シャウプ地方税制「解体」の一側面
──税源分離の問題を中心として──*
村 松 怜
『エコノミア』第 63 巻第 2 号(2012 年 11 月),29-57 頁[Economia Vol. 63 No.2(November 2012),pp.29-57]
* 本研究は科学研究費補助金(特別研究員奨励費, 課題番号 22・2290)の助成を受けた. 研究ノート はじめに 「戦後日本税制史の原点」とも評価されるシャ ウプ勧告における地方税制度は,市町村優先, 国・都道府県・市町村間の税源分離などを大き な特徴とする.1950 年に勧告に基づいた地方 税制が実現されたが,そのシャウプ地方税制は 1954年における地方税の「大改正」によって 大きな変更を加えられることとなった.その改 正は,市町村優先主義を道府県優先へと転換す ると同時に,税源分離および独立税主義を崩壊 させたものとこれまで評価されており,これを もってシャウプ地方税制は「解体」ないしは「崩 壊」したと言われる(佐藤・宮島[1990],51 頁, 藤田[1978],70 頁など). その過程に関する詳しい研究がなされてきた とは言い難いが,54 年度改正についてはこれ まで国の財政政策との関係が強調されてきた. 第一に 54 年度改正は国の地方財政調整費の削 減に大きく役立つものであったこと,第二に, 税源分離・独立税主義の崩壊から「国の租税政 策に地方税制を連動させる構造」が生み出され たことが指摘されている(佐藤・宮島[1990], 45-46,51 頁,藤田[1978],75 頁). しかし,結果としてそのような一面があった としても,地方税制が中央政府の財政政策に利 用された面を見るだけでは不十分である.なぜ なら,一方で地方税制の改正には地方団体も大 きく関わっているからであり,地方団体側が果 たした役割に関してこれまで十分に検討されて こなかった.これまでの研究においては,大蔵 省を中心とする中央政府が,基本的に地方団体 側にとって有利であるシャウプ地方税制を掘り 崩していくという視点が自明のものとしてとら れる傾向があったように思われる.しかしなが ら,地方団体が自らシャウプ地方税制の「解体」 に対して大きな役割を果たしていたことも考え られる.このような問題意識から,本稿では特 にこれまであまり目を向けられてこなかった地 方団体側にも焦点を当てつつ,税源分離の問題 を中心として,シャウプ地方税制が「解体」に 追い込まれるに至った過程について明らかにす ることを試みる. 同時に,終戦後は地方税目の変動が非常に 激しいが,戦後日本の基本的な地方税体系は 1954年度までの地方税改正によって形成され たと見て良い.また,日本の地方税の特徴の 一つとして,ほとんどの課税ベースが国税と 重複しているという点が指摘されている(近藤 [2002],115 頁).したがって,この時期を検討 することは戦後日本の地方税の体系ないしは特 徴の形成過程を明らかにする上でも重要な意味 を持つ. ここで,本稿で用いる「地方団体」という言 葉について,ある程度明確にしておきたい.本 稿で「地方団体側」という時は,基本的に都道 府県,市,町村を念頭においているが,その「地 方団体側」の持っている考えを認識する際には, 全国知事会,全国市長会,全国町村会といった 地方関係団体の意見・要望に多くを依っている. もちろん,地方関係団体の意見がそれぞれの地 方団体全ての意見を正確に表しているとは言え ない.例えば,都市圏の都道府県とそうではな
いところとの間では,利害が異なっていること が少なくないであろう.その意味で,都道府県 で見てもそれは一枚岩ではないのである.しか しながら,少なくとも本稿で中心的に見ていく 地方税制改正の議論において,地方関係団体の 役割は極めて重要である.なぜなら,制度改正 の議論の際,地方団体側の意見は,基本的には 関係団体の意見に集約されているとみなされる であろうし,実際の議論の場においても地方団 体の代表者としては地方関係団体の代表者が参 加していることが多いのである1). 1.終戦後の地方税制: 酒・煙草消費税の導入論議 本論の記述はシャウプ勧告以降が中心とはな るものの,後の問題との関係で勧告以前の地方 税論議から見ていく必要がある.特に重要なも のは,酒・煙草消費税導入の議論である.これ は後述のように地方団体側から強く求められた ものであるが,シャウプ税制導入以降において も一貫して地方団体側が強く要求していく財源 となるのである.その議論は特に 1948 年度の 地方税制改正に際して行われたため,主にそこ に焦点を当ててシャウプ勧告以前の地方税論議 を見ていくこととする. 終戦後,地方自治の推進が強く求められる中 で行われた 1947 年度の地方税改正により,還 付税であった三収益税(地租,家屋税,および 営業税)が地方へ移譲されると同時に,地方の 独立税も拡張された2).さらに,国の関与が必 要とされないような地方財政制度を研究するた め,地方団体の代表者を委員に含む暫定的な「地 方財政委員会」(地財委)が設置されることと なった3). 48 年 3 月に地財委により提出された地方税 改正案では4),第一に入場税等を国から地方へ 移譲すると同時に,酒・煙草消費税,鉱産税, 電気ガス税等の新税を設けるものとされた.酒・ 煙草消費税は,インフレの進行に応じて税収を 確保するための重要な税目として考えられ5), これは改革案における主眼目であった6).酒・ 煙草消費税は府県において本税を課し,市町村 において附加税を課するとされ,税率は本税・ 附加税を合わせて 20%程度とされた.第二に, 現行営業税に替え,課税対象に原始産業および 自由業を加えた「事業税」を新設するとされた. これは農業等の原始産業にも担税力が認められ ると同時に7),新たな財源を必要としていたた めであった8).しかし,芦田均内閣の成立に伴 い地財委委員長が日本社会党員・日本農民組合 1)地方関係団体の意見が各地方団体の意見をど の程度反映しているか,という点を正確に知るこ とは,資料上の制約などから見ても難しい問題で ある.ただし,各地方関係団体の要望も,基本的 には地方団体の首長の集まる全国大会(全国知事 会議など)において採決された上で決定される. 2)三収益税は都道府県へ移譲され,市町村はそ れに附加税を課すこととなった. 3)地方財政委員会は委員長となる国務大臣,国 会議員代表者,都道府県知事代表者,市長代表者, および町村長代表者の 5 名で構成されるものとさ れており,竹田儀一国務大臣,竹谷源太郎(社会党), 安井誠一郎(東京都知事),神戸正雄(全国市長会 会長・京都市長),および生田和平(全国町村会会長・ 徳島県石井町長)がそれぞれ任命された. 4)地方財政委員会「地方税財政制度改革要綱 (案)」(柴田護「地方税財政制度の改革と地方財政 委員会」,『自治時報』1948 年 4 月,13-17 頁). 5)営業税が前年の所得を基準として課税される など,当時の中心的な地方税はインフレへの対応 が困難であった(荻田・奥野[1954],24-25 頁). また,地財委の事務局であった奥野誠亮は当時の 論説で酒・煙草消費税を必要とする理由について, その他に酒や煙草の消費は概ね全国に普遍的であ ること等の点も挙げていた(奥野誠亮「地方税の 賦課率について−地方税体系に消費税の導入を主 張する−」,『地方自治』1948 年 7 月,17-18 頁) 6)荻田保(地方財政委員会事務局長)「地方財 政の改革」,『自治時報』1948 年 8 月,12 頁. 7)第 2 回国会,衆議院治安及び地方制度委員会 第 7 号,1948 年 2 月 17 日における柴田護の発言. 8)奥野は事業税の導入に関して後に次のように 述べている.「とにかく,財源がほしい.三収益税 と言われていた営業税のような課税方式を踏襲し ていたのでは収入が入らない.だから広く金のあ るところに目をつけたわけです」(奥野[2002], 105頁).
副委員長の野溝勝に代わると,事業所得のうち 米麦等主食に関する部分には課税しないという 修正が加えられた9). 以上のような地財委の地方税改正案であった が,入場税の地方移譲や酒・煙草消費税の創設 等に対し大蔵省が強く反対しており,折衝が難 航した10).最終的に決定された 48 年度の地方 税改正案では,入場税を地方に移譲するとした 一方で,酒・煙草消費税の新設は取り入れられ なかった(地方財政委員会[1948],71-72 頁). 地財委側はこの政府案の決定に強く反発し, 神戸,安井,生田の各地方団体代表 3 名が,地 財委案が受け入れられなかったことを不服とし て次々と辞表を提出した上で,政府案に反対す る声明を発表するという事態が生じた11).その 声明において,「最も期待していた酒煙草消費 税が採用されて居ない」ため,地方の独立税に 弾力性がなくなると述べていることからも,地 方団体の代表者が酒・煙草消費税の新設を最重 要視していたことがわかる12). このような事態の中で,国会の審議において 地方税改正の政府案が修正されることとなっ た.その修正に大きく影響したのは,地方税法 改正案を審議していた衆議院の「治安及び地方 制度委員会」内に設けられた地方財政制度改革 に関する小委員会が,地財委案を支持したこと である13).その小委員会による修正案は,税率 20%程度の酒消費税を含むものであった.煙草 消費税が修正案に加えられなかった理由は,「タ バコの價格の引上げもすでに議会を通過した関 係もあって,これは困難かもしれない」と見ら れたためであった14). 小委員会は以上の修正案について政府およ び総司令部と折衝を行ったものの,酒消費税 は 20% の税率が認められず,5% とされた上で 法案が可決された15).こうして,入場税の地 方移譲のほか16),事業税17),酒消費税18)の新 設等を盛り込んだ 48 年度の地方税改正が実現 されることとなった.当初の地財委案において 酒・煙草消費税による税収見込みが約 240 億円 だったのに対し(地方財政委員会[1948],82 頁), 規模の縮小された酒消費税のみが認められた結 果,その税収見込みは 15 億円にとどまった. こうして 48 年度の改正においては酒消費税の 小規模な導入に終わったが,酒・煙草消費税は, 後述のように,地方団体がその後も一貫して求 めていく重要な税目となる. 9)事業税のこのような修正は,荻田が後に「当 時の主管大臣が野溝勝氏で,農民運動のリーダー として著名な方なので,特に関心は強かったと思 います」と述べているように,野溝が農民団体の 代表であったことも大きく影響しているものと思 われる(荻田[1984],169 頁). 10)大蔵省は入場税を移譲しなくとも他税の増 税等で地方財源は賄える,地方へ移譲すると税収 が減少する,入場税は都市へ偏在するので地方税 として適当ではないといった理由でこれに反対し た.一方,酒・煙草消費税に反対の理由は,消費 税は国税にするという租税原則が乱れる,国が 専売しているものに,地方税を賦課することは 適当ではない等の点であった.地財委・大蔵省間 における意見の対立点については地方財政委員会 [1948],67-70 頁を参照. 11)読売新聞 1948 年 5 月 29 日,6 月 6 日,6 月 8 日. 新聞について朝刊・夕刊の存在するものは,特に 記載のない限り朝刊を指す.以下も同様である. 12)声明の内容は地方財政委員会[1948],73-74 頁を参照. 13)第 2 回国会,衆議院治安及び地方制度委員 会第 44 号,1948 年 6 月 25 日における松澤兼人(日 本社会党)の発言. 14)第 2 回国会,衆議院治安及び地方制度委員 会第 49 号,1948 年 7 月 1 日における松澤の発言. 15)総司令部においては,経済科学局(Economic and Scientific Section: ESS)が酒消費税の創設に反 対していたが,この修正案は民政局(Government Section: GS)より承認が得られたという(自治大 学校史料編集室[1961],45-46 頁). 16)都道府県において本税を課し,市町村にお いて附加税を課すものとされた. 17)自由業に対する事業税は「特別所得税」とし て別立てにされた. 18)酒消費税は従価税である点において,従量 税である国税の酒税とは異なっていたが,酒消費 税では酒税の分も含んだ小売価格が課税標準であ った(「地方税法及び同法施行に関する命令の実 施についての依命通達」,地方財政委員会[1948], 79頁).
以上のような 48 年度の経過の後,地財委は 49年度の地方税改正にあたり,再び煙草消費 税を含む多くの新税の創設,および酒消費税等 の増税を含む改正案を作成した19).しかし,49 年 5 月に来朝するシャウプ使節団により税制の 抜本的検討が行われるため,新税の創設や酒消 費税の増税は避けられることとなった.地方税 制の全面的改正はシャウプ使節団の来日に待た れることとなったのである20). 2.シャウプ勧告と地方税改正 2 - 1.シャウプ使節団への要望と第一次勧告 シャウプ使節団は 1949 年 5 月に来日したが, 全国知事会議,全国市長会,全国町村会といっ た各地方関係団体から使節団へ地方税財政制度 の改正に関する要望が寄せられた21).それぞれ の要望において異なる点は存在するものの,一 致していた点は,各団体とも地方財源の拡充を 求め,具体的には弾力性・伸張性を持つ税目と して煙草消費税の新設および酒消費税の税率引 上げを求めていたことである22).しかしながら, 後に見るようにシャウプ勧告はこの要望にかな うものではなかった. 一方,大蔵省も使節団へ要望を提出していた が,その求めるところは地方団体側のものと大 きく異なっていた23).大蔵省は地方団体側が強 く望んだ酒・煙草消費税に否定的であり,むし ろ所得税・法人税附加税および財産税を望まし いものとしていた24). 以上のような要望が出される中で,9 月に使 節団の第一次勧告が発表された.周知のよう に,使節団は地方自治を重視する観点から地方 税,特に市町村税の規模の増大を意図し,地方 税制の立案に際しては国・都道府県・市町村間 における税源の分離を原則とした.具体的には, 住民税,地租,家屋税は都道府県のものを廃止 し,市町村のものとした.一方,事業税,入場 税,遊興飲食税は都道府県税とし,事業税の課 税標準を所得から附加価値へ変更するものとし た25). 19)自治日報 1949 年 3 月 1 日. 20)一方,49 年度の地方予算は,地財委の予算 案よりも大きく削減されて決定された.それは, 49年 2 月に来日したドッジ(Joseph M. Dodge)に より経済安定九原則に基づいた厳しい予算編成が 迫られ,支出の引締めおよび最大限の収入確保が 求められたためである.特に配付税は所得税およ び法人税の繰入率が半減され,地方債も地財委の 予算案と比較して大幅に削減されることとなった. 21)全国知事会議「シャウプ使節に対する意見 書」(1949 年 6 月 8 日.自治大学校戦後自治資料 54-18),全国市長会「税制改正に関する陳情書」 (1949 年 5 月 17 日.国立国会図書館調査立法考査 局[1949],108-109 頁),全国町村会「地方税制改 革に関する要望」(1949 年 5 月 9 日.『自治公論』 1949年 6 月). 22)そのほか,49 年度に約半減された配付税率 を元に戻すと同時に,それを政府の一方的都合に より変更されることがないようにすることも,各 団体一致して求めていた.地方財政委員会による シャウプ使節団に対する要望も提出されていたが, 以上の点に関して同様の要望を行っている.地方 財政委員会委員長「地方税制改革の方向−地方税 制の改革について−」(シャウプ博士宛 1949 年 5 月 13 日付書簡.地方自治庁財政部[1949b],27-33 頁)を参照. 23)「池田大蔵大臣からシャウプ博士宛の書簡」, 日付不明(大蔵省主税局[1949]その一,3-39 頁), 大蔵省主税局「地方税問題についての一観察」,日 付不明(大蔵省主税局[1949]その三,128-133 頁). その他,「国家財政と地方財政との調整並びに地方 税制度の改正について」(1949 年 7 月 6 日)と題す る文書も同資料集に存在するが,これは「地方団 体特に市町村に対して新規財源を賦与する」,「国 と都道府県及び市町村の間の財源の配分に当って は,同一の税種を比率によって分配することを避 け,なるべく税種目によって配分する」など,シ ャウプ勧告の内容を先取りするものも含んでおり, 非常に興味深いが,シャウプ使節団との接触によ る影響があったのか等の点について検討を要しよ う. 24)地方自治庁と大蔵省との意見の対立に関し, 当時の新聞では次のように伝えられている.「自治 庁財政部は地方配付税率の復旧と酒,煙草消費税 の導入を主張するのに対し,大蔵省当局は府県に 対する所得税附加税の復活,市町村に対する配付 税の増額を固執している,財政部当局では消費税 は徴収しやすい有力な税種であるが,所得税は徴 収しにくく,大蔵省の態度は依然たる国税中心主 義だと非難しておりシャウプ博士の出方が注目さ れる」(自治日報 1949 年 8 月 12 日).
酒消費税は,既述のように各地方関係団体か らその税率の引上げが要望されていたという意 味で重要であるが,使節団は「酒と煙草は全体 から見て国税として課税する方がより能率的で ある」という理由から,その廃止を勧告した (シャウプ使節団[1949]第 2 巻,208 頁).また 煙草消費税が新設されなかったのも,同様の理 由からであったと考えられる.また,地方団体 側が重視していた酒・煙草消費税の持つ弾力性 に関して使節団は,地方税の弾力性は地方団体 に不利に働くこともあり,また経済事情の変化 に対応する義務を持つものは中央政府であるた め,その調整は配付税に替わる平衡交付金にお いて行われるべきだと見ていた(シャウプ使節 団[1949]第 3 巻,A11 頁).さらに,酒・煙草 消費税を設けるとなると,国税との税源分離も 困難となる.これらも酒消費税の存続および煙 草消費税の新設に否定的であった理由と考えら れる. 勧告は以上のような内容であったが,勧告の 地方税財政制度改革について肯定的な評価も寄 せられる一方で,特に道府県税についていくつ かの懸念も表明されていた.例えば,第一に, 道府県税において遊興飲食税,入場税,附加価 値税という地域的に偏在性の大きい税目が主と なり,また附加価値税の課税対象から農業が外 されているため,特に農業が主要産業である地 域において税収が乏しくなるのではないか,と いう点である.第二に,道府県税における主な 直接税が附加価値税のみとなる結果,直接税 の納税者が減少し,「住民の負担分任の精神が 薄くなる」,という点である(荻田[1949],藤 田[1949])26).これらの懸念は,後述のように, 実際に大きな問題となるのである. 勧告の発表後,その内容を盛り込んだ地方税 法案が地方自治庁27)によって検討され,その 成立が目指された.しかし,地方税法案の作成 およびその審議は非常に難航を極めた.本稿に おいてその経緯を詳しく論ずることはできない が,極簡潔にまとめるとそれは次のようなもの であった28). 地方税法案は附加価値税を中心として問題化 し,審議が難航したため,国会において修正法 案が作成された.しかし総司令部はシャウプ勧 告に固執したため,修正が認められない事態に 至り,与党が過半数の衆議院において原案が可 決された29).一方,参議院においては野党が多 数派であり,参議院において地方税法案が否決 される事態が生じた.審議は両院協議会へと持 ち込まれたが,参議院が審議を拒否する姿勢を とったため,会期切れとなりついに地方税法案 は成立しなかったのである.したがって,その 事態打開のために,渡米していた蔵相池田勇人 がシャウプと直接会談を行い,附加価値税の 1 年延期について合意を得た.その内容に基づき 地方税法案を修正した結果,50 年 7 月末によ 25)事業税に関して,農民は「その販売価格に 広範な政府統制が行われている事情に徴し,また 地租および家屋税の大幅の引上げも負担すること になるのであるから,免税されるべきである」と した(シャウプ使節団[1949]第 2 巻,203 頁). 26)附加価値税に関しては税務行政上の懸念が あったものの,地方自治庁では,「地方では外形課 税をやりたいという気持ち」もあり,その導入に は肯定的であった(奥野[2002],115 頁). 27)(旧)地方財政委員会は 49 年 5 月 31 日が存 続期限となっていたが,6 月 1 日から,内務省解体 の際に地方自治に関して所管するものとしてでき た総理庁の自治課と,(旧)地方財政委員会を統合 する形で地方自治庁が設置された. 28)大蔵省財政史室編[1978a]第 3 章第 3 節, 自治大学校編[1975]第 4 章,第 5 章を参照. 29)ただし,附加価値税について,総司令部 内における反発も当初存在していた(Harold C. Bradshaw and John W. Allen, “The Value Added Tax: Conclusions of Local Government Branch, IRD (Bradshaw & Allen),”Nov. 19, 1949, File Folder: “012.42 Value Added Tax”, Box 7505, Record Group 331, The U.S. National Archives and Record Service: NARA.以下,本稿で引用する英文一次資料は,断 りのない限り全て NARA のものであり,Record Group 331のものである).この点,司令部内にお いて,地方税に関してシャウプ勧告からの修正を 認めない姿勢に至った経緯については,ひとまず 大蔵省財政史室編[1978a],353-360 頁を参照.
うやくシャウプ勧告を基本とした地方税法案が 成立したのである.ただし,附加価値税は国会 の修正により 2 年間の延期となった.こうして, 一部修正が加えられたものの,シャウプ勧告に 基づく地方税制が成立し,地方税の体系が大き く整理されることとなったのである30). 2 - 2.シャウプ第二次使節団の勧告 1950 年 7 月,昨年の勧告以降における税制 の進展の調査のため,シャウプ使節団が再び来 日した.その際,全国知事会議は使節団へ再度 要望書を提出した31).これは,都道府県側がシャ ウプ税制における都道府県税の問題点,および その解決策についてどのように考えていたか知 る上で重要であるため,その内容を詳しく見る こととする.そこではまず,50 年度の都道府 県歳出は増大する見込みであるにも関わらず, 新制度に基づく府県税の徴収は困難であり,「府 県財政は将に破綻の危局に当面して居る」と述 べる.したがって,都道府県税は「都道府県の 相当する行政の量と質から見て,不充分であり, これをもっては,到底その財政自治を維持し得 ない」とした上で,新税制に関して次のような 「重要な欠陥」を指摘している.第一に,「都道 府県税の負担が,都市部に集中して,郡部の負 担するところが少く財政と住民全体との連りが 希薄となり,一体的な都道府県自治の発達を阻 害する」.第二に,「農業県の税収入が激減し て,自主的財政運営に支障を生ずる」.第三に, 「景気変動の影響を強く受けて,税収入が動揺 し,財政の安定性を欠く」.したがって,「都道 府県の自主的財源を拡充するとともに,これら の諸欠陥を除去するためには,住民全体が普遍 的に負担し,且つ農業県においても必要な税収 入を挙げることを得,且つ景気変動の影響の比 較的少ない新税種を選んで,都道府県の税源を 拡充強化すると同時に,現行の税制についても 改正を加える必要がある」とする.この方針に 基づいて具体的に出されている提案は次のよう なものであった.第一は,府県民税の復活であ る.これは住民全体で負担する税目を創設する ためであった.第二は,酒・煙草消費税の復活・ 新設である.これは「普遍的な税種として住民 の自治的自覚を強めるとともに,府県税収入に 弾力性を賦与するもの」として求められた.第 三に,「附加価値税は事業税及び特別所得税に 比し負担関係その他において種々優れた点を有 し,また都道府県の税源を強化するにも役立つ ので,その実施は希望するところである」とし ながらも,附加価値を総売上金に一定の乗率を かけて算出することで,その算出方法を簡素化 することを提案していた32). 以上の全国知事会議による意見書の内容を見 ると,都道府県がシャウプ税制に対して非常に 批判的であったことがわかるであろう.それは シャウプ税制の導入により,税収の偏在,納税 者数の減少,徴税費の増大といった様々な問題 が道府県税において発生したからであるが,そ の実態について詳しくは後述する.知事会によ る要望は,以上の問題を解決するためのもので あったが,その内容は,府県民税および酒消費 税の復活など,シャウプ勧告以前の税制へ戻そ うとする側面を持っていた.また,煙草消費税 の新設も,シャウプ勧告以前より一貫して要望 されていたものである.しかし,これらは税源 分離の観点から見ると,その線に沿うとは言え ないものであった.府県民税の復活は,当然所 得税および市町村民税と税源が重複することに なるし,酒消費税・煙草消費税も酒税および煙 草専売益金との関係が問題となるからである. このように,都道府県側はシャウプ地方税制 30)シャウプ地方税制の導入に伴って実際に生 じた税収の異動については,後掲の表 1 を参照. 31)全国知事会議「地方税財政改革に関する意 見書(シャウプ使節に対する意見書)」,1950 年 8 月(全国知事会[1957],305-310 頁). 32)その他,電気ガス税およびガソリン税の都 道府県への移譲や,遊興飲食税の税率引下げおよ び課税方法の単純化といった提案もなされていた.
に批判的であり,その基本方針であった税源の 分離も重視することがなかったと言えよう.後 の議論を見てもわかるように,このような都道 府県側の姿勢は,少なくとも本稿が対象とする 時期において引き続きとられていたものであっ た. 一方,全国市長会もシャウプ使節団へ要望書 を再び提出していた.そこで第一に求められて いたものは酒・煙草消費税の創設である.その 理由は,シャウプ税制によって市町村の直接税 は強化されたものの,重要な間接税が無くなっ たためであった.すなわち,税収を得るのが容 易で,かつ毎月収入が得られる間接税が無く なったことで,市町村の財政運営が困難になっ た,とされたのである33). 以上のような要望にもかかわらず,50 年 9 月に発表された使節団の第二次勧告では,全国 知事会議から訴えられていた道府県税における 偏在性の問題などについては触れられておら ず,ひいては道府県民税の復活,酒・煙草消 費税に関しても触れられていなかった.ただ し,第二次使節団の一員であったヴィックリー (William Vickrey)が兵庫県へ地方税制の視察を 行った際の議論において,彼の酒・煙草消費税 に対する考えの一端を知ることができる.すな わち,地方団体の財源として酒・煙草消費税が 要望されたのに対し,ヴィックリーは「確たる 意見をのべなかった」とされるものの,「煙草, 酒消費税については現在の税金が既に相当荷重 であること,専売局側よりすれば現在の価格は 極限であること,密造等の点より難点を指摘」 し,否定的な見解を示している34). 一方,第二次勧告で指摘されていたことは, 51年度の地方財政において多くの経費が増大 し,歳入不足に陥る可能性があるということで あった.したがって,国税の減税を差し控えた 上で,地方の経費負担を減らすこと,また平衡 交付金を増額することを提案している.しかし, 後述のように,この点は減税を優先する大蔵省 の考えと対立するものであった. 結局,第二次勧告後の 51 年度地方税改正は, 市町村民税における法人税割の導入がなされた ものの,その他の大きな改正は行われなかった. 3.シャウプ勧告後の地方財政問題 3 - 1.シャウプ税制下の道府県税問題35) 1950 年度に導入されたシャウプ地方税制は, 既述のように特に道府県税に関していくつかの 問題点が当初から指摘されていたが,ここで その実態を見ておくこととする.まず,49 年 度から 50 年度にかけての都道府県歳入を見て みると,その額は 2,414 億円から 2,969 億円へ と増大していた.一方,都道府県税収は 726 億 円(49年度)から 782 億円(50年度)36)へと増 大していたものの,税収の歳入に占める割合は 30.1%から 26.3% へと大きく低下していた.50 年度の税収を税目で見ると,事業税 366 億円, 入場税 133 億円,および遊興飲食税 83 億円が 大きいもので,これら 3 税によって都道府県税 収全体の約 75% を占めるに至っていた.49 年 度における同 3 税の都道府県税収に対する比率 は約 45%であったことを考えると,税目の減 少により,同 3 税に税収の大部分が集中したこ とがわかる(税収の推移については表 1 を参照). 税収の変化を都道府県ごとに見てみると,第 一に,大部分の都道府県において税収が減少し
33)Fujitaro Kanasashi, “Petition regarding to local tax law system, etc.,” Aug. 10, 1950, File Folder: “200.200 General Report,” Box 7603.
34)「ヴィッカリー博士地方税制視察来神の件」, 1950年 8 月 19 日(「本邦税制及び課税関係雑件 シャープ使節団来日関係」,E’1.1.1.1-1,外務省外 交史料館資料).引用文中の「専売局」は「専売公社」 の誤りであろう. 35)本項での地方歳入,税収などの数字は,特 に断りのない限り『地方財政概要』各年度版のも のを利用しており,決算額である. 36)50 年度の数字は東京都徴収の市税相当分を 含んだ額である. 37)税収が絶対額で増大したところは,北海道, 東京,神奈川,富山,石川,福井,岐阜,愛知,京都, 大阪,兵庫,山口および福岡の 13 都道府県であった.
ている37).特に大きく税収が減少しているの は,青森,茨城等の農業県であり,この両県の 税収は約 3 分の 2 にまで減少していた.さらに, 各都道府県の歳入に対する税収の比率で見る と,49 年度から 50 年度にかけてその比率が増 大しているのは,東京,愛知,京都および大阪 の,都市圏におけるわずか 4 府県であった.一 方,大きくその比率を減少させているのは,同 様に青森,茨城,愛媛等の農業県であり,これ ら 3 県ではそれぞれ 31.0% から 19.0%,24.2% か ら 13.3%,24.6% から 14.1% と大きく減少してい た.都市圏の都府県においては道府県民税など の廃止となった税収分を上回る形で事業税など の税収が大きく増加した一方,農業県ではそう ならなかったことがわかる38).第二に,都市圏 における税収の集中度を見るために,東京(市 税相当分は含まない),神奈川,愛知,大阪,京 都,兵庫 6 都府県における税収の全都道府県税 38)例えば,事業税に関して見ると,青森県, 茨城県,愛媛県では 49 年度から 50 年度にかけて, それぞれ 1.1 倍,1.3 倍,1.5 倍にしか増加しなかっ たのに対し,神奈川県,愛知県,大阪府ではそれ ぞれ 2.4 倍,2.8 倍,3.7 倍に増加していた. 年度 1949 1950 1951 1952 1953 都道府県 道府県民税 11,852 - - - -地租 3,734 - - - -家屋税 3,948 - - - -事業税 19,564 36,569 84,641 86,848 91,142 入場税 8,072 13,290 18,331 20,600 18,980 酒消費税 2,694 - - - -電気ガス税 3,116 - - - -自動車税 1,571 1,778 1,984 2,433 4,201 不動産取得税 6,075 - - - -遊興飲食税 4,214 8,257 11,240 13,178 14,264 その他 7,807 9,803 4,695 3,202 2,982 東京都市税相当分 - 8,461 12,468 16,921 19,726 計 72,647 78,158 133,359 143,182 151,295 都道府県歳入計 241,435 296,928 390,460 481,088 613,103 市町村 地租附加税 4,075 - - - -家屋税附加税 4,202 - - - -事業税附加税 15,899 - - - -入場税附加税 8,006 - - - -酒消費税附加税 1,934 - - - -電気ガス税附加税 2,269 - - - -不動産取得税附加税 4,807 - - - -遊興飲食税附加税 2,396 - - - -市町村民税 13,714 46,459 60,862 71,871 82,678 固定資産税 - 41,150 56,999 70,435 78,517 自転車税 2,026 1,685 1,887 2,126 2,400 電気ガス税 - 4,692 8,815 12,670 14,295 その他 10,465 16,136 10,342 7,484 6,868 計 69,792 110,123 138,905 164,584 184,758 市町村歳入計 173,259 248,021 303,197 372,001 459,709 注:単位は百万円.市町村税収には東京都税の市税相当分は含まない. 出所:『地方財政概要』各年度版より作成 表 1 地方税収の推移
収(東京都の市税相当分は含まない)に占める割 合を見ると,49 年度には 42.9% であったもの が,50 年度には 45.1% へと増大し,その後も上 昇を続けて 53 年度には 49.0%にまで増大して いる39).シャウプ税制下において事業税への依 存度が増し,さらに 51 年度以降,事業税の税 収に占める割合が 6 割を越えるほどに上昇する と同時に,事業税の都市圏への集中の度合いも 高まっていったことが,税収の都市圏集中に大 きく影響していたと考えられる40). このように,シャウプ税制の導入後,農業県 を中心とする多くの県において税収が減少する とともに,都市圏への税収集中が進むことと なった.このような状況を栃木県の税務課長は 次のように述べていた. 「現在府県税の自主的財源としての意義は 極めて乏しく,殊に本県の如き農林業県に とっては県税の欠陥は致命的であるので県 税の自主的財源としての意義は,皆無に等 しいとさえ極限できるのである.かく如く して本県のみならず,いわゆる貧弱県の財 政は,従来よりも一層不安定,他律的なも のとなり,行政の計画性のある円滑な運営 は不可能であり,府県自治の危機を現出し ているのである.」41) こうして,シャウプ勧告に基づく新地方税制 は,「府県の立場からみると,むしろ改悪では なかったか」とさえ言われたのである42). 多くの県における税収の減少と同時に,農業 県を中心として納税者も大きく減少することと なった.例えば,栃木県では 49 年度に 273,488 人いた納税者が 50 年度には 55,473 人へと約 5 分の 1 へと減少しており43),山梨県でも納税者 数が従来の 7 分の 1 へ減少すると言われた44). このように農業に課税されず,農業者が税金を 支払っていないことは県の行政運営において問 題を生み出していた.すなわち,県税は都市に おいてその多くが徴収されていても,県の支出 は都市に向けるものが多いわけではなく,むし ろ農村に向けるものが多いところも存在した. したがって,都市方面からの反発が強まり,予 算が問題化するようなことも生じていたのであ る45).このことは農民の代表からも同様に問題 とされていた場合があったという.すなわち, 藤田武夫がヒアリング調査を行った際,ある農 民代表者は次のように述べていた. 「現在の府県税制の下では,農民が,府県 のためにほとんど税を納めていないので, 農民代表として知事に会っても,あまり大 きな顔をして農民達のために,土木事業や 産業施設を要求することができない.また 39)東京都税の市税相当分を含んだ数字で見る と,この値は 50 年度に 51.0%,53 年度に 55.7%と さらに大きくなる. 40)上記 6 都府県における事業税収の合計が, 全都道府県合計の事業税収に占める割合は,50 年 度に 42.7%であり,53 年度には 48.7%に上昇して いる. 41)臼井鼎(栃木県税務課長)「府県税制に関す る所見」,『税』1951 年 6 月,9 頁. 42)綱島憲次(埼玉県税務課長兼人事課長)「府 県税の現況と将来への希望」,『税』1952 年 1 月, 20頁. 43)前掲臼井「府県税制に関する所見」,13 頁. 世帯数に対する納税者数の比率を見ると,49 年 度には 98.3% であったのに対し,50 年度には実に 19.8%へと低下した. 44)「都県税務課長座談会」,『税』1950 年 8 月, 46頁.長野県においても,納税者は 7 世帯弱に一 人の割合となっており(岡村保「県税について思 うこと」,『税』1951 年 9 月,52 頁),茨城県でも 県民の 75% は県税を納めていないと言われた(「鼎 談会:地方財政を語る」,『自治時報』1951 年 4 月, 9頁).また,51 年度の数字であるが,都道府県全 体で見ると,納税者数の全世帯数に対する比率は 都市部において 21.9%,郡部において 15.6%(両者 の合計では 18.3%),人口に対する比率は都市部に おいて 4.8%,郡部において 2.9%(合計では 3.6%) であった(自治庁『地方税の現状と問題点』,12 頁, 戦後自治資料 35-86). 45)「地方財政の実情を語る」,『自治時報』1951 年 7 月,15-16 頁における興津力(栃木県),杉本 繁次郎(富山県財政課長)の発言を参照.
農村出身の県会議員のうちにもこれと同じ ようなヒケ眼を感じているものもある.府 県の最近の政策も,どうも商工業重視に傾 いていくようにみえる.従って,この際, 農民達は,府県住民を構成する一員として, やはり応分の府県民税を納めて,農民のた めに要求すべきものは,遠慮なく強く知事 に要求した方がいい.」46) 以上のような状況が,都道府県をして府県民 税の復活や酒・煙草消費税の導入を強く求めさ せることに繋がったのであった. 他方で懸念されていた徴税費について見る と,道府県税収額に対する徴税費の割合は,49 年度の 5.9% から 50 年度には 7.6% へ大きく増 大していた47).独立税主義により,税務行政の 分離も求められた結果,徴税費も増大したもの と言える. 一方,市町村について税収を見ると,49 年 度から 50 年度にかけて市税は 366 億円から 583億円へ,町村税は 332 億円から 519 億円へ と大きく増大し,歳入に対する比率も,市では 43.9%から 49.4% へ,町村では 36.9% から 39.8% へと上昇していた.その結果,市町村では都道 府県側とは対照的に,基本的にはシャウプ税制 を肯定的に捉えていたと言える.例えば,当時 全国市長会会長代理の金刺不二太郎は,市町村 に財源が付与されたことについて,「これはわ れわれが多年要望しておりました自治の確立の 第一歩であり,非常に喜ばしい」と述べ,さら に附加税が廃止され独立税が与えられたことに ついても,「徴税は困難であっても,財源を付 與されて完全に自治体になつた.政府に頭を下 げなくても,県に頭を下げなくてもやって行か れるという点からも,私は大賛成であります」 と述べていた48).ただし,既述のシャウプ第二 次使節団に対する全国市長会からの要望にある ように,市側では間接税が減少したこと,ひい ては毎月収入を得られる税目が少ないことを問 題にしており,依然として酒・煙草消費税を中 心とする間接税を新たな税源として強く求めて いた. 3 - 2.地方財政の赤字と大蔵省の見解 49 年度から 50 年度にかけての都道府県歳入 を見てみると,その額は 2,414 億円から 2,969 億円となり,約 2 割強増大していた.一方,市 の歳入は 833 億円から 1,179 億円へ,町村では 900億円から 1,301 億円へと増大し,市町村の 合計では 4 割以上の増大であった.同期間にか けての国の歳入規模は縮小していたことを考 えると,市町村を中心とする地方財源の拡充と いうシャウプ勧告の意図はある程度実現されて いたと言えそうである.しかしながら,前述の ように都道府県の多くが税収を減少させていた し,全体的に税収が増大した市町村においても, 地方財政に余裕が生じていたかと言えば必ずし もそうではなかった. 事実,50 年度決算において赤字となった地 方団体(=歳入不足のため繰上充用を行った団 46)藤田武夫「地方自治の実態(二)」,『自治時報』 1951年 10 月,45 頁. 47)自治庁『地方税の現状とその問題点』(戦後 自治資料 35-86).51 年度には 5.4% へまた大きく下 落しているが,これは事業税収入が倍以上に伸び たことと相俟って,都道府県税収が大きく増加し たことの影響であろう.同資料では 51 年度までの 数字しかないが,別の資料で見ると,道府県の徴 税費は 52 年度,53 年度と再び増大していることが わかる(自治庁『地方税関係資料』,1953 年 6 月, 戦後自治資料 35-12).一方,市町村の税収に対す る徴税費の比率も,49 年度の 4.5% から 50 年度の 5.5%へ増大している(自治庁『地方税の現状とそ の問題点』,戦後自治資料 35-86). 48)また,当時全国市長会理事の白鳥義三郎も, 50年度からの新地方税制について,「今回の地方税 制の改革は,多年財政の窮乏にあえいでおりまし た地方自治体にとりましては,きわめて適切なも のでありまして,民主政治の基盤たる地方自治は, これによってようやくその財政的基礎を確立し得 るのでございます.この点私たち地方行政の担当 者といたしましては,最も望ましいものだと考え るのであります」と述べていた.第 7 回国会,衆 議院地方行政委員会公聴会第 3 号,1950 年 4 月 12 日における金刺および白鳥の発言を参照.
体)が,都道府県において 4 団体(赤字額計 6 億円)49),市町村において 352 団体(赤字額計 43億円)存在していた(地方財政委員会[1952], 4頁)50).そして,赤字地方団体数および赤字 額はその後も増大していったのである51). 以上のような状況の中で,地方団体あるいは 地方財政委員会は地方財源拡充の必要性を訴え ていたが,大蔵省は地方財源の拡充,ひいては 地方財政の規模増大に対して否定的な立場で あった.例えば,50 年 9 月,大蔵省はシャウ プの第一次および第二次勧告が認める地方歳出 増大の必要性(ひいては地方財源拡充の必要性) に疑問を呈する,「地方財政の問題点」と題す る文書を作成していた(自治大学校編[1978], 209-213頁).そこでは,大蔵省による地方財政 の実態調査の結果から,特に市において職員の 給与が相当に高いことを指摘し,給与引上げの 経費は不要であるとする.加えて,庁費も「国 に比し相当多額」であるため,節約の余地があ るとする.同時に,「地方団体の財政難は平衡 交付金配分の適正を欠くことに起因するものが ある」として,比較的富裕な団体に対する交付 金の配分について疑問を呈した.以上の検討の 結果,大蔵省は「平衡交付金を増額する理由は 毫末も発見し得ない」上,地方税の減税すらも 可能であるという結論を示していたのである. 51年 7 月頃にも「地方財政の問題について」 と題する文書が大蔵省において作成されていた が,そこでも地方財政全体における新たな財源 の必要性は認めず,むしろ平衡交付金の配分の 適正化や,地方税の偏在に対応するような地方 税改正などを地方財政難に対する解決策として 示していた52). このように,地方団体側が財源の不足を訴え ていたのに対し,大蔵省は地方財源全体の規模 よりも,むしろ財源の配分方法に問題があると していた53).後に見るように,地方税制の改正 に対して,大蔵省が地方税偏在の是正と,それ に伴う財政調整費の削減を求めていたことに は,このような見方が背後にあったと言える. その意味で,都道府県が問題としていた道府県 税の偏在は,大蔵省としても解決したい問題で あった.それにより,地方財政調整費の削減を 期待することができたからである. 大蔵省が以上のような立場に立った理由とし ては,当時の国家財政における最大の問題が所 得税を中心とする減税にあったことと強く関係 しているだろう54).すなわち,その状況下では, 財源は地方財政費の増大に向けるより減税に向 けることが優先されたのである.事実,大蔵大 臣であった池田勇人は,51 年 7 月に開かれた 全国町村会総会において,「私は平衡交付金を ふやすよりも,まず第一に減税をする」と述べ ていた55). 49)収支を合わせるために支払うべきものを翌 年度に繰延したり,事業を翌年度に繰越したりし て決算した「実質的赤字団体」で見ると,都道府 県のその数は 21 にも上っていた(地方財政委員会 [1952],5 頁). 50)その状況を地方財政委員会は「このように 多くの地方団体が赤字を出しているということは 地方財政史上未曾有のこと」であると述べていた (地方財政委員会[1952],序説).地財委によると, 49年度の赤字団体数は都道府県において 2 団体(赤 字額計 1 億円),市町村において 157 団体(赤字 額計 6 億円)であったとされる(地方財政委員会 [1952],4 頁). 51)地方財政窮乏の大きな原因の一つは,給与 改訂により給与関係費が大きく増加していったこ とである.また,大蔵省は給与関係費を中心に, 財政需要を地方側が想定するものより少なく見込 み,その結果,平衡交付金や地方債の許可も地方 側の想定ほど与えられなかった.地方財政の窮乏 を反映している出来事の例として以下のものが挙 げられる.第一に,地方団体側による,平衡交付 金増額を中心とする毎年の運動である.第二は, 多くの町村による自治体警察の廃止である.第三 は,財政難の対応策としての町村合併である.赤 字地方団体数および赤字額の推移については自治 庁[1955],6 頁を参照. 52)時事通信(行政と法令版)1951 年 7 月 14 日. 53)また,毎年のような平衡交付金をめぐる大 蔵省と地方財政委員会・地方団体との間の激しい 対立の原因の一つもここにあったと言えよう. 54)当時の所得税減税の問題に関して詳しくは 村松[2011]を参照. 55)『自治特報』47 号,1951 年 7 月 27 日.
の削減のためであろう58).しかしながら,以上 の案は税源分離の原則からは掛け離れたもので あったと言えよう.後述する地方制度調査会で の議論において都道府県側がここまでの極端な 案を出すことはなかったものの,都道府県側が 税源の分離をほとんど重視していなかったこと がこの意見からも伺われる. この中,7 月 3 日には税制懇談会の地方税制 改正案が出された59).そこでは徴税事務の簡素 化と道府県税の偏在是正を狙いとして挙げてお り,大きな方向性としては知事会の要望と同様 であったと言える.しかし,具体的な中身では 知事会案と大きく異なっていた.第一に,附加 価値税の施行を取り止め,事業税を存続させる が,その課税標準は所得だけでなく売上金額, 従業員数または支払給与額を併用するものとす る.第二に,固定資産税の 3 分の 1 程度を道府 県税とし,市町村ではその移譲分を軽減する. その課税標準は道府県で決定する.第三に,煙草 専売益金と酒税の一部を都道府県へ移譲する. ここで固定資産税の一部府県移譲の案が出され たことには以下の理由があったとされる60).第 一に,市町村が固定資産を評価することにより, 市町村間で価額の決定が不均衡になることを恐 れた.第二に,たまたま大きな工場が所在して いると,その団体の収入が非常に大きくなると いうような税収入の偏在を防ぐためであった. 第三に,府県住民の多数が府県税を納めないよ うな状況を是正したいためであった. 一方,7 月 10 日には大蔵省主税局から地方 4.税制懇談会答申をめぐる議論 4 - 1.税制懇談会答申の作成 1951 年 3 月,吉田茂首相の主導の下に「税 制懇談会」が設置された.そこでの具体的な審 議の過程を知ることは出来ないが,懇談会に向 けて出された各団体の意見は,それらの考えを 知る上でも重要である. 懇談会における議論が行われている中,6 月 に全国知事会より「地方税財政制度改正案に関 する意見」が出された56).そこでは都道府県の 財源措置として,酒・煙草消費税の新設,所得 税・法人税附加税の新設,および入場税,遊興 飲食税,事業税の国税移管などを行うという試 案を出していた.酒・煙草消費税はそれまでも 一貫して求められてきたところであるが,附加 税の創設および主要な地方税の国税移管は従来 の要求と異なっている.都道府県の中でこのよ うな案が策定された経緯については明らかでは ないが57),都道府県税制が抱える問題を抜本的 な改正によって解決しようとするものであった と見ることができる.すなわち,都市偏在的な 税を国税に移管し,替わりに偏在の程度がより 少ない酒・煙草消費税および所得税附加税を導 入することで,偏在の問題を緩和する.法人税 附加税を導入するといっても,その規模を小さ いものにとどめようとしたこともその表れであ ろう.また,所得税附加税などは住民がより普 遍的に負担するものであり,納税人員の減少 の問題に対応するものでもある.また,道府県 民税ではなく所得税附加税とされたのは徴税費 56)全国知事会「地方税財政制度改正案に関す る意見」,1951 年 6 月 29 日(全国知事会[1957], 311-315頁). 57)所得税附加税に関しては,「府県民税を希望 する意見が多く,結局府県民税的性格を持つ,所 得税附加税を創設する案を採ることとし」たとさ れている(「世話人知事会議開催状況報告の件」, 1951年 6 月 26 日,東京都公文書館資料,マイクロ フィルム 36-79).ただし,後に見るように,それ 以降の知事会の意見では所得税附加税ではなく府 県民税が要求されている. 58)同意見では地方税財政制度改正の基本方針 として,「府県住民一般が府県費負担の責に任ずる 税制を確立する」,「国及び府県における徴税方法 を簡素化し,徴税の相互協力態勢を整備して課税 の公平化と徴税能率の向上とを図り併せて徴税費 の節約に資する」といった点を挙げていた. 59)税制懇談会小委員会「地方税制改正案」, 1951年 7 月 3 日(全国知事会事務局『税制改正 に関する資料集』,1951 年 10 月,戦後自治資料 35-29). 60)奥野誠亮(地方自治庁財政課長)「地方税財 政制度改正の方向を語る」,『税』1951 年 11 月,20 頁.
税制改正試案が示された61).その改正案の方針 は(1)地方団体,特に都道府県間の税源の偏 在を調整する,(2)地方団体に独立財源を賦与 する一方で平衡交付金を圧縮する,(3)地方税 制を簡易なものとし,国税および地方税間の課 税標準調査の重複を避けるとともに徴税費の節 減を図る,という 3 つであった.具体的な改正 試案は以下のようなものであった.第一に,煙 草専売益金および酒税の一部を都道府県および 市町村の財源として還付する.第二に,入場税 および遊興飲食税を国税へ移管し,税率を引き 下げる.第三に,事業税を廃止する.第四に, 新たに都道府県税として所得税附加税および法 人税附加税を創設し,軽度の税率により課税す る.第五に,固定資産税についてその 3 分の 1 程度を都道府県において課す.このように,主 税局の試案は上述の全国知事会試案および税制 懇談会案の両者を組み合わせたようなもので あった.したがって,全国知事会は,府県財源 を大幅に強化すること,国の方針によって生じ た府県の義務的支出は国庫負担とすること,煙 草専売益金の還付および酒税の一部還付は煙草 消費税・酒消費税の創設に改めること等を条件 としてこの試案に賛成していた62). しかし,市町村税の部分的な移譲を含むこの 案に,市および町村側は反対であった.全国市 長会では主税局案に対し,「新地方自治の確立 を目途として財政の自主と責任の明確のため附 加税制度を廃した現行租税体系を根本から覆え し,市町村財政は中央に於ては,大蔵当局,地 方に於ては府県の制御の下に立ち真の地方自治 体たる市町村自治は根底から否定されたと同一 の立場に置かれることとなる」として批判した 上で,固定資産税は「市町村財源の基礎をなす もので当然市町村税とすべき」として一部府県 移譲に反対し,また所得税・法人税附加税の創 設も市町村民税の減収をきたすことの無いよう 要望していた.一方,「煙草専売益金及び酒税 の一部を府県並びに市町村へ移譲することは多 年の問題であり,是非,実現を希望する」とし て賛成していたが,全国知事会と同様に還付税 制度ではなく独立の消費税にすべきであるとし ていた63). 全国町村会から提出された意見も市長会のも のと基本的には同様であった64).町村会では地 方税改正の基本方針として,「地方財政の充実 強化及地方税の自主性を目標とする現行税制を くつがえすような改革には反対である」とした 上で,「所得税附加税及法人税附加税の新税は 市町村民税と重複する惧があるから之に反対」 であるとした.また,固定資産税の一部府県移 譲も,「同税が市町村財源の基礎的のものであ るから絶対に反対」であった.ただし,酒・煙 草消費税に関する意見は知事会,市長会のもの と異なっていた.すなわち,全国町村会の案は 酒・煙草消費税を独立税として創設するのでは なく還付税とするものであり,さらにそれを平 衡交付金の財源に充てるというものであった. 以上のように,地方税制改正における中心的 な論点は,その偏在や徴税費の増大といった道 府県税の問題を是正する方法についてであった と言えよう.しかし,それはただ単に道府県税 の中だけの議論にはとどまらず,固定資産税の 一部府県移譲など,市町村税にも関わってくる 問題となっていた.市町村側はそれに対して強 く反発したが,そこで主張されたことは,シャ ウプ地方税制の体系を覆すべきではない,すな わち税源分離の原則を崩すべきではないという ものであった.もっとも,市町村側としても, 厳密に税源分離を守ろうとしていたとは言いが 61)主税局「地方税制改正主税局試案」,1951 年 7月 10 日(『自治特報』第 74 号,1951 年 7 月 27 日). 62)全国知事会「地方税制改正に関する主税局 の試案に対する意見」,1951 年 7 月 14 日(前掲全 国知事会事務局『税制改正に関する資料集』). 63)全国市長会「地方税制改正主税局試案に関 する意見」,1951 年 7 月 17 日(前掲全国知事会事 務局『税制改正に関する資料集』). 64)全国町村会「地方税財政制度の改革につい ての意見」,『自治特報』第 78 号,1951 年 8 月 24 日.
たい.特に市側が要望していた酒・煙草消費税 では,国税との重複や,国からの介入を避ける ことは困難だからである65).その意味で,都道 府県に自らの税源が移されることに対する防御 の論理として,市町村側は税源分離の維持を主 張していたと言えよう. 以上のような議論を経て,税制懇談会では 9 月に再び答申として改正試案を出したが66),7 月 3 日の懇談会案に変更が加えられているもの は以下の諸点であった.第一に,附加価値税は 廃止とするが,存続する事業税の課税標準に は所得と売上金額の両者を併用するものとし た67).新しい事業税にこのような外形標準的な 要素が加味された点は,奥野が「売上金額を課 税標準とするような税は是非持ちたい」と述べ ていたように,地方自治庁の考えに沿うもので あったと言える68).第二に,固定資産税の一部 府県移譲を盛り込まなかった代わりに,発電所 施設に対し発電所施設税を課し,道府県と市町 村との間で折半するものとされた69).第三に, 都道府県への還付税として酒消費税および煙草 消費税を設けることとされ,人口又は売上金額 に按分して交付するが,富裕な団体には交付し ないものとされた70). 4 - 2.総司令部による反対と地方税改正案の 修正 しかし,総司令部の ESS は以上の税制懇談 会案を強く問題視していた.すなわち,懇談会 案は概して,税源分離の原則に背くものであ り,その意味でこれは,シャウプ勧告ひいては 日本の民主化という総司令部の基本方針に背く ものであるとした71).52 年度の地方税改正成 案は懇談会の答申を基本として検討されていた が72),ESS はほとんどの主要な点に承認を与え 65)酒・煙草消費税の創設ではなく,酒税・煙 草専売益金を還付するという町村会の案を,税源 分離という観点からどう評価するかというのは難 しい問題であるものの,町村会が税源分離という 観点から酒・煙草の消費税の導入に反対していた とは言いがたい.町村会が,酒・煙草消費税の導 入に賛成でなかったのは,後述の地方制度調査会 における議論に見られるように,同税では町村内 での税収格差が大きくなってしまうためであった. 66)小委員会第 5 次試案「地方税制改正に関す る懇談会答申」,1951 年 9 月 22 日(前掲全国知事 会事務局『税制改正に関する資料集』). 67)所得および売上金額については課税標準の 重複調査を避けるため,所得税および法人税の課 税の基礎となったものを用いるものとした. 68)前掲奥野「地方税財政制度改正の方向を語 る」,19 頁.また,当時地方財政委員会府県税課長 であった柴田護はこの点を次のように述べている. 「附加価値税を廃止して事業税を存置するという懇 談会案に対しても,物税としての事業税の特色が 薄れていくことを大変嘆いて,局長(荻田保:引 用者注)や奥野財政課長に意見具申めいたことを したことをかすかに覚えている.事業税を附加価 値税の代案として存続せしめるのであれば,所得 と伴わせて何か別の標準をとって,その特色をも たしたいという気持ちが,所得と伴わせて売上金 額をとるということに結実したように思うのであ る」(柴田[1975],95-96 頁). 69)固定資産税の府県移譲が取り下げられた理 由について奥野は次のように述べている.「殊に全 国市長会や,全国町村会が固定資産税の一部を府 県に移譲するということについて猛烈な反対をい たしましたし,又一つの税を府県と市町村とに分 ちますことは責任をそれだけ分散することになり ますし,その上にすでに市町村では固定資産評価 員を設置して現実に評価事務をどんどん進行させ ている際でもありますので,余り軽々に制度の根 本に触れたような改正をされることは適当ではな いと考えられたのです」(前掲奥野「地方税財政制 度改正の方向を語る」,20-21 頁). 70)富裕団体へは配付しない形となった一つの 理由を奥野は次のように述べている.「東京や大阪 には比較的多額の税収入がありますが,酒やたば こに対する課税を地方の独立税として設けた場合 にはこれらの団体にますます多くの税収入が偏在 して行くことになるわけです.そこで酒やたばこ に対する地方税を富裕な地方団体には交付しない 方法を考えたらいいと思います」.さらに奥野は, 富裕団体に交付されない分は地方財政平衡交付金 の特別交付金へ算入し,他の地方団体に配分させ るという方法を考えていた(前掲奥野「地方税財 政制度改正の方向を語る」,23 頁).一方,固定資 産税の一部府県移譲が考えられていた際,市町村 の減収に対する補填措置として市町村にも酒・煙 草消費税を配付するという案が考えられていたが, 固定資産税の一部移譲が盛り込まれないことに伴 い,市町村の酒・煙草消費税も盛り込まれないこ ととなった.
ず,その結果,改正案は白紙に戻さざるを得な くなった73). したがって,廃止が予定されていた附加価値 税は 52 年 1 月から実施することが求められた. しかし,全国知事会はそれに反対であり,実施 のさらなる一年延期を求める要望書を提出して いた74).その理由は第一に,附加価値税の実施 によって,現行の事業税を存続する場合と比較 して減収が見込まれていたことであり75),第二 に,附加価値税は「府県においては殆んど無準 備の現状で(昭和:引用者注)二十七年度から の実施は事実上困難である」ことであった76). 既述のように,都道府県側からは法人税附加税 の導入という案さえ出されていたのであり,減 収が予想され,さらに徴税の複雑化も予想され る附加価値税の導入に対しては,都道府県側が 認める利点はほとんどなかったと言えるだろ う. このような状況下で,岡野清豪地方自治庁長 官は附加価値税実施の延期をめぐって ESS 局 長のマーカット(William F. Marquat)と折衝を 行っていたが,承認は得られず77),その実施は 決定的と見られた78).しかしながら,岡野長官・ 池田蔵相の連名で延期の要望書を提出するなど した結果79),実施の準備を進めた上で,53 年 1 月より附加価値税を実施するという条件で,1 月 25 日に ESS よりその延期が認められた80). このように附加価値税の実施はさらに一年延 期されることとなった.しかし,いずれにして も,懇談会答申に基づいて考えられた大規模な 改正は行われず,52 年度の改正は法人税の税 率引上げに伴う市町村民税法人税割の税率調整 などの小規模な改正にとどまった81).したがっ て,地方税制の大規模な改正は翌年以降へ持ち 越されることとなったのである. 5.地方制度調査会と「大改正」の実現 5 - 1.地方制度調査会の発足と新事業税の議論 1952 年 4 月,日本は独立を向かえるが,そ れに伴い戦後の地方自治制度を総合的に再検討 71)懇談会案およびそれに基づく改正案に対 する ESS の批判については,G. H. McCaffrey, ” Local Autonomy Agency Suggested Amendments to Local Tax Law,”Sep. 7, 1951, File Folder: “Analysis of Tax Council Program,” Box 8376, G. H. McCaffrey “Revision of the Local Tax Law,”Dec. 3, 1951, File Folder: “Revision of Local Taxes,” Box 8376, E. M. Reed, “Weekly Tax Report – Proposed Abolition of Certain Major Tax Reforms,”Dec. 31, 1951, File Folder: “ESS Finance Division,” Box 5977, E. M. Reed, “Japanese Government Proposals for Tax Changes,”Jan. 7, 1952, File Folder: “ESS Finance Division,” Box 5977,『地方財務協会時報』 115号,1951 年 12 月 25 日などを参照. 72)懇談会答申に基づいた改正案の要綱に関し ては,前掲『地方財務協会時報』115 号を参照. 73)朝日新聞 1951 年 12 月 21 日,『自治特報』 第 95 号,1952 年 1 月 4 日. 74)全国知事会「附加価値税の実施に関する要 望」,1952 年 1 月 18 日(全国知事会[1957],318 頁). 75)地方財政委員会によれば 52 年度中で 77 億 円,平年度で 190 億円の減少が見込まれていた(『地 方財務協会時報』116 号,1952 年 1 月 18 日).た だし,知事側はそれ以上に大きく減収するものと 見ていた(「世話人知事会議開催状況報告の件」, 1952年 1 月 22 日,東京都公文書館,マイクロフィ ルム 36-79). 76)柴田護はこの点,懇談会の答申によって, 附加価値税の「実施についての準備作業を中絶し ていただけに,GHQ の実施延期反対という意見に は,正直なところ参ったものである」,と述べてい る(柴田[1975],95 頁).
77)M. Matsukata, “Memorandum for the Record,”Jan. 23, 1952, File Folder: “Local Taxation System – Reform,” Box 2144.
78)読売新聞 1952 年 1 月 25 日.
79)Letter to Marquat from Okano and Ikeda, Jan. 24, 1952, File Folder: “ESS Finance Division,” Box 5977. 80)延期を認めた点についてマーカットは,「私 は,占領が間もなく終了し,たとえ附加価値税の 延期が止められ得る場合でも直接的な圧力を与え ることは望ましくない,という観点から,この措 置(附加価値税実施の延期:引用者注)が全ての 関係者にとって最大の利益となると信ずる」と述 べていた(Marquat, “Memorandum for: General Hickey,”Jan. 26, 1952, File Folder: “ESS Finance Division,” Box 5977).
81)ただし,国会の審議の過程において入場税, 遊興飲食税の税率引下げなどの修正が行われた.