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『宗教研究』136号

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(1)

――目次――

1, 道教清規考:清規玄妙について, 窪徳忠, Considerations of the Ch’ing Laws on Taoism: on the

Ch’ing-kuei Hsiin-miao, Noritada KUBO, pp.1-19.

2, 超自然主義小考, 竹中信常, On Supernaturalism, Shinjō TAKENAKA, pp.20-36.

3, 羽黒修験の入峰修行, 戸川安章, Shugens 修験 religious training on Mt. Haguro, Anshō TOGAWA,

pp.37-56.

(2)

∵ 中国宗教史の大宗ともいうべき遷仏二教の関係は、周知の如く、あたかもあざなえる縄のように密接かつ複雑である。従 つてこの二教のいづれを研究する 過誤に陥つて真の姿を究めえない場合が多い。従って両者の関係を明ら っても大きな研究課題の一であろうが、道教の研究にはことに重要である。道教は、仏教の刺戟や影響をうけて次第に宗教 的体裁を整えた関係上、殆どあらゆる面において、多かれ少なかれ仏教に負うているといつても退官ではない。だから道教 がいかなる面で、いかなる程度まで、仏教から学んでいるかを明らかにすることは、道教研究の中でも非常に大きな分野を しめているといえよう。もしこの点を明らかにしえたならば、道教の本質に対するおぼろげな見当がつくのでほないかとさ え考えられる。そこで私は、さきに道教の清規をとりあげ、紹介をかねてその性格を検討し、その面から道教が仏教に負う ① ている点の一端を明らかにしようと試みたことがあつた。て﹂ろが起草の際に、清の這光十五年ころ刊行された清規玄妙を 日隋する機会がなかつために、その考察においてかけることが多かつた。その後ふとしたことから同書を詳覧する機会に恵 ⑧ れたので、これと比較対照しうる仏教の清規を控訪して、最適の専有丈清規証義記をえた。そこで本来ならば雨音の全般的 道 教 清 光 考

道 教 清 規 考

− 清規玄妙に つ い ▲て ー

徳ノ

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な比餃を行って、清規玄妙の性格、ひいてほ当時の道教々団の性格を朗らかにすべきであるが、紙幅の関係もあり、前偏の

補訂の意味をもかねて、今回ほ問題を清規に背いた際の罰則のみに限って拙文を草することにした。不敏寡聞な上に仏教の

智鼓が皆無なため、本稿にほ初歩的な誤りや不足な点が多いと思う。しかもあえて貴重な本誌面を割いて頂いた所以は、専

間豪の方々の御叱正を仰いで、遅れている道蔵研究を一歩でも進めたいという、切なる願いのためである。大方の懇篤なる

御教示がえられたならば、幸いこれにすぎるものはない。

まず順序として清規玄妙およびその編者についてごく簡単に紹介しておく。

清規玄妙の編者は、清朝道光の間に呉輿の金蓋山純陽官に止住した金臭教龍門派の道士閣僚雲である。金の大定初年に、

山東・挟西の地方を中心に勃興した金臭教団ほ、のちに龍門派の祖となつた丘長春が蒙古の太祖チンギズ=ハンの信任をえ

てからは、現在の北京の西南部にある白雲観を総本山として江北一帯から江南にまで教勢をのばし、江西省貴渓県の西南に

ある龍虎山上清官を本山として、後湊の五斗米這ののちと称えて古い伝統を誇っていた正一教団をも圧倒する程の日ざまし

い発展をとげた。しかしそれに伴って経済的安定をえた結果、元の中期以後から教団の組織は固定化しはじめ、明朝の統制

強化策と相保って、次第に社会からみすてられ、初期のような溶剤さを失って形骸を保つにすぎないような状態になつた。

この傾向は清朝に入つてから益々甚だしくなつた。けれども正一教団に比べれば、なお多少立教当時の面影を残し、各地の

大きな通観を本拠として幾分伝統を守るだけの余勢はもつていた。金蓋山は漸江地方におけるその本拠の一つであつた。そ

の金蓋山に継承されてきた金臭教の師伝系統を中心として、派祖丘長春より逆光一柳年におよぶ周の龍門派の祖師の伝記を収

めた﹁金蓋心燈﹂の末尾に附載された関憐雲の伝、及び清規玄妙の巻首に掲げられた彼の自叙伝ともいうべき﹁自述﹂など

によると、彼は漸江省呉興県の人である。その生家については、望族または世家と記るされ、父は挙人にあげられ、河南の

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関傾雲化生れつき身体が弱く、殊に膝に故障があつたので、九歳になつてもまだよく歩くことができなかった。そのため ⑥

天台山の崇通観にあづけられ、観主高東熊より授けられた導引の術を行うこと三年にして痛疾もいえ、漸く強壮となること

ができた。大いに喜んだ彼は深く道教を徳とし、ここに仝異教団に入つて這士となる決心をした。名号を改めたのはこの時

のことである。その後両親の許.に帰りはしたものの、俗世の功名は一切眼中におかない態度をとり、科挙の準備などほすて

てかえりみず、専ら性理の研究に没頭すると共に名山勝蹟貯進んでいた。ほじめは彼の行動を許るしていた父も、次第に仕

官を要求するようになつた。疲ほ父の命もだしがたく、壮年に及んで入質して官途につき、州の司馬として浜南に赴任した。

ところが同年の暮に父が突然死んだので早速辞任して帰郷し、更に服した。その服喪が終ると続いて母も死んだので、その

忌明けをま亨金葉山に入った。その後は二度と下山の計を思わず、一意修道に専念し、或は通観の復興に力をつくして後

進を導き、或ほ明師を尋ねて山水をへめぐつて内修にはげむかたわら、金蓋山を中心とする帝門派関係の史伝の編著につと

.めること約二十年、這光十六年十一月、七十九歳の高齢をもつて世を去った。その著作ほ二十数種に上るが、中でも金蓋志

略、金至心燈、首善業蔵書が名高い。以下に紹介する清規玄妙は、古書隠棲蔵書中の一策である。

年、甫采の理宗から霊一大師の号を賜った、とあるから、その実在の人物であることだけは間違いない

につきものの作為語でほなかろうか。ただし貝大欽については、洞宥図志巻五に、余杭の人で、洞看官に止住すること三十 ヽ‖y

ほどは明らかでないが、両者の道号が同一であることから考えて、恐らく彼が道号をつける際に案出された、傑道士の伝記

れて一礼したのちに産室に入ろうとする夢をみて、目がさめ・たら彼が生れていた、といぅ奇瑞話がのべてある。その実偽の

憐雪子と号した。・﹁自述﹂にほ、彼の女が、甫実のころ洞看官の住持であつた貝大欽、号ほ憐雲といつた道士が二侍童をつ

たかと想像される。はじめ彼は名を苔薯、字を補之または小長といつたが、入道後は教団の規定に従って名を一

息県の県令をへて余杭の教諭に払つたというから、恐らく郷里においては名望もあり、相当広い土地をもつ地主

道 教 清 泉 考

(5)

金蓋山で刊行された清規玄妙は、その巻首に掲げられた閑俄雪の常像、宝浩、遺言および自述を除けば、わづか三十五故 にすぎない小冊子であるが、外内の二集にわかれている。外集ほ、正しくは清規玄妙全英参訪外集と名づけられ、金臭教団 の宗派とくに七真派の派名や派祖の紹介、雲水這士の持物や服装の解説、掛単、行住坐臥の作法、礼儀進退、言語、飲食、 内修の威儀の説明など、叢林における金臭道士の日常生活に必要なすべての作法に関する教えを内容とする。だから規短須 知と越されている。これに対して、正しくほ清規玄妙全案参訪内集と名づけられ、学道須知と題されている内集ほ、戎食銘、 紫清真人清規梼、長春異人清規棒、長春真人執事棒、清規棒、執事榛、長春祖師垂訓文など、学道の際の注意事項を内容とす る。外内両集の間にほ、内容的にさほどほつきりした区別がつけられない点もあるが、概していうならば、外集は﹁かくす べきこと﹂を教え、内集は﹁かくすべからざること﹂をのべる、とすることができる、従って叢林における規短に反する行 動をとつた道士に対する罰則が、内集に収められていることはいうまでもない。右の﹁清規棒﹂がすなわちこれである。そ うして他の某異人清規梼もしくは執事梼と超するものほ、仏教の清規と同じ体裁をとり、一々の行為に対する処罰港をのべ てないから、本稿で救うのは清規玄妙中の清規棒だけである。﹁自述﹂ は道光十五年正月の作であるから、清規玄妙の刊行 はそれから余り遠くない時であろう。なおさきに編者を関憐雲としたが、実は碧雲子なる者が集めたものを訂正重梓したに すぎない。けれども碧雲子につ.いてほ全く不明であり、憐雲も手を加えたようであるから、一党づ彼を編者としたのである。 三 清規棒は金三十六条よりなり、前後に前文および後文がついている。まづ前文の大意を訳出しよう。 象帝の先に存在する道とは、万物の本体である。だから、のちに出現した多くの宗教や思想、例えば儒教や仏教の如き も、一見別のもののようだが、結局は這に基く道教と同源ということができる。一体■整界にいながらそこからぬけだす ことや、欲界にありながら欲をすてることほ、至難のわざである。だからこそ凡人は常に青海に沈み、汚濁の中であえ

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いでいる等ある。そこで高明な人々は互いに戒めあつて、迷妄の世界に陥らないように寸時も注意を怠ってはならな

い。太上が不二の法門すなわち道警開いた際に忍辱を第一とし、祖師丘長春が鉢堂の教をのべた時に規制や港式を先

としたのは、その点を慮ったためである。天は無礼な神仙に対しては許容しない。況んや人界において、規範にふれた

行いをする道士の存在を許るすことができようか。そもそも十方叢林は這士が修心煉性を行う修行道場であつて、酔生

夢死の遊び場ではない。だから叢林にありながら是非を講談し、勝手な言説をこととするようでは、我々の理想与ノる

出世など望むべくもなく、決して許るすことはできない。かつ本観は、千里の遠くから善友が集まり、十方から有這の

艮朋が来って共に修行しぅることを念願として、善地を選んで建立してある。故に諸道士は常に互いに戒めあつて、ご

く些細な雑念瞑心をもおこさず、あたかも氷霜のような凛とした心をもつて切瑳琢磨して、規矩にふれないように注意

せよ。と。

要するに前文は、規矩にふれないように互いに戒めつつ修行に専念することを叢林の大衆に勧めたものであるが、字句は ⑧

とにかく、趣旨においては他の道教の清規のそれと大差はない。ところが官吏清規証表記との聞には、かなりの相違が認め

られる。すなわちこの前文ほ、証蓑記の序および常住財物出入規銘・客堂規約壷房条規などをはじめとする多くの規約の前

文を合操して簡略化したものということができる。かかる相違は清規玄妙の性格によると思われるので、その理由について

は後述にゆづり、つぎに清規梼の仝条文を紹介する。本来ならば訳出すべきであるが、煩をさけずあえて原文を掲げたのほ、 ⑨

従来殆ど紹介されてないことと、不正確な訳文より原文のままの方が史料として役立つ場合が多かろうと考えたためである。

一凡姦盗邪淫。敗太上之律法。壊列祖之京風者。架火焚身。

一凡拐帯欺編者。泉眉煉単。

一凡撹擾清規。不遵各港者。杖責草出。

道 教 清 規 考

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凡賭博頭銭者。放資頂清規。 凡鼓講焼丹煉衷。興廃迷人者。校章逐出。 凡飲酒茹輩食肉。撹乱常住者。社章逐出。 凡毀傷父母。青馬大衆者。枚責逐出。 凡不拝師長。不知宗派者。逐出。 常住軒事。別衆利己。隠購大衆者。前打斎。 凡俺勢官長俗党。欺圧道衆者。合堂公議。枚貴逐出。 凡博英戯誠。不遵規模︵規制や法式︶行事者。軽脆香。重枚責遷単。 凡大衆大︵上の誤か︶堂公事。俗衣小帽者。路香。 凡私自募縁。不通衆不入常住者。蓬単。 凡妬嫉賢艮。欺謹後学。騎倣自誇者。逐出。 凡上殿登壇。笑談責噂。背立坪童。邪日曲視。吃姻唾疾。不依臣礼、拝脆不恭者。脆香。 凡宝殿楼周。早晩︵朝夕︶香燈供卓汚棟。霊壁芥浄者。綾香。 凡朝暮功許。転天草不到者。挽香。有公事︵観の公用︶者免。 凡朔望聖誕。大衆朝賀。雲集不到者。践香。有公事者免。 凡上斎堂。言語衣冠不正。碗響夜寒落地者。脆香。 凡掛挿袋荷包︵唐草入をもち︶。上斎堂吃梱。不遵道規者。路香。 凡常住食物。私自得賓。不上客堂者。距香。

(8)

一凡常住赤体夜陸。不穿小衣。不札健管者。挽香。 一凡烹厨供献。汚水械柴。交談接語。食餌不磨者。脆鷲 一凡琶火焼雫小衣上殿。失帯冠巾不恭者。粍香。 一凡出門不告白。不領我者。脆香。 一凡叢林私食。不供衆者。・罰打斎。 一凡出妓︵道士の行列︶動静。不随衆者。脆香。有公事者免。 一凡公私出幹。燈火何者。挽香。有公尊者免。 一凡閑静︵起床時間︶不起者。路香。 一凡止静︵消燈時間︶不吹燈開単著。路香。、 一凡私百開看蔵経。不通衆者。前打斎。 一凡夜寒言語駕衆者。前香。 一凡厨房拗撤五穀。毀壊什物豪快者。脆香。 一凡常住公事。不帝助者。罰香。 一凡巡照。知犯清規者不罰。大衆薬出。同前打者。 一凡戊禁。惟除春戊寅・秋戊申。両戊不意。余戊皆忌。某所禁之日。凡法官通俗。有閑静焼香。上草進麦。関申天曹 者。滅身。知而故犯者。換及九祖。風刀万劫不原。非侭諒者減三等。赤文天律章。女青天律同。 この後に、三人同エく行えば必ずわが師ありといわれているから、一堂で共同生活をしていれば資籍がない筈ほない。叢 林にある大衆はこの点を深く党察して、錆供しないように注意しなければならない。もし清規に背けば、右の各条に照らし 七 遁 歌 津 先 考

(9)

て処罰を行㌔だから必ず窓縦の邪念をおごすことなく、光陰の軽んずべからざることを深くわきまえ、寸刻を悼んで常に

修行専一を念として生活すべきでみる。どうか謹慎して修持し、一日も早く堅固な道心をうるようにしてほしい、との旨を

のべた複文がついている。

以上が清規榛のすべてであ宮中には説明を要する字句もあるので、ここで略解しておこう。

第一条の﹁太上﹂とは、老子を神格化した太上老君の謂である。道教には、その宗教的性格からいつて、教祖ほない。し

かし南北朝時代の仏教との論争の過程において、仏教に桔抗できるような宗教的体裁を準える必要に迫られ、さまざまな神

を創造し、ついに元始天尊という最高神を案出したが、その一環として老子も神とされて太上老君とよばれるようになつた。

唐窒ほ老子と姓が同じだつたので、特に老子を尊崇して極めて高位においた。かくて一般のさかんな信仰をえ、その名を冠

した経典が多く作られた。この傾向ほ−初期の金臭教団内では排除されたが、立教の精神が薄らぐと共に次第に従前の傾向に

従うようになつた。前文および第一条で﹁太上﹂をあたかも教祖のように扱っているのほ、その反映である。だからこの場

合の﹁太上﹂ほ教祖の意味にとつてよかろう。しからは清規は教祖のお定めということになる。第八条のr衰派﹂について、

外集の﹁天府考試仙裔港派﹂には、﹁道には宗源があり、仙には洪派がある。法派宗源にくらい者ほ来由に必ず濁りがあり、

真の金臭道士でほな.い。金臭這士ほその法派某源を知悉してからでなければ、義山福地を参訪してほならない。東華帝君よ

り五伝した王重陽によつて金臭道ほ四海を風摩したが、その高弟である七真人がそれぞれ別派をたてたので、龍門、随山、

南無、遇仙、華山、静山、清浄の七派ができた﹂とあるが、道教にほ金臭・正丁茅山などの宗派があり、各宗派がまた多

くの分派にわかれている。金臭教だけでも数十の分派があり、右の龍門、葦山などはその代表的な派である。この分派を﹁宗

派﹂と現わしたのである。自己の分派の詳細については揖単の際にとくと調べられるから、叢林の大衆は本来ならば自己の

派名、派詩、派祖などほ知悉している筈である。しかもここにかかる条項があるのは、当時の這士の素質低下を物語るであ

(10)

ろう。外集には、法沢の来由を知らないのは詐偽の徒で、訪道の士ではない、ともあるから、第八条は偽造士を意味するわ けである. 第十二条の﹁俗衣小帽﹂は、﹁威儀を正した這服でない服装﹂を意味する。道光時代の道服の種類は明らかでないが、現 在でほ六撞に分れ、着用すべき場合がそれぞれ定めれられている。外集の巾の項にほ﹁俗衣小帽の者ほ愚昧の下人で、恐ら くほ異端邪説を懐いているであろう。外相が不備ならば内修にも欠けている筈だからよく注意せよ﹂ とあるから、服装ほ精 神のあらわれとして重視されているわけである。第十七条の﹁転天尊﹂についてはよくわからないけれども、民国二十九年 制定にかゝる白雲観金臭這範の秦祀威儀の条の転天尊の項に、全観の道士が集合して七其殿、四御殿、孤魂堂、会仙橋、七 実殿、四御殿、岡堂の順に念経、焼香してまわる行事で、毎年十二月三十日午後一時半から行う、と定められているから、 清代でもほゞそれに近いものであつたろう。第十八条の﹁聖誕﹂とほ、叢林の諸祭神の誕生日に行う祭祀である。その日に ほ仝観の道士が神前に集まり、規定の供物を献げて念経、焼香する。現行の聖誕日の一覧表が白雲観全英道範の白雲観聖誕 祭日表である。第十九条の斎堂に行く時に衣冠を正すべふシJとは、内集戒食銘にも規定されている。さきの﹁俗衣小帽﹂と 同じ意味もあろうが、斎堂に祀られた神への非礼をさけるためであろう。現在の白雲観でほ王霊官が祀られている。なお食 事の際の威儀についてほ、外集飲食の項にくわしい。 四 さて清規玄妙の処罰方法は、架火焚身、泉眉焼単、枚責草出、杖責頂清規、杖責逐出、逐出、罰打斎、枚責遷単、遵単、 脆香、罰香の十一種である。他の道教の清規では、前の軽重の順に配列されているが、本清規のみは順序不同である。これ は証表記と同じい。しかし証表記でほ処罰法として出院、濱、罰斎、前席、駅香、蓮規議定の七種がみえてはいるものの︵同 書巻五粛衆項︶、各規約中には単に﹁罰﹂とあるのが過半数をしめ、まま重罰出院、罰銭、賠罰、凄単などがあるにすぎず、 道 教 清 光 考 九

(11)

︼○

他ほ殆どみえない。この﹁罰﹂とほ、仏七規約に﹁凡規中宮罰、倶是罰路香念仏云至とあるから、恐らくは距香であろう。

果してしからば、この両書に関する限り、道教側の罰は仏教側より厳格だつたことになる。

各処前法を文字の上から推測してみると、第一の架火焚身ほ火あぶりである。今次大戦後行われた白雲観の安監院処刑の

際の活から推すと、その方法は徳川時代のそれと同じだつたろう。第二の泉眉焼単は犯罪道士の眉毛と単とをやくのであろ

ぅ。這士は業林の入所試験ともいうべき樹単の際に、木札に自己の所属分派、姓名、年齢、原籍、師祖、庭師、出家場所を

書いて貰い、入観が許るされるとそれを百分の居常場所にかけることになつているが、その木札が単である。単は仏教の単

位に学んだのであろうが、とにかくその単をやくのだから、自分の居処がなくなるわけである。だからこの方法ほ、一見し

て犯罪道士であることが明らかなように顔に印をつけて叢林から逐出すのである。従って単なる還俗より一段ときびしいと

いえよう。つぎの杖責革出は、竹箆で鞭った後に叢林から逐出すのであるが、鞭つ回数はわからない。枚責頂清規は、犯罪

這士の頭上に清規をのせて枚責するのであろう。枚責逐出は枚責草出と同じである。逐出は読んで字の如く、仏教の出院に

当る。罰打斎ほ粛衆の項に﹁罰斎供衆﹂とあるから、恐らく食事を大衆に供することと思われる。凄単は単をうつすのであ

るが、結局は逐出すのである。だから社章邁単は、枚責後逐出すことになるが、社費逐出や枚責草出よりやや軽いらしい。

この三種は証表記の摸に当るであろう。臨香ほ一束の線香を捧持して、それが燃切るまで神前に脆坐するのである。線香の

束ほ太くかつ長いから、ほたで考える程楽ではない。最後の前香ほ、罰として香を出させる方法である。増修教苑清規には、

大衆集合の際の不参者、食事中に普をたて、薯を地に落し、もしくは笑った者は罰香五両とあるから、恐らく道教でもこの

程慶であつたろう。最後の二法は仏教から学んだのに相違ない、なお清規棒第十条の合堂公議とほ、仝観道士が集まつて前

をきめる方法で、遵規議定に当るであろうが、その後文に枚責逐出とあるから、仝観道士に処罰の理由を公示納得させる意

味かも知れない。また第十一条の﹁軽挽香、ま枚責遼単﹂という書き方は、他の道教の清規にはなくて仏教側に多いから、

(12)

仏教の影響を示す一例と思われる。 臥上簡単に託義記と対比しっつ清規玄妙の処罰方法を説明したが、前席、罰銭を除けば、殆ど仏教のそれと同じい。この 点ほ、元初にできだ道教最初の清規金臭清規も同様である。従って道教の清規は仏教に学んで成立したと考えられるが、清 規傍の各条と証義記とを対比すると、なお一層ほつきりするので、つぎに逐条的に必要な説明を加えつつ比較してみょう。

清規玄妙と証義記とは体裁が異なり、分量も格段にちがうので、本稿では証義記の各規約中から清規梼の条文に当るもの を抽出して比較対照する方法をとつた。かかる方法は、或は当を失しているかも知れないけれども、清規梼を中心として考 察を進める関係上、あえてかかる方法によつたのである。 前掲の如く、清規玄妙では叢林全般にわたる罰則をまとわて、仝三十六条の清規梼としているのに対して、証義記では各

堂房別に規約があり、中には覆する条文も多く含まれている。かつ各規約は、少いもので六・七条、多いものは三十二条 に及んでいる。だから証義記は清規玄妙に比して、きわめて厳密かつ詳細だということができよう。 さて清規棒第一条の意味は、いわば隈本大戒を犯すことである。中でも淫は、功過格によつても明らかなように、中国で はとくに厳しく戒めるところであるから、道教々団の中でもことに戒律の厳格な全英教が最初にとりあげるのは当然である。 証義記の日用規範の﹁不得破根本大戎﹂、共住規約第一条の﹁犯根本大戎者出院﹂が本条に当るであろう。ところが清規玄妙 が架火焚身という極刑で臨むのに対して、証義記では﹁軽者罰。重者出院﹂ − 日用規範の処罰法の書き方ほ、すべてかか る形式だから、以下では;のべない1または﹁出院﹂でやや軽きに失する愚がある。ただし叢林内での死刑ほ禁ぜられ ている管であるから、かかる極刑が実行されたか否か疑問である。第二条相当項ほ証養記にほない。﹁欺騙﹂は恐らく妄語 に当るであろうから、しいて掲げる必要を認めなかつたのかも知れない。第三条は結局清規を守らない者という意味になる

道 教 軒 先 考

(13)

︼ニ

から、狂暴記且過堂規第四条の﹁衆申有不守清規者。琴蛋誘。不聴。即白衆査朋。脆香。不服者白客堂遷単﹂に当る。処

罰ほ道教の叔責革出に比してきわめて穏当で軽い。なお且過堂は雲水堂である。道教では十方堂または雲水堂という。寮元

とは且過堂主である。第四条ほ金銭をかける賭博の禁止である。これには厨房条規第七条の﹁飲酒賭博者。重前出院﹂、山東

規約第五条の﹁山東賭銭。不論僧俗。犯者出泰﹂、園房秦規第九条の﹁吃馨清勝銭等事者。責演﹂、日用規範の﹁不得飲酒賭

戯﹂、共住規約第十四条の﹁或博薬膳銭者。重罰出院﹂などが当る。各規約によつて刑量がまち′∼なのほ理解に苦しむが、

罰の程度は道仏ほゞ同じといえよう。なお﹁重罰﹂とほいかなる方法かわからない、第五条の﹁焼丹煉表﹂とほ、不老鼻エ

の薬といわれる丹︵金丹︶を作る煉丹術へ金丹術︶をさす語である。嫌丹は抱朴子のころから重視され、唐宋時代にほ大い

に流行した。金臭教の開祖三重陽が、錘離権・呂純陽の二仙と伝えられているある隠者から授けられた口訣は金丹通関係の ⑮

ものであつた。ところが重陽は術語はそのまま使ったが、概念ほすつかり改打て新しい一派金臭教を創喝した。すなわち煉

丹術の薬名だった鉛衰、龍虎、嬰佗などキすべて本来の真性を意味する性命の別称に用い、性命の探求を全実数の其の目

的とした。そうして丹を外丹とよんで外道とし、性命を内丹としてその鍛煉を強く人々に勧めたのである。だから初期の全

真数では嫌丹術を虚妄として排斥したが、元代中期以後教団内にその派が入ってきたので、正統派ともいうべき諸分派とく

に龍門派などではあまり好ましく思わず、常にその排斥に努めた。清規玄妙に本条があり、重罰で臨んでいるのほ当然なこ

とであ亀外集にほ﹁もし喜んで墟火を談じ、茅を焼き表をねる︵舶︶のほ、三千六百の傍門、九十六種の外道の流である﹂

とみえている。極音すれば、異端邪説とさえいえよう。だから日用規範の﹁不得習学天文地理符水墟火等外事﹂および﹁不

得習学閉気坐功。及無為白蓮等邪道﹂が本条に相当しよう。処罰法ほいうまでもなく道教側が重い。なお清規梼申に本条を

入れなければならなくなつたことは、当時の教団には立教当初の精神が薄らいでいたことをあらわしていよう。

唐代以前には道士の飲酒妻帯は禁ぜられていなかつたが、金臭教では飲酒、妻帯、食輩を厳禁した。第六条はそれをあら

(14)

わし、外集でも﹁飲酒食肉。五輩九厭不断。此為民間耗鼠。教内魔軍﹂と、きびしく戒めている。これほ厨房条規第七条、

囲房棄規第九条、日用規範︵以上前掲︶、且過堂規第九条の﹁吃酒者出院﹂、共住規約第四条の﹁吃輩酒看戯者。前巳出院﹂、

講堂規約第一条の﹁飲酒放逸者。即演出院﹂に当る。罰は追払二教ともほぼ同じである。第七条の中、﹁毀傷父母﹂に当る

証義記の条文がないのは、日用規範に﹁不得不孝父母﹂とあるから、わざ′∼のべる必要を認めなかつたのであろう。﹁菅

尾大衆﹂には日用規範の﹁不得誕較清衆﹂が当る。この罰も道教側が重い。第八条の中、﹁不拝師長﹂にほ日用規範の﹁不得

欺陵師長﹂や﹁不得侮慢菅宿﹂が当るが、﹁不知宗派﹂に当るものほない。罰は両教とも同じである。第九条に適確に当る条

文ほ証義記にはみあたらない。第十条には日用規範の﹁不得威力欺圧人﹂が当ろう。清規傍に﹁官長俗党﹂と明記してある

のは、かかる教団外の勢力をかさにきる者が道士の中に現れたので、それを排除して教団の自主性を護ろうとした努力の反

映ではなかろうかと思われる。証義記ではその点ばばかされている。第十一条は第四条と重複するようであるが、恐らく﹁戯

詭﹂を主としたのであろう。証義記でほ第四条に相当するもののみである。第十二条については前述した。証義記にほ相当

条がない。第十三条は、勝手に叢林の名で寄附をつのり、しかもひそかに費消する者に対する罰則である。これには証義記巻

六化主の項の﹁如有私在外。冒名募化者。立掻出院﹂、収供寮規第七条の﹁私募財物。或以飯易銑米者。出院﹂、日用規範の

﹁不得非理募化﹂、共住規約第九条の﹁執事私化縁者。量事軽重処罰。不服者出院﹂が当る。罰は仏教側が重い。第十四条は

自分より能力ある者をそねみ、後輩にいばる者に対する罰則であるが、外集にはこれについて﹁若或貢高我慢。嫉賢妬能。

誇己訓人。︵榊︶此非学這之士。不霊星空といい、﹁見高明者嫉妬万般。見老幼者欺圧首状。祖師云。此為敗教之魔軍。

地獄之種子﹂ともあるから、教港をやぶる魔として逐出すわけである。証義記でしいて相当桑をさがせば、客堂規約第十

条の﹁或専権自任。或同案玉柏嫉妬︵舶︶者。自衆同案議前﹂、且過堂規第十条の﹁議論諸方長短好悪者罰。好達横鋒者前﹂ などであろう。一体全英道士は、天を知り道を楽しむのを建前とL、表面ほ全く愚のようにしてあまり談論すべきでない

〓ニ

道 教 清 親 考

(15)

︼四 とされているから、賢能を嫉妬するなどは邪道の極なのである。従って清規梼に本条があり、証義記にないのは当然であろ えノ○ 第十五条ほ、神前における非礼、目下に対する騎倣、下品な態度の戒めである。外集でほ、上目、下目、流視を禁じて正 視を要求し、唾は僻地でほくように定めてある。証義記ではこれに当る条はなく、ただ日用規範に戯笑度なきこと、高声で 談論することの不可が定めてあるにすぎない。本条に関する限り、仏教より道教の威儀がやかましいわけである。第十六条 ほ、各殿堂備付の供阜および神壇を不潔にしている者に訂する罰則である。道士は叢林に入ってしばらくたつと、何らかの 職務が割当てられるが、その中に各殿堂を司る値殿という役がある。値殿ほ常に所司の殿堂の内外を垂頓し、清潔にしてお く責任があるから、結局本条は値殿への罰則である。証義記巻六殿主の項に、殿主ほ食事後食卓の塵をほらい、机を精密に し仏殿や廊下を掃除せよとあり、港堂香煙の項に、洪堂の内外を掃除せよとあるのが、本条に相当するであろう。ただしこ れにほ罰則がない。第十七条の ﹁朝暮功課﹂とほ、朝晩二回の神前における念経である。その時刻は朝ほ朝食の前後、・晩は 夕食前で、公用のない全道士が集まることになつている∼最近でほ念経係の這士のみとなつたー1。読詞する経典ほ、最 近でほ早晩功課経、玉皇経、三宮経などであるが、道光ごろの経典名は明らかでない。﹁転天専﹂ については前述した。要 するに、全道士の集合すべき時に不参した者への罰則が本条および次条である。そこで証義記との対比は次条でまとめての べよう。さて叢林の大衆ほ一日、十五日および諸祭神の誕生日に宜必ず集合して、定められた儀式に参加しなけれほならな い。このように仝観の道士が集まるのを雲集という。第十八条は右の行事の不参者への罰則である。本条および前条に当る 証義記の条項は、共住規約第十二条の﹁課諦。坐香。出披。不随衆者罰。除公事・有病。不服者出院﹂、講堂規約第三条の﹁不 随衆者罰﹂、禅堂規約第十七条の﹁行坐。課癒。受食。出奴等。不随衆者罰﹂であろう。罰は両教とも同程度である。第十九 条は食堂における無作法に対する罰則である。白雲観の経験では、道教の食事に関する威儀ほ仏教同様やかましい。外集飲食

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の項には、口中に食物を含んで苧こと、普をたてて食事掌ること、食事中に首をかき、談笑し、歯に扶ったものをとる

こと、飯中の楓を地にすてること、警薯の普をたてることなど、こと細かに禁じ、粗ほ皮をとつて喰べよ、飯中にいた虫は

他人に気づかれぬよう密かにすてよ、と教えている。また肘をほつて隣人の邪魔をし、他より先に薯をとり、或ほ先に坐を

たってはいけな小のである。﹁衣栗正﹂については前述した。証表記巻六要茶の項の﹁隻威儀。勿得言語。杯盤碗薯。 不得作声芸﹂や、共住規約第十五条の﹁食事不得談笑。達者罰﹂などが本条に当る。第二十条ほ食堂での禁煙規定である。

さりとて他の場処で喫煙が許るされているわけではない。一度も契煙者を目撃しなかったことからでも、それは明らかであ

る。且過堂規第八条の﹁吃讐罰﹂、共住規約第四条の﹁吃嬰罰﹂、厨房条規第七条の﹁吃警罰﹂、禅堂規約第第二十八条

の﹁或吃賃重罰﹂がこれに当る。霊記でも右の巽しか禁煙規定がないが、他の場処でも禁煙だったに相違ない。第二

十一条には共同生活および虚己の精神を徹底させる意味喜んでいると考ゝ言れる。収供寮規第十四条の﹁私留僧俗寮内食

宿︵舶︶叢与人者罰﹂、共住規約第二十条﹁私署友悪者罰﹂などが本条に相当するであろう。

第二十二条の﹁小衣﹂はシャツ、﹁不孔筈﹂はズボンの警とかないことだから、本条は裸体是は道服の董でねた者

に掌る罰則である。外集雲水の項では、裸体でねる者ほ詐って道教に入った者だから注意を要するといい、坐臥の項でも

小衣をぬいでねることを戒めている。芸堂規第八条の﹁不得脱裡衣睡。︵舶︶達者誓﹂が本条に当る。なおここに﹁警﹂

と明記してあるが、証表記にほかかる例ほ多くない。垂一十三条は神前に献げる供物をけがした者に対する罰則であるが、

証義記には彗条がみあたらない。しいていえば、厨房条規第七条︵前掲︶が本条の一部に当る。第二十四条は神への非礼

を戒めたものである。﹁竜火焼香﹂に当る条項ほないが、且過堂規第十姦の﹁過堂上殿。不塔衣者罰﹂が本条の後半に当

ろう。第二十五条は許可をえずに外巴た者への罰則で、﹁領撃とは許可証を貰う意味である。証義記では客堂規約第十一

条の﹁諸師党。不到客堂告仮鈴仮者罰﹂、収供寮規第十四条の﹁私行在外過宿罰﹂、仏七規約第十六条の﹁如有私豊。不

道 教 清 泉 考

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︼大

台仮者重罰﹂、禅堂規約第十条の﹁出入不自執事者罰﹂などが、本条に相当する。つぎの第二十六条の意味ほよくわからない

が、外集に﹁不得偏衆食。不得見美味生貪心慈食﹂とあるから、自分だけで勝手な飲食をした者への罰則であろう。しから

ば本条には、常住財物出入規銘第十条の﹁飲食背衆︵酌︶者罰﹂、厨房条規第一条の﹁不許別姓私食。及私留美鮮自食者罰﹂、 収供憲第十二軒の﹁飯食不随衆。︵聖寮内私造飲食者罰﹂、晶規範の﹁不得営排美食﹂および﹁不得管衆食﹂、共住規約

第二十条の﹁非重病。菅衆飲食者罰﹂、禅堂規約第二十八条の﹁私造飲食者罰﹂などが相当するであろう。また巻六典座の項

にほ﹁就厨粥飯。不得異衆﹂とあり、同じく貼案の項にも﹁不得私造偏衆飲食﹂とみえている。要するに共同生活の破壌と

個人的な口腹の楽しみを戒める条項に相違ない。なお厨房規約や典座、貼案の規定ほ、その特権濫用を戒めたものであるか

ら、やや特殊でほあるが、精神においては他条と同一であろう。罰ほ道教側がやや重いといえよう。第二十七条も共同生活

の破壊を戒めた条で、且過堂規第七条の﹁聞普梯。不随衆出披者罰﹂、共住規約第十二条、禅堂規約第十七条︵共に前掲︶が

これに当ろう。なお客堂規約第十条には、知客さえも用事がなければ出故に参加すべく定められているから、その点は道教

より徹底的である。道教にはかかる規定ほない。第二十八条は門限に遅れた者への罰則で、紫清真人清規傍にも﹁公私出幹。

不許燈火而回﹂とある。証義記にほ適当条がないが、しいて求めれば浄業堂規約第十六条の﹁非要事、止静不帰堂者罰香﹂、

禅堂規約第十条の﹁止静不到着前﹂の二条でほなかろうか。尤も﹁止静﹂は就床でなく、坐禅終了後をも意味するから、果

して右の二条が本条に当るか否か疑問である。第二十九条には共住規約第二十一条の﹁各棄聞報鎧不起者罰﹂が相当する。

第三十条ほ消燈時間に消燈しない者への罰則だが、どうも証義記には相当条がないようである。その理由について御教示が

えられれば幸いである。

遷蔵は主管者の瀞可なしでは閲読することができない。第三十妄はその罰則である。証表記巻五修整経典の項にほ﹁本

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寺侶衆有請看者。須登牌。某月某日英人。請英字函経。遠別消賑﹂とある。退蔵は大蔵経に模して編さんされたのであるか ら、本条も恐らく仏教にならつたものであろう。なお現在の白雲観にも証義記と同じ規定があるけれども、事案上一般道士 の退蔵閲読は許るされていない。さて外集言語の項に ﹁寝息時不得言語﹂ とあり、坐臥の項にも﹁巳臥不得言語﹂とあるか ら、第三十二条ほ就床後の談話の禁止である。証義記にも、且過堂規第一条に﹁匝眠時談笑者罰﹂、受戒堂規第八条に﹁不得 隣単英語。及器鳴動衆。達者蹟香﹂とある。共同生活には必須の規定である。罰ほ道教側がやや重いのでほなかろうか。第 三十三条は厨房の清潔と食物や器物などの公共のものを大切にする規定である。ところが証義記の厨房規約中にほ相当条が なく、器物についてほ常住財物出入規銘第四条の﹁庫司。管各色器物。︵剛︶若失壊者。記彼賑名令賠﹂、日用規範の﹁不得廃 壊器用不賠償﹂、禅堂規約第十一条の ﹁破壊什物者罰賠﹂ が当り、厨房については巻六磨頭の項の﹁凡磨事。須収拾潔浄。 不得狼頼践躇由罰﹂がやや相当するのであろうけれども、﹁拗撤五穀﹂ にほ当るものがない。第三十四条に相当する証義 記の条項はないが、その精神は随処にみえる。第三十五条は巡照の職務怠慢に対する罰則である。内集の長春異人清規膀に ょれは、巡照ほ叢林の盤察役で、天に代って教法を宜化し、有道の商人をあげ、清規を犯した道士を巡察するのが任務であ ⑱ る。従って本条のような規定ができるわけである。ところが証義記でほ日夜の別があり、日巡は常住の難事、各処の掃除、 叢林外での僧侶の行動を監督し、夜巡は夜の監督をすることになつているから、職務内容がやや異なつている。広くいえば 日用規範の﹁不得執事怠慢﹂が相当条かも知れないが、相当条なしとした方がよかろう。最後の第三十六条ほ道教特有であ るが、他の清規にはかかる規定がない。ただ白雲観全英道範の﹁教育斑細則﹂に、戊日は休むとあるから、何か理由がある のだろうが、よくわからない。 以上対比した結果をまとめると、清規梼にあつて証義記にない八条、やや顆似する三条を除いた二十五条ほ、全く同一か もしくは極めてよくにているといぅことになる。このように証義記の一部に頬似する理由の第一は、清規を成文化した最初 ︼七 道 教 清 規 考

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︼八 の道教々団である全異教が、禅宗的傾向の強い教団であつたことであり、第二ほ、証義記が逆光三年に、清規玄妙が逆光十 五年に刊行されたこと、すなわち刊行年月の近いことである。刊行の遅いものが早いものを模すことは当然である。また﹁自 述﹂によると、閑憐雲は仏教と何らかの交渉があつたような形跡が窺われるから、恐らく証義記についての多少の知識があ ったのではないかと推測されることも、理由の一つにあげられるであろう。そうしてそのとり入れ方は、仏教のものを簡略 化してまとめ、道教の立場から理由づける方法であつた。模倣の一般的傾向として、これほ当然であるが、それよりも両教 の規模および伝統が大きな原因であろう。道教が常に仏教に劣っていたことは、中国宗教史上明らかな事実である。そのた め道教ほ常に仏教に学んだ。活規もその一例である。だからこのように頬似しながらも簡略なのである。また罰の種類ほ大 体同様なのに拘らず、程度は道教がきびしいのも同じ理由であろう。清代の教団の堕落ほ両教共ほぼ同様であつたが、とく に道士の素質低下は、売牒などの経済的原因と相侠ってはげしかつた。だから証義記では不必要な条項をも加えて、きびし い罰で臨まなければならなかったのに相違ない。要するに清規玄妙の清規梯を通じてみた道仏二教の関係ほ、清朝逆光の間 においてもなお道教が仏教に学んでいたことを物語っている。そこで、仏教がなかったならば、道教はありえなかったとい うことができるであろう。 ︵昭和二八・九・七稿︶ ︹附記︺ 起草に当つて吉岡義豊・大淵忍爾の両氏から御教示をうけ、ことに大淵氏は貴諒な清規玄妙を快く貸与された。記 して感謝の意を表す。 命①の 註 朝稿﹁汚教の清規について−・外来文化と固有文化 − ﹂ ︵東方宗教創刊号二八貫以下︶。 大日本綻蔵軽弟︼輪番二桐節〓ハ套節四1五妙所収。清の俵潤撰。逆光三年刊。金丸爺。 離門派は全英教の諦分派中最大の教勢をもつ。派組は丘長春ときれるが、実際にはその弟子のころから始まつた。なお現存り分派

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名については、小柳司気太博士﹁自宇祝意﹂所載︵九一貫︶ の講実宗派稔簿参照。 ④ 全案教団で、は、入道の隙に道名・道号をつける。戒名は二字で、上の一字は所属分派の汲詩の一字をとるが、そ竺隈は初代は節︼ 宇目、二代は第二寧日とする。.だから滝名の上の一字と派詩とを比べると、何汲の何代Hの遭士かがすぐわかる。閑憮雲は龍門汲節 十︼代である。吉岡義堂氏﹁道教的宗派﹂ ︵肇文国際︼の二〓ミ 五貢︶参照。 ⑤ 洞零図志は余杭の洞宵宮に関する叢初志である。元の部牧撰。大概九年刊。仝六巻。且大欽の伝は巷五泉徐二光塵の項にある。 ⑥ 叢士になる動機ほいろくあるが、中でも病弱な子供が浩観にあづけられ、成長して箔士となる場合が非常に多い。 ⑦ 導引の術とは、道教で大切にする﹁気﹂を損ぜぬために案出された話術の二で、按摩り如きもの。くわしくは柵著﹁道教と中国社 会﹂ ︵︼六〇貢︶導引の項参照。 ㊥ 現存の道教の清規は清規玄妙を除けば、元初の﹁全案清規﹂ ︵上海坂道蔵節九八九甜所収︶、成豊六年制先のもの︵小柳博士前掲吾 七四貢以下︶および民国二九年の﹁全案道教清規玄範﹂ ︵自隻親全案道端五京︶の三種である。なお全案衆知︵奉天太清宮刊︶には 清規玄妙と同様なもりが収められている。なお註1痢稿参照。 ⑨ 清規玄妙を紹介したのは、吉岡氏﹁遭教の実熊﹂三〇〇貢以下に訳出されたもののみである。しかも同等は今日殆ど入手不可能 であり、原本も日本には大淵氏蔵の一部しかないようである。 ⑲ 束帯帝君・錘離権・呂純陽・劉海賠・王或陽を全案教り五和という。その輔伝関係および略伝についてほ椚稿﹁王壌陽の遇仙説話 に就いて﹂ ︵東亜論叢節六輯六一首以下︶参照。 ⑪ 吉岡氏﹁道教?研究﹂原田章の二のハ ︵二二七貢︶参照。 ⑫ 何事密下安居門第七、清規梼の安居乗法の項参照。︵犬じ本続読経飾︼輯第二掃空ハ套第四筋所牧︶。 ⑲ 同音令五に念誠規約・塵所規約、巻六に容党規約・厨房保税・山容規約・浴堂規約・堆供坂祝・園屏容窺・且過党規・者旧堂規、 巻七に剃庶規約・受戒党規・日用規範・共任規約・浄業党規約・仏七規約・省行党規約、巷八に講堂規約・坐主條約・渾堂規約が収 められている。 ⑭ 功退路とは中国の民衆沌徳を薄志にわけ、その行為に点数をつ.けてある勧発育。その数は多いが、大野仙君鈍陽日新師功過路で ㊥⑯⑮ は、︼生二色に接しないことに最高の千点をつけている。なお酒井忠夫氏﹁功追捕の研究﹂ ︵東方宗教竺丁三号︶参照。 金連正宗記啓二、東陽王実人伝︵上海版箔蔵第七五甜所収︶にその口訣五篇あり。 本初閲読箔裁縫報知︵白雲親全案沼碓三四貢︶参照。 現行親覚については本碗執事屏難事細則︵前註同吾︼九貢︶および本税夜巡屏細則︵同上啓二九京︶参照。 遣 教 清 規 考

(21)

宗教の根源的特質が起合理に求められるようになつた近来の宗教理論の系譜の起因が、宗教哲学乃至宗教学諸分野いづれ に尋ね得るか、或はまた宗教独自の自己発展性に由るものか。此点に関する考証ほ当面の課題としない。ここに小考せんと することは、宗教哲学に於いて宗教本質論として取り上げられるテーマが、宗教学 − 特に宗教民族学!に於いては宗教 起源諭として取り上げられ、而も此際問題となるのほ起合理を内容とする超自然観を以つて、宗教の起源的形態であるとす る超自然主義Supernat弓alihヨの宗教学的反省とその理論的構造の把握とである。 宗教担源の問題が宗教学で論ぜられる場合、不可分的な関係概念として持ち出されるのは﹁呪術﹂についてである。超自 然主義が同じく担源論との相即に於いて採られる思想態度である限り、それもまた必然的に呪術を包摂しての理論体系と目 されねばならない。かかる意味に於いて、宗教起源論としての超自然主義を唱え出した第一人者はシュミットの称揚してい

る如くキング・l・H・Ki完である。即ち彼ほ一八九二年に The Superna︷弓a︼−i諒 Ori瞥ざ 2ature a邑Eく○どtiOn.

ど邑OnandN2WYOrk、Nく○−∽● を世に問うた。而も彼の宗教学史上の位置は、シュミットの指摘するところに従えばプ

レ・アニミズムの唱遺著として、後述するその大成者マレットよりも八年の先行を示している。但しその唱道ほ時期尚早の

故にか、一般にはその功の大部分をマレットに帰せられてしまつたことは、学問にもチャンスの蚕要なことを如実に物語つ

超自然主義小考

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l ている。キングの理論にしてその夷実性を多く含んでいることは、宗教成立以前、いわば当時学界を風靡していたアニミズ ム以前に呪術の世界を置いたことである。而もそれがフレーザーの創咽せる直線的呪術先行論ではなく、呪術と宗教との未 分化的複合状態を力の観念の予想に於いて設定し、且つこれを立証したことは注目に価する。即ち彼のいう所によれば、﹁白 然及び個人意識に於ける事物の正常な秩序が非常なるunuSua︼或るものによつて破られた時、呪術的信念及び笑修がまづ形 成される。⋮⋮斯る不可測の事柄は善及び悪、即ち奉送及び悪運をもたらすものとされ、それぞれ欲求と恐怖の感情を生む。 特に後者の感情は普通的である。▲::︰此幸運及び悪運についての普通的感情こそthe守stgermO︷a−−re−i乳OnSなのであ る﹂いわば正常ならざる事象の背後にありと思われるものに対する希求と恐怖の感情が凡ゆる宗教の胚種であるということ になる。此際問題となるのは、希求と恐怖という普遇的感情を惹起するような正常ならざる或るものについてである。これ を対象的にみるならそれこそ異常なる﹁力﹂であり、これに対する観念的態度に於いていうならば ﹁超自然観﹂ というべき ものである。さればキングも世界に二種類の力が存在することを認め、その一つは人間や動物に認められる心惟的 men叶al なもの。他の一つほ非人格的﹁物理的・化学的︶ なるものとしているのである。而も斯る力の観念の存在こそ、正常秩序に 破端を生ぜしめる真因と理解される。かくして先に述べた如く、その力の二面性の中の前者から宗教の胚唾たる括霊の理論 が、後者からは呪術の理論が導き出されるとして、そこに未分化的複合の状態を予想しているのである。

L P.W.Schmidt−TheOri乳n and GrOWth Of R臣gi8−tranSl by H.−●ROSe、LOndOn−−篭−−p●−N︼−

キングのいうSOmethiロg unuSua︼がそのまま SOmething superロatura−であるか否かは、その原著を被見し得ぬ筆帝

としては何とも云い得ぬところであるが、少くとも一八九一年コドリントンによつてメラネシアのマナについての報告が出

された瞑後という時間的関係を考慮に入れるならば、キングの取り上げた﹁力﹂はマナ的なものであり、それ故にこそ正常

超自然主義小考

(23)

ニ二

ならざるものに超自然的性格を認めたものと推測し得るのである。

初期に於いて、呪術と宗教との未分化的状態を指摘した人々として、マレットほ Hewitt−=○記nda aロda D2許i︷iOn

Of Re−igiOn㌧.A.Aこn.S.、く01.A.︵−箸N︶pp.∽∽f.Hubert2tMaus00、=謬quirs2 dビ完th㌢rie gかn町a−−de ︼a

㌧−L.An計 SOCiO︼品ique.く○−.べ.︵−害e Haユland、こAddre訟 tO the AntbrO苫︼Ogica−SectiOn O︷ Briユsh

Magie A扮OCiatiOn∴へYOrk、−¢宗を挙げているが、かかる呪術と宗教の未分化的状態、即ちマレットの所謂呪術・宗教的magicO− re−igiOu00な段階は、必然的に力の観念、即ち未だ何等の道徳性・人格性 − いい得べくんば明瞭なる ー 宗教性を具備せぬ 力の観念の存在を条件としていることは明かである。加之、かかる力が﹁呪力﹂として、そのような観念的態度を要請する ためには﹁それは意識的に自然であり普通であるものではなく、何らかの意味で超自然的であるか、少くとも特異な現象に 2 限られたものでなくてはならぬ﹂のである。従って、かかる力が意識されるためには、まづ第一に、自然的なるものと自然 的ならざるものとの差異観が予想されねばならない。而もこの﹁自然ならざるもの﹂ が奇異・異常といつた悟性的範疇に於 いてではなしに、驚異・畏怖といつた感性的範噂に於いて認識される意味に於いて、それは同時に ﹁超自然的﹂ なるもの となつて来る。マレットが、従つて呪術・宗教的領域を明瞭に示すために、m協teriOuS−m竃tics.〇ccu−t−Sacred− Su罵rnatura−等々の語を使用しているのも此意味に於いてである。 L 宇野博士・宗教民族学・四〇入京

2・R.R.Marett.The ThresFO−d Of Re−igiOn−Nnd ed.、﹁OndOn−−竺〓−p.舛舛舛.

かくして我々は、いうところの宗教の肺種たる呪術∴示教的段階に於いては、自然的・非自然的・超自然的の三つの自然

(24)

ニ ジェグォンズF・B・leく。nSの見解によると、未静人と雉も、現象の継起・法則の恒常性、従って自然的なるものの存在 は認め得る。いわば機械的な自然の推移に関してほ何等の愕きも感じない。ただ、期待した事と反対の結果が出たり、自分 に制得し得ぬ力を感じたりする時、即ちwherethenaすalended−tbe2p2rna︷弓albegaロとなる。このように所期 の原因を見出し得ず、理性的に動揺を感じた際、超自然と信ぜられるものに対して抱かれる感情が起る。超自然は奇蹟とさ れ、奇蹟の本質は自然秩序の破壊である。 だが人は自然秩序の破壊がなくとも、測り知られざる、制御し得ぬ超自然力の手中にあるとの確信を持つ。かかる確信は 彼等未開人の﹁理性的﹂期待が明白に失敗したのみで起って来る。要するに海自然的なるものの存在の確信は、彼が自らの l be宅e軍莞強Wを実感することで充分なのである。いうならば、現象的原因と共に、期待のはづれに因つて起る絶望感という 心理的原因からも、超自然観が生起するというのであつて、い、つれにせよ、斯る根源的契機に呪術的・宗教的要素の発現を 認めているのである。 1・F.声Jeく呂S.>ロ︼ビtrOductiOn tO tbe冒stO蔓OfReli乳On.LOndOn−−怒の−pp.︼¢∼N〇. ほ、特にマレットの理論に即して後に詳述するが、その前にここでほ、かかる複合的自然観を以つて宗教起源の主因とする 一群の人々の、所謂恕自然主義の理論について二腎を加えてみることとする。 三 時間的には前後するが、同じく超自然主義に極めて強い関心を抱いたゴールデンワイザーA.Gr01denweiserの理論の展 超自然主 義小考

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二田 開を見るのに、まづその人生観乃至自然観に於いて、一方には産業 indus百y によつて間置を解決せんとする pb鼠cal a00peCtがあると同時に、他力には海自然主義によつて問題を解決せんとするme已a︼aspectがある。前者は自然を適用し て自然を征服する仕方で、いわばapr。jecti呂。fnature iロ叶。mindがあるに対して、後者はそれ自らの仕方に自然を適 l 合せしめることによつて自然を征服せんとするもので、いわばaprOjectiOnOfmindintOnat弓eとすることが椚来る。 而もかかる二つの側面は相互に対立的に存在するのではなく、一方から他方への即入、即ち具体的にいうならば、産業的方 法を以ってしても倍充分に欲求を満足せしめ得ず、また社会生活において対自然的問題が未解決に残こされているところに、 後者即ち超自然主義の要請される場面があり、人はこれによつて自然に対して産業に於ける場合とほ重く異った情緒的関係 に入るのである。而もかかる蘭係にあつては、人間はその現象解釈も、世界観も、すべて等しく超白然観のもとに構成され、 それ独白の観念体系が形成されるのである。 だが然し、これを以って直ちに宗教的世界の成立とするのは早計であつて、ゴールデンワイザ一によればかかる超自然の 領域内は a営.mi裟cfai声ヨagica〓aitbこaitbiロpOWer善ere−i乱Ou∽thri−1等の混在する場なのであつて、純化され た宗教の世界とは未だいいがたいのである。彼によればかかる領域内に於いて、その意識対象となる超自然的なものは ヨenta〓mag2Sの如く、時間を超越した心惟の中に生まれる。更にそれ等は心象の如くに姿を変えることが出来、時には人 間的、時にほ動物的、東には雲の如くにもなるし、或はその力能を除いては何もないといつたような寮動する或るもの くibraロtSOヨethingの形をもとる。確かにそれ等は性能qua︼itiesを持つが、それが神々に帰せしめられた場合には、それ 等ほ単に人間の恐怖及び欲求の投影にしかすぎなくなる。このように心理的・可変的・力能的存在たる超自然的なるものを 宗教的・神的たらしめるものほ何であるか。それほ、それ等が非実体化された心、実体即ち肉体から解放された心であるか らである。即ち冥体から解除され、空間と時間から離脱し、非実体化されたspiritとして万有の中に投射された心は神性

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3 diくinityとなるからである。かくてゴールデンワイザ一によると、かかる超自然的存在が神性を得て宗教存在にまで純化さ れるのは、人間の側の自然に対する意識態度のいかんにかかわると考えられる。彼はマナに関して次の如くにいつている。 ﹁心理学的及び認識論的立場から、マナは主観の側からは宗教的スリルであるところのものの投影又は客観であるとされ ねばならない。マナは即ち宗教的スリルを生ずるところのものでる。そこで若し宗教的スリルが宗教の基本的情緒的根底と して認められるならば、マナ即ち様々な歴史的形態をとりつつある心理学的に基本的なマナは宗教の原本的観念となる。マ ナは超自然的な領域にある﹃或るものhとして投射された情緒に対する話である。経験としては明白であるが、かかる宗教 4 的美学的性的情緒はより以上の精確な分析を困難にする﹂ さればこそ﹁超自然主義は心理学的現実の温かい親交に守られて、客観的検証の其理なしに済ませても充分であり得る﹂ 5 のである。要するに彼もまた宗教に先立つ未分化的領域の存在を認め、而もそれが超自然観として性格づけられ、同時に極 めて心理的要素の強い態度であることを明かにしている。

L A.GO−d昏Weiser.RObOtS Or GOd〇.an eS紆y On C⊇ftand mind,New YOrk,−豊−−p・〓・

2・Eaユy Ciくi−i2atiOn、New YOrkこ¢N−一pp・N∽TA・

3・RObOtS Or9﹂Ods−pp●讐−芝・

4・・・Spir諾−M呂aand−beRdigiOuS Thril−㌧、10ur・〇fPhi−P−邑・舛ヨ︵−讐∽︶・Cit・frOm GrO−dβWeiser・ぎtbrOp010苧

p.NN∽−f.n●,20●−N● L トロt冒Op010喝−anin−rOduc−iOn−OpユmitiくeC已ture・Ne宅YOrk・−盟声p・た00・ 四 ロヰーR.LOWi拍はゴールデンワイザー及びマレットの綜合に於いて超自然主義を主張する。即ち彼は呪術と宗教とを区 超自然主 義小考 ニ五

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二六 則しがたいもの、高々それは一つの全体、即ちSupernaturalismの二側面であり﹁未開人に於てほ両者は共存c?e各什し l ている﹂とするのである。このように超自然観をより大いなる全体とし、その中のcOヨpartヨeロtSO当branchesとして呪 2 術と宗教の共存を認めようとする態度は、マレット及びゴールデンワイザーと同様であるが、彼は吏に進んで、それが宗教 的なるものへと傾斜して行く点に関して、次の如くに論じている。 ﹁未開人にはマレットの所謂wO旨adayなる、通常の理性の支配する正常経験の行為に加えて、期待的・自然的な感覚を 越えたE温raOrdinary、Myst2JiOuS、Supernatu当alな感覚がある。::こ而もこれは屡々reCOgnitiOnOfspiritu巴being と結びついて起る。⋮︰・神秘の感覚と精霊信仰との結合が不変の現象であつたとしても、宗教といつて不可欠なのは神秘で あつて、精霊信仰はその宗教性をそれ自体の宗教的なることの代りに、神秘との結合から導き出す。宗教的な状態と不可分 の主観的状態がアニミズム的観念と共に、或ほ叉それなしに見出されるという事実は明確である。それ故、我々はマレット 3 及びゴールデンワイザーが﹃超自然主義﹂と呼んだものを宗教の特質として認める﹂ 即ち彼に於いて超自然的なるものの宗教性は、精霊信仰と結びついた神秘感に担困するといえる。そしてかかる未分化的 状態はデュルケームに於いては聖と俗の二分法によつて垂理されたが、ロヰーはむしろかかる分化の根底にこそ超自然観が あるとする。即ち、かかる二分法が俗から聖を任意に区分することではなく、nOrma︼s叶imuliとabnOrヨa︼鼠muliとに 対する異った反応、即ち﹁自然﹂ についての何等の先在的抽象的公式を必要とすることなく、自然と超自然との間に作り出 された00pOntaneOuS disti宍tiOnにあるとする。そしてその反応はaヨag2ヨen叶andaweの反応であり、それの源泉は 4 Su罵rロaどra︼−E諷raOrdinary、W2ird∵紆cr2d−H01y−Diくin2があるのである。いつてみるならば、彼の立論はデュルケ ームの社会学説に対してより一層心理学的色彩が強い。かかる理論の根底を直ちにマレットに求めることは危険であるかも 知れぬが、筆者としては、超自然主義が呪術と宗教との未分化的相即に於いて構成され、而もそれが着るしく心理的要素に

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富んでいるのをみる時、必然的にマレットの理論にまで論及せざるを得ないのである. 五 マレットの宗教理論はこれを三つの部面に分けてみるのが便宜である。即ち EmOtiOnalisヨ Manaism!Aniヨatism Dy臼aヨi00ヨ がこれであり、而もこれ等を綜合したところに彼の所謂超自然主義、またほ宇野博士の指摘しておられる如く、超自然とい う言葉の習慣上の誤解を避けるために驚異観↓eJatisヨとも呼ばれる理論が形成されるのである。 まづ第一に、彼ほ呪術・宗教的経験の本質を神秘的pOtenCyに対する情緒的反応であるとした。彼はいう。 ﹁心理学的に考えれば、某教の機能は危機crisisに脅える時の人の心に勇気を再生するre洛Oreものである。人間は危 機を望まない。出来ることなら常に彼等は危機から脱れ去ろうと欲している。それ故に、心弱き民族は f22b12rfO−k容易

に屈服し、心猿けき民族bO−derspi旨sはこれに反抗する。宗教とは未知なるもの the UnknOWn に対することであり、

2 これに慰安をもたらすものは正しく勇気なのである﹂ 而も彼はその脚註に 4.3.2.1. R.LOWie.PユmitiくeRe−igiOn∵Zew YO昇,−¢NP p・−㌫ ibid.−p.−ら. ibid..p.舛くⅠⅠ. ibid.−pp.∽NTN− 超自 然主 義小考

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二八 ﹁而してその勇気とは、凡ゆる現実の宗教に於いては、通常ほ或る謙譲又は謙虚acertainmOdestyOrhumi︼ityと共 存している﹂ と附記している。かかる結論を以つて終る彼の宗教理論の性格を端的に表現するならば、それは反フレーザー理論というこ とにあり、従ってその宗教理論の事実上の出発点ほフレーザーの合理主義・観念主義に対する超自然主義・情意主義に外な 3 らない。吏に此点彼はその後期の著作に於いても宗教に対する思惟・行為・感情のそれぞれの役割を論じた結果思惟は神話 の持つ機能より判断してさのみ重要ではなく、行為は単なる表象にすぎず、央張り最も必要なことは感情が高次なる力と接 4 触して、人間に必要な保証a父岩RanCeを考えることであるといつている。 かくの如くにしてマレットほまづ第一に、宗教に於ける感情的要素の優勢、乃至は感情的な圏内に於ける宗教性の究明と いうことから踏み出している。タイラー、フレーザー等所謂進化論的立場に立つものの如く、一定の観念構成を保つことな しに、未開宗教は﹁考え出すものというよりは踊り出すところの或るもの、換言すれは、﹁未開人の宗教ほその観念構成が 比較的停滞しているのに対して、情緒的・動的過程を促進するところの心理学的・社会学的な条件のもとに発達するもので 5 ある﹂としている。それ故彼ほ宗教をば、様々の情緒及び観念が共に直ちに行為を喚起するような場合の、或る合成的且つ 具体的な心的状態を現わすものであると規定しており。 一、宗教は観念でもあると同時に情緒でもあること。 二、現実的に宗教の特徴を構成するものは宗教的情緒であること。 を明かにし、従って往々にして宗教的観念の存在が宗教の根源的条件とせられるのに対して、宗教的情緒 − 彼ほ後にこれ をre−i乱Ou∽COmp−e舛と呼んでいる ー の存在に於いて原本的宗教rudimentaryre−igiOnの成立がみられるとしているの である。ただ此点について注目すべきことほ、先にも引用し且つ彼の主著﹁宗教の領域﹂に於いてほ、一章を資して論じて

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いる如く、これ等倍綺的反応に謙虚が内包される時、それが宗教的傾動を持つのであり、而もかかる謙虚はフレーザーのい

ぅ如き単なる︵理性的・道徳的︶ 謙虚ではなく、より情緒的・複合的なるものとの結合に於けるものなのである。蓋し宗教

理論に於ける情緒主義ほ宗教哲学・宗教心理学の側で、古典的にほヤコピー、ヘルデル、シラー、シ†二フィエルマッヘル等

を始めとして、フライデラー、サバチェーを経て、ヘフディング、オットー、キング、エームズにまで展開している。民族

学の側に於いてみるのに、E・S・Ha邑and−Rぎala邑B2︼ief、Studiesinthe histOry Oh re−igiOn、LOndOn、−警車

esp・Chap・Ⅰ・A・G邑d2nWeis2r∴へSpirit、Manaandth2r21igiOuSTh邑l㌧こOur呂lOfPhilOSOphy、く01.舛︻Ⅰ.︵−讐∽︶

pp・の∽N−悪声 A・N・S監2rb−Om、Das W2rden des GOtt2Sgraub2nS、訂ipNig−−讐P G01denweiser、Early

Ci邑iNatiOタNewYOrk−−揺N,2Sp・p・N芦K・Be声R21igiOn und Ma乱e beiden2atur暴lker、Be註n、−浩芦

J・ShOtWe︼︼、The Re︼i乳OuSReく01utiOnOfT?Day、BOStOn、Nnd2d.、−浩芦 R.どまe Pユmitiくe Re︼igiOn、Ne宅

YOrk、−¢泣.etc.の如く極めて多彩である。

8.7.6.5.4.3.2.1.

宇野博士・宗教民族学・四〇八京

R・R・Earett、bらtbrOp010喝−︵HOmeUniく2rSityLibra苛︶−LOndOn−警hed.∵芯当.p.N︼N.

Tbresh01d Of ReligiOn−pp.︼ヨL讐⊥巴.

Faitb・HOp2and Charityin Primi−iくeRe︼igiOn−○已Ord−−器N●p﹂●

ThresFOd−−p.回国舛Ⅰ. ibid..p.∽. ibid. 謙虚あ理論に関するフレーザーとマレソトとや革具及びその詳細については椚稲﹁マレヅトの宗教理論﹂・大正大学研究紀要空相 にゆづる。

超自然主義小考

参照

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