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明治末期から大正期にかけての日本文学におけるドイツ思想・文化受容の意義

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Academic year: 2021

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Title

明治末期から大正期にかけての日本文学におけるドイツ思

想・文化受容の意義( はしがき )

Author(s)

林, 正子

Report No.

平成13年度-平成15年度科学研究費補助金 (基盤研究(C)(2)

課題番号13610504) 研究成果報告書

Issue Date

2003

Type

研究報告書

Version

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12099/77

※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

(2)

はしがき

本報告書は、平成13年度∼平成15年度科学研究費補助金(基盤研究(C).-.(2)) 「明治末期から大正軌こかけての日本文学におけるドイツ思想・文化受容鱒意義」(課題

番号:136105P4)暮羊よる耕究成果である。

日清戦争後から大正期たかけて-エ前世紀転換期から20世紀初年にかlナての白木にお けるドイツ思想・文化論がi当時の知識人の意識や国悟の実態を反映 していることを確認 し、国民国家確立期の日本におけるドイツ哲学・芸術の受容の意義について論じるという【 のが、本研究の目的であぅ七。 当初構想んた研究計画・方法は、当時の代表的な捨合雑誌「太陰」に掲載されキ井上哲

次臥森鴎外、大西祝、巌谷小波、金子筑水、島村抱月、高山樗牛、登轟竹臥藤崎嘲風、

垂木巌睾ら、哲学て・美学・文学研究をとおしてドイツ思想・文化を受容し、時代括神を形 成する思想を去勢して.いった知識人たちの評論・論説を考察対象として、時代状況におけ るそれぞれの思想」文学の位相を具体的・動感剛こ考究することであちた。 「太陰」_七いうメディアに注目したのは、当時の著名人のはとんどを執筆陣とし、当初 1'0万部とぃう破格の発行部数を誇った捨合雑誌であることから、そこに掲載された評森 が、読者にも圧倒的な影重力をもち、時代精神を態成していっ▼たと考えられたからである。 今回の科学研究費祐助金で購入することのできた_---「CD十R`oM板近代文学館⑥・太陽

(明治28年1月[創刊号]∼昭和3年2月[終刊号]博文鮨発行)」

-(編集・刊行

日本近年文学鮭、制作・発売

八木書店)から筆ま、本研究を進める上で多大あ恩恵を被っ

′ネ副こ示すように、森鴎外ヾ金子筑水、高山樗牛、柿崎嘲臥′垂木巌実の評副こついて

の上記テーー⇒での考案を進めることができたことが本研究の成果でありi派生的ないしは

補遺的に大西軋巌谷小臥登張竹風の論説由っいても言及するに至ったカモ、一井上哲次臥

島村抱月の著作の検村をと、ぉしてドイツ思想・文化受容の意義を考究す・ることが、今後の

課題として残った。 ∫ 、以上のような研究目的・計画丁方法によって進めた本研究課題について、次のネうiこそ の結論の概要を挙げておきたい。√

●日清戦争後から日常戦争にかけて一明治中期から後如こかけて、国民国家の方向性

に懐疑を寄せることにならた、明治維新後の生まれである青年知識人たちにとって、折

しも移入きれっっ'あった、シニョ十ベンハウアr、ニナチェ、ウァーグナーらが代表する

ドイウ巣想・文化と一は⊥俗化の方向をたどる文明の改革と主体性のない社会の道徳への

反抗を実現する存在の拠り所となった。換言すれば、英雄主義を擦接するとともに、億

疑と鱒剛こ生きる主人公であ?た彼らにと?て、-ドイツ思想・文化から理解した個人主

義=主観主義は、個人の意志の力を信奉するうえセの強力なバック・ポーンになったの であ、る。 L

(3)

●そのようなドイツ思想・文化受容の成果が、発行部数10万部の雑誌に掲載されたこ とで、自己の存在意義を模索する数多くの読者に、具俸的なドイツ思想・文化に関する 情報を与え関心を喚起させ、さらにその知識によって自らドイツ思想・文化を諭じさせ、 そこから相対的・客観的な日本文化論を展開することによって、日本の国情への」自己 自身への認識を深めさせるというパラダイムを創り上げ、当時の時代精神そのものを形 成していった。

●1・910年代、すなわち明治末期から大正期にかけての日本におけるく生の野学〉

(Lebensphilosophie)の受容とその評論甲隆盛は、明治というひとつの時代を閲した 時期の[日本=自己]の存在の基盤を問う風潮と精神性を象徴的に表わすものであり、 それは、文明批評に際しても、自己の内面を問うかたちで展開され、その拠り所となっ たのが、存在の根源としての〈生命〉であった。この時代の文学評論に展開されたく生

の哲学〉は、自己の内面を凝視し、存在の根源としてのく生命〉を尊重することを示唆

しているのである。 ●同じく明治末期から大正期にかけてオイケンの代表する〈新理想主義〉が受容さ一れた ことによって、現代文明・自然主義の超克、精神生活の建設が提唱される土ととなった。 この時期に標揺されたく新鹿想主義〉は、近代日本がドイツ哲学を中心とする軟米の哲 学を摂取することで生じた確,執▼葛藤から、そして明治後半期の日本の思想・一文芸界を 席捲した自然主義運動の渦中から躍り出たものでありヽ この時代思潮への多大の関心が、 さらに集中的に近代日本の精神風土の現実を凝視させること_になった。

●く人間の外面的写生活条件や秩序についての物質文化〉である〈文明〉と、く人間の

精神の働きによってつくり出され、人間生活を高めてゆく上の新しい価値を生み出して ゆくもの〉である〈文化〉が、当該の社会状況や思潮の動向に応じ、用語として区別さ

れるようになるのは、1910年代一明拾末年から大正前半期であり、ドイツ語

く馳1tur〉の翻訳である〈文化〉概念の登場が、〈人間生活の最高の目的を文化申向上 に置き、文化価値の実現をめざしていこうとする立場〉、〈文化をすべてに優先させる ことによって、社会生活の基準とする立場〉である〈文化主義〉を導き出した。そして その要因としては、明治期におけるく日本文明〉の進展についての自覚、く国民文化-〉

確立の重要性の認識、ドイツ思想の受容によるく教養〉の練磨などが挙げられる。

今後は、同様のテーマのもとに井上哲次郎→島村抱月ら■の著作を併せて検討し、また前 掲の近代日本の哲学者・宗教学者・美学者・文学者たちがこ夫逝した樗牛を除き、自らド イツ留学を体験しているので、一彼らのドイツ思想・文化受容の様相を個別的・具体的に考 察してゆきたい。すなわち†文献研究のみならず留学体験の意義についての調査も」本研 究課題においては不可欠であると考え、彼らの留学先であるミュンへン大学、ハイ≠ルベ ルク大学、ライプチヒ大学、ベルリン自由大学、ランボルト大学などでの現地調査をおこ ない、師事したドイツ人教授・研究者らの業鼓や人的交流の実態を把握、具体的影替関係

について検討し、彼らが彪得したドイツの学問・文化・教養の内実についそ考究すること

をめざしている。

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