立 憲 主 義 の 古 典 的 伝 統 ◎ 完
︿目次﹀
はじめに
第葦アリストテレス政治学におけるティラニィ論
第一節学問の性格ー実践哲学の一分肢
第二節国制論
第三節ティラユィ論の構造
第二章絶対主義以前のティラニィ論
第一節キケロ
第二節キリスト教政治思想
第三節中世のティラニィー抵抗権論
(以上前号)
第三章一六.{七世紀の政治思想におけるティラニィー抵抗権論㎜第一節﹁宗教改革・とモナルコマキ
第二節ボダンの﹁王ーティラソ﹂論
笛〃三節アルトゥジウスの抵抗権論
第四節ホヅブスの﹁王ーティラン﹂論
芹 沢 齊
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第四章古典的伝統の持続・新生・衰退ー比較史的素描ー
第一節古典的伝統の持続ーイギリス
第二節古典的伝統の新生iフランス
第三節古典的伝統の衰退ードイツ
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第 三 章 一 六 ・ 一 七 世 紀 の 政 治 思 想 に お け る テ ィ ラ ニ ィ ー 抵 抗 権 論
一六.一七世紀の宗教改革と宗教戦争は︑それ以前の政治社会秩序に決定的な転換をもたらした︒統一的なヨーロ
ッパ.キリスト教世界(響δ8団鶉冨o互ω$ロ冨一梓)の観念が崩壊し︑同一国民同士が異なる信仰の信奉者として︑相
手方を不倶戴天の敵視するような状況にあっては︑支配の正当性についての合立臼心は存在しえず︑また︑伝統的な法の
拘束力も失われる︒政治社会の質の問題は忘れ去られ︑その存立そのものが問題となるこのような状況は︑それまで
の社会秩序に適合的な法や政治に関する諸観念︑特に伝統的な王政とティラニィとの峻別の理論の転換.修正を要求
する︒というのは・それまで平和や安全といった価値は︑武力衝突をともなう社会構成員間の精神的亀裂が存在しな
かった限りで・政治・法理論の主要なテーマとはなりえなかったのであるが︑今や︑この平凡な︑しかし政治社会に
とって本来根源的な価値が・高貴な価値の頂点を成す宗教の激突の中から︑新たな視点の下に見直され︑秩序の内容
よりも強制による秩序づけそのものが︑政治・法思想の第一の関心事となり︑その結果︑平和.安全をもたらす技術
としてのティラニィという反伝統的理解が頭をもたげてきたからである︒
これより前・宗教上の内乱とは性質を異にするが︑アナーキーの脅威を身近に感じていたという点では類似してい
た一五世紀イタリアの諸都市国家の対立・抗争下で︑マキアヴェッリは﹁政治認識の枠組の転換によるティラソの変
容という作業を史上最初に遂行し﹄すなわち・彼は薪しい原理﹂に棊ついて︑伝統的奎とティ一フソの対置を
鍵 酌蟻 籔 轟 葎 鷺鷺 蓼 ド羅 鐸 喘鷲 嶋讐
学問の世界の市民権を得る︑﹂とができなかったぼかりか・猛烈な反発を受けることになつ(混.
宗教に発する対立が流血をも招いた政治社会の現実︑それへの対応をめξキアヴェッリ讃美と反マキアごツリの二つの思蘭流の中で︑国家生活の中に浸透していったのは︑マキ董ッリのラごカルな艶導はなくし
て ︑ 伝 統 的 な 政 治 羅 の 枠 組 と の 対 決 を 経 て 平 和 や 塞 を 志 向 す る 理 論 で あ っ た ・ そ の 袋 例 を ボ ダ ニ .島 量 簿 霧 謬 縫 義嫡毒 鍵 鐸 鍵 讐 昌胱
属. 讐 襲 駈 獅 麓 強 .を 中 心 に 検 討 紮 そ れ と の 関 連 で ア ル ト ゥ ジ ⁝ ホ ッ ー ー
立憲主義の古典的伝統 ⇔
第一節宗教改革とモナルコマキ
虚爪 教 改 革 の 創 始 者 ル ㌔ に あ っ て は ︑ 人 間 は 外 的 行 為 ξ て で は な く 信 仰 ξ て の 審 さ れ 畠 と な る ︑ と 鞍 響 雛 難 雛 雛 腋は 麟 難
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凝 縮 と 分 散 ・ 社 会 像 の 欠 如 と 籍 礎 的 状 況 は ︑ 無 限 の 衝 突 可 能 性 に 陥 り や す く ︑ そ し て ︑ そ の 危 険 は 社 会 闘 争 の
同時的発生によって創始者ルタゐ意志にはかかわりなく現実のものとなった︒
こうした状況の中で・ジュ禿フにおけるカルヴァンの肇が始まる.彼によれぽ︑人間は内面の信仰と神の墜
によって救われる・ルタ乏は見られない神の憐みに対する奉仕・神の栄光実現のための実践の思想が予定説と結び
つく・また・教会は神の言葉を俸兄・神の意志量う社会秩序を形成する担い手として警を行ない︑その内部的秩
序は墜い規健よって保持されるべきもの︑とされる.このように説くカルヴ.ンにとって︑政礪力の存在器
や政治制度の問題・特に政治権力に対する服従と抵抗の問題はどのよう髪︑舌れているであろうか︒主著﹃キリス
ト教綱蓼によって以下覧よう︒(なお︑引用は渡辺信夫訳による).
彼は・先ず・政治権力の存在理由を次のように説明する.た芒いとからだ︑来たるべき︑氷遠の命とこの世のはか
ない命との区別に応じて・全く異なる原程基づ三重の支配交間のうちに設定さるべきである.すな噸︑霊
鴛 難 縫 餐 震 翅臨 叢 轟 藁 議 脇 翅灘 遡
リスト者の間に宗教の公的な形撃糞され︑秀の間に人間らしく生きることが存立するようにすることLである
から・キリスト者は・再洗礼派のごとく︑この二つの支配を混同することを避けねばならず︑政治的秩序を無視して
はならない
こうして・キリスト教的使命を蓉姦治的統治は神学の体系の中に位置づけられ登﹂とになったが︑そこでの中
心的な問題こそ悪しき権力とそれへの服従と抵抗の問題である.この問題に対して彼は次のように答.兄る.芳で︑
﹁神の敬髪礼拝者たちにとっての保護者﹂として神によって立てられた翼にそう呼ばれるにふさわしい官憲Lは
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立憲主義の古典的伝統 ⇔
もちろんのこと︑﹁聖書が︑その威厳と権威をわれわれにすすめるところの支配者﹂としては認めることのできないものに対しても︑臣下は最大の尊敬をもって心から服従しなければならない︒というのは・後者も・それをいただく
わざ人民の不義を罰するという神の業を代行し︑そのつとめを通じて神に仕える以上︑神によって立てられ神的畿を与
.兄られているからである︒また︑欲望のままに突進する暴君を抑制することは私人の任務ではなく・﹁われわれには・ただ︑服従し︑忍耐すること﹂さらには﹁﹃王の心と王権の変更とを御手のうちに収めたもう﹄主なる神の御助けを
祈り求めることだけが残されている﹂からである︒しかし︑他方で︑支配者への服従が﹁われわれを神に対する服従
から連れ去る﹂場A・には︑天に従うよりも神に従えLの馨の句をひきあいに出し︑服従義務を解除す麗結論と
して︑﹁われわれは︑敬度からそむき去ることをしないで︑むしろ︑何かの苦痛を忍ぶならば︑そのとき︑主なる神が求めたもう服従を果たしている﹂という伝統的言い回しで︑上に立つすべての権威に対する臣民の服従.受忍霧
が導かれる︒
ところで︑この強調されている服従義務は私人のものであって︑国家の中に︑人民を擁護するために君主の恣意的
権力の行使を抑制するための施政官(ヨ︑・q一・︒一.節件)が立てられている場合には︑この国家機関・たとえばラケダイモソ
(ロスパルタ)の王に対置されるエフォーリ(①9︒.一)︑アテナイの元老院に対置されるデマルコイ・︒←の執政官に対置される護昏やその当時の等族議会曾﹂ときに霧上の霧としての抵抗が認められる・そして・この点こそ後覧るモナル.早において展開される抵抗権論の萌芽なのである︒以上のカルヴァンの蔑と服従に関する議論
が﹁真の宗教﹂に対する情熱と結びつくとき︑権力による異端撲滅が展開される︒本拠地ジュネーブにおいては・カ
ルヴァンの下で宗教的権威と世俗権力が一体化し(神政政治)︑権力による宗教的迫害がなされる︒
ここで︑宗教改慕政治社会に与えた影響と︑政治社会の変化に伴う抵抗権論の展開を考えてみょう・笙に・︒
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←教会贅の聖俗両面の畿に対する批判は︑相対的に各地の世俗努の強化をもたらした︒第二に︑教皇から
独立した王権・宗教を自らの問題として抱えこまざるをえなくなり︑ある宗派と結びついて領土内に宗教的堕を
実現する途を選んだ(領邦教勧)・第三に︑しかし︑この国家権力と宗教との一体化は︑異端迫宝︑の問題をひきおこ
し・聖毒釈権の多元化ともあいまって社会秩序混乱の因をつくり出した︒というのは︑宗教的塗が保たれていた
時期に籔皇に集中していた聖書解羅は︑宗教改革以後各宗派.個人にまで分散して帰属し︑そのことはまた︑不
正な支配者についての判断権の多元化︑抵抗の基礎づけの宗教化をも意味したからである︒
宗教的基礎づけを有する抵抗権論は︑雇的に︑政治権力は神によって樹立されたものであり︑臣民はその権威に
服従しなければならないが・支配者が神の二一量にそむく髪・には天に従うよりも神に従.乙というロ垂日の教.乏
従うこと奎張する.ところで︑パウ・のこの章句は多藷であり︑さま譲の解釈を許すものである.たとえぽ︑
匠五〇年にルタ旅の一部から出されたといわれる﹃マクデブルク信狸口白﹄(切¢評①ロロ辞昌一・,¢ 仲︒..一︒﹃什ロロユ<ー㊤げ⁝αq
血曾国母昏臼ヨロ巳津巴一αq霞畠霞6匿ω9︒冨コ窓吋9窪霊蜜謁ユ①げ霞︒q)によれば︑﹁真の宗教﹂を抑圧する政治権力に対
しては不服従の霧が認められる・不服従,﹂そ神への信仰の攣ある︒しかし︑不服従をこえる積極的な武蓋抗に
ついては事柄は別である・信仰は剣によって守られるべきではないから︑市民の集団による抵抗行為はたとえそれが
宗教的否ーガソをかかげようとも認められない︒市民の信仰の畠を保護する役割は下位の権力の担い手に委ねら
れているから・彼らのみが上位の専制的権力に対して抵抗する権利︑いやむしろ霧が認められる︒もちろん︑この
文書にあそは・当時のドイッの国製び西蓑状況から︑﹁真の宗教﹂を抑圧する上位の権力としては皇帝が︑それ
に対する抵抗の担い手として嶺邦君主が考・をれており︑抵抗権は籏的色髪帯びているとい︑乏︒そして︑こ
の文書覧られる宗教的譲的抵抗権論は︑一五五五年のアウグスブルクの和議以降︑ルタ旅地整おいては︑宗
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立憲主義の古典的伝統 ⇔
(12)教戦争の鎮静化とともに宗教的色彩を喪失し︑世俗化していくのである︒すなわち︑等族の抵抗権は宗教問題に限ら
れず︑皇帝権力による人民の生命.財産への侵害︑たとえぽ同意なき課税のごとき侵害に対しても認められていくの
である︒
また︑カルヴァン派にあっては︑カルヴァン自身においては明瞭ではないが︑機会主義的主張がなされる︒すなわ
ち︑彼らが政治権力を保有している場合には﹁いつわりの宗教﹂に対する迫害が︑彼らが少数派で権力が寛容政策を
とる場合には服従が︑さらに彼らが迫害にさらされている状況にあっては能動的抵抗が︑主張される︒このような使
い分け︑特に抵抗の理論はフランスにおけるカルヴァン派︑すなわちユグノーの理論に示されている︒ユグノーは当
初︑権力者の寛容を期待して服従するという立場をとっていたが︑この期待は叶えられるはずもなく・異端迫害を強
化しつつあったアンリニ世(在位}五四七〜一五五九)の死を機に︑自らの信仰・生命が危険にさらされるにおよんで
武力による抵抗に転じ︑その実践を理論が追いかけることとなった︒為政者の権力を抑制する機関の抵抗を認めるカ
ルヴァンの教説は︑ユグノーが自らの陣営にナヴァール王をはじめ貴族を組織して政治的党派を形成するにいたった
のち︑フランスの政治状況の変化に応じて異なった相貌を有することとなったのである︒すなわち︑その抵抗権論
は︑一五七二年の聖.ハルテルミーの虐殺の前と後とでは︑その正当化根拠において大きな違いが見てとれる︒虐殺以
前のユグノーの抵抗権論は︑ティランを﹁権原欠如のティランξ冨きロωo屑自凪09口葺¢一ごと﹁支配行使における
ティランξ量§器Φ×碧o惹oけ巴帥︒︒﹂とに二分するバルトールス以来支配的となっていたティラニィ論を︑カルヴァン
の教説に接合して︑王権纂奪者ギーズ家に対する王族による武装抵抗を正当化せんとするものであった︒統治者に対
する抑制機関が﹁真の宗教﹂の保護者・復旧者たるべきとするカルヴァンの主張は・ユグノーの理総豹によって・フ
ランス王国の真の基本原理の守護者たるべしと修正された︒自派のナヴァール王こそこの抑制機関の適任者であり・
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﹁フランスの虎﹂とよばれていたギーズ家のロレーヌ枢機卿を中心とする勢力がフラソス王国の基本法を破壊し王国
を崩壊に導くのを防ぐことは王族の名誉ある行為である︒真の反逆は宗教のそれではなくギーズ家の謀反である︒ギ
ーズ家のティラニィからの王国の解放は王族の神聖な義務である︒要するに︑王国基本法の遵守を主張するカルヴァ
ソの教説に︑ギーズ家による王権纂奪を批判するという法学的・政治学的要素を加味したものとい・兄よう︒この時期
の抵抗権論の特色は︑第一に︑宗教的迫害がそれほど厳しくない状況を反映して︑宗教的要素は表面化しておらず︑
第二に・王権との微妙な関係を考慮して︑君側の好を排除し︑代りに自らの陣営にある王族が国王を補佐するという
王権擁護的思想が認められること︑の二点である︒
ところが・一五七二年の虐殺の後︑王が直接にユグノーの迫害者として登場するにおよんで︑王権との積極的対決
が問題となる・しかも︑カトリヅク勢力と国王権力との一体化にともなって︑ユグノーの側でも宗教と政治とを結合し
た抵抗権論が要請される・いわゆるモナルニ(14)キ(日o口霞oげo白霧霞)が蓄するのはア﹂の時期である︒モナルニキと
は・自分の信仰の立場を守るために︑これを圧迫する君主の権力に対して抵抗することは正当であるということを論
証せんとする文書の作者たちの総称であって・プ・テス乳晒・醤カルヴァソ派に限られず︑カトリックの側にも
見 出 さ れ 撫 そ の 理 論 は ユ グ ノ ゐ そ れ と 構 吐 氾 に お い て は 本 質 的 に 一 畿 る の で こ こ で は 抵 抗 藷 史 上 重 視 さ る
べきユグノーのそれを概観しよう︒
つテオドール.ドゥ・べーズ↓げ仏o塵oNΦ畠①ゆαNo(一五一九‑一六〇五)ジュネ!ブにおけるカルヴァソの後継者く
テオドール・ドゥ・べーズ(あるいはテオドール・べーザ↓冨巳9b口︒︑螢)は︑今日一般に﹃臣民に対する施政官の権利
および施政官に対する臣民の義務についてUo冒円o巳蝉αq一斡鎚εニヨぎ警傷ユ詳oω霧o津︒δωロび島8同自ヨ興αq9
の ヨ帥︒q冨爲舞ロω﹄(一五七三)の著者と目されている︒
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立憲主義の古典的伝統 ⇔
ドゥ.ベーズによれぽ︑人は神に対しては無条件に・例外なしに服従すべきである︒施政官は神によって樹立され
た官職であるから︑人は彼に服従しなければならない︒しかし︑この命題から忍従と祈りのみがキリスト者に認めら
れた行為であるとするのは誤りである︒けだし︑施政官の権威は︑彼が神の言葉を話す口である限りにおいてのみ存
奪 人 は 彼 に 対 蕗 服 従 霧 を 負 う が ︑ 彼 が 蓼 言 ︑葉 に 反 す る 命 令 を 下 す 奨 ・ に は ︑ 臣 民 は 天 に 従 う よ り も 神 に
従うべきである﹂から︑そして︑この﹁人に従うよりも神に従え﹂という命題の具体化にあたっては︑忍従と祈りと
のもつ平和希求の意義を評価しつっ︑換言すれば︑無条件の反抗の承認によるアナーキー招来の危険を排除しつつ・ 秩序ある制裁手段の採用を主張する︒
では︑施政官が神に反し︑抵抗が認められるべき場合とはいかなる場合であろうか︒彼にあっては・施政官は・平
和露のみならず︑神の栄光とその名の下に﹁驚嘗Φ仲︒・︒﹂と﹁正義富件一件亙とを実現することを任務とする︑と
される︒宗教と政治権力との一体化︑政治権力の宗教への従属・奉仕が説かれているわけである︒そこで・施政官が
﹁不敬慶一目吋φ臨oq一〇¢図﹂で﹁不正冒巳ρ鶴o﹂なことを命じたとすれぽ︑それは神に反することになるが・その場合で
も︑もし法的手段や上位の施政官に訴える途があれぽ︑抵抗権を問題とする余地はない︑とされる︒結局︑上訴の道
が残されていない場合︑すなわち︑最上位の施政官が﹁真の宗教﹂を抑圧する場合にのみ抵抗権は認めら払紹︒
以上の宗教的抵抗権論に︑バルトールス以来のティランの二分論と支配契約の理論とが付け加えられる︒ティラン
には︑正当な資格を欠くティラン︑すなわち算奪者と︑支配行使におけるティラン・すなわち権力濫用者とが臥絶︒
前者の﹁正当な資格﹂とは被治者の同意もしくは過去においてなされた同意の持続を擬制した﹁王位継承法に基づく
継承権﹂である瑛被治者の同意は︑支配契約の理論によって要件とさ舞・すなわち・最山口罹力保薯である至
は領土内の人民のために存在するから︑その地位は君主と人民との間の真正な契約に基づかねばならない︒この正当
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$1
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な資格を欠くティラソには︑私人をも含む全ての被治者に武力による抵抗が認められる︒
ところで・当然のことながら︑正当な資格を有する支配者は︑神の法︑自然法及び契約遵守義務を負い︑それに違
反すれぽ権力を驚するティランとなる︒これに対しては︑私人の抵抗は認められず下位の施政實舖‑︑一.,...什.︒
ω昌農︒ヨ①︒︒︒巳藏①﹃δ口邑にのみ・ティランの所業を抑制し︑本来の秩序を維持する権利と義務とが認められる︒そし
て・このような下位の施政官の王の行動に対する監視と抑制は︑王と王国との区別︑王国に対する最高施政官として
の 王 と そ の 他 の 下 位 に あ る 施 政 官 た ち と の 連 帯 責 任 か ら 説 明 さ れ 華 下 位 の 施 啓 轟 実 際 堤 王 禺 の 大 小 の
貴族・封建領主・地域共同体の官職保有者を指しており︑彼らの王に対する連帯責任の行使は︑王の逸脱に対する匡
正機能を期待されている︒この意味で︑彼らの抵抗の義務は︑最高施政官たる君主の地位の剥奪︑生命の侵害という
能 動 的 抵 抗 ・ 嚢 抵 抗 の 導 直 ち に 開 く も の で は な 噂 彼 ら の 箸 体 と し て の 等 族 議 会 ﹂ 羨 契 約 の 相 互 性 舞 つ
い て ・ 解 任 ・ 追 放 . 殺 害 へ の 道 を 開 き う る と さ 舞 か く し て ・ 宗 教 的 正 義 を 実 現 す べ き 施 政 官 の 任 務 と し て の 抵 抗
が等族に認められるが・これは︑ドゥ・ベーズの理論が︑一方では﹁真の宗教﹂が迫害に遭遇した場合の抵抗権の
正当化・他方では抵抗によってもたらされるアナーキーの防止という二重の課題に答えんとした結果であるといえよ
うo
②フラソソワ.ま麺ぎ曇ω類︒§茎五二四⊥五九・)Zフンソワ牙トマソは当時の著名な法学者 にしてかつ積極的な言論活動を行なったが︑彼の手になる﹃フラソコ・ガリア﹄(一五七三)にも法学的素養と実践性
とが示されている︒彼はそこにおいて︑聖バルテルミーの虐殺に象徴される混乱せるフランスの救済策として良き古
き国制・すなわち﹁ガリア・フラソクの王国﹂への回帰を主張し︑歴史及び歴史的法の探究と法学の実践性とを結合
させて次のように論理を展開する︒
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立憲主義の古典的伝統 ⇔
Zフソスの歴史を遡ってガリア時代やフランク時代を眺めてみると︑その時代の政治理念は畠であり・畠の反対概念である隷従を統治の原理とするティ三ぽガリア・フランクの時代にはなじみのないものであった・そもそ
もガリアはローマの軍事力によってその範をかされる以前には︑いくつかのキヴィタス(鰭葦に分かれ・その多くは王をいただか嬉藩の協議によって治められ畠であったし︑また︑フランク(男藝)はその名が畠を音心味する如く自由であった︒われわれはここに︑理想的政体の重要糞素として協議機関の存在をあげ・その反対物として一アイ}フニ藩構想するオトマ誘㌧アイ一フニィーローマーイターアーマキアヴェッーメデー豪出身の美后窄
リーヌ.ドゥ.メディシスという連想を意図していることに注意する必要があろう︒
オトマンは続ける︒ガリア・フ一ブンクの時代︑自由の守護者である王は民衆の選挙によって王位に即いた・したが
って王には法あるい竺定の規則・慣習の遵守義務が課せられていた・また民衆によって解任されることもあった・こ巷の歴史的事実からすれば︑王位の世襲制を定めている含の王位継承法はフランスの王位継続法として正当とは認められない︒世襲は元来私法上の原則であって︑王位継承という公共的事柄に転用することは誤って膳・
ところで﹁民衆﹂の発現形態は国民の全体会議であり︑それは身分制議会である︒この身分制議会はメロヴィング朝.カ︒リング朝姦じて公共的事柄︑たとえば王の即位及び蟹︑摂政をはじめとする重要官職の人事権立法
権.外交権などに関する主権的権限を有していた︒王の鷺する身分制議会において王はその騎さと善良さとでその威厳を示し︑貴族は公共的事柄に対する関心から王と人民との調整を図り︑人民は希望を表明趨・この貴蕎
稽 核 と す る 理 想 的 政 体 は ︑ カ ペ 圭 朝 以 降 い く つ か の 嚢 に さ ら さ れ 舞 身 分 制 議 会 は こ れ ら に 対 し 闘 争 を 行
い︑特にルイ=世(在位西六丁八三)に対して量敢に闘つ癖彼は・また・カペー朝の下で成立したパルルマン(窓ユoヨ①昇)が︑身分制議会の権限を奪い︑罷①ヨ窪という語が元来もっていた公共的事柄を協議する機関とはほ
0257)
83
れ
ど遠い私益追求の司法的ティラニィとなっていると批判する︒
さ ら に ・ 蓋 七 六 年 の 第 三 版 這 袈 れ た 部 分 で 轟 調 さ れ て い る こ と だ が ︑ 王 と 王 国 と は 薯 に 区 別 さ れ る べ き
ことが説かれる・王国とは・そこに存在する全ての人あ共同善を実現すべき共同体であり︑︑氷遠.不可死である︒
これに対し王は・共同体としての王国のために存在する一人の人間であり︑当然のことながら彼は可死であり︑また
彼 の 精 狸 妻 ざ ま な 藏 髭 響 さ れ る こ と も あ る ︒ し か し ︑ 王 国 に は 覇 で 経 験 箒 田 ん だ 人 々 か 晟 る 機 関 ︑ 共 同 鰭 鷺 騨 難 雛 購羅 鑓 難 懇 纒 叡 細蕪 蕪 縫
自 由 が 侵 害 さ れ た 場 合 ・ 過 去 舞 か し い 圧 制 へ の 抵 抗 の 歴 史 を 有 す る 身 分 制 議 会 筋 け を 求 め る こ と 播 切 で あ る ︒
ぬ ここに身分制議会の抵抗権の正当化が完結する︒以上のような﹃フラソヲガリこの論理は︑王の行為の伝統・慣習からの逸脱︑三部会皇との現在的関係を批
判する根拠としてフラソスの歴史を実践的に再構成するものであった︒しかし︑.あ宗教的色彩の稀薄な﹃フ一フソ
コ.ガリア﹄の構成の背景には︑ユグノーの置かれていた立場という宗教的性格が隠れていたのである︒そのこと
は・ユグノーの王が即位した後に出版され空五八六年の改訂版で︑元の版では否定されていた轟制の王位継承法
の弁盟立場が移行していることで明らかである︒とはい・三政治制度が伝統と慣習とに依存していた一六世紀にあ
そ﹂馨王制と身分製会の全権という理念を歴史から銀出したオトマンの立論は﹁捜的理論の馨しえない
成功を収め﹂︑やがてカトリヅク側の援用するところとなった︒
のユニウス・ブルートゥス冒冨しdき・・共和政・←の創始登ニゥス.︒フ牛トゥスの名で公刊されたく
﹃暴君に対する権利主張く巨幕︒︒碁嘗聾・ω﹄(毛九)は︑カルヴァソの教・乏中心実なドゥ.べ麦の
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﹃施政官の権利﹄や宗教的というよりも歴史的な弁証を試みたオトマソの﹃フラソコ・ガリア﹄とは異なり︑ユグノ
ーの宗教的に根拠づけられた抵抗権論を詳細にかつ体系的に展開している点で︑おそらく最もモナルコマキの文書と
(44)(45)いうにふさわしいものといえよう︒著者の穿盤はさておき︑この﹃暴君に対する権利主張﹄は﹁真の宗教﹂をめぐつ
て争われたこの時期のユグノーの抵抗権論にとって重要な論点を次の四つの問とそれに対する回答という形式で論じ
ている︒
第一問君主が神法に反することを命ずる場合︑臣民は君主に服従しなければならないか︒
第二問神法に違反し︑神の教会を滅ぼす君主に抵抗することは許されるか︒誰によって︑いかなる方法で︑いか
なる程度にこれをなすのが適法か︒
第三問国家を抑圧しまたはこれを破壊する君主に抵抗することは許されるか︒いかなる程度に︑誰によって︑い
かなる方法で︑かついかなる法原則によって許されるか︒
第四間近隣の君主は︑真の宗教の故に迫害されまたは明白なティラニィによって抑圧されている他の君主の支配
下の臣民を助けることが許されるか︑あるいは助ける義務を負っているか︒
順次︑問答の展開を逐うことにしよう︒
まず︑第一問・第二問は神法違反の君主に対する臣民の権利義務の問題であるから︑まとめて扱うことにする︒著
者は国家の始源について二種類の契約があるという独特の契約理論から出発する︒第一の契約は神と国王と人民との
(46)間で結ばれるものであり︑その内容は人民が神の民となるというものである︒すなわち︑神を一方の当事者とし︑人
民と人民の首長としての国王を他方当事者とする契約であり︑これによって︑国王と人民との神に対する連帯責任が
確立されることになる︒国王は神によって立てられた神の代理人となり︑神の民としての人民が国王に捧げる服従と
(259)
85
尊敬は︑国王の神法遵守に完全に依存するから︑神との契約を忘れ神法に反する命令を下す国王に服従する義務はな
い︒このような国王への服従は神法に違反する︒第一の問への回答はこれをもってして理論的には十分であるが︑著
(47)者はさらに︑この神との契約を封建契約のアナロジーによって説明する︒神は国王に対する封主であり︑国王は神の
封臣である︒国王の神法違反はフェロニi暁20口︽(封建法上の誠実義務違反)を構成し︑この場合封臣はその主君にょ
ってその封地を奪われる︒したがって臣民はその封臣に対する服従義務から解放される︒神があることを命じ︑国王
がその反対を命ずるとき︑国王に服従することは神に背くことになる︒このような場合︑国王への服従拒否は反逆者
の汚名を着せられてはならない︒
こうして第一の問に対しては第一の契約が導きの糸であったが︑第二問に対しては第二の契約が同じ働きをする︒
第二の契約は︑国王を一方当事者︑人民を他方当事者として結ばれる契約で︑その内容は︑国王は正しく統治し人
(48)民は誠実に服従することを約するものである︒著者はその際︑問答契約(ω瓜冒冨鉱o)の観念を援用して人民に有利に
(49)なるよう契約を構成する︒すなわち︑人民は国王に対し︑正義と法に従って統治するかどうかを尋ね︑国王がそれを
諾約すればその諾約に基づいて国王に対する誠実な服従を約束するという条件付支配服従契約である︒正義と法に従
って統治する国王こそ神の民を牧する者なのであり︑この条件違反は契約の解除要件を構成し︑人民を服従義務から
解放する︒しかも︑服従義務の解除だけではなく︑神法に違反し﹁真の宗教﹂を抑圧する統治者に対しては︑積極的
(50)抵抗義務を神に対し負っている︑とされる︒国王と人民との関係だけをとり出せぽ︑そこには人民は国王に優位する
という人民主権の思想の萌芽が存在するといえよう︒
第二問の後段は﹁誰が﹂﹁いかなる方法で﹂﹁いかなる程度に﹂を問うている︒
﹁誰が﹂の問に対しては︑﹁多頭の怪物﹂すなわち民衆に抵抗権を承認することから招来されるアナーキーについ
C2so) 86
立憲主義の古典的伝統 ⇔
(51)ての危惧を表明した後に︑第一に︑人民の保護者・王の恣意的権力行使の抑制者として人民から権威を受け取る護民
(52)官的権力を備えた施政官︑第二に︑貴族・宮廷の高官・地方名望家等から成り︑すべての国務に絶対的に関与する﹁王
(53)国の縮図﹂としての身分制議会が挙げられる︒そして実際には貴族が中核として考えられており︑さらにその多数派
(54)の意思が人民を代表するとされる︒
しかし注目すべきは︑王が神法に違反し︑王国の主要な人物たちの多数がそれを是認もしくは放置した場合の叙述
である︒この場合︑地域の施政官は﹁真の宗教﹂の維持のために地域共同体単位で神と契約を結び︑国王権力に抵抗
(55)する権利を与えられ義務を負うとされている︒ここに特徴的に見られるごとく︑すべては﹁真の宗教﹂の維持に発
し︑そこに収敏していくのである︒
こうして﹁真の宗教﹂という実体価値が政治的統一と安定という形式価値に優位するが︑平和は前にも述べた如く
軽視されているわけではなく︑その調和点は私人の抵抗の権利・義務を否認することに求められる︒私人は︑正当な
(56)抵抗権の主体の指示に従うか︑正当な権利主体が権利行使を怠るときにはその国から立ち去ることのみが許される︒
﹁いかなる方法で﹂﹁いかなる程度に﹂の問への回答も叙上の展開の中で示され︑また宗教と武力の問題についても
(57)触れられている︒
第三問は︑この世の法に対する侵害の問題である︒回答の根拠は第二間と同じく第二の契約に求められるが︑それ
(58)に先立って︑国王は人民によって立てられたこと︑したがって人民は国王に優位することが述べられる︒このような
関係において国王は﹁正義と法に従って統治する﹂ことを人民に誓約して人民の服従義務を調達するのである︒では
そこにおいてなされた﹁正義と法に従って統治する﹂という約束の具体的内容は何か︒著者は言う︒国王は即位の際
に︑伝統的法に対する忠誠を誓った︒新法の定立に際しては人民を代表する機関の同意.承認が必要である︒法の変
(261)
87
(59)改や臣民の生命.財産に対する侵害措置は国王の自由になしうることではない︒統治の目的は人民の生命と財産の安
(60)(61)全にある︒国王と人民との関係を主人と奴隷との関係の如く理解してはならない︒このように述べた後︑王とティラ
ンの区分論が展開される︒王国を相続もしくは選挙によって正当に得︑公共の利益を促進し︑法に従って統治する者
が王であり︑ティランとはその反対物で・統治の本来の目的を忘れ・自分自身の利益と快楽を追求する者で臥罷︒テ
ィランは﹁暴力もしくは詐欺によって権力を手に入れた者﹂と﹁相続もしくは選挙によって正当に位に即いたが︑衡
平と正義に反する仕方で統治し︑彼が厳粛に遵守を誓った法や協定を無視する者﹂とに分けら諏甜︒このようなティ
ラソの二分法は中世以来の伝統的ティラン論を継承するものであるが︑著者の特色の一つはそれを契約理論によって
説明するところにある︒国王の統治権の基礎は契約にあり︑その行使は契約によって制限されている︒契約のないと
ころ正当な統治権は存在せず︑また︑契約によってひとたびは正当に成立した権力といえども︑その契約上の制限を
越︑兄て行使すれぽ正当な権利行使とはいえない︒前者が資格なきティラン(¢窮自口ω帥げ︒︒ρ器茸巳o)であり︑後者が行
使におけるティラソ(な鑓口づ塁ρロ8血①メ霞o算一¢βもしくは蔓轟ロコロω①メ巽o一畝o)である︒資格なきティラソに対しては
私人をも含めた万人に抵抗権が認められる(ただし︑人民の代表者が国王の地位と資格とを承認し服従を約束した後にはこの
(64)権利は消滅する)が︑行使におけるテイラソに対しては︑王より下位の施政官が王に対する統治上の連帯責任から抵抗
義務を有し︑人民を代表する機関︑具体的には三部会のような全身分会議が服従義務の解除︑王の解任︑能動的抵抗
を 決 定 す る 権 限 を 有 為 ・ 毒 地 方 の 護 官 は そ の 統 治 す る 領 域 を テ ィ ラ ソ か ら 防 衛 す る 霧 を 舞 ・ こ の 場 合 私
人は正当な抵抗権の主体の指示に従い・正当な権利主体が行為しないときには忍従か逃亡のみが許さ払麗・
ところで︑著者のティラソ論のもう一つの特色は行使におけるティランを資格なきティランよりも悪いと考えてい
る点にある︒﹁暴力で占有された王国が正しく統治され︑適法に伝えられた王国が不正に統治されることはときどき
(262) 88
起こる︒しかし︑王国では遣産よりも正義が︑所有権よりも行為が重要であるから・その職務を悪しく行なう支配者
は︑その職務を適正にまかされてはいない支配者よりもティランというにふさわ論)・L行使におけるティランの暴
虐はその資格の正当性によって埋め合わされるものではないが︑最初の侵入の際の7亥は正しい統治の持続によ
ってつぐなわれる︒そして行使におけるティランの暴虐は熱病のように広まるからその最初に防止しないと後になっ
てからの治療.救済は容易なことではないとして︑指導的立場にいる人々に監視を怠らないようよびか鴇・
第四の問は︑国際法の領纏属し︑本稿の課題と直接の関連を有しないので内容の紹介は省略するが・ただ・宗教
を口実とする他国への干渉.侵略戦争をすら肯認する本書の回答は︑既存の政治社会の単位を信仰によって破壊する
道に通ずるものであることに注目する必要があろう︒
立憲主義の古典的伝統 ⇔
以上ユグノーのモナル・マキの抵抗権を概観した今︑その特色を鐘すれぽ︑笙に・それらは宗教的情熱の書で
あり︑したがっ三方的に﹁真理は我にあり﹂とする立場に基づいて異端迫害をも肯定する点で・公共善を中心観念
とする旧来の政治社会観︑それに適ム・的なティラニィー抵抗権論とは相容れぬ要素を含んでいるといえる・第二に・し
かしそれにも拘わらず︑理論内容において王とティランの区分︑ティランの二分法覧られるように伝統の継承が見
麟 捧 縫 ボ鴫 韓 灘 萌b 羅 蕪 饗 毯 蠕 鶴 耀 嘱 姥顕 鞍 .縫 矯 準
篶 鵠 彗 縫 鯵 驚 趣磐 嫡舞 論罐 鍵 錘 鍵 舞 協 争す る中 か 鰯
89
第二節ボダソの﹁王ーティラソ﹂論
ボダソ密きじdo象昌(一五二九もしくは一五三〇〜一五九六)の政治思想についてみるに︑その主著﹃国家論いo×ω冒
冒Φ.︒量g.男曾葺露(蓋七六)冒頭の﹁国家とは・主権を伴った・多くの家族とそれらの間の共通の事柄
の正しい統治である﹂という国家についての定義はきわめて重要な意義をもっている︒ここには︑﹁主権﹂概念に見 お られる新しい要素と﹁正しい統治﹂概念に見られる伝統的思考とが混在している︒この両者のどちらに重きを置いて 解釈するか・換言すれぽボダソのいわゆる主権制限論をどのように評価するかがボダソ解釈の分岐点をなすであろ
う︒一例を挙げれぽ・K・フォアレンダーは﹁ボダソの理想は祖国フランスに存在しているような正統な選挙王政な
いし世襲王政なのであり︑それが神の法および自然法によって倫理的に拘束されたものであり﹂﹁ボダソが原理的に
求めたもの呈権的な法治国家で輪﹂という・これによれぽ︑圭権Lという新しい要素は形容詞に︑従たる地位に
格下げされ︑旧い要素が重視されているといえよう︒これに対し佐々木毅教授は︑その著﹃主権.抵抗権.寛容﹄におい
て︑二つの要素の﹁結合緊張として﹃国家払胴﹄を解釈する﹂ことを提唱しつつ︑結論としては︑ボダソの主権論の範
ーミッシュな性格は一ティランの正当化という反伝統的な姿勢﹂の中に明らかであるとして新しい要素に重きを置く︒
本稿の課題にとっては︑新旧二つの要素が﹃国家論﹄において相互のからみ合いの中でいかなる地位を与えられ︑
いかなる意味で伝統が変容を蒙ったのか︑あるいは伝統が保持されているとい︑兄るのかが明らかにされなけれぽなら り ない︒以下では佐々木教授の研究によりつつ︑本稿と関連する限りで﹃国家論﹄を見ることにしよう︒
ボダソの国家論の出発点は︑夫と妻︑父と子︑主人と召使︑主人と奴隷の四種の人間の関係から成る複合的支配服
従関係としての﹁家﹂である︒そして︑この﹁家﹂は前記した国家の定義に見られるように国家の主要な構成単位で
あると共に・国家の似姿でもある︒すなわち︑主権は家父長権の︑国家の統治は﹁家﹂の統治のアナロジーで説明さ
(264) 90
立憲主義の古典的伝統 ⇔
れる︒﹁家﹂と国家との相違は︑前者が私的な︑特殊なことがらを任務とし︑後者が公的な︑共通なことがらを任務
爵 る 占 州 に 求 め ら れ る ︒ 私 的 鐘 の 対 象 は 目 六 体 的 に 豪 肇 あ り ︑ 公 的 統 治 は 各 豪 L に 蓋 の 家 産 の 保 存 富 的 と
する︒.あようなボダンの理論は︑アリストテレスにおいて見られた蒙Lの領域と﹁公共﹂の領域・家政と政治と
の原理的区別を相対化するものである︒
国家における支配服従関係の成立については︑ボダンは﹁家﹂相互間の争いに発する武力抗争に根拠を求め・この
抗争の勝利者が主権者︑従者が自由な臣民︑敗者が奴隷となるとする︒こうして彼は一方で﹁法的基礎とは無縁な
鳥o仲螢︒件︒な力﹂を主権の源泉とする伝統否認的立場に立ちながらも︑他方で実力によってかちえたこの主権者とし
て の 地 位 を 伝 統 的 な 神 授 権 説 に よ っ て 正 当 化 せ ん と 試 鶉 ・
主権の成立についての実力説プラス神授権説という一見両立しえない根拠づけの併存と同様に・既成の社会秩序に
対する態度もまた二義的である︒すなわち︑ボダンは自由な市民を聖職者・貴族・平民に三区分するが・これは彼が理論の前提として特権の多寡に基づく国家構成員間の不平等を容認していたことを示す・しかし他方・この既成の社
会秩序に内在する不平等にもかかわらず︑臣民は被治壷般として定義される︒主権者対臣民という関係が他のすべ
て の 関 係 に 優 壷 ︑ 臣 民 の 有 す る 諸 畠 艮 諸 特 権 は 第 二 藷 な も の に 後 退 す る 箪 ︑ 主 薯 に 対 す る 特 権 に 萎 垂
抗は認められない︒
この主権者と臣民との分離は︑主権概念の具体化としての立法権の観念を見ると一層明らかである︒主権者の有する立法権とは﹁他人の璽︑心を得ることなく全ての人々あるいは個人に法を与える権利﹂と霧され・この定義から次のことが導かれる︒法には︑﹁全ての臣民ないし一般的事柄に関するもの﹂と諸個人・諸団体に個別に付与される特
権との二種類があるが︑両者ともに主権者の意志に基づく芳的命令である︒したがってまた・主権者の側からする
(265)
91
法 の 芳 的 改 羅 も 繕 さ れ ・ 王 権 の 中 軽 裁 判 権 か ら 立 法 権 霧 行 麓 . こ の よ う な 立 法 権 の 懇 は ︑ 選 挙 王 政 を
理想的国制と見ることに示されるような治者と被治者の原理的互換性︑治者と被治者の双方に対して拘束的な法の観
念・権力に対する法の支配の観念︑慣習法の世界︑要するにアリストテレスに発し中世まで維持されてきた政治.法
理論とは全く無縁であるという以上にむしろ敵対的・破壊的であるとすらいいうる︒そのことは︑助 =口.審議機関と
しての顧問会議・中間的権力の所有者︑臣民間の友愛を育成する諸団体のごとき伝統を体現する組織が︑主権との関 お 係においていかなる位置を与えられているかを見てもわかる︒
既成の諸関係を再編﹁成していく理論的武器としての主権概念はしかし現実の抵抗を受けざるをえない︒そこでボダ
ソは前もって・そのような主権概念批判に対応すべく主権制限論を用立日心しておいた︒したがって︑この主権制限論の
性格は複雑となり︑この曲者の取扱いは慎重を要する︒
ボダンにあっては・国家形態と統治形態とが峻別される︒国家形態は主権者の員数を基準として王政︑貴族政︑民
主政に区分されるが︑この国家形態三分法によって︑それまで権力の抑制と均衡に基づく現実的な最善政体として評
価の高かった混合政体に対する批判の理論的根拠が与えられる︒というのは︑主権者の員数を基準とすることによっ
て・数学的明晰さをもって三形態の完全な排他性が生じ︑混合政体は独自の国家形態とは認められず混合政体は主権
の帰属が決定するまでの過渡的な内乱状態に他ならないとされ︑そしてこの内乱状態こそ主権論がそもそも克服すべ
(83)きものだったからである︒
ところで・王政・貴族政・民主政の三つにそれぞれの堕落態︑ティラニィ︑寡頭政︑衆愚政が加︑兄られた六政体論
がプラトン・アリストテレス以来用いられてきたが︑ボダソは国家形態としてはこのような統治の善悪を基準とする
区分を認めない︒なぜなら︑彼は︑自由意志をもつ人間は︑現実の世界が善人と悪人とから成るように︑善悪双方へ
(266) 9z
立 憲 主 義 の古 、典的 伝統 ⇔
の可能性をはらんでおり︑主権者もまたその例にもれないと考えるからである︒そして主権論の関心が﹁強制の内容
で は な く 外 面 的 弧 制 魚 寡 乃 至 弥 懇 急 称 彫 獄 (そ の 内 容 簡 わ ず ) 菰 独 に 存 奏 ﹂ (傍 点 . か っ こ は 原 文 ) 以
上︑自由意志の無規定性に由来する主権者の統治内容の善悪は︑主権の次元における国家形態区分の基準とはなりえ
(85)ないからである︒
こうして︑統治の善悪という基準は主権論から放逐され︑﹁ティラソもまた主権者である﹂という衝撃的テーゼが
出現する︒今や︑このテーゼと﹁正しい統治﹂との関係が検討されなけれぽならない︒この関係で重要なのは︑統治
の形態を﹁正当的富αq錠§O﹂﹁主人的ω㊥一αq器霞一巴Φ﹂﹁ティラン的な鑓§置器﹂の三種類に分けるか灘である︒国家
形態としての王政.貴族政・民主政はそれぞれにこの三種の統治形態をもちうるので組み合せの結果︑合計九つの統
治形態が可能となる︒このうち︑﹁正当的﹂と﹁ティラソ的﹂を冠する六形態は伝統的政体論に見られたところであ
り︑ボダンの統治形態論の特異性は﹁主人的﹂統治形態にある︒そしてこの﹁主人的﹂統治形態は︑他の二つを分つ
基準が自然法であるのに対し︑一つだけ武力・戦争という成因から導かれており︑仮に自然法によって分類するなら
ば﹁ティラン的﹂と同視されるので︑統治形態としては独自性をもちえず︑結局﹁主権と統治との媒介概念﹂にすぎ
(87)ない◎
こうして﹁正当的﹂と﹁ティラン的﹂の伝統的な区分が問題となる︒では﹁正当的﹂統治と﹁ティラン的﹂統治の
区分は何に求められるか︒﹁正当的王政﹂と﹁ティラン的王政﹂の区分についてボダソの言うところを見よう︒
﹁王とティラソとの最も重要な相違は次のような点に求められる︒王が自然法に適合するのに対してティランはそ
れを足下に踏みにじり︑前者が敬震・正義・誠実を維持するのに対して後者は神・誠実・法を無視し︑前者が公益
と臣民の保護と紅とって有益であると考える事柄を全て実行するのに対して後者は個人的利益や復讐・快楽のみを
(267)
93
追求し︑前者が可能な限りの手段を用いて臣民を富裕とするのに対して後者は自己の宮殿の建設によって臣民を破
滅させる︒また前者が公共に対する加害行為に復讐し自らに加えられた不正を赦すのに対して︑後者は自らに加︑兄
られた不正に対しては残酷に復讐し他人に対して加えられた不正は容赦する︒⁝⁝前者は他人が自由に助言し︑失
敗した場合に賢明な批判が加えられるのを歓迎するのに対して︑後者は不承不承でなければ偉人や自由人・有徳な
人間と接しない︒前者が臣民の平和と統一との維持に努力するのに対して後者は一方によって他方を破壊させ︑臣
民の財産没収によって富むことを欲して臣民間の分裂を常に策す︒前者が臣民と接するのを喜びとするのに対して
後者はあたかも敵に対する如く臣民を避ける︒⁝⁝前者がその課税を公益のために必要な限りにおいてのみ︑しか
も可能な限り少なくするのに対して︑後者は臣民を弱体化するために臣民の血を吸い︑肉を食い︑骨髄を絞り取
(88)る︒⁝⁝前者が安定した平和と静穏とを楽しむのに対して後者は無限の恐怖にさいなまれる︒﹂
ここに表現されている諸々の差異︑それらは自然法と神への畏怖︑公共善とに要約されるであろう︒そしてこれこ
そ主権を制限するものなのである︒
そこでまず﹁正当的王政﹂と﹁ティラン的王政﹂とを分つ基準であり︑主権を制限するものでもある自然法と神は
具体的にはどのように現われるかを見よう︒﹁契約は守らるべし﹂という自然法命題は主権者にも妥当する︒しかし︑
ボダソの主権論からすれぽ︑主権者の契約遵守義務は内政上は概念矛盾である︒主権者を拘束する契約の問題は具体
的には即位の宣誓に際しての契約︑すなわち既存の諸法の遵守の約束の問題である︒彼はこの問題に対して︑第一
に︑主権者が行なう宣誓の相手方は自己の権力の源泉である神であって︑けっして臣民ではない︒したがってフラソ
ス王は臣民に対して既存の諸法の遵守を約束することはしてこなかった︑契約は存在しなかったとする逃げ道を用意
する︒しかし︑この方策は即位宣誓が支配服従契約と伝統的に理解されてきたことに対する真の克服法とはいえず︑
C2ss) 94
立憲主義の古典的伝統 ⇔
別の解決法が要求される︒その解決法とは︑宣誓のうちに相互性塞つく臣民との契約が含まれていることを前提と
して︑契約内容を限定することであった︒すなわち契約はその成立時において不正なものであってはならず・また﹁正当かつ理性にかなった貯の件ΦΦ梓H鋤δo轟鑓o﹂ものでなけれぽならない︒契約内容が事態の推移によって合理性という基礎を失った場合には︑主権者の側の一方的解除権が承認されるというものであった︒このことは﹁理性墨尻8﹂
の解釈権が主権者に留保されていることを意味するだけでなく︑慣習法を含む既存の諸法や臣民の諸権利からの主権
者 の 解 放 ︑ 主 権 を 減 殺 す る も の の 排 除 を も 意 味 し ︑ 前 述 の 主 薯 の 芳 的 法 定 立 権 と も 調 襲 砲 ・ こ の 立 法 権 は ま た
その立法内容において自然法および神の法に拘束されるが︑自然法解釈権は臣民には認められず主権者にのみ帰属す
る結果︑臣民の自然法を根拠とする国法に対する抵抗は排除される︒
﹁全ての主権者の支配者である神の法に王の法が明らかに違反しない場合に︑神がわれわれに対する支配権を授与
した人間の法に服従することは神の法.自然法であ葡﹂
こうして︑王とティランとを区別する基準としての自然法・神の法は大幅に主権によってその実体的内容を奪わ
れ︑主権を制限するものというよりもむしろ臣民の主権への服従の根拠とされる︒また王とティランを区別する基準
の実体喪失はティラン︑特に権利濫用によるティランの極小化につながる︒
次に︑同じく主権を制限するものとしてあげられる公共善︑王国基本法のごとき伝統的な所与の国制を見よう︒公
共善については私有財産としての家産の保持は臣民の共通の利益であり︑これに対しては主権の丙容たる課税権も
正当な理由なく︑かつ臣民の同意なくしては踏みこみえないとさ麓・また王国葉法の導において主権論との異
質性が顕著となる︒というのは︑王国の主権者たる地位やその樹立に関する法としての王国基本法は主権者を王国の
﹁最高の﹂ではあるが︑一人の官職保有者に格下げすることになり︑主権論に見られる国家イコール主権の論理は貫
Czss)
95
ヘヘへ
か れ え な い こ と に な る か ら で あ る ︒ 一 盤 ︑ 主 権 制 限 論 は 絶 対 的 奎 権 を 制 限 す る と い う 矛 庭 満 ち 鏡 の で あ る
が・この最後の点にこそ主権論と伝統的な理想政体論との無媒介的結合が最も明白に見てとれるのである︒
以上主権を制限するものとして︑神の法︑自然法(﹁自然的公正﹂﹁自然的正義﹂)︑私有財産︑王国基本法の遵守を見
たが・これによって﹁正当的王政﹂と﹁ティラソ的王政﹂︑伝統的政体論の範疇で曽口︑兄ば王とティランとが区分され
る︒そしてさらにティランはバルトールス以来の慣用にしたがって﹁資格の欠如に基づくティラソ畠﹃9︒昌pロωΦ区儀Φ,
hoo嘗け詳巳ごと﹁支配方法に基づくティラン曙鑓昌壼︒︒①諸冨腎ΦΦ醤①﹁o騨自﹂とに二分される︒ボダンは前者すなわ
ち 肇 者 に 対 し て は 古 代 ず シ ア 以 来 の 暴 君 放 伐 論 を 継 承 為 ︒ し か し 後 謹 対 す る ボ ダ ン の 立 論 こ そ 主 権 論 と の 関
連 お よ び 先 行 す る モ ナ ル ニ キ の 抵 穰 論 と の 綾 か ら し て 轟 で あ る ︒ 彼 は 後 者 ︑ 盛 わ ち コ ア イ 一フ ソ 的 L に 統 治
する主権者に対しては受動的抵抗のみを認め︑能動的抵抗はいかなるものであれ否認する︒
﹁祖国の主権者は常に神聖で不可侵たるべき神によって命じられ且つ派遣された存在である︒それ故︑彼がいかに
邪悪で残酷なティランであるとしても臣民が主権者に対して害を加・兄ることはけっして許されない︒しかし︑神法
や自然法に違反する事柄に服従せずに逃亡し︑攻撃を回避するために隠れ︑更に主権者の生命や名誉を攻撃するよ あ りも死を忍ぶことは許される︒﹂
宗教をめぐって現実の世界にひきおこされた政治的混乱の克服を課題とするボダソの主権概念はそもそも統治の善
悪を基準とする﹁支配方法に基づくティラソ﹂の存在を否定するのは当然であった︒したがって﹁ティラソもまた主
権者である﹂は﹁支配方法に基づくティランは主権者である﹂という立日心味で理解されなけれぽならず︑主権論の論理 はティラニィi抵抗権論において貫徹しているのである︒
ボダソの﹃国家論﹄を瞥見した今︑彼の﹁王iティラソ﹂論の特色を次のように言うことができょう︒第一に︑彼
(2TO) 96
は自己の先行者であるマキアヴ︑ッリとモナルニキの中間の道を探っている・すなわちマキアごッリのごとく強制による秩序のみを追い求めるのでもなく︑またモナルコマキのごとく抵抗権論によってアナーキーへの道を開くことも避けるという課題に直面して呈権を伴った正しい統治Lという彼なりの鑓策を提示した・第二に・その﹁主
権 論 は 新 し い 政 治 学 に ︑ 統 治 論 は 古 い 政 治 学 に 鹸 そ れ 対 応 し て い る ﹂ が ︑ そ れ は ﹁ テ ー ラ ン 妻 た 主 薯 で 窒
という表翠アナーキーよりティ一フニィを選択することに象徴されるごとく︑決定的薪しい政治学に力点奮かれている︒第三に︑主馨を︑芳で人民の同意や既存の法の拘束から解放し︑他方で神や自然法に義務づけることによって︑政治の世界を実力の世界と倫理の世界と雰けてしまった︒その結果︑王とティランの区分饒政治化され︑倫理の領域へ押レ︑められる.︑とになった︒鶴に︑前二者とは暴り︑現実態への顧慮から伝統的国禦理論
的整合性を無視して取りこまれている︒
立憲主義の古典的伝統 ⇔
第三節アルトゥジウスの抵抗権論
鵡削 節 で 見 た ボ ダ ン の 主 権 的 至 難 を 法 や 民 衆 の 同 意 か ら 蟹 せ ん と す る 試 み は ・ し か し な が ら ・ 当 然 に も 伝 統
的 身 分 制 的 国 制 の 側 か ら の 抵 抗 に 蓑 す る こ と に な る ︒ こ の 保 守 的 基 禁 ら の 抵 抗 を 理 論 的 に 正 当 化 し た の が 三
ネス.アルトゥジゥス喜ρ§・︒︾ぎ¢・︒陣鳳・︒二五五七⊥六三八)である︒青年期に︑信仰を同じくする都市バ←ルやジュネーブで学んだ彼は︑蓋八六年から改革派の神学者および法律家の養成を目的としたナッサゥのヘルボルン大学の法学部に在職し︑一六〇三年に嚢﹃政治学毒系的方法に従い︑聖書ならび鏡世からの実例を用いて説明された⊥(℃︒密︒餌§9︒幽瞬8禽㊦・・富帥暮︒馨居房ω婁冨︒ε惹節巳︒・ぎω冨雷)を公刊して馳・主著を公刊した翠︑彼はエムデン市の招聰に応じてその法律顧問の職に就き︑死の年までその捲とどまった・
(271)
97
というのは・彼は忠実なカルヴィニズムの徒として︑無制約の主権者たらんとするエムデン市の都市君主東フリース
ラソ密に対して︑ときには圭アルランみ支配者であったスペインのフィリッ庭世の圧政と闘い独妾かちと
ったオラソダ共和国と同盟して・工奈アソ市の自由と諸権利を守ろうとしたからである︒彼は︑独立の特権を有する
儲難 縮 纏 鑑 餐 舗 鑑 餐 灘 羅 諺 讐 鯵 諜犠 謹
携 難 窮 繍 譲 爺 畑錦 馨 欝 藻 難 暴 特に ﹁ボ ダ ソに ょ って 表現 さ
出発点は・政治学をそれまで親翼関係にあると者κられ区別されずにきた哲学.神学や法学から切り離すことに
舞 そ し て ・ 分 讐 れ 独 立 し た 政 治 学 は ﹁ 社 会 的 団 体 や 社 会 生 活 を A ・ 晶 罐 組 織 し 維 持 す る .﹂ と ﹂ ξ い て の 考
察言的と為から・その対象は人間の何らかの社会的結食8口.︒︒暮︒)である︒ところで︑人間を社会的結A.に至
籔 勲 ボ鱗 難 羅 励雛 鶏 鯵 ボ柵 縫 鴛 際 ゐ凪 縫 毅 婦
示の契約によっ藷々の生活共同体(・・霧・・喜再昼を創設し︑もしくはそれに加入する︒契約に参加したもの
は社会生活箸用・不可欠なものの共同化を義務づけられるが︑契約によ.て成立した団体もまたそ藁約内容から
して契約参加者すなわち団体構成員全体の生活に有用なものを馨し実現するために存在する.﹂とになる︒共里︑こ
そ社会的結合の窮極目的なのである︒
さて・アル㌧ジゥ乏よれば︑社会的蓉はその直縫目的とすると.﹂うによって︑(﹄私的団体︒︒旨・︒︒︒一四嵩︒
(ω暑夏8嘗く器Lと﹁公的団体§ω§g(量け薗8書=︒餌﹂とに二大別される︒この分類に︑ アルト
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