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心筋梗塞から

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Academic year: 2021

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最終講義

心筋梗塞から

東京女子医科大学 タケ イシ

武 石

第一病理学 マコト

(受付平成2年3月10日) 〔東女医大誌 第60巻 第7号頁588∼593平成2年7月〕 本日は最終講義ということになっております が,本来の意味での“最終講義”は既に2月5日 に,本年度担当しておりました3年生の諸君を相 手に済ませてしまいました.そこで本日は定年と いう一つの区切りに際し,私の病理学を振り返り, その中で何を考えて来たかをお話致したいと存じ ます.“心筋梗塞から”という題目もその過程の中 の,最近の一駒に過ぎません. 私は丁度敗戦の年に,配給されるようにして東 北大学に入学し,すぐに空襲で焼け出され,住む 所も食う物もままならぬ状況の下で4年間の大学 生活を過ごしました. 大学生活といっても,大学へ籍を置いたといっ た方が本当で,如何にして毎日の飢えを凌ぐかと いうことの方が遙かに切実な時代でありました. 従って自動的に大学を卒業する頃には,仙台か ら離れたい一心で,教室に残ることなど全く念頭 に無く,つてを求めて出て来た東京逓信病院での インターンを終えると,義理も絡んで何となく耳 鼻咽喉科へ入ることになってしまいました. そこで受け持った沢山の患者さんの病理解剖に 立ち会う内に,自分には耳鼻科は無理だと感ずる ようになり,関係上病理科との付き合いの方が深 くなって来ました. 当時の逓信病院の病理は新進の松本武四郎先生 と渡辺恒彦先生で,この両先生との巡り会いがそ の後の私を決定付けたといえます. “お前のやっていることは色気ぽかりだ”と言 う先生のお言葉に,“色気とは何ですか”と御自宅 にまで噛み付きに行った夜明けの空を,今でも はっきり覚えています.やがて自分の進むべき道 は,一般内科か病理しかないと納得でき,病理へ 進む前に経験しておこうと,内科へ移ることがで きたのは,それから5年も経ってからでした. 初めての内科で受け持ったのが“脚気”でした が,“何故脚気なのですか”と言う私の問いに,“ト リアスがあるからだ”と応えられた部長の言葉に, 深い失望を感じたのは若気の至りであったかも知 れません. 内科で心身共に苦悩していた時に,松本先生か ら女子医大行きを誘われた時の嬉しさは,今でも 忘れられません.これが私の病理学の始まりでし た. このように私が大学に残らず,多少の臨床経験 を経た後に,松本先生に直接に就いて勉強を始め ることができたことは無上の幸運であったという よりありません. しかし“常に転回し,留まる処の無い師匠に就 く”ことがこれ程までに容易ならざるものであろ うとは,その後年を追うに従って種質を異にしな がら現在に至るまで益々痛感し続けております. このようにして始まった私の病理学が総て松本 先生を通じて,私が受け止めたと思ったものに過 ぎないことは申すまでもありませんが,私なりに 感じている松本先生の動きは,“人間とは何か”と いう処に深く根ざした探求に他ならず,先生に とって病理学はその手だての一つに過ぎないので はないかと感じております.

Makoto TAKEISHI〔Department of Pathology, Tokyo Women’s Medical College〕:On myocardial

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松本先生が本学を去られた後も,病理解剖を中 心とされた今井三喜先生の下で引き続き多数の病 理解剖例に接することができたことは,他学では 到底得られなかったものと,今でも深く感謝して おります. このようにして多くの人体解剖例を経験するこ とができましたが,始めの内は只,個々の例の病 変部の発見に汲々としておりました.その内に病 変部の羅列では単なる“仕切り屋”に過ぎないこ とに気が付くと共に,改めて以前から松本先生に 示唆されて来た,“病理形態学とは何か”が身近に 感じられるようになり,形態学の創始者がGoethe であったことに改めて仰天したものです. 1807年Goetheは形態学序説の中で次のような 形で形態学の提唱をしています.少し長くなりま すが,是非ともご紹介したいと思います. 「自然界のいろいろな対象の中でも,特に生物 に目を向けて,そのあり方と活動の関係を突き止 めようとする場合,そうした知識を得るためには, 対象を個々の部分に分析して見ることこそ,最も ふさわしい方法であると我々は考えている. しかしこのような分析的な研究を絶えず続けて いると,多くの欠点も生じて来る.生命ある存在 を分解して行けば,確かに諸要素に到達すること はできる.しかしこれ等の諸要素を集めてみたと ころで,元の生命ある存在を再構成したり,生の 息吹を与えることはできない. だからこそいつの時代にあっても学者達は“生 命ある形成物そのものを,あるがままに認識し, 目に見え手で触れることのできるその外なる部分 を,不可分なまとまりとして把握し,この外なる 諸部分を,内なるものの暗示として受け止め,こ うしてその全体を幾分なりとも直感において我が ものとしよう”という押えがたい衝動を感じて来 たのである. 従って我々としてはこのような学説を“形態学” と名付けたいと思う.しかし,あらゆる形態,中 でも特に有機体の形態を観察してみると,そこに は変化しないもの,静止したままのもの,他との つながりを持たないものは一つも見出せず,むし ろ全てが運動して止むところが無いと言わざるを 得ない. 従って形態学というものを紹介しようとするな らぽ,形態に就いて語ることは許されない.やむ を得ずこの言葉を用いる場合があっても,それは 理念とか概念を一瞬間だけ固定されたものを指す 時に限ってのことである. ひとたび形成されたものも,たちどころに変形 される.だから,多少とも自然の生きた直感に到 達しようとするならぽ,我々自身がこの自然の示 す実例そのままに形成を行えるような,動的で伸 びやかな状態に身を置いていなけれぽならない.」 これがGoetheの形態学提唱の言葉であります が,これを初めて読んだ時には,正に目から鱗が 落ちた思いで,何度も何度も読み返し,その後も 常に脳裏にこびり着いて離れることはありません でした. そして33年が過ぎる間に,本来の病理形態学は, 我々が日常行っている分析的病理学的所見の動的 相関の間から,自分自身が何処まで読み取れるか の問題であると実感するようになりました.これ はもう道具建てや知識の積み重ねの問題ではな く,わが身の認識力が問われている問題でありま す. そのためには確かなものと,分らないものを峻 別しながら,常に個体全体の事実と正面切って対 面し,その自分としての受け取め方を,変動する 事実に照合しながら訂して行くしかありません. つまり病理形態学は死んだ個体だけを対象にして いたのでは成立し得ないと考え,特に臨床との共 同作業に依る生前の個体に関する情報の正確な収 集とその検討,それに基づく病理解剖学的検討と の間の往復を心がけて参りました. このような試みの一つがここ十数年来やって来 た“心筋梗塞から”で,その本態が,既にほぼ解 明し尽くされたとされている今,敢えて,それを 見直さざるを得なくなったいきさつは,私に取っ て忘れることのできない,貴重な体験でありまし た. 「梗塞」という概念は本来病理学から発したも 一589一

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ので,その源を辿れば彼のVirchowが「塞栓症」 の研究をしていた時に,臓器を養う栄養動脈から の血液が塞栓などに依って急に止まれば,その責 任領域の細胞組織は死ぬ筈だと考え「栄養動脈の 急激な途絶による末梢の壊死を,特に梗塞と名付 けよう」と提唱したのであります. このこと自体に特に問題はありませんが,この 概念は「循環障害に因る,壊死,という,特定の 因果関係が証明された場合にのみ使える」という 非常に使い難いものだという認識が絶対に必要 だったのであります. 所がその後の研究者達はこの相対関係を安直に 考え「多分そうであろう」という程度の考えで「梗 塞」という言葉を使い始めたのです.これが第1 の混乱の基でありました. 病理学の分野で最初に心臓に梗塞の概念を導入 したKarl Weigertも,剖検例の心筋壊死部とそ の責任冠動脈に頻発する血栓を見て,証明抜きで, この血栓こそが原因であると頭から信じ込んでし まったようです. 一方臨床診断名として心筋梗塞症という名称が 使われ始めたのが,いつのことからかよく分って おりませんが,Weigertから間もなくのことで あったと想像されます.ここで第2の混乱が発生 したようです. 言うまでもなく,因果関係を踏まえての心筋梗 塞を,生前に証明することは不可能ですから,当 初は死後,剖検上,冠動脈血栓とその領域の壊死 が証明されれぽ心筋梗塞の証明になると,病理学 者も,\臨床医も信じたかったに違いありません. セロしかしその場合でも,血栓が原因で,その結果と して壊死になったという証明にはなりません.血 栓が後でできた可能性を否定できないからです. それにも拘らず,剖検上病理側から「これは心 臓に発生した梗塞だ」と言われれぽ,臨床側とし ては積極的に反対する根拠もないことから,それ を信ずるより仕方がなかった筈です. このような関係の積み重ねから次第に「これこ れしかじかな臨床症状を呈した疾患は心筋梗塞で あろう」と強く推定するようになったのも誠に もっともでありますが,時と共に,本来「推定」 であったものが,いつしか「事実」にすり替えら れてしまったのが後に問題を残すことにな:つたの です. こうして臨床側でいう「心筋梗塞」は,病理の 概念とは殆ど無関係に一人歩きするようになった のです.そして現在ではよく知られている通り, 「臨床的に心筋梗塞と診断する根拠」としては,急 激に発現する激しい胸痛・心電図上のSTの変化 とQ波の出現・それに酵素系の上昇等で,これだ け揃えば臨床的に診断することができるとされて おります. しかしそこには酵素系のように心筋の壊死を推 定させるものはあっても,それが冠循環途絶の結 果であることを証明するものは何もありません. つまり証拠はないが,通念として成立している名 称であって,これから後の話では,これを「いわ ゆる心筋梗塞」として明確に分けることに致しま す. この段階で,臨床でいうところの「いわゆる心 筋梗塞」の概念と,Virchowが決めた「梗塞」の 概念は論理の上からも明らかに道を分けたのであ ります. しかし病理学でいうところの「心筋梗塞」の方 も決してVirchowの概念を正確に使っている訳 ではなく,これもまた証明抜きの,思い込みの「心 筋梗塞」ですから,これもまた「いわゆる付きの 心筋梗塞」です.このように,Virchowが「梗塞」 の概念を提唱したところまでは良かったのです が,それが実際に適用され始めた途端に,混乱が 始まったのであります. 混乱はこれだけでは収まりません.ここで更に 第3の混乱が発生したのであります.それは臨床 側と病理側の双方から起こって来ました. 臨床側からの混乱は前に述べた三つの診断根拠 から始まりました.これ等の内で最初に現れるの は突然の胸痛で,心電図の変化がこれに次ぎ,酵 素系の上昇は更に遅れることはご承知の通りであ ります.従って全部が出揃うまで生きていれぽ良 いが,それ以前での確定診断には困難な場合が残 ります.従って酷い場合にはこの三つが出揃わな けれぽ「心筋梗塞」とはいわない等という,裁判

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での門前払いのような馬鹿げたことが起こりま す.これはもう学問ではありません. 一方病理の方でも「心筋梗塞発症の場合,発症 後数時間の間は組織形態学的には全く変化が生じ ない」等ということが,昔から伝説のように受け 継がれ,その間の病理診断は不可能であるとされ て来ました.その理由は,動物実験で冠動脈を完 全に結紮しても,その支配領域で組織学的に壊死 が見られるようになるまでには時間が掛かること が根拠になっており,この実験自体に嘘はありま せん. しかし,人の「いわゆる心筋梗塞」が本当に冠 循環途絶に依って起こったという証明ができない 限り,想像とか先入観に基づいて現実を判定して も,それは一種の門前払いに過ぎません. つまり臨床側も,病理側も,それぞれ理由は別 ですが,「いわゆる心筋梗塞」発症の早期に関して は,目をつむって考えないことにして来たのであ ります. 考えないで済むのであれば誰も苦労はしません が,それでも肝心な問題は依然として残ったまま です. ところが臨床的に経験を積んだ,ちゃんとした 医師が診れば,確定はできなくても「いわゆる心 筋梗塞」以外には考えられないような患者が,目 の前で発症し,殆ど即死に近い経過で死亡してい るにも拘らず,剖検上心筋には変化が見られない 等という病理からの回答にしぼしぼ遭遇するとい う経験から,「死ぬ程の事件なのに病理学的に全く 変化がみられないというのは本当だろうか? も しかしたら病理側が何かを見落としているのでは ないだろうか?」という,誠に素朴ではあるが, 極めて鋭い疑問を持って病理側に迫った医師が現 れました.それが本学心研内科の金子昇先生で, 私も殆ど瞬間的にそれが納得できましたので,早 速二人の共同研究が始まりました. 「いわゆる心筋梗塞」に関する,これまでの枠 を破る新しい発想が誕生したのは正にこの瞬間で ありました. 先ず,既に臨床的・病理学的に「いわゆる心筋 梗塞」と診断されていた二百数十例の剖検心筋組 織縁を,二人で丹念に眺めて行く内に,これらに 共通する特徴ある変化に気付きました.これは昔 からcontraction band necrosisという名前で一 応知られていたものですが,死後変化だとして誰 も余り注意して見なかったし,従って変化の弱い ものなどは全く目にも留まらなかった所見であり ました. しかし一旦この変化に気付き始めると,それは 死後変化とは関係なく「いわゆる心筋梗塞壊死部」 に100%出現し,他の部分や,他の疾患では殆ど見 られないことが次第に明らかになって参りまし た. 更にこのような変化を詳細に調べて行くと,そ れは心筋細胞膜の内側での横紋単位の過収縮と, 過伸展が基本であり,典型的な過収縮では,いわ ぽ自動車の正面衝突のようにアクチンの間にミオ シソがめり込み,過伸展ではアクチンの間からミ オシンが完全に外れて,バラバラになってしまう という激しい状態までが確認され,この変化が機 能的に不可逆的である可能性が極めて高いことが 判ってきました. さてこのようにして「いわゆる心筋梗塞」とい われている事件の中心の一つが心筋の横紋単位に あるらしいということが判って来ると,その発症 初期ではどうなっているかが問題になりますが, これに就いては前にも述べました通り臨床・病理 双方共考えないことにしておりますから,彼らの 考えを基にしている限り「いわゆる心筋梗塞」初 期の問題解決は不可能であります. 従ってむしろ経験ある臨床医が純臨床的にその 疑いを強く持った症例を含めて,発症初期からの 経過時間に依って症例を分類し,これら一連の組 織学的関連の中から初期変化を探り当てるより無 いと判断し,検索を始めました. その結果,極めて早期例であることが確認され たものでは,このような過収縮・過伸展が起こっ ている部分の細胞核には殆ど変化が見られないだ けでなく,その辺に集塊になっているミトコンド リアやグリコーゲン穎粒にも殆ど変化が見られな い,即ち一般に細胞変化の初期目標とされている ものが,まだ殆ど変化しない内に,既に心筋収縮 一591一

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物質の過収縮。過伸展が起こってしまった,即ち ミリセカンドの間の事件であることを強く推定さ せるものであることが判りました. この,瞬時に細胞が不可逆的な形態的変化を呈 することがあるらしいということは,非常に大き な意味を持つものであります.循環が止まっても 細胞は直ぐには死なない,ということは誰でも 知っていますから,この事件は少なくとも循環障 害の直接的変化ではないと言わざるを得ません し,事実このような早期段階での冠動脈血栓形成 は全く認められないのであります. しかし,発症後数時間以上経った「いわゆる心 筋梗塞症」剖検心では,上述のような過収縮・過 伸展の変化の他に,心筋横紋の配列は規則正しく, 全く乱れはないが,細胞核の変化は著明で,細胞 質も一様に濃染している部分が大抵の場合に見ら れ,しかもこのような変化は何等かの冠循環単位 に一致して起こり,しかもその基幹部の冠動脈に は頻繁に血栓の形成が見られます.そして,動物 実験でも冠動脈結紮後数時間経つとこれと全く同 じ形態の壊死の形成を見ることがでます. これこそVirchowの言う意味での,本当の「心 筋梗塞」であります.只残念なことに通常問題に なっている「いわゆる心筋梗塞」の場合には,こ のような変化はいつでも続発的にしか現れず,初 期であれぽある島影られないものであります. ここでも,Virchowの定義通りの心筋梗塞と, 「いわゆる心筋梗塞」では起こり方に根本的な違い があるように見えるのであります. この,心筋横紋の過収縮・過伸展という,配列 の乱れを基本とする,急激な心筋変化と,冠循環 障害の結果として見られる,横紋の乱れを伴わな い,静かな心筋変化を比べてみると,前者は横紋 の過収縮・過イ申展そのものが細胞死を招いた,即 ち心筋細胞が働き過ぎて壊れたように思われ,こ れに対して後者は,心筋の活動を支えていた血液 循環の途絶に依って,徐々に栄養不良で死んで 行ったように思われるのです. そこで,前者を動的な細胞の死に方という意味 でkinetic cell death(KD),これに対して,後者 を静的な細胞の死に方という意味でstatic cell death(SD)という新しい言葉で両者の「死にっ振 りの違い」を表現しようと思ったのです. 働き過ぎて死んでしまうという考え方は,日常 生活の中ではよく使われていますが,病理学総論 の中にはありません.つまり細胞の死はいつでも 変性から死へという形でのみ捉えられ,そり内で も循環が特に重要視されて来たことは皆様ご存じ の通りであります.ですから「鉄砲玉や毒物は別 として,冠循環障害でなくてどうしたら心筋が死 ぬと言うんだ!」という反論も,この背景から見 れば一応ごもっともと言わざるを止ません. しかしそれは先入観に依る単なる思い込みに過 ぎなかったのではないでしょうか? 金子先生と私は既に十数年来,先ずその伝統的 思い込みを離れて,改めて,あるがままの事実の 交差点を辿りながら仮説を立て,その仮説の当否 を,臨床的・病理形態学的,生化学的,生理学的, 薬理学的事実と照合しながら方向付けて参りまし た. その間,心臓の毛細管循環機構に関する「心臓 の二次ポンプ機能」の発見,心筋構築の機能構造 の解明,KD分布と冠血管樹の不一致性等多くの 点を明らかにすることができ,現在も金子先生を 中心に,この研究に興味を持って参加して下さっ た,各分野の若い先生方のご協力に依って「いわ ゆる心筋梗塞」発症,特にKD発生のメカニズム

に関する研究が進んでおり,既にKD発症とCa

の関係を中心とする動物実験で,冠循環障害とは 全く無関係に,極めて高率に,瞬時にKDを発生 させることのできる生体モデルを作製し,これに 依って人の「いわゆる心筋梗塞」発症と同様な臨 床検査的,病理組織学的再現に成功しました, 現在ではこのモデルを基に,Caのみでなく,こ れに関連する心筋過収縮・過伸展連関の主として 生化学的研究を行い,この間の相関を次々に解明 しながら,その抑制に関しても研究を進めており ます. 生臭い心筋梗塞の話が長くなって恐縮ですが, この思考サンプルからも,幾分かは眠くみ取り頂 けるかと存じますが,これまで長い間携わって来

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た病理学的手法を通じて私が意識下で目標として 来たものは,Goetheの言う形態学の体験であり, それはまた,恩師松本武四郎先生がその生きざま の中に示してこられた「人間とは何か」の追求姿 勢の観得であったようであります. もちろんこれ等先達とは,比べることもおこが ましい限りでありますが,鈍才の私は,私なりに 65年も掛かって,やっと「生命は相関の中にこそ 在り,そのあるがままの相関は,偏りの無い感覚 の錬磨に依ってのみ,見透し得るものだ」と肩肘 張らずに思えるようになりました.御笑い下さい. これも一重に33年間を自由に過ごさせて下さっ た本学と,教室の皆様,並びに私を導き,色々な 形で刺激を与えて下さった多くの方々の御陰と深 く感謝申し上げる次第であります. (1990年3月10日,東京女子医科大学弥生記念講堂) 一593一

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