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山下徳治における発生論の形成 (2) : ドイツ・マールブルク大学における思索

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(1)

山下徳治における発生論の形成 (2) : ドイツ・マ

ールブルク大学における思索

著者

前田 晶子

雑誌名

鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要

21

ページ

145-153

別言語のタイトル

Genetic Approach in Developmental Ideas of

Yamashita Tokuji (2)

(2)

1 「学び」のスタイル

山下徳治が鹿児島で育ち、同郷の小原國芳を介 して成城小学校に赴いたことはよく知られてい る。しかし、彼の鹿児島時代の学校体験が、この 土地に固有の、前近代からの伝統を引き継ぐ「郷 中教育」であったことは、それほど明確にはなっ ていないのではないだろうか。彼は、小学校入学 と同時に地元の学舎に入り、その後も長期にわ たってこの地域性の高い教育機関に関わり続けた ようである。その形跡は多くはないが、ひとつに は、回想録「ころび行く石」の中に、教師を目指 したものの、師範学校が「六歳の幼児期から育て られてきた健児の舎の雰囲気」と合わず、その志 が崩れる思いをした、とあるところから、彼の学 舎経験の大きさを垣間見ることができる1。他に も、学舎再建資金寄付者名簿(1958年)の中に 「森徳治」の名前があること2、上京者で構成さ れる「西田会」(関東地区自彊学舎出身者の会) のメンバーであったことが分かっており3、彼の 舎への関わりが生涯にわたるものであったことは 疑いないといえる。併せて、学舎の年中行事のひ とつである「招魂祭」(11月)で用いられる「物 故者名簿」にもその名が記されていることを付言 しておきたい。 「自彊学舎」と称するこの健児の舎は、山下の 少年期までは「共同塾」と「常磐学舎」が併存し た時代であった(1911年に合併し、「自彊学舎」 となる)。前者は西南戦争後に下級武士により起 こされたもので、舎は西田に移転するまでは「武 士小路」にあったという4。その後は、合併を機 に西田小学校に隣接する場所に移転している。後 者の常磐学舎はより身分の高い武士の居住地に あったとされる。山下家が西南戦争後に製糖業に 従事したことから考えて、山下は、前者の共同塾 に属していたと考えられる。 当時学舎では、員外生(未就学児)、幼年生 (15歳まで)、青年(24歳まで)、特別員(25歳以 上)を分けており、午後3時から組に分かれて約 2時間の自習をおこなっていたという。夜間もま た2時間の出塾があり、勉強と運動が行われた。 「大将防」などの運動活動、朗読会、「 じ げ 字競」と 称する書道の審査会、他にも演説や討論会があっ た。また、徳育を育む行事として、「曽我傘焼」 「妙円寺参詣」「赤穂義士輪読会」「加世田竹田神 社走り詣」「積善会」が行われ、舎の規則に反す る者には厳しい罰則が科された5。 上述の内容は、郷中の人づくりの特徴を継承し ているが、明治半ばには近代学校制度の整備に伴 う性格の変化もあったことが指摘されている。例 えば、自彊学舎と学校教育について論じたものと して、吉田清志の遺稿(『舎史』1970年、所収。 1914年の執筆とされている)がある。彼は、共同 塾時代の「明治21、2年頃」から、学舎の性質が それまでとは変わったことを指摘し、近代学校制 度の整備とともに学校の補習所として再編された と論じている。この動きを担った「改正派」は、 主に師範学校出身者であったとして、これを批判 して「学舎の本領」としての社会教育の意義を明 らかにすることが本論の目的であるとしている。 吉田の「学校教育の補助機関たらしむる勿れ」と いう主張は、当時特に極端なものだったわけでは なく、学舎の舎長を3度に渡って担った白石幸熊 もまた、学校教育は知識偏重であり、就学機会の 延長は「有為の青少年に対し、学舎教育に親しむ

山下徳治における発生論の形成(2)

-ドイツ・マールブルク大学における思索-

前 田 晶 子

〔鹿児島大学教育学部附属教育実践総合センター〕

Genetic Approach in Developmental Ideas of Yamashita Tokuji (2)

MAEDA Akiko

 

(3)

鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要 第21巻(2011) の機会を奪」ったと述べている6。但し、ここで の特徴は復古主義的なものではなく、近代社会に おいて学校教育に続いて登場した「社会教育」と いう概念を用いた学舎の再定義であった。その意 味では、共同塾の設立当初(1878年)から、近代 学校と学舎は対立というよりは棲み分け的な関係 の中で形成されていったとみるべきであろう。 いずれにせよ、山下徳治が中学校中退を経て師 範学校に進み、教員になったという経緯の中に は、近代学校への批判的観点を内在してのもの だったことを、多かれ少なかれ想定する必要があ るだろう。戦後の論考ではあるが、近代学校批判 がいくつかみられる。その一つを挙げておこう。 「学制頒布」による寺子屋教育の廃棄は、日本民族 の人間性の形成と文化の創造を、その根本から脅か す重大事件であったのである。この改変は、「外国 でのすべての事態は輝かしい」という新しい伝統 を、わが国のいわゆる近代的学校教育のうちに、抜 き難い現実として創ってきた。7 前稿で触れたように、山下の教員としての自己 形成が単線的なものではなく、一方で教職へのあ こがれを語りながら、他方で教師を批判し、教職 への関心はなかったとする複雑さは、学舎におけ る学びの経験に根ざすものなのかもしれない。

2 同伴者としての弟・山下兼秀

山下徳治には、9人の兄弟姉妹があったが、弟 の山下兼秀は、自彊学舎の理事長を1961年~1973 年(逝去による退任)の期間にわたって務めた人 物である。彼は、1918年に鹿児島師範学校を卒業 後、小学校教員を務めながら哲学を西田幾太郎、 田辺元、紀平正美らから学んだという。1925年に は、小原國芳や沢柳政太郎の薦めでジャワ島に渡 り、6年間の滞在のなかで日本人小学校をいくつ か創設したことを、戦後の著作で述べている8。 従って、成城小学校との関わりや海外での教員経 験、また哲学への傾倒など、多くの点で兄である 徳治と歩みを共にしてきたのではないかと思われ る。この弟と徳治は、研究面・実践面においてど のような関係にあったのだろうか。 兼秀は、ジャワ島より帰国後、1938年に二つの 書物を上梓している。一つは、成美堂より出版さ れた『函数指導 児童数學原論』9と題する大著 である。 その「自序」から、本書の作成において、「兄 徳治が始めから終はりまで校正の労を惜しまなか つた」とあることから、徳治の関わりがおおき かったことをうかがうことができる。徳治の方も また、「僕の小学校建設の願望の過半は君の手で 成されたも同然である。真理の前には兄も弟もな い」と述べたことがこの自序で紹介されている。 内容面においても、「高度の抽象的関係概念で ある函数関係の動的把握は ヽ ヽ 直観の方法以外にはな い」と述べ、「 ヽ ヽ 直観の体系化の発展系列」(傍点- 引用者)を明らかにすることを本書の最大の目的 としている点は、ペスタロッチからイエンシュま で「直観」研究を進めていた徳治の強い影響をう かがわせる10。兼秀が、徳治の人脈を頼って上京 し、佐々木秀一、小原國芳、沢柳政太郎らに従事 しつつ、兄の教師、そして研究者として歩んでき た道を辿ろうとしていたことが想像されるのであ る。 同様のことは、同年に発行された『エデンの 園』 にも当てはまるように思われる。本書は、 兼秀がインドネシア滞在中に行った児童演劇実践 を中心にまとめたものであるが、ここでもやはり 「直観的であるのが児童のホントの姿」であり、 喜びや悲しみなどさまざまな「人間学的形態の持 ち主」である児童の直観に働きかける方法とし て、児童劇が位置づけられている。その中に、徳 治が発育論争(1934年)で強調した立場を再現す る表現が見られる。 教育が概念の教育であつたり、論理の遊戯化であつ たりしてはならないことは当然すぎる程はつきりし た問題である。具体的な児童である人間の生活体験 を目指す ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 新しい人間性への努力の行であることは真 の教育を目指す真人のモツトーであり、理念であ る。12(傍点-引用者) 「新しい人間性」という表現は、発育論争で徳 治が繰り返し強調した点であった。例えば、「児 童学」のテーマは「新しい人間性の問題」であ り、それはルネサンス期の「自然的な人間又は個

(4)

人的な人間の解放」という段階に留まらず、「も つと人間の内部をのぞかせるやうな尊厳性とか高 貴性とか言つた様なこと」が現代では問題になる としているくだりである13。 タイトルにもなっている「エデンの園」は、 ジャワ島の教員時代に兼秀が創作した児童演劇で あるが、神様と原人の「愛」をめぐる対話で構成 されている。エデンの園とジャワの南国の自然を 重ね、そこを舞台として、小学生をして、原人の 純心さと創造主の愛を対話させるものである14。 ここには、台湾時代に植物採集のため奥深い山林 に入った徳治の、文明批判を伴った原始生活への 強い関心と共鳴するものがあると考えられる。奇 しくも本書の発刊と同時期に、徳治はこのアダム とイヴの物語に触れ、「人間の智慧の発生」につ いての偉大な神話の一つとして位置づけ、「今日 の哲学の母体になつてゐる」と述べているところ からも、兄弟の対話の痕跡をみることができよ う15。 弟・兼秀の存在は、徳治にとって心強い同伴者 であったと思われる。しかし、戦後の兼秀の著作 の中には、徳治が戦前に密接な関係を持っていた 羽仁五郎に対する批判のくだりがあり、そのあた りの事情は単純ではないと思われる16。しかし、 少なくとも、戦後12年に渡って舎長を務めた兼秀 を通して、徳治と自彊学舎とのつながりが継続さ れたことは確かであり、この点は1950年代以降に 展開される徳治の日本民族論や日本文化論を検討 する際に改めて分析を試みたいと考える17。その 際にカギとなるのは、徳治が「新しい祖国愛の感 情を、世界人類的な進化思想の立場から点火しなヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ければならない」18(傍点-引用者)という場合 の、発生論的な視点の質であろう。

3 ドイツ・マールブルク大学の受講講義

山下徳治の学びのスタイルが、仮に近代学校の 制度や文化とそぐわない性格を内包していたとす れば、彼が、結局は在野の学者として生涯を送る ことになったこともその遠因となっていたのかも しれない。 彼は、成城小学校に赴任して2年後、1923年か ら1926年まで、海外留学生として渡独した。その 留学期間は予定よりも延長されることとなったの だが、彼の目的は成城小学校における実践の理論 的基盤の模索が中心ではあったものの、同時に彼 自身の修養的側面の影響が大きかったのではない かと思われる。前稿でも触れたように、上京後の 山下は、内村鑑三の聖書講義を受け、プロテスタ ントに入信していたものと思われる。留学先の独 マールブルク大学は、屈指のプロテスタントの町 であり、ここの大学教会に関わっていたものと思 われる19。彼の留学中の生活は苦悩を伴うもの だったといわれており20、それは学問を人格修養 の中心に位置づけながら進めた山下の学習スタイ ルによるものだったことが予想される。しかし、 山下の宗教的思索については、まだ分からないこ とが多い。 山下のマールブルク大学での受講講義について は、末尾に示した通りである。いずれもマールブ ルク大学古文書館に所蔵されている学生の受講表 である。 この表では、1924年夏学期から1925年冬学期ま での山下の受講登録が、私費(有料)講義と公費 (無料)講義とに分けて記載されている。1924年 夏学期のハイラーを除き、山下はすべて私費講義 を受けていて、平均して各学期60マルクを納入し ている。 下の表は、山下の在学期間中の履修傾向を整理 したものであるが、神学部については各教授の講 義の受講がR.オットー以外では、各々一度に留 まっている。 他方で、哲学部の講義については、イエンシュ とハイデガーを集中的に受講していることが分か る。また、全体として、1925年の受講数が多く、 在独3年目を充実して送っていたことが予想され る。 注)丸数字は受講回数、続いて受講年と学期を示した。 神学部 哲学部 R.オットー(②1924夏、26夏)ゲルドナー(①1925冬) フォン・ソーデン(①1925冬)イエンシュ(⑨1924冬、25夏冬、26夏) ブルトマン(①1925夏) ハイデガー(⑦1924夏、25夏冬、26夏) ラーデ(①1925冬) レムケ(①1925夏) ニーバーガール(①1925冬)E.オットー(②1925夏) ハイラー(①1924夏) ハルトマン(③1924冬、25夏)

(5)

鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要 第21巻(2011) 山下のドイツ留学中のノートをもとに、その思 索の過程を追った研究では、ハイデガーの講義 ノートは70ページに渡るが、正確な記録というよ りは山下による解釈の過程であり、新しい現象学 に学びながらもそれを自身の教育学研究に十分展 開することができなかったのではないかという点 が指摘されている。またナトルプの死後、イエン シュに従事し、そのうち1924年冬学期のノートが 残されていること、イエンシュの理論を実践する 新学校の視察を行っていることが分かっている21。 なお、教育学に関しては、オットー(Ernst Otto)の講義、具体的には1925年夏学期に「一般 的教育学」と「シュプランガーに関する演習」の 2コマを受講しているのみである。オットーは 1928年に「一般的教育学」と同名の著書を出版し ており、恐らく講義の内容も本書と重なるもの だったと思われる22。

4 イエンシュとの出会い

さて、ドイツに発つ前、成城小学校の訓導とし て山下が追究していたことは、子どもの中に人間 性の本質的な問題を探り、教育における「直観」 への働きかけの方法を解明することであった。彼 は、その具体的で、科学的な方法を心理学者イエ ンシュの直観像研究Eidetikに見いだそうとする。 山下によるイエンシュの位置づけを、彼がマー ルブルクから成城に書き送った論考から検討しよ う。イエンシュから受けた影響は、ペスタロッチ やデューイと比較すると短期的なものに留まった 感があるが、その出会いの衝撃は大きいもので あったことがうかがわれる。 山下は、ペスタロッチの追究した「子供の身体 的生長と精神的発展との欠損なき一つの系列及び 階段を心理的に確かな結果に導く」仕事を、イエ ンシュの研究が方法的に明らかにし得るというこ とを「偶然に」知ったという。そして、1924年冬 学期から講義を受け始め、先の表に見たように、 結果として留学中にもっとも親しんだ学説となっ た。 『全人』にイエンシュを紹介した論考で山下 は、彼の心理学の基礎概念であるEidetikを説明し て、「Anschauungsbilder(直観像-引用者)は此 の感覚と表象との中間に位するもの」としてい る23。それは、下記のような図で示されている。 抽象的思惟 abstraktes Denken 直観と結合された思惟 思惟の層 Anschauungsgebundenes Denken 感情と結合された思惟 Gefu‥hlsgebundenes Denken イエンシュは、子どもの精神生活は抽象的であ るよりも直観的であり、哲学的であるよりも芸術 的であると言い、大人においては分離された感覚 と思考が子どもにおいては未分離であることを直 観像の存在を通して証明した、と山下は説明す る24。 実験の一例としては、子どもに絵を見せた後に それを隠し、子どもに見たものを説明させる方法 で行われている。山下の説明によれば、児童の語 りは以下のような性格をもつ。 被実験児童は前に見て絵を想起し又は記憶してゐて 答へてゐるのではありません。彼は文字通りの意味 で知覚に於けるが如く見てゐるのであります。然し 知覚に於けるとは異つて対象なしに彼は文字通りの 意味で見てゐるのであります。25 つまり、児童は絵について回想しながら語って いるのではなく、絵が目の前にまだ置かれている かのごとくに机上を見つめながら語るというので ある。この感覚と思考のいずれとも異なる次元の 思惟、さらにその両者を橋渡す位置にある思惟と して、「直観」が特徴づけられているのである。 イエンシュによって提出された直観的思惟は、 山下によれば、「素朴な民族」の生活様式や優れ た「芸術家」の作品にも見いだすことができ、そ れは文明社会における「感覚と表象との鋭い分 離」以前の「共同的根源的世界」から連なるもの である。つまり、渡独以前に追究していた人間の 自然性を原理とする子どもへの働きかけの方法 を、山下は「直観」に見いだしたといえる。そし て、感情レベルを基盤としつつ、子どもをしてど のように抽象的思惟へと渡らせていくか、この方 向を実現する重要な中継点として「直観」を位置 づけているのである。

(6)

さらに、直観の発露は、「天才的」な性格をも つとして、次のように述べている。 教育を主知主義的に解しないで自らの中に自らの目 的、方向と、それを実現して行く活力とを生得的に 所有してゐる一つの魂の発展を生命自体の世界に於 いて即ち有機的に観察して、其自然合法性と必然性 とを重んじて裏からビルヅングを促して行くとき、 人間の世界はもつともつと ヽ ヽ 天才的に豊かな而も深刻 なものであらねばならぬ(pp.36-37、傍点-引用者) ここに登場する「天才」という表現は、ある意 味で山下の志向性を端的に表している。素朴な子 どもの性質に根ざしつつ、人類の進化へと発展し ていく様をこの言葉は表現している。「発育論 争」においても、「新しい人間性」のなかに天才 的存在としての児童像が位置づけられていたこと が想起される27。 以上から、山下が成城小学校で子どもの中に捉 えようとした「人間の自然性」、その発生論的ア プローチは、ドイツにおいて直観的思惟の心理学 的研究に照準を定めて追究されていったのであ る。日本におけるイエンシュ研究は、その後、教 育心理学領域では正木正や依田新によって継承さ れていく。しかし、例えば正木にみられるよう に、研究の端緒を啓くものではあったが、心理学 による人間学の構築において中心的な役割を果た したわけではなかった28。ドイツにおいても、イ エンシュ自身のナチへの協力が、この研究の遅滞 を招いたことが指摘されている29。また、このよ うな山下の動向を、成城小学校、とりわけ小原が どのように見ていたか、ということも検討する必 要がある30。 しかし、ドイツでの山下の確信は、新しい人間 性としての「天才」的性格の追求という地点に あ っ た 。 と こ ろ で 、 彼 は 、Entwicklung (development)に「発展」の語を当てているこ とがわかった。ドイツから帰国直後に『全人』に 数回に渡って連載されたペスタロッチ論の一説を みてみよう。 児童心理学が一般に身体的生長と精神的発展との調 和的発展心理学Entwickelungspsychologieの基礎の上 に立つて偉大なる進歩を遂げ、他の科学に比ぶれば 今日尚極めて若い科学であるに拘はらず、嘗て心理 主義の陥つた避難や実験科学としての哲学からの鋭 い侮蔑の遥か向ふに、他の科学の尊敬と期待との中 に彼の若き日を楽しみつゝある現状は、又吾々の教 育にとつても徹底的意義と基礎づけとを与へた31 徳治が「発達心理学」ではなく「発展心理学」 とした真意はどこにあったのだろうか。文中にあ るような心理主義という批判を越えた新しい動向 として、「発展」の語を当てたのであろうか。他 方で、留学中のメモ32によると、Entwicklungは無 意識の、非合理的領域に位置づけられ、そして Wachstum(成長)とは対比的な位置づけが与え られていた。前者はより宗教的で、本質的なもの であり、後者は現実世界の、合理主義的で倫理主 義的、意識の領域の活動とされている。とすれ ば、山下の発達論は、人間性の深層の領域に発す るもので、子どもにおいてはしばしば純粋なかた ちで発露される直観的思惟を、人類史の発展の原 動力としてどのように天才的に活動させていく か、という図式で捉えられていたと考えられよ う。1934年の発育論争も、基本的には山下の立場 に変化はない。 本研究は、文部科学省科学研究費補助金若手研究(B) (課題番号:20730509「近代日本の教育学と発達概念 の展開」)の研究成果の一部である。 郷中教育関連の資料を自彊学舎に、また留学中の資 料をドイツ・マールブルク大学附属図書館及び大学公 文書館より提供していただいた。ここに深謝の意を表 したい。   1 森徳治「ころび行く石」『自伝的教師像』(人の教 育、第10号)松本浩記編、1956年。 2 「昭和三三年四月 舎報 第五號」財団法人自彊学 舎、1958年、p.27。 3 財団法人自彊学舎『大西郷を偲びつつ 舎史(百三 十周年記念誌)』2009年、pp.31-32。 4 『舎史』財団法人自彊学舎、1970年。 5 前掲『舎史』、pp.17-18。

(7)

鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要 第21巻(2011) 6 白石幸熊「健児教育について」昭和6年の執筆。前掲 『舎史』p.36。 7 森(山下)徳治「職業・家庭科 教科書論とその批 判」『職業教育』第3巻第3号、1952年3月。 8 山下兼秀『このままでは日本は滅びる』時局問題刊 行会、1970年。この時局問題刊行会は、兼秀が居住し ていた「鹿児島市清水町」となっているが、組織や活 動の具体については分かっていない。 9 山下兼秀『函数指導 児童数學原論』成美堂、1938 年。 10 前掲『函数指導 児童数學原論』p.4。 11 山下兼秀『エデンの園』新教育出版社、1938年。 12 前掲『エデンの園』p.5。 13 「「児童学とは何か」の座談会」『教材と児童学研 究』第一巻第二号、1934年、p.10。 14 但し、自彊学舎に確認したところ、兼秀がクリス チャンであったという確証は得られていない。この点 は徳治と異なっている。 15 山下徳治「何が人間の叡知を教育したか」『技術と 教育』1939年12月、p.89。 16 前掲『このままでは日本は滅びる』。 17 森(山下)徳治「日本文化のオリジナリティー」 『教育美術』(1951年12月)、同「日本民族と独特の文 化」『指導計画』(1952年10~12月)、同「ヒューマニズ ムと日本民族」『波紋』(1952年12月~1953年6月)、同 「民族の運命とその危機」『人間形成』(1964年6月)な どである。最後に挙げた論考では、経済発展に比して 遅れが目立つ日本民族の精神的発展のために、「日本ス ポーツ少年団」の全国組織運動を計画したとある。 18 森(山下)徳治「社会科改造の根本課題」『中学教 育技術』第4巻第6号、1951年8月、p.75。 19 マールブルク市の住民登録局(Stadtbuero)所蔵の文書 には、山下がマールブルク市移入時に書いたと思われ るファイルの宗教欄にプロテスタントの記入が見られ る。なお、大学教会に関しては、手がかりとなる資料 がマールブルク大学古文書館にはなく、また大学教会 内にも収集されていないようで、山下の教会での活動 については現時点ではほとんど分かっていない。 20 宮崎俊明「山下徳治にみるドイツ教育学の受容問 題」『鹿児島大学教育学部研究紀要』教育科学編、第51 巻、2000年。 21 前掲「山下徳治にみるドイツ教育学の受容問題」。 また、この大学公文書館の史料は、山下の聴講ノート を詳細に検討した宮崎の研究と多少異なるところがあ る。例えば、受講録ではブルトマンの「コリント人へ の手紙解釈」、フォン・ゾーデンの「ガラテヤ人への手 紙、ローマ人への手紙解釈」となっているが、宮崎論 文ではどちらもブルトマンによるものとされている。 22 山下自身によるこの講義ノートについては、前掲 「山下徳治にみるドイツ教育学の受容問題」p67。オッ トーの著書『一般教育学』では、まずナトルプの社会 教育学が取り上げられ、フィーアカントやテニエスな どに触れながら、教育と社会の問題について展開して いる。E. Otto, Allgemeine Erziehungslehre, Verlag von Quelle & Meyer in Leipzig, 1928.

23 山下徳治「イエンシュ教授の心理学とその教育との 関係について」『全人』1926年10月号、p.30。 24 前掲「イエンシュ教授の心理学とその教育との関係 について」p.33。 25 前掲「イエンシュ教授の心理学とその教育との関係 について」p.34。 26 前掲「イエンシュ教授の心理学とその教育との関係 について」pp.36-37。 27 「「児童学とは何か」の座談会」『教材と児童学研 究』第1巻第2号、1934年6月、p.11。 28 前田晶子「正木正集 解説」『文献選集 教育と保 護の心理学 昭和戦後初期 別冊解題』大泉溥他著、 クレス出版、2001年9月、pp.84-93。また別の要因と して、山下の論考では一つの学校で九割に上る直観像 所有者Eidetikerがいたことが報告されているが、戦後の 研究では小学生で6~8%という限られた現象とされ たことが考えられる。『心理学辞典』有斐閣、1999年、 p.595。 29 前掲『心理学辞典』p.23。 30 山下徳治「マールブルヒの思索」『全人』1926年8 月。 31 山下徳治「教育の本質より見たるペスタロッチの教 育思想」『全人』1927年1月、pp.28-29。 32 前掲「山下徳治にみるドイツ教育学の受容問題」 pp.80-82。

(8)

【1924年夏学期】

Hiesige Wohnung

Wörthstr 23

G=M. Dozent

10

20

Welche Vorlesung wird Allgemeine Gebühren

30

Ausländerzuschlag

35

Zum wievielten Male?

85

Bei wem früher gehört?

Welcher Korporation gehören Sie an?

*1 講義録にハイデガーの記載は見つからなかった。

*2 講義録では、Systematisches Seminar (über Schleiermachers Glaubenslehre)となっている。

*3 講義録では、ハイラーは三つの講義を担当しているが、徳治が受講したものについての特定はできなかった。 Hörergebühr Pf.

Prof. Otto

 オットー

Prof. Heidegger

*1  ハイデガー

-Nr.des Vorl.= Ver= zeichn. Nr.des Vorl.= Ver= zeichn. Aufnahme=Gebühren〈Nr. 〉 Unterrichtsgeld wiederholt belegt?

-Dozent Gegenstand Betrag 〈füllt Quä stur aus〉

Die Gottheit Christi

*3

神聖なるキリスト

Prof. Heiler

   ハイラー

Philosophie

〈Studienfach〉

-Glaubenslehre

*2 教理神学

Die Studierenden haben eine Abschrift der belegten Vorlesungen auf diesem Zettel einzutragen und auf der Quästur abuzugeben.

Öffentliche 〈unentgeltliche〉 Vorlesungen Gegenstand Grundbegriffe der Aristotelischen Philosophie アリストテレス哲学の基本概念

10

Privat=〈entgeltliche〉 Vorlesungen

Yamashita Tokuji

〈Familienname〉- bitre deutlich - 〈Rufname〉

abcschützenmäßig

-aus

Japan

注1)資料はすべてArchiv der Philipps-Universität Marburg im Hessischen Staatsarchiv Marburg所蔵のものである。ゴ シック(イタリック)体は手書きで記入された箇所である。【1925年夏学期】のみ筆蹟が異なり、三木清のものと酷似している ことから、彼による代筆ではないかと推測される。その他は、山下自身の記入によると思われる。

注2)日本語訳を付した。

注3)各期の講義録"Verzeichnis der Vorlesungen"と対象させ、必要に応じて修正、または注を付した。

Zahlungstag

15/5

1924

-Aufn.Geb.z.Abg.d.fr.Exm.Geb Gesamtbetrag:

-Nr. 1074 【1924年冬学期】 Hiesige Wohnung

Wörthstr 23

Mark Dozent

1

Prof. Hartmann

 ハルトマン

10

.

3

10

-5

-20

Welche Vorlesung wird

12 wiederholt belegt? Zum wievielten Male?

30

Ausländerzuschlag Bei wem früher gehört?

50

Welcher Korporation geh ören Sie an?

*2 講義録ではUebungen über ausgewählte Fragen der neuesten Psychologie(最新の心理学のいくつかの諸問題)となっている。

Die Studierenden haben eine Abschrift der belegten Vorlesungem auf diesem Zettel einzutragen und auf der Quästur abuzugeben.

Yamashita Tokuji

Philosophie

aus

Japan

Privat=〈entgeltliche〉 Vorlesungen

Betrag 〈füllt Quästur

aus〉 〈Familienname〉- bitre deutlich - 〈Rufname〉

abcschützenmäßig -〈Studienfach〉 Nr.des Vorl.= Ver= zeichn.

Dozent Gegenstand Pf. Gegenstand

Nr.des Vorl.= Ver= zeichn.

Öffentliche 〈unentgeltliche〉 Vorlesungen

-*1 講義録では、Psychologie (mit Demonstrationen 実験を含む)となっている。

Hörergebühr Aufnahmegebühren〈Nr. 〉 Gesamtbetrag:

80

Nr.

689

Zahlungstag

10/11

1924 Unterrichtsgeld Leitung eigener psychologiecher und philosophischer Arbeiten      心理学と哲学の研究について

-Studiengebühr

Prof. Jaensch

イエンシュ

Prof. Jaensch

イエンシュ

10

Prof. Jaensch

イエンシュ Logik 論理学

Psychologie

*1 心理学 Ersatzgeld 80 Soziale Abgaben

-Übungen

*2

 

演習

(9)

鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要 第21巻(2011) Mark Dozent 4 1 0 7 10 8 -5 5 11 5 10 -5 【1925年夏学期】

0 Welche Vorlesung wird

12 wiederholt belegt?

Zum wievielten Male?

20

Ausländerzuschlag Bei wem früher gehört?

70

Welcher Korporation geh ören Sie an?

*1 講義録ではübungen über die Nikomachische Ethik des Aristoteles(アリストテレス『ニコマコス倫理学』演習)となっている。 *2 講義録ではübungen über Kant(Kritik der reinen Vernunft 純粋理性批判)となっている。

*4 講義録では確認することができなかったが、講義に付随して行われたものと思われる。 *5 講義録ではübungen zur allgemeine Erziehungslehre(一般教育論についての演習)となっている。 *6 講義録ではübungen über Kant Kritik der praktischen Vernunst(実践理性批判)となっている。

*3 講義録ではÄshetik (Phiosophie des Schönen und Kunst, im Zusammenhang mit den Einzelwissenschaften, der allemeinen Philosophie und den Kultur= und Erziehungsfragen )(美学:美と芸術の哲学、個別科学との関係、一般的哲 学とその文化、そして教育の問題)となっている。

         Nr. 1702

Geschichte des Zeitbegriffs

              時間概念の歴史 Jaensch イエンシュ E.Otto オットー Rehmke  レムケ E.Otto オットー Allgemeine Erziehungslehre 一般的教育学 Zahlungstag 16/5 1925 Studiengebühr

Übungen über Kant*6

       カントについての演習 Unterrichtsgeld Bultmann  ブルトマン Soziale Abgaben 80 Gegenstand Nr.des Vorl.= Ver= zeichn. Betrag 〈füllt Quästur aus〉 Hertmann ハルトマン Pf. Heidegger       ハイデガー Öffentliche 〈unentgeltliche〉 Vorlesungen Dozent

Die Studierenden haben eine Abschrift der belegten Vorlesungen auf diesem Zettel einzutragen und auf der Quästur abuzugeben.

Philosophie aus Japan 〈Studienfach〉

Yamashita Tokuji

〈Familienname〉- bitre deutlich - 〈Rufname〉 Hiesige Wohnung Wörthstr 23

12

Hertmann ハルトマン

Ubungen über Denken*4

       思考についての演習 Nr.des Vorl.= Ver= zeichn. Privat=〈entgeltliche〉 Vorlesungen Gegenstand abcschützenmäßig -Jaensch イエンシュ 2 Erkenntnistheorie*1  認識論

Übungen über Kant*2

       カントについての演習

Grundfrage der Psychologie*3          心理学の根本問題

Erklärung der Briefe an die Korinther 「コリント人への手紙」解釈 10

Übungen über Spranger*5

       シュプランガーについての演習 10 Ersatzgeld 80 Aufnahmegebühren〈Nr. 〉 Gesamtbetrag: 80 Hörergebühr aus Japan 【1925年冬学期】 Hiesige Wohnung Wörthstr 23 R=Mark Dozent 1 10 3 10 -22 5

40 Welche Vorlesung wird

12 wiederholt belegt?

Zum wievielten Male?

20

Für Prüfung der Zeugnisse von Ausländern 5 Bei wem früher gehört?

60

Welcher Korporation geh ören Sie an?

Prof. Heidegger

        ハイデガー

Logik 論理学

Erklärung der Briefe an die Galater u. an die Römer「ガラテヤ 人への手紙」と「ローマ人への手紙」解釈

Prof. Freiherr von Soden フォン・ゾーデン

Prof. Jaensch イエンシュSeminalゼミナール

*1 講義録では、Psychologie (mit Demonstrationen 実験を含む)となっている。

-Gesamtbetrag: 30 Wird Ratenzahlung gewünscht? 11 5 Prof. Heidegger         ハイデガー Phänomenologisch Ubungen für Anfänger 初級現象学演習 6 Prof. Heidegger            ハイデガー

Prof. Jaensch イエンシュPsychologie*1 心理学

-Unterrichtsgeld Soziale Abgaben

Ersatzgeld

-Beitrag z. Amt f. Leibesübung. 2 Studiengebühr In welcher Höhe? Zahlungstag 30. 10 1925          Nr. 111 Aufnahmegebühren〈Nr. 〉 Hörergebühr u. Unfall.=Vers. -EvangelischeVolkserziehung 福音主義国民教育論

Theologie Luthers u. Melanchthons

    ルター派とメランヒトン神学 abcschützenmäßig -Privat=〈entgeltliche〉 Vorlesungen Betrag 〈füllt Quä stur aus〉 33 Prof. Niebergall         ニーバーガール 10 5

Die Studierenden haben eine Abschrift der belegten Vorlesungen auf diesem Zettel einzutragen und auf der Quästur abuzugeben.

Yamashita Tokuji Philosophie

Nr.des Vorl.= Ver= zeichn. Nr.des Vorl.= Ver= zeichn. Dozent Gegenstand Pf. 〈Familienname〉- bitre deutlich - 〈Rufname〉 〈Studienfach〉

Gegenstand

Prof. Rade ラーデ

Öffentliche 〈unentgeltliche〉 Vorlesungen

Ben. Bei Ratenzahlung muß die     1.Rate mindestens die Hälfre

    der Gesamtsumme betragen. 80

17 Prof. Geldner ゲルドナー Sanskrit =Grammatik für Anfänger    初級サンスクリット文法

80

Phanomenologisch Ubungen für Fortgeschrittene 上級現象学演習

(10)

aus Japan

【1926年夏学期】

Hiesige Wohnung bei Herru Pfor. Ziegler Reuthof 13

RM. Dozent -10 -10 30 12 2 20 50 Einn.=Buch Nr.214

*1 講義録ではÜbungen über Geschichte und historische Erkenntnis im Anschluß an J. G. Droysen, Grundriß der Historik(ドロイゼン史学綱要に関する歴史と歴史認識についての演習) となっている。

*2 講義録ではPhilosophische Antoropologie (Die Lehre vom Menschen und seinem Verhältnis zur Welt als philosophische Grundwiffenschaft)(哲学的人間学:人間学についての教えと哲学的基礎学としての世界との関係)となっている。

Ethik 倫理学

Für Prüfung der Zeugnisse von Ausländern Wird Ratenzahlung gewunscht? Unterrichtsgeld In welcher Höhe? Im wievielten Studiensemester stehen Sie? Gesamtbetrag: Soziale Abgaben

-Beitrag z. Institut f. Leibesübung.

0.0

80 Prof. R.Otto オットー

Übungen über Gesch. u. histo. Erke.*1  歴史と歴史認識 についての演習 Ersatzgeld Philosophische Antoropologie*2 哲学的人類学     〃 Nr.des Vorl.= Ver= zeichn. Privat=〈entgeltliche〉 Vorlesungen und Uebungen pp. Prof. Heidegger ハイデガー

Grundbegriff der antiken Philosophie 古代哲学の根本概念

Die Studierenden haben eine Abschrift der belegten Vorlesungen auf diesem Zettel einzutragen und auf der Quästur abuzugeben.

Yamashita Tokuji Philosophie

〈Familienname〉- bitre deutlich - 〈Rufname〉 〈Studienfach〉 abcschützenmäßig -80 Studiengebühr 1.Rate= Mk. 〈füllt Quästur aus〉 Aufnahmegebühr〈Nr. 〉 Hörergebühr u. Unfall.=Vers. Ben. Bei Ratenzahlung muß die

    1.Rate mindestens die Hälfre     der Gesamtsumme betragen.

Nr.des Vorl.= Ver= zeichn.

Öffentliche 〈unentgeltliche〉 Vorlesungen und Uebungen pp. Dozent Gegenstand Pf. Gegenstand

Betrag 〈füllt Quä stur aus〉 10 Prof. Jaensch イエンシュ

    〃 Übungen zur philo.

Antoropologie哲学的人間学演習

Welche Vorlesung wird wiederholt belegt?

Zum wievielten Male?

参照

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