織間関係および対地域社会活動
著者名(日)
大坪 省三
雑誌名
東洋大学社会学部紀要
巻
38
号
2
ページ
117-308
発行年
2001-02
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002248/
帯広市に存する集団・組織の対外活動
一集団・組織間関係および対地域社会活動一
External Activities of Groups and Associations in Obihiro City: Mutual Relationships among them and Activities to the Community大坪省三
OTSUBO Shozo
Abstract
To know the social structure of Obihiro City, Hokkaido, I researched and listed almost all social groups and associations as elements of the structure besides individuals, households and establishments which have existed there in the last 丘fヒeen years(the first list). The city has a population of more than one hundred seventy thousand. I could put around six thousand names of those social groups and associations on the comprehensive list. In addition, I could set the annual list arranging them by their year of organization which connects to the social change of the city(the second list). Then, to know the social relations among these elements, I supposed several patterns of mutual relationships among them according to their external activities (pattern A~pattern G). Furthermore, I supposed several patterns of their external activities to the community(pattern K~pattern P). There are such patterns as the ‘independent’pattem, in which a group seldom has relations with other groups of the same kind, and as the‘outside the community’pattern, in which a group or association works fbr the benefit of fbreign people. A丘er setting those parameters I chose suitable cases fbr each pattern and described some of their external activities. I examined thirty eight cases from the two lists. Those cases indicate some aspects of the social structure of Obihiro City regarding such external activities.要
旨
人口17万余の北海道帯広市がどのような都市社会であるのか、どのようにして都市社会であるの かを理解することを主眼とし、帯広市の社会構造と社会変動を捉えることを課題とし、社会構造の 構成要素を個人、世帯、事業所、各種集団・組織と想定した上で、まずこの地に存する各種集団・ 組織に注目し、その分野別一覧表(別表1)を作成して来た。そして社会変動を捉える用意として 設立年次別一覧表(別表2)も整えた。本稿では、帯広市の社会構造を描き出す前作業として、こ れら各種集団・組織相互間の関係のありようと、各種集団・組織がその存立する地域社会に対して どのような活動を展開しているか、それぞれいくつかの形態を想定し、該当する具体例を提示した。 この点で本稿は各種集団・組織の活動を通して、集団・組織間関係と対地域社会活動の状況把握に 関する試論となっている。これらの考察に際して、集団・組織間関係がない状況や、地域社会に向 けた活動をほとんど行なわない場合をしっかりと位置付けた後に、有関係の諸形態とさまざまな対 地域社会活動を考察した。今後さらにデータを読み込んで本稿の試論とした所をより明確にする課 題が見通される。目
次
はじめに 第1章 都市社会構造の一環としての集団・組織間関係および対地域社会活動 1.調査研究の経緯と研究目的 調査研究の経緯/研究目的 2.都市社会の社会構造と構成要素、各種集団・組織の諸側面 社会構造の概念/都市社会の社会構造/構成要素/都市社会の社会変動/各種集団・組織の 諸側面 3.活動を捉える視点、対外活動 活動を捉える視点群/対内活動と対外活動/集団・組織間関係/集団・組織間関係の諸形 態/対地域社会活動/対地域社会活動の諸形態 第2章 集団・組織間関係の諸形態 1.想定した集団・組織間関係諸形態の具体例 形態A〔二集団・組織間の直接的関係〕/形態B〔単位集団一連合組織間関係〕/形態C 〔連合組織内単位集団間関係〕/形態D〔協議・実行組織的関係〕/形態E〔抗争関係〕/ 形態F〔独立・排他的関係〕/形態G〔当座無関係〕2.社会構造への接合 第3章 集団・組織の対地域社会活動の諸形態 L 想定した対地域社会活動諸形態の具体例 形態K〔対地域社会活動主目的、全域ないし特定対象物向け〕/形態L〔対地域社会活動主 目的、特定社会層向け〕/形態M〔市内一定地域向け活動主目的〕/形態N〔超地域活動向 け対地域社会活動〕/形態O〔対内活動主目的、集大成的対地域社会活動〕/形態P〔対内 活動主目的、付随的対地域社会活動〕 2.社会構造への接合 おわりに 参考文献 別表1 帯広市に存する集団・組織分野別一覧表 別表2 帯広市に存する集団・組織設立年次別一覧表
はじめに
筆者は「わが国の都市社会がどのようにして社会であるのか」を理解せんとし、このことを人口 17万人余の北海道帯広市について具体的に捉えようとして来た。すなわち、帯広市の社会構造と社 会変動を描き出す試みである。 一つの地域社会たる帯広市の社会構造を捉えるために、その構成要素として、この地に生きる17 万余の個々人と、それらの人々が結成する集団ないし組織、すなわち7万余の世帯、1万余の事業 所、およびその他の各種集団・組織を想定した。そして世帯と事業所のほかの各種集団・組織とし てどのようなものがあるのか、種々の文献と資料を探索し、約6千の各種集団・組織の存在を確認 した(『地方都市の社会構造把握一北海道帯広市に存する集団・組織』文部省科研費研究成果報告書 改訂版、1999年5月刊)。 これに続けて行なうべき作業は、存在を確認した6千に及ぶ各種の集団・組織が展開する活動を 確かめることである。関係する諸制度に枠付けられ、あるいは支えられながら、これら個人と集 団・組織が日々織りなす活動こそがこの都市社会の内実をなすのだと思われる。そこで本稿では、 これらの諸活動のうち、各種集団・組織が関連する他集団・組織と取り結ぶ関係のありようと、い ずれかの地域社会へ向けられる活動とを跡付けようと思う。この作業はこれまでの現地調査および 収集した現地文献資料から得たものを素材としており、2000年9月の第45次帯広調査だけの成果と いう訳ではない。 なお本稿は、東洋大学帯広・十勝調査団編『空、山、大地~無限大一2000年度東洋大学帯広・十 勝調査報告書』(2㎜年12月刊)へ収録したものへ若干手を加えたものである。第1章 都市社会構造の一環としての集団・組織間関係および対地域社会活動
1.調査研究の経緯と研究目的
鯛査研究の経緯 1979年帯広市を調査対象地の一つとした東洋大学地域社会研究会の共同研究課題 は「地域社会計画と住民参加」というもので、帯広市総合計画が中心的に扱われていた。筆者は、 単に市行政と市議会による総合計画だけでなく、市役所個別部局の作る計画、たとえば教育長期計 画や下水道普及計画、また市内に存する個々の事業所や各種団体の作る個別計画、たとえばある病 院の増設計画や商店街組合の活性化計画など、市内の一部地域に関わるものもまた地域社会計画と 捉えるべきではないかと主張した。この段階ですでに研究視点を広げていた。そして種々の地域社 会計画を作成する主体として、帯広市には事業所のほか町内会や商店街組合などどのような集団な いし組織が存しているかを確かめる作業へ進んだ。 やがて共同研究は沙汰止みとなったが、1985年研究チームの一員、服 光夫(現千葉明徳短大教 授)と調査研究を再開して数年継続した。近年は筆者単独研究となった。もっとも、帯広市を社会 調査実習の対象地とさせて貰い、個々に調査テーマを設定した学部学生および大学院生諸君と帯広 市ないし十勝一円へこの十数年訪問している。 さて、帯広市に存する集団・組織のリスト作成資料として用いたものの一つに『十勝年鑑2があ り、さらに定期購読を始めた地元紙「東北海道新聞」(現在休刊)と「十勝毎日新聞」(略称、勝毎) および道内紙たる「北海道新聞」(略称、道新)の紙面からも各種の集団・組織名と活動の一端を確 認することが出来た(共同研究中の1980年度1年分の十勝毎日新聞、調査再開後の1988年から東北 海道新聞を、そして1990年勝毎も併読し、しかし、切り抜き作業が膨大となったため1991年から勝 毎一紙に絞って今日に及んでいる)。 これら地元紙が報じる地域情報は相当に詳しく、たとえば勝毎には久しぶりに開かれたクラス会 の様子さえ写真入りで掲載される。市長選や市議選の動き、市行政の内容、十勝農業の状況、商店 街の取り組み、合唱グループの発表会の模様等々が報じられることは言うまでもない。いわゆるロ ーカル紙として勝毎は出色の新聞の一つである。このように地元情報の豊富な紙面を切り抜くうち に、帯広市を“丸ごと”判りたいと研究関心をさらに拡げるに至った。 研究目的 一つの都市社会を全体的に捉える研究に、「都市総合調査」と呼ばれるいくつかの調査報 告がある(例、『浜松市総合調査』1958年)。これらの大半は共同研究チームによって、ある都市の 政治、産業、教育、文化等、多くの側面が論及されている。しかし筆者は必ずしもこれら都市総合 調査の系譜に連なろうとはせず、現地データを織り上げて帯広市の全体像を描き出すこととし、「綜合」の語を用いた。確かに、これまでの論稿において帯広という都市社会の多くの側面に言及して いるが、数多くの視点から論じる「総合調査」だとは認識しておらず、つぎの二つの視点から同市 をほぼ全面的に理解しようとする立場である。すなわち、帯広市の社会構造を究める視点と、帯広 市の社会変動の諸相とその要因を究める視点である。後者は未だ着手するに至っていないが。 帯広市を“丸ごと”判りたいという無謀な試みは、『都市社会学原理』(1957年)の著者、鈴木栄 太郎が提示した都市社会の「社会的統一性」の概念に負う所が大きい。大都市は言うまでもなく、 人口17万人余の帯広市であっても、そこに生きる人々は相互にほとんどすべての他者と面識がある のではないものの、それでも一つの聚落社会(鈴木の用語、集落社会と同義)としてのまとまり (社会的統一・性)を有しているかに見える。 人口数百人程度の村落社会では、かつて鈴木が「自然村の概念」(『日本農村社会学原理』、1940年) を提示するに際して注目した、そこに生きる人々の形成する諸集団の累積状況とさまざまな付き合 い、すなわち社会関係の累積状況があって、構成員たちは相互にほぼ認知し合っていると見られる。 これと同じ状況が都市社会にない訳ではない。都市社会に生きる人々もまた身内以外に、学校友達、 職場同僚、趣味仲間、隣人など相互に認知し合う他者を相当数有している。だが、一つの聚落社会 たる都市社会では、その外側に圧倒的に多数の見知らぬ他者が存在している。これら“聚落社会内 の見知らぬ他者”との関係をどう捉えるかこそ、都市社会がそれなりにまとまり(社会的統一性) を見せる訳を解き明かす道筋になると思われる。その関係を、相互に相手の存在を必要とし利用し 合うものとして、「利用関係」と言い表そうと思う。 本稿の主題は“聚落社会内の見知った他者”同士が結成する各種の集団・組織の活動、それも対 内活動ではなく、対外活動へ注目するものである(ある種の大規模な組織ではそのメンバー同士が 必ずしも見知った関係にあるとは言えない場合があるが)。これは都市社会がどのようにして社会で あるかを解き明かす作業の一環であって、都市社会の構成諸要素間の関係のありようと、個々の集 団ないし組織がその周囲の“聚落社会内の見知らぬ他者”を多数含む地域社会へ働き掛ける内容と を問うこととなる。
2.都市社会の社会構造と構成要素、各種集団・組織の諸側面
社会構造の概念 構造という語は物の組み立てられ方を言い表すものである。これを人と人との関 係の組み立てられ方を捉えるために援用するとき、集団ないし組織の内部構造、家族構造、地域社 会権力構造、そして社会構造などの語が用いられる。社会学的な観点から用いるこの社会構造 「social structure」の概念をどのように規定するか、「新社会学辞典』(森岡清美他編、有斐閣、1993 年)の中で斎藤吉雄はつぎのように説明している。広い意味で構造とは、何らかの斉一性、パターンが存在していることであり、さらに所与の全 体を構成している諸要素、諸部分の分布状態や分化の程度あるいは布置状況を意味する。より狭 い意味ではそれら諸要素間および全体との関連のあり方の中に認められる何らかのパターンを指 す。社会を構成する諸要素がどのように組み合わされ、関連付けられているかを示す概念である。 したがってまず、集団や地域社会あるいは全体社会など、多様な範囲と規模、内容にわたって存 続し展開している社会諸過程の中に、何らかの斉一性、規則性、関連性が存在すると前提して、 構成諸要素と、それら諸要素の分布状態や配置状況を確認することから始めねばならない。そし てそれら諸要素の関連状態、分化や統合あるいは相互依存性や均衡状況のみならず、決定・非決 定、拘束、制約、支配・従属、対立葛藤などの諸社会関係の全パターンが総体的に把握された場 合、それこそが厳密に形式的な意味での社会構造なのである、と。 筆者はおおむねこの説明に従い、帯広市という都市社会を所与の対象として、ここに存する個人、 集団ないし組織を構成要素と捉え、それらの布置状況や相互の関連の模様を出来るだけ多く把握し てその社会構造を描き出そうとしている。社会構造はふつう具象化されておらず、研究者が必要十 分な資料を用いて再構成し文章化することによってようやく顕れて来るものだと思われる。 都市社会の社会構造 構成諸要素間の関係を総体的に捉える作業は、家族集団の内部構造を捉える 場合には、構成要素が僅かだからその全体を把握出来よう。また、家数が数十ないし百戸程度の村 落社会ならば、その構成要素ほとんどすべてに取材して村落社会構造を描き出す作業をすでに多く の村落社会研究者が手掛けている。この点で大都市はいうまでもなく、小都市であってさえ、その 構成要素すべてに取材することは量的に困難である。そこで構成要素の一部を取材し、全体を推測 する手法が採られる。本稿もまたこのような手法を採らざるを得ない。ただし、帯広市に存する各 種の集団・組織についてはその全数を把握することに努めた。 なお、秋元律郎らが愛知県刈谷市で行なった地域権力構造に関する調査研究は、都市社会構造中 の権力構造に関するものであって、同市の社会構造全体を描き出してはいない(秋元律郎『現代都 市の権力構造』、1971年)。とはいえ、構成要素の一部分を切り取るという手法だけでなく、社会構 造のある側面に限って描き出すという手法があり得ることを示唆してくれる。地域権力構造論のほ かに、商店街組合内部および商店街相互間の関係等を問う地域産業構造論、社会福祉諸分野の当事 者・関連施設とその従事者・施設周辺住民との関係等を問う地域福祉構造論、その地における文学 活動、美術活動、音楽活動等に携わる個人や諸団体の布置状況を問う地域文化構造論などを構想す ることが出来よう。 構成要素 帯広市の社会構造を把握するに当たり、その構成要素として、個人、集団ないし組織を 設定すると述べて来た。社会構造の基本的構成要素は個々人を置いてほかにないが、それら諸個人
は個人として活動するほかに、しばしば家族ないし世帯の一員として、また学校のクラスや職場の 一員として日々活動している。したがって、社会構造のいま一つの構成要素として、世帯、事業所、 その他の各種集団・組織を設定する次第である。帯広市に存する世帯について、ほんの数十例なが らかつて世帯単位の調査を行なった。帯広市に存する事業所の大半を占める各種企業の活動につい ては、既存の事業所単位の調査を応用するに留める。これらのほかの各種集団・組織については、 まずその存在を確認するものとして、前述改訂版中の「帯広市に存する集団・組織分野別一覧表」 にそれぞれの名称、代表者名、成員数、設立経過等を示した。その後この一覧表へ新たに追加すべ きものや修正すべき点が判明した。改訂版に収録した数は4千余と膨大な数なので若干整理しつつ、 別表1として再改訂版を収録する。本研究の基底をなす一覧表である。 そして、社会構造の構成要素ではないが、構成要素相互を関係付ける諸制度を視野の内に入れる。 この場合の制度の概念は法規、会則等明文化されたもののほか、人々の間にある慣習、申し合わせ 事項等を含める。 都市社会の社会変動 さらに、設立時期の判明したおよそ半数の集団・組織の名称を、設立年次別 に配列して別表2「帯広市に存する集団・組織設立年次別一覧表」とした。これは帯広という都市 社会の社会変動の一端を捉える基礎的作業である。本稿は都市社会の社会構造を把握することが主 眼だが、社会構造は社会変動の積み重ねの中に形成されて来ると想定されるのであって、集団・組 織の活動自体が社会変動の要因をなすと見なされるのでもあり、社会構造を把握するに際して、そ の地の社会変動は常に視野の内に入れて置くべきものと心得ている。 もとより、倉沢進が徳島市の社会構造を描き出した際に「人間は入れ替っても社会構造が動かな い」と述べたように、社会構造はあまり揺るがないものと想定されている(倉沢進『日本の都市社 会』福村出版、1968年、91頁)。 本稿においてもそのようなものと捉えるが、都市社会の社会構造のある部分は時に変化すると仮 定して置くべきだろう。たとえば、今日の帯広市は明治年間初期にはまだその影すらなく、中期以 降十勝平野各地に開拓者が移住して来、それらの人々の生活の必要に対応すべき都市的要素が帯広 の地に蓄積され、それに伴って都市社会としての社会構造が形成された模様である。社会構造自体 が変動過程にあったのだ。昭和8年1933年に帯広市制が制定された頃には今日の帯広市の社会構造 の基盤となる状況が整っていたと思われる。明治30年代初期にはすでに都市的形態が見られ始め、 それからすでに半世紀近く経過しているから、今日見る帯広市の都市社会としての原型はもっと早 い時期に形成されていただろう。このことに関する実証的研究は他日を期さねばならない。 そして今日、男女間や世代間の関係など個人間の間柄のほか、市民と行政当局との関係、企業と 地域社会との関係等々のありようが問われ、より望ましい形を求めて議論や活動が展開している。 これらは既存の社会構造の当該部分に変更を迫る動きだと言えよう。 別表2「設立年次別一覧表」を目で追うと、人口10数万人の帯広市において、実に多数の集団な
いし組織が年々設立されて来たことを読み取れる。1986年から2000年までの間、設立年が判明した ものだけでも月々7~8件ほど新たな集団・組織が結成されている。それらの中には法律の制定な いし改定に伴って設立されたもの、全国的な社会変動に符号して創設されたもの、帯広・十勝にお ける地域問題ないし地域課題へ取り組むために結成されたもの等が見られる。ある種の社会変動に 対応して結成され、その後の活動によって自ら社会変動の一翼を担い、部分的であれ、帯広市の社 会構造の変容をもたらすものと思われる。ただし、帯広市の既存の社会構造自体を把握していない から、既存の社会構造のどの部分をどのように変えたかを捉える作業はまだ遠い先の話である。 帯広市における社会構造と社会変動との係わりについて、これまでに気付いたことの一つは商店 街および商店街組合のありようについてだった。同種の商店は時に同業組合を結成する一方で顧客 獲得の点で互いに競い合う関係にあり、各種の商店群を含む商店街もまた相互に競合する関係にあ ることを看て取った。そしてそれゆえに、個々の商店や商店街組合は、店舗改装や商店街近代化事 業など、自らを改編する努力を間断なく投じている。すなわち競合関係にあるという社会構造が社 会変動を促していたのである。したがって、別表1中「NF商店街、大型店」の分野では市内の商 店街組合だけでなく、これらと競合関係を持つと思われる十勝管内19町村に存する商店街組合を収 録したのだった。 各種集団・組織の諸側面 上記改訂版中の分野分類別集団・組織一覧表そして後掲別表1中には、 その集団ないし組織の「設立年月」「名称」「ある時点の代表者名と成員数」「設立経過等」を、判明 する限り、各1行分だけ収録し、すべてについて整理番号を付けた。それらは1986年から2000年ま での間に帯広市に存した集団・組織であって、それ以前に設立されて今日に及ぶもの、この期間中 に設立されて今日に及ぶもの、すでにこの期間中に解散したものが見られた。そして「設立経過等」 の僅かなスペースに設立目的、発起人、会員の属性、内部組織、若干の活動内容を盛り込む場合が 半数ほどあった。 設立目的ないし活動内容(名称だけからそれを判断したものもある)によって大・中・小・細分 類に分野分類し、その記号と一・連番号とによって整理番号を付けた。この作業によって設立年次別 一覧表や本稿のように一部の集団・組織に関するより詳しい記述を行なう際に、分野別一覧表と照 合することが容易になった。 分野別一覧表はまさしく全体を見渡す便宜を果たしている。ただし、この一覧表に記載した個別 集団・組織の内容はごく限られたものであって、その活動内容、会費、当面する課題等は別途記述 すべきものである。こうした意図を持って1997年度に行なった「帯広市400団体調査」(回答172団体) の質問項目は、 1.設立目的と設立準備段階 2.設立時期、設立時の会員数 3.設立時の役職と役職者
4.会員の状況一現会員数、個人会員の性別・年代別割合、加入資格、会員募集 5.役職者と内部組織一事務局態勢を含む 6.会則、会費、活動資金、会報、会のシンボル、関連組織等 7.活動状況一総会、年間活動記録、活動の場、活動の頻度、外部との関係 8.当面する問題 9.設立時からの変遷一会員数の推移、歴代役職者、活動の主な変遷 10.将来計画ないし今後の見通し であった。この調査によって各種団体から得た回答と提供して貰った資料は膨大な量となった。本 稿はこの調査の遅れ馳せの報告書の一つである。
3.活動を捉える視点、対外活動
活動を捉える視点群 本稿では「活動」の語をその意味するところは自明のこととして頻繁に用い る。だが、主要な用語だからこそ一度立ち止まって考えたい. ある集団における活動の具体的な姿はその集団の設立目的に沿う事柄を実行することだろう。た とえば絵画グループならば、週に一度定例会場に集まり、主宰者の話を聞きつつ絵を描いて行く過 程であり、年に一度その集大成としてグループ展を開くといった姿である。このために主宰者のほ かに代表者や会計等の世話役と連絡網を決め、必要な経費を集め、定例会の日時と場所を決め、記 録を取り、グループ展の準備と後始末をし、時に他の友好グループと連絡を取り、加入している文 化団体連合会の会合に代表者が出席したりする。これらは一年を刻みとして進行し、10周年や20周 年の折にはちょっとしたパーティーを開く。こうした活動の積み重ねがあって会員たちの腕は上が り、グループ展の折など忙しい思いをし、会員間で多少ぎくしゃくすることがあっても満足感が得 られている。しかしやがて主宰者を含めて会員たちが高齢化し、活動を続けることが困難になって 行く。活動の活発な時期がある一方で、定例会への参加者が減り始め、やがて開店休業状態が到来 する。若い新規会貝を募って世代間継承が順調に進めばもっと長続きする。 各種のスポーツ愛好会を含めて、技能を高めることを目指すこうした集団の場合、主たる活動の 一つであって定例的に行なう練習活動、発表会や対外試合などそれらの集大成的活動、これらの活 動を可能にするための役員・事務局による下支え活動が見られる。 他方、同郷会、同窓会、同年会などは年に一度か二度集まっては懇親を深めることが主な活動で あって、この行事と役員・事務局による下支え活動でほぼ尽くされる。商店街組合ならば中元・歳 末大売り出しや夏祭りの開催など顧客向けの対外的活動を始めとして、商売に直結する共通スタン プの発行、駐車場確保に関する相談、商店街活性化のための街路整備や制度資金導入に関する市役 所や商工会議所との交渉、商店街連合会会合への出席、会員商店の動向に関する情報収集等多岐に亘り、規模の大きい組合では専属の職員を置いて日常的な下支え業務に対処する。また、個別町内 会を単位とする町内会連合会や、防犯協会のように全市的組織の内部に地区組織を置くものの場合、 連絡調整、全体的意向の取りまとめ、関連行政機関との交渉などが重要な活動内容となる。さらに、 こうした連合会の会長は市役所など行政機関の諮問会議への出席やより広域の同種連合組織への出 席が求められる。単位町内会や地区組織は数多いから、情報共有のための文書発行が事務局の欠か せない任務となる。 このように、何かをなすために諸個人・世帯・個店などが結成した集団やそれらを加入単位とし た連合組織などさまざまな集団・組織の「活動」とは、その為さんとする事柄こそ、まず主たる活 動と見なすべきだろう。為される活動の内容はその結成目的に沿って異なるのであって、地域社会 全体を見渡せば多様な活動が展開していることになる。そして主たる活動を可能とするための下支 え活動がどの集団・組織にも見られ、その内容は内部組織の形成と役員の選出、会員間の情報流通、 会費の徴収、総会の開催準備、対外的活動のための準備などほぼ同質である。すなわち、主たる活 動と下支え活動という捉え方である。もっとも、両者を峻別することを意図しているのではなく、 また実際の諸活動をどちらに区分するか難しい場合があり得る。 活動の壁固錐麹圭という観点からすれば、世帯や大半の事業所がほとんど毎日のように活動して いることと見比べると、それら以外の各種集団・組織の活動は多くの場合ずっと間遠いものであっ て、一年を刻みとした中で、週に一度、月に一度、年に一度、あるいは数年に一度会員が会合する といった具合である。日曜日を除くある曜日の夕方を定例会とする各種集団・組織へ参加しようと 思えば、6つまで加入することが可能である。このように活動が間遠いからこそ、諸個人は自己の 属する世帯と学校ないし職場のほかに、複数の各種集団・組織に加入して活動することが出来るの だった。 活動の地域豊展囲という観点からすれば、①活動地域を市内の一部地域に限定しているもの(例、 町内会、商店街組合)、②市内全域を対象とするもの(市PTA連合会、市域を対象とするまちづく り団体)、③市域を越えて周辺地域ないし十勝全域へ及ぶもの(隣接町村も管轄区域とする帯広保健 所・帯広警察署関連団体、「十勝」の名を冠する団体)、④帯広市に本拠を置いて道内・国内ないし 国外へも展開するもの(全国展開する「世界ホラふき機構」、特定国との交流団体)、⑤道内組織、 全国組織の下部組織であって、帯広市ないし十勝全域を活動地域とするが、道内全域ないし国内全 域へ関心を寄せ、かつそうした情報を共有するもの(政党支部、全国的宗教組織の支部)、⑥これら のほか、活動地域を特定しないもの(釣り場情報に基づき所々方々へ出掛ける釣りのサークル、旅 のサークル)がある。 したがって、「帯広市に存する集団・組織」といえども、当の集団・組織が帯広市という地域社会 をその活動目的上どのように位置付けているかと問えば、必ずしも帯広市域に拘わるものばかりで はないと言えよう。上記②は言うまでもないが、③、④、⑤は帯広市域が常に念頭に置かれている だろうし、①のごとき市内一部地域が活動の舞台であるものでも帯広市全域の動向は常に関心の枠
内に入っていると思われる。この点で形態Nに例示すべき旅のサークルなどは帯広市から外へ出て 行くことが活動の主目的でさえある。とはいえ、その会員は帯広市ないし周辺町村の居住者であっ て、帯広市内で旅支度を打ち合わせるだろうから、「帯広市に存する集団・組織」の一つと見なすこ とに問題はない。 ここで「帯広市に存する集団・組織」の意味する所を改めて考えたい。成員の地域的分布という 点では、帯広市の一一部地域に限定されるもの、帯広市域に留まるもののほか、周辺町村ないし十勝 全域の居住者が会員となっている場合が少なからずある。一方、①帯広市民が周辺町村に存する集 団・組織の一員となっている場合が見られ、また、②帯広市を除く十勝支庁管内19町村を対象とし た連合組織が帯広市にその本拠を置く例(北海道商工会連合会十勝支部)が若干あるc,このうち① の集団・組織は「帯広市に存する集団・組織分野別一覧表」中に収録せず、②の方は注記をして収 録した。帯広市民が会員に加わっていてもその団体の本拠が他町村にあるならば、それを「帯広市 に存する」と捉えることは不当だと思われたからである。他方、注記をしてでも②の類の団体を収 録した訳は、その事務局が帯広市内に置かれているからだった。振り返れば、ある集団ないし組織 の活動の舞台が帯広市内にあるかどうかをこの一覧表へ収録するかどうかの判断基準とはしなかっ たのだった。 これらの活動を雌己といういささか曖昧な尺度で量れば、個々の集団ないし組織は活発な状態 がある一方で不活発な状態がある。この観点から活動状況を問うことが有効な場合がある。たとえ ば、ある集団を立ち上げたものの一向に活動しなければ、それが他の集団と関係を持つことも、帯 広市という地域社会へ働き掛けることもないのであって、社会構造を構成する要素として泡沫的な 存在に過ぎなかったことになる。他方、活発な活動を展開するということは、しばしば他の集団と 接触を持ち、連合組織や協議体を立上げ、地域社会に向けてその思いを投げ掛けることに連なると 言える。すなわち、当地の社会構造をより密なものとする役割を果たすことになる。 いずれかの集団・組織が帯広市内や十勝のある所で何らかの活動を行なった場合、それらのすべ てではないが、「勝毎」などの地元紙や、『ふるさととかち』(北の編集室刊)、『コミュニティ・アイ』 (メディアボックス刊)などのタウン誌が巨細に取材して報道している。あるいは当の団体が行事開 催のチラシをしかるべき場所に置いていたりする。こうした現地資料によってさまざまな活動を伺 い知ることが出来る。この地の住民ではないがこの地へ常に関心を寄せる筆者にとって、活発な活 動は目に触れるチャンスが高いことになる。したがって、不活発な状態が続けば、地元紙を始め各 種地域情報媒体に登場しなくなって、研究上その状況を伺い知るチャンスが乏しくなる。かつて活 発に活動していた団体が明確に解散することなく沙汰止みとなっている状況も、研究上確認すべき 事柄である。かくて、筆者の帯広調査研究は地元紙を始めとする地域情報媒体の取材方針・取材活 動に大きく依存しており、この手法には限界があることを自ら認めている。 さらに、これらの活動を趣五動と遡並動とに区別して捉える視点が成り立つ。ある集団ない し組織の成員自体へ向けられる活動を対内活動、成員以外の他者すなわち外社会へ向けられる活動
を対外活動と呼ぶこととする。もっとも、ある活動が対内的か対外的かをいつでも明確に区別出来 るとは限らず、ある活動の向けられる先をおおよそ捉えようとするに留まる。 対内活動と対外活動 ある集団ないし組織の対内活動と見なされる事柄を挙げれば、新入会員の歓 迎会、会員名簿の作成と会員への配布、役員の選出、総会開催、定例会合の開催、会費の徴収、諸 活動の記録、会員向け情報紙の編集発行等があろう。その集団・組織の存続を可能ならしめる活動 である。そして役員会や総会において外社会への働き掛けを議論する場合は対外的活動の一環とな る。対外活動はまず対内活動の中で準備される。 会員の日頃の活動の成果を外社会へ向けて提示する発表会、日頃の練習の成果を引っ提げて臨む 対抗試合、点訳奉仕など集団の目的たるしかるべき対象者への働き掛け、加入する実行委員会・連 合会・連盟・協会等連合組織の会合への出席、直接的関係を持つ他集団・組織との遣り取り、新規 会員の募集、署名・寄付の呼び掛け、対外的広報としての機関誌の発行等が対外活動の具体例であ る。 釣りグループの中には対内活動に終始しているらしいものがある。そして絵画グループのように、 ある種の集団・組織は活動の集大成として発表会など対外活動を行ない、日常的活動はおおむね対 内活動に留まるものがある。他方、「帯広ランゲージボランティアクラブ」のように、その活動目的 が対外活動に置かれているものがある。無論、こうした集団も対外活動を行なうための研修会の開 催など対内活動を伴っている。対内活動なしに対外活動を行なうことは出来ない。 本稿ではこのような対外活動に注目する。なぜなら、対外活動によって他の集団・組織と関係を 持ったり、いずれかの範囲の地域社会に生きる人々との関係を持つに至り、それらが帯広市という 地域社会の社会構造の一環を維持したり新たに形成すると考えられるからである。 集団・組織間関係 ある集団ないし組織が他の集団・組織と関係を持つ場合、それらを対外活動と 見なすこととする(ただし、何らかの連合組織とそれを構成する個別集団との遣り取り、たとえば 連合町内会と単位町内会との遣り取りも対外活動と見なすべきかどうか、いささか躊躇する)。 もし、帯広市に存するすべての集団が他の同類集団と連合体を組織することがなく、また他のさ まざまな集団と協議したり協働することもないとすれば、帯広市の社会構造はまばらな姿と映るだ ろう。だが、実際にはいくつもの連合体が組織されており、他の集団・組織と協働し合う状況が見 られる。もっとも、帯広市に存するすべての集団・組織が他のすべての集団・組織と関係を持つも のでないことは言うまでもない。 帯広市の社会構造を構成する要素として17万余の個人、7万余の世帯、1万余の事業所約6千の 各種集団・組織を想定している。これら構成要素相互間の関係の組み合わせの数はn(n-1)÷ 2の数式によって算出される。これに代入すれば、(170,000+70,000+10,000+6,000)× (256,000-1)÷2≒32,768,000,㎜、つまり328億程度の組み合わせがあることになる。もとより、
ある個人が他の17万余の個人と関係を持つ事態は想定出来ない。市長・市議・道議・国会議員候補 者のほかはそうする必要がないはずだからだ。もし、ある個人が7万余の世帯主と10分間つつ毎日 3時間話を交わすとすれば計70万分を要し、延べ3888日つまり11年近くを要することになって非現 実的である。これが家数50戸の村落社会ならば、ある家が他の49戸の家々と本分家関係、姻戚関係、 近隣関係、農作業の協働関係等の関係を有し互いに見知っている状況を想定出来る。 では、帯広市において実際に幾組の相互関係があるのだろうか。個々人を単位とすれば数十人数 百人の身内・友人・知人がいるだろうし、世帯を単位とすれば数世帯から数十世帯との付き合いが あるだろう。個々の事業所単位に見れば常連客や取り引き先など互いを認知し合う間柄は数十ない し数百あろう。そうした関係の組み合わせ数が最大数328億中の何分の一になるか、今の所その近 似値さえ出せる段階に至っていない。ただし、25万6千余の構成単位間に見られる相互関係の数が 数百万で納まるはずはなく、数千万には及ぶだろう。1構成単位が2百の相手と関係を持つとすれ ば関係の組み合わせ数は百となり、総数2560万となる。 なお、この数値はある時点におけるそれであって、別の時点たとえば1年後の数値は若干変化す る。構城要素の数が同じであったとしても、関係が継続するもののほか、新しく関係が形成される 場合と既存の関係が消滅する場合とが生じるからである。構成諸要素間の遣り取りが活発になれば、 相互関係の総数は自ずと増大しよう。帯広市に生きる人々が所属する世帯と事業所の場でそのほと んどの時間を費やす状況から、たとえば子育てを終えた主婦、週休2日制となった会社員などが、 自由に使えることになった時間をいずれかの各種集団・組織に加入して新たな知人を得たり、新た に何らかの集団ないし組織を立ち上げたり、また既存の集団・組織が他の集団・組織と新たな関係 を持つことになれば、相互関係の数が増大する。実際、近年の帯広市においては、月々8件程度の 新たな集団ないし組織が設立されていることが明らかになった(別表2中1986年以降を参照された い)。無論、他方で既存の集団・組織が消滅したり活動停止の状態に陥る場合がある。人口が微増し て来た帯広市における相互関係の総数は、おおよその見通しとして、多少とも増加しているのでは ないかと思われる。 集団・組織間関係の諸形態 近年の帯広市においてこの集団・組織間の関係のありようにはどのよ うな形態があるのか、実態に即して捉えることとしたい。後掲別表1「帯広市に存する集団・組織 分野別一覧表」を中心としたこれまでの知見からつぎのような形態を想定する。そして第2章にお いて帯広市における諸事例を検討する中から、これら以外の形態を見出すかも知れない。 形態A〔二集団・組織間の直接的関係〕互いに同質なあるいは互いに異質な集団ないし組織bとc が、直接的な関係を一時的にかある程度恒常的にか持つものであって、ことさらに連合組織を結成 しない場合である。友好的な関係のほか、相手の態度変容を求めるものを含める。ただし、その要 求の程度が強く非友好的なものは形態Eとする。
形態B〔単位集団一連合組織間関係〕b,c以下同質の複数の集団によって連合組織aが構成されて いる場合、あるいは上位組織aの下でこの地域に下位組織bが結成された場合であって、aとb以 下単位集団との間に密接な関係が継続的に存在している状況である。aとb以下はそれぞれ異なっ た機能を有している。たとえば、一定地区の町内会連合会と個別の町内会との関係、全国的に展開 する華道流派の本部と当地に設立された支部との関係である。なお、各種の連合組織を加入単位と したより上位の組織、たとえばいくつかのスポーツ連盟・協会が連合した「十勝体育団体協議会」 のごときもこの形態の一つとする。 形態C〔連合組織内単位集団間関係〕連合組織aを構成する同種の単位集団bやcの間の関係であ る。互いに対等な関係にあり、恒常的な関係にある。たとえば、交通安全推進協議会のb地区支部 とc地区支部の間柄である。「帯広市軟式野球連盟」に加盟する各チームは技を競い合う他のチーム を必要としており、連盟が決めた試合日程の中で対戦し、互いを認知し合う。 形態D〔協議・実行組織的関係〕互いに異質なbやcの集団が、ある活動のために協議組織aない し実行組織aを結成した場合であって、bやcなどとaとの間に一時的な関係ないしある程度恒常 的・継続的な関係が見られるもの。構成する諸集団相互の関係は対等であり、いくつかの集団同士 は、aを結成する以前にすでに関係を有している場合(形態A)が有り得る。 aを構成する諸集団 相互の関係を含むものとする。何らかの地域問題ないし地域課題に取り組むために結成された協議 会や、何らかの催しを行なおうとする実行委員会がこの例である。 形態E〔抗争関係〕ある事柄を巡って一時的に相争う集団ないし組織間の関係、あるいは集団・組 織内で相争い対立・分裂する二派間の関係である。“相争う”ことの具体相は事の是非を巡る論争、 相手を屈伏させんとする言い争い、物理的力のぶっつけ合い等がある。これらは地域紛争と認識さ れよう。したがって、スポーツの各チームが競い合うごとき例は含めない。 形態F〔独立・排他的関係〕およそ同質の集団ないし組織同士だが、当地域内で連合する組織を結 成する必要のまだ生じていない場合や、事の性質上互いに連合する組織を結成しようとはしない場 合ないしである。たとえば、出身学校毎の同窓会相互の関係や、ある政党に属する市議会議員候補 bの後援会と別の政党に属する候補cの後援会との関係である。 形態G〔当座無関係〕ある時点で、互いに異質な集団ないし組織bとcとの間に直接的関係のない もの。いわば無関係の状況だが、事の次第によってbとcが直接的な関係を持つに至ることは有り 得る。たとえば、互いに何の関係もなかったある合唱サークルとある釣りグループが何かの催しで 協働することになった場合(形態Aないし形態D)である。 帯広市の社会構造を構成する要素としての各種集団・組織間の相互関係は、上に示した形態Fや 形態Gという直接的関係を持たない場合が数多く見られる。その一方で、形態Aから形態Dまでの ような結合関係が少なからず見受けられ、それらが同市の社会構造をより密なものにしていると思 われる。無論、形態Eのような分離関係がない訳ではない。当事者たちは外社会に知られたくない
ことだろうが、地元紙がその一件を報道してくれることで相争う両当事者の言い分を筆者も伺い知 ることが出来る。 対地域社会活動 帯広市の社会構造の内実をなす今一つのものは、各種集団・組織がその活動の一 環として帯広市全域なり一定の地区に対してなす所の対外活動である。活動自体は社会関係ではな いが、そうした対外活動によって、①地域社会における当の集団・組織の認知度を高めたり、②当 の集団ないし組織の準成員(R.マートンの用語、成員となることを希望している者)を成員に迎え たりあるいは新たな準成員を生み出したり、また賛同者を獲得したり、③人々の生活や地域社会の ある側面に変化をもたらしたりしていると思われる。 対外活動を主目的とする集団・組織にあっては、②と③に示したように、帯広市全域、一定地区、 特定の人々等に働き掛けて、当の集団・組織がかくあれと望む方向へ事態を変化させようとしてい る。対外活動を主目的とはしない集団・組織であっても、それが地域社会に向けた何らかの対外活 動を行なえば、やはり上記①~③のような成果を得ていると思われる。これはSit±9i211uafiE2Le211 塁に注目する視点である。このほかにつぎのような捉え方があろう。 すなわち二つに、括動範囲の点で活動の対象とする地域社会の範囲が全市域ないしそれ以上に及 ぶものと、市内の特定地区に限るものとが想定される。あるいはおよそ帯広市内の特定の社会層 (倉沢進の用語、性別、年代別、職業別、所得階層別など多様な内容を含み得るもの)を対象とする ものも想定される。 三つに、噸度の点で対地域社会活動をしばしば行なうものと、ほとんど行なわないか年に数 回行なう程度のものとが想定される。 四つに、⌒の点で地域社会のありようを自らの望む方向へ変えようと強力に活動するも のと、地域社会のありようを変えることに重きを置かない活動とが想定される。 そして、地域社会に向けた対外活動によって、実際に多少とも事態が変化するのであれば、やが て社会構造自体がいくらか変化することになる。たとえば、大学設置ないし誘致を旨とする組織が いよいよ大学を立ち上げることが出来たならば、その地域に新たに教職員と大勢の学生が加わり、 社会構造のあれこれの部分に変化をもたらすだろう。もっとも、帯広市における大学設置・誘致の 活動はまだ陽の目を見ていない。多大な努力を積み重ねても事態が一向に動かない例はしばしば見 られる。それだけに、ある集団・組織が少なからぬ努力を投じたことによって、地域社会に何らか の変化が生じたと見られる事例は貴重なものと言えよう。現地文献資料の中で特筆される事柄であ る。第3章でそうした例をいくつか示そう。 地域社会に向けて多大な努力が投じられ、何らかの変化が生じて行くことは、すなわち地域社会 の社会変動をもたらされることであり、筆者の二つ目の視点、都市社会の社会変動論における変動 要因の一端を示すものである。
対地域社会活動の諸形態 上に述べた四つの捉え方を基に、これまでの知見からつぎのような形態 を想定した。第3章においてこれらの形態を念頭に置きつついくつかの具体例を示そう。 形態K〔対地域社会活動主目的、全域ないし特定対象物向け〕対地域社会活動をその集団・組織の 主目的とし、帯広市内全域ないし十勝一円に向けて、頻繁かつ強力に取り組むもの。言うまでもな く“頻繁さ”や“強力さ”の程度に確たる基準がある訳ではない。活動分野が広いものと特定の活 動に絞るものとがある。特定の活動に絞られている場合、対象物ないし舞台となる地域も自ずと特 定される。まちづくり集団と分類した「風土と建築を考える会」はある時期いくつもの商店街に対 して再編成案を提示し、さらに農家の家屋と屋敷内の新たな姿を提案していた。20人足らずの会員 ながら、当地への貢献は小さくない。特定対象へ自ずと絞られる例としては「十勝川を守る会」が ある。十勝川を守ろうという呼び掛けはほぼ十勝一円に向けられている。 形態L〔対地域社会活動主目的、特定社会層向け〕広く対地域社会活動を行なうが、その主目的は 特定の社会層に向けられているもの。その特定の社会層の生活に触れる場合、活動は年間を通した 日常的なものとなる。たとえば、「駆け込みシェルターとかち」は第一月曜と第三土曜の午後に電話 受付を行なっている(1998年現在)。 形態M〔市内一定地域向け活動主目的〕多目的であれ特定の目的であれ、市内の一定の地域社会を 活動の舞台とするもの。同質の集団・組織が他の地域にも結成されていて連合組織を有し、年間を 通した継続的対地域社会活動を行なうものが多い。個別町内会や防犯協会の地区支部がその例であ る。 形態N〔超地域活動向け対地域社会活動〕活動の主目的が帯広市域や十勝一円を越えて国内あるい は国外へ及ぶものであって、対地域社会活動としてはチラシや街頭での呼び掛け、展示会開催など によって主張の理解者を増やすこと、新規会員となる賛同者の開拓、活動資金への寄付呼び掛けな どが見られるもの。「チェルノブイリへのかけはしプロジェクト十勝」は1993年以降毎夏被災地の子 どもたちを賛同する家庭に受け入れ、当地における活動も主目的としている。 形態O〔対内活動主目的、集大成的対地域社会活動〕対内活動を相当期間行なった後、その活動の 集大成を適時地域社会の不特定多数の人々なり特定の他者に向けて示すもの。集大成的対地域社会 活動を予定することが対内活動を継続させている場合が多く、したがってこのことも主目的とされ る。絵画サークルや対外試合を当然視するスポーツチームがこの例である。 形態P〔対内活動主目的、付随的対地域社会活動〕対内活動が主目的であって、対地域社会活動を目 的に掲げてはおらず、したがって対地域社会活動を行なうことはまったくないか、稀に行なうことは あるもの。釣りのグループであってもっぱら仲間と休日に釣り場へ出掛ける姿である。呼び掛けに応 じて釣り場の掃除や「帯広の森」の植樹祭にグループとして参加する例が見られるが。 ある集団・組織の対地域社会活動と地域社会との関係のありようを問う場合の地域社会とは、先
に述べた集団・組織間の相互関係という場合の一方を地域社会に置き換えたものである。ただし、 広狭いかようにも設定し得る地域社会はそこに存する個人・世帯・事業所・各種団体のいわば複合 体であって、働き掛ける相手を特定の集団ないし組織とすることが出来ない。したがって、対地域 社会関係という言葉を用いることをためらっている。 それでは、帯広市に存するある集団・組織の対地域社会活動が帯広市の社会構造を把握する上で どう絡むのかと問えば、対内活動を主目的とするものであれ対外活動を主目的とするものであれ、 その対地域社会活動によって帯広市の社会構造の内実を形成していることには違いなく、取り結ば れる関係の一方がいささか荘漠としているのだと捉えたい。
第2章 集団・組織間関係の諸形態
1.想定した集団・組織間関係諸形態の具体例
帯広市に存する集団・組織間の関係のありようとして、先に形態Aから形態Fまでを想定した。 これら形態毎に数例つつを具体例として提示する。別表1「帯広市に存する集団・組織分野別一覧 表」中から適宜取り上げるが、言うまでもなく、ある程度資料が得られたものである。学生たちの 報告書から得られた種々の事業所や団体に関するデータからも多くの知見を得ている。整理番号は この一覧表で用いたものである。 引用記号として、「K99,2.10」は1999年2月10付け十勝毎日新聞の、「H」は東北海道新聞の、「DS」 は北海道新聞の記事、「FT873」は『ふるさと十勝』でその年月号、「84市史56」は1984年刊『帯広 市史』の56頁、「ET 134」は『十勝大百科事典』の134頁を表わす。 なお、近年の十勝毎日新聞は原則署名記事となっているので、引用した記事の執筆記者名を記す。 《 》内は引用者注。 形態A〔二集団・組織間の直接的関係〕互いに同質なあるいは互いに異質な集団ないし組織bとc が、直接的な関係を一時的にかある程度恒常的にか持つものであり、ことさらに連合組織を結成し ない場合であって、友好的な関係のほか、相手の態度の変容を求めるものを含めるとした。 (1)LD612「あかねぐもの会」のコンサートにLD542「ひばり伝承会」代表者が客演。 十勝毎日新聞の記事によれば、「第44回あかねぐもの会(山内欣子代表)のみんなで明るく歌おう 『百年記念館コンサート』が17日午前11時から帯広百年記念館で開かれた。会員ら約百人が集まり、童謡など楽しい時間を過ごした」。「また『歌のお客様』として招かれたひばり伝承会を代表する竹 山八重子さんが『川の流れのように』を熱唱」したという/キリマ・マルティナ筆、KOO.9.18(キリ マはオーストリア出身の女性記者)。 「あかねぐもの会」は別称「日本の歌を歌う会」として帯広盲学校教諭の山内らによって結成が 準備され、491人の賛同者が集って1991年2月にあかねぐもの会の名で発足した合唱団である。コ ーラスグループの多くが西洋音楽に取り組み、せいぜい数十人の会員であることに比べ、幼い頃か ら歌った歌を中心としたことによって爆発的に会員が増え、翌1992年には50~60歳代の女性が多数 を占める約700人もの大きな集団となった/K92.2.18。水脈を掘り当て、一気に地下水が吹き上げた ような姿である。結成後10年足らずの間に44回もの定期コンサートを開いている。同記事によれば 「春、夏、秋、冬と四回」開催するとのことである。山内は60歳以上の女声コーラスグループ「コー ロアミーチ」(LD611、1989年2月設立、代表河合寿美江、会員数約160人、平均年齢73歳/89.)の 指揮者でもある。 一方の「ひばり伝承会」は歌謡グループ「十勝名声会」の一員であり市内のナイトクラブのカラ オケ司会者を勤める竹山が、美空ひばりの歌を歌い継こうと呼び掛けて1997年に6月に結成され た/K97.6.29。なお、この会が結成される前年の1995年6月、帯広中心商店街にある「藤丸百貨店」 が開催した美空ひばりフェアの「美空ひばりく復活〉カラオケステージ」に出場した12人と観客中 の6人が一気に「ひばりの歌を歌う会」(LD541)を立ち上げていた/K95.5.25。この二つの会の関 係については未詳だが、故美空ひばりの人気の高さを物語っている。 音楽分野のほぼ同質な集団同士が一時的に直接的関係を持った例である。山内と竹山が互いの活 動を認知していて、そして客演出場を依頼し承諾する過程があったはずである。 (2)NE192「帯広ローターアクトクラブ」とNE271「帯広レオクラブ」初の交流会 前者は帯広におけるロータリークラブの下部組織で18歳から30歳までの男女が加入する奉仕団体 とされ、後者は同じく帯広におけるライオンズクラブの下部組織で同じ年齢幅の男女が加入する奉 仕団体とされている。市内の経営者や医師などが加入しているロータリークラブとライオンズクラ プは国際的な組織の一環であり、帯広市内にはそれぞれ複数存在するが(別表1中、NE項参照)、 両者の合同組織が見られない中で、これら下部組織が交流会を開き、交流を定期化しようと取り決 め、ほぼ同質の集団同士が恒常的な関係を持とうとしている。 十勝毎日新聞2000年9月6日付けの記事によれば、両クラブは「このほど、初の交流会を実施、市 内のスガイディノス《私立白樺高校跡に出来た真新しい商業集積地区の一画にある》でチャリティ ーボウリング大会を行なった」。両クラブは「例会やボランティアなどを展開。今回の交流会は、若 手団体同士がお互いを知ろうと企画した。この日は両クラブから《合わせて》20人が参加」。終了後、 「今後、互いの例会を定期的に訪問しあうことなどを決めた」という。 帯広ローターアクトクラブの1996年8月時点における会員数は43人で、会長、若原敏広(東洋大学
社会学部出身、帯広信用金庫勤務)らが同月「24時間リサイクル&チャリティーソフトボール」 (Kg6.8.8,K96.8.26)を行なったことに見られるように男性が多い。一方、帯広ライオンズクラブが 直接の“スポンサー”たる「帯広レオクラブ」は1970年に創設され、月2回の例会を行なっている。 1993年6月時点の会員数は31人で「近年にない大所帯となった」(K93.6.27)という。そしてその会 員の多くは市内高校の女学生が多数を占め、歴代の会長以下役員にはそうした女子高校生が数多く 見られる。 この定期的相互訪問が定着すれば、奉仕活動等を通じて相互理解の機会を生み出すものとなろう。 ただし、ローターアクトクラブ、レオクラブ双方とも当地域に一つづつしか結成されておらず、会 員となり得る若者たちの数から見れば少人数に留まる。このような交流の機会が帯広レオクラブ結 成後30年にして初めて生まれたというのは興味深い。今日に至るまで交流する必要がなかったのか、 “親組織”が互いに独自の道を歩んでいる以上、その息の掛かる青年組織が互いに交流することを差 し控えていたのかと思われる。それだけに交流することを思い立った点が注目される。 (3)KA402「(社)帯広消費者協会」とNB731「帯広生命保険協会」が懇談会開催 一見して異質なこれら両組織が2000年(平成12年)9月話し合いの場を設けた契機は、「生命保険 会社の経営破たんが相次」いでいることにあった/佐藤いつみ筆、KOO.9」5。同記事によれば、帯広 消費者協会側からは富士道昭憲会長ら7人、帯広生命保険協会側からは会長たる第一生命帯広支社 長ほか加盟16社の代表など計25人が帯広東急インの広い会場に出席した。消費者協会は同協会に寄 せられた生命保険に関わる相談や苦情(1999年度40件)について説明するとともに、契約者への情 報提供を求め、他方、生命保険協会側は破綻処理制度などについて理解を求めたという。 保険契約者たちはその契約への疑問や会社破綻の不安などについて、直接当の生命保険会社へ問 い合わせることが出来るし、実際そうしている人々も少なくないだろう。が、帯広の中心商店街に 位置する「藤丸百貨店」7階にその窓口を置いていた帯広消費者協会は、消費者側に立つ専門家を 擁するものとして、相談に乗ってもらい易い対象なのだと思われる。 この懇談会は「毎年行われて」いる由であり(佐藤いつみ筆、K98.10.2)、双方にとって保険契約 者の不安や苦情とそれへの対処に関する情報交換の場となっている。すなわち、時代状況を背景に して異質な両組織当事者間に継続的直接的で積極的な出会いの場が持たれている例と捉えたい。 (4)MHIOI「帯広ろう者協会」、 NE211「帯広中央ライオンズクラブ」親睦スポーツ大会 2000年10月17日付け十勝毎日新聞に「第20回帯広ろう者協会(船戸勝義会長)と帯広中央ライオ ンズクラブ(三輪修司会長)の親ぼくスポーツ大会」が15日(日)帯広市内くりりんセンター(一 般廃棄物処理施設)付設パークゴルフコースで開かれたことが写真入りで小さく報じられた。パー クゴルフは1983年(昭和58年)帯広市東隣…幕別町発祥のスポーツであり、公園や河川敷などに設け られたコースで野球ボールより小さめの球を一本のスティックで打つ。基本的に無料。助走期間が
あった後、全道を始め大都市部を除く全国に普及した。大会には「ろうあ者やクラブ会員45人が参 加。帯広グルッペの会が手話で協力」。「参加者らは会話をしながら和やかなムードでプレーを楽し んだ。終了後は市内の「有楽町」で食事をし、懇親を深めた」という。 活動分野を異にするこれら両組織がこのようなスポーッ大会を20回にわたって開催したとのこと だから、異質な組織間に直接的恒常的関係が見られる具体例である。市内に7つあるライオンズク ラブはそれぞれ社会奉仕の課題を設定しており、帯広中央ライオンズクラブはそうしたものの一つ として帯広ろう者協会との関係を形成して来た模様である。記事中の「帯広グルッペの会」は1971 年頃に発足したMH106「帯広グルッペ手話の会」であり、このスポーツ大会にはもう一つの集団が 関与していたのだった。終了後の共同飲食を含めて、ろうあ者とクラブ員の楽しみを増やし、また ろうあ者とクラブ員相互の理解が深まる機会であることは間違いない。帯広市社会構造の諸構成要 素中の二つの要素が関連を持ち、年々の活動によってその関係が継続している姿と映る。 なお「帯広鈴蘭ライオンズクラブ」(NE241)では1986年視力聴力言語委員会が手話講習会を開い て以後、事業所や市民に向け無料の手話講習会を開催している。たとえば1992年には毎月第2第4 火曜日の6時半から8時半まで帯広勤労者福祉センター(現在はない)で手話講習会を開催するの でぜひ参加をと地元紙勝毎へ広告を出していた/K92.9.7。 形態B〔単位集団一連合組織間関係〕b,c以下同質の複数の集団によって連合組織aが構成されて いる場合、あるいは上位組織aの下でこの地域に下位組織bが結成された場合であって、aとb以 下単位集団との間に密接な関係が継続的に存在している状況であり、aとb以下はそれぞれ異なっ た機能を有しているとした。 (1)LB301「十勝俳句連盟」およびLB321「全十勝俳句大会実行委員会」 1989年7月20日付け、釧路新聞を母体とする東北海道新聞(1981年9月創刊、1997年7月休刊)に 「十勝俳句連盟、創立20周年を記念、合同句集『十勝川』を発行」と題する記事がある。「十勝俳句 連盟(鈴木八駿郎会長)」は「十勝管内で活躍する32の俳句グループが加盟し会員数は650人。流派 を超えて年に二回句会を開」くほか「管外のグループと交流を深めている。合同句集は五年ごとに 発刊しており今回で五冊目」という。 鈴木八駿郎(やしろう・本名、富夫)は1925年(大正14年)生まれ、社会党帯広総支部委員長、 帯広市議を勤めたほか、俳誌「土塊」を主宰するなどしている/K97、10.26。別表1のLB分野に示す ように帯広市に存する句会として20団体を確認した。十勝管内19町村にもいくつかの句会が見られ る。こうした句会が十勝全域という広がりで合同組織を1970年(昭和45年)に結成し、結成ととも に合同句集を作成していた。さらにこの第5集には十勝における句界の変遷が編まれている。 句会には、当地で著名な俳人が後ろ楯となって設立された会員数十数人ないし数十人程度の小規 模な団体から、十勝一円に会員を持ち、ほぼ定期的に俳誌を発行する中規模のものとが見られる。
これらの句会のいくつかに所属するほか、全国規模の句会に加入する俳人も見られる。上記鈴木は 加藤椴邨主宰「寒雷」と金子兜太主宰「海程」の同人である/K97.1026。 それぞれ作句の方針を持つ句会ではあるが、同一の後ろ楯の許であれば親近関係を持つだろう。 この点で「流派を超えて」合同句集を作るなどの活動が行なわれていたのである。ただし、この合 同句集がその後も5年置きに作成されているかどうか未確認である。 他方、1988年(昭和63年)「結社、流派の枠を超え、俳句と親しむ」「全十勝俳句大会」がスター トした/K89」0.4。そして1989年(平成元年)11月その第2回大会を、芭蕉生誕300年記念と十勝毎 日新聞創刊70周年記念を兼ねて、十勝…文化会議(LAOO4、事務局は同新聞社内)と十勝毎日新聞社 主催、市教委、十勝教育局、十勝俳句連盟、十勝文化団体協議会(LAOO3)、帯広市民劇場(LAOOI) が後援して勝毎ホールで開催され、約150人の俳句愛好者が席題「道」で句作した/K89.ll.4。1993 年4月には第5回大会が開催され、愛好者約170人が参集し一日を過ごした/K93.4.ll。第4回大会 に特別参加した北海道ホトトギス会の依田明倫会長は「このような結社の枠を超えた盛大な俳句大 会は珍し」いと挨拶した/K92.3.15n (2)QB401「新日本宗教団体連合会(北海道総支部)十勝地区協議会」 帯広市に存する新宗教教団は、神道系、仏教系、キリスト教系のものなど50数団体の存在を確認 し、別表1のQB分野に収録した。それらは、いわゆる既成宗教団体を含めて、基本的に教義と布教 活動を巡って互いに競い合う関係にあると見られる。すなわち、後に述べる形態F〔独立・排他的 関係〕にあると言えよう。こうした中で、この十勝地区協議会は複数の新宗教教団支部が連合組織 を形成している稀な例である。 井上順孝他編『新宗教事典』(弘文堂、1990年刊)によれば、「新日本宗教団体連合会(新宗連)」 は1951年(昭和26年)10月に24の教団が参加して結成され、その後一時的にも参加した団体は計150 を数えるが、1990年現在は約80団体が加入している/同書966頁。 1981年8月解脱会道東教区長の桑原康彰が代表世話人となって、帯広市内に本拠を置く4つの教 団の支部組織、すなわち「解脱会道東教区」(QB406)、「立正佼成会帯広教会」(QB408、教会長沢 田雅世)、「松緑神道大和山帯広支部」(QB407、支部長太田智雄)、「パーフェクト・リバティー帯広 教会」(QB453、未収録、教会長赤松次弘/87.)がこの十勝地区協議会を結成し(K8 L8.18)、今日に 至っている。これらの教団本体が新宗連に加入していることは言うまでもない。 この十勝地区協議会で行なう活動の一つに「無縁墓地慰霊供養」がある。1992年7月27日付け十 勝毎日新聞記事によれば、市内緑ケ丘「墓地に納められている無縁仏の霊を慰めるため、毎年この 時期に行っている」。4つの教団の当番制で「今年はPL教団の儀礼にのっとった」。「約二百人が参 列。祭司長・赤松教会長の祭文に続き各団体の長らが順に聖花を献上、十勝の開拓史にも深くかか わった受刑者ら無縁仏の霊を慰めた」。緑ヶ丘はかつて十勝監獄の置かれていた所である。1987年 (昭和62年)この慰霊祭は「昭和51年から」松緑神道「大和山教主の田沢康三郎氏が同無縁墓地に埋