明治期の哲学受容再考 〈宗教と科学〉問題を軸に
著者
相楽 勉
著者別名
SAGARA Tsutomu
雑誌名
国際哲学研究
巻
8
ページ
159-165
発行年
2019-03
URL
http://doi.org/10.34428/00010727
明治期の哲学受容再考
—〈宗教と科学〉問題を軸に—
相楽 勉
明治期における哲学受容を考える際、最初に受容された哲学がいわゆる古典哲学ではなく、同時代の哲学 だったことに改めて注目したい。西周がオランダで学んできた哲学にはコントの実証主義の影響がみられる こと、あるいは井上円了など東京大学に学んだ哲学者たちがスペンサーの進化論の影響を受けたことなどに ついてはこれまで多くの研究が示してきたことであるが、その背景の事情まで踏み込んだ研究が近年始まっ ている。それらの成果を参照しながら、明治期の哲学受容史研究の新たな課題を見定めたい。1.19 世紀西欧における〈宗教と科学〉問題
西周に影響を与えたとされる実証主義(Positivism)はオーギュスト・コント(Auguste Comte,1798-1857) に由来するが、この考え方の背景はフランス革命後の政治的に不安定な社会情勢にいかに対応しうるかとい う問題意識だった。「すべては相対的である。政治学においても、他のいかなる科学においても、すべては 観察された事実に基づいていなければならない。それによってあいまいで仮説的な思想は根絶されるだろう」 (友人ヴァラへの書簡)とコントは言う1。彼の言う「あいまいな仮説的思想」とは、理性のアプリオリな能 力による自己知の「内的観察」に基づくと称し、自己以外のすべてを否定した「絶対的知識」としての啓蒙 思想や形而上学だった。彼は「実証的」(positive)という概念を、啓蒙思想や形而上学の「否定的」(negative) 本質に抗して提起しているのである。 コントによれば人類の知的発達は「必然的に三つの理論的段階を通過する」(=三段階の法則)のであり、 神学的段階、形而上学的段階を経て「観察」に基づく「合理的実証性という最終段階」(=実証的段階)に導 かれる2。他方、この最終段階である実証的学は、数学から始まり、天文学、物理学、化学、生物学、社会学 に達する順序関係込みで分類される(「分類の法則」)。これらは「一般性の度合い」によって先行する科学 に一定程度依存し(例えば天文学以降は数学に依存する)、従来形而上学的理解に留まっていた「人間精神 の一般史」としての社会学に達する3。 西周がこのようなコントの哲学と学問一般に関する見方を継承していることは、彼自身の度重なるコント への言及を含めて明らかである。それは西が「哲学」に求めたことを表してもいる。『百一新論』の末尾で言 及される「哲学」とは「百教一致の方法」ということだったが、それは従来の「諸教」ということで想定される 仏教や儒教を、宗教として持っている固有性には立ち入らないで「人ノ人タル道」の教えとして受容する方 法である。コントの実証哲学にも究極の観念に関わる宗教には立ち入らないという前提があった。 これに対して、東京大学の主に外国人講師たちによって伝えられ、明治期の社会思想にも大きな影響を与 えたハーバート・スペンサー(Herbert Spencer, 1820-1903)になると少し事情が異なる。自由民権論者に とっても政府の高官にとっても関心の的となった「スペンサー」とは、生物学上の学説としての進化論を社 会形成の原理にまで拡張した「社会進化論」の提唱者だった。だが彼の「綜合哲学体系」の始まりをなす『第 一原理』(FIRST PRINCIPLES,1862)の「不可知者」(THE UNKNOWABLE)と名付けられた第一部冒頭で提 起された問題が「宗教と科学の融和」だったことこそ明治期の哲学受容にとっては大きな問題だったと思わ れる。ギリス国内の社会状況と関わりがある。スペンサーはコントのように科学的な実証による哲学だけに依拠す ることができなかった。『第一原理』冒頭で、「宗教には人間が相対的なものや間接的なものにのみ没頭する ことから守ることや、それらを超越した何者かへの意識を呼び覚ます役割がある」4にもかかわらず、宗教は 「知識を超越した知識」の公言によって自己矛盾し「非宗教的(irreligious)」なものに成り下がっている。 他方「科学」は宗教の非宗教的要素の暴露によって宗教の「純化」(purification)に寄与しながらも、「力」 概念のようにそれ自身科学的に探究しえないものを推定する非科学性を持っている。宗教と科学は「自然」を 意識する二つの観点(aspect)であり、それゆえ「必然的な相反者」5なのだ。知識の進歩に従って一見超自然 的事実が自然的事実の範疇に入ることもあり、説明された自然的事実が究極の起源(ultimate genesis)にお いては「超自然」であることが判明しもする。「信仰」(Belief)とは「初めも終わりもわれわれの知識や概 念を超えている大いなる進化の要素」なのだと言う6。 このような「不可知者」への展望を以て「可知者」に関する知識的展開をたどっていく『第一原理』の議論 を最初に紹介した一人が、東京大学において最初の哲学史講義を担当したフェノロサと考えられる。村山保 史の調査によれば、フェノロサは「可知的な相対者に対する知識の立場と不可知者(the Unknowable)とし ての絶対者に対する信仰の立場を区別しようとした」スペンサーの考え方から影響を受けつつ、哲学と科学 の区別を説明したということである7。 この講義を聴いた受講者のうちに、井上哲次郎、井上円了、清沢満之がいたことは明らかとなっている。 フェノロサの紹介したスペンサーの『第一原理』が彼らに与えた影響に関しては、長谷川琢哉の諸研究があ るが8、それらも参照しつつ、特に井上円了と井上哲次郎において「宗教と科学」問題がどのような意味を持 ったかを確認したい。もちろん彼らにとってこの問題は、スペンサーがこの問題に当面した事情とは異なっ ているだろうが、それでも科学によってもたらされた新たな価値観への対応という同時代性はあると思われ るのである。
2.井上円了にとっての宗教と科学
井上円了のスペンサーへの言及は、初期著作である「哲学要領」前編(1886 年 6 月)と「哲学一夕話」第二 編の序(1886 年 10 月)に既に見られるが、両者とも「不可知的」説に批判的である。特に「哲学要領」前編 における「スペンサー氏学派」という項目において、スペンサーは進化の原理において「可知的と不可知的 との二境」を分け、「不可知的」は人知の及ばないものとして不問に付し「可知的」のみの解釈をするが、「可 知境の外に不可知境を立てたるがごとき」は空想的だと評し、またスペンサーがドイツと「イギリス従来の哲 学」を結合する点を評価しながら「進化に偏し」ている点を批判している9。 もっとも円了は西欧の近世哲 学全体が何らかの偏向をもって「中正の論」に達していないことを確認してその可能性を後来の「東洋」に望 むという結論に達するので、スペンサーも将来「中正の論」に向かう一つの契機と捉えられている。 そして哲学方法論の進化を構想する「哲学要領」後編では、スペンサーへの言及はますます増えている。こ の後編は哲学史の流れではなく「物心二元論」をめぐる哲学的論理の発達関係が問題になるが、注目に値す るのは「進化原理」が組み込まれていることだ。「物心二元」の最初の解決がイオニア学派とされるように、 哲学史上の議論も参照されるが、それに関連して直ちに「今日の唯物論」が取り上げられる。唯物論におい て人間の「心性作用」は「神経系統中にある」と考えられ、生命の「有機作用」も「無機」からなると考えら れると言う。ただこの「無機」から逆に「有機作用」や「心性作用」がいかに形成されるかという場面で「進 化原理」が提起される10。 ここで注目したいのは、円了は進化論が「ダーウィン」によって「実証を得た」点を評価しながら、直ちに進 化原理を拡張解釈して「天地万物、社会思想ことごとくその原理に従って変化を営むゆえんを知るに至る」 11 と言っていることだ。それは高度の「心性作用」と言いうる「哲学」にも当然該当する。円了はこの唯物論が、 進化する「物の本体」とはそもそも何かという問いに達して「非物の体」に直面せざるを得ないと結論付ける。それは物理的には「不可知」であり、それを知る方法は「心理」しかないと言う12。この論法自体が『第 一原理』を想起させる。円了はスペンサーの「不可知者」を批判しつつも、それが「進化原理」の核であるこ とを認めてもいると考えられる。 ではスペンサーが進化論哲学の前提としていた「宗教と科学」問題は円了にとってどのような意味を持つ のだろうか。『仏教活論序論』によれば、円了は諸教を遍歴して「哲学」に出会い、哲学を通じて「仏教を改良 してこれを開明世界の宗教となさんことを決定するに至る」13ことになった。その前提として「護国愛理」 がある。真理を重んじない国は亡びるという社会に対する洞察もこの語に籠められており、その真理とは単 なる科学に留まらない宗教上の真理だった。他方、宗教的な「不可知者」を無視する実証科学側の知見を宗教 的真理と媒介するのが円了にとっての「哲学」だったと思われる。スペンサーとは背景が異なるが、科学か らすると「不可知者」に留まる宗教の社会的意義を確立するという使命感を円了の哲学に看取することがで きる。
3.井上哲次郎の「現象即実在論」における宗教と科学
井上哲次郎の「現象即実在論」が『第一原理』の議論と深くかかわることは、スペンサーへの言及いかん にかかわらず直ちに看取できるのだが、直接の言及としては「スペンセル氏は世界の実在を不可知的と名付 けたるが、不可知的は吾人が実在に就きて断言し得べき一の事実なり」14が挙げられる。哲次郎の「実在」 (reality)概念は、明らかにスペンサーの「不可知者」に関係している。この関係について哲次郎自身はさらに 「哲学と宗教」という講演でも触れている。それによれば、進化論には「運動の起源」を問えないという哲学 上の弱点があるが、スペンサーは「不可知的の実在」を立てた点で「根本的の物」に触れている。ただしそれ を「現象界以上のもの」従って「哲学の範囲以外のもの」として立てたが故に、その実在は哲学と別問題になっ ていると評している15。つまり、「不可知者」を哲学問題として立てたのが「現象即実在論」だと哲次郎は言い たいのである。ただ、哲次郎はスペンサーが「不可知的」を立てたのが宗教と科学を調和するためだったこと は認めている。 それでは哲次郎の「現象即実在論」は「宗教と科学」問題に対してどのような解決を考えていることになる だろうか。まず、「現象即実在論」の背景に彼が学生時代に原坦山(1819~1892)の「仏書講義」で聴いた『大 乗起信論』の影響が考えられる16。そもそも「実在」と訳された reality の訳として『哲学字彙』に彼が当初 採用した語の一つが「真如」であり、その選定理由を『起心論』によって説明している。この講義は次の西 田幾多郎世代の哲学徒たちも聴講しており、西田の『善の研究』にも関わりを持つ。さらに、哲次郎は哲学 科教授就任の翌年(1891)から7年にわたり「比較宗教及東洋哲学」という講義を担当し、「仏教前哲学」(六 派哲学)から「仏教起源史」までを講じたことが明らかになっている17。特に後者に際してパウル・ドイセン やリス・デイヴィスなど西洋の原始仏典研究を参照している点、他方大乗仏典をもカント、ショーペンハウ アーなどの西洋思想と並ぶ意義を持つと評価している点などが注目される18。 これらの「仏教」にかんする学習と研究、さらに講義経験を通して、哲次郎がスペンサー『第一原理』の 「宗教と科学」問題を同時代の仏教研究と関連付けて受容したことと「現象即実在論」という哲学的立場の設 定は深くかかわる。論文「認識と実在の関係」の最後の部分において、哲学の目的は「実在の観念を明晰に する」にあるが、「宗教」もまた「実在の観念によりて起れり」と述べられている19。また、哲学と宗教の違 いは、前者が仮説や神話に依るのではなく「知的考察」によって「実在を写象せんとする」のに対して、後 者は「実在を装飾するに人的性格を以てす」ことにあると言われている20。 哲次郎にとって「宗教」は個人の人格的関わりに担われるもので、「哲学」はそこにおける「実在」(=不可 知者)を知的に把握する立場と考えられている。「現象即実在論」は「現象」の科学的探究のうちに現れないが、 探究全体が基づいている根底を「実在」として問う。それは科学知が支配的な時代趨勢の内で、従来「宗教」 が担ってきた全体観を普遍的な「知」として提供する哲学の立場を表明したものとも言える。4.西田幾多郎『善の研究』における宗教と科学
西田幾多郎が東京帝国大学で哲学を学んだのは哲次郎が教授に就任した 1890 年代であり、円了、清沢の 次の世代に属す。スペンサーの強い影響は見受けられないが「現象即実在論」の問題意識は受け継いでいる ように思われる。ここでは最初の著作『善の研究』(1911)において「宗教と科学」問題がどのように扱われ たかという点のみ顧みることにする。 言うまでもなくこの著は「宗教」編を以て終わる。それは第三編「善」の到達点から自然に出てくるようにも 思われる。なぜ「実在」に関する形而上学的議論で始まる著作が「宗教」で終わるのか。西田が教職を探す際 に自分の専門が形而上学であって倫理学ではないことを繰り返し強調したことを思えば、この著の前半と後 半第三編以降の論題は不整合とも思える。この時期の西田の「宗教」への関心を振り返る必要がある。 や哲学の事を考へず」21と言っており、学的関心とは区別されていた。だが、仏教に関する学問的関心に関し ては、哲次郎の項でもふれた『大乗起信論』との関わりが無視できない。1903 年 6 月 11 日の日記に「起心 論一巻読了。余は時に仏教の歴史的研究をもなさんと欲す」とあるが22、その背景として東京帝国大学在学中 に聴いた井上哲次郎「比較宗教及東洋哲学」講義や鈴木大拙との思想的交流が考えられる23。『大乗起信論』 に関する言及は『善の研究』にはないが、「純粋経験に関する断章」という構想ノートに若干の言及がある。 「仏教の大綱」と見出しのある部分に、「仏教は派に由りて種々に変じ居れども元来無神論であつて万有神教 である。万物の本は一であつて之を真如と名づく、即一元論である」24 とある。また宗教一般に関する関心 を示すものとしては、1904 年初頭にウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』(1902)を読み始めた記 述が日記にあり25、研究ノート類にもジェイムズへの言及がみられるようになる26。単に仏教のみならず宗教 一般への関心が、「不可知者」を「実在」として哲学に取り込んだ哲次郎の「現象即実在論」への新たな応答を 導いたとも推測できる。その際、他ならぬジェイムズの「純粋経験」概念が補助線になった可能性も考えられ る。 西田が「純粋経験」を論じたジェイムズの論文を読んだ時期は確定できないが、「純粋経験に関する断章」の 「断片 9」27で「関係の要素」も経験の一部と考えるジェイムズ説が紹介されている。西田の「純粋経験」概 念がジェイムズのみに依拠したものとは言えないが、少なくとも同じ問題意識を共有しているように思える。 ジェイムズは知覚の要素のみを事実とするヒューム派の経験論に対して、知覚同士の関係も「実在的」(real) とみなすべきと主張し、これを「根本的経験論」(radical empiricism)と呼んだ28。これは哲次郎が知的考 察の内部に取り込み切れなかった「不可知者」としての「実在」を「経験」の中で論じることを可能とするア イディアとも考えられる。 この西田の「実在」体系論が、明治期哲学における「宗教と科学」問題に関しどの程度の解明を与え得たの か否かを、最後に『善の研究』第三編「善」に即してみてみたい。 この第三編は「我々人間は何を為すべきか、善とは如何なる者であるか、人間の行動はどこに帰着するべ きか」などの倫理問題を論じる部分であるが、その最初の章「行為 上」が「行為」の心理学的分析に充て られているのが特徴的である。この科学的考察は問題の所在を際立たせる役割を果たしている。まず「行為」 とは、「反射運動」や「本能的動作」と区別される「意志」に基づく動作とされる。西田は「意志」を生起させる 種々の要素(苦楽の情、結果の観念、運動の観念)を分析し、さらにその意識作用としての特質を「思惟」 や「想像」と比較して区別する一方、それら三者は観念の統一作用として根本においては一つと考えられると 言う29。 この心理学的な分析を踏まえ、「第二章 行為 下」においては哲学的考察が展開される。「意志」は目的 観念に向けて手段となる諸観念を結合する働きだが、その際「目的観念」は「自己および自己の種族におけ る生活の維持発展」に尽きるのか否か、また意志が「有機体の物質的作用」としてもその物質は単に「機械力 のみを具する」のか「自然の合目的力」を含むのか否かは分析を重ねても最終根拠には至らず「真理は単に相対的」に留まる。それなら、むしろ「分析より綜合に重きを置いて」、今日主流の科学者たちが採用しない 前提である「合目的なる自然」を出発点にすることも可能ではないかと西田は言う30。この部分が「現象」 の分析たる科学的考察から哲学的経験論への転換あるいは止揚とでもいうべき箇所である。そこから「意志」 を「自己の最深なる内面的性質」と結びつける「第三章 意志の自由」の議論が導かれる。 このような「意志」理解を前提として、第五章以後で「行為の善」の基準をめぐる倫理学が展開される。従 来の倫理学における「直覚説」「権力説」「主知説」「快楽説」各々の利点と欠点の吟味を経て、善悪の判断は 「意識の内面的要求」に依るものであり、それは「快不快の感情」より根本的な「意識の先天的満足」に基づく 活動によって得られるという結論に至る。この説が「プラトー、アリストテレース」に由来する「活動説」 であると言われる。(「第九章 善(活動説)」)。 「第十章 人格的善」以後に関して注目すべきは、「行為の善」に関する段階あるいは階梯が考えられて いることである。この章で「行為の善」は、まず「種々なる活動の一致調和或いは中庸」とされる31。アリ ストテレスが「人柄の徳」とした過剰と過少の「中(メソン)」が念頭に置かれているが、それに従って「本 能活動」の中庸、「精神の根本作用」に従う活動の中庸などの段階、さらにそれらの上に「理性の法則」に従 う「最上の善」が考えられる。 この「理性の法則に従う」所から、意識の「深遠なる統一力」である「人格」が話題となる。これは「本 能作用」を超えた「意識統一」であり、「表面的意識の中心として極めて主観的なる種々の希望の如き者を いうのではない」。むしろ「これらの希望を没し自己を忘れたる所に真の人格は現れる」と言う32。「行為の 善」は「人格の実現」にあると言われるに至る。 西田はこの「人格」概念を「カントのいった様な全く経験内容を離れ、各人に一般なる純利の作用」では なく「その人その人に由りて特殊の意味を持った者」とする33。ここから具体的な善行為の内容的区別も考 えられる。「第十二章 善行為の目的(善の内容)」において「人格の実現」はまず「個人性の実現」と言わ れる。その上で「個人的善」より「一層大なる社会の善」が考えられると言う34。この段階として西田が考 えるのは、まず「男女相合して一家族をなす」活動、次が「国家」を成す活動、最後に「人類的社会の団結」 である35。西田の「人格」概念は個人のみならず、社会的意識にも適用される。 最後の「第十三章 完全なる善行」において、「人格の実現」としての善行の極は「主客相没するという 所」にあると言われる36。それは「中庸」に基づく「個人性の発展」から「人類一般の統一的発展」まで達し た先にある可能性というよりも、これらすべてに関わる自己のあり方の根本的変容のようである。「個人性 の発展」の為にも「家族」「国家」の発展のためにも、「主観的な希望」への囚われを捨てそういう「自己を忘 れる」ことが必要とされたが、それは同時に真人格の「内面的要求」に従うことだった。今や問題になるの は、その「内面的要求」すなわち「内に大なる満足を与える者」が「事実においても大なる善」と言えるの かということだ。西田はここに至って「自己と宇宙とは同一の根底をもつて居る、否直ちに同一物である」 という「仏教の根本思想」を提起する37。「人格実現」としての善行の問題は、「宗教」の次元に入るのである。 「個人的善」と「社会的善」の関係、「内面的要求」と「事実的善」の関係の問題を、西田は結局「真の自己は宇 宙の本体」という宗教的覚醒の境位から解決していることになる。 以上のように、西田の『善の研究』は西周の「哲学」受容以来の様々な課題、すなわち実証主義や進化論 など当時の哲学思潮との関係、儒教や仏教などの伝統的概念の翻訳問題、「現象即実在論」の含んでいた経 験の論理化などに関する試行に満ちている。それは同時代の西欧やアメリカの思想家たちとの問題の共有を 示してもいる。哲学的同時代性の観点から明治期哲学受容を見直すということに関しては、さらに未だ顧み られていない多くの課題が考えられる。
註
1 A.Comte, Correspondance générale et confeessions, 8vol., 1973-1990, p.37
2 『実証精神論』霧生和夫訳、世界の名著 46『コント スペンサー』、中央公論社、p.148~155 3 A.Comte, Cours de philosophie positive, 6 vol, 1868-1969, p.22-23
4 Herbert Spencer, “FIRST PRICIPLES”(sixth and finaledition,1937),Greenwood Press, §28, p.82 5 Ibid. §30, p.88 6 Ibid, §33, p.100 7 村山保史「日本における西洋哲学の初期受容―東京大学時代の清沢満之を中心にして―」、『現代と親鸞』 第 37 号、2018.6.1、.p.284 参照。 8 長谷川琢哉「スペンサーと円了」、『国際井上円了研究』3 号、国際井上円了学会編、2015、p.152~163 同「円了と哲次郎-第二次「教育と宗教の衝突」論争を中心にして」、『井上円了センター年報』第 22 号、 2013 年、同「哲学の限界と二種深信―「中期」清沢満之における宗教哲学の行方―」、『現代と親鸞』第 37 号、2018 年 9 東洋大学編『井上円了選集』第一巻、p.147 10 同上、p.168 11 同上、p.173 12 同上、p.178 13 東洋大学編『井上円了選集』第二巻、p.337 14 井上哲次郎「認識と実在との関係」シリーズ日本の宗教学「井上哲次郎集第 5.巻」,p.219 15 井上哲次郎『哲学と宗教』弘道館、1915 年、p.97 16 西平直「西田哲学と『大乗起信論』(上)」(『思想』No.1108、岩波書店、2016.8)p.101 参照。 17 この講義成立過程やその内容に関しては磯前順一「井上哲次郎の「比較宗教及東洋哲学」講義」(『思想』 No.942、岩波書店、2002)に詳しく紹介されている。 18 同上、P.73 19 井上哲次郎「認識と実在の関係」、p.232 20 同上、p.234 21 同書、p.126。 22 全 17、p.122 23 西平直「西田哲学と『大乗起信論』(上)」(『思想』No.1108、岩波書店、2016.8)p.101 参照。大拙が渡米 後に取り組んだ『大乗起信論』の英訳作業の話題が当時の西田宛書簡に頻繁に登場している由。 24 全 16、p.216 25 西田幾多郎全集第十七巻、2005 年、岩波書店、p.132 26 西田幾多郎全集第十六巻、2008 年、岩波書店、p.74,81,520,525 27 同上、p.81
28 W.James.’Essays in radical Empiricism’ Peter Smith, 1967, p.44
30 第一巻、p.88f.、『善』p.143f 31 第一巻mp.119、『善』p.198 32 第一巻、p.121、『善』p.199 33 同上 34 第一巻、p.127、『善』p.210 35 第一巻、p.130、『善』p.213 36 第一巻、p.131、『善』p.216 37 同上