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わ が 国 に お け る 裁 判 公 開 原 則 の 成 立 過 程

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Academic year: 2022

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(1)重. 勝. わが国における裁判公開原則の成立過程 民事訴訟における公開制限を中心にi. はじめ︑︐に. 木. わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶. 八三. そもそも︑明治憲法においても︑さらに昭和憲法においてさえも︑裁判を公開することに関しては︑人格権保護の. うるのである︒わが国では︑公開原則が憲法上保障されているため︑それを制限する事由も憲法に定められている ︵2︶ が︑現在のところ︑憲法上は裁判を受ける者の利益を保護するための公開制限の余地はない︒. の秘密保持の法益は︑裁判の公開原則によって︑たちまち白日にさらされるように︑公衆の好奇な耳目の対象となり. きであるとしても︑わが国では︑それがひとたび訴訟手続における審理の対象として取上げられることがあれば︑そ. ︵1︶. 障されたとしても︑また︑そのうちの秘密領域09①ぎびR①一9﹂導巨ω9弩①が︑どのように法的に保護されるべ. 人格権の一つの具体的内容として︑私的生活の法的保護が︑世界人権宣言や国際人権規約によって︑どのように保. 鈴.

(2) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 八四. 配慮は︑検討の対象にすらならなかったどころか︑その必要さえ感じられてはいなかった︒しかしながら︑それも︑ 憲法自体の成立状況から考えても︑やむをえなかったのかもしれない︒. 当時の明治政府が近代国家の確立を急ぎ︑初めての憲法制定︑国会開設︑まがりなりにも国民の権利の保障︑国家. 財政の規制など︑どれ一つをとってみても目本人にとっては初めての大事業であり︑しかも国民全体の興奮状態の中. でそれをつくりあげていったのであるから︑法廷に誰でもが入れるかどうかの問題などは︑片隅に追いやられていた. ことであろう︒それは昭和憲法においても同じことであったにちがいない︒敗戦とポツダム宣言の受諾という︑天変. 地異のさ中の無気力状態のうちで︑天皇制や︑戦争の放棄︑国民主権主義︑社会権的基本権の保障︑地方分権など︑. 立案者にとっては頭が割れるほどに痛くなるような難問をかかえて︑短時目の完成をめざして作業を急いでいるとき. に︑裁判の公開は︑その絶対性を保障するだけで︑万事ことたれりと考えたのは無理もないことである︒. っまり︑裁判の公開の問題は︑わが国においては驚天動地の国のまがりかどの重大危機に際してのみ︑その憲法規. 制がとりあげられる破目になってしまったことが︑薄幸の美女の宿命の始まりだったのである︒それならば︑いっそ. のこと︑ヨー冒ッパ先進諸国のように︑裁判の公開を憲法保障からはずしてしまえば︑法律のレベルで︑もう少し柔 ︵3︶ 軟に対処できたところである︒それすらもできなかったのは︑日本近代裁判史の不幸のなせるわざでもあったが︑そ. れ以上に︑この問題への無関心と調査不足によるのである︒さらにまた︑戦前であれば︑人格権保護のため︑ことに. 私的生活の保護のための裁判公開の制限を論ずる余地はなかったろうし︑戦後であれば︑公開制限の拡大を論ずるこ. と自体︑それは民主主義の太陽に向って矢を射るような感さえあったところに︑一九世紀的公開原則に終始したまま.

(3) に放置されている 原 因 が あ る ︒. そこで︑本稿は︑わが国の公開制限事由が一九世紀前半のそれにとどまっていること︑そのため︑私的生活保護の. ためには絶望的状態にあること︑明治・昭和の両憲法も︑およそ秘密領域保護のための公開制限事由など考えもしな. かった実際について︑そのプ・セスを瞥見して︑現在の国際的状況について︑これと比較し︑ことに︑民事訴訟にお. である︒その私的生活の一断片である﹁秘密分野︵αRO魯o陣ヨげ窪巴9︶となると︑法的保護の要請はさらに強くなる﹂. ﹁各人の私生活︵量ω零貯簿8び窪︶も一般的人格権の保護対象である﹂というのは︑斉藤博・人格権法の研究︑二五五頁. ける公開制限について考えてみたい︒. ︵1︶. の個性をのびのびと発揮できるのは︑同胞の好奇な眼から遮断され︑自らの生活を思うようにすごすことのできるために︑. ︵二五六頁︶という︒これは︑本稿にとって参考となった︒鎖信びヨ帥昌PU器℃R8巳一9ぎ津ω奉o馨︸ψGoNρも︑﹁人が︑そ. 遮蔽された平穏の空間のうちにおいてだけである﹂というが︑わが国では︑そこに人の好奇の眼が入りこむのを許さないか. て︑すでに︑昭和三七年にドイッ法のぎ&玲8江8を︑﹁秘密暴露﹂と訳し︑﹁秘密暴露に対する私生活の保護を求める権. ぎり︑裁判による救済はえられないことがある︒また︑三島宗彦・人格権の保護も重要な文献として参酌した︒それに加え. 利﹂を︑一般的人格権に含ませる過程を克明に解明している︑五十嵐清・松田昌士﹁西ドイッにおける私生活の私法的保. これは︑永年の慣行として用いられてきた>5零巨島qRO瀞馨ぎ諄魯の訳として用いているが︑この原語における. 護﹂プライバシー研究一五〇頁以下は本稿にとって貴重な文献であった︒ ︵2︶. 幸徳秋水事件など︒. 八五. という用語を使用しているので︑以下では︑公衆の意味をこめて公開排除といい︑また公開制限といっておきたい︒. O跨S岳昌貯⑦粋とは︑傍聴人を意味するのであろうから︑公衆排除というべきかもしれない︒しかし︑憲法上は︑公開停止. ︵3︶. わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(4) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 二 一九世紀的﹁公開制限事由﹂の成立. 八六. 一 わが国では︑裁判の公開の停止事由は︑その公開が﹁公の秩序又は善良の風俗を害する虞がある﹂場合であっ. て︑しかも︑政治犯罪︑出版に関する犯罪叉は基本的人権が問題となっている事件の対審は︑公開を制限できないこ. とになっている︒これは典型的な十九世紀前半の公開制限事由である︒この日本国憲法の規定は︑明治憲法の﹁安寧. 秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ﹂公開を停止できる旨の規定をそのままひきうつしたのであり︑それはまた︑. 一八五〇年のプ・イセン憲法九三条の一項をそのままひぎついだのである︒そして︑このプ・イセン憲法は︑さら. に︑一八三一年のベルギー憲法九六条一項を模範としたものである︒それは﹁裁判所の裁判は︑公開とする︒ただ. し︑公共の秩序または風俗を害するおそれがあるとぎは︑この限りではない︒この場合は︑裁判所は判決によって︑. その旨を宣告する﹂と定めている︒しかし︑これには二項があって︑﹁政治犯罪および出版に関する犯罪の場合は︑. 裁判所の全員一致の議決によらなければ︑傍聴禁止を宣することができない﹂︵岩波文庫︑世界憲法集︶︒目本国憲法. では︑全員一致でも公開制限が許されないものとされているが︑ベルギー憲法が︑裁判所の全員一致を要求したこと. は︑当時としてはきわめて進んだ態度だったのである︒ところが︑このベルギー憲法も︑その一項の規定は一八一四. 年のフランス憲章六四条の規定をモデルとしているのである︒したがって︑このフランス憲章六四条の﹁刑事事件に. おける審理は公開とする︒但し︑この公開が秩序および風俗にとって有害であるときは︑そのかぎりではない﹂とす. る規定こそが︑十九世紀の前半までに実現した裁判公開原則を例外的に制限する原型であったのである︒.

(5) ところで︑公開制限事由としての︑公けの秩序のためのそれと︑善良の風俗のためのそれであるとでは︑歴史的に. もその意義は異なっているのであるが︑いずれにしても︑現在でも公開制限事由として設けられることが必要である. ことに変わりはない︒これをいま︑公開原則にたいして︑十九世紀的公開制限原則としておこう︒. そして︑この公開原則がドイッにおいて︑やっと実現されたときに︑なぜ︑これだけの公開制限原則に限られたの. か︵しかし︑フランクフルトのパウル教会では︑善良の風俗の危殆だけが制限事由とされている︶︑そして︑それが東. 洋の日本にまで到来することになったのか︑以下では︑公開原則にたいする公開制限原則の成立状況を見てみたい︒. ニ フランスで実現された公開原則は︑無条件完全公開であったから︑ライン左岸にフランス五法典がそのまま施行 ︵1︶ されると︑このドイッ語地方も右の無条件公開がおこなわれることになった︒解放戦争のあとドイッ領にもどったと. き︑この地方にはその旧来の糾問主義︑書面主義訴訟の復活が押しつけられようとした︒しかし︑一度実現した公開. 制度は︑このライン地方でも住民によって固執され︑むしろ︑ドイッ全土への公開実現要求の光の放射の光源となっ. ている︒もっとも︑ライン・ヘッセン︑ライン・プ・イセンでは︑かなりはやくから公序良俗危殆を理由とする公開 ︵2︶ 制限が課せられることになった︒. 一九世紀初頭のドイッの公開論は︑フランスのそれの称賛と無条件移注に終始しているが︑やがてドイッ官房司法. や糾間主義訴訟構造の批判の基準として︑公開・口頭の陪審裁判が論じられるようになり︑現在︑公開主義の機能と. その長所としてあげられている点は︑三〇年代までにほぼすべて出揃っている︒また︑公開反対論も冷静な学間的な. 八七. 態度を維持し︑裁判を受ける者にたいするプランガー効果を生ぜしめないため︑というものもあり︑公開賛成論のう わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(6) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 八八. ちにも︑たとえば婚姻関係事件のためには制限の必要があることが論じられている︒ ︵3︶ それにしても︑この時期の公開賛否両論は︑公開の機能がはたす三つの利益をあげて論争している︒第一は︑司法. の利益であり︑第二は︑公衆︾一蒔oヨΦぼげ①一けのそれであり︑第三は︑被告人のそれである︒このうちの公衆のため︑. というのは︑この時期では︑いまだ︑それほど明瞭ではなく︑刑事事件においては︑公開審理は国民にたいする犯罪. 抑圧の威嚇的効果をもつし︑民事事件では︑訴訟の経過を知ることによって自分の権利関係がどのように救済される. かを学ぶことができるはずである︑といわれ︑したがって︑裁判の経過を知ることが法律の素養を高めることに役立. ち︑法が公衆全体の共同財産であるという意識強化に働きかけるとも主張されている︒しかし︑この時期に公開論が. もっとも注目をあつめたのは︑司法官憲にたいする被告人の保護の役割りの部分である︒まず︑無実の被告人は︑ど. のように無実であったかを公知せしめることにより︑即時の名誉回復と社会復帰が可能となる︒また︑刑事被告人は. 公開審理を通じて︑彼にたいする嫌疑の根拠について︑彼の側からの反論を同胞にも十分に聴かせることができる. し︑他方︑犯行についても︑そうせざるをえなかった︑やむをえない事情の弁解も同胞に理解してもらう機会が与え. られることによって︑ある種の安心感ももつことができる︒さらに︑違法な手段によって自白を強要されることのな. い保障︑法律が要求している以上に苛酷な刑を科せられることがないという保障もある︑というのである︒. 以上のような公開論のもとでは︑刑事事件でさえも裁判の公開を前提としながら︑被告人の利益の保護のために公. 開を閉じることは考えられなくはない︒しかし︑その公開の排除は︑ただちに︑被告人が当時の糾間主義訴訟のいけ. にえになることを︑意味するのであるから︑せっかく公開の実現を被告人のために要求しながら︑それを放棄させる.

(7) ことは︑勧められなかったであろう︒ ︵4︶ それでも︑やはり﹁公序良俗の危殆﹂を理由とする公開制限は認めざるをえなかったはずである︒. 三 しかしながら︑これらの公開論争の進展と同時に進行してきたウイーン体制が︑自由主義運動を革命煽動として ︵5︶. 感じて︑治安維持のためにとってきた一連の措置が︑かえって自由主義運動を広げて根深いものとすることになり︑. そのことがまたさらに弾圧の強化の誘発をくりかえすうちに︑公開論争は︑それまでの平和的な学問的性格を払いお. として様相を変えてくるのである︒公開賛成論は︑闘争的な公開実現要求論に変わり︑糾問主義構造にたいする攻撃. は︑それを利用する政治体制にたいする攻撃に変わる︒公開反対論は︑その実現要求の中に社会の転覆をはかる危険. きわまりない思想を見出し︑公開陪審制を実現させないことが社会の安寧秩序維持に役立つものであると主張するの. である︒これは︑無数の著述においてだけではなく︑議会における論戦にもあらわれてくる︒. それにしても︑この時期になると︑公開要求側は︑政治犯審理の公開こそが最重要課題であると考えたのにたいし. て︑公開を抑圧する側も︑この政治犯裁判の非公開だけは死守しなければならないことになったのである︒. ドイッ同盟側にしてみると︑一八三〇年一〇月二一日の同盟決議などを初めとして︑革命運動にたいする軍事発動. の円滑化をはかってぎたが︑そのような武装蜂起にたいする対処だけで十分であるとは考えていなかった︒枯草の大. 平原に革命思想というガソリンが大量にそそぎこまれ︑隅々まで浸みわたったとき︑マッチ一本のたぐいの暴動で ︵6︶. も︑燈原の火は止めることがでぎない︒おそるべきは︑革命政治思想の普及・伝播である︒それを禁圧しないかぎり. 八九. は︑君主主義原理は維持でぎない︒直接的には︑新聞の事前検閲が必要である︒民衆の政治集会を禁止し︑政治演 わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(8) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 九〇. 説︑署名運動は事前許可制とした︒しかし︑集会や結社も﹁政治的なもの﹂だけを抑圧すればいいのである︒たとえ. ば︑一八二八年のバイエルン新聞勅令は事前検閲を政治新聞だけに限っていた︒また︑同盟諸国の議会の議事を公開. しているところでは︑議会における自由な発言が同盟にたいする攻撃にならないように︑そして︑同盟諸国の治安を ︵7︶ 害する内容にならないように︑これを予防︑制止できる処置が義務づけられた︒しかし︑大学の講義も学生に対する. 影響を考えると放置できなかった︒厳重な監視を必要とする︒以上の趣旨と全く同じ根拠から︑裁判の公開も政治思. 想普及の危険ぎわまりない凶器となると考えられたのである︒ヘッセンの議会では﹁公けの秩序を公開審理が危うく. する一つの例として︑国家に対する犯罪の公開審理があげられる﹂と指摘されていたが︑そのヘッセン下院でも︑一. 八三五年七月二日の審議における政府委員は﹁裁判の公開が制限されなければならない︑特に重要な理由は︑政治犯. の審理︵く霞冨且ぎ凝窪ま震宕一置ω9①<段ぼ①魯窪︶にある︒この審理が公開されれば︑暗闇の中にだけウ・ツ ︵8︶. キまわっている害毒が︑法廷に居合わせる聴衆に︑知らず知らずのうちに浸透してゆく危険があるからである﹂と発. 言している︒しかし︑このことは︑すでにはやくもカールスバード決議の際にも公開にたいする恐怖がこめられて語 ︵9︶. られている︒﹁もしも︑裁判公開原則などの裁判手続の改革が不可避であるとすれば︑今日存するほとんどの制度の転 覆が不可避である﹂と︒. こうして︑一八三四年の秘密協定六〇ヶ条の第三五条は︑次のように提案された︒﹁公開の陪審裁判制度を有する. 政府は︑この制度を廃止すべぎ努力をすること︑あるいはすくなくとも︑公開陪審裁判が︑政治事情に影響を及ぼさ. ないように︑無害の限度まで後退させることを義務づける﹂というのであった︒しかし︑これにたいしては︑全面的.

(9) に公開を実行していたライン・バイエルンを有するバイエルンからの反対があって︑この草案は修正されて︑結局︑. ﹁ライン地方で︑裁判の公開制度をもつ各国の政府は︑公開裁判の報道が﹁公けの安寧と秩序﹂に有害な作用を及ぼ さないように法律をもって措置を講ずべき義務が課せられる﹂というものになった︒. 他方︑裁判の公開の実現を要求する側からも︑その実現の必要は切実だったのである︒史上も名高いフランクフル. ト警察署襲撃事件では︑逮捕された学生三九人に死刑の判決が下されているが︑その中の首犯格四人にたいする死刑. の方法は﹁車輪によって上から下へ﹂α自3憲8旨く自3窪奉9琶け窪という想像もできない残虐が︑前世紀. の半ば頃おこなわれているのである︒もともと︑煽動者取締UΦ目囲oひq窪<①ほo蒔仁鑛は︑その調査のために委員会. を設置し︑革命策動や煽動的団体の活動状況︑本拠︑分派を徹底的に調査することに終始していた︒もっとも︑初め. プ・イセンが要望したのは︑この調査委員会の調査にもとづき独自の裁判ができる同盟の特別裁判所の設置であった. が︑それは容れられなかった︒一八一九年にマインツに中央本部のおかれた委員会の調査によって取調べられた者の. 中︑二七名が判決をうけており︑ことにプ・イセンでは一五年もの禁固を科せられた者もいるが︑バイエルンの裁判. 所では四二名の全員が無罪になっている︒次のフランクフルトに本部の設置された一八三三年の委員会では二〇〇〇. 名以上の被疑者が取調べられている︒しかし︑このうちのかなりの者が︑その後︑杏として行方がわからなくなって. いる︒消息が絶えたのは︑裁判所で審理を受ければ無罪になる公算が大きいために︑裁判を受けさせてもらえないま. ま︑家族とも隔離して長年月にわたって拘禁された後︑どこともなく連れさられていったためである︒モンテ・クリ. 九一. ストになれなかった︑エドモン・ダンテスは大勢いたのである︒公開の陪審裁判を要求する側がいかに切実であった. わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(10) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 九二. か理解できるし︑また︑公開を抑圧する側も必死であったにちがいない︒一八四三年︑ザクセンでは︑従来の秘密糾. 問主義を内容とした改正草案を議会に提出したが︑下院からは︑検察官制度と直接・公開・口頭・弾劾原理を採用せ. よとの猛烈な反撃をうけている︒そこで︑政府は一八四五年再び草案を作成して︑一八四五年九月二〇日に下院に提. 出しているが︑これは下院の要求どおりに︑検察官制度を伴った直接主義︑口頭主義︑弾劾主義を内容としたもので ある︒しかし︑この草案には︑故意に公開主義がはずされている︒. このようにして︑公開主義の実現は︑一八四八年のパウル教会の国民の基本的権利の一つとしての宣言をまたなけ. ればならない︒だから︑その際には︑公開にたいする例外事由は公開審理が善良の風俗を害する場合にだけ限定され. ており︑公けの秩序のための公開制限は︑これを意識的に封殺している︒半世紀の苦い経験から︑政治犯審理のため. に︑この公けの安寧秩序の維持を理由とする公開排除が利用されることを警戒したからである︒三月革命以後の憲法. のうちでも︑一八三一年のベルギー憲法に倣ったためにきわめて進歩的だといわれた一八四八年のルクセンブルク憲. 法は︑その九〇条で︑公開原則を定めながらも︑﹁政治犯事件および新聞法違反事件では公開を制限できる﹂と定め. た︵一八五六年憲法は︑この規定を削除している︒︶そして︑ウィーン体制側の︑これほどまでの政治犯公開審理危. 惧が︑決して杞憂ではなかったことを実証する事件が発生した︒プ・イセンが︑試しに手続の最終段階を︑初めて公. 開した︑︵とはいっても︑正規の裁判所の法廷においてではなくて︑刑務所の中で︶一八四六年のポーランド人の叛逆 ︵10︶ 事件の裁判である︒. 以上のように︑公開の実現をめぐる攻防は︑日毎に熾烈さを増したが︑それでもウィーン体制側は︑絶対的有利な.

(11) 立場に立っていたのである︒現に裁判は閉じられた扉のかげでおこなわれているのであり︑その制度を変えなけれ. ば︑こと足りるのである︒それに対して︑攻める側では︑体制側にその気のない︑制度の変革を実現させなければな. らないのであるから︑絶望的な闘いに明け暮れていたのである︒こうして︑伝家の宝刀が抜かれた︒. 四 ナポレオン支配の後遺症がかなり強かったためか︑当時の﹁フランス人嫌い﹂胃き8器蔑巴且がまんえんしてい. たこともウィーン体制側に利用されている︒ライン・ヘッセン地方におこなわれている公開制度を︑ライン右岸にも実. 施しようとする提案にたいして︑政府側からフランス人の発明にかかり︑フランス法に由来する制度を模倣するのは︑. ドイッの国民的誇りが許すわけはない︑と応えられている︒これにたいして︑フランス法を模倣してなぜ悪いか︑と開. きなおっている議員がいる︒我々の先祖はすでに・iマ法やギリシャ法︑その他の民族の法を継受してきたが︑それ. によって我々の祖先の民族的誇りは傷つけられたことはない︑と主張しながら︒しかし︑この開ぎなおりは︑つい先だ. ってまで屈辱の目々を過ごしてきた民衆には通用しなかっただろう︒なぜ︑フランス人をまねなければならないのか︑. やはりモスクワまで連れてゆかれて氷原の中に捨ててこられた同胞を思うと︑神経を逆なでさせられたことであろう︒. このようなとき︑天来の発想が響いてきた︒この公開陪審は︑決してフランス人の発明になるものではない︒それ. は︑我々の祖先の古代ゲルマン固有の裁判方式だったのであり︑フランス人がむしろそれを倣ったにすぎない︒われ ︵11︶. われの先祖の発明をわれわれが復活させるのである︒これは︑かなり説得力をもった発想であったろう︒理論的には. 到底承認しえないにしても︑やはり︑この時期のゆきづまった公開要求論にコペルニクス的転回をもたらした天才的. 九三. な着想ではなかったろうか︒ゲルマン古代においては︑民衆こそすべての制度の支配者であり︑司法も行政もこの わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(12) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 九四. 民衆自らが支配してきた﹁夢﹂の時代であった︒それを君主原理を背景にする官房司法の暗黒の時代にこの﹁夢﹂. を復活させるという話し自体なんとも夢多いことであったろう︒ゲルマンの民衆法<o鱒巽9算は︑外国の法曹法. 匂葺一ω冨糞89によって歴史の彼方に埋没させられてしまってはいたが︑それをいまに復活させるのである︒しかし︑. それだけでは︑法理論としては完成しなかったろう︒この﹁復活﹂伝説を補充して法理論としたのは︑裁判への関与 は国民固有の権利である︑という仮説である︒. 犯罪は被害者一人に対する侵害ではなくて︑国民全体に対する挑戦であり︑攻撃である︒裁判は︑それに対する国. 民全体からの反撃である︒したがって︑その裁判に国民全体が関与するのは︑国民固有の権利である︒すくなくと. も︑法律の正しい適用によって国民の側から反撃がなされるのを︑その経過とともに見守る権利は︑国民が当然にも っているのである︒つまり裁判は公開されなければならない︒. かくて︑ゲルマン古代の裁判方式の思想が今にして完全に復活されるのである︒民衆のための民衆が関与する裁判. を︑その民衆が自ら見守るのである︒民衆公開<o涛8験簿一一3ぎ#の概念はこうして成立したのである︒ ︵12︶. しかし︑このような着想は︑今日でも言及されることがある︒﹁今日では中世刑事手続の口頭主義と公開主義とが. 復活している﹂︒このようにいったのはラートブルフである︒﹁近代刑事手続は糾問手続において失われてしまったか. つての中世刑事手続の公開主義を復活せしめた︒しかし司法の公開性の目的はこの種の統制のみにかぎられない︒法. 生活への民衆の受動的な参加の目的は︑当初のふれこみでは︑ほかでもない︑それと時を同じくして採用された民衆. の法生活への能動的参加︑たとえば非職業裁判人による裁判︑自治行政︑議会政治など︑の前提をなすところの法に.

(13) 対する親しみの気持をつくり出すことにある︑ということであった﹂︒. このように裁判の公開を考える限り︑被告人の個人的な利益保護のための公開制限は︑とても考えられるところで なかったのは当然 で あ る ︒. 五 つまり︑裁判の公開が国民全体の利益のために実現されなければならないとすると︑その公開審理が国民全体の. 利益を害するようなことがあれば︑その場合に限ってかえって公開は閉じなければならないのである︒したがって︑. ここで公開の制限は︑公開原則の外から︑これと対立してこれを抑制するのではなく︑むしろ公開要求それ自体に内. 在して︑その内側から自律的な自己規制をおこなうものであり︑その属性であるとさえ考えられるのである︒これが 十九世紀的公開制限事由である︒. そして︑以上のような経過で実現した一九世紀的公開原則も︑それに内在する制限事由以外の事由を許さないだけ. の頑固さをもっていたのである︒これと対抗して︑これを押しのけるものは︑二〇世紀にかけて登場してくる人格権 の保護の理念だけである︒. しかしながら︑以上のことは︑現行の公開原則が歴史的な条件に規制されてそのように生成してきた特殊な法的性. 格を有する︑ということだけであって︑それが︑決して不可変︑普偏的な原理であるというわけではない︒ことに︑. 口頭主義や直接主義とならんで︑訴訟審理原則の一つである点から見れば︑前二者が︑裁判の公平・適正という目的. に奉仕する原則であるために︑必要に応じて立法措置によって修正可能であるように︑公開原則がもともと帯有して. 九五. いる弊害の局面が時代の変遷によって肥大化してくることがあれば︑その部分を切除できなければならない︒ わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(14) ︵−︶. 早法五七巻三号︵一九八二︶. 九六. フランス革命前に︑すでにヴォルテールによっても主張されていた裁判の公開は︑革命憲法会議において︑すでに︑口. 頭・直接の原則とともに決議されていたが︑一七八九年一〇月八日のデクレに規定されている︒一七九一年憲法にも定めら. プ・イセンでは︑一八一五年に司法調査委員会を設けて︑ライン・プ・イセン地方の公開原則が︑はたして採用されるべき. おこなわれたのである︒. 憲法は︑この合議を非公開としている︵二〇八条︶︒この公開原則はナポレオン訴訟法にも導入され︑それがライン左岸に. れたが︑それは無条件公開であり︑一七九三年憲法では︑合議の公開まで定められている︵九五条︶︒さすがに一七九五年. ︵2︶. かどうかを調査させた︒そして︑その報告書α霧O暮8算o昌血R一ヨヨoα凶讐〜一仁ω怠N〜国o導ヨ一ω巴o昌尊げRα器α矯o旨一8げ①. 公開原則が司法の利益のためになることのうちに︑すでに裁判官の独立の保障があげられているが︑そのほかでは︑真実. 〇 は︑公開主義の長所を克明に論述している︒ qPユヨ曽昌巳8訂く震碕日O口ぎq旨R雲9q昌鵯器9Φμ一〇〇一〇. ︵3︶. るが︑反対論は︑知人や公衆の面前だから体裁をとりつくろうために︑真実は述べない︑という︒また︑名誉をほこりとす. 発見の容易化︑つまり︑当事者も証人も︑事情を知っている知人の面前では︑嘘の供述をしないからである︑といわれてい. 一八二二年一月二一日のプ・イセンの国菩日98&器はライン地方の︑その旨の公開制限を定め︑一八三六年三月二二. る︑ともいうのである︒これに対して︑反対論は︑だからこそ︑裁判所にたいする影響が懸念されることを指摘している︒. る判事たちは︑同胞の眼前において︑彼らの職務遂行が︑いかに公平︑公正であるかを誇示するためにも裁判は適正とな. ︵4︶. 日の法律でヘッセン・ダルムシュタットは同じ趣旨の公開制限を定めている︒これは︑司①5吾8算αびR象①OR一〇騨甲. くR富のω目磯目α鼠ωひq①膏注一9①<R馬印ぼ8寄きぼ①圃9ρぎびΦωoロαR段ωΦN一魯巨㎎き団象・O馨注一︒算o淳毒儀. 困麟昌島一9ざ騨98斡に紹介された事件もあづかって力があった︒ある老人が一〇才の少女にわいせつ行為をしたかどで︑. 陪審裁判所が審理をする際にその少女の蓋恥心をいたわるために︑女性と子供を法廷から退出させる命令を出して裁判を下. 一八一九年カールスバード決議︵大学法︑新聞法︑煽動者取締法︶︑一八二〇年のウィーン最終議定書︵クーデタあるい. 理があらためて全面公開でやりなおされた︑という事件である︒. したところ︑被告人の弁護人は︑審理方式の違背をたてにとって︑言渡された判決にたいして破棄を申立てて認容され︑審. ︵5︶.

(15) は革命による憲法変革の禁圧︑この侵犯に対しては同盟の軍隊をもって鎮圧にあたる︒各加盟国間の綿密な連絡︶︑一八三. 一八三四年六〇ケ条の秘密協定︵ラント議会の権限の制限︑大学の監視︑新聞の制限︶など︑これらのうちに︑裁判公開審. 二年六ケ条︵フランス七月革命の影響による政治運動にたいする処置︑暴動の起きた隣国の求めに応ずべき軍事援助義務︶︑. 危険な政治思想の普及.伝播に好適である︑雑誌︑パンフレット︑仮とじ本︑小論文など︑事前検閲の対象とされた︒し. 理の報道の制約や︑公聞原則そのものの廃棄の準備も含まれていた︒ ︵6︶. 一八二〇年のウィーン最終議定書五九条︑一八三二年六ケ条第五条が定めている︒. かも︑検閲や発刊禁止の基準は全然存在せず︑すべて検閲当局の自由な裁量によった︒. 87. ︵9︶. ポーランド人の一医師が同胞をひきいて︑. ギ08犀o目窪α段屋民胃一のげ区霞国〇三Φ話醤<o導鱒ρ︾q暢戸一〇〇一〇. 衆に理解させるのに役立った︒. わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶. 九七. の言葉も︑検察官のそれも︑逐一︑通訳によって伝えられなければならないため︑適当な長さで区切られ︑話しの内容を聴. の首犯は︑ドイッ語がダメだという理由で︑フランス語で弁論を始めた︒これは公開審理を利用した彼の戦術であった︒彼. 審理の模様は︑細大洩らさず︑報道されるところとなり︑国際的にも関心の的となっている︒一八一三年生まれというこ. でいっぱいになっている︒. ず︑早朝六時には︑この刑務所の入口の前には傍聴希望者の長蛇の列ができたという︒もっとも収容の関係で四〇〇人だけ. のである︒所は︑ベルリン︑モアビッツ刑務所内の教会である︒当日は︑審理を八時から開始するという予告にもかかわら. を採用した刑事訴訟法が制定された︒そのような準備を終わって︑一八四七年八月二日︑最初の公開審理手続が開始される. の糾問主義の刑事訴訟法では︑審理の完結さえおぼつかない︒そこで一八四六年七月一七日に検察官制度と公開・口頭手続. 企み︑その同勢もろともプロイセン官憲に逮捕されるところとなった︒その数は二五〇人︒これを処罰するために書面主義. 一八四六年二月一四日︑ポーランドのポーゼンで︑プロィセンにたいし叛逆を. ︵10︶. O①oo︒. <震富注一琶閃窪α段黛①冨p昏導ヨRα︒門器且ω鼠&Φα①ω9︒浮RN︒讐ビ霧自︒ωω窪ぎ一︒︒ω㎝い切①一一甜①窪﹂●ω●. (( )).

(16) 隔. 早法五七 巻 三 号 ︵ 一 九 八 二 ︶. 九八. 聴衆は︑次第に︑これらのポーランド人に共鳴し︑むしろ︑ポ!ランド人とドイッ人とは自由のための闘いにこそ共同の. ならば︑謀反事件である︒さきのポーランド人を交えたフランクフルト警察署襲撃事件では三九名の死刑である︒聴衆も世. 使命があることを確信させるに至っている︒公開審理のおそるべき効果である︒その結果︑判決はどうなったろうか︒本来. 界も注目した︒ところが︑なんと︑手おので斬首の死刑宣告は首犯を含めて八名︑そして一〇九名が禁固刑であった︒しか. ゲルマン古代の裁判方式が︑現代において復活するのでは決してないことについてはすでに︑国α鴇斜い譲9窃9旦U①吋. も︑この死刑判決でさえも︑国際的世論と注視の圧力に︑ウィルヘルム四世は︑執行でぎなかったのである︒. 閃呂再8F国ぎ霊ぼqロ㎎圃昌象o園09房&器8の9鋒什碧海純一訳・法学入門二〇八︑一二二頁︑なお︑続けて﹁けれど. O融窪艮昌冨詳確旨昌房四言凶目ω霞鉱く段壁ぼ窪ψ一箇において指摘されている︒. ︵11︶. ︵2 1︶. の継受という事情のために他国よりも一層はなはだしかった﹂︒やはり︑﹁復活﹂伝説は︑一つの着想であって︑現実ではな. も︑周知のように︑これは一場の美しい夢にすぎなかった︒﹃法と民衆との離間﹄という現象は︑ドイッでは特に・ーマ法. 公衆公開審理におけるギ貯暮8湿おの危殆. かったのであるから当然の結末ではあるが︑しかし︑その当時においてはたした役割りの意義は大きいだろう︒. 三. 公開の制限を許されるのが︑以上のように︑社会公益を害する場合に限定されるとすると︑裁判による救済をえ. ようとする権利または法律関係の成立や存在に︑私的秘密領域に属する事項が︑その前提として絡んでくる場合に. は︑裁判を受ける者は︑次の二つの中のどれかの選択を強制されることがある︒その一つは救済をえらぶ代償とし. て︑秘密保持の法的利益を認められている事項を審理の舞台にのせて公衆の眼前にさらけ出すか︑あるいは︑裁判に. よる救済を断念して秘密の保持をえらぶか︑である︒そのような実際の例を︑いくつか取上げてみよう︒.

(17) 二 まず︑婚姻事件を公開法廷で審理するというのは︑立法例としてもめずらしい︒しかし︑これについて従来から. も疑問が出されていなかったわけではない︒﹁それにしても︑一方当事者本人の尋問を規定しておきながら︑他方その. 手続を公開とするのは︑明かに矛盾である︒一体カメラの放列の前で夫婦間の秘事を開陳し︑夫の有責を追及しうる. 勇気をもった妻は︑何人いるだろうか︒このような場合︑通常の神経の持主ならむしろ沈黙を選び︑自らの有責ある ︵1︶. いは共同有責を認めてしまうであろう︒離婚手続の公開に固執するかぎり︑婚姻関係の正しい診断と治療とはまった. く不可能になってしまうのである﹂︒これでは裁判の公開は︑たんなる審理原則であることを超えて︑訴権の剥奪にも. 加担しているのである︒それでは︑このような婚姻事件では︑誰もが公開審理を覚悟しなければならないのか︑とい. うとそうでないことが明言されている︒﹁家庭内の問題は秘密にし︑人に知られたくないのは人情の常であろう︒し. たがって審理手続にあっても︑家庭内の秘密は確実に守られるとの安心感を当事者その他の利害関係人に与えること. が必要である︒そこで審判に関与するものの秘密漏泄に対する制裁を規定し︑記録閲覧︑謄写等については民事訴訟 ︵2︶. 法第一五一条︑民事調停法第二三条第一項におけるように自由のものとせず︑審理手続も︑一般非訟事件と同様非公. 開のものとされている﹂︒家事審判手続に関する説明である︒たしかに家事審判法三一条は﹁参与員︑家事調停委員. 叉はこれらの職にあった者が正当な事由がなくその職務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたとき. は︑六箇月以下の懲役又は一万円以下の罰金に処する﹂と定めている︒これは審理手続の過程で︑上程された人の. ﹁秘密﹂が︑﹁秘密﹂として法的に保護されるべき利益のあることが認められていることを前提としている︒このよ. 九九. うな人の﹁秘密﹂が人事訴訟において対象とされると︑突然︑法的保護の資格や必要が全く消失してしまうとは到底 わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(18) 早法五七巻三号︵一九八二︶ 考えられない︒. 一〇〇. ところが︑一方で︑法律が手続関与者にたいして刑罰を科することによってさえも保護しようとする人の秘密を︑. ︵3︶. しかし︑これ以上に裁判の公開が訴訟による救済を遮断してしまっていると考えられるのは親子関係事件であ. 他方で︑憲法は公衆に公開すべきことを命じているのである︒なんとも奇妙なことである︒. 三. る︒たとえば︑認知請求訴訟における請求原因事実は︑原告・被告間の自然的な血縁関係だといわれている︒それを. 直接に証明する方法はなく︑間接事実からの推認によるしかない︒そのうちでも原告にとって重要なのは︑原告の母. が懐胎可能な期間中に被告と性的交渉があったということである︒他方︑被告側から提出されるのは︑いわゆる多数. 関係者の抗弁といわれるところの︑原告の母が懐胎期間中に被告以外の男性とも性的交渉があったという間接事実で. ある︒いずれにしても︑原告からみれば︑請求認容判決確定後は︑肉身であることが確かめられる両親の間の出来事. である︒そして︑この事実の立証のために︑母親の証言も不可欠であろう︒しかも︑不貞の抗弁として提出される事. 実やそのための証拠にも母も子も対抗していかなければならないのである︒それを現行法制のもとでは居並ぶ公衆の. 面前で︑その主張なり︑立証がなされることを甘受しなければならないのであり︑さらに︑公開審理は︑マス・メデ. ィアによる報道も予期しておかなければならない︒そして︑もし︑それに堪えられないならば︑裁判による救済は放 棄せざるをえないのである︒. それでも︑われわれは︑冷笑まじりに︑司法の民主的コント・ールのためには︑そのような事態もやむをえない︑ ととりすましていることができるであろうか︒.

(19) 四. ﹁現行の民事訴訟手続に対する一般的不信任﹂の原因にこ般的公開の原則がある﹂という指摘がある︒﹁刑事訴. 訟とちがって︑民事訴訟の対象には︑企業的乃至職業的秘密に関係する事柄が多く︑たとえ夫れが請求原因に直接に. 関係しなくとも︑証人の片言隻句や書証の一片から︑職業上の秘密をキャッチされることを異常におそれるという心 ︵4︶. 理的傾向をもつ商人にとっては︑この職業上の秘密が重要な企業財産である限りにおいて︑一般公開の回避を希望す. ることも故なきものとは云えないであろう﹂︒たしかに︑現行法秩序においても︑営業上︑企業上の秘密はその保持. が法的利益に値するものとして︑民事法上も刑事法上も保護されている︒まして︑資源をほとんどもたないわが国に. おいて今日までの経済繁栄は︑技術革新に負うところも大きいのであるから︑今後もますますそのノゥハゥなどの秘. 密保護も含めて法的配慮は必要となることすらあれ︑それを軽視してよいことにはならないだろう︒企業秘密の刑事. 法上の保護についてさえ︑次のようにいわれる︒﹁企業秘密の保護には二つの方法が考えられる︒一つは︑企業秘密. が︑内部者の漏示︑外部者の探知によって企業外部に出されたとき︑行為者に刑事罰を加えることにより︑企業秘密. を守ろうとする実体法的手段によるものである︒いま一つは︑捜査機関︑裁判所が刑事訴追に関連して証拠を得るた. め︑企業秘密を知る者にその開示を要求したとぎ︑あるいは︑捜索・押収・検証等の強制処分が企業秘密の分野に及 ︵5︶ ぶとき︑企業にそれを拒絶する訴訟法上の権利を認めることによるものである﹂︒. しかしながら︑このように︑民事法上も刑事法上も︑外部の侵害から守られるべき職業上︑営業上の秘密が︑ひとた. び侵害された場合に︑その刑事責任が追求される刑事訴訟においても︑あるいはその差止請求なり︑賠償請求なりの民. 一〇一. 事訴訟においても︑公開審理によって︑一部始終が白日のもとにさらけ出されてしまうのである︒つまり︑一方で︑法 わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(20) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一〇二. 的に保護されながら︑他方では︑その秘密を天下にさらさなければ︑法的救済はえられないのである︒この矛盾は訴訟. 手続において右の営業上︑職業上の秘密が対象になる場合には︑審理の公開を停止することによってのみ解決される︒. わが国でもこの秘密を保護するために証言拒絶権を認めてきた︒﹁技術の秘密とは︑その秘密が公開されると︑そ. の技術を有していた者の従前の価値が失われるようなものである︒職業の秘密とは︑その秘密が公開されると︑その. ﹁証拠法は真実に適合する事実認定なる目的到達の為めの技術的な法であるけれども︑それは他方に於て法全体. 職業に経済上重大な打撃を与えるようなものである︒本条は︑これらの秘密の保持者の利益を保護するため︑証人に ︵6︶ 証言を拒絶する権利を与えたのである﹂︒しかし︑証言拒絶権は︑技術や職業上の秘密の保護のために限られない︒. 五. の大目的に反することは許されない︒⁝⁝例えば︑弁護士に対し依頼人より知り得た事実についても証言を為すべき. ことを強制するとすれば︑法律事件の生じた場合に於ても︑世人は自己に不利益な事項を弁護士に打明けることによ. って却って不利な結果を招くことあるべきを恐れて︑弁護士に相談するに当って全部の真実を打開けないことが多く. なり︑引いては法の実現が歪められ︑国家の司法が害せられるに至る︒又証人自身の処罰を招く事実についても証言. を強制し︑医者に対し患者の秘密についても証言を強制するが如きは人情道徳に反し︑善良の風俗に反する︒それ故 ︵7︶ にこれらの場合には証言拒絶権を認めるのである﹂︒それならば︑民事訴訟における当事者や刑事訴訟における被告. 人にたいして︑自ら︑その身体上の欠陥あるいは秘密にしたいと欲する健康状態について陳述すべき場合も︑それが. 公衆の面前でなされなければならないのは人情道徳に反するため︑善良の風俗に反するとして︑裁判の公開の停止が おこなわれてもしかるべきことになろう︒.

(21) 証言拒絶権が認められる根拠は︑その各々でその理由を異にしているが︑何れにしても裁判の基礎となる真実が不. 明となることさえも犠牲にして︑証言させることによって失われる国家利益︑個人の秘密利益を証言させないことに. よって保護しようとすることにある︒しかしながら︑その趣旨は︑訴訟当事者や刑事被告人が︑勝訴判決をえるた. め︑あるいは敗訴の重大な結果をさけるために︑やむなく︑その﹁秘密﹂を対象として自ら陳述しなければならない. 場合︑あるいは証人をして証言させなければならない場合にも︵これらの外見から︑当事者や被告人が秘密であるこ. との利益を放棄したものと断定すべぎではない︶︑やはり︑つらぬかれるべきであろう︒そして︑その方法は︑公開の. 停止しかない︒自ら陳述したかったり︑他人に証言させたいとしても︑それが秘密であるべき必要性や利益はなんら 失われないからである︒. 民訴法二八○条は﹁恥辱二帰スヘキ事項﹂をあげている︒これは﹁証人及びその親族の名誉を穀損せしめる事項で. あり︑これによって道徳的非難や社会的軽蔑を受ける結果となることをいう﹂とされている︒秘密にしておくことが 人情として客観的に許される場合だからであろう︒. また︑民訴二八一条は黙秘義務に基づく証言拒絶権を定めている︒そして︑この証言拒絶権は﹁何人の利益の為め. に存するか︒黙秘義務者︵弁護士︶の利益︵黙秘義務の違背を強制せられないとの道徳上感情上の利益︶の為めにか︑. 黙秘義務の遵守によって保護せられる秘密を持っている他人︵依頼人︶の利益の為めにか︒勿論後者︑即ち黙秘義務 ︵8︶ の遵守によって保護せられる秘密を持っている他人の利益の為めに存在する﹂︒そうすると︑その﹁他人﹂が自ら︑. 一〇三. あるいは黙秘義務者に陳述させなければならないとしても︑その秘密保持の点につき利益を有することには変わりは わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(22) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一〇四. ないのであるから︑やはり︑秘密保持の法的配慮は証言拒絶権を制度として認めるのと全く同じ根拠から不可欠であ る︒それは公開の排除によるしかない︒. そして︑証言の拒絶を認めることによって真実の発見は犠牲にされてしまうのであるから︑むしろ公開排除の法廷. において証言させる方が︑証言拒絶を認める目的である秘密保護が達成されるばかりでなく︑真実の発見にも貢献す. ︵1︶. 詳細は︑小山昇﹁認知請求訴訟における諸問題﹂民商法雑誌四四巻一号三五頁以下︒. 綿引末男﹁家事審判法総論﹂家事審判法講座一巻五八頁︒. 島津一郎・註釈民法㈱二五三頁︒. ることになろう︒. ︵2︶. 町野朔﹁企業秘密と公害犯罪﹂公害犯罪と企業責任二五〇頁︑﹁企業には守るべき秘密がある︒独自の生産技術︑経営計. 大野実雄﹁商法の傾向と紛争の非訟化現象﹂中村宗雄教授還暦記念論集六四三頁. ︵3︶ ︵4︶. 画︑顧客名簿等々︑そのうちには︑企業が競走に耐えぬくために必要なものもあり︑それが外部に漏示されることによって. ︵5︶. のである︒薬品の混合の割合︑温度の高低︑変化のような生産技術に関するものはもちろん︑ヴァイオリンのひき方︑絵. 菊井・村松皿三〇七頁︑﹁技術の秘密とは︑秘伝とか﹁こつ﹂といわれるもので︑社会的或いは経済的に価値を有するも. とであろう︒. 大きな被害をこうむるものもあろう﹂と指摘している︒そのことは︑訴訟手続の過程で︑明らかにされてゆく場合も同じこ. ︵6︶. て︑ここでいう技術または職業の秘密とは︑他人のそれ︵例えば支配人が証人たる場合における主人の技術職業の秘密︶だ. 画︑彫刻など芸術上技術に関するこつも含んでいる﹂といわれている︒なお︑法律実務講座︑民訴編四巻二〇三頁︒そし. 田中和夫︑前掲︑八三頁︒. けでなく︑証人自身のそれをも含むとされている︒田中和夫﹁証言拒絶権﹂斉藤博士還暦記念︑法と裁判九一頁︒ ︵7︶.

(23) 一. 二〇世紀的﹁公開制限事由﹂の拡大の世界的傾向. ︵8︶ 田中和夫︑前掲一〇五頁︒. 四. 一九四八年の世界人権宣言は︑その一二条で︑﹁何人も︑その私生活︑家族︑家庭︑通信に対する専断的な干渉. を受けたり︑その名誉と信用とに対する攻撃を受けたりすることはない︒人はすべて︑このような干渉や攻撃に対し. て法の保護を受ける権利を有する﹂と保障する一方で︑その一〇条により︑民事上の権利・義務の確定や刑事訴追に. ついては︑﹁独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けるについて完全に平等な権利を有する﹂と規定する だけで︑公開排除には触れていなかった︒. ところが︑この二年あとの︑一九五〇年に・iマで締結されたヨーロッパ人権条約は︑その第六条で︑まず︑裁判. 公開原則を保障したかぎりでは︑世界人権宣言と同様であったが︑その第二項の但書は公開排除事由を明らかにして. いる︒その中に︑﹁訴訟当事事の私的生活の保護が公開の排除を必要とする場合には﹂という文言が挿入されたので ある︒. しかし︑ドイッでは︑その後の一九六一年に︑﹁民事裁判制度改正準備委員会報告﹂劇R8算α段囚o目旨ω巴9N貫. くo昌段包葺pαQoぎ段菊像o吋目α段§証蒔震8算ω3詩①詳が発表され︑そのうちに︑当事者の合意による公開排除が. 認められている︒つまり︑当事者の意思により裁判の公開でさえも排除できることを認めたのである︒. 一〇五. そして︑一九六九年の﹁市民的及び政治的権利に関する国際規約﹂︵これは︑一九七九年にはわが国においても発 わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(24) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一〇六. 効している︶は︑その一四条で︑ヨー・ッパ人権条約六条と同じように︑裁判の公開制限事由を定め︑そのうちに︑. ﹁当事者の私生活の利益のため必要な場合においては﹂公開を排除することができるとされているのである︒. その後︑ドイツでは︑一九七四年に裁判所構成法を改正し︑当事者および証人の秘密領域の保護を目的とする公開. 制限事由を定めて︑これまでのギ貯葺呂鼠8のためのその拡大の傾向を完結させているのである︒もっとも︑学説. は︑さらに進めて︑民事訴訟においては︑当事者の一方から申立があれば︑それだけで公開排除を認めるべきである ことを提案している︒. このように︑二〇世紀の世界的傾向として個人利益のための公開排除を拡大する方向にあり︑その意味では︑一九. ヨー・ッパ人権条約国自8普8冨匡窪零冨糞①o算ω囚自奉導一自︵以下MRKと略称︶が︑公開原則を規定し. 世紀前半に決定された公開制限事由に終始しているわが国の制度の方が︑むしろ︑一種独特なのである︒. ニ. た第六条も含めて︑ドイッ国内法としての効力をもつのか︑という問題について︑初めは︑僅かではあるが︑国内法 ︵1︶ 的効力を否定した学説があった︒この条約は︑もっばら基本権を国際法的に保障したのにすぎないとみたのである︒. ところで︑西ドイツでは︑国際法ないし条約と国内法との関係について︑ボン基本法は二つの規定をおいている︒. そのひとつは二五条であり﹁国際法の一般原則は連邦法の構成部分である︒それは法律に優先し︑連邦領域の住民に. たいして︑直接に権利・義務を生ずる﹂と規定している︒そこで︑もし︑ヨー・ッパ人権条約が︑ここにいう﹁国際. 法の一般原則﹂を規定内容としているのであれば︑これは︑法律に優先する効力を有し︑国民にたいして直接に権. 利・義務を与えることになる︒もっとも︑MRK六条の裁判公開原則にたいする例外規定がそれにあたるかどうかは.

(25) 問題であるが︑肯定されるとすれば︑やはり︑国内法としての効力をもつから︑裁判を受ける者は︑この規定によつ て︑裁判公開の制限を求める権利が認められることになる︒. ボン基本法が定めた︑もう一つの規定は︑五九条二項であって︑﹁連邦の政治関係を規律し︑または連邦の立法事. 項に関する条約は︑連邦法律の形式で︑それぞれ連邦の立法につき権限を有する機関の同意または協力を必要とす. る﹂という︒この︑議会による﹁同意または協力﹂によって︑この条約がドイッ国内法としての効力を有することに なる︑というのが通説である︒. ドイッ連邦議会は︑このMRKを一九五二年八月七日に批准し︑同意法を制定し︑一九五二年八月二三日から施行. している︒したがって︑人権条約は︑ドイッ国内法としての効力を有しているのである︒もっとも︑ドイッ国内法と ︵2︶ しても︑憲法的ランクあるいは超法律的ランクを認める学説もなかったわけではないが︑基本法五九条二項の同意法. ︵3︶. によって国内法としての効力を認められたのであるから︑ドイッ連邦法としての効力を有するというのが通説であ. る︒しかし︑国内法としての効力をもつはずのMRKの実際の適用について︑ことに︑公開排除の第六条の適用につ. いては︑いささか消極的ではある︒ところが︑かえって︑連邦最高裁判所のその消極的な態度にたいする学説の側か ︵4︶. ︵5︶. らの批判を見るかぎりでは︑ドイッ法としての効力を有していることについて︑かなり一般的に承認されていること を知るのである︒. 一九六九年七月二日の連邦最高裁判所の判決は︑公判手続において︑被告人の責任能力についての鑑定人の尋問の. 一〇七. 間︑彼の寄貯暮呂感8の保護のために︑公開を排除すべきかについて︑否定的な判断を示した︒この判例の見解に わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(26) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 一〇八. よると︑鑑定の報告されている間に公開を排除するというような︑部分的な排除では無意味だというのである︒なぜ. ならば︑他の手続段階でも︑その結果について討議されることはさけられないからであるという︒つまり︑被告人の. 騨江百ω嘗9①の真の保護のためには︑一貫して公開を排除しなければならないが︑それでは︑事実上︑刑事事件にお. ける公開主義を廃止してしまうことにもなりかねないので︑立法者の意思に反するというのである︒ ︵6︶ ︵7︶. このような見解にたいして︑その論拠は十分ではないという批判は当然である︒シュベルトナーの指摘をまつまで. もなく︑その他の手続段階では︑鑑定の結果だけが述べられれば十分なのであって︑その詳細が討議されることはな. い︒特にその必要があれば︑再び公開を排除すればいいのである︒しかも︑ドイツ裁判所構成法の公開排除に関する. 規定は︑その明文をもって︑手続の全部またはその一部のために公開を排除できることを許している︒. しかし︑絶えず進展を続ける︑柔軟なドイッの判例のことである︒これが変更されることがありうるのは︑それほ ど遠いことではあるまい︒. 以上のように︑ドイッ国内法となったヨーロッパ人権条約は︑﹁私的生活の保護のために﹂裁判の公開を排除する. ことができる旨を定めたものの︑それが実際に裁判所において適用されて活躍するのには︑今ひとつという感はある. が︑しかし︑この人権条約がドイッ法において︑その本領を発揮しているのは︑むしろ公開制限を立法上︑拡大せし めている原動力となっているという点であろう︒. このヨー・ッパ人権条約の刺激があったからこそ︑いまや︑ドイッにおける人格権保護のための公開制限は︑ほと. んど完結の域に達しているのではなかろうか︒あとは︑その要件の具体化の問題と︑解釈による拡大の可能性の検討.

(27) ︵8︶. の問題が残されているものと考えられる︒. 三 現行のドイツの公開原則およびその制限事由を定めた裁判所構成法は︑この公開規定に関するだけでも︑十数度. の改正を経験している︒ことに︑制限事由を定めてきた条項のひとつひとつに︑各時代の要請に応えてきた重みがあ. り︑その条文の改正史をたどるだけでも︑ドイッの法文化史の一断面をみることができるように思われる︒ここで. 家族関係事件. 非公開事由と公開排除事由. は︑現在到達した公開排除に関する規定だけをあげてみる︒. 1. 、. 十六才以下の者が尋問される場合︒. 公開排除手続. ①. σ (9. わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶. 一〇九. 重要な︑営業上︑業務上の秘密や︑発明に関する秘密︑税務上の秘密が公開審理によって︑守られるべぎ利益が害される場. 合︒. ︶. 利益が害される場合︒. 当事者や証人の︑個人的な生活領域に属する事情が審理される場合であって︑その公開審理によって︑保護に値する重大な. 公序良俗の危殆. 国家の安全の危殆. 精神病院への収容に関する事件. 禁治産関係事件︵これは当事者の申立てにより︑公開が排除される︒︶. 親子関係事件︵これは︑ωとともに無条件非公開審理である︒︶. )(2)(1) (7)(6 (5)(4 (3 (8. ︶ 証人または鑑定人が︑権限なしに表白すれば罰せられる︑私的秘密が審理される場合︒. 皿.

(28) 早法五七巻三号︵一九八二︶. 公開排除の審理は非公開でおこなう︒. ω 公開の排除は︑手続の全部またはその一部のために申立または職権によりおこなう︒ ②. 一一〇. その告知にあたって︑前掲の⑥から⑩までの事由の場合には︑公開がいかなる理由によって排除されるのかを開示しなけれ. あるときは︑非公開で告知することができる︒. ⑥ 公開排除の決定は︑原則として公開で告知されなければならないが︑その公開告知が法廷内の秩序を著しくみだすおそれの. ω. 国家の安全の危殆のために公開が排除される場合は︑新聞︑ラジオ︑テレビは︑その審理についておよび事案に関する公文. ばならない︒. 書の内容について報告を公けにすることは許されない︒. ㈲. 国家の安全の危殆のための公開排除︑あるいは︑前掲ωから⑨の事由のための公開の排除にあたっては︑裁判所は︑在廷し. ていた者にたいして︑審理により︑知りえた事実︑あるいは事案に関する書面によって知り得た事実につき秘密を保持すべぎ ことを義務として課することができる︒. この決定は︑調書に録取しなければならない︒. 判決理由告知のための公開排除. 判決理由の告知のためにも︑あるいはその一部のためにも︑前掲⑥から⑩の事由がある場合には︑裁判所の特別の決定にょ その場合は︑いかなる理由で公開を排除するのかを開示しなければならない︒. ω. 非公開審理には︑各個人の入廷が許されることがある︒その際に︑関係当事者の審尋は必要でない︒. 公開の審理の法廷には未成年者︑あるいは法廷の品位にそぐわないしかたで立入ろうとする者を拒否することができる︒. 入廷の拒否と許可. ③. り公開を排除することができる︒. ω. ②. ω. 皿黙秘義務. N. V. ②.

(29) W 訴訟記録の公開手続 事件に関係のない者が訴訟記録を閲覧したいときは︑. ③. その同意がえられないときは︑閲覧の利益について疎明をした場合にかぎって許される︒. ω 原則として︑その訴訟の関係当事者の同意が必要︒. 以上のようにみてくると︑人格権保護を目的として裁判の公開を排除できるためには︑当然のことながら︑その排. 除事由だけを定めるだけではどうしようもないことがわかる︒せっかく公開を排除した審理部分が︑判決後吹聴され. たり喧伝されるのでは公開排除の意味はない︒以上のような水も洩らさぬ装置があってこそ︑初めてその実効がある. もともと︑ドイッ連邦共和国基本法の一条は︑その一項で﹁人間の尊厳は不可侵である︒これを尊重し︑かつ︑. ことになろう︒しかも︑これは長年の経験の結実であって︑十分にその範とするに足りるだろう︒. 四. 保護することは︑すべての国家権力の義務である﹂とし︑三項では︑﹁以下の基本権は︑直接に適用される法として︑. 立法︑執行権および裁判を拘束する﹂と定めている︒そして︑二条は﹁各人は︑他人の権利を侵害せず︑かつ︑憲法. 的秩序また道徳律に反しないかぎり︑その人格の自由な発展を目的とする権利を有する﹂とされている︒ω このよ. たしかに﹁当事者にとっては︑裁判の公開のため. うに︑﹁その人格の自由な発展を目的とする権利﹂が︑﹁裁判を拘束する﹂とすれば︑この人格権に含まれる︑秘密領 ︵9︶. 域の保護も︑裁判手続において実現されなければならない︒②. に︑個人的︑あるいは職業上の大きな不利益をうける場合がある﹂︒③ ドイッ民訴法では︑もともと︑当事者はそ. 一一一. の同意によって書面手続をえらぶことができるが︑そこでは公開されることはない︒したがって︑ともかく両当事者 わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(30) 早法五七巻三号︵一九八二︶. が合意すれば︑非公開手続をえらぶことができたのである︒ω. 一一二. ただ︑会社訴訟などのように︑大勢のものが︑その. 特定訴訟に利害関係をもつ場合がある︒このような場合には︑たとえ︑当事者の合意があっても︑公開の排除を認め ることができないので︑合意による公開排除の申立ては却下されなければならない︒. 以上が︑改正準備委員会報告の骨子である︒これに対して提出されている疑問は︑合意による公開排除そのものの. 適否についてではなくて︑はたしてその合意がいつでもえられるか︑というその実効性にたいする疑問である︒民事 ︵10︶. 紛争が利害衝突によって生じているのであるから︑他方が公開排除を拒む特別の理由なしに同意を拒絶することは十. 分ありうる︒つまり︑意地悪によってである︒そのような場合には︑この報告書にょる提案では成功しない︒しかし︑. この準備委員会では︑一方が拒絶しているのに︑それを抑圧してまで公開を排除すべきではない︑という配慮が働い ているのであろう︒. それにしても︑一方が︑特別の理由もなく︑公開排除を同意しない場合に︑そのもののために公開を維持する必要. や根拠ははたしてあるだろうか︒そこで︑ドイツでは︑この準備委員会の報告を超えて︑一方の当事者の申立てがあ ︵U︶ れば︑それだけで公開排除を許すべしとの主張がなされている︒両当事者の一致があれば︑それによるにこしたこと. はないが︑その一致は形成しにくいこともある︒しかし︑そればかりではなく︑﹁人格権領域説の原則により民事訴. 訟における公開︑非公開の限界をひくことはあまり有用でもない﹂と考えられることによる︒ドイツでは︑今後︑こ. の方向でも公開制限事由が拡大されてゆくことが予測されるが︑わが国でも︑考え方としては参考になるはずであ る︒.

(31) ︵1︶. つまり︑いままでは︑各国内においてのみ憲法的に保障されていたのにすぎない基本権が︑この協定に創設された二つの と考えた︒. 機関︵ヨー・ッパ人権保護委員会とヨーロッパ人権裁判所︶によって救済されることになったが︑それにつぎるのである︑. 区RPO震8簿零Φほ器ω自昌αR巽9算︶ψ魔︒は︑この条約は︑基本法において保障されていた人権を国際法的に拘東力ある. 国際条約法の保障にまで高めたのであるという︒ωo冨9巴・U段ぎ富糞讐陣8巴①ωoゲ暮Nα段蜜窪零冨艮9算ρ閃o曾零日§. かったし︑それはヨー・ッパ諸国の憲法に見出される重要な基本権をくりかえしたのにすぎず︑また︑部分的にせよ︑一九. ︷旨問ユaユ99霧①お認︸ψ鵠O ローマの宣言は︑ヨーロッパ諸国にとっては︑本質的に新しいものはなにももたらさな. 四八年十二月十日の国連の人権宣言を逐語的に追っていることもあるが︑これと異なった二つの重要な点は︑第一に︑この. 条約が︑かつての自由権的基本権につきて社会的基本権に全然触れなかったこと︑第二に︑この自由権的基本権のために個. 人に特別の権利保護︑つまり人権委員会と人権裁判所による救済を求めることができる点である︑という︒密零訂FU冨. o自o冨一ω魯o閤o奪o呂8曽ヨω︒言けNoαR竃窪ω︒冨毫︒︒算①仁昌α爵琶象邑訂一$p2︸白一〇㎝ω︸ωモo︒︒ G 崩︒もほぼ︑. しかしながら︑この否定説を展開している︑ヶルン︑シエッツェル︑イエシェクの三人とも︑この条約について︑基本法. 同じように述べている︒. 五九条二項の同意法を経ていること︑また︑この同意法がどのような効力を有しているかにつき全然論じていない︒. 国o鐸Rびα一8び90Φ賃o冨凶のoぽ困Φロω魯o目Φ9駐ざ曇︒馨一〇pぎ寄げヨ窪αR<︒ほ霧ω§賜ヨ躬蒔窪9号毒堕冒 ︒㊤酔旧O畦銭ρU巽ω鼠昌αqR一≦①昌のo箒員09什o一旨<α一ぎ昌g辟ご㎝9ω・障崩● 一〇緕讐①o. 寓霞ggΦ誤区①歪凝gα段電o山霞魯象︒国・奪Φ呂8釜旨ω3暮器α霞竃窪ω畠︒⇒§毎琶儀9琶鼻Φ一富一︐. ω<RO国一〇●ミド寓薗自βN一Uo旨ω9Φのω審暮ωお息一. ︵2︶. ︵3︶. ω●一〇ド. ︵4︶. 零費α①︸ 2 一 ≦ 一 8 0 噂 ㎝ ミ 融 ︒. 2一名一80︸曽宕R. 一三. け窪N匡肉一︒罫N︒ ︒一R旧国Rσの計O幣邑一︒冥Φ詳α巽浮ε貫Φ浮き亀琶ひ亀︸︾§鴨冨巨三の葦αω︒どg儀段言窪ω︒冨亭. ︵5︶. わが国における裁判公開原則の成立過程︵鈴木︶.

(32) ︵6︶. ω9霜①乱ぎ︒びU窃勺Rω身一凶︒算⑦一簗8馨日αR留暮ωg窪N三冨9富o鼠霊躍讐ω・一〇一・. この判例にたいする批判︑囚曽げ昌ρ2一マ一零ど譜鳶蝉ωoげ旨箆計一N一Sρ3⁝=①昌ω. 一一四. ︵7︶. この準備委員会報告の翻訳がある︒﹁ドイッ民事裁判制度改正準備委員会報告﹂法曹会発行︑同書八八頁︑さらに続けて. 切警巨8U霧巽90痒貯α幣旨一一畠o寄︒算雲︷↓①坤一p魯日Φ彗O①膏算ω<o浮餌呂一毒ひq・7舅お刈o︒・︒ Gご. 早法五七巻三号︵一九八二︶. ︵8︶. 2一白一8PgO砕. ︵9︶. ﹁なにしろ本来ならばかれらのプライバシイの範囲を超えてもち出されることのない筈の家庭内や営業上の私事が︑裁判の. ω9毛R舞器お鉾ρρ・ω・一8は︑﹁しかしながら︑このような一致した申立というのは︑当事者間でよくおこる衝突の. お蔭で公衆の目の前にさらけ出されることになるからである﹂と指摘している︒. 状況から考えると︑一方の当事者の︑営広ヨ聲げ弩Φの保護にとっては決して十分ではない﹂と懸念している︒. ︵10︶. ω.一旨. 明治憲法の制定経過における公開制限事由. 旧ω9毛o鼠90斜鉾勲O. 国α9∪一ゆα欝注8罫①一呂︒ωN三菅︒N①ωの8ー①一器§N︒凝・ヨ農︒明︒§り問︒ω§ぼ洋︷昏ω9︒旨く89邑ω琶Pω.. 五. シ又ハ風俗ヲ素タスノ恐アル時ハ裁判所ハ原被告ノ申立二因リ叉ハ職権ヲ以テ審理ノ全部若クハ一部ヲ公行セサルコ. も︑一四八条は﹁判決ヲ為ス裁判所二於テスル審理及ヒ判決判定ノ云渡ハ之ヲ公行ス﹂とし︑一四九条は﹁公安ヲ害. 此限ニアラス﹂として一般公開を許していた︒また︑現行民事訴訟法の基礎となった︑明治一八年のテヒョー草案. 傍聴規則を定めて﹁民事訴訟審判の儀人民一般傍聴差許候條此旨布告候事︒但男女ノ間二起リシ風儀二関スル訴訟ハ. 理・判決の公開のたてまえは採用されていたのである︒大審院が創設された明治八年に大政官布告三〇号は︑裁判所. 一わが国では︑明治憲法において裁判公開原則が確立される以前に︑すでに︑民事訴訟︑刑事訴訟において︑審. Nお. ( 11 ).

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