感情転移と教育
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 1巻 第2号 i i ty ofEducat i l Journalof Hokkaido Univers t onI C)Vo on(Sec .41 .2 , No. 平成3年3月 March ,1991. 感 情 転 移 と 教 育. 奥. 村. 晶. 子. 1. は じ め に. 「感情転移」というのは 言うまでもなく精神分析学 において フロイ トが概念付けたことである , , . その後, 精神分析療法だけではなく, 広く精神療法一般 において問題にされるよう になっているの は周 知 の こ と で あ る.. ここで, 問題にしたいと思うのは, 精神療法で常識になっ ている, 治療者 患者関係における「感 情転移」 という現象について, 広く考えていけば, 人間関係一般に普遍化 して考えることが可能で あり, そのことについて更に考察を進めるとすれば, 精神医学における概念が教育に益することに なるのではないかと考えるのである. 即ち, 教育の現場において, 教師と子 どもの人間関係の基本 を教師として理解していくことが,今日の状況においてより必要であるとされている時,「感情転移」 という概念を教育 に導入して鍵概念としてみる試みが, 教育の現場に意味をも つのではないかと考 え ら れ る だ ろう と い う こ と で あ る.. 精神療法が,治療者 - 患者関係という優れて個人的人間関係を基本にしていると同様に,教室に おいて は, 教師と一人ひとりの子 どもと の関係も, 個人的人間関係が基本 であり, 感情交流が基底 をなすものであろう と考えられるのである. 教師の資質が問題にされる今日 「感情転移」 という精神科臨床における概念を, 教師 - 子 ども間 の問題に普遍化させていただければとの思いを, 臨床精神医学の立場からも つものである.. 2-. 「感情転ネ 多」 について. 精神療法における 「感情転移」 とは, 治療関係のなかで, 患者が治療者に向 けてくる感情状態を 言うのであり, 治療関係が深くなるほどに, それは, 起こるべく して起こり展開していくも のとさ れる. 転移神経症的発展では, むしろ転移の操作が問題にされるほどに, 患者が治療者に向ける感 情 は意味のあるものとして理解され, 患者 の親子関係から始まる生活史に由来する人間関係のもち かたとして分析され, 解釈を加えられて, 治療に利用される. 精神分析的治療 では 感情転移は , , 治療の進行ととも に, 表現されるものであっ て, 治療の初期に起こるそ れは, 表面的なものとして それほど問題にされないが, 一般的, 日常的精神科診療のなかでは, 患者が治療 の初期から治療者 に向けてくる感情状態そのも のを, 患者が持っ ている人間関係の持ち方 の基本として, 「感情転移」 として扱っ て居るのが今日の一般 の状況である‐ 患者が治療者に向けてく る感情 は その人間が人 , 間関係のなかで一般 的, 基本的にもつ感情状態が, 治療関係のなかに たまたま最初に持ち込ま れ , たものと理解される訳である. 言い換えると, その人間が社会生活のなかで持っ ている パターンが , そこに現われたものであっ て, それ自身, 患者の特性を示しているだけのことで, 良い - 悪いの意 171.
(3) . 奥 村 晶 子. 味はないと見るのである.. 感情転移は, 陽性転移 - 好意的なプラスの気分を持ってくるもの - と, 陰性転移 - 悪意, 敵意. などのマイナス的感情を持っ てくるもの - と, 二つに分けられる.. 3. 治療者の逆転移 治療者の患者に向けられる感情 状態を, 転移にたいして 逆転移という. 治療者も感情をもっ た人 間であるから, 感情が種々 に動くことは大いにありうるのが, 普通だろう. それだけに, 治療関係 においては, 治療者の逆転移が, 治療状況に悪影響 を及ぼしていないか どうか, 厳しく吟味される. 言い換えると, 治療者の逆転移を治療者 自身が自覚し訂正していけるようになる べく, 精神分析療 法では, 治療者の教育分析を義務付けることで, 治療者の自己洞察を深めることを要件としている の で あ る.. そこでは言うまでもなく, 治療関係において, 治療者は中立的であり, 白紙であることが期待さ れるものであっ て, 逆転移は起きてはならないこととさ れるのであっ て, 治療者自身自己洞察のな かで意識して避けなけれ ばならないこととされているのである.. 4. 治療関係において陥りやすいあやまち 前述したように, 治療関係においては, 治療者は, 患者の陽性転移にも陰性転移にも, 敏感に感 受性をもっ て知っ ていることは必須のことではある が, 自分の感情について は常に患者にたいして 中立的であっ て, 動じないことが期待されているのである. しかし, 実際には, なかなか理想的に は行かないのが現実である. そこで, 臨床精神医学, 心理学, カウンセリング, 特に精神分析学で は, 症例研究を通じて, 理解を深め, 更には, スーパーバイ ズを受けて, 自分を統制 していくこと を要請するのである. そう したなかで, 著者 は, 経験的に我々治療者の, 陥りがちな過ちについて, 幾つかのことを経 験している. 羅列してみよう. 1) 陽性転移には陽性の逆転移を起こす 患者に陽性転移を向けられた治療者 は, 無意識にでも患者に陽性の逆転移をもっ てしまうことが 大いにある. そこでは, 表面的な, 陽性の感情関係のなかで, 治療 は継続 していくように, 患者も 治療者も心掛けることになる だろう. 陽性の関係を継続する ことが, 患者と治療者の命題になっ て, 患者の心の深層に入っ て治療をしていくことは不可能になっ ていく. 真実の出会いは, 不可能なのである. 2) 治療者が, 先に陽性を逆転移をもっ てしまう 一般に治療者は, できれ ば患者とのなかで患者に好意を持たれたいと感じるのは, 人間として自 然の感情である. 治療では, この患者に対してさきに陽性の逆転移を起こすことは, 心してコ ント ロールされるべきである が, なかなかそう はいかないこ とが多い. 心理療法における, 傾聴, 受容, 共感的理解と, 陽性の逆転移は, 治療者により厳密に区別されることが必要であるが, 治療者が末 172.
(4) . 感情転移と教育 熟なとき には混同される危険が常にある 傾聴 受容 共感的理解は 患者の如何なる転移にも関 , ‐ , , 係なく継続されることを期待さ れているが 陽性の逆転移の場合には 患者が陽性転移を期待して , , のものであるから, 患者が期待と相違するときには 容易に関係 は断ち切られる危険があるのであ , る.. ー. ノ. 3) 陰性の転 移に 陰性の逆転移 を起こして しまう 人間は, どんな場合 でも自分に好意を持っ てほしいものである しかし 患者が 治療者に陰性 ‐ , , の感情をもっ て最初に接してきた場合 に, 未熟な治療者 は容易に悪意を向けてしまっ て 治療関係 , は破綻してしまうことになる. 治療関係においては 治療者は 患者の感情 にたいして敏感 である , , 必要はあっ ても, 患者の感情に巻き込まれて しまうことを戒め 中立的であることが要求されるの , である. 治療者は, スー パーバイ ザーによっ て, 陰性の逆転移を指摘され コ ントロールされる必 , 要があるのである. 4) 治療者の癖と限界. 教育分析においては, 治療者の親子関係を含めて人間関係の持ち方の癖が問題になり 治療者が ,. 自己洞察を深めていくことが常に要請される しかし 治療者といえ ども 人間である以上 ある ‐ , , , タイ プの人間 には好意を持ちやすく中立的でありえても あるタイ プの人間には嫌悪感 を持っ てし , まう こともある. こうした未熟性 は, 治療者の弱点と してやがて訓練 のなかで克服されていくこと が期待されるが, どう しても相性が悪く て治療状況が進展しないときには 治療者を変更して場 面 , の転換を期するということも ある. それほどに, 人間は, 人間に出会う ときに限界性のなかにある とも言えるわ けであろう. 治療者は, 自分の限界を常 に知っ て, 訓練のなかで自己洞察を深めていく のである .. 4. 教育にお ける応用について考える 前述したことは, 精神療法にお ける治療者と患者と の間にお ける感情交流 について 「感情転移 」 , という用語で整理されていることであるが 教師が子 どもたち とのなかで人間的に交流していくこ , とが, 教育の基本であるとすれば, 現場の教師の資質向上のため に応用 して考えていくことが出来 るのではないかと考えられよう. このことは, もちろん, 教育相談な どで時には問題 にされていること は相違ないとは考えるが , 更に突っ 込んで考えれば, 教室における 子 どもとの関係においても教 師として考えてよいことでは な い だ ろ う か.. 以下, 教室における場面と教育相談の場面と二 つに分けて考察を進めたい . 1) 教室で子 どもと接する 場合 著者 は, 教育大学に籍を置いているから, 教育について関心を持っ て はいるも のの 教育そのも , のについて は素人で, 詳細を知らない. そのなかで, 精神科臨床と教 育の接点を求める試みをしよ うとし, 教育サイ ドに 「感情転移」 を導入 したいと考える . 1) 子 どもが人間として感情を持っ ていることを知らない 一般的な場面で, こう した言い方を教 師にしたとしたら 非常に失礼な ことであろう 子 どもは , . , 173.
(5) . 奥 村 晶 子. 学校でい きいきと学んでいるの だろうから. しかし, ここで問題にしたいのは, そうした一般的なことではなく, 教師との関係における感情 である. 子どもたち一人ひとりが教師に対して, 種々な感情を持っ ていること, 持っ てもよいこと, いやむしろ人間 関係においては, 教師と子 どもとの間では感情交流があるこ とを知っている教師は 居るの だろうか. 教育の場面では, 子 どもは, 教師に感情をもつ ことを期待さ れてはいないのでは ないだろうか. あたかも, 何も感情交流がないことが当然であるかの如くに扱わ れることが多いの ではない だろうか.. それは, 大人の勝手な思い込みであっ て, 生きている人間同志であれ ば, よく考えれ ば感情交流 はあっ て当然なのである. むしろ, 教育の原点として, 相互にどの様な感情 交流があるかを感じ取れることを期待 したい. 教師は知識を教え込むことより先に, 子 どもの感 青が, 自分にたいして如何なるものであるか を注 意して意識して ほしいものである と考える. その時, 教師は, 子 どもに出会う最初の試みをし始め て居る はずである. 教育というものが, 知識の伝達 だけではなく, 優れて人間関係の なかでされて いる はずではないの だろうか. 2) ア プリオリに陽性の逆転移か ら始める どんな教師でも, 子 どもを嫌い, 嫌悪をもって接すること はないだろう. 学年の始め, クラス担 任になっ たとき, 或 は最初の授業のと き, これから始まる子 どもとの出会い が1年間気持の良いも のであることを祈らずにはいれないであろう. そうしたときの教 師の もの奥にあるのは, 無意識的な陽性の逆転移であろうことが多いのではな いだろうか. 経験の豊富な教 師は今迄の経験から子 どもに好意をもたれるやり方をする だろう し, 経験の乏しい教師 は無意識にでも子 どもに好意を持 たれるよう にするのは どう したら良い かと心配 りをするに相 違ない. いずれにして も, そこでは, 無意識的にしろ, 教師は子 どもの歓心を買うこ とを至上の命題として しまう危険がある.子 どもと真実に出会うということを意識的には思いつつ, 実 は子 どもの気に入るように演技をしてしまい かねないのである. 教師の真の姿で子 どもに接する よりも, 子どもの気に入るような教師像 が求められるとすれ ば, 教師と子 どもの人間的接触は相 互 に演技的で不純なものになっ てしまう だろう. 教師は, 子 どもの人格を尊重するということが本当に求められる ことであるとするなら ば, ア プ リオリの陽性逆転移を自覚して, あるがままの自己像 を子 どもに示し, 交流していくべきである. 3) 子 どもの陽性転移を常に期待する どんな人間でも, 人間関係において相手に嫌われる ことは気持の良いもの ではない. 教師とて同 様である. 毎日接する子 どもたちに好意をもっ て接してもらいたい. そのほう が, 教師としてやり やすいのは当然であろう. その時, 無意識的にしろ, 教師は, 子 どもにたいして, 自分に 陽性転移 を期待しているのではないだろう か. 多分, そう である. しかし, 子 どもが教師に向ける感情はど んな感情であっ ても, 子 どもの自由である はずである. 拘束する権利 はない. 人間的には許したく ないような気分 があるかもしれない が, 子 どもが教師に向けてくる感情 が, 教師個人に対してのも のか, その子 どもが, 人間関係 一般にもつ感情であるかを, 教師は厳密に区別 し, むしろ どんな感 情であっ ても許しうるだけの心の広さ を要すると考えね ばなるまい‐ そうでない と, 陽性転移を向 けてきた子 どもだけを受け入れ, 教師にたいして 白紙である子 ども, 更には陰性転移を向けてきた子 どもを排除して しまう危険が常にある.子どもたちの声 を聞くとき, 「最負をする先 生」が最も嫌われるが, 教師は, 知らずに子 どもの陽性転移に陽性の逆転移をもっ て 反応して, 結果として 「最負」 を作っ て しまっているのであろう. 174.
(6) . 感情転移と教育 また, 無意識的に陽性転移を期待している教師によっ て, 多くの反抗的な子 どもたちが 教師に , 排除されていることも注意しなくてはなるまい. そう した子 どもたちが, 実は教師にたいして の反 抗や敵意をむき出しにするより以前に,幼少時からの人間関係 に傷つき防衛的に反応し 敵意をもっ , て人間に距離をもつことで, 自分を守っ ている場合が多いことに気が付いている教師が どれだけ居 る だろうか‐ 教師が, 自分に向けられた 陰性感情が, 実はその子 ども の悲しい苦しい人間関係の持 ち方のパターンだと理解すれば, 子 どもを攻るよりも, そのパターンを問題にし, 教育相談的に ど う解決の方向に援助していくかが問題にされなくてはなるまい そう した見方で子 どもを見ていき . た い も の で あ る‐. 教師のなかにある無意識的な子 どもの陽性転移を期待する心は, 意識的に排除されることを期待 したい. その時, 教師は, 中立的であるだろう. 4) 子 どもの陽性転移を自分への好意として自己保証とする 出会いの最初に, 相手に向けられる感情 は, その人間の人間関係 の持ち方の基本的パターンであ る. 厳密に考えるならば, 子 どもが教師 に向けてくる感情反応のパターンは, 別に自分を好いてい てくれるわけでないかもしれない. 教師として の自分でなくても, 他の誰にでも向けられることな のかもしれない. しかし, 教師はそういう風 には考えないで, 自分が子 どもに好かれたとして舞い上がっ てしまう だろう‐ そして, 大多数の場合はそれで良いだろう 子 ども は, 親の愛情のなかで育ち 人間関係 . , のなかで相手に好意をもっ て接することを当然 のこととして育っ て居る場合が圧倒的に多いのだか ら, 教師のそう した思い込みは, 問題になることもなく, 教師にとっ ても子 どもにとっ ても 良い , こ と と して 見 過 ごさ れ る こ と に な る 問 題 は 無 い , . .. しかし, ここで, 留意 したいのは, 子 どもが向けてくる日常的な 陽性の感情転移を教師自身が , 自分の存在証明の ごとく に受け取り, 子 どもに保証されていると感じてしまう思い上がりの怖さで ある. 日常的な現象であるから, 別に教師としての資質に関係ないことで, 自己保証することも な いはずであろう‐ にもかかわらず, 自己保証と勘違いする教師は, - 旦期待した保証が得られない と感 じると, 意外に弱い面を露呈して しまう. 教師のノイローゼを扱っ ているとき 期待した陽性 , 転移を得られないだけで, 自身喪失している教師に出会うことが意外 に多いことに驚かされる . 教師 は, 自己の職業 に自己自身誠実であれば, 子 どもの反応に一喜一憂 することもないのではな いだろうかと疑問を禁じ得ない. 5) 子 どもの陰性転 移を悪と評価する 何度も言うように, 子 どもの感情転移 は, その子 どもの人間関係 の持ち方の基本的パターンであ る. 成育史的に, 親子関係から始まっ て, よい人間関係 のなかで成育してきている子 どもは 教師 , にも陽性の感情を持てる だろう. その子 どもは, 安定して幸福であるといえる しかし 親の愛情 , . がなかっ たり間違っ ていたりして, 親子関係に失敗し人間関係のなかで不信を育ててしまっ ている 子 どもは, 教師にたいしても不信感をもっ て接してくることは大い にありうる そう した子 ども は . , 不安定であり, 不幸であるとは言える. 教師としても, 扱いずらいことも多いに違 いない . しかし, 相手にたいして陰性感情をもつことは, 不幸なことではあっ ても 悪とすることとは違 , う はずである. しかし, 教育の現場では, そう した子 ども は, ひねくれている 陰気である 反抗 , , 的である, 素直でない, 等々, とにかく, 良い悪いの範ち ゅう で区別されることになることが一般 であり, 教師に注意さ れる, 叱られる, 排除される, 無視されるという ことになることが多い 子 ‐ どもは, それまでに持っ ていた人間関係の基本的持ち方そのままを より強 固に学習し ますます , , , マイ ナスの反応を強化 することになり, 悪循環を作ることになっ て しまう だろう 反抗児 非行 丁児 . , 175.
(7) . 奥 村 晶 子. な どのケースで, 教師 が無意識的に持っ ている, 子 どもの陰性転移を悪と見て しまうことに傷つき, 人間不信を強めていっ ている子 どもを見ることは, 本当に悲しむべき現実である. 陰性転移は, 子 どもの人間関係の持ち方の基本的パターンの一つなのである‐ 教師は, 自分に向 けられた陰性の感情転移を受け止めて, 子 どもに傾聴, 受容, 共感的理解 をもっ て接していくこと が要請される はずである. 更に, ここで一つの注 意しておきたいのは, 教師も, 子 どもも, 種々の人間関係のな かで生きて いるので, それぞれにある パターンの人間にたいして は陽性に反応する が, 或る パターンの人間に は陰性に反応する ことがあるということは, いくらもあるという ことである. 巷間, 相性な どとい われているところであるが, その人間の以前の人 間関係で, マイナスの体験に繁っ ている印象の人 間に出会っ たときには, 選択的に陰性転移を起こしうるわ けである. 前年度の教師にたいして は非 常に良かっ たのに, 今年度の教 師には駄目だっ たりすると, 前年度の教師は自信を得, 今年度の教 師は自信喪失したりするが, それは, その子 どものそれまでの体験の結果であっ て, 教師の資質と は直接関係のない ことも大いにあるのである. それを, 陰性転移を悪 と見るとすると, 子 どもの態 度を矯正しよう としたり, 教師同志の間に溝を形成してしまいかねないことになる. 6) 陽性転移のな かで子 どもを操作しようとする 子どもの感情を, 自由に表わすこ とを制圧してしまうと, 子 どもは教師との関係のなかで教師の 期待する情況を演 じよう とするようになる. まさに, 教師として子 どもを操作 しているといわ ざる をえない. 教師には, 少 しもその気 はないにち がいないにもかかわらず, 最近の子 どもが自己表現 できず, 素直す ぎるということは, 誰でも が言うところでもある. 教師が少しも悪意を持たずに熱 心にしているにもかかわらず, 子 どもの陽性転移を継続的に維持して教育するという 努力が, 子 ど もを不自由にし, 枠にはめて しまっ ていることには, 注目しなくて はなるまい. 実際, 年長の子 ど もは,「先生を怒らせることはないし, 先生の期待している こと は分かるので, 面倒を起こさないよ うに期待 どうりに振る舞っ ている」 といえるようになっ ているのであり, しかも, 次第に, そう し た演技のパターンが定着して, 相互に演技を して, 快い状態であるこ とが良いこととされているの である. そう した子 どもが, 教育とは, 偽の陽性転移のなか で快い雰囲気のなかにあるべきである として, 自分の身に着けて, ,教師になっ ていく情 況にあることを, 大学生の教育にあっ て感じられ るのは, 由々 しい問題であるといわ ねばなるまい. 7) 子どもを感情 状態で二つに分ける 教師としての基本的な資 質として 一般 に挙 げられるのは, 教育相談的な視点の はずである. 学級 経営, 学校経営において, よく耳にする 「教育相談的取り組み」 である. そこで, 著者 は 「悪い大 人は居る が, 悪い子 ども は居ない, 悪い行動に出て しまう自分自身で困っ て居る子 どもが居るので ある」 という 言い方をしている が, 現場教師への警 鐘のつもりである. しかし現実には, 行動で以て, 「良い子」 「悪い子」 と分けられているのみでなく, 教師にたいし ての感情状態によっ て 「良い子」 「悪い子」 と区別され, 良い子にたい して熱心に教えても, 悪い子 までは手 が回らないといっ て」障らない教師も居ることも事実なのである. 実際, 教師の立場から見 れ ば, 子 どもに集団で教育する身になっ てみれ ば, 教師にとっ て扱いやすいことが要件であっ て, 集団に馴染めない子 ども はお荷物以外の何者でもないことも多いの かもしれない. しかし, 若し, 教育が, 子 どもの個性を尊重し, 子 ども一人ひとりがその子 どもらしく成長するこ とを期待してい るのである とすると, 集団的取り扱い は, そう した理念とは対極にあり, 教師の枠組みにはめ られ ること自体に, 子 どもが抵抗を持っ ていること自体 を苦しめることを要する であろう‐ 少なくとも, 教師と子 どもの関係にあっ て は, 「悪い子」と決めつけられた子 は, 大人のレッテル 176.
(8) . 感情転移と教育 貼りに答えてその通りになっ ていくものなのである 陰性転移は 取り扱いが面倒かもしれないが . , 「悪い」 子 ども のレッテルとは無関係なのである . 8) 子 どもの個性を尊重 できない 教育において, 子 どもの個性 の尊重ということは, 今日一般的に言われていることではあろうが , 現実には, 教師自身に どれほ どの理解があっ て言われていることなのだろうか 疑問を禁じ得ない . のは, 著者の偏見 だろうか. 子 どもの個性として教 師が尊重するのは 子 どもが教師にとっ て好ま , しい行動をしたとき に, それを保証し, 他の子 どもの手本として称揚するという形が多いのではな いだろうか‐ 教師は, 子 どもの個性といっ ているわけだが, 子 ども はその教師や大人 の期待を先取 り して, 非常に良い子に育っ て過剰適応 に苦しんでみたり, 先生が子 どもたちの見本のように言う ので不自由をしたとうそぶく 子 どもも多いのである. 個性というのは 大人や教師の評価で あっ , , たり無かっ たりするも のではないはずである しかし, 現実には 子 ども は 教師のお 眼鏡に叶っ . , , たことは個性として尊重され, 枠を強化 していくこと になり 教師のお眼鏡 に叶わなければ 個性 , , とされず抑制されていしまうのである. こう した子ども の個性の見方の基本を為すのは 意外に教 , 師の持っ ている子 どもにたいしての陽性の感情転移 に支配されていることが多いのである 子 ども . の教師に向ける感情転移 について理解のない場合, 教師は, 子 どもの 「個性の尊重」 との理念とは 別に, 子 どもの個性を, 自分の好みに合せる可く努力をしてしまっ ていることに気付いていないで , 陽性転移を起こしている子 どもを枠 にはめ, 陰性転移の子 どもを無視して樺らず どちらにしても , 個性とは程遠いところで反応 してしまうこと になるのである . 9) 子 どもを集団的に見て陰性転移の子 どもを排除することに疑問を持たない 教育が, 一人 ひとりの子 どもの成 長を目指すも のであっ たとすれば 人間の集団である教室 のな , かには沢山の子 どもたちが生活 しているのである から それぞれ の子 どもが教師 にたいして そし , , てそれぞれの子 どもにたい して, 陽性の感情転移 を, 陰性の感情転移をもつ 言っ てみれば様々な , 人間関係の錯綜した場面であるから, 教師は, その感情交流を察知して それぞれの子 どもが人間 , 関係において成長できるような感情交流を形成する場を形成していくを要することになる だろう . これは, 言っ てみれば, 教師にとっ て, 不可能なことを要求しているような言い方 になろう . 著者 は, そこで, 教師たるもの不可能を可能にするべき であるというよう には考えない むしろ . , 集団的に見ていくこと の限界性を知ること, 感情をもっ た人間の集まりである場面では 同じ一つ , の事柄でも, 或る人間にとっ て は興味深かっ たり, 受け入れられることだっ たりするだろうが 他 , の人間にとっ て は少しの興味もなく受け入れられないこともあるのであっ て 全部が同じになるこ , とな どありえないということ を尊重できることのほう が大切であろう と考える . その場合, 教師にたいして陽性転移をもっ て接している子 ども は 教師 の指導に合致しやすくな , りやすいが, 教師にたいして陰性的感情を持っ ている子 ども は教師の期待通りにはなかなか反応 し てくれないことも多いという ことを知っ ていることが大切だろう むしろ 画一的に 集団的に . , , , みんな一緒という教育 は非常に日本的発想であっ て, 集団のなか には入れない 教師から見ればは , み出してしまう子 どもを尊重 できる懐の深さが大 切だろう そのとき 初めて 教師は 真の意味 . , , , の個性主義を学 ばされるに相違ない. 子 どもの教師の持つ感情転移の意味 に関心を持てる教師にして初めて 子 どもを個性としてみる , 訓練の糸 口を掴んでいるといえる だろう 現実には 集団を教師の思いのままに操作する陽性転移 . , - 陽性逆転移 のなかでの馴れ合いが横行していることを悲しむも のである ‐ 1 0 ) 人間として教師のほうが偉いとの観念に安定する こう して子 どもの陽性 の感情転移に安住して 子 どもに接することになれて しまっ た教師は 子 ど , 177.
(9) . 奥 村 晶 子. もの感情をそれがどんなであっ ても尊重する ということに失敗 していまい, 無意識に結果と して は .ことをよしとしてしまうことになるだろう‐ 所謂 「学級王国」 の形成 子 どもを自分の 支配下に置く である. 知らずして教師 は, 子 どものう えに君臨し, 子 どもはその支配のもと自分を捨てて服従 す る構図となり, 教師の関心 をひくように反応する ことになる. 教師から見 れば, 素直で聞分けの良 い子 どもたちで, 学級 は統制がとれて いることになる だろが, 子 どもの生き生きした感情は全て抑 制され, 飼い馴らされた羊のようになっ てしまう. 人間としてみる とき, 教師も 一人の人間であり, どんな子 どもも一人の人間であり, それぞれに 同じ価値をもっ てその人なり に意味のある 生を生きている存在 であることは, 観念としてあるが, 教師は偉さに自分 を顧みること を忘れてしまえるのである. 著者は, ここで, 教師をあしざまに評価しようとして いるわけではない. ただ, 感情転移を知 ら ない場合に無意識に陥っ て しまう危険について, 我々 一人ひとりが留意しなくて はならない側面と して強調したいの である. ) 上から下に子 どもを支配している ことに疑問を持て ない 11 前述したことに尽きる だろうが, 敢えて項目として起こした. 教育というこ とは, 支配のなかに あるのではなく, 教師が子 どもの存在を尊重して, 大人として子 どもの必要なことを要 求に応じて 伝達する 義務のなかにある と信 じるからである. 子 どもの感情に鈍感な場合, 大人 は子 どもに大人 が必要と考えることを強制 的に教え込む, 強制的に押えつけそのようにさ せることを, 教育である と勘違いして, 少しの疑問 も持たないことも多い のである. 教育ということは, 子 どもの自己教育力を尊重していくことであるといわれて 久しいが, それに もかかわらず, 子 ども は強制される状 況のなかにあるの も事実なのである. 感情転移を尊 重していただきたい と念ずる所以である.. 以上,一般的な教育の場面における教師 - 子ども関係において,感情転移と感情逆転移の影響が,. 教育的配慮のなかに組み込まれる必要性について, 概説を試みてみた. こう した理解 が, 教育サイ ドに応用されることを期 待したい‐ 次いで, 学校における教 育相談のなかに導入されることを期待 して論を進めてみよう.. 1 1) 教育相談と感情転移について 教育相談は, 学校におけるカウンセリ ングの試みである から, 当然, 治療者 - 患者関係で問題に なる感情転移 が問題にされて然るべき はずであるが, 現実には研 修会などでも余り お目に掛かっ た ことはない. これは, 著者の, 教育相談につい ての偏見なのであろうか. 重要であると考えるの で, 論を進めてみたい. 1) 感情転移の軽視 教育相談という ときに, 著者が感 じるのは, 教師が大人であり対象が子 どもであるという 基本的 枠組みにある限界性 が, 教師に余り問題にされていないことの問題である. そこでは, 教師は無意 識にしろ優位に立っ ており, 被相談者である子 どもに恩恵を施す という構造になっ てしまいがち で ある. 精神療法では, 大人と子 どもの関係 であっ ても, 子 どもは一人の人格をもっ た人間として尊 重されことが基本であり, 陽性転移も陰性転移も, 子 どもの感情のあり様として尊重さ れることを 基本にする が, 教育相談では, 強者である教師が, 弱者である子 どもの相談に応じる ということで, 初めから, 子 どもは恩恵を感 じることが期待され, 陽性転移は受け入れられる だろうが, 陰性転移 はとんでもない こととされる危険 があることを子 ども自身が敏感に感じ取っ てしまっ ていることが 多いのではない だろうか. 178.
(10) . 感情転移と教育 教育相談において は, 教師は心して子 どもが自由な感情を表出する権利 を有することを許し 仮 , に陰性感情が向けられてもそれ をあるがままに受け入れることができなくて はならない むしろ . , 子 どもが, 陽性転移でも陰性転移でも自由に向けてよい許容的雰囲気を演出しなくて はなるまい . そう でないと, 子 どもは相談場面で教 師の期待する感情を教師 に向けて しまう枠組みにあること を 留意しなくてはならない‐ 2) 傾聴, 受容, 共感的理解に隠れている感情転移についての無知 一般のカウンセリングと同様 に, 教育相談 においても 相談教師は 傾聴 受容 共感的理解を , , , , もっ て子 どもに対することが期 待されるのは当然である しかし その時 相談教師は 子 どもを . , , , 先ず自分の好意で包 み込んでしまっ て, 枠付けてしまっ ていることが多いのではないだろうか 即 . ち, 子 どもは, アプリオリに傾聴し受容 し共感的に理解されるべきであるから 一般 の教育的枠組 , みとは相違する状況に置かれる ことになり, その枠のなかでだけ, 教師が理解可能 である範囲での み反応することを期待されてしまっ ている. このことは, 如何に善意であっ たとしても 教育相談 , の枠組みが, 教師の側にイ ニシャチブがあり, 全く自由な契約的治療にはなりにくいことを意味し て い る だ ろ う.. その枠を超えて教育相談的アプローチが為されることを期待したい . 3) 教師の側 に先ずある陽性の逆転移 何度も述べたよう に, 精神療法において は, 治療者の中立的立場が原則であるが 教育相談の場 , 合に同様に中立的立場が維持されることは難 しい. それは, 子 どもとの関係 において教師は 子 ど , もの心を捕らえて自己表示するように導かねばならないとの感情を先ずもっ て居る そして 一般 , . 的には, 子 どもは教師 にたいして相対蒔する立場にあるから, できれば関わりを持ちたくない気分 が底流していることが多い. そこで, 教師は, 子 どもの好意を先ず得ようとして心を配る それが . , 陽性の逆転移 を起こしていることになっ てしまう. こう した構造を防ぐため には, 日常の教育のなかで, 子 どもの安心感と信頼感とが醸成されてい ることが大切になるが, そうするとそこに, 又陽性の逆転移を起こして しまう危険が常にあること に な る‐. 著者 は, こう した逆転移と, 子 どもにたいしての共感的理解とは 似ていて 決して混同される , , ものではなく, 子 どもにたいして誠実で人格を尊敬できてい れば良いと考えるが 子 どもを尊重 す , るというときに, ともすると子 ども の機嫌をとるような転移を起こして しまいがちな事 を残念に思 う も の で あ る.. 4) 陰性転移を許さない相談関係 精神療法において は, 患者の陰性転移は, その人の人間関係 の持ち 方の基本が表現されることを 知っ ているし, 陰性転移自身は治療者 にとっ て気持の良いも のではなくとも 患者が 治療者のそ , , う した感情 に関係なく陰性転移をもつことにおそれを感じる必 要 はない 言っ てみれば 患者 は勝 . , 手 に 起 こ して し ま え る の で あ る .. それにたいして, 教育相談にお いては, 教師と子 どもとの関係 であるから 子 どもは陰性転移を , 起こすことに多少なりとも罪障感をもつかもしれない 教師も 子 どもが 自分に対して 陰性的感 . , , 情 をも つ な どと いう こ と は, と ん で も な い こ と で こう し て 相 談 に の っ て や っ て い る の で あ る か ら , ,. 感謝されることがあっ ても, 陰性感情を持たれるな どという ことな どは考えら れないことなのであ る.. 教育相談において は, こう した構造を理解していないか ぎり 普通に考えていると 陰性転移は , , 抑制されねばならないということになっ て しまう ことに注意しなくて はなるまい . 179.
(11) . 奥 村 晶 子. 5) 陰性転移を悪とする教師の資質 教育現場では, 大前提として子 どもの健全な成長を心掛けること がある. 子 どもが健全に成長し ていくことを期待する とすれ ば, 子 どもが相手にたい して陰性感情をもつこ と, しかも, 教師にた いして故なくして陰性感情を向けてくることは, 許される可き事ではなく, 自分に親切に接してく れている教師にたいして は, 絶対に好意をもっ て報いるべきである. これが, 教育者としての教育 的配慮というものであろう. しかし, それは, 相談的姿勢とは相容れないことでもあるはずである. そのことを, 意識してい る教師は, どれだけ居るの だろうか. そして, 子 どもも, 教師のそう した立場からの姿勢を, 意識 していなくても知っ ているのである. だから, 子どもも教師も, 相談の場面では, 教師にたいして は陰性転移を起こして はならないのである. 言い換えると, 教育相談においては, 子 どもの陰性転移は, 禁止されるべきなのである. その状 況を, 意識している教師において初めて, 子 どもの陰性転移を許せる し, その意味の深さをも 注目 されるのである が, 現実には, 非常に難しい ことといわねばならない. 6) 陽性感情のなかで進む馴合い こう した流れが, 教育相談では一般 に起こり がちなパターンである. 一般の精神療法と相 違して 学校のなかで, 教師と子 どもとの関係であるから, 子 どもは, 自分の心の深みに入っ ていくことよ りも, 教師との関係のなかで, 気持の良い関係をもつことができて, そのことを通して安定した気 分で行ける ことのほうが良いこと だろう. そして, 教師のほうも, 自分に陽性の感情を持っ てくれ ているほう が, 安定して教師でいることが可能であり, 治療的により は, 教師的に相談を続けてい く気楽さを持ち続けていくことができる‐ そこに, 子 どもと教師との馴れあい が起きる. そう した馴れあいでも, 簡単な問題の場合には, 子 どもの安定が得られるからそれでも良いだろ う・. しかし, 問題が心の深みから由来する場合, 特に, 非行などで人間関係に陰性感情 が潜行してい る場合には, 非常に難しいことになり, 教師は子 どもに対して簡単に陰性感情を向けてしまいかね な い こ と に な る.. 陰性転移は, 教師に対しても許されることであると意識して思わね ばなるまい. 7) 子 どもの感情を拘束する不自由さ 以上述べたような構造の なかでは, 一般の精神療法と相違して教育相談で は, 子 どもの感情を常 に教師の ほうにむけてコ ントロールすることにおいて継続していく可能性がある. 子 ども は, 教師 に援助されている と同時に, 教師に感情を拘束される関係の中で援助されて いくことになる可能性 が多い・ それにもかかわらず, 教師に一人の人間として対応されることは, 一般の教育のなかではないこ となので, 非行など教師に とがめられる危険の無い場合は, 子 どもにとっ て は, 有り難いことであ ろう.. 非行の援助 が難しいのは, こう した枠を超えたところに子 どもの心があるからである. 8) 子 どもを操作的にする相談 活動 教師が, 子 どもの陽性転移を期待 し, 子 どもにたいして陽性の逆転移のなかで, 教育相談活動を 実行していくことが普通であるという枠組みを理想 的な相談と考えているこ と自体, 教育相談を教 師が知らずして操作 的なことにしてしまっ ている. そこでは, 教師には, 無意識ではあっ ても, 教 育相談自体, 教師の意図のなかですることになるだろう. 子 どもは, 教師の意図に合せることによっ て, 教師の期待する子 どもに成長してめでたしめでたしということになる のであろうか‐ 大部分の 180.
(12) . 感情転移と教育 場合は, そう した流れのなかでうまく行くことだろう ‐ しかし, 教師の枠に骸ることが子 どもの健全な成長 ではあるまい 教育相談が 本当に子 どもの , . 人格の成長 に益するものであるとするならば, 子 どもが 陽性転移を起こそうが 陰性転移を起こそ , うが, 子 どもの人間関係 の持ち方のなかで, たまたま今, 教師に向けられている感情であると理解 し受け入れる だけの自由さを持たねばなるまい そこまで, 教育相談に期 待することは無理であろ ‐ う か.. 9) 子 どもの個性や成長を無視 して枠にはめる無神経さ 教師の意図のなかに骸っ た, 馴れあいの教育相談が教育相談であるとすれば 子 どもの自我成長 , は, 学校の期待する 子 どもイメージ, 教師の期待する子 どもイメ ージに限定されてく ることだろう . まさに, 管理教育にとっ て成功かもしれない. 学校教育自体が, 現在 管理教育であるという こと , は, 識者の広く問題 にしているところであろう が, この論文ではそこまで立ち入るつもりはない ‐ ただ, 子 ども の個性, 子 どもの自我の成長を期 待する教育相談活動をと 限定的に考えるとき にも , , 教師と子 ども の感情交流が, 子 どもの自由に任せられない構造を, 教育相談活動が 教師にとっ て , 行われるとき, 意図せずとも, 持っ て しまっ ていることだけは指摘しな ければなるまい . このことに, 問題意識をもつ教師にして初めて, 教育相談が真 の意味においてカウンセリ ング的 に展開していけるだろう. 現実には, 「子 どもが好き」ということが, 教師の基本的姿勢として尊重されるなかで 実は 陽 , , 性の逆転移で子 どもを拘束している場合の如何に多いことか, 教師に広く見られる善意の無神経さ だけを指摘しておきたい. m) 教師の資質の向上を目指して 以上, 教育の現場における, 或は教育相談 における, 教師と子 どもの感情交流 について 考察し , てきたところであるが, 最後に, 今迄のことを踏まえて教師として, 持っ ていただきたい視点を考 察して みたい. 或は, 今迄述べたこと の重複かもしれない . 1) 感情が人 間存在の基本であることを知ること 現在の教育は, 優れて操作的であろう‐ 知識の伝達が中心 であろう しかし 子 どもも人間であ , . るからには, そのなかで感情を持っている. どんな感情をもっ ても それは子 どもの自由であるは , ずである. 健全な成長という時, 正しい感情だけを持てといっ て 子 どもの感情 のもちかたをコン , トロールすることではなく, 自分の感情を自分 でコントロールし行 丁動をコ ントロールできる自分に 子 ども が な れ る こ と で あ る.. そう した意味で, 子 ども の感情をそのままに敏感に受け止められる感受性が 教師に要求される , と こ ろ で あ る.. 2) 陽性転移, 陰性転移を受け入れられる幅の広さを心掛けること 教師と子 どもとの関係も人 間関係 であれば, 感情交流が いつもい つも教師の期待する陽性転移 , だけではな いことを, 教師は受け入れているべきである . 教師は, 子 どもが自分 に向けてくる感情が, ある子 どもでは 或はあるときに は陽性であり あ , , る子 どもでは, 或はあるときは陰性であるという ことを 当たり前のこととして受け入れられるべ , きであろう‐ 如何なる感 情が教師である自分に向けられてきたとしても それをあるがままに受け , 入れていける幅の広さが, 言っ てみれば, カウンセリング的あり方であろう それが 教師の資質 . , として重要であることを強調したい. 3) 陽性転移必ずしも教師自身に向けられたも のではないこと 181.
(13) . 奥 村 晶 子. 4) 陰性転移必 ずしも教師自身に向けられたものではないこと 3 と 4 は, 人間関係における感情交流のあり方の基本 が, 教師とのなかで出現 したと見ることの 大切さである. 子 どもの陽性転移, 陰性転移 が, 必ずしも教師そのものに向けられたもので はない という ときに, 教師の中立性 と, 傾聴, 受容, 共感的理解 を基底に据えてのことであることは, 論 を待たない. 教師に, それだけの素養 があれば, 子どもに好意を向けられたとて舞い上がることもないし, 子 どもから反感 が向けられてきたからといっ て, たじろいだり, 嫌っ たりすることもない. どの子 ど もの気持も, その子 どもの特性として受け入れていくことができる余裕ができる はずである. 余り に個人的なこと とせず, 子 どもの個性のあり様に配慮して いく広さを期待したい. 5) 子どもの感情転移の背 後に潜むことを理解していくことを心掛ける こと 若し, 教師にそれだけの余裕 があれば, 子 どもの感情に個人的に反応するよりは, 子 どもの感情 の底に潜むもの に注目したくなる はずである. そして, そのことは, 非常に大切なことである‐ 現 実には, 教師にとり, 子 どもの陽性転移の感情は, それほど問題にならず, 陰性転移の感情 が問題 にされる だろう. そして, そのことも, 子 どもにとって, 幸いなことである. 教師に向けてくる陰 性の感情 が, その子 どもの人間関係の基本的パターンである とすれば, 子 ども は人間関係のなかで, 決して幸福な育ち はしていないはずである からである. 人間関係にある不信感とか敵意 が, 何故そ の子 どもにあるのか, 子 どもの心の深みを理解していこうとする試みが, 始められることは, 子 ど もの其の後の育ちに益する に相違ない. これこそ が, 教育相談的配慮という ことである. 6) 教師自身がどのよう な逆転移を起こ しているか常に自己に注目する こと, 自分の感情をコン トロ ー ルで、きる こ と. 精神療法, カウンセリングな どでは, 対象理解 が問題になるが, 得て して自己理解が乏しく なり 勝である. しかし, 治療が, 展開していくためには, 自己理解, 間 (あいだ) 理解が重要である. それは, 治療者 - 患者関係がうまく進まない場合, えてして, 治療者の側 が逆転移に気がつかずに 反応しているか らである. 同様に人間関係が進展していっ ているかは, 優れてあいだを理解する こ とにかかっ ているのである. そして, あいだを形成しているの は, 相手と自分の両者の感情 交流な の で あ る‐. 同様にして, 教育の現場でも, 教師に期待したいのは, 教師の側の子 どもへの感情の持ち方の基 本なのである. 教師は, オールマイテイ であるはずはない‐ そのことに気 が付いて, 自分の感情を 素直に見ることを期待したい. 陽性の或は陰性の感情 が動いている はずである. 自分を突き放して, 客観的に見る訓練 が必要である. こうすることができたとき, カウンセリ ングで問題になる 「自己一致」 が, 初めて教師のなかで, 自覚されてくる. 7) 逆転移に注目して教育 自身が人間関係のなかで反応する基本的パターンに注目して 自己理解 を深めること. 精神分析療法では, 治療者の教育分析のなかで, 自分の感情の底に潜む人間関係の基本を, 自分. の幼児期 からの生活史を追うことで自己理解をしていく.それほどでなくとも,人間を取り扱う我々 は, 自分の人間関係における感情のあり方を, 客観的に見る訓練 をするならば, 自分の中にある基 本的な特性に気 が付くはずである. そのことは, 非常に大切である. 教師として 「かわいい」 と素 直に思える子 ども, 「かわいくない」と感じてしまう子 ども, 種々 あるだろう‐ そう した感情をもつ ことを, いけないこととして抑圧する必要はない. むしろ, 教師である自分自身 が, それまでの, 人間関係のなかで, さかのぼれ ば, 親子関係のなかで育てて きた人間関係の持ち方の癖であると気 182.
(14) . 感情転移と教育 がつくことのほうが大切である。 自分の癖を知っ て, コントロールできるほうが 無意識に抑圧す , るよりずっ と安定 していける. それが, 「自己一致」 といえる状態 であろう‐ 8) そのことを通して教師自身が成長していけるだろう 以上, 述べたことが, 教育の現場で日常的なこととして理解されることを期待したい そして . , そのことを通して, 教師が, 自分を抑圧して 「良い教師」 になるべく苦しまずに, 「感情転移」 を鍵 概念にすることで, 自分自身を正しく受け止め, 子 どもを正しく受 け止め, 安定した感情交流 のな かで, 子 どもが主役の教育を, 安定して実践していっ ていただきたいも のである. (本 学 教 授. 札 幌 分 校). 183.
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