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医学研究者の追加的ケアの責務とその射程の限定をめぐる論争

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ݬٚᠶయ

医学研究者の追加的ケアの責務と

その射程の限定をめぐる論争

Ancillary Care Obligations of Medical Researchers and

the Controversy Surrounding their Limited Scope

林 芳紀

Yoshinori HAYASHI ή立命館大学文学部

KEY

WORDS

  追加的ケア(

ancillary care

)  部分委託モデル(

partial-entrustment model

 射程の限定(

limits of scope

 研究者

-

参加者関係(

relationship between researchers and research participants

 研究倫理(

research ethics

)      要 旨      近年、特に開発途上国の人々を対象とした医学研究の文脈で発生する倫理問題の一つとして、追加的ケアの 問題が注目されている。この問題に関して現在最も有力な理論的枠組と目されているのはリチャードソンが提 唱した部分委託モデルであるが、これに対してはその射程の限定が数多くの批判を招いている。そこで、本稿 では、部分委託モデルの概要を確認した後、この射程の限定に対するディッカートとヴェンドラーによる批判 と、その批判に対するリチャードソンの反論を検討し、部分委託モデルによる射程の限定は一種のジレンマに 陥っていることを示す。次に、このジレンマを打開するための二つのアプローチを提示し、各々の問題点を浮 き彫りにする。以上を通じて、最終的に、追加的ケアの責務の多様な可能的根拠の探索と、それらを総合した 研究者の責務の全体像の描出が、追加的ケアの問題にとっての今後の課題として残されていることを示す。      

SUMMARY

     

Recently, the issue of ancillary care in the context of medical research, especially research

conducted in developing countries, has been gaining attention. Although the most influential

theo-retical model on this issue is the partial-entrustment model

proposed by Henry Richardson, this

model has been controversial due to its limited scope. After providing a brief overview of the

partial-entrustment model, I discuss the controversy surrounding the model, especially in light of

an important objection raised by Dickert and Wendler. I then discuss Richardson

s reply to the

ob-jection. The discussion will reveal that the partial-entrustment model is facing a dilemma

stem-ming from its limited scope. I end the discussion with two proposals for addressing this dilemma,

together with problems that remained unsolved. More studies will be needed to identify other

po-tential grounds of ancillary care obligations of medical researchers and to provide a

comprehen-sive picture of these obligations.

(2)

序論

近年、特に開発途上国の人々を研究参加者1)とし た医学研究の文脈で発生する倫理的問題のひとつと して、「追加的ケア」 (ancillary-care) と呼ばれる問 題が注目されている2)。追加的ケアの問題とは、 「医学研究者が、自らの研究対象である事柄以外の 疾患や病態に由来するような、緊急かつ重大な医学 的ニーズを研究参加者のうちに ― 想定の内外を問 わず ― 発見した場合に、医学研究者は何をなすべ きかという問題」3)であり、例えば以下のような事 例がそれに該当する。 マラリア研究者と住血吸虫症:アフリカのとある 地方では、マラリアと住血吸虫症がともに流行し ている。ある先進国の研究者が、マラリア研究の ためにそうした地域へと赴いた。研究者がマラリ アの診断のために、当地の研究参加者から採取し た流体試料を顕微鏡で検査していたところ、一部 の研究参加者はマラリアだけでなく、住血吸虫症 にも感染していることが発覚した。この地域の住 民は貧しく、また当地の医療アクセスは極めて乏 しいことから、この研究者が何らかの医療ケアを 提供しない限り、研究参加者が住血吸虫症の治療 を受ける可能性は皆無に等しい。このとき、研究 者には、研究参加者の住血吸虫症について何らか の医療ケアを提供する倫理的な責務があるだろう か4)。 このように、「被験者にとってのニーズは認めら れるものの、研究の科学的妥当性の担保や、安全性 の保障、研究中の被害の補償のために必要とされて いるわけではない医療ケア」5)のことを、追加的ケ アと呼ぶ。しかし、そもそもなぜ医学研究者は、研 究参加者に対して、こうした追加的ケアを提供する 責務を負うと考えられるのか、また、仮にそうした 責務を負うとしても、研究者は具体的にいつ、いか なる場合に、どこまで濃厚な追加的ケアを提供する 責務を負うことになるのか。これらの問題について は必ずしも十分な合意が見られていない。例えば、 医学研究の被験者保護に関する現在の標準的な見解 の中では、あくまでも一般化可能な知識の増大を目 的とする研究と、患者に治療上の利益をもたらすこ とを目的とする診療とは、基本的に峻別される。こ の枠組を背景としたとき、科学的に妥当な研究を遂 行する上で必要とされているわけでもなければ、研 究参加者に対する安全性の確保や被害の補償のため に必要とされているのでもなく、ただ純粋に研究参 加者に治療上の利益をもたらすような追加的ケアの 提供がなぜ研究者の責務とまで言えるのかは、必ず しも定かではない。しかし、だからといって、研究 参加者の健康問題に直面しておきながらそれを単純 に無視することが、倫理的に何の問題もないと断言 することも難しい。こうした問題の複雑さから、現 在の医学研究に関する種々の倫理指針等の中でも、 追加的ケアの問題については明確な対処方針が定 まっていない現状がある6)。 現在、この問題に関する最も有力な理論的枠組と 目されているのは、米国の哲学者 H・リチャードソ ンによって提唱された「部分委託モデル」 (partial entrustment model) である7)。この見解に従えば、 どのような場合に医学研究者が追加的ケアの提供責 務を負うかは、射程と強度に関する二つのテストを 通じて、ある程度まで明確に確定される。とりわ け、前者の射程のテストは、医学研究者の責務が及 ぶ範囲を制限し、その無際限な拡張を防止するうえ で重要な役割を果たしている。しかし、医学研究者 の追加的ケアの責務をめぐる議論では、まさにこの 射程の限定に対する批判が数多く寄せられており、 それを超克するような代替アプローチの構築の必要 性が唱えられている8)。そのため、この問題に関す る今後の理論構築の可能性は、この射程の限定の成 否に大きく依存しているとも言えるだろう。 そこで、本稿では、この部分委託モデルの射程の 限定をめぐる論争の中でも最も重要と目される ディッカートとヴェンドラーによる批判と、それに 対するリチャードソンの反論を検討することによ り、医学研究者の追加的ケアの責務に関する今後の 理論構築に向けてどのような課題が残されているの かを明らかにする。そのために、まずは部分委託モ デルの概要を示し、このモデルでは研究参加者によ るプライバシー権の放棄という点に医学研究者の追 加的ケアの責務の基盤が求められており、またそれ ゆえに、医学研究者の追加的ケアの責務の射程が限

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に必要とされる限りでプライバシー権の一部を放棄 (waive) してもらった結果として、研究参加者から 委託された範囲内で (=部分的に) 研究参加者の健 康に配慮する責任を引き受けることになるのであ り、またそのために、研究者は、その委託の範囲内 で追加的ケアを提供する責務を負うことになる。こ れが部分委託モデルの基本的発想である。 では、研究者は、具体的にいつ、いかなる場合 に、どこまでの追加的ケアを提供する責務を負うの か。この問題に対して部分委託モデルは、①射程の テストと②強度のテストという二つの判定基準を提 唱している。つまり、当該研究の過程で発見される 研究参加者の健康問題が、これら射程と強度のテス トの両方を満たす場合に、研究者にはその健康問題 に対して追加的ケアを提供する責務が発生する。以 下これら二つのテストを順に説明する。 ①射程のテスト:まず、追加的ケアの責務が発生す るのは、その健康問題が、IC を通じて研究参加者か ら責任を委託されている範囲内に属するものである 場合に限られる。この追加的ケアの「射程」は、そ の研究を実施するには研究参加者のどのような側面 について特別な許可を得なければならないか (どの ような側面についてプライバシー権を放棄してもら う必要があるか) という、研究プロトコルの内容を 確認することによって客観的に確定される。他方、 研究参加者から特段の許可を得ずとも容易に発見可 能な健康問題 (例えば交通事故後遺症の四肢変形や 歯周病など) は、追加的ケアの「射程外」に属して いることから、そのような健康問題に対して研究者 が追加的ケアの責務を負うことにはならない。 ②強度のテスト:次に、研究者の追加的ケアの責務 の有無を判定するためには、十分に強力な責務が発 生しているかどうかという、追加的ケアの責務の 「強度」を査定しなければならない。その責務の強 度に影響を及ぼす要因とされるのは、(1) 脆弱性 (ケアを受けることが研究参加者の健康や福祉にど れくらいの違いをもたらすか)、(2) 依存性 (ケアを 受けることについて研究参加者がどれくらい研究者 に依存しているか (他のアクセスはあるか))、(3) 関 与 (研究者と研究参加者の関係がどれくらい深いか (関係の濃厚さや期間の長さ))、(4) 感謝 (リスクが 高い、苦痛を伴う、不便を強いるような処置を進ん 定されることを確認する (第 1 節)。次に、部分委託 モデルによる射程の限定は追加的ケアの提供に関し て反直観的な帰結をもたらすと主張するディッカー トとウェンドラーによる批判と、それに対するリ チャードソンの反論を示し、部分委託モデルによる 射程の限定は、研究者の責務の無際限な拡大の防止 と、医療ケアが提供されるべき研究参加者の適切な 組み入れとの間のジレンマに直面していることを示 す (第 2 節)。最後に、このジレンマを打開するため のアプローチとして、研究者と研究参加者の関与の 深まりに追加的ケアの責務を根拠付けるアプローチ と、部分委託モデルによる射程の限定は必ずしも厭 わしい帰結をもたらさないことを示すアプローチを 検討し、両者の問題点を浮き彫りにする (第 3 節)。 以上を通じて、最終的に、追加的ケアの責務の多様 な可能的根拠の探索と、それらを総合した研究者の 責務の全体像の描出が、今後の課題として残されて いることを示す。

1.部分委託モデルとは何か

まず本節では、リチャードソンが提唱する部分委 託モデルの概要を確認する9)。そもそも、なぜ研究 者は、研究参加者に対して追加的ケアの責務を負う と考えられるのか。この問題に対して、部分委託モ デルはおよそ以下のように回答する。 周知のとおり、人を対象とした研究の実施に際し ては、研究参加者からのインフォームド・コンセン ト (以下 IC と略) の取得が必須である。従来、この IC の役割とは、研究参加者に対する搾取の防止や 自律の尊重にあると考えられてきた。しかし、部分 委託モデルに従えば、IC にはさらに許可の取得とい うもうひとつの重要な役割があり、研究者の追加的 ケアの責務の倫理的源泉はそこに見出される。つま り、研究参加者は IC を通じて、通常は当人のプラ イバシー権のもとで保護されているような自分の身 体、身体機能、受療歴などに対して、研究者がその 研究に必要な限りでアクセスすることへの許可を与 えているのであり、またそれとともに、その許可の 範囲内で発見される研究参加者の健康問題に配慮す る特別な責任を、研究者に対して委託しているもの と理解することができる。したがって、研究者は、 IC の取得を通じて、研究参加者に当該の研究の実施

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大)、その健康問題が研究プロトコルとは無関係な 「射程外」のものに属している限り、研究者が研究 参加者やその周囲の人々に対して追加的ケアの責務 を負うことはない。 しかし、序論で述べたように、このような射程の 限定に対してはこれまで数多くの批判が寄せられて きた。例えば、ディッカートとヴェンドラーは、そ の反証として次のような仮想事例を提示している10)。 仮に、マラリアと肺高血圧症との関連性の調査を目 的とした研究に、三人の小児マラリア患者が参加し たと想定しよう。研究の過程で、第一の小児には、 重篤なマラリア病の発症が確認された。第二の小児 には、心エコー図撮影の結果、心膜液滲出が発見さ れた。第三の小児には、脚が感染症に冒されており 骨髄炎を発症し始めていることがあからさまに見て 取られた。また、どの小児の病状も重篤ではあるが 治療可能であり (入院六週間)、どの治療もほぼ同等 のコストと専門的能力を要すると仮定しよう (つま り、部分委託モデルにおける強度のテストの五つの 関連要因の点では、三つの事例はほぼ同等であると 仮定しよう)。この場合、部分委託モデルに従うな らば、第一の小児のマラリア病(まさに研究対象と されている疾患) と第二の小児の心膜液滲出 (研究 手法の一部である心エコー図撮影を通じて発見) に 対しては、ケアを提供する責務が発生する可能性が ある。一方、第三の小児の感染症と骨髄炎の場合に は、それらは研究目的と何ら関連するものではな く、また IC を得るまでもなくあからさまに発見可 能な病状であることから、それに対して追加的ケア を提供する責務は発生しない。しかし、ディッカー トとヴェンドラーによれば、骨髄炎は研究対象では ないとか、研究の過程で発見されたものでないと いった理由で第三の小児に対する治療責任を無視す ることは、研究者がこの小児をデータ取得のための 単なる手段として取り扱っているに等しく、そこに は研究者−参加者関係に求められるべき「全人的な 関与」が欠如しているという。 以上を踏まえて、ディッカートとヴェンドラー は、追加的ケアの責任は研究者−参加者関係に根差 したものであり、しかもそれは高度に文脈依存的に ならざるをえないことから、その責任の射程を系統 的な仕方で制限することは不可能であると主張す で引き受けてくれることについて、研究者は研究参 加者に恩義を被っているか)、(5) コスト (追加的ケ アの提供が研究遂行にどれくらいのコスト (経費、 時間、明確で統計的に有意なデータの収集能力等) をもたらすか)、の 5 つである。 この射程と強度のテストを、冒頭に掲げたマラリ ア研究者と住血吸虫症の事例に即して考えてみると 次のようになる。①まず、この事例では、研究者は 研究の実施過程で住血吸虫症を発見しており、それ は研究参加者によるプライバシー権の放棄の結果と して発見されるものであることから、それに対する 追加的ケアは、部分委託によって発生する責務の 「射程内」に属している。②次に、この研究の対象 集団は、医療ケアに対する他のアクセスをほとんど 持っていないことから「依存性」が高いと同時に、 治療薬はかなり安価であり処方も難しくないことか ら「コスト」は低い。したがって、この事例では、 研究者には住血吸虫症の治療薬を研究参加者に提供 する十分強力な責務が発生していると考えられる。

2.射程の限定をめぐる論争

前節で確認したように、部分委託モデルでは、研 究者が研究参加者からプライバシー権の一部を放棄 してもらうことで、健康問題に配慮する責任を部分 委託されているという根拠に基づいて、研究者が追 加的ケアを提供する責務を負うことになる。また、 研究参加者の抱える健康問題が追加的ケアの責務の 射程内・外どちらに属するかは、研究に際して研究 参加者にどのような側面のプライバシー権を放棄し てもらう必要があるかという、研究プロトコルの内 容に照らして客観的に確定される。つまり、部分委 託モデルでは、研究参加者の抱える健康問題と研究 プロトコルとの関連性こそが、研究者の追加的ケア の責務の有無を判定する際にまずもって確認される べき事柄であり、追加的ケアの責務の発生に関わる 様々な関連要因の中でも、それこそが最も道徳的に 優越する関連要因とみなされているのである。その ため、研究参加者やその周囲の人々がどれだけ大き な健康問題を抱えていようとも (脆弱性大)、またそ の治療をどれだけ研究者に依存していようとも (依 存性大)、さらにはこれまで研究者と研究参加者の 間にどれだけ長く濃厚な関わりがあろうとも (関与

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児に対して追加的ケアを提供することすら覚束なく なるのである14)。リチャードソンによれば、部分委 託モデルに基づく顕著な追加的ケアの責務とは、そ うした事例での研究者の責務の存在を説明するも の、一般的な救助義務以上の事柄を研究者に対して 要求することを可能にするものであり、その意味 で、顕著な追加的ケアの責務は、一般的な根拠に よっても正当化される追加的ケアの責務を補完する 役割を担っているという15)。 無論、ディッカートとヴェンドラーは、そうした 研究者−参加者関係に由来する顕著な追加的ケアの 責務の発生そのものを否定していたわけではない。 むしろ、彼らの批判の矛先は、部分委託モデルでは 特別な責務の発生がもっぱら射程のテストによって 条件づけられてしまうという点にある。つまり、研 究者−参加者関係に由来する特別な追加的ケアの責 務の有無を考える際には、部分委託モデルのように 研究プロトコルとの関連性という特定の要因に絶対 的な優越性を認めるのではなく、研究者−参加者関 係の中に含まれる多様な関連要因 ― とりわけ、研 究者と研究参加者との関与の深さ ― を文脈依存的 な仕方で考慮に入れなければならない。これこそが 彼らの批判の要諦である。 これに対してリチャードソンは、もし顕著な追加 的ケアの責務が研究者−参加者関係に根拠付けられ るのだとすれば、何らかの形での射程の限定がどう しても必要になるとして、次のような例を挙げて反 論している16)。仮に、研究者が週末の夜に繰り出し たバーで偶然自分の研究参加者と遭遇し、そこで研 究参加者が突然心臓発作に襲われたとすれば、確か に研究者には、医学の素養ある研究者として、何ら かの仕方でその場に介入する責務が生じるように思 われる。しかし、それはあくまでも一般的な救助義 務に基づく責務にすぎず、その心臓発作に関してそ れ以上のケアを提供する特別な責務が、研究者−参 加者関係の存在に由来して発生するとは考えにく い。とすれば、研究者が研究参加者に対して顕著に 追加的ケアの責務を負うと主張するには、やはり単 なる研究者−参加者関係の存在に訴えるだけでは不 十分なのであり、研究者−参加者関係の中に見出さ れる何らかの特徴の上に道徳的基盤を確立すること により、そこからどのようにして研究者の顕著な責 る。そして、「ただの顔見知りに対する責任が友人 に対する責任とは異なるのと同様に、より深いやり 取りや手続、頻回の訪問などを通じて研究者−参加 者関係が深まるにつれ、[研究者の研究参加者に対 する] 責任の数と強度は増加する」11)として、特に 研究者と研究参加者との関与の深まりが、研究者の 責任の有無にとっての重要な関連要因となる可能性 を示唆している。 こうした射程の限定にまつわる批判に対して、リ チャードソンは以下のように回答している。まず、 部分委託モデルの射程の限定に対する批判の背後に は、あたかも部分委託モデルのみが研究者の追加的 ケアの責務を正当化する唯一の理論的根拠であるか のような誤解が潜んでいる。リチャードソンによれ ば、「ある所与の状況で、医学研究者が追加的ケア を提供する何らかの責務を有することには、数多く の可能的な道徳的根拠が存在する」12)のであり、部 分委託モデルとは、あくまでもそうした可能的根拠 のひとつ、とりわけ研究者−参加者関係に由来する ような「特別な」根拠に基づく「顕著な」追加的ケ アの責務を確立するための理論にすぎない。そのた め、たとえ部分委託モデルでは射程外に属するとさ れ、研究者に追加的ケアを提供する責務はないと言 われるような事例でも、例えば一般的な救助義務な ど、研究者−参加者関係には依存しない別の「一般 的な」道徳的根拠に基づいて追加的ケアの責務が正 当化される可能性も、決して排除されてはいない13)。 つまり、わずかなコストで重篤な健康問題が解消さ れる事例では、わざわざ研究者−参加者関係の存在 という特別な根拠や、それに基づく顕著な追加的ケ アの責務などを持ち出さなくても、一般的な救助義 務の問題として研究者にはケアの提供の責務が発生 しうるのである。 他方、先の三人の小児の事例のように追加的ケア の提供コストがかなり大きくなる事例 (入院六週 間) では、一般的な救助義務の存在を根拠としてそ うした追加的ケアの提供を研究者に要求することは 難しい。つまり、追加的ケアの責務を救助義務と いった「一般的な」根拠に根差したものと考える限 り、より複雑で、コストが高く、長期間に及ぶよう な追加的ケアを提供する責務がなぜ研究者に発生す るのかまでは説明できず、それでは第一・第二の小

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まで、追加的ケアの責務が拡大されることにもなり かねないからである。つまり、このアプローチで は、第三の小児に対して追加的ケアを提供するのと 引き換えに、週末の夜のバーで突然心臓発作に襲わ れた研究参加者に対しても、一般的な救助義務に基 づいて要求されるその場での応急処置等を超えるよ うな、より濃厚な追加的ケアを提供することを余儀 なくされてしまうのである。 第二に、このアプローチでは、部分委託モデルに よる射程の限定とは別の方向に、研究者の追加的ケ アの責務の範囲を狭めてしまう危険性がある18)。と いうのも、もし研究者と研究参加者との関与の深ま りに研究者の追加的ケアの責務が根拠付けられるの だとすれば、研究者と研究参加者との関与が浅い3 3 3 3 3場 合に、前者が後者に対してどのような責務を負うの かは必ずしも定かではないからである。例えば、 DNA サンプル収集のために研究参加者の頬スワブ を一度限りで提供してもらうといった関与の浅い研 究の中で、研究参加者の重大な健康問題を示唆する 所見が発見されたといういわゆる偶発的所見の問題 が発生した場合、研究者には一定の条件下でそれを 研究参加者に開示する責務が生じるということにつ いては、一般に合意が見られている19)。しかし、研 究者と研究参加者との関与の深まりに研究者の責務 を根拠付けようとするアプローチでは、上記のよう な関与の浅い研究の中でなぜ、どこまでの責務が研 究者に生じるのかを説明するのが困難となるだろう。 ジレンマ打開に向けた第二のアプローチは、リ チャードソン自身が必ずしも十分に展開していない 反論、すなわち、ディッカートとヴェンドラーが提 示していた反直観的な結論は、その見かけとは裏腹 にそれほど厭わしくはないという反論を展開するこ とであろう。確かに、先の三人の小児の事例におい て、骨髄炎が射程外に属するからというだけの理由 で第三の小児が治療を受けられないのは、一見した ところ非倫理的であるようにも思われる。しかし、 それは本当に非倫理的だろうか。 この問題を検討するうえでまず確認しておきたい のは、少なくともこの第三の小児は研究参加のせい で不利益や害を被ったとまでは言えないという点で ある。そもそも先の三人の小児は皆依存性が高く、 仮に当該の研究に参加していなければ誰一人として 務が発生するのかを説明できなければならないので ある。 確かに、リチャードソンが主張するように、研究 者の追加的ケアの責務の無際限な拡大を防止するた めには、単に研究者−参加者関係が存在するという 以上の何らかの歯止めが設けられるべきであるよう に思われる。しかし、それを部分委託モデルの射程 のテストのように研究プロトコルとの関連性という 面に設定すると、ディッカートとヴェンドラーが主 張するように、三人の小児の事例のような厭わしい 結論が導かれるようにも思われる。では、このジレ ンマを打開するにはどのようなアプローチが残され ているのだろうか。次節ではこの問題を考察する。

3.論争に対する考察と残された課題

前節の最後に挙げたジレンマを打開するための第 一のアプローチは、リチャードソンも示唆していた ように、研究者−参加者関係の中に、研究参加者に よるプライバシー権の放棄以外の道徳的に重要な特 徴を何か探し出して、その上に研究者の顕著な追加 的ケアの責務を根拠付けることである。その有力な 候補のひとつは、ディッカートとヴェンドラーに よって示唆されていた、研究者と研究参加者の間の 関与の深まり3 3 3 3 3 3であろう。実際、近年では、研究者と 研究参加者との関与の深まりからどのようにして研 究者の顕著な追加的ケアの責務が導出されるのかを 示そうとする試みも、いくつか現れ始めているとこ ろである17)。 もしそうした試みが奏功すれば、先の三人の小児 の事例における第三の小児に対しても、追加的ケア を提供する責務が研究者に発生することを首尾よく 説明できるのかもしれない。しかし、それでもなお このアプローチには、以下の二つの難点が伴うと思 われる。 第一に、このアプローチでは、リチャードソンが 危惧していた、研究者の追加的ケアの責務の無際限 な拡大という問題が克服されていない。というの も、もし、研究者と研究参加者の間に関与の深まり がある限り、第三の小児のような研究プロトコルと は無関係な健康問題に対しても研究者が追加的ケア を提供する責務を負うということになれば、研究参 加者が抱えるそれ以外のありとあらゆる健康問題に

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うのである。 このように回答することで、リチャードソンは、 三人の小児の事例が持つ一見して反直観的な帰結に もかかわらず、部分委託モデルとその射程の限定を 主張し続けることが一応は可能になる。しかし、こ の結論は、研究者は第三の小児や自分の研究参加者 以外の人々に対してはいかなる治療上の利益を与え る責務も負わない、ということを最終的に意味する ものではない。というのも、以上の議論が示してい るのは、研究者は彼らに対しては研究者−参加者関 係の存在を前提として立ち現れてくるような責務を 負わないということ、前節のリチャードソンの言葉 を借りて言えば、それは研究者−参加者関係の中に 見出される「特別な」根拠に基づく「顕著な」責務 の範囲外であるということにすぎないからである。 事実、前節で確認したように、研究者−参加者関係 には依存しない別の「一般的な」道徳的根拠(救助 義務など)に基づいて追加的ケアの責務が正当化さ れる可能性があることは、リチャードソン自身も認 めていたのである。確かに、救助義務を根拠とする だけでは、先の三人の小児に対して濃厚な追加的ケ アを提供する責務を正当化することはできないのか もしれない。しかし、リチャードソン自身も、その 一般的な根拠の可能的候補のひとつとして正義 (justice) を挙げており21)、そうした一般的な根拠に 基づいて第三の小児や研究参加者以外の人々に対す る追加的ケア提供の責務が正当化される可能性は、 決して閉ざされてはいないのである。 結局、部分委託モデルによって「特別な」根拠に 基づく「顕著な」追加的ケアの責務の存在を解明し たり根拠付けたりすることができるというだけで は、研究者は研究参加者やそれ以外の人々に対して 実際のところどのような責務を負っているのか、す なわち、他の「特別な」根拠に基づく責務や「一般 的な」根拠に基づく責務が存在するのかどうかは、 相変わらず不明瞭なままである。したがって、そう した追加的ケアの責務の多様な可能的根拠の探索 と、それらを総合した研究者の責務の全体像の描出 が、今後の課題として残されていると言えるだろう。

結論

本稿では、医学研究者の追加的ケアの責務の根拠 いかなる治療上の利益を受けることもなかったので ある。とすれば、たとえ第三の小児が追加的ケアを 提供されなかったとしても、そのために、研究参加 していなかった場合に比べて状況が悪化させられて いるとまでは言えない。むしろ、この第三の小児 は、リチャードソンも示唆しているように20)、当該 研究への参加を通じて、研究参加者でない同様の小 児に比べてすでに様々な別の3 3治療上の利益を得てい るとさえ言える。したがって、もしそれでもなおこ の状況が非倫理的に思われるとすれば、もっぱらそ の原因は、三人の小児の事例は道徳的に重要な特徴 の点でほぼ同等であるにもかかわらず、第三の小児 は第一・第二の小児と比べてさほど大きな利益を得 られていないという、不公平さに帰せられるもので あろう。 ならば、この不公平な取り扱いこそが非倫理的だ と言えるだろうか。おそらくそうは言えないだろ う。というのも、第一・第二の小児と第三の小児と の間には、研究参加者が自らのプライバシー権を放 棄した結果として健康問題が発見されたかどうかと いう厳然たる相違点があり、三者の事例は道徳的に 重要な特徴の点で完全に同等3 3 3 3 3とまでは言えないから である。もし、それにもかかわらず、研究者には第 三の小児に対しても追加的ケアを提供する責務があ ると主張する者がいるとすれば、それに対しては次 のような反論を提起することもできるだろう。そも そも医療アクセスに乏しい開発途上国には、先の三 人の小児と同様に依存性と脆弱性が高いにもかかわ らず、研究参加者でない3 3 3 ためにいかなる治療上の利 益も得られていない人々もまた数多く存在する。と すれば、なぜ研究者は、それら研究参加者以外の 3 3 3 人々に対して、三人の小児と同等のケアを提供する 責務を負わないのか。もし、研究者は自らの研究参 加者以外の3 3 3人々に対してはそこまでの特別な責務を 負わないというのであれば、ではなぜ研究者は自ら の研究参加者に対してはそうした特別な責務を負う ことになるのか。もしその特別な責務の源泉が、研 究者−参加者関係の中の何らかの特徴に見出される のだとすれば、それは一体何か。こうして、三人の 小児の間の不公平な取り扱いが非倫理的だと主張す る場合には、結局のところ、先の第一のアプローチ を探究するという困難な課題へと引き戻されてしま

(8)

の医学研究の文脈が念頭に置かれていることが多 いことから、本稿でも後者の文脈を念頭に置いて 話を進める。 4) Ibid., p. 4 5) Ibid., pp. 2−3. 6) 近年の研究倫理関連指針において、追加的ケアの 問題がどのように取り扱われているかを調査した 研究として、以下参照。Carleigh B. Krubiner et al., “Health Researchers’ Ancillary-Care Responsi-bilities in Low-Resource Settings: The Landscape of Institutional Guidance,” IRB: Ethics & Human

Research 37, no. 3, 2015, pp. 12−19.

7) 当初、部分委託モデルは、リチャードソンとベル ス キ ー の 共 著 論 文 の 中 で 提 唱 さ れ て い た (cf. Leah Belsky and Henry S, Richardson, “Medical Researchers’ Ancillary Clinical Care Responsibili-ties,” British Medical Journal 328, 2004, pp. 824− 826; Henry S. Richardson and Leah Belsky, “The Ancillary-Care Responsibilities of Medical Re-searchers: An Ethical Framework for Thinking about the Clinical Care that Researchers Owe Their Subjects,” Hastings Center Report 34, no. 1, 2004, pp. 25−33.)。 し か し、 以 後 の 理 論 的 深 化 は リ チャードソン一人によってなされてきた経緯があ ることから、本稿においてもリチャードソン単独 の見解とみなす。

8) Patricia L. Bright and Robert M. Nelson, “A Capac-ity-Based Approach for Addressing Ancillary Care Needs: Implications for Research in Resource Lim-ited Settings,” Journal of Medical Ethics 38, 2012, pp. 672−676; Neal Dickert et al., “Ancillary-Care Responsibilities in Observational Research: Two Cases, Two Issues,” Lancet 369, 2007, pp. 874−877; Neal Dickert and David Wendler, “Ancillary Care Obligation of Medical Researchers,” Journal of the

American Medical Association 302, no. 4, 2009, pp.

424−428; Adnan A. Hyder and Maria W. Merritt, “Ancillary Care for Public Health Research in De-veloping Countries,” Journal of the American

Medi-cal Association 302, no. 4, 2009, pp. 429−431; Maria

W. Merritt et al., “Ancillary Care in Community-Based Public Health Intervention Research,” Amer -ican Journal of Public Health 100, no. 2, 2010, pp.

211−216.

9) 本節における部分委託モデルの概要については、 以下に負う。Richardson, supra note 3, ch. 2; 林芳

付けの問題に関して、部分委託モデルによる射程の 限定に対するディッカートとヴェンドラーによる批 判と、それに対するリチャードソンの反論を検討し た。その結果、部分委託モデルによる射程の限定は 一応擁護可能であるが、それはあくまでも、研究者 がどのような場合に「顕著な」追加的ケアの責務を 負うのかを明らかにしているにすぎず、実際のとこ ろ研究者がいつ、いかなる場合に、どこまでの追加 的ケアの責務を負うのかという追加的ケアの責務の 全貌は、相変わらず不明瞭であることが解明され た。今後、追加的ケアの責務の多様な可能的根拠の 探索と、それらを総合した研究者の責務の全体像の 描出に向けた、さらなる探究が必要とされている。 付記  本研究は JSPS 科研費 JP15K02021 の助成を受けたも のである。 注 1) 現在わが国では研究を受ける側の人々のことを 「研究対象者」と表記するのが通例となっている が、本稿では「研究参加者」 (英語の (research) participantsの訳語) と表記する。 2) 光石忠敬・栗原千絵子「CIOMS『人を対象とす る生物医学研究の国際的倫理指針』2002 年版に ついて:グローバル開発時代の倫理原則とは何 か」,『臨床評価』34 巻 1 号,2007 年,pp. 75−82; Reidar K. Lie「第2部:追加的ケア」栗原千絵子 監訳,『臨床評価』35 巻 2 号,2007 年,pp. 297− 310.

3) Henry S. Richardson, Moral Entanglements: The

Ancillary-Care Obligations of Medical Researchers,

New York: Oxford University Press, 2012, p. 2. な お、この定義からも示唆されるように、先進国で の人を対象とした研究の文脈で発生する、いわゆ る偶発的所見の問題もまた、ここで言う追加的ケ アの問題のひとつに該当する。しかし、先進国の 文脈では、研究参加者に対して濃厚な追加的ケア (治療など) を提供する責務は発生せず、健康問 題の存在を研究参加者に対して警告する責務にと どまることが多いと考えられる (先進国の研究参 加者は、第 1 節の「強度のテスト」の中の「依存 性」の要素が低いため) ことや、追加的ケアをめ ぐる現在の議論は医療資源の乏しい開発途上国で

(9)

Thaddeus Metz, “Ancillary Care Obligations in Light of an African Bioethic: From Entrustment to Communion,” Theoretical Medicine and Bioethics 38, no. 2, 2017, pp. 111−126.

18) Metz, supra note 17, p. 122.

19) 林芳紀「神経画像研究における偶発的所見の対処 法をめぐる倫理的問題―論点整理と考察」『応用 倫理』4 号,2012 年,pp. 29−43,p. 32.

20) Henry S. Richardson, “Comment on A Capacity-Based Approach for Addressing Ancillary-Care Needs: Implications for Research in Resource Lim-ited Settings’,” Journal of Medical Ethics 38, no. 11, 2012, pp. 677−678.

21) Richardson, supra note 3, pp. 14−15.

【原稿受理:

2019

1

15

日】 紀「医学研究者の倫理的責務としての追加的ケ

ア:部分委託モデルの概要と課題」,『医薬ジャー ナル』50 巻 8 号,2014 年,pp. 107−111.

10) Dickert and Wendler, supra note 8, p. 426. 11) Ibid., p. 427.

12) Richardson, supra note 3, p. 12. 13) Ibid., p. 55.

14) Henry S. Richardson, “Investigator-Participant Re-lationship,” Journal of the American Medical

Associ-ation 302, no. 22, 2009, p. 2435.

15) Richardson, supra note 3, pp. 12−20.

16) Ibid., pp. 20−21, 56−57; Richardson, supra note 14. 17) Nate W. Olson, “Medical Researchers’ Ancillary

Care Obligations: The Relationship-Based Ap-proach,” Bioethics 30, no. 5, 2016, pp. 317−324;

参照

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