柴田甚五郎旧蔵日本陽明学関係書について
著者名(日)
吉田 公平
雑誌名
井上円了センター年報
号
10
ページ
133-159
発行年
2001-07-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002725/
柴田甚五郎旧蔵日本陽明学関係書について
吉田公平
︸・§合㌻ミ 柴田甚五郎は明治十四年二八八一︶の生まれ。哲学館中退。昭和三年以後に東洋大学に在籍し、身分は東洋 大学教授、役職として校友会評議員・維持員・校友会会計主任・校友会常務委員・学生・王事を果たされた。その ﹁教科目﹂に倫理学・修身・実践道徳・国民道徳・﹁伝習録﹄が挙げられている。以上は﹃東洋大学人名録1役員・ 教職員ー戦前編﹄︵東洋大学・井上円了記念学術センター︶が記すところである。柴田は京北高校の校長をも歴任し た。 ﹃教員履歴書綴︵昭和二十五年以前︶﹄︵人事課移管井ヒ円了センター資料︶には次のように記録されている。 履歴書 本籍 滋賀県東浅井郡朝日村大字山本第九百五拾壱番地 現住所 東京市瀧野川区上中里百七拾試番地 柴田甚五郎 明治十四年一月三日生 学歴 133 柴田甚五01川]蔵B本陽目月r関係書に・L・こ明治四十三年三月 哲学館大学得業諸書受領 明治四十三年三月 試験検定二依リ中学師範学校高等女学校修身科教員免許状受領 明治四十三年四月以来井上哲次郎博士東敬治先生井上通泰博士二就キ陽明学ヲ研究セリ 大正十四年四月 東洋大学講師號讃書受領 業務 昭和二年十二月 東洋大学教授就任 昭和九年五月 東洋大学豫科教員嘱託セラル 以上 昭和九年十月一日 東洋大学豫科講師嘱託ス 昭和十年四月一日 豫科専門教授嘱託 この履歴書の丁寧な読みは後日に期したい。 柴田甚五郎は研究者としては、昭和十五年九月五日に岩波書店から刊行された﹃藤樹先生全集﹄全五巻の編集 委員の一人として重責を果たした。編纂顧問は巽軒井上哲次郎・君山狩野直喜・慢軒高瀬武次郎・正堂東敬治。 編集委員は藤陰加藤盛一・春城高橋俊乗・紫水小川喜代蔵・黙天柴田甚五郎であった。この﹁藤樹先生全集﹄は 資料の収集・読解・真贋の判定・解題などに周到な配慮を施し、可能な限り写真版を添えて編まれたものであり、 全集としては秀逸な出来映えとなっている。この全集がその後の中江藤樹研究に多大の貢献を果たしたことは、 周知の事実である。井上哲次郎など四人の顧問は監修者の立場とでもいうべき役割を果たしたもののようであ り、実際の作業は、小川・柴田・高橋の三氏が担当したものであろう。先哲の全集編纂は難渋を極めるものだが、 それにはふさわしい評価を受けないことが多い。中江藤樹の関係者を訪ね、遺墨遺書を博捜することは、交通事
情の不便であった当時は難儀なことであった。ひとえに中江藤樹に対する敬愛の念がその困難をしのがせたので あろう。 中江藤樹を敬愛した柴田甚五郎の関心は、勢い、中江藤樹に親灸した門人たちにも及んだ。そのことに関して は、柴田甚五郎は良き師にめぐりあえた。東敬治︵ひがしけいじ︶である。幕末維新期に活躍した山口生まれの 陽明学者である東澤潟︵天保三年ー明治二十四年。一▲三一ー一八九一︶の継嗣である。︵東澤潟については荒木見 悟・荒木龍太郎著﹃東澤潟・林良斎﹄・明徳出版社。東澤潟は荒木見悟博士の執筆。野口善敬著﹃東澤潟﹄.明徳出版社を参 照︶。この東敬治もまた、東洋大学に在職した。﹃東洋大学人名録﹄に依ると、明治三十二年から三十八年までと 明治四十年から昭和九年まで在職。﹁身分﹂は哲学館︵大学︶講師・東洋大学講師・教授。﹁教科目﹂は漢文・漢文 学・﹃伝習録﹄。 この東敬治に師事して、柴田と同じく東洋大学に在職した陽明学者に生田格︵号は正庵︶がいる。生田格につ いては﹃東洋大学人名録﹄は、﹁在籍年﹂は昭和四年以後。﹁身分﹂は東洋大学教授。﹁教科目﹂は漢文学と記す のみである。︵生田格については、荒木見悟博士著﹁生田正庵小伝﹂・中国哲学論集八号、一九八二年一〇月、参照︶。 先に﹁東洋大学と陽明学﹂︵﹃東洋大学中国学会報﹄第六号︶の小文において言及したことでもあるが、東洋大学 は実は明治・大正・昭和戦前期における陽明学運動の活動拠点であった。それは東敬治の牽引力による。東敬治 は王学会・陽明学会を組織して月刊の機関誌﹃王学雑誌﹄﹃陽明学﹄を刊行した。陽明学にゆかりのある先哲を発 掘し、その遺著を掲載し、末商門流を紹介し、全国各地の陽明学運動の火を再点火して大きな社会運動にした。 渋沢栄一・大倉喜八郎などが支援した。東敬治の活動の基点は東京であるが、大阪・近江・京都・山口.鹿児島. 広島・愛媛など東奔西走した。東敬治の前に吉本譲が鐵華書院に依って﹃陽明学﹄を刊行した。また石崎東国が 135 柴II]甚五郎ll蔵日本隅明)t関係害1 ノい:
大阪を拠点にして大阪陽明学会を組織して機関誌﹃陽明﹄﹃陽明主義﹄を刊行して大塩平八郎を顕彰していた。 しかし、運動の総熱量は東敬治の方がはるかに大きかった。 柴田甚五郎には﹁聖人中江藤樹﹄︵東京弘学社蔵版︶がある。その自序の最後に﹁謹みて、伊勢大廟及藤樹神社 を遙拝し皇国の隆昌を祈りつ々、東京瀧野川なる孝徳書院の藤樹の下にて、昭和十二年九月八日朝、著者識﹂と いう。本文二百五十六頁。定価二圓六十銭。更に﹃日本陽明学者語録﹄︵東亜研究会発行、昭和十年六月二十五日︶ がある。当時、どれほどに読まれたのかはわからない。戦後の藤樹学・日本陽明学・近世儒学思想を研究する上 で、これらの著作が特に参照された形跡を知らない。時勢が然らしめたと一応は言えよう。しかし、柴田はさら に藤樹後学について研究をまとめる意図があった。師弟同学が所蔵する藤樹後学の遺著を柴田は架蔵することに なり、それを基に論文を書き上げ、一書に集大成し、学位請求論文に仕上げる意図があったに違いない。残念な ことにそれは実現しなかった。 今は取り敢えず、柴田甚五郎が東洋大学に寄贈し、東洋大学図書館に収められている陽明学関係書を紹介し、 柴田甚五郎の学業の↓端を明らかにしたい。 その前に、柴田甚五郎が架蔵書を寄贈したその中に、柴田自身の論文が入っているので紹介しておきたい。 ○藤樹学者淵岡山と其学派、事蹟の研究︵一二↓ー五一∵SJ︶。﹃帝国学士院記事﹄第一巻第一号別刷。昭和十七 年三月十一日発行。↓頁に︵昭和十五年一月例会発表︶とある。 ○藤樹学者淵岡山の研究参考書類ー昭和十五年↓月十二日於帝国学士院ー。二二一ー五二・SJ︶。三部有り。 ○中江藤樹の思想。二二一ー五]・SJ・二︶表紙裏に﹁寄贈柴田甚五郎文庫﹂の長方印有り。表紙に﹁日本儒教 掲載、中江藤樹晩年の思想、柴田稿﹂と墨書有り。本文題目の下に︵日本儒教に掲載せし藤樹研究の一端︶の
ペン書き有り。 柴田甚五郎は﹁研究参考書類﹂の中に淵岡山研究の基本構想を示している。 ○藤樹学者淵岡山の研究要目 ↓、日本文化史上より観たる淵岡山 二、淵岡山の事蹟 イ、仙台に於ける事蹟。ロ、江戸に於ける事蹟。ハ、近江に於ける事蹟。二、京都に於ける事蹟。ホ、人 物事業。へ、家系 三、淵岡山の学説 1、淵源及変遷 2、分析的に観たる学説 イ、宗教思想。ロ、哲学思想。ハ、倫理思想。二、心理思想。ホ、産業思想。 四、総合的に観たる学説 イ、神。ロ、孝。ハ、良知。自反慎独・良知の両路・中墨・理智義・取廻し・自現︵すくまざる教︶・新︵日 新の位︶。二、当下一念。ホ、体認︵体得、体験、黙識、心通︶ 五 岡山学派 イ、学説。ロ、門人の中心人物と其学風。京都 木村宗十郎、大内玄淳。会津−大田原養白、五十嵐養 庵。江戸ー田中全立、二見直養。伊勢 石川威倫、石川定源。熊本 櫻井半兵衛。ハ、学派の分布状 態。二、学派の史的変遷。ホ、藤樹学と石門心学。 137 柴田甚ヲ|郎1u蔵日本陽川≠関係書1 ・ て
六、現代的意義を以て観たる淵岡山 他に柴田甚五郎の論文は例えば 中江藤樹の陽明思想の発達に関する一考察︵﹃井上先生喜寿記念文集﹄所収冨山房。 昭和六年十二月十五日︶、 藤樹と蕃山二近世日本の儒学﹄所収 岩波書店。昭和十四年八月三十日︶ これらの他に機関誌﹃陽明学﹄に掲載したものなどがあるが今は調査不十分なので改めて報告したい。柴田の藤 樹学研究の姿勢をよく示している資料として、昭和十四年五月に帝国学士院から刊行された﹃研究報告﹄︵昭和 十三年度︶に柴田の報告書が掲載されているので、全文を紹介しておきたい。 江戸、伊勢、京阪、岡山、大洲、熊本等に於ける藤樹学派の研究 研究者 柴田甚五郎︵推薦者服部会員︶ 本年度の研究は前年度の研究を承継し豫ねて提出せし研究の豫定に基きて研究の歩を進めしか研究上の都合に より特に新に着手せし東北地方に行ける藤樹学派の研究及び蕃山学派の研究に努めたり。其の研究の概要左の如 し。 一、
、究要項
ω 伊勢の藤樹学派の研究 本研究は本年度は中西常慶、二見直養等を通して伊勢神宮の神道と関係せる件につきて研究せり。 回 京都地方の研究 本研究は本年度更に禁裡、公卿、石田梅巌の心学、佛教、耶蘇教等に関係せることを研究せり。 内 大阪地方の藤樹学派の研究本研究は本年度更に井上真改の刀工界に及ぼせる影響、大塩中斎の社会的活動等につき特に研究せり。 ⇔ 東北地方の藤樹学派の研究 本研究は新に着手せし研究にして宮城県、岩手県、青森県、秋田県、山形県を踏査して斯学の資料を蒐集 せり。 困 蕃山学派の研究は従来より研究せしが本年度は一層其の資料を蒐集して研究の歩を進めたり。 二、研究旅行と資料蒐集 ω 宮城県に於ては主として仙台市の東北帝国大学、図書館、宮城県立図書館、斉藤報恩会等の蔵書につき研 究し聖学端的、大学問詳文、江氏書簡集等の資料二卜数点の資料を蒐集せり。 回 岩手県に於ては・王として岩手県立盛岡図書館、岩手県立盛岡教育会館等の蔵書につきて研究し南部藩儒 医、人物雑纂、藩時代学事等十数点の資料を蒐集せり。 内 青森県に於ては主として弘前図書館、弘前中学校等の蔵書につきて研究し秘事記、日新、乳井貢全集等二 十数点の資料を蒐集せり。 ⇔ 秋田県に於ては主として秋田県立図書館の蔵書につきて研究し直養先生学話、中江氏書簡、藤樹遺稿、白 雲稿安藤昌益に関する書類等二十数点を蒐集せり。 困 山形県に於ては酒田の光丘文庫及び蔵書家の蔵書につき日新録、王文成公全集抜書書︵牧東海著︶︵附言著 者は世にあらはれさる王学者にして藤樹、蕃山の思想を受けたるものと認む。︶弘采録、病間雑抄︵以上二書は池 田玄斎の著書にして藤樹、蕃山の思想を受けたるものと認めらる︶等五点の資料を蒐集せり。 以上の東北旅行に於て何れも多少藤樹学派に関する書類、人物あるを認めたるか就中秋田、山形の両県に 139 柴田甚i1郎旧蔵日本賜明㌢関係書につ・・\
於ては殊に蕃山学の伝統顕著なるを発見せり。 内 帝国学士院所蔵の先哲儒者墨中藤樹学派に関係ある遺墨、帝国図書館所蔵の能⋮貝遺事、熊沢了介傳 大観著︶等十数点の資料を蒐集せり。 一. 黶A 、究の結果 θ 日本精神と藤樹との関係を研究し其の一端を神道雑誌に﹁中江藤樹の神道説﹂として発表せり。 回 研究の結果により修正したる中江藤樹年譜を発行せり。 内 陽明学の研究中会津の藤樹学及び日本陽明学の起源と藤樹の陽明思想の発達を発表せり。 斯文會に於て近世の儒学中藤樹と蕃山につき其の]端を発表せり。 ㈱ 熊沢蕃山、淵岡山の伝記を起稿中なり。 ︵菱川 柴田の﹁研究要目﹂とこの﹁研究報告﹂を見て感慨ひとしおのものがある。明治時代以後に中江藤樹・藤樹学 派の思想的研究は、﹃藤樹全集﹄の編纂に始まる。その中心人物の↓人が柴田甚五郎であった。第一世代とでも いえよう。次が木村光徳博士である。第二世代である。木村先生は中江藤樹の思想形成を研究して﹃藤樹学の成 立に関する研究﹄︵風間書房・昭和四十六年六月三十日︶を著されたが、藤樹研究と平行して藤樹後学の調査をも精 力的に遂行された。東洋大学にも資料調査にお出でになり、柴田甚五郎の業績をよく継承して着実な成果を挙げ て﹃日本陽明学派の研究ー藤樹学派の思想とその資料﹄︵明徳出版社・昭和六十一年︶を上梓された。木村先生の御 労苦を称えるとともに、木村先生の研究を可能にした東敬治・柴田甚五郎記・生田格の功績をも称えたい。 東洋大学図書館が中江藤樹およびその門流の貴重な写本を所蔵していることを紹介されたのは、木村先生のこ
の書である。藤樹後学の思想を解析され、門流の著書を活字に起こされた。そのときに主に用いられたのが、柴 田甚五郎寄贈書であった。その際に木村先生は丁寧には解説されなかった。東洋大学の漢学者を紹介する手始め の作業として、柴田甚五郎旧蔵の藤樹学陽明学近世儒学関係書を紹介していきたい。 ○文武問答二二一ー五一・NH・八︶ 中江藤樹著、版本、一冊二部一峡、見返しに﹁嘉永辛亥新錐・文武問答全・白湾亭蔵版﹂と有り。﹁寄贈柴田 甚五郎教授﹂﹁東洋大学附属図書館﹂の長方印有り。﹁上総国市原郡奉免部・醤油造露崎英太郎﹂の丸印有り。 奥付けに﹁書騨・京都三條通屋町・出雲寺文治郎。大阪心斎橋南二f︺・敦賀屋九兵衛。江戸日本橋通壱丁 目・須原屋茂兵衛。同石町十軒店・英大助。同中橋広小路・西宮弥兵衛。同芝神明前・岡田屋嘉七﹂。末葉に ﹁昭和三九年三月一八日・七九五四八﹂及び﹁昭和三九年三月一八日・七九五六三﹂の長方印有り。 ○心学文集︵一二一ー五一・NH・一ー.∼,、︶ 中江藤樹・熊沢蕃山著、版本、乾坤二朋一峡。見返しに﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印、巻首に﹁東洋大 学図書館﹂﹁防刀朋久賀村伊藤氏藏書﹂の長方印、﹁東敬治印﹂﹁東敬治﹂﹁爽盧﹂の方印有り。末葉に﹁昭和三 九年三月↓八日・七九五=∼二﹂の長方印有り。朱筆は東敬治。奥付けに﹁三都発行書林・江戸日本橋通 南壼丁目・須原屋茂兵衛。同浅草茅町二丁目・須原屋伊八。同日本橋通二丁目・山城屋佐兵衛。同芝神明前・ 岡田屋嘉七。同日本橋通二丁目・小林新兵衛。同本石町十軒店英大助。同中橋広小路・西宮弥兵衛。同日本 橋通四丁目・金花堂佐助。同京都寺町通松原ドル・勝村治右衛門。大阪心斎橋通北二丁目・秋田屋太右衛門﹂ と有り。 141柴田勘郎1臓uλ、陽明凋係,{ト,
○心学文集二二一−五一・NH・二四ー一∼二四ー二︶ 版本、乾坤二冊一秩。上巻の見返しに﹁此書ハ中江熊沢両先生心学ノ要ヲ集メタルモノナリ。詩歌アリ論説 アリ簡嶋アリ。ミナ致良知ノ旨ヲ発揮セリ。元禄二年已二梓二上ストイヘドモ旧刻漫偲文字脱略ス。価テ今 弦寛政元年再梓セリ。只両先生ノ徳澤広ク海内二被ランコトヲ願フノミ。中江熊沢心学文集・全部弐冊・皇 都書林栄花堂﹂と有り。﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印、﹁東洋大学図書﹂﹁阿南信武﹂の方印有り。張り 紙に﹁金一円・心学文集二冊﹂と有り。巻首巻末に﹁津和野文庫﹂の長方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月 一八日・八五二六五﹂の長丸印有り。下冊の見返しに﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂、巻首に﹁東洋大学図書館﹂、 巻首巻末に﹁津和野文庫﹂の長方印有り。末葉に﹁藤樹蕃山両先生著書目・大学秘解・中江藤樹・二冊。学 庸解・中江藤樹・二冊。集義和書・熊沢了介・十六冊。集義外書・熊沢了介・十六朋。心学文集・中江熊沢・ 二冊﹂と有り。奥付けに﹁元禄二年己巳原刻・寛政元年己酉再刻。書林、江戸日本橋壼丁目須原屋茂兵衛。 大阪心斎橋通安堂寺町・大野木市兵衛。尾州名護屋市本歌七丁目・藤屋吉兵衛。京師西堀川通仏光寺下ル町・ 河南四郎兵衛。同河南喜兵衛﹂と有り。﹁昭和三九年三月一八日・八五二六六﹂の長丸印有り。表紙に張り紙 有り。﹁様・金・東京神田区今川橋二丁目十七番地・村口書房・村口半次郎・電話九段一七三五番・振替口 座二一五八〇番。古書籍展覧會﹂の印刷があり、﹁中江熊沢・心学文集・二・一円﹂の墨書有り。 ○藤樹先生倭文集二二一ー五一・NH・六︶ 写本、一冊]峡、墨付き六十二丁。巻首に﹁西園寺蔵書﹂﹁西園寺図書・第壼○〇二號・全一冊﹂の鉛筆書き の方印有り。見返しに﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印有り。巻末に次の識語有り。﹁西園寺印﹂﹁源透﹂の 方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月↓八日・七九六九二﹂の長方印有り。巻末に﹁此原本ハ今ヲ距ル約四十
五六年前大洲二於テ獲ル所ナリ。之ヲ査閲スルニ藤樹先生全書ハ固ト十二巻アリシモノノ如シ。而シテ本書 ハ其十一十ニノニ巻ヲ合冊シタル倭文ノミニ属ス。一巻乃至十巻ハ漢文ノモノト察セラルルモ。今ヤ散逸シ テ見ルコトヲ得ザルヲ憾ム。然リ而シテ現存ノ倭文二徴スルニ。先生ヨリ与ヘタル文章ハ悉ク大洲人ノミニ 係ル。依之観是。此全書ハ大洲地方二在リシ門人ノ編輯シタルモノト見ユ。又本書中二左記紙片挿入シアリ タリ。○加藤玄蕃殿か写しをかれし御本ニテ考ふれハ御門弟中に止至善の題にて歌二首宛つづらせ玉ひし時 の御歌と見へたり。師も亦斧の以にと有て次々此春の花ノ歌と。又至善に止りぬれハ苦しみの海の水ひて楽 しみの国といへる二首あり。丁卯秋九月・琴卿散人記。○此紙片ハ幽琴川田資深翁ノ自筆ニシテ延享四年丁 卯九月二書キタリシモノナリ。此紙片ノ挿ミアルニ因リテ本書ハ幽琴翁ノ手沢本タリシコトヲ想像ス。○頃 日大洲加藤子爵家ノ嘱二依リ松田某ヲシテニ本ヲ謄写セシム。○右柳か事由ヲ叙シテ看者二参考二資スト云 爾。○昭和十四年十二月冬至前日松山市北京街ノ僑居二於テ。冨水道人西園寺源透。 ○書院記事︵一二一ー五一・NH・一〇︶ 表紙に﹁書院記事・中江氏﹂と有り。内題﹁書院記事﹂と有り、﹁志村蔵本﹂と有り。墨付き三十八丁。末葉 に﹁昭和三九年三月一八日・七九六八六﹂の丁丸印有り。柴田の寄贈印・書き込みはないが、恐らくは柴田 旧蔵書ならん。 ○藤樹先生手翰抄附春風編︵一二↓ー五↓・NH・一六︶ 版本、一冊一峡、小型本。本文十六丁。表紙裏に﹁安政乙卯新刻・藤樹翁手翰抄附春風編・名山閣梓﹂と有 り。奥付けに﹁中江與右衛門著・熊本藩今井九兵衛校正・東都芝明神前・和泉屋吉兵衛版﹂と有り。﹁昭和三 九年三月 八日・七九八=二﹂と有り、文中の鉛筆書き込みから、柴田の旧蔵書である。 143 柴田liL郎1日蔵日本陽日ナ]’n一係書にハ こ
○藤樹先生子弟訓二二一−五一・NH・一七︶ 写本、一冊一峡、墨付き十五丁。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東洋大学図書館﹂の長方印有り。末葉に ﹁昭和三九年三月一八日・八五〇九八﹂の長丸印有り。﹁昭和二十五年九月二十日写之。柴田識﹂と有り。柴 田の鉛筆書き込み有り。 ○藤樹先生遺稿・陽明学術聞書抄︵一二一ー五.・NH三四︶ 写本、一冊一峡、﹁寄贈柴田甚五郎﹂﹁東洋大学付属図書館﹂の長方印有り。遺稿は墨付き九十四丁。聞書抄 は墨付き五十丁。巻末に佐藤一斎の識語三一谷物甫閲騨得此巻、寄贈於愛日楼、文化甲戌三月中涜、看過﹂ 有り。朱筆者は東敬治か。もと不全本であったのを他本を以て補筆した模様。鉛筆書き入れは柴田。巻末に ﹁昭和三十九年三月十八日・七九六七六﹂の長丸印有り。 ○藤樹中江翁遺墨微二二一ー五一・NH・三一三 写本、一冊一秩、墨付き二十四丁。題命は﹁中江藤樹先生致良知祓語集﹂とするが、内容は藤樹の遺墨集を 刊行したときの関係者の祓語である。内表紙に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東京市瀧野川区ヒ中里一七二柴田 甚五郎﹂の長方印、﹁東洋大学図書﹂の方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・七九七九一﹂の長丸印有 り。 ○江西文集︵一二一ー五一・NH一五ー一・⋮五ー二︶ 写本・乾坤二冊。乾巻は墨付き五十四丁。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東京都瀧野川区上中里一七二・柴 田甚五郎﹂﹁東洋大学図書﹂の長方印有り。坤巻は墨付き四十丁。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東洋大学 図書﹂の長方印有り。乾坤共に巻末に﹁昭和三九年八月一八日・七九五〇三﹂の長方印有り。
○鑑草︵一二一ー五一・NH・↓二i↓・六︶ 版本・六冊・一峡。第六冊巻末に﹁正保丁亥暦仲秋・風月宗知刊行﹂の刊記有り。柴田甚五郎寄贈の方印は ないが、毎冊の巻末にある﹁昭和三九年三月一八日・八五二九一 六﹂の受け入れ日・受け入れ番号を示す 長方印から推測すると、同じく柴田甚五郎の寄贈であろう。﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の押印を打ち忘れたの ではないのか。 ○翁問答︵一二一ー五一・NH・四ー一∼三︶ 版本、三冊一峡、第一冊見返しに﹁天保二年摩滅補刻・中江藤樹先生著・改正翁問答・東都書騨下谷御成道 英文蔵梓﹂と有り。巻首に﹁山口文庫﹂の方印有り。巻末に﹁昭和三九年三月一八日・八五二]七﹂の長丸 印有り。第二朋巻首に﹁山口文庫﹂の方印、末葉に﹁昭和三九年三月一八日・八五四二七﹂の長丸印有り。 第三冊末葉に﹁昭和三九年三月一八日・八五二]九﹂の長丸印有り。 ○翁問答︵一二一ー五一・NH・一三−一・五︶ 版本・五冊二峡。第五冊巻末に﹁慶安四暦初春﹂の刊記有り。毎朋巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東洋大学 図書館﹂の長方印有り。毎冊巻末に﹁昭和三九年一八日・七九七四一ー五﹂の長丸印有り。第一冊の見開き に﹁父母上の御慈悲を懐ふ秋の影。父母の教えで道を弘めむ。昭和二十二念十月三十日。母上祥月命日に 付、浅草観音様東本願寺へ参詣し、祈念を致し、記念の為、購求し、新意義に於ける孝行を更に研究実践せ んことを誓ふべし﹂、巻首に﹁父母上の慈悲を念ふ春の影、真心込めて道を弘めん。昭和二十四年五月二十 六日記﹂および巻末末葉に﹁昭和二十六年五月三十]日記。黙天。孝性教ー藤樹の教材。○親思ふ心で生き よ人の道、これが根本成就の道﹂、更に表紙裏﹁植ゑて見よ花の宿さぬ里もなし、こころからこそ身はこや 145 柴刊甚]1郎IB蔵「]本陽llll学関侍書につ.・て
しけれ。藤樹学は正に改代の新生後に最も必要なる学術なると信ず。斯学を研究活用して此を以て文化的な る世界平和を実現することに精進せん。昭和二十三年九月二十三日に記。父母上の御慈悲を懐ふ秋の影﹂及 び第五冊の巻末に﹁親念ふ心に咲くや福寿草。昭和二十七年一月二日﹂の柴田の識語有り。柴田が藤樹に傾 倒して親孝行を重視していたことを示している。 ○翁問答︵一二一ーNH︶ 版本二冊。乱丁。巻二を欠く。﹁寄贈柴田甚五郎﹂の寄贈印はないが、毎冊末葉に﹁昭和三九年三月一八 日・八五二二〇・一﹂の受け入れ日・受け入れ番号を示す長丸印が有り、巻末の遊び紙に﹁本書は中江藤樹 先生の名著にして、先哲の手沢本なり。昭和十四年十月八日。古書展覧会にて購入せり。柴田黙天﹂とある ので、柴田の旧蔵書であることがわかる。黙天は柴田甚五郎の号である。 ○翁問答︵一二↓ー五]・NH・三一︶ 版本、一冊一峡、第一巻のみ。見返しに﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂、巻首に﹁東洋大学図書館﹂、末葉に﹁昭和 三九年三月 八日・八五〇九九﹂の長方印有り。 ○藤樹先生学術定論一名弧琴論二二一ー五一・Tー二︶ 活字本、石川氏述。巻首に﹁正庵図書﹂の長方印有り。朱筆張り紙は正庵、鉛筆は柴田。末葉に﹁昭和三九 年三月一八日・七九八三二﹂の長方印有り。 ○藤樹学道統伝二二一1五一ーM︶ 三浦親諮編、写本、一冊一峡。墨付き二十二丁。﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の押印はないが、書き込みの筆跡 及び巻末に﹁昭和三九年三月一八日・七九六八二﹂の長方印があることから、柴田の旧蔵書であろう。
中川謙叔 ○安昌試玄同論︵一二一ー五一・NH・二〇︶ 写本、一冊一峡、墨付き七十三丁。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・七九六八九﹂の長丸印有り。柴田の旧 蔵本か。 ○藤樹全書︵一一二ー五一・NH・七ー二∼七ー五︶ 活字本、近江北川政雄・京都大木鹿之助・東京今田主税校。第二朋より第五朋まで。刊年不詳。巻首に﹁寄 贈柴田甚五郎教授﹂﹁東洋大学図書館﹂の長方印有り。第五冊末葉に﹁大正十四年八月二十三日午前二時、 また藤樹全書を読み終えて。○学び得た心は夏の星月夜。○死を誓ふおのがつとめの力こそ万代かけて生き かへるかな。黙天しるす﹂の識語有り。巻末に﹁昭和三九年三月一八日・八五=一∼三﹂の長丸印有り。 ○藤樹先生文集二二一ー五一・NH・二五ー二︶ 写本、一冊一峡、墨付き五十丁。題余・内題共に﹁藤樹先生文集・下﹂に作る。見返しに﹁寄贈柴田甚五郎 教授﹂巻首に﹁東洋大学図書館﹂の長方印、﹁三浦蔵書﹂の方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・八五 〇九二﹂の長丸印有り。 ○藤樹先生全集附録二二一ー五一・NH・二六︶ 謄写版、一冊一峡、墨付き三十三丁。外題・内題共に﹁藤樹先生全集附録・上﹂に作る。下巻は無し。巻首 に﹁東洋大学図書館﹂末葉に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印有り。巻末に﹁昭和三九年三月一八日・八五 〇九五﹂の長丸印有り。峡表紙に﹁甫水井上圓了蔵書﹂とあるは誤り。 ○篠原本藤樹全書抄二二一ー五一・NH・二九︶ 147 柴田甚五郎1日蔵打本陽UJI学関係「IT:・つい
写本、一冊一秩、墨付き六十二丁。外題は﹁篠原本藤樹全書抜書﹂、表表に﹁篠本可共五冊ノミ﹂と朱書、 柴田か。文中の鉛筆は柴田。朱筆も柴田か。 ○藤樹先生年譜二二一ー五↓・NH・三三︶ 写本、一冊一峡。巻首遊び紙に﹁東図書印﹂の方印、﹁柴田﹂の丸印、﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東洋大学図 書館﹂の長方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・七九七九四﹂の長丸印有り。内容は﹁藤樹先生年譜﹂ 墨付き二十二丁。﹁中江先生行状﹂墨付き十四丁。最後の三輪執斎論を附録す。墨付き三丁。 ○藤樹先生事情二二一1五一・NH・三︶ 写本、一冊一峡、墨付き九丁。見返しに﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂巻首に﹁東洋大学図書館﹂の長方印、巻首 に﹁澹平藏書﹂の方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・八五一〇三﹂の長丸印有り。 ○藤樹資料二二一ー五一・1︶ 伊豫史談會編、影印、五十四丁。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印、﹁東洋大学図書﹂﹁伊豫史談會﹂ の方印有り。巻末に﹁大正十五季六月製冊・伊豫史談會﹂と有り、﹁伊豫史談會﹂の方印有り。末葉に﹁昭和 三九年三月一八日・八五〇九四﹂の長丸印有り。 ○藤門諸子遺書二二一ー五二・T・一ー二∼↓ー=三 写本、十一冊・二峡、﹁岡山示教録﹂︵二ー六︶、﹁岡山書簡集﹂︵七︶、﹁樋口覚書﹂﹁東條十八ヶ条問記﹂︵八︶、 ﹁難波木村遺言録﹂︵九・]○︶﹁二見直養芳簡集別録﹂︵=︶、﹁諸子文通贈答録﹂︵一二︶﹁北川子示教録﹂ ﹁北川子文書集﹂︵=三。 第一冊︵一ー一︶は欠。
第二冊、﹁岡山先生示教録巻之一﹂、墨付き七十三丁。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東洋大学付属図書館﹂ ﹁正庵図書﹂の長方印有り。︵以下同じ︶。巻末に﹁大正十一年九月五日夜写畢・正庵学人﹂の識語有り。﹁昭 和三九年三月一八日・八五〇七三﹂の長方印有り。朱筆張り紙は生田正庵。鉛筆は柴田。︵以下同じ︶。 第三朋、﹁岡山先生示教録巻之二三﹂、﹁巻二﹂は墨付き三十四丁。巻末に﹁大正十一年九月九日写畢・正庵学 人﹂と有り。﹁巻三﹂は墨付き七十四丁。巻首に﹁正庵図書﹂の長方印有り。巻末に﹁大正十一年九月十五 日夜写畢﹂と有り。﹁昭和三九年三月↓八日・八五〇七四﹂の長方印有り。 第四朋、﹁岡山先生示教録巻之四五﹂、﹁巻四﹂は墨付き七十丁。巻末に﹁大正十一年九月十九日午前十時写 畢・正庵学人﹂と有り。﹁巻五﹂は墨付き三十六丁。巻末に﹁大正十一年九月二十一日写畢﹂と有り。﹁昭和 三九年三月一八日・八五〇七五﹂の長方印有り。 第五冊、﹁岡山先生示教録巻六七﹂、﹁巻六﹂は墨付き二十八丁。巻末に﹁大正十一年九月二十三日夜写畢﹂ と有り。﹁巻七﹂は墨付き五十一丁。巻末に﹁大正十一年九月二十六日夜写畢・於東京目白憂・正庵﹂と有り。 ﹁昭和三九年三月一八日・八五〇七六﹂の長方印有り。 第六冊、﹁岡山先生示教録追加﹂、墨付きは七十丁。﹁昭和三九年三月一八日・八五〇七七﹂の長方印有り。末 葉に﹁右岡山先生示教録並追加は予が斉藤一馬氏と相識に及んて始て先生に此遺書あるを知りて遂に斉藤氏 を介して会津北郷より取寄所のもの也。此にて先生の学術も亦其大要を察するを得へしと云。大正四年十二 月正堂識﹂と有り。又﹁大正十一年九月一日夜九時写畢・於東京目白量・正庵学人﹂と有り。 第七冊、﹁岡山先生書簡集上中下合冊﹂、墨付き百三十三丁。巻末に﹁予往年詣藤樹書院。始知藤門下高弟有 淵岡山先生。而又有其遺著書簡集也。遂請江州小川氏写取。即此本是也。但其歴年不表見於世。遷転騰逓。 149 柴田甚五郎旧aHpteqHII学関係、9:パ・て
亥家魯魚。分土然満紙。棘眼渋口。殆不可読下。後川村氏獲別本。予因就共校之。然猶得七八。遺二三。深以 為恨焉。頃間又聞井上氏蔵一本。又就校之。於是此本之大義。燦然可視。将以表章之於世。令藤樹岡山二先 生師弟学脈可得而尋求也已。明治四十四年八月念八日・正堂敬治識﹂﹁右岡山書簡集三巻出丁示教録者略之。 上巻写r。顧答↓人有二文。若省其一文。則或有失聯脈之虞。故中下巻全写。大正十五年十月十四日。正庵 中孚﹂と有り。﹁昭和三九年三月一八口・八五〇七八﹂の長方印有り。 第八朋、﹁樋口覚書東條子十八箇條問記序﹂、冒頭に﹁藤樹先生高弟淵岡山生於会津而居於京都。盛唱其師学 於一時。有功斯道者極大 。而其書多不得焉。予嘗慕岡山之為人。思其書之或将有存会津故家遺筐中者久 奏。頃口福島県館岡五十嵐哲太郎君寄示一書。題日樋口覚書。H云此書既傳之於家十又一代也。受而閲之。 予未知其所謂樋口為何人。必是岡山学徒無疑 。館岡距会津不遠。或其先世頗有嗜斯道者。而此書得之於会 津。亦不可知也。書中所載諸氏。共似会津之人。後當資此而有所探訪。因特謄写一本以蔵云。明治四十五年 二月。正堂識﹂と有り。﹁樋口覚書﹂の墨付きは四十七丁。末葉に﹁大正十一年七月念七日写畢。正庵﹂と 有り。﹁東條r十八箇條問記﹂の臼目頭に﹁正庵図書﹂の長方印有り。墨付きは二十五丁。巻末に﹁正堂日。 此書三浦常親翁の嘉永七年の序に。方秀岡山子所以問答之書十八箇條とあるは。其延宝七年の旧祓に因会津 之住東條氏之問記之とあるによるものなれとも。予は今此書を熟玩するに。東條氏の岡山子に問ものに非す して。誰なるか会津方に同東條氏と学問切磋せる辛酉より。東條氏の方に在京岡山子の所にありし時に贈書 て問ひたるものにして。東條氏の答へなり。其来書を擁起して。答辞を一格下にかきたる。以て知べし。其 延宝旧祓は。蓋し会津東條氏の誰人かの問に因て記して之に答へたるとのものぞとの意に聞ゆ。さすれは其 漢文に作りて倒置の失あり。此其時代は猶人の深く彼の文字に心を留ず。未熟の致す所にて。時代風気使
然。心学者殊甚し。会津諸子中にも其例鮮からす。但書中の・王意條貫を見れは。必らすしも定めて予の妄言 ならさるを知るへきか。大正九年庚申六月二十八日﹂と有り。又﹁大正十]年七月四日。正庵写﹂と有り。 第九冊十冊合冊、﹁難波木村先生議論覚書上下﹂、表題は﹁難波木村先生遺言録﹂であるが、内題は﹁覚書﹂ に作る。巻首に﹁中孚印﹂の方印有り。上巻は墨付き五十二丁。下巻巻首に﹁中孚印﹂﹁正庵学人﹂の方印 あり。下巻墨付きは五十四丁。﹁昭和三九年三月一八口・八五〇八〇﹂の長方印有り。末葉に﹁大正九年三 月。正堂写之﹂﹁大正九年八月十七日。正庵写之﹂と有り。 第十一冊、﹁二見直養翁芳簡別録﹂、表題は﹁二見直養翁芳簡集別録﹂に作る。墨付きは三十七丁。巻末に ﹁予嚢得会津並会津外藤門道統譜。藤門岡系中有二見直養先生其人。既而捜索之鹸得其墓所。事詳吾雑誌陽 明学第九十五号中。墓石上有刻銘。因以始見其学問行事之概。乃本書巻首序中所載是也。致知致其不知之良 知一語。此其深造自得之慮。廻然非夷之所想也。中野惜我翁嘗賛其像日。聖学乱綜。教授檬朧。直養一呼。 藤道二晰。信 。予初訪其後人求遺文無得也。今幸乃獲之会津北郷。蓋因其編者則會人。文石子之功於是乎 大 。至別録則北川子之労亦不少焉。可謂能善與人同者也。大正五年秋写畢書。正堂。﹂﹁大正十一年十月三 日。正庵写之﹂と有り。﹁昭和三九年三月一八日・八五〇八↓﹂の長方印有り。 第十二朋、﹁諸子文通贈答録﹂、島影文石三輪執斎先生へ贈識∵希賢先生返簡・会津より京都井勢州へ往返之 書。巻首に﹁名中孚字吉卿號正庵﹂の方印有り。墨付き五十四丁。末八丁は上部が破れている。末葉に﹁○ 〇九年九月一日写之。正庵﹂と有り。﹁昭和三九年三月一八日・八五〇八二﹂の長丸印有り。 第十三朋、﹁北川子示教録・北川子文書集﹂、﹁示教録﹂は墨付き五十五丁。末葉に﹁大正九年庚申七月六日写 畢。正堂老人﹂﹁大正十一年七月十四口写畢。正庵学人﹂と有り。﹁文書集﹂は墨付き五十五丁。末葉に﹁大 151 柴田甚五郎1日蔵日本陽明乞関係言}Lついて
正十年辛酉四月写干東京牛門蔵春閣。六十二翁正堂﹂﹁大正十一年壬戌七月二十二日写干東京目白藁。正庵 居士﹂と有り。﹁昭和三九年三月]八日・八五〇八三﹂の長丸印有り。 ○淵岡山︵↓二一ー五二・K︶ 笠井劫.小川喜代蔵著、写本、一冊一候、墨付き七十九丁。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・七九六九八﹂ の長方印有り。 ○岡山先生示教録︵一二一ー五二・FK一ー一・]ー八︶ 淵岡山著。写本、七冊一秩。第三冊欠。第↓冊内表紙及び末葉に﹁東之図書﹂の方印有り。七十一丁。朱筆 は東。鉛筆による書き入れは柴田。︵以下同じ︶巻首に﹁会津北川親諮編輯・正堂校読﹂の識語有り。巻首に ﹁東敬治印﹂の方印有り︵以下同じ︶。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・八五二三一﹂の長丸印有り︵以下同 じ︶。第二冊墨付き十七丁。表紙裏に柴田の﹁昭和十五年二月二十六日鶴巻温泉にて熟読了﹂の識語有り。 第四朋墨付き六十九丁。内表紙に﹁東京市瀧野川区上中里一七二・柴田甚五郎﹂の長方印有り︵以下同じ︶。 第五朋墨付き三十六丁。第六朋墨付き二十七丁。第七朋墨付き五十↓丁。第八朋墨付き六十八丁。 ○藤樹先生門人書簡︵=二ー五二・FK・二ー二︶ 淵岡山著、写本、一冊一秩、墨付き五十三丁。表題に﹁藤樹先生門人書簡・坤﹂と有り、後表紙裏に﹁淵岡 山書簡集﹂の識語有り。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎﹂﹁東洋大学図書館﹂の長方印あり。末葉に﹁昭和三九年 三月↓八日・八五一〇四﹂の長方印有り。 ○岡山先生書簡二二↓ー五二・FK三︶ 淵岡山著。写本、一冊一峡、墨付き六十七丁。題命は﹁岡山先生書簡・智﹂とある。内題は﹁岡山先生書
簡・天﹂とある。遊び紙に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印有、巻首に﹁東洋大学図書館﹂の長方印有り。 朱筆の書き入れは東か。柴田の鉛筆による書き込み有り。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・八五〇六六﹂の 長方印有り。 ○岡山先生書簡二二一ー五二・FK・三⊥三 淵岡山著。写本、一冊一峡、墨付き四十八丁。題余は﹁岡山先生書簡・勇﹂とある。内題は﹁岡山先生書 簡・人﹂とある。朱筆は東か。柴田の鉛筆による書き入れ有り・末葉に﹁昭和三九年三月一八日.八五二三 〇﹂の長方印有り。 ○岡山師覚書︵一二一ー五二・FK・四︶ 写本、一冊一峡、墨付き十六丁。巻首に﹁東京都瀧野川区上中里一七二、柴田甚五郎﹂長方印、﹁東敬治印﹂ の方印有り。更に﹁就岡山県図書館所蔵写之、正堂﹂の識語有り。文末に﹁右寛政十二年庚申仲春写之。林 氏家蔵。元本安東氏之有﹂と有り。﹁関西美術協会﹂用紙を使用。朱筆は東敬治、鉛筆書き入れは柴田甚五 郎。 ○岡山先生示教録︵柴・]二]1五二・FK五︶ 写本、一冊一峡、墨付き十三丁。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎文庫﹂︵消印︶﹁寄贈柴田甚五郎文庫﹂の長方印有 り。﹁東洋大学図書館・三六三八三九﹂の長丸印有り。﹁寄贈柴田甚五郎﹂の長方印有り。冒頭に﹁是より別 巻之写也﹂と有り。巻末に﹁岡山先生示教録本ノ上終﹂と有り。見返しに﹁岡山示教︵会津出︶﹂と鉛筆書 き入れ有り。 ○難波木村先生遺言録︵一二]ー五二・KK・一ー一︶ 153 柴田甚五座川B蔵日本陽明学関係書について
木村難波著、上ドニ冊一軟、ヒ巻墨付き五士.一丁。下巻墨付き五十五丁。共に内表紙に﹁東京市瀧野川区上 中里一七二.柴田甚五郎﹂の長方印、﹁東之図書﹂の方印、﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印あり。巻首に ﹁敬治之印﹂﹁満街聖人﹂の方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月一八口・七九四九一∼二﹂の長丸印有り。上 巻の巻末に柴田の書き込み﹁所感。○ありがたや御守りつつけて神の道只]念につとめ祈ん。●父母上の御 慈悲を思ふ春の影父母の心で生きんとそおもふ。昭和二十年二月二日記﹂﹁昭和七年四月二十六日昼二時二 度栗山にて読了﹂と有り。更に末葉に﹁所感。○何年も神を信じてとっしりと只↓念につとめ祈ん。○あり がたや神の心で神の道神の行するぞたのしき。○活眼で活学をして活道を行ひながら活才行をせよ。日頃の 体認を処世訓生活訓実践訓にして記しぬ。これまた先儒藤樹先生恩師井ヒ先生に学びたる事。感謝﹂﹁所感。 ○自然なるおのが実意の祈なる思ひ新たに行はむとそ思ふ。○日々に時々刻々に新なる思ひ新に行はむとそ 思ふ。○神仏も父母も我身にましまして新な道を教えたまへり。昭和二十二年七月二十九口夕。自家の縁側 に藤樹学を研究し実感を拙作して。柴田甚五郎﹂と有り。下巻の巻末に﹁大正九年三月・正堂写之﹂の識語 有り。文中の朱筆は東。鉛筆は柴田。 ○難波木村先生遺言録二二一1五一’・KK・一ー一・一−二︶ 二冊、上巻二〇四丁︶、下巻︵一一〇丁︶。﹁東図書印﹂の方印、﹁東京都瀧野川区上中里一七二・柴田甚五 郎﹂の二行長方印あり。﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印有り。﹁敬治印﹂﹁満街聖人﹂の方印有り。上巻巻 末に柴田の書き入れ有り。下巻巻末に﹁大正九年三月、正堂写之﹂の識語有り。 ○難波嬰朝起之論︵一二一ー五二・KK・二︶ 写本、一冊一峡、墨付き九丁。小型本。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎﹂﹁東洋大学付属図書館﹂の長方印有り。
末葉に﹁昭和三九年三月一八日・七九七二六﹂の長方印有り。 植木是水 ○植木是水松本以休両先生示教録二二一−五二・UZ︶ 写本、一冊一峡、墨付き二十丁。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印、﹁東洋大学付属図書館﹂の長方 印、﹁東敬治印﹂の方印有り。巻末に﹁大正庚申六月十四日忍腕痛而写畢。正堂老人敬治識﹂の識語有り。 ﹁昭和三九年三月一八日・七九四七三﹂の長丸印有り。張り紙に﹁植木是水松本以休両先生示教録一冊.弐円 也﹂と有り ●藤樹先生年譜︵一二︹ー五一・N11・五︶ 石河定源著、写本、一冊一峡、墨付き二十四丁。見返しに﹁哨白斎蔵﹂の方印、巻首に﹁東洋大学付属図書 館﹂の長方印有り。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・七九五五三﹂の長丸印有り。 〇二見直養翁芳簡集︵二.一ー五一・H・,ー、︶ 写本、上下二冊。上巻は墨付き五十↓.﹁。内表紙に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東京市瀧野川区上中里一七 二・柴田甚五郎﹂の長方印、﹁東洋大学図書﹂の方印有り。巻首に﹁東敬治印﹂﹁遁世無悶﹂の方印有り。巻 末に﹁昭和二九年三月一八日・七九七一七﹂の長丸印、未葉に﹁東之図書﹂の方印有り。朱筆は東。鉛筆の 書き込み傍線は柴田。下巻は墨付き七十六丁。押印・書き込みは上巻に同じ。巻未に﹁予嚢得会津並会津外 藤門道統譜。知藤門岡山系中有二見直養先生其人。既而捜索之鯨得其墓所。事詳吾雑誌陽明学某号中。墓石 上有銘文。因以始見其学問行事之概。乃本書巻首序中所載是也。致知致其所不知之良知一語。此其深造自得 之慮。週然非夷之所想也。中野惜賀翁嘗賛其像日。聖学乱綜。教授朦朧。直養↓呼。藤道二晰。信 。予初 155 柴出甚五郎IH蔵ヨ本賜旦↓l ns係1寺}にゴハて
訪其後人求遺文無存也。今幸乃獲之会津北郷。蓋因其編者刈會人。文石君之功於是乎大 。至別録則北川子 之労亦不少焉。可謂善與人同者也。大正五年秋写畢・正堂﹂と有り。草稿である。 ○謙安覚書二二一1五九・KG︶ 各務玄通著、写本、一冊一峡、墨付き二十一丁。題蒼は﹁覚書 謙安 一﹂と有り。見返しに﹁三浦蔵書﹂ の方印有り。末表紙裏に﹁玄通﹂と有り。挟み込みに﹁謙安、通称庄七郎、﹂柴田甚五郎の寄贈本か。 ○遠藤常伊覚書︵柴・一二一ー五二・EJ︶ 写本、一冊 秩、墨付き十六丁。表紙表に﹁覚書一、常サ﹂と有り。遊び紙の裏に﹁寄贈柴田甚五郎文庫﹂ の長方印有り。また﹁遠藤常サ同姓謙安五子也。云松斎号孫三郎﹂と有り。文末に﹁三六三八四四﹂の長方 印有り。更に﹁遠藤孫三郎写之﹂の識語有り。 ○北川子文書集︵北川親蕗遺書︶二二一ー五九・Kー四︶ 北川親諮著。写本、一冊一峡。墨付き四十六丁。巻首に﹁東京市瀧野川区上中里町一七二・柴田甚五郎﹂の 長方印、﹁東之図書﹂、﹁東敬治印﹂の方印有り。巻末に﹁大正十年辛酉四月写干東京牛門蔵春閣、六十二歳 翁、正堂﹂の識語有り。﹁昭和三九年三月↓八日・七九八六三﹂の長丸印、﹁東之図書﹂の方印有り。本文中 に柴田の鉛筆による書き込み傍線多数有り。 ○北川親蕗編集文書集二二一ー五二・KC・二︶ 表題は﹁北川親諮編集﹂、写本、↓冊一秩、墨付き五十三丁。﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の押印はないが、末 葉の﹁昭和三九年三月一八日・七九七五九﹂の長丸印、鉛筆による書き込み・傍線、末葉の識語﹁昭和十一 年六月二十一日夏至の日、藤棚の下にて読書して。○ありがたや御光受けて読書かな我父母も守りたまは
む。○何事も我が身の中に具ると悟れば楽し人の世の中。○藤の実は見事になりて蝶は舞ふ我が子は庭に口 笛を吹く﹂から柴田旧蔵書である。 ○北川親諮翁雑記抄・藤樹岡山二先生以下諸子考︵一二一ー五二・KC.三︶ 北川親認著。正堂東敬治抄。写本、一冊一峡、墨付き二十一丁。巻首に﹁東敬治印﹂の方印有り。末葉に ﹁本書は、予此度会津北郷に至りて、前賢の遺跡を調査する所より、三浦定彦君より家蔵せる北川翁の断欄 せる閾本を示さる。其に就き予は特に其事の斯学に関する一節のみを抄出して一書と成して以て参考の具と す。大要藤樹岡山二先生より其亜流にある諸子に及ふも、予等の新聞にかかるもの多し。不可不存也。大正 九年四月二十九日夜写畢書。正堂﹂と有り。その後に柴田の﹁師の君の御心懐ふ秋の影藤学興しこれに答へ む。昭和二十一年九月七日後学影日庵黙天﹂と有り。﹁昭和三九年三月一八日・七九七六四﹂の長丸印有り。 張り紙に﹁北川親蕗翁雑記抄一冊・弐円也﹂と有り。 ○北川示教録二二一1五二・KCー四︶ 三浦常親編修、写本、一冊一軟。墨付き五十四丁。巻首に﹁東敬治印﹂の方印有り。巻末に﹁大正九年庚申 七月六日写畢、正堂老人﹂の識語有り。また柴田の識語がある。﹁かけす鳴き、孟蘭盆会の大鼓なる父母の 御慈悲に実意一新。昭和二十一年八月十四日北条にて﹂﹁昭和三九年三月]八日・七九七六五﹂の長方印有 り。 ○北川恕三覚書︵一二一−五二・KC︶ 写本、一冊一峡、墨付きは六十六丁。内題は﹁北川恕三覚書﹂。表題に﹁北川恕三・上﹂とある。或いは下も あったのか。巻首に﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の長方印有り。﹁東洋大学図書﹂の方印有り。小型本。末葉に 157 柴El甚五fi[:1日蔵日本陽[iJiア関係書’ 〕’ご
﹁昭和三九年三月一八日・八五三六四﹂の長丸印有り。 ○雑記後編案思録︵柴︸二一ー五二・KC・六︶ 北川恕三編、写本、一冊一峡、墨付き二十四丁。表書きは﹁北川恕三編・雑記後編案思録﹂表紙裏に﹁寄贈 柴田甚五郎文庫﹂の長方印有り。巻首に﹁東洋大学付属図書館﹂の長方印有り。その冒頭に﹁雑記後編案思 録巻之三﹂とあるので、これは全体の一部分である。表紙裏に柴田の識語がある。﹁記。一、此書は余が帝 国学士院の研究費を受けて藤樹学を研究する為、昭和九年夏、会津に到りて蒐集したる研究資料なり。一、 此書は会津の藤樹学の道統に属する北川恕三先生が雑記後編案思録と題して書れ玉ひし古朋の摘要なり。此 書数朋あるたる筈なるが、今発見せざるは遺憾なり。目下捜索中なり。昭和九年二月此書。柴田黙天﹂と有 り。末葉に﹁三六三八四七﹂の長丸印有り。 ○巨石伝二二一−五二・KSー五︶ 北川親諮著 写本、一冊↓峡、墨付き十八丁。﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂﹁東洋大学図書館﹂の長方印有り。巻 末に﹁干時文化二乙丑五月望、北川恕三菅原親諮誌﹂と有り。三一九年三月一八日・八五四二八﹂の長丸印有 り。 ○藤門像賛二二一ー五一・NH・九︶ 中野義都著、写本、 冊一峡、墨付き五十三丁。巻首に﹁東京市瀧野川区・上中里一七二・柴田甚五郎﹂﹁東 洋大学付属図書館﹂の長方印、﹁東敬治印﹂﹁又有直心﹂の方印、末葉に﹁吾誰欺﹂の長方印、﹁東敬治印﹂ ﹁挑江心傳﹂の方印、﹁昭和三九年三月一八日・七九六四一﹂の長丸印、﹁東京市瀧野川区上中里一七二・柴田 甚五郎﹂の長方印有り。東敬治の﹁藤門像賛一巻会津北郷諸子所傳也。名日藤門。然大機係岡山先生之学統
者。而北郷諸賢殊為詳悉賛辞。間吾未螢則時代風気使然。不足為珍也。以過 。北郷百鯨年間。一脈相挙。 群賢輩出有如此。鳴呼亦盛哉。予今争遊其地。請三浦定彦。只及寓黙。不堪欽慕。遂借帰。手親模写以示吾 党同好諸子。大正庚申五月十又八日。書於東京牛門蔵春閣窓下。正堂敬治﹂の識語有り。張り紙に﹁藤門像 賛一冊・正堂自筆・拾五圓也・九八﹂と有り。 ○會北之王氏学二二一ー五・A︶ 写本、一冊一峡、墨付き三十九丁。表紙に﹁大正二年五月、新井調、會北之王氏学﹂と記し、﹁新井蔵書﹂ の方印有り。﹁喜多方尋常小学校﹂の用箋使用。末葉に﹁昭和三九年三月一八日・七九七三〇﹂の長丸印有 り。﹁寄贈柴田甚五郎教授﹂の押印はないが、柴田の旧蔵書か。 159柴田甚五郎[日蔵ト]本閣明学関係書にっ」て