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明治前期における「信教の自由」の獲得と受容

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Academic year: 2022

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(1)林. 田. 康. 〜 浄 土 宗 政 を中 心 と し て〜. 明 治 前 期 に おけ る ﹁ 信 教 の自 由 ﹂ の獲 得 と 受 容. ︻一︼ はじ め に‑ 問 題 の所 在‑. 順. 明 治維 新 政 府 は︑ 欧 米 列強 に対 抗 す る た め︑ 江戸 幕 府 以 来 の封 建 制 度 を打 破 し ︑富 国強 兵 政 策 を と り ︑ 次 々と改 革. を 断 行 し︑ 天 皇 を 中 心 に据 え た 中 央 集 権 国 家 の確 立 を急 いだ ︒ そ う し た 明治 初 期 の時 代 は︑ 浄 土 宗 を 含 めた宗 教 界 に. と って 混乱 の時 代 であ った ︒ 特 に︑ 従 来 ︑ 封 建 制度 の枠 内 で国 教 的 役 割 を果 た し て き た 仏教 界 に と って は︑ 未曽 有 の. 困 難 な 時代 で もあ った︒ な ぜ な ら ︑ 明 治 政 府 は ︑ そ の政 権 の拠 り所 ︑ 精 神 的 支 柱 を ︑ ﹁神 聖 ニシテ侵 ス ヘカ ラ ス﹂ 存. 在 と し て の ﹁万 世 一系 ノ天 皇 ﹂ に求 め て おり ︑ 政 権 成 立当 初 の宗 教 政 策 は ︑ 天 皇 を 最 高祭 司 とす る 国家 神 道 の保 護 ・. 育 成 によ って ﹁臣 民﹂ と いう 名 の 一般 国 民 にも ︑ そ の精 神 を 植 え付 け よう と し て いた から であ る ︒ そ し て︑ 政 府 に よ. る神 道 ・仏教 の分 離 ︑ 仏教 軽 視政 策 の結 果 が ︑ 廃 仏 毀 釈 と いう 暴 挙 の発 生 を 引 き 起 こす こと と な る ︒ 仏教 界 は︑ めま. ぐ る しく 変 わ る 明 治 政府 の機 構 に 厳 し く管 理 ・統 制 さ れ ︑ そ の政策 に幾 度 と なく 翻 弄 さ れな が ら も ︑ 地 道 に抵 抗 を 重. 一八七. ね︑ 明 治 五 年 (一八七 二) には ︑ 神 仏合 併 大 教 院が 誕 生 した ︒ し か し ︑ そ の実 態 は神 主 仏 従 大 教 院 と いう 有様 で あ っ 佛 教文化学会紀要第 三号.

(2) 一八 八. た ︒ そ し て ︑東 西真 宗 の脱 退 に 端 を発 し た合 併 大 教 院 の崩 壊 後 ︑ 浄 土 宗 大 教 院 を は じ め 各宗 独 立 し た 大教 院 が ︑ 明 治. 八年 (一八七五) に開 設 さ れ︑ 明治 十 八年 (一八八五) に及 んだ ︒ そ の後 ︑ 自 由 民 権 運動 の高 ま り と共 に︑ 明 治 二 十 二. 年 (一八八九) に は大 日本 帝 国 憲 法 (以下︑明治憲法)が 発 布 さ れ ︑ そ の第 二 十 八条 に︑ 不完 全 と は いえ ﹁信 教 ノ自 由﹂ が 明 文 化さ れ る のであ る︒. と ころ で︑ 当 該 時 期 の浄 土 宗 史 を 概 説 した 主 要 な 著書 ・論 文 と し て︑ 次 の九 書 が 挙 げ ら れ ︑ そ こ に記載 さ れ て い る. 主 要 事 項 の有 無 を 年 代 を 追 って 比 較 し て み る と ︻表 I ︼ の よう にな る︒ こ の よう に︑ 著 書 の性格 や︑ 分 量 の大 小 に よ. って︑ そ の記 載 事 項 に多 少 の異 同が 認 め ら れ る︒ し か し︑ こ こ で注 目 した い のは︑ ※を 記 した 事 項 ︑ す な わ ち明 治 八. 年 九 月 四 日 の ﹃浄 土宗 大 ・中 教 院 事 務章 程 ・規 則 ・職 制 ﹄ の通 達 ︑ 同 十 一月 二 七 日 の ﹁信 教 ノ自 由 ﹂ の口達 ︑ 同 十 二. 月 の ﹃浄 土 宗 教 会 規 則 並 施 設方 法 ﹄ の制 定 経緯 及び そ の通 達 ︑ 明 治 九年 (一八七六) 三月 の ﹃浄 土 宗 鎮 西 派 規 則 ﹄ の. 制 定 経 緯 に つい て︑ 九 書 す べ てが ︑ な んら 触 れ る ことが な く︑ ま た︑ 明 治 十 八年 五 月 十 日 の浄 土 宗 大 教 院 廃 止 に つい. て も ︑ 一書 のみが ︑ 協 議 の末 の決 定 事 項 の 一つと し て 羅 列 し て い る にす ぎ な い点 であ る ︒. そ こで︑ 当該 時 期 の浄 土宗 史 の主 要 年 表 と し て挙 げ ら れ る次 の五書 に つい ても ︑ 特 に これ ら の事 項 の記 載 の有 無 を. 探 って み る と ︻表I I ︼ の よう にな る︒ こ の よう に︑ 大 教 院 廃 止 こそ ︑ 多 く のも の に記 載が あ る のに対 し︑ そ れ以 外 の. 事 項 に つい て は︑ 年 表 に記 載 のあ るも のさ え少 なく ︑ ﹃浄 土 宗 教 会 規 則 並 施設 方 法 ﹄ の制 定 経 緯 及び そ の通 達 ︑ ﹃浄 土. 宗 鎮 西派 規 則 ﹄ の制 定 経 緯 な ど は ︑ 五書 す べ てが 一切 触 れ て いな い の であ る ︒ ま た︑ 管 見 であ るが ︑ そ の他 の先 学 に も こ れ ら の事 項 に触 れ た 論 考 は見 いだ せな い︒. し か し︑ これ ら の事 項 は ︑ 信教 の自 由 の獲 得 と いう 背 景 から み た 場合 ︑ 明 治 時代 の浄 土宗 ︑ い や仏 教 界 を 考 え る 上 に︑ 非 常 に重 要 な分 岐 点 と な る も のと いえ る︒. そ こ で︑ こう し た激 動 す る時 代 の明治 政 府 の宗 教 政 策 と ︑ 大教 院 時 代 の浄 土宗 政 の動 向 に つい て︑ 僧 侶 や 一般 国 民.

(3) が有 し た信 教 の自 由 の発 現 形態 は い か な る 変 遷 を経 た のか︑ さ ら に︑ そ れが 明 治 八年 十 一月 の ﹁信 教 ノ自 由 ﹂ の 口達. を契 機 に し てど のよ う に改 変 し︑ 浄 土宗 では い か に受 容 され た のか︑ に つい て検 討 した い︒. な お︑ 序 論 と して ︑ 現 在 で は比 較 的 当 然 の権 利 と考 え ら れ て いる も の の︑ そ の発 現 形 態 に つい て は︑ 必 ず し も周 知. さ れ て い ると は いえ な い信 教 の自 由 に ついて ︑ 明治 憲 法 と現 日本 国憲 法 と を比 較 し つ つ概 観 し た い︒. (1). ﹃大 日本 帝 国 憲 法 ﹄ 第 二章. ﹃大 日 本 帝 国 憲 法 ﹄第 一条. ﹃大 日 本 帝 国 憲 法 ﹄第 三 条. ︽註 ︾. (2 ). 第 八章 ﹁維 新 後 の大勢 ﹂︑ 第 九章 ﹁本宗 教 学 の変 遷 ﹂ 二 八 四頁 〜 三 二 二頁 (明治 四三年 (一九 一〇)). ﹁浄 土 宗 史 概 説 主 要 九 論 考 ﹂ 主 要 記 載 事項 比 較 一覧 表. (3). ︻表I ︼. (1 ) 岩崎 敲 玄氏 ﹃浄 土 宗 史 要 ﹄ 第 二 篇. (2 ) 大 島泰 信氏 ﹃浄 土 宗 史 ﹄ 第 四 期 ﹁改 新 時 代 ﹂ (大正三年 (一九 一五)) ← ( ﹃浄 全﹄ 第 二〇 巻 再 録 ︑ 六 八 五頁 〜 六 九 七頁 ). 一八九. (3) 藤 本 了泰 氏 ﹁明 治 時 代 の浄 土宗 ﹂ (﹃現 代 仏 教 ﹄ 一〇 五 号︑ 三九 五 頁 〜 四〇 六頁 ) (昭和 八年 (一九 三三)). ( )4 恵 谷 隆戒 氏 ﹃略 述 浄 土宗 史 ﹄ 第 四 篇 ﹁革 新 期 ﹂ 一八 六頁 〜 二 四 八 頁 (昭和九年 (一九 三四)). ) (恵 5 谷 隆戒 氏 ﹃概 説 浄 土 宗 史 ﹄ 第 四 篇 ﹁革新 期 ﹂ 二 三七 頁〜 三〇 四 頁 (昭和十 一年 (一九 三六)) ← (﹃浄 土宗 選 集 ﹄ 第 七 巻 再 録 ︑ 二 三二 頁 〜 二九 三頁 ) 明治前期 における ﹁信教 の自由﹂ の獲 得と受容.

(4) 一九〇. (昭和 三 六年 (一九 六 一)). ) (香 6 月 乗 光 氏 ・伊 藤 唯 真 氏 ﹃浄 土宗 ﹄ 七 ﹁近 代浄 土宗 の進 展 ﹂ (﹃日本 の宗 教 ﹄ 二) 一三 八頁 〜 一五 五頁. (昭 和 四十 年 (一九 六 五 )). ) (成 7 田俊 治 氏 ・伊藤 唯 真 氏 ・平祐 史 氏 ﹃浄 土宗 史 ﹄ 第 七章 ﹁近 代 の浄 土宗 教 団 ﹂ 一〇 九 頁 〜 一二 五頁. (8 ) 大 橋俊 雄 氏 ﹁浄 土宗 近 代 百年 のあ ゆ み﹂ (﹃浄 土 宗 近 代 百 年 史 壮 表﹄ 一頁 〜 六 六頁 ) (昭和六 二年 (一九八七)). (浄 ) 9土宗布 教伝道史編纂委員会編 ﹃ 浄 土宗布教伝道史﹄第四章 ﹁明治時代﹂. ﹁一︑ 概 観 ﹂︑ ﹁二︑ 明 治 前 期 (元〜 十 年 代 ま で)﹂ 二四 七頁 〜 二 八 一頁 (平成五年 (一九 九三)).

(5) 明治前期 におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得 と受容. 一九一.

(6) 一九 二.

(7) ︻表 II ︼. ﹁浄 土宗 史 年 表 主 要 五論 考 ﹂特 定 記 載 事 項 比較 一覧 表. ) (越 1 智 専 明 氏 ﹃浄 土 宗 年譜 ﹄ 七四 丁 右 〜 七 六 丁右 (明治 三 一年 (一八九 八)). 一九 三. (2 ) 伊 藤 祐 晃 氏 ﹁新 編 浄 土宗 年 表 ﹂ (﹃通 俗浄 土宗 学 講 座 ﹄ 上篇 ︑ 八 七頁 〜 八 八頁 ) (大正十五年 (一九 二六)) (藤 ) 3 本 了 泰 氏 ﹃浄 土 宗 大年 表 ﹄ 七 五九 頁 〜 八〇〇 頁 (昭和十 六年 (一九 四 一)). ( )4﹁浄 土 宗 略 年 表 ﹂ ( ﹃浄 土宗 大 辞 典 ﹄ 第 四巻 添 付︑ 七 一〜 七 九 頁 ) (昭和 五七年 (一九八二)) (大 ) 5 橋 俊 雄 氏 ﹃浄 土 宗 近代 百 年 史 年 表 ﹄ 六九 頁 〜 一 一 一頁 ( 昭和 六二年 (一九 八七)). 明治前期における ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容.

(8) ︻二 ︼ 序 論 ‑ 信 教 の 自 由 ‑ (1) 大 日本 帝 国 憲 法 に おけ る 信 教 の自 由. 一九 四. 明 治 憲 法 が 欽 定 憲 法 で︑ 天 皇 主 権 の憲 法 であ る こと は 周知 であ り ︑ 明 治 憲 法 下 で の人 権 は︑ ﹁万 世 一系 ノ 天 皇 ﹂ の. ﹁統 治 ﹂ す る ﹁大 日 本 帝 国 ﹂ に生 を受け た ﹁臣民﹂ に天皇︑ が付与 し︑非常時 に は天皇 ﹁大権 ﹂ に よ って剥 奪 され ︑. か つ︑ ﹁法律 ノ範 囲内 ﹂ の権 利 と いう ︑ 実 に 不完 全 な も のだ った ︒ そう した 明 治 憲 法 の第 二 八条 に信 教 の自 由 が 明 記. さ れ て い る︒ し か し︑ ﹁国 家 神 道 に対 し事 実 上国 教 的 な 地 位が 与 え ら れ﹂ と判 例 に も述 べら れ て おり ︑ 政 府 に よ る 国. 家 神 道 政 策 と本 条 と は相 容 れ な いと 思 わ れ る ︒政 府 は 両者 の整 合 性 を い か に し て持 た せた のだ ろ う か ︒. 当時 の憲 法 学 の第 一人 者 であ る 美濃 部 達 吉 氏 の ﹃逐 条 憲 法 精 義 ﹄ に よれ ば ︑ 臣 民 の義 務 を ︑﹁国 家 及 び 皇 室 に 忠 順. な る義 務 及び 之 に伴 う て 国 家 及 び 皇 室 の宗 廟 た る神 官 ︑ 歴 代 の山 陵 ︑ 皇 祖 皇 宗 及 び 歴代 の天皇 の霊 を 祭 る神 社 等 に対. し 不敬 の行 為 を 為 さ ざ る義 務 ﹂ と し て ︑ 国 家神 道 への忠 誠 を 強 く 要 請 し︑ ﹁此 等 の義 務 を 否 定 し︑ 之 を 排 斥 す る こ と. を 教 義 とす る宗 教 は︑ 本 条 に依 り 保障 ぜ ら るゝ 信 教 の自 由 の外 に在 る﹂ と 述 べ ︑ 国 家 神 道 を︑ ﹁法 律 上 の形 式 に 於 い. て は それ は宗 教 と は区 別 ﹂ さ れ ︑﹁帝 國 の國 教 ﹂ であ る と し て いる ︒ ま た︑ 内 務 省 参 事 官 の塚 本 清 治 氏 によ れ ば ︑ 国. 家 神 道 の神 官 が 葬 儀 に関 係 し な いな ど の理 由 を挙 げ て︑ ﹁法 規 な り取 扱 ひ の上 に於 て斯 の如 く に神 社 を 明 か に宗 教 上. の も のと し て居 な い﹂ と し て いる ︒ こ のよ う に 当時 の政 府 や法 学 者 は︑ 国 家 神 道が 宗 教 であ る と いう事 実 を わき に お. き ︑ それ は︑ 国 家 の祭 祀 機 関 であ り ︑ 法 規 に いう 宗 教 で はな く ︑ 公 的 地 位 を 認 め︑ 国 民 に崇 敬 す べき ことを 要 請 し た と し て も︑ 信 教 の自 由 の原 則 に反 す る こと は な い︑ と し た の であ る︒. し か し︑ いわ ゆ る 津 地 鎮祭 事 件 の控 訴 審 判決 で︑ 神 社 神 道 が 宗 教 でな いと す る 主張 に 一々反 駁 を 加 え︑ ﹁神 社 神 道. が 宗 教 であ る こと は法 律 家 及 び 宗 教 学 者 の間 で は 全く の通 説 と 云 って よ い︒ 宗 教 と いう も のが 何 であ る か に つい て は.

(9) 各 種 各 様 の定 義 が あ るが 一般 に広 く 用 いら れ か つ妥 当 と さ れ て いる のは ﹁人 間 を越 え た も の︑ 即 ち霊 あ る いは神 と い. う も の の存 在 を 信 じ 尊 崇 の念 を も つこと﹂ であ る﹂ と 述 べて いる よ う に︑ 神 道 が 宗 教 で はな いと す る の は誰弁 に過 ぎ. ず ︑ そ れが 戦 前 の国 家 神 道 にもあ て は ま る こ と は明 白 であ る︒ し たが って︑ 当時 の政 府 が と った 立 場 を 堅 持 す る 限. り︑ 国 民 は︑ 宗 教 と し て の国 家 神道 崇 敬 を強 制 さ れ る こと にな り ︑ 信教 の自 由 が 明 白 に侵 さ れ る こと にな る ︒ そ のこ. と は裏 を返 せば ︑ 国 家 神 道 と いう価 値 観 に少 し で も抵 触 す る宗 教 ︑ そ れ は 即 ち ︑ す べ て の宗 教 を し て︑ 政 府 に迎合 す る立 場 を と ら せ る 必然 性 が 含 ま れ て いた ︒. 以 上 のよう に︑ 明 治 憲 法 下 に お け る 信 教 の自 由 は︑ ﹁国家 神 道 の価 値 観 に抵 触 しな い﹂ と いう 条 件 の下 に し か 成 立. し得 な い 不備 な 権 利 であ り ︑ 戦 前 の狂 信 的 な国 家 状 態 を 考 え る ま でも な く実 に詭 弱 な 面 を も って いた の であ る︒. (2). (1). ﹃大 日本 帝 国 憲 法 ﹄ 第 二二 条. ﹃大日本帝国憲法﹄第十七条. ﹃大 日 本 帝国 憲 法 ﹄ 第二 条. ﹃大 日本 帝国 憲 法 ﹄ 第 一条. ︽註︾. (4 ). ﹃民集 ﹄ 三 一巻 四号 五 三 九 頁. (3) (5). (7). ﹃法令 全 書 ﹄ 十 五 巻 三 三 三 頁. 一九 五. (6) 美濃部達吉氏 ﹃逐条憲法精 義﹄第 二章 ﹁臣民権利義務﹂第 二十八条︑三九九頁〜 四〇 二頁 (昭和 二年 (一九二七)). ﹃民集 ﹄ 三 一巻 四号 六 三 五 頁 〜 六 三 六 頁. (8) 塚 本清 治 氏 ﹁神 社 制 度 の概 要 ﹂ (﹃神 社 教会 雑 誌 ﹄ 一〇 一号 ︑ 五 頁 ) (明 治 四 四 年 (一九 一 一)) (9). 明治前期における ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容.

(10) (2) 日 本 国 憲 法 にお け る信 教 の自 由. 一九 六. 日 本 国 憲 法 ︑ 第 二 十 条 ︑ 及 び︑ 第 八九 条 に信 教 の自 由 と 政 教 分 雖 の原 則が 明文 化 さ れ て いる ︒ 信 教 の自 由 は︑ 制 度. 的 保 障 と し て の政 教 分 難 と 表 裏 し て 成 立 し︑ ﹁公 共 の福 祉 (や む に や まれ ぬ公 益 ) に よる 制 約 ﹂ と ﹁濫 用 の 禁 止 ﹂ と. いう限 界 は あ る も の の︑ 基 本的 人 権 の中 ︑ も っと も 重 視 さ れ る 精 神 的 自 由 権 の 一つで あ る ︒. そ れ で は信 教 の自 由 には︑ ど の よう な 発 現 形 態 が あ る のだ ろ う か ︒ 一般 的 に宗 教 教 団 は︑ 宗 教 教 義 な ど を 他 に対 し. て 発 現 し︑ そ れ を 生 活 の主 体 と し て い る教 化 者 ・能 動 者 (僧 侶 ・神官 な ど) と︑ そう し た発 現 を受 け容 れ て教 義 に基. づ き 日常 生活 を 行 って いる 受益 者 ・受 動 者 ( 信 者) と から 構 成 さ れ て いる︒ 宗 教 法 人法 第 二条 の文 言 を 借 り れ ば ︑. ﹁宗 教 の教 義 を ひ ろ め︑儀 式 行事 を 行 い︑ 及び 信 者 を 教 化 育 成 す る こと を 主 た る目 的 ﹂ と し て生 活 を 営 ん で い る 者. と ︑﹁信 者 ﹂ であ る︒ そ う した 教 団 で︑ こ の両者 が そ れぞ れ に必 要 と す る 信 教 の自 由 の積 極 的 発 現 形 態 を 図式 化 す る. と ︻表 II ︼I のよ う に な る ︒信 教 の自 由 の積 極 的 発 現 形 態 は相 互 に重複 し て い る の は も ち ろ ん であ るが ︑ 概 括 的 にま と. め る と ︑ お お よ そ こ のよ う に分 類 でき ると 思 わ れ る ︒ つま り ︑ (1 )と) (2 は自 己 の内 心 に留 ま り 得 る精 神 的 自 由 権 と し て. の信 教 の自 由 の根 本 であ り︑ 教 化 者 ・受 容 者 と も に必 要 な 権 利 であ る︒ そ れ に対 し て︑ ( 他 に対 し て自 己 の信 仰 す る. 宗 教 の) 儀 式 を 行 う (3 ) へ (他 に対 し て 自 己 の信 仰 す る宗 教 教 義 の) 布 教 を す る ) (5 ︑( 他 に対 し て自 己 の信 仰 す る宗 教 教. 義 に沿 った) 集 会 を 行 い ・結 社 を 作 る (3 )︑ ( 研 究 ・財 政 や人 事 ︑ 及 び ︑ そ の法 嗣 を養 成 す る機 関 な ど に つい て の 教 団. の) 自律 的 運 営 と いう ( )1 の0 四 者 は︑ 信 者 を教 化 ・育 成 す る 教 化 者 にと って 必 要 な権 利 で︑ それ こそが 教 化 者 の存 在 価. 値 と い え る ︒ 一方 ︑ ( )4 は( )3 か ら ︑( )6・) (7 は) (5 から ︑ ) (9 は(8か )ら ︑ そ れ ぞ れ 派 生 し ︑ 受 容 者 に 特 有 の 権 利 と 捉 え ら れ る ︒. 戦 前 の神 道 国 教 化 政 策 の下 では ︑ こう し た自 由が 完 全 な形 で実 現 さ れ る こと は 不 可能 であ った ︒ し か し︑ 明 治 八年. (一八七五) に ﹁信 教 ノ自 由 ﹂ の 口達 が 出 さ れ ︑最 高 法 規 で あ る明 治 憲 法 に信 教 の自 由 が 明 文 化 さ れ る こと に よ って ︑.

(11) ︻表 III︼ 信 教 の自 由 の ( 積 極的 ) 発 現 形 態. 明治前期 におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容. 一九 七.

(12) 一九 八. ﹁国 家 神 道 の価 値 観 に抵 触 し な い﹂ と いう 条 件 付 き で はあ る が ︑ ほ ぼ そ の権 利 は実 現 さ れ る︒ 明 治 初 期 の宗 教 界 は︑. ﹃民集 ﹄ 三 一巻 四 号 五 三 九 頁〜 五 四〇 頁. 地 道 な 抵 抗 を重 ね る こと によ って︑ 次 第 に そう した 権 利 を 獲 得 ︑ 受 容 す る こと とな る の であ る︒. (1). ︽註︾. (2 ) 小 林 節 先生 ﹃改 訂 版 憲 法 ﹄ 三七 頁 (平 成 五 年 (一九 九 三 )). ︻表 III︼ のA ・B ・C︑ 及 び︑ (1) から(1 の0 語)句 は ︑ そ れぞ れ佐 藤 幸 治 氏 ﹃現 代 法 律 学 講 座 五 ︑ 憲 法 ﹄ 三 三 七 頁 (昭 和 五 六. 年 (一九 八 一))︑ 及 び ︑前 掲 ︑小 林 節 先生 ﹃改 訂 版 憲 法 ﹄ 三 七 頁 に よ った ︒. (3). ︻三︼ 本 論. 本 論 を 考 察 す る にあ た り︑ 便 宜 上 ︑ 明 治 初年 か ら浄 土宗 大 教 院 が 廃 止 さ れ る 明 治 十 八年 ま で を ︑ 大き く 次 の四期 に 分 け︑ 順 を 追 って考 察 し た い︒ (1) 仏 教 軽 視 政 策 時 代 ( 明 治 元年 〜 五年 三月 ) (2) 神 仏 合 併 ( 神主仏従)大教院時代 (明 治 五 年 四 月 〜 八年 四 月) (3) 浄 土 宗 大 教 院 時 代 I (明 治 八年 五 月 〜 十 七 年 七 月) (4) 浄 土 宗 大 教 院 時 代II.

(13) ︽註 ︾. (明 治 十 七年 八月 〜 十 八年 五 月). (1) な お ︑管 見 で はあ るが 明治 期 の宗 教 界 を分 類 し たも のと し て次 のも のが 挙 げ ら れ る︒. (﹃現 代仏 教 ﹄ 一〇 五 号 ︑ 昭和 六年 (一九 三 一)). (1) 下 村 寿 一氏 ﹁明 治 時 代 の宗 教 行政 ﹂ で は︑ 初 期 (明 治 元 年 〜 十 七 年 )︑中 期 ( 〜 三 二年 )︑ 末 期 (〜 四 五 年 ) と し て い る ︒. 年 )︑第 四期 (〜 大 正 五 ・六年 ) と し て い る︒ (﹃宗 教 研 究 ﹄ 一〇‑ 一︑ 昭和 八年 (一九 三 三)). () 2 徳 重 浅吉 氏 ﹁明 治 仏 教 研 究資 料 論﹂ で は︑ 第 一期 ( 明 治 元 年 〜 七 ・八 年 )︑第 二期 ( 〜 一七 ・八年 )︑第 三 期 ( 〜 三 五 ・六. (3) 桜 井 匡氏 ﹁明 治 宗 教 史 の時 代 区分 ﹂ で は ︑第 一期 ( 明 治 元 年 〜 八年 )︑第 二 期 ( 〜 二 一年 )︑ 第 三 期 (〜 三 二年 )︑第 四 期 (〜四 五 年) と し て い る︒ ( ﹃宗 教 研究 ﹄ 一九 六︑ 昭 和 四 二年 (一九 六 七 )). (藤 ) 4 原 弘 道氏 ﹁変 革 期 に おけ る浄 土宗 教団 の教 育 史 的 総 観 ﹂ で は︑ 前 期 (明 治 元年 〜 十 七年 )︑ 中 期 (〜 三 二年 )︑後 期 ( 〜 四五 年 ) と し て い る︒ (﹃東 山 学園 研 究 紀 要 ﹄ 十 二 ・十 三合 併 号 ︑ 昭 和 四 二 年 (一九 六 七)). 道 ﹁理 論 ﹂ の確 立 期 (〜十 七 年 ) と し て い る︒ ( ﹃日本 近 代 思 想 大 系 五 ︑宗 教 と国 家 ﹄︑ 昭和 六 三年 (一九 八 八 )). (宮 ) 5 地 正 人 氏 ﹁国 家 神 道 形 成過 程 の問題 点 ﹂ で は ︑神 道 国 教 化 政 策 期 (明 治 元年 〜 四年 )︑教 部 省 政 策 期 (〜 十 年 ) ︑国家 神. (1) 仏 教 軽 視政 策 時 代. 明 治 元年 (一八六八) 一月 十 七 日 ︑ 政府 は 三職 七 課 を 定 め︑ 神 社 は神 紙 課 の管 轄 に属 し た︒ 二月 三 目 に は︑ 新 た に. 三 職 八局 の制 を設 け ︑ 神 社 は神 紙 事 務 局 の管 轄 に 移 った ︒ 三 月十 三 日 に は︑ ﹁祭 政 一致 ﹂ を 押 し 進 め る べく 神 紙 官 を. 再 興 し た︒ 十 七 日 に は︑ 神 仏 分離 令 の嚆矢 と も な る諸 国神 社 の別 当 ・社 僧 復 飾 の令が 達 せら れ ︑ 以 下 ︑ こう し た 主旨. の法 令 が 続 々と発 せら れ る ︒ 政府 の神 仏 分 離 政 策 は︑ た と え それ が ︑ 仏 教 を 直接 ︑ 非 難 ・攻 撃 す べ き 趣 旨 では な か っ. 一九九. た と して も︑ い われ な き 廃 寺 ・合 寺 な ど各 地 で廃 仏 毀 釈 の暴 挙が 引 き 起 こさ れ︑ 浄 土宗 寺 院 も ︑ そ の例外 で は な か っ 明治 前期 におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容.

(14) 二〇〇. た︒ 閏 四 月 二 一日 に は︑ 政 体 書 を 定 め︑ 古 制 にな ら って太 政 官 を 復 活 し︑ 太 政 官 七 官 の内 ︑ 神 祇 官 に神 社 が 管 理 さ れ た︒. 明 治 二年 (一八六九)四 月 ︑ 各宗 の実 力 者が 集 ま り︑ 政 府 に よ る神 道 国 教 化 政 策 を憂 え ︑諸 宗 同徳 会 盟 を 結 成 し︑. そ の東 京 に お け る盟 主 と し て養 鶴 徹 定 (以 下 ︑﹁徹 定 ﹂ と 記 す ︒) が 選 出 さ れ ︑福 田行誠 ( 以 下 ︑﹁行 誠 ﹂ と 記 す ︒) が. 精 神 的 盟 主 と し てそ れ を 支 え た ︒ (徹 定 ・行 誠 は ︑ 明 治 の仏教 界 を代 表す る巨 星 であ り ︑ キ リ ス ト教 批 判 の書 や 浄 土. 宗 や仏 教 の擁 護 ・発 展 の書 ︑ 政府 へ の建 白 書 提 出 など ︑ そ の活 動 に は超 人 的 な も のが あ り︑ 多 く の先 学 が 論 究 を 加 え. て い る の で︑ 本 稿 で の言 及 は最 小 限度 に 止 め る ︒) 七 月 八日 には ︑神 祇官 を太 政 官 と 併 置 し︑ 太 政 官 の下 に六 省 を お. き ︑ 神 社 は神 祇 官 に管 轄 さ れ た ︒ こ の際 ﹁掌 ニ宣 布 大 教 一 ﹂ と して ︑ 宣 教 使が 設 置 さ れ︑ 十月 九 日︑ 宣 教 師 は ﹁神 祇 官 へ被 レ接 候 事 ﹂ と さ れ た ︒. 明 治 三 年 (一八七〇) 一月 三 日 に は︑ ﹁宣 ニ揚惟 神 之 大道 一 ﹂ と いう 大教 宣布 の詔が 発 せら れ ︑ 宣 教 使 を し て布 教 せ し. め よう と し︑ 四 月 二 三 日 に は ︑ そ の心得 書 が 示 さ れ た︒ 一方 ︑ そ の公 的管 轄 機 関 も明 確 に定 めら れ て いな か った 仏 教. 界 は︑ 島 地 黙 雷 等 の活 躍 に よ り ︑ 八月 九 日︑ 民 部 省 社 寺 掛 の管 轄 と な り︑ 閏 十月 二 十 日 に は︑ 社 寺 掛 が 廃 せら れ 寺 院. 寮 に管 轄 は移 る ︒ 同 七 日︑ 宣 教 使 は︑ 広 島 に お い て仏 教 教 団 に対 し て ︑管 轄 機 関 の設 置 と 前 後 し て︑ 次 の よう な ﹁難 問 十 二題 ﹂ への解 答 を 求 めた ︒. 仁 法 二 教 ・神 仏 本迹 ・仏 法 国 益 ・神 明 帰 仏 ・鎮 護 国 家 ・生 死感 業 ・三 世 因果 ・須 彌 有 無 ・洋 教 新 古 ・二 法 一決 ・葬 式 益 無 益 ・法 古 事 勤. これ ら の表 題 か ら察 す る に︑ 政 府 は︑ 管 轄 機 関 設 置 の見 返 り と し て︑ 仏 教 教 団 に対 し︑ 神 道 と の調 和 を 計 る こ とが. でき る か ︑ さ ら には脅 威 とな ってき た キ リ スト教 にど う対 抗 し て いく の か︑ を 試 す た め の踏 み絵 と し て解 答 を 求 め た. の で はな いだ ろ う か ︒ な お︑ こ の難 問 十 二題 に関 して ︑ 藤 堂恭 俊 先 生 は︑ ﹁こ の問 目 に関 す る模 範 解 答 が い か に 切 望.

(15) さ れ﹂︑ そ の結 果 と し て ︑﹁浄 土 宗 侶 と し て は福 田 行誠 と養 鶴 徹 定 と が解 答 を よ せ て い る﹂ と 述 べ ︑ 詳細 な 検 討 を加 え ら れ て いる ︒. 明 治 四年 (一八七 一) 一月 五 日 ︑ 社 寺 領 中 ︑ 境内 地を 除 き 悉 く 上 地 せし め ら れ ︑寺 院 の経 済 的 基 盤が 大 きく 失 わ れ. る ︒ ま た 五 月 十四 日︑ 神 社 の社 格 が ︑ 官 幣 社 と国 幣 社 な ど に分 けら れ た ︒ 二七 日 に は民 部 省 が 廃 せら れ ︑ 二九 日 には. 太 政 官 を 正 院 ・左 院 ・右 院 の三院 と し︑ 八月 八 日 には神 祇官 を神 祇 省 と した ︒ 十 九 日 に は︑ 神 祇 省 直 轄 神社 を 除 いた 神 社 と 教 派 神道 と共 に︑ 仏教 は大 蔵 省 戸 籍 寮 社 寺 課 に管 轄 が 移 った ︒. 以 上︑ 第 一期 を 概 観 し たが ︑ 国 家 制 度 の中 に神 社 を位 置 づ け よう とす る神 道 国 教 化 政 策 は︑ 政 府 に よ って︑ 次 々と. 行 われ た ︒ 明 治政 府 は ︑ そ の精 神 的 支 柱 を 天皇 ︑ 及 び︑ 国 家神 道 に求 め た︒ こう した 動 き は︑ そ の基 盤が 確 立 して い. な い明 治 政 府 に と って ︑ そ の政策 を 潤滑 に機 能 さ せる た め の国 民 へ の ソ フト面 から の懐 柔 策 であ ると も 考 え られ る︒. こ の時 期 の政 策 を 振 り返 る に︑ まず 驚 か さ れ る の は︑ 明 治 三 年 七 月 の民 部 省 社 寺 掛 の設 置 に至 る ま で︑ 仏教 寺 院 を. 直 接 管 轄 す る公 的 機 関 が 全 く な か った こと であ る︒ 公 的管 轄 機 関 は ︑被 管 轄 機 関 への統 制 な ど︑ それ が 悪 い面 に働 く. こと もあ るが ︑ 管 轄 機 関 のな い状 態 で は︑ 政 府 と の折 衝 な ど す べ て の面 で 不都 合 な 面が 多 く な って し まう ︒ この政 策. は︑ 仏 教 教 団 を な いが し ろ にす る 以 外 のな にも のでも な い︒ こう し た 仏教 軽 視 政 策 が ︑ 寺 院 の廃 寺 ・合 寺 な ど の廃 仏. 毀 釈 を巻 き 起 こす ︒ 当 初 ︑ ﹁寧 ろ 之 を歓 迎 す る意 向 であ った ら し い﹂ 政 府 も︑ そ の急 激 な る こ と に︑ ﹁かた が た政 府 に. 於 て も︑ 多 少 は考 慮 を 払 う た であ ろう ﹂ と し て︑ ﹁指令 の態 度 が 頗 る慎 重 にな り ︑ 手続 の鄭 寧 にな った ことが 著 し く. 目 に着 く ﹂ よう にな り︑ 管 轄 機 関 の設 置 に至 る ︒ そ し て政 府 は︑ キリ スト教 弾 圧 に対 す る 西 欧 列強 か ら の強 い批 判 に. 対 し て︑ 高 遠 な 思 想 を 有 す る仏 教 教 団 を 自 陣 営 に取 り込 む べく 画 策 し ︑ そ の手始 め であ り ︑踏 み絵 のよう な も のが ︑ 宣 教 使 か ら各 宗 に 言 い渡 さ れた ﹁難 問 十 二題 ﹂ への解 答 提 出 だ った のだ ろ う ︒. 二〇 一. こう し た状 況 を み る限 り︑ 政 府 は︑ 信 教 の自 由 の発 現 形 態 の中 ︑(1 と) (2 ︑)つま り ︑ そ の自 由が 自 己 の内 心 に留 ま り 明治前期 におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得 と受容.

(16) 二〇 二. 得 るも の のみ に対 し てし か 与 え て お らず ︑ 未 だ 儀 式 を 行 う 自 由 ︑布 教 の自 由 ︑ 集 会 ・結 社 の自 由 ︑ 教 団 の自 律 的 運 営. ( 官 制 に つ いて は︑ ﹃法 令 全 書 ﹄︑ ﹃明 治史 要 附 表 ﹄ (昭和 四 一年 (一九 六六 ) 復 刻 )︑ 梅 田 義 彦 氏 ﹃ 改 訂増 補 日 本宗 教制 度 史. ﹃法令 全 書 ﹄ 一巻 一七頁. な ど は叶 う べ く も な か った と 思 わ れ る ︒ ︽註︾ (1 ). ︿近 代 編 ﹀﹄ 第 一章 ﹁序 説 ﹂ 第 五 節 ﹁宗 教 行 政 機 関 の変 遷 ﹂ 一二 〜 二 二頁 ︑ (昭 和 四 六 年 (一九 七 一)) ︑ 笹 山晴 生 氏 等 ﹃詳 説 日. (3 ). (2 ). ﹃法令 全書 ﹄ 一巻 六九 頁. ﹃法令 全 書 ﹄ 一巻 六 三頁. ﹃法令 全 書 ﹄ 一巻 二 七頁. 本 史 史 料 集 ﹄ 二 四 三頁 (平成 五年 (一九 九 四 )) な ど 参 照 ︒ ). (4 ). (一九 八 四))︑. 明 治 元年 か ら 二 十年 に至 る十 三 の法 令 を 挙 げ ︑ 正確 に は ﹁神 仏 判 然 の令 と いう べ き で あ る ﹂ と し て い る︒ ( 前 掲 ︑ 梅 田義 彦 氏. (5 ) 梅 田 義彦 氏 は ︑﹁神 仏 分 離 の令 と は︑ 明 治 元年 ︑新 政 府 に よ って執 られ た 宗 教 政 策 にも と つ く 行政 処 分 で あ って﹂ と 述 べ︑. ﹃改 訂 増 補 日本 宗 教 制 度 史 ︿近 代 編 ﹀﹄第 一章 ﹁序 説 ﹂ 第 二節 ﹁神 仏 分 離 の令 ﹂ 五 頁 〜 十 五 頁). 及 び︑ 村 上 専 精 氏 ︑ 辻 善 之 助 氏 ︑ 鷲 尾 順敬 氏 編 ﹃明 治 維 新 神 仏 分 離 史 料 ﹄ 全 五 巻 (大 正 十 五年 (一九 二 六)) な ど参 照 ︒. (6) 辻 善 之 助 氏 ﹃日本 仏 教 史 研 究 ﹄ 第 四 巻 二 一 ﹁神仏 分 離 の概 観 ﹂︑ ﹃同 ﹄ 第 六 巻 六 ﹁廃 仏 毀 釈﹂ (昭和 五 九年. (7) 前 掲 ︑ 藤 本 了泰 氏 ﹁明 治 時 代 の浄 土宗 ﹂︑ 及 び ︑ 前 掲 ︑ 成 田 ・伊 藤 ・平 氏 ﹃ 浄 土宗 史 ﹄第 七章 ﹁近 代 の浄 土宗 教 団 ﹂ な ど. ﹃法 令全 書 ﹄ 一巻 一三 七 頁. 参照︒ (8). (9) 前 掲 ︑ 辻 善 之 助 氏 ﹃日 本仏 教 史 研 究 ﹄ 第 四巻 二 三 ﹁廃 仏 問 題 に よ る 僧 侶 の覚 醒﹂ に は︑ ﹃仁 和 寺 記 録 ﹄ に基 づ い て ﹁徹 定. が ︑ そ の盟 主 と な った ﹂ (二二 四 頁) と述 べ︑ 行 誠 を し て︑ ﹁精 神 的 盟 主 は︑ 正 に こ の人 にあ った か の如 き 感 が あ る﹂ (二三 六. の名称 と 盟 主 ﹂ (昭 和 四 六 年 (一九 七 一)) で︑ 再 考 し て い るが ︑ 明 確 な 結 論 は 出 さ れ て いな い︒ な お︑ 藤 原 弘 道 氏 は︑ 前 掲. 頁 ) と 述 べ て いる ︒ こ れ に つい て︑ 桜 井 匡 氏 が ︑ ﹃明 治 宗 教 史 研 究﹄ 第 二章 ﹁仏 教 の復 興 と 発 展 ﹂ 二 ﹁護 法 活 動 ﹂ 2 ﹁同 盟 会.

(17) ﹁変 革 期 にお け る浄 土宗 教 団 の教 育 史 的 総 観﹂ (四九 頁 ) に お い て︑ ﹁諸 宗 同盟 会 の輪 講 廻 読 が 諸 宗 総黌 へと 発 展 し ︑ こ の諸 宗. (13). (12). (11). (1) 0. ﹃法令 全 書 ﹄ 三巻 一頁. ﹃ 法 令 全 書 ﹄ 三巻 一頁. ﹃法令 全 書 ﹄ 二巻 四 〇 〇 頁. ﹃ 法 令 全 書 ﹄ 二巻 二六 二 頁. ﹃ 法 令 全 書 ﹄ 二巻 二四 九 頁. 総 鷽 が 教 部 省 時 代 に でき る 大 教 院 の萌 芽 と な った のであ る﹂ と し て ︑ そ の意 義 を述 べ て い る︒. (14). (15) 島 地黙 雷 に関 す る論 考 は多 いが ︑ こ こ では ︑ 豊富 な資 料 を 背 景 と し て 詳 説 さ れ た吉 田久 一氏 ﹃日本 近 代 仏 教 史 研 究 ﹄第 二. 章 ﹁大 教 院分 離 運 動 に つい て‑ 島 地 黙 雷 を 中 心 に‑ ﹂ (昭和 三四 年 (一九 五 九 )) を参 照 さ れ た い︒ な お︑ 後 に述 べる が ︑辻 善. 之 助氏 は︑ 前 掲 ﹃日本 仏 教 史 研 究 ﹄ 第 四巻 二 二 ﹁明 治維 新 の廃 仏 問 題 と 政 府 の態 度﹂ で︑ 政 府 の こう し た態 度 の変 更 が︑ 必ず. (16) ﹃法令 全 書 ﹄ 三巻 四 五 九 頁. ﹃法令 全書 ﹄ 三巻 二九 八頁. し も 島 地黙 雷 の建 言 のみ でな か った と す る見 解 を 表明 し て い る︒. (17). (18) 行 誠 の記 し た ﹃廣 島 問 答 ﹄ の序 に ﹁庚 午 閏 十 月 七 日︑ 聞 宣 教 使 到 藝 州廣 島 ︑ 出 問 目 十 二題 ︑ 以 問 諸 各 宗 ﹂ (﹃行 誠 上 人 全. 集 ﹄ 三 七 三頁 ) と あ る︒ な お︑ こ の ﹁難 問 十 二題 ﹂ の呼び 名 と ︑ 問 題 の名称 ・順 序 は 一定 し て い な いが ︑ こ こ で は︑ ﹃浄 土 宗 大 年 表 ﹄ (七 六七 〜 七六 八 頁 ) に よ った︒. (19) 藤 堂 恭俊 先生 ﹁浄 土 宗 明 治 教 ・学 人 の著 作 刊 行 と そ の時 代 背 景 ‑ 明 治 元 年 か ら 八年 ま で‑ ﹂ (﹃ 浄 土宗 学 研 究 ﹄ 三 号 二九 八 頁 ︑ 昭 和 四 四年 (一九 六九 )). (21). ﹃法 令 全書 ﹄ 四巻 二 九 四頁. ﹃法 令 全 書 ﹄ 四 巻 一八 七 頁. ﹃法 令 全書 ﹄ 四巻 五頁. 二〇三. (20) 藤 堂 恭俊 先生 ﹁明 治 時 代 に おけ る宗 学 の形 成 と そ の理念 ﹂ (﹃東 山 学 園 研 究 紀 要 ﹄ 十 四 号 一〇 〇 頁 ︑ 昭和 四 四 年 (一九 六. (22). 九 )). (23). 明治前期におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容.

(18) (25). (24). ﹃明 治 百 年史 叢 書 二 七 一︑明 治 職 官 沿 革 表 ︑ 合 本 一﹄ 四 四 頁 ︑ 及 び︑ ﹃同 ︑合 本 二﹄ 二 二頁 (昭 和 五 三年 (一九 七 八 )). ﹃法 令 全 書 ﹄ 四 巻 三 一六 頁. ﹃法 令 全 書 ﹄ 四 巻 二 九 六頁. 二〇四. (26). 神仏合併. ( 神 主 仏 従) 大 教 院 時 代. (27) 前 掲 ︑ 辻 善 之 助氏 ﹃日本 仏 教 史 研 究 ﹄ 第 四巻 ︑ 二 二 ﹁明 治 維 新 の廃 仏 問 題 と政 府 の態 度 ﹂ 二〇 二〜 二〇 四 頁. (2 ). 明 治 五 年 (一八七二)三月 十四 日︑ 仏 教 教 団 は︑ 神 祇 省 直 轄神 社 と 同 じ く︑ そ の管 轄 機 関 が 教 部 省 へと 移 っ た ︒ こ. の頃 から 政 府 の宗 教 政 策 ︑ 特 に仏 教 政 策 に転 換 期 が や って く る ︒ す な わ ち︑ これ ま で の よう に公 的 機 関 か ら 除外 す る. と いう 方 針 から︑ 公的 機 関 に取 り込 み︑ 国 家 神 道 拡 大 布 教 の 一翼 を担 わ せ よう とす る方 針 へであ る︒ そ の理 由 は ︑ 数. 的 にも 多 く ︑ 布教 手腕 に も巧 み な僧 侶 を ︑ 除 外 す る より も 取 り 込 み ︑利 用 す る メリ ット に気 づ いた から であ ろ う ︒ そ れ が 教 導 職 制 度 と神 仏合 併 大教 院 の創 設 であ る︒. 教 部 省 設 置 後 一ヶ月 ︑ 四 月 二 十 五 日︑ そ の教 化 政 策 を 担 当 す る 十 四級 か ら な る無 給 の教 導 職 が 教 部 省 に置 かれ た ︒. そ の三 日 後 ︑ 教 導職 へ︑ 説 教 の指 針 とす る教 則 三条 が 公 布 さ れ た ︒ そ の内 容 は︑ 一見 し て わ か る よう に︑ 国 家 ・天 皇. への恭 順 を 求 める も ので︑ 教 導 職 に︑ そ の布 教 の任 が 与 え ら れ た のであ る ︒ そ し て︑ そ の三条 の教 則 に拘 束 さ れ る教. 導 職 に︑ 各 宗 僧 侶 ︑ 及 び︑ 知 恩 院俊 光 ︑ 増 上寺 明 賢 ︑ 金 戒 光 明 寺 定 円︑ 徹 定 ︑神 谷大 周 な ど 浄 土宗 僧 侶 も︑ 次 々と 任. 命 ・進 叙 さ れ た ︒ ち な み に︑ 明 治 九年 十 二月 刊 行 の ﹃明 治 史 要 附 録概 表﹄ に よ れば ︑ 全 国 の教 導 職 は 七 二四 七 名 ︑ 神. 官 は四 二 〇 七 名 ︑ 僧侶 は 三〇 四 三 名 であ り︑ 浄 土宗 僧 侶 は︑ 真 宗 の七 二 八名 に次 い で︑ 六 三 三名 であ った ︒ 六月 九 日. に は︑ 各宗 毎 に教 導 職管 長 一名 を設 置 し︑ 末 派 寺 院 の取 り 締 ま り を さ せ︑ 別紙 にて ﹁宗 規 僧 風 ﹂ を ﹁麓 正 ﹂ す べき こ. と を 命 じ る 教 部 省 達が 出 さ れ︑ 十 月 三 日 に は︑ 教 部 省 達 番 外 と し て︑ 重 ね て ︑ 各宗 一管 長 を 定 め る べき 旨 が 命 じ ら れ. た ︒ こう し た 教 部 省 達 を受 け ︑ 七月 に は︑ ﹁総 本 山 知 恩 院 のこ と︑ 京 都 三箇 本 山 の こと ︑ 増 上 寺 の こと ︑ 紫 衣檀 林 の.

(19) こと︑ 黄 衣 檀 林 の こと ﹂ の五箇 条 から な る ﹃宗 規釐 正 ﹄が ︑ 知 恩 院 徹 定 ・増 上寺 明賢 ・金 戒 光 明 寺 定 円 の連 署 に よ っ. て︑ 教 部 省 に提 出 さ れ ︑ そ の後 ︑ 十月 十 九 日 ︑徹 定が 浄 土宗 初 の教 導 職 管 長 に就 任 し た︒ 九 月 十 八日 に は︑ 法 相宗 ︑. 華 厳 宗 ︑ 律 宗 ︑ 兼 学 宗 ︑ 融 通念 仏宗 を 他 の宗 派 に所 轄 さ せる 教 部 省達 が 出 さ れ︑ 華厳 宗 が 浄 土 宗 の所 轄 に 入 った ︒ 四. こう し た動 き に対 し て仏 教 側 は ︑ 金戒 光 明 寺 定 円 を はじ めと す る 十 九 名 の連 署 を も って︑ 大 教 院 設 立 の願 い を 教 部. 月 二 五 日 に は︑ 僧 侶 の肉 食 ・妻 帯 ・蓄 髪 が 認 めら れ ︑ さ ら に︑ 九 月 十 四 日 に は︑ 僧 侶 も苗 字 を 名 乗 る こと と な った ︒. 省 に提 出 し た︒ 仏教 側 は︑ こ の建 白 書 に ﹁神 道 ヲ始 メ﹂ と 記 し︑ 政 府 の意 を 損 ね な いよう に し て いる も の の︑ 守 勢 一. 方 の仏教 の再 興 が 祈 念 さ れ て いた こと は疑 う 余 地 も な い︒ これ を 受 け て 政府 は︑ 十 一月 二四 日 ︑ 神 仏 合併 大 教 院 開 設. 許 可 の件 に つき ﹁三条 ノ意 ヲ体 認﹂ さ せ ると した 上 で︑ 諸 宗 管 長 宛 に教 部 省 達 を 下 し た︒ こ の合 併 大 教 院開 設 は ︑神. 社 神官 に も伝 え ら れ︑ こ れを 受 け て 九月 十四 日 に は︑ 東 京 紀 尾 井 町 の紀 州 邸 に大 教 院が 設 け ら れ ︑ 明 治 六 年 (一八七. 三) 二 月 五 日 には ︑増 上寺 に大 教 院 が移 さ れ る こ とが 決 ま った︒ し か し︑ 仏 教 側 の祈念 と は裏 腹 に︑ 設 立 さ れ た 大 教. 院 は ︑ 合 併 と は いえ ︑神 道 一色 に染 ま った も のであ った︒ 何 故 な ら ︑ 五 年 十 月 二 七日 に認 可 さ れた 大 教 院 規 則 第 一. 條 ︑ 第 二 條 な ど によ れば ︑大 教 院 で は︑ 三条 の教 則を 遵守 す る こと ︑ 神 道 の神 々を 本 尊 と し て祀 る こと が 示 さ れ ︑ 仏. 教 的 な 面 は全 く 見 ら れ な い から であ る ︒増 上寺 で も︑ 本 尊 阿弥 陀 如 来 像 は四 月 に は台 徳 院殿 御 霊 屋 に遷 座 さ せら れ ︑. 神 道 の神 々が 祀 ら れ た ︒ そ の様 は︑ ﹁僧 侶 ︑ 神 官 一堂 に会 し て 衣 冠 束 帯 し ︑ 或 は袈 裟 法 服 を 纏 ひ て 神 前 に 拍 手 し ︑. 又 ︑ 手 から ︑ 魚 鳥 等 の肉 類 を献 供 す るが 如 き奇 観 を 呈 す る﹂ よ うな 状 態 であ った︒ 大 教 院 の下 に設 け ら れ た 中 教 院 も︑ ほ ぼ同 様 の規 則 が あ り ︑ や は り神 道 の神 々が ま つら れ た ︒. ま た明 治 六年 に は︑ 教 部 省 か ら︑ 十 一兼 題 と 十 七兼 題 が ︑﹁教 導 職 の説 教 を 練 る 為 に﹂ 布 達 さ れ た ︒ 十 一兼 題 と は ︑. ﹁神 徳 皇 恩 ・人 魂 不 死 ・天 神造 化 ・顕 幽 分 界 ・愛 国 ・神 祭 ・鎮 魂 ・君 臣 ・父 子 ・夫 婦 ・大祓 ﹂ であ り︑ 十 七 兼 題 と. 二〇五. は︑ ﹁皇 国 国体 ・道 不 可変 ・制 可随 時 ・皇 政 一新 ・人 異 禽 獣 ・不 可 不 学 ・不 可 不 教 ・万 国交 際 ・国 法 民 法 ・律 法沿 革 ・ 明治前期 におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容.

(20) 二〇 六. 租税 賦 役 ・富 国強 兵 ・産 物 製 物 ・文 明 開 化 ・政 体 各 種 ・役 心 役 方 ・権 利 義 務 ﹂ であ る︒ 前 者 は︑ 儒 教 的 思 想 も 盛 り 込. ま れ て い るが ︑ 全 体 と し て神 道 的 色 彩 が 強 く ︑ 後 者 は ︑ 皇 国 と し て の日本 を 知 ら せ る啓 蒙 的 な も の であ り ︑ や は り神. 道 の思 想 を背 景 と し て い る︒ し か し︑ 両 者 共 に仏 教 思想 の欠 片 も な い︒ こう し た三 条 の教 則 ・十 一兼 題 ・十 七兼 題 に. 関 す る注 釈 書 は︑ これ ま で の伝 統 的 教 義 と は 異 な り ︑実 際 の説教 に使 う こと が 強 制 さ れ た た め に︑ 神 官 ば か り で な く. 僧 侶 から も実 に多 く の著 書 が 刊 行 さ れ ︑広 く 行 き渡 り ︑ 十 一兼 題 に つい て は︑ ﹁大 講 義 以 下 権 少 講 義 以 上を し て 毎 月. 一説 の講 録 を 教 部 省 に出 さ し﹂ めら れ た と いう ︒ 八 月 には︑ 大 教 院 は︑ 三 章 教 憲 ・教 会 大意 ・誓 約 十 条 を布 達 し︑ 布. 教 の末 端 機 関 と し て各 寺 院 を 教 会 と して 設 立 し布 教 せ し め る こ と に意 欲 を 示 した ︒ 後 述 す るが ︑ こ の制 度 は ︑ 二月 十. 九 日 に基 督 教 禁 制 高 札 が 撤 去 さ れ た こと と 関連 す る と思 わ れ︑ 実 際 に教 会 設 立 の動 きが 出 た と き に は ︑合 併 大教 院 は. 崩 壊 し︑ 各 宗 の大 教 院 が 設 立 さ れ て いる︒ 十 二月 二 八 日 に は︑ 教 導 職 七 級 以 下 の階 級 を廃 止 し ︑ 教 導 職 試補 と し た︒. 明治 七年 (一八七四)四 月 二 八日 に は︑ 教 部 省 よ り︑ 教 導職 試 補 以 上 でな け れ ば 説 教 を す る ことが 禁 止 さ れ︑ 五月. 三 一日 に は︑ 教 導 職 は大 教 院 にお いて試 験 を受 け なげ れば な ら な く な り ︑ 七 月 十 五 日 に は︑ 教 導 職 試 補 以 上 でな け れ ば 寺 院 住 職 と はな れ な く な る な ど ︑ 次 々と僧 侶 に対 す る管 理 が 厳 しさ を 増 して いく ︒. 以 上︑ 第 二期 と し て神 仏 合 併 大 教 院 時代 を 設 定 し たが ︑ こ の時 期 の政 府 は ︑ 仏 教 教 団 に神 道 国 教 化政 策 の 一翼 を 担. わ せ よう と し て い た︒ そ れが ︑ 天皇 ・国 家 神 道 の地位 を 高 めさ せ る三 条 の教 則︑ 十 一兼 題 ・十 七兼 題 に縛 ら れ た教 導. 職 制 度 の導 入 であ り ︑ 諸 宗 の代表 に よ る建 議 に よ って設 立 さ れ た 神 仏 合 併 大 教院 も ︑ そ の例外 で は な か った︒ そ こ に. 祀 ら れ た の は︑ 神 仏 両 教 の本 尊 で は な く︑ 神 道 の み のそ れ であ り ︑ 仏像 は 片隅 に 追 い や られ た︒ 大 教 院 は合 併 と は い. え ︑ 神 主 仏 従 大 教 院 であ り︑ 主体 は神 道 に置 かれ ︑ 神 官 中 心 の教 導 職 の活 動拠 点 と な って し ま った︒ そ し て︑ 僧 侶 の. 化 他 活 動 の命 と も いう べ き 説教 活 動 さ え︑ 大 教 院 で試 験 を 経 た 教 導 職 でな け れば 許 さ れず ︑ 一寺 院 の住 職 にな る こと. も 許 さ れ な か った ︒ そ の様 は︑ ﹁未 だ 嘗 て ︑ 仏 教教 団 に し て︑ 仏 教 本 来 の教 義 教 理 を 無 視 し ︑ 否定 し やう とす る 主 義.

(21) の下 に︑ 教 団 が 諾 々と し て講 席 を 共 にし た ことが あ る であ ろう か︒ 誠 に仏 教 の廃 滅 と 云 はな け れ ば な る ま い﹂ と いう 状 況 だ った の であ る ︒. ま た︑ 僧 侶 の肉 食 ・妻 帯 ・蓄 髪 の勝 手 ︑ 苗 字 を 名 乗 ら せ る な ど の 一連 の政策 は︑納 税 ・兵 役 な ど 国 民 と し て の義 務. を負 わ せ る と い った表 面的 な こと に留 まら ず ︑ そ れが 意 図 的 でな い に して も ︑ 僧 侶 を し て︑ 教 導 職 の同僚 であ る神 官. に 身 も 心 も 近づ け る と い った 一面 と ︑説 教 を 聴 聞 す る 一般 檀 信 徒 を し て︑ 視 覚 を 通 し て︑ こ れ ま で仏 教 を 説 いて き た. 僧 侶 が ︑ 国家 神 道 と い う 別 の宗 教 を 説 い て い る のだ と 分 から し め ると いう 一面 も あ った ので はな かろ う か︒. こう し た状 況 を信 教 の自 由 の発 現形 態 から み る限 り ︑ 第 一期 と比 較 し て︑廃 仏毀 釈 を静 観 す ると いう 態度 こそ な く. な った も の の︑ そ の実 質 はな んら 変 化が な か ったと いえ よう ︒ い や︑ む し ろ別 の意 味 で そ れ は追 い つめら れ ︑狭 め ら. れ てき た と も 考 え ら れ る ︒何 故 な ら ︑仏 教 寺 院 に本 来 祀 ら れ る べき 信 仰 対 象 と し て の本 尊 が ︑ 神 道 の本 尊 に す り替 え. ら れ て し ま った こと ︑ 教 化 者 と して の僧 侶 が ︑ 三 条 の教 則 ・十 一兼 題 ・十 七 兼 題 と いう神 道 に基 づ いた布 教 し か許 さ. れず ︑ そ の講 案 を提 出 せ し めら れ た こと な ど は︑ 先 の発 現 形 態 の中 ︑ 自 己 の内 心 に留 ま り得 る も のさ え も 認 めら れ な く な った と 捉 え ら れ る か ら で あ る ︒. 第 一 ・二 期 の浄 土宗 政 は︑ そ の動 き も合 併 大 教 院 の中 に取 り込 まれ たも の であ り ︑徹 定 や 行 誠 に ょる 単発 的 な も の. は 数 多 く 見 受 け ら れ る も のの︑ 宗 と し て の特 色 を 出 し て の動 き な ど でき る術 も な く︑ ただ ︑ 他 宗 と 共 に︑合 併 大 教 院 を 維 持 す る こ と が や っと だ った よ う で あ る ︒. 二〇 七. し かし ︑ こう し た 時 期 の愚 挙 と も とれ る 一連 の政 策 は︑ 宗 教 者 を し て信 教 の自 由獲 得 へ の激 し い運 動 を引 き起 こ さ. ﹃法 令 全 書 ﹄ 五 巻 ノ 一︑ 七 九 頁 ︑ 及 び︑ 五巻 ノ 二︑ 一二六 九 頁. せ る こと と な る ︒. (1). ︽註 ︾. 明治前期 における ﹁信教の自由﹂ の獲得 と受容.

(22) (3). (2) ﹃法 令 全 書 ﹄ 五 巻 ノ 二︑ 一二八 八 頁. ﹃法 令 全 書 ﹄ 五 巻 ノ 一︑ 九 三 頁. (4) 詳 細 は︑ 藤 本 了 泰 氏 ﹃浄 土 宗 大 年 表 ﹄ 七 七 一頁 ︑︻表 I︼ な ど参 照 ︒. (11). (10). (9). (8). (7). (6). ﹃法 令 全書 ﹄ 五巻 ノ 一︑ 一九 三頁. ﹃法令 全書 ﹄ 五 巻 ノ 一︑ 九 三頁. ﹃ 浄 土 宗 大 年 表 ﹄ 七 七 二頁. ﹃法 令 全書 ﹄ 五 巻 ノ 一︑ 一九 五頁. ﹃ 浄 土 宗 年譜 ﹄ 七 五 丁右 ︑ ﹃浄 土宗 大 年 表 ﹄ 七 七 二頁 ︑ ︻表 I ︼ な ど 参 照 ︒. ﹃教部省出勤中雑録﹄(前掲︑恵谷隆戒氏 ﹃浄土宗史概説﹄ 二五〇頁〜 二五二頁). ﹃法 令 全 書 ﹄ 五 巻 ノ二 ︑. ﹃法 令 全 書﹄ 五 巻 ノ 二︑一二 六 九 頁. (5) 前 掲 ︑ ﹃明 治 史 要 附 表 ﹄ 三 一頁. (12). 一九 二三頁. (13 ). ﹃法 令 全書 ﹄ 五巻 ノ 二︑ 一二八 八 頁. (14) 前 掲 ︑ 辻 善 之 助 氏 ﹃日本 仏 教 史 研 究 ﹄第 六 巻 八 ﹁教 導職 と 大 教 院﹂ 四〇 一頁 (1 5). ﹃太 政 類 典 目 録 ﹄ 中 巻 ︑ 四 五 八 頁. ﹃太 政 類 典 目 録 ﹄ 中 巻 ︑ 四 五 八 頁. ﹃法 令 全 書 ﹄ 六巻 ノ 二︑ 一六 五 五 頁. (16). (18). ﹃浄 土 宗 年 譜 ﹄ 七 五丁 右 ︑ ﹃浄 土 宗 大 年 表 ﹄ 七 七 四 頁︑ ︻表 I︼ な ど 参 照 ︒. (17). (19). ﹃法 令 全 書 ﹄ 六 巻 ノ 二︑ 一六 五 七頁. (20) 前 掲 ︑ 岩 崎 敲 玄 氏 ﹃浄 土 宗 史 要 ﹄ 二 八 八 頁 (21). 二〇 八. 七 兼 題 のそ れ ぞ れ の順 序 ・名称 は 一定 し て いな いが ︑ こ こ で は︑ 前 掲 ︑ 藤 堂 恭俊 先 生 ﹁浄 土宗 明 治 教 ・学 人 の著 作 刊 行 と そ の. (22) 河 野 省 三 氏 ﹁明 治 初 年 の教化 運 動﹂ (﹃ 國 學 院 大 學 紀 要 ﹄ 一号 一〇 八頁 ︑ 昭 和 七 年 (一九 三 二))︑ な お ︑ こ の十 一兼 題 と 十. 時 代 背 景‑ 明 治 元 年 か ら 八年 ま で‑﹂ 三 一二頁 に よ った ︒.

(23) 一連 の注 釈 書 に つ いて は︑ 前 掲 ︑ 河 野省 三氏 ﹁明 治 初 年 の教化 運 動 ﹂ に詳 し い︒ ま た ︑ 辻 善 之 助 氏 は︑ 前 掲 ﹃日 本 仏 教 史. 研 究 ﹄ 第 六巻 八 ﹁教 導 職 と 大 教 院﹂ で こ れ を増 補 し て い る︒. (23). (24) 前 掲 ︑ 岩 崎 敲 玄 氏 ﹃ 浄 土宗 史 要 ﹄ 二 八 八頁 ︑ ま た ︑藤 堂恭 俊 先 生 も ︑ 前 掲 ︑ ﹁浄 土 宗 明 治 教 ・学 人 の著 作刊 行 と そ の 時 代. (2 7). (26). (25). ﹃法 令 全 書 ﹄ 七 巻 ノ二 ︑一. ﹃法 令 全 書 ﹄ 七 巻 ノ二︑一二一 四頁. ﹃法 令 全 童日﹄ 六 巻 ノ二 ︑ 一六 六 二頁. ﹃法 令 全 書 ﹄ 六 巻 ノ 一︑ 六 四頁. ﹃法 令 全 書 ﹄ 六 巻 ノ二 ︑ 一六 四九 頁. 背 景‑ 明 治 元 年 か ら 八 年 ま で‑﹂ 三 一二 頁 で言 及 し て い る︒. (2 8). ﹃法 令 全 書 ﹄ 七 巻 ノ二 ︑ 一 一九 九 頁. 二二〇 頁. (29) (30). (3 1) 前 掲 ︑ 藤 本 了 泰 氏 ﹁明 治 時代 の浄 土宗 ﹂ (﹃現 代 仏 教 ﹄ 一〇 五号 ︑ 四〇 〇 頁 ). (3) 浄 土 宗 大 教 院 時 代 I. 仏教 界 に神 道 国 教 化 政策 の 一翼 を担 わ せ よう と す る第 二 期 の政 府 の意 図 も ︑ 各 地 で の僧 侶 の反 抗 ︑ 行誠 等 各 宗 実 力. 者 に よ る ﹁諸 寺 院 連 盟建 白書 ﹂ の左 院提 出︑ 島 地黙 雷 ・大内 青鸞 等 に よ る信 教 の自 由 獲 得 への活 躍 によ って次 第 に 行. き 詰 ま る よう にな る ︒ 島 地黙 雷 は︑ 政 府 に対 し て 三条 の教 則 や合 併 大 教 院 批 判 の建 白 書 提 出 に ょ り ︑ 大内 青鸞 は︑ そ. の主幹 を 務 めた ﹃明 教新 誌 ﹄ な ど の文 筆 活 動 を 通 じ ︑ ま た︑ 仏 教 界 だ け でな く 福 沢 諭 吉 ︑ 加藤 弘 之︑ 西周 ︑ 森 有 礼 な. ど 知 識 人 ︑ ク リ スチ ャ ンな ど か ら も奇 異 な様 相 を 呈す る 合併 大教 院 へ の批 判 ︑ 信 教 の自 由獲 得 への要請 は次 々と起 こ る ︒. 明 治 八年 (一八九五)五 月 三 日︑ 真 宗 を中 心と した合 併 大 教 院離 脱 運 動 が 契 機 とな って ︑ 教 部 省達 が 出 さ れ ︑ 合 併. 二〇 九. 大 教 院 が 廃 止 さ れ ︑ 各宗 ご と に大教 院 を 設 け ︑ 神 仏 合 同布 教 も禁 止 され る こと と な った ︒ し か し ︑ ここ でも ﹁三条 ノ 明治前期 における ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容.

(24) 二一 〇. 教 則 ヲ遵 奉﹂ す べ き こと と ﹁試 験 ノ節 官員 ノ検 査 ヲ受 候 儀 ハ可レ為ニ従 前 之 通 一事﹂ と い う拘 束 は温 存 さ れ て い る︒. こ の通 達 を 受 け て ︑浄 土宗 も 五 月九 日︑ 増 上寺 に浄 土 宗 大 教 院 を 設 置 し ︑ 各 府 県 に中 教 院 を設 置 す る こ と と な り︑. 九 月 四 日 に は︑ ﹃浄 土 宗 大 ・中 教 院 事 務 章 程 ・規 則 ・職 制 ﹄ (以 下 ︑ ﹃浄 土宗 大 教 院 規 則 ﹄) が 通 達 さ れ た︒ 浄 土宗 大 教. 院 を 詳 細 に取 り 上げ た 論 考 は な いよ う な ので︑ ここ で は特 に︑ そ の地 位 ・職制 ・管 長 選 出方 法 ・管 長 権 限 ・本 尊 な ど に つい て言 及 し てお く ︒. まず 浄 土宗 大 教院 の地位 は︑ ﹁浄 土 宗 大 教 院 事 務章 程﹂ 第 一条 ︑ ﹁浄 土宗 大教 院 規 則﹂ 第 一条 に よ れば ︑ 浄 土 宗 の. ﹁枢 機 ﹂︑ ﹁根 基 ﹂ と し て︑ ﹁綱 紀 ﹂︑﹁布 教 ﹂ な ど を統 率 し︑ 中 小 教 院 を 管 轄 す る機 関 であ った ︒ 次 に職 制 は ︑﹁浄 土 宗. 大 教 院 職 制﹂ に よれば ︑ 管 長 を筆 頭 に︑ そ れを 補 佐 ・代 理 す る誥 教 正 ︑ 大教 院 の事 務 を司 る執 事 ︑ 布 教 を 担 当 す る議. 事 ︑ 教 学 を 担 当 す る講 究 ︑ そ し て編 輯 ・会 計 ・書 記 と から 構 成 さ れ て いる ︒執 事 のみが 定 員 が 定 ま り︑ そ の他 に は定. 員 が な か った ︒ そ れ で は︑ そ の筆 頭 に位 置 す る管 長 はど のよ う に選 出 さ れ た の であ ろう か︒ ﹁浄 土 宗 大 教院 事 務 章 程﹂. 第 八条 ︑ ﹁浄 土宗 大 教 院 規 則 ﹂ 第 二 条 に よれ ば ︑ 教 正以 上 の公 撰 に よ って選 出 さ れ た ︒ ま た ︑管 長 の権 限 は︑ ﹁浄 土 宗. 大 教 院 事 務 章 程﹂ 第 十 三条 ︑ 第 十 六条 ︑ 第 十七 条 ︑ ﹁浄 土宗 大教 院 職 制 ﹂ に よ れば ︑ 議 案 提 出 権 ︑ 大 教 院 人 事 権 ︑ 教. 導 職 考 試 権 な ど 広範 な権 限 を有 し て い た︒ 最 後 に ︑合 併 大 教 院 で は片 隅 に追 い や られ た 本 尊 は︑﹁浄 土宗 大 教 院 規 則 ﹂︑. ﹁浄 土宗 中 教 院規 則 ﹂ の共 に第 十 二条 によれ ば ︑ 阿 弥 陀 仏 を 本尊 と し ︑宗 祖 像 を安 置 す べき こ とを 述 べ て い る︒. ﹃浄 土宗 大 教 院 規 則 ﹄ には︑ 三 条 の教則 ︑ 十 一兼 題 ︑ 十 七 兼 題 な ど 神 道 的内 容 に ついて は︑ ま ったく 触 れ ら れ ず ︑. 先 の各 宗 大 教 院 設 立 の布 達 にあ る ﹁猶 厚 三条 ノ教 則 ヲ遵 奉 シ﹂ と いう 政 府 の意 図 よ り も︑ ﹁自今 各 自 可 レ致二布 教 こ と. いう 点 に重 き を 置 き ︑浄 土宗 宗 義 に則 った ﹃浄 土宗 大 教 院 規 則 ﹄ の制 定 を 試 み た と思 わ れ る︒. そ し て︑ 宗 教界 にと って念 願 であ った ﹁信 教 ノ自 由 ﹂ の 口達 が ︑ 十 一月 二 七 日 ︑教 部 省達 と し て神 仏 各 宗 各 派 管 長. 宛 に出 され た ︒ こ の 口達 は︑実 に ﹁信 教 ノ自 由 ﹂ と いう 語 が 三 ヶ所 も 出 てく る ほ ど ︑ そ れ を強 調 し た も の で︑ そ の内.

(25) 容 も︑ ﹁教 法 ヲ布 ク者 ト教 法 ヲ受 ク ル者 ﹂ の両 者 を し て ︑﹁各 自 ノ教 義 ﹂ を自 由 に教 導 す る こと が でき る よう に︑﹁行 政. 上 ノ保 護 ヲ﹂ 約束 す ると い った趣 旨 であ り︑ 実 に画 期 的 な も のと いえ る︒ し か し︑ 一方 で は︑ 各 宗 大 教 院 設 立 の布 達. と 同 様 ︑ 教 導 職試 補 試 験 の際 ︑﹁官 吏 ノ試 験 場 ニ立 会 検 査 候 儀 モ専 ラ行 政 上 ノ事 ﹂ と し て︑ そ の人 事 に は介 入 し︑ ﹁当. 省 ヨリ授 与 セ ル三条 之 教 則 ﹂ や ﹁十 七説 (十 七兼 題) 等 ﹂ を 中 心 にし て︑﹁政 治 ノ妨 害 ト ナ ラ サ ル﹂ よう に︑ ﹁人 民 ヲ. 善 誘 シ治 化 ヲ翼賛 ﹂ す る こと こそ ﹁教 法 家 ノ政 府 ニ報 ス ル所 以 ノ義 務 ﹂ であ る と規 定 し て い るな ど ︑ そ の内 容 は国 家. 主 義 的 であ り ︑未 だ本 来 の自 由 と は 言 いが た い点 が あ る こと も 見逃 し て はな ら な い ︒し か し ︑こう した ﹁信 教 ノ自 由 ﹂. の 口達 が 出 た こと に よ って︑ 各宗 が 自 由 に活 動 でき る 幅 が 広 が った の は紛 れ も な い事 実 である ︒. そ し て︑ こ の 口達 を 受 け ︑ ﹁い ち早 く ﹂ 他 宗 に先 駆 け て︑ 宗 と し て の独 立 した 布 教 活 動 拠 点 と し て 教 会 を設 置 し︑. 宗 内 寺 院 の寺檀 関係 の近 代 化 を 目 指 し た のが 浄 土宗 であ った ︒ す なわ ち︑浄 土宗 は︑ ﹁信 教 ノ自 由 ﹂ の 口達が 発 せ ら. れ た翌 十 二月 には︑ 大 教 院 から ︑ ﹃浄 土 宗 教 会 規 則 並 施設 方 法 ﹄ ( 以 下 ︑ ﹃教 会 規 則 ﹄) を 発 行 し た の であ る︒ 日 付 が 入. って いな い の で正 確 に は分 から な いが ︑ 口達 から 一ヶ月 以 内 に発 せら れ た も ので︑ 実 に迅 速 であ った ︒ ただ ︑ 古 田紹. 欽 氏 は︑ 浄 土宗 の ﹃教 会 規 則 ﹄ が 最 も 古 いと 指 摘 し て い るが ︑ そ れが ﹃明 教 新誌 ﹄ に記 載 さ れ た のは︑ 第 二 三 二号 で. あ る のに対 し︑ 第 二 二九 号 に は︑ ﹃真 言 宗 教 会 規 約 ﹄が 記載 さ れ て いる ︒ そ れ にも 発 行 年 月 日 が 記 さ れ て いな い の で. 断 定 でき かね る が ︑浄 土宗 と同 時 期 に︑ 真 言 宗 か ら も 出 て いた ことが 分 か る︒ し か し ︑真 言宗 のも の には︑ ﹁講 社 条. 三章 の教憲 十条 の誓 約 (明治 六年 五月発行教会大意)終 身 遵 守 す へき 事. 約﹂ と し て次 の よう な 条 文が あ る︒ 第 一条. 浄 土宗 の ﹃教 会 規 則﹄ に は︑ ﹁政 令﹂ に従 う べ き こと は記 載 さ れ て いて も︑ こ の条 文 の よう に︑ 三 条 の教 則 な ど に. 二一. つ いて触 れ て いる と ころ はな い︒ そ う した 意 味 で︑ 浄 土 宗 のそ れ は︑ ﹁信教 ノ自 由 ﹂ の 口達 の意 義 を 踏 ま え た 上 で︑ ﹁い ち 早 く ﹂ 出 し た も の と い え る だ ろ う ︒. 明治前期 における ﹁信教 の自由﹂ の獲 得と受容.

(26) 二. 一二. ち な み に︑ 池 田英 俊 氏 は︑ 二葉 憲 香 氏 の論 文 を踏 ま え ︑﹁仏 教 各 宗 にお け る 一宗 一派 内 の教 会 結 社 の動 向 を 探 っ て. み る と︑ 明 治 九 年 十 月 二 十 六 日 ︑﹁曹 洞 宗 教 会 条 例 ﹂ の末 派 寺 院 へ の布 達 に始 ま り︑ 次 い で同 年 本 願 寺 達 書 二五 号 に. よ る真 宗 四 派 の ﹁真 宗 教 会結 社 規 約﹂ の発 布 を み︑ さ ら に同 十 一年 二月 に は︑真 宗 か ら 二派 を 独 立 し た真 宗 本 願 寺 派. に ょ る﹁ 真 宗 本 願 寺 派 教 会結 社 条 例﹂ の発 布 を み︑ 同 十 二年 に は﹁ 天 台 宗 真 盛 派 教会 条 例﹂ な どが 挙 げ ら れ る﹂ と 述. べ て い るが ︑管 見 にょ れ ば︑ そ の前 に も前 出 の真 言 宗 の も の︑ 融 通念 仏宗 の ﹃融通 教 会 講 社 規 約 ﹄ や ︑ 日蓮 宗 不 受 不. 施 派 の ﹃教 会 講 社 条 例 ﹄ な どが 挙 げ ら れ る よう であ る︒ いず れ にし て も ︑浄 土宗 が も っと も早 く ﹃教 会 規 則 ﹄ の 制 定 ︑ 及 び ︑ 施 設 開 設 に向 け て動 き 出 七 た教 団 の 二つと い え るだ ろ う ︒. そ れ では なぜ ︑ これ ほど 迅 速 に ﹃教 会 規 則 ﹄ の制 定 が でき た のだ ろう か︒ そ の理 由 と し て︑ 第 二期 に 少 し 触 れ ︑. ﹃真 言宗 教 会規 約 ﹄ にも記 載 のあ った ︑ 明 治 六 年 八月 二 十 四 日 の教 部 省 達 の影 響 が 第 一に考 え ら れ る ︒ そ こ には ︑念. 仏講 な ど ︑ これ ま で の様 々な 結 社 や講 を 改 変 し ︑﹁三章 教 憲 (三条 の教 則)﹂ を 中 心 に据 え た 教 会 を 設 立 す る よ う促 し. て い る︒ そ し て︑ ﹁施 設 ノ細 目等 ﹂ は︑ 地 方 の状 況 に応 じ て制 定 し ︑ 後 日 ︑ 大教 院 に提 出 す べき こと が 記 さ れ て い る︒. こ の達 書 が 出 さ れ た 時 に は︑ 各宗 大教 院 は設 立 さ れ て いな いが ︑ こ の時 点 から ︑ 各宗 にお いて 教 会 の施 設 方 法 など に. つい て検 討 が な さ れ て いた に相 違 な い︒ そ の こと は︑ 教 部 省 より 出 さ れ た ﹃教 会 大意 ﹄ の ﹁誓 約 拾条 ﹂ と ︑ ﹃教 会 規. 則 ﹄ の ﹁浄 土 宗 教 会 制 規 ﹂ と ﹁浄 土宗 教 会 施 設 方 法 ﹂ と を 比 較 した ︻表 IV ︼ によ って 明白 であ る ︒ こ のよう に ﹃教 会. 規 則 ﹄ は︑ ﹃教 会 大 意 ﹄ の内 容 の ほ ぼす べ てを 受 け 継 ぎ ︑ そ れ を増 補 ︑改 訂 す る形 で作 成 し て い る こと が 分 か る︒ す. な わ ち︑ ﹁浄 土宗 教 会 制 規 ﹂ 第 一条 の意 義 ︑ 第 二 条 の名 称 ︑第 四条 の法 式 ( 但 し書 き は除 く )︑第 九 条 の施 設 ︑ 第 十 条. の会 計 ( 但 し書 き は除 く) を 除 けば ︑ す べ て そ れ に対 応 す る条 文 が ﹃教 会 大 意 ﹄ に見 いだ せ る ︒ し か し︑ ﹁浄 土 宗 教. 会 制 規﹂ 第 三条 で は︑﹁三章 教 憲 ﹂ に代 わ って ︑﹁諸 上善 人 倶 会 一処 ノ経 説 ニ依 リ ﹂︑ ﹁浄 土 ノ妙 果 ヲ期 ス ル﹂ と いう 浄 土宗 教 義 を 前 面 に出 して いる ︒ ま た︑ ﹁教 会 施 設 方 法 ﹂ 第 十 条 で は ︑.

(27) ︻表 IV ︼. 二一 三. 教 部 省 達 ﹃教 会 大意 ﹄ 中 ﹁誓 約 拾 条 ﹂ と ︑ ﹃浄 土宗 教 会 規 則並 施 設 方 法 ﹄ 中 (A) ﹁浄 土 宗 教 会 制 規 ﹂・(B) ﹁浄 土. 宗教会施設方法﹂比較 表 (A ). 明治 前期 におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得と受容.

(28) 二 一四.

(29) (B ). 一︑ 浄 土宗 ノ安 心 起 行 終 身 退 転 セ サ ル事 ︒ 一︑ 異 端 邪 説 ヲ 信 仰 セ サ ル事 ︒. と 示 し︑ 浄 土宗 義 の要 であ る ﹁安 心 ・起 行 ﹂ を も ってそ の誓 約 と し て い る ︒. こ のよ う に︑ ﹃教 会 大意 ﹄ の布 達 を 受 け︑ それ を範 と し て教 部 省 に提 出 す べ く ︑ す で に宗 内 に お いて検 討 して い た. も のを ︑﹁信 教 ノ自 由 ﹂ の 口達 に よ って 改 変 し︑ 自 宗 の教義 を 前 面 に出 し た の で は な か ろう か︒. な お ︑ 教会 の組 織 ・施 設 方 法 は︑ ︻表 V ︼ に示 す が ︑ そ の組 織 の要 を と って い えば ︑ 各 府 県 下 に お かれ た中 教 院 を. 二 一五. 会 本 (総 教 会) と し︑ そ の中 教 院 長 か教 導 取 締 が 総長 とな って︑ 各 寺 院 を ( 諸 ) 教 会 と し︑ そ の住 職 を 会 長 ︑檀 信徒. を 会 衆 と し︑ そ こ か ら 二名 以 上 の世 話 掛 を 選 び ︑ そ こ で布 教 ・伝 道 が な さ れ る と いう の であ る ︒ 明治 前期における ﹁信 教 の自由﹂ の獲得と受容.

(30) 二一 六. ︻表 V︼ 浄 土 宗 教会 の組織 ︑ 及 び︑ 施 設 方 法 ( ﹃浄 土 宗 教 会 規 則 並施 設方 法 ﹄ によ る︒). 施設方法. 1︑ 組 織. 2︑. いを 立 て る︒. (会 1) 本 ( 総 教 会 ) の設 立 に付 き ︑ 宗 所 定書 式 の願 書 ( 各 寺 院 総 代 名 ・教 会 総 長 名 を 連 署) を も って ︑各 府 県 長 官 へ伺. (2) に許( 可1が)出 た ら ︑ そ の書 面 を 添 え て︑ 大 教 院 宛 と教 部 省 宛 の願 書 二通 (そ れぞ れ に各 寺 院 総 代 名 ・教 会 総 長 名 を.

(31) 連 署) を も って︑ 大 教 院 を通 じ て教 部 省 に願 い出 る︒ これ に よ って会 本 は設 立 さ れ る ︒ (3 会) 本 設 立 後 ︑各 寺 院 に ( 諸 ) 教 会 を設 け る毎 に︑ 大教 院 か ら申 立 番 号 を 受 け 取 る ︒. () 4 申 立 番 号 を 受 け 取 り ︑教 会設 立 の後 ︑ 宗 所 定 書 式 の届 け ( 教 会 長 名 ︑ 教 会 総 長 名 を連 署) を ︑ 大教 院 ︑ 各 府 県 長 官 ︑ 教 部 省 に提 出 す る ︒. (5 ま) た︑ 教 会 が 設 立 さ れ た ら ︑教 会 の所 在 と︑ 会 長 名 と ︑ 会 衆 の戸 数 と人 数 な ど を 記 し た届 げ を 大教 院 に提 出 し︑ 毎 年 ︑ 会 衆 の増 減 を 記 し て提 出 す る ︒. こう した 教 会 活 動 は︑ 合 併 大 教院 に端 を発 した 制 度 と は いえ ︑封 建 社 会 を 背 景 に し て根 を 張 って いた これま で の寺. 檀 関 係 が ︑ そ の背 景 の崩 壊 にょ り ︑ 再 構築 を迫 ら れ て いた 際 の仏教 各 宗 派 にと って ︑ そ の存 続 を も 占 う重 要 な 試 金 石. と 位 置づ け ら れ た であ ろ う ︒ そ の遠 因 には︑ 先 に触 れ た 明 治 六 年 二月 二四 日 の禁 制 高 札 の撤 去 を 受 け て ︑ そ の勢 力 を. 伸 張 し︑ 仏 教 教 団 の脅 威 と 映 って き た キリ スト教 の教 会 制 度 も あ った と思 われ る︒ す な わ ち︑ や や も す れば ︑ 先 祖 回. 向 儀 礼 の みを 行 って いた 檀 那 寺 と檀 家 と いう 上意 下 達 的 な 従 来 の硬 直 関 係 を 踏 ま え た 上 で︑ さ ら に︑ 会 長と 会 衆 と い. う キリ スト教 的 な ソ フト な 寺檀 一体 と な れ る新 た な 関 係 を 作 り 出 そ う と し て いた の で はな かろ う か︒ そ う し た 教 会. で ︑寺 檀 一体 と な る 効 果 と 共 に︑ 檀 信 徒 の再 教 化 と いう 意 味 合 いを 込 め て︑ 会 衆 と 共 に行 わ れ た のが ︑﹁浄 土 宗 教 会. 制 規 ﹂ 第 四 条 で述 べ ら れ る 別 冊 の ﹃教 会 行儀 式 ﹄ であ る︒ こ の ﹃教会 行儀 式 ﹄ は︑ 近 代 初 の宗 定 在 家 用 勤 行 式 と い. え ︑ こ こ に至 って 初 めて 信 教 の自 由 を 寺檀 共 に分 か ち合 え る ことが 可能 とな った の であ る︒ さ ら に︑ こ の勤 行 式 は︑. 次 に述 べ る ﹃浄 土 宗 鎮 西 派 規 則 ﹄ ( 以 下︑ ﹃ 鎮 西派 規 則 ﹄) に定 めら れ た 出 家 用 勤 行 式 と いえ る ﹁恒 式﹂ よ り も早 期 に 実 現 さ れ た も の であ り ︑ 実 にそ の意 義 は 大き い ︒. 一二 七. 同年 八月 二十 九 日 ︑ 教 部 省 から ﹁各 宗 従来 遵 守 之宗 規 ﹂ を ﹁精 密 取調 ﹂ べ ﹁速 ニ﹂届 け さ せ る布 達 が 出 さ れ た ︒ こ 明治前期 におけ る ﹁信 教の自 由﹂ の獲得と受容.

(32) 一二 八. れ を受 け て︑ 各 宗 派 は そ の編 纂 にあ た った と 思 わ れ るが ︑ そ の約 三ヶ 月後 の 十 一月 二 二 日︑ 先 の布 達 に追 加 す る 形. で︑ 再 び 教 部 省 達 が 出 さ れ た こと が ﹃明 教 新 誌 ﹄ 第 二 〇 四 号 に記 載 さ れ て い る︒ そ の布 達 で は︑ ﹁立宗 分 派 之 原 由 ﹂︑. ﹁宗 派 を 創 立 せ し人 の履 歴 並 本 寺 伝 燈 ﹂︑ ﹁学科 ﹂︑ ﹁法 式 ﹂ の こと を も制 定 ︑ 提 出 す べ き こと が 記 さ れ て いる ︒ 正 に ご. の教 部 省 達 が 発 端 と な って︑ お よそ 規 則 と は 趣 の異 な る ﹁恒 式﹂ など が 記 載 さ れ る こと と な る ︒. 明 治 九 年 (一八九六)︑ ﹃明 教 新 誌 ﹄ 第 二四 〇 号 に よれ ば ︑浄 土宗 で も 大会 議 が 開 かれ ︑議 長 徹 定 ︑ 副 議 長 石 井 大 宣. 以 下︑ 総 数 二九 名 の者 が 論 議 を 重 ね ︑ 教 部 省 達 に沿 う形 で ︑ 二 十条 から な る宗 規 案が 形 作 ら れ て い った ︒ 同 じく ﹃明. 教 新 誌 ﹄ 第 二四 一号 に は︑ こ の大 会 議 の宗 規 案 に つい て︑ そ れが 時 宜 に適 った も のであ るが ︑未 だ 教 部 省 か ら の許 可. が お り て いな い の で︑ 徹 定 以 下 二十 名 の七 言 四 句 の詩歌 を記 載 す ると 伝 え て い る︒ そ の後 ︑ いか な る 経過 を 経 て ﹃鎮. 西派 規 則 ﹄ に至 った の か は︑ 現 時 点 で は詳 細 に確 認 し得 な いが ︑ 大 会 議 の際 の議 長 ・論 頭 でも あ り ︑ 大 教 正 知 恩院 住. 職 と し て ﹃鎮 西派 規 則 ﹄ に ﹁序 ﹂ を 付 し て いる 徹 定が ︑ ﹁是 以 本宗 諸 本 山 並諸 檀 林耆 宿 会 議 討 論 凡 三閲 月 卒 業 ﹂ と 述. べ て い る よう に︑ 教 部 省 達 が 出 た 直 後 か ら 大 会 議 が 開催 さ れ ︑ そ れが 三 ヶ月 間 継 続 し て 行 わ れ て いた こと が分 か る︒ そ し て 三月 十 七 日 の近 代 初 の宗 規 であ る ﹃鎮 西 派 規 則﹄ の布 達 と な る の であ る︒. 徹 定 は ﹁序 ﹂ に︑ ﹁折 衷 古 今 商 量 公 私 確 定 一宗 之 権 限 ﹂︑あ る い は︑ ﹁全 国寺 院 僧 侶 永 遠 格 守 ﹂ と 記 し︑ 永 遠 な る 浄 土 宗 宗 規 を 制 定 す る のだ と いう 強 い意 気 込 みが 感 じ ら れ る︒. ﹁序 ﹂ の次 に は︑ 三条 か ら な る ﹁例 言﹂ が 付 さ れ て い る︒ ﹁例 言﹂ で は︑ 始 め に 三章 の章 毎 の概 要 を 示 し︑ 次 に そ. の制 定 の方 針 及 び 記 載 の体 裁 を 示 し ︑最 後 に宗 祖 ・派 祖 の履 歴 を 載 せた こと な ど が 述 べ ら れ て いる ︒ そ の後 ︑﹁目 次 ﹂. が あ るが ︑ 先 に述 べ た 大 会議 の ﹁宗 規議 目﹂ と比 較 し て示 せば ︑ ︻表VI ︼ のよう にな る︒ こ こ から も明 ら かな よう に︑. 章 立 てを 行 った こと ︑ 第 一章 第 六 条 と第 九 条 の傍 線 を示 した 語 句 の異 同 が あ る こと ︑第 三章 と 附録 の順序 が 異 な って. い る こと のみ の相 違 であ り ︑ 大 会 議 の議 目 を ほ ぼ そ のま ま踏 襲 した こと が 分 か る ︒ な お ﹃鎮 西派 規 則 ﹄ の内 容 に つい.

(33) て は︑ か つて伊 藤 唯 真 先 生 が ︑詳 細 な検 討 を 加 え て い る の で︑ こ こ で は注 意 点 を指 摘 す る に留 め た い︒. まず ︑ 第 一章 第 三条 ﹁学 科 之 事﹂ で は︑ 従 来 の増 上 寺 と 深 い関 係 のあ る冏 聰 二師 を 中 心 にし た い わゆ る九 部 宗 学 に. 代 わ り ︑ 三経 一論 二祖 三代 中 心 の ﹁学 科 正則 ﹂ と ︑ 仏 教 のみ にと ら わ れ ず 政 治 ・社 会 ・歴 史 を は じ め様 々 な 髄 疇 の. ﹁入 一法 句 ﹂ ま で 一貫 し て浄 土宗 義 に沿 う 形 で構 成 さ れ て い る. ﹁学 科 雑 則 ﹂ と か ら構 成 さ れて いる ︒ こ の中 ︑ ﹁雑 則 ﹂ に ﹃古 事 記 ﹄︑ ﹃日本 書 紀 ﹄ と い った神 道 的 ︑ 国 家 主 義 的 書 物 が 多 く 取 り 入 れ ら れ て いる こと ︑﹁宗 義 開 出 ﹂ から. ﹃浄 土宗 鎮 西 派 規 則 ﹄ 目 次 と 浄 土宗 大 会 議 の ﹁宗 規 議 目 ﹂比 較 表. 一二 九. ﹁正 則 ﹂ に ﹁治 国利 民﹂ と いう ︑ や は り これ も国 家 主 義 的 色 彩 を 思 わ せ る ﹁論 題 ﹂が 温 存 さ れ て いる こと は留 意 し て おく 必 要 が あ ろ う ︒. ︻表VI ︼. 明治 前期 におけ る ﹁信教 の自由﹂ の獲得 と受容.

(34) 第 四条 ﹁法 脈 伝 承 之 事 ﹂ で は︑ 先 年 の京 都 四箇 本 山 への伝 法 権 割 譲 を 確 認 し て い る︒. 二二〇. 第 六条 ﹁学 席 課 業 之 事 ﹂ で は︑ 従 来 の法 問 ・講 釈 に加 え て︑ 説 教 を 筆 頭 に据 え︑ そ の重 要 さ を 示 し ︑各 寺 院 で月 三. 回以 上 の説 教 を 義 務 づ け て いる ︒ な お ︑牧 達 雄 氏 は︑ 布 教 重 視 の姿 勢 が ︑ 浄 土宗 大 教 院 の設 立 当初 か ら 叫ば れ て いる. こと を指 摘 し︑ 各 寺 院 に お い て ﹁毎 月 三度 以 上 ﹂ の ﹁教筵 ヲ設 ヶ﹂ る べき 明 治 八年 十 一月 十 五 日 の知 恩 院記 録 ﹁決議.

(35) 録 ﹂ を 引 用 し て い る︒ こ の姿 勢 が ︑ ﹃鎮 西派 規 則 ﹄ に引き 継 が れ た こと は間 違 いな い であ ろ う ︒. 第 二章 第 一条 ﹁本 寺 末 寺 之 事 ﹂ で は︑ 総 別大 本 山 の制 定 と そ の由 来 や 順 序 次 第 を確 認 し︑ さ ら に︑ 増 上寺 の管 轄 す る寺 院 の地 域 な どが 記 さ れ て い る︒ 第 二 条 ﹁総 本 山 ノ事 ﹂ で は︑ 知 恩院 や管 長 の権 限 を 明 確 にし て い る︒. 第 三条 ﹁総 録 所 ノ事﹂ で は︑ 総録 所 を増 上寺 から 各 本 山 共 立 の大 教 院 に移 す ことが 示 さ れ て い る︒. 第 三章 第 一条 ﹁法 式 之 事 ﹂ では︑ ﹁恒 式 ﹂ と 名 付 け ら れ た勤 行式 が 大 教 院 によ って制 定 さ れ︑ 近 代 初 の宗 定 勤 行 式 と な る︒. 以 上 ︑ 簡 略 に そ の注 意 点 を 列挙 し てき たが ︑ そ の条 文 の文 言 こそ ﹁旧 規古 則﹂ に拠 る と は いえ ︑ これ ま で の増 上寺. 徹 定 上 人 であ り ﹂︑﹁徹 定 上 人 の地 位 は極 め て 大. 中 心 の宗 政 から ︑ 総 ・大 本 山 を中 心 と した 集 団 指 導 体 制 へと改 変 し た と 考 え ら れ る ︒伊 藤 唯 真 先 生 は ︑ ﹃鎮 西 派 規 則 ﹄ の制 定 を ︑ ﹁教 法 権 の拡 張 を 目標 に知 恩院 の改 革 に着 手 し た のが 養. き ﹂ い と指 摘 し︑ ﹁知 恩院 への集 権 化 運動 ﹂ と し て捉 え て い る︒ そう した 動 き の背 景 には︑ これ ま で見 て き た よ う に︑. 仏 教 界 を 取 り巻 く 状 況 が 封 建制 度 から 近 代 社 会 に変 容 し ︑ そ の宗 教 政 策 も 百 八 十度 変 わ り︑ 江戸 幕 府 と増 上寺 の緊 密. な 関 係 が 崩 壊 し て し ま った ︑ と いう こ とが 第 一に挙 げ ら れ る であ ろ う ︒ ま た︑ そ う し た動 きが ︑ 従 来 の法 問 ・講 釈 の. 上 に説 教 を 設 定 し︑ 各 寺 院 にお い て月 三度 以 上 の布 教 ・伝道 を 義 務 づ け る と いう 姿勢 を 生 んだ と 思 わ れ る︒ つま り ︑. これ ま で封 建 制 度 の上 で惰 眠 を貪 って いた こと への反 省が ︑ そ う し た 姿勢 の表 明 とな って表 れ た のであ る︒. ま た︑ ﹃鎮 西 派 規 則﹄ を 信 教 の自 由 の視 点 か ら 見 た 場合 ︑ ﹁学 科 正 則 ﹂ の ﹁治 国利 民﹂ な ど に多 少 国家 主 義 的 色 彩 が. 残 存 し て い るが ︑ す で に見 た ﹃浄 土宗 大 教 院 規 則 ﹄ や ﹃教会 規 則 ﹄ な ど と 同様 ︑ 自 宗 独 自 の立 場 で編 纂 さ れ て い ると 思 われ る︒. 二二一. 二月 十 三 日︑ 教 部 省 達 によ って転 宗 転 派 の自 由 が 許 可 さ れ た ︒ ま た︑ 一月 二 五 日 に は ﹃浄 土宗 大 教 院 規 則﹄ にも と 明 治 前 期 に おけ る ﹁信 教 の自 由 ﹂ の獲 得 と受 容.

参照

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