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ド イ ッ 刑 訴 に お け る 直 接 主 義 と 伝 聞 証 人

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(1)え. が. き. ドイッ刑訴における直接主義と伝聞証人. ま. 田. 一. 郎. ︵一︶. 証拠排斥の法理に根拠するものと解する考え方︑その間に理論的架橋を試みようとする考え方等︑見解が多岐にわか. るが︑その基本的性格については︑これを理論的に大陸法に由釆する直接主義の実現と解する考え方︑英米法の伝聞. わが国の刑事訴訟法第三二〇条以下に規定されているいわゆる伝聞法則は歴史的には英米証拠法に倣ったものであ. 内. れている︒私は︑この問題に近づく第一歩として︑先ず︑本稿において︑ドイツにおける直接主義とは何か︑直接主. 鴨. 良弼︑伝聞法則と直接主義︑ジュリスト三〇〇号記念特集︵昭和三九年︶三五〇頁参照︒. 義と伝聞証人との関係がいかに考えられているかを尋ねてみたいと考える︒ ︵一︶. 革. ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人. 一︵一九五︶. フランス革命以後︑ドイツでも合理的思惟の成果として︑ 数々の訴訟上の改革が試みられてきた︒すなわち︑ 糺問. 沿.

(2) 論. 説︵内田︶. 二︵一九六︶. 訴訟はその秘密にして書面にもとづく手続を含めて排除され︑公開主義︑旦顕主義︑直接主義の原則が確立された︒. また︑裁判官が一人で訴追者と審判者とを兼ねるというような不安定な状況は除去された︒さらに︑一定の証拠法則. に裁判官を拘束していたことも解除され︑拷間︑責め苦にさらして自白を強要する手続は最終的に廃止されることに. なった︒すなわち︑特別の官庁の提起する公訴の制度を導入し︑法定証拠法則を除去し︑これに代えて自由心証主義. の原則を確立するに至ったのである︒被疑者には弁護の可能性︑権利が与えられ︑このようにして手続は法的保障に ︵﹃︶ 囲続されることになり︑この手続において︑被疑者はその者に対して罪責の立証が要求される人となったのである︒. 右にみられるように︑直接主義も口頭主義と密接に関連しつついわゆる改革された刑事訴訟において確立された一. つの原則であるが︑ドイツ普通法上の糺問訴訟にあっても︑糺問者は被疑者︑証人︑鑑定人とある種の関係に立ち︑. それは弁解︑抗弁︑意思表示︑間および答︑換言すれば︑口頭弁論に通じるものであり︑この関係において︑同時に ︵二︶. また︑提出される人的︑物的証拠方法のすべてから︑さらに︑被疑者自身からも︑糺問者は﹁直接的な﹂感覚的印象 を受けとることのできるものであった︒. しかしながら︑普通法上の糺間訴訟の歴史的発展の結果として︑一切の重要な刑事事件においては︑糺問判事自ら. 一件書類は決定的な重. 判決を下すことなく︑判定官庁︵oう99需霧慈匿ρ冒蕾審蔦諄巳籏審PUき山霧ぎ嘆︶が判決を決めなければならな. くなり︑これを決めることは判定官庁にとって一件書類を基礎としてのみ可能であったので︑. 要性をもつに至った︒すなわち︑﹁書類になき事は口頭になし﹂︵β8Ωぎ⇔①界ぎ8苗いま昌①簿旨eq巳○︶とい. うことになったのである︒さらに︑﹁董百類にある事は旦顕にあり﹂︵O琶α①簿ぎ騨9ξ窪ぴ旨旨g注o︶とも言われ.

(3) るに至った︒ところで︑言うまでもなく︑一件書類をして信頼できる方策とするために多大の努力が払われたのであ. った︒一件書類において問と答とを最も正確に観取させる﹁旬切法による尋問﹂のもつ意味は︑審理の全過程を微細. な点にわたって判定官庁の眼前にまざまざと浮び上がらせることにあった︒このようにして作成された調書をさらに. 補足するものに﹁挙動調書﹂があり︑被疑者︑証人の挙動︑態度︑語調︑顔貌が供述の判断にとって動かすことので. きない特徴を現実に示すならば直ちにこの調書から判定官庁はこれを読みとることができる仕組みになっていた︒と. ころで︑言うまでもなく︑このことの影響として︑判定官庁は尋問者の心理的支配を受けるようになり︑被疑者の運. 命が決せられる大切なところで︑一件書類の中で動きのとれなくなった︑書面の上で硬直した言葉︑それと尋間者が. 判定官庁に対して書面により表現することに熟達している形式で尋問者の受け取った印象が︑訂正不可能の︑決定的. 重要性を獲得するに至った︒判決を下す裁判官は尋問者の眼を通して物を見たにすぎない︒直接的知覚が提供できる. 一切のものは判定官庁からは失われた︒判定官庁は尋問者が重要と認めた事柄によって左右され︑尋間を受ける者︑. 見られる者に対する尋問者の側からの統覚に問題はないか︑重大な見当はずれ︑思い違いの素因を尋問者がもってい. るおそれはないか︑これをコント官ールすることができなかった︒このようにして︑書面主義︵書類主義︶と間接主. 義とは︑普通法上の糺問訴訟において︑判決獲得の際に︑憂慮すべき支配をはじめたのであった︒. 一九世紀の改革の際には︑その不確かさ︑不充分さに対する洞察は普遍的なものとなっていた︒そこで判決の獲得 ︵三︶ 自体について︑口頭主義と直接主義とが要求されるに至ったのである︒. 三︵一九七︶. もとより︑口頭による直接的判決発見ということにも短所があり︑長所がある︒今︑その短所とされる点を挙げれ ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(4) ば︑. 論. 説︵内田︶. 四︵一九八︶. ︵ロ︶書面上の記載を看過するよりも︑口頭による説明の方を一層聞. ︵ホ︶弁論の時聞が長びくとともに︑感受性と. ︵ハ︶訴訟手続材料に関する︑口頭による圧縮された論議においては印象が錯倒するおそれがある︒. ︵イ︶語られた言葉は急速に消え失せる︒. き漏しやすい︒. ︵二︶聴取された事柄を想い起こし︑消化する時間がほとんどない︒. 記憶力とは減退し︑その結果︑広範囲に及ぶ事件の場合には︑弁論材料の量の増大とともに︑聞き漏しと忘却の危険 が増大するものとされている︒. それにもかかわらず︑口頭による直接的弁論にもとづく判決発見は︑圧倒的長所を有するものとされ︑次の諸点が. ︵ロ︶裁判所は︑被告人︑証人︑. ︵ハ︶不充分な説明と供述とは質問によって直ちに. 挙げられている︒ ︵イ︶この場合︑全協力者が総てのことを聞くことが可能になる︒. 鑑定人の陳述から生き生きとした印象を受け取ることができる︒. 補足され︑疑問は除去され︑誤解は明らかにされ︑矛盾は排除され︑被疑者と証人とは相互に対質させられる︒︵二︶. ︵へ︶この方法によってのみ︑弁論の. 証拠結果について直ちに態度を決定し︑発議︑申立てを行なう最良の機会が与えられる︒ ︵ホ︶各協力者はそれぞれ の側面から弁論対象についての直接的︑徹底的論議に寄与することができる︒ ︵四︶ 公開および素人裁判官の関与が可能となる︒. これらの長所・短所を比較考量してみても︑書面主義・間接主義に対して︑口頭主義・直接主義が原則的に優って. いることは明らかであるといえよう︒近代の刑事訴訟の改革期に公開主義とあわせて口頭主義・直接主義が公判の主. 義として要求され︑実現をみたのは︑合理的思惟の成果として︑一歩を進めたものであった︒. ︵一︶誓ぎβご巽ω9暮N山亀冨舅冨薯費号ぎω暴書昌冴婁一︒ひいあ・罫.

(5) ωo﹃ヨ置鉾けoげ殴犀oヨヨ①p︷鴛Nロ目. の3嘗︒N①ωω︒&旨彗磯り↓亀一こ這墨ω﹂Q︒轟︒. お総せω●Φ認貼●. 直接主義と口頭主義. ﹁口頭主義の原則の実体は︑次の如き訴訟手続の制度である︒すなわち︑有罪判決. ドイッ刑訴における直接主義と伝聞証人. すべき総ての証人︑総ての鑑定人を自ら見聞する制度︑. ︵−︶被告人自身が自己の裁判官の面. ︵2﹀裁判官は︑その者の供述を判決の基礎と. 五︵一九九︶. ︵3︶裁判官は適正な方法であらゆる疑問を証人および鑑定. 前に出頭し︑立証に影響力を及ぼし︑また自己の弁護を行なう制度︑. のできるものであるが︑これを分析するならば四つのものになる︒すなわち︑. に影響力を及ぼすことができることである︒この原則は︑また︑それにふさわしく︑直接主義の原則と名付けること. て実施されること︑より正確に言えば︑裁判官ならびに原告および被告人が証拠の利用および提出に気を配り︑これ. 言渡の基礎となりうる一切の弁論︑従って︑弾劾︑一切の証明︑その理由付けが︑判決を下すべき裁判官自身によっ. 例えば︑ミッテルマイヤーは︑. れば︑判決裁判所は︑審理の進行中に口頭で行なわれる一切の供述について直接的印象を受け取ることができること ︵一︶ からして︑口頭主義と直接主義とは同一物と看徹されたのであるとされている︒. むしろ︑両者はほぼ同一のものとして論じられていた︒口頭弁論は 判決裁判所の面前で直接的に行なわれる︒換言す. 改革された刑事蔀訟の時代の前後における直接主義と口頭主義との関係は必ずしも明瞭に分析されてはいなかった︒. 二. 国窪ぎ一℃ω跨畦<①昌p黛窪鴇①09℃. ωo巨B置計四●㊤︒O︒ω●一Go轟騰●. ((( 四三二 ))).

(6) 論 説︵内田︶. 六︵二〇〇︶. 人に対する発問によって解消できる制度︑ ︵4︶原告および被告人またはその弁護入の口頭による演述に基づいての ︵二︶ み裁判が行なわれる制度がこれである︒このような判決を下す裁判官の面前での口頭弁論は本来の刑事手続である﹂. とし︑フックスは︑﹁不偏不党の司法および刑事手続における裁判官の判決と実体的真実との能うかぎり正確な一致. を保証するものとして︑公開主義よりも一層重要であり有意義であるのは︑口頭主義の手続︑さらに適切に述べられ. ている通り︑直接主義の手続である︒直接主義の手続という言葉で理解されるのは︑判決裁判官が被告人および証人. を自ら尋問し︑書面の記載を媒介とせず︑主張および知覚が被告人および証人の口から述べられるという方法での︑ ︵三︶. 直接︑判決裁判官の面前における︑被告人の尋問︑および不利な事実であれ有利な事実であれ或る公訴にかかに事件 における全証拠材料の提示︑である﹂としている︒. しかし︑現在では︑口頭主義と直接主義とは︑両者の間に密接な関係のあることは認めつつも︑それぞれ独立の原 則であると考えるのが一般である︒. 例えば︑ ヘンケルは︑﹁ある手続渉口頭による手続とされるのは︑その手続において書面の記載ではなく︑語られト. た言葉が有効なものとされる場合であり︑ある手続が直接的手続であるのは︑他人が伝えたことが決定的となること ︵四︶ なく︑判決裁判所が自ら知覚したことが決定的となる場合である﹂︑﹁口頭主義と直接主義とが同時に充足されるのは︑. 判決発見のため重要な供述および陳述が口頭弁論において本人によって行なわれる場合に限られる︒この要求は常に ︵五︶. 満足させられるとはかぎらない︑例えば前に尋問を受けた証人︑鑑定人または被告人を公判に召喚できない場合がこ. れである﹂とし︑ケルンは︑﹁口頭主義の意味は︑判決の基礎は口頭で提出されたものに限られる︑ということであ.

(7) ︵六︶. る︒訴訟で行なわれることは総て︑とくに被告人の尋問︑証拠調︑弁護演説は総て口頭で行なわれなけれぼならない. ー合議および表決さらに判決の言渡も同様である﹂︑﹁直接主義の意味は︑裁判官は被告人および証拠方法について. 獲得した個人的印象を基礎として判断すべきことである︵二六一条︶︒ 例えば︑受命判事または受託判事の作成した ︵七︶ 調書の朗読をもって証人の尋問に代えることは︑原則として︑許されない︵二五〇条︶︒﹂とし︑ぺーテルスは︑﹁口. 頭主義の原則︒公判において口頭で述べられ︑このようにして審訊された事柄のみを判決発見のため評価することが ︵八︶ 許される︒公判は述べられた言葉の法則の下におかれる﹂︑ ﹁直接主義の原則の意味は︑︵イ︶判決発見のため重要な. 事柄は総て︑判決裁判所の面前に直接提出されなければならないこと︵判決裁判所による立証の実施︶︑︵ロ︶判決発 ︵九︶. 見のため裁判所はできるかぎり原証拠方法を根拠とすべきことである﹂とし︑シェファーは︑﹁口頭主義︒刑訴法第. 二六一条によれば︑裁判所は弁論の総体︑すなわち公判からその確信を得るのである︒この意味は︑公判において︑訴 ︵一〇︶ 訟手続の規則に従って提出され︑論議の対象とされた訴訟材料のみを判決の基礎とすることが許されることである﹂︑. ﹁直接主義の要求するのは︑原則として被告人自身が公判において陳述すること︑証人が公判において口頭で供述す. ること︑検証が公判において裁判所により行なわれることなどである︒さらに公判に直接もたらすことが不可能であ. シュ︑・・ヅトは︑﹁口頭主義の原則は︑今. るか︑可能であっても必ず過度の困難を伴う場合︑または他の理由でそれが正当化される場合に限って︑公判外で行 ︵二︶ なわれた相当な行為に依拠することが許される︑ということである﹂とし︑. 目︑充分一般的に承認されている学説によれば︑判決の基礎は口頭で述べられた訴訟材料に限られる乙とを意味して. 七︵二〇一︶. いる︒刑事訴訟法が民事訴訟法第一二八条に相当するところの︑口頭主義を明示的に規定する条文をもたないにして ドイッ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(8) 論. 説︵内田︶. 八︵二〇二︶. も︑口頭主義の原則を承認していることは︑一連の個々の規定︑とくに﹃弁論﹄という一一豆某に力点のおかれている第. 二六〇条︑第二六四条第一項から︑明々白々に判明するのである︒そのほか︑刑事訴訟法第二六四条第一項︑第二六 ︵一二︶. 七条第二項は︑この原則が判決獲得の際に︑口頭で述べられた全訴訟材料が樹酌されることを含むものであることを. 示している﹂︑﹁直接主義の原則は︑裁判所と証拠方法との関係のみに関連する︑すなわち︑証拠方法は判決裁判官の. 直接的感覚的な知覚に親しむものであるべきであり︑これに反して口頭主義の原則は︑総ての訴訟上の表明が︑とく. にそれが判決の基礎として役立てられる場合には︑公判において口頭で行なわれなければならないという意昧におい ︵=二︶ て︑法律が全く一般的に判決裁判所の面前における訴訟上のやりとりについて規定した形式を定めるものである﹂と している︒. ︵六︶. ︵五︶. ︵四︶. ︵三︶. ︵二︶. 嬉震戸㊤.螢︒ρω9蝋ω●. 国震P曽声辱巽融ぼo霧80洋讐9︾gb●一8ρω︒岩︒. o汀錬<①ほ㊤ぼ窪胃①o算︸お凱蟄oo●いま● 頃窪犀①一いo. 国窪ぎど誓罫才①匡pぼ窪鴇①o拝り①一βO霊昌山二鉾ら蝋ρω●蕊︒. 国o誉①こo誌︾謡導3=9血︒の血①暮ω9①昌oD峠窮甘8N霧巽o︒び貫目Hこ一〇︒刈Pψ9●. ︒声ω﹄まい 窪ヰR臼鉱Φサ9①竃ぎ色一︒算①登α霧︾艮一夷①罎一昌N萱&︒○罠Q一・窪︒鼻︒一叶毯儀血霧O①ω︒ダ<○鍔Φ誌&︒算一Q. o9 ωoげヨ箆 實 曽 ● ㊤ ● ○ ● ω ・ 一 G. ︵七︶. 娼9Φ塗ω嘗㊤甘3器聲6器︾oo●葦9. ︵一︶. ︵入︶. 旧卑霞砿㌧野g●O・oq.轟. oo・. ︵九︶.

(9) ︵一〇︶. ピα霜o−閃○器昌びoお︾O﹃oω涛o簿9①昌伴9. o 隠oげB置甘勲黛ρoα.蕊ひ● なお︑. ︵二︶ビα壽肉8魯富醤勲塑.9幹湊一● ︵二︸︶ ︵一三︶ o ooげヨ箆戸勲鋭O●oQ︒一〇 ︒R●. Nい︾gb︒H.国α. 一〇ひ辞ω●一NP. 口頭主羨との関係を詳細に説いたものに︑富田山寿︑直接審理論︵京都法学会雑. 直接主義と伝聞証人. 誌五巻入号五頁以下︶がある︒. 三. 直接主義という言葉は︑学者によって必ずしも一様に理解されてはいない︒多義に用いられてきているのである︒. ﹁口頭主義と直接主義とは︑刑事訴訟において決して同一のものでないこと︑むしろ︑この場合に問題とされ. 例えば︑マースは︑﹁帝国刑事訴訟における直接主義の原則﹂︵一九〇七年︶のなかで直接主義に関する各学説を分析 して︑. ているのは訴訟を形成する二箇の独立の原則であることを明らかにしたのは︑一八八○年代以降の訴訟科学の功績で. ︵−︶ある学者は︑直接主義の原. ある︒しかしながら︑最近の刑事訴訟に関する文献において直接主義の概念規定は一致をみていない︒意見の相違は︑ 大体において︑この原則の以下の三種の公式化に還元することができるであろう︒. 則について︑裁判所と当事者および証拠方法との直接的関係を言うものであるとしている︒この見解に従えば︑裁判. 九︵二〇三︶. ︵2︶別の学者は︑上述した概念規定を狭きに失するものと考えて︑. 所が当事者と証拠方法とを見聞すること︑さらに適切に言うならば︑当事者と証拠方法とを自ら感覚的に知覚するこ とのみを直接主義の原則は要求することになる︒ ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(10) 論. 説︵内田︶. 一〇︵二〇四︶. 直接主義は右以外にさらに裁判官がその真実の認識をできるかぎり淵源そのものから直接的に獲得することをも要求. するものであるとし︑これによって︑裁判官が解明を必要とする刑法上重要な出来事に対してできるかぎり最も近接. した関係に立入ることをも直接主義の原則は要求するのである︑と述べようと欲しているのである︒︵3︶第三の見解. は︑直接主義を公判全体に決して関係づけることなく︑ただ︑証拠調の直接性についてのみ語るものであって︑概念 ︵一︶. 的にはその内容としてあるいは第一説の考え方を︑あるいは第二説の考え方を︑あるいは第一説から第二説を区別す. る基礎とされる考え方を盛り込むものである﹂とし︑べーリングは︑﹁実体判決を下すために重要な事実に関する証. 拠を今日広範に支配している思想は︑判決を下すことを職務とする裁判官は刑事事件を形成する事実に関してできる. かぎり生活に密着したところに位置を占めなければならない︑とするものであり︑立証に関する直接主義の原則がこ. れである︒この原則はー刑事訴訟法上の実定的な法の命題とどの程度まで密接な関係に立つかという問題はこれを. なお保留することにしてー三種のものを要求する︒すなわち︑︵−︶証拠は本来の証明事項に向けられるべきこと︑. ︵2︶同一の証明事項について間題となるところの︑その性質上多様な多数の証拠方法のうちから︑それを利用する ︵二﹀. ことが証明事項の解明に最も近くまで繰り出すことになるところの証拠方法を利用すべきこと︑ ︵3︶判決裁判所は 自ら証拠調を実施しなければならないことがこれである﹂としている︒. ところで︑直接主義に関する右の三種の理解のうち︑マースが第三説として挙げている主要な学説は︑クリースの ︵三︶. 見解である︒すなわち︑彼は︑﹁証明の対象とすることを許されている事柄または許されていない事柄を論者が指示. することによってのみ直接主義の原則を決定することができる﹂とするのである︒そしてこの考え方から導かれる帰.

(11) 結の一つに︑伝聞証人に対する尋問の禁止がある︒すなわち︑クリースは︑﹁刑事訴訟法は検証の客体を例外として. ︵四V. 全証拠方法に関して第一審の公判につき直接主義の原則を承認している︒これが第二四八条︑第二四九条の意味であ. る﹂︑﹁第二四九条に関しては︑帝国裁判所︵甲=ψま○鉾く目oo・8N舜︶および通説によって︑反対の見解が主. 張されている︒この見解に従えば︑媒介的書類の利用のみを禁止すべきであって︑いわゆる伝聞証人に対する尋問は. 無制限に許容されるものとする︒この場合に︑それ以下の条文の意義は完全に看過されているのである︒真の直接主. 義は刑事訴訟法第二六〇条に表現されている︑すなわち︑公判の結果に基づいてのみ裁判が行なわれることがこれで. ある︑とするディッヅェンの主張は全く不当である︒公判において︑前に作成された調書または書面による説明が朗読 ︵五︶ される場合にも︑この要件に適合することになるであろう﹂とし︑ ﹁証人が以前に行なった供述に関して裁判所職員. を尋問することは伝聞証言の典型的な場合である︒証人が当時そのように供述したという事実は︑独立の証拠価値を. もたないのであり︑このことは︑証人が現在その証言を行なったとしたら裁判所職員に対する尋問は行なわれないで. あろう︑と考えられることからも︑すでに明白である︒さらにこのことによって伝聞証人に対する尋問を禁止するこ ︵六︶ とが不必要でもなく︑不可能でもないことの証明がなされたことになるのである﹂としている︒しかし︑伝聞証人に. 対する尋問を禁止するクリースの見解はウルマンなど少数の例外を除いて︑賛同者を得られなかった︒. マースの言う第一説を採る主要な学者にビルクマイヤーがいる︒彼は︑﹁判決裁判所自身によって全裁判材料が直. 一一︵二〇五︶. 接的に感覚的に知覚されることという意昧において訴訟手続に関する直接主義を語るのが正当であると考えられる︒ ︵七︶ 次に直接主義は弁論に関する口頭主義と証拠調に関する直接主義とに分けられる﹂︑﹁我々はいずれにせよ従来の解釈 ドイッ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(12) 論. 説︵内田︶. 一二︵二〇六︶. から逸脱した次の解釈を拒絶しなければならない︒すなわち︑裁判官は常により近接した淵源からのみ真実の認識を. 獲得し︑より遠隔の淵源からこれを獲得することは決して許されないというように証拠調に関する直接主義を解釈し. ようとする最近の傾向がこれである︒この解釈に従えば︑例えば︑第三者がその者の供述を裁判所に報告しようと欲. している当の本人の証言の代わりに︑裁判所が伝聞の証言を利用することは拒否されるであろう︒何等かの証拠方法. それ自体を利用する代わりにこの証拠方法を受け取った結果について作成したありとあらゆる調書を利用することは. 拒絶されるであろう︒言いかえれば︑これによっていわゆる証拠調に関する直接主義は︑そればかりでなく︑証拠方. 法がいかに利用されるべきかという問題についても︑決定的なものとなるであろう︒しかしながら︑この後者の間題. はなんと言っても裁判官の自由な確信の原則によって規制されるのであって︑この原則はいずれにしてもそれ自体利. 用可能な一切の証拠方法の利用を裁判官の裁量に委ねるものである︒この問題はさらに実際の必要によって規制され. るのであって︑数多くの事案において︑実際の必要上︑より近接した証拠方法の代わりにより遠隔の証拠方法を利用. することを裁判官はまさに要求されるのである︒終わりに︑この問題は証拠調の範囲に関する規定についての諸原則. によっても規制されるのである︒さらにこれらの観点からして︑次に︑いかなる証拠方法を利用すべきであるかとい. う問題は︑ここで論駁した意味での直接主義の原則に従って規制されるのとは全く別の方法で規制されるのである︒. しかもただこのような別の方法による規制がドイツ実定法に妥当するということ︑このことを反対意見の主張者は認. めなければならないのである︒言いかえれば︑この反対意見を不当であると宣言するための︑そして証拠調に関する. 直接主義という言葉のもとで︑もっぱら︑個々の場合に別に刑事訴訟について有効な諸規則に基づいて許容されるも.

(13) ︵八︶. のと思料される一切の証拠方法が︑裁判所自身の面前で受領されるべきであるという原則を理解するための諸根拠は. 充分に存在するのである﹂と説いている︒ピルクマイヤーのように︑直接主義の意味を判決裁判所自身によって全裁. 判材料が直接的に感覚的に知覚されることと解することは︑直接主義の沿革にそった考え方であるが︑この立場から. は︑右にみられる通り︑伝聞証人に対する尋問を禁止する根拠はなく︑当然にこれを無制限に許容することになるの である︒. さらに︑マースが第二説とする見解を採るのは︑べーリングである︒すなわち︑彼は︑﹁すべて人間の認識活動は︑. 探究する者自身が︑親しく認識の客体たる事実に近づけば近づくほど信頼性が高まるのを常とする︒それ故︑裁判所. ︵−︶主観的な点. も事実関係の認定にあたっては解明を要する事実に可能なかぎり最も密接な︑最も直接的な関係に位置しなければな. らないのである︒従って︑乙のようないわゆる直接主義の原則は︑これを完全に実施するならば︑. においては︑裁判所は代理人︑例えば受託判事または受命判事もしくはそれどころか裁判所書記の耳目を介してでは. ︵イ︶裁判所が自己. なく︑自ら裁判の基礎となるべき一切のものを知覚することを要求する︒さらに︑直接主義の原則は︑客観的な点に. おいて︑裁判所は︑可能な場合には総ての事実をその淵源自体から獲得することを前提とする︒. の感覚的知覚によって事実を解明することができる場合には︑裁判所は事実に関する人の報告で満足してはならない︒. 検証は物の形状に関する証人尋問に優先する︒同じ程度に︑設権証券︵手形︑売買証書など︶は裁判所自身によって. 利用されなければならないのであって︑文書の内容に関して例えば振出人に対してする尋問は間接証拠であると考え. =二︵二〇七︶. られる︒このことから分かるように︑直接主義の原則が全面的に訴訟における文書の利用に反対するという意見は全 ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(14) 論. 説︵内田︶. く不当であると考 え ら れ る ︒. 一四︵二〇八︶. ︵p︶裁判所が事実の認定に関して人の報告を頼りとする場合には︑認定すべき事実と. 最も信頼できる関係にある人の報告に立ち戻るべきである︒従って︑行為と知覚とに関してはその者の行為または知. 覚が問題となっている当の本人を原則として尋問すべきであって︑他人の説明に基づいて問題の事実を知っているに. ︵二︶ある事実が直接証拠の方法で認定される場合. すぎない者のみでは足りない︒すなわち︑伝聞の証人では充分ではないのである︒ ︵ハ︶ある人の陳述が問題となる. 場合には︑書面による報告すなわち報告文書では充分ではない︒. には︑裁判所は情況証拠で満足してはならないのである︒言うまでもなく︑直接主義の原則の意味は︑ただ︑間接的. 事実認定が直接的事実認定を押しのけることがあってはならないということである︒しかし具体的な場合においては. 事実に最も近接した証拠方法が充分でないと認められまたは信用し難いと認められるという理由で︑双方が並存して. 申請されまたは必要とされることも充分ありうることである︵例えば︑その者の行為が問題となっている証人がその ︵九︶ 行為の当時酩酊していた︑または彼の信用性に疑念がある︶﹂︑ ﹁事実を直接に受け取ることが事実上不可能な場合に. 裁判所が間接的に得た認識で満足するとき︑確かに直接主義の原則は破開されることにはならないのである︒何故な. ら︑このような場合には間接的な認定による直接的な認定の排除が問題となっているのではなく︑むしろ︑やむを得. ない代役︑間隙の充填が問題となっているにすぎな︑いからである︒このような場合に裁判官が間接的に事実を解明す. るならば︵例えば審ω跨留㊤&一菖の供述から︶︑まさにこの裁判官は︑事情によって自己に可能であった通りの近 ︵一〇︶ さまで事実に近接したことになるのである︒すなわち︑直接主義は相対的に理解すべきものである﹂と説いている︒. べーリングの解するように︑直接主義の内容として︑主観的な側面において裁判所が自ら裁判の基礎となるべき一切.

(15) のものを知覚することを要求し︑客観的な側面において裁判所は可能な場合には総ての事実をその淵源自体から獲得. することを前提とするならば︑右に見られる通り︑その客観的な側面における帰結として︑相対的に伝聞証人に対す る尋問が制限を受けることになるのである︒. それでは︑現在︑ドイヅ刑事訴訟法のもとで︑学者はこの問題についていかに考えているであろうか︒少なくとも︑ ︵二︶ クリースのように伝聞証人に対する尋問︸般を禁止する考え方は見られないのである︒. 現行ドイッ刑事訴訟法第二五〇条は直接主義の根拠規定と解されている︒この条文において︑﹁ある事実の証拠が. ある人の知覚を基礎とするときは︑この者を公判において尋問するものとする︒前の尋問に関して作成した調書また. は書面上の説明によってこの尋問に代えることは許されない﹂ことが規定されている︒伝聞証人に対する尋問につい ての問題はこの条文との関係で論じられているのである︒. まず︑ほぼビルクマイヤーの線に沿いつつ第二五〇条は︑伝聞証人の尋問を何等制限するものでないとするものに︑. 買エーウェ・揖ーゼンベルクのコンメンタールがある︒すなわち︑﹁最も明瞭に直接主義を言い表わしているのは第. 二五〇条である︒︵幅︶直接主義の意味は︑原則として︵被告人︑共同被疑者︑証人︑鑑定人の︶公判において語られ. た言葉を要求し︑そして例外的にのみ前の表明に関する記録の朗読によってこれに代えることができるということで. ある︒これに反して︑一般的に証拠問題により近接した証拠方法はより遠隔の証拠方法に対して優先するに価いする︑. ということを直接主義の原則が意味するものではない︒例えば︑ある事実の証拠が欠席した証入の知覚を基礎とする. 一五︵二〇九︶. 場合に︑第二五〇条第二段はその者に対する尋間に関する調書の朗読を禁じてはいるが︑直接的証人が自己の知覚を ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(16) 論. 説︵内田︶. 一六︵二一〇︶. その者に伝えたところの第三者︵伝聞証入︑間接的証人︶を︑前の尋問の尋間者を含めて︑即座に尋問することを禁. じてはいない︒いかなる範囲で直接的証人が間接的証人に対して優位を占めるかということは︑従って︑直接主義の ︵一二︶. 原則からではなく︑第二四四条第二項の真実探究主義の原則から回答すべき問題である﹂とし︑また︑﹁第二五〇条. は伝聞証人の尋問を排除するものではない︵幅︶︒伝聞証人の尋問が認定すべき事実を知覚した証人の尋問と併せて行. なわれる場合には︑伝聞証人の尋問について全く疑間の余地はない︒例えばその出来事の直後に他人に対して内容的. に同じことを物語ったという事実が彼の供述を強化するのに役立つという理由でする場合︑または彼が当初他人に対. して別の主張をしたという事実から︑供述の信用性に対する疑いが生じたという理由でする場合がこれである︒さら. に︑直接に知覚した証人に対する尋問が不可能であることは︑伝聞の証人︑例えば︑街路で重傷を負った者に出会っ. て︑彼が死亡する前に彼が遭遇したことに関して彼から報告を受けた者に対する尋問を理由あるものとすることがあ. る︒直接的な所為証人︵目暮8轟⑦︶が証言拒否権または供述拒否権を用いた場合には彼がその者に対して所為的出来. 事を語ったところの者︑および特定の前提のもとに︑彼の観察した事柄について前に彼を尋問したところの者も︑彼. が直接的な所為証人から聞いた事柄に関して︑伝聞証人として︑これを尋問することができる︵麟︶︒これまでに論議. してきた事例に共通していることは︑何等かの理由から尋問されない︑または全く尋問されることのありえない直接. 的な所為証人が︑裁判所および訴訟関係人に︑それが何人であるか︑知られていることである︒このことから︑たと. え彼が弁論において供述しなくとも︑一定の範囲内で︑一般的な彼の信用性および︑それに加えて所為的出来事に関. する彼の報告と関連する彼の信用性を伝聞証人の判断から独立して再審査し︑この方法で︑伝聞証人の供述の証拠価.

(17) 値に関するかなり信頼できる判断を獲得できる可能性が生じてくる︒所為的出来事について直接的観察を行なった者. 漆誰れであるか裁判所にも訴訟関係人にも知られていない場合は特別な問題が生じてくる︒なかでも問題になるのは. 叛逆罪または国家の保護に関する事件において︑公共の福祉︑とくに国家的安全の理由から世に知られていないまた. はそれと知られてはならないところの情報提供者︵いわゆる隠れた人︶に関する知識が利用されるべき場合である︒. 原則として︑この場合にも︑別に前に論じた場合と変わりない︑すなわち︑知られないままでいる情報提供者から伝 ︵一三︶. え聞いたところの伝聞証人に対する尋問は許容される︒これは︑第二五〇条によって限定されている直接主義の原則. によって禁止されていないのである﹂と説いている︒さらに︑ショルンも︑﹁間接証人︑すなわち伝聞証人が尋問さ. れる場合︑または直接証人が︑所為について他人が自己に伝えた事をも証言する場合︑言いかえればその限度で間接. 証人の役割を演じる場合に︑このことは直接主義の原則に違反するものではなく︑また︑被告人の品位に背馳するも. のでもない︒このような尋問は第二五〇条と一致する︒何故なら︑第二五〇条はその第一段において︑ある事実の証. 拠が人の知覚を基礎とする場合に︑この者が公判で尋問されるべきことを規定し︑そして第二段において︑前の尋問. に関して作成された調書の朗読によって右の尋問に代えることを禁じているからである︒このような規制によって直. 接主義の原則は定められている︒この原則は人の知覚を基礎とする諸事実の認定について端的に証人証拠の優位を基. 礎づけるものであり︑その際に問接証人証拠と直接証人証拠とを区別してはいない︒このことの意味は︑第二五〇条. の枠内において証拠事実を自身の直接的知覚を基礎とすることなく︑伝聞によって証言するところの者に対する尋問. 一七︵二一一︶. が原則として無制限に許容されること︑そして事実審裁判官が間接的証拠を利用した場合に︑これは第二五〇条に抵 ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(18) 論. 説︵内田︶. ﹃入︵二一二︶. 触しないことである︒しかし事実審裁判官は︑間接的証人に対する尋問のみを行なった場合に自己の解明義務︵第二. 四四条第二項︶を果したことになるかどうか︑また直接的証人に立戻ることによって被告人の防禦の点で彼の法的地. 位︑それと同時に彼の品位の保護をさらに良く勘酌することになるかどうかを秤量しなければならないであろう︒所. 為に最も近接した直接的証人が得られないか︑または事実上もしくは法律上の理由からこれを尋問すること潜できな. い場合にかぎって︑事実審裁判官は右の直接的証人に対する尋問を断念することになるであろう︒しかし︑直接的証. 人が得られる場合でも︑裁判所は問接的証人に対する尋間で満足することが許されるかどうかは︑証拠調に関する直. 接主義についての規則および第二四四条第二項によって決定される︒直接的証人の供述よりも間接的証人の証言の方. が価値が少ないかどうかは︑証拠評価の問題であってその者に対する尋問の許容性とは無関係である︒しかし︑この. ような複合した全問題において︑事実審裁判官は直接主義の原則を実行に移すために常に努力しなければならないの ︵一四︶. である︒何故なら︑事実審裁判官はそうすることによって最もよく被告人に対して彼の品位の不可侵性に保護を与え ることになるからである﹂としている︒. 次に︑直接主義の原則は︑裁判所と証拠方法との関係のみにかかわるものであり︑証拠方法は判決裁判官の直接的. 感覚的な知覚に親しむものでなければならないとするものである︑とする立場から︑伝聞証人は訴訟法上許される証. 拠方法の一つである︑としながら︑伝聞証人は常に情況を証明できるにすぎない︑として︑その証拠機能の点に制限. を認めるものに︑シュ︑・・ットがいる︒すなわち︑彼は︑﹁直接主義の原則は裁判所の証拠方法の利用の仕方に関係す. る︒もし裁判所にとって原証拠方法に対する裁判所自身による感覚的知覚が可能であるならば︑これは直接的なもの.

(19) である︒これに反して裁判所と原証拠方法との間に﹃來雑物が挿入され︑これによって当該事実の知識が媒介される. ならば﹄我々は間接的証拠調にたずさわることになる︒証拠調が具体的な場合に直接的なものであるか間接的なもの. であるかは︑証明すべき事実の側から判断されなければならない︒例えば︑侮辱的発言自体の証明が問題となる場合. には︑この発言を自ら聞いた者は直接的証拠調における証人としてこれを尋間することができると考えられる︒これ. に反して︑かの直接関与した証人が自己の個人的に聞いた発言を物語ったところの人が尋問を受けるならば︑侮辱的. 発言自体の認定が間題となるかぎり︑我々は間接的証拠調にたずさわることになるであろう︒何故なら︑この場合に. は原証人と裁判所との間に伝聞証人が媒介的に挿入されるからである︒ひるがえって︑原証人がかくかくのことを彼 ︵一五︶. に物語ったという︵言うまでもなくもっぱら情況的な︶事実については︑媒介的な伝聞証人は同時に原証人でもある. のである﹂︑とし︑さらに詳述して︑﹁刑事訴訟法第二五〇条はきわめて明瞭に直接性と間接性とは︑その事実の証明. が裁判所にとって間題となる度毎に︑当該事実を顧慮して決定されることを示している︒第一段の意味する事実は知. 覚している者が自ら直接的に観察した︵聞いた︑見た︑そのほか感覚的に知覚した︶事実である︒このことは﹃直接. 関連する﹄すなわち具体的に適用される法定犯罪事実を充足する事実である必要はなく︑むしろ間接事実または補助. 事実でもよいのである︒ある交通事故について考えてみよう︒Aは乗物の衝突および二人の乗物運転者のうちの一方. の完全な交通違反の挙動ならびに衝突の結果︵器物の殿損︑身体傷害︶を目撃し︑その直後にBに対してこの出来事. を詳しく物語った︒そのほかAは最寄りの警察管区でこの出来事を勤務中の警察官Pの調書にとるために物語った︒. 一九︵一二三︶. 前提となる事実および惹起した事実一切を含めて乗物の衝突に関する証拠のみが問題となるかぎり︑Aはまさにこの ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(20) 論. 説︵内田︶. 二〇︵二︸四︶. 事実に関する証拠がその者の知覚を基礎とすると考えられるとζろの入である︒この事実に関して直接主義の原則が. 充足されるためには︑A自身が第一審公判において第二五〇条第一段により尋問を受ける必要があると考えられる︒. ところで︑第二五〇条第二段は︑Aが自己の個人的に知覚した事柄に関して紙面に記載したこと︑それのみならず警. 察官Pの調書をとるために説明したことをもってその本来の証人の供述に代えることを許さないとするかぎりで︑慎. 重な証拠禁止を設けている︒ところでこの場合︑第二五〇条第二段は二重の事柄を意味している︒すなわち︑裁判所. は衝突を形成する事実に関する間接証拠としても︑Aがかくかくのことを書面に記載しまたは調書をとるために説明. したことの直接証拠としてもこの記録を利用してはならないことを意味している︒言いかえれば衝突の事実︵交通法. 規違反︑惹起した身体傷害等に対して直接関連する事実︶に関する間接証拠︑さらにまた書面または調書で説明した. という情況としての意昧を有する事実に関する直接証拠も排除される︒すなわち法律上禁止されるのである︒これと. 同時に︑AがBに対して特定内容の叙述をなした事実に関してBを︑Aがかくかくのことを調書にとるため説明した. 事実に関してPを︑というふうにBおよびPを証人として尋間することも禁止されているのであろうか︒BおよびP. は衝突︑その原因および結果という直接関連する事実に関して何も証言することができない︒BおよびPはAからか. くかくの説明を聞いたことを供述することができるにすぎないのである︒しかしかくかくの内容のこのような説明を. 行なったという事実は説明の内容をなす事実︑すなわちここでは直接関連する衝突の事実についての情況として︑裁. 判所はこれを利用することができるのである︒そしてこの情況は例えば双方の関係乗物運転者のうちの一方の説明が. これによって一層確認されるということによって相当程度の重要性を獲得することがありうるであろう︒BおよびP.

(21) は二入の伝聞証人であると考えられる︒その供述の証拠機能の上での意義は特定の間接事実の証明ということに尽き. る︒これから衝突の事実に対する推論を引き出すことが許されるかどうか︑もし許されるとしていかなる確実性を伴. うものであるかは︑証拠の評価の問題であり︑裁判所はこの間題に取り組まなければならないのである︒しかしこの. ような情況に関する証拠機能の点で第二五〇条はBおよびPという伝聞証人の利用を禁止してはいない︒第一段も第. 二段もそのような禁止の意味で解釈することは許されないと考えられる︒BおよびPはいわゆる伝聞証人としてまさ ︵一六︶. にそのような証拠として伝聞に関してのみ供述することができるという点さえ固執するならば︑直接主義の原則は全. く損われることがないであろう﹂とし︑また︑﹁直接主義の原則は伝聞証人の尋問によって決して侵害されることは. ありえない︒伝聞証人に対する尋問との関係で侵害されるものがもしあるとすればそれは刑事訴訟法第二四四第二項. である︒すなわち︑伝聞証人は何事か︵例えば他人の説明︶を聞いたことを証言することができるだけであって︑聞. いたことが真実であることを証言することはできないことを裁判所が見誤まったときがこれである︒伝聞証人は常に. 情況のみを証明することができるのであって彼の供述は彼が証言した情況から初めて推断されなければならない事実. について直接的証拠価値をもつものではないので︑この事実を自ら観察し︑伝聞証人がその者の説明からもっぽら間 ︵一七︶. 接的知識を獲得したところの主要証人をも裁判所が尋問しない場合には例外なく右の事実は充分に解明されないこと になるのである﹂と説いている︒. さらに︑裁判官は被告人および証拠方法について獲得した個人的印象を基礎として判断すべしとするのが直接主義. 一二. ︵二一五︶. の意味であるとし︑さらにできる限り直接証人を尋問すべきことをその内容に加えて︑直接証人に対する尋問が可能 ドイッ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(22) 論. 説︵内田︶. 二二︵二一六︶. であるにもかかわらず間接証人のみを尋問するならば︑おそらく︑解明義務︵第二四四条第二項︶に違反することに. なるであろう︑とする者にケルンがいる︒すなわち︑彼は︑﹁公判における証拠調について直接主義の原則が妥当す. る︒﹂ この原則の主観的側面は次の方向へ向うものである︒すなわち︑判決を下す裁判所は自ら知覚しなければな. らないとするものがこれである︒裁判所は証拠調を他人に委ねてはならない︒言いかえれば裁判所は原則として受命. 判事または受託判事に証拠調を委ねてはならない︒証拠建築は公判そのものにおいて完全に新しく構築されなければ. ならないのである︒特定の全く例外の場合に限って︑公判それと同時に判決にとって決定的な証拠調を︑指定した判. 事に委ねることが許されるのである︵委託証拠調︶︒︵嚇︶この原則の反面は次の方向に向う︒裁判所は事実を淵源その. ものから獲得しなければならない︑とするのがこれである︒︵麟︶皿 さらにまたこの原則が意味するものとすること. ができるのは︑できるかぎり直接証人︵審毘ω留証鍔︶を尋問すべきことである︒直接証人を尋問することも可能で. あると認められるにもかかわらず間接証人︵審畳ω号窪象言︶のみが尋問されるならば︑第二五〇条には抵触しな ︵一八︶ いにしても︑ときによって︑解明義務︵第二四四条第二項︶に抵触するであろう﹂としている︒同様の線に沿って︑. 直接主義の原則は所為に最も近接した証拠方法を利用すること︑裁判機関による立証の実施︑の二つのことを意味す. る︑とし︑直接証人が欠けている場合︑原証人と伝聞証人とが双方とも存在する場合に伝聞証人を尋問することがで. きるとする者にぺーテルスがいる︒すなわち︑彼は︑﹁少なからず︑第二五〇条から原証人の代わりに伝聞証人を尋. 問することの不許容を引き出す学者がいる︒しかし︑第二五〇条は︑ある事実の証拠がある人の知覚を基礎とする場. 合に本人を公判で尋間すべきことを意味しているにすぎない︒重点は﹃尋問する﹄という言葉におかれているのであ.

(23) る︒第二段から分かる通り︑前の尋問調書または書面による説明の朗読によって尋問に代えることは許されないので. ある︒第二五〇条で間題となるのはただ証人の知識の利用の仕方であって︑証人が尋問されるべきかどうかではない︒. 例えば行方不明または死亡のため直接証人がいないならば︑伝聞証人は最も近接した証人の役割へ昇進する︒双方の ︵一九︶ 証人が現存するならば︑伝聞証人も原証人もこれを尋問することができる﹂としている︒. 最後に︑弁論に関する直接主義のほかに証拠調に関する直接主義を説いて︑第二五〇条第一段を根拠として︑伝聞. 証人の尋問について制限を加える学者にヘンケルがいる︒すなわち︑彼は︑﹁証人は原則として彼が所為および行為. 者に関して彼の観察したことを証言する︑すなわち所為︵目撃︶証人がこれである︒所為に関する自己の知覚からは. 何事も述べることができないが︑他人が所為の成りゆきまたは行為者に関して自己に伝えた事柄を証言することので. きる者に対する尋問も許容される︑すなわち伝聞証人がこれである︒例えば所為証人が伝聞証人に対して自分は隠れ. た場所から謀殺の所為が実行される際に被疑者を観察したと物語ったという事実を伝聞証人が述べたとしよう︒この. 伝聞証人に対する尋問は二点で問題になる︒すなわち︑第一は伝聞自体︵所為証人が物語ったこと︶に対する直接証. 拠として︑第二は伝聞の内容︵所為証人が叙述したような謀殺の行為︶についての間接的証拠︵間接事実︶として問. 題になる︒第一の関係では伝聞証拠の引証が何等の制限にも服しないのに反して︑第二の点では︑言いかえれば供述. の内容が所為の遂行に対する間接事実として問題となるところでは︑証拠調に関する直接主義の原則が顧慮されなけ. ただ︑所為. ればならない︒このことの意味は︑その点において伝聞証人は所為証人と併せてのみ喚問することが許されるのであ. 二三︵二一七︶. って︑所為証人に代えてこれを喚問することは原則として許されないことである︵第二五〇条第一段︶︒ ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(24) ︵二〇︶. 論. 説︵内田︶. 二四︵二一入︶. 証人が死亡したか︑尋問を受ける能力がないかまたはこれを得ることができない場合に︑伝聞証人は許容されるので ある﹂と説いている︒. これを要するに︑現在︑ドイッにおいては︑第二五〇条第一段から︑直接︑証拠の許容性の問題として伝聞証人に. 対する尋問の制限をひき出す考え方は比較的少数にすぎず︑通説は伝聞証人に対する尋問を原則として許容するもの. と考えられるのである︒ただ︑証拠の機能を問題として︑もっぱら伝聞証人の証拠としての機能を状況の立証に限定. しようとする考え方︑さらに︑裁判所は真実探究のため職権による証拠調を裁判にとって重要な一切の事実および証. 拠方法に及ぼさなければならない︑と規定する第二四四条第二項の規定を根拠として︑原証人が得られるのに︑伝聞. 証人に対する尋問のみを行なった場合には︑証拠調における直接主義と関連して︑右の規定に違反する場合がありう るとする考え方がみられるにとどまるのである︒. 判決裁判所と当事者および証拠方法との関係を直接的なものとする意味での従来の直接主義に加えて︑裁判所が証. 拠調においてできるかぎり証拠を直接的に︑その淵源から獲得すべきことという意味での証拠調における直接主義が. 重視されつつあること︑証拠機能の分析に意を用いる学説があらわれていること︑が注目されるのであるが︑いずれ. なお︑直接主義に関す. も︑実体的真実発見主義︑自由心証主義︑裁判所の審理を尽くす義務を基盤として︑その上で考えられているもので あるとしてよいものと考えられるのである︒. 06鼻 ︵一︶ ヒ㊤婁URO岩β儀ψ暮Nα霞d昌旨葺巳富詩①一叶言O段閑虫9鶉霞㊤甘8器器o置毒夷一608も. る各説につき詳細に論評したものに︑富田山寿︑上掲五巻六号一頁以下がある︒.

(25) ︒馨︒冥這N︒︒︸ω﹄一凱︒ ︵二︶膨①一ぎαq﹂︾︒暮︒ ・9⑦¢菊︒一号器ヰ㊤甘同o器︒. ︵三︶辱一8u器淳一鼠℃ユR毎旨ヰ︒一富詩鼻ぎ望藷ぎ⑦瀞日①昌α霞3暮む・昌撃淳g裟霞身琶㎝︒pぎ塁叶≦ふ臣こ. クリースは︑﹁実務の示すところによればそのような証人がかなり用いら. 〇〇ρ9睾8 国二Φ即ピΦげ吾goげα霧q①自ひ8げ①昌ω鉾a鴇oN霧巽8げ富℃一〇. oい 一〇〇〇〇9ω.Oo. ︵四︶. これにすぐ続けて︑. ︵五︶ 国は$一鉾穿○●ψ⇔ミリ乞●一︒. ︵六︶ 民は霧︸勲欝ρω●鴇S. れていることからして︑不必要ではない︒不可能でないとする点に関して言うならば︑その尋問が媒介の目的でのみ役立てら. れるのか︑聞いたという事実を証言することが独立の意味を持つものであるか直ちに明白にはならないので概念決定がしばし. ば困難に陥ることは直ちに承認されるであろう﹂としている︵国比$ 欝曾ρ9零o︒︶︒ このクリースの見解に従うものに︑. ウルマンがいる︒彼も直接主義の内容から︑伝聞証言の禁止を導いているのである︒すなわち︑﹁公判の証拠調に関する直接. 主義は︑現代の刑事訴訟手続に関する原理的基礎の上で︑刑事事件の実体に即した裁判のため法的に重要な決定的な事実の認. 識についてきわめて本質的な関係をもっている︒これに応じて刑事訴訟法は関係諸規定を通じて個々の訴訟において意のまま. になる認識の淵源を直接利用することを確保しようとしているのである︒その利用が手続において事実上もっとも間題となる. 人的証拠方法に関して︑公判のために意のままになる報告者が公判に先行する段階ですでに尋問を受けることがあり︑以後尋. 問調書が間接的な認識の源泉として同時に意のままになるという事情を顧みて︑現行法は︑ある事実の証拠がある人の知覚を. 基礎とするときは何時でも本人を公判において尋問すぺしとする原則に到達した︒刑事訴訟法は︵第二四九条第一段におい. て︶人的証拠に関してこの原則を強調し︑そしてこのことから︵第二段において︶前の尋問に関して作成した調書または書面. 二五︵一二九︶. による説明によって尋問に代えることを許さないとする結論をひきだしたのである︒しかし︑これによって直接主義の原則の. ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(26) 論 説︵内田︶. 二六︵二二〇︶. 諸帰結が人的証拠に関して網羅されてはいない︒何故なら第二四九条で強調された直接主義の原則は確かに現存する尋問調書. の朗読による︑人の知覚の対象を形成したところの当該事実の認識の媒介を禁止しているのみならず︑別の性質の一切の媒介. をも禁止しているからである︒従って第二四九条によれば伝聞証言も禁止されているものと考えるぺきである︒1法律が. ︵論議すべき例外を除いて︶ある官庁ないしある公務員の作成した調書の朗読さえも認識方法として許容していないことを秤. 量するならば︑なおさらこのことが言えるのである︒刑事訴訟法第二四九条はまさに原則として裁判官の認識の媒介を禁じて. いるのである︒ところで︑伝聞証言は疑いもなくそのような媒介であって︑それ故その禁止は自ら明らかになる︒今︑法律が. 第二四九条で尋問調書の朗読の禁止に限定するならば︑経験上︑訴訟で最も多く用いられるところの他人の知覚した事柄に関. する認識の媒介物を問題とすれば明らかに充分であったと考えられることから︑その不充分なことは明らかである︒そのため. の機縁はいくらもあったのである︒何故なら尋問調書は官の権威をもって作成された公の書類であり︑これは事件と取組む官. 庁によって当該事実の確認を目的として公共の信用︵℃諸巨一8ゆ山$︶を得て作成したものだからである︒さらに︑第二四九条. で直接主義の原理を強調していることは︑同時に一件書類を基礎とする裁判官の認識を指示する昔の手続と現代の手続との対. この対比が確信をもって前景におかれるべき近代刑事訴訟立. 比を強調することを意味する︒それ故︑尋問調書の朗読を明示的に禁止することを通してこの対比の最も著しい特徴をひとき わ明白に表現することは尤もなことであった︒第二四九条は︑. 法の法律箇所なのである︒もともと︑ある法発展の段階において︑すなわち︑口頭主義︑直接主義を基礎とする改革された刑. 事手続が一般人の法的確信︑とくに裁判官の実務において親しまれ︑昔の手続の伝統が現行法に対する隠然たる影響力をも含. めて克服された段階において︑自明であると考えられるがために︑第二四九条の内容を含めて︑ある法律箇所が全くなくて済. まされるということは常に考えられることである﹂としている︵d一一日きP目①ビび8げαΦωα雲富9窪誓蚕甘8器器お9葺. ︒Oい︾幹鳶N塑︶︒なお︑力胃リナ法典︵一五三二年︶第六五条では︑証人は証人自身が自ら真に知っていることを︑その知識 一〇.

(27) の基礎となっている原因をも含めて述ぺるべきであって︑他人から聞いたことを述べるならば︑これは充分なものと考えるべ. きでない旨が規定されている︵<αq一みU一〇b①ぎぎげoO霞8耳8&昌賃ロ磯閑aω臼国霞尻<・︿o昌嶺総・げ臼騨器αp品385昌α 臼庫暮①詳︿opUH︒Oβの鼠ぐ閑㊤qげ塁oF一8ρω︒凱○︒﹀︒ o℃幹凱=● ︵七︶ ㊥首犀e①蜜①鮮∪①g富oゲ霧ωげ養な8N①o︒警8げ踏一〇︒Oo. 困騨犀日①︾①ぴ欝曾ρ9蟄一地. ︼Wo窪①︒ざ−一W&お一①.㊤●○●ω﹄器や. ︵八︶. ︵一〇︶. 現在︑クリースの見解をとる者がいない点について︑ω9饗5辞勲鉾O●幹一8乞●む9参照︒. ψ睾窪●. ︵二︶. 刻α毒③−幻○器暮R中欝即●○●ω﹂ω一い. 加8昌①畠①−団①一ぎ鱒冒Φ目σ蓉げα窃α窪誘oげ①昌國鉱o房あヰ鉱鷲ON①器話9貫這OO. ︵二一︶. ︵九︶. ︵一三︶. ωoげgP聾●㊤●○︒ψひ鳶. ωoげe一暮一㊤●㊤・○●ω●這象●. ﹁裁判所が原証拠方法の一身的利用を基礎として裁判を行なう限りでその証拠調. 伝聞証言の証拠機能を限定する点において︑ シュミットの見解は︑ヒッペルの見解を踏. 園α≦⑦−勾oω⑦呂霞αQいρ餌●ρω﹂Oま●. ︵一五︶. ω9旨 5 實 費 鉾 ρ ω ● お 鴇 ●. ︵一四︶. ︵一六︶. 襲するものである︒ ちなみに︑ヒッペルは︑. は直接的である︒ 例えば証人証拠は判決裁判所が自ら公判において証人を尋問し︑しかも当該法的重要性をもつ事実︑例えば. 身体傷害を︑ 個人的に知覚した証人を尋問する場合に直接的である︒これに対して間接的に獲得する場合︑すなわち︑判決裁. 判所と原証拠方法との間に爽雑物が挿入されこれによって当該事実に関する知識が媒介される場合には証拠調に関する間接主︑. 二七︵二二︸︶. 義が存在することになる︒従って︑証人に対する一身的尋問に代えて判決裁判所が証人の書面による報告または前の尋問に関. ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

(28) 論. 説︵内田︶. 二八︵二二二︶. いまや原証人が第三者にその出来事を. 三者︵伝聞証人︶が尋問を受ける場合︑この証人証拠は間接的である︒ところで︑以下の場合には︑右とは事情が異なってく. して作成した調書の朗読の方に歩みを進める場合︑また原証人が得られるのに原証人の代わりに彼がその出来事を物語った第. る︒すなわち︑原証拠方法︑例えぱ原証人が得られないで︵例えば死亡︑行方不明︶︑. 語ったという事実が情況的事実として独立の法的重要性をもつに至った場合︑または原証人の供述の信用性および正当性を判. 断するために右の情況的事実が原証人の尋問と併せて独立の徴愚的意義をもつに至った場合がこれである︒この場合︑伝聞証. 人に対する尋問は情況的事実に関する直接的証拠調となる︒これに反してそのような伝聞証人が一身的に判決裁判所の面前で. 尋問を受けることなく︑その代わりに調書が利用される場合︑または第一の伝聞証人がその出来事をさらに物語った第二の伝. 聞証人の供述が行なわれる場合には再び間接的証拠調が存在することになる︒その場合︑法的に重要な事実の証拠として媒介. 的爽雑物の挿入が多くなればなるほど︑それだけ言うまでもなく結果は不確実となるのである︒以上の説明からして分る通り︑. 証拠調の可能なかぎりの直接性は真実発見のためになるのである︒爽雑物の挿入は同時にありうる誤りの源泉の挿入を意味す. る︒前の供述に関する調書は不完全と欠陥とを包含する可能性がある︒そうでなくともそれは人格の直接的印象に代わるもの. ではない︒まずこのことは書面による報告にまさにあてはまるのである︒さらに伝聞証人が証言できることは︑彼が主観的に. 原証人の報告として了解したと信じていることにすぎない︒物的証拠方法の場合には一般にこのような媒介の危険は比較的少. ここでは人格に関する印象は問題とならないし信頼できる調査方法がしばしば可能である︒そのほかこ. の場合には原証拠の証拠調が必ずしも不可能でなく︑または努ヵと費用を惜しまなければこれを実行できる︒上に述べた考察. ない︵検証の客体︶︒. の帰結として︑法律が拘束的規定を設けていない限り公判においてできるかぎり直接的に証拠調を形成し︑媒介的方法は︑こ. ﹁原証拠方法が得られる場合に︑これに代えて伝聞証人を尋問することは. れが特別の理由から必要または疑問の余地のないものと思われる場合にかぎって用いる︑ということは良き実務の任務であ る﹂とし︑第二五〇条からする帰結の⁝つとして︑.

(29) ︒●. 二九︵二二三︶. 許容されない︒しかし︑間接事実に関する直接証拠としてはこれを許容する﹂ものとしている︵自な唱9U霞号暮の9①ω霞臥−. ω9ヨ一象一い①プ詩○導目①旨霧円①自HHこ一蜜8ψざo. ︒霞●︶ 冥ONΦωω﹂£廿oo・ωo. ︵一七︶. ︵一八︶ 国臼P欝勲ρ9一認栖 ︵一九︶ 勺9霞ρ勲勲O●oo●Nお●. ︵二〇︶ 鵠窪犀9ρ勲ρψNミ略●. ドイツ刑訴における直接主義と伝聞証人.

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