博士論文 概要書
題 目
現代スペインの福祉政治 Welfare Politics in Contemporary Spain
氏 名 中島 晶子
1.テーマ
政策学、比較研究としての EU地域研究を志向し、南欧諸国の一例としてスペイン を取り上げる。そしてスペイン現代政治の論点を横断するテーマとして福祉国家に焦 点を合わせ、福祉をめぐる政治過程の観察によって政治的クリーヴィジを浮き彫りに すると同時に、比較研究の俎上にあげる。全体を通じ、①スペイン福祉国家の形成プ ロセスと特徴、②福祉ガバナンスの変化、③福祉国家の変化の要因という三つの論点 について検討する。
2.構成
第1章では、本論の前提となる現代スペインの国家モデルと政党システムを整理す る。第2章以下では、南欧福祉レジームを概観し(第2章)、その主な特徴である家族 主義(第3章)、労働市場(第4章)をとりあげ、続いて福祉政治の観点から移民への 国家の対応をみたうえで(第5章)、福祉供給体制における公的セクターと私的セクタ ーとの関係をとりあげる(第6章)。終章では、序章で設定した三つの論点について考 察する。
3.各章の要旨
第1章では、78年憲法に示された自治国家という国家モデルの展開について検討し た。その発想は19 世紀の連邦思想に遡り、20世紀前半の第二共和制の経験を反映し ている。歴史的な争点である地域的多元性への対処について、78年憲法は擬似連邦的 であいまいな制度的枠組みを用意し、将来を国民に委ねたといえる。現実には、カタ ルーニャ、バスクの地域民族主義に刺激されたかたちで、新たな地域主義が生まれ、
全17自治州から構成される自治州体制が制度化された。権限および財源の配分をめぐ り、中央と自治州、自治州間の対立、競争関係が生まれた。これはまた、連邦制化を 支持する勢力と、現行の自治国家モデルを支持する勢力との対立関係でもある。伝統 的で集権的な自由主義勢力、進歩的で分権的な連邦主義を支持する社会民主主義勢力、
地域民族主義勢力の間の思想の違いはいまなおスペインの政治的争点を形成している。
第 2章では、エスピン=アンデルセンの福祉レジームの三類型に対し、南欧諸国に は独自の南欧型福祉レジームが認められるとの主張について、その意義を検討した。
南欧の福祉については大陸欧州型の後進型にすぎないという意見もある。しかし、フ ェレーラの主張[Ferrera 1996]から10年以上を経て、南欧独自の福祉供給体制の型 を認めるかはともかく、南欧をたんなる地理的概念ではなく、政治経済的な含意をも つ概念として理解する考え方は定着したようにみえる。スペイン福祉国家の場合、そ の形成プロセスと特徴は結びついている。体制移行後、保健医療、社会福祉、住宅政 策など、基本的にフランコ権威主義体制下の制度を継承、発展させて形成されたので
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ある。
第3章では、南欧型福祉レジームを特徴づける主な要素として、家族主義に着目し た。南欧の福祉供給体制において家族の役割は、機能面でも規範面でも構造的に組み 込まれており、この構造化の程度が顕著であることが南欧福祉レジームの特徴である。
家族は、社会有機体説とカトリシズムの伝統において、規範化され、制度化されてき た。家族についての理解は君主制と共和制、宗教性と世俗性、政治的な左右の立場で 対照をなしており、体制移行後の家族政策が発達を阻まれたのは、フランコ体制期の 出産奨励策が講じられた反動である。家族を最善のケアの担い手として、家族以外に 頼ることに罪悪感がともなうような心性においては、福祉供給体制における「脱家族 化」は、北欧のプロテスタント諸国の個人主義的文脈で論じられるのとは異なり、イ デオロギーの転換を意味し、きわめて困難である。
第 4章では、南欧型福祉レジームを特徴づける別の要素として、労働市場をめぐる 政治に焦点を当てた。90年代の「ネオ・コーポラティズムの復活」という議論を念頭 に、スペインにおける労働市場の二元化状況とその福祉供給体制における帰結を検討 した。スペインでは体制移行後に政労使三者の協調行動が現われたが、それは三者の 戦略的な意図が合致した結果として、欧州諸国のネオ・コーポラティズムの実践が外 形的に移入されたものであった。その後、労働組合はその歴史的な役割と政党との関 係によって対立的な戦略に終始し、労働市場政策は高度に政治化するなかで政府は一 貫した政策をとることに失敗し、家族は失業とともに生きる術を学んできた。後に三 者交渉にはそれぞれが利益を見出せなくなり停滞するが、労働組合は政策決定過程か ら次第に排除されるようになって 90 年代半ばに中道右派政権のもとで対話路線に戻 り、三者協調行動の結果として改革が実現した。しかし、今なお利益団体の交渉には 国家が介入するという国家コーポラティズムの名残が見られる。自治国家の分権化を 主導したのも国家であったように、民主制のもとで利益団体間の交渉を設定するのも 国家であった。
第 5章では、移民政策の形成における政治的、制度的な側面を、南欧福祉国家との 関連から検討した。スペインでは1985年になるまで移民法自体が存在しなかったが、
シェンゲン諸国の圧力により規制が始まった。しかし大規模な非合法移民の合法化措 置が何度もとられている。そして福祉国家の制度化のレベルが高くないスペインでは、
福祉ショーヴィニズムから移民を排斥する動きは生まれず、逆に移民労働者は経済と ともに社会保障制度を支える存在とみられた。一方で法制度的には、移民が合法的に 定住できず、非合法化しやすい構造になっており、それをアド・ホックな特別合法化 措置で一時的に緩和している。
移民の社会統合においては労働組合、ボランタリー組織そして市町村が主な担い手 となってきたが、90年代には自治州がボランタリー組織にアウトソーシングするかた
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ちで担うようになった。さらに出入国管理政策も中央と自治州の対立の争点に加わっ た。スペイン経済の成長にともない、親移民の政策は効を奏したかにみえたが、2008 年の世界的な経済危機は移民労働者の雇用を直撃し、新たな移民への対応を迫られて いる。
第 6章では、南欧福祉レジームにおける第三セクターの役割について、スペインの 社会サービスの領域の事例を検討した。フランコ体制下で社会サービスを提供してき たコーポラティスト団体が、体制移行後に特別なボランタリー組織(第三セクター組 織)として存続し、いまなお国家の施策を補完している。すなわち国家は枠組みと資 金を提供するが、社会サービスの運営と実施は民間が担う。90年代の中道右派政権期 に社会サービス領域で活動するボランティアの促進政策が実施された。また、自治州 は立法により社会サービスをボランタリー組織にアウトソーシングした。こうしてス ペインにおける第三セクターの役割にはコーポラティズムの歴史的連続性と政治的遺 産が色濃く認められる。この点、第三セクターは社会的排除を表明し、社会的に脆弱 な集団を援助すると同時に、国家の政策を正当化し、社会的に脆弱な集団を統制し社 会秩序を安定させる手段にもなりうることを示している。南欧福祉レジームの特徴に 対応して、第三セクターのこの両義性と道具化が現れている。
終章では、序章で設定した三つの論点について考察した。
①スペイン福祉国家の形成プロセスと特徴について
スペイン福祉国家は、19 世紀末から 20世紀初頭に、世俗の自由主義の政治エリー トにより着手されてから、保守勢力、宗教勢力との拮抗のなかで継承されてきた。フ ランコ体制は第二共和制下の左派による進歩的で反教権的な社会立法に対抗し、共和 派を排除していくために、社会政策を実施した。民主化は福祉国家化を促進する契機 になったが、体制内改革派の合意により民主化が進められたことで、自律的な官僚機 構は温存され、既存の公的福祉のモデルは発展的に継承されることになった。よって、
フランコ体制下の社会政策の傾向と、民主化以降のスペイン福祉国家の展開の結果と して、南欧福祉レジームの特徴といわれている点が現われた。
フランコ体制下では、保健医療で公的関与の程度が高く、社会サービス、公的扶助 や家族政策で国家の役割は最も低かった。そして民主化後に現れた福祉レジームは、
ビスマルク型とベヴァレッジ型の混合(職域主義の年金、普遍主義の医療)、労働市場 における雇用の地位と社会保障の二元化、生活リスクの保障における家族主義による 解決、社会政策の構成のアンバランス(社会福祉、家族政策、住宅政策の遅れ)、公的 部門と民間部門のもたれあい、しばしば非営利セクターが国家に従属する傾向などの 特徴をもつ。社会サービスについては、体制移行後すぐに地域政府に委ねられる方向 性が明らかになり、自由主義的なミーンズテスト付きの選択主義にしたがって運営さ れている。ケアの最善の担い手は家族であるという、伝統的な家族の役割に関する考
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えは国民の間に根付いており、政策の争点となるのは90年代後半であり、家族やジェ ンダー平等に関わる政策(離婚法改正、男女均等法)が進展するのは 2004 年以降で ある。
②政策の展開と福祉ガバナンスの変化
スペイン福祉国家の発展プロセスは、自治州体制の制度化および自治州への権限移 譲の過程と連動しながら、三つの福祉レジームでいえば、混合型として発展したとい える。所得保障については保守主義的な職域主義を継承し、教育と医療については社 会民主主義的な普遍主義に基づいて発展した。社会サービス(社会福祉)については、
財政上の制約からミーンズテスト付きで制度化されていった点で、自由主義的な選択 主義に基づいている。社会サービスでは90年代には自治州と第三セクター組織の協働 が進み、利潤を上げやすいサービス領域では、営利企業の参入が進み、棲み分けがな されている。
一方、自治州がそれぞれ社会政策を展開してきたために、スペインの社会政策一般 を論じることは難しく、福祉供給主体の構成には顕著な差異が生じている。これは地 域ごとに社会経済の歴史があり、発展水準が異なるほか、各州で公的部門、民間部門 が二重のネットワークを発展させてきたこと、体制移行後にはさらに自治州レベルで の政権構成、政治的選択の結果である。
欧州統合との関連では、マーストリヒト条約後は経済通貨統合の収斂基準を満たす ためPSOE政権のもとで社会政策の合理化、効率化が始まった。ただし、欧州統合へ の言及により合理化の目標を正当化することができたという事情もあり、EU の影響 は、既に国内環境で準備中か、達成された政策展開を組みこむかたちで現れたといえ る。
③政策、ガバナンスの変化の促進要因
第一に、イデオロギーの点で、民主化時に左派政党が福祉国家の理念型として北欧 の普遍的な社会民主主義モデルを抱いたこと、そして 80 年代の福祉国家形成期に PSOE が長期政権を築いたことは、スペイン福祉国家の形成にとって積極的な要因に なった。しかし、体制移行以後スペイン政治は中道に寄り、社会政策における党派性 は、教会との関係など信条的なニュアンスをもった点で現れるのみで、基本的に左右 両派の間で福祉削減をめぐる争いにはならない。
第二に、自治州に社会政策の権限が移譲されたことは福祉国家拡大を促進する要因 となった。この体制は各地域の政治家に新たな機会構造と行動シナリオをもたらし、
自治州間競争が生じた。自治州間のデモンストレーション効果、模倣効果は政策の発 達を早め(スピルオーバー効果)、この過程で福祉水準の均等化がもたらされた。
第三に、自治州レベル、国政レベルでの政党の連合形成戦略による権力配置、選挙 戦略による利益は、福祉政策の継続性や左右へのシフトなど、福祉国家の軌道に影響
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を与えた。
第四に、欧州統合プロセスはアイデアを通じ、認識および規範的な側面で国内の社 会政策をめぐる政治、アクターの行動に間接的に影響を与えたといえる。スペイン福 祉国家の形成や政策展開を直接的に促したのは主に国内要因であったが、欧州レベル の発展に対応し、国内の政策に影響する認識論、言説、アイデンティティのシフトが みられた。たとえば「欧州社会モデル」は参照基準の役目をし、スペイン国内のアク ターはこれに言及して政策を正当化したことは、政府が社会政策を展開するよう動機 づけるうえで決定的であった。政治アクターがそれぞれの国内の環境で、EU 政策の 義務や欧州モデルをいかに「翻訳」、「編集」し、解釈しているかが重要である。
最後に日本への示唆を考える。スペインと日本はともに後発の福祉国家であり、ジ ェンダーや人口統計的な側面で課題を共有していることも指摘されている。後発福祉 国家スペインが分権化、欧州化、脱家族化に関して直面した経験を検討することは、
福祉の制度化が先行して確立した諸国とは別の意味で、今後も日本にとって比較福祉 国家論的に意味があろう。
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