︽資 料︾
、
社会大衆党関係史料
大正・昭和初期岡山県社会運動史料その㈲
坂
本
中
ノじ、
次
一︑全国労農大衆党岡山県支部連合会史料︵承継︶
ba
d C
f e 9
岡山市支部準備会の通知
移転と集会の通知
連合会役員名一覧
党勢調査表
在米岡山県出身労働者への傲文
ファッショ排撃の声明書
労農大衆党岡山県連合会解体臨時大会記事
二︑戦線統一への中原健次の声明
三︑岡山勤労生活者同盟準備会結成史料
一186一
︵1︶
︵2︶
四︑社会大衆党岡山県支部連合会関連史料
a 全農岡山県連の社会大衆党支持拒否の声明書
b 全人民戦線樹立への声明書
c 社会大衆党岡山県支部結成準備会記事と声明書
d 社会大衆党岡山県支部連合会結成に向けての岡労の声明
e 社会大衆党支部結成準備会議事録
f 社会大衆党上道郡支部結成大会準備委員会案内状
9 社会大衆党岡山県支部連合会準備会記事及び声明書
h 倉敷支部結成大会記事
支部結成大会案内状並びに入党申込書
支部規約及び準則
k 社会大衆党岡山県支部連合会結成大会記事
五︑史料解説
一︑全国労農大衆党岡山県支部連合会史料︵承継︶
a 岡山市支部準備会の通知
︵一九三一・八・二九 ガリ刷り B4版一枚︶
無産大衆の要望は遂にあらゆる苦難と障害とを押しのけて無産政窯の職線統一を完成した︒
これこそ資本家︑地主の飽くなき︑搾取と支配権力の限りなき圧迫とに︑敢然と握手して圖ふべき全無産大
衆の決死的な全面的逆襲の強力なる第一歩である︒
この大衆的な組織と強力なる圖争功こそ︑最后の聖駕を決定する唯一の武器でなければならぬ︒
こ・に於て︑岡山縣に於ける三農合同は全無産大衆の生活権擁護と階級解放運動に一段の強さと︑尚一層の
強力なる蘭争力を充実し得たと云ひ得るであろう︒
と︑同時に更に岡山市支部を結成して資本家︑地主の陣螢を粉砕︑一蹴に突進せんとするものである︒
九月三日 その輝ける岡山市支部結成大會が開催される︒
この意義ある大會に祝電・祝辞の雨をふらせろ!
しかして諸君の激鋤の辞をもって我が岡山市に於ける運動の力強き拍車たらしめよ︒
日 時 九月三日 午后七時
岡 山 市
場所 禁酒会館
内 山 下祝電発送先 ︹大会前日迄︺岡山市二日市町九四
山本政夫方
︵3︶
一184一
︵4︶
︹大会当日︺岡山市内山下
禁酒會館
一九三一・八・二九
全國勢農大衆党岡山市支部準備会
︹出典︺大原社研︒
b
移転と集会の通知
(一
緕O一・一〇・五ガリ刷り B4版一枚︶
様
一九三一・一〇・五
全國農民組合 岡山縣聯合會
全國労農大衆蕪岡山縣支部聯合會
移韓と集会の御通知
全農と劣大背との岡山縣聯の本部が移濃いたしました︒場所は市内原尾島龍正寺と言ふ寺で元宇野役場の跡で
す︒蔵敷四十愚︑土地閑静︑交通の便よく西大寺鉄道後楽園駅から七丁︑森下駅から四丁の場所にあります︒
本線岡山駅より後楽園駅までバス五分 森下駅まで十分です︵地図略︶
新しき本部の新しき集会へ 新しき意気で
吾が岡山縣の社会運動も久しい間の陰欝の空気を押のけて政理合同を機会に面目を一新いたしました︒思議戦 ︵ママ︶には縣下に於て一万の票を獲得いたしました︒民衆はA7や動かんとして手をさし延べてをります︒岡山縣本部
の確立H誰もが希望する処であります︒その事務所は築かれました︒本部の門扉には墨の跡も鮮やかに全農と
勢大蕪の大看板が掲げられました︒場所は完全に得られました︒次は其処に持たるべき会合であります︒
来る十月十一日午前十時を期し︑農民組合と勢大窯との聯合の拡大執行委員会を開き︑岡山縣下の將に伸び
んとする無産運動の明確なる運動方針大綱の究明をなし︑来るべき秋の斗箏を如何に計画すべきかの大衆討議
が行はれるべきであります︒久しく顔を見せなかった農民組合のお方も新本部をみるべく御出で下さい︒新進
の窯員諸君も新本部に新しき千尋を示すべく一人の鉄席者もなく御出席下さい︒本部は広く二百人の集会は優
にできます︒押しかけて下さい︒
新本部ヘー−原尾島龍正寺ヘー−
出席者に制限は設けません︒組合員であり蕪員であるお方はドシドシ御出席を希望いたします︒
上げます︒
全國農民組合岡山縣聯合会
執行委員長 宮向 国平
全國勢農大衆黛岡山縣支部聯合会
執行委員長 山上 武雄
組織宣伝部長 入谷正志 事業連絡部長 重見春藤
教育婦人部長 田中五十治 地方本甲出牢及議員統制部長津下鑑賞郎
︵5︶ 右御案内申
一182一
︵6︶
青年部長 江田三郎 選暴部 小山 篤
會 計河合保太 会計監査奥山謹吾
組合封策部長 小山 篤
支部 上道郡支部 上道郡財田村長岡
支部長 山上 武雄
支部 浅口郡支部 浅口郡連島町鶴新田
支部長 戸川竹次郎
支部 邑久郡支部 邑久郡福田村福井
支部長 家野 猛之
支部 岡山市支部 岡山市内山下元町
支部長 津下臣太郎
支部 和気郡支部 未結成 準備会
支部 吉備郡支部 未結成 準備会
支部 赤磐郡支部 未結成 準備会
報 C
連合会役員名一覧
(一
緕O一年十月頃 B4版
告
岡山県支部聯合會﹁印. 原稿用紙ペン書き二枚︶
聯合會役員名
執行委員長
書 記 長
執行委員
d 党勢調査表
︵一九==・十一
党勢調査表︵恥1︶ 山上 武雄宮向 国平・津下高太郎・重見藤原石岡松田
忠鶴亀春 義吉平藤
・小山 篤
大森伊三郎
池元 村太
長門 博
友実孫四郎 ・田中五十治
児玉 久
若狭 幸義
間野規矩太
小川 佐市 ・江田
内田
武田山田
疋田
・三 B4版 一枚のケイ用紙書きこみ︶ ︵1︶
(一
緕O一年十月現在︶全国勢農大衆蕪本部書記局
和上邑赤吉岡岡
支其気道久磐備山山
部郡郡郡郡郡市縣
聯A
口の支支支支支支支
會部 及
聯 支
他 合 部
部部部部部部會
名二百 窯
二 五 二五 員
百百拾百百百拾千
シ名名名名名名名
数和上邑赤吉 岡 事
気道久磐備 山 務
郡郡郡郡郡 市 所
英財福小足 原 所
保田田野守 尾 在
村高村田町〃島
地南長福村 三 習得中 五
三
(現
勢
)
健民
三次市繁郎
・入谷家野
楠田光友
芳初猛正 治雄之志
定市︵・印は常任︶
︵7︶
一180 一
︵8︶
之れは旧混書名簿に記入してあるのを書いた丈で現在勢力三千名の詳細報告は未だ各支部より報告がないので
出来ない︒困ってみる︒窯員は縣聯の財政窮追を告げてみるのと︑支部から集って来ないので︑どうしょうも
ないのです︒
極力集めて送ります︒
一九一一=・十一・三
編
1 注本
部 書 記 局 は
東京・新橋駅前・新橋ビルにあった︒昭和六年一〇三六日付の印が押されている︒
e 在米岡山県出身労働者への傲文
︵一九三二・一・十二 B4版 原稿用紙ペン書き一枚︶
在米 岡山縣出身
勢働者諸君H
荒れ狂ふ資本主義最後の断末魔に抗して勇敢に斗寧をつづけて怯まず︑アメリカブルジョアジーの心際を寒
からしめてみる諸君に費して吾全等勢農大衆窯岡山縣聯合会は萬腔の敬意を表するものである︒ ︵ママ︶ 世界資本主義崩壊が急速になされつ・ある時︑アメリカ資本家︑地主の執幼なる私権擁護︑その積極的攻勢
は︑必然吾々在米勢働老に黒してより過大なる搾取と陰謀をこ・うみるは当然である︒
諸君は断固としてか・る搾取と陰謀を蹴飛ばしてアメリカプロレタリアートと握手し︑ 共産主義十字軍打 ︵印刷不鮮明︶倒の旗の下に︑新社会建設の階級的使命を果されんことを弦に聲明スるものである︒
︵ママ︶殖民地螢働者農民の搾取絶封反封
資本家︑地主の政府打倒
帝國主義戦争絶封反封
万國のプロレタリア団結せよ
一九一二こ・一・十二
全國勢農大衆窯岡山縣聯合会
f ファッショ排撃の声明書
︵一九三二・一・二六 B4版
ファッショ排撃声明書 ガリ刷り一枚︶
世界資本主義の根底はゆるがされて来た︒正に死滅しつ・ある︒封建的残存勢力を以ってより高度の搾取を続
け来った日本資本主義も今根本的に行詰った︒二百万の失業者は刻々に増加しつ・ある︒農村は餓死線上に歩
んでみる︒ブルジョアージーは現在の政治組織を以ってしては此れ以上の搾取をつ︑・け︑自己の地位を保つこ
とが不可能となった︒ロハ︑残るは武力のみだ︒ファスシズムだ︒
無産政窯の脱落者︑既成政堂⁝の不平分子︑軍部に於ける佐官級等々はA7ブルジョアージーの援助の下に種々な
る形態を以って積極的に日本ファッショをして表れて来た︒彼等は吾國に於ける封建的残存勢力の利用と種々
なる甘言を以って勢働者︑農民を欺満せんとしてみる︒
彼等が如何なる形態を以ってするもその為すところは最後に於てブルジョアージーに売ることだ︒ムッソリニ
︵9︶
一178一
一はどうだ︒ヒットラーはどうだ︒何れも最後の瞬間に於て︑勢働者・農民を売り︑
強行を可能ならしめた︒これこそ既成政窯以上の最悪の敵だ︒
吾等は此の敵に封して死をとして断乎として出でんとするものである︒
鉄鎖はロバ國際的連関によってのみ打ち切り得る︒
一九一二一一・ 一 ・且目山ハ日
全國勢農大衆窯岡山縣聯合会 ︵10︶而して武力による搾取の
g労農大衆党岡山県連合会解体臨時大会記事
︵一九三二・九・一 ﹃山陽新報﹄二面︑活字︶
勢大黛岡山聯合會
解罷臨時聯合大會
︹一日禁酒會館で基行︺中央に於ける社會民衆堂⁝と勢農大衆窯との合併によって︑この合同に反上し解消すること・なった全國勢農大
衆朔旦山縣聯合會では一日午後一時より岡山市内山下禁酒會館に於て解艘臨時大磯を開催した︒集まる薫員約
二百名︑山上執行委員長開會の挨拶をなして後山華氏議長となり︑大會に坐する各種委員任命祝電披露があっ
て宮向國平氏より 般報告をなし
一︑全國勢農大衆黛解髄並に社會大衆堂⁝排撃に關する件
一︑宣言発表に關する件
一︑失業反封闘箏韓回に關する件
一︑農村窮乏打破に關する件
一︑無産市民生活防衛に關する件
一︑飯米圖箏に關する件
を上程協議して午後五時閉會した︒
︹出典︺ ﹃山陽新報﹄昭和七年九月二日号︑による︒
二︑戦線統一への中原健次の声明
︵一九三一年十月 B4版 ガリ刷り一枚︶
親愛なる岡山縣下の勢働者︑農民︑勤勢大衆諸君一−
今や大衆の最後的唯一の権利たる生命をまで犠牲たらしめることに依って危ふく持ちこたえてた資本主義は
第三期たる崩壊過程にある︒この時全國の勢働者 農民 勤勢大衆が相一致して要望する問題 それは〃階級
的戦線統一を通じて組織の拡大強化の実現これである︒この事に就いて正油の同志達は非常に腐心してきた
し︑又その為めに戦っても来た︒にも拘らず依然戦線は分裂状態を改めない︒殊にこの場合想起することは今
から三年前新店準備會結成直前 同志小泉に依りて提起された﹃偽装は幽いに敵を偽廻し得ないで却って大衆
を偽訳することである﹄との規定以来︑断然非合法的行動の重要性が問題となった︒而して日本××蕪の方針
が原則的立場を固執してレーニンの所謂﹃屈伸性﹄の問題が屡々事毎に排斥され侮蔑される傾向を深めた︒斯
くして陣営内は異常なる緊張を示して巨大なる犠牲が英雄的に捧げられ敢へて惜しまれぬやうになってきた︒
勿論その間に屡々批判され清算されてはみるが︑依然として根幹にふれた方針の轄換は示されない︒その間に
︵11︶
一176一
︵12︶
あって支配階級の悪辣なる攻勢戦術は︑我等の戦線分裂を巧みに利用しつ・益々その狂暴性を恣にしてみる︒
この時我々は先づ■時と場所と情勢と力との関係に立って考へさせられるにいたった︒即ち戦線の拡大強化統
一の絶対的必要である︒果たして然らばそれが具体化は如何にして可能であるか謂ふまでもない︒幾多の経験
が教へる如く廣汎なる規模に於ける大衆の結合︵劣働組合 農民組合等の組織︶は︑あくまで合法的組織を持
たしめることでなければならぬ︒而してその量的獲得の即ち拡大強化への一大前進の中に展開される日常斗箏
こそ客観的中條件の成熟につれ断然たる階級的推進力をもつ勢働者農民をしてその必然的成長性の中に鉄の如
き階級的指導権の確立を可能ならしめるであろう︒
我等はこ・に小思想家グルrプの形成を排撃して当面に與へられた我等の任務を遂行するために勢働者 農
民 勤勢大衆の合法的同盟たる全心勢農大衆鎚⁝に投じ参加したる次第である︒
右翼的偏向への危険 社堂民主細腰的改良主義的傾向への聞落 これ等階級的毒素を一掃して眞に階級的統
一への躍進は飽くなき斗事敢行の中にのみ その実践を通じて可能であることを確信する限り 我等は一切の
デマと妨害とに顧慮し煩はされることなく断然たる前進を続けなければならぬ︒
こ・に親愛なる縣下の勢働者 農民 勤勢大衆諸君に固きかたき握手をおくりて聲明に代えるものである︒
一九三一年十月 中原 健次
岡山市七日市五一
︹出典︺大原社研︒全國勢農大衆窯の印が押されている︒
三︑岡山勤労生活者同盟準備会結成史料
︵一九三五・十一・二二 B4版 ガリ刷り︸枚︶
岡山勤勢生活者同盟準備會
結 成 報 告 号
日 時会 場
出席者
議 長 十一月二十二日午后二時半
城下禁酒會館
木田 武雄︑松本光次郎︑景山森川 寅平︑中原 健次︑塩田中原 健次 事務所 岡山市二日市町二六四岡山勤勢生活者同盟準備會
某︑江口 某︑角南 良三
寅雄︑中野円太郎︑野田 照太
創立理由
説明者 中野円太郎
最近吾々勤勢者の生活は極度に追ひ詰められ︑到る所に借家問題︑電氣ガス︑水道料金︑税金等々の問題が喧
ましく言われてみるにも不抱ず︑A7迄それを取り上げる機関及び最も適当な平体を持たなかった︒吾々はその
必要を感じこ・に本同盟結成を提唱する︒
かくて次の事項を決定し満場一致創立を決議し午后四時四十五分閉浮す︒
︵13︶
一174一
︵14︶
決定事項
一、
j 領 全勤勢者の生活防衛︑向上を去るを以て目的とす
一、
ュ 策
1︑家賃︑地代︑電氣︑ガス︑水道料金の値下
2︑営業枚︑居住叔の確保
3︑勤勢者負担の税金減免
4︑小中商工業者の保護政策の確立
5︑勢農棒給者の生活枳擁護
6︑勤勢者保護施設の確立
︑当面の運動方針 先ず当面の問題として政策第一項目実現の為めに強力な運動を展開すると同時に現在岡
山地方無産団体協議會が提唱してみる自費車税撤廃運動に参加協力し︑広はんな同盟員獲得をなす︒
︸︑準備委員會構成︵△印は常任︑○印は会計兼任︶
委員長 角南良三︑書記長 野田照太︑書記 ○木田武雄︑中野円太郎
委員△松本︑△江口︑塩田︑△景山︑△森川︑△魚田︑中原
事務所 岡山市二日市町二六四
一、
髯B方法 提案書並に三軍作成 一書記局一任一
一、
焉@ 政 当分の内会ヒ月十銭︑維持費一口五十銭︑其の他寄附
以上とし︑本組織結成は来春早々に大里を開くべく積極的運動の展開
以 上
︹出典︺岡山県総評収集﹃岡山県社会運動史資料﹄︑岡山県文化センター所蔵による︒
四︑社会大衆党岡山県支部連合会関連史料
a 全農岡山縣聯の社会大衆蕪支持拒否の聲明書
︵へ九三二・八・一 ﹃社会運動通信﹄活字︶
全農岡山縣聯合會は社民︑大衆の首脳が合同して成立した﹃社会大衆蕪﹄に対して︑その支持を拒否す
るものである︒而してA7後の政治甲声は事毎に勢農の共同戦線による一時的圖孚形態をもちいて闘い︑恒
常的政治闘孚組織を必要としない︒勢大窯中央幹部は先に日本勢門倶楽部問題に其の端を発し︑社民黛と
の合同を計画し遂行するまで最も順序よく大右翼結成の陰謀に終始し︑斯くて合同は完全に社民蕪の三反
主義に兜をぬいだのである︒それは合同後の社叢大衆窯の正体を凝視すれば充分である︒これぞ將に資本
家地主の政治権力に奉仕せんとする社會民主主義者必然の行方で︑ファシズムへの轄落にすぎない︒既に
この合同については全農総本部も︑わが岡山縣聯も絶封帯封の立場をあきらかにしている︒われわれは左
翼的伝統に輝く圖箏十一年の歴史をもつ全農岡山縣聯の拡大強化の為に︑反動的︑錯覚的無産政論を排撃
して︑正しき左翼的指導に従い︑一路適進せんとするものである︒
右宣言す
一九三二・八・一
全農岡山縣聯合會
︹出典︺ ﹃社会運動通信﹄第八三二号︑一九三二年八月六日号による︒
︵15>
一172一
︵16︶
b
全人民戦線樹立への声明書
(一
緕O六・三・二十 B4版ガリ刷り一枚︶
声 明書 ︵ママ︶國會総選墨に於ける吾が無産派の副期的進出は︑人々を驚嘆せしめこれの意議につき深く注目されて来たが︑
去る二月二十六日帝都に勃発せるファッショ暴動は︑これら一切の議会に対する関心を根こそぎ粉砕したかの
如きである︒
此の事件を契機として我が國ブルヂョア政治が急速にファッショ化する事は想像にかたくないが︑現広田内閣
こそ︑次のファッショ独裁政治への橋渡しをつとめる半ファッショ政府たる事又明白である︒ファシズム粉砕 ︵ママ﹀の斗孚は最早よそごとではなく我が國プロレタリアートに課せられた刻下の急矛である︒
此の切迫せる情勢下にあって︑我が日本勢働組合全等評議会・岡山地方勢働者組合及び日本消費組合聯盟加盟︑
岡山消費組合は︑全ての政治︑経済︑文化団体又は一般大衆に封し︑反ファッショ的陳列の統一強化の爲の︑
超窯派的︑広汎なる全人民職線の即時樹立を提唱するものである︒
即ち︑独占資本の重圧下に陣吟ずる勢働者農民︑中小商工業者を始め︑一切の時勢大衆並に進歩的インテリゲ
ンチャを包含した︑資本の攻勢と︑政治︑文化の自由隠田の元凶・ファシズムに対して抗孚せんと欲する︑全
人民大衆の︑全國的規模に於ける強力なる軸心組織これである︒勿論この統一体は︑団体並に個人によって構
成され︑一定の綱領規約を有するものにして︑我等はか・る組織こそ︑ファシズムに対し最も有効に斗ひ得る
唯一の組織たる事を確信し︑その結成に向って一路適進せんとす︒
尚︑我等は反ファッショ︑政治的自由獲得並に経済的利益擁護伸張の爲に︑社會大衆窯と協力︑共同斗事を展
開することを声明す︒
昭和十一年三月二十日
日本勢働組合全國評議会
岡山地方勢働者組合
日本消費組合聯盟加盟
岡山消費組合
︹出典︺大原社研︒前掲︑岡山県社会運動史資料も参照︒
c 社会大衆党岡山県支部結成準備会記事と声明書
︵ 九﹂二六・五・一七 ﹃山陽新報﹄︶
杜大窯岡山縣支部
愈よ結成に決定
廿四日準備委員會
執行委員長第一候補に津下氏
昨年九月の縣議戦および本年二月の代議士選基︑四月の倉敷市議塁壁を契機として目早しい政治的進出を行っ
た岡山池下の無産陣螢は現下無産階級運動の現情勢に鑑み最大窯支部の結成について討議を進めてみたが︑十
六日午後七時から岡山市城下禁酒會館で開かれた政窯問題懇談會において同問題に封ずる最後的討議を行った
︵17︶
一170一
︵18︶
結果遂に杜會大衆七五山縣支部聯合會を結成することとなり意見一致す︒就ても同夜協議した結果︑第一候補
老に津下臣太郎氏︑第二候補者に山上武雄氏を推し交渉委員を接げて交渉することとなった︑更に二十四日禁
酒會館で正式に準備委員會を開くことになってみる︒
同夜の懇談會には岡山地方勢働者組合の中原執行委員長︑全國農民組合岡山縣支部聯合會の待屋執行委員長︑
岡山消費組合の塩田常任理事︑岡山勤勢生活者同盟の野田書記長︑新興佛教青年同盟岡山縣支部の辻委員長
其の他首脳部二十数名出席し意見をた・かはせた結果︑從來肚大辛支部結成に反堅甲意見を持してみた岡勢
側も載線統一の強調されてるるA7日政窯問題に関する意見の封立によって縣下無産戦戦の分裂を來たすこと
は統一戦線理論に反するから組合員の政界支持は自由なりとの建前を生かし全農側の意見に合流するに至っ
たものである︒これで一時成行を憂慮されてるた政黛問題も漸く解決し縣下無産派政治勢力の強力な統一が
成ったので今後は肚大貝岡山縣支部聯合會の旗印のもとに一段と強力な反ファッショ政治闘争を展開するこ
ととなった︒
︹出典︺ ﹃山陽新報﹄記事による
聲明書
大衆の窮乏深まりゆくとき︑ファッショ反動の嵐は吹きすさぶ︒これに抗し︑政治的自由を獲得し︑大衆の
生活を防衛する強力なる無産政黛の結成は︑今や全民衆の総意である︒
無産運動に永く正しき歴史を革製に誇る我岡山縣下の各上体は︑此の大衆の要望にごたへる爲︑誤りなきを
期して愼重協議を重ね︑岡勢・全農・岡消・勤生・佛青の各群体有志は莚に杜會大衆蕪支部の結成を決意した︒
聯奏全勤勢大衆は勇躍この傘下に馳せ参じ︑
陳せしめよ!
右聲明す︒
一九三六・五・一六 腐敗堕落の極︑政治能力を完全に喪失したる支配階級をして戦
杜會大衆黙岡山縣支部聯合会
準備会 結成発起人会
︹出典︺大原社研︒記事は﹃社会大衆新聞﹄︵日付不明︶による︒声明書はB4ビラ一枚
d 社会大衆党岡山県支部連合会結成に向けての面詰の声明
︵一九三六・五・二四 B4版 ガリ刷り一枚︶
杜大窯岡山縣支部聯合會結成を前にして
我が岡勢の立場を聲明す
肚大言岡山縣支部聯合會は遂に結成されることになり︑その準備會は成立し︑既にその活動を開始してみる︒
八って我が全國評議會︑岡山地方勢働者組合は﹁肚大盛とは=疋事.項︵反ファッショ即言︑政治的自由の爲の
闘箏︑生活改善の爲の闘箏等々︶に就いて協力する︒﹂旨︑常任執行委員會の決議として中外に言明した事は既
に同志諸君の知る所である︒
然るに今や肚大窯岡山縣支部聯合會が結成されんとして居り︑從って︑これとの協力を如何に実践的に解決す
︵19︶
一!68一
︵20︶
べきかが当面の課題となった︒
吾が組合常任執行委員會は当地方に於ける勢農提携並に反ファッショ人民捜線の特殊性を充分考慮した結果︑
先ず両組織の提携を緊密ならしめる爲︑吾が組合員若干名の大衆窯参加に承認を與へた︒これらの同志諸君が
今后︑彼我骨組織の共同岡津に当り︑ベルトの役割を果すであらう事は明確である︒即ち我が組合は杜野党に
対し︑政治的︑組織的に完全なる独立を保持すること変りなきも︑かくして最も妥当なる協が関係を造り出さ
んとしたものである︒
全國の評議会の同志諸君! 肚大党の党員諸君!
全ての勢彷者農民無産市民諸君!
今や全民衆の生活不安は益々増大し︑且つ︑僅かばかりの政活的自由さヘファッショ反動政治の爲に掠奪され
んとしてみる︒此の時に当り︑我が総勢が杜大半と統一戦線の下に支配階級に対する笹折を敢行して行くこと ︵ママ︶ ︵ママ︶は︑その意議極めて重く︑その任矛まことに聖なるものが存するであらう︒
吾が組合は︑此の試が︑希はくば全國的な規模に於て︑少なくも各地方に於て︑肚大関勢力と非肚大骨勢力と
の反ファッショ統一戦線樹立の︸助たらしめんことを期し︑こ・に声明するものである︒
一九三六・五・二四
日本勢仇組合全國評議会
岡山地方螢仇者組合
常任執行委員会
︹出典︺大原社研︒
e 社会大衆党支部結成準備会議事録
︵一九三六.五.二六 B4版 ガリ刷りニ枚︶
肚大党支部結成準備會議事録
一、
厲梭鼡緕O六・五・二四午后一時
一︑場所於カフエーブラジル櫻上
出席者
倉敷地区浅口地区
小田地区邑久地区
岡山地区
一、
一、 一、
一、
協議事項経過報告
議長推薦の件
議長就任の挨拶
綱領政策規約に関する件
常任準備委員會に一任 辻︑重井︑山本若狭︑清水︑楠田岡田河本︑原田高橋︑中野︑片山︑江田瀬崎︑角南︑藤井健︑野田 略 塩田 寅雄 辻 孝平氏を推薦 可決
決定 吉備地区上道地区赤磐地区
書記局
脚下 恋f ﹂ 耳つ 村木藤原︑楠見︑武田入谷塩田︑木田︑白井佐藤︑山田︑中原︵21︶
一166一
︑各支部結成に関する件
岡山地区報告
浅口地区報告
〃邑久地区報告
上道地区報告
吉備地区報告
小田地区報告
赤磐地区報告
倉敷地区報告
和気地区報告
作州地区報告
〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 田各
中野円太郎
江重入岡村藤河清若 田井谷田木原本水狭 三鹿正勘仁亀重輝幸 郎次志市平平吉夫義
全
︑支部準備會結成準備委員詮衡の件
岡山地区
木田 武雄︑塩田 寅雄︑高橋 巖︑
小松原八十吉︑江田 三郎
上道・邑久地区
河本 重吉︑藤原 申訳︑武田 惣一︑
森 太郎︑石田幸造︑岡 庫次
︵22︶中野円太郎︑片山 秀彦︑瀬崎 武二︑角南 良三︑藤井健次郎
大森伊三郎︑山上 武雄︑原田 歳男︑児玉 久︑藤原 資一
吉備地区 間野規矩太︑村木 仁平︑大木農夫治
赤磐・和気地区
宮向 琴平︑伊藤 数︸︑松田 忠義︑入谷 正志︑西本 豊︑山田 健次︑
神崎眞之雄
浅口地区
若狭 幸義︑清水 輝夫︑戸川升次郎︑下村 憲次︑小幡藤次郎︑田辺 正雄︑
倉敷地区 辻 孝平︑林 弁一︑鳥越広四郎︑山本 力︑金安 稲造
連絡責任者 塩田︑藤原︑間野︑入谷︑清水︑辻
︑支部聯合會準備會常任委員決定の件
志向 國平︑木田 武雄︑林 弁一︑若狭 幸義︑間野規矩太︑辻 孝平︑
清水 輝夫︑山本 力︑瀬崎 武二︑山上 武雄
︑支部聯合會準備會書記局決定の件 決定
塩田 寅雄︑森田 寿︑白井 害2
︑支部聯合會準備會事務所決定の件
結成大会紀行迄に財政部確定を急ぎ事務所は当分の内全農岡聯を借用のこと
︑財政部確立に関する件
結成大會迄各支部準備會にて左の金額負担 帯磁 豊治︑滝川 治雄静田秋一郎岡田 勘一︑中野円太郎
決定
︵23︶
一164一
︵24︶
岡山 一五円︑浅口 一五円︑和気赤磐 七円︑上道邑久 一五円
小田 五円︑吉備 五円︑倉敷 一〇円
黛費は蕪員一人に付本部ヒ年額五十銭︑聯合會ヒ年額五十銭とす 決定
黒田代議士より祝電被露
戦線統一のため支部聯合會結成を喜ぶ院内に於ても努力しつ・あり︒
一、
?會委員長交渉経過報告 中原 健次
第一候補津下氏身辺の都合上此際辞退す されど蕪外にありて極力援助すとの報告により結成準備會出席
者満場一致にて山上氏を準備會委員長に推すことに決定 書記長に塩田寅雄を可決す
從って山上氏常任を辞し河本重吉氏を推す
一當面の闘事題目の決定
1︑勢働組合法 小作法獲得のための圃孚
2︑ 大衆課税反対のための岡箏
3︑借地借家法の徹底的改正のための岡争
広田内閣打倒のための闘孚4︑
5︑電灯電力料金引下げ並に器具損料撤廃とガス︑水道料金引下げ闘孚
6︑ファッショ反対人民戦線樹立のための圃事
7︑地方自治体ファッショ化反対地方議會刷新のための闘孚
議動
1︑無産議員団に沖し統一戦線確立の要望と肚會立法獲得のための革製電報を打つこと︒
2︑周匝村差別斗箏に対し応援激働電報を打つこと
3︑右斗孚に封し応援資金を即時募集のこと
圃孚資金 二円二十八銭集り早速送金
一 宣傳演説會開催に関する件
黒田︑加藤︑松本三代議士の来岡を乞ひ縣下各地に演説會を開催する
その方法︑日時等は常任委員會に一任
縣支部聯合會結成大會の日時に関する件
本年九月に結成大會を持つこと
一︑縣支部聯合會準備會會計選任の件
中野円太郎君を選任と決定
各支部負担金提出の日時に関する件
六月十五日迄に提出と決定 閉會
一九三六・五・二六
杜大党岡山県支部聯合會準備會
岡山市内山下三〇ノ一〇全農岡論題
一162一
︵25︶
︵26︶
f 社会大衆党上道郡支部結成大会準備委員会案内状
︵一九一二六・九・二九 B4版 ガリ一枚︶
案 内 状
一九三六・九・二九
杜會大衆党上道郡支部
結成大会準備委員会印
各友誼団体御中
貴団体のたゆまざる御健闘に深甚なる敬意を捧げます︒
吾岡山縣に世数大衆蕪の旗を掲げて以来四ヶ月︑戦線は頓に緊張し︑広田反動内閣は益々露骨にファッショ ママ 化への移行を呈露し早りました︒産業統制の名によって一切を居眠支配下に置き︑人民の自由と平和を極度に ︵ママ︶侵害する意途を白日の下に現はしてゐます︒之に反撃を加へ奪はれんとする政治的自由を確保するものは︑統
一戦線による勤労階級の結束のみであることを確信し︑微力ながら吾々は備南の野に縫製を進め︑左記の日時・
場所に於て結成大会を墨げます︒
吾々を激働される意味を以て代表の派遣・祝辞・祝電を賜はり度御案内申上げます︒
↓︑日 時 ︷九三六・﹁○・四 午后六時
一︑場 所 於上道郡雄神村幼稚園
・尚當日迄は岡山縣上道郡芳野村広谷 藤原亀平方
社会大衆蕪上道郡支部結成大会準備委員会
・當日は大会会場へ
9社会大衆党岡山県支部連合会準備会記事及び声明書
︵一九三七・二・一﹃社会運動通信﹄タブロイド版二面活字︶
杜大岡山支部
榮冠奪取に聲明
大衆生活擁護へ湛進
社会大衆窯岡山支部では過日行はれた上道影野議補翼において︑政民ブロックを完全に撃破し︑無産至尊の凱
歌を高らかに奏したが︑引績き蕪政策を實践に移し︑果敢なる闘孚を行ひ大衆生活擁護の漸進を期してみるが︑
尚左の聲明書を発表した︒
聲 明 書
政戦二野政民ブロックを撃破して上道郡縣議補選に書置を奪取したるは︑勤勢大衆が政治的に数歩の前進で
あり又︑上道郡に於ける過去十有七年の苦難なる闘箏の結實である︒准ふに準職事体制の名の下に︑一般大衆
の生活は極度に脅され不安と動揺のうちに国民は殆ど絶望的気分に囚はれ憂慮すべき状態に置かれてみる︑吾
蕪の責務旨々過重される秋︑我々は一時の勝利感に幻惑されることなく︑大衆諸君が蕪支持の熱意と信頼を深
く感銘すると共に︑理るべき市町村會議員改選と︑国会解散必至の状勢下に︑更に躍進を期して待機し︑尚大
衆諸君の信頼に背かず即時即刻我々の政策を實践に移し闘殺を開始せんとするものである︒
右聲明す︒
一九三七・二二
︵27︶
一160一
︹出典︺ ﹃社会運動通信﹄昭和十二年二月四日号による︒
h
倉敷支部結成大会記事
(一
緕O七・六・二 ﹃大阪朝日新聞﹄
躍進した社大窯
倉敷支部を結成
式後大演説會を開く 社會大衆裳上道郡支部社會大衆窯岡山縣支部 聯合會準備會
岡山版記事 活字︶ ︵28︶
過般の総選暴によって極度に進出した社大愚では二日午後 時から倉敷市支部結成式を新寺園で開催︑前川︑
黒田両代議士中原︑若狭︑江田三繋累出席︑大會議案を附議支部長に倉敷市議辻孝平氏書記長に横田保男氏執
行委員に倉敷市議重井鹿治氏ほか十四氏が決定気勢をあげ午後七時から倉敷旭町小堂校で物思騰貴勢望︑政民
打倒の大演説會を開いた︒
︹出典︺ ﹃大阪朝日新聞﹄岡山版 昭和十二年六月三日号 マイクロフィルムによる︒
i 支部結成大会案内状並びに入党・甲込書
︵一九三七・五・二三 B4版 ガリ棚り一枚︶
大會案内歌
一九三七・五・二三
社會大衆窯岡山縣支部聯合會準備會
委員長山上 武雄印
各友誼団体御中
貴団体の不断の御健闘に封して深甚なる敬意と感謝を捧げます︒
倦て吾が社會大衆蕪岡山縣支部聯合會準備會は昨年五月確立以来窮迫を告げる勤勢大衆の政治的解放のため︑
生活防衛のため︑捲線の陣頭に立って野冊を書けて来たのであります︒其の間諜會議員上道郡補選に於て政民
聯合軍を一蹴して江田君を厳選せしめ︑過ぐる衆議院議員総選管戦に於て黒田代議士を當律せしめ︑第二区に
重井候補を推して劃期的得票をもって既成政窯の陣螢に迫り其の心謄をして標止せしめたのであります︒吾聯
合會は此の大衆的支持の昂揚を組織し︑陣容を尊大整備して大衆の要望に封へんがため︑左の通り結成大甘を
墨げる事となりました︒
本大會の意義に饗して一層の光彩を添へ大言を盛大ならしめたるため︑貴団体より代表の派遣又は祝辞︑祝
電に依って︑大いに激働されんことを御願する次第であります︒
一、
冝@時 一九三七・六・三 午前一〇時
オカヤマ シ ウチサン ゲ
一、
黶@所 岡山市内山下 岡山市公會堂
︵29︶
一158一
︵30︶
(尚
蝌X鞠琵㌔社會大衆窯岡山縣支部聯合會準備二郎︶
︵ママV 肚會大衆窯は窯の規約綱領政策を承認し︑全無産大衆燭放の爲に戦はんとする全ての人々に︑
哀心からその手をさしのべてゐます︒︑大衆は潮の如く肚・曾大衆窯の旗の下に!
入 申 込 書
・切::⁝⁝: ⁝:・:取線⁝・⁝⁝⁝⁝
j支部規約及び準則
︵一九三七・五・二三 B4版 一枚活字︶
支部規約準則
第一章総 則
第一條 本支部は肚會大衆××支部と黒し事務所を××に置く
第二條 本支部は窯の綱領政策及決議の實現を期するを以て目 的とす第三條
第四條 本支部は××郡市︵匠︶に居住する掛員以て組織す支部は組織宣傳調査地方政治封策其他必要なる部門を
設くることを得
第五條 本支部は必要に慮じて班を設く
第六條 支部の協議及決定事項は之を窯本部並に支部聯合會に
報告する事を要す
第二章 入窯及脱退
第七條 本窯に加入せんとするものは入蕪申込書に所要の記入
をなし︑窯費を添へ支部に申込べし
第八條 本支部は前王の申込ありたる時は資格を調査の上意見
を附して本部に報告するものとす
窯員たる資格は前項の申込に中央執行委員會が承認を與へた
時確定するものとす
第九條 本蕪を脱退せんとする者は其の理由を明記し窯員章を
添へて所属支部に届出ずべし
第三章 機 關
第十一洋本支部に左の釜澤を置く
一︑大會︑ 二︑執行委員會
第十一條 大會は毎年一回執行委員會之を招集し︑支部の重要
事項を協議決定す
支部窯員三分の一以上の要求ありたる時又は執行委員會の必
要と認めたる時は臨時大會を開催することを得
第十二條 執行委員會は支部役員を以て構成し大會の決議に基 き支部の事務を執行す 第四章 役 員第十三條 本支部に左の役員を置く 支部長皿名︑書記長一名︑執行委員若干名︑會計一名︑歪計 監督若干名︑部長若干名第十四條 支部長は大鰐に於て選出し支部を統轄し支部を代表 す第十五條 執行委員は大會に於て支部員中より選出す︒但し大 會後に於て鉄員を生じたる時は執行委員會に於て補選するこ とを尋 →第十六條 書記長は大會に於て選出し支部長を補佐し事務を庭 呈す第十七條 會計は大會に於て選出し導出事務を掌る第十八條 會計監督は大會に於て選出し支部急難を監督す第十九條 各部長は執行委員會の任免を受け當該部門の活動を 統轄す第二十條 支部役員の任期は大會より次期大嘗に至る迄とす︒ 但し再選を妨げず 第五章 會 計第二十一條 支部費は一年額×銭とす
第二十二條 愚計は執行委員會の承認ありたる時は寄附金を受
︵31︶
一156一
くることを得
但し寄附を受けたる時は寄附者の氏名及金額を明確にし大會
に報告するを要す
第二十三條 支部の予算は大斑の承認を経ることを要す
片弟山ハ立早 昭副 則
第二十四條 窯員にして窯則第五十三條の各號の一に該當する
ものと認めたる時は執行委員會︑大組の決議を経て役員橿の
停止又は中央執行委員會に除名の申請をなすことを得
第七章附 則
第二十五條 本規約は大會に於て窯費完納窯員三分の二以上の ︵32︶
賛成を得るに非れば攣更することを得ず
以 上
班規約準則
第一條 本班は肚會大衆窯××支部××班と稽し事務所を××
に置く第二條 本班は肚會大衆窯××支部の統制を受るものとす
第三條 本証は窯支部の組織化︑窯員の教化動員の爲に活動す
第四條 本班に班長一名︑班執行委員若干名︑會計.一.名を置く
以 上
︵以下略︶
杜會大衆黛岡山縣支部聯合會
岡山市大雲寺町五〇
k 社会大衆党岡山県支部連合会結成大会記事
@ @︵充三七・六・二齪合同新聞昭和+二年六月四・コ置月三・夕刊︺薔活字︶
社會大衆蕉支部
聯合會結成大會
けふ市公會堂で開催
社会大衆窯岡山縣支部聯合會結成大正は黒田︑前川両代議士を迎へて三日正午より岡山市公舎堂に開催︑中原︑
江田︑若狭三野議︑宮向︑山上︑重井︑辻井各委員及び窯員二百名が列席︑森川委員司書の上大壁議長に山上
武雄氏を推し︑東京本部を始め全國各支部の親辞祝電を披露︑議案審議に入り
︸九三七年一般運動方針 △規約制定 ムファッショ排撃 勤出営會政治確立 △小作法即時制定農地法反
封闘箏 △勢働組合法の制定及退職手筈法の改正要求 △物価騰貴に比例する流蝋賃銀並俸給即時引上げ
△近衛内閣に封ずる態度 △大衆増税反封闘事 △産業組合対策 △國立民衆銀行法の制定要求 △中小市
民層獲得闘箏 △市町村會﹇議員改選巻葉 △電燈電力ガス水道料金値下運動
その他を逐條審議決定大意宣言︑決議をなし役員選奉を行った︒なほ引継ぎ同日午後七時から同所において黒
田︑前川︑中原︑江田︑若狭︑三縣議︑宮寺︑山上各委員這上って記念演説會を催すはず
執行委員長 黒田壽男 書記長 重井主治執行委員︵各支部窯員二十名毎に一名宛を選定︶
︹出典︺鶴合同新聞昭和十二年六月四日︵六月三日夕刊︶号による︒
一154一
五︑史料解説
大正・昭和初期岡山県社会運動史料のうち︑A7回は︑前回に引きつづく全国労農大衆党関係分と共に︑とくに昭和恐慌期以降の
社会大衆党岡山県支部連合会関連史料を中心に紹介したい︒
全国労農大衆党は︑前回にもみてきた通り全国大衆党を中心として﹁農民戦線再建の要望﹂をになって結党をみた政党である︒
史料一︑全国労農大衆党岡山県支部連合会史料︑a︑岡山支部準備会の通知︑は︑一九三一年八月二九日に出されており︑九月三
日︑岡山市内禁酒会館にて︑岡山市支部の結成大会を開催すること︑その連絡事務所は︑市内に魚市場のある二日市町の山本政夫
方となっている︒三党合同後︑﹁資本家︑地主の陣営﹂に対し﹁全無産大衆の生活権擁護と階級解放運動﹂の﹁一段の強化﹂と﹁充実﹂
を行う趣旨が述べられている︒
︵33︶
︵34︶
史料b︑移転と寺号の通知︑は全国農民組合岡山県連合会︵委員長童言国平︶︑全国労農大衆党岡山県支部連合会︵委員長山上武
雄︶の事務所の移転の通知の史料である︒上記二つの団体は︑事務所を同居していた事実が注意される︒また︑新本部のもとで新
しい集会を原尾島龍正寺で開き︑無産団体の統一的な運動へと進みたい旨が記されている︒
史料︒︑連合会役員名一覧には︑全国労農大衆党岡山県支部連合会の役員名が記されている︒史料d︑党勢調査表によると︑本
部書記局︵東京新橋︶宛の岡山支部連合会からの報告では党員数は一︑○○○名と記してあり︑﹁之れは旧党員名簿に記入してある
のを書いた丈で現在勢力三千名﹂と記していた︒少し誇張された概数ともみられるが︑農民運動の影響の強い岡山県では全農県連
の全面的な協力のもと全国労農大衆党の旗のもとに相当の党員数勢力を結集した一時期があったことは事実であろう︒
史料e︑在米岡山県出身労働者への愚亭は︑在米岡山県出身の移住民労働者への同党連合会による御文である︒岡山県民の外国
移民は︑すでに一八八五︵明治 八︶年一月のハワイへの契約移民が知られ︑明治年間はハワイ︑明治・大正年間はアメリカとカ ωナダ︑明治末期から昭和初期はブラジルとフィリピンへの移民が多かったとされている︒ほかに農村不況下の経済更生計画の一環
に位置づけられた満州移民︵開拓︶団の派遣等もあった︒ブラジル移民は︑昭和恐慌後の︸九三二︵昭和七︶年十一月には県下か ⑧らの移民が︸ヵ月平均七三名といっきょに拡大した︒こういつた移民者が︑農山村の小作︑小自作など中下層零細農民を中心とし
ていたことはいうまでもない︒この橡文が出された前後の事情はよく分らないが︑いずれにしても全国労農大衆党岡山県連合会が
在来岡山県出身移民﹁労働者﹂への連帯の傲文を送っていることは︑注目できる︒ ︐
昭和恐慌の深化の過程で︑都市部にも農村部にも失業者は増大した︒こういつた情勢の中で︑国際的国内的にファッシズムの蝿
頭がみられ出した︒国内のファッシズムの潮流と運動は︑恐慌下の失業者の増大と官憲による弾圧が強化される中で︑無産政党の
脱落者︑既成政党の不平分子︑軍部における下級士官一いわゆる農村出身の青年将校 等への影響を中心に展開してゆく︒史料f︑
ファッショ排撃の声明書は︑労農大衆党がいち早くこういつた内外の動きをキャッチし︑これに反対の声明を発表し︐対応したこと
を意味している︒ほかに上道支部ニュースなども一部残されているが省略した︒
つぎに史料9︑労農大衆党岡山県連合会解体臨時大会記事には︑中央での社会民衆党と労農大衆党との合併による社会民主主義
的な社会大衆党結成に岡山県連は反対であること︑同党解体後の今後の岡山での闘争方針として︑失業反対闘争︑農村窮乏打破︑
無産市民生活防衛︑飯米闘争などの共同対策委員会を設置して活動を進める点が記されている︒
折しも︑昭和恐慌下の無産政党合同︑三党合同が進められる中で︑労働組合運動をはじめ無産者団体協議会の推せんによる普選
後最初の無産派の岡山市議会議員として活動していた中原健次は︑一九三一年十月︑労働者︑農民︑勤労大衆に向けて声明を発表
した︒史料二︑戦線統﹇への中原健次の声明はこれを示すものである︒この中で︑中原は︑原則的立場への固執がレーニン主義に
おける﹁屈伸性﹂と矛盾すること︑無産階級の戦線分裂は支配階級に利用されること︑﹁合法的組織﹂の上で戦線の﹁拡大強化統
〜﹂と﹁大衆の結合︵労働者︑農民︑勤労大衆︶﹂が必要なことを説いた︒
この前後に史料三︑岡山勤労生活者同盟準備会結成史料︑にみられる動きもあった︒この組織も岡山労働者組合の中原健次らを
中心に発足︵事務所は岡山市の二日市町︶︑岡山消費組合の塩田寅雄︑角南良三︑森川寅平らを中心に﹁全勤労者の生活防衛︑向上﹂
を目的として活動している︒借家問題︑電気︑ガス︑水道料金︑勤労老負担の税金︑中小商工業者の保護などの問題をとり上げた︒
税問題では︑自転車諸車税撤廃運動︵第三回史料で紹介︶をとり上げた︒
そうして︑戦前期無産政党運動の最後を飾る︑社会大衆党岡山支部関係史料を紹介しておきたい︒周知の通り︑社会大衆党は︑
一九三二︵昭和七︶年七月二四日︑東京芝の協調会館で創立大会を開き︑全国労農大衆党を合同して生れた政党である︒同年四月
の社会民衆党の中央委員会で︑右派の赤松克磨らの国家社会主義新党樹立派と全国労農大衆党との合同派︵片山哲・松岡駒吉ら︶
に分裂︑赤松らは日本国家社会党を結成︑残留派は労農大衆党と合同して社会大衆党を結成したのである︒したがって︑社会大衆
党の内容については︑﹁中間派社会民主主義政党の終着点﹂とかその﹁本領が社会大衆党においてもっとも本来的に発揮されている﹂ ㈲との評価も可能であろう︒
いま︑社会大衆党の立党宣言︵三二・七・一五︶をみると︑﹁社会民衆党︑全国労農大衆党はここに合同して新党を組織した︒我
等は︑政治戦線の単一結成を喜び︑強力無産政党の出現に心からなる万歳を叫ぶ︒⁝⁝科学的なる日本資本主義の批判に立って︑
労働者農民の結合を経とし︑中間階級層を緯とし︑以て大衆的闘争的なる方法に於てこの目的を具現せんとする︑早れ我が新政党
の戦術である︒⁝⁝﹂と記している︒みられる通り全国的には﹁政治戦線の統一﹂︵非合法下の共産党をのぞく︶と合法的な﹁大衆
闘争﹂を目的として立党をみたものであった︒執行委員長安部磯雄︑書記長兼会計麻生久︑常任中央執行委員に戦後社会党の再建
︵35︶
一152一
︵36︶
に大きな役割を果だす片山哲︑河上丈太郎︑浅沼稲次郎らがおり︑顧問に高野岩三郎︑杉山元次郎︑総同盟顧問︵元友愛会︶の鈴
木文治らがいた︒
岡山県下の社会大衆党の結成は︑︸九三六年五月頃準備会︑翌一九三七年六月三日正式の結成大会と︑中央の動きに大きく遅れ
た︒これには︑大きな理由があった︒その第1は︑同時期の労農大衆党県支部連合会の全農県連合会内部での中央の動きへの追ず
い批判の與論であり︑第2に︑岡山労働組合など県下労働運動側の事情︑第3に︑1︑2︑と関連するが︑岡山地方の無産団体協
議会の連帯活動の強さなどであろう︒社大党岡山県支部は︑﹁中間派社会民主主義回田党﹂といわれた社会大衆党の全国的な動きの
中でユニークな位置を占めたとみられるのであるが︑この点を含め各史料の中でその岡山地方の特徴点などを具体的に検討し︑こ
の問題解明の手がかりを得ておきたい︒
史料四︑a︑全農岡山県連の社会大衆党支持拒否の声明書︑は︑七月二四日︑社会大衆党が中央で結成された後の全国農民組合
岡山県連合会の反応をみる上で注目される史料で︑前掲第1の理由と関連する︒三二年七月二四日中央で社会大衆党が成立したが︑
岡山からは誰も参加しなかった︒八月一日︑全農岡山県連は上道郡の山上武雄宅で執行委員会を開き態度を協議し︑このような声
明を出した︒全農岡山県連は︑全農総本部と同じくその﹁支持を拒否﹂すること︑今後の政治闘争は﹁事毎に労農の共同戦線によ
る一時的闘争形態﹂を持って闘い﹁恒常的政治闘争組織﹂を必要としないこと︑そうして︑合同後の社会大衆党の組織に対して︑ ㈲﹁これぞ将に資本家地主の政治権力に奉仕せんとする社会民主主義者必然の行方で︑ファッシズムへの転落に過ぎない﹂とまで述
べているのである︒
これより以前︑中央で全国労農大衆党と社会民衆党との合同が行われた時も︑全農岡山県連は︑五月一八日︑それは︑﹁農民戦線
統一の実践を通じての合同に於ける下からの要望に依る合同ではない﹂こと︑それが﹁極右的偏向﹂であり合同に対する﹁日和見
主義的態度﹂であることを理由に強く反対する声明を発表していたのである︒
全農岡山県連が前記の声明書を出して後の八月一八日︑全国労農大衆党岡山県支部連合会も︑岡山市原尾島の本部で拡大委員会
を開き合同問題への態度を協議した︒この委員会で︑中央での社立党による無産階級解放への指導が不可能であることを確認し︑ ㈲社会大衆党の県支部連合会と化すことを本県の無産運動の﹁邪道﹂とし︑同時に﹁盛大党岡山県連の発展的解消﹂を決議した︒こ
れは︑先にみた史料一lhと関連している︒
このようにして︑全国労農大衆党岡山県支部連合会は解体した︵同時に社会民衆党岡山支部も解体︶が︑社会大衆党への参加は
行わず︑今後一切の政治闘争は従来の岡山地方無産者団体協議会を中心に闘うこととなった︒
岡山県出身の犬養首相が凶弾に倒れた五・一五事件︵一九三二・五・一五︶前後からの岡山の労働運動は︑中原健次らの岡山労
働者組合︵==年十一月結成︑通称﹁岡三﹂︶が活躍︑三一年の品川白煉瓦の争議i労・農・水で闘ったと云われる一︑三二年の全
農の岡山市浜河原の小作争議の応援︑三三年以降の屋外闘争などが知られた︒三五年一月日本労働組合全国評議会岡山地方労働者
組合を結成︑再び闘争の重点を工場に置くことが決まった︒市民運動としては岡山市政刷新同盟︑三一年頃からの日本消費組合連 ㈲盟岡山消費組合︵塩田寅雄ほか︶の活動が知られる︒
こういつた動向の中で︑史料b︑全人民戦線樹立への声明書︑にみられる岡山地方労働者組合と岡山消費組合の連名による一九
三六︵昭和十一︶年三月二十日付の﹁反ファッショ的陣列の統一強化の為﹂の﹁全人民戦線の即時樹立しの﹁提唱﹂が注目された︒
この傲文は街頭宣伝に用いられたものの一枚である︒この前月の二月二一日︑衆議院選挙に全農政治部長黒田寿男が岡山地方無産 ω者団体協議会の推薦で﹁無産謡初の代議士﹂として当選した︒一方︑同月二六日︑二・二六事件が起こり︑岡田内閣総辞職︑三月
広田内閣が成立している︒
岡労などによる広汎な人民戦線結成の呼びかけのもと︑岡山にも社大寒支部の結成を行おうとする動きがみられ出した︒史料
︒︑社会大衆党岡山県支部結成準備会堂事と声明書は︑﹃社会大衆新聞﹄が岡山地方の準備会の動きを伝えたものである︒三五年九
月の県議選では︑無産者団体協議会推薦の中原健次︵岡山市︶と若狭幸義︵浅口郡︶の二名が当選したことも︑上記の動きを促す背景
となっていた︒そうして︑五月十六日付の声明書には︑岡労︑全農︑岡消︑勤生︑新興仏骨の五団体が準備会結成発起人会とし
て名前を連らねた︒
とりわけ︑岡労は︑当初は反対していたが︑二・二六事件後進ファッショ統一戦線の必要を痛感し︑社会大衆党支部結成に向
けて動き出した︒史料d︑社会大衆党岡山県支部連合会結成を前にしての岡労の声明は︑この動きを示すものである︒岡労が︑
社大党と一定事項つまり反ファッショ闘争︑政治的自由の為の闘争︑生活改善の為の闘争等々で協力することを決議して.いること︑
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一150一
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両組織の提携を緊密ならしめるため組合員若干名の大衆党参加に承認を与えたこと︑これら同志をベルトに両者の協力関係をつく ㈹り出し︑岡労と社大党との反ファッショ統一戦線を樹立すべき旨を声明しているのである︒
労農大衆党県支部解体時に強く反対していた山上武雄をはじめ宮向国平︑江田三郎ら全農の幹部も︑社大棟支部結成準備会には
結局協力し参加することとなった︒史料e︑社会大衆党岡山県支部結成準備会議事録をみると︑岡田の中原健次をはじめ︑当時の岡
山の多数の左翼活動家の参加があったことが分る︒全農内部では︑全会派と総本部派の対立がみられたが︑ひとまず両派からの参
加がみられており︑岡労などの統一戦線の方針は成功した︒山上は準備会委員長に推されたのである︒常任委員には河本重吉も
推せんされた︒議事録によると︑社大党準備会は︑当面の闘争題目を︑労働組合法・小作法獲得のための闘争をはじめ︑大衆課税
反対︑借地借家法の改正︑電灯電力︑ガス水道料金引下げ等の生活闘争や︑広田内閣打倒︑ファッショ反対人民戦線樹立︑地方自
治体ファッショ化反対・地方議会刷新のための闘争などに置くことを決定し︑街頭宣伝︑演説会の開催等を進めたのである︒なお
準備会は︑岡山市内山下の全農岡山県落字に置かれ全農も全面的にバックアップすることとなった︒
このようにして︑一九三六年九月二九日︑上道郡支部結成大会に向けての準備会も開催されるに至った︒史料f︑社会大衆党上
道郡支部結成大会準備委員会案内状︑をみると︑上道郡下神村幼稚園にて上道郡支部結成大会に向けての委員会が開催されたこと
が分る︒史料9︑社会大衆党岡山県支部連合会準備会記事と声明書をみると︑同党が上道郡県議補選−江田三郎の当選1などを通
じ﹁大衆生活擁護﹂に向けて﹁遭進﹂を期している様子が明らかであるコ史料h︑倉敷支部結成大会記事にみられる通り翌年一九
三七年六月二日︑辻孝平倉敷市議︵当時︶らにより倉敷支部も結成し﹁躍進﹂を見せている︒
なお史料・・︑支部結成大会案内状並びに入党申込書︑一︑支部規約及び準則をかかげておいた︒結成大会の案内状は︑準備会委
員長山上武雄の名前で出されている︒このような経過で︑史料k︑社会大衆党岡山県支部連合会結成大会記事︑にみられるような ⑨支部結成大会が三七年六月三日岡山市公会堂で開かれた︒黒田︑前川両代議士︑中原︑江田︑若狭三県議︑宮向︑山上︑重井︑辻
ら党員約二〇〇名が出席︑運動方針︑規約を制定しファッショ排撃︑勤労議会政治確立に向けて具体的な諸要求をもとに運動を進
めることとなった︒執行委員長黒田寿男︑書記長重井鹿治ほかの執行委員を決めてここに︑岡山の社会大衆党は全国の動きにほ.・
五年遅れて合法無産政党としての発足をみるのである︒ ・