人をエンパワーする情報学:5.改めて人の能力の拡張について考える
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(2) 人をエンパワーする情報学◆. ◆小特集 ◆. 学と呼ばれることもある.. のように国家が強制することには問題があるけれど. 3)水面下でなし崩し的に広がっている.これを忍 1). び足の優生学と呼ぶこともある .. 「望ましい」子が生まれることを願うのは,個人(親). この新優生学にも,積極的新優生学と消極的新優. の幸福追求権であって,これを制限することは許さ. 生学がある.親にとって「望ましくない」子が生ま. れない.. れないようにする消極的新優生学は,出生前診断す. 一方で問題ありとする否定論あるいは慎重論もあ. なわち胎児の段階で染色体異常診断を行って,必要. る.親が仮に「望ましい」と考えたとしても,その. に応じて中絶するという形で,広く行われている.. 価値観を子に対して決定的に押しつけることは許さ. 親にとって「望ましい」子を選択あるいはデザイ. れるだろうか.. ンする積極的新優生学も,水面下で進んでいる.た. 3 次のような例が報告されている .アメリカの聾. とえば,アメリカのある病院では,体外受精で得ら. であることを誇りとしていた同性カップルが,子に. れた受精卵を遺伝子診断して, 「望ましい」受精卵. もそれを誇りとしてほしいと願って,聾になる可能. のみを母親の子宮に着床させる着床前診断が行われ. 性の高い精子提供者を探し出して,実際に生まれな. ている.この病院では 14 年間で 6,200 人を対象に. がらにして聾の子を産んだ.子にとっては親の価値. これを行い,その 8 割が男女産み分けであると報. 観(それが正しいとしても)を決定的に押しつけら. 2). 56. も,個人(親)が自由意思で行うことには問題がない.. ). 告されている .. れたことになる.. 遺伝子才能検査ビジネスや,遺伝子バンクもある.. さらには,そもそも人為的に遺伝子操作をして人. かつて話題になったノーベル賞受賞者精子バンクは. 類の進化に介入することは許されるのか.それは自. 成功しなかったけれども,優秀な遺伝子を多数収集. 然の進化論に反しているのではないかという反対論. して,いわゆるビッグデータ解析で,知能を司る遺. もある.. 伝子が解明できれば,ビジネスにおける遺伝子の質. この論争は医療分野でエンハンスメント論争. の指標化が可能となろう.. と呼ばれており,決着がついていない.これまで医. さらには, 「望ましい」遺伝子を設計することも. 療で行われてきた治療が,障がいを回復して正常に. 可能となりつつある.デザイナー・ベイビーと呼ば. 戻すことを目的としていたのに対して,エンハンス. れているものがそれである.体外受精で,遺伝子診. メント(能力増強)は,正常よりもさらに優れた能. 断だけでなく,遺伝子操作も行えば,「望ましい」. 力・資質の獲得を目指す.特に遺伝子操作を伴うエ. 遺伝子を持った子をデザインして産むことも夢では. ンハンスメントは,子孫にまで影響する.それがい. ない.. ま問題になっている.. 1). 望ましい/望ましくない. 人のエンハンスメント. 新優生学は,親にとって「望ましい/望ましくな. ここまでのところで読者は,この原稿に対して違. い」子の産み分けを行うもので,原則として親の自. 和感を持たれたかもしれない.この特集で対象とし. 由意思で行われる.子の幸せを祈って行われること. ているのは遺伝子の操作ではない.子孫を変えよう. も多いであろう.先にも述べたように,古典的優生. としているのではない.優生学あるいは新優生学を. 学は現在では否定されている.この新優生学には問. 持ち出してエンパワーメントを論ずるのは,そもそ. 題はないのであろうか.. もの趣旨が違うのではないかと.. 個人主義,自由主義の立場から問題ないとする人. そうかもしれない.しかし一方で,子孫に影響し. の方が多いかもしれない.すなわち,古典的優生学. なければ,人間改造は無条件で許されるのか気にな. 情報処理 Vol.58 No.1 Jan. 2017.
(3) 5 改めて人の能力の拡張について考える. る.改造とまでいかなくても,人の能力を増強する. 電動義手の延長上に開発されたパワードスーツは介. ことは,まったく問題ないのだろうか.そこにも何. 護の現場での活用が期待されているし,戦場では戦. らかの線引きが必要なのではないか.. 士の戦闘能力を格段に向上させる.. 考えてみれば,産業革命以降の科学技術の営みは,. あるいはこのような線引きもあるかもしれない.. 一貫して人の能力を増強あるいは拡大するもので. 身体に組み込む形でエンハンスメントをするのはい. あった.機械は手の能力,交通機関は足の能力,メ. けないけれども,身体装着型でいつでも着脱可能に. ディアは目や耳の能力,そしてコンピュータは脳の. しておけば問題ない.これはもっともな線引きであ. 能力を拡大した.人をエンハンスメントする技術は. る.着脱可能型のエンハンスメントは,人体そのも. この延長上にある.エンハンスメントそれ自体の否. のに影響を及ぼすものではない.. 定は,近代の科学技術そのものを否定することにな. しかし,仮に着脱可能であっても,それを装着し. ってしまう.. た際は,それが心身一体となって機能することを理. もし違いがあるとすれば,これまでの科学技術は,. 想とする.そうならなければいつまでも心理的に違. 道具によって人の能力を拡大するものであったのに. 和感が残るからだ.心身一体となっていつも身体に. 対して,エンハンスメントは人そのものの能力の拡. 装着されているエンハンスメント装置は,次第にそ. 大を目指していることだろう.技術が次第に人の聖. れなしに人が生きてはいけなくなるのではないか.. 域に近づいてきたので,改めて問題となっているの. それを前提に人の環境になるシステムが作られ,も. である.. はや実質的には着脱不可能になるのではないか.そ. 最近では,人工知能も話題になっている.このま. のような懸念が残る.. ま発展すると,30 年後には人工知能は人の知性を. 次のような議論もある.身体に直接かかわる技術. 超え,その後の発展は予測できなくなるとする説も. は,安全性が保障されない限り実用化すべきではな. ある.それはシンギュラリティ. 4). と呼ばれている.. い.高度なエンハンスメントは高額になるから,恩. そのようなとき人はどうあるべきか.人工知能を人. 恵を受けるのは富裕層のみで,深刻な格差を生みだ. の脳にアップロードするなどして,人そのものが「超. すかもしれない.人の欲望は際限がないから,ひと. 人(スーパー・ヒューマンあるいはポスト・ヒュー. たびエンハンスメントに染まると泥沼かもしれない.. マン) 」になって,さらにその上を目指すべきだと. 人は元々努力して能力向上を目指してきたのに,安. 4). する主張もある .. 易なエンハンスメントは,その努力を台無しにする からよくない.. 能力拡張の是非 このような人の能力の拡張はどこまで許されるの. 価値観の見直し. であろうか.その線引きに関してある人はこう言う. このようにエンハンスメントにはさまざまな議論. かもしれない.. があるが,筆者にはエンハンスメント問題の本質は,. まずは,治療はいいけれどもエンハンスメントは. それを推進する価値観にあるように思える.. いけないと.しかし,治療の技術とエンハンスメン. その 1 つは,人を所有物とみなす価値観である.. トの技術に果たして違いがあるのだろうか.むしろ. 所有物だとすると,自らの意思で自由に改造してよ. 治療を目的として開発した技術のほとんどは,エン. いことになる.いま 1 つは,人はすべてを支配し. ハンスメントにも容易に転用できると考えたほうが. てよいとする価値観である.できることは思い通り. いい.そればかりか,治療よりもエンハンスメント. に支配したくなる.その支配への欲求を当然の権利. の方がはるかに市場は大きい.たとえば電動義足や. としてきたのが,近代という時代であった.. 情報処理 Vol.58 No.1 Jan. 2017. 57.
(4) 人をエンパワーする情報学◆. ◆小特集 ◆. そして,ひたすら拡大・拡張を目指す価値観であ. (Michael J. Sandel)の『完全な人間を目指さなく 3). においても,同様の考え方が示. る.近代はそれを進歩とみなしてきた.競争の時代. てもよい理由』. には,拡大・拡張を目指すことはいわば必須であっ. されている.筆者もその影響を受けている.. た.経済も成長を前提としている.. . もしかしたら,エンハンスメントの是非は,この. 再び悩み. ような価値観の再点検を行わなければ結論がでない のかもしれない.. ここではエンハンスメントについて最近考えてい. 本当に人は所有物なのか.所有物であれば,自ら. ることを述べてきたが,筆者はまだ悩んでいる.こ. をどう作り変えようと,個人の自由である.子をど. のような考え方は,どこまで現代社会において説得. うデザインしようと親の自由である.自殺によって. 力を持つのであろうか.数ある考え方の 1 つとし. 自分を捨てることも,中絶などによって子を捨てる. て相対化され,そう思うのも思わないのも個人の自. ことも自由になる.. 由として扱われてしまうのであろうか.時代の多く. 本当に人はすべてを支配してよいのか.近代はそ. の人たちが「所有」,「支配」,「拡大」を価値観とし. の支配のための強力な武器として,科学技術を手に. ている限り,科学技術はそこを目指し,エンハンス. 入れた.そして近代はひたすら拡大・拡張を目指し,. メントは止まらないであろう.. 人の価値も数値で評価するようになった.. それが人類の勝利を意味するのか,自滅を意味す. これらの疑問に対して,筆者は最近次のように思. るのかは筆者には分からない.願わくば,エンパ. うようになってきた.人は所有物ではなくて,本来. ワーメントが自滅へ向けたエンハンスメントではな. は「授かりもの」 , 「預かりもの」なのではないか.. いことを祈って,悩みながらのこの原稿の筆を置く. すべてを支配してよいとするのは,人の傲慢なので. ことにしたい.. はないか.むしろ「謙虚さ」,「寛大さ」が必要なの ではないか.拡大・拡張の時代はもはや終わろうと している.これからは「等身大」,「ありのまま」が いいのではないか. 「授かりもの」 , 「預かりもの」, 「謙虚さ」, 「寛大さ」, 「等身大」 , 「ありのまま」……,このような価値観 に立ち返ることによって,弱者(望ましくないとさ. 参考文献 1)上田昌文,渡部麻衣子(編):エンハンスメント論争─身体・ 精神の増強と先端科学技術,社会評論社(2008). 2)行方史郎:IQ は金で買えるのか─世界遺伝子研究最前線,朝 日新聞出版(2015). 3)マイケル・サンデル:完全な人間を目指さなくてもよい理由 ─遺伝子操作とエンハンスメントの倫理─,ナカニシヤ出版 (2010). 4)レイ・カーツワイル:ポスト・ヒューマン誕生─コンピュー タが人類の知性を超えるとき,NHK 出版(2007). (2016 年 10 月 25 日受付). れた人)への共感や連帯が生まれる.自分自身が愛 おしい大切な存在となる.感謝の気持ちが生まれる. これは筆者だけの考えではない.たとえば「ハー バ ー ド 白 熱 教 室 」 で 有 名 な マ イ ケ ル・ サ ン デ ル. 58. 情報処理 Vol.58 No.1 Jan. 2017. ■ 原島 博 [email protected]. 2009 年東京大学を定年退職.現在東京大学名誉教授.人のコミュ ニケーションを技術的にサポートする研究に従事..
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