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近世初 期 日 本 図 の 作成 に つ t ) て

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(1)

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近世初 期 日 本 図 作成 t

)

越 中国 ら の 検討

深井 甚

(2 0 0 21 02 0日 受 理)

O

n T h e pr e

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a r atio n of Jap a n e s e Figu r e in a n e a rly pe rio

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of E do e r a

Exa min atio n fr o m Ettyu

Jin z o F

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K A I

E‑m ail: fu kai @ edu.toya m au.a cJ P.

: 日本 初 期日本図 江戸 幕府 絵図 越 中 、

Key w o rd s :Japa n e s e figu r e, e arly pe riod Japa n e s e figu r e, E do shogu n ate,E tt yu

は じ め に

川村 博忠 氏に よ る国絵図 研 究に と も なう 日本絵 図研 究を契機に し て, 初期 日本図 い て の研 究活 発化し た 川 村 氏, 幕府作 成官撰 日本 図に は慶長 日本図正 保 日 本 図の間, 寛 永 日本図と を明 ら , 国 会 図書 館蔵 日 本 図 (以 下, 国 会 図書 館図と表記) 寛永1 6年 改訂 日本図 あ り

., 佐賀県 立 図 書館蔵 日本図 ( 蓮池藩 鍋 島 家旧 蔵, 佐 賀県図と表記) 寛永 1 0年家 光 政権発 足 時に作成さ れ た国 土 掌 握総 仕 上 げ 的 日本図 で あ る と い う 新 見解提出

( 1 ) 川村 説に対 し て黒 田 日出男 氏 批判 や 塚

本 桂大 氏批 判が行わ れ てい る が (2) , とり,わ け 近 年は海 野 隆 氏に よ る重 要川 村 批 判が な さ(3' , 川村 氏反 論し た もの の (4) そ れ は十 分な もの と はい えず, これに対して 海 野 氏

に批 判行わ れて

るのが現 状 あ る (5) 0

こ の 連の論 争によ り, 初 期 日 本 図 い て 川 村 氏よ り明ち か にさ れ た,間 違い の

こ と が確 実 そ れ , 寛 永 期 日 本 惣 図編纂が幕 府よ り実 施さ れ た と が 正

しい こと,二 に佐賀県図は寛永1 0年の 国絵図 と広域 図材 料に して作成された幕 府 作 成 日 本 図 原 図を も と に し た図 やあ る こと,三 に国 会 図書 館図慶 長で は,寛永1 5年以降描 画さ れ た日本絵 図で あ ることで ある

当 然に こ の重要な業 績を上 げられた川 村 氏も 不十 分な点は あ る そ れ は川 村 氏場 合, こ の 国 会 図書館図原 図い て の検討十分 な か たこ とで, これ に対̀

, 海 野

原 図慶 長3

年 (19 5 8) か ら同6成立し た との見解(6) 川 村 氏こ の批 判反 論し た もの の (7) ,て い る ように専徳 川 政 権の 日本図作 成

に目て い と と, 海 野 氏批 判し た よ

,記 載 事項 検討が城 所 在 地 ぼ 限 定さ れて い る点の問 題が あ る な お, 海 野 氏

は幕 府・よ る寛 永1 5 日本 図 作 成取 組認 め る が, 結 局こ の 時に正 式な日 本 図 作 成実 現 ずに , 正 保の国絵図 日 本 図 作 成と な た こ と,

そ して こ の時応 急 処 置と し 豊 臣 期の 日本 図を 利 用 し た絵 図が作 成さ れ, これ が国 会 図 書 館 図 あ る との説さ れて い

( 8 ) .

な お,塚 本 氏や海 道 静 香 氏, 諸 種初 期

12 9

(2)

の日 本 図を図 形と記 載 内容か ら検 討して い る 塚 本 氏前 記 点か ら初 期 日本図系 統を見 だ し,

い の 松平 定 信 旧 蔵して い た南波 家 蔵 日 本 図 犀 風 系 統 図 (第3 系 統) あ り, 佐賀県 図書館図れ にま れ る と 国 会 図 書館蔵 日本 図な ど 同 系 統絵図 (第1 系 統) 島原乱 以 降に 作 成さ れ た が, 原 拠 国 絵 図不 明, 残 りの 家 光枕図 犀 風 系 (第2 系 統) 承 応 頃か ら 作成する (9) 海 道 氏, 国 会 図 書館図関 係

の あ る現存す る山本氏 蔵 日本図 犀 風 図 下 郷 氏 所 蔵 日本図な ど は か 慶長 日本図 系諸図国 会 図書 館 蔵 図 以 外 参考と し た絵図が あ る , 肥 前 国に島峡名多い の は島原よ り は文禄 慶 長

の役との関連を想 定さ せ る と指 摘て い る が (I O) ,

これ らの 図は塚本氏の分 類 で第2 系 統と さ れ る

であ り, 海 道 氏の指 摘が も し正 し け ればこれ も原 図が豊 臣 期 まで遡るこ とにな る

本 稿 , これ らの 3 系 統あ る と さ れ る図 う ち代表的な絵図を そ れ ぞ れ取り上げること にする

こ こ で は川 村 氏特に着目し た国 会 図 書館図佐 賀県 図 書館図主に して取り上 げ, 前 者 は塚本氏 う第1 系 統 図, 後 者3 系 統 図 な る2 系 統 図下 郷 氏 所 蔵 日 本 図 秋 岡 氏 旧 蔵 日本図() を対 象, こ の際3 系 統 図の南 波 氏 所 蔵 日 本 図も 緒に取り上 げて初期 日 本図作成 い て検討して み たい

検 討に当た て は, 越中の 図 形と地名を見るこ とに な る 地 名 場 合, これ まで城 所と して 記 載さ れ た地名検討と な て い た が, 海 野 氏

の 指摘に あ る よ う に (12) , 城 以 外 地 名 記 載 も 含 めて全 国に及 検 討す る余 地る し, ま た海 道 氏慶 長 日 本 図 系 諸 図誤 記 地 名か ら試 みて し か し, 全 国地 名 総 点 検は容 易で は ない こ の た め初 期 地理に変 化 た地 域を 対 象に して検 討す る が と り あ えず 有 効方 法と な る そこ で, こ の原 図 成立 を考え る 上 で重 要な 記 載を持, 筆 者居 住す る越 中 国 上げること が有 効なの で あ る 越 中は, 初 期城 下変 更, その ため の 中街 道 交 替が あ り, 初 期日本 図作 成 年 代 判 定 参 考と な る地 域であ る

も ち ろ ん, こ の国 会 図 書 館 図だ けで はな く, 佐賀 県立 図書 館 図な ど初 期日本 図も含て こ の両 国

の記 載 い て調 , こ の初 期 日 本 図

い て考えて み た

これ まで 国 会 図 書 館 図佐賀県図書 館図幕 府 撰 日本図ない し その 写と考え ら れて き た が,

の た め に越 中 い て も見てみ る必 要は あ る そ の た め幕府 提 出さ れ た国 絵 図や広域図と対 照す る必 要が あ る が, 初期 北 陸 道図を見る こと が で き な か たの で, こ こ では国絵図の検討に し たい

ま た, これキあ わ せ 国 会 図 書館図, 慶 長 日 本 図 を も と に し た と さ れて い日本分 形 図

(13 )

が本 当同 図を も とに して い る か も念 た め越中に

い て検 討してみ た な お, 初期 国絵図詳し

検 討 て い の で (1 4) , 本 稿で は そ れ を 踏ま え上 げる が, 残 存 す初期越 中 国絵 図 内 容簡 略さ れ た もが あ る な ど, 越 中

は その検 討 限 界が あ る と を き、

,

日 本総 図

検討

I , 国会図書 館蔵 日本図

国 会 図 書館蔵 日本図 (3 7 0 4 3 3セ ンチ)

, 慶 長 .( 後に寛永) 幕府 撰 日本図と さ れて き た

日 本 図代表的絵図 あ る 幕 府 よ る慶 長 日本図と さ れ た , て の国 立 上 野 図 書館に

収 蔵さ れ た大 型で美麗, 立派日本図 ,

徳 川 期 以 前日 本 図に は み ら れ ない格段す ぐ れ た姿を措い て い ること か らで あ る(' 5) し か し,

前 述の よ う に同 図は 記 載 内 容か ら寛永 後 期 作 成する見解が出さ れて い る

こ の絵図貴重な絵図だ け に現物を見 られ ない が, その写 真が 入手 可 能 あ り, これに も と づい て検 討 す こ の写 真な ど を も と に, 初 期 日本図

の越 中の図形 を次 真し た

ア に 見る よ うに , こ の日 本 図に は十 町潟 (元布 施 潟呼 称, 現 氷 見 市) 描か れ る ちの の, 越 中 最 大の潟で あ る放生津 潟が省か れ

い る重 大特 徴が あ る れは後検討す る越 中 慶 長 系 国 絵 図大き な特 徴 あ る

越 中 記 載 都 市を街 道 ご と 記 載す る と

次の よ うに記して い る

○(金 沢 一 森 山) 一 今 石 動 守 山 ‑ (能 登)

O ま ゆ き(今石動)‑ 黒 河戸 山魚 津

(3)

,

期 日 本 国

図 形

T 再 会 回 書 dr所 Jt F) 本 威

河 ウ 舟 汝 氏 所 Jt 日* 包

申オ ItPq 氏 所 Jkfl ホ 酔

飯 キ 内 閣 文庫JE rヰ中 EZ[ 固l

国イ 佐 兼 れ立 回 書 d[ 所 Jk 日本 内 ( 壬 NL文 JL)

下♯ 氏 所Jt 日♯ 可

F カ r 戸♯ 分 形 PIJ

●ー

画 ク 頼 美 文 J k Jt r越中 国 園l

13 l

(4)

境町 ‑ (越 後)

○ 守 山 富 山 O 黒 河‑ ( 高山)

絵 図 城 下 町に □記 号が記 載さ れ る が,

の越 中 ずれ も城 下 町 記 号が ない 加賀 藩城 下 町金 沢 あ り, 富山藩が成立するの は 寛 永1 6年 (1 6 3 9) で あ (‑ 6) ま た, 日本図 関係上,. 藩主の居 城す る城 下 町だ け に城 下 町 記 号 を付て い の で あ り・, 富山 富山 藩 成 立 以 前城 下 町と し て幕府認め ら れ てい て, 港 主 以外居 城す る城 下 町

付け ら れ な か

た と見と が き る こ のた め川村氏 う. 富山 藩 成 立 前寛永1 0年代状 況記し た もの と 見ること もで き る

し か し, 重 要なの は寛永 期存 在し た越 中重 要都市 あ る高岡の記 載 こ の絵図 は ない こ

であ る こ の 日 本 図で は高岡が記 載さ れずに, 代 わ りに守 山記さ れて い る 守 山か ら富山や今 石 動措か れ た街 道 筋か らする と, 絵図高岡 が ま だ建 設さ れて ない時

越 中を措い て る ことに な る 富山 城隠 居して い た前 田 利 長が慶 長1 4年 (1 6 0 9) の大火り 火 災富山を越 中本 拠 地す る と を や め,関 野

に新 城 下 町高岡同 年よ り建 設し たの で あ る(1 7) 0 そうす る と絵図は, 慶 長1 4を さ かぼる時 期 作 成 な る

守 山が城 下 町と して 建 設さ れ たの は, 天 正1 3年 (1 5 85) 秀 吉か ら前田利 長 越 中 川 西 地 域が与 え ら れ た際8) こ のと き利 長は中世 以 来重 要山 城

拠 点と し 城 下 町 建 設

を実 施 し た の で あ る (1 9) ま た, 今 石 動, 天 正 1 3年地震に よ り

木 船 城崩壌し た た め, 翌年

に建 設さ れ た城 下町で あ (2 0)

魚 津前 期 小 津と も記 載す る が(2 1' ,

世 以 来町で, 魚 津 城 こ の中 世 後 期 存 在

境町 は越 後との境 あ る町で, 古く か ら越 後 通 ずる北 陸 道こ の土地を通 要 所あ り,

境 関 所設 置 さ れ た町 あ る

富 山の 町 は 戸 山 と記 載さ れ る が, 富山 は元外 山 郷記 載さ れ た こ と も あ り(2 2) 近 世 初 期 は富 山外 山で な く, 戸 山 記 載の は単 な る誤 字, あ る は作 成さ れ た時 代 ま だ富 山

の 記 載定 着して な か たこ との表で あ る

描 写さ れ た街 道 い てみ る と, 金 沢 今 石 動 一 黒 河 一富山街 道近 世初期 北 陸 街 道 あ る

寛文初 年今 石動一高岡 小 杉 新 町 (明暦4 年町 建 設) (2 3) 一 富 山街 道北 陸 街 道 変 更さ れて いo 今 石 動 一

.守 山か ら能 登 の道 , 元 和 2 年 (1 6 1 6) に宿 役の定め が出さ れ た際に(2 4) , 北 陸 街 道な ど と と もに宿役が設 定さ れて い た越中の重 要 街 道で あ

絵図で注 目さ れ る街 道は, 黒 河から高山 た る飛 騨街道 あ る 富山か ら高山では なく, 黒 河 か ら飛 騨 街 道が措か れて い・ , 飛 騨 の物 資 運 送 ト と して岩瀬から 神 通 川を利 用 富山

い た り, 富山か ら神通 川 沿い に飛 騨 抜け る飛 騨 街 道重 要性こ の当 時大き な もの では な か

た か らで あ ろ う か

成 政 富山 城 下 建 設い こと は不 明 あ る が,越 中領 有し た , 城 下 町 建 設 た こと は柴勝 家の北 庄 建 設, 前田利 家

口建 設か ら も間 違 ない も ち ろ ん, 上 杉対 略 す る前線の 地であ た だ け に, 富山の城 郭 整 備 と も か く, 城 下 建設に い て は限 界が あ た よう

, こ の た め に慶 長1 0 利 長 よ る富山の再 逮 (2 5) 行わ れ る必 要が あ たの であ る

こ の再 建 以 降富山か ら 飛 騨 街 道は 段と重 要 た とえ ら れ

, そ れ以 前黒 河

運との関わ り重 要 た と み ら れ る すな わ ち, 中 世越 中の代表的 都 市守 護 所設け ら れ た湊 町 放 生津, こ こに は元将軍足 利 義 材 も 身(2 6) 放生津に加え, 三津 七 湊 ら れ た岩 瀬 湊も重 要で あ る が, 中 世 後 期

いて は不 明な所が多 よ く知ら れて い る よ うに寛 文 期神 通川の 流 路大き く変わ り, 東 岩 瀬が神 通川の川湊と して 発 展 寛 文 期東 岩 瀬住 民が移 転し た と さ れて い る が (2 7) , 富 山 藩 領 年 貢 役 銀 負 担 者勝 手 他 藩加 賀■

藩 領 移 転す るの も限 度が あ り, 家 持 層移 動男 移 住店 舗 利 用み と み ら れ る

寛 文7家 数は 16 3軒で あ る が (2 8) , 中 世 後 期 西 岩 瀬こ の家 数と そ う変わ ら な 規 模の湊 町で あ た と み ら れ る

中 世 後 期飛 騨 物 資, こ の 湊 町 岩 瀬だ け

(5)

で なく, 放 生津から も 送 り 出されてい たこと が予 想される 放生津か ら神通 峡 谷を経て飛騨 の物 資輸 送, 下 条川 鍛 冶川の水運 を使用, 黒 河 近 辺の河 岸 場で荷 揚 げし,黒 河 ら分 岐 する飛 騨 路を利 用す ること が可 能と な る た めである こ の点を裏付け るの に, 黒 河 中世後

,

i

真 宗 寺 院専福 寺が八 尾よ り移転 き た

と がある (2 g) こ の寺は瑞泉 寺 間名 寺と と 天 正1 3年 (15 8 5) に秀吉から 制 札を与え ら れ た有 力 寺 院 (30 ) こ の制札専福 寺 内百 姓 町 人記 載して串, 当 時 同寺は町 人 も 居 住 する

寺内形成て い と が わ か る 中 世末黒 河 は, こうし た寺 院移転て くる は ど経済 的重 要 な土 地に な て い た と み られ

さて ,

戸 山 黒 川 記 載も含め て, .以 上ら する と, 原 図やはり 近 世初期

1 4年か ら慶 長1 4年の間の越 中い て い た と み な し

2 , 佐 賀県 立 図書 館 蔵日本図

佐賀県 立 図書 館図は蓮池藩鍋島家が所 蔵 して い た蓮 地 文庫 日本図 ( 中部3 8 4×27 9セ ンチ) で あ る これ は幸い に も, 現物を拝 見さ せて いた だ き,

北 陸 地 域と そ周 辺 写 真 (写真1 参照) を撮ら せて い た だい て い る

こ の日本図街 道描写国 会 図書 館図よ り詳し く な てい る 前項 掲載イ に示し た よう,

これ も十町 潟記 載さ れて い

写 真1 佐 賀 県立 図書舘 蔵 日 本 図

主 要街 道町 名だ け を下整理 す る な お,

同 図と同 系 統の山口県 文 書館蔵 毛 利 文庫日 本 図 (中 部3 7 4 ×2 9 2 セ ンチ) (3 1) ( ) 内記 載す る

O は にう( )‑ ゆ す る き( ス ル)‑ 新 町(同)‑ 黒 川(同)‑ 戸 山< □ で

む >(富山< 同赤塗 り >) 高月(同)‑

(魚津)‑

() () [ 越 後] (同)

O 高 岡< □ で囲む > (同 赤 塗り)‑ 森 山(同)‑

水 上(氷 見)‑ [能 登])

O 黒 川(同)‑ (城 野 尾) [ 杉 原 高 山] (杉 原 高山)

O 高岡(同) ‑ 新 町(同) 石 丸(同)‑ 中野

(同)‑ 城か はな(城カ ナ) 赤尾(同) o 今ゆ す る き( ス ル キト 安 井(同)‑

(同)‑ 小俣(同) [加賀] (同)

O 戸 山(富山) 長 戸(同) [杉 原 高山] (杉 原■ 高山)

○′

戸 山(富山)‑ うれ()

こ の絵図に は高岡が措かれ, し か も富山と同様

に 口 で囲む城 下 町の 扱 が さ れ てい る 高岡が城 下 町 たの は

, 建 設さ れ た慶長1 4年か ら

城令元 和 元 年ま で で あ る(3 2)

国 会 図書 館図重 要 地 点と して記 載さ れて い た 守 山,

森山 と して 記 載さ れ て 利長 よ る富山 建 設後にも 守

,LLJに は町 人 て いた が,

高岡 建 設後 ほ と ん ど高岡 移 転し た と考え ら れ,

その後の守 山は能 登 路の宿場 町 てい た な お, 富山はこ の絵 図でも 戸 山 記 載と な て い

北 陸 街 道の今 石 動 黒 河間新 町が記 載さ れ

い る が, 新 町 (戸 出 新 町) 成 立し たの は元 和3

年の羊 (3 3) o

略し た今 石 動 ‑ 宿 光 間街道筋ある安 居 (r安 井) 元 和2 年に

さ れて い る(34) ま り, こ の点か ら す る と元 和 期下る内容と に な る

街 道 筋

る と, 北 陸街道飛 騨 路 分 岐 点 は富山は な く, こ こ でも黒 河と な て い る 高 岡 建 設 以降に富山 城破 却さ れに そ ま ま温存

さ れ, 町 人ら も あ る程 度 居 住, そ れ な り 町 と し 存 続 して (3 5) し か し,山 が城 下 町と し重 要 性再 び 帯 び く るの は寛 永1 6 富山 藩が成立 し か ら あ る こ の結 果, 富山 ら黒 河経 由し ない 飛 騨 街 道で は な く, 西か らの

道を も考 慮し た黒 河か らの ル ト が飛 騨 の交 通 路と し捉え ら れ たの で あ ろ う

以上の よ うに ,形 態す と わ れ る こ の

133

(6)

絵 図も そ記 載 内 容で は, 越 中国 会 図 書館図 り も新 しい記 載 高岡 戸 出 安 居 記 載か らすると, 元 和 以降の内容と な る し か し,

佐賀県 立 図書 館図 図 書 館 図作成 年 代 と さ れてV) る寛永1 0と は な

3 , 南波氏蔵 日 本 図 と 下郷氏 所 蔵 日本国 秋同 氏 旧蔵日 本 図

こ の個 人 所 蔵著 名絵図当 然な が ら現物と な ど き な し か し, に も 日 本

の古 地 図日本古 地 図 大成(

3 6)

に図版が収 録 さ れて い るの で これ を使 用す る

南 波氏 蔵 日本図 (5 6 ×1 2 4 ) , は し が きで記し た ように佐賀県図 書館図と同 系 統 図と さ れて

越中 図 形 の 図り を見る と, や は り十町 潟 図み が描 写さ れ, その形 佐賀県 立図 書 館 図同様であ 国 会 図 書館図と は若 干 異な る

街 道町 村地 名通 り あ る

○(金 沢, 城 所赤 色) 高岡(城 所赤 色)‑ (黒 川 無 記 載)一富山(城 所赤色□)‑ (越 後)

○(能 登)一高岡

○(黒 川 無 記 載)‑ ( 高山, 赤 色)

南波 図 高岡城 折と して 記 載さ れ て い る

こ の点, 佐賀県 立 図 書館図と や はり 対 応す る た だ街 道 筋 重 要な分 岐 点と して 黒 川位 置 れ て い る. 加賀小 松 大 聖 寺 記 載は な の で ,

こ の絵図は高岡 建 設か ら廃 城まで の慶長1 4か ら 元 和 元 年の 状 況を示す ことに な る

, 塚 本 氏2 類 型と し た 絵図

て お き た 下 郷 氏 所 蔵 日 本 図 (1 0 4 ×2 6 5 ,

) と秋岡 氏 旧 蔵 日 本 図 (5 6 ×1 2 4 , 図 オ) あ る が, こ の越 中 図 形海岸線を ギ ザ ギ ザに して る点の特 徴が あ し か し, 潟 記 載 な く, と もに これ まで取り 上げ日 本 図な る

下 郷 氏 所 蔵 日 本 図 あ る が, これに記 載さ れ た 主 要 地 名を交 通 路ご と示す と次 通りで あ る

○(尾) ‑ と山 (越 後)

○(金 沢) ‑ 黒川と 山

O 黒 川‑ (飛 騨高山)

秋 岡 氏 蔵 日 本図は街 道 筋記 載が な く, 地 名 けで あ る が, こ の地 名土 地であ る

○富山(城 所 赤口) I 黒 川 鳥 山

下 郷 図黒 川 以 西 越 中の 地 名 記 載は な

黒 川が飛 騨 分 岐 点と して 記 載さ れて い るの で

初 期の もの と な る ま た, 七 尾と金 沢 街 道 分 岐 点は国 会 図 書館図と異な り黒 川か ら と な て L, これ は国 会 図 書館図より簡略な記 載 た め と み ら れ る越中の地 名に は城 所 と して の記 号 は ない が, 富山 ろ に は大 名 名 前 が あ る 守 山 高岡 記 載が ない の で, 守 山か ら 前 田 利 長富山 慶 長 2(3 7) か ら高 岡 建 設の 同1 4状 況と な る

とこ ろ が, 加賀に は小松城 所と し 記 載さ れ

て お り, 富山 前 記 張 り紙が あ るの で , 小松 城建 設さ れ富山 藩分薄さ れ た, 三代 目藩主 利 常隠 居 寛 永1 6年 以降の状 況と な る

し か し, こ の小松記 載を よ

る と, 北 陸 街 道 沿

の 古手, 北 陸 街 道を はずして 記 載さ れて い る これ は本図 作成 際に, 原 図に対して作成 時状 況を

加え る必 要が あ り, 街 道を はずして書き加 た こと を示す もの で あ る ま り, 原 図く と も越 中と その 隣 接小 松 て い , 慶 長 2 年か ら同1 4年の 問作 成と な る

秋 岡 図高岡記 載が な く守 山さ れて い し か も 鳥 山 の 記 載 間 違い で , そ れ は原 図

に あ た地 名写し間 違 な る 加 賀に は小松 大 聖 寺城 所と して記 載さ れて

これ は下 郷 図 よ う原 図に付 記し た もの と なり, 原 図高岡 成 立 前の慶 長14年 以 前の もの と な る

図 形同じで 同 類 型に分 類さ れて い るこれ らの

同 系 統 図と さ れ る図, その原 図 成 立内 容か ら す る と慶長2 年か ら同1 4 ふ さ わ し

は し が きで触れて おい艇よ う に, 海 道 氏こ の 下 郷 図な どの 日 本 図, 肥 前 島 喚 記 載か ら す る と文 禄 慶 長 役 頃の もの と して た が, 越 中 も ほぼ 同 様 たことに な る た だ し, 囲 形

て は後国 絵 図 分 析え る点が ま だ残さ れ て い る ことに い て 予め記して お く

,

初 期 越 中 国 絵 図

日本 惣 図越 中 記 載 見て き た その

記 載が の 国 絵 図を も とに して い た か を考え る た めに, 次に現 存す る初 期 国 絵 図か ら う か が う こ

(7)

と にする

加賀 藩延 宝5 年 (1 6 77) 所 蔵

調 査し た, 国絵図存在 し た(38) .

I , 寛永1 0年 国 絵 図 控 巡 見 使 提 出 2 , 寛 永1 9年の 国絵図 控 (場 合に よ て は寛永

1 6年か ら同1 9年まで の作成)

3 , 正 保3 国絵図 伺 図

3 は 金 沢 市 立多摩 川 図書 館現存して い る が

,

1 と 2 は現 存して い ない し か し, 1 の寛永 国絵 図簡略 図と さ れ る絵図多数 現存 して い る ( 秩

田県公 文書 館 国 会 図書館 富山 県 立 図書館他)0

ま た, 2 の 図と み ら れ る絵図南 英文

さ れて い (39) こ こで は まずこ の 二 越中の国絵図対象に見 み ると に す る

1 . 寛永1 0年国絵図

川村氏により寛永1 0年図と さ れ た国絵図 写は各 所所 蔵さ れて い る こ こ では, 氏に よ り近 年 注 目さ れて いる佐竹 文庫所 蔵 日本六 十余州 国 切 絵 図 (7 5 ×9 2セ ン,

L 写真2 参照) (4 0) と同じ 原 図 写公 文書 館内 閣 文

r越中国 図

(7 3 ×9 2 ) る こ と に し, 図 形

ころで は後 者り 図をし た

写真2 佐竹 文庫所 蔵 日 本 図

日本六十余 州 国々切絵図 の 越中 図は写 真で は わ か りにく 川 を河口 に重 点を置い て詳 し く措特徴が あ り, こ の た め海 岸線が ギ ザ ギ ザ 状 態 な る 内 閣 文 庫 囲も当 然に 川 を同様に措 く もの の, これ は そ れ ほ ど ギ ザ ギ ザ と は な ら な

日本 六 十 余 州 国切絵図 の 海 岸 線を持 各 国

の 図は同 様 半 島な どの存 在か ら, これ を も とに海 岸 線図 示す る と ギ ザ ギザに な らざる を え

ない取り 上 げ下 郷氏 海岸線ギ ザ ギ ザ であるの は, 詳しい川 河口 の 表現に基く もの と み られる

こ の寛永の 国 絵 図の場 合, や は り潟と して十 町 潟を措く だ けで放 生津潟を欠い て い る 国の形 は下 郷 図て い る が, 前 記 よう下郷 図 潟が ない の で, 寛永 図関 係結び 付け ら れ な い 他方, 佐 賀 県立 図書 館図国 会 図書 館図図 形異な て い る

地名交 通路整 理し て み る < > は内閣文庫 図ある

O 恒生< 同> 記 載 欠 落< 今 石動> ‑ < 街 道 記 載な し >新 町‑ ‑黒 川< 三戸 田>

・ 山 町 < 同> ‑ 高月< 高月> ‑ 魚 津 古 城< 同> 荒 町 < 同> ‑ 堺 町 < 同> ‑ (越

)

O 高岡 古 城 < 同> ‑ 守 山 町 < 同>氷 見 町

< 水 石 町> ‑ (能 登)

O 高岡< 同>< 街道 記 載な し > 新 町 < 同

> < 街 道 記 載な し > 中野 < 同>井 波

< 同>城鼻 < 同> (赤 尾 越) O 戸 軌 ‑ 八 尾 切 詰 (切詰 越)

O < 今 石 動>安 居< 同> 福 光< 同>

(加賀 木坂 越)

O 富山 町 < 同> ‑ 小 黒 < 同> ‑ 牛ケ増

< 手> 猪谷< 同> (猪 谷 越) O 富山 町< 同>長棟< 同> (長 横 越) O 富山 町< 同>有 峰< 同> ( レイ越)

まず,所 在か ら ふ れ る と, 高岡 魚津古 城 記載で, 富山記 載さ れ て ,

城令 後絵図 あ る と は間 違 注 目さ

れ るの は, 北 陸 街 道で埴 生 今 石動黒 川間の新 町 記 載の他に, 魚 津 境間に、新 町に対 応 する荒 町 記 載ある ことで あ る こ の新 町は北 陸 街 道 面し た石由 新町村̀4 1' の こ と

.と み ら れ る ま た, 高 岡 守 山街 道 記 載も あ り, こ の南 街 道佐 賀 県図書館図に対 応す る た だ し, 飛 騨 の道 筋 は富山か らとな て お り, 佐 賀 県図 書 館 図異 な る し か し, 城 端 道 筋対 応 て い

以上 のよ うに, 寛永1 0 国 絵 図を簡 略 し た と さ れて い る こ の'絵図, 佐賀県図 書 館 図

し か し, 飛 騨 道 筋は異な て い る これ

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