1.はじめに
政府の知的財産戦略本部が公表した『知的 財産推進 2004』1でも指摘されているように,
知的財産の保護があまりに過度となった場合 には,公正かつ自由な競争,学問・研究の自 由,表現の自由などといった現代社会が有し ている基本的価値と抵触する可能性がある。
そのため,これらの基本的価値に留意しつつ,
バランスのとれた知的財産制度を目指す必要 がある。本稿では,著作権法と表現の自由と の関係について考察するが,著作権法の解釈 において表現の自由の価値を加味するという 柔らかな観点ではなく,著作権法自体が,表 現の自由の規制類型としてどのように位置づ けられるのか,その審査基準はいかにあるべ きかという,かなり思い切った観点から考察 を行った。ただ,筆者は憲法学の素養がある わけではないため,憲法学におけるごく基本 的な理解を基礎に検討を進めている。本研究 拠点が志す学問横断的研究に資するべくあえ て取り組んだ課題であるが,拙文における議 論の未熟さも加わり,本稿については,筆者 としてもまさに恐る恐る提出した次第である。
したがって,前提の不備や間違いがあれば,
容赦なく御指導御叱責をいただければ幸甚で ある。
著作権法は,著作者人格権を中心とした人
格権的側面と著作権および著作者隣接権を中 心とした財産権的側面とがあるが,後者に着 目した場合,その性質は財産法である(以下,
本稿では,単に著作権という場合,著作権法 の財産法的側面を総称するものとして用い る)2。この財産法としての側面に着目した場 合,著作権法はまさに財産権を設けたことに その特質があるのであり,著作権を侵害する 表現を積極的に制約するために,著作権法が 制定されたのではない3。しかし,著作権法 は「著作権」という財産権を創設する結果,
その反射的ないし付随的効果として「著作権 を侵害する表現」を制約する。この意味では,
著作権法も,表現の自由を制約する側面を有 する立法として位置づけることは可能であ る4。しかしながら,著作権法それ自体につ いて,表現の自由との関係はあまり議論され ることはなかった5。具体的事案において,
例えば,翻案や著作物性,創作性等の著作権 法上の概念を解釈する際に,表現の自由の意 味にも関連づけて議論されることはあるが,
著作権立法自体の合憲性という文脈において は表現の自由とのかかわりが明確には議論さ れてこなかった。
一方,著作権法は財産法としての側面だけ ではなく,さらに,情報政策に関する経済的 立法の一つとして捉えることもできる。これ により,表現の自由との関係がさらに相対化 されることになる。従来の憲法学において承 認されてきた二重の基準論に従えば,経済的 立法は情報政策の点においても広い立法の裁 量領域が存在する。そのため,これに関する
著作権法と表現の自由に関する一考察
―その規制類型と審査基準について―
今村哲也
** 早稲田大学助手
議論も「妥当な政策は何か」という政策論的 判断が中心となる。著作権法はその制定以来,
こうした経済政策的な配慮を基礎として,累 次の法改正が行われてきた。
所有権のようなすでに歴史的に確立した財 産権とは異なり,現在も発展過程にあり,か つ権利内容や権利性そのものが法の規定の仕 方に大きく依存する著作権のような財産権は,
新たな規定の創設が,今後の経済社会の枠組 みを決定する構造規制となるという側面も有 している。そして,この構造規制としての性 質は,情報の流通のあり方も含めた経済社会 の枠組みを規定している。
著作権法と表現の自由との関係について,
この構造規制としての側面を再考する必要が あるように思われる。もとより,こうした構 造規制は,憲法 29 条1項の財産権の保障規 定に従い,公共の福祉に適合するよう定めら れている。したがって,基本的には,憲法適 合性に疑義は生じない。しかし,累次の法改 正により,著作権法に新たに付け加えられ,
あるいは修正される法規定についても果たし て同じことがいえるだろうか。情報の流通の あり方にゆがみを生じるような構造規制は,
表現の自由との関係でやはり疑義が生じるの ではないだろうか。だとしたら,この問題は,
従来の表現の自由の規制に関する議論との関 係で,どのように位置づけられ,あるいは論 じられるべきなのだろうか。
かかる問題について,従来から日本にはあ まり議論が存在しないようである。しかし,
米国においては,この表現の自由と著作権と の関係について,いくつかの論稿が 1970 年 代に報告されている。その中でも,定義づけ 衡量の手法(範疇化テスト)を基礎に,著作 権を侵害する表現は,基本的には表現の自由 の 審 査 を 受 け な い と い う 結 論 を 導 い た
Melville Nimmer
の論文は6,それ以後の判 例や学説に大きな影響を与えたといわれる7。 また,近時,米国では,著作権保護期間延長 法の憲法論争との関係で,再びこの分野の議論が盛り上がりつつある。そうした中で,著 作権法も表現の自由の審査を受けるのではな いかという観点から,一定の審査基準を提示 し て 議 論 を 展 開 す る
Mark A. Lemley, Eugene Volokh
あ る い はNeil Weinstock
Netanel
の論稿が存在する。本稿では,これらに触れながら,著作権法における表現の自 由の価値の位置づけについて検討してみたい。
2.従来の思考形式
2.1.M. Nimmer の見解
「著作権は言論と出版の自由を保障する第 一修正を制限するか」8と題する
M. Nimmer
の論文(1970 年)は,この問題について真 正面から問題提起し,著作権と言論・出版の 自由の衝突について考察している。米国憲法第一修正条項は,「議会は,言論 や出版の自由を制限する法律を制定してはな らない」と規定するが,著作権法は言論や出 版の自由をある程度制約する結果になる。こ の矛盾をどう解決するか。
M. Nimmer
は,言論や出版の自由をある程度制約することに なる法律のすべてが第一修正の審査に服する とする絶対的アプローチをとる必要はないと し,相対的アプローチを採用した上で9,あ る表現が憲法で保障された「表現の自由」に 属する「表現」であるかどうかの判断が必要 になるとする。
この判断につき,個別的衡量(
ad hoc bal-
ancing
),すなわち,個別具体的な状況の下において,対立している二つの利益(第一修 正側の利益と著作権法側の保護法益)のいず れがより保護を必要とするのかを判断する手 法を用いることもできる。しかし,個別的衡 量は司法審査の予測可能性が担保されない結 果,表現の萎縮効果(
chilling effect
)が生 まれる。また,個別的衡量は言論の利益に 勝って国内安全保障のようなノン・スピーチ の利益を支持する傾向もある。そこで,
M. Nimmer
はいわゆる定義づけ衡量(
definitional balancing
)とよばれるテ クニックを用いる10。定義づけ衡量によると,個別具体的な状況を離れて,一般的抽象的に,
第一修正の利益とそれと対立する利益(著作 権法の保護法益)との利益衡量を図りながら,
表現の自由の価値に比重を置いて対立する利 益(著作権)を侵害する表現の範囲を限定し,
表現内容の規制をできるだけ限定する。事前 の利益衡量であるため,特定の表現に対する 萎縮効果を回避すると共に,判定者の主観に 流されない慎重な判断が可能となる11。
定義づけ衡量の対象について,
M. Nim- mer
は,著作権に係る利益を,著作者の創 作的活動により公共の利益が生じ,著作権独 占がこうした創作的著作物に対するインセン ティヴになるという経済的根拠と,未発行著 作物等に生じるコモン・ロー上の権利として の著作物のプライヴァシーに関する著作者の 利益であるとし12,一方,表現の自由の利益 は,個人の自己実現(self-fulfillment
)の価 値,国民の自己統治(self-governing
)の価 値 , 暴 力 的 行 為 に 対 す る 安 全 弁 (safety-
valve:
いわゆる「ガス抜き作用」)であると位置づける13。
定義づけ衡量の対象となる利益をこのよう に捉えた上で,著作権におけるアイデアと表 現 の 二 分 論 (
Idea-Expression Dichotomy
) を基礎として利益衡量を行う。表現とアイデ アの二分論とは,著作権はアイデアの表現を 保護するものでありアイデア自体を保護する ものではないという著作権法の基本原理である。
M.Nimmer
は,アイデアと表現との線引きが,著作権と自由な言論の利益との間に 存在する適切な定義づけ衡量を提示するとす る。すなわち,他人の「表現」を複製する権 利を制限することは,第一修正をある程度は 制約することになるが,これは,著作権が創 作的著作物を誘発するという,より大きな公 共の利益によって正当化される。他方,アイ デア自体が保護されないとすることは,著作 者が自己の著作物を支配する権利を侵害する
結果となるが,これは民主政の対話のための 思想の自由市場へのアクセスというより大き な公共の必要性により正当化されるとする14。 かかる二分論を前提に,著作権法において保 護される表現とは,アイデアの特定の選択及 び配列,およびそれらの表現形式に付加され た特質であると定義し,アイデアと表現の具 体的な線引きを行っている15。
これに対し,二分論が適切に働かない場合,
例えば,一定の報道写真のように,アイデア と表現との結合が切り離しがたく,かつ,民 主政の対話の過程にとって重要な意味を持つ ような場合は,例外的な状況として,少なく とも強制許諾のような方式で独占の例外を認 める場合を提案している16。また,創作のイ ンセンティヴという観点から,著作権の保護 期間を遡及的に延長する立法に関しては厳格 な立場を採用する17。
M. Nimmer
の論稿を要約すれば,著作権と表現の自由との対立は,表現とアイデアの 二分論と著作権保護期間の限定という内在的 制約の存在によって解決されると説明される ことになる。そして,上記のような定義づけ 衡量が正確に適用される限り,一部の例外を 除き,著作権を侵害する表現は基本的には第 一修正の検討を個別的に受けないという結論 を採用することになる。かかる
M. Nimmer
の結論をNeil Weinstock Netanel
は,「Nim- mer exoneration
」と命名している18。そし て,事実,1970 年代多くの地方裁判所がM.
Nimmer
の結論を採用し,著作権はアイデアまたは事実の伝達でない表現を制限するもの であるから第一修正とは関係しないと判断し,
著作権侵害に対する第一修正の抗弁を却下し たといわれる19。
2.2 著作権を特別扱いすることの問題点 近 時 の 論 稿 に お い て ,
Netanel
は ,M.
Nimmer
の 見 解 を 批 判 的 に 考 察 し て い る 。Netanel
によると,M. Nimmer
の結論は,70 年代の他の論説と同様に20,その当時話題 になっていた訴訟事件に大きな影響を受けて
おり,また,
M. Nimmer
のおかれていた状 況と現在の著作権と表現の自由を取り巻く状 況の変化が,彼の結論を受け入れることがで きない状況を作り出しているという21。ところで,わが国でそうであったように,
著作権法が表現の自由の重大な制約となると いうことは,ほとんど意識されてこなかった。
それはなぜだろうか。この点,
M. Lemley
とEugene Volokh
は,事前抑制禁止法理と知 的財産権に基づく暫定的差止命令との関係に ついて論じた論考の中で,著作権法が表現の 自由との関係で特別扱いされてきた理由につ いて,¸著作権法が基本的に財産法であるこ と,¹著作権は国家ではなく私人が執行する こと,三著作権法は内容中立規制であるため 緩やかな基準で審査されること,»著作権で 保護される表現はあまり政治に関係がないた め言論の自由の制約にとって脅威が少ないこ と,¼著作権法自体が言論を促進する機能を 有すること,½米国憲法には著作権・特許条 項が特に存在すること,¾著作権によって得 られる政府の利益思想の普及に対するインセ ンティブを与えるという利益の重要性,¿著 作権侵害により回復できない損害が発生する こと,Àアイデアと異なり,表現には多様性 があるため一つの表現が制約されても他の表 現が可能であること,Á結局は著作権者等に よって当該表現は社会に公表されるので言論 の制約にはならないこと,Â映画や本などの メディアは,新聞等と異なり,急を要するも の(time-sensitive
)ではなく,暫定的差止 命令が言論の自由に対してさほど危険を及ぼ さないこと,Ã伝統的に著作権の問題は言論 の自由の問題ではないとされてきたことを挙 げ,それぞれ批判的に考察している22。ここ では特に重要と思われる,¸財産法としての 著作権法,¹私権としての著作権,¼著作権 法の言論促進作用,Àアイデアの単一性・表 現の多様性の四点について順に検討していき たい23。2.2.1 財産法としての著作権法
本稿の最初に述べたように,著作権法は
「著作権」という財産権を創設する結果,そ の反射的ないし付随的効果として著作権を侵 害する表現を制約するにすぎない。このよう に,著作権法は基本的に財産法であり,著作 権を侵害する表現を積極的に制約するために,
著作権法が制定されたのではない。かつて,
歴史的には,17 世紀のイギリスにおいて著 作権が書籍業者の業界慣習から国家の制度と して公認される過程で,一時期,政府の検閲 の手段として使われたこともあったという が24,少なくとも,現代の著作権法の狙いは そこにはない。国家が特定の者に特権を与え,
それによって他の者の表現を制約することを 積極的な目的とはしていないのである。こう した点からも,
Wendy J. Gordon
の述べる ように,「『財産』(プロパティ)という呪文 は,言論の自由の問題を見えなくするのに十 分なようである」25。とはいえ,単に言論規制が財産法として記 述されたことだけで,著作権法が言論の自由 の保障を回避するということはできないだろ う26。確かに,日本国憲法 29 条 1 項は,「財 産権の内容は,公共の福祉に適合するやうに,
法律でこれを定める」と規定し,ここにいう
「公共の福祉」とは,自由国家的公共の福祉 と社会国家的公共の福祉を含むとされるた め27,内在的制約としての表現の自由の考慮 も含まれているとすれば,著作権法制定によ り権利の内容を決定する時点の考慮要素の一 つとして,表現の自由の要素もある程度は予 め組み込まれていることになるだろう。著作 権の制限規定(著作権法第二章第三節第五款)
は正にその点を考慮した規定である28。ただ,
著作権法は,著作権保護の強化を目的として 頻繁にその内容が変更されるため,従前より 組み込まれた表現の自由の要素が,著作権保 護というスローガンのなかでかき消され,相 対化される危険性がある。また,パロディに 関する事案や翻案・編曲に関するいくつかの 判例29をみるとき,法制定時に組み込まれた
表現の自由の要素が,さほど明確な規範を示 していないことは明らかであり,解釈による 明確な規範定立なくしては,表現の萎縮効果 が生じかねない。
財産権たる物権の代表格である所有権の絶 対性は,歴史的によく確立した観念であり,
この絶対性を所与の前提として,他の権利や 自由との関係を論じてもさほど支障は生じな い。これに対して,著作権制度は,歴史的な 情報環境の発展程度に作用されやすく,現状 では,制度の存在自体はゆるぎないものであ るとしても,その制度の細部において,所有 権ほどに万全に確立した観念ないしスキーム には成長していない。著作権法制度の確立過 程において,その財産法秩序の中に組み込ま れるべき表現の自由の要素は,多くあるよう に思われる。
2.2.2 私権としての著作権
表現の自由は,国家からの自由を基礎とし て,主として国家と国民との関係において問 題となる。これに対して,著作権は私法上の 権利すなわち私権である。そのため,これら 間に憲法問題が生じにくいという問題はある かもしれない。しかし,決して生じないわけ ではない。著作権と表現の自由との関係につ いては,¸議会の制定する著作権法の諸規定 の合憲性,¹個別の著作物に関する権利行使 と表現の自由との関係という二つの場面に分 けることができる。私権であるからという理 由により,¸および¹のいずれの場面からも 表現の自由による審査が免除されることはな いように思われる。¸については,当該私権 を基礎づける規定について,法令違憲の主張 を―そういう状況は極めてまれであろうが
―付随審査制の下,私人間の訴訟において 行うことになるであろう。また,忘れてはな らないが,著作権法が私人に刑事罰を科す場 合には,まさに国家と国民との関係を生じる ことになる30。
一方,¹の場面についても,憲法規定の私 人間適用31という形式で,表現の価値が斟酌
されると思われる。近時,契約と技術による 著作権オーヴァーライドが問題として指摘さ れている状況において32,電子透かし等の技 術的手段を用いた私的な社会権力による,表 現の自由の派生原理としての通信の秘密(憲 法 21 条2項後段)への介入は深刻な問題と なってくるかもしれない。また,著作権をは じめとして知的財産権は,無体物であるため,
その権利範囲が所有権ほどに明確ではない。
私権とはいえ,権利範囲の確定が,最終的に 公的機関に委ねられることも多い。著作権と の関係では,著作物性の問題や,翻案や編曲 の著作権侵害性が争われる事案はまさにこの 例であろう。こうした場合,裁判所は,表現 の自由の価値を考慮した上で権利の範囲に関 する要件や侵害等の成立要件の明確性を確保 する必要がある33。こうした点を勘案すると,
¹の場面は,今後よりいっそう重要になって くるかもしれない。
2.2.3 著作権法の言論促進作用
著 作 権 が 言 論 を 促 進 す る (
speech-fur-
thering
)規制であるという議論に関しても,同じように一定の表現を規制する法律につい て,言論を促進する規制とそうでない規制を 区別することについては根拠に乏しいように 思える。ある法規定において,それ自体にあ る程度言論を促進する機能があったとしても,
それによって表現の自由の審査も免除される かどうかということは,基本的に別次元の問 題であるというべきである34。
2.2.4 アイデアの単一性・表現の多様性 アイデアと異なり,表現には多様性がある ため一つの表現が制約されても他の表現が可 能であること。このアイデアと表現の二分論 に基づく根拠は,表現の自由との抵触からの 免除を法理的に説明するための決定的な原理 であるといえるかもしれない。著作権法は特 定の表現を保護し,アイデア(思想)の自由 市場にとって新しいことを何も加えない表現 だけを禁止する35。すなわち,特定のアイデ アの独占は認めない。そのために,民主政の
過程にとって重要な思想の自由市場を侵害せ ず,それゆえ,表現の自由を侵害しないとさ れる。かかる説明は明瞭である。
しかし,この点について
Netanel
は,ア イデアと表現の二分論を表現の自由の審査か らの免除の主要な要素として位置付けること に対して,¸話し手が既存の表現を利用でき なければ,当該言論が甚だしく説得性,感動 性,理解性,信頼性,真正性を欠く表現しか できない場合があること,¹派生著作物等の アイデアと表現との境界線があいまいな表現 物が存在していることを指摘し,「アイデア と表現の二分論は非常に漠然としており,話 し手の自己検閲(self-censorship
)を少なか らず誘発する」とし,それによる話し手に対 する萎縮効果を危惧している36。不明確さに よる萎縮効果については,C. Yen
によって も指摘されており,「かかる(思想の自由市 場論に基づく二分論の)分析は,第一修正が,憲法的に価値があるとみなされる言論を保護 しているだけではないことを見落としている。
第一修正は,法律は,ときに曖昧になること が避けられず,そのために予期される話し手 にとって,企図する表現が禁止されるのかど うか不明確である場合があることも認識して いる。この不明確性は,個人が,起訴されま たは訴追されることをおそれて,第一修正の 権利を行使することを差し控える『萎縮効果』
を創出する」と指摘している37。
そうした意味では,アイデアと表現の二分 論は,表現の自由に対する内在的制約の一つ であるといえるものの,アプリオリに表現の 自由の審査を免除するという機能までを有す るわけではなく,内在的制約として適切に機 能させるような取組みが必要となる。必然的 に存在するあいまい領域の不安定性,予測不 能性は,立法論によっては容易に解決できな い。表現に対する萎縮効果の点を意識した解 釈論の充実に取り組むべき点であろう。例え ば,著作物性(著作権法2条1項1号)の解 釈の際にアイデアと表現の明確な基準を定立
したり,翻案や編曲の事案において,アイデ アの模倣と表現の模倣を明確に区別できる基 準を定立し,権利侵害の不確実性を払拭する ような議論を展開していく必要性がある。
3.著作権法と表現の自由の規制類型
以上のように,著作権法には他の表現を制 約する法律とは異なる特殊性が事実として存 在することは否定できないが,それを理由と して著作権法が表現の自由の審査を免除され るという結論を採用することは適切でない。
定義づけ衡量自体は,法解釈に際して様々な 示唆を与えるが,基本的には,例えば「著作 物」とは何か,「翻案」とは何かといったこ とが問題となる場合に,著作権法の規定を所 与のものとして,その文言の限定づけを行う にすぎないのであり,新たな立法が表現の自 由に適合的かを審査する基準としての適格を 有していない。では,著作権法は表現の自由 を制約する規制立法として,どのような類型 に分類されどのような基準で審査することが 求められるのか。ここではまずその前提とし て,表現の自由を制約する規制立法の区別に ついて整理する。
3.1 内容規制と内容中立規制
表現の自由を制約する規制立法の類型的区 別方法としては,内容規制と内容中立規制の 二つに大別して,異なる違憲審査の基準を適 用するのが一般的なアプローチである(二分 論)。内容規制とは,ある表現をその伝達す るメッセージを理由として制限する場合をい う。この内容規制のうち,低い価値の言論
(
low value speech
)とよばれる表現,例え ば名誉毀損的表現,憎悪表現等を規制する法 律規定の合憲性は,定義づけ衡量ないし範疇 的衡量(categorical balancing
)とよばれる 手法を用いて判断され,こうした類型以外の 表現に対する規制の合憲性は,一般に厳格審 査基準とよばれる「やむにやまれぬ公共的利 益」の基準ないし「明白かつ現在の危険」の基準によって判断される38。
これに対し内容中立規制とは,表現をそれ が伝達するメッセージの内容や伝達効果に直 接関係なく制限する規制をいい,規制の態様 を①時・所・方法と,②象徴的表現の規制な いし行動を伴う表現(
speech plus
)の規制 の二つに分け,前者に対しては「より制限的 でない他の選びうる手段」(LRA
の基準)の 基準(中間審査基準)が,後者に対しては合 理的関連性の基準(オブライエン・テスト39) が一般的に適用される。LRA
の基準とは,立法目的は表現内容には直接かかわりのない 正当なもの(十分に重要なもの)として是認 できるが,規制手段が広汎である点に問題の ある法令について,立法目的を達成できる他 のより制限的でない手段の有無を具体的に審 査することによって,違憲か合憲かの結論を 導き出す基準であり,オブライエン・テスト とは,¸立法目的が,重要な公共的利益を促 進するものであり,¹表現の自由の抑圧と直 接関係がないこと,º規制手段の表現の自由 に及ぼす付随的効果(間接的影響)は,立法 目的を促進するのにぜひとも必要という限度 を超えるものでないこと,という三つの要件 で構成される基準である40。本来,オブライ エン・テストの要件そのものは厳格な審査基 準としての中間審査基準に近いものであるが,
ºの要件の運用が,立法に極めて敬譲的な形 でなされる傾向があるため,合理的関連性の 規準という緩やかな規準として位置づけられ ている41。
内容規制の違憲審査基準が,内容中立規制 の違憲審査基準よりも厳格な基準であるのは,
表現の自由の保障の趣旨から説明される。す なわち,表現の自由の保障は,表現の価値・
危険性を表現者と表現の受け手の判断に委ね,
裁判所を含めた国家機関が表現内容に踏み 入って判断することを原則として禁止したも のである42。それゆえ,表現内容に基づく制 約の方がかかる文脈における表現の自由に対 する危険性が強く,厳格な審査を要するが,
表現内容に基づかない規制はそれよりは相対 的に緩やかな審査に服することになる。二分 論に対しては,一元論の立場から,表現の自 由は情報の自由な流れ自体を保障しているこ と,他の表現手段では代え難い意義をもつ表 現手段もあること,現代において内容規制は 減少しておりむしろ内容中立規制が多用され ており,二分論ではこれらが厳格な審査をま ぬがれてしまうこと,表現の自由には自己の 望む情報を自己の選択する時・場所・方法に おいて表現するという自己実現の価値も含ん でいるという観点から,二分論の区別に疑義 を唱える見方もある43。ただ,一元論とはい え内容規制と内容中立規制の実質的な区別を 全く否定しているわけではなく,いずれの規 制に対しても厳格な基準によるべきであると いう主張を主眼にしているため44,両者の概 念的区別自体が否定されることはないと思わ れる。また,内容中立規制は内容規制の対概 念として存在意義を有するだけでない。内容 中立規制において更にいくつかのサブカテゴ リを設定し,それぞれの規制態様に最も適切 な判断基準を想定し,予測可能性を担保して おくという意味において一定の意義が存在す るのではないかと思う。
この点,著作権法を内容規制と位置づける 見解もある45。
Lemley
とVolokh
は,内容中 立規制の審査基準が内容規制の審査基準より も緩やかであることを前提とした上で,著作 権法はイデオロギー的に見解中立的(view- point-neutral
)であるが,プレスされるもの の内容に依拠して規制を加える以上,内容中 立的(content-neutral
)ではないと議論す る。しかし,著作権法は基本的に表現の内容規 制ではないと思われる。確かに,著作権侵害 は問題となる作品の「内容」に関わるが,国 家が当該表現の価値や危険性に踏み入って評 価することの回避という表現の自由の文脈に おける表現の「内容」に対し規制を加えてい るわけではない。いいかえれば,著作権法は,
表現の伝達するメッセージを理由に制限を加 えているわけではないのである46。
Lemley
とVolokh
は,内容中立規制とす ると緩やかな基準で審査されてしまうという ことも危惧している。しかし,そもそも内容 中立規制が内容規制よりも緩やかな基準で審 査されるという命題についても,内容中立規 制についても原則としてLRA
の基準のよう な厳格な基準が適用されるべきだとする有力 な見解47を採用し,あるいはオブライエン・テストを厳格な形式で適用するのであれば,
内容中立規制の審査基準の緩やかさから生じ る問題もある程度克服できるだろう。
3.2 内容中立規制としての著作権法―
Netanel の「言論資格割当規制」論 著作権法は,表現の自由との関係でみた場 合,内容中立規制として位置づけられると解 するべきである。しかし,内容中立規制にも 様々な類型が存在し,一般的には,①時・
所・方法の規制や,②象徴的表現の規制ない し行動を伴う表現の規制があげられる。しか し,著作権法はこのいずれの類型にも適合的 でないように思われる。①と②はいずれも主 として,本来は表現の自由とは全く関係を有 しない法律が,結果として表現の自由を規制 する場合に,付随的ないし間接的に言論を制 約する効果を生じるにすぎない。この点,確 かに著作権法も,表現の自由を付随的ないし 間接的に制約する効果を生じる。しかしこれ は,著作権という財産権を制度的に保障した 結果として生じた反射的な効果であり,①や
②のカテゴリとは根本的に性質が異なると思 われる。
この点につき
Netanel
は,Turner
事件48 に基づいて,内容中立規制の新たな類型とし て,「言論資格割当(speech entitlement allo-
cations
)規制」を設定する。言論資格とは,「所定の伝達経路を通してなされた表現をコ ントロールする権利,予期される観衆にアク セスする権利,特定の表現内容の使用をコン トロールする権利を含むもの」と定義されて
いる。著作権法を言論資格割当規制に含まれ るものと位置づけ,
Turner
事件で用いられ たような厳格な形式で適用されるオブライエ ン・テストを用いるべきであると主張してい る49。Turner
事件では,1992 年ケーブルテレビ 視聴者保護並びに競争法50に含まれる,一定 規模以上のケーブル事業者に対する地上波放 送の再送信義務づけ(must-carry
)条項が言 論・プレスの自由を制限するかどうかが争点 となった。最高裁は本判決において,内容中 立規制に適用される一般的な審査基準である オブライエン・テストを採用し厳格に適用し た。Netanel
は,Turner
判決が,オブライ エン・テストを適用した際には,議会の判断 が実質的証拠により支持されることが必要で あり,また裁判所はかかる証拠を評価する際 に,議会に対して敬譲的にではなく独立に判 断することを求めていると述べている51。Turner
判決で問題となった再送信義務づ け条項は,放送業界の利益を保護するための 規制,すなわち,多くの規制立法と同様に,業界が競争制限から得る利益(レント)を実 現するために導入されたものと見ることも可 能であるといわれる52。そして,この立法の 背景では,放送業界と通信業界の激しいせめ ぎあいやロビー活動が展開されたといわれて いる53。
言論による利益の受益者は幅広いが,個人 的な集団に拡散しており,規制に対する利害 も分散しているため,全体として,ロビー活 動等,政治過程において有意な圧力を加える 程度に結集することはない。言論以外の分野 では,消費者の利益を代弁する政治的に有力 な団体も存在するが,有力な話し手が公衆の 利益を代弁する可能性はあまりない。一方で,
政治過程において力を有する話し手の利害は,
言論の受益者全体の利害と必ずしも一致しな い。とりわけ,一部の情報産業の利益団体が 有力な話し手である場合はそうである。この ため,こうした団体が政治過程において働き
かけを行い,結果,政府が,一定の話し手に 市場における地位の維持と競争制限を行いう る言論資格を付与したとすれば,これについ て , 裁 判 所 は , 議 会 に 対 し 敬 譲 的 な 審 査
(
deferential review
)を行うべきではない54。Netanel
によると,著作権法はTurner
事 件で問題となった再送信義務づけ条項と同様,一部の話し手ないし産業に対し,政府が言論 の権利を事実上割り当てることになる規制で あり,立法府への敬意から緩和されがちな内 容中立規制においても,厳格な中間審査基準 を維持すべきとされる。競争制限による利益
(レント)の分配は,経済立法の分野におい て通常行われることだが,言論資格割当の形 式でなされるレントの分配については,厳格 に審査するべきであるというのが,彼の立場 である55。
かかる位置づけには,著作権が完全に産業 化し,一部の産業における利益団体のロビー 活動によって,当該産業にとっての利益を追 求するような変則的な法改正がなされがちな 現在の米国著作権法の状況が背景にある。こ のような状況においては,合理性の基準のよ うな立法府の判断に敬意を払う敬譲的審査で はなく,政府の立証責任を厳格に求めるとい う意味において,オブライエン・テストを厳 格に運用すべきとすることは,ある意味,的 を射た分析かもしれない。
現在のところ,内容中立規制のサブカテゴ リとして「言論資格割当規制」のような類型 を設定し,審査基準を吟味するという見解が どれほど一般的なのか筆者にはよく分からな い。とはいえ,著作権法は単なる財産法にと どまらず,著作権に関わる産業の構造を規定 する構造規制たる性質が強まってきており,
このような規制類型を一般的に「言論資格割 当規制」と位置づけるかどうかは別としても,
こうした構造規制に関して,他の類型と区別 して審査基準を吟味する必要性が存在する考 え方は理解できる。とりわけ,著作権の法改 正状況をみると,表現の自由を含めた公共の
利益に対する配慮より,既に著作権を独占し ている特定の産業のレント追求に対する配慮 が重視されやすい傾向があることは否めない。
これは単なる著作権産業の影響力ないしこれ に対する情報受益者側の無力さに原因がある だけでなく,著作権=商品という位置づけ56 から,著作権法の発展に際して,権利者の自 由を最大化する政策を実施するような政策傾 向が本質的に存在していることも原因である と考えられる。
4.結びに代えて
本稿では,著作権法が著作権を侵害する表 現を制約するにもかかわらず,表現の自由の 審査を受けてこなかった原因について,多少 の考察を試みた。ただ,結局のところ立法府 により著作権法に設けられる規定について,
表現の自由との関係で疑義が生じるのは,極 めてまれな場合であると思う。しかし,仮に 適合的であると判断する場合であっても,そ の場限りの政策的利益判断ではなく,表現の 自由に与える影響も鑑みて規制を類型化し,
その類型について妥当する一定の基準にあて はめて判断するという過程を経ることには意 義があると思われる。アド・ホックな政策的 利益判断は,表現の自由の価値を他の経済的 価値と同列に論じ,等価的な比較衝量を行う 危険性がある。
広義には情報政策の一つとして捉えられる 著作権法政策は,著作権という財産権の存在 を前提に,新しい技術的・社会的状況に対応 するための政策の展開する傾向が存在するこ とは否めない。著作権の内容は,情報流通の 実態を前提として,政策的に決定されていく 性質を有する57。もちろん,こうした傾向・
性質自体は間違いではない。しかし,経済政 策を実施していく上においても,表現の自由 を不当に害するような規制は,財産権保護の ためでも許されない場合があろう。本稿では,
この点について,単なる政策的な抽象論では
なく具体的な審査基準を明示する方向で議論 を進めた。表現の自由の問題に限定したのは,
従来の憲法学における議論との架橋により,
より具体的な議論を模索できる可能性があっ たためである。
昨今米国で問題となったソニー・ボノ著作 権保護期間延長法58の違憲問題等の背景にあ る意識は,正しく,利益団体によるレント追 求のための激しいロビー活動の結果生み出さ れた法律の合憲性に対する疑義であろう。米 国最高裁判所は合憲の判断を下したが59,今 後,技術の発展に伴い,新しい情報環境に対 応するため著作権の支分権が追加し,またそ の内容の拡張について議論されることがでて くるだろう。また,権利者の許諾が必要な著 作物の「利用」と著作権が及ばないとされる 著作物の「使用」というそれぞれの概念の峻 別が,著作物へのアクセスを規制する契約や 著作物へのアクセスを規制する技術的措置を 施した製作物の存在により相対化されていく 状況で60,著作物の自由な使用の領域を確保 していく方策も必要である。こうした場合,
立法による対応が求められるのは必要不可欠 なことであるが,一方で,立法によっても制 約が禁止される領域をその場限りの政策的価 値判断のみではなく,一定の立法類型に妥当 する審査基準の明示という形で明確化してお くことが必要である。こうした際,表現の自 由という,解釈・立法に対し禁止事項を明示 できる規範の果たす役割は重要なものとなる。
従来からの表現の自由に関する議論と著作権 法の解釈や立法政策との実質的で具体的な架 橋により,わが国の著作権法制が適切に発展 することが期待される。
注
1 知的財産戦略本部(本部・小泉純一郎)
『知的財産推進計画 2004』(2004年5月 27日)
9頁参照。
2 著作者人格権等の人格権的側面に関わる立 法と表現の自由の問題につては,本稿では扱 わない。但し,著作者人格権と著作財産権と
の関係について,いわゆる一元論立場を採用 するのであればこのような区分けは容易には 認められないだろうし,二元論を採用すると しても,著作者人格権と著作財産権の関連性 を考慮すべきという見方もあるため(作花文 雄『著作権法詳説』(ぎょうせい,2002年)
205頁),本稿のように財産権的側面のみにつ いて表現の自由との関係を考察する前提は,
わが国の法制度に関する視点として果たして 妥当かという見方はある。ただ,本稿は,ア メリカにおける著作権法と表現の自由との論 述を手がかりに筆をすすめているために,結 果として著作者人格権との関係を考慮するこ とができなかった。その意味で,本稿は「ア メリカ著作権法と表現の自由」というにふさ わしいかもしれない。著作者人格権と表現の 自由との関係については,別の機会に検討す ることとしたい。
3 岡 本 薫 『 著 作 権 の 考 え 方 』( 岩 波 新 書 , 2003年)4−6頁も,著作権というものの基 本的な構造として,知的財産権は「私権」で あって「規制」ではないことを明確に述べる が,全く同意する。ただ,「規制」ではない としても,一定の「制約」としての意味はあ るだろう。
4 表現の制約があくまで反射的効果であると いう意識からか,表現の自由との関係が問題 となる権利侵害表現として,直接に「著作権」
を侵害する表現挙げている文献は少ないよう である。佐藤幸二『憲法』(青林書院,第3 版,1999年)525頁等が,個人的法益の例示 として著作権を挙げているのは数少ない例で ある。他に,芦部信喜編『憲法Ⅱ人権¸』
(有斐閣,1982年)[佐藤幸二執筆部分]502 頁(「著作権が情報流通を阻害する機能を果 たす以上,表現の自由の問題でもある」)参 照。
5 わが国における著作権法制度と表現の自由 について論じた最近の論稿として,野口祐子
『デジタル時代の著作権制度と表現の自由―
今後の知的財産戦略にあたって考慮すべきバ ランス(上)(下)』NBL777号 18頁,778号 32頁(2004年)がある。
6 Melville B. Nimmer, Does Copyright Abridge the First Amendment Guarantees of Free Speech and Press?, 17 UCLA L.
REV. 1180(1970). この論文を紹介したものと し て , 阿 部 浩 二 「 論 文 紹 介 」 ア メ リ カ 法
[1974]134頁がある。
7 Neil Weinstock Netanel, Locating Copy- right within the First Amendment Skein,
54STAN. L. REV. 1, 7(2001).
8 M. Nimmer, supranote 6. 9 Id. at 1183.
10 Id. at 1184.
11 定義づけ衡量について,芦部信喜〔高橋和 之補訂〕『憲法』(岩波書店,第三版,2002年)
172頁,佐藤・前掲注(4)524頁。
12 M. Nimmer, supranote 6, at 1186. 13 Id. at 1187-1188. M. Nimmer は Brandeis
判 事 の Whitney v. California 事 件 ( 274 U.S. 357(1927))の補足意見を引用している が,表現の自由の価値はThomas I. Emerson の見解を基礎として,自己実現と自己統治の 二つに集約して捉えるのが一般的であり(芦 部信喜『憲法学Ⅲ 人権各論¸』(有斐閣,
増補版,2000年)249− 255頁参照),安全弁 の機能がそれ自体として強調されることは少 ない。
14 Id. at 1192-1193. 15 Id. at 1190. 16 Id. at 1199.
17 Id. at 1193. 著作権の保護期間の延長を遡 及的に適用する立法には違憲性の疑いを示唆 し て い る 。 1-1 M. Nimmer & D. Nimmer, NIMMER ONCOPYRIGHTS§1.05[A][1] も参照。
18 Neil Weinstock Netanel, supranote 7at 7. 19 Id. at 10.
20 例 え ば ,Paul Goldstein, Copyright and the First Amendment, 70 COLUM. L. REV. 983(1970).
21 Neil Weinstock Netanel, supranote 7 at 1-86 を参照。
22 Mark A. Lemley & Eugene Volokh, Free- dom of Speech and Injunctions in Intel- lectual Property Cases, 48 DUKE L.J. 147, 182-197(1998).なお,このLemley とVolokh の論稿は,事前抑制禁止の法理は知的財産に 関する暫定的差止命令にも適用されるべきだ と主張し,最高裁判所の事前抑制禁止法理の 下で,多くの知的財産権に対する暫定的差止 命令は違憲の疑いがあると考えるとしており,
結論としてはかなり刺激的な内容を含んでい る。
23 »,¾,¿,Á,Â,Ãも有力な要因では あることは確かである。½は著作権および特 許権が憲法に淵源を有する(U.S. Const., art.
I, §8, cl. 8.)米国特有の問題意識であろう。
24 検閲制度とコピーライトとの関係について,
白田秀彰『コピーライトの史的展開』(信山 社,1998年)71頁参照。
25 Wendy J. Gordon, A Property Right in
Self-Expression: Equality and Individu- alism in the Natural Law of Intellectual Property, 102 YALE L.J. 1533, 1537 (1993).
Gordon は,ロックの自然権理論を基礎とし
た場合に,かかる自然権に内在する公衆の利 益(表現の自由)の基づく制約を受けること を指摘し,第一修正の抗弁やフェアユースの 柔軟な解釈とは異なる説明の仕方でこの問題 についてアプローチしている。Gordon の議 論については,小泉直樹『アメリカ著作権制 度 原理と政策』(弘文堂,1996年)28−37頁 に詳しい。
26 Mark A. Lemley & Eugene Volokh, supra note 22at 183.
27 芦部・前掲注(11)214頁。
28 政府内では,『知的財産推進計画 2004』の 新規事項として,権利者の利益と公共の利益 のバランスに留意するという観点から,著作 権法の権利制限規定のあり方について検討が 進められることになっている。吉川晃「知的 財産戦略に基づく最近の動きについて―平 成 16年著作権法改正について―」コピラ イト 44巻 521号(2004年)17頁参照。また,
著作権法の権利制限規定に関する近時の議論 をまとめたものとして,著作権情報セン ター附属著作権研究所・権利制限委員会編
(阿部浩二座長)『著作権法の権利制限規定を めぐる諸問題』著作権情報センター,2004 年)参照。
29 パロディに関して,最判昭和 55年3月 28 日民集 34巻3号 244頁[パロディ事件],翻 案に関して,最判平成 13年6月 28日民集 55 巻4号 837頁[江差追分(北の波濤に唄う)
事件],編曲に関して,東京高判平成 14年9 月6日判例時報 1794号3頁[どこまでも行 こう事件]など。
30 通常,著作権法の運用として刑事罰を科す 場合,事実関係が明らかであり,かつそれに 対する法の適用も解釈の余地がないような事 案が多い。そのため,表現の自由との関係が 問題となるようなケースは極まれな状況であ るだろう。また,刑法の謙抑性も歯止めに なっている。ただし,ある規定について憲法 上の疑義があるにもかかわらず,単に現実に は問題にならないという理由でその疑義を放 置しておけば,社会の状況が変化し,刑法の 謙抑性の箍(たが)も緩みはじめたときに,
国家に濫用される道具となる危険性はある。
31 社会的権力に関する憲法規定の私人間適用 に関しては,無効力説,直接効力説,間接効 力説の三説が存在し,その中で間接効力説が
通説・判例であると言われている(芦部・前 掲注(11)107 頁,最大判昭和 48 年 12 月 12 日民集 27巻 11号 1536頁〔三菱樹脂事件〕)。
社会的権力を有する著作権関係者と私人の表 現の自由ないし通信の秘密の保護の問題は,
私人間適用が問題となる場合の典型と思われ る。民法の一般条項の適用において,これら の憲法上の価値を考慮する間接効力説の適用 が検討されることになるだろう。また,裁判 所が私権としての著作権の権利範囲を確定す る際に,著作権法の解釈において,表現の自 由の価値を考慮しなければならないとすれば,
これも,間接効力説の適用場面のひとつだろ うと思われる。通常,間接適用説は私法の一 般条項を媒介とするが,著作権法は,他者の 表現行為を制約して著作権を実現するという 意味で,表現の自由との距離が近いのだから,
一条の目的規定(「公正な利用に留意」)の解 釈に表現の自由の価値を組み込むことができ るのは当然として,個々の規定の解釈の際に も,表現の自由の価値についてある程度柔軟 に検討してよいのではないかと思われる。
32 上野達弘「契約による著作権制限規定の オーヴァーライドをめぐる議論状況」コピラ イト 452号(1998年)50頁,パメラ・サミュ エルソン『情報化社会の未来と著作権の役割』
(信山社,1998年)90頁,曽野裕夫「情報契 約と知的財産権」ジュリスト 1176号(2000 年)88頁等参照。
33 こうした問題意識に立脚すると思われる一 つの論稿として,横山久芳「編集著作物概念 の現代的意義」著作権研究 30 号(2004 年)
161頁以下参照。そこでは,著作権法の「創 作性」概念を,私人の自由な表現活動を保障 することを通じて,最終的に自由かつ多様な 表現空間を創出することを目的としている憲 法の表現の自由の著作権法的表れであるとし て,「創作性」の判断において国家(裁判所)
が,創作者のためのかかる創作環境を整備す るための積極的役割を可能とする要件として 機能するべきであるとする。そして,それに 伴う国家による恣意的判断の危険性を払拭す るために,「創作性」の判断構造に関する客 観的な基準を持続的に提供することが著作権 法学の使命であるとしている。なお,横山助 教授の論稿は,2003年の冬の著作権法学会の 報告を基礎とするものであるが,同じ 2003 年の春の学会では東京高等裁判所の設楽判事 が、翻案権侵害の直接感得性要件の問題に触 れて,直接感得性の要件では結論がでないの で,設楽判事の述べるところの「頭の中で別
の何かを考えて結論を出し」ており「実はそ の部分が一番大事」であるという「政策的価 値判断」による部分の重要性について指摘し ている。判事は「その考えを直接判決に出す べき」であり,「そのことにより翻案につい ての検討,分析が進む」と述べている。設楽 隆一「シンポジウム裁判官から見た著作権法 複製ないし翻案について」同上 10 頁参照。
各々の扱うテーマは異なるが両者の主張内容 は本質的部分において呼応しており,興味深 かった。
34 Mark A. Lemley & Eugene Volokh, supra note 22 at 188, Neil Weinstock Netanel, supranote 7at 42.
35 わが国においては,著作権法2条1項1号 にいう「思想又は感情を創作的に表現したも の」という著作物の定義がかかる原理を具体 化しているものといえる。
36 Neil Weinstock Netanel, supranote 7 at 14-19. M. Nimmer も 当 時 話 題 と な っ た Time, Inc. v. Bernard Geis Associates, 293 F. Supp. 130(S.D.N.Y. 1968)(ケネディ大統 領の暗殺された際に撮影されていたフィルム の映像のコマから複製したスケッチ(木炭画)
を,ケネディ大統領の暗殺に関する研究論文 に掲載したことが問題となった事案)の影響 を受け,一定の報道写真については,アイデ アと表現の二分論の限界を指摘しているが,
Netanel は問題はかかる場合に限られないと
いう。
37 Alfred C. Yen, A First Amendment Per- spective on the Idea/Expression Dichoto- my and Copyright in a work’s “Total Concept and Feel”, 38EMORYL.J. 393, 396 (1989).
38 芦部・前掲注(13)410頁以下参照。
39 United States v. O’Brien, 391 U.S. 367 (1968).
40 芦部・前掲注(11)190頁,178頁参照。
41 同上参照。
42 松井茂紀『日本国憲法』(有斐閣,第二版,
2002年)433頁参照。
43 一元論について,市川正人「表現の内容規 制 ・ 内 容 中 立 規 制 二 分 論 」 長 谷 部 恭 男 編
『リーディングス現代の憲法』(日本評論社,
1995年)100頁以下参照。
44 芦部・前掲注(13)407頁の注(2)参照。
45 Mark A. Lemley & Eugene Volokh, supra note 22at 186.
46 Neil Weinstock Netanel, supranote 7 at 48 も,著作権法が作品の内容に向けられて
いる事実も,それが第一修正の意味する「内 容に基づく」規制であることを意味しないと して,内容規制と位置づけることに反対して いる。
47 芦部・前掲注(11)178頁参照。
48 Turner Broadcasting System, Inc. v.
FCC, 512U.S. 622(1994). 評釈として山口い つ子「判批」アメリカ法[1995-2](1996年)
288 頁,長谷部恭男「情報化と表現の自由
―多チャンネル化とメディア法制」ジュリ スト1089号(1996年)47頁参照。
49 Neil Weinstock Netanel, supranote 7 at 54-69.
50 Cable Television Consumer Protection and Competition Act of 1992, Pub. L. No.
102-385, 106Stat. 1460(1992)
51 Neil Weinstock Netanel, supranote 7 at 59.
52 長谷部・前掲注(48)51頁参照。
53 1992年ケーブルテレビ視聴者保護並びに競 争法の成立過程における両業界の政治活動に ついて,清原聖子「1996年通信法成立をめぐ る政治過程―NCTA の政治活動を例にし て―」テレコム社会科学学生賞入賞論文集 11号((財)電気通信普及財団,2002年)38 頁以下参照。
54 Id. at 62-67. 55 Id. at 67-69.
56 パメラ・サミュエルソン・前掲注(32)60 頁参照。
57 中山信弘『マルチメディアと著作権法』
(岩波書店,1996年)62頁参照。
58 The Copyright Term Extension Act of 1998(CTEA), Pub. L. No. 105--298, 112Stat.
2827.
59 Eldred v. Ashcroft, 537U.S. 186(2003).
60 斉 藤 博 『 著 作 権 法 』( 有 斐 閣 , 第 2 版 , 2004年)53−56頁参照。
* 本稿は,(社)著作権情報センター主催の 第4回著作権著作隣接権論文賞の受賞論文に ついて,その後の考察内容等を加筆の上,掲 載したものである。