博 士 ( 水 産 科 学 ) 金 亨 竣
学位論文題名
A NovelImmunization Method for Protection of Rainbow Trout from
Infectious Hematopoietic Necrosis Virus (IHNV)
(新しい免疫手法による伝染性造血器壊死症ウイルスの防除に関する研究)
学位論文内容の要旨
伝 染 性 造 血 器 壊 死 症(infectious hematopoietic necrosis: IHN)は 、ラ ブド ウイ ルス 科ノ ビ ラ ブ ド ウ イ ル ス 属 のIHNウ イ ル ス(IHNV)に よ る ウ イ ル ス 感 染 症 で 、 世 界 各 地 の 孵 化 場 や 養 殖 場 で 深 刻 な 被 害 を も た し て い る 。IHNは 、 元 々 北 米 西 海 岸 の 風 土 病 で あ っ た が 、 IHNV汚 染 卵 の 移 動 に よ り 世 界 各 地 に 広 が っ た 。 日 本 で も 、1971年 に 北 海 道 の 孵 化 場 で ア ラ ス カ か ら 輸 入 し た ベ ニ サ ケ に 初 め てIHNが 発 生 し 、 そ の 後IHNV汚 染 卵 の 移 動 と 共 に 日 本 各 地 に 広 が っ た 。IHN対 策 と し て 、 卵 消 毒 、 飼 育 施 設 の 消 毒 、 飼 育 用 水 の 殺 菌 、 隔 離 飼 育 な ど の 防 除 対 策 が 実 施 さ れ 、 孵 化 場 紹 よ び 養 魚 池 に お け るIHNに よ る 被 害 は 大 幅 に 軽 減 さ れ た 。 し か し 、1980年 代 に な り 、 養 殖 場 で 飼 育 中 の 比 較 的 大 型 の ニ ジ マ ス でIHNに よ る 被 害 が 発 生 す る よ う に な り 、 産 業 上 新 た な 問 題 と な っ た 。IHNは 本 来 稚 魚 期 の 病 気 で あ り 、 3g以 上 の 幼 魚 か ら 成 魚 に 韜 い て 憾IHNの 発 生 が 殆 ど 認 め ら れ な か っ た こ と か ら 、 日 本 の ニ ジ マ ス 養 殖 環 境 に お い てIHNVの 病 原 性 に 大 き な 遺 伝 的 変 異 が 生 じ た の で は な い か と 推 察 さ れ て い る 。 そ こ で 本 研 究 で は 、 第1章 に お い て 、 静 岡 県 お よ び 長 野 県 で2006年 にIHN 罹 病 お よ ぴ 健 常 ニ ジ マ ス か ら 分 離 さ れ た 新 た なIHNV株 を 用 い 、IHNVの 遺 伝 的 変 異 と ニ ジ マ ス に 対 す る 病 原 性 の 関 係 に つ い て 検 討 し 、 さ ら に 第2章 で は 、 養 殖 場 に お け るIHN対 策と して 、非 病原 性の 伝 染性 膵臓 壊死 症ウ イル ス(infectious pancreatic necrosis wrus,IPNV) あ る い は 合 成 二 本 差RNAで あ るPoly(Iニc) を 用 い た 新 た な 免 疫 法 を 検 討 し た 。 IHNVの ゲ ノ ム は 、 約11,000塩 基 の 非 分 節 マ イ ナ ス 鎖 のRNAで 、nucleocapsid protein (N),glycoprotein (G),matrix protein (M),phosphoprotein (P),non‑wrion protein (NV)ねよび
large protein(L,polymerase)の6つの遺伝子がコードされる。この内、G遺伝子は、IHNV の感染因子をコードしていることから、IHNVの遺伝子解析に古くから用いられている。
そこで 、第1章 では、2000年代に分離された静岡県下のニジマス由来IHNV3株、長野県 下のニジマス株2株および愛知県下のニジマス株2株のG遺伝子の塩基配列を解析し、1970 から1980年代にかけて分離された日本株船よび世界各地での分離株を含む計49株を用い、
IHNVの分子 系統学的解 析を行った。その結果、1970年代に分離されたIHNV株は、何れ もgenogroupUに属する米国株と高い類似性を示したが、1990年以降の分離株は遺伝的に 大きく変異していることが明らかになり、さらに1990年以降のウイルス株には、分子進化 学的に独立した2系群(JRt Shizuoka系およぴJRt Nagano系)が存在することが明らかに なった 。興味深い ことに日本株におけるLHNVG遺伝子の多様度は7%であり、北米株間 で認められた多様度(3.6%)を大幅に上回っていたことから、1970年代に米国より日本に 持ち込まれたIHNVは、日本のニジマス養殖環境に適応した後、急速な進化を遂げたこと が裏付けられた。そこで、JRt Shizuoka系およぴJRt Nagano系の代表株を用い、各々のニ ジマスに対する病原性を比較した。その結果、JRt Shizuoka系IHNV株の病原性がJRt Nagano 系株に比べ高いことが明らかになった。一方、Mochizuki (2008)は、1970年代にシロサケ 病魚よ り分離され たIHNV株(ChAb76)がニジマスに対し殆ど病原性を示さないことを示 している。従って、ニジマス養殖環境下で急速に進化したIHNV日本株は、ニジマスに対 する病原性の点でも変化していると考えられた。
ところで、先に示した防除対策により、孵化場などの隔離施設でのIHN発生を制御 することが可能になったが、養魚池に韜いて同様の防除対策を実施することは極めて困難 である。そこで、より積極的な防除対策としてIHNVワクチンの開発が切望され、これま でにホルマリン不活化ワクチン、弱毒ワクチン、ウイルス粒子成分ワクチン、DNAワクチ ンなど様々なワクチンの開発が試みられているが、安定した防御効果が得られないことや 遺伝子組換え体使用の問題から、日本に韜いて市販には至っていない。これらの原因が、
日本のニジマス養殖環境でのIHNVの急速な遺伝的変化および病原性の変化に起因する可 能性が極めて高い。そこで第2章では、これらIHNVの急速な変化に対応可能な新しい免 疫方法「Poly(I:C)免疫法」にっいて検討した。
これまでの研究において、非病原性のIPNVに予め感染したニジマスは、魚体内にイ
ン タ ー フ ェ ロ ン(IFN)が 誘 導 さ れ る こ と で 抗 ウイ ルス 状態 になり 、IHNV等 の病 原ウ イル ス に 対 し 強 い 抵抗 性を 示す こと が明 らか にな って いる 。本 研究に おい ても 、予 めIPNVに 感 染 し た ニ ジ マ ス をIHNVで 攻 撃 し た と こ ろ 、 そ の 生 残 率 は68.8% で 、 対 照区 の生 残率
(0% ) に 比 べ 明 ら か に 高 い こ と を 確 認 し た 。 ま た 、IPNV‑IHNV区 の 生 残 魚をIHNVで再 攻撃 した とこ ろ92%の生残率で、その生残率は陽性対照区(IPNV‑Mock区)の生残率(4%)
を 大 幅 に 上 回 っ た 。 さ らに 、IPNV‑IHNV区 の 生残 魚血 清か ら、IHNVに 対す る特 異抗 体が 検 出 さ れ た こ と か ら 、IPNV感 染 魚 がIHNVに 対 し 抵 抗 性 を 示 す だ け で は な く、IHNV攻撃 後 にIHNVに 対 する 特異 免疫 が成 立し てい るこ とが 明ら かに なった 。す なわ ち、 非病 原性 IPNV接 種 に 続 きIHNVを 接種 す る こ と で 、 ニ ジ マ ス を 殺 す こ と な くIHNVに 対す る免 疫を 誘導 する こと が可 能で ある こと が示 され た。 しかしながら、非病原性であるとはいえIPNV を 養 殖 現 場 で 用い るこ とは 望ま しく ない 。そ こで 、IFN誘導 物質 であ る合 成二 本鎖RNAで あるPoly(I:C)が、IPNVの代替えとして利用可能かどうかにっいて検討した。まず、Poly(I:C) を 接 種 し た ニ ジマ スをIHNVで攻 撃し たと ころ 、生 残率 は95.7%で あっ た( 陽性 対照 区の 生残 率は10% )。 さら に、Poly(I:C)‑IHNV区 の生残魚をIHNVで攻撃したところ全ての魚が 生残 し( 陰性 対照 区の 生残 率:0%) 、Poly(I:C)‑IHNV区の 生残 魚か らIHNVに対する特異 抗体 が検 出さ れた 。すなわち、IPNVの代替えとしてPoly(I:C)を用いた場合においても、魚 体 内 でINFが 誘 導 さ れ 非 特 異 的 な 抗 ウ イ ル ス 状態 とな り、 この間 にIHNV等 の病 原ウ イル スを 接種 する こと で、 接種 した ウイ ルス に対 する特異免疫が誘導できることが示された。
本研究で確立したPoly(I:C)免疫法は、以下の点で既存のワクチンとは異なる。1)Poly(I:C) は 他 のRNA同 様 不 安定 であ るこ とから 、DNAワ クチ ンと 異な り接種 魚体 内に 残存 しな ぃ。
従って、Poly(I:C)接種魚の食品としての安全性が担保される。2)ウイルス不活化操作が不 要で ある こと から 、分 離培 養の 困難 であ るウ イルス、あるいは未同定のウイルスに対して も応 用可 能で ある 。3)遺伝子組換え操作が不要であることから、ワクチン開発の時間とコ スト が大 幅に 軽減 され 、さ らに 遺伝 子組 換え 食品に否定的な消費者にも受け入れられる可 能性 が高 い。 以上 の点から、本研究で開発したPoly(I:C)免疫法は、今後様々な魚種の様々 なウイルス病に応用されることが期待される。
学位論文審査の要旨 主 査 教授 古水 守 副 査 教授 澤辺智雄 副査 准教授 西澤豊彦
学位論文題名
A NovelImmunization Method for Protection of Rainbow Trout from
Infectious Hematopoietic Necrosis Virus (IHNV)
(新しい免疫手法による伝染性造血器壊死症ウイルスの防除に関する研究)
伝染性造血器壊死症(IHN)は、ラブドウイルス科ノビラブドウイルス属のIHNウイ ルス(IHNV)によるウイルス感染症である。本病は、元々北米西海岸の風土病であったが、
IHNV汚染卵の移動により世界各地に広がった。日本でも、1971年に発生し各地に広がっ た。防除対策により、孵化場内の池出し前のIHNによる被害は軽減されたが、1980年代に 比較的大型の養殖ニジマスでIHNによる被害が発生するようになった。IHNは、本来稚魚 期の病気であり、幼魚から成魚での発生は殆ど認められなかったことから、日本のニジマ ス養殖環境においてIHNVの病原性に変異が生じたと推察されている。そこで本研究では、
第1章において、2006年に静岡県茄よぴ長野県のニジマスから分離されたIHNV株を用い、
IHNVの遺伝的変異とニジマスに対する病原性の関係について検討し、さらに第2章では、
養 殖場に 茄けるIHN対策として、非病原性の伝染性膵臓壊死症ウイルス(IPNV)あるい は 合 成 二 本 鎖RNAで あ るPoly(I:C)を 用 い た 新 た な 免 疫 法 に っ い て 検 討 し た 。 第1章では、2006年に静岡県、長野県下船よび愛知県下のニジマスから分離された計 7株のG遺伝子の塩基配列を解析し、1970年から1990年代に分離された世界各地の分離 株と共に分子系統学的解析に供した。その結果、1970年代に分離されたIHNV株は、何れ もgenogroupUに属する米国株と高い類似性を示したが、1990年以降の分離株は遺伝的に 大きく変異していることが明らかになり、さらに1990年以降のウイルス株には、分子進化 学的に独立した2系群(JRt Shizuoka系およぴJRt Nagano系)が存在することが明らかに なった。また、日本株におけるIHNVG遺伝子の多様度は7%であり、北米株間で認めら れた多様度(3.6%)を大幅に上回ることから、1970年代に米国より日本に持ち込まれた IHNVは、日本のニジマス養殖環境に適応した後、急速な進化を遂げたことが裏付けられ た。そこで、JRt Shizuoka系およぴJRt Nagano系の代表株を用い、各々のニジマスに対す る病原性を比較したところ、JRt Shizuoka系IHNV株の病原性がJRt Nagano系株に比べ高
い こと が明ら かに なっ た。 一方、1970年代 に分離されたIHNV株(ChAb76)はニジマス に対し殆ど病原性を示さなかったことから、IHNV日本株はニジマス養殖環境下での急速 な 進 化 に 伴 い 、 ニ ジ マ ス に 対 す る 病 原 性 も 変 化 し た と 考 え ら れ た 。 ところで、防除対策により隔離施設内のIHN制御は可能になったが、養魚池での防除 対策には限界があり、積極的な防疫対策としてワクチンの開発が不可欠である。第2章で は、IHNVの急速な変化に対応可能な新しい免疫方法「Poly(I:C)免疫法」にっいて検討し た。これまでに、非病原性のIPNVに感染したニジマスは、インターフェロン(IFN)が誘 導され抗ウイルス状態になり、IHNV等の病原ウイルスに対し抵抗性を示すことが知られ ている。本研究でも、予めIPNVに感染したニジマスをIHNVで攻撃したところ、その生 残率が対照区に比べ明らかに高いことを確認した。また、IPNV‑IHNV区の生残魚をIHNV で再攻撃したところ生残率は92%で、陽性対照区(IPNV‑Mock区)の生残率(4%)を大幅 に上回った。さらに、IPNV‑IHNV区の生残魚血清から、IHNVに対する特異抗体が検出さ れ たこ とから 、IPNV感 染魚 がIHNVに対 し抵 抗性を示すだけではなく、IHNV攻撃後に IHNrVに対する特異免疫が成立していることが明らかになった。すなわち、非病原性IPNV 接種に続きIHNVを接種することで、ニジマスを殺すことなくIHNVに対する免疫を誘導 できることが示された。次に、IPNVの代替えとして、IFN誘導物質である合成二本鎖RNA であるPoly(I:C)の利用にっいて検討した。Poly(I:C)を接種したニジマスをIHNVで攻撃し たところ、生残率は95.7%であった(陽性対照区の生残率は10%)。Poly(I:C)‑IHNV区の 生残魚をIHNVで攻撃したところ全てが生残し、さらにPoly(I:C)‑IHNV区の生残魚から IHNVに対する特異抗体が検出された。すなわち、IPNVの代替えとしてPoly(I:C)を用いて も、魚体内でINFが誘導され非特異的な抗ウイルス状態となり、この間にIHNV等の病原 ウイルスに感染すると、曝露されたウイルスに対する特異免疫が誘導できることが示され た。本研究で開発したPoly(I:C)免疫法は、今後様々な魚種の様々なウイルス病にも応用さ れることが期待される。
以上、本研究は、IHNVが今なお急速な進化を続けていることを、さらにその対策と して新しいコンセプトの免疫法を考案し、その実用性を科学的に示したものである。これ らの成果は水産科学に寄与するところ大と考え、審査員一同は申請者が博士(水産科学)
の学位を授与される資格のあるものと判定した。