• 検索結果がありません。

子どもの言語獲得と人間形成に関する研究-S.ピンカーの言語本能論を手がかりにして‐

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "子どもの言語獲得と人間形成に関する研究-S.ピンカーの言語本能論を手がかりにして‐"

Copied!
58
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)平成21年度 学位論文. 子どもの言語獲得と人間形成に関する研究 一S.ピンカーの言語本能諭を手がかりにして一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 学校教育学専攻 教育コミュニケーションコース. M08004J 石井正幸.

(2) 目次. 序. 章 本研究の目的 第一節 問題の所在. 1. 第二節 先行研究の検討と本研究の特色. 1. 第三節. 2. 論文構成. 第一章 魏代言語学におけるピンカーの位置 第一節 現代言語学の源流「ソシュ]ルの言語学」. 4. 第二節. チョムスキーの言語学「生成文法」. 工0. 第三節. ピンカーの言語本能論の成立. 15. 第二章 ピンカーの言語本能論 第一節 生得釣であり経験的な言語. 20. 第二節 子どもの発話は誰の真似でもない. 31. 第三節 ルールある社会で生きるために. 36. 第三章 ピンカーの教育諭 第一節 現代教育の盲点. 40. 第二節 子どもにとっての環境とは. 42. 第三飾 共に思考する関係を目指して. 46. 終 章. ピンカーの言語本能諭からの教育学的意義. 50.

(3) 序章 本研究の周的. 1. 問題の所在 新学習指導要領(平成20年度版)では、「言語活動の充実」という表記が増えており、. 学校教育全体で言語能力の向上に取り組む大きな目標とされている。「言語活動の充 実」という表記が増えた理由について、田中(2007)は、次のように述べている。. 21世紀社会では、環境問題を初めとしたさまざまな問題が山積みになっていること から、「論理的な思考や感性を働かせながら問題解決の方法を探り、自分の考えを自分 の言葉で表現する能力が大切である1」という。さらに因中(2007)によると、自己実現. や社会参加のために重要な道具として、言語を活用できる能力を獲得することが不可 欠となる。心理学者のヴィゴツキ㎞(1962)も、「言語はコミュニケ}ション機能であり、. 社会的コミュニケ]ションの手段である2」と述べている。このことからも言語は、人 間と社会とを結ぶための大切な機能であるといえる。. 子どもが言語活動を行う場面は、学校の場だけではなく、生活全般で見ることがで きる。子どもは、さまざまな場面で言語を用いてニコミュニケーションを行っている。. それは、就学前の幼児であっても同様であると考えられる。幼児は、就学以前から既 に言語を用いて親やきょうだいなどさ一まざまな社会との関わりを自然に行っていると 考えられるのではないだろうか。. そこで本研究では、子どもが言語を獲得していき、言語活動を行い始める幼児期に 注目する。そして、子どもにとって言語の獲得が、その後の人間形成にどのような意 味を与えるのかを考察していく。言語獲得と人間形成について考察するにあたり、心 理学者S.ピンカー(Pinke巧S.,1954・)の言語本能論に注目して、子どもの言語獲得か. ら人間形成についての新たなプロセスを探っていく。. 2. 先行研究の検討と本研究の特色 言語獲得については、これまでにも「生得的か経験的か」と激しい議論が行われて いる。しかし、近年になって言語の生得的な部分と経験的な部分が明確にされつつあ る。言語学者のトラバント(2005)によると、言語能力は生得的であると述べている。. しかし、言語の全てを生得的だとは述べておらず、コミュニケーションを行う際に 1.

(4) 発声籍官を用いて産出される音声を意味深い文章へとまとめ上げる特殊な結合技一価を. 用いる点が言語本能だとしている。生得的な言語能力は、人間の社会のなかでしか言 語へと発展し稼い能力であり、語や構文法を形成する一般的な能力に限られる(J.トラ. バント2005,284頁)。つまり、トラバント(2005)によると、生物学的に与えられた. 普遍的言語能力という基盤の上に、全人類に共通の統一言語ではなく、むしろ多数の 異なる言語が発展してきたとしている。. トラバントの説のなかで生得論者とされたピンカーであるが、N、チョムスキーの言語 理論に沿った形で言語獲得の問題に真っ向から取り組んでいる学者である。しかし、. ピンカーは、チョムスキー理論の全てに賛同するわけではなく、批判的な視点から言 語本能論を記した。言語学者の原口(1995)によると、ピンカーの言語本能論は、言語. 発達や母語の獲得、思考と言語の関係を考える上で極めて益するところの多い優れた 理論であり、言語の正しい認識を与え、人間の尊厳を正しく把握する上でも重要な意 味をもつとしてビンカ]の言語本能諭を高く評価している。 しかし、ピンカーに対する批判も多くある。言語本能論に対してM,トマセロは、「言. 語は本能ではない」と真っ向から批判している。さらに、心の共通性や普遍性を提唱す. るビンカ]は、経験主義陣営からの批判が絶えない。さまざまな批判の対象となるビ ンカ㎞の言語本能諭であるが、ピンカーは、人間の心のはたらきに関する洗練された モデルを組み込んだ上での人間の進化学として人間と言語の関係を明らかにしようと している。. そこで本研究の特色として、ピンカーの言語本能諭から幼児の言語獲得と言語を獲 得することで養われる思考や心について考察する。さらに言語本能論から派生したビ ンカ㎞の教育諭を整理していくことで、子どもの人間形成に影響を与えるとされる環 境や大人について考察する。言語本能論とビンカ』の教育諭を合わせることにより、 新たな言語獲得からの人聞形成の在り方を見出すことができると考える。. 3. 論文構成 本研究では、大きく四章によって構成している。. まず第一章では、ピンカーの言語本能論の基礎となる現代言語学の歴史を見ていく。. 2.

(5) 現代言語学を整理するにあたり創始者といわれるRソシュールを取り上げる。ソシュ ールは、身近な言語現象に注目して研究を行い、にとば」を厳密に規定していった。 ソシュールの言語学が誕生したことにより、大きく影響を受けたのがN、チョムスキー であった。チョムスキーは、「生成文法」を誕生させた人物であるが、生成文法を誕生. させるまでの経緯と生成文法理諭について整理していった。ソシュールとチョムスキ ーの二人からピンカーへと続くこれまでの言語研究について整理を行った。さらに、. ビンカ]が言語本能論を展開していった時代背景として、1970年代、1980年代当時 のアメリカによる言語研究についても合わせて整理する。 第二章では、ピンカーの「言語本能諭」を中心に、これまでの言語をめぐる「生得的 か経験的か」という二項対立議論ではなく、生得・経験それぞれの良さをしっかり認識 することと互いに連携することを目指すM.トマセロ(To㎜ase11o,M.,1950一)の説を紹介. して論じていく。トマセロ(2005)は、ビンカ〕の言語本能論にかなり批判的であり、. 言語獲得は、基本的な認知的および伝達的諸能力が準備されていることにより可能と されることと普遍文法を含む言語本能との関係性はないとしている。しかし、これか らは言語に関する研究を行う者がそれぞれ積極約に役割を果たす必要があるとしてい る。このことから言語は生得・経験の相互作用により成り立っていることを改めて論 じながら、ピンカーの言語本能論で提示される生得的な言語能力を持って生まれる子 どもが言語を学習する意義について論じていく。. 第三章では、相対主義が浸透した現代社会において、相対主義とは異なる言語の普 遍性や人間の共通性という視点から子どもについて考察を行う。さらに子どもが成長 するなかで重要とされる環境とはどのようなものか探り、ことばによるコミュニケー ションを通じて、より良い人間形成を目指す方法を考察していく。 終章では、ピンカーの言語本能論から教育学的意義を探る。 1田中博之r言語活動の充実で育まれる2ユ世紀型学カー言葉の力の育成を学校現場でどう図っていくか一」、 B眺舶嘗教育開発センター編『B駅D〃。1.12.2007年、8頁萸 2L.ヴィゴツキー1榮困義松訳)『思考と’言語上』、明治図書出版、1962年、23買七.

(6) 第一章 現代言語学におけるピンカーの位置 第一節 現代言語学の源流 rソシュールの言語学」 F.ソシュール(1857−1913)は、現代言語学の祖と呼ばれる20世紀はじめに「こと ば」の一般言語学を確立し、にとぱ」の一般的性質を解明する目的を達成するための方 法と理論的基礎を与えた学問を誕生させた人物である(町閏健2006,229頁)。現在、ソ. シュ]ルの作りあげた現代言語学から細かく研究分野が枝分かれをしていき、言語は 様々な角度から研究が行われている。ソシュールが現代言語学の祖といわれる理由と して、丸山(2008)は、!9世紀はじめ頃まで、あまりにも漠然と使われてきたにと ば」という概念に注目した点にあるという。さらにソシュールは、にとば」を厳密に 規定することから言語の研究を始めたことが、これまで主流であった歴史言語学1から は異なる新たな分野の幕開けを起こしたからだとしている(丸山圭三郎2008,64頁)。 ソシュールが注目した「ことば」は、身近な賃常の言語現象であった(丸山圭三郎2008,. 65頁)。ソシュールが身近な言語現象に注目して研究するまでの言語学について丸山 (2008)は、言語に関する省察の歴史として大別すると3期に二分かれるとしている(丸山 圭三郎2008,54頁)。. ○第一期(古代から18世紀後半まで) 長い時期における言葉の研究はすなわち哲学であった。人びとは、言葉がどのよう に機能するのかではなく、「言葉とは何か」という形而上学的な問いからその本質に迫 ろうとした。言葉は思弁の対象であって観察の対象ではなかった特徴をもつ。. ○第二期(工9世紀から20世紀初頭) それまでの雑然としたにとば」についての省察に対して、大きな転回点となったの. は、サンスクリット文字(1786から1816にかけて)の発見であった。サンスクリッ ト文字の発見のおかげで言語の研究は、神学的・哲学自勺な色彩の強かったものから科. 学のステイタスを得ることとなった。これが比較文法、歴史言語学の時代と呼ばれる 時期である。. ○第三期(現代). ソシュール以後、言語学は1つの大きな転回期を迎えた。言語学で大切なことは、 「ことば」が一体どんな性質をもっているのか、そしてそれをどのように表せばよい 4.

(7) のか、表した」結果が正しいことをどのようにして証明すればよいのかなどとする、言. 語の本質を探ることであった。現代の人間学におけるさまざまな理論と方法は、その ほとんどが、ソシュールの言語の本質と人間文化をめぐる思想に源を発しているとさ れる。. 丸山(2008)による3つに分類される言語省察の歴史のなかで、ソシュール自身は、. 第二期の時代を中心にしていた。町田(2003)によると、ソシュールは、19世紀後半 から言語学を学び始め、その当時では当然のようにまず比較言語学の研究に携わって いた。比較言語学の研究は、人類の祖語を探す研究であり、ソシュ]ル自身もインド・. ヨーロッパの祖語探しの研究に尽力していた。ソシュールは、さまざまな言語を研究 するにあたり、ある特定言語の性質について規則的な特徴を見出そうとすることは、. どんな言語にも当てはまる規則性や原理のようなものを突きとめることが必要になる と考えた(町田健2003,38頁)。. 町田(2003)によると、実際に使われている諸言語は、表面的にはいろいろ違ってい. ても根底には、すべての言語に通じる原理があるはずだと、ソシュールは想定したと している。さらに町禺(2003)は、諸言語の表面的に見られる様々な不規則性を排除し、. にとぱ」としての純粋で理想的な状態を仮定しなければ、諸言語はいろいろと違い があり、その違いの理由はよくわからないという、「ことば」の普遍性を否定する寂し. い緒論が出てくるだけだとしている。寂しい結論を出さないためにソシュールは、想 定した言語の性質についての原理や規則性を明らかにすることが新たな関心となった (町囲健2003,38頁)。この問題関心こそが、現代言語学の出発点となる。. 現代言語学の出発点として丸山(2008)によると、ソシュ]ルは、身近な日常の言語. 現象でのにとば」について様々な疑問を持っていたとしている。例えば、「ことば」 とは、単語の意味のことなのか、それとも意味を伝える音声や文字なのか。あるいは それらをいっしょにしたものと考えなければならないのか。空気の振動である音波や、. 紙の上のしみである文字が、意味をもっというのは何故なのか(丸山圭三郎2008,65 頁)。これらの疑問から出発したソシュ㎞ルは、まず「ことば」を厳密に規定していっ. た。人間のもつ普遍的な言語能力、抽象化能力、象徴化能力、カテゴリ]化能力およ びその活動を「ランガージュ」(1angage)とよび(丸山圭三郎2008,65頁)、さらに個々. 5.

(8) の言語共同体で用いられている多種多様な国語体を「ラング」(1狐g鵬)として、「ラ ンガージュ」(1angage)とはっきりと分けた(丸山圭三郎2008,65頁)。そして、同じ. 言語「ラング」でもそれを使う人によって違った現れ方をすることから、いろいろ違 った雑多な現れ方をした言語を「パロール」(paro1e)とよび区別した(町固健2003, 72頁)。. このように区別した理出として、ソシュールは言語学が分析する対象をきちんと決 めることで、日本語やフランス語といった具体的に観察される個別的な言語を分析の 対象にしたかったのである(町日ヨ健2003,72頁)。ソシュールが.規定した「ランガ山ジ ュザ「ラング」・「パロー・ル」それぞれの性質についてもう少し詳しくみていく。. ギラン.ガージュ」とは、人間のもつシンボル化能力とそのさまざまな活動、動き(言. 語、音楽、絵画、彫刻など)のことで、広い意味でのにとば」を指す。日本人の子 どもであっても、生まれたときからフランスで育てばフランス語を話すようになるこ とからも、胃本語やフランス語といった個別言語と言語能力を区別する必要がある。. しかし、人類学あるいは動物学的な能力とはいえ、それを他の直立歩行能力などと同 じレベルで。考えてはならない。ランガージュという能力を行使’できるためには必ず何 らかの言語共同体に属一する必要がある(丸山圭三郎2008、王92−193頁)。. 次にrラング」について、ランガージュがシンボル化能力であるとすれば、ラング はおおむね「言語」と訳され、ランガージュが個別の・社会において独自の構造となっ. たものがラング(言語)である。ソンユ㎞ルが考えたラングには2種類あり、一つは 日本語、フランス語、英語といった様々な諸言語であり、もう]つはそれらに共通す る記号学的体系としてのラングである。(丸山圭三郎2㏄8,!92頁)。. 最後にrパロール」について、フランス語のpar1er (話す)という動詞の名詞形 で、「発話行為」・「言行為」と訳すこともある。ラングが《構成された構造》という社. 会的で受動的な性質を持つのに対して、パロ]ルは能動的で個人的なもの。しかし、. ラング=受動的、パロール=能動的という単純な関係ではなく、ラングとパロールは 作り作られるという相互依存関係がある(丸山圭三郎2008、王94頁)。. 町田(2003)によると、言語現象を分析する対象として決定したソシュールは、事柄 を伝えるための共通の道具として使われている言語の事.実を考えるならば、にとば」.

(9) で表すことができる事柄が曖昧であることを考慮して、抽象的な単位を認定しておく 必要があるとした。ソシュ』ルは抽象的な単位として「単語」をあげている。さらに単 語を構成する要素の暗素2」や「意味3」も単位として定めていった。町田(2003)によ. ると、ある言語を使っている人たちが、ある一定の音素の並びとある一定の意味の結 びつきである単語を共通に知っていることで、意味を伝え合えるのだとしている。. ソシュ]ルは、単語を構成する要素の一つである「音素」について、ある一定の範 囲の音の集まりを、同じ言語を使っている人柱ら、講でも同じ一つの「音」だと理解 することができるとした(町田健2003,75頁)。さらに音素に対応して、人間の頭の中 で作られる何らかの表象をr聴覚映像」(i肌ag鍋。oustique)と名付けている(町剛健2003,. 76頁)。町固(2003)によると、聴覚映像は、単語の意味に結びついているいくつかの音. 素を指すのに使われるものであり、音素というのはあくまでも、人間の頭の中にある 「映像」のようなものとして、具体的な音とは違って抽象的な性質をもったものだと 説明している。. ソシュールは、言語にとって大切なのは、単語の意味と結びついている実際に発音 される音ではなく、頭の中にある音素のほうであるとしている(町固健2003,77頁)。. 町困(2003)は、音素は実際に発音される音とは違うことから、ソシュールが言語の性. 質を考えようとしたときに、音素のような抽象的な側面と、発音される音のような具 体的な側面を区別しなければならないのは、当然のことだとしている。ソシュールは 単語が抽象的なものであるから音素も意味も、どちらも抽象的な性質をもっていると して、単語をラングかパ1コールのどちらかに属する単位とする場合に、単語は入と意 味を共有できることからラングに属するとした(町岡健2003,83頁)。. 町岡(2003)によると、ソシュールが言語学の研究対象にラングを規定していると述 べているが、ラングに含まれる要素としては単語のことしか考えていないとしている。. ソシュールは、音素の並びと意味を結びつける決まりこそが、ラングの重要な特質だ としている(町囲健2003,84頁)。ラングの特質について町田(2003)は、ラングに見ら. れる特質は、ある言語を使っている人々の「共同体」が設定したものであり、共同体 とは社会を表すことから、ラングには社会的な性質があるのだとしている。つまり、. ラングは、法律や政治などと同じ社会的な制度の一つで、ある社会に属する人々なら 7.

(10) 受け.入れなければならないものだとしている(町田健2003,86頁)。. 次にソシュールは、「ことば」の抽象的な側面をラングとしていたが、にとば」にあ るもう一つの側面として.具体的な側面をパロ㎞ルとしている(町田健2003,93頁)。町. 囲(2003)によると、ソシュールは、具体的な「音」をパロールであると定義して、実. 際に発音された物理的な音はパロールであり、にとば」を使う人が頭の中で音素を選 んで、その音素を具体的な音に出すまでの部分もパロ㎞ルだと述べている。さらにラ ングの具体的な現れがパロールであり、ラングとパロールを合わせた全体でにとば」 になり、全体としてのにとば」をランガージュと呼んでいる(町田健2003,96頁)。 町田(2003)によると、ソシュールはパロールを言語学の研究対象一ではないとしてい. ることから、パロールについては、ラング以上の情熱を燃やして研究にあたっていな いとしている。このことからソシュールにとっての言語学の研究対象は、ぽぽ一貫し てラングであったとされる。. ソシュールにとってラングの一番重要な要素は単語であり、単語の性質に」着目して いった。さらに人間が知覚一するモノが意味を表している対象を、ソシュールは一般に 「記号」と呼んでいるく町困健2003,102頁)。町田(2003)によると、ソシュールがこと. ばを考える時には、単語こそが記号としての「ことば」であるとして、「言語記号」と 表している。ソシュールは、’記号としての単語を作っている要素は、音素列と意味と、 さらに、他の記号も含めて用語を作ったほうが一般性を出せるとして、音素列を「能記」. (シニフィアンSig蔵ifiC舳t)、意味をr所記」(シニフィエSigni鎚)と呼ぶことに した4(町岡健2003、王02頁)。町田(2003)によると、ソシュールがr言語記号」と呼ん. だ単語の能記と所記には、実際何の関係もないという性質「言語の恣意牲」が存在す るとしている。. 恣意性がある.から出てくる「ことば」の性質としては、単語の意味や音が変化する ことを可能にするのである(町岡健2003,107頁)。さらに町田(2003)は、言語記号の恣. 意性は、言語が変化一することを保証する原理として、にとば」の性質の中では大変重. 要な役割を果たしており、恣意性があるからこそ変化できるのだとにとば」のしく みの大切な点をとらえているという。恣意性により「ことば」が変化することは、時. 代によってにとば」の意味が異なることを意味している。ソシュールは、ある言語.

(11) を使う人たちが、共通の単語の意味を決めるためには、特定の時代に使われている言 語の状態だけを見る必要があるとして、ある特定の時代における言語状態を「共時態」 と呼んだく町田健20◎3,133頁)。共時態に対して、「ことば」を作っている個別的な要素. を「通時態」として区別したが其時態以外は分析の対象とはならなかった(町因健2003, 136−137頁)。町岡(2003)によると、「ことば」の性質を考える上で特定の時代における. 言語状態「共時態」に着目することが言語学にとって重要だとしたソシュ㎞ルは、現 代言語学の.方向を決めるために決定的な役割を.果たしているとした。さらに町田 (2003)は、ソシュールが現代言語学で明らかにした「ことば」のしくみとしては、「こと. ば」を構成する音素や形態素、単語が体系と構造を作っており、それぞれの要素が表 す意味や働き、要素の並び方を決めているという考え方であった。要するににとば」 では、要素の間にある関係が、広い意味での要素の価値を決めるはずだとしている(町 田健2003,215頁)。さらに、時代によって「ことば」は変化することやソシュール以. 前の言語学では、ラングの中での音素や形態素などの単位が、明確な形で分析の中に 組み一込まれていなかった。そして、要素の間にある関係が大切だということもまだよ く分かっていなかった(町岡健2C03,215頁)。さらに町田(2003)によると、「ことば」. がなぜ聞き手から話し手へと、同じ事柄を正しく伝えられるのかなどという問題も真 剣に考えられてもいなかったとしている。これらの問題を解決するためには、ラング という分析の対象をきちんと定め、そしてラングを構成する要素の価値を決めるため の、客観的な手続きをはっきりさせておく必要があり、客観的な手続きにより、「こと ば」の本質を明らかにして、「ことば」を成り立たせている原理を見極めることができ るようになった(町霞健2003,216頁)。. 町困(2003)はさらに、要素の間にある関係性を重視するソシュールの学説は、「構造. 主義」と呼ばれるとして、実際に「構造主義」の構造とは、体系と構造の両方を指すも のであるとして使われている点から、ソシュール自身、単語の意味を決める場合に、. 意味の体系性を考慮に入れるべきだとして、単語の記号的性質を交えて詳しく論じて いるのに対して、構造のほうに関しては、単語を作っている形態素が表す意味の関係 について、比較的簡単に説明しているだけであるとした。ソシュールが重視していた のは、どちらかと言えば構造よりも体系のほうであると考えられ、ソシュールの学説.

(12) は、「構造主義」と呼ぶよりも「体系主義」と呼ぶほうがよいのかもしれないとしてい る(町田健2003,2王6頁)。. ソシュールが生みだした構造主義の考え方がその後の言語学に深く浸透していく ことになるのだが、「ごとは」の数多くの側面についての性質が明らかになってきてい. る一方で、本来の意味での構造、つまり要素をどのようにして並べるのか、そしてど のようにしてそのような並べ方になっているのか、ということについての性質の解明 は、まだ十分であるとはいえない(町田健2003,222頁)。町田(2003)によると、構造の. 中でも特に重要な、文を構成している形態素や単語の並び方については、ソシュ山ル が文をラングの要素だとしていなかったこともあり、構造主義的言語学では研究の蓄 積が多くないと述べている。さらに、この分野では、ソシュールとは別に独立した言 語分析の理論を確立した、アメリカでの研究が進んでいた。. アメリカで進んでいた研究分野は、「統語諭」と呼ばれる文の構造を研究する分野 である。アメリカを中心とする統語諭研究では、文が表す事柄や形態索の意味から基 本的には独立した形で、形態素や単語を並べるための規則が決まってくるのだとする 考え方が主流であった(町田健2003,223頁)。この統語論分野から言語学に新たな変革 を起こしたのが、次節で取り上げるN.チョムスキーである。. 第二節 チ男ムスキーの言語学「生成文法」 ソシュールによって、にとば」の本質を明らかにする字間として言語学が誕生した。. ソシュールの言語学は、音や文法の研究で大きな成果をあげているが、文の構造の問 題、語順の問題については、どのような方法で、何を明らかにするのかさえほとんど 分かっていなかった。そこで文法の構造に関する問題を、「生成文法」という文法理論. を誕生させることで言語学の中心に据えることに成功した人物が、アメリカの言語学 者N、チョムスキー(1928・)である(町因健2006,4頁)。. チョムスキーの経歴を簡単に紹介する。チョムスキーは、1928年にアメリカのペン シルバニア州フィラデルフィアに生まれたユダヤ系アメリカ人である。父親はヘブラ イ語の学者であり、チョムスキ]自身も地元のペンシルバニア大学に進学し、博士の 学位を取得した。学位をとった1955年から名門M I T(マサチュ山セッツ工科大学) 10.

(13) で教職に就き、現在もこの大学で言語学の教授としての地位にある人物である(町田健 2006,3頁)。. 町田(2006)によると、チョムスキーは、それまで具体的な文が示す構造を、素朴な. 方法で分析しようとするだけであった文法の研究に、仮説を構築して、その仮説が予 測する現象を、考察される事実と照らし合わせることで、仮説の正しさを検証すると いった科学的な方法を導入した人物であると紹介している。さらに町田(2006)は、自. 然科学とは縁遠い感じのあった言語学に、物理学や数学のような自然科学分野の方法 論を導入した研究方法は、これまでの言語学研究の根本的な変革を遣るものだったと している。従来の言語学にはない、極めて科学的な特徴をもつ生成文法は、アメリカ だけでなく世界申の言語学者たちが関心をもち、生成文法の方法で言語研究を行う言 語学者の数はどんどん増えていき、ソシュールの学説を受け継ぐ「構造言語学」とは 対立する、有力な言語学派として言語学の世界に重要な位置を占めている(町田健2006, 5頁)。. 現在も言語学界で大きな位置を占めている「生成文法」理論は、いつごろ誕生した のであろうか。「生成文法」の誕生について町因(2003)によると、チョムスキーは、ペ. ンシルバニア大学に提出した博士論文の中に生成文法につながる論考を発表している が、言語学の歴史の申で登場したことを告げるのは、1957年に出版された『統語構造 諭』(Syntacticstmctures)と1965年出版の『文法理論の諸相』(Aspectsofthetheory. ofsynt弧)によって「標準理論」と呼ばれる生成文法第一期の理論的枠組みが作られ たのであるとしている。さらに生成文法の誕生するきっかけとして、チョムスキーは、. 「アメリカ構造主義5jが始めた「直接構成素分析6」による文の構造についての研究で は、問題があると考えたからであった。それは、文の構造を一般的に表す.方法がない. こと、語順の規則を提示していないこと、二つの問題を解決する方法を考案すること であった(町田健2006,38頁)。. 町田(2006)によると、チョムスキーの大きな功績は、文の構造そのものを表す方法. を提示したことであるという。それは直接構成素分析ではできなかった、明示的で一 般的な構造表示を図1のような形で表した「句構造標識」で可能にしたことであった。. 11.

(14) 文. 動詞句. 名詞句. 冠詞. 動詞. 形容詞 名詞. 名詞句. 前置詞句. 八. 冠詞 名詞 前置詞. 名詞句. 冠詞. a. pretty. gir1. p1凱yea. the. piaI1o. in. the. 名詞. auaitOriu皿. 図1(町田健2006,56頁) チョムスキーは、句構造標識によって文は名詞句と動詞句に分かれており、英語の 文はどれも名詞句の次に動詞句が並ぶ規則に従っていると気付いた(町閨健2006,61 頁)。規則に気付いたチョムスキーは、句構造の表記を下のような形で表している。 ①文→名詞何十動詞句 く町田健2006,6!頁). 町周(2006)によると、生成文法では、名詞旬や動詞句といった、伝統的な文法には. なかった単位と、名詞や動詞のような従来から「品詞」と呼ばれている単位を一括し. てr統語範疇」という用語を使っている。統語範疇という用語を使えば、①のような 規則は、句構造標識をもとにすれぱ、ある統語範嬢が、別の統語範礒に「書き換えら れる」規則が存在することが分かったとしている。. ②名詞句→冠詞十形容詞十名詞 動詞句→動詞十名詞句十前置詞句 前置詞句→前置詞十名詞旬 (町岡健20C6,62頁) チョムスキーは、②のような範疇から範岡壽への書き換え規則をr句構造規則」と呼び、. ②にあげたものが全てではないが、句構造規則としてどのようなものが存在するかが 分かれば、ある言語で使われる文がどのような構造をもつごとができるのかを、ばつ 12.

(15) きりとした形で示すことができると考えたのであった(町田健2006,62頁)。. 町田(2006)によると、ある言語がもつ句構造規則に正しく従っている表現こそが 「文」であるとして、英語や日本語を正しく使うためには、単語の意味や語順の使い方 の決まりなど、その言語がもっている「規則」を誰もが共有しておく必要がある。そう. でなければ、ある言語で言われた表現が表す意味を、講も理解できないということに なる。誰もが共有する規則のなかでも、最も重要なものの一つが文の構造を決めるた めの規則、句構造規則であると説明している。. 句構造規則についてチョムスキーは、できるだけ簡単な規則である方が良いと考え た。その理由としてチョムスキ]は、句構造規則が複雑に人間の頭の中に存在してい ると、子どもが短期間で母語を習得できないからだと考えていたからであった(町田健 2006,9!頁)。人間の子どもは、おおむね5歳くらいまでに一応の構造をもった文をつ くり話すことができるようになる。町田(2006)によると、チョムスキーは、生まれて. 5年ほどで、文法酌に間違いのないレベルの文を作り出す事ができる能力は、驚くほ ど短いと考え、5年ほどで母語の基礎的な能力を身につけるのだから句構造規則は単 純な形をしていなければならないと考えたのではないかとしている。 チョムスキーは、句構造規則と幼児の母語獲得から「普遍文法」の存在を仮定した(町 田健2006,170頁)。普遍文法を仮定した理由として町田(2006)によると、生成文法が. 想定している言語獲得の方法として、脳の中に普遍的な原理を組み込まれて生まれた 幼児は、周囲の人間が話す個別言語の刺激を受けて、個別言語の文法を完成させる形 で言語の獲得が実現されるとした。そして、言語獲得を可能にする脳内に組み込まれ た普遍的な原理こそが「普遍文法」であると仮定された。さらに町因(2006)は、もう. 一つ普遍文法が生得的に備わっていると仮定される理由として、子どもが生まれてか ら経験する個別言語のデ㎞タに不備があるという性質の存在をあげている。幼児の育 つ環境では、すべての人間が完全な文を使うとは限らず、文を途中でやめることもあ れば、文法的に間違った文も使われることも多々ある。このような不完全なデ]タも 存在する環境で育っても、最終的に人間は誰でも完全な文法を獲得することができる とされている。そこにはやはり普遍文法の存在があるからこそ可能なのである(町田健 20C6,184頁)。. 13.

(16) 生成文法が普遍文法の生得性を主張するその他の理由として、①人間であれば誰で も母語を獲得できること、②入間と同じ仕組みの言語を獲得できる人間以外の動物は 存在しないこと、さらに、人種が違っても、同じ言語を使う環境で育てば、誰もが同 じ母語を習得するという事実もあるとした(町田健2006,!88頁)。その事実について町 田(2006)は、rことば」は人間という種に特有のものであるから、rこ1どは」がもつ中核. 的な部分は、人間に遺伝的、生得的に備わっているものだと考えなければならない。 そして、人間だけが「ことば」を使えるのだから、にとば」を使うための機能が人間に 遺伝的に与えられていることは、間違いないと普遍文法を支持している。. 普遍文法を解明することが研究の最も重要な課題としてきた生成文法は、研究を推 し進めた結果、現在の到達点は、「ミニマリスト・プログラム」理論である(町田健2006,. 2!3頁)。町岡(2006)によると、「ミニマリスト」(最小主義)とは、文を作り出し、理. 解されるシステムとして、できるだけ効率的なしくみになるようににとば」はできて いるはずだという、チョムスキーの理念を反映したものだとしている。. チョムスキーは、生成文法で文の構造を明示できる形に変化を起こし、さらに、そ こから言語の規則性・普遍性を導き出して、幼児の言語獲得に着目したところから普 遍文法を示した。.人間が母語を獲得する過程を合理的に説明することを、最大の目標 とするようになった.生成文法の行き着いたところが、ミニマリスト・プログラムであ った。. 町岡(2003)によると、普遍文法の中身が効率一性を最大に実現するしくみになってい. るはずだという仮定は、それらを検証するメカニズムが合理的なものであれば、科学 として希望のある内容をもつものであるという。しかし、生成文法の提示する仮説の 検証法は、諭理的な批判に必ずしも耐えうるものでなく、言語学に科学的な論証法を もたらすかのように見えた生成文法は、現在のままでは科学的合理性から遠ざかって いくばかりだとしている。それでも生成文法は、現在も変化を起こしながら新たな仮 定とその検証を繰り返している。. チョムスキ]の生み出した生成文法は、次節で取り上げるビンカ]に大きな影響を 与える理論である。. 14.

(17) 第三飾 どンカーの言語本能諭の成立 S、ピンカー(Pi泣鉦,S.,195全)は、カナダ、モントリオ]ル生まれ、祖父母は、ポー. ランドとルーマニアからのユダヤ系移民であった。父親はセールスマン兼弁護士で、. 母親は主婦であったが、後に高校の進路指導係と副校長へとなっていった。このよう な家庭で育ったピンカーは、カナダのマギル大学で心理学を学び、アメリカのハーバ. ード大学へと進学した。ピンカーがハーバード大学に入学した1970年代初頭は、ち ょうど人間の本性とは何かという議論が盛んな時代であった。この時代の影響を少な からずうけていたピンカーは、やがて理論と実験を合わせる実験心理学に出会うよう になる。実験心理学に関心を寄せていたピンカーは、博士論文のテ㎞マで視覚心像と 空間認知の研究を行っている。言語に関する研究はもう少しあとになってから始まっ たものである。視覚の分野から言語学へ専心した理由としてビンカ]は、視覚の分野. ではすでに多くの研究者がいたからだとしている。もう1つの理由としては、17歳 の頃にN.チョムスキーに関する本を読んだことが、言語理論に関心をもち言語研究へ と進むきっかけとなった(スウェイン(渡辺政隆訳)2000,211頁)。. ピンカーが言語学へと研究を進めた時代として、針生(2006)によると、1980年代は、 「語彙獲得における制約」という考え方が台頭し、その後、「制約」の生得性について. かなり熱く議論がかわされたとしている。そこには、ヒトの言語の特別なところにま ず焦点を定め、それはどのようなプロセスによって実現されているのかを同定し、さ らに、そのプロセスが現れるには生得のどのような学習メカニズムと環境のどのよう な構造がなければならないか、それらの解明へ向かう近年の研究展開のルーツがあっ た時代だとしている。. 1970年代・1980年代と「人間の本性」や「言語の獲得」などがアメリカで注目された. 時代のなかでビンカ山は、言語学の研究へと向かっていった。言語研究で大きな影響 を受けた人物はチョムスキーであるとしながらもピンカーは、チョムスキーの講義を 受講したことはあっても、チ望ムスキーと共同で研究をした経験はないとしている。. しかも両者共に同じマサチューセッツ工科大学で働いていたにもかかわらず、会うこ とは滅多になかった(スウェイン(渡辺政隆訳)2000,2u頁)。ピンカーは、2003年ま. でマサチューセッツ工科大学で勤務した後、ハーバード大学へ移り、現在もハーバー 15.

(18) ド大学の心理学研究室教授として冒々研究を行っている。. 針生(2006)によると、1980年代からの言語研究の変化について、ヒトの言語の特別. なところとは、ヒトにあってほかの動物にみられないことをみつけることであったと 述べている。それを解明する糸口となるのが「何が言語を支える生得の能力なのか」と. いう課題であった。言語にかかわる研究全体のなかで、動物を対象にした研究の位置 づけも変わってきた。研究の当初は、類人猿には言語が獲得できたかどうかというこ とからすぐに、言語はヒト固有の生得的な能力がどうかが議論されていたが、近年で は、学習をサブタイトルに分け、そのサブタイトルごとに、ヒトに可能なことがほか の動物にも可能かどうかが丁寧に検討されるようになったとしている。. 1980年代当時の課題であった「言語を支える生得的な能力jについてピンカー (1995)は、「認知科学7」の研究によって、「言語を支える生得的な能力」だけではなく、. 言語のさまざまな側面についても明らかになっているとして、認知科学の成果を高く 評価している。. しかし、ピンカー(1995)は、言語能力の謎が次々に解明されるにつれて、言語と言. 語能力が社会生活に果たす役割をどう理解するか、ひいては、人間という存在をどう 理解するかということに一大変化が起きていることも合わせて理解しておく必要があ ると述べている。ビンカ]が指摘レた一大変化の中身とは、ある程度の教育を受けた 人の大半は、言語について先入観をもっていることであった。その先入。観により、言. 語とは人類のもっとも重要な文化的発明品であり、さらに子どもは周囲の大人をモデ ルとして言語を習得するといった認識が生まれてしまったとしている(S.ピンカー小 椋直子訳)上巻1995,18頁)。. ピンカー(1995)は、言語は文化的人工物ではなく、時計の見方や政府の仕組みを習. うようには習得できないものであり、言語は、人間の脳のなかに確固とした位置を占 めており、その特殊で複雑な技能を自然発生的に発達させてきたと述べている。さら に、人間は言語の根底にある諭理を意識することなく言語を操り、講の言語も質的に は同等であり、言語能力は、情報を処理することや知的に行動するといった一般的能 力と一線を画しているという。ビンカ』(1995)によると、一’部の認知科学者は言語を 「心的能力」、ゼ精神器官」、「神経システム」、「演算モジュールjなどと呼ばれるが、ピ. 16.

(19) ンカー自身は、時代がかった表現ではあるが「本能」と呼びたいとしている。. ピンカーが言語を「本能」であるという背景には、大半の人がもっている言語につい. ての先入観はすべて聞違いであると気付かせるためであった。ピンカーは、行動主義 や相対主義が一般化した現代社会へ、言語は生物学的本能の巧みな産物であるという 視点から出発して、日常の「ことば」に尊厳を取り戻すために「言語本能諭」という新た. な理論を生み出した。言語本能論は、これまでさまざまな学問分野に分かれ、一見互 いに関連のないテーマで言語を研究してきた結果を、広大な領域の全体像として提示 するために多々引用して論を展開している。言語本能論のなかで特に大きな影響を受 けている理論が、チョムスキーの「生成文法」である。 ピンカー(1995)は、20世紀を通じてもっとも有名な言語本能類似説がr生成文法」 であるとして、「生成文法」が、はじめて言語にまつわる幻想を取り払い、言語という. 体系の複雑さを世に知らしめ、言語学と認鋼科学に一大革命をおこした理論だとして いる。さらにチョムスキーの「生成文法」が一大革命を起こした時代について、1950 年代の牧会科学では、行動主義に席捲されていた。「知る」・「考える」といった精神炸 薬を表す言葉は非科学的という烙印を押され、「精神」・「生得」などは口にするのもは. ばかれる時代であった。当時の行動主義は、ネズミが横棒を倒すことやイヌが特定の 音を闘いてよだれを垂らすことを観察した点から、刺激反応学習についての法則が導 き出され、ひと握りの法則によって、あらゆる行動が説明づけられた時代であった(S. ピンカー(小椋直子訳)上巻1995,25頁)。. ピンカー(1995)によると、行動主義に席捲された1950年代にチョムスキーが、言. 語に関する基本的事実を二つ指摘したことは、大きな功績であり、20世紀の言語学 に革命を起こした理由であると述べている。. ○第1として、ある人間の発する文はほぼすべて、単語をまったく新しい順に並べた もので、市場にその前例を見ない。したがって、言語が反応の総目録であるはずが なく、脳内には、有限の単語リストから無限個の文を作り出すプログラムがあるに 違いないとして、このプログラムを「心的言語」と呼んでいる。. ○第2として、子どもは正式の指導を受けることなく、複雑な文法を短期間に身につ 17.

(20) け、はじめて出会う新しい文の構造をも一貫したやり方で理解するようになる。子 どもは生来、あらゆる言語に共通する文法の青写真というべきもの備えているに違 いないとして、「普遍文法」によって子どもは、両親の発話から統語構造パターン を抽出する方法を知るとしている。. 二つの基本的事実を指摘したチョムスキーの生成文法理論は、20世紀の学間の基 盤の一つである「社会科学の標準モデル」つまり、人間の精神は、文化環境に応じて 形成されるとする考え方だった社会では、激しく人を刺激した理論であった(S、ピンカ ー(小椋直子訳)上巻1995,27頁)。. ピンカー(1995)によると、言語本能諭は、チョムスキ山の理論に深く影響している. が、チョムスキー理論と全て同じでは准いとしている。チョムスキー理論との違いと しては、言語を人間の器官として見た場合に、C.ダーウィンの自然淘汰説に懐疑的で あるかどうかが大きく異なる点であるとしている。. ピンカーは、言語も目などと同様に適応発達し、自然淘汰説を組み込みながら、主 要な部分が重要な機能を受け持つような形になってきたと考える方が研究の実りが多 いと考えている。さらにピンカーは、チョムスキー理論の欠点として、形式主義の難 解な表現が多用されているが、血のかよった発話者についての議論はいいかげんであ り、具律性に欠けるとしている(S.ピンカー(小椋直子訳)上巻1995,28頁)。ピンカーは、. たまたまチョムスキー理論に賛同しているが、人間の精神についての理論が説得力を. 持つには、多方面からの現実に則した証明が不可欠であるとして、DNAが脳を作り 上げる過程から新聞コラムニストの尊大さまで、広範なテーマを散り上げて言語本能 諭を展開していく(S.ピンカー(小椋直子訳)上巻1995,29頁)。. 1言語の歴史を探る分野。祖先が同じであることが確実に分かっている複数の言語を比較 し、その祖先に当たる言語はどのような特徴をもっているのかを推測する学問分野である。 2単なる個別の音ではなく、意味の区別に関与する働きがある音をさしている(丸山圭三郎 2008,205頁)。. 3ソシュールによる意味の定義は、混滝とした「思想」を切り取ったものだとしている。 町田(2003)によれば、「思想jの]]三体がはっきりしないことから、現実の世界だけでなく、. 頭の中で考える想像上の世界にあるモノや事柄の一部を切り取って、ことばの性質を表す ものが「意味」であることにしておくという。. 18.

(21) 4ギ能記」(シニフィアン)や「所記」(シニフィエ)は、ソシュ』ルが作ったものでありフ ランス語で常用される単語ではない(町田健2003,102頁)。 5ソシュールの学説を直接継承したわけではない言語学派であり、人間のことばをできる だけ客観的に分析するために、科学的な言語研究を目指して活動した学派(町日ヨ健2006, 18頁)。. 6ブルームフィールドが始めた文の構造についての分析方法であり、どんな文でも二つず つの部分に分けられ、最終的には個々の単語にたどり着くという考え方により、文の構造 を表そうとする方法(町田健2006,19頁)。. 7知能(推論、知覚、言語、機能、動作の制御)を研究する。実験心理学、言語学、コン ピュータ科学、哲学、神経科学など、複数の学閥分野のそれぞれ一部にまたがる研究法(S. ピンカー(小椋直子訳)上巻1995,306頁)。. 19.

(22) 第二章 ピンカーの言語本能諭 第一節 言語の生得的な側面と経験的な側面 これまで長い間、言語能力については「生1得か経験か」という激しい論争が繰り広げ られてきた。現在でも論’魚は続いているが、近年トラバント(2005)によって、「言語能. 力は先天的である1」と言語生得説が受け入れられている。トラバントによると、先天. 的な言語能力とは、統語諭的能力と呼ばれる語や構文法を形成する能力だけであると 断定している(トラバント(大関達也訳)2005,285頁)。. ピンカーが生得的な言語能力を「言語本能」と表記したことから言語に関わる全て のことが生得的であると誤解されやすいが、ピンカー(1995)は、特定の言語のいかな る語も生得的ではないと」示している。. 統語論的能力が生得的であることを「言語は本能である」と大胆に表現したピンカ. ーは、20世紀末にアメリカの言語学会において、新たな旋風を巻き起こし、アメリ カにある多くの心理学賞を受賞した人物である(原口1995,3王9頁)。. ピンカーが言語本能論を打ち出した背景としては、N.チョムスキーの「生成文法」か. らの影響を大きく受けている。ビンカ]が「言語本能」と提唱する基盤となるのは、 前章でも取り上げたチョムスキーの言語生得説であった。 しかし、ピンカー(1995)によると、言語が人間にとって生得的に存在する点では、. チョムスキー・ピンカー共に同じであるが、言語の起源についてC.ダーウィン流の自. 然淘汰説で説明可能かという点では、チョムスキーは懐疑的であったところが二人の 理論の違いになったとしている。そこでピンカー(1995)は、「言語が普遍的に存在する. からといって、言語の普遍性がそのまま生1得の言語本能であるとは言えない2」ことか ら、ダーウィン流の自然淘汰説により言語は本能であることを証明しようとしている。. そして、言語が本能であると証明するために、これまで多くの言語研究家の様々な研 究結果を証拠としながら、言語が人間に生得的に備わっている本能の一部だと熱心に 紹介している。. ピンカーは、言語が本能であると証明するために、現代人の発話から文法遺伝子に 至るまでの道筋を明らかにする必要があると考えた。ピンカー(1995)によると、こ二の. 道筋を明らかにするためには、幼児の言語発達から証拠を求める必要であると考えた。 20.

(23) それは、r言語が普遍的に存在するのは、子どもが現実に言語を再発明するからだ3」 というビンカー自身の考え方を証明するためであったからである。ピンカー(1995)に. よると、子どもが言語を再発明するのは、教えられたわけでもなく、賢いからでもな く、そうすることが便利だからでもない。子どもは、再発明をせずにはいられないか らだとして、幼児の言語発達に興味深い仮説を立てて検証を行っている。. 言語本能を検証するにあたりピンカーは、二つのテーマを挙げている。一つ目は、 言語の誕生と現在までの変化について、二つ目は、脳のどこかに存在する言語を司る 部位の探索についてである。テーマの検証には、さまざまな研究家の研究結果をふん だんに盛り込んでいる。. 一つ目の検証は、言語の誕生と変化についてであった。世界各地にあれこれと存在 する言語が、どのように生じてきたかという歴史的な面で言語学者は、厄介な問題に 直面した。それは重要な出来事が起こった瞬間に、話もなにが起きたかを記録してい ないという問題であった。史的言語学者も現代語を比較して、より以前の言語を想定 することが出来たとしても、それでは問題を一段さかのぼらせたにすぎない(S.ビンカ ](小椋直子訳)上巻1995,40頁)6そこでピンカーは、人間ヂ手干と々どゼロの状態か. ら複雑な言語を創造していく過程は見られないかと疑問を抱き、その疑問を解決する 研究結果としてrピジン言語」の研究に行き着いたのであった。 ビンカ](1995)によると、大西洋をはさんだ奴隷貿易と南太平洋の年季奉公制産が、. 世界史上の二つの不幸な出来事だとしている。二つの出来事により、異なる共同体の 人間が大量に移動させられ、大量に輸送された人間たちは、タバコ、綿花、コーヒー、 サトウキビを生産する大農場の労働力であった。. 農場主のなかには、あえて母国語が異なる奴隷や労働者を意識的に集めた者、特定 の人種で統一したいと思いながらも不可能だった者など様々な場合があった。それぞ れの農場に集められた奴隷や労働者たちは、「ことば」の通じない者どうしが共同作業 をしなくてはならず、初めのうちは困難な作業が強いられた。. しかし、互いに言語を学ぶ機会もない状況で奴隷や労働者たちは、互いに意思疎通 を行うために、その場しのぎでも混合語を作るしかなかった。それにより誕生した言 語が「ピジン言語」であった。入植者や農場主の言語から借用した単語を並べたもので 21.

(24) あり、語順が変化しやすく、文法規則はほとんどない。現在の南太平洋で使われてい る「ピジン英語」のように、ピジンが混成共通語になり、数十年がかりで徐々に複雑 さを増すこともときにはある不安定な言語である(S.ピンカー(小椋直子訳)上巻1995, 40頁)。. ピンカーは、言語の誕生と変化について「ピジン言語」を言語の誕生と位置付け、言 語の変化については、言語学者のD.ビ7カートン(1926うの研究を参考にしている。 ピッカートン(1985)によると、ピジン言語はあるとき一挙に複雑な言語に変身する. ことが多々あるとした。複雑な言語に変身させる条件としては、子どもの集団が母語 を獲得する臨界期に、両親の母語ではなく「ピジン言語」に接することであるという。. 子どもが両親から離れて、保育所のような場所へ一同に集められる仕組みがプランテ ]ションにはあり、面倒をみる人間が「ピジン言語」で子どもたちに話しかければ、こ の条件は満たされるとした。さらにピンカー(1995)によると、子どもたちは断片的な. 単語の連なりを真似するだけでは満足せず、複雑な文法を織り込み、表現力に富んだ まったく新しい言語を作り上げ、子どもがギピジン言語」を母語とした場合に出環する 言語を「クレオール」と呼ばれると説明している。. ピッカートンの研究により、「クレオール」が誕生した事実が20世紀直前のハワイ で確認されている。当時ハワ。イでは、サトウキビ生産がブームを迎え、現地人だけで. は労働需要がまかないきれなかった。そこでアジア地域(日本、中国、朝鮮、フィリ ピニ/)や南米地域から労働者が集められることとなった。多くの労働者が集まったこ. とで、当然のことながら母語が異なる集団が形成され、自然と「ピジン言語」が発生 していった。ピッカ㎞トンが現地で聞き取り調査を開始した1970年代は、「ピジン言 語」を生み出した世代(第一世代)の労働移民の多くが存命であり、貴重なデータ収 集ができた(S.ピンカー(小椋直子訳)上巻1995,41頁)。. ピッカートンが行った「ピジン言語」の調査結果について、ピンカー(1995)は、ギピジ. ン言語」を作り出した第一世代の発話の特一徴をまとめている。まず、聞き手が話し手の. 意図を推察する必要があるが、単純な単語の並びだけであり、それ以上の複雑な文構 造が存在しない。複雑な文構造が存在しないことで話し手としても意図を正確に伝え きれないもどかしさがあるとしている。しかし、1980年代以降にハワイでピジンに接 22.

(25) して育った子ども世代(第二世代)となると、話し方が大きく様変わりした。 ピッカートン(1998)によると、ハワイクレオールは、言語の大部分を英語に由来す. る語形を持つ語彙を用いている。しかし、文法は英語と異なり、ハワイヘ移民した者 たちの母語文法でもなく、現地のハワイ語の文法でもない。ハワイクレオールは、世 界の他の地域で生じたクレオール諸語の文法と同類であったとしている。この事実に ピッカートン(1998)は、人間が通常の方法で言語の諸特性を「学習する」際の特定のモ. デルがない場合には、言語を再創造するという人間特有の生物学的特徴をクレオ㎞ル 諸語が、他に例を見ないほど直接的な形で具現させるこ二とを示しているという。ピジ ンのクレオール化が、ピンカーの考えであったr子どもが言語を再発明する」ことを証 明する研究であった。. さらにピンカーは、クレオール化を行う子どもとして、聴覚障害者の手話に関する 研究に注目している。ピンカー(1995)によると、手話に関しては間違った認識をして. いる人が多くいることを指摘している。例えば、手話は、身振りやパントマイムと同 じ種類、教育者が作り出したもの、周囲の話し言葉を暗号化したものなどである。さ らにピンカー(1995)は、聴覚障害者の共同体があれば、そこには必ず手話も存在し、 手話は独立した.完全な言語であると示している。. 手話のクレオール化が起こった実例について、ピンカー(1995)は、中.央アメリカに. あるニカラグア共和国を挙げている。ニカラグア共和国では、20世紀後半頃まで聴 覚障害者は、それぞれ孤立した状況に置かれており、彼らのコミュニケーションは、 身近な健常者と身振りでやりとりする程度であった。. その後、1979年に新政権が成立したことにより、教育制度が改革され始めた。各地 では聾学校が設立され、それをきっかけとして聴覚障害者同士の交流が活発になった。. しかし、学校では口話(発話者の唇を読んで内容を理解すること、自分自身も声を出 す話し方)が推奨されていたが、これといって口話の成果は得られなかった。その背 景としては、学校生活のなかで、子どもたちはそれぞれの家庭で使っていたその場し. のぎの身振りを持ち寄ることで、独自の手話を発明したからであった。のちにヒガ ラグア手話(略称L SN)」と呼ばれるもので、この手話を発明した聴覚障害者は、当. 時10歳から18歳であった。彼らは成長した現在でも、流暢さの違いこそあれ、LS 23.

(26) Nを使っている。L S Nはその場しのぎで誕生した言語であるため、大ざっぱな表現. が多くrピジン」に相当するものである。使い方は人それぞれで、一貫した文法体系 はなく、回りくどい表現によって大体の意味を伝えるしかない言語であった(同上、45 頁)。. しかし、ピンカー(1995)は、L SNがすでに存在する聾学校に就学した4歳以下の 子どもたちになると、状況が一変するという。それは、低年齢で手話を獲得した子ど もたちの手話はL S Nよりも滑らかで無駄が准く、身振りも形式化が進み、パントマ イムとはいえなくなっている。さらに新たに誕生した手話は、詳細に観察された結果、 L S Nとは区別された。名称は「ニカラグア・イディオム手話(略称I S N)」といわれ. る。さらにI S Nについては、一貫した文法表現が誕生したことでこれまでのL S N. に欠けていた文法的表現手段を補足している。それによりI SNの表現力は大幅に強 まり、自由自在に語ることができる手話となった(S.ピンカペ小椋直子訳)上巻1995, 46頁)。. ピンカー(1995)によると、I S Nは、多・数の子どもたちが意思を伝え合うことによ. って誕生した集団の産物であるした。このことからビンカ㎞〈i995)は、子どもの脳が. 言語の豊かさを支えるのであれば、ある一人の子どもが、外部からのインプットに文 法的豊かさを少しでも付け加える現場を見てみたいと考えたのであった。このピンカ ーの願いもまた聴覚障害者の研究によって叶えられた。. 聴覚障害児の両親が手話を使っている場合は、障害のない子どもが話しことばを覚 えるのと同じように、手話を覚えていく。しかし、両親に障害がない場合は、手話を 使う人と接触のないまま、聴覚障害児は成長することが多い。聴覚障害児を教育にあ たる者が、口話方式を推奨すると、意図的に手話使用者から遠ざけられることさえあ る。そのような場合でも成人すると、同じ障害を持つ人たちと接していき、表現に富 んだ手話を学びはじめる傾向が強い。しかし、時すでに遅く、大人になってから外国 語を学ぶのと同様に、手話を頭で理解し、覚えようと苦闘することになる。苦労して 手話を身につけても、幼児のころから手話を覚えた人よりたどたどしい。大人の移民 が生涯、なまりや文法の間違いにつきまとわれるのと同様である。しかも、精神学的 に正常でありながら、言語を獲得しないまま成.火するという事態は、聴覚障害以外に 24.

(27) ほとんどおこりえない。その場合、言語を獲得するのに非常に苦労一するという事実は、. 幼児期の臨界期でなければスムーズな言語獲得は望めないという貴重な証拠である(S, ピンカー(小椋直子訳)上巻1995,47頁)。. 聴覚障害が扱う言語としての手話について、ピンカー(1995)は、手話自体がクレオ. ール化の産物であり、音声言語をもとにするなどをして、手話を作り出そうとした教 育者は、過去何人もいるが、人工的な手話は習得が困難で、たとえ聴覚障害児がそれ を学んだとしても、学んだ段階ですでにクレオール化が行われ、豊かな自然言語に変 身しているという。. ピンカー(1995)によると、子どもの言語能力が驚くべき創造性を発揮するには、聴. 覚障害やプランテーションなどといった特殊な環境条件など必要ないとした。幼児が 母語を習得する過程では常に、同様の言語能力が発揮されているという。そして、特 殊な環境条件ではなく一般的な言語獲得の際には、まず、子どもに言語を教えるのは 両親であるという迷信を取り除く必要がある(同上、49頁)。. 事実として、両親がきちんと文法を教え込むなどと思う人はいないが、母親が暗に 言語を教えると思い込んでいる人が多くいる。ピンカー(1995)によると、現代アメリ カの中流階層は子育てを重大な責」務と考える傾向があるとして、わが子が人生という. 大競争に落ちこぼれないように、ありとあらゆる手を尽くすとしている。ヤッピー4た ちが「学習センター」に駆けつけて、的の模様のついたミトン(赤ん坊が自分の手の存. 在に気づくのが早まるという代物)を買い込むのも、母親語による暗黙の授業が言語 発達に欠かせないと信じるのも、同じ心境から起こ二るものであると述べている(同上、. 50頁)。ピンカーは、現代社会のなかに蔓延している子育でのさまざまな思い込みや 迷信について、注意を促している。そして、ピンカーは子育ての方法が共同体によっ て異なる事例をいくつか挙げて、現代社会の子育て迷信を打破しようとしている。 ビンカ](1995)は事例の一つとして、アフリカ南部、カラハリ砂漠に住むクンサン. 族という部族の子育てを紹介している。クンサン族では、座ったり、立ったり、歩い たりすることまで、子どもに教え込む必要があると信じている部族である。例えば、. クンサン族では、赤ん坊の腰の周りを砂で固めて、座った姿勢を保たせる。この行為 を繰り返すなかで赤ん坊は、そのうち自力で座れるようになるが、この行為を滑稽に 25.

(28) 思うことは、幼児の身体的発達を経験上、知っている文化圏の人間だからかもしれな い。しかし、現代社会の文化圏では子どもについて重要な実験研究があったとしても、 クンサン族には滑稽に見えるかもしれない(S.ピンカー(小椋直子訳)上巻1995,50頁)。. しかし、現代社会の子育てを笑う文化圏もあり、親が子どもに赤ちゃん言葉で語り かけをしない社会は少なくない。子どもが言語を獲得しないうちは、命令や叱る以外、. まったく話しかけない文化圏も存在する。ピンカー(1995)によると、親が子どもに話. しかけない社会でも、子どもは大人や年長の子どもが話し合っているのを闘いて、何 の支障もなくことばを覚えるという。そして、子どもが言語を獲得するうえで、最大 の功労者は子ども自身であるとしている。その理由についてピンカー(1995)は、子ど も自身が闘いたことのない文章を作り出してしまうことから、それを可能にするのは、. 言語の基本構造が生得のものであり、どんな言語も文法的ルールに従っていることか ら潜在的な言語能力の停在を提言している。. 次に二つ目の検証について、脳のどこかに存在する言語を司る部位の探索である。. ピンカーによる仮説は、言語を司る遺伝子または、神経単位があるとす札ば、その部 分が損傷した場合、言語だけが損なわれるはずである。逆にいうと、その一部分以外の. 脳が損傷を受けた場合は、さまざまな知的行動が損なわれても、言語を話す能力だけ は残ることになる。さらに、言語を操るのに、知恵が必要となれば、知力が減退した 場合、言語を含めてすべての知的能力が失われるはずであると考えた(S.ピンカー(小 椋直子訳)上巻199δ、59頁)。. ピンカー(1995)によると、これまでの研究では、ある種の神経や遺伝子が損傷を受. けると、認知力は損なわれずに言語能力だけが減退することやその逆の現象が起きる という例がいくつか見られるという。. そのなかの一つとして、まずブローカ失語症5の例を挙げている。ブローカ失語症の. 特徴としては、文法的処理機能の欠陥があり、発声に必要な筋肉に問題はないが、発 話の際は、単語が一つずつ、途切れとぎれで行われる。筋肉に闇題があるわけではな い証拠として、文字を書くとき、話すときもゆっくりと非文法的な表現が起こるが、 単語の意味、ものを名指すこと、ものの名前を認識することは支障なく行える(S.ピン カー(小椋直子訳)上巻・下巻1995,62頁、117頁)。. 26.

(29) 次にヒツカー(王995)によると、成人してからの損傷が原因ではなく、心身ともに健. 康であるが、言語発達が遅い子どもに着目している。ようやく話し始めても、最初は 明瞭な発話ができず、発話は年齢とともに改善されるが、成人してからも文法的な間 違いに悩まされることが多い症状がある。このような症状は、「特定言語障害(SLI)」. という診断が下されるという。SLIは知識全般に問題があるわけではなく、言語能力 だけに問題が現れる。ブローカ失語症とは様相が異なり、話し方はゆっくりしていて、. 頭の中で文章を組み立ててから口に出すが、それでも、代名詞の間違い、複数や過去 形などの使い方を間違えることが多い点が特徴としている(S.ピンカー(小椋直子訳)上 巻1995,64頁)。. ピンカー(199δ)は、ブローカ失語症や特定言語障害(SLI)は、言語だけに障害が. 現れ、その他の知的能力はほぼ損なわれない例であると紹介しているが、言語能力と 矢口能が別のものだという証明にはならないとしている。そこでさらに、先天的な脳の 障害である「おしゃべり症候群」を挙げている。. おしゃべり症候群とは、読み書きができず、目覚生活に必要な作業はまったくでき ないが、言語能力は損なわれず、むしろ発達しすぎる締果になる。その他にも、.精神. 分裂病患者、アルツハイマー患者、一部の自閉症児、一部の失語症患者など、重度の 知的障害を持ちながら、文法的に正しくなめらかに言語を話せる例は少なくないとし ている(同上、68頁)。. ここれまでの事例を踏まえてピンカー(1995)は、人間が言語を習得する条件として、. 決定的に重要な遺伝子や脳の回路がわずかに欠けていると、言語を習得する完壁なプ ロセスが存在したとしても、なめらかに言語を使いこなす事ができないとした。二の ことからピンカーは、言語は脳内に存在する人間の本能であると主張している。. しかし、どンカーが「言語は本能である」と紹介したことに対して、「言語は本能 ではない」と激しく批判をする人物が登場した。その人物とは、アメリカの認知心理 学者M.トマセロ(1950・)である。. トマセロ(200δ)によると、そもそも本能とは、(a)行動的表現における相対的に型に. はまったものであり、(b)一群の種に典型的な経験から切り離されて育った個体の場合. にさえも、個体発生において現れるような行動的能力あるいは一群の行動的諸能力で 27.

参照

関連したドキュメント

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

子どもが、例えば、あるものを作りたい、という願いを形成し実現しようとする。子どもは、そ

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その

話者の発表態度 がプレゼンテー ションの内容を 説得的にしてお り、聴衆の反応 を見ながら自信 をもって伝えて

関西学院大学手話言語研究センターの研究員をしております松岡と申します。よろ

今回の調査に限って言うと、日本手話、手話言語学基礎・専門、手話言語条例、手話 通訳士 養成プ ログ ラム 、合理 的配慮 とし ての 手話通 訳、こ れら

◯また、家庭で虐待を受けている子どものみならず、貧困家庭の子ども、障害のある子どもや医療的ケアを必

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば