氏 名 手 塚 健 二 学位(専攻分野の名称) 博 士(バイオサイエンス) 学 位 記 番 号 甲 第 657 号 学 位 授 与 の 日 付 平 成 25 年 9 月 30 日 学 位 論 文 題 目 シロイヌナズナから作出された新奇耐塩性変異株の生理学的 および分子遺伝学的解析 論 文 審 査 委 員 主査 教 授・農 学 博 士 林 隆 久 Ph.D. 竹 澤 大 輔* 教 授・農 学 博 士 新 村 洋 一 教 授・博士(農学) 坂 田 洋 一 准 教 授・博士(理学) 太 治 輝 昭 論 文 内 容 の 要 旨 現在,世界 100 カ国以上で,特に灌漑によって引き起 こされる土壌の塩類集積が作物生産に影響を及ぼしてお り,耐塩性の強い作物の作出が求められている。塩類, 主に NaCl の過剰集積は植物にストレスを与え,生育を 阻害する。植物がもつ過剰の NaCl に対する耐性機構と しては,液胞へのナトリウムイオンの隔離,適合溶質合 成・蓄積によるサイトゾルの浸透圧調節,細胞外部への ナトリウムイオンの排出,プロトンポンプ ATPase に よる細胞外部および液胞へのプロトン移行などが報告さ れ て い る。主 に シ ロ イ ヌ ナ ズ ナ(Arabidopsis thali-ana)を用いた分子遺伝学的研究から,これら耐性機構 を担うタンパク質遺伝子の同定が進んでいる。シロイヌ ナズナ由来の AtNHX1(Na+/H+アンチポーター)を 過剰発現するアブラナ科 Brassica napus は過剰の塩が 存在する環境でも良好に生育し,種子の収穫量と油につ いても野生型株と差異がなかったことを発表している。 Na+/H+アンチポーター以外にも,細胞内浸透圧調整物 質の適合溶質であるプロリンを蓄積するトランスジェ ニック植物は,NaCl ストレスにより発生するフリーラ ジカルが抑えられることが報告されている。耐塩性機構 を司る遺伝子の同定は NaCl 耐性を有する植物の作出に 貢献することが期待される。 本研究は,耐塩性に関わる新規遺伝子の同定を目的と して,アクティベーションタギング法を用いて作出され たシロイヌナズナ耐塩性変異株について,この変異株の NaCl 耐性がどのような機構で生じているものであるの か明らかとすることを目的とした。耐塩性変異株の生理 学的解析および分子遺伝学的解析から,水分ストレス応 答 に 重 要 な 植 物 ホ ル モ ン の ア ブ シ ジ ン 酸(abscisic acid : ABA)のシグナル伝達系が耐塩性に関与している ことが示された。さらに原因遺伝子の同定に成功し,耐 塩性は ABA 応答性遺伝子の発現制御を行う転写因子と して報告されている ABA-INSENSITIVE5(ABI5)に 1 アミノ酸置換が生じることによることが明らかとなっ た。このアミノ酸置換により引き起こされる ABI5 の機 能変化を様々な観点から検証することにより,耐塩性に 関わる遺伝子群の発現制御機構について考察を行った。 1. シロイヌナズナ耐塩性変異株 mh31 の単離と生理 学的解析 変 異 株 の 作 出 は,シ ロ イ ヌ ナ ズ ナ 野 生 型 株 Ws (Wassilewskija)由来のカルスのアクティベーション タギングによる形質転換によって行われた。形質転換カ ルスを 150mM 塩化ナトリウム(NaCl)を添加した シュート形成培地へ移し,NaCl 耐性を示して形成した シュートを耐塩性変異株候補として選抜された。耐塩性 変異株候補の次世代種子 T1 を,150mM NaCl 添加培 地にて発芽試験にかけることで,野生型株 Ws と比べて 著しい耐性を示す NaCl 耐性変異株 mh31 が選抜され た。 次に,mh31 株の植物個体としての耐塩性の評価を 行った。まず,様々な濃度の NaCl を含む培地上で発芽 試 験 を 行 っ た と こ ろ,mh31(abi5-9)変 異 株 は 175 mM NaCl 添加培地まで有意に野生型株よりも NaCl 耐 性を示した。この抵抗性が植物体の成長時においても維 持されるものであるのか調べるため,通常生育培地にて 発芽成長させた幼植物を NaCl 添加培地へ移し,培養を 行った。その結果,mh31 変異株は野生型株と同様に葉 ─ 1 ─ *埼玉大学准教授(植物生理学)
の白化を生じ,根伸長が停止した。これらの結果から, mh31 変異株の耐塩性は発芽時のみに観察されることが 明らかとなった。NaCl はイオンストレスと浸透圧スト レス二つのストレスを植物に与える。mh31 変異株の示 す NaCl 耐性が,イオンストレス・浸透圧ストレスのど ちらの耐性に起因するのかを明らかにするために,浸透 圧ストレスのみを与えることのできるマンニトールを用 いて,mh31 変異株の発芽時期における浸透圧ストレス 耐性を評価した。mh31 変異株は,野生型株よりも有意 に高い緑色葉形成率を示したが,塩化リチウムに対して は耐性を示さないことが示された。この結果から, mh31 変異株の耐塩性は浸透圧ストレス耐性に起因する ことが強く示唆された。植物は発芽時期の水分ストレス に応答して,植物ホルモンであるアブシジン酸(absci-sic acid : ABA)を介して発芽成長を停止することが知 られている。mh31 変異株の示す浸透圧抵抗性に, ABA が関与するかを調べたところ,mh31 変異株は ABA 添加培地において,野生型株よりも有意に高い発 芽率を示した。本実験により,mh31 変異株は ABA 低 感受性変異株であることが明らかとなった。 2. mh31 変異株原因遺伝子の分子遺伝学的解析 野生型株(Ws)と mh31 変異株を掛け合わせて得ら れた F1 種子の耐塩性評価を行ったところ,mh31 変異 株と同様の耐塩性を示したことから,mh31 変異株が示 す発芽時期の NaCl 耐性は優性遺伝形質であることが明 らかとなった。このことは,mh31 変異株がアクティ ベーションタギング法によって得られたことと一致して いた。CaMV 35S 4×エンハンサーをライトボーダーに 有する T-DNA は第一染色体上腕部の遺伝子 At1g11730 と At1g11735 の間の非遺伝子領域に位置していた。RT-PCR 法により T-DNA 近傍にて過剰発現する遺伝子を 探索したところ,At1g11735 と At1g11740 が mh31 変 異株において過剰発現していた。これら遺伝子が mh31 原因遺伝子であるのか確かめるため,各遺伝子について 過剰発現コンストラクトを作製し,野生型株に導入した 形質転換体を作出した。無作為に 3 ラインをとり, NaCl の抵抗性を調べたが,どのラインも発芽時期の NaCl 耐性を示さなかった。mh31 変異株の NaCl 耐性 が,T-DNA 近傍における遺伝子の過剰発現に由来する ものではないことが考えられたため,原因遺伝子の分子 遺伝学的解析を試みることとした。野生型株(Col-0) と mh31 変異株(Ws バックグラウンド)を掛け合わせ て得られた F1 種子の次世代(F2 種子)を得て,ABA 感受性と浸透圧耐性について SSLP マーカーを用いた 遺伝学的マッピングを行った。その結果,ABA 感受性 と浸透圧耐性のどちらも,第二染色体下腕部に位置する SSLP マーカー CZSOD2 と NGA168 の両方について強 い連鎖を示した。これらマーカー近傍には,ABA シグ ナル伝達系において重要な働きをもつ ABI5(ABA-INSENSITIVE5)と ABI4(ABA-INSENSITIVE4) が位置していた。これらが mh31 変異株の原因遺伝子 であることが考えられたため,これら遺伝子のタンパク 質コード領域の塩基配列解析を行った。mh31 変異株の ABI4 においては変異は認められなかったが,ABI5 に おいてはアラニンからグリシンへの 1 アミノ酸置換を伴 うヌクレオチド C から G への 1 塩基置換が見つかった。 この ABI5 における変異が mh31 変異株の原因である ことを確認するため,ABI5 機能を完全に欠損するシロ イヌナズナ abi5-1 変異株と mh31 変異株との相補検定 を行った。abi5-1 変異株と mh31 変異株を掛け合わせ て得られた F1 種子は,ABA 低感受性を示し,互いに 相補することができないことから,mh31 原因遺伝子 は,ABI5 に 1 アミノ酸置換を生じる新規 abi5 アリル (abi5-9)であることが明らかとなった。以下,mh31 変異株を abi5-9 変異株と記述する。また,このアミノ 酸残基 Ala 214 は,Arabidopsis Group A bZIP にて保 存された conserved region 3(C3)に位置するアミノ酸 残 基 で あ り,こ の 領 域 は 転 写 因 子 ABI3(ABA-INSENSITIVE3)との物理的結合する領域であること が知られていた。 3. abi5-9(mh31)変異株と,ABI5 機能の完全な欠 損株の abi5-1 変異株の浸透圧抵抗性およびアブシジン 酸感受性 abi5-9 は完全長タンパク質をコードするため,bZIP を持たないタンパク質の abi5-1 ほど ABI5 機能へ影響 が現れないと思われた。それを調べる目的で,abi5-9 (mh31)変異株と abi5-1 変異株の ABA およびストレ ス応答の比較を,NaCl 添加培地,マンニトール添加培 地および ABA 添加培地にて発芽検定により行った。 abi5-9(mh31)変異株は,NaCl,マンニトールおよび ABA について耐性を示すが,abi5-1 変異株よりも弱い 耐性であった。下記にて述べている CaMV 35S プロ モーター-sGFP::ABI5 形質転換株と CaMV 35S プロ モーター-sGFP::abi5-9 形質転換株の ABA 応答の発芽 検定による比較においても,CaMV 35S プロモーター-sGFP::abi5-9 による形質転換は,abi5-1 変異株の ABA 応答を回復させたが CaMV 35S プロモーター-sGFP:: ABI5 による形質転換ほどは回復させていなかった。 ─ 2 ─
4. abi5-9 変異が ABI5 機能に及ぼす影響の解析 シロイヌナズナ ABI5(ABA-INSENSITIVE5)は, ABA 存在下で発芽する変異株の原因遺伝子であり, ABA 応答性を制御するプロモーター配列(ABRE)へ 結合する bZIP 型転写因子をコードしている。この転写 因子 ABI5 は,種子および発芽時期にて強く発現し,種 子の成熟期および発芽期に ABA に応答して発現する遺 伝子の発現制御を ABRE を介して行う。種子を乾燥か ら 保 護 す る 親 水 性 タ ン パ ク 質 LEA(LATE EMBRYOGENESIS ABUNDUNT)を コ ー ド す る Em6 は ABI5 が直接発現制御を行う遺伝子として解析 が進んでいる。ABI5 は ABA 応答性キナーゼによりリ ン酸化を受け活性化型となり ABRE に直接結合し,も う一つの転写因子 ABI3 と相互作用して Em6 の発現を 活性化する。本項では,abi5-9 変異が ABI5 の機能に及 ぼす影響を,1)変異株における ABI5 遺伝子の RNA 発現,2)GFP 融合タンパク質における abi5-9 タンパ ク質の発現,3)ABI5 直接の制御下の遺伝子 Em1 と Em6 の RNA 発現,4)abi5-9 と ABI3 との物理的結 合,5)一過的発現系を用いた abi5-9 の Em6 遺伝子の 転写活性化能について解析を行った。 1)ABI5 は自身のプロモーターを発現制御するオー トレギュレーション機構が知られている。ABI5 におけ る A214G 変異が abi5-9 アリルからの発現を低下させて いる可能性が考えられたため,abi5-9 変異株における abi5-9 mRNA 発現の解析を行った。乾燥種子および ABA 処理を行った発芽二日後の植物個体において, abi5-9 変異株はその mRNA を野生型株の ABI5 mRNA と同レベルに発現していることが明らかとなった。この ことから,A214G 変異は自身のプロモーター活性化に は影響を与えていないことが明らかとなった。 2)次に,A214G 変異が ABI5 タンパク質の安定化あ るいは細胞内局在性に影響を及ぼしている可能性を検討 するため,CaMV 35S プロモーター::sGFP-abi5-9 コン ストラクトを作製し,abi5-1 変異株を用いて形質転換 株を得た。この形質転換株において 4 日齢の幼植物の GFP 蛍光を観察したところ,sGFP : ABI5 と sGFP : abi5-9 ともに発現が核で観察された。このことから, ABI5 の A214G 変異はタンパク質の安定化や局在性に 影響していないことが示唆された。 3)ABI5 の A214G 変異が標的遺伝子の発現制御に及 ぼす影響について,乾燥種子と ABA 添加培地にて育て た幼植物体を用いて,Em1 および Em6 の RNA 発現を 調べた。その結果,abi5-9 変異株では,ABI5 機能を完 全 に 欠 損 す る abi5-1 変 異 株 と 同 様 に,Em1 お よ び
Em6 の RNA 発現が野生型株と比較して大きく減少し ていることが示された。このことから,A214G 変異は ABI5 の転写活性化機構に影響することが示された。
4)A214G 変異は Group A bZIP にて保存された con-served region 3(C3)に生じており,この領域は転写 因子 ABI3 との物理的相互作用する領域であることが知 られている。A214G 変異が ABI3 との物理的相互作用 に影響を及ぼすことで,abi5-9 タンパク質の転写活性 化能が減少している可能性を検討するため,Yeast-two hybrid(Y2H)法にて,ABI3 と abi5-9 との物理的結合 を 調 べ た。ABI5 お よ び abi5-9 を Gal4-AD(Gal4-activation domain)へ連結したコンストラクトを作製 し,ABI3 については ABI5 との物理的結合することの 知られる B1 領域を含む ABI3 の部分領域を Gal4-BD へ連結したコンストラクトを作製した。これらコンスト ラクトを Y2H 検定に供したところ,abi5-9 は ABI3 と の結合能が ABI5 よりも弱いことが明らかとなった。 5)上記 Y2H 法において abi5-9 は強いオートアク ティベーションを示していたが,これが植物体において も同様であるのかレポーター遺伝子 Em6-GUS を用い て,葉肉細胞由来のプロトプラストにて,CaMV 35S ABI5 および CaMV 35S プロモーター-abi5-9 の一過的遺伝子発現によって,転写活性化能を 調べた。この実験系においても,酵母にて BD-abi5-9 がオートアクティベーションを示したことを反映して, abi5-9 は ABI5 よりも強い転写活性を示していた。 考 察 以 上 の 結 果 か ら,mh31(abi5-9)変 異 株 の 示 す NaCl 抵抗性は浸透圧ストレス抵抗によるものであるこ とが示唆された。mh31(abi5-9)変異株は,浸透圧ス トレス応答に重要な植物ホルモンであるアブシジン酸 (ABA)低感受性を示す変異株であり,その原因遺伝子 として新規 abi5 アリル abi5-9 が同定された。これまで に知られている abi5 アリルにおいて,1 アミノ酸置換 型による顕著な ABI5 機能欠損の abi5 アリルは本研究 が初めての報告である。また,abi5-9 は ABI3 との結合 能を欠損し,下流の標的遺伝子の発現制御に異常を来し ていたが,自身のオートレギュレーションは正常であっ たことから,ABI5 の発現制御機構には ABI3 依存的な 様式と ABI3 非依存的な様式が存在することが示唆さ れ,この abi5-9 変異株は,ABI5 制御下の遺伝子を, ABI3-ABI5 結合を介して制御されるものと,そうでな いものを分類することに貢献すると期待される。 また,一過的遺伝子発現の系にて,abi5-9 は ABI5 よ ─ 3 ─
りも強い転写活性を示したにもかかわらず,遺伝子発現 解析にて abi5-9(mh31)変異株は,abi5-1 変異株同様 に,Em6 の RNA 発現をしていなかった。エンドウ (Phaseolus vulgaris)の ABI3 オ ー ソ ロ グ の PvALF は,ヒストン修飾を介して Phaseolin プロモーターの 転写活性制御に関わる。このことから,ABI3 もヒスト ン修飾を介した Em プロモーターの転写制御をしてい ると推測され,この時期に ABI5 と ABI3 との物理的結 合が Em6 遺伝子の転写活性が最大となるのに重要と なっているのかもしれない。
abi5-9 変異の部位のアミノ酸残基 Ala214 は,con-served region 3 に位置しており,Arabidopsis Group A bZIPs にて保存されたアミノ酸残基であった。abi5-9 変 異を生じた Arabidopsis Group A bZIP を調べること で,これら遺伝子間にて,このアミノ酸残基が機能的に 重要な保存アミノ酸残基であるのか明らかとなると思わ れる。 審 査 報 告 概 要 平成 25 年 2 月 5 日(火)午後 15 時 00 分から本専攻 が 11 号館 2 階バイオサイエンス専攻大学院講義室にて 開催した学位請求のための公開発表会で,学位請求者 手塚健二氏は,40 分間の口頭発表を行い,その後 20 分 間の質疑応答を受けた。発表終了後,主査,副査と専攻 委員による審査会議を開催し,提出論文の内容と本人発 表ならびに質疑応答について慎重に審査した。その結 果,学位請求者の経歴や学術業績が学位記申請の要項を 満たしており,質疑に対する応答が適切だと判断した。 さらに,公表論文に関与した共同研究者との間で学位取 得に関して問題がないことを確認し,当該学位請求論文 の内容が学位授与に相当することを全員一致で評決し た。 よって,審査員一同は博士(バイオサイエンス)の学 位を授与する価値があると判断した。 ─ 4 ─