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山岸文庫蔵『古今和歌集聞書』翻刻(四) (調査報告56-4)

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(1)

は第四冊を翻刻する。 ︷凡例]︵各冊において朱睾の割合に差があるため、朱里表記に関する凡例は各冊ごとに定めることになる。︶ 一、本翻刻は実践女子大学図耆館山岸文庫に所蔵される﹃古今和歌集聞耆﹂︵五冊︶を底本として翻刻を進める。

調査報告五十六’四

一、虫損等による欠字分は︵□︶を以って示す。 一、一つまた複数の﹁上﹂を以って記されている見せ消ちは本文左傍に︵上︶と示す。 一、頭書並びに合点は朱で記されている。ただし、肋オ6行目の上欄にある﹁序﹂、7オ6∼7行間・7ウ8行目・皿オ 一、問答の頭左右に朱で合点が記されているが、︵/、、︶と示す。ただし、鋤オ7行目の合点は墨書。 一、漢字は原則として通行の字体を用いる。異体字︵7︶、︵ソ︶はそれぞれ︵コト︶、︵シテ︶と示す。 一、原本の行取り、改丁に順じ、墨付丁数及びオーウの省略符号を付して︵﹂1オ︶の如く示す。 7行目・皿オ4行目・同ウ3行目・略オー行目・肥ウ岨行目・羽オn行目の上欄にある﹁○﹂は墨書。 一、書名符及び朱引等は煩雑を避けるため今回は省く。 一、傍注は本文より活字ポイントを下げて原本に順じ、傍記する。傍注はほとんどが墨書であるが、ただし、型オ5行目 ﹁ありし﹂の﹁り﹂の傍書﹁る﹂、弱オ2行目﹁さけなん﹂の﹁な﹂の傍耆﹁る﹂、妬オ6行目﹁里﹂の傍諸﹁男﹂は 前号︵実践女子大学文芸資料研究所﹃年報﹄二十号﹁山岸文庫蔵﹁古今和歌集間書﹂翻刻︵三と︶に引き続き、本稿で 朱書。 本稿では第四冊を翻刻する。

山岸文庫蔵﹁古今和歌集聞耆﹂翻刻︵四︶

杉山友美

西澤美仁

牧野和夫

− 1 5 −

(2)

花かつみ はつる 二葉 みまれみすまれ ふるの中道

古今和歌集巻第十四○恋歌四

みちのく寄に花かつみとはまこも也此牙は業平の娘を思二かけて読テ 遣ス在原の基平の奇也是は行平か二男也あひみすは即の奇は助内侍 を恋て躬恒か寄也いそのかみの寄にふるの中道とは大和ニハ西東 中ノ道三ッ有今のふるは中路也此寄延喜三年内裏ノ牙合二読ル也 君といへはの牙にみまれみすまれとは見ル時もみぬ時も思ふと云心也 此奇は伊勢を恋て読ル也夢にたにの奇にみゆとはみえしとは 君か夢にわかみゆるとたにみえはと云也我面影にはつる身 なれはとは我面影たにもた$ぬ身なれはと云心也はつる とは面影にた、ぬ義也此寄は業平を恨みて読ル寄也いしまゆく の野にかくこそはあれあかすも有かなとはあかれはかくて るそと読給也此寄は業平内裏へ参たりけるを二条の后つく ノ、とのそかせ給けれは業平かたはらいたけに思ひて有けれは 二条后の読テ業平ノ許へ忍二遣ケル寄也い勢のあまの吾は七条 中宮を深ク思上給けれは読給宇多院の御寄也寄無義春霞 の寄は寛平七年六月十三日内裏ノ寄合ノ牙也寄無義心をその野は 同時の御寄合二読ル寄也無義かれはてむの吾は助内侍を恋て 読ル嵜也嵜無義あすか川の牙は天安四年八月十五日文徳天皇春 日二行幸ノ時大蔵卿橘光頼か御供なるをみて八橋の玄清 共五 古今和歌集第四 圓蔵坊 兀超蔵 L一一 1 ﹂前表紙 ﹂前見返し

(3)

山岸文庫蔵「古今和歌集聞耆』翻刻(四) 五 十 六 一 四 こ紫 もとゆひ こてふ 夜よし 月夜よし 三葉 いさよひ 宇治橋姫 小莚 法橋ヵ娘の読て造ス牙也無義寛平后宮の牙合トハ寛平二 年正月十六日内裏ノ牙合ノ寄也寄二無義此寄は惟貞親王の 、 御寄也さむしろの奇にさむしろと云に二義有一ニハ小莚 、、サヒシキ サムシロニリヌルョノ 言りニニハ閑莚ト書り古選云霜払上露打払上閖莚永独寝夜之 ハナカシモ 樹 暁波長紫毛此寄は田上里樹ヵよめる寄也今此閑莚の奇のさむし .力シ ろとはさひしきむしろの義也宇治の橋姫ト云事続日本記云橦 .、不ノミコト 根尊御娘津国ノ濱二出て遊上給ひけれは住吉明神行てあひて 互に契給ひて宇治へ行かむとの給けるか行給はすして思ひ やりて読給寄也此橋姫は或ル処の河にて向上二男の有けるあ はんとし給ひけるに河を渡る事かなはすして逢事なかりけ れは誓て橋を守る神と成給へりさて宇治の橋を守て 橋姫をいはれ給ふ君やこむ我やゆかんの奇いさよひとは立や すらふ義也宇治殿風月集に云白雲移睦花ヲ二月ノタヘ黒水 ヤスラフ 似い夜二三秋ノ朝夕待席友ヲ排個呼レ君遊興ス文いへり此寄染殿内侍 ノリ を恋て景式大君の寄也いまこむの奇は清水別当法橋覚俊 か娘の許へかよひけるに今宵はこむといひてこさりける夜よめる 寄也寄無義月夜よしの寄意は月夜よし夜能といひやり 一﹂ たらはことよふに似りされはとてまたすはあらすと云也 こてふはこと云に似リ云意也此奇は助内侍二忍ひてあひ mUn

給ひし時よみ給ふ常康親王の御寄也君こすはの奇にこ紫

わかもといひと云事は大国ノ習也大国ニハ女ハ紫ノ糸二|ァ髪をあくる也 こ紫とはこき紫也されは君こすはむらさきのもとゆひに霜は おくともねやへ入しと読り此寄は忠仁公ノ御娘染殿后のいもう ﹂1ウ L-−− 2 オ − 1 7 −

(4)

もとあらの小萩 露をもみ ごと かきほ 大和なてしこ と御座けるを遠経右大臣たのめて御座けさりけるに彼姫 きみ終夜待給ひて読給寄也或説ニハ聖武天皇御座さり ける時光明皇后読給といへり此義は不然彼光明皇后御 キミコズハネヤモイラズムラサキノモトユヒノウヱニ

奇は万葉云君不来波寝屋毛不入紫之本結之上ホ

シモハヲクトモ 霜波置登毛と有されは此寄を思上たかへて光明皇后の 御寄といへりみやき野の寄にもとあらのこはきとはもと あらき小萩也みやき野は陸奥国二有露をもみとて露 をもしと云義也風をまつ︾﹂と樹は露の風を待ことくに君を 侍我身もあたなりと読り御政伝云竹林ノセ賢者得テ 帝道↓不し仕レ世二冷泉三聖〃得し徳ヲ不し交し衆二是ハ危唾世ヲ恐叫コト国ヲ 如レ易し消二秋風一章露茎此竹林ノセ賢者冷泉ノ三人聖賢不吟テ仕レ君ニ ヶイカウアサナシクヤケン セキ

閉篭たりしを云也晋七賢者岱康字叔夜玩︵既︶籍字飼

ケン カン キヤウ リウレイ シウ、ンユ建〆 宗玩︵既︶感字仲容向秀字子期劉霊字伯倫王戎溝 テウ 仲冷泉三聖トは巍徴虞世南王娃是也今風をまつことくは 此深意をよめり此寄は聖武天皇タヘノ、に御座シける時光明后 のよみて遣ス御寄也あな恋しの牙にいまもみてしるとはいまも

みはやと云心也かきほとは垣ノ面也やまとなてしことは

大和国より来ルをさなきものなれはとこ夏になそらへて やまとなてしこと読也ふるき奇にやまとなてしことは をさなきものを読り此寄は平元親ヵ子山城ノ光明山二春菊 とていとみめよき児の有ける親やまとに有けれは大和より 常、のほりけり或時大和より光明山へ上るを天台座主幽仙 律師道にて行合テみそめて恋テ読テ遣ス寄也つの国の牙に ’2ウ L L一一

(5)

五十六一四山岸文庫蔵『古今和歌集聞書」翻刻(四) 唐衣 色嶋 藤なみ 山城のとは ひきの通 ふみとぎろ かし 山城のとはつねに云事也其をとはになそらへて読ル也つの国 的 のなにはとは難波をなそらへて読ル也此寄は重明親王賀茂に て奇合し給ひし時助内侍を読ル牙也是は延喜二年三月十八日の 事也しきしまとは日本ノ惣名也日本を色嶋と云事はいさなき いさなみの尊の日本国をつくりし事は陰陽赤白のニョリ造り出し 給へり鴫なるか故に色嶋と言てしきしまと云也されは彼 誕生ノ処淡路国なる鴫いろをへたて、赤白ナリ佃彼所をニ シキ上 色の浦浦ト云是也又家隆にはしきしまとは四城嶋と害り 是は東夷南蛮西戎北狄此四人の夷ス四方に城をかまへて 君を守り奉ル故に四城嶋卜いへりから衣トハ唐衣也臣下以 下には是を読へからす此寄は延喜七宮を恋奉て読ル也 恋しとはの牙は中勢を恋て読ル寄也三吉野の寄におほ かはのへとはよしの河也藤なみとは藤の花也なみとは人なみにおもは、と 云心也なをさりの義也此寄は近江の采女二よみてたひたる天智天 皇ノ御寄也かくこひむの奇は小町かみめのよき由聞食て御覧 して後恋しくおほしけれは読て送給惟高親王の御寄也天の原 マスラヲカキタテ

の奇はと蚤ろかすとはうこかすを云万葉云賎男賀来立

トヨマスソマヤマモハワカカシタニヲシカナク

揺動杣山毛葉若賀下ホ夫鹿鳴也此寄は陽成院の御嵜

合に元慶三年四月八日に読ル紀乳母の寄也是陽成院御めのと

紀助範か娘也あつさ弓ひきの溺つゞらとは疋野と書り

備後国に有わか思ふ人にことのしけ関むとはことしけくあ はんと云事也此寄は天智天皇のあそはして近江の采女に たふ寄也夏ひきの吾は彼御返事に采女読ル寄也夏ひき L一一

一﹄

﹂ん設計々 ﹂4ウ 3ウ − 1 9 −

(6)

夏引手ひきの糸 よかれ 男を里卜 云事 里人 里内裏 玉かつら 手 ナカヒト のてひきと云は我手にてひく糸也其後御門大伴ノ懐人ヵ娘 をおほしめして采女を捨て給ひけれは御門をうらみ奉て 猿澤の池に身をなけて死ぬその髪みな玉藻と成ぬ御門 かく成ぬと聞食て行キ御覧すれは常になれ給ひしねく たれかみ池ノ玉藻と成けるを御覧して鳥羽玉のその黒髪 はさる沢の池の玉藻と成にける哉其後御門此事を歎給 ひて引籠らせ給けりと云里人の牙に里人と云は内 裏の外の人をみな里人と云されは王ノ暫ク内裏を御出御座ス 所をはみな里内裏ト云也ことは夏野のしけくとはあふことは夏 野のしき様にあれともつゐに別る、と云り此寄は仁和第 四王子貞行御子ノ小町かあれの里に有しを常に思食テよみ 給御寄也業平の家成ける女とは業平の妹初草の女也かす ノーの奇は伊勢物語のことしある女とは二条の后也伊勢物 語の如ンすまの浦の牙に風をいたみとは男の心をいたみて 思はい方に行と云心也此奇は清和天皇ノ姫宮選子内親王忍 ひて業平にあひ給ひけるか基源康ノ親王ノみやす所に成 こ て津国すまへ下給ける時業平の読て選子内親王の許へ遣ス 嵜也玉かつらとはかつらの名也玉はほむる義也此嵜の意は玉かつら 木にはひつく様に男あまたある人なれは思へとえたのます と云心也是は光孝天皇かよひ給ひけるを聞て橘ノ長盛か

読ル寄也たか里にの吾よかれとは夜別と害り此寄の心は

いかなる男に別てきてこ、にねたるこゑはするそと云り里とは コナハ 男を云也男女人のやとり成か故に里卜云也上如レ云此牙は重明親 |反J肯/ L 5

(7)

五 十 六 一 四 山岸文庫蔵『古今和歌集間書」翻刻(四) 有しより 壼うつし心 pH︽早 よとみなん そをたに ︿エレーこう 五徳本 王に時々あひ奉りしかたえて後彼親王二まいりたりける時親 王のよみ給寄女ナハ紫野の内侍也此内侍は朝行中納言の娘也後には 定文か妻となるいて人はとは普通のいてと云訶也つきくさと はつゆ草なりうつし心はいることにしてとは物にうつるふ心は色 ことになりてと云也ことのみそよきとは訶斗リよきと云心也此寄 コトナヲ は藤原ノ言直うらみて小町ヵ姉備前か読ル也偽の吾は序二云如γ 但ン此寄は家の略注ニハ融大臣の娘を恋て大津ノ家守かよめる といへりいつはりとおもふ物からの吾は延喜三年七月七日内裏の吾合 の時延喜御門御寄也秋風の寄は元慶六年六月十八日宇治河 ○局二陽成院御幸なりし時御共にてつかふまつり給昭宣公の

御寄也寛平二年正月十六日吾合也寄に無義うつせみの世の人

ことのとははかなき人の訶也忘れぬ物のかれぬへらなりとは忘れねとも 別ぬへしと云心也此寄は勝臣か娘に大江千里ヵ読テ造ス寄也あかて ︸﹂ うその奇にそをたにとはそれをたにと云義也中略ノ訶也此寄は 源正隆ヵ娘を恋て読テ送給兼明親王の御寄也わすれなん の奇は小野小町と業平と夫婦なりしか業平のひとかたなら ぬを恨ミて小町心をとゞめいをみて業平のよめる寄也歌二有し よりとは昔よりと云心也忘れなんの牙の心は君をわすれんする われをはし恨むな君にはあかれしとおもふと云り此寄は中納言 忠房ヵ娘ノ弁ノ命婦とて光孝天皇二思はれ奉て内裏に有け るを藤原関雄時々忍て通上けるに関雄たえノーに成けるか 程なく行たりけるに命婦か読て関雄にとらせける寄也 たえす行の牙によとみなはとはと、こふる義也心有てや人の思はんとは 一八bウ 61万 − 2 1 −

(8)

しのふもちすり そこひなき ○ ○ かくゆかてと、こほれ心有て人のこぬと読り此寄は諸兄大臣ノ娘 の許へしけノー通ひけるか野明天皇のおほしめすと間てしは しまいりさりけれは女の方よりなとこぬと云遣したりける 返事に刑部卿大仲臣束人か読寄也東人と云は伊勢祭主也是 祭主の始也よと河の牙の心はしけくひかねは心のとかなり 思人は思らん下ニハはやき思にて有物をと読り是初草の女の許 へ読て遣し給惟貞親王御寄也そこひなきとは底無辺書 ヨシノカハカハナミタテ$イモセヤマソコヰニカヶノ リ日本記牙に云吉野河河波立天夫妻山底際永陰之 ウツリケルカナ ワタッウミノソコイナキミッノシホ

宇津梨建留賀名又万葉云渡津海之底無辺水之塩

ノセニウキタルフネノウキミスペナシ 之瀬永浮達留舟之憂身煩無そこひなきの寄心はふかく思 はむには色にも出さしされは藤のなみのた、ぬか如シあさく 思へはこそ色に出れと読り此寄は寛平四年七月九日大和 ク 国長谷観音二百番の奇合して奉し時読ル寄也くれなゐの 吾は文徳天皇を恋奉て染殿后未女御とも成給はさりし時に み給寄也嵜二無義みちのくの牙にしのふもちすりと云に

、、仁

タマテナ ニ義有ニニハ光孝天皇御時天智ノ孫二中納言玉手ノ峯真卜云人陸 上 奥国守ニテ下たりけるにしのふの郡二文無宮二みたれてうつくし 王 き石有此石にてすりをして王に奉るそれをしのふ摺と名付 上 是しのふすりの娘也是はみたれたる事二云也弓|ハ日本記二云 ヨロツヲ 難波ノ万男卜云人陸奥国二下りしのふの郡に住ける時同し処 に出羽の采女と云て桓武天皇につかふまつりし人下りてすみ 男 けり万男是を思かけて志をみせんとて木ヲ伐テ長サ三尺はかり にして五色二色とりて日毎二女ノ門に立けり女は志をみえむとて篠 ﹂局j古/ L一一 7

(9)

山岸文庫蔵「古今和歌集聞耆」翻刻(四) 五 十 六 一 四 六葉 色ことになる ならなノ、に しかもせぬ にしき木 竹のもちすりと云事をして毎日一尺男ノ門二置クこれは篠竹ニ きいを巻く糸を以て文をゆひて藍する也其ヲしのふすり みえ と云也さてかくして互二千日志ヲみえてあひぬ此木ヲハにしき木 上 と名ヶこの摺をは忍上せし事なれはしのふすりと云されは みちのくのしのふもちすりとは読ル也みたれんと思われな くには忍ひてこそあはむとおもひしかかく乱しあはんとは思は さりしをと読りならなくにとはなしと云義也此奇は勝師 継大納言娘に忍ひてあひ給ひける事世に聞えけれは読給河 、 原院左大臣融卿ノ寄也思よりの吾に色ことになるとはことはた に色のなるわひて読也是は曼茶羅か淳和天皇ノ内裏にっ かふまつりて時々もこさりけるに読て造ス真雅僧正ノ嵜也 ヲ、トコ ち爵の色にと云は助内侍か夫あまた持たる事を恨みて読ル藤原 敏方か寄也奇の心は夫あまたしてわれにかわる色もえみ す心のもみちの様にかはるけしきもみえねはと読り あまのすむの吾は業平の一方ならいを恨みて読ル寄

無義くもりひの奇の心は君か目にこそみえねとも我

心は君か影とそひたりと云りくもり日の影となる身と は身のやせをとろへたるを云也此寄は仁明天皇御時斎衡三年 五月五日内裏嵜合二読ル寄也下野毛雄宗ト云は干時木工允お 注 やは是を不注色もなきの吾は人の心には色はみえねとも思ひそむ る心はうつるわんとは思はすと読り昌泰三年二月十五日貫之 か家寄合の嵜也めつらしきの奇に下ひもとくると云事如二上云一 しかもせぬとはしかもちきらぬと云心也此寄は内裏奇合二よみ ﹂8オ ﹂8ウ − ワ q − = 辺

(10)

堀江 棚なし小舟 かけらふ 伊勢出家 して妙法尼 七葉 、 給天武天皇の御寄也かけろふと云に二義有一ニハ春の日影の霞 、 にさえられてちりめくを云也遊糸と云も是也ニニハかけろふを 云虫有とむはうのことくして黒くやせたる也是を云されとも 実義は日影を云也春雨のふるひとなれはとは春雨のふる 日を云也此寄は四条の后の春宮の御やす所にて御座ける を思ひかけ奉て読給昭宣公の御寄也春雨とは春宮なれ は読給ほり江とは津国難波に有たな、し小舟とはきはめて ちいさくて円木にて作りたる小舟也舟の大なるには棚とて 板をはたに打つけたる也此たなしたる舟はきはめてはやき 舟なれは早き事に読リ此寄七条中宮いまた后とも成給はさ りし時に忍ひてあひ給ひけるか后と成給ひけれはあふ事かた かりけるに又御すかたほのかにみ奉て恋しかりけれは読て 奉る寧子公ノ御牙也わたつみの奇は伊勢七条中宮に仕ま つりしか中宮寛平八年十一月二日卒し給し後伊勢か思ヒ ゴト 深クして袖は海のことくに涙多かりけりさて伊勢出 家して妙法尼といはれて桂の里に住ける所へ延喜二年 三月二日延喜ノ帝ヨリ歌よめとて題をたひたりけるに読て 奉る寄也牙にわたつみとあれにしとことは中宮一一おくれ奉テ 涙に沈ミたりしとこを又題を給りて歌をよまむとすれ は昔ン思ひ出られて涙あはとうきぬへしと読り古の寄但ン家 の本には昔へと有此寄は延喜七宮二忍ひまいりけるか絶て後大江ノ 渕清ヵ娘二通ひける時猶七宮二申けれとも間食さりける時読 奉る寄也此寄にめて間あひ給ひけりといへり寄無義思ひ ’9ウ L ’9オ

(11)

五十六一四l.l1岸文庫職「古今和歌集間書」翻刻(lノリ) こまのあしおれ たなばし 序 出ての奇は序二如レ云人をしりてとは躬恒か娘也此家は西八条 なり右ノおほいまうちきみとは文徳天皇ノ第五ノ御子近院右大 ︾ンン を ヨルカ 臣源ノ能有也昔ンをこせたりけるふみとは因香ノ朝臣ハ彼能 有か妻也しか彼能有因香をすて、後橘ノ頼雄か娘をめとす 此時彼因香能有か許よりをこせたりし文ともを取集 て返すとてたのめこしの奇をは読なり牙にわかみふるれ はとは我身いまハ古キことに成てすてられたりと云心也此内侍 クニ は春宮ノ大夫良国ノ娘也忠仁公のめいなり返事の寄無義 玉鉾の路の奇に人をとうともわれかと思はむとはこと人 をとうとも我かと思はんと読り此寄は宇多院の御子二政 名親王卜申ける其娘メ清子卜申ける内裏に仕フまつりける を常二申かよはし給しか延喜ノ御子惟忠親王二かよはせ給と間 上 間て読て奉り給貞信公ノ御寄也まてといへはとはわか 待と云は営ねてこそ行へきにと云心也小馬ノ足をれ前 のたなばしとはとむれとも行に小馬の足をれと云

心也たな橋とは唯板にてわたしたる橋也此寄は当純

大将のきたりけるを留けれともやかて帰りけれは読て 遣ス大江ノ玉渕か娘の寄也中納言源昇卜は融ノ大臣ノ孫左 イタルカシタカフ 京大夫致子順か父也干時少将後には中納言ヨリ大納言ノ民部卿 アキカケ ニなれり近江介ニハ延喜八年ノ事也閑院卜は源ノ顕景大将ノ娘 也寄に相坂のゆふ付烏ノ事如序ノ故郷の寄は業平 有常か娘に思ひ付て伊勢か許へたえノーにもこさりける時 伊勢か読ル寄也山かつの奇は左中将源ノ家成かきたりける ﹂皿ウ 一mオ − 2 5 −

(12)

↓八謹不 ○ メラフ に通成ことつてせさりけるに読て遣ル龍か寄也 、 酒井人真トは子時左衛門尉但馬国ヨリ出来ル人也大空の牙は 延喜四年九月一日二中納言兼輔卿ノ家二野合しける時に読ル 也寄無義あふまての牙は大宮右大臣源ノ有国常にかよひ けるか絶てこさりける時彼大臣ノ装束の有けるを返す とて読ル小町か牙也彼大臣は淳和天皇の御孫敦阿ノ親王二男兄 信盛大納言ノ子とす信盛は敦国の一男寄無義をやのま もりける人の娘トハ中納言兼輔の娘也是は大納言藤原 顕経をむこにとらんとて秘蔵しける娘二中将藤原の 興風か忍て通ひける也彼女忍ひて興風か許へきた モ リけるを親のよふといひけれは裳を忘れて行たり しを興風返スとてあふまての寄を読り彼顕経は 昭宣公ノセ男後ニハ右大臣に成興風は濱成ヵ子也寄二もく つとは裳をそへて読ル也かたみこその奇は業平か許より 形見にし給へとて双紙を奉ける時よみて返し給二 条の后の御寄也寄無義

古今和歌集巻第十五○恋嵜五

五条の后と云より月やあらぬと云に至まては伊勢物語に 如云花す魁きの奇は経行の娘の許へ読て遣す寄也寄二ほに 出てとはあらはれすと云心也よそにのみの奇はわたるとなし ミツ にとはわたる事なきにと云事也みなれそめけむとは水な れと云事をよそへて読ル也此寄は延喜三年四月十二日内裏の 牙合に読ル牙也我ことくの牙は同時の寄合也寄無義久方の奇 I ll L−− ll

(13)

五 十 六 一 四 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 害 」 翻 刻 ( 四 ) 逢にあひて めならふ人 なきたる朝 おさをあらみ 葉 一ナ は中務を恋てよめる寄也みても又の奇は大江の千里の 娘通ひし時いとふ気色の見えけれはよめる平の定文か寄也 寄無義雲もなくの奇なぎたるあさとはのとかなる朝タ也 ソう いとはれてとは空のはれたるになそらへて読ル也牙は延喜 御門夢のつけに依て一日二千首の副合の有しに貫之二仰て 貫之か家にてしける吾合によめる寄也花がたみの奇に ヒトシカ めならふ人とは見なる猶人のあまたあると云義也此寄は源ノ等 娘二かよひけるに又能有か娘又良相か娘此三人に通上給ひけ れは其事を恨みて能有ノ娘ノ読て昭宣公に奉ル寄也うき めのみの寄は助内侍か心かはりしてあわさりけるか二夕年七を へて後鞍馬より帰りけるか立寄たりける時読てとら せける躬恒か寄也無義あひにあひてトハ哀あふてと 云義也家隆ニハあふにあふてと云りさせる本説もなき也 臣 漢主伝云馬相如三代後︲身雛し賢ト被し嫉愚臣一一篭シヵハ蓬 アヒアブ 。□ 室二哀二遇涙夕不レ乾文此意は相如岳岸卜云所に流テ蓬 室二閉チ籠したりし時の事也されはあひにあふとは哀二あふ義也此 寄は宮内卿藤原ノ兼年二すさめられて後恨ミてよめる奇也秋な らての牙は左衛門佐兼持か娘二八条ノ弁トテ内裏に仕フまつりけるか家 ノ牙合しける時彼弁かよめる牙也是は元慶二年ノ秋也す まの浦の奇はおさをあらみとはおさあらしと云義也此奇は文屋 ノ有季家ノ牙合二助内侍か読ル寄也山城の吾は延喜二年三月十八日ノ 内裏ノ計合延喜御寄也寄二無義あひみねはの奇はなに、ふかめて とは深ク思上けんと云義也此奇は寛平六年四月二日内裏牙合七条中宮 ﹂吃オ ﹂吃ウ − 2 7 −

(14)

亡堂早 山の井 またきしくれ 玉かつら ○

のよみ給寄也暁のしきのはねかきの嵜序如云玉かつらの寄に玉か

つらとは女のかつら也玉はほむる義也又は玉かつらとは女の異名也此寄は 深養父か娘渭少納言兼輔忍ひてあひける時少納言兼輔をよしな くや思けん後には有所をも知七さりける時兼輔ノ読ル嵜也清少納言二 付前後二人有前ノ少納言深養父娘是は延喜御時也後少納言右 馬助忠光か娘也是は一条院ノ御時の人也我袖にの奇にまたきしく れと云は袖の涙を云也人の心にあきやきぬらんとは人のあきぬらんと 云義也此寄は黒主か娘を恨みて読り躬恒か寄也山の井の奇に やまの井のあさき心と云事はあさか山の野を本寄にして読ル也山 の井は木葉散入て深きもあさくなるされはあさき事に読ル也 此奇は寛平七年二月五日延喜未夕春宮ノ御時寄合せさせ給ひし時 よませ給寄也魁、忘草の奇に忘草と云二五ノ義有令一はかへに生ふ る草をわすれ草と云是は壁二草生ル程に成ぬれは其家作 りたりし人の事も忘れておほえすと云義也六帖集云 昔たか住なれにけん宿なれはかへに忘る箇草しけるらんと云り ニニハ人の墓二生たる草を云是は墓二草の茂る程に成ぬれは其死 人の事もわする秘と云義也俊頼ヵ集云たらちねの親の形見も 忘草生れとぬる蚤袖のかなヨニハ茗荷を云是は仏在世ノ須梨盤特ヵ 我名を忘る猶程ノ人墓より生たりし草なれは忘草と云四ニハ萱草 ヒシリクワン を云文選云梁興ヵ思上未し忘暫語テ久修練行ノ聖得テ萱草↓忘ルト ︲︵×︺ し憂ヲ文文集云萱草之種ハ不し住し人之意一君恨ノ中二桂木ハ与三人ノ意一一 為二長キ方見一文此ニノ文ノ意ハ梁ノ武帝の太子に梁太子興太子とて二 人有武帝崩御の後此歎キ不忘其近きあたりに貴キ聖の有ける所 ﹂昭ウ ﹂昭オ

(15)

五十六一四山岸文庫蔵『古今和歌集聞耆」翻刻(四) 唐 三 土 葉 rリ ー ノ に行て此事を歎キ給聖ノ云萱草は人の歎をやむる為也是を 常二服すへしとて萱草をとらす約束たかはすされは忘草と云 わすれ草本文二付テの実義は是也住吉ノ岸ノ忘草トハロ伝云大明神 ケンソク 初テ住吉二跡ヲ垂給し時住吉ノ濱はすみにくしとて春族みなかへらんと ヲヤ しけれは大明神かへさしとて神通を以テ槍を誘上生シ給故二道を忘 れて春族の神達帰り給事を不得依之うつ木を忘草と云是は 住吉ノ津守氏ノ家二秘蔵スル義也桂木を方見卜云事は大国に有人 死て後其墓よりかつらの木の生たりけるを子常に是をみて 親ノ形見と思て歎キける事也今此忘草の奇は藤原ノ永年ノ大臣 娘平城天皇の后にまいりたりしか久ク里二御座ンける時平城ノあ そはして遣はさる奇也恋れともの牙は清和ノ御時貞観八年四月 ソトヲリ 一日内裏奇合二二条后読給御寄也無義夢たにの奇は衣通 ウナヲカ ヒ 姫ノ允恭天皇ノ御后なりしか土師ノ海雄娘を思食て時々おはし ハ ユキニワ ましける時王を恨ミ奉て衣通姫読給寄也土師海雄ハ土師ノ宇庭ヵ 子也此寄によりて御門と召なをして衣通姫より外に又思召方無 りけり唐の奇の心を長能私記二云唐ハ雌し隔二蒼波万里ヲ|夢ノ道ハ 猶不レ越二一夜宅君ハ雌為一宅隔壁一契ハ遠二千里友書リ此歌ハ延喜 サタノノホル 四年七月二内裏千首寄合有ける時読ル寄也廷浸淳は仁明天皇二 男始テ貞ノ姓ヲ賜ル子時備中守也ひとりのみ寄心はひとりなかめ ふる家のつまなれは人ヲしのふ草も生けりと云是をわかつまを 家のつまになそらへて忍草を人をしのふになそらふる也 此牙は平篤行か家ノ奇合に読ル也我やとの吾はかさきの定空 僧都か弟子二万寿ト云児の有しを約束してたひノー行けれとも ﹂狸オ ﹂Mウ − 2 9 −

(16)

こめやとは い ま 1 些 〆 は ○ アキッ、不 上 こさりけれは読ル也彼児ハ昭宣公ノ孫顕経大納言子也寄寄 義 いまこむとの奇に思ひぐらしとは日くらしをかくして読ル也此野は橘の長 盛か家の吾合二読ル也こめやとはの計は惟高親王時々かよひて御座け るか絶てましまささりけれは読て奉る景式の大君ノ娘ノ寄也こめ やとはこしと云義也いましはしとの吾の心はいまししはとは今はと 云心也わひにしとは今は帰らしとはれし物をと云心也さ、かにの衣にか、 るとはさ、かにのくものふるまひをするまてにこいはと云義也 さ、かにのくものふるまひ序如云此寄は橘忠幹ヵ家の奇合二貞元親王 よみ給る寄也月夜にの奇にあめもふらなんわひつ、もれんと云事は qンユ 伯撰二云婁蚤殿ノ深雨夜不啼問念ハ独り寝ル秋夜長ケレハ不給進別 王 門ノ暁ノ空一フ月清ケレハ君ヲ待シ君不来哉丈是は會命王ノたのみ給ひ 王 ける夜ノ雨降けれはこじと思召て歎給ひけるに暁に成て 空の暗たりける時悦上給事ヲ書リ婁景殿トハ空上宮ノ中ノ大極殿也 進 意 分別門は此殿門也是は高簾の事也此意をよめる寄也此寄は三条 ソ斗争、ン 右大臣源ノ常ノ娘ノ時々通ひ給ひけるか絶て後チ月面白かり ける夜待なれし心地して恋しかりけれは読給白河左大臣 長年の寄也忠仁公一男也うへていにしあきたかるまて の吾は菅野高世但馬守ニテ右国遣し時藤原良方ノ娘をくし て下りけるか四月ノ比京へ登りて其秋迄こさりけれは京 へ読て遣しける寄也こぬ人の牙は曼茶羅かたのめてこ さりけるに定海法眼の寄也歌無義ひさしくもの野は 貞観十年秋忠仁公住吉二久ク籠リ給ひたりける時彼北方 の住吉へ読て送り給寄也彼北方は名虎卿娘也寄無義住の ﹂恥オ ﹂喝ウ ﹂鴫オ

(17)

五十六一四山岸文庫蔵「古今和歌集聞耆」翻刻(四) まにノl1 五葉 心の空になる しるしの杉 三輪の 四葉 えの奇にあし□つもの音に鳴い日はなしと云は鶴を恋する烏と云事は 上ノ大和武ノ尊の本文也此牙は延喜第三姫宮従子内親王を恋奉て読 給兼覧の大君ノ寄也業平朝臣あひ知りてと業平卜伊勢 る l夫婦なりし時ノ事也かれ方二成けるとはわかれ方に成を云 上ツキカケ 父か大和守二侍りけるとは伊勢ヵ父藤原続蔭ヵ大和守にて 有し時也嵜の心は大和ノ三輪ノ山の椙ノしるしは有ともよし尋しと メ 読り三輪ノ杉ノしるし上二如し云いせ業平か後ニハ業平か兄仲平ヵ妻→ 成といへり吹まよふ野風をの吾は小野ノ貞樹か娘ノ常二まひりけ るか絶てまいらさりける時読て造ス雲林院ノ御この御寄也寄無義 いまはとての吾は小町年衰て後問う人もなかりけれはいての里二 閉寵ァ有し時小野貞樹ヵ許へ読テ造ス寄無義人を思ふ奇に 殉与 まにノーとはま、にと云心也業平卜云訶よりゆき帰りの チカ 奇迄ハ伊勢物語のことしから衣の弓は大伴懐人か娘を恋 て読給寄也此嵜ノ意はきみとなれは身にまつわれ近付クヘき ル に余所二成てかけて問る、事よと読ル寄也秋風はの牙 に人の心空に成と云は人の心のよそになるを云也此寄は延 喜ノセ宮二忍てまいりけるか貫之か常にまいりて後ハあひ

給はさりける時友則か読て奉る寄也寄無義つれもな

くの吾ノ心はこと方に心うつるひて我につれなき人は秋よりさ きの紅葉成と読り此寄は昌泰二年賀茂社の寄蛤によめる寄也 コ ウヘ こ秘ちそこなへるとは彼只後陽成ノ上菫ハ成しか風をや みて閉籠たりしに清原ノ春元か常こかよひけるか久音信 なくして夢のよく成かたに間たりけれは読ル也兵衛ハ高経ノ |ハリサノ L1且﹄I ﹂”オ − 3 1 −

(18)

ユ ー ノ、 葉 右大弁ノ娘也寄無義あひしれりける人トハ平の好風也是は 小町か姉備前か許へ常に通ひけるにこと人に思付てかれ ノ、に成ける時に備前か許へ読て造ス寄也寄二かれ行 をのとはをのか身挺よそへたる也思ひそたえすもえける とは思ひを火になそへたる也也思ひけるとは七条ノ中宮別し 奉て歎キける時事也ものへまかるとは春日へ参ける時也寄ノ 心ハせめて冬かれの野のことくならは春を待事もあらまし 年おひぬれ身そかなしさと読り水のあわの吾は賀茂 の社ノ野合二読り牙に消てうきみとははかなきうき身と 云事也此寄は昌泰二年十二月吾合也みなせ河の牙に家ノ本ノ ウヘヲノコ こと耆有上男共とは小野将親侍従顕忠右馬頭家平兵衛 督敏方左衛門督敏行也蔵人ともとは伴ノ光清源ノ行尚中 原兼定等也みなせ河の吾は寛平二年三月三日嵜也 吉野河の寄にはやくいひてし事トハすみやかにいひてし 事と云事也信濃守にて有し時彼国成ける女なれて 後京へのほりたりけれは京へいかに問いそといひやりたりけ れは返しに読て遣ス寄也世の中の吾に花そめとはつき草の キヌ 花にそめたる衣也是は貫之か常に参けるかかき絶て 参らさりける時読テ遣スセノ宮ノ御寄也次野同し寄無義 色みえての寄序如云われのみの吾は西三条の左大臣良相 か娘の許へ陽成院の読て造し給御寄也思ともの吾は延 喜二年七月七日内裏の奇合に読ル寄也無義今はとての寄は 醍醐実尊律師か弟子の児能の五節ノ見物に出たり ﹂肥オ L11r −7フ

(19)

五 十 六 一 四 山 岸 文 庫 蔵 「 古 今 和 歌 集 聞 書 』 翻 刻 ( 四 ) あきしうけれは 七葉 いとなかるらん われからと 云虫 かけなくに ○ みきとな しを恋しかりて近付て後かの児かれノ、に成けれは読ル 宇多ノ第七ノ御子真空親王の御嵜也彼児の名をは不 注親は中納言藤原/是家か子也寄無義わすれ草の奇 に人の心に霜やをかなんとは我をわすれんとする草 なれはその草をからしして忘れさせしと読る也此奇は 三谷ノ基平か娘ノ許へ読て遣スなり寛平の御時屏 風の寄無義あきの田の寄にいねてふとはいねと云義也 かけなくにとはいはいにと云心也人のかるらんとは別るらんと 云事也此牙は大伴行蔵か娘に忍ひてあひける時女かれj、に なる時に読り彼女は天下第一の美女なりはつ雁の吾に人 の心のあきしうけれはとは人の心にあかる、と云心也延喜二年 七月七日内裏の吾合ノ寄也哀ともの牙にいとなかるらんとは 威 軍なかる、と云義也同時野合に延喜御門ノ御寄也あまのかる の吾にもにすむ虫のわれからと云は藻ノ中二われから と云虫をすこしもあらくすれは死する也あたなる事二読也 此寄業平か事に依て二条后昭宣公ノ許へおし寵られ給ひ ナイシナヲイコ ける時読也或本ニハ典侍直子卜見タリ本ノマ、因幡ハ源基世ノ 大君の娘也あひみぬもの奇の意はあひみぬもゆくもわか 身からにてあるに思ひもしらぬ君にとくるといへり此寄延 喜三年八月口八幡ノ寄合二読ル寄也寛平御時吾合とは寛平 二年十月一日の口合也寄無義人しれすの寄心は忍ひたる事な らは世にあらはる、をも世になき名卜云てまし此寄は高藤大臣ノ家↓| 吾合しけるに読ル嵜也それをたにの吾にみきとないひそ ﹂岨オ |略ウ ヘ ハ ー 。 。 −

(20)

V 山 脱 岸力 吟 、 V きかノく、に F T ノ L 葉 人のきかくにとはそれをたにわれを思とて我宿をみ ルCO。、 たると云そ人のきたにと云心也此牙は神亀二年三月十一日聖 ホトコスカ 武天皇の御寄也逢事の嵜は源忠家ノ寄合二忠か読ル寄也 寄無義侘はつるの牙は高藤ノ大臣の娘を恋て読給重 明親王ノ御寄也寄無義恨てもなきてもの寄にかhみに見 ゆる影ならすしては日本記云天武天皇の后にわかれ奉 て彼御形見に鏡を常に御覧しけれは次第におとろへ 御座スすかたの鏡に見えける事を歎かせ給ひけるおほ く牙にも歎に形を鏡にみゆると読り此寄は大江ノ清定 か娘を恋て読ル也夕されはの寄は延喜二年七月七日吾 ;

合朱雀院御寄無義わたつみの寄染殿后の

御皇子のみ御座て内裏へもましまさ、りける時に文 徳天皇のあそはせる御寄也わかみこす涙とは我 涙也是ヲ末松山の波こゆる義によせて恨ミ読ル也寄 無義或本ニハ坂上是則か奇卜見タリ うきなからの奇になかれてとたに頼まれなくにとは なからへてと云義也此奇は朱雀院春宮ノ御時延喜三 年七月十三日野合寄也無義なかれてハの寄に いもせの山とは大和物語の注二云欽明御代に候臣下夫 婦互に思合て暫もはなれさりけるをめのみよき由 を帝二聞召て召れけれは都を逃て吉野山の中に かくれて居たりそこにてやかてこ人なからむ なしく成けれは其山をいもせ山と云此寄の意ハな ﹂釦オ ﹂岨ウ

(21)

五 十 六 一 四 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 書 」 翻 刻 ( 四 ) み わ っ た せり か 川 は 臣下を君と いふ事

古今和歌集巻第十六○哀傷奇

いもうとのみまかりけるとは小野篁かいもうと備前守中 原ノ俊遠か妻昌泰三年四月八日死ス奇にわたりかはとは三途 河也又はみつせかはとも云さきのおほいまうちきみとは忠仁 公也貞観十七年九月二日蔓給ふ白川の花蓮に葬ン奉る延 喜四年三月二贈ル正一位↓奇は白川と云は白川関白の御子なれは云 寄の意は人々ノ思ひせつにしにて血の涙を流す故に白川と 云名は君か世まてこそあれ其後ハ白川と云名もあらしと云リ 日 子 毛詩云陵帝ノ亡孫蛮剴跡↓流雪血涙曼是は黄帝ノ御子二陵黄 コン ヒ 帝トテ有是は鯨ヵ異名也此帝死テ後末おとろへたりけれは皆氏! 成しリ亡孫陵弥卜云者アリ昔ヲ恋テ陵黄帝墓二行テ悲ミけれは 墓中アリ血流し出タリ墓を堀てみれは陵黄ノ骸ノ両眼より出 たり是をみて鯨も血涙を流て悲ム是を聞召て舜の 代に召て臣下とせらる弥相公是也此本文の意を読ル也陵 ︵4行分空白︶ 古今和歌集聞耆恋部終 の寄也なにわかたの吾は三条町を恋てよめる寄也 る寄也きよたきのと云寄は嵯峨天皇御時内裏牙合 舅栄仙法橋か大峯へ入ける時弟子二て侍りける童のよめ ヲチ て読ル也家ノ本ニハ此外寄三首有牙はたかためと云は忠峯か ︵6行分空白︶ 此寄は敏行朝臣業平かいもうとを恨 からへていもせの契もたのみむ事かたしと読ル心也 ﹂別ウ ﹂皿ウ |型オ 旬 「 = − 。 O −

(22)

花も色を さけと云事 二 二註 オ 電 、 ひ ち の 度 や 葉 弥ハ陵黄帝ノ四代ノ孫也堀川ノおほいもうちきみとは昭宣公也 仁和元年三月十三日に始て病を付て寛平三年正月叶四日二莞ス 千時五十六也深草里ハ東山二有僧都勝延は貫之か末子昭宣 公の御時童にて仕フまつりし也寄に空蝉ノ義如レ上上野ノ峯 雄卜は宗岡ノ大頼か二男延喜御時依宣旨一一改レ姓ヲ上野卜号ス是は上 野氏ハ内裏ノ北門の守護をする職者也上野氏の絶たりけ れは上野氏を給ル干時民部大輔深草の野辺の牙も昭宣 公ノ莞し給ひし時の寄也今年はかりは墨染にさけとは昭 キヨ 宣公ノ莞し一給ひし時の寄也一奉ルー花も色を着卜読ル也 藤原ノ敏行かみまかりけるとは元慶八年十二月廿六日干時中 将四十三也其家卜は七条二有れてもみゆの吾に万の義なし あひしる人のみまかりけるとは紀斉光子時文章博士延喜 三年七月十一日二死ス十七二也是は貫之か一門也寄無義あひ 下上 しれる人とは紀有友延喜四年正月二日卒ス是ハ友則か ムスメ 父也嵜無義あれのみまかりけるとき読ルトハ忠峯か娘也 寄無義藤原ノ忠房あひしる人とは源養父か娘也寛平九年 四月二蔓ス彼女は忠房か通ひける妻也さきた樹ぬの奇は悔 やち度かなしきは流る、水の帰らぬ如と云り紀友則かみまか りけるとは序如レ云あすしらぬの寄無義時もあれの牙 忠峯か弟卜壬生ノ忠重に時兵衛府生なりし朱雀院ノ秘蔵 の随身也是か延喜二年ノ秋死たりし時に読口也寄に秋やは 人を忘るへきとは秋は物思時時と云本文の意を読り如上 上 母か思ひにてとは躬恒か母ノ死たりける也寄無義父か思にて ﹂露ウ L一一 22

(23)

五 十 六 一 四 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 聞 書 』 翻 刻 ( 四 ) 打つけに 横川観音寺 し ヅー) 山寺 山寺 とは忠峯ヵ父河内抵忠衡也藤衣ノ寄無義思ひに侍とは 貫之か妻死たりける時近江の石山へ参ける時ノ事也彼妻は

文屋康秀か二男文屋清重か娘也震鴬寄無義思に

侍る人とは友則嗣口圀死て其子木工ノ允紀有秀か許へ行也 無義女のおやの思ひにとは近院右大将当純元慶八年九月 十一日二莞ス彼娘ハ九条内侍とて陽成院に仕へる人也集ニハ近院ノ 内侍と入しり此人此歎キー依テ津国金龍寺籠リける所へ七条ノ中宮 ノ訪二遣七給御返事二読リ寄は内侍か也寄無義諒闇とは国王ノ 御忌也是は陽成院仁和元年二月十一日崩御御年叶一池の のほとりとは法勝寺の池のほとり也其比は法勝寺はなし忠仁 ヒ フシナミノソコ 公ノ御所也水のおもにしつくとは枝付ト書リ万葉云藤双之底 ナルミッノカケキョミシックイロヲモタマトコソミレ 奈留水之影清見枝付色於毛玉登古曽見礼卜云リされ は枝付トハ枝の水に付たるを云水の面の野は心は水にしつ ソコマテ マ みたる花の水の底迄も色の有様に君はかなくして坐ンま ミコッキ すとも御恵ハ勝リトよめり深草の御門御国忌読ルとは 仁明天皇天安二年三月十五日二崩御也草深きの吾の事序二 如云仁明天皇ノ御周忌ノ仏事ノ導師ハ道増僧都也是は長衡の 大臣ノ子也彼仏事の所は横川ノ観音寺也寄二如云河原院ノ 大臣みまかるとは寛平六年八月廿五日七十三ニテ莞ス彼家ハ河原 院也近院右大臣とは能有ノ事也寄二うちつけとは早速と書り ウチッケニハナノイロコソマサリケレチ、ノカスミヤソメ 古撰二云早速丹花之色古曽増梨建礼千々之霞邪染 ソクスラン 壼濫今のうちつけの寄二無義藤原の高経みまかることは昌泰 元年四月八日也寄は次ノ年ノ四月に郭公の鳴けれは読ル也寄無義 ﹂認オ ﹂羽ウ − 3 7 −

(24)

文記録作者 口司ノ女 河原院ノ 昔のこさに 塩竃 ユ ー ノ、 蓋 オ < ことならは 涙の瀧 桜をうへてみまかると云人は融の大臣河原院に植たる也寄 守勺 無義ありしみまかるとは紀助範ノ中納言貞観十八年七 月に卒ス色も香もの牙に昔のこさとは花の色のこき 也しほかまと云所のさまを作るとは彼河原院には六十六ヶ国ノ 名所を作りたりしに塩竜ノ浦を作たるを読ル也嵜無義 サウシ 藤原の利基トハ良門ノー男此時は右近ノ中将也後ニハニ位ノ大納言也曹司 は内裏二貢御ノ取次申す人也栖大極殿二有今利基ヵ通う曹司トは タカシナ力 高階為章娘也貞観八年十二月一日二死ス彼ヵ家二有しすき也 す、き −﹂ 其家ハ八条二有牙無義惟高ノ尊父の侍りけむ時読ル牙こひ給 とは友則か父有友か読たる寄也あるとこはせ給也其時寄を 奉るとて我寄を耆添て奉寄二ことならはとは如此ならはと 云義也寄の心は如此ならは読置ことのはも消もせて涙の瀧を ミヲシシムナミタノタキ

ます事はと読り涙の瀧と云事万葉云身於沈牟涙之瀧

二イカテワレウキナナカル暦コトトナルラシ ホ伊賀天吾憂名流留事登成良新ト読リ此寄は家 持か妻かれノーに成ける時恨て読ル牙也又新撰文記録二云唐ノ 大宗賢皇帝難し不匡叶政道シ其涙如二源渕一和ノ醍醐聖主帝ハ悲ム 土民之貧一其涙似二清瀧一文されは涙を瀧ト云事文ニモ云り此録は 江ノ中納言朝綱作也なき人の弓ノ意は郭公はよみちへ行烏な ヤラン れは歎と告遣読リ此寄は昭宣公莞シ給ひて後其夏郭公 の鳴けれは読給七条ノ中宮寄也七条ノ中宮ハ昭宣公御娘也たれ る ノホル 見よとの牙に花さけなんとは大納言源ノ昇元慶六年九月汁日二 うへわらへ 莞テ其年のしはすに彼娘を召て内裏の上童トせられける 時頻二召て装束なと送り給ひけれはすまひけれとも ﹂型オ |型ウ

(25)

山岸文庫蔵「古今和歌集聞耆』翻刻(四) 五 十 六 一 四 白 ナ ー 室 ノ ー = つ の 野 霞 とを 見あ よ は れ 力 帷: かなはて参ルとて読テ奉る寄也たれみよとてか、る栄花ノは な咲ける覧と読りしら雲のたつ野とはやく成にし物をとは 白雲の立か、る野と成し宿はと云事也長能記二文選ノ漢皇ノ賦 ツカ 心を引て書リ白雲ハ昔ノ紅燕昭ヵ之陵紅葉ハ今呉詠シテ在林ヵ之家ト 言リ文ノ意は燕太子ノ死給ひたりしに九浬松野原二葬ン奉り 庭に覆へり其ヲしるしにして仕へし人々常にみて歎けるを云也白雲の たりしかは白雲の。たつ野と読ル其心也在林トハ在中将也在京ノ カヱテ 在卜羽村ノ林トヲ取て在林卜云也是は在中将東五条の家に鶏冠 木ヲかりに植たりけるか近キ世まて不し枯して有けれは家ハ 替り主はかはれとも其紅葉昔に不替事を人も多ク奇に読リ 其を引て長能も書ル也此木近キ世に焼失二やけてなしたれ みよとの奇を読て奉りたりけれは彼娘いとま給て尼に キヤウ 成て法輪二寵しり法輪の尼ト云ルハ是也式部卿の御子トハ延 ヨシ ノ 喜第九ノ御子一品式部卿敦慶ノ親王也閑院の五ノ御子トハ宇多院 第五ノ姫宮桂の内親王也彼式部卿の親王卜夫婦二成給て幾 程無く彼内親王莞し給ひけれは式珊御歎キ深クして出家し給 ひて葛城山に閉籠給へり中カー年有て京へ出給たりける次 彼内親王ノ住馴給ひし御所をみ給へは庭も荒はて魁昔にも 似す内二入て朝夕御座ン所にて泣キ悲ミ給ふ程に古キ帳ノ有彫帷ニテ 緒二物を結タリ解てみれは彼内親王の御手にて嵜有病ノ御時あ そはせるとみえて御手も四度斗無ケニ有けり奇に山の霞を あはれとはみよとは六帖一一雲となり霞とならん時まても跡の かたみを思ひ忘るなと平城天皇の崩御遠ク成て后二読テ奉 ﹂妬オ ﹂妬ウ − 3 9 −

(26)

七葉 玉よりも ける奇ノ心を以テ読給ひける也内親王ハ延喜三年七月一日莞 男 給云々里の人の国へ行けるとは紀有常か甲斐守にて有シ時 滋春か父成けれは行て暫住ける跡に常に通ひける妻京にて ﹄﹂ 病て死なんとしける時滋春見よとて寄を読てをく今のうゑ をたにの寄也滋春も甲斐国にて死けれは彼嵜をみる二不及さて 彼国へくして下りたりける妻は独り京へ帰り上ける道にてつれ てこしの牙を読也旅ノ段に有此京にて死ぬる妻は清原ノ元輔か 婦也牙に玉よりもとは我魂よりもといへる也病にわつらふとは 千里昌泰二年播磨守に成て下しり其年の九月に病付てよ はく成ける時京なる妻の許に遣ケル其を人のもとに遣スと云也 其月の十三日に卒ス寄無義身まかりなんとは藤原惟岡父 国経大納言の使に大和国へ下りける時彼国にて病付て京二 帰りて幾程もなくて死ける時読て父に取セける時彼後生年 廿一也寄無義病付てよはく成トハ業平元慶四年五月廿八日 病付て死なんとしける時読ル寄也寄無義甲斐国二あひ しる人とは有常也女にみせよとは京にて死たる妻の許へ死に たりともしらていひ遣ル也寄無義今はかきりのかとてな 煙和 りけり 1 1 - 1 ﹂妬オ 妬ウ 後見返し 後表紙

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