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中国哲学における神秘主義 : 馮友蘭の解釈をめぐ って

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(1)

中国哲学における神秘主義 : 馮友蘭の解釈をめぐ って

その他のタイトル Mysticism in Chinese Philosophy and Feng youlan's Interpretation

著者 陳 来, 井澤 耕一

雑誌名 関西大学東西学術研究所紀要

巻 33

ページ 79‑94

発行年 2000‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/16181

(2)

ー 凋 友 蘭 の 解 釈 を め ぐ っ て

1

潟友蘭の哲学は︑ふつう新実在論の哲学︑典型的な理性主義と見

なされているが︑それは基本的に問題はない︒しかしそのことによ

って潟友蘭哲学における神秘主義の要素がなおざりにされてしまっ

たことは否めない︒潟友蘭はかつて﹁私の過去における哲学思想は︑

最終的に神秘主義に帰着する﹂と回顧したことがあるが︑今世紀の

中国の哲学者の中で︑潟友蘭は最も早い時期にいわゆる﹁神秘主

義﹂の問題に注目していた︒﹁神秘主義﹂に対する潟の理解と態度

は︑むろんプラグマティズムの影響を受けているが︑その思想の構

成要素は多く中国の古代哲学の神秘主義から取材している︒一方で

はそれによって潟友蘭の中国古代哲学に対する理解が一般と違って

特徴あるものとなり︑他方︑神秘主義も﹁新理学﹂の理論に組み込

まれて︑その哲学体系の重要な要素となったのである︒潟友聞は中

国哲学における神秘主義が世界の哲学を改善し︑発展させる上で重

要な貢献をなすと考えていたとさえいえよう︒そのような意味で︑

神秘主義の問題は︑潟友蘭の哲学を検討する上で特に重視すべきポ

中国

哲学

にお

ける

神秘

主義

中国哲学における神秘主義

七九

イントである︒本論では神秘主義への理解が︑彼の思想の中でいか

に発展︑変遷し︑またいかなる役割を果たしてきたのかを検討して

みたいと思う︒そのことによって︑潟友蘭哲学における明快な論理

追求以外の︑終始一貫した基本的発想を理解することができるであ

ろう

0

なお︑本論では漏友蘭が五年代に著した学術回想録及び思想の ︒

変遷を回顧した資料を多数引用するが︑それは︑潟友闊がみずから

政治的立場を表明したものという以外に︑彼個人の思想変遷を明ら

かにする点で︑基本的に信頼がおけると考えられるからである︒

比較宗教学の見地から考えると︑﹁神秘主義﹂は﹁神秘経験﹂と

密接に関連している︒神秘体験は人が一定の心理的コントロール法

︵修行︶によって到達した特殊な心理感受状態であり︑その根本的

特徴

は﹁

統一

性﹂

( o

n e

n

s )

の体験にある︒統一性の体験はさらに

︵ 井 澤 耕

巴来

(3)

外向︑内向の二種類に分けられる︒すなわち︑外向的体験者はその

惑受状態において万物との渾然一体を感じ︑内向的体験者は︑時空

を超えた自我意識が実在全体であることを感じる︒あらゆる神秘体

験においてほ主と客︑一切の差が消減しているのを感じ︑言葉では

表現できない興奮︑快楽︑崇高さの感覚を同時にともなう︒

一 九

‑ 0

年夏︑潟友蘭は﹁ペルグソンの哲学方法﹂という論文を

書いてベルグソンの直観哲学を紹介評論し︑それは知識的分析では

なく︑本能的直観を本質としていると指摘した︒そこにいう︑﹁真

の直観は一種の知的共感であり︑この共感により︑我々は自己を物

の内部に置き︑その物とびったり合一しようとする︒そして結局ほ

何も言うことができなくなってしまう︒このような体験は多少なり

とも誰にでもあることだ﹂と︒そして潟友蘭はこの論をこうしめく

くった︒﹁最後に少し補足して結論としょう︒私は直観とは分析を

した後のことだといった︒直観の主張者は︑ただ分析を至上視する

ことに反対するだけであって︑分析そのものに反対しているのでは

ない︒もし直観を主張するから分析は不要だと考えるならば︑それ

(2 ) 

は大きな誤解である﹂と︒ここからも分かるように︑凋友蘭が説い

た﹁物と合一して︑結局は何も言うことができない﹂経験とは︑要

するに神秘経験に他ならない︒ただし潟友蘭は当時﹁神秘主義﹂と

いう言葉は使っていないし︑神秘主義に対して特別に注意を払って

いたわけでもない︒この時期︑彼は理知の意義の方をより重視して

いた

ので

ある

ば︑純粋経験は経験の﹁額面的価値﹂であり︑また純粋に惑覚 ームズのいう:

th at

"

)

感じるだけで︑それがょ何であるかク 験者は経験の対象を︑ただィそのようにク

﹁ 天

ニ 0

年代中期︑潟友蘭は﹃︱つの人生観﹄という小著を発表した

︵一九二四︶︒彼は後に﹁﹃︱つの人生観﹄の中で私は理知の重要性

を強調し︑梁漱漠氏のいわゆる﹁直観﹂を批判した︒⁝;・・私はベル

グソンの影響からすでに脱した思いこんでいた︒私が提出した命題

は新実在論と同じく︑重視しているのは論理と理知なのだと自認し

ていた﹂と回顧している6しかし別の箇所で︑潟は﹁r

︱つ

の人

観﹄という小冊子は︑表向き﹁理性﹂を主張し︑いわゆる﹁直観﹂

的神秘主義を批判してはいるが︑実は神秘主義のために基盤を留保

していたのだ﹂と述べているdここで彼が言っているのは︑当該書

の付録部分の﹁天人損益論序言﹂を指し︑のちに﹃中国哲学史﹄で

も同様の趣旨が繰り返されている︒﹃︱つの人生観﹄は一九二六年︑

﹃人生哲学﹄の理論部分となり︑﹃人生理想の比較研究﹄はその歴

史考証部分となった︒﹃人生哲学﹄の歴史考証部分では︑結局神秘主

義の概念は提示されなかったが︑神秘主義と関連する部分がかなり

多い︒道家を論じた章で︑潟友薗は道家の修養は嬰児に返り︑

地と合一する﹂ことを重んじると指摘した上で︑以下のようにいう︑

嬰児に動きはあるが知識はない︒この知識を伴わない経験が純

粋経験

(p

ur

e

ex

pe

ri

en

ce

)

である︒純粋経験においては︑経

︵ジェームズのいう"^

wh at

"

)

を知

らな

い︒

ジェームズによれ 八

0

︵ウィリアム・ジェ

(4)

中国

哲学

にお

ける

神秘

主義

論を仮定する必要はないと考える︒荘子やスピノザも︑そのよ 経験が真実であることを認めるならば︑必ずしも唯心論的宇宙 多くの場合︑唯心論的宇宙論を仮定する︒しかし我々は︑この ことに気づく︒さらに自己自身と﹁全﹂真実であることを認め︑ いわゆる自他や内外の区分が消減することを悟る︒この経験が

しかもこれを説明しようとする者は︑

︵宇

宙の

全︶

が合

一し

界ほ実は幻であって︑よりどヘルの高い真実が別にあるという されたものであって︑概念による分節化をまじえない︒仏教でいう現董はこれと同じものであろう︒荘子のいう真人の経験も

(5 ) 

この

類で

ある

ジェームズはもっばら神秘主義の宗教体験について論じたのであっ

fヵしかし潟友菌は当時ジェームスの著作を読んでほいたものの︑

﹁神秘主義﹂の概念には特に注意を払わなかったようで︑そのため

彼が﹁純粋経験から彼我を同一化﹂する郭象の﹁万物一体﹂の境界

を論じた時︑﹁ここにはいささかも神秘主義がない﹂という結論を

(6 ) 

出すにいたったのである︒これは後に彼が神秘主義に万物一体の境

界があることを認め︑そして郭象の思想にも神秘主義があると述べ

たこととまったく異なっている︒

ほかに潟友蘭は﹃人生哲学﹄第十三章で︑宗教経験について論じ

てい

る︒

このほかに︑さらに宗教経験といわれるものがある︒この経験

においては︑経験者はまるで夢から醒めたかのように︑この世

﹁我

見﹂

を捨

て去

り︑

/¥ 

うに考えていたと思われる︒⁝⁝すべての宗教経験者は必ず

﹁無己﹂の境地に達する︒その境地に達

したとき個体は宇宙と合一する︒宇宙と合一すれば︑事物を見

る観点ほ一段階上に達したといえるだろう︒かくして︑その時︑

一切の事柄は幻であり︑宇宙全体のみが真実であると真に知る

(7 ) 

こと

がで

きる

もし唯心論的宇宙論を仮定しないとすれば︑我々は個体と宇宙

の合一を認めることがどうしてできるのか?・答え・・﹁相い合

する﹂というのほ認識論的に言ったもので︑本体論的に言った

ものではない︒認識論的に言えば︑人がもし直観的に全と合一

すれば︑真に全と合したことになる︒家族・社会・国家につい

て︑その同一性のみを感じ︑差異を感じないと営︑我々はそれ

と一体になったことを悟る︒もしある人が宇宙に対しても︑そ

れとの同一性のみを感じ︑差異を感じなければ︑万物はその人

の個体そのものであり︑その人は宇宙と合一しているに違いな

い︒これが︑かの︹荘子が説く︺﹁至人無己︹至人は己れ無し︺﹂

で分別を離れた極致である︒総じて︑以上の経験をした人がい

ることは事実であり︑また彼らが︑その経験のなかで究極の真

実と最大の幸福を感じていることも事実なのであ紅゜

ここでいう宗教経験とはまぎれもなく神秘経験であるが︑

友蘭は明らかに﹁神秘主義﹂という言葉の使用を避けている︒これ

彼は

また

いう

しかし潟

(5)

は多分︑当時の中国人に﹁損道﹂について誤解を与えることを恐れ

たからであろう︒第十三章において彼は︑ジェームズの﹃宗教的経

験の諸相﹄︵この書は一章を神秘主義の問題に費やしている︶を引

用し

て︑

﹁我々はこの経験の低い段階の由来を認め︑さらにそのな

かに含まれる高段階の価値を認めなければならない︒我々はそれを

真理の道を探求する道とせず︑幸福を希求する道としなければなら

ない︒言い換えれば︑我々はそのなかに真実を追求するのではなく︑

(9 ) 

良きものを希求しなければならないのである﹂︒以上のことから潟

友蘭ほ︑神秘主義は哲学の方法ではないが︑一種の理想的な精神生

活を希求する一手段とすることは可能だと考えていたことがわかる︒

潟友蘭は﹃人生哲学﹄で純粋経験︑宗教経験に触れていた︒しか

しその問題意識は五四運動と梁漱漠の文化観に影響され︑ただ万物

一体の境界を﹁損道﹂として︑

とら

え︑

﹁進歩主義﹂に対立するものとして

﹁自我﹂に対する否定か肯定かに関連づけて思想各派の人

生哲学を理解したにすぎなかったのであって︑より普遍的な哲学や

精神生活のレペルから理解してはいなかった︒一九二七年︑潟友蘭

は﹁中国哲学における神秘主義﹂を発表した︒これは我が国におい

て早い時期に神秘主義を研究した重要な論文だが︑その冒頭には次

のように見える︒

神秘主義は様々な意味を含んでいる︒本論で述べる神秘主義ほ

もっばら一種の哲学を指し︑いわゆる﹁万物一体﹂の境地があ

ることを認める︒この境界において個人と﹁全﹂は合一し︑い 一切の分別を消し去ることであり︑

かつて﹃人生哲 かくして﹁天地 わゆる主観と客観︑我と人︑内外の区別は消減する︒哲学者はふつうこの神秘主義は必ず唯心論的宇宙論と関連していると説く︒⁝⁝哲学者の意見はおおむねこのようであるが︑しかし神秘主義は実際必ずしも唯心論的宇宙論と関連しているわけでは

( 10 )  

ない

ここで潟友蘭は万物一体の境界は神秘主義の境界に等しいと明確に

肯定したばかりか︑神秘主義についての説明と定義も︑﹃人生哲

学﹄に見られた宗教経験についての論じ方と完全に一致している︒

その変化は︑一九二六年に﹃荘子﹄を英訳したことと関係があるの

かも知れない︒注目すべきことは︑潟が神秘主義の境界を宗教経験

ではなく︑一種の﹁哲学﹂的境界と定義づけたことである︒

この論文で︑潟友蘭は︑中国哲学の儒家︑道家は神秘境界を最高

の境地とし︑神秘経験を個人修養の最終成果としていたと指摘する︒

個々に見てみると︑道家の宇宙論は唯物論的傾向をもち︑儒家の宇

宙論は唯心論的傾向をもつ︒道家が用いた最高境界に至る方法とは︑

認識

にお

いて

は我と並び生じて︑万物は我と一たり﹂︹﹃荘子﹄斉物論]の境界に

至る︒一方︑儒家が用いた最高境界に至る方法とは︑道徳において

私欲を捨て去ることであり︑かくして﹁其の天地万物一体の本然に

( 11 )  

復る﹂︹王陽明﹁大学問﹂]という境界に至る︒道家に関して︑漏友

蘭は当論文の第二節で︑彼らは知的認識を批判し︑純粋認識を重視

した

と指

摘し

そのあと二百字以上も費やして︑

(6)

学﹄で述べたジェームズの純粋経験の一段を再録している︒しかし

前書と違って︑今度は純粋経験を神秘経験および万物一体の境界と

して論じており︑そのため彼は﹃荘子﹄大宗師篇の﹁外物﹂と﹁見

独﹂をこう解釈したのであった︒﹁全てを︿外﹀れれば︑対象はた

だ渾然たる一体となる︒これがいわゆる︿見独﹀である︒渾然一体

( 12 )  

のうちに︑古今死生といった一切の区別はすべて消減する︒﹂

儒家に関しては︑潟友蘭はこう説明している︒

万物一体の境地について︑孔子は明言していない︒孔子のいう仁は︑

おそらく一種の道徳であって︑神秘主義の意味を全く含んでいなか

﹃中庸﹄や孟子の時代になって︑儒家の神秘主義ははじめて

( 13 )  

完全に明確なものとなった︒﹂また孟子のいう﹁万物皆な我に備わ

万物と我が一体になることであり︑

公孫丑上︺とは最高境界における個人の精神

状態であると指摘した︒さらに宋明理学者の諸説も﹁その根本は実

は前述の神秘主義であり︑ただその理論︑修養を周到なものにした

( 14 )  

にすぎない﹂として︑最終節の第八節で宋明哲学に関して以下のよ

うに総括している︒

以上引用した程朱および王陽明の言説をまとめると︑彼らはみ

(‑︶天地万物ほ本来一体である︒

中国

哲学

にお

ける

神秘

主義

間ができて︑物と我とが乖離してしまう︒ ︵二︶人には私欲があるために︑本来一体であるべきものに隙 な次のように考えていた︒

﹁浩

然の

気﹂

る ﹂

︹﹃

孟子

﹄尽

心上

︹同

とは

こ ︒

っ ﹁しかしいわゆる

︵三︶我々は己れに克ち私を去り︑天地万物一体の境界に復帰

しなければならない︒

朱晦庵︹朱煮︺と王陽明は宋明哲学の二大学派の中心人物だが︑

その観点はほぼ以上のようであった︒つまり宋明の理学者たち

は神秘主義の境界を最高の境界とし︑この境界に達することを

( 15 )  

個人修養の最高の成就と考えたのである︒

潟友蘭はさらに﹁朱煮がすべての物の理に格るとしたのは非難さる

べきものではないが︑格物を神秘主義の境界に至る方法としたこと

については承服できない︒知的認識によって神秘主義の境界を追求

するのは︑全くの矛盾である﹂と指摘した︒一九三一年に出版され

た﹃中国哲学史﹄上巻の孟子章で︑潟友蘭はこの論文の要点をすべ

( 16 )  

て収めることで︑孟子の神秘主義的傾向を明らかにしたのであった︒

同じ一九二七年︑潟友蘭はさらに﹁郭象の哲学﹂と題する論文を

発表し︑﹃人生哲学﹄で述べたことと違って︑郭象の理想とする人

(17) 格は神秘主義であると是認した︒﹁スピノザの﹃エチカ﹄を読むと

き︑我々は初めスビノザの哲学が実存主義だと思ってしまうが︑最

後まで読むと︑その実存主義は結局神秘思想に覆われてしまう︒

ス︒ヒノザは実存主義と神秘主義を巧みに合一しているのである︒郭

象もこれと同様で︑私はそれが彼らの価値の︱つであると考える︒

⁝⁝郭象らの道家哲学は︑神秘主義を含むけれども︑科学とは決し

( 18 )  

て矛盾しない﹂︒潟は以前とは違って神秘主義という概念の使用を

もはや回避しなくなった︒ある意味でこの概念は相当有効なものだ

(7)

と認識するようになったのである︒

れた道理なのであり︑厳格な理知的態度によって表出されなけ

ればならない︒すべての著書立説する者は例外なくそうしてき

た︒ゆえに仏教の最高の境界は﹁説くべからず︑

ず﹂とされて証悟が求められはするけれども︑その﹁説くべか

らず︑説くぺからず﹂というもの自体は哲学ではなく︑厳格な

理知的態度をもって語られた道理こそが︑仏教における哲学な

のである︒したがって直観を方法とすることにより︑人はある と﹃新原人﹄で説かれた﹁大全﹂見ることができょう︒

説くぺから

以上のことから︑二

0

年代の中期から後期にかけて︑潟友蘭は西

洋と中国古代の神秘主義哲学を深く理解し︑中国古代神秘主義の研

究に先鞭をつけたことがわかる︒彼は神秘主義の価値を是認し︑唯

心論を認めないという前提のもとで神秘主義の人生境界に到達でき

ると考えたのである︒彼の神秘主義論から︑我々は後の﹃新理学﹄

﹁天地境界﹂の萌芽を早くも垣間

一九三一年に出版された﹃中国哲学史﹄上巻︑第一章緒論におい

て︑潟友蘭は哲学の方法について論じている︒

いわゆる直観︑頓悟︑神秘体験といったものは︑極めて高い価

値を持つとはいえ︑それを哲学方法に混入させる必要はない︒

科学であれ︑哲学であれ︑みな書かれた︑或いは言葉で発せら

は神秘主義の論述という点で︑ れまでのジェームズの純粋経験についての論を再録したこと︑それ 種の神秘的体験を獲得できるとはいえるが︑直観を方法とすることで︑哲学を獲得できるとはいえない︒⁝⁝したがって我々は直観等の価値は認めるけれども︑それを哲学の方法としては

( 19 )  

認め

ない

実は︑この説は一九二四年出版の﹃︱つの人生観﹄に付録された

﹁天人損益論序言﹂に初出する︒潟友蘭によれば︑哲学はただ理知的

な言説を指す︒したがって直観と神秘体験ほ哲学でもなければ︑哲

学の方法でもない︒しかし彼は同時に︑直観と神秘的体験を価値あ

るものと認め︑哲学が﹁真理﹂を探求する理智的方法であるのに対

し︑神秘主義は﹁善﹂に到達する特別な道であると見なしていたよ

(20) うだ︒︱︱︱十年後︑彼は﹃四十年の回顧﹄の中で次のように述懐して

いる︒﹁こうしてみると︑私はベルグソンの影響から抜け出してほ

いなかった︒私は直観︑頓悟︑神秘的体験を根本から否定したので

はなく︑やはりそれらが高い価値を持つことを認めていた︒ただそ

れらは哲学の方法ではないと考えただけなのである︒私は理知を重

視したが︑実際は理知の活動範囲を制限し︑言説の範囲内に押し込

( 21 )  

めてしまった︒こうしてカントの不可知論に近づいてしまった﹂と︒

﹁これはつまり科学的方法の応用範囲を狭めて︑神秘主義との平和

( 22 )  

的共存をはかった﹂のである︒﹃中国哲学史﹄の孟子章の注で﹁中

国哲学における神秘主義﹂を収録したばかりか︑さらに荘子章でそ

﹃中国哲学史﹄の特色の一っとなっ 八四

(8)

た︒潟友蘭はいう︑﹁﹃中国哲学史﹄で︑私は表向きは各学派に対し

て等しくに共感しつつ理解していたつもりだったが︑実をいうと真

に共感していたのは︑客観的唯心論と神秘主義であった︒公孫龍と

朱子は客観的唯心論の代表者︑孟子と荘子は神秘主義の代表者とし

て︑私はこの両派を特に称讃した︒私は両者が﹁神秘境界﹂に到達

( 23 )  

する二つの方法を見いだしたと考えたのだった﹂︒

後に潟友蘭ほ︑﹃中国哲学史﹄︑もっと早くには﹃人生哲学﹄に

おいて︑プラグマティズムの影響を受けたこと︑さらにはそれを不

可知論と神秘主義として総括したことを認めている︒

生論﹂で潟友蘭はすでに﹁プラグマティズムの説によれば︑科学に

よって知ることができるものは︑

人問の理知の産物でしかないが︑

が宇宙の本質に近づくためには︑

﹁︱

つの

新人

世界の一面にすぎない︒科学は 宇宙は多面的なものである︒人

理知以外に本来︑

中国

哲学

にお

ける

神秘

主義

別の能力があ

る︒いわゆる道徳的意識と直観が宇宙の本質に近づくための能力と

( 24 )  

考えられる﹂と述べている︒プラグマティズムほ理知に基づいた科

学知識にほ限りがあり︑直観と神秘主義が︑宇宙の本質に接近する

理知以外の方法であると見なしている︑というのである︒潟友蘭の

初期の著作には︑しばしばジェームズの論が引用されているが︑そ

れは彼がプラグマティズムの影響を受けたことのあらわれであった︒

﹃人生哲学﹄を著した時期︑彼の思想はまった<プラグマティズム

的であり︑﹁﹃︱つの人生観﹄を著したとき︑私はプラグマティズム

( 25 )  

の道徳観と新理論をすっかり取り入れた﹂と振り返っている︒プラ

八五

グマティズムの﹁経験﹂論から影響を受けたために︑彼は﹃人生哲

学﹄で﹁我々の経験こそが︑我々のすべての認識の根拠なのであっ

( 26 )  

て︑これ以外に我々が認識を得るすべはない﹂と述べ︑また人間の

認識を﹁諸経験を調和する仮定﹂と見なしたのである︒彼は後に

立ち︑認識論においてはプラグマティズムの立場をとっていた﹂と

総括し︑﹁かつて私はプラグマティズムを信じ︑のちに新実在論を

( 28 )  

信じるようになった﹂とも述べている︒

﹃中国哲学史﹄で潟友蘭は︑客観的な歴史と主観的な歴史を区別

し︑前者を過去に起こった出来事自体︑後者を歴史家によって書か

れた記述とし︑その上で歴史家が歴史そのものとまったく合致した

歴史を書くことはできないと述べている︒潟はこう指摘する︒﹁マ

ックス・ノルダウはいう︑客観的真実と書かれた歴史の関係は︑正

にカントのいう物と認識の関係に等しく︑書かれた歴史は実際の歴

︵四︶史とは永遠に合致しないのだと﹂︒潟友蘭は後の自己批判の中で︑

この歴史解釈における不可知論は結局︑ブラグマティズムからの影

響だと認めた︒潟はいう︑

私は新実在論を標榜したが︑プラグマティズムを完全には放棄

しなかった︒⁝⁝唯心論哲学は本来すべて不可知論に向かうも

のであるが︑私はプラグマティズムとの関係を保とうとしたた

塁︑私の過去の哲学思想において︑不可知論の色彩は更に濃

厚なものになった︒不可知論が﹁知りえない﹂ものを残す理由 ﹃人生哲学﹄の哲学的立場を﹁世界観においては︑私は新実在論に

(9)

は︑まさに宗教のために禁区を設け︑神秘主義のために門戸を

開くことにあったのである︒私の過去の哲学思想も︑最終的に

( 30 )  

はまさに神秘主義に帰着したのであった︒

r中国哲学史﹄の中で彼は︑真の哲学体系は必ず一貫した理念を持

つ︒それは体系全体の基本となる哲学者の﹁見識﹂

(v is io n)

であ

って︑この見識をもとに大規模な体系ができあがっていくと論じて

いた︒この点について︑のちの﹁過去の哲学史研究の自己批判﹂に

おいても次のように述べている︒

私はブラグマティズムの一創始者であるジェームズの説を引用

して︑﹁哲学者はそれぞれに自己の見識

(v is io n)

を持ち︑さ

らにその見識をもとに各方面に適用していく﹂と考えた︒ジェ

ームズのいう﹁見識﹂

(v is io n)

は本来︑宗教用語であり︑宗

教者は時に幻覚を見て︑みずから特別な能力が備わり︑神と通

じ合い︑かくして常人には無い知識を持つようになったと思

い込む︒ジェームズはこの語を使って哲学を神秘化したが︑

私は﹃中国哲学史﹄でこの語を引用し︑やはり哲学を神秘化し

( 31 ) こ ︒  

事実︑ジェームズの﹁見識﹂についての記述は︑

論に早くから見えている︒ ﹃人生哲学﹄の緒

ここに説かれた神秘的な洞察と宗教者の幻覚は︑間違いなく神秘

主義の色彩を含んでいるといえよう︒

﹃新原人﹄で︑私は﹃中国哲学史﹄で述ぺた神秘主義思想をよ と

きに

﹃中国哲学史﹄以前︑潟友蘭は﹁神秘主義﹂をただ哲学史の類型

学の概念と見なしただけで︑自己の哲学にもたらした神秘主義の影

響をまだ明確にしていなかった︒ここで我々は←新理学ク時期︵一

九三七ー一九四五︶の潟友蘭思想における神秘主義とその変化を見

てみ

よう

潟友蘭がみずから述べるところによれば︑﹃中国哲学史﹄を執筆

していた頃︑彼はまだブラグマティズムから新実在論に転換する過

渡期にあり︑人間の意識から離れたところに独立した客観的存在が

C 32 )  

あるが︑しかしその存在自体は知ることができないと考えていた︒

しかし新理学の時期︑神秘主義哲学にもとづいた彼の﹁見識﹂は著

しい発展を遂げた︒のちの自己批判文にはこうある︒

のちに﹃新理学﹄で︑私はこの神秘主義思想をさらに展開させ

た︒⁝⁝﹃新理学﹄ではこの﹁理世界﹂を﹁無字天書﹂と称し

た︒﹁無字天書﹂は︑読むことができる人もいれば︑読むこと

のできない人もいる︒﹁無字天書﹂を読める人はそれを﹁読む﹂

﹁一種の精神境界﹂に入り︑﹁あたかも経験を超越し︑

自己を超越したかのようになる﹂︒このような経験は当然宗教

( 33 )  

的﹁神秘経験﹂なのである︒

さら

にい

う︑

八六

(10)

︹﹃

新原

人﹄

で︺

いう

り詳細に発展させ︑いわゆる﹁事天﹂

( 34 )  

の最も幸福な境界だと説いた︒

潟友蘭は﹁総体的にいって︿境界説﹀は新理学の中心的思想であっ

冷 ︸

た﹂と述べた力新理学体系の境界説は体系全体において神秘思想

と関連する主要な部分であった︒

境界説において︑神秘主義と密接に関連するのは﹁天地境界説﹂

( 36  

である概括していえば︑﹁天地境界﹂の主な特徴は﹁自ら大全と

同ずる﹂ことにあり︑しかも︑﹁大全は説明することもできず︑思

議することもできず︑理解することもできない﹂︒みずから大全と

同一化した者の境界は︑すべての区別を超越した混沌である︒天地

境界にいる人間は大全と同一化し︑我と非我の区別が存在しなくな

( 37 )  

ったことによって︑﹁万物皆な我に備わる﹂と感じるのである︒天

地境界は次の四段階︑すなわち知天︑事天︑楽天︑同天を包んでい

る︒人がもし自分は社会の一部分のみならず宇宙つまり大全の一部

だと自覚すれば︑それが知天︵天を知る︶である︒知天の人がみず

からの行動を宇宙に対する義務だと自覚すれば︑それが事天︵天に

事える︶である︒事天の人がその行為と事物から一種の超道徳的意

義を見いだし︑そこから︑古人がいう﹁孔顔の楽しむ処﹂のような

楽しみを見いだすならば︑それが楽天︵天を楽しむ︶である︒そ

して天地境界の最高の段階は同天︵天に同ずる︶である︒潟友蘭ほ

天地境界中の人の最高の段階は︑大全の一部であることを悟る

中国

哲学

にお

ける

神秘

主義

﹁楽

天﹂

﹁同

天﹂

を人

八七

だけでなく︑みずから大全に同ずることである︒たとえば荘子

﹁天地なる者は︑万物の一とする所なり︒其の一とす

る所を得て同ずれば︑則ち死生終始は︑将に昼夜の如くならん

として︑而も之を能く滑す莫し︒而るを況んや得喪禍福の介す

る所をや﹂︹﹃荘子﹄田子方篇︺と︒﹁其の一とする所を得て同

﹁我﹂と﹁非我﹂の区別は消減する︒

道家は﹁物と冥す﹂︹﹃荘子﹄逍蓬滸篇・郭象注︺と説くが︑冥

とは﹁我﹂と万物の区別が消減することである︒また︑儒家は

﹁万物皆な我に備わる﹂と説くが︑大全は万物の全体であり︑

﹁我﹂がみずから大全に同化するがゆえに︑﹁万物皆な我に備わる」のである。これらの境界を、我々は同天と称する。…•••

大全は思議できないものであり︑大全に同化した境界もまた思

議することができない︒仏教の証真如の境地︑道家の得道の境

地は︑その説によれば思議することができない︒儒教の最高の

境地も︑明言はされていないが︑これまた思議できないもので

(3

8L

 

ある

﹃人生哲学﹄で論じられた宗教経験や﹁中国哲学における神秘主

義﹂のそれとは対照的に︑﹃新原人﹄が述べている天地境界は︑ま

ぎれもなく神秘主義を原型にしたものであり︑﹁天地境界﹂の定義

と﹁神秘主義﹂の定義は潟友蘭において完全に一致した︒だからこ

そ漏友蘭は﹁同天の境界はもともと神秘主義的なものであった﹂と づから大全に同ずれば︑ ずる﹂とはみずから大全に同ずるということである︒人がみ

 ま

(11)

﹁理と気の概念によって︑人は心を︿物 明言し︑﹁同天の境界にいる人は︑みずから大全と同一化する︒大全は思議できないものであり︑理解する対象にもなりえない︒同天の境界中にいる人の全経験を一般に神秘経験と呼ぶ︒神秘経験は純粋経験に似た所があるため︑道家はよく両者を混同するが︑実はまったく違うものである︒神秘経験は理解しえない性質のもので︑理解を超えているのである︒純粋経験は理解のない性質のもので︑そ

( 39  

れは理解が及んでいないことを意味する﹂とも言ったのである潟

友蘭はここで︑純粋経験を自然境界と規定しており︑その点で初期

の思想とは異なっている︒

それでは︑天地境界とはただ神秘経験を指すだけなのであろうか︒

それもまた違う︒厳密にいえば神秘経験は︑瞬間的に得られる短時

間のものであるのに対し︑境界は相対的に長く安定した悟りの地平

をいう︒このことからも経験と境界は少しく異なっていることが分

かる︒さらに注意すべきは︑神秘体験が内省的直観によって得られ

るものであるのに対して︑天地境界は︑潟友蘭が強調する所によれ

ば︑理知的理解すなわち﹁知天﹂を媒介とすることが基礎になる︒

新理学の体系からいえば︑人は理︑真際︑共相︑大全についての認

識と理解がなければ︑新理学が尊ぶ同天の境界には到達できない︒

このうち理や気は人が事物に対して理知的分析を行って得られる観

念であり︑大全は人が事物に対して理知的総括を行うことで得られ

︵ 心

る槻念である︒潟はいう︑

の初め﹀に遊ばせることができ︑道体と大全の観念によって︑人は 心を^有の全>に遊ばせることができる︒こうして人は知天︑事天︑

( 41 )  

楽天︑同天の境界に達することができる﹂と︒人がもし理︑大全の

観点から事物を見ることができるならば︑すべての事物は人に新し

い意義を示し︑その新しい意義によって︑人は新たな境界︑すなわ

G)  

ち天地境界を有することになる︒﹁宇宙あるいは大全の理︑理世界︑

そして道体等の観念は︑すべて哲学的親念である︒人がこれらの哲

学的観念をもてば︑天を知り︑天に事え︑天を楽しみ︑最後には天

( 43 )  

に同ずることができる﹂︒したがって︑大全や同天の境界は思議で

きないものであるが︑我々はあくまでも理知的な思議によらなけれ

ばそれに到達することができない︒漏友蘭はいう︑

ただ︑思議できないものも︑なお思議によってこれを得なくて

はならない︒理解できないものも︑なお理解によってそれを理

解しなければならない︒思議によってこれを得れば︑それが思

議しえないものだと分かる︒理解によって理解するならば︑そ

れが理解しえないものだと分かる︒思議しえないものはまた言

説しえないものでもあるが︑しかし人に伝達しようとすれば︑

やはり言葉を用いなければならない︒しかし言説したのちに︑

またそれは言説しえないものだと説明しなければならない︒多

くの哲学的著作は︑すべて思議しえないものに対する思議︑言

説しえないものに対する言説である︒哲学者は思議を経て思議

しえないものに到達しなければならないし︑理解を経てはじめ

て理解しえないものに至ることができる︒思議しえないものと

¥ ̀  

9, ' 

(12)

極的な関係をうちだしてはいなかった︒ 理解しえないものは︑思議︑理解の最高の段階である︒哲学の神秘主義は理解の終着点であって︑思議・理解と対立するもの

( 44 )  

では

ない

このような説明は︑潟友蘭が理性的な分析と総括を根本的な哲学方

法として堅持する一方で︑哲学の到達する最高の精神的境地を神秘

主義の境界としてとらえていたことを物語っている︒最高の神秘主

義の境界は理性的哲学分析を経なければ到達できないし︑﹁みずか

ら大全に同じ﹂た思議しえず言説しえない最高の境界は︑知性的思

考と理性的理解がなければ到達できない︒そして哲学の理知的分析

と総括が最高の同天境界に到達することを目ざすことで︑はじめて

哲学の役割が実現される︒潟の理性的方法と神秘境界の関係につい

ての理解は︑早期にベルクソソをめぐって主張された分析と直観の

関係と驚くほど一致している︒ただ早期の海友蘭はまだ両者問に積

なお︑境界としての神秘主義と経験としての神秘主義はいずれも

認識論からの規定であって︑本体論としての認定は特に含まれてい

ないが︑両者の違いは︑体験がおそらく短時間で受け身なものであ

るのに対し︑境界は安定した悟りの態度を意味する︑ということに

ある︒潟友蘭は体験としての神秘主義は純粋直観的であるが︑境界

としての神秘主義の場合には理性的分析を基礎としなければ天地境

界に到達できないことを強調している︒この違いがとりもなおさず

宗教的神秘主義と哲学的神秘主義の違いとなっているのである︒

中国

哲学

にお

ける

神秘

主義

はないと言うことである︒潟はいう︑

¥ L  

/ブ

﹁ここにおいて︑我々は真の 一九四八年︑潟友蘭はアメリカの﹃哲学雑誌﹄の﹁東洋哲学討

論﹂欄に﹁中国哲学と未来の世界哲学﹂という一文︹

P h i l o s o ̲

h

ic

al

を寄稿した︒ここで潟は宗教経験ではない︑哲学と

しての神秘主義の方法論と人生観における意味をいっそう強調し

中国と西洋の形而上学を比較しつつ︑凋友蘭はプラトンとカント︑

儒教と道家を挙げ︑特にカントと道家の哲学について比較を行って

いる︒凋によれば︑カント哲学は可知と不可知を区分し︑人が知る

ことができるものは現象であり︑物自体を人は知ることができない

とした︒この可知︑不可知の間には境界線があり︑理性はこれを飛

び越えられずに︑境界線のこちら側にとどまっているのである︒そ

れに対して道家もまた可知と不可知を区分するが︑

この境界線を超えるため用いた方法は理性をはたらかせることでは

なく︑それを否定することであった︒道家は沈黙のうちに境界線を

超えて向こう側に到達し︑理性を否定することによって﹁混沌の地﹂

(4 53  

を得るのである潟友蘭は道家のこの方法を﹁形而上学の負の方

向こうの物に対して︑

カン

トと

違っ

て︑

法﹂と呼んだ︒負の方法というのは︑理知で表現しえない境界線の

それは何々であると言うのではなく︑何々で

̀ 

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or ld  

(13)

神秘主義を得る︒道家や禅宗の観点から見れば︑西洋哲学には確か

に神秘主義があるが︑神秘さという点ではまだ充分ではない︒西洋

の神秘主義哲学者はおおむね上帝の存在を主張し︑人と上帝の合一

を説く︒しかし上帝も全知全能とされる以上︑実際はーつの理知的

観念にほかならない︒人は︑さらに一っ或いはいくつかの理知的観

c )  

念を持つならば︑境界線のこちら側にとどまり続けることになる﹂︒

つまり上帝を含むすぺての理知饒念を完全に否定したい限り︑人は

境界線の向こう側へは行けないのである︒さらに潟友蘭はこう主張

する

これまでの二十年間︑私と私の仲間は論理的分析方法を中国哲 ︒

学に導入し︑中国哲学をいっそう理性主義的なものにしようと

努めてきた︒私の見るところでは︑未来世界の哲学はきっと中

国の伝統哲学よりもさらに理性主義的色彩を帯び︑西洋の伝統

哲学よりもさらに神秘主義の色彩を強めることであろう︒理性

主義と神秘主義が統一されてこそ︑未来の世界にかなう哲学を

( 47 )  

創造することができよう︒

ちょうど賀麟がかつて﹁経験﹂としての直観と﹁方法﹂としての

︵ )  

直観とを区別したように︑四

0

年代末の潟友蘭思想における神秘主

義説は﹁境界﹂としての神秘主義と﹁方法﹂としての神秘主義に区

別できよう︒四

0

年代︑潟友蘭はウィーン学派の方法への挑戦を経

て︑この時期とりわけ方法論の問題に注目した︒潟が言った未来哲

学は西洋の伝統哲学よりもさらに神秘的色彩を強めるというのは︑ すなわち﹁方法﹂としての神秘主義︑特に﹁負の方法﹂を指すのである︒この論文で潟友蘭は︑理想的人生の問題にも触れている︒潟はインド哲学は人は言説しえず︑思議しえない境界に達すれば︑いわゆる絶対的実在と同一になること説き︑スピノサ哲学における個人と宇宙の同化は︑上帝に対する理知的愛と説かれるから︑いずれも神秘主義的であると指摘した︒その上で潟友蘭は彼自身が説いた天地の境界もそうしたものである認めた︒ヽ•

J O  

>

f しかしながら︑潟友蘭は依然として哲学の理性的意義を堅持して

﹁天地境界は哲学の境界と見なされなければならない︒なぜ

なら哲学によって宇宙に対するある種の理解を得られなければ︑天

( 49 )  

地境界に到達することはできないからである﹂︒神秘主義における

合一の境界は﹁必ずや理知を否定することによって成就される︒な

ぜなら理知を否定することによって︑人ははじめて理知あるいは理

性の対象物ではあり得ないものと合ーできるからである︒しかしこ

の合一は理知的愛にほかならない︒というのも︑理知の否定それ自

( 50 )  

体が理知の活動だからである﹂︒こうして彼は﹁理性を消し去るた

めには︑充分に理性をはたらかせなければならない︒なぜ真の神秘

主義以前に真の理性主義がなければならないのか︑なぜ負の方法は

正の方法と結合しなければならないのか︑その理由はここにある﹂

(5 1)  

と述べたのである︒

︵原

Sh

or

t

Hi

st

or

実際︑上記の論文を一九四七年に書かれたものとし︑しかも一九

四八年に出版された﹃中国哲学簡史﹄

九〇

of

 

(14)

潟友蘭ほいう︑ ヘーゲル 逆説的に答えよう︒哲学︑特に形而上学は︑その発展につれて︑最

念を見いだし︑ 的性質が宿っている︒哲学者は︑

あるいは ﹃国家﹄のなかに﹁善﹂の理

Ch

in

es

P h i

l o s o

p

y)の最終章﹁現代世界における中国哲学﹂をさ

らに展開させたものと見なすのには理由がある︒﹃中国哲学簡史﹄

我々にその対象が何でないかを示す︑と︒

ひとえに正の分析方法だったが︑ 負の方法は差異を消去しようとして︑

﹃新理学﹄が用いたのは

﹃新理学﹄の執筆後︑負の方法も

同じように重要だと考えるようになったということを彼は認めてい

るのだ︒そしていう︑

終的に﹁不知の知﹂となる︒はたしてそうであれば︑ぜひとも負の

方法を用いなければならない﹂と︒﹁負の方法﹂とは方法としての

神秘主義︑﹁不知の知﹂とは境界としての神秘主義を意味する︒哲

学とは︑負の方法を通じてその最終地点としての﹁不知の知﹂に到

達することにほかならない︒つまり︑哲学の最終的発展は神秘主義

に到達することなのである︒凋友蘭のこのような思想は︑

の晩年の思想変化と比較対照することができよう︒

方法論的にいえば︑哲学は経験を出発点とするが︑形而上学の発

展につれて︑それは最終的に経験を超え︑思考を超えた﹁あるも

の﹂に到逹する︒感じることも考えることもできないものは理知を

超越しているから︑人は理性を否定することではじめてそこに到達

できる︒このような否定的方法は︑神秘的性質をともなっている︒

中国哲学における神秘主義 完全な形而上学の体系は︑正の方法から始まり︑負の方法で終わるであろう︒もし負の方法で終わらなければ︑哲学の頂点に達することはできない︒だが︑正の方法から始まることができなかったら︑哲学としての実質をなす明晰な思想が欠落してしまう︒神秘主義は明晰な思考と対立するものではなく︑明晰な思考の下に従属しているものではさらにない︒むしろ︑明晰な思考の外にあるといったほうがよいであろう︒それは理性に反

( 54 )  

するものではなく︑それを超えているものなのである︒

認識し︑理性的方法によって彼岸の不可知性を明らかにし︑最後に

負の方法によって理性の限界を超え︑その不知の境界という頂点に

到達しなければならないのである︒

哲学の頂点としての不知の境界とは﹁みづから大全に同ずる﹂境

界のことである︒したがって潟友蘭はこう述べる︒

とも︑プラトン︑ 哲学におけるすべての偉大な形而上学体系は︑方法論的に正であるか負であるかにかかわらず︑すべて神秘主義を標榜しないものはない︒負の方法は実質的に神秘主義の方法である︒もっ

アリストテレス︑

よく用いているが︑ スピノザたちは正の方法を

しかし彼らの体系の頂点には︑やはり神秘

自己とそれを同一化するであろう︒

﹃形而上学﹄のなかに﹁思索﹂する﹁上帝﹂を見いだし︑自己 哲学は理知的活動から始まり︑理性的方法によって共相と大全を ﹁いま哲学を定義づけよと言われたら︑私ほ の対象が何であるかを示すが︑ の当該章で彼はいう︑正の方法は差異を作り出そうとし︑我々にそ

(15)

とそれを同一化するであろう︒あるいは﹃ニチカ﹄のなかに︑

自己が﹁恒久的観点から万物を観﹂て﹁上帝の理知的愛﹂を亨

受していることを見いだすだろう︒この時︑沈黙すること以外︑

( 55 )  

いったい何ができるだろうか︒

以上によって︑潟友蘭が自己批判のさいに述べた﹁私の過去の哲学

思想も︑最終的には正に神秘主義に帰着したのである﹂という言葉

ほ︑彼の四

0

年代における思想と合致していることがわかるのであ

西洋文化の場合︑新プラトン主義から中世のキリスト教神学至る る ︒

まで︑上帝観念を基礎としたキリスト教神秘主義は珍しいものでは

( 56  

なかった宗教神秘主義以外に︑ルネッサンス以降︑さらに世俗的

神秘主義

(s

ec

ul

ar

my

st

ic

is

m)

︑もしくは自然神秘主義

( na t u ra l i st i c

my

st

ic

is

m)

と呼ばれるものが現れた︒哲学史上では︑たとえば宇

宙神秘主義が現れ︑その代表はスピノザの宗教形而上学である︒十

九世紀にはインド哲学の影響を受けて生まれたショーペンハウエル

の神秘主義がある︒一方︑中国の思想においてはもともと宗教と哲

学が明確に区別されず︑超越的信仰も重要な意味をもつことがなか

った︒そのため哲学的神秘主義が絶えることなく綿々と続いたので

ある︒ただ︑伝統的な神秘主義はひとえに心学体系のなかで発展し︑

( 57 )  

理性主義とは完全に対立したままであった︒

. .  

総じて︑神秘主義に対する湯友蘭の理解は︑三つのレベル︑・すな わち﹁体験﹂的神秘主義︑﹁境界﹂的神秘主義︑﹁方法﹂的神秘主義を含んでいた︒潟の哲学体系は︑実際には﹁理性主義﹂と﹁神秘主義﹂が結合した体系であった︒この神秘主義によって︑潟友蘭ほ﹁負﹂のかたちで形而上学の﹁方法﹂を説き︑﹁みずから大全に同た

︒た

だし

一般的な神秘主義とは違い︑潟友蘭が一貫して主張し

たのほ哲学境界としての神秘主義であって︑宗教経験としてのそれ

ではないということである︒彼は理知と理性的な分析・総合こそが

基本的な哲学方法であり︑精神の最高境界に至るために通らなけれ

ばならない道であるとし︑さらに論理的分析と﹁負の方法﹂の相互

補完関係についても強調していたのである︒体系的に表現した場合︑

神秘主義を最終の頂点として措定することは可能であるが︑理性主

義を従属的なものと見なすことはできない︒彼の哲学において両者

は欠くことのできない重要なもので︑そのことは晩年に著された

﹃中国哲学史新編﹄でも変わっていない︒何よりもきわだっている

のは︑彼が理解した神秘主義が短時間の心理体験状態ではなく︑一

種の哲学化した精神境界を意味するということであり︑しかもそれ

を希求することは︑潟が述べたように中国の儒家︑道家哲学の最終

目標でもあったという点である︒漏友蘭から見れば︑哲学の真の役

割は人の生存に対する要求に向き合い︑人に安心立命の精神境地を

与えることであった︒哲学についてのこのような理解は︑近代以降

における哲学と宗教の対立にとって︑また日常の生活の中で意義と ず﹂という境界を哲学の最終目標︑人間の最高の精神的境地と考え

(16)

地 位 を 失 い つ つ あ る

﹁ 哲 学

﹂ に と っ て

︑ 充 分 に 考 慮 す る 価 値 が あ る

(1

︶﹃ 一︱

‑松 堂学 術文 集﹄

︑七 頁︒

( 2 )

同右

︑一

0頁 ︒

( 3 )

﹃三松堂全集﹄第十四巻︑一八四ー一八五頁︒

( 4 )

同右︑第十四巻︑一六八頁︒

( 5 )

同右︑第一巻︑三七0

頁 ︒

( 6 )

同右︑三七二頁︒

( 7 )

同右︑五三六頁︒

(8

) 同右

( 9 )

同右︑五三七頁︒

( 1 0 )

﹃三 松堂 学術 文集

﹄︑ 四九 頁︒

( 1 1 )

同右︑四九i五0

頁 ︒

( 1 2 )

同右

︑五 二頁

( 1 3 )

同右

︑五 四頁

( 1 4 )

同右

︑五 六頁

( 1 5 )

同右

︑五 八頁

( 1 6 )

同右︑一七八頁︒

( 1 7 )

同右︑八0

頁 ︒

( 1 8 )

同右

( 1 9 )

﹃中 国哲 学史

﹄上 巻︑ 五頁

( 2 0 )

潟友蘭は﹃人生哲学﹄で︑哲学の目的ほ善を求めることに︑科学の

目的ほ真を求めることにある︑と述ぺた︒﹃三松堂全集﹄第一巻︑三

9

五二 頁︒

( 2 1

︶﹃ 一︱

‑松 堂全 集﹄ 第十 四巻

︑一 八五 頁︒

中国哲学における神秘主義 といえるであろう︒

九 一

九九 三年

︶︑

( 2 2 )

同右

︑一

︱四 頁︒

( 2 3 )

同右

︱ ニ︱

︳頁

(2 4)

同右︑第一巻︑五0

九頁

( 2 5 )

同右︑第十四巻︑一七八頁︒

( 2 6 )

同右︑第一巻︑五二三頁︒

( 2 7 )

同右︑第十四巻︑九七頁︒

( 28 ) 同右

︱ 二三 頁︒

( 2 9 )

﹃中 国哲 学史

﹄上 巻︑ 一九 頁︒

( 3 0 )

﹃三松堂全集﹄第十四巻︑九五頁︒

( 3 1 )

同右

︑一

0

一 頁︒

( 3 2 )

同右

︑一 八七 頁︒

( 3 3 )

同右

︑一

0

11

0三

頁︒

( 3 4 )

同右

︑一

︱四 頁︒

( 3 5 )

同右

︑二 二三 頁︒

( 3 6 )

﹃新論語ー潟友蘭語率﹄︵華夏出版社

( 3 7 )

同右

︑一 五四 頁︒

(38)同右︑一八四:一八六頁︒

(39)

同右

︑一 八七 頁︒

( 4 0 )

同右

︑四 三頁

( 4 1 )

同右

︑四 四頁

( 4 2 )

同右

︑一 七九 頁︒

( 4 3 )

同右

︑一 八一 頁︒

( 4 4 )

同右

︑一 八七 頁︒

( 4 5 )

﹃三松堂全集﹄第十一巻︑五一五頁︒

( 4 6 )

同右

︑五 一七 頁︒

( 4 7 )

同右

( 4 8 )

賀麟﹁宋儒の思想方法﹂︵﹃近代唯心論簡釈﹄重慶独立出版社

頁 ︶ ︒

一五 一頁

(17)

︵人民出版社

( 4 9 )

﹃三松堂全集﹄第十一巻︑五一九頁︒

( 5 0 )

同右︑五二

0

頁 ︒ (5 1)

同右︑五ニ︱頁︒

( 52 )

﹃中国哲学簡史﹄三八七頁︒

( 5 3 )

同右

( 5 4 )

同右︑三九四頁︒

( 55 ) 同右

︒ ( 5 6 )

趙敦華﹃キリスト教哲学一五

00

年﹄

九五︑二八一︑三五六頁などを参照︒

( 5 7 )

陳来﹁心学伝統思想における神秘主義﹂︵﹃有無の境﹄人民出版社

一九九一︑付録︶を参照︒

一九 九四

︶一

︹補記︺陳来教授は一九五二年生まれ︒現在︑北京哲学系教授︑中国哲

学史教研室主任をつとめる︒﹃朱窯哲学研究﹄︵中国社会科学出版社

一九八七年︶︑﹃朱子書信編年考証﹄︵上海人民出版社一九八九年︶︑

﹃有無の境ー王陽明哲学の精神﹄︵人民出版社一九九一年︶﹃哲学と

伝統﹄︵台湾允晨出版公司一九九四年︶︑﹃古代宗教と倫理ー儒家思想

の根源﹄︵三聯書店一九九五年︶︑﹃陳来自選集﹄︵広西師範大学出版

社一九九七年︶など多数の著作で知られる︒教授は︑一九九九年四月

から七月までの三ヶ月間︑東西学術研究所の招聘研究者として本学に滞

在された︒この論文は︑六月三日︑関西大学において行われた講演の原

稿を翻訳したものである︒なお訳出にあたっては︑︹︺内に訳者によ

る補注をいくつか加えておいた︒末筆ながら訳稿作成に際しては本学の

吾妻教授より細部にわたるご指導をいただいた︒ここに謝意を表する︒

九四

参照

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