギー状態密度の拡大図 . . . 13
1.9 Trace mapによるFibonacci型格子の許されるエネルギー範囲とその写像 . . . 14
1.10 液体状態から急冷したAl-Mn合金の電子線回折パターン . . . 15
1.11 Cantor型格子における臨界状態の波動関数 . . . 16
1.12 Menger spongeの概略図とTakedaらの実験結果 . . . 17
1.13 FDTD法によるMenger sponge内に局在した電磁波の計算結果 . . . 18
1.14 SenaらによるFibonacci型ポテンシャル中の電子のエネルギー及び透過率 . . . 19
2.1 区間内に存在する任意形状のポテンシャルに入射する波動関数と透過する波動関数の概略図 . 23 2.2 Grapheneの実格子と逆格子. . . 26
2.3 Grapheneのバンド構造 . . . 29
2.4 異なる媒質に入射するGraphene中の波動関数の位相の変化. . . 32
2.5 エネルギーEを持つGraphene中の電子が入射角θで入射する波動関数の屈折率 . . . 32
2.6 階段型ポテンシャル障壁の概略図 . . . 33
2.7 Graphene中に構築された障壁ポテンシャルの概略図. . . 36
2.8 障壁ポテンシャルを透過するGraphene中の電子の透過率。 . . . 38
2.9 N重ポテンシャルの概略図 . . . 39
2.10 N重ポテンシャル障壁を透過するGraphene中の電子の透過率 . . . 41
3.1 3進Cantor集合の模式図 . . . 44
3.2 3進Smith-Volterra Cantor集合の模式図 . . . 45
3.3 (2N−1)進Smith-Volterra Cantor集合の模式図 . . . 45
3.4 3-adic CSPの概略図. . . 47
3.5 入射エネルギ―Eと入射角θに対する3-adic CSPの透過率 . . . 50
3.6 入射角を固定した場合における入射エネルギーEに対する3-adic CSPの透過率 . . . 51
3.7 スケール関数Λ3,2(E)の振る舞い . . . 54
3.8 スケール関数Λ3,2(E)の自己相似性 . . . 55
3.9 q= 0,1,2におけるΘq(3,2, m)の振る舞い . . . 56
3.10 (a, N) = (3,2)におけるqに対するrqの振る舞い . . . 56
3.11 q= 0,1,2における一般化次元の振る舞い. . . 58
3.12 (a, N) = (3,2)におけるf −αスペクトル . . . 58
3.13 (2N−1)-adic SVCSPの概略図. . . 59
3.14 a= 4, N= 2における入射エネルギ―Eと入射角θに対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 62 3.15 a= 4, N= 2における入射角を固定した場合における入射エネルギーEに対する(2N−1)- adic SVCSPの透過率 . . . 63
3.16 a= 4, N= 3における入射エネルギ―Eと入射角θに対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 64 3.17 a= 4, N= 3における入射角を固定した場合における入射エネルギーEに対する(2N−1)- adic SVCSPの透過率 . . . 65
3.18 一般化されたスケール関数Λa,N(E)の振る舞い . . . 68
3.19 一般化されたスケール関数Λa,N(E)の自己相似性。 . . . 68
3.20 q= 0,1,2におけるΘq(a, N, m)の振る舞い . . . 69
3.21 (a, N) = (4,2),(4,3)におけるqに対するrqの振る舞い . . . 70
3.22 (a, N) = (4,2),(4,3)におけるq= 0,1,2の場合の一般化次元の振る舞い . . . 71
3.23 (a, N) = (4,2),(4,3)におけるf−αスペクトルの比較 . . . 71
3.24 磁場が印加された障壁ポテンシャルの概略図 . . . 73
3.25 磁場が印加されたa= 3, N= 2における入射エネルギ―Eと入射角θに対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 . . . 75
3.26 磁場が印加されたa= 3, N = 2における入射角を固定した場合における入射エネルギーE に対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 . . . 76
3.27 磁場が印加されたa= 3, N= 2における入射エネルギ―Eと入射角θに対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 . . . 77
3.28 磁場が印加されたa= 4, N = 2における入射角を固定した場合における入射エネルギーE に対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 . . . 78
3.29 磁場が印加されたa= 4, N= 3における入射エネルギ―Eと入射角θに対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 . . . 79
3.30 磁場が印加されたa= 4, N = 3における入射角を固定した場合における入射エネルギーE に対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 . . . 80
3.31 磁場を変化させた場合におけるa= 3, N = 2, θ= 0に対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 81 3.32 磁場を変化させた場合におけるa= 4, N = 2, θ= 0に対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 82 3.33 磁場を変化させた場合におけるa= 4, N = 3, θ= 0に対する(2N−1)-adic SVCSPの透過率 83 3.34 外部磁場を印加した場合における(2N −1)-adic SVCSPを透過するGraphene中の粒子の コンダクタンス. . . 86
A.1 規則的な自己相似フラクタルの例 . . . 90
A.2 自己Affineフラクタルの例 . . . 91
A.3 地図の縮尺を変えた時の国境線の様子 . . . 91
A.4 フラクタル次元の計算の模式図 . . . 95
A.5 一般化次元の計算の模式図. . . 97
B.1 Tn(x), Un(x)の概略図 . . . 100
B.2 Laue関数の振る舞い. . . 103
概要
フラクタル構造とは構造の全体とその一部分とが相似である構造を指す。このような構造を持つ系の物性 は、周期系やバルクに見られるものとは異なることが知られており、波動関数の局在や透過特性の特異な振舞 いなどが報告されている。これらの特性を理解するために、量子系では超格子ポテンシャルを、光学系では光 学薄膜をフラクタル構造にした場合における系の解析が行われてきた。近年では、Graphene中にフラクタル 構造を有した超格子ポテンシャルにおける系の解析が行われている。GrapheneはGaAsなどの半導体超格子 の系には見られない伝導・輸送特性を持つことから、それらの特性とフラクタル構造を持つことによって現れ る特性とが混ざり合った新奇な伝導・輸送特性の発見が期待されている。Grapheneにおける透過特性の解析 は主に数値計算によって行われており、理論的に解析を行う試みは行われていなかった。
本研究では、Graphene中に構築されたフラクタル構造を持つ超格子ポテンシャルに入射する電子の輸送 問題について考察した。フラクタル構造にはCantor構造と呼ばれる、線分を3等分してその真ん中を取り除 くという操作を繰り返して作られる構造を採用した。このような構造を持つ超格子ポテンシャルに入射する場 合の透過率は転送行列法を用いることによって厳密に表され、透過率にコサインの有限乗積項が現れることが 分かった。Cantor構造を分割数と分割スケールについて一般化した場合においても透過率を厳密に表すこと ができ、その場合には第2種Chebyshev多項式の有限乗積項が現れることが分かった。これらを解析するこ とによって、エネルギーに対する透過率のプロファイルに自己相似な振動パターンを確認することができ、そ
れらはMultifractal性を持つことが数値計算によって示された。又、ポテンシャル中に磁場を印加した場合に
おいても透過率は厳密に表されることができることが分かった。この透過率を基に系のコンダクタンスを数値 計算したところ、磁場の大きさが強くなるに伴ってフラクタル構造に由来する振動パターンが確認できること が分かった。
第 1 章
序論
1.1 本研究の目的
フラクタル構造とは構造の全体と一部分とが相似である構造のことを指す。このような構造を持つ量子系は 周期的な系とは異なり、波動関数が部分的に強く局在することや[1–15, 18–28]、透過率に特徴的なパターンが
現れる[29–56, 71–75]などの特異な性質が現れる。これらの特性はランダムな系であるタンパク質の物性や金
属バルク内の希薄不純物によって生じるAnderson局在、アモルファスや準結晶などの物性の理解につながる ことから、多くの研究者によって理論的な研究がおこなわれてきた。
フラクタル構造は自然界に普遍的に存在する構造である[83, 84, 99]。特に決定論的フラクタル構造と呼ばれ る、構造を特徴づける最小単位を基に一定の生成規則によって作られるようなものは、ランダムな系と比較し てフラクタル構造に特有な性質が明確に現れる為、多くの研究がおこなわれてきた[18–56, 71–75]。代表的な 例はSierspinski CarpetやMenger Spongeなど2次元や3次元上で構築されるものが多い。その中でも構築 が簡単かつフラクタル構造特有の性質が陽に現れるCantor型とFibonacci型という2種類の構造が理論的研 究の対象として用いられている。
両者に共通する特徴は、いずれも特定の生成規則(generator)に則って作られることである。フラクタル構 造を形作るために生成規則を適用した回数nを世代と呼び、世代数が多いほどフラクタル構造特有の性質が 強くなる。一方で両者の違いは生成規則の違いであり、Cantor型構造が要素を分割して作られるのに対して
Fibonacci型構造は要素を付け加えることで作られる。
(a) (b)
図1.1 1次元上で構成されるフラクタル構造。(a) Cantor型構造。(b) Fibonacci型構造。
図1.1(a)は3進Cantor集合を基にして作った構造である。この構造は、単位要素を3等分し、得られた3
つの要素の真ん中を取り除くという操作を再帰的に繰り返すことによって作られる。Cantor型構造はその生
成規則より、世代が上昇するにつれてCantor型構造を構成する要素が短くなる特徴がある。この構造は生成 規則が数学的に容易である為、Cantor型構造を持つポテンシャル障壁の透過率や電子状態の数値計算は盛ん におこなわれてきた[4, 6, 23, 29–56, 72–75]。しかし、実験系では世代数の増加に伴い要素が短くなるため系の 再現が容易でなく、後述するFibonacci型構造と比べて盛んには行われていない。
一方で図1.1(b)はFibonacci数列を基に作られた構造であり、2つの要素A、Bを必要とする。この構造 は、第0世代をA、第1世代はBと定義し、第2世代以降はその2つ前の世代、1つ前の世代という順に並べ ることで作られる。すると第2世代はAB、第3世代はBAB、第4世代はABBABとなる。Fibonacci型構 造は世代数の上昇に伴い、全体の要素が長くなる特徴がある。この構造は世代数によって要素数が規則的でな いため数学的に記述することが難しく、Cantor型構造と比べて計算は容易ではない。しかし、世代数を増加 させるには要素を増やせば良いだけなので実験系での再現は容易である。又、Fibonacci型構造は自然界で比 較的よく現れ、物性においては準結晶と呼ばれる並進対称性を持たないが高い秩序性を持つ物質群でこの構造 が確認されている。その為、実験系ではFibonacci型構造の研究が盛んに行われている[18–22, 24–28, 71]。
自己相似構造を持つ系の研究は量子系や光学系で多くの研究が行われてきたが、近年はGraphene中にフ ラクタル構造を構築した場合の系の特性が注目されている [71–75, 88]。Graphene中の電子の系は、Klein
tunneling [57–59]や後方散乱の消失[60, 61]など通常の量子系とは異なる相対論的な特性を持つことが知ら
れている。その為、Grapheneの持つ相対論的な特性とフラクタル構造を付与することによって生まれる性質 が混ざりあうことで生じる新たな伝導・輸送特性が期待されている。しかしながら、これらの研究のほとんど において対象とされてきた構造はもっぱら図1.1(a)及び(b)であった。これは1次元上で構築されるような 決定論的フラクタル構造が数えるほどしかないことに起因する。その為に、例えばフラクタル構造を特徴づけ るフラクタル次元と透過率との間をある関係を調べるものは少なかった。又、フラクタル構造の複雑さから研 究手法は数値計算が主流であり、フラクタル構造と透過率との間にある関係を理論的に解析する試みも少な かった。透過率はその構造に大きく依存する為、自己相似構造と透過率との間にある関係を明白にするには、
透過率の厳密解を理論的に導出すること、そしてフラクタル次元と透過率との間にある関係を導くことが必要 である。故に、本研究ではCantor型超格子ポテンシャルに入射するGraphene中の電子の輸送問題を考え、
透過率の厳密解を理論的に導出することとした。
1.2 研究背景
この節では自己相似構造(以後フラクタル構造と呼ぶ)をもつ系に現れる特性について、それらの研究の推 移と共に概説する。第1項目ではランダムなフラクタル構造を持つ系の振動とfractonについて概説する。こ の内容は今回の研究と直接関連するものではない。しかし、フラクタル構造を持つ物性について研究された きっかけは、ランダムな系をフラクタルの考え方を用いて体系的に理解しようとしたことから始まっているの で、これらの研究の推移を知ることは十分に意義がある。第2項目では決定論的フラクタル構造を持つ系の 振動と透過率について概説する。フラクタル構造を持つ系の透過率についての研究は1980年代の準結晶の発
見と2000年代のMenger Sponge内の電磁波の強い局在という2つの実験的な発見をきっかけとして盛り上
がっていった。これらの発見に対して先人たちが行ってきた研究の推移を概観する。又、最近のフラクタル構 造を持つ量子系及び光学系での研究についても簡単に触れる。最後に第3項目として、Graphene中にフラク タル構造を構築した系における研究について述べる。Graphene中の電子はSchr¨odinger方程式に従う系とは 異なる特性が報告されており、Graphene特有の特性とフラクタル構造特有の特性とが混ざり合ったような新 奇な伝導・輸送特性の発見が期待されている。これらについて、既に行われた研究を確認するとともに、自身 の研究の位置づけを行う。
1.2.1 ランダムなフラクタル構造を持つ系の振動と fracton
Manderbrotによりフラクタル概念が広まって以降、物性の分野ではイジングモデルなどのランダムな系や
高分子、タンパク質の振動などの複雑な系に応用してそれらを体系的に理解しようとする試みがなされてい た。特に、フラクタル構造をもつ系の物性の研究は1980年代に盛んにおこなわれることになった[1–3]。
1980年に、StapletonらのグループはFe3+を含むタンパク質に対してESR(電子スピン共鳴)を行い、そ のスピン―格子緩和*1における緩和時間に異常な温度依存性が存在することを発見した [2]。スピン―格子緩 和は温度により2つの緩和過程が存在する。一つ目はphononの生成消滅が起こらない直接過程、2つ目は
phononの生成消滅によりスピンの反転が伴うRaman過程である。Raman過程において、ω1の振動エネル
ギーを持つphononは消滅し、ℏ(ω2−ω1) =gµBH を満たすような振動エネルギーω2が生成される。この
(a) (b)
図1.2 (a)スピン―格子緩和における直接過程。(b)スピン―格子緩和におけるRaman過程。
時、振動エネルギーの状態密度がρ(ω)∝ωp というべき乗則を満たすと仮定すると、Raman過程の緩和率
*1外場磁場のかかった状態で熱平衡状態にあるスピン系において、磁場の向きを変えずその大きさを急に変えた場合に磁化に起こる 緩和過程。
1/T1Rは次のように近似される。
1 T1R ∝
Z ωmax
0
ρ2(ω)ω4f(ℏω/kBT)dω∝ kBT
ℏ
5+2p
F4+2p(Θ/T). (1.1)
ここでωmaxは振動エネルギーの最大値であり、f(z) =ez/(ez−1)2である。又、Θ =ℏωmax/kB であり、
F4+2p(Θ/T)はT ≪Θならば定数、T ≫ΘならばF4+2p(Θ/T) ∝T−(3+2p)となる関数である。Raman 過程はT ≪ Θの場合に相当する。3次元の固体の場合はp = 2である為、式(1.1)は高温側ではT2 に、
Raman緩和の生じる低温側ではT9に比例する。Stapletonらはアジ化ミオグロビン(MbN3)、フェリシトク ロムc*2(CC)、そしてシトクロムp-450*3(CP450)の3つのタンパク質について緩和率を測定した。その結果 として緩和率は温度に対するべき乗則Tnが成り立ち、CCはn= 6.34±0.06、MbN3はn= 6.29±0.08、 そしてCP450はn= 6.27±0.06であることが分かった。これらの実験結果は図1.3(a)に示されている。
(a) (b)
図1.3 (a) ESRによるFe3+のスピン―格子緩和過程の実験結果。(b)半径R内に存在するα炭素の数 (2≤N≤85)。いずれも[2]より引用。
彼らはこの理由がタンパク質のフラクタル構造に起因するものと考え、次のような考察を行うことで、振 動エネルギー密度がρ(ω)∝ω0.65±0.04であることを突き止めた。質量M である同一なN 個の要素が等方 的かつ均等に結合された弾性体を考える。ここで、簡単のために要素の体積は1として考える。これがフラ クタル構造を有するならば、その長さLは個数N に対してべき乗則Ld ∝N が成り立つ。ここでdは系の フラクタル次元である。この弾性体を微小量ϵだけ体積を減少させる、つまりN(1−ϵ)にさせるような変 形を考える。すると、各要素が変化した長さは∆L=Lϵ/d、弾性エネルギーはN cϵ2/2と表せる。ここでc は弾性体の各要素の有効弾性率である。この変形がξ方向に直線的に行われるとき、その弾性エネルギーは
*2酸化還元機能を持つヘム鉄を含むヘムタンパク質の一種で生物の好気呼吸に関わる。
*3特定の酸化還元酵素群に属する酵素の総称。肝臓における解毒作用やステロイドホルモンの再合成、脂肪酸の代謝など生物の正常 活動に必要な様々な反応に関与している。
M ω2ξ2/2と表せる。簡単のために周期境界条件を課すと各要素の変化は等しくξ上にて行われる、つまり ξ2∝N(∆L)2∝N L2ϵ2である。故に2通りの弾性エネルギーの表記から次の関係が成り立つ。
ω∝(c/M)1/2L−1∝(c/M)1/2N−1/d. (1.2) 個数N を含めたωの変化を考えることで、状態密度を次のように推定できる。この議論における弾性体の 体積は、体積1の要素がN 個存在するのでN であり、個数と体積は同列のものとして扱っている。体積N の弾性体が、体積N/mの要素をm個連結して作られているならば、境界条件の小さな変化は状態密度を摂 動させない。つまり、ρN(ω) =mρN/m(ω)が成り立つ。ここでρN(ω)は弾性体全体の状態密度を、ρN/m(ω) は弾性体を構成する体積N/mの状態密度を表す。又、基準振動数がmに関してω/mαで変化するならば、
スケーリング理論よりスケーリング定数αを用いてρN/m(ω) =m−αρN(ω/mα)と表せる。これらより次の 式が導かれる。
ρN(ω) =m−α+1ρN(ω/mα). (1.3)
ここで、m−αは振動エネルギーのスケーリングの際に生じる状態間のエネルギー間隔の減少に対応する。式 (1.3)を用いれば、ρ(ω) ∝ωp よりp =α−1−1を得る。さらに式(1.2)よりα= d−1である。以上より p=d−1であり、状態密度はフラクタル次元dを用いて次のように表される。
ρ(ω)∝ωd−1. (1.4)
式(1.4)はd= 1,2,3である場合それぞれω0, ω1, ω2となり、1次元や2次元電子などのバルクの状態密度の 結果をも包括する一般的な表式となっている。この結果よりStapletonらは式(1.1)の低温における標識と比 較することでp= 0.65±0.04を得た。又、p=d−1であることを用いればこれらのタンパク質のフラクタ
ル次元はd= 1.65±0.04であり、ほとんど5/3に近いことも示された。この値は自己回避型ランダムウォー
ク*4の軌跡のフラクタル次元とほぼ同じである。タンパク質を表すモデルとして排除体積鎖がよく用いられる が、その拡散は自己回避型ランダムウォークになる為、得られたdの値は非常に理にかなっている。この議 論は、ランダムな系のダイナミクスがその系における拡散現象によるというde Gennesの議論に基づいてい る[3]。これらの理論を実験的に確認するために250 KにおけるミオグロビンのX線データを解析し、ミオグ ロビンの任意の起点から半径R内のα炭素*5の数を数えた。得られたデータをフィッティングしたものが図 1.3(b)である。データに対する近似直線としてd= 1,2,1.67のものが引かれているが、d= 1,2の場合は明 らかにデータの近似直線として不適切である。これはd= 1.67の近似直線が妥当であることに加えて、タン パク質がフラクタル次元5/3のフラクタル構造であることが確認できる。
S. AlexanderとR. OrbachはStapletonらによる式(1.4)の解析について、系のフラクタル構造しか考慮 されていないことを指摘し、状態密度にフラクタル構造に由来する振動の効果があると考えた[1]。彼らは系 の拡散を支配するマスター方程式を用いて状態密度を議論した。マスター方程式は確率によって支配されてい る系の時間変化を記述するもので、1次元拡散の場合次のように表される。
dPj
dt =Wj,j−1(Pj−1−Pj) +Wj,j+1(Pj+1−Pj). (1.5) ここで右辺第一項はサイトjからサイトj−1に移動する粒子の存在確率を、第2項はサイトjからサイト j+ 1に移動する粒子の存在確率を表す。式(1.5)は1次元ばねの連成振動の方程式、
Mjduj
dt =Kj,j−1(uj−1−uj) +Kj,j+1(uj+1−uj), (1.6)
*4ランダムウォークにおいて、その軌跡が交差しないもの。高分子における排除体積鎖のモデルとして用いられる。
*5官能基と隣接した1番目の炭素
と同じアナロジーを持つ。ここでMj, ujはそれぞれサイトjにおける質量と変位、Kj,kは隣り合うサイト j, k間をつなぐばねのばね定数である。この時、Pj(t)の自己相関関数P˜0は式(1.6)のグリーン関数と同値に なる[6]。故に系のエネルギーϵに対する状態密度は次のように表される[1, 4]。
N(ϵ) =−1
π⟨P˜0(−ϵ+i0+)⟩. (1.7)
ここで、P˜0はP0(t)のϵに関するLaplace変換である。系の拡散に異常拡散のようなフラクタル構造由来の 効果があることを考慮すれば、拡散の平均二乗変異⟨r2(t)⟩は拡散を表す指標δ¯を用いて⟨r2(t)⟩ ∝t2/(2+¯δ) と書ける [5]。又、この時の系全体の拡散長V(t)は系のフラクタル構造の影響を受ける。故に系のフラ クタル次元d¯を用いて V(t) ∝ ⟨r2(t)⟩d/2¯ と書ける。拡散長の逆数は典型的な系の確率 P0 を表すので
⟨P0(t)⟩ ∝1/V(t)∝t−d/(2+¯¯ δ)となる。これをLaplace変換することで次の式を得る。
N(ϵ)∝ϵd/(2+¯¯ δ)−1. (1.8)
これを振動数に直すことで、振動モード数N(ε)はエネルギーεに対して、
N(ω)∝ωd¯¯−1, (1.9)
であることが彼らの研究によって示された。ここでd¯¯= 2 ¯d/(2 + ¯δ)はfracton次元と呼ばれる。又、d¯は異常 次元、δ¯は拡散を支配する指数である。彼らは一次元鎖、Sierpinski triangle、そしてパーコレーションネット ワーク*6という3つの具体的な系でfracton次元を計算した。特にパーコレーションネットワークについて、
そのfracton次元は空間次元に依らずd¯¯= 4/3であることを示した。
式(1.9)の振動数の依存性はDebye理論によるバルクの場合と比べて極端に異なる。そこで量子系におけ
る振動をphononとみなすように、フラクタル構造を持つ量子系の振動をfractonと命名し、fractonが励起
することでフラクタル構造を持つ量子系の振動が生じると考えた。fractonが励起するための振動波長λεに はλε∝ε−1/(2+¯δ)というスケーリング則が成り立つ。これを振動数で表すとλω∝ω−2/(2+¯δ)となる。ここで 系のフラクタル構造の特徴的長さがLである時、λε≲L、であるならば系はfractonとして振舞う。一方で 振動波長がLよりも長い場合はphononとして振舞い、フラクタル構造に特徴的な振動にはならない。両者 は適当な振動数でクロスオーバーされ、
εc.o.≈ωc.o.2 ≳L−(2+¯δ), (1.10) 程度でスケーリングされる。ここで添え字のc.o.はphononとfractonがちょうどクロスオーバーする場所で のエネルギー及び振動数である。
この議論によって、fractonが励起するエネルギースケールではどのようなダイナミクスが生じるのかに興 味がもたれた。先ず、fractonの励起による振動モードは空間的に局在することがRammalとToulouseに よって間接的に示された[7]。彼らは格子上をランダムウォークする粒子におけるNステップ目での特定のサ イトを訪れる平均値S(N)が任意の次元dに関して、
S(N) =
(8N/π)1/2+· · · (d= 1)
πN/lnN (d= 2)
cN +c′N2−d/2+c′′+· · · (d >2, d̸= 4) cN +c′lnN+· · · (d= 4)
, (1.11)
*6ランダム系に結合された格子が臨界値付近でクラスターを作り、それが拡散し浸透していくようなモデル
であるというMontrollとWeissらの議論[8]に着目した。RammalとToulouseはこれに基づいて格子がフ ラクタル構造を持つ場合を考察し、SN がfracton次元d¯¯に対して、
SN ∼
( Nd/2¯¯ d <¯¯ 2 N d >¯¯ 2
, (1.12)
であることを指摘した。又、P. B. AllenはMontrollとWeissの議論と量子力学的に局在している電子の運 動にアナロジーがあることを指摘[9]し、電子の局在長とランダムウォークのステップ数に対応関係があるこ とを受けて、コンダクタンスの局在性を議論した。P. W. Andersonらは1次元、2次元及び3次元における 系の長さLとコンダクタンスgに関するスケーリング関数、
β(g) = dlng
dlnL, (1.13)
について議論した[10]。彼らは系がフラクタル構造を有し、尚且つLが十分大きいならば式(1.12)はフラク タル次元d¯とfracton次元d¯¯を用いて、
βL= d¯
¯¯
d( ¯d¯−2), (1.14)
となることを示した。又、式(1.12)と(1.14)からコンダクタンスがLについてのべき乗則、
g(L)∼LβL, (1.15)
も成り立つことを示した。これはβLの正負によって系の振る舞いが大きく変わり、正ならば系は伝導的であ るが、負では伝導的でない。つまり、局在的になる。このことよりβLが負になるd <¯¯ 2ならば、振動モード は空間的に局在すると考えられた。
fractonによる振動モードの局在についての議論がRammalらの議論に続いて活発になった。E.- Wohlman
やS. Alexanderらはfractonの局在波動関数は次のような形、
ϕfr∝e−(r/Λ(ω))dϕ, (1.16)
であると仮定した[11, 12]。ここでΛ(ω)はfractonの局在長を表し、dϕは局在の強さを表すパラメーターと なっている。dϕがfracton励起を特徴づけることから、多くの研究者がその指数の値を求めた。例えば、理 論的にはLevyとSouillardはパラメーターがdϕ = ¯d/d¯¯であるとし、d= 2におけるランダムな系において dϕ= 1.42であるとした[13]。このようなdϕ>1である局在状態は「超局在状態」と呼ばれる。又、Harisと
Aharonyは平均化されたfracton励起のパラメーターがdϕ = 1、つまり指数関数的に減衰することを指摘し
た[14]。他にも、Van der Puttenらはカーボンブラックポリマー複合体の伝導率の測定値からdϕの値を推 定しており、実験的にdϕ= 1.94±0.06と導電率µ= 2.0±0.2という結果を得ている[15]。これ等の議論は
fracton励起による波動関数が局在点を中心とした空間的対称性があることを前提としていた。しかし、数値
計算によって計算されたfracton励起した波動関数は対称性を持たないことがK. YakuboとT. Nakayama によって明らかになった[16]。彼らは図1.4のように2次元パーコレーションネットワークにおけるfracton 波動関数を数値計算で視覚的に確認した。図1.4(b)よりfracton波動関数は特定の個所で強く局在しており、
その中心から遠いところで空間的に対象でないことが確認された。ここで波動関数が強く局在している部分を コアと名付けている。彼らはこの理由を臨界濃度におけるパーコレーションクラスターの相関長が無限に長い ためであると説明している。又、これらのfracton波動関数の集合平均を考え平均的な局在パターンの評価を 行ったところdϕ= 2.3±0.1であり、LevyやHarris、Aharonyらの理論とは大きく異なることが分かった。
(a) (b)
図1.4 (a)臨界濃度における2次元パーコレーション上に励起されたω= 0.01のfractonモードのパ ターン。(b) (a)の線分A及びBに沿った断面図。[17]
理論ではパーコレーションクラスターにおけるfracton波動関数の伝搬は、ある点から任意の点における波動 関数の伝搬が2点間の最短経路にのみ依存すると仮定していた。しかし、この仮定は相関長が発散するために 正しくなく、⟨ϕfr(r)⟩ ̸=ϕfr(⟨r⟩)である。今回の計算においては波動関数のコア部分のdϕを求めたことにな り、波動関数の裾も加味すれば今回の結果と異なると考えられている。
1.2.2 決定論的フラクタル構造を持つ系の振動と透過率
決定論的フラクタル構造とは、最小単位と呼ばれる構造を形作る最小のパターンが存在し、一定の生成規則 によって生成されるようなものをいう。このような構造を持つ系は周期系やランダムな系とは異なるフラクタ ル構造特有の性質が陽に現れる為、フラクタル構造を持つ系のモデルケースとして1980年代以降に多くの研 究がおこなわれてきた。
1983年にE. DomanyらはS. Alexanderらの研究[1]を受けて、フラクタル格子上におけるSchr¨odinger 方程式の電子状態を議論した [18]。彼らは先ず原子配置を表すような格子モデルについて、強結合近似モデ
ルとS. Alexanderの提案したWireモデルの間の共通点について述べている。強結合近似モデルはTight
Bindingモデルとも呼ばれ、電子のバンド計算に使われるモデルである。これは系の波動関数を各原子の場所
に位置する孤立原子に対する波動関数を重ね合わせたものとして考え、次のように表される。
Eψ0=−X
j
tjψj. (1.17)
ここで添え字のj= 1,2,· · · , lは原子配置を表す格子のサイトの番号であり、tjはj番目のサイトに移動した 際に生じるhopping energyである。一方で、S. Alexanderが提案したWireモデルは格子間を始端xj = 0、 終端xj =aの鎖でつながれているとし、その鎖それぞれに座標軸xjを設定するものである。鎖上での波動 関数は通常のSchr¨odinger方程式、
∂2
∂x2ψj(x) =−2mEψj(x), (1.18)
で表される。ここで、波動関数がψj=ψ+j(x)eqx+ψ−j(x)e−qx, q=√
2mEで表され、ψj(0) =ψ0, ψj(a) =
ψjであるとする。この時、連続の条件∂/∂xP
jψj(x) = 0から次の方程式を得る。
Xl j=1
(ψ0cos (qa)−ψj) = 0. (1.19)
式(1.18)は式(1.17)のような強結合近似モデルにおいて境界条件を課した時に現れ、2つのモデルは本質的
に同じ物理を表す。これらのモデルの関係は次の関係式で結びつけられる。
lcos (qa) =−E
t. (1.20)
式(1.20)の左辺はS. AlexanderのWireモデルにおけるエネルギーを表し、右辺は強結合近似モデルにおけ
るエネルギーを表す。ここで簡単のためにhopping energyは一定tj=tとしている。
(a) (b)
図1.5 (a)強結合近似モデル。 (b) S. AlexanderのWireモデル。
彼らは図1.6のようなSierpinski triangleと呼ばれる構造をしたフラクタル格子を強結合近似で記述し、次
のハミルトニアン、
H=X
i
ui|i⟩⟨i| −X
⟨ij⟩
(tij|i⟩⟨j|+tji|j⟩⟨i|), (1.21) に対するSchr¨odinger方程式H|i⟩=E|i⟩を考えた。ここで添え字のi, jは強結合近似による原子のサイト
図1.6 世代nにおける2次元平面上のSierpinski triangle型格子。(a)n= 0。(b)n= 1。(c)n= 2。[18]
を表し、uiはサイトi上に電子が存在するときに生じるOn-sinte energy、tij, tjiはそれぞれサイトiから j、jからiに電子が移動した際に生じるエネルギーの減少を表すhopping energyである。世代nにおける格 子の作り方は次のようにおこなわれた。先ず、n= 1の格子は図1.6(b)のようにn= 0の格子に新たな三角 形が生成されるようにサイトを付け加えることで作られる。n= 2の格子はn= 1の格子に図1.6(c)のよう にサイトを付け加えていくことで作られる。n= 2における格子はn= 1の格子が3つ組み合わさってでき
ている。よってn= 1をSierpinsk triangle型格子の基本三角形として考える。この操作を繰り返すことで n= 3,4,· · · の場合の格子が作られる。このような生成規則に基づくハミルトニアンは次の手順で計算され た。先ず、Hilbelt空間に存在する格子が1番と2番という副格子に分割されるとする。この時、波動関数|ψ⟩ を1番及び2番の副格子上に射影したものはそれぞれ|ψ1⟩,|ψ2⟩と表される。|ψ1⟩,|ψ2⟩を基底関数としたと き、ハミルトニアンは次のように表される。
H |ψ1⟩
|ψ2⟩
!
= H11 H12
H21 H22
! |ψ1⟩
|ψ2⟩
!
=E |ψ1⟩
|ψ2⟩
!
, (1.22)
ハミルトニアンの行列要素は、例えば、H11ならば副格子1番から副格子1番間への移動を表し、H12ならば 副格子1番から副格子2番への移動を表す。又、Eは強結合近似の時にE =E、wireモデルの場合にE= 0 である。式(1.22)より、次の関係式を得る。
|ψ2⟩= (E −H22)−1H21|ψ1⟩. (1.23) これより、次のような|ψ1⟩に関する有効ハミルトニアンを得る。
Heff|ψ1⟩= [H11+H12(E −H22)−1H21]|ψ1⟩=E|ψ1⟩. (1.24) Sierpinski triangleにおける式(1.24)の表式を得るには図1.6の基本三角形上の最近接ホッピングに関する 6×6正方行列を考える必要がある。ここで添え字i, j = 1,2,3について(H11)ij = 0,(H12)ij = (H22)ij =
−1 +δij とする。この時、図1.6の格子上の波動関数を有効ハミルトニアンに作用させると、式(1.21)に波 動関数を作用させたときと同じ形の式、
E|i⟩=ui|i⟩ −t X4 j=1
|j⟩, (1.25)
を得る。ここで、この式の左辺は世代nのエネルギーを表し、右辺は世代n−1のサイトによる寄与を表す。
又、添え字のjはサイトiの4つの最近接サイトを表し、On-site energyとhopping energyはパラメーター ϵ=E/tを用いてそれぞれ次のように表される。
ui=u′= 4tϵ
(ϵ+ 2)(ϵ−1), tij =tji=t′= 2−ϵ
(ϵ+ 2)(ϵ−1)t. (1.26) ところで、世代nではOn-siteエネルギーはu= 0であるにもかからわず世代n−1では一定値をとってい る。そこで、世代nとn−1で式の形式を同じにするために、新たなエネルギーパラメーターϵ′を次のよう に定める。
ϵ′= E−u′
t′ . (1.27)
これは世代n−1におけるエネルギーの表式を表し、式(1.25)に代入することで世代n−1におけるOn-site energyは見かけ上消滅する。ところで、式(1.26)より、
ϵ′=−ϵ(ϵ+ 3), (1.28)
であるが、これは世代nとn−1とのエネルギー関係を結びつける。故にϵ→ϵn, ϵ′→ϵn−1とすれば、次の ような世代に関する再帰関係が成り立つ。
ϵn =−3±√
9−4ϵn−1
2 . (1.29)
ここで、式(1.26)より、エネルギーはϵ=−2,+1,+2の場合に有効ハミルトニアンのhopping energyが消 滅してしまうため、それらのエネルギーでは成り立たない。このような再帰関係は波動関数においても成り立 つ。ここで図1.6(b)の上向き三角形(下部分)に対するサイト1,2,3と1′,2′,3′上の波動関数の間には次のよ うな関係が成り立つ。
ψi′ = 1 (ϵ+ 2)(ϵ−1)
X3 j=1
[ϵ−(ϵ+ 2)δij]ψj. (1.30)
彼らは再帰関係(1.29)から状態密度を計算した。式(1.29)は線型代数の言葉で言えば、世代n−1のエネ ルギーから世代nのエネルギーを2つ生成する写像であり、世代0(図1.6(b))におけるエネルギーの値が決定 されるならば世代nのエネルギーは逐次的に求まる。強結合近似におけるエネルギー分散関係は、格子間隔a の2次元正方格子ならば次のように表される。
ϵ≡E
t =−4 coska. (1.31)
ここで、簡単のためOn-site energyはui = 0、hopping energyはtij =tji=tとしている。彼らは2次元 上にフラクタル格子を構成したことから、先ずエネルギー領域−4< ϵ <4内の状態数を計算した。世代nに おけるϵのエネルギーを持つ状態数をN(ϵ)としたとき、その個数は以下の法則に従う。
(1) 任意の世代nに対してNn(−4) = 1。 (2) Nn(2) = 3n。
(3) Nn(1) = 3n−1+ 1。 (4) Nn(−2) =δ(n,1)。
(5) Nn(ϵ) =Nn−1(ϵ′)。但しϵ′=−ϵ(ϵ+ 3)
ここでδ(n,1)について、n= 0の場合にδ(n,1) = 1となる。又、ϵ=−2,+1,+2については式(1.29)が成 り立たないので、全体のエネルギー状態数との収支関係によって求めている。これらの法則によって、世代10 の場合に計算されたものが図1.7である。 この結果において特筆すべきなのは状態密度に自己相似な構造が
図1.7 世代10におけるSierpinski triangle型格子のエネルギー状態密度。図中の2(k)は式(1.29)の反 復をk回行った時のϵ= 2の状態。世代0におけるエネルギーは∆ϵ= 0.01刻みで計算している。[18]
図1.8 世代10におけるSierpinski triangle型格子のエネルギー状態密度の拡大図。(a)ϵ=−3.25付 近。(b)ϵ=−3.85付近。(c)ϵ=−3.97付近。(d)ϵ=−3.994付近。[18]
現れていることである。彼らは図1.7の4カ所を拡大して、図1.8のようなϵ=−3.25,−3.85,−3.97,−3.994 付近の状態密度の振る舞いを確認したが、いずれも図1.7で見られたパターンと相似であることが確認できる。
同年、M. Kohmoto、L. P. KadanoffそしてC. Tangは強結合近似型のSchr¨odinger方程式について画期 的な考察を行った[19]。彼らは先ず、次のような強結合近似下におけるサイトjに対するポテンシャルV(jϕ) を含んだSchr¨odinger方程式を考えた。
ψn+1+ψn−1+ [V(jφ)−E]ψn = 0. (1.32) ここで、φは2つの互いに素である素数p, qを用いてφ=p/qで表される。式(1.32)は線型であるので、次 のような振幅ベクトルΨn= (ψn, ψn−1)T と転送行列M(j)を用いて次のように書き替えられる。
M(nφ)Ψn=Ψn+1, (1.33)
M(j) = E−V(t) −1
1 0
!
. (1.34)
ここでM(j)はjで周期1である単位行列式を持つ実数値行列である。又、転送行列が次のようなk周期性
M(k)(nφ)Ψn =Ψn+k, (1.35)
を持つ場合、次のような分解が可能である。
M(k1+k2)(j) =M(k1)(j+k2φ)M(k2)(j). (1.36) ここでM(1)=M である。φが有理数であるならばqφ=pは整数であるので、M(k)(j)はjで周期1とな り、Mql(j) = [Mq(j)]lである。故に、許されるエネルギー|Tr(M(t))|/2は1より小さく、k→ ∞で有界
である。これは、任意の周期系におけるエネルギー分散関係は転送行列Mのトレースを求める問題に帰着で きるということである。
M. Kohmotoらはこの方法を用いて次のような1次元Fibonacci数列型ポテンシャルの場合にどうなるか
を考察した。
V(j) =
( V0 −ω < j≤ −ω3
V1 −ω3< j≤ω2 . (1.37)
ここでω = (√
5−1)/2は黄金比*7である。Fibonacci数列とは次のような生成規則に基づいて作られる数列 である。先ず、2種類の要素A,Bを用いて第0世代をA、第1世代をBと定義する。この時次の世代2は第 0世代、第1世代という順番に並べたもので定義する。つまりABである。第3世代以降も同様にして、2つ 前の世代、1つ前の世代という順番に並べた要素で定義する。作られた数列は第7世代まで表すと次のように なる。
A, B, AB, BAB, ABBAB, BABABBAB, ABBABBABABBAB,· · ·
このような構造を持つポテンシャル(1.37)における転送行列は、その生成規則より次の関係が成り立つ。
Ml+1=Ml−1Ml. (1.38)
ここで添え字はFibonacci数列の世代を表し、M1 =M(0), M0 =M(−ω3)である。式(1.38)におけるト レースの変化を考える。この時xl= Tr(Ml)/2という変数を導入すると、各世代の転送行列のトレースは
xl+1= 2xlxl−1−xl−2, (1.39)
という3次元のダイナミカルマップで表される。ここで初期値はx1= (E−V1)/2, x0= (E−V0)/2, x−1= 1
(a) (b)
図1.9 (a)式(1.40)で表されるI= 0.2の場合の3次元力学系のトレースの軌跡。(b)世代nにおける Fibonacci型格子の許されるエネルギー範囲。[19, 20]
である。この再帰関係に基づいた式(1.39)はtrace mapと呼ばれる。この方法の画期的な点は、エネルギー を求めるという量子力学の固有値問題が3次元の力学系を解くという古典力学の問題に帰着されることであ る。このトレースのダイナミクスは、xl→x, xl−1→y, xl−2→zとすれば
I=x2+y2+z2−2xyz−1, (1.40)
*7貴金属比の一つであり、1 : (1 +√
5)/2 = (√
5−1)/2 : 1の比。Fibonacci数列の隣り合う2項の比は黄金比に収束する。
という空間上で観測される[20]。ここでIはポテンシャルにより決定される不変量であり、I=|V1−V0|で 与えられる。これを3次元空間上で表したものが図1.9(a)である。又、このトレースの結果をもとに世代ご との許容されるエネルギー範囲を描写したのが図1.9(b)である。これより、Fibonacci型格子のエネルギー範 囲は世代が上昇するにつれてCantor集合のように振舞う。
この発表の後に、D. ShechtmanとI. Blechは液体状態から急冷したAl-Mn合金の奇妙な電子回折実験の 結果を発表した[21]。結晶に電子線回折を行って得られる回折パターンはδ関数的な回折スポットの集合であ
図1.10 液体状態から急冷したAl-Mn合金の電子線回折パターン。[21]
る。基本的な結晶の回折スポットは2回、3回、4回、6回の回転対称性しか許されないが、彼らは図1.10の ような5回の回転対称性を実験で確認した。このような回折像を示す結晶群は今日では準結晶と呼ばれ、発
見者のD. Shechtmanは2011年にノーベル化学賞を受賞している。準結晶の特徴として、結晶構造に対称性
こそないものの、高い空間的秩序を持つことである。このような構造はR. Penroseが提唱したPenrose tile 型パターン[22]に原子を修飾したものとして理解されている。Penrose tileはFibonacci数列を2次元に拡 張したものとして考えられている。その為、この新奇な物質の物性を研究するためにCantor型やFibonacci 型の原子配列を持つ系の波動関数や透過率がM. Kohmotoの手法を用いて研究された[23–27]。Kohmotoは Trace mapの手法を用いてCantor型及びFibonacci型格子における波動関数の局在を議論した[23, 26]。そ の波動関数は図1.11のように特定のエネルギーで空間上にべき級数的に強く局在することが知られており、
臨界状態と呼ばれている。又、M. Holzerは準結晶の構造であるFibonacci型格子やPenrose tile型の格子に 対する考察を行い、Cantor型と同じような波動関数の空間的な強い局在を確認した[24]。A. H. MacDonald とG. C. AersはTrace mapの手法を用いてFibonacci型格子に波動関数が入射した時の透過率[25]を、A.
ChakrabartiらはGreen関数を用いてFibonacci型格子の状態密度を計算した[27]。他にも、P. Tongは要 素が3つ存在するFibonacci型格子について考察した[28]。
Kohmotoらによって自己相似構造を持つ系の解析手法は確立されたものの、その同年に発見された準結晶
のインパクトがすさまじく、1990年代は自己相似構造を持つ系の研究は次第に下火となっていった。しかし 幾人かの研究者は自己相似構造を持つ量子系についての考察を行っていた[29–35]。W. D. HeissらはCantor 集合的に配置されたδ関数障壁における系のエネルギー準位を計算した [29]。F. Craciunらは圧電セラミッ ク素子とレジンをCantor集合的に並べたものに電圧を印加しPhonon-Fractonクロスオーバーが現れるかを
(a) (b) (c)
図1.11 Cantor型格子における臨界状態の波動関数。(a)E= 0。(b)E= 2.8339565。(c)E= 2.83302389。[23]
実験的に確かめた[30]。K. A. MakarovとV. V. Konotopらはそれぞれ独立して、Cantor構造を持つポテ ンシャル障壁の系を数学的に考察した[31, 32]。2グループに共通する結果として、反射係数及び透過係数に コサインの無限乗積Q
j=1cos (qL/3j)が存在することを指摘している。M. D. NoskovらはCantor構造の 一般化を行い、世代と共にポテンシャル障壁が増加し最終的にδ関数となるようなポテンシャルに対する系を 考察し、透過率にLaue関数の有限乗積が現れることを述べている[33]。X. R. WangはSierpinski triangle 型格子に磁場を印加した場合の波動関数の局在性や局在長の乱れについて指摘している[34, 35]。又、N. L.
Chuprikovは透過率の自己相似性について指摘している [36]。他にも、F. Chiadiniらは屈折率の異なる材料 を並べたフォトニッククリスタルに自己相似構造を持たせた場合の透過率について議論している[37]。フォト ニッククリスタルを伝搬する電磁波の動力学は電信方程式によって支配されるが、Schr¨odinger方程式と同じ 波動方程式であるため、その振る舞いにはアナロジーがある。
再び自己相似構造を持つ系に関心が高まったのはM. W. Takedaらによる3次元Menger Spongeへの電磁 波の入射の実験である。Takedaらは図1.12(a)のようなMenger Spongeと呼ばれる自己相似構造を持った立 体に電磁波を入射した場合の振る舞いを観察した[38]。Menger Spongeとは図1.12(a)のような立方体で、立 方体の縦、横、高さを3等分し、立方体の各面が図1.12(b)のようなSierspinski Carpetになるように立方体の 中心部分を取り除くことで作られる。Menger Spongeの特徴として、そのフラクタル次元はDf = ln 20/ln 3 である。Takedaらはこの図形をCADプログラム(Toyota Keram Co.、Think Design Version 8.0)を使 用して設計した後、エポキシ樹脂(D-Mec Ltd.、SCR-730)をステレオリソグラフィー*8(D-Mec Ltd.、
SCS-300P)と呼ばれるラピッドプロトタイピング法を用いて作成した。その寸法は27 mm×27 mm×27 mm
であり、複素誘電率*9の実数と虚数部はそれぞれ2.8と0.2である。この立体を図1.12(c)のような、ネット ワークアナライザー(Agilent Technology、HP-8720B)と500 Ωの特性インピーダンスを持つ2つのモノ ポールアンテナで測定した。この実験結果における電磁波の透過率は図1.12(d)に示されている。この結果 で注目すべきなのは、世代n= 3における電磁波の透過率が振動数12.8 GHzで約31 dB程度の大きな減衰 が現れ、13.0 GHz付近で約7 dB程度の減衰が現れることである。又、世代n= 2においても12.8 GHzで
約15 dB程度の大きな減衰が確認された。このような透過率の減衰は世代n= 0,1の場合には見られないこ
とから、Menger Spongeのフラクタル構造由来の局在が生じていることが分かる。その局在性を見るために
*8光造形法とも呼ばれる。光硬化樹脂に光を照射して樹脂形成を行い立体物を形成する。
*9誘電率をϵr=ϵ′r−iϵ′rという複素量で表した形式。実部は外部電場から誘電体へのエネルギーの蓄積量を表し、虚部は外部電場 に対する誘電体のエネルギー消費を表す。