• 検索結果がありません。

宗峰妙超墨蹟の研究 : 茶の湯文化における受容史

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "宗峰妙超墨蹟の研究 : 茶の湯文化における受容史"

Copied!
369
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

宗峰妙超墨蹟の研究 : 茶の湯文化における受容史

著者 宮武 慶之

学位名 博士(文化情報学)

学位授与機関 同志社大学

学位授与年月日 2015‑03‑22 学位授与番号 34310甲第714号

URL http://doi.org/10.14988/di.2017.0000016231

(2)

博士論文

宗 峰 妙 超 墨 蹟 の 研 究

― 茶 の 湯 文 化 に お け る 受 容 史 ―

(研究編)

文化情報学研究科文化情報学専攻 博士課程後期課程

48101003

宮武 慶之

指導教員 矢野 環 教授

(3)

i

目 次

は じ め に

1 第 一 章 先 行 研 究 と そ の 問 題 点

3 第 一 節 宗 峰 妙 超 と そ の 墨 蹟 に つ い て

3 第 二 節 宗 峰 妙 超 墨 蹟 研 究 に お け る 先 行 研 究

5 第 三 節 本 研 究 の 目 的

8 第 二 章 現 存 す る 宗 峰 妙 超 墨 蹟 の 調 査 に つ い て

1 1 第 一 節 調 査 の 目 的 と そ の 対 象

1 1 第 二 節 調 査 を 実 施 し た 墨 蹟 の 筆 跡 の 特 徴

1 1 第 三 節 新 た に 所 在 が 判 明 し た 墨 蹟

1 8 第 一 項 一 帆 風 個 人 蔵

1 8 第 二 項 物 我 両 忘 個 人 蔵

2 7 第 三 項 日 山 之 賦 個 人 蔵 の 添 状

2 9 第 四 項 与 宗 智 大 姉 法 語 M I H O M U S E U M 蔵

3 4 第 五 項 手 抄 二 巻 断 簡 個 人 蔵

3 4 第 六 項 宗 峰 妙 超 墨 蹟 澤 庵 宗 彭 証 明 個 人 蔵

3 6 第 四 節 小 結

3 7 第 三 章 現 存 不 明 の 墨 蹟 の 調 査

3 8 第 一 節 売 立 目 録 の 調 査

3 9 第 一 項 一 帆 風 個 人 蔵 の ツ レ と 考 え ら れ る 墨 蹟 二 件

4 0 第 二 項 白 雲 集 の ツ レ と 考 え ら れ る 墨 蹟 一 件

4 3 第 三 項 手 抄 二 巻 芳 春 院 蔵 の ツ レ と 考 え ら れ る 墨 蹟 一 件 4 5

第 四 項 林 間 録 の ツ レ と 考 え ら れ る 墨 蹟 一 件

4 5

第 五 項 句 双 紙

4 7

第 六 項 旧 大 名 某 家 所 蔵 品 入 札 に み る 禅 林 類 聚 謄 写 巻 4 7 第 七 項 某 家 御 所 蔵 品 入 札 に み る 至 道 偈 の 添 状

4 7

第 八 項 売 立 目 録 に 記 載 さ れ る 出 品 者

4 9 第 二 節 名 物 記

5 0 第 一 項 茶 器 名 物 図 彙

5 1 第 二 項 石 州 過 眼 録

5 4

第 三 項 中 興 名 物 記

5 7

(4)

ii

第 四 項 土 屋 侯 御 道 具 帳

5 9 第 五 項 雲 州 蔵 帳

6 0 第 三 節 徳 川 実 紀 に み る 宗 峰 妙 超 墨 蹟

6 1

第 一 項 下 賜 さ れ た 宗 峰 妙 超 墨 蹟 三 件

6 1

第 二 項 献 上 さ れ た 宗 峰 妙 超 墨 蹟 四 件

6 3 第 四 節 大 徳 寺 文 書 中 の 重 書 箱 記 録 に み る 宗 峰 妙 超 墨 蹟

6 5 第 五 節 小 結

6 8 第 四 章 茶 の 湯 文 化 に お け る 宗 峰 妙 超 墨 蹟 の 受 容 史

7 0 第 一 節 宗 峰 妙 超 墨 蹟 の 所 有 者 と 茶 の 湯 文 化

7 0

第 一 項 第Ⅰ 期 初 期 茶 の 湯

7 0

第 二 項 第Ⅱ 期 江 戸 初 期

7 5 第 三 項 第Ⅲ 期 江 戸 中 期

8 6 第 四 項 第Ⅳ 期 江 戸 末 期

8 8 第 五 項 第Ⅴ 期 明 治 維 新 後

9 1

第 六 項 第Ⅰ 期 か ら 第Ⅴ 期 に み る 寺 院 で の 宗 峰 妙 超 墨 蹟 の 増 減 9 2 第 二 節 初 期 茶 の 湯 に お け る 宗 峰 妙 超 墨 蹟

9 3

第 一 項 山 上 宗 二 記 に み る 宗 峰 妙 超 墨 蹟

9 3 第 二 項 宗 二 時 代 の 茶 の 湯 に お け る 宗 峰 妙 超 墨 蹟

9 4

第 三 項 永 禄 年 間 に 語 ら れ た 宗 峰 妙 超 の 人 物 像

9 6 第 五 章 お わ り に

9 9 註 釈

1 0 2 謝 辞

1 1 5 参 考 文 献

1 1 7 表 1 か ら 1 2

1 2 2 表 1 現 存 す る 宗 峰 妙 超 墨 蹟 表

1 2 2 表 2 売 立 目 録 に 掲 載 さ れ る 宗 峰 妙 超 墨 蹟

1 2 5 表 3 大 徳 寺 虫 払 之 記 に お け る 宗 峰 妙 超 墨

1 2 9 表 4 遺 物 の 献 上

1 3 1 表 5 致 仕 の 得 物 と し て の 献 上 品

1 3 3 表 6 大 徳 寺 の 墨 蹟

1 3 4 表 7 真 珠 庵 と 徳 禅 寺 所 蔵 の 墨 蹟

1 3 5 表 8 茶 会 記 の 研 究 掲 載 の 茶 会 記 に み る 宗 峰 妙 超 墨 蹟 の 使 用 件 数 1 3 6

(5)

iii

表 9 天 正 年 間 の 茶 会 に み る 宗 峰 妙 超 墨 蹟

1 3 7 表 1 0 墨 蹟 之 写 に み る 所 有 者

1 3 8 表 1 1 御 遺 物 の 御 三 家 へ の 下 賜

1 3 9 表 1 2 徳 川 家 に お け る 茶 会 で 使 用 さ れ た 掛 物 一

1 4 0

(6)

は じ め に

本研 究は 京都 紫野 大徳 寺 開 山で ある 宗峰 妙超 図 1 一二 八二- 一 三三 八 の墨 蹟 を対 象 と す る 宗 峰 妙超 は 鎌 倉 時代 に 活 躍し た 禅 僧 であ る 宗 峰が 弟 子 や 在家 の 信 者 に書 き与 え た法 語 な どの 墨 蹟は 現 存し てお り 国指 定文 化財 四十 件

重 要美 術品 七 件 が

ある 平成 二十 三年 六月 個 人の 所蔵 によ る宗 峰妙 超墨 蹟 一帆 風 の調 査を 実施 した 本 墨 蹟は こ れ まで の 先 行 研究 に お いて 明 ら か にさ れ て お らず 新 たに 所 在 が 判 明し た 墨 蹟 で ある 墨 蹟に 付 属 する 添 状 の 調査 に よ り こ の 墨 蹟は 堺 の 豪商 で あ た 谷安 殷 一六 六九- 一七 二一 が 所 蔵し その 後は 谷家 の祖 で ある 宗 印 一五 三二- 一 六

〇一 が 建立 した 堺の 祥雲 寺に 寄進 され てい たこ と が 判明 した 本 研究 の動 機 は 先 行 研究 で は 明 らか に さ れて い な い 墨蹟 が 未 だに 存 在 し てお り 研 究に よ て新 た な 墨 蹟 を提 示で きる もの と考 えた こと にあ る また 付属 する 添状 や箱 書な どを 調査 する こと に よ て受 容史 を研 究す る資 料に なり うる と考 えた 茶 の湯 にお いて 宗 峰妙 超墨 蹟は わが 国の 禅僧 の中 で最 高位 の評 価が ある 宗 峰妙 超 墨蹟 が重 用さ れる 理由 は虚 堂智 愚 南浦 紹明 宗峰 妙超 と続 く 禅の 法 灯の ため だけ なの であ ろう か 本研 究で は 現存 する 墨蹟 およ び 所在 が不 明な 墨蹟 ほか 文献 の博 捜に よ る宗 峰妙 超墨 蹟の 総合 的な 調査 を実 施し 宗 峰妙 超 墨 蹟の 受 容 史を 明ら か にす る 本 研究 の目 的は 二点 ある 一 点目 は現 存す る墨 蹟 の 調査 か ら 宗峰 妙超 の 筆跡 の 特徴 を 検討 し 新た に所 在が 判明 した 墨蹟 との 比較 を行 い 墨蹟 の性 格を 明ら かに する 二 点 目は 宗峰 妙超 墨蹟 の受 容史 を明 らか にす るこ とで あ る 本 研 究 で は現 存 す る墨 蹟 と 現 存不 明 な 墨蹟 の 把 握 を目 指 し て 調査 を 行 う とと も に 文 献を 博 捜 す る 現 存 す る墨 蹟 の 調査 の 目 的 は二 つ あ る 一 つ 目 は真 蹟 と さ れる 筆 跡 を 参 考 に新 た に 所在 が 判 明し た 墨 蹟 と比 較 検 討す る た め であ る 二 つ目 は 墨 蹟に 付 属 す る 添 状や 箱 書 文献 記 述と の 合 致 な どか ら 伝 来 所 有 者移 転 を 明 らか に す るこ と で あ る 現存 す る 墨 蹟の 調 査 対 象は 博 物 館 美 術 館 大 徳 寺 およ び 塔 頭寺 院 と 子 院 任 意 団 体 個人 の 所 蔵す る 宗 峰 妙超 墨 蹟 であ る これ ら の う ち 宗 峰 妙 超墨 蹟 の 真蹟 に つ い て検 討す る 現 存 が 不 明な 墨 蹟 の調 査 の 目 的は 文 献に 掲 載 さ れる 図 版 や 内容 が 判 明す る 記 述 な どか ら 墨 蹟 の 筆跡 お よ び付 属 す る添 状 な ど を研 究 資 料と し て 活 用す る こ と であ る そ のた め 調査 対 象を 売 立目 録 名 物記

墨蹟 之写

徳 川実 紀

大徳 寺文 書 と する 売 立目 録の 調 査で は都 守淳 夫 売 立目 録の 書誌 と 全国 所在 一覧

二〇

〇一 勉誠 出

(7)

版 を参 考に する

同 書で は売 立目 録は 四千 三百 三十 六件 が確 認さ れ てお り 記 載 の 所蔵 元 に 従 い四 千 二 百五 十 件 の 売立 目 録 を調 査 し た ま た 近 年 の海 外 オ クシ ン カ タ ログ 東 京 美術 倶 楽 部や 日 本 橋三 越 に お ける 展 示 会図 録 等 も 調査 対 象 に 加え た と こ ろ 百 三十 二 件 の宗 峰 妙 超墨 蹟 図 版 を収 集 す るこ と が で きた 掲 載 され る 図 版の 宗 峰 妙 超 墨 蹟は 売 立 が行 わ れた 近 代 初 頭 から 近 年 に存 在 し た も し く は現 在 で も 存在 し て い る墨 蹟で ある 名 物 記 の調 査 で は 宗峰 妙 超 墨 蹟の 形 態 もし く は 内 容 の把 握 が 可能 な も の か ら 当 時 存在 した 墨蹟 を明 らか にす る 以 上に 加え て江 月 宗玩 墨蹟 之 写 の調 査を 行う

本書 は江 戸時 代 初期 に 活躍 し た 禅僧 であ る江 月 宗玩 一 五七 四- 一六 四三 によ る墨 蹟鑑 定 の記 録控 えで あ る 墨 蹟 之写

二十 二冊 に は 五十 一件 の宗 峰 妙超 墨蹟 の鑑 定記 録 が掲 載さ れる こ れ らの 記 述を 翻刻 し 江戸 時代 初期 に存 在し た宗 峰妙 超墨 蹟を 明ら かに する 徳川 実紀 で は五 件の 宗峰 妙超 墨蹟 につ いて 将 軍家 から の下 賜品 また は 大名 家 から の献 上品 とし て記 録さ れて いる ま た松 平家 の 記 録で は初 花肩 衝を 将軍 家 に 献上 し たと きに 宗 峰妙 超墨 蹟も 献上 され てい る これ ら の 移動 を明 らか にす る 大徳 寺文 書 では 墨 蹟等 の重 要な 文書 を保 管し た重 書箱 の記 録が ある 記 録さ れ た当 時 大 徳寺 が 所 蔵し た 墨 蹟 が判 明 す る ま た 文書 に は 墨 蹟の 流 出 に関 す る 記 録 もあ り 大徳 寺に おけ る墨 蹟の 増減 を明 らか にす るこ とが でき る 以 上 の 墨蹟 の 調 査 によ て 宗峰 妙 超 墨蹟 お よ び 所 有者 の 把 握が 可 能 と な る こ れ ら の調 査 に より 得 ら れ た宗 峰 妙 超の 墨 蹟 売立 目 録 図 版 付 属 品か ら 判 明 する 所 有 者 所有 者 移転 と その 時 代な ど に分 類し 研究 資料 とし て活 用す る 茶 の湯 文化 にお ける 宗峰 妙超 墨蹟 の受 容史 につ いて は 茶会 の記 録で ある 茶会 記を 活用 し 検討 する 茶 会記 百七 件 総数 一万 五千 三百 二十 七回 の茶 会か ら 宗峰 妙超 墨蹟 が用 いら れた 七十 五回 の茶 会記 を参 考に した 現 存す る墨 蹟お よび 売 立目 録 文献 に記 載さ れる 墨蹟 と茶 会記 を併 用し て 茶の 湯 文 化に お け る受 容史 を みる こ とと する

(8)

第 一 章 先 行 研 究 と そ の 問 題 点

第 一 節 宗 峰 妙 超 と そ の 墨 蹟 に つ い て 京都 紫野 大徳 寺は 鎌倉 時代 の終 わり 宗峰 妙超 諡号 は大 燈国 師 以下 宗 峰妙 超 とす る に より 開 か れた 臨 済宗 の寺 院 であ る 大徳 寺は 花園 天皇 一 二九 七- 一三 四八 後醍 醐天 皇 一二 八八– 一 三三 九 の帰 依を 受け 勅願 道場 とな た 大 徳寺 は室 町中 期 以降 茶 の湯 と密 接な 関係 を持 ち 臨済 宗大 徳寺 派の 本山 とし て今 日に 至 て い る 宗 峰の 生い 立ち を 大燈 国師 行状 よ りみ て みた い

宗 峰 は弘 安五 年 一 二八 二 浦上 荘の 豪族 浦 上氏 の一 族 浦上 一国( 掃 部入 道 覚性 姓 は紀 氏) の子 とし て播 磨に 生 まれ た 正 応五 年 一 二九 二 書 写山 の戒 信律 師 に 師事 し て 教書 など を 読み 仏 教を 学 んだ が その 後 書写 山を 下り 仏道 を求 めて 京都 にの ぼる こと とな る この 年代 につ い て 竹貫 元勝 氏は 宗峰 妙 超 に おい て 年譜 に あ る永 仁 五 年 一二 九七 か 六 年 一 二九 八 頃と 推定 して いる

京 都で は参 禅の 師を 見つ ける こと はで き ず そ の後 鎌 倉に のぼ るこ とと なる 正 安三 年 一 三〇 一 東 遊し て鎌 倉の 建長 寺に おい て老 師と 問答 した 鎌 倉 では 建 長寺 や寿 福寺 万 寿寺 があ り 参禅 の師 匠を 求め て 問 答を した 嘉 元二 年 一三

〇四 に 高峰 顕日 一 二四 一 一三 一六 に 参じ る 宗峰 は当 時 万 寿寺 にい た高 峰顕 日の もと で出 家得 度し た これ よ り 鎌倉 で の 修行 には い るこ と とな る 顕日 のも とで 百丈 懐海 の 霊 光 に つい て悟 ると こ ろ があ た 師に 見 解を 述 べ 認 め られ 印可 を与 えら れる 嘉 元三 年 一三

〇五

当時 虚 堂智 愚 一一 八五 二 六九 の 法を 嗣ぎ 京都 の韜 光 庵に 移住 した 南 浦紹 明 一二 三五- 一 三〇 九 に 参じ た 徳 治二 年 一三

〇七

南 浦 が鎌 倉の 建長 寺住 持に なる と宗 峰も 従い 同 年 雲門 関の 公案 を大 悟す る この とき 師 の南 浦に 呈し た偈 が現 在 大 徳寺 に所 蔵さ れる 投 機 偈 で ある 本 墨蹟 の後 半に は南 浦の 印可 が記 され てい る そこ には 只 是れ 二十 年 長 養し て とあ る 延 慶二 年 一 三〇 九 鎌 倉か ら京 都に 戻り 師の 教え に従 い 東 山に 雲居 庵と いう 庵 室を 設け そ こに 隠棲 し 修行 生 活に は い た その 修行 生活 の実 態は 明ら かで はな いが 経典 など の祖 録を 写経 する こと や 座禅 など をし た も のと 考え られ る 正和 二 年 一 三 一三 に は四 十日 間で 景徳 伝灯 録 図2 大徳 寺 蔵 三 十巻 の筆 写を した

景 徳 伝灯 録 の奥 書に は 正和 二祀 五月 二十 三日 とあ る こと から 宗峰 三十 六歳 の と きに 書 かれ たも ので ある こ のよ う に 当時 中国 大 陸か ら もた らさ れた 祖録 の写 経な どを して 過 ご した 日々 であ ると 考え ら れ る

(9)

正 和四 年 一三 一五 に は東 山雲 居庵 から 紫野 に小 寺を 構え る これ が大 徳寺 のは じ まり であ る 元 応元 年 一三 一九 には 後醍 醐天 皇 一 三一 八- 一三 三九 が 内 裏に 招 き法 談し 元 亨 元年 一 三二 一 に は花 園天 皇 一 二九 七- 一三 四八 と 法談 を 交わ し てい る 花園 天皇 後 花園 天皇 とは その 後も 対談 して いる 花 園天 皇と 宗峰 妙超 にお い てそ の問 答書 が現 在 大徳 寺に 残さ れて いる

花 園天 皇宗 峰妙 超御 問答 書 二 件 大 徳寺 蔵 正 中二 年 一 三二 五 に は宮 中の 清涼 殿に おい て 宗 論が 行わ れた 顕密 講 師 との 禅 宗宗 論が 行わ れ 宗 峰 妙超 は論 破す る こ のと き顕 密講 師の 教 外別 伝の 義 如何 と の問 いに 八角 の磨 盤空 裏を 走る と答 え 旧 仏教 勢力 を論 破し てい た こ れに よ て宗 峰の 名は 世間 に広 まる こと とな る なお この とき の講 師の 一人 であ た 玄恵 は宗 峰の 弟子 とな り居 宅を 寄進 し これ が大 徳 寺 の方 丈 とな る 同年 には 花園 天皇 後 醍醐 天皇 の祈 願所 とな る 嘉 暦四 年 一三 二九 に当 時 宗峰 の弟 子で 後の 妙 心寺 開 山と な る慧 玄 蔵主 一 二 七七- 一 三六 一 に 関山 号 図 3 妙心 寺蔵 の 字 号を 与え る その 間 土地 の寄 進 が相 次ぎ 大徳 寺の 寺領 は拡 大す るこ とと なる 元徳 二年 一 三三

〇 に は関 山慧 玄に 与 関山 慧玄 印可 状 図 4 妙 心寺 蔵 を与 え 頂 相 図 5 妙心 寺蔵 に自 賛し た こと が確 認で きる 元 徳三 年 一 三三 一 三 月に は後 醍醐 天皇 の許 可を 得て 大宰 府 崇 福寺 に 赴い て いる 六月 には 退院 して 大徳 寺に 帰り 同 年七 月に 崇福 寺 に おい て 始 めた 結制 を 大徳 寺 で解 き 小参 法語 を大 衆に 示し てい る 解夏 小 参法 語 大 徳 寺蔵 元 弘三 年 一三 三三 の 出来 事と して 重要 なの は 八 月に 後 醍 醐天 皇か ら 本朝 無 双の 禅 苑と し て 宗峰 門 徒 一流 の 相 承 を認 め ら れた こ と で ある さ ら に同 年 十 月に は 大 徳 寺 が京 都五 山の 一つ とな た 建 武二 年 一三 三五 十 一月 には 遺戒 を大 衆に 示し てい る これ は老 僧行 脚よ りは じ まる もの で 寺 社仏 閣が 如何 に繁 栄 しよ うと も修 行 を怠 らず 精進 せよ と の教 えで ある 晩年 であ る建 武 四年 一 三三 七 に は宗 圓道 人に 与宗 圓道 人法 語 梅 澤記 念 館蔵 を書 き 与 え た ま た 同 年 に は 南浦 紹 明 所伝 の 紫 法 衣を 塔 頭 に 蔵め 門 徒等 出 頭 の 際 に用 いる こと が定 めた 徹翁 大徳 寺一 世置 文 図 6 大 徳寺 蔵 を 徹翁 に与 えて いる 宗 峰妙 超に 帰依 する 者は 花園 天皇 後醍 醐天 皇の ほか 朝廷 幕府 の役 人 が いた 在 家の 者で は女 性 も多 くい た 宗峰 妙 超の 禅風 は中 国 の中 峰明 本 一二 六 三- 一三 二三 によ る公 案禅 の方 式に よる 教化 の方 法で 峻烈 であ た こと から 気宇 王 の 如く と 評さ れた 先 述の よう に弟 子ら に書 き与 えた 法語 など の墨 蹟は 多数 現存 して いる 現存 が 確認 で

(10)

きた 宗峰 妙超 墨蹟 九十 一件 を一 覧に した のが 表 1 であ る これ らの うち 国指 定文 化 財は 四十 件 国認 定文 化財 は七 件あ た 現 存す る宗 峰妙 超墨 蹟を みて みる と 弟子 等 に与 えた 印可 状や 法語 二 大字 など の字 号 大徳 寺経 営に 関す る文 書 祖録 の写 本な ど であ る 墨蹟 は書 かれ る内 容か ら以 下の よう に分 類 で きる

・字 号 禅 僧が 剃髪 得度 に際 して 師匠 から 法諱 を与 えら れ 修行 が あ る段 階に き たと き に授 け られ る号 であ る

・印 可 師 僧が 弟子 に仏 道の 悟り に達 した こと を証 明し た文 書の こと であ る 師が 法嗣 とし て 認め た証 明で ある 先 の字 号と とも に授 けら れる 場合 があ る

・法 語 書 かれ る内 容は 仏典 など を引 用し 修 行の 精進 や そ の道 程を たた えた もの で あ る 宗 峰妙 超墨 蹟の 場合 在俗 の弟 子 や信 者 に書 き 与え た 特 に信 者の 中に は女 性も 多く いた

・詩 偈 仏 典や 禅僧 の詩 集な どを 引用 して 書か れた 墨蹟 であ る 宗 峰の 場合 は 虚 堂録

白 雲守 端詩 偈集

碧 巌録 な どを 出典 とし て書 かれ てい る墨 蹟が 存在 する

・書 翰 消 息文 のこ とで ある こ れら はほ かの 墨蹟 とは 異 な り日 常 の 筆跡 を知 る 上で 重 要な 筆 跡で ある

・祖 録写 本 当 時 中国 から もた らさ れた 仏典 や詩 集を 写経 し た これ ら は祖 録の 写 本と し て存 在 して いる 第

二 節 宗 峰 妙 超 墨 蹟 研 究 に お け る 先 行 研 究 宗 峰妙 超墨 蹟 の先 行研 究に つい て みて みた い 先 行研 究に おい て紹 介 され る墨 蹟は 先の 表 1 に記 入し た 昭 和二 十四 年 一九 四九 に 宗教 学者 であ る古 田紹 欽に よ て著 され た 大燈 国師 墨 蹟 一 九四 九 河 原書 店 が あ る

古 田は 同書 にお いて 二十 七件 の 宗峰 妙 超墨 蹟の 内容 に注 目し 宗 教史 学の 観点 から 論じ てい る 古田 は宗 峰妙 超を 意 力の 勝 てい る 禅者 と して おり

大燈 は 我 国禅 者の 一 類 型と 考 えら れる 意 力的 禅 者の 絶頂 点に 位置 する 人 と紹 介さ れて いる

同 書の 図版 で紹 介す る墨 蹟は 当 時 存 在が 明 らか であ た 墨蹟 であ る しか し筆 跡に つい ては 少な から ず 触 れて はい るも のの 同書 中 で紹 介

(11)

され る墨 蹟の 中に は 現在 の筆 跡基 準と 比較 して 後 世 の写 本 と 考え られ る 作品 も 含ま れ てい る 昭 和二 十四 年 一九 四九 から 昭 和二 十 六年 一 九五 一 にか けて 国立 博物 館附 属 美術 研究 所 現在 の東 京文 化財 研究 所 に よ て刊 行さ れた 墨 蹟資 料集

一 輯 三 輯 があ る

これ らは 玉 村竹 二 伊東 卓治 松 下隆 章に よる もの で 墨蹟 の解 説は 伊東 が担 当し た 掲載 され る宗 峰妙 超墨 蹟は 六件 であ る 当時 伊東 ら を中 心に 現存 す る墨 蹟の 調査 を行 て おり 調 査の 過程 で撮 影し た 図 版は 現 在 東京 文化 財研 究所 文 化財 ア カイ ブズ 研究 室に 所蔵 され る墨 蹟の 画像 資 料 であ る

こ の 墨蹟 資 料集 の 発刊 にも 携 わ た伊 東卓 治 によ り 昭和 二十 五 年 一九 五〇 には 書品 第 四号 で宗 峰 妙 超墨 蹟に 関す る論 考が 発 表 され た

伊 東は 益 田孝 一 八四 八– 一九 三八 が 所蔵 した 興 作偈

図7 出 光美 術館 蔵 を同 書に おい て初 め て紹 介し 新 たに 所在 が判 明し た墨 蹟と して 注目 さ れ た 本論 では 伊東 によ て 確認 さ れた 宗峰 妙超 墨蹟 から 真 蹟の 特徴 を明 らか にし て い る 墨 蹟 中に 書 かれ る年 号か ら年 代順 に筆 跡の 特徴 を論 じて いる

書品 に おい て 伊 東 が こ の 小論 で 一 応大 燈も のの 整理 をし 問 題と して 残る 所は 問題 とし て提 起 し たい と思 う と述 べる よ う に 現 存す る 墨 蹟の な かに は 筆 跡 に つい て 疑わ し い 墨蹟 が 存在 す ると さ れ る

伊東 に よ る うつ しま たは 摸本 であ ると する 筆跡 の見 解は そ の後 の 研 究に おけ る 先駆 け とな 昭 た

和三 十年 一九 五五

四十 年 一 九六 五 に は田 山方 南 旧文 部 省国 宝鑑 定官 によ り 禅林 墨 蹟 正 篇お よ び 続編 が 発 刊さ れ る

所載 さ れ る墨 蹟 は主 に 大徳 寺 個人 美 術館 に所 蔵さ れる 墨蹟 を図 版化 し たも ので 今 日 の墨 蹟研 究の 主要 な 文献 とな て い る これ らの 墨蹟 か ら筆 跡 紙質 内容 の解 釈 一部 の墨 蹟に つい ては 付属 品の 記載 に ま で言 及さ れて いる 田山 方 南に よ る宗 峰 妙 超 墨蹟 研 究 の特 色 は 年 記が 書 か れて い な い 墨蹟 に つ い て制 作 年 代を 推 定 し て いる 点で ある こ れは 制作 年代 が判 明す る墨 蹟と の比 較を 通し て行 われ た 昭 和四 十二 年 一九 六七 に発 刊さ れた 墨 美 第一 六五 号 では 田 山方 南は 四 十七 件 の 宗峰 妙 超墨 蹟 を提 示 し 解 説 をお こ な て い る

本書 は 禅林 墨 蹟 正 編 続 編 刊 行後 同 書の 中か ら墨 蹟の 画像 紹介 であ り 論 じら れる 内容 も同 一で ある 昭 和五 十年 一九 七五 に は 書 道芸 術 一九 七五 年 中公 論社 にお いて 解 説 を古 田紹 欽 釈 文と 解題 を木 下 政雄 中 田勇 次郎 篠原 壽雄 加 藤秀 幸 が行 て おり 筆跡 内 容と もに 各分 野を 専門 とす る研 究者 が論 考し てい る 先に 紹介 した 伊東 田 山 の先 行研 究を 引き 継ぎ 真 蹟と 考え られ る墨 蹟を 紹介 して いる

昭 和 五 十二 年 一 九 七七 に は田 山 に よる 禅林 墨 蹟 拾 遺 編が 発 刊 され る

(12)

れは 昭和 四十 年 一九 六五 の 続編 発刊 以後 田 山の 調査 によ り明 らか とな た 宗峰 妙 超墨 蹟を 紹介 して いる

禅 林墨 蹟 の正 編 続 編お よび 拾遺 編で は 現存 する 墨蹟 の うち 真蹟 と考 えら れる 墨蹟 に関 して ほ とん ど網 羅 さ れて お り 所有 者も 判 明す る ただ し 禅 林墨 蹟 全 編に おけ る問 題点 は 図 版に よる 解 説 を主 とし て い るが 田 山も 本 文 中で 指摘 して いる よう に 論じ ら れる 墨蹟 につ いて

写 し の 可能 性 が高 い も のが 含 まれ てい る点 であ る 田 山は 禅 林 墨蹟

続編 一 九六 五 に おい て当 時 岩崎 家 が 所蔵 した 消息 三月 一日 付 図 8 東 京国 立 博物 館 蔵 を紹 介 して い るが 解説 に お い ては 殊 に最 初の 一 行や 中央 の 本望 の 字が ど うも 真蹟 らし くな い とし てい る つ ま り 禅 林墨 蹟 が刊 行さ れた 当 時 存在 した 宗峰 妙超 墨 蹟や 所 有者 が判 明す るこ と は 有意 で あ るも のの 筆跡 に はな お 検討 が 必要 な 点が 挙げ られ る 以 上の 先行 研究 を踏 まえ 筆 跡に つい て編 年お よび 作 風の 検討 を包 括的 に 行 たの が木 下政 雄 当時 京都 国立 博物 館 であ る 昭和 六 十年 一 九八 五 木 下 によ る 高 僧と 美術

3 大燈 国師 真蹟 の 意義

月 刊 文化 財 通号 二六 二 号

では 宗峰 妙 超 の真 蹟 とす る 墨蹟 を 選 定し その 筆 跡 を検 討 して い る

論 考で は 制 作 年 代が 明ら かな 墨蹟 を採 用し 筆 跡の 作例 基準 を定 め た 上で 現 存す る墨 蹟 につ い て筆 跡 を中 心に 論じ てい る 木下 は明 らか に後 世の 写本 で あ る墨 蹟も 宗峰 妙超 墨蹟 の原 本の 存在 を考 える 上で 重要 な資 料に 成り うる とし てい る 筆 跡で は 有力 視 され る墨 蹟を 事例 とし て挙 げ その 筆跡 に関 して 五期 に区 分し 論を 展 開し てい る 木下 は宗 峰妙 超墨 蹟の 筆跡 につ いて 五 期の それ ぞれ の特 徴を 以 下の よ う に指 摘 し てい る 一 第 一期 幼 少期 幼 少期 から 投 機偈

図 9 大 徳寺 蔵 にい たる まで の二 十五 歳ま でを 対象 とし て いる な おこ の時 期の 作品 の発 見に は至 て いな いと して いる 二 第 二期 青 年期 師 南 浦紹 明に 従い 鎌倉 建長 寺に いた 時期 より 大 悟し て京 都 雲居 庵に おい て修 行 する 時期 であ る文 保二 年 一三 一八 の 三十 七歳 ころ まで を対 象に して いる この 時 期 は 祖録 の写 本も 多く 残し てお り 現 存す るも のと して 景 徳伝 灯録

図 2

手 抄二 巻 図 10 芳 春院 蔵

大川 普済 録 図 11 龍 光院 蔵

白 雲集

図 12 福 岡市 美術 館 蔵 を挙 げて いる 署名 の特 徴と し て 沙 門妙 超 野僧 妙超 とさ れる 三 第 三期 壮 年期 元 応元 年 一三 一九 の三 十七 歳の 時は 赤 松円 心 一二 七七 一 三五

〇 の 寄施 お よび 慧 玄法 印に よる 邸宅 の寄 進に より 大徳 寺の 基 礎 が出 来上 が た時 期 であ る この 時期 より 後醍 醐天 皇か ら勅 願所 の綸 旨を 賜わ る嘉 暦元 年 一 三二 六 四 十六 歳こ ろ

(13)

まで の八 年間 を対 象と する 署 名に は 大徳 宗峰 妙超 書于 明月 軒 自筆 置文 には 比 丘妙 超 花押

があ ると して いる 四 第 四期 嘉 暦元 年 一三 二六

宗 峰四 十六 歳の 大徳 寺開 堂 以 来 後 醍醐 天皇 より 本 朝無 双 の禅 苑 の 宸 翰置 文を 賜わ る元 弘三 年 一 三三 三 宗 峰五 十三 歳の とき まで を対 象 とす る 署名 の特 徴は 龍 宝 山宗 峰叟

宗 峰叟 妙超 とさ れる こ の時 期の 代表 的 な作 例と して 看 読真 詮榜

図 13 真珠 庵 を挙 げて いる なお 木 下は 看読 真 詮榜 を 四十 三歳 ごろ の筆 跡と 推定 して いる 五 第 五期 晩 年 元 弘三 年 一 三三 三 以 降の 建武 年間 一三 三四 一 三三 七 で ある 宗峰 妙超 五十 三 歳以 降 建 武 四年 一三 三七 の晩 年ま での 筆跡 を対 象と する 木 下は よね の文

福 岡市 美術 館蔵 と 日 山之 賦 個人 蔵 を挙 げて 晩年 の 筆 跡に つい て 枯淡 な味 わ いが 増し 後 世最 も 大燈 様と 呼ば れる 墨蹟 の特 色が 認め られ る時 期 であ る と して いる こ れら の対 象は 筆跡 の変 化を 論じ ると とも に 大 燈国 師行 状 など を参 考に 考慮 さ れた 論考 であ る 第

三 節 本 研 究 の 目 的 先行 研究 にお いて 古田 は宗 教史 の立 場か ら宗 峰妙 超墨 蹟に 書か れる 内容 を解 釈し 論 考し た しか しな がら 紹 介す る資 料に おい ては の ちに 伊東 卓治 が指 摘す る写 しの 可 能性 が高 い 与宗 明大 姉法 語 図 14 根 津美 術館 蔵 を紹 介し てお り その すべ て にお いて 筆跡 を検 討し たも のと はい い難 い 伊 東に おい ては 現 存す る 墨 蹟の うち 年号 の書 かれ る墨 蹟に つい て筆 跡を 検討 した また 真 蹟と する 墨蹟 から 筆跡 の特 徴を 明ら かに しい る 現存 する 墨蹟 の中 には 双 鉤 や写 しの 墨蹟 も存 在す ると 問題 提起 され 筆 跡研 究 の 先駆 け と な た し かし 紹介 され た宗 峰妙 超墨 蹟が 限ら れて おり 墨 蹟の 全貌 を明 ら か にし たも のと はい えな い 田 山方 南は 当時 存 在が 知ら れて いた 大徳 寺 個人 美 術館 の蔵 品を 多数 紹介 され て いる こ れら の 墨蹟 を紹 介す ると と もに 伝来 付 属 品も 部分 的に 紹介 し てい る また 田山 は解 説な どで 紹介 した 墨蹟 を 写し と して 紹介 する 墨蹟 があ るが ほ かの 墨蹟 に おい ては 筆跡 の真 偽に つい て述 べら れて いな い墨 蹟も ある 木 下は 現存 する 墨蹟 の中 に双 鉤や 写し によ る墨 蹟が ある もの の 原本 の 筆跡 を 知る 上 で史 料的 な価 値が ある とし てい る これ まで の先 行 研 究か ら筆 跡を 五期 に分 類 し 筆跡 の特 徴を 論じ てお り 宗峰 妙超 墨蹟 の各 期に おけ る 様 式を 明 ら かに され た し かし 論文

(14)

中で 使用 され る墨 蹟は こ れま でに 明ら かに され た 指 定文 化 財 およ び真 蹟 とさ れ る個 人 蔵の 墨蹟 であ る 先 行研 究に おけ る問 題点 は二 点あ る 一点 目は 宗峰 妙超 墨蹟 につ いて の総 合 的 な調 査 が行 われ てい ない 点で ある 近 年 新 たに 所在 が判 明し た宗 峰妙 超墨 蹟が 存在 して おり これ らを 調査 し 筆跡 を検 討す る必 要が ある ま た 宗峰 妙超 墨蹟 は売 立目 録な どの 文 献に 図版 が掲 載さ れて いる し かし なが ら総 合的 に 墨 蹟図 版 が 明 らか に され て いな い 二 点目 は 宗峰 妙超 墨蹟 が評 価さ れた 茶の 湯文 化 に おけ る 受 容史 が明 ら かに さ れて い ない 点で ある 宗 峰妙 超墨 蹟は 先行 研究 でも 指摘 する よう に 我国 第一 の墨 蹟 と す る 評価 や 茶 席 にお け るわ が 国 禅僧 中 最 高 位 の掛 物 と す る評 価 が あ た

し か しな がら 茶の 湯が ど のよ うに 宗峰 妙超 墨蹟 を評 価 し 受容 し てき たの か を明 ら かに し てい ない 本 研究 の目 的は 茶 の湯 文化 にお ける 宗峰 妙超 墨 蹟 の受 容 史 を明 らか に する こ とで あ る その ため 現存 する 宗峰 妙超 墨蹟 と現 存不 明な 墨 蹟 を明 ら か にし 研究 資料 とし て活 用す る 現 存す る墨 蹟の 調査 では 調 査対 象を 先 行 研究 に おい て紹 介 され る 墨蹟 に加 え 近年 新た に所 在が 判明 した 墨蹟 とす る 現存 する 墨蹟 の 調 査の 意 義 は二 つあ る 一 つ 目は 真 蹟と す る 筆跡 を 参 考 に新 た に 所 在が 判 明 した 墨 蹟 と 比較 検 討 を可 能 に す るこ と で ある 二つ 目 は 墨 蹟 に付 属 する 添 状 や 箱書 文 献 記述 と の 合致 な ど か ら伝 来 所有 者 の 情 報 を取 得で きる こと であ る これ らの 調査 を通 じ 新た に所 在が 判明 した 宗峰 妙超 墨蹟 の 筆跡 を検 討 する 新 たに 所 在が 判明 した 宗峰 妙 超墨 蹟は 個人 が所 蔵 する 一 帆風 や 近年 M IH O MU SE UM が収 蔵 した 与宗 智大 姉法 語 個 人が 所 蔵 する 手抄 二巻 の ツレ など であ る 先行 研究 にお いて 明ら かに され た筆 跡の 所見 を参 考に こ れ らの 筆跡 を検 討す る 現 存不 明な 墨蹟 の調 査で は売 立目 録や 名物 記の 記述 とと もに

墨 蹟之 写

大 徳 寺文 書

徳 川実 記 の 記述 を参 考に する こ れま での 宗峰 妙超 墨蹟 の先 行研 究に お いて 戦 災や 震災 で焼 失し 今 日確 認で き な い宗 峰 妙 超墨 蹟を 明ら かに し てい な い 倉 澤洋 行 元神 戸 大学 教授 は 珠 光 茶 道形 成期 の 精神

二〇

〇二 淡 交 社 にお い て 太平 洋戦 争時 に焼 失し た水 戸徳 川家 旧蔵 の圜 悟克 勤墨 蹟を 売立 目録 から 紹介 し 筆 跡検 討 の 資料 に 活用 し てい る

倉 沢 の研 究 手 法を 参 考に 本 研究 で は売 立 目録 を 活 用す る 売立 とは 徳川 家を はじ めと する 大名 家や 豪 商 など の所 有し た家 財や 器 物 を入 札 によ り売 却す る こと であ る 日 本に おい ては 明治 初 期か ら昭 和中 期に か けて 行わ れた この とき モノ クロ 図版 入り の出 品目 録が 作成 され た 都守 の 売立 目録 の書 誌 と 全国 所 在一 覧 によ れ ば 現 存す る 売 立目 録 は四 千 三 百三 十 六件 あ る とさ れ てい る

閲 覧

(15)

10

可能 な売 立目 録を 調査 し 所載 され る宗 峰妙 超墨 蹟 図 版を 収集 する こ のほ か海 外オ クシ ン カ タロ グ 販売 を 目 的 とす る 展 示 会図 録 等 も調 査 対 象 に加 え 近年 に 至 る ま での 宗峰 妙超 墨蹟 図版 を収 集す る 文 献上 宗 峰妙 超墨 蹟は 茶の 湯道 具と して 名物 記に 所載 され る 名物 記と は 由緒 の ある 道 具 の 名称 や 形 状 伝 来 な どに つ い て書 か れ た 書物 で あ る 宗 峰 妙 超 墨蹟 が 所 載 され る名 物記 を博 捜す る こ のほ かの 文献 では 墨蹟 之写

大 徳寺 文書

徳 川実 記 を活 用す る 墨 蹟之 写 と は江 戸時 代初 期の 大徳 寺禅 僧 江 月宗 玩 一 五七 四 一六 四三 によ る墨 蹟 鑑定 の記 録で ある 当時 江 月の もと に鑑 定の ため に持 ち込 まれ た宗 峰妙 超墨 蹟お よび 江月 の所 見が 確 認で きる こ のほ か 徳 川 実紀 で は将 軍 家か らの 下賜 大 名 から の 献上 にお いて 宗 峰妙 超墨 蹟が 使用 さ れて いた ま た 大 徳 寺文 書 では 墨蹟 の 寄進 や 流出 に関 する 記述 があ る これ らの 宗峰 妙超 墨蹟 の 移 動に つい て明 らか にす る 以 上の 宗峰 妙超 墨蹟 の総 合的 な調 査に より 江戸 時 代初 期と 近代 およ び現 代 に かけ て 存在 し た 宗 峰妙 超 墨 蹟と 所 有 者 の把 握 が 可能 と な る 総 合 的 な 調査 か ら 判 明す る 宗 峰 妙超 墨蹟 に関 する 情報 とと もに 本 研究 では 茶会 記を 活用 する 茶 会記 には 開催 され た 茶会 の日 時や 招か れた 客 使用 され た道 具が 記録 され る 茶会 記の 研究 では 谷晃 が 茶 会記 の研 究 二

〇〇 一 淡 交社 に お いて 現 存を 確認 さ れた 茶会 記二 百 二十 八件 を 紹介 さ れ て い る そ のう ち 百 十 一件 の 茶 会 記中 宗 峰妙 超 墨 蹟 が床 の 間 の 掛物 と し て 使用 され た茶 会は 七 十五 回 確認 でき た 現存 する 墨蹟 およ び 売立 目録 文 献に 記載 さ れる 墨蹟 と茶 会記 を併 用し て 茶の 湯文 化に おけ る受 容史 をみ るこ とと する

(16)

第 二 章 現 存 す る 宗 峰 妙 超 墨 蹟 の 調 査

第 一 節 調 査 の 目 的 と そ の 対 象 筆 者の 調査 によ り宗 峰妙 超墨 蹟 一帆 風 や 個 人 の所 蔵 す る墨 蹟の 存 在が 明 らか と な た また 近年 M IH O MU SE UM によ り収 蔵さ れた 墨蹟 も存 在す る これ ら は先 行研 究に おい て紹 介さ れて おら ず 新た に所 在 が 判明 した 墨蹟 であ る 現 存す る墨 蹟を 調査 する 動機 は これ ら の 新た に所 在 が 判明 し た宗 峰妙 超 墨蹟 の 筆跡 を検 討す るた めで ある 先 行研 究に おい て伊 東や 田山 が指 摘す る よ うに 現 存す る 墨蹟 には 双鉤 や写 しの 墨蹟 があ り 図録 から だ け の判 断で は 限 界が あ る その ため 現存 する 墨蹟 を閲 覧し 運筆 や墨 色を 確認 する 本調 査 の目 的は 墨 蹟 の筆 跡 に つい て 検 討す ると と もに 付 属す る 添 状 や 箱墨 書 の 記 述も 含 め 文献 で の 記 述を 明 ら かに し 研 究 資料 と し て 活用 す る こと であ る 本 研究 の調 査対 象は 現存 する 宗峰 妙超 墨蹟 であ る その う ち 閲覧 でき た 墨蹟 の 所蔵 先 は大 徳寺 徳 禅寺 真珠 庵 芳春 院 九州 国立 博物 館 湯木 美 術館 藤 田美 術館 野 村 美術 館 出光 美術 館 根津 美術 館 永青 文庫 M OA 美術 館 福岡 市美 術館 梅 澤記 念 館 個 人 で ある 新 たに 所 在 が 判明 し た 墨 蹟に つ い ては 個 人 の 所蔵 に よ る 一 帆 風 物 我両 忘 手抄 二巻 断簡

宗峰 妙超 墨 蹟澤 庵 宗彭 極 M IH O MU SE U Mの 所蔵 する 与 宗智 大姉 法語 で あり こ れら の墨 蹟の 調査 を実 施し た 以 上の 調査 によ り宗 峰妙 超墨 蹟の 筆跡 の特 徴を 明ら かに し 新た に所 在が 判 明 した 墨 蹟と 比較 を行 うこ とと する 第

二 節 調 査 を 実 施 し た 墨 蹟 の 筆 跡 の 特 徴 現 存 す る 宗峰 妙 超 墨蹟 の 調 査 から 少 年 期 青 年 期 壮 年 期 晩年 に 分 け て筆 跡 の 特 徴を 明ら かに する

・ 少年 期 二 十六 歳以 前の 宗峰 妙超 の行 状で は 大 燈国 師 行 状 に よ れば 鎌倉 に来 てよ り建 長 寺の 長 老 と 問答 を 行 い 二 十 三 歳の と き に 高峰 顕 日 に受 髪 し て 参禅 し は じめ る 時 期 で ある こ のこ ろは 宗峰 と名 乗 てい たが そ れ以 前 は 道吾 と名 乗 た 先行 研究 にお い て 木下 政雄 によ れば 二十 六歳 以前 に書 かれ た墨 蹟 は 確認 され てい ない と のこ と であ た た だ 文 献で はそ の存 在が 確認 でき る 宗 峰と 名乗 る以 前の 道悟 時代 に書 かれ た

(17)

書状 の記 述が 江月 宗玩 墨 蹟之 写 慶長 廿年 元和 元年 墨蹟 之 冩巻 五 に 記載 され て おり 以 下の よう な記 述が ある 図 15

何事 より もま つ酒 如此

承候 之條 感悦 之外 無

他事 令存 候哉 古し へ遣

能法 語に 下語 をし て

まい ら勢 候こ 連越 可有 御

覧御 本を 志路 しめ され す

候盤 舞本 とハ 下語 に御 心え

ある へか 羅す 候也

法々 本来 法足 痩草 鞋覓 心々

無別 心鐡 丸無 縫罅 世界 國土

この しう に申 しい れま いら せさ せ

給候 へ者 一日 も御 せん けの 御物

かた り候 しか ハ御 させ ん候 へく 候

かや うの

事も 御古 ねに もわ たり 亭返 々

よろ こひ いリ て候 へと もな 越ま こと ニ

この 法に て生 死ハ 者な るへ き物

そと ふか く信 する 御心 かい また 候ハ ぬこ

と於 ほく 候か まへ ても ろと もに 御修

候へ く候 實に ハ又 な越 さり にて ハか な

ハぬ 事に て候 やよ く

志 いて も御

させ んハ ある へき 事に て候 也何 事も

ゆい けん しや うい ん御 まい り候 ハん とき

申入 候へ く候 恐々 謹言

二月 十六 日

花 押

浦上 殿

此文 字道 吾ト ミタ リ

開山 ヲ初 ハ道 吾ト 云タ

浦上 殿ハ 開山 ノ親 父也 此文 ハ前 宮幸 三郎 所持 一段 ハ利 休

所ニ 有リ 利休 ヨリ 住吉 屋宗 拙父 モラ イタ ト也 由来 正キ

(18)

物ソ 壺道 味ニ 有之 開山 ノ文 記 述の 内容 は 父 であ る浦 上氏 に修 行の 様子 を伝 える もの であ る 墨蹟 之 写 に あ る江 月の 写し では 仮名 文字 のお およ その 筆跡 が確 認で きる

墨蹟 之写 に 所載 す る 道悟 時代 の墨 蹟と 筆跡 が近 い墨 蹟と して

写本 譲 状 紀州 高家 荘 図 16 龍光 院 蔵 があ る 同墨 蹟の 継紙 には 江月 宗玩 によ て 以下 の よ うな 記 述 があ る

紀州 高家 庄譲 状之 写

大燈 国師 自筆 錐仮 名難 辨別

国師 授与 浦上 氏慈 父慈 母仮 名之

藻翰 相似 分明 矣

宗 玩書 印 文 中の 国師 授与 浦上 氏慈 父慈 母仮 名之 藻翰 とは 墨蹟 之写 中に 所載 され る道 悟 時代 の書 状 図1 5 と 合致 する

墨 蹟之 写 と 写 本譲 状紀 州高 家荘 か ら 二 十 五歳 以前 に書 かれ た宗 峰妙 超墨 蹟で は 仮名 消息 が残 存し てい たこ とが わか る

・ 青年 期 そ の後 宗峰 妙超 は高 峰顕 日の もと で大 悟す るも 二十 五歳 のと き 当時 虚 堂智 愚 の法 嗣で ある 南浦 紹明 大 応国 師 に参 じる 宗 峰妙 超は 二十 六歳 のと き 師で ある 南浦 紹明 に 投 機偈

図 17 を 呈す る

本墨 蹟は 師で ある 南浦 紹明 から 与え られ た雲 門関 の公 案を 透得 した とき その 胸 中を 書 き師 に示 した もの であ る その ため 後半 部分 には 師 の 南浦 に よ り印 可証 明 する 旨が 書か れて いる 宗峰 妙超 は二 十八 歳の とき 師の もと を離 れ 東 山の 雲居 庵 つ いで 三十 四 歳の とき 京都 紫野 に小 庵を 営ん だ その 後も 数人 の 弟 子ら と 参 学に 励 んだ こ れら の足 跡を 物語 る墨 蹟で は 景徳 伝灯 録 図2

手抄 二巻

図1 0 芳春 院 蔵 大川 普 済録

図1 1 龍光 院蔵

白雲 集 図 12 福 岡市 美術 館蔵 があ る 以上 の墨 蹟 中 制作 年代 が判 明す る墨 蹟は 投 機偈 と 景徳 伝 灯録 が ある 投 機偈 と 景 徳伝 灯録 の筆 跡に 注目 する 宗 峰妙 超が 二十 六歳 のと きに 書い た 投 機偈

図1 7 の 筆跡 は 筆の 腹部 を 用い て書 かれ て いる 字 粒は 写 経の よう な 小文 字で あり 字 形は 正方 形に 納ま る 筆勢 も穏 やか であ る 用い た筆 は穂 先が 短く 写 経用 の筆 であ ると 考え られ る 本幅 は行 書体 で書 か れ るが 一 文 字ず つ の間 隔 が狭 い 次 に 景徳 伝灯 録 図 2 は巻 末の 奥書 に

正和 二年 五月 廿三 日 野僧 妙超 寫 とあ り 正和 二 年 一三 一三 宗峰 妙超 三十 二歳 のと きの 筆跡 であ るこ とが 判明 する 本墨 蹟は 四十 日 間で 書か れた ため 速度 のあ る運 筆 が認 めら れる

景徳 伝 灯録 は

(19)

時 處

写経 用の 小筆 を用 いて 筆先 を立 たせ て書 写さ れて いる 奥 書部 分の 筆跡 は 小 筆 を用 い てい るが 続 けて 書か れた よう で筆 を立 たせ て書 か れ てい る 三十 二 歳当 時の 字の 書体 をみ るこ とが でき る こ のほ か 書 かれ た年 代が 判明 し ない もの の お よそ 三十 代の 筆 跡と して は 大 川 普済 録 白 雲集

手抄 二巻 が ある

大川 普 済録

図1 1 は閲 覧 し てい ない も のの 図 版か ら分 析を 試み ると 筆 跡こ そは 他の 写本 と異 なる が 三十 代の 青年 期に 書 かれ たも のと 考え られ る 筆 跡 は筆 先の み を 用い て あ る程 度の 速度 をも て 書か れた 経典 など を写 す場 合 内容 の理 解に 重き をお いた と み え 穂 先 を用 い て速 筆で 書か れて いる 文 字全 体は 面長 に書 かれ る これ は祖 録を 写 す とき の 筆 跡で あろ う 白雲 集 図1 2 は 写経 用の 筆で 穂先 の短 い小 筆を 用い て書 かれ てい る

筆 跡 に注 目す ると 一画 一点 をお ろそ かに して いな い 起 筆 終筆 とも にし か りし て お り 写 経用 の穂 先の 短い 筆に よ て書 かれ てい る なお 篠 原壽 雄に よれ ば 大川 録 な どに 続 く三 十歳 代の もの と考 えら れる と して いる

手抄 二巻

図1 0 は 筆先 のみ を用 い て書 かれ てい る 傍 線や

○印 も 本紙 中に 朱 書き があ るが 後 世の 書き 入れ であ ろう 総じ て字 粒は 小さ い さき の 白雲 集 にみ た筆 跡と は異 な てお り ハネ やハ ライ を気 にせ ず に 書か れた もの であ る 以 上 の祖 録 写本 から 青年 期に おけ る筆 跡の 特徴 は 写本 の性 格 か ら運 筆 の 速度 が速 く書 か れ てい る 青 年期 に書 かれ た墨 蹟の うち 投 機偈 は 宗峰 妙超 二十 六歳 の筆 跡で あり そ の書 体 に特 徴を みる こ とが でき た 祖録 写 本で は 景 徳伝 灯録 や 白雲 集 では 筆 先を 用 いて 書か れて おり 文字 の終 筆と 起筆 に特 徴が みら れる また ハネ ハラ イ 横画 に は 伸び がみ られ た

・ 壮年 期

現 存す る墨 蹟を 便宜 上区 分 す るた め四 十 代 前半 と 後半 に分 類 する こ こ で は先 ず 四 十一 歳以 降 四 十 五歳 ま での 墨 蹟の 筆 跡を 検討 する 四 十 一歳 の と きの 墨 蹟 で は元 亨 壬 戌 す な わち 元 亨 二年 一 三二 二 に書 かれ た 与宗 圓禅 人法 語 図1 8 根津 美術 館蔵 が ある

閲 覧 し た と こ ろ 行 書 体 で 書 か れ て い る 横 画 に 注 目 す る と 入 筆 か ら 徐 々 に 筆 圧 を 強 め て 書 か れ て い る 始 筆 は 鋭 く 中 央 部 は ふ く ら み 終 筆 は 次 の 文 字 の 一 画 目 に つ な げ よ う と して い るた め 部 分 的 に 連 綿 に な て い る 時 の文 字な どは 行書 体に な てい る 起筆 から 徐々 に力 を 入 れ て 書 か れ 終 筆 で 止 め て い る 運 筆 は 比 較 的 ゆ く り と 書 か れ

(20)

一 路

春 花

る 文 字 毎 の 間 隔 は 狭 く 一 文 字 あ た り の 字 粒 は 全体 を通 じ て 同 一で あ るが 處 の 文字 は筆 先を 用い 細め に書 かれ てい る この 文字 の場 合 終 筆は 若干 上向 いて いる 四十 四歳 のと きの 墨蹟 で は 正中 二年 一三 二五 に書 か れた 与宗 明 大 姉法 語 図 1 9 永 青 文庫 蔵 があ る この 墨 蹟は も と もと は 前 半 部 分 が 存 在 し た が欠 損 し 現 存 す る の は 後 半 部分 の み で あ る

閲 覧 し た こ こ ろ 筆 跡 は 行 書 体 を 中 心 に 書 か れ る 後 半部 分の 筆 跡 に 注目 す ると 先ず 全 体を 通じ て 一 の文 字と 最終 画が 横長 に書 かれ てい る 文 字が 比較 的 正方 形に 書か れる こと

一 の文 字が 横長 に広 がる こ と で文 字全 体に 躍動 感が 与え られ てい る 末文 には 筆 に信 せて 之を 書 す と ある こと から 一 気に 書か れた こと がわ かる そ のた め運 筆は 速 く 本 紙 の 四 行 目 の 以 降 か ら 最 後 ま でを みる と 徐 々 に 行 書 体 が 崩 れ 草 書 体 に 変 化 し てい る こ の 時 期 か ら 一 文 字 に お い て 右 肩 上 が り に 書 く 癖 が 表れ て い る 次に 四 十 代後 半 で は嘉 暦 四 年 一 三 二九

四 十 八 歳の と き に書 か れ た 関 山号

図 3 元徳 二年 一三 三〇

四十 九歳 のと きに 書か れ た 与 関山 慧 玄印 可 状 図 4 や 与 宗 悟大 姉法 語 図 2 0 大仙 院 蔵 があ る これ ら三 件の 墨蹟 は閲 覧し てい ない ため 図 版か ら筆 跡の 所 見を 述 べる こ とと する 関山 号 図3 は元 々別 であ た 字号 と偈 頌を 後世 上下 にし て表 装さ れ たも ので ある 字 号 偈頌 と も に一 文字 が右 肩上 が りに 書か れ てい る 下 部の 讃部 分は 行 書 体 で 書 か れ て お り 一 部 は 草 書 体 で あ る

該 当 す る 文 字 は 一 行 目 三 文 字 目 の 路 最終 行二 文字 目の 春 があ る 与関 山慧 玄 印可 状 は 行書 体で 書か れて い る 一 文 字 に注 目 す ると 正 方 形に 書 か れて い る 最終 画 が ハ ライ の 場 合 は 筆 の 勢 いに 任せ て書 かれ てい る 与 宗悟 大姉 法語 の筆 跡 は 楷書 体で ある もの の 一 部に 行書 体の 文字 がみ られ る 文字 は一 画毎 に書 かれ てい る 五 十歳 前後 の筆 跡で は 与 泰綱 居士 法語

図2 1 湯木 美術 館蔵 があ る 田山 方 南に よれ ば本 墨蹟 の筆 致は

与 宗圓 禅人 法語

図 1 8 に 近い こと から 五 十 歳前 後 であ る と 推定 さ れて い る

閲 覧し た とこ ろ 筆 跡は 火中 蓮 花 の 花 以 降に 変 化 を確 認で きる

花 以 前は 宗峰 特有 の墨 を多 く含 んだ 筆致 で描 かれ てお り や や遅 筆 であ る 後半 は 比較 的速 い速 度で 書か れて いる 墨 蹟中 に 明月 軒 とあ り 明月 軒 とい う 居 室で 書 かれ た こと が わ かる

背 面 か らみ る と横 筋 が 多く 入 て い る 縦 筋 は少 ない 紙 の色 は時 代の 経過 によ て 黄色 みを 帯び てい た 現在 本 墨蹟 には 春屋 宗 園に よる 極め が付 属す る

(21)

利 従

この ほか 先行 研究 にお い て 五 十 歳前 後に 書 かれ た 墨蹟 と し ては 七 言 偈 熱 一上

図 22 藤 田美 術館 蔵 が ある 田 山方 南は 墨 蹟中 に 書か れる 龍 寶山 に 注目 し 大徳 寺の 開堂 が四 十五 歳前 後に な る こ とか ら 本 墨 蹟 を五 十 歳 前 後 で あ ると 推 定 し て いる

閲 覧 し た と こ ろ 起 筆 終 筆 と も に し か りと 書 か れ て い る こ の よ う な 字 形 は 筆 を 垂 直 に 近 い 形 で も て 書 か れ た ため と 考え ら れ る ハ ネ ハ ラ イ は 穏 や か で あ る こ と か ら 一 定 の 速 度 で 書 か れ た 文 字お よび 行 間 が ほ か の 法 語 墨 蹟 と 異 な り 広 く と ら れ て い る 特 に 語 句 と 落 款 部 分 の行 間 は大 きく 空け られ てい る なお 四 十代 後半 もし く は 五十 代 前 半に 書か れ た墨 蹟 とし て 看読 真 詮 傍 図 13 が ある

看 読真 詮傍 とは 七 月十 五日 の 盂蘭 盆会 に際 し 僧 堂 に 掲 示 す る 紙 の こ と で ある そ こ に は 看 読 す る よ う 指 示 し た 経 典 が書 かれ 僧 が随 意に 読経 を行 う この 墨蹟 は先 行研 究に おい て 木 下 政雄 が 四十 七 歳に 近 い頃 の 作 品 で ある と 推定 さ れ てい る

ま た 田 山方 南 は 本墨 蹟の 書か れた 年代 を建 武元 年 一三 三四

す な わち 宗峰 妙超 五十 三歳 の筆 跡で あ ると 推 定 され て いる

本 墨 蹟 を閲 覧 した と こ ろ文 末 に宗 鏡 と ある が 筆 跡 が異 な てい る た め 宗 峰妙 超 の もの と は いえ ず 加 筆で あ る 筆 跡 は 中 筆を 用 い て 書か れ 墨 色 の変 化 も あ り運 筆 を よく み る こと が で き る 起 筆 を みる と 徐 々に 筆 が 入 て お り 穂 先 の長 い 筆 を用 い て 書か れ た と 考 えら れ る 文 字 か ら文 字 へ の 移動 に 際 して 筆 が 紙 面 と 擦れ る 部 分 は細 い 連 綿と な て いる 紙 面が 限 ら れて い る 中 で 一 行 あ たり 四 文 字 程度 を書 いて おり 文 字と 文字 の間 は適 宜 間隔 が 空 いて いる ま た行 書 体 草書 体 が 入り 交じ て 書 かれ てい る 文字 全 体を みる と縦 の 線 ウ冠

利 の 右側

一 の 字な ど強 調し て書 かれ てい る

・晩 年 元 弘二 年 一 三三 二 以 降の 五十 代の 墨蹟 では 与宗 玉善 女法 語 図2 3 水府 明 徳会 蔵 が ある この 墨蹟 は元 弘二 年 一 三三 二 宗峰 妙超 が五 十一 歳の とき に書 か れた 墨蹟 であ る 閲覧 でき てい ない ため 図 版か ら 筆 跡の 所見 を述 べる こ とと す る 一 文字 に 注 目す る と 正 方形 に は お さま り き らず に 縦 横 に拡 張 し て いる 一 部で は 筆 圧 が 強く 書か れる 箇所 があ り その 特徴 は 従 の文 字 等 にみ ら れ る 全体 的 には 行 書体 で 書か れ る が 草書 体 の 割合 が 多 く な て い る な お こ の時 期 か ら 僅か に 穂 先に 揺 れ が み られ る時 期と なる こ のほ か建 武元 年 一三 三四 の 墨蹟 では 宗 峰妙 超像

図2 4 大徳 寺蔵 の 讃

(22)

徹 成

殊 雲

部 分 が あ る

閲 覧 し たと こ ろ 讃 文 三 行 目か ら 五 行 目 は 剥落 し て い る が おお よそ の文 字の 形状 が判 読で きる

機 と いう 文字 をみ ると 書 体 がし か りし てい る こ のこ ろは 蔵峰 で書 かれ て お り 書き 出し は 筆 の 中腹 まで を用 いて し かり と書 かれ てい るが 後半 にな ると やや 筆先 を 用い 書い てい る箇 所が ある そ のた め線 質に 若干 の変 化が ある 建 武三 年 一 三 三六 に 書 かれ た 示衆 法 語 図 25 孤 篷庵 蔵 は 宗 峰 妙 超 が 五 十 五 歳 の と きに 書 い た 墨 蹟 で あ る 本 墨 蹟 は 閲 覧で き て い な い た め 図 版 を 参 考 に 所見 を 述 べ た い 一 文 字 に 注 目 す る と や や 丸 みを 帯び てい る 書体 は 行 書体 で 一 文字 毎に 書か れて いる な お 法 語 墨蹟 中 花押 がみ られ る の は本 墨蹟 の み であ る 建 武四 年 一 三 三七 に 書 かれ た 墨 蹟で は 日 山之 賦 図 26 個 人 蔵 が ある 閲覧 した と こ ろ筆 跡 は 字の 骨格 が し か りと 書 かれ 筆 先 に は 僅 か に 震 え た 箇 所 がみ ら れ る ま た 最 晩 年 に 書 か れ た 墨蹟 で は 遺偈

図 27 大徳 寺 蔵 があ る 遺 偈 に も筆 先に 僅か な震 え が みら れる この ほか では 与 宗圓 道人 法語 図2 8 梅澤 記念 館蔵 が ある 墨色 と筆 跡に 勢い があ り全 文十 八行 で 宗峰 最晩 年中 最長 の 墨 蹟 で あ る 閲 覧 し た と こ ろ 筆跡 は 終 筆 に は わ ず か に 筆 先 が 震え た 箇 所 があ る この ほか の 墨蹟 で は 徹翁 号 図2 9 徳禅 寺蔵 が 晩 年 に 書 か れ た 墨蹟 で あ る と され る

本 墨蹟 は 宗 峰 妙 超 が法 嗣 の 徹 翁 義 亨 一 二 九五- 一 三 六九 に与 えた 字 号 であ る 閲 覧し た とこ ろ 中 筆 か 大筆 に墨 を十 分に 含ま せて 書か れて いる 本 墨蹟 の筆 跡は 徹 とい う 文 字 に お い て は 紙面 に 押し 付 け る よ う に 書 か れ て い る 一 定 の速 度 が 感 じ ら れ 速 筆 で 書 か れ たも の と 考 え ら れ る ま た 同 時 期 に 書か れ たと 考 えら れる 墨蹟 と して 徹 翁大 徳寺 一 世置 文 図 6 があ る こ の頃 の筆 跡の 特 徴は 入 筆と 終筆 と も に僅 か な震 えが み られ る 建 武年 間の 中 間か ら晩 年に 書い た とさ れる 墨蹟 で は 興 作偈

夏 日 偈 図 3 0 出光 美術 館蔵 の双 幅が ある 本墨 蹟の うち

興 作偈 は田 山方 南が 禅林 墨蹟 にお い て 建 武 年間 の 筆跡 で あ ると 指 摘し て い る

これ ら 二 件の 墨 蹟は 白雲 守 端 語録 を 出典 と する 墨 蹟で あ る

興作 偈 を閲 覧 した と こ ろ用 い た筆 は も う 一 方の 夏 日偈 同様 に毛 先が 柔 らか な 筆で あ ろう 文字 に注 目す ると 成 の四 画目 な どの ハラ イが 右肩 上が りに なる 箇所 や 殊 の文 字 が 左下 が り にな てい る箇 所 など これ らが 本紙 全体 で動 きを つけ る役 割を して いる 総 体に 各 字 形が 右 肩上 がり にな て いる 特徴 があ る 墨 色も は きり とし てい る 次 に 夏 日偈 も大 筆を 用い 書か れて い

(23)

る 墨色 の濃 淡 も残 り 筆の 腹部 を 用い て書 かれ て いる 筆 の毛 が柔 ら かか た ため 線質 は丸 みを 帯び てい る 経年 変化 によ る皺 お よび 表面 に割 れが 多く みら れる 筆 跡 が同 じこ とか ら 興作 偈 と 夏日 偈 は同 時に 書 か れた 墨蹟 であ ると 考え ら れ る こ のほ かで は 白雲 偈 図 31 野村 美 術 館蔵 が ある 本 墨蹟 は 碧 巌録 三 十 七則 盤 山三 界 無法 を出 典 と する

先 行 研 究に お いて 田 山 方南 は 本 墨 蹟を 最 晩 年の 筆 跡 であ る と指 摘 し てい る

閲 覧し た と ころ 雲 の 跳 ね上 が りの 二 画目 の 字 が金 釘 の よ う なま が りの 調 子 を みせ て い る 運 筆 を み ると 前 半 四文 字 は 各 文字 行 草 書 体が 入り 交 じ たも ので あ るの に対 して 後 半 四文 字は 行書 体で あ る 泉 の 字は 途 中か ら 墨 を 継い で 書 かれ た こ とが 確 認 で きる 用 い られ た 筆 はや や 穂 先 の長 い 大 筆と 考 えら れる 以 上の 墨蹟 から 建武 元年 一三 三四 より 晩年 の 建 武四 年 一 三三 七 まで に みる 筆 跡の 特徴 は 楷書 体に 近い 行書 体に な てい る点 で あ る たと えば

遺偈 や 日山 之賦 な どは その 傾向 が顕 著 に みら れる ま た 一 文字 も筆 全 体を 用 いて 太く 書か れて おり 筆 先に 僅か な揺 れを みる こと がで きる 現存 す る建 武 年 間 一三 三 四- 一三 三八 の筆 跡に おい て 最 長の 墨蹟 は 与 宗圓 道人 法語

図2 8 で ある

与 宗圓 道人 法 語 は 遺 偈 や 日 山之 賦 にみ る行 書体 では ない もの の文 字に は僅 かな 揺れ を確 認 する こと がで きた ま た 青年 期に 書か れた 投機 偈 より 晩 年に 書か れ た墨 蹟を みて みる と 文 字の 字 体 に変 化 は な く 行 書 体や 草 書 体 など 字 形 の変 化 が あ た こ と が わか 第 る

三 節 新 た に 所 在 が 判 明 し た 墨 蹟 第 一項

一帆 風 個 人蔵 本 墨蹟 図 32 は現 在 個人 が所 蔵す る 書 かれ る 内容 は 一 帆風 を宗 峰妙 超に よ て 書写 した も ので ある 一 帆風 と は宗 峰妙 超の 師 であ る南 浦紹 明 一 二三 五- 一三

〇 九 が その 師で ある 徑山 の虚 堂智 愚 一 一八 五 一二 六九 のも とを 去る にあ たり 尊宿 から 送ら れた 送別 詩偈 の総 称で ある こ の 墨 蹟は 田 山方 南 をは じ め とす る 先行 研 究 では 取 り上 げ て こら れ ず

これ ま で 所在 が不 明だ た この 墨蹟 を 紹介 した 初出 は 同 門 であ る 同 門 では 大 徳寺 で 開催 され た 表千 家家 元如 心斎 と即 中斎 の遠 忌の 茶 会 を紹 介し てい る 本 墨蹟 は 茶会 に おい て京 都支 部が 担当 した 茶席 の掛 物と して 用い られ てい る 同誌 中 本 墨蹟 につ いて 木下 收 北村 美術 館 館 長 が 墨蹟 と添 状に つい て触 れ 堀内 宗心 表千 家宗 匠 が墨 蹟 の内 容 を 解説 し てい る

茶 会 で使 用 され て 以 降 墨 蹟が 紹 介 され た もの と して は 堀

参照

関連したドキュメント

 本稿における試み及びその先にある実践開発の試みは、日本の ESD 研究において求められる 喫緊の課題である。例えば

組織変革における組織慣性の

本研究ではねじりを受けるコンクリート充填鋼管柱のねじり耐力、ねじり剛度お

本稿 は昭和56年度文部省科学研究費 ・奨励

このように,先行研究において日・中両母語話

欧米におけるヒンドゥー教の密教(タントリズム)の近代的な研究のほうは、 1950 年代 以前にすでに Sir John

 この論文の構成は次のようになっている。第2章では銅酸化物超伝導体に対する今までの研

 海底に生息するナマコ(海鼠) (1) は、日本列島の