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Vol.68 , No.1(2019)030工藤 量導「智顗『維摩経文疏』における浄穢の議論」

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Academic year: 2021

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印度學佛敎學硏究第六十八巻第一号   令和元年十二月

智顗﹃維摩経文疏﹄

における浄穢の議論

はじめに

東晋代から隋唐代にかけて、浄土の本質は浄穢のいずれの 性 質 を 有 し て い る の か、 も し い ず れ か に 限 定 さ れ な い な ら、 ど う し て 両 性 質 は 共 存 可 能 な の か、 と い っ た 議 論 が あ っ た。 具 体 的 に は 羅 什 訳 の﹃維 摩 経﹄ 心 浄 土 浄 説 お よ び﹃法 華 経﹄ 霊山浄土説の理論的解明を求めて勃興した議論であ る 1 。 慧遠、智顗、吉蔵は隋の三大法師とよばれて多くの経典注 疏を残した。三者とも﹃維摩経﹄の注疏を製しており、かつ 浄穢の議論についても、同質異見や異質同見などの四句分別 を用いた議論が共通してみられる。このうち智顗﹃維摩経文 疏﹄は最晩年の思想をうかがうことができ、地論教学の影響 を看取できる点でも注目されてきた。 本稿では、智顗﹃維摩経文疏﹄釈仏国品における浄穢の議 論について、先行して成立した慧遠﹃大乗義章﹄浄土義をふ まえて、 いかなる議論が展開されているのか検討したい。

  ﹃大乗義章﹄

﹃維摩経文疏﹄

の章目の比較

安藤俊雄氏は、慧遠﹃大乗義章﹄浄土義と智顗﹃維摩経文 疏﹄釈仏国品の章目を次のように対照させてい る 2 。 ﹃大乗義章﹄浄土義    ﹃維摩経文疏﹄釈仏国品 第一   釈名 第一   総明仏国 第二   弁相 第二   別明仏国 第三   明因 第三   明修仏国因 第四   約身明土 第四   明見仏国不同 第五   凡聖有無 第五   明往生 第六   質之同異 第六   明説教 第七   約観心 第八   用仏国義通釈此経 安藤氏は﹃維摩経文疏﹄釈仏国品が﹃大乗義章﹄浄土義を 念頭に置き、それを批判しつつ論述がなされたとする。安藤 氏による対照図は章目ごとの対応関係を示したものだが、実 際に両者の内容を比べるといくつかの修正点がある。

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智顗﹃維摩経文疏﹄における浄穢の議論︵工 藤︶ ま ず、 対 応 箇 所 が 結 ば れ て い る 点 に つ い て、 ﹃大 乗 義 章﹄ 第四約身明土は、仏身論と仏土論の関連性を説いており、安 藤氏は﹃維摩経文疏﹄に対応箇所がないとする。確かにまと ま っ た 論 述 は な い が、 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ 第 一 総 明 仏 国 の 後 半 部 分、および第二別明仏国の冒頭部分に仏身論と関連づけた言 及がなされている ︵卍続蔵一八、四六五下︱四六六上︶ 。 さ ら に 安 藤 氏 は﹃大 乗 義 章﹄ 第 五 凡 聖 有 無 と﹃維 摩 経 文 疏﹄第五明往生を結びつけるが、慧遠は往生に関する議論を 具体的にはしておらず、両章目の内容はほとんど関連性がな い。 ﹃大 乗 義 章﹄ 第 五 凡 聖 有 無 と 関 連 す る の は、 む し ろ﹃維 摩 経 文 疏﹄ 第 一 総 明 仏 国 の 後 半 部 分 に 説 か れ る 四 種 性 の 説 ︵卍続蔵一八、四六五下︶ が適当であろう。 次に対応箇所が結ばれていない点について、これらはおお むね安藤氏の指摘通りであり、 ﹃維摩経文疏﹄の第六明説教、 第七約観心、第八用仏国義通釈此経はそれぞれ法身説法、観 心 の 実 践、 ﹃維 摩 経﹄ の 分 科 に 関 す る も の で、 こ れ に 加 え て 第五明往生も、 ﹃大乗義章﹄ に対応項目はない。 ま た、 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ 釈 仏 国 品 の 随 所 で 展 開 さ れ る 蔵 通 別 円の四教や四土説を介在させた論述が智顗独自のものである 一 方、 ﹃大 乗 義 章﹄ 第 二 別 明 仏 国 に お け る 四 諦 説 に 関 連 づ け た論述は慧遠の独自性が高く、 それぞれ対応箇所がない。

﹃大

章﹄

と﹃維

疏﹄

国不同

次に﹃大乗義章﹄第六質之同異と﹃維摩経文疏﹄第四明見 仏 国 不 同 に お け る 浄 穢 の 議 論 に 関 す る 四 句 分 別 を 検 討 し た い 。 現 行 の﹃維 摩 経 文 疏﹄ の テ キ ス ト ︵卍 続 蔵 一 八 所 収︶ で は、 C の 四 句 分 別 の 文 面 に 錯 誤 が あ る と み ら れ ︵原 文 の ま ま で は 四 句 分 別 に な ら な い︶ 、 こ こ で は 後 に 湛 然 が 刪 略 し て 製 し た と さ れる ﹃維摩経略疏﹄ ︵大正三八、五六五下︶ を参照しながら読釈 を試みた。両者の四句分別を示せば次のとおりである。 慧遠﹃大乗義章﹄ ︵大正四四、八三七上︱下︶ a 処と見の四句分別 ⅰ同処異見⋮ 一世界の業にしたがって異見する。恒河中で 世人は水と見て、餓鬼は火・虚坑と見る。 ⅱ異処同見⋮ 娑婆世界のように百億天下の処は別だが、見 る所は相似する。 ⅲ同処同見⋮ 同業の衆生が一処で共に一事を見る。恒河無 量の衆生は同じく水を知見する。 ⅳ異処異見⋮ 娑 婆 世 界 と 弥 陀 浄 土 の よ う に 所 見 各 別 で あ る 。 b 質と見の四句分別   ※一処︵同処︶ であることが前提 ⅴ一質異見⋮ 娑婆世界の一土地のように、衆生が水や火や 諸宝や虚空などを種々に異見する。

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智顗﹃維摩経文疏﹄における浄穢の議論︵工 藤︶ ⅵ異質同見⋮ 一 処 中 に お い て 所 見 に し た が っ て 土 が 異 な り、一段の衆生が唯一の土田世界と見る。 ⅶ一質一見⋮ 同類の衆生は一事を見て、質の体に別なし。 ⅷ異質異見⋮ ﹃法華経﹄霊山浄土説のように諸法・諸仏は 定性なく、所見が異なる。 智顗﹃維摩経文疏﹄ ︵卍続蔵一八、四六七下︱四六八上︶ A 質と見の四句分別 Ⅰ異質異見⋮ 娑婆世界で穢を見て、弥陀浄土で浄を見る。 Ⅱ異質一見⋮ 娑 婆 世 界 と 弥 陀 浄 土 で 垢 と 浄 の 質 は 異 な る が 、 別円両教の菩は天眼で一有余土を見る。 Ⅲ一質異見⋮ 身子は穢を見て、螺髻は浄を見る。皆な一有 余土に同居して浄穢の異を見る。 Ⅳ一質一見⋮ 五 種 の 衆 生 ︵羅 漢・ 辟 支 仏・ 三 種 の 意 生 身 菩 ︶ が界内の煩悩を尽くして有余土を見る。 B 障礙の色と障礙の見の四句分別 Ⅴ有障礙の色 と有障礙の見⋮衆生は染浄国と有余土の二土 を見る所が同じではない。 Ⅵ有障礙の色 と無障礙の見⋮法身菩は天眼により染浄国 と有余土の二土を無障礙と見る。 Ⅶ無障礙の色 と有障礙の見⋮衆生は因陀羅網世界の染浄国 と有余土の二土を有障礙と見る。 Ⅷ無障礙の色 と 無 障 礙 の 見 ⋮ 三 賢 十 聖 の 菩 は 果 報 土 ︵実 報無障礙土︶ に住し、国土を無障礙と見る。 C 質礙の色と質礙の見の四句分別 Ⅸ有質礙の色 を有質礙と見る⋮染浄国と有余土と実報土の 三土はいずれも有質礙であって異を見る。 Ⅹ有質礙の色 を無質礙と見る⋮菩は仏慧によって三土は 皆な常寂光土であると見る。 Ⅺ無質礙の色 を有質礙と見る⋮三土に住する衆生は、常寂 光土において三土の質礙に異を見る。 Ⅻ無質礙の色 を無質礙と見る⋮十方諸仏の心が浄ならば土 も浄であり、常寂光土は形・質なしと見る。 ま ず、 ﹃大 乗 義 章﹄ で は、 a 処 と 見、 b 質 と 見 に 関 す る 二 種 の 四 句 分 別 が 説 か れ る 。 b に は ﹁ 於 二 處中 一、 隨 レ義分 ﹂ ︵ 大 正 四 四 、 八 三 七 中 ︶ と あ り 、 a の 議 論 を ふ ま えて 一 処 ︵ 同 処 ︶ が 前 提 と な っ て い る。 一 方、 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ で は、 A 質 と 見、 B 障 礙 の 色 と 障 礙 の 見、 C 質 礙 の 色 と 質 礙 の 見 に 関 す る 三 種 の四句分別が説かれる。 両者の学説を比べると、四句分別の形式を導入する点は共 通するものの、相対させる項目や内容は異なる点が多い。四 句 分 別 の 項 目 ま で 共 通 す る の は、 ﹃大 乗 義 章﹄ の b と﹃維 摩 経文疏﹄ の A の四句分別のみで、 ほかは一致していない。 ﹃大 乗 義 章﹄ に み ら れ な い﹃維 摩 経 文 疏﹄ の B と C の 四 句 分別は、経典注疏という文献の性格上、 ﹃維摩経﹄ の ﹁譬如 下

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智顗﹃維摩経文疏﹄における浄穢の議論︵工 藤︶ 諸 天 共 二 器 一 食、 隨 二 其 福 徳 一 飯 色 有 上 レ 異﹂ ︵大 正 一 四、 五 三 八 下︶ と い う 文 を 解 釈 す る 必 要 に 迫 ら れ て 生 じ た も の で あ る。 ﹃大乗義章﹄浄土義と論点が重ならないのは当然といえよう。 1︶同処と異処について 注 目 す べ き は、 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ に は﹃大 乗 義 章﹄ の a に 示 された処と質の四句分別がみられないことである。同処・異 処の分別に関しては、 ﹃注維摩経﹄ ﹃雑義記﹄ ﹃金剛仙論﹄ ﹃大 智 度 論 疏﹄ な ど 浄 穢 の 議 論 に か か わ る 多 く の 文 献 が 言 及 す る。 こ れ に つ い て、 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ は 基 本 的 に ﹁同 処﹂ と い う 立 場 が 前 提 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 智 顗 が 示 す 四 土 説 の 構 造 は 、 譬 如 下 諸 天 共 二 寶 器 一 飯 色 有 上 レ 者 、 寶 器 譬 二 光 一、 飯 色 有 異 譬 二 三 土 一。 餘 三 土 之 報 、 不 レ 光 一。 約 二 寂 光 一、 而 論 二 淨 所 見 不 一レ 也。 ︵卍続蔵一八、五一八上︶ とあるように、常寂光土は他の三土の根底にあり、煩悩をも つ衆生とも決して隔絶した存在ではな い 3 。したがって、四土 は同一処に在り、それをどのように感見するかは衆生の修行 の 能 力 次 第 と い う こ と に な る。 そ の こ と は A 、 B 、 C の 各 四 句分別の論点を追ってゆけば明確であろう。 ﹃大 乗 義 章﹄ の a で は 娑 婆 世 界 と 弥 陀 浄 土 の 関 係 を 異 処 ︵ⅳ︶ と す る の に 対 し て、 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ は 両 者 の 関 係 を 同 処 と 前 提 し た う え で、 異 質 ︵Ⅰ、 Ⅱ︶ で あ り、 異 見 と 同 見 の 場 合があるという。弥陀浄土の捉え方は両者の理解が異なる。 智 顗 の い う 異 質・ 一 質 は、 娑 婆 世 界 と 仏 土 の 関 係 性 で あ る。 異 質 と し て Ⅰ、 Ⅱ に﹁弥 陀 浄 土= 浄﹂ ﹁娑 婆 世 界= 穢 ︵垢︶ ﹂ の 例 を 挙 げ る が、 こ の よ う に 明 瞭 な 浄 穢 あ る い は 此 土 彼 土 の 区 分 を 伴 う の は、 仏 土 と し て は 低 次 元 な 在 り 方 と な る。 対 し て、 一 質 と し て Ⅲ に﹃維 摩 経﹄ の 此 土 を 身 子 ︵舎 利 弗︶ は 穢 と 見 て 螺 髻 は 浄 と 見 る と い う 例、 Ⅳ に﹃勝 鬘 経﹄ の 意生身菩等の例を挙げている。Ⅱ、Ⅲ、Ⅳが有余土に該当 するとされているので、智顗は明言しないがⅠは浄と穢を具 備する点からみて、染浄国にあたると考えられる。以上のこ とから、智顗には異質を劣、一質を優とする明確な価値判断 があるといえる。 なお、安藤氏は﹃大乗義章﹄のⅳに説かれる﹃法華経﹄霊 山浄土説を異質異見と捉える理解に対して、法華浄土を最高 とする智顗の立場から批判があったとするが、 ﹃維摩経文疏﹄ 釈仏国品には霊山浄土説に関する直接の言及がないため、明 確な批判意図があったとは即断できないと考えている。 2︶衆生の所見の能力とその対象である仏土 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ の 四 句 分 別 で は、 い ず れ も 修 行 者 の 所 見 の

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智顗﹃維摩経文疏﹄における浄穢の議論︵工 藤︶ 能力とその対象である仏土のあり様の組み合わせが議論され て い る。 す な わ ち、 一 見 ︵Ⅱ、 Ⅳ︶ 、 無 障 礙 の 見 ︵Ⅵ、 Ⅷ︶ 、 無 質 礙 の 見 ︵Ⅹ、 Ⅻ︶ が そ れ ぞ れ﹁菩 の 見﹂ と さ れ て い る の に 対 し て、 異 見 ︵Ⅰ、 Ⅲ︶ 、 有 障 礙 の 見 ︵Ⅴ、 Ⅶ︶ 、 有 質 礙 の 見 ︵Ⅸ、 Ⅺ︶ は そ れ 以 下 の﹁衆 生 の 見﹂ で あ り、 そ の 優 劣 は 明 ら か で あ る 。 ま た 、 所 見 の 対 象 と な る 仏 土 の あ り 様 に つ い て も 、 一 質 ︵Ⅲ、 Ⅳ︶ 、 無 障 礙 の 色 ︵Ⅶ、 Ⅷ︶ 、 無 質 礙 の 色 ︵Ⅺ、 Ⅻ︶ が より優れた性質を示している。 したがって、一修道者として仏土を見る場合、より望まし い 組 み 合 わ せ は、 Ⅳ 一 質 一 見、 Ⅷ 無 障 礙 の 色 と 無 障 礙 の 見、 Ⅻ無質礙の色を無質礙と見るとなる。おおよそ﹁Ⅰ↓Ⅱ↓Ⅲ ⋮↓Ⅻ﹂ の順で所見の境界が深まるとみてよいだろう。 と こ ろ で、 四 句 分 別 の 主 題 と な っ て い る B の 障 礙 と C の 質 礙は、ともに﹁相互にさまたげあって同一空間を占有するこ とができないもの﹂といった意味があり、似通った議論にみ える。両者の議論にはどのような違いがあるのだろうか。 ま ず B の 障 礙 は、 智 顗 に よ る 四 土 説 の 中 の 果 報 土 が﹁実 報 無 障礙 0 0 土﹂とも別称され、国土は﹁無礙自在﹂であるとされ るので、このような仏土の名称・性質を前提とした議論と考 え ら れ る。 し た が っ て、 上 位 の 実 報 無 障 礙 土 ︵果 報 土︶ と、 下位の有余土・染浄土の差異を論じたものである。 そ れ に 続 く C の 質 礙 は、 最 上 位 の 常 寂 光 土 と 残 り の 三 土 ︵果 報 土・ 有 余 土・ 染 浄 土︶ の 差 異 を 論 じ た も の で あ る。 し た がって、質礙は障礙よりもさらに微細で排しがたい要素であ る と い う こ と に な る。 ま た 文 脈 か ら 見 て、 A の 一 質・ 異 質 の ﹁質﹂ と も 違 う 内 容 と 考 え ら れ る。 基 本 的 に 質 礙 は﹁色﹂ と 解 釈 さ れ て い た よ う な の で 4 、﹁無 質 礙 の 色﹂ と は、 色 の 性 質 を絶して障え合うことのない色ということになるだろう。 果 報 土 を 説 明 す る 中 に﹁修 因 無 レ 定、 報 得 二 色 心 果 一 居﹂ ︵卍続蔵一八、四六六下︶ といい、修因の報いとして色心の果を 受ける者が居住する処とあるため、色形をそなえた仏国土で ある。したがって、色を絶した無質礙は、常寂光土に特有の 性質であり、究極的な目指すべき境地ということができる。 以上、智顗﹃維摩経文疏﹄の四句分別は、経文の解釈を基 礎としつつも、実質的には自身が立てた四土説および蔵通別 円の四教などの教学を前提として展開されたものである。

おわりに

本稿では智顗﹃維摩経文疏﹄における浄穢の議論について み て き た。 ﹃大 乗 義 章﹄ 浄 土 義 か ら﹃維 摩 経 文 疏﹄ 釈 仏 国 品 へ の 影 響 に つ い て、 両 者 の 論 述 を つ ぶ さ に 検 討 し て み る と、 章目や四句分別などの形式は取り入れているものの、内容的 には智顗独自の教学思想が展開されている部分がほとんどで あ る。 浄 穢 の 議 論 に つ い て も 同 様 で あ り、 ﹃大 乗 義 章﹄ が 諸

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智顗﹃維摩経文疏﹄における浄穢の議論︵工 藤︶ 浄土の客観的な整理を目的としたのに比して、 ﹃維摩経文疏﹄ は無質礙たる常寂光土を頂点とし、その所見を達成するため の、 より修道的な観点から論述されたものといえるだろう。 浄穢の議論の思想展開史という視点から見れば、羅什の訳 経以来、 ﹃注維摩経﹄ 、﹃雑義記﹄ 、慧影﹃大智度論疏﹄などで 議論されてきた同一処における浄穢共存の矛盾という論点の 痕跡は、慧遠﹃大乗義章﹄質之同異における四句分別の段階 でほとんど消失していた。一方、智顗﹃維摩経文疏﹄明見仏 国 不 同 に お け る A の 四 句 分 別 で は、 浄 穢 を め ぐ る 議 論 が わ ず かに見られるものの、慧遠以前の論点が忠実に継承されてい るとは言い難い。ただし、智顗の場合には、四土説のうちの 染浄土に穢土あるいは四悪趣を含み、かつ四土は同処にある という仏土論が精細に構築されているので、そもそもこの論 点自体が解消され、議論を要さないのかもしれない。 なお、吉蔵の諸著書にも浄穢の議論が散説されており、羅 什 以 来 の 論 点 が 復 興 す る こ と に なる 。 こ の 点 を ふ ま え て 、 慧 遠、智顗の議論の位置づけも再考してみたいと考えている。 1   拙 稿﹁中 国 仏 教 に お け る 仏 土 の 本 質 を め ぐ る 浄 穢 の 議 論﹂ ︵﹃仏 教 学﹄ 第 六 〇 号、 二 〇 一 九︶ 、 同﹁浄 影 寺 慧 遠﹃大 乗 義 章﹄ 浄 土 義 に 説 か れ る 浄 穢 の 議 論 に つ い て﹂ ︵﹃印 仏 研﹄ 第 六 七 巻 第 二 号、 二 〇 一 九︶ 。    2   安 藤 俊 雄[一 九 五 九] 三 九 四 ︱ 四 〇 六 頁 を 参 照。    3   井 上 智 裕[二 〇 一 三] を 参 照。    4   智 顗﹃法 界 次 第 初 門﹄ で 名 色 と 五 陰 を 解 釈 す る 中 で﹁有 形 質 礙 之 法、名謂爲 レ 色﹂ ︵大正四六、六六五中︱下︶ とある。 ︿参考文献﹀ 青 木 隆﹁ ﹃維 摩 経 文 疏﹄ に お け る 智 顗 の 四 土 説 に つ い て﹂ ﹃早 稲 田 大学大学院文学研究科紀要別冊﹄第一一号、一九八五 安藤俊雄﹃天台思想史﹄法蔵館、一九五九 井 上 智 裕﹁天 台 維 摩 経 疏 の 思 想 研 究 ﹂﹃ 大 正 大 学 大 学 院 研 究 論 集 ﹄ 第 三 七 号 、 二 〇 一 三 大 野 栄 人 ﹁ 天 台 智顗 に お け る 国 土 観 ﹂﹃ 日 本 仏 教 学 会 年 報 ﹄ 第 五 八 号 、 一 九 九 三 藤 井 教 公﹁智 顗 ﹃維 摩 経 文 疏﹄ 訳 注︵二︶ ﹂﹃国 際 仏 教 大 学 院 大 学研究紀要﹄第一八号、二〇一四 山口弘江﹃天台維摩経疏の研究﹄法蔵館、二〇一七 ︵本 稿 は 平 成 三 〇 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金︵若 手 研 究︶ ﹁中 国 仏 教 に お け る 仏 土 の 本 質 を め ぐ る 浄 穢 の 議 論 に 関 す る 研 究﹂ ︵課 題 番 号 18K12200 ︶ による研究成果の一部︶ ︿キ ー ワ ー ド﹀ 智 顗、 慧 遠、 維 摩 経 文 疏、 大 乗 義 章、 浄 穢、 浄 土 義、霊山浄土、同処異見、一質異見 ︵大正大学非常勤講師・博士︵仏教学︶ ︶

参照

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