(一) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
キーワード:漢字︑漢語︑漢文︑六書︑故事成語︑国語教育
【要 旨】早稲田大学教育総合研究所二〇〇八〜九年度公募研究﹁漢字・漢語・漢文に関する教育方法の検討﹂︵主任堀誠︶の活動成果の一部とし
て提出するものである︒
研究部会活動においては︑研究報告・発表のもう一方で︑ある漢字一字を四〇〇字でレポートする﹁漢字一字雜抄﹂という取り組みを行った︒それは自分自身の新たな漢字・漢語・漢文に関する意識を高め︑自らの薬籠
を創りだす試みにほかならない︒四〇〇字という字数制約のもとで︑自らの個性にしたがった内容を選択して構築するとの趣旨に沿って︑自ら七月・八月の日録形式で漢字を選んで書きまとめたものである︒
【報 告】
漢字・漢語・漢文は︑教育の現場でどのように工夫して教えられ︑どのような成果を生み出し︑かつ︑その裏にはどのような失敗や困難がひそんでいるか︒二〇〇八・九年度早稲田大学教育総合研究所公募研究﹁漢字・漢語・漢文に関する教育方法の検討﹂︵主任堀誠︶は︑かかる教育現場の現状を校種を超えてあるがまま に認識し︑その教育活動の実践体験を踏まえた成果の交流を通して︑広域的な教学の将来を展望することを企図してスタートした︒小学校・中学校・高等学校・大学の教員および大学院生・学部生によって構成された部会活動は都合十五回におよび︑毎次︑部会主任を含む二〜三名がレポートを担当した︒その一つところに知恵を出しあう時間的・空間的な営みは︑幸いにも﹁早稲田教育叢書﹂の﹃漢字・漢語・漢文の教育と指導﹄︵二〇一一年三月︑学文社刊︶として︑第Ⅰ部﹁漢字・漢語・漢文と教育を考える﹂︑第Ⅱ部﹁小学校・中学校・高等学校・大学の実践指導から﹂︑第Ⅲ部﹁中国・韓国・欧州からのレポート﹂の構成のもとにまとめることができた︒
思いかえせば︑第二次世界大戦の敗戦から六十五年目の年回りとなった二〇一〇︵平成二十二︶年︑時しも一九八一︵昭和五十六︶年の告示から二十九年ぶりに﹁常用漢字表﹂が改定された︒戦前・戦後の漢字政策の歴史的展開︑ならびに新﹃学習指導要領﹄の全面実施を控えた教学問題との関わりにおいて︑その改定の意味を問いかけるべき転換点に際会する過程で︑今日の漢字・漢語・漢文に関する教育現場の状況と教学の実践知を検証する機会を得たことは︑将来を展望する上で大いに意味のある蓄積となったと考える︒
研究部会活動では︑研究報告・発表のもう一方で︑ある漢字一
漢字一日一字抄
―漢字 ・ 漢語 ・ 漢文の窓〔七月・八月の部〕―
堀 誠
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早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (二)
字を四〇〇字でレポートする﹁漢字一字雜抄﹂という取り組みをも推進した︒それは各自が自分自身の漢字・漢語・漢文に関する意識を高め︑自家薬籠を創出するための試みにほかならなかった︒字数は少なくしぼるに如かず︒四〇〇字という字数制約のもとで︑個性にしたがってレポートを構築するところがポイントとなる︒
この試みは︑レポートする本人が万事に最も勉強になる︒漢字・漢語・漢文をめぐる学びの庭の創生にほかならず︑そこに潜在する﹁ことば﹂の源泉に遊び︑親しみ︑﹁読む﹂﹁書く﹂﹁話す﹂﹁聞く﹂という言語行為に不可欠と思われる根源的な力を発見して︑その力を育む実践的な方法の考案︑その教材と指導法の提案にも架橋し得るものであろう︒すなわち︑漢字のもつ歴史︑漢語・熟語・故事成語の成り立ちとその意味世界︑そして訓読による漢語・漢文の理解方法など︑さまざまな視点から現実を見つめ直し︑漢字・漢語・漢文の世界を多角的に掘りおこす営みは伝統や文化に触れ﹁ことばの力﹂の源泉を探究することにも連なろう︒
本﹁漢字一日一字抄﹂は︑時候や習俗等々に着眼して選んだ字にまつわる篇章を日録形式でまとめたものである︒それは研究部会の精神を引きつぐものであり︑このささやかな篇々が︑あらためて漢字・漢語・漢文の多様な世界に接近し︑それらを多視的に科学する契機となることを期待してやまない︒かつ教育の現場と教員養成の場に還元し得る材料の含有されることを念願する︒ ○七月一日常用漢字旧字体簡体字呉音ケイ︵クエイ︶
蛍 螢 萤
漢音ギョウ︵ギャウ︶訓 ほたる旧字体の﹁螢﹂は︑﹁虫﹂と音符﹁ いケイ﹂から成り︑光を放ちながら飛びまわる虫︑ほたるの意をあらわす︒﹁﹂は︑火でまるくとりまく︑光を放つ意︒ほたるは︑ホタル科の昆虫で︑水辺に住み︑腹部にある発光器から青白い光を放つ︒﹁蛍火﹂は︑ほたるの光︒﹃礼記﹄﹁月令﹂﹁季夏之月﹂︵陰暦六月︶に︑﹁腐草 蛍と為 なる﹂とあり︑ほたるは腐った草から生まれると伝えられた︒
苦心して学問すること︑またその成果を﹁蛍雪の功﹂という︒晋の車胤は貧しくて常には油が買えず︑夏には数十匹の蛍を練 うすぎぬのふくろ囊に入れ︑その光で書物を読み︑後に官は尚書郎に至った︒一方︑晋の孫康は家が貧しく油も無く︑雪明かりで読書し︑後に御史大夫に至った︒この二人にあやかって苦学することを﹁蛍雪﹂︑﹁蛍 けいそう窗雪 せつあん案﹂の語で示した︒﹁窗﹂は窓︑﹁案﹂は机︒
平安時代の和泉式部は︑﹁ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづるたまかとぞ見る﹂と詠じ︑飛びかう蛍を自分の身から抜けでた魂かと見ているが︑中国に先例はない︒○七月二日
常用漢字呉音ブ
腐
漢音フ訓 くさる・くされる・くさらす339
(三) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
︒と﹁府﹂は︑もをびっしりの詰っめらくくておまし︑みこ あさらわす︒く︒る︑くちる意肉をたどれずくりたっべ︑とこいなめ ﹁﹂は﹁肉﹂とか音符﹁府﹂と腐ら成り︑肉がくれて原形をとず また︑﹁陳腐﹂の﹁陳﹂は︑古い︑古くて役に立たない意︒﹁腐心﹂は︑心を痛める︑心を悩ますこと︒日本語では︑苦心する意︒﹁腐木 以て柱と為すべからず﹂︵くさった木は柱にはできない意︶は︑﹃漢書﹄劉輔伝の﹁里語﹂に見えることば︒卑しく劣った人物は主要なポストにすえられないことにたとえる︒
︒う酒を﹁腐腸の﹂ともい薬︒﹁は腐名異の酒︑﹂賊の腸 やく ︑の美味なもや︒うまい食物じて転﹁︒るあと﹂すら腐を腸味美 ﹁腸﹂は︑腸をく︒さらせる意腐後漢の王充の論衡﹄言毒篇に﹃
七月三日○ ﹁﹂︑鼠︒のもいし卑で薄軽てはじ腐︒みずねたっさく︑転
常用漢字古字呉音コウ︵クヮウ︶
光 炗
漢音コウ︵クヮウ︶訓 ひかる・ひかり︒光希望も意味する︒﹁明﹂名異心︑はの蔵 こうみよううぞ 読仏︑でみ明教仏は﹂徳︒﹁の︑の光︑後光の意︒日本語ではこと光 うごこうみよこう あすわらきをい光のりかひ︒﹁意明大大﹂は︑心が潔白で正正しく ﹁︑上﹂という字は︑人が頭のにる火を載せた姿を光し︑ひか示
︒る洒落︵さっぱしている︶なりこと︑光風霽月のす如し﹂と記 しゃらく れ懐胸︑く高だ甚品人﹁を彼るさ敦周と祖開の学宋︑はに伝頤称 い ﹁風霽月﹂は︑雨わ後に吹くさ光やか﹄史宋︒﹃月たっみ澄と風なき いせ
﹁・・が唐︒夜光が﹂陰︑﹁昼日月﹂月光陰﹂︑年は︑時間の意︒﹁ ︑記す︒﹁逆旅﹂は屋旅人を逆える宿の意と︒ かむ に客の細道﹄︑﹁月日は百代の過にしも﹂りな人旅又年ふかき行て 芭奥﹃は蕉過︑なてして︑光陰は代の客百りのえ﹂ま踏をるじ詠と 万桃李園夜白は春﹁の宴の李に天する地︑﹁に旅逆の物に﹂序の げきりよ
七月四日○ を早いことたとえる︒ ﹂光︒﹁う詠と軽ずらかべずん陰の矢ののとつ経こ日月は﹂し如 ﹂陰光の寸一︑﹁もに詩成のた偶浪費を戒め語時︒宋の朱熹の﹁間 ﹁陰惜しむべし之﹂は︑北斉の顔光勉﹄︑るあに篇学訓家氏顔﹃推 しいす
常用漢字異体字呉音セン
泉 洤
漢音ゼン訓 いずみ︒で混混たえず湧きとるのみなもとの意水 ︑か舎を夜昼混てしと混泉﹂ずのに﹂﹁︑くじ同泉源︑﹁は﹂泉原 お 説︒﹃くにと﹂子孟原﹄離婁下にいう﹁る象すのの出して川流形成を どたか ら説︒﹃すわみを意のずい解文あ字水には︑﹁泉は︑﹄水厡なり︒ ﹁︑た﹂は︑岩の間から水のしたりでわくさまを描泉た象形文字い
︒のもれない望郷帰念詠じたものを て嫁に国他︑流みをれの水でい女いにてくたりる帰国︑がの国衛 ﹁泉︑は﹂水泉風淇水川は︑水に流れこむ︶と唱う﹃詩経﹄邶の はい ﹁たる彼流の泉水︑亦た淇に毖る﹂︵湧きでて早い流れなる泉と きひ
泉のように広く行きわたって生活を潤すことから︑ぜにの意味ももつ︒古代には貝を貨幣としたので﹁泉貝﹂と呼ばれる︒﹁泉貨﹂﹁泉幣﹂﹁泉布﹂も貨幣をあらわす︒
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早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (四)
○七月五日
常用漢字呉音ゴン
源
漢音ゲン︵グエン︶訓 みなもと︒なを加えた﹁﹂が﹁み源もあとたしわらを意の﹂ 意︑﹁の﹂らはをがたし味意用にでいられるようになったの︑﹁水﹂ 水源︑のい﹁厂﹂と水で流れでるずわみの﹁泉﹂との会意文字す ﹁と﹂は︑﹁水﹂と音符﹁原﹂源から成る︒﹁原﹂は︑がけをあら
︒ると︑たず来えことをあらわす がさまをいう︒万物続絶えることなくでくこるれずえたらか源流 ﹃い源源﹁う万に上章し﹄子と孟て来た﹂の﹁源源﹂は︑水がる
漢方の薬餌でいう﹁医食同源﹂は︑病気を治療する﹁医﹂も日常普段にとる﹁食﹂も︑生命を養生するためのもので︑﹁源を同じ﹂くするとの考え方に基づく︒
七月六日○ ︑﹁しくなるたえ︒逆にと源流濁﹂︒る濁れち則ばれ 根清︑は﹂しれれ流ち則ば︵本︶君︶が正しければ末流︵民も正 清け源てす同一にし﹁流派を別にる源意︒﹃荀子﹄君道篇にいうを ﹁て源異脈﹂は︑﹁源を同じくし同派を異にす﹂と訓み︑もとは よ
常用漢字呉音ジョウ︵ヂャウ︶
庭
漢音テイ訓 にわ﹁︑のく広に庭平のかなの敷屋らりと成﹂は广﹂︑﹁﹁廷﹂とから の子が引見するにわた意をあらわしという天︒ が人︑階段の前に立︒つさまにより︑またわに字に︑平で広のびたく び︑場式の︑た所宮殿庭内中廷の意をあらわす﹂原の︒﹁庭︑﹁は﹂
あと氏篇に︑語るとき孔子がひり﹄で庭に立っている時︑趨論﹃季 しこば ぶきことを教えのたにちなむ語︒べ学︵鯉てめとび呼を︶魚伯は字︑ ﹁訓﹂は︑﹁過庭の訓﹂︒の意庭孔かの子息たっ子かり通庭がを おしえんきいて
りして庭を通りすぎる鯉に︑﹁詩を学んだか﹂と問うた︒鯉が﹁いいえ﹂と答えると︑﹁詩を学ばなければ︑立派にものが言えない﹂と教えられて︑詩を学んだ︒また︑別の日にも﹁礼を学んだか﹂と問うので﹁いいえ﹂と答えると︑﹁礼を学ばなければ立っていけない﹂と教えられて︑礼を学んだ︑と鯉が陳亢 こうに話したことを伝える︒﹁趨庭﹂ともいう︒
孔子が家庭教育では﹁其の子を遠ざくる﹂態度で特別扱いをしなかったことがうかがえる︒
○七月七日
常用漢字呉音シチ
七
漢音シツ訓 なな・ななつ・なの横線をタテ線で切る︑切断するさまを示した指事文字︒もと︑断ち切る意味をあらわし︑﹁切﹂の原字である︒
︒の公文書や領収では︑字画書改柒竄るい用を﹂︑﹁てれ懼を ﹁訓なな﹂とので読む︒中国してとな詞数序すわらあを序順﹂︑ツ ﹁﹂は数詞として数用いられ︑七量をあらわす数詞として﹁な基
また︑﹁七﹂は文章の一体で︑漢の枚乗に﹁七発﹂︑魏の曹植に﹁七
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(五) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
啓﹂といった作がある︒
曹植は魏の曹操の第三子で︑兄の文帝︵曹丕︶にその才能をねたまれ︑七歩あるく間に詩を作れと命ぜられた︒
豆を煮て持ちて羹を作る︑菽 まめを漉して以て汁と為す︒
萁 まめがら 釜下に在りて然え︑豆は釜中に在りて泣く︒
本 もと 同根自 より生ずるに︑相煎ること何ぞ太 はなはだ急なる︒
豆︵曹植︶と萁︵曹丕︶を借りて︑兄の無情を訴えたこの詩作を︑﹁七歩の詩﹂と呼んで曹植の才をたたえている︒○七月八日
常用漢字呉音ジャク
夕
漢音セキ訓 ゆう三日月の形を描いた象形文字︒月の出るよる︑月のかがやくよるの意味をあらわしたが︑のちに︑ゆうがたの意となり︑夜の意には別に﹁夜﹂の字が生まれた︒なお︑﹁月﹂の字も︑三日月を描いた象形文字である︒
︒なうなかわからるいとを意味するこ なはに朝︑いでたもはま方の刻夕こいとどが生︑命なれらえ考を さ語句がのある︒事が状し迫って︑朝の態が夕ず﹂らを夕に朝﹁慮 な朝︑﹁にど氏﹄伝夕秋春﹃左く﹂﹁謀に﹂ずら及ばず古朝に夕を ゆあしたう ﹁﹂︒ョ夕﹂は︑音で読むと﹁チウうセキ﹂︑訓で読むと﹁あさゆ朝
夕い道を聞く﹂と﹁に死す﹂とにう比﹁い用に的た対﹂夕﹂﹁朝を とを聞くこ要の重性を︑﹁え朝︶︒教︵道が子孔るあと﹂と﹄り可な ﹃も︑﹃語﹄里仁篇には︑﹁子曰とく朝論す死にに夕︑ばか聞を道 ささか訓ぎ
鵲
ャ音漢鹊
クシ 音クサ呉 音簡体字慣用ジャク ○七月九日 説たで句字い流の︒るあで現一表カササギは︑スズメ目カラス科の鳥で︑別名をカチガラス︑チョウセンガラスという︒カラスに似ているが︑肩から腹︑腰に書けて白い︒この鵲の噪ぐのは︑よい事が起こる前兆だと信じられている︒﹁喜鵲﹂と呼ばれ︑﹁霊鵲 喜を報ず﹂とも称される︒
日本のカササギは︑豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して︑佐賀藩主の鍋島直茂が朝鮮半島から持ちかえって︑繁殖したものという︒佐賀・筑紫平野を中心に生息し︑国の天然記念物︑佐賀県の県鳥に指定される︒﹁カチガラス﹂の呼称は︑﹁かちかち︵勝ち勝ち︶﹂という鳴き声が縁起よいとされ︑その声に因んだものという︒
七月十日○ ︒るあでの た国中︑はのとわたう文﹂るのれ献支にもたらえれ見俗習るえに 鵲くおに橋渡るせのの霜ぞ白きを見れば夜更けにけに﹁歌の持和 川︒﹃にかけるという橋である倉小天百人一首﹄に収める大伴家の ﹁がと橋﹂は︑七夕の夜︑牽牛織ギ女を会わせるため︑カササ鵲
呉音チ
蜘
漢音チ訓 くも336
早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (六)
クモは︑節足動物門のクモ目に属するクモ類の総称︒﹁蜘﹂は﹁虫﹂と音符﹁知﹂とから成る︒﹁虫﹂と音符﹁朱﹂とから成る﹁蛛﹂もクモの意をあらわし︑﹁蜘 ちちゆう蛛﹂と熟語化しても使われる︒
クモは人間の居住空間に頻繁に出没する小動物で︑その神出鬼没な行動に驚かされることも少なくない︒前漢の雑事を集録している﹃西京雑記﹄巻三に︑﹁蜘蛛集って而して百事喜ぶ︒﹂というクモの出現にまつわる吉慶の習俗が書きとめられる︒わが国でも︑古く﹃日本書紀﹄巻十三の衣通郎姫の歌に︑
わがせこがくべきよひなり
ささがにのくものおこなひこよひしるしも
と詠まれ︑﹁蜘蛛の行い﹂に人の来訪を予知する俗信の行われたことが知られる︒陰暦七月七日の七夕には︑女子が針仕事︑手芸の上達を祈る﹁乞巧﹂の行事がある︒︵七月十一日を参照︶○七月十一日
常用漢字呉音キョウ︵ケウ︶
巧
漢音コウ︵カウ︶訓 たくみ︒︑みく部をかざるい上つわる意味をもつに わうべ そ工や伎芸が上手であること︑まの技た︑た︑しわらあを前腕や て細︑じっるがりくね訓た細工をすこくとをいう︒﹁たくミ﹂と曲 ﹁﹂はか︑﹁工﹂と音符﹁丂﹂と巧ら成る会意兼形声文字で細か︑ ウコ
成奠みらとを乞う﹂祭りを﹁乞巧こんにをモク﹂と呼ぶ︒箱の中 んてきこっう 巧﹁のそ︒をいをとこる祈う上達の芸手︑事仕︑りつまを星二針 ﹁・ 乞七巧﹂は︑陰暦七月七日のの夕の祭りで︑女子が牽牛織女 きつこう たっ占を拙巧の芸技てっよに具合り張の糸のそ︑朝翌︑てれ入︒
︒とこ︶にもとる行為ろ孔が戒めたことば子 らうよつへく令﹁︑﹁色﹂とを仁﹂︵まごたり当と﹂言巧﹁なみ人 ﹃え言巧﹁る学みに篇而色﹄語令論︑鮮し仁﹂は︑口先のたくな すく
七月十二日○ め利は︑利益を求﹂るを棄てること︒心 弄す︑を巧技こるるとをやめこと︒﹁棄﹂は巧﹁のそ︒るあと﹂し絶 ﹃にを巧︑﹁は﹄章九十第ち子絶老利を棄つれ︑盗賊有ること無ば 人名用漢字旧字体簡体字呉音レン
蓮 莲
漢音レン訓 はす︒づてるので名いけれたというら たメマ︒いとスじ転にハがの科うレ花ン似状形のがとゲハ︑はス 種に托花巣の状の蜂︵︑子の果実︶がみのるで︑ハチスでは本日 生物﹁は花のそ︒植ハ生水年多の科蓮ス﹂︒るれ﹂﹁蓮さ称呼と花華 ︶︶かげ︵んれれんげ︵か ﹁︑か﹂は︑﹁艸﹂と音符﹁連﹂とらは成る会意兼形声文字︒ハス蓮
宋の周敦頤︵一〇一七〜一〇七三︶は﹁愛蓮の説﹂の中で︑﹁予独り愛す﹂として︑まず﹁蓮の淤 おでい泥より出でて染まらず﹂を挙げ︑その廉潔さをよしとする︒
ハスの花や実を採るさまを詠じた﹁採蓮曲﹂は︑六朝梁の武帝にはじまり︑楽府題の詩として書きつがれ︑唐の李白は次のように詠む︒
若 じやくやけい耶渓の旁 かたわら 採蓮の女 むすめ
笑って荷花を隔てて人と共に語る
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(七) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
︒に陽射しと澄んだ水を背景し夏て働く乙女たちは美しいの ﹁採に蓮﹂の﹁蓮﹂は﹁憐﹂﹁恋﹂音︒が通じる︒﹁荷花﹂はハスの花
○七月十三日
常用漢字旧字体呉音ガ
荷
漢音カ訓 に︒う﹁﹂が﹁にな荷﹂に用いられた意 かてり借︑しわし︒たしらあ問疑意詞使︑めたたれのわにの﹂にな﹁ うを意の﹂な物ま肩に荷にをかつぐさを人描いた象形文字で︑﹁が ﹁﹂はか︑﹁艸﹂と音符﹁何﹂と荷ら成る会意兼形声文字︒﹁何は︑﹂
︑︒﹃が花を開く陰暦月の異名六詩山経﹂蘇扶有に﹁の風鄭﹄ ︒﹁はハスの花﹂荷月華はハス﹂荷﹁﹂﹁花荷︑﹁葉のスハは﹂葉荷 ﹁﹂は地下茎から大茎がのびて荷きな葉や花がく水草︑ハス︒つ
山に扶蘇︵小木︶有り︑
隰 さわに荷華有り︒
と詠まれる︒﹃説文解字﹄には︑﹁荷﹂は葉のこと︑﹁蓮﹂は実のことともいう︒
晋の陶淵明の﹁園田の居に帰る﹂五首のその三には︑
晨 あしたに興 おきて荒 あれち穢を理 ととのえ︑
月を帯びて鋤 すきを荷 にないて帰る︒ と︑早朝から荒れ地を整え︑月とともに鋤をになって帰宅する陶淵明の生活ぶりがうたわれている︒ ○七月十四日人名
用漢字呉音ヘ
巴
漢音ハ︒るれま 飲のどむこみ象をは︒るあで蛇ほ︑﹃次楚にうよの詠も問天﹄辞に 君腹や臓の子骨︑がたれさ疾の心病はの思不訶摩議となと薬妙る 腹︒﹂し無疾のば心︑さ服を之という消︒出排れ化さてっかか年三 骨して其の歳を出す︒君子に三内経いら食を象蛇巴︑﹁︑南はに だい いの代古中︒う国もと﹂蛇うら食理地し書﹃海﹄経と山海い名て高 せんがい ずを﹂きまてう﹁らはい引あはわす︒﹃説文解字﹄に︑﹁象をび﹂︑ ﹁へぐ﹂は象形文字で︑へびがとろ﹁を巻いているさまを描いて巴
一蛇 象を呑む︑厥 その大いなること何 いかん如?
フランスの首都パリは︑巴黎︑巴里と音写される︒今日はパリ祭︒巴勒斯坦は︑パレスチナ︒日本語の﹁ともえ﹂は︑射手の肘につけた﹁鞆 とも﹂に描いた絵をいい︑また︑うずまき形の模様をもいう︒﹁巴投げ﹂は︑自分の体を仰向けに倒して︑相手の体を片足で支えながら投げる柔道の捨て身技︒
○七月十五日
人名用漢字本字・異体字呉音ライ
黎
漢音レイ﹁禾﹂︵イネ︶と﹁水﹂との会意文字﹁黍 ショ﹂︵キビ︶に︑音符﹁﹂︵ス 334
早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (八)
キ︶の省略形をあわせた会意兼形声文字︒
︒朝まりあった早じの間帯をいう時 明黎︒﹁たがけぐ夜いらすうは﹂意︑さがさる明こと暗︒のいおろ ︒﹁︑は﹂明黎うす﹂らわい︒﹁顔色黎黒はを︑顔色が黒いことをあ ﹁黒﹂具の﹁黎﹂は︑鉄製の農黎のように浅黒い色︑くろね色が
︒義る︒﹁黎首﹂﹁元﹂も同黎︒﹁﹂首意の頭も元﹁も﹂ あ日てしけ焼て︑民庶るいぐさ解ろいれさ釈もと草民たしを色顔 わしにらは味に︑﹁黎﹂あ﹁黒﹂の意で一︑冠をつけず黒い髪を説 ﹁民︒﹁﹂は︑もろもろの民の意黎黎﹂は︑おおいさま︑もろも︒ろ 七月十六日○ ︒る い王がこ態状う︒﹂とるずえ寒ずえたそ者と政いていの説である こごとごりつま 衣飢民黎︑い食を肉てを﹁い王道の始め﹂とい︑﹁を七十の者帛 らくきぬき ﹃﹂死子﹄梁恵王上には︑﹁生を養いをる喪りて憾み無か孟しむら おくうら
常用漢字呉音ミン
民
漢音ビン訓 たみ︒︑う︒﹁たみ﹂は︑統治れる人々さ官広す位を々人く指︑庶いなの人 をした奴隷すあらわといなくえ針をを目︑き描をまさたい突で見 ﹁﹂は象形文字あで︑とっての民る錐の形にかたる︒また︑目ど
﹁民酈﹄記史︒﹃語るあに訓術主﹄子南淮︑﹃はと﹂りな本の国は れき
食 いき其伝には﹁王者は民人を以て天と為す﹂という︒人民は国の根本であり︑﹃韓非子﹄五 ごと蠹篇には﹁民を視ること父母の如し﹂と︑人君は父母が子に対するように人民を愛すべきことを説く︒
︒も民の心は善にも悪になてることを説いたもの人 ﹃ 心経﹄蔡仲之命にいう﹁民得失常無し﹂は︑政治のっよ書に
︒ういを期繁農︑時き じこの治政てら転︑らか︒﹁がと時民業べむしいにそ農が民︑は﹂ ︑とこるす関に民人た︑意はま民の仕事ので事︑農業を指す︒﹂ ﹃ 子﹄滕文緩公上には︑﹁民事孟むべからざるなり﹂いう︒﹁民と
○七月十七日
常用漢字呉音ス
主
漢音シュ訓 ぬし・おも︒がからる﹁炷﹂成原をあらわした義 ュシ 意らぱっもに﹂﹁の﹂じるあしい用められ﹂主﹁と﹂火︑﹁たのそ︒た 意ぬ︑﹁らかの形え文字︒﹁丶の﹂は︑燃る象火︒その神火を守るも ュチ ﹁﹂灯は︑神壇の燭台の上で︑主火がジッと燃えるさまを描たい
﹁体語意反はと﹂客﹁と﹂主︒﹁客主と体主︑人客と人主︑は﹂客︒
︒あつながる一大事でにるとを説いたものこ の言一君者るた︑が︑国の存亡名声の汚辱︑主はるらめ辱名れ︒﹂ な ﹃ う︑﹁のろこと﹄いに小慎秋春氏主呂一言をてば︑国残わ過 あやまそこな
︒るな異に的味 家権主の﹂国︑は人主がす民に属﹁ることをいい︑意民の﹂国家 ﹁主﹂は︑で民のかしらの意人民︑主のこと︒今日いう﹁民主君
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(九) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
○七月十八日常用漢字呉音キャク
客
漢音カク︒る通機関を使うの意味であ人がび︑意のとびた︑はとも ︑︒﹁は﹂客旅たつもを味意日今機で船はのどな舶交・空航・車列 のびと﹂﹁商売﹂相手たといっび︑﹁味ろする﹁めまうど﹂をはじ てっやに家のそよ︑で字るくそこと︑また︑声の人︒客人を意文 ﹁形と﹂は︑﹁宀﹂︵やね︑いえ︶音兼符﹁各﹂とから成る会意客 七月十九日○ のいわゆる﹁鳴狗盗﹂鶏故名事︒るあで著てしと がて門の所関がめじはき鳴鶏き開出︑と難たきでが︒こす脱を関る はにねま物︑函で関谷の前けぐするれ声たとねまを︑きの鶏が者鳴 しをれこ︑盗だみを裘白王狐秦囲の寵姫に贈ってみを逃れ︑夜明 のがもれたななって暗殺さそうになっとき手上のみ盗にうよの狗︑ を食人千数客な︑は君嘗孟のしやれ相るとっ宰の秦︒ら知でとこた 戦ら︒人たれてえかかし召時国斉代の四君の一人に数えられるとし ﹁分︑客﹂は︑中国の戦国時代特客殊な才能・技術によって︑食
常用漢字俗字簡体字呉音ゼン
船 舩 船
漢音セン訓 ふね・ふな中国最古の字書︑後漢の許慎の﹃説文解字﹄には︑﹁船は︑舟なり﹂という︒﹁舟﹂は︑﹁木を刳 えぐって舟を為 つくり︑木を剡 けずって楫を為 つくり︑以て通ぜざるを済 わたす﹂と解説する︒﹁船﹂は︑﹁舟﹂と音符﹁ エン﹂と から成る会意兼形声文字︒漢の揚雄の著した﹃方言﹄には︑函谷関を境に東では﹁舟﹂︑西では﹁船﹂といったと記す︒今日では小型のものを﹁舟﹂︑大型のものを﹁船﹂と使い分ける︒
︒す山野が多いので馬乗って移動にる走︒あも意のる西東︑たま奔 を多いので船︑用い北方はクがーに的ク・川は方南︒のもたっいリ ﹁船北馬﹂は︑も広大な大地を南つ中国の交通手のちがいを端段
︒橋せた船︒唐の張継の﹁楓夜を泊﹂に︑次の句作がある乗 ﹁客枕枕﹂は︑旅寝の枕︑そのも旅と︒﹁客船﹂は︑旅の船︑客
姑蘇城外 寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る
姑蘇は︑江蘇省蘇州の古名︒寒山寺は︑唐代の詩僧で名高い寒山
・拾 じっとく得の止住した寺でもある︒寒山寺の夜半を告げる鐘の音が︑旅寝の詩情をいや増しに増す絶唱といえる︒○七月二十日
本字常用漢字簡体字呉音カイ
海 海 海
漢音カイ訓 うみ︒め量すべから﹂は︑極ずてを大語たっいとこいき 大あ﹂海︑﹁り謂と﹂得をうくきは広まい斗海﹁た水︒いをとうこ う 大之皆そ地てにし物博き﹁凡説に注段﹄字解文︒﹃ういを海と︑者 およ 黒は﹁﹂で︑くらい意︒くらく晦いをを深々とたたえた﹁うみ水﹂ ﹁﹂﹁﹂は︑﹁氵﹂︵水︶と音符每每﹂とから成る形海文字︒﹁声
郷の内︑天下を意味する︒漢祖高国は︑﹁威海内に加わりて故の ﹁海の外﹂が四海の外︑国の外をいうに海対して︑﹁海内﹂は︑内の かいだい
332
早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (一〇)
に帰る﹂と︑故郷に錦をかざる思いを詠じている︒
七月二十一日○ ︒るえ見と﹂くづ 記上海︑﹁に﹄琛略斉三﹃蜃伏のの気び︑と市海︑名結台楼に時を あ﹁はいる海﹂︑市﹁を楼市気海海蜃いの晋気う︒と﹂楼蜃市﹂﹁ ウ蜃るゆわい︒チイラ﹂セはアザシ︑﹁海驢はあしか︑﹁海象﹂は で﹂び﹁はえ国がわ︒とあにかてる︒﹁海豚﹂はいるる︑﹁海豹﹂こ ﹁ずと老﹂は︑﹁海老い水乾く﹂も減いうように︑海水の衰え海
俗字・異体字簡体字
闊 濶 阔
漢音カツ︵クヮツ︶︒く久闊の闊﹂は久し﹁疎であることをいう遠 の︑りあで意達そが闊快・闊闊迂﹁のけ︑とこいてる抜が間は﹂闊 おさ︑気持ちのおうらかなこともい大︒きのい度の人︒意﹂量ろひ﹁ か﹂とら成活こ﹁﹂門︒﹁と﹁るの闊﹂は︑門い内が広いことから︑る ﹁てこ﹂は水が勢いよく流れるとし︑よどむことなく生き生き活 南朝宋の劉義慶の﹃世説新語﹄捷悟篇に︑次の話がある︒︱楊脩が魏の武帝︵曹操︶の主簿であったとき︑相国︵宰相︶府の門を造ろうとしていた︒たるきを構えたところで曹操がご覧になると︑下役の者に門に﹁活﹂の字を書かせて退いた︒楊脩はそれを見るや取り壊させ︑作業が終わると説明していった︑﹁門の中に﹃活﹄があるのは︑﹃闊﹄の字にほかなりません︒魏王閣下は門が大きすぎるのをお嫌いになったのです﹂︒
漢字は偏 へん・旁 つくり・冠 かんむり・脚 あしなどに分解できる︒﹁門﹂と﹁活﹂という パーツをあわせると一つの文字となるという字謎である︒○七月二十二日常用漢字旧字体簡体字呉音カン︵クヮン︶
寛 寛 宽
漢音カン︵クヮン︶︒ゆにみて責めいこと︑なるをくるす味意とこるす て︑しと詞動たいいをまさく︑︑つつろ目大︑こともをりとゆぎ 大りのあること︑りまかでのんびしゆとに持気︑とこい広がスち 声中くるまが兼︒字文形と意ゆ家りのあるるから転じて︑スペー会 ﹁成を﹂︵家︶と︑体のまるいヤギ描らいた象形文字﹁萈﹂とか宀 カン
︒トと﹁猛﹂によ政治的コンるロをーるいて説いさ切大のル い猛済を寛て以以︑い済を猛て政︑に是﹂﹂寛︒﹁うといりて和な以 ここすく 施︒残えば則ち之を寛すに寛を以てす︒民う残ちれてす︒な猛ば則 なこそ ちき哉︑慢民政則ばれすく寛︒る之慢れば則ちを糾善﹁すに猛を以 つまとりだごおこたた ﹃︑仲秋左氏伝﹄昭公二十二年に﹁尼て︵孔子春字︶曰く﹂としの あざな
七月二十三日○ 政の立て直しのためにった﹁寛行のけ︒改れら知るわとで﹂革り 松の年号︒が平定信幕政家斉軍公荘代一十第の戸江︒年二十二将 ﹁政﹂はゆるや政かで情けある寛治の意︒出典は春秋左氏伝﹄﹃
常用漢字呉音ガ
河
漢音カ訓 かわ﹁らかたし曲屈に角直︑り成か河と﹂可﹁と︶水﹂︵氵︑﹁は﹂わ
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(一一) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
をいう︒黄河は︑中国西北部の高原に源を発して︑直角に屈曲して激流となる︒その水は黄土を大量に含み﹁黄河﹂と呼ばれ︑流れが屈曲して大量の土砂を堆積し︑時として氾濫をくり返した︒
︒︑﹁つかないものあるからで河﹂清ういもとし難ち俟 ま 時の間的に人も寿命から及びる︒れがらえ伝とむ澄度一に年千︑ ﹁清﹂は︑黄河のと水が澄むこ河︒黄河の水はつも濁っているい
︒た河がむのを目撃し清とし自るてい介紹をら 行前者︵孫悟空の七身︶は︑たび黄︑猴で第﹄話詩経取蔵三唐三 ﹃過っあに程記成形の﹄︑遊て西古く南宋のろの資料となる﹃大こ
︒の発源地を見極めるはでなかなかに難しい︑ ﹁下い源﹂は︑黄河の発源地をうに︒その流れは地のるす河伏流
七月二十四日○ は︒バカ ﹁河は漢﹂は︑黄﹂馬河︑﹁グフ﹂と豚河︒﹁河いを川の天︑水漢う
常用漢字旧字体慣用音ドウ
童
呉音 ズウ︵ヅウ︶漢音 トウ訓 わらべ金文は︑﹁辛+目+東+土﹂から成る︒もと︑﹁辛﹂︵鋭い刃物︑入れ墨の針︶で目を突きぬかれ︑あるいは入れ墨されて奴隷となった者の意︒﹁東+土﹂は﹁重﹂と同じで︑土 じめんを突きぬくように重みがかかること︒﹁里﹂はその変形︒男のしもべ︑召使い︒
以の歳下で︑いまだ成人する前者十をいった︒まだ物事をはっ五 ﹁︑べ童﹂﹁童心﹂の﹁童﹂ははわら︑︑のく古わ︒意児もどこ︑わら るす味意をとこるめ︒ のし者がは﹃易﹄の﹁蒙﹂わたににで昧蒙稚教︑幼語うい求をえ う﹂む求に蒙童︒﹁我い︑わす︒﹁童を﹂は蒙こ無ど昧蒙知たま︑も いなきで断判りきとろかこら︑無知やおろ︑らくらい意味もあか
︒童がないことをもいう︒﹁河﹂にと書いて︑カッパに当てる髪頭 ﹁・て﹂はまた︑角のまだ生え童い︑い牛羊︒山に草木がないな
○七月二十五日
人名用漢字旧字体呉音モウ
蒙
漢音ボウ︒の形 ﹁︑﹁易﹂は︒す示をまさい昧でか微の十︑でつ﹂の一蒙六卦四 かからくす
唐の李瀚の撰になる﹃蒙 もうぎゆう求﹄は︑﹃易﹄の﹁蒙﹂卦にいう﹁童蒙
我に求む﹂︵七月二十四日参照︶にちなんだ書名である︒﹁童蒙﹂は子ども︑また無知蒙昧の意︒上古から南北朝にいたる人物の伝記や逸事を四字句に盛りこむ︒
たとえば︑﹁蒙恬製筆﹂は︑秦の始皇帝の臣下である蒙恬︵蒙は姓︶がはじめて毛筆を製造したことを︑﹁蒙恬 筆を製 つくる﹂という四字句であらわしたもの︒児童が著名な人物の事績を記憶し︑みずからの文章作成に役立てることがでる︒﹃蒙求﹄は﹃千字文﹄と並んで幼学書︵幼童用の教科書︶の一つに数えられる︒つとに日本に渡来して大いに流行し︑﹁勧学院の雀は﹃蒙求﹄を囀 さえずる﹂とまでいわれたことが知られる︒
330
早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (一二)
○七月二十六日
常用漢字呉音グ
求
漢音キュウ︵キウ︶訓 もとめる動物の毛皮を描いた象形文字︒﹁裘﹂︵かわごろも︶の原字︒﹁もとめる﹂意は︑この字を借りて行われたもの︒
いわゆる﹁求人﹂は︑人を求めること︑人材をさがし求めること︒戦国時代の末期︑秦の呂不韋が食客を集めて編纂させたという﹃呂氏春秋﹄︵﹃呂覧﹄︶慎行論に﹁求人﹂の篇名が見える︒
﹃孟るあが語の﹂り毀の全求︑﹁はに上婁離﹄子︒ そし
虞 はからざるの譽れ有り︑全きを求むるの毀り有り︒
七月二十七日○ ︒言の子孟 ︒価評の間世難とこの判非るや評がいたいをとこ説ななにて当ら がていなから降りかにし欠求﹂無むるの毀りはき︑行いを完全を ﹁らざるの譽︶れ﹂︵不虞之誉虞は︑思いがけなくた名誉︒﹁全得 かは
人名用漢字簡体字呉音チュウ︵チウ︶・チュ
丑 丑
漢音チュウ︵チウ︶訓 うし手の先を曲げて︑物をつかむさまにかたどった象形文字︒﹁扭﹂︵手をねじ曲げてつかむ︶・﹁紐﹂・︵糸をひねって組みあげたひも・ひねって結びつける・印のつまみ︶・﹁鈕﹂︵締め金具︶などの旁 つくりの﹁丑﹂は︑ねじる・ひねる意をあらわす︒ 十二支の第二位に用いる︒動物では︑牛︒方角では︑北北東︒時刻では︑午前二時︑およびその前後の二時間︒五行では︑土︒
立春︵二月四日︶立夏︵五月六日︶立秋︵八月八日︶立冬︵十一月八日︶の十八日前を﹁土用の日﹂という︒﹁土用干し﹂は︑立秋前の土用の晴天に︑梅の実と紫蘇を三日三晩干すこと︒
︒武万葉名では﹁仮奈﹂と表記する伎 食家伴大とえ︑てっ取らか詠持がじあはギナ︒るウが首二歌和た 夏集﹄巻十六には︑が痩せにウナギ万いい葉︒﹃いとのもた得をう ののるべ食を﹂もく付夏うといバテしな日という俗習にヒント﹁ ﹁の食用の丑の日﹂にウナギをべこるのは︑江戸の平賀源内が土
○七月二十八日
簡体字呉音バン
鰻 鳗
漢音マン訓 うなぎ︒と授けの神子もじられた信 ︑形のそたま仰れさ信てしか態ら生い合和婦夫て︑つ結と拝崇殖び る連が﹂龍﹁総あで帥の神水さ想水れる︑と龍︑神神ど雨さかつを 上の記表は字文﹂﹁﹂鱔もでそ混用される︒の形状から﹁鱓と鰻﹁﹂ の呼れる︒﹁鱓あで﹂﹁鱔称﹂とればらるタウナギの類もいて︑わ せぜんん 鱗目四十四巻﹄草綱本﹃の珍時李﹁﹂部魚明﹂魚鱺の︑﹁鰻はに類 まんいぎよれ ﹁︑﹁ナギ﹂といえば︑すぐに鰻が﹂という漢字が想いうかぶウ
明の短篇小説集﹃警世通言﹄巻二十所収の﹁計押番金鰻産禍﹂は︑宋の徽宗の時代︑金明池で金鰻を釣りあげた北司︵枢密院︶の押 したやく番の計安の一族が滅びる物語である︒金明池からの帰り道︑計安は
329
(一三) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
魚 びく籠の中から︑﹁わたしは金明池を掌管する者である︒放せば富貴にするし︑害すれば家中の者を非命に殺してくれる﹂との声を聞いた︒しかし︑妻は亭主の留守に金鰻を料理してしまう︒悶々とする計安をよそに︑妻は懐妊して娘の慶奴を生み︑成人した慶奴の結婚話以来︑不幸が重なり︑計安夫妻は殺害され︑慶奴も罪を得て処刑される︒金鰻をめぐる因果応報の物語である︒
○七月二十九日
常用漢字旧字体呉音ジキ・ジ・イ
食 食
漢音ショク・シ・イ訓 くう・くらう・たべる︒い会意文字で︑食物ひてせは食べる意をあらわすた ﹁をま﹂は︑ふた︵︶をしたさと食食物を器に盛ったさまわあ
︒し賀邵伝に︑﹁民は国の本にはて食は民の命なりる﹂があ︑ しがよう 引かれる語︒﹃国三志﹄呉志のしてと文﹃く曰子老﹁に仁上﹄子﹂ しんぶ ﹁は民の本なりな︑民は国の基食り﹂は︑周の辛釿の撰という んき
いわゆる衣・食・住の中で︑生命の維持に最も関わる﹁食﹂はたえず人民生活の根本に位置づけられ︑俗に﹁衣食足りて礼節を知る﹂といって︑生活が安定してこそ道徳心が高まる︒﹃管子﹄牧民には︑﹁衣食足れば︑則ち栄辱︵名誉と恥辱︶を知る﹂とある︒
心こが起こるとをいう︒ と秋春︵﹃っい左だ兆前氏伝宣﹄た公︑る四めを物求てじ転︶︒年 指が自然に動いたの︑馳やがてご走にありつく差しで人を︑見て こと︒春あ時代︑鄭の公子で秋にる宋が鄭公献じられたスッポン うそ ﹁食動指くは︑人差し指︒﹁食指﹂く﹂は︑人差し指が自然に動 う訓し
牛
ュ︵︶ウ漢音ギギウ 常漢用ゴ音呉字 七月三十日○︒るれさ別 曲︵︶に描かれ︑後方にたがっる角をもつ羊︵︶と区形あ角の ﹁ど﹂は︑牛の頭部の形をかた牛っ象形文字︒前方につき出たた
︶︒年八公定﹄伝氏左 転と頭︑てじか︒意るどっつなさてる実秋春﹃︵とこす配支で力 かしら 盟耳牛が主て︒たっあい誓とを牛っるを約たは﹂盟執を耳︑﹁での てっすすを血のそ︑い約い裂侯が盟するとき︑けにえの牛の左耳を とけいうい︒たしらない飼えに秋の動物の一種で︑春牛時代︑諸を ﹃が荒辞﹄天問や﹃山海経﹄大東亥経によると︑殷の王子の王楚
︒語ぐは︑﹃世説新﹂﹄る語篇に見え言 なのでこ︑月を見ても太陽と思いいんで喘に月牛呉︒﹁うとぐ喘 えあ 国とこのいい気意気を暑う︒﹁呑牛の﹂性とも︒呉の牛は︑南の︑ ﹃子は﹄にいう﹁食牛の気﹂と尸︑牛をも食べるほどの大き気な
○七月三十一日
常用漢字旧字体呉音ショ
暑 暑
漢音ショ訓 あつい︒︑上で火をたくさまで︑焼く煮台る︑あつい意をあらわしたの︑は ﹁﹂は︑﹁日﹂と音符﹁者﹂と暑か成る会意兼形声文字︒﹁者﹂ら 328
早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (一四)
日光が焼けるように照らしつけ︑うだるように暑いことを意味したのが﹁暑﹂である︒
︒てに押され気蔵している伏 最︵の庚の初あのとの秋立伏末日︶すで陽が気る陰とうろこ起︑ 四の庚の日︵初伏︶︑中番目の庚の日︵伏︶︑三目番のとはあの至︑夏 えのか 月暑︑は﹂伏陰︒﹁月六暦伏た三暑の意で︑盛夏を意味する︒三伏 ﹁ま暑日﹂は︑夏のあつい日︒﹁月︑﹂は︑暑い月暑夏の季節︑
︒活暑気たり︒往時の生あのの厳るばれしがさし はに︑暑さのためる病気になこと︑暑傷︒寒とこるえ凍にさ寒︑は凍 ﹃南子﹄人間訓にち︑﹁冬は則淮寒凍︑夏は則暑傷︒﹂という︒ち
○八月一日
人名用漢字呉音サク
朔
漢音サク︒朔月の第一日︒﹁望﹂は︑朔の十日日と五満月 いつちた ひわ終が月とい︑は﹂ちたてっい︑暦の最初にもどった日を﹁う︒つ ︒にはする︑もとへ返る意︒﹁朔﹂︑さ月が一周してもとに戻ること ﹁逆と﹂は﹁月﹂と音符﹁屰﹂か︑ら成る会意文字︒﹁屰﹂は朔
︒を帝堯は日数て知たというっ とちが葉一に︑ご日降以日晦︑落日尽っよにれ︒たきこでよおにん みそか 生︑てじにを葉一のめ月︑半ばで十五葉を生じ十六はじの︑え月 こ階はをのが年︑ん十七たしさで在蓂堯帝︑と莢という草が生位 ぎょうきざはめいきょうし ﹃古生書﹄符瑞志に︑﹁朔にしてじ︒︑望にして落つ︒﹂とある宋
﹁︒﹁朔︒地の塞︑方北︑は﹂朔外る︑﹂あには北︑北方の意味も に野︑﹁幾んど朔北の句に死す︒﹂の字がある書﹂︒ ほと 蘇漢敗れて匈奴の将軍となった李の武陵が書いた﹁のるう与に前
○八月二日
常用漢字呉音エン︵エム︶
炎
漢音エン︵エム︶訓 ほのお︒は訓の﹁ほのお︵ほのほ︶﹂﹁字火の穂﹂の意にもとづく︒文 ﹁の﹂は︑﹁火﹂を重ねて︑火炎意んに燃える意をあらわす会盛
︒極の行いがいい加減︑善悪を見でめとずえとたにるこす罪を民る 焚石がともに意ける︒官吏玉と︑産とるあが事火に山崙崑るす出 ﹃﹄胤征の﹁火経ゆ崑岡に炎書れば︑玉石倶焚く﹂は︑玉をに も
唐の柳宗元の﹁宋清伝﹂に︑﹁吾 今の人に交わる者を観るに︑炎にして附き︑寒にして棄つ﹂という︒﹁炎﹂は︑人の勢位の盛んなこと︑﹁寒﹂は︑その衰微したこと︒交友関係において︑相手が権勢のある時には付きしたがい︑権勢の衰えた時には棄て去る意︒人情の軽薄なことにたとえていう︒
八月三日○ 熱は︑猛火にまれ︑その囲に獄苦︒つ一の地大八むし し教い暑さ︒仏獄の﹁炎熱地﹂︑厳はの﹂熱炎︒﹁るえとたもに薄厚 ﹁涼﹂は︑暑いこことと涼しい炎と︒世の変遷栄枯盛衰︑人情︑
常用漢字簡体字呉音ネツ・ネチ
熱 热
漢音ゼツ訓 あつい327
(一五) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
︒意さ︑ねつ︑あつくする︒﹁あ埶﹂は︑勢いの意ともつ ﹁あつ﹂と音符﹁埶﹂とから成る﹁熱﹂は︑火が燃えて︑とこ火い イセ
︒を事に深心く傾けること 腹やい︑は﹂う熱︒﹁い思なやり思情熱が物︑﹂心は︒﹁とこいつあ しいう︒﹁熱腸﹂は︑悲かみで腸が煮ええるよをも血生る残がさき ちが﹂血熱︑﹁主ういを体持は流の外に気れでた体温のあたたかの ﹁意潮血漢﹂は︑わきたぎる血︑い血の沸きかえるほどの激し熱
︒発は︑暑熱環境の中での生る高温障害の総称す ︑仕はでここりは﹂中熱︑﹁あに進︑﹁熱心なこと︒ちなみに熱中症﹂ ﹂とす則い︑﹁仕えれば中ち君を慕︑に君に得られざれば則ち熱は ﹁る中﹂は︑物事に夢中にな熱︑一心になる意︒﹃孟子﹄万章上
寒しわれば寒さをしのげ︑静にてぎいれば熱さをしのげる意︒ま躁 さわ ﹃寒子﹄第四十五章には︑﹁躁はう︒に老いと﹂つ勝熱勝は静︑ちに そう
・熱に対する人間の自然な対処法でもある︒
○八月四日
常用漢字呉音ジョ︵ヂョ︶
箸
漢音チョ訓 はし︒意のシハ む意のどな︑さはあうろをすらわ︑︒食物をとる竹製のひるけつ ﹁﹂は︑﹁竹﹂と﹁者﹂とから成箸る意兼形声文字︒﹁者﹂は︑くっ会
漢の三年︵前二〇四︶︑項羽が急に漢王劉邦を滎 けいよう陽に囲んだとき︑漢王は酈 れき食 いき其の進言によって︑楚の力を弱めるため︑かつて秦が滅ぼした六国の後裔に印綬を授けて佩用させることにした︒張良 は国外から帰って漢王からこれを聞くと︑﹁臣請う 前の箸を借りて︑以て之を籌 はからん﹂とその計略の失敗するいわれを説いた︒﹁箸を借りる﹂は︑箸を借り用いて指図すること︒一説に︑﹁箸﹂は﹁著﹂に通じるので︑著名なことを借りて論ずること︒
現代中国語では︑はしを﹁筷 クワイツ子﹂という︒昔︑船上では︑﹁箸﹂の発音が﹁住﹂︵とどまる意︶に相通じるので︑忌み嫌って﹁快子﹂﹁筷 クワイツ子﹂と呼んだ︒○八月五日
常用漢字旧字体簡体字呉音セン
扇 扇 扇
漢音セン訓 おうぎ︒語明らかでる︒日本あの扇子﹂は︑おうぎ﹁ ﹂るれば呼と摺畳摺﹂﹁扇﹁︑が扇明入代がとたしこ本にらか輸日 うょじうゅしうゅし 団と扇﹂ら﹁︑か状形のそ呼ももばれる︒折りたたみ式ののはで ﹂わわおあおぐ意をあらちす︒中に国けいう﹁るゆるわ︑は﹂扇﹁ 閉開︒意るすす開に側両︑は﹂閉わる扉の意から︑転じて︑うち﹁︑羽 ﹁︑ら﹂は︑﹁戸﹂と﹁羽﹂とか成らる会意文字︒﹁戸﹂は︑とび扇
漢の成帝の寵を得た班婕 しょうよ妤の﹁怨歌行﹂は︑斉の特産の紈 しらぎぬ素で﹁合歓扇﹂とよばれる二枚張り合わせたうちわを作って帝にプレゼントすることを詠うとともに︑
常に恐る秋節至りて︑涼風の炎熱を奪わんことを︒
篋 きようし笥の中に棄捐せられて︑恩情 中道に絶えなん︒
涼風の吹く秋の到来とともに︑篋 ものいれ笥にしまい忘れられてしまうと︑寵愛を失う悲しみを唱っている︒成帝は趙飛燕と合徳の姉妹
326
早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (一六)
を寵愛するのあまり非命に倒れたと史伝が伝える︒○八月六日
常用漢字簡体字呉音シュ
鐘 钟
漢音ショウ訓 かね︒﹂ね︒﹁童﹂は︑﹁撞すりなわち﹁つく﹂意が ﹁文ら﹂は︑﹁金﹂と﹁童﹂とか成字る会意兼形声つ︑ねか鐘で︑
︒音原れ︑古代のさ楽伝えているを 余てれら彫り千字百八二がるい律︒し音が色音い復美で確正も︑ つでが階音のと二で面側と﹁る鐘一い鐘銘の書篆文古に﹂︒音双は 三︑鐘五十︑段中鐘九十段段下配十︒面正三は鐘︑るれさ架に鐘 ブ上︑で個五十六ー乙さタの曽侯墓から見発れた編鐘は︑五オク し八九一︒た七とみ組一を︑年州湖の前年北四千二百郊市随省近 吊のもたし台にてべ並を多︒わくは十二律にあせた十二の鐘の鐘 ﹁・銅楽鐘﹂は︑中国古代の宮青廷器階るなでの異音さき大︑編 うよしんへ
八月七日○ 化ゆる﹁関の化︵教雎︶﹂説きあげている︒を と配きよのそ結子君︒ぶと者偶相が和わい︑音する︑みし楽を楽 ﹂んまし楽を之鼓一雎周南の第鐘篇﹁関経﹄﹂は︑﹁窈窕たる淑女︑ しんかよ ﹁鼓﹂演は︑鐘と太鼓︒音楽を鐘奏的詩︒﹃楽すな表代のきとる器 こうよし
常用漢字旧字体簡字体
炉 爐 炉
漢音ロ︒︶﹂を鬧がす宮の節である一 わさ 逃い︒す出げと︑てっな﹂睛ゆわ鬧る﹁大火﹁眼天宮︵大いに天金 かあめいどうだ 潜のこりに巽位置火の風︒るんでを︑めたの煙目はののもたれ逃 っ︑めたたいて卦なと肉の鉄金に八体盧てれさ煉煅にれまこり放 たんれん にとリブガ郎犬の君真つ二聖み噛かしです︑しかれ︒れさ縛捕てる 不を丹金の死い老不︑ら食み飲盗つみ︑顕の手っ追くは悟孫たし空 生まう︑桃蟠の不長老︑で界酒る上玉︒液瓊天を味百珍八と漿の ようばしんとういけ ・・・・・・らな用・坎で炉艮るい震巽に乾離坤丹煉兌がの八卦か︑ けこかんごんそんんだん 登﹄る場遊記明西﹃説小のすに﹁上八︶子︵君老老太は卦﹂爐︑ 扇で意のとの冬炉益の無︑なる論や才能に︒言たとえ ろいりちわう は王の漢後︑冬﹂扇炉夏﹁の充篇﹃出夏︒るす典語に遇逢﹄衡論 をすや燃よ火︑りにマカドのやコンロ︑イロリ意︒ ︑あはつるンロ形コいるまのぼいをハコの意あらわす﹁盧﹂と﹁火﹂ ﹁︒︑﹁﹂は﹁爐﹂の俗字︒﹁爐﹂は火字﹂と﹁盧﹂の会炉兼形声文意
○八月八日
常用漢字呉音コ
鼓
漢音コ訓 つづみ︒るいてい用を 字てし別区を打の︶つたをみづい文が用︑﹂鼓てれさ﹁は後以朝混六 許文﹄字解の説﹃慎はでと︑﹁鼓﹂︵つづみ︶﹁︵つ後の漢︒み ︑﹂0 ら成る会み文字とで︑つづ意かをづつ意︒転じて︑たいこ・つ打 ﹁﹂わ﹂は︑たいこ・つづみをあらす﹁壴﹂と︑棒で鼓たく﹁攴た クボ
﹁る無平太の下天が人老の人一あ鼓︑きとの堯帝︑は﹂壌撃腹事
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(一七) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
を楽しんで︑腹つづみを打ち︑土 つちくれ塊を打ちながら︑堯の徳を称えて歌をうたったという故事︒
︒失死にれること︑妻を別うえこうていとたにと 歌えったことが見てる︒転じ︑妻にいてたを盆︑きとたしく亡た ﹁をくたた盆﹂盆︑﹁は﹂とこ鼓︒﹃荘子﹄楽篇に︑荘子が妻を至 ちは
八月九日○ 士とある︒鳴り物を使のは兵うたに︒ちたるすめつを目耳の一 にえず︑故為鼓鐸をる﹂相こ聞も使︒﹃孫子﹄軍争篇に﹁言うとう つく ﹁を進鼓﹂は軍用の鐘と太鼓︒軍﹂には﹁鼓﹂︑止まる金は﹁鐘に
常用漢字本字古字呉音ワ
和 咊 龢
唐音オ漢音カ︵クワ︶訓 やわらぐ・やわらげる・なごむ・なごやか︒︑まるくままる意︒またとそ状のういを態だいらわや 示わす︒声をあてせ心をあわせ︑意をるたわ加︑るせわあ︑で形の穂 ﹁﹂は︑﹁口﹂と音と符﹁禾﹂和から成る︒﹁禾は︑まるく垂れ﹂ カ
︒生同することないのきて方いるい説を 句て和せず﹂との対雷形式によって︑付和同じはて人小︑ずぜ同 んじうよし ﹁して同ぜず﹂は子︑﹃論語﹄和路篇に出典す語︒﹁君子は和しる
︒にかくして塵のよな人間界う姿わをこるれとらてえ変あ ︒はで教仏るとこき生り仏︑をが衆生を救うため知恵の光まわじ しゆじよう 知の恵間光すうに同に塵﹂︒じ︑世己の才能を和らげかくして俗自 ﹃の語子﹄には﹁和光同塵﹂のが其ある︒﹁其の光を老らげ︑和
わが国では︑聖徳太子の十七条憲法︵六〇四年発令︶の﹁和を 以て貴 とうとしと為 なす﹂の語句がとりわけ知られるが︑﹃礼記﹄儒行篇の﹁礼の和を以て貴しと為す﹂︑﹃論語﹄学而篇の﹁礼の和を用 もつて貴しと為す﹂といった先行する例が認められる︒○八月十日人名
用漢字呉音ワ・イ︵ヰ︶
倭
漢音ワ・イ︵ヰ︶︒小かで背のくまがった低人あらわすともいうを 委なの女は﹂を﹁たえ添女なよはよしやなし︑﹂倭︑﹁し示を姿た 姿︑でたでた従順︑したがうこと︒ま︑﹁れ禾﹂はしなやかに穂を垂︑ ﹁意と﹂は︑﹁人﹂と音符﹁委﹂かるら成る︒﹁委﹂は︑まかせ倭 中国では︑昔︑日本および日本人を﹁倭﹂の字で指した︒﹃後漢書﹄光武帝紀に︑東夷の倭奴国王が使者を遣わしたこと︑東夷列伝の﹁倭﹂に︑建武中元二年︵五七︶に倭奴国が朝貢し︑光武帝が印綬を賜ったことが記載される︒後の天明四年︵一七八四︶︑福岡市の志賀島で出土した﹁漢委奴国王﹂の金印は︑﹁委﹂が﹁倭﹂に通じることから︑光武帝の賜った印綬に当たると見られている︒
︒に東夷の夷﹂は東方﹁住異民族の呼び名む の︑らか場立の想思華中時当し卑でんで︑おな︒るあ語たれらい用 いもれず︒在る大海の中にり﹂と﹁倭人﹂の語をもって記載されの ﹃国志﹄魏倭書の東夷伝の﹁三人﹂の伝には︑﹁倭人帯方の南東 324
早稲田教育評論 第 26 巻第1号 (一八)
○八月十一日
人名用漢字旧字体簡体字呉音レン
簾 簾 簾
漢音レン訓 すだれ︒をに対して︑布のスダレ製﹁別帘う使てし区と﹂ ンレ をんレダスだを編てえろそういい︒竹製のスダレを﹁簾﹂とうの は竹いう︑んとそろる意︒﹁簾﹂は細きい竹を連ねあわせた︑あち ﹁﹂かは︑﹁竹﹂と音符﹁廉﹂と簾ら成る︒﹁廉﹂は︑つらねあわ︑す
平安時代︑中宮定 ていし子から﹁香炉峰の雪はいかならん﹂と尋ねられた清少納言は︑すぐさま御 みす簾を撥 かかげてみせたことを﹃枕草子﹄に伝えている︒唐の白居易の詩句﹁香炉峰の雪は簾を撥げて看る﹂に支えられて︑当意即妙にパフォーマンスで応対したところに清少納言の才学をうかがうことができる︒
花果山水簾洞は︑﹃西遊記﹄のスーパーモンキー孫悟空の根拠地︒瀑布が入口をおおい隠した天然の要害で︑まさしく別天地︒﹁垂簾の政﹂は︑御簾を下ろして政治を執ること︒年少の天子にかわって太皇太后・皇太后が執る政治をいう︒﹁垂簾朝政﹂︒
○八月十二日
常用漢字旧字体簡体字慣用音ガイ
蓋 盖
呉音 カイ・ゴウ︵ガフ︶漢音 カイ・コウ︵カフ︶訓 ふた﹁る﹂去﹁は﹂蓋︒﹁字文声形兼意会盍成とら﹂は艸﹂︑﹁﹁盍﹂とか コウ ん一字が代用し︑﹁な読ぞ⁝ざる﹂と再するの︒ そ語もも﹂﹁いったい﹂説きだすと︒二﹂ま蓋﹁を字の﹂不何︑﹁た だ︒訓の﹁けうし﹂は︑﹁思う意﹂おお︑はて推量し︑また﹁そとに の蓋根﹁い﹂は︑むしろや葺きの屋草を︑引かたふ草︑とるせぶこ ら文意会る成﹂かと皿﹁でと字せ︑皿にふたをる︑ふたの意︒かぶ
︒こ親しなるくとにたとえる かし︑話しこんだ故事知ら︑すぐに旧挨のように拶て傾を蓋のけ いおお ﹁︶﹂孔︑は︵く傾を蓋と蓋子傾程子が道出会って︑互いに車で
︒窮いながら﹁四面楚歌﹂の地をに陥った覇王項羽は︑歌う争 ﹁蓋天世︵世を蓋う︶﹂は︑世の中をおおいつくす意︒劉邦と下 おお
力は山を抜き気は世を蓋う︑時に利あらず騅 すい逝 ゆかず︒
騅逝かざれば奈 いかん何すべき︑虞 ぐや虞や若 なんじを奈 いかん何せん︒
世の中をおおいつくす気概の持ち主に時勢は味方することなく︑騎乗する愛馬騅も困憊して窮する中︑愛おしい虞美人を思いやった詠唱として人口に膾炙する︒○八月十三日 人名用漢字呉音ケ︵クエ︶
瓜
漢音カ︵クワ︶訓 うり︒字すわらあをリウ︑で ﹁が形﹂は︑つるの中にウリ文象またい描を形瓜いてっ実くるる
ウリの熟する時を﹁瓜時﹂とよぶ︒陰暦七月︒春秋時代︑斉の襄公が家臣をウリの熟するときに守備に遣わし︑翌年のその時期に交代すると約束した︵﹃春秋左氏伝﹄荘公八年︶︒任期が満ちること︑
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(一九) 漢字一日一字抄 −漢字・漢語・漢文の窓〔七月・八月の部〕−
任務を交替する時期をいう︒﹁瓜代﹂﹁瓜 かに及ぶ﹂とも︒
︒疑﹁李瓜の嫌は︑人から﹂わをれとこるすとこいすや ︑﹂で句対の下ずさ正を冠にか人行らな疑︒えとたいしを為るれわ 府もいう︒﹁古楽李﹂君子行の﹁意といなをじて︑履訓はなおさき がふ ういむつう︑わいなれ疑と履てよをとらない意︒﹁履取に納れず﹂ ﹁だん田に履を納れず﹂は︑瓜畑の中盗を瓜︑もげて瓜脱が履で つくい
八月十四日○ 二ると八と八になるので︑八分十六︑八八六十四となる︒けに ﹁男瓜﹂は︑女子の十六歳︑破つの六十四歳︒﹁瓜﹂の字を二子
常用漢字呉音リキ
力
漢音リョク訓 ちから︒ちまを描いた象形文字で︑かるら︑つとめる意をあらわすさ ﹁力腕﹂は︑筋肉をもり上げた︑ん腕の筋肉をすじばらせてがば
︒こ努が報われる力と説いているを にみし苦に貧游常は子︑﹁に力︑す子は︑はのういと︒﹂所ま富の天 漢伝曄樊﹄書後をりや努力を惜しまない人﹁骨力子﹂という︒﹃折 うよんは ﹁力︒士﹂は︑力の強い男の意相法撲取りの意は︑日本での用︒
︒ると物体の運動の係を研究す関科っ学い用らぱるもで味意の ︑の一部門でに物体理働く力学物知をで日今︒るじ詠と﹂ずらは ﹁学﹂は︑努力として学ぶこ力︒唐の白居易は力学して疲れ︑﹁
詩句覇王項羽の悲歌慷慨の︵れ八月十二日﹁蓋﹂参照︶︒た ﹁囲はまは山を抜き気は世蓋う﹂を力をに︑垓い争下下天と邦劉
権
ンエク︵ンケ音漢权 權
︶ 呉音ゴン字体簡体字旧字漢用常 八月十五日○︒にに生暮らすためき必の権利である須 意るい用もに︑の勢権威権権︒﹁人﹂社福幸活生会でがちた私︑は ︒ンスをとる意を含む︑力や重みからバ権利︑ラ︑かとこる測をら 懸︶てじ通にか意るけ棒﹂︵︑のばかりは重り︑分銅の意︒軽重﹁ ﹁﹂権﹂は﹁木﹂と音符﹁雚﹂により名︒﹁すわらあをの︑木はとも権 カン
物事の釣りあいやバランスを﹁権衡﹂という︒﹁権﹂がはかりの重り︒﹁衡﹂は︑はかりのさお︒﹃荀子﹄大略篇には︑﹁礼の国家を正すに於いてや︑権衡の軽重に於けるが如きなり﹂のように︑﹁権衡﹂をもって国家を正す礼にたとえる︒
八月十六日○ 成の断に事の判否かかる︒が るの︑にうよさ量を重てけ重軽事をを推そ︒ると意動行てっ量し て︒﹂と説く︒﹁権を懸けを動く﹂は︑重り衡に懸動くて懸を権け 郷る分を衆はにをめ掠︑︑﹁ていけ地にを︑ちか分を利続はにるむ廓 かろひす ﹃説玄子﹄軍争篇には︑武田信の言﹁風林火山﹂の典拠となる孫
常用漢字呉音ギョウ︵ギャウ︶
衡
漢音コウ︵カウ︶﹁成は﹂𩵋︒﹁字文声形兼意会るら衡かと﹂行﹁符音と﹂𩵋︑﹁は﹂︑
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