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感覚、感性、感受性

―『演劇とその分身』における俳優の生理学をめぐって―

堀 切 克 洋

我々は自由ではない。いつ大空が我々の頭上に落ちてくるかもしれない。そして演劇 はまずそれを教えてくれるためのものなのである1

Nous ne sommes pas libres. Et le ciel peut encore nous tomber sur la tête. Et le théâtre est fait pour nous apprendre d'abord cela(IV, 77).

1 感覚としての残酷

アントナン・アルトー(1896–1948)の演劇論における「残酷(cruauté)」という語を めぐって、ピエール・ブリュネルは『演劇と残酷』(1982)のなかで、このように問いを 提出している。「残酷とは演劇において、アルトー以前に現れていたのではないか。アル トーは『残酷の演劇』の発明者なのだろうか2」。ブリュネルによれば、この問いはそれ自 体として虚しい問いである。というのも、演劇と残酷の関係は「必然的だが、忘れられ たつながり3」だからである。ジャン=フランソワ・リオタールにならって「残酷」をニー チェ的な「力」へと翻訳しようとするブリュネルは4、このような演劇的試みをアルトーの プロジェクトであるとしながらも、観客と役者、場合によっては観客と作者の同化へと導 かれていくという点から、「残酷の演劇」は、ブレヒトの「非アリストテレス演劇」では なく、むしろアリストテレス的な演劇の範疇に属しているのだと結論する5

アリストテレス曰く、「再現は語りに頼るのではなく、ドラマの〔行動する〕登場人物 たちによって行われる。そして、同情と恐怖を再現することによって、この種の感情の 精錬が達成される6」。この一節に端的に素描されている「カタルシス」という論争的な概 念は、17世紀には「恐怖と同情」は道徳化のための有用な感情として考えられ、ベルナ イス(1880)以降の主流な解釈では逆に、これらの感情は排出されるべき「病原性毒素」

として考えられていたが7、現在ではデュポン=ロックらによってこの「瀉出説」は否定さ れ8、「カタルシス」の仏訳にも「浄化(purification)」ではなく、「純化(épuration)」とい う語が当てられている9。すなわち、デュポン=ロック的な解釈によれば、演劇という表象 の形式は、「恐怖と同情(おそれとあわれみ)」という不快な感情を生み出し、それを喜び に満ちた快の感情へと純化(精錬)する錬金術のような作業である10

前掲のブリュネルは、ギリシア語の「感情=苦しみ(pathèmata)」という言葉に注目し

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て、古典的なアリストテレス解釈の範疇へと回帰するアルトー像を描いているが11、同様に して、カミーユ・デュムリエは、その博士論文『ニーチェとアルトー』(1992)のなかで、

アリストテレスの「恐怖と同情」を、「恐怖と残酷12」(IV, 84)へと置き換えるアルトーに ついて次のように論じている。

ニーチェはこの点ではアリストテレスにしたがって、観客から恐怖と同情を追い払う 手段として「カタルシス」を検討したのに対して、アルトーは「カタルシス」の古典 的な考え方にしたがって、演劇において恐怖と残酷に生かす方法を見いだし、わたし たちを人生における恐怖と残酷から自由にしようとする13

上記のようなアルトー論は、ジャック・デリダの「残酷の演劇と表象の閉鎖」(1967)

における「アルトーは芸術の模倣説にけりをつけようとしている14」というテーゼに対する 反論と見做しうる。つまり、アリストテレス美学という神話の破壊者としてアルトーを位 置づけたデリダの主張(「残酷の演劇とは、表象〔上演〕のことではない15」)への対抗言説 として、「アルトーは、『アリストテレス美学から絶縁する』のではなく、その美学を押し 拡げている16」という一連の主張が、すでにこれまでになされてきたのである。

本論では、このような研究成果を受けて、主として『演劇とその分身(Le Théâtre et son Double)』(1938)に収められた演劇をめぐるテクストのなかで、演技における身体感 覚がどのように扱われているのかという問題を検討してゆく。そのために注目するのは、

感覚にまつわる一連の語彙(情動、感性、感受性)である。これらの語彙をいくつかの角 度から読み直すことによって、「残酷の演劇」における身体感覚論の重要性が浮き彫りに なるはずである。このような試みの最大の根拠となるのは、アルトーの次のような記述で ある。

それ[残酷]は、ある無欲で純粋な感覚であり、精神の真の活動であり、生そのもの の動作から引き写されたものなのです。[……]この苛酷さ、そしてそれを無視し、

あらゆるものを拷問にかけ蹂躙して営まれる生、この冷酷で純粋な感覚、それこそが 残酷なのです17(IV, 110)。

「残酷」の解釈をめぐっては、デリダの「父殺し18」(ロゴスの否定)やフーコーの「生─

権力への抵抗」から19、ディディ=ユベルマンの「グロテスクさ20」やデュムリエの「舞踏 が提示する裸の身体の暴力性21」にいたるまで、さまざまな解釈が試みられてきたが、「無 欲で純粋な感覚(sentiment détaché et pur)」、ないしは「冷酷で純粋な感覚(sentiment implacable et pur)」こそが残酷である、という真意は必ずしも明確ではない。上記の問い を検討するためには、まず日本語の語彙としての「感性」および「感受性」について確認 しておく必要があるだろう。

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2 感性と感受性

われわれは、身体と意識をもって生きている限りにおいて、さまざまなことを「感じて いる」。その対象は、直観的な胸騒ぎから日々過ぎゆく感情、芸術作品の価値、そして宇 宙の存在に至るまで、アナログ的な広がりをもっている。これらを感じる能力が「感性」

である。ただし、佐々木健一が『日本的感性』の冒頭で注意を促しているとおり、感性は 直接的な知覚とは区別しておく必要がある。たとえば、「このケーキは甘い」と言うこと は可能だが、「このケーキは甘いと感じる4 4 4 4」と言うことがきわめて不自然な響きを与える ことからも理解されるように22、対象の属性や本質を記述する場合、「感じる」は認識を阻 害するノイズとしてしか機能しない。逆に言えば、感性には身体的存在としての「わた し」が不可欠な要素であり、感性とはしたがって、知覚的な刺戟を受けた「わたし」が、

それまでの経験との「身体的な」(=直観的な)比較考量を通じて、その独特さを感じ取 ることにほかならない。佐々木の言葉を借りるならば、「感性とは、刺戟に応答する身体 化された記憶の活性である23」。

これに対して、「感受性」という語が意味するのは、どのような領域または作用か。明 治初期に編纂された『哲学字彙』(1881)を紐解けば、「感性」という語が悟性や理性と区 別された語(sensibility)の訳語であるのに対して、「感受性」という語は、多感・敏感と いうニュアンスを含む語(susceptibility)の訳語であることが理解される。前者が江戸時 代には「感性スル」(=心に深く感じる)と動詞的に用いられていたのに対して、「性」と いう接尾語からも十分に推察されるように、後者は明治期につくられた翻訳語のひとつ である。しかし、「三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではなからうかと疑ひ出した」

(『三四郎』、1908)という用例にもみられるとおり、われわれの日常語として登録されて いるのはむしろ社会的なコミュニケーションのあり方を含意する「感受性」のほうであ る。

ここで一度整理しておきたい。日本語の「感性」は、「感じる能力」を指す一般的な言 葉であるのに対して、「感受性」は特殊な感性を規範として定める社会的な語彙である。

そのうえで、後者の概念が著しく要求されたのは、ルソーを代表例とする18世紀フラン スという時代であったことを思い出しておくのは無駄なことではない。事実、20世紀に 入ってからもこの「感受性(sensibilité)」という概念は、演劇の領域においてアントワー ヌやコポーなどの演劇人によって繰り返し問題にされることになったのである。したがっ て、次節では18世紀に特徴的な感受性概念について手短かに確認をしておこう。このと き、当然のことながら中心的に扱われることになるのは、『俳優についての逆説』の著者、

ドゥニ・ディドロである。

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3 18世紀フランスにおける感受性概念

アナール派の歴史学者アンヌ・ヴァンサン=ビュフォーが跡付けているように、18世紀 フランスでは1730年代を頂点にして、人前で涙を流すことで感動を示すという社会的身 振りが「自然な」行為であった24。国王ルイ14世(1638–1715)の没後、貴族社会の退廃と 町人階級の経済的向上によって、それぞれの階級は別々の理由から、「感受性」への欲望 が増幅してゆく。そして、このプロセスにおいて、17世紀の古典主義演劇における規則 は攻撃にさらされ、ラ・ショッセ(1692–1754)とともに「催涙喜劇」なるジャンルまで もが登場する。

このような時代背景のなかで、ディドロは『俳優についての逆説』(1769執筆開始、

1830公刊)を執筆する。ここで提出されている逆説的な論理とは端的に言って、優れた 俳優には(医者や弁護士と同じように)感受性は不要であるという考え方のことである。

ヴォルテールの『哲学書簡』(1734)、コンディヤックの『人間認識起源論』(1746)など を通じて、知識の起源を感覚に求める経験論哲学は、フランスでは18世紀前半にすでに 広く浸透していたが、ディドロもそのような文脈のなかで、同時代の医学・生理学の知識 を援用しつつ、みずからの「感受性」論を鍛えていった(この点に関しては、井田尚によ る論文が詳しい25)。精神と身体の二元論に対して、唯物論的な全体論を目指すディドロは まず、物質一般に感受性を認めたうえで、人間の感受性を司っているのは、横隔膜である と論じる。

感じやすい人とはどういう人のことだかわかりますか。横隔膜の思うがままに委ねら れている人ですよ。感動的な一言が心を打ち、奇妙な現象が目に飛び込んできたとし ましょう。すると突然、内部が動揺をはじめ、繊維の束が一本残らず興奮し、身震い が起こり、恐怖感を覚え、涙が流れ、息がつまり、声が途切れ、束の根源も束がどう なるのかわからなくなり、冷静さも理性も判断力も本能も手の施しようがなくなって しまうのです26

 『ダランベールの夢』(1769)に登場するボルドゥ医師とほぼ同じ主張が、同時期に書か れた『俳優についての逆説』のなかにも確認できる。二人の男による対話体で書かれたこ のテクストにおいて、ディドロの主張を「第一の話者」のほうに読みとるならば、かつて のディドロが『私生児についての対話』(1757)のなかで肯定していた自己喪失の(すな わち、「熱狂」の)演技論はここで(「第二の話者」の主張として)反駁されており、逆 に、このなかで肯定されているのは、横隔膜などの器官をコントロールできる冷静な俳優 である(この能力は俳優のみならず、医者や法律家にも要求される能力である)。このよ うに熱狂の演技が斥けられることになった最大の根拠は、自己喪失型の俳優の不統一性、

すなわちむら4 4だった。

では、むら4 4のない演技をするには、どうすればよいのだろうか。ここで注目したいの

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は、「第一の話者」が女優クレロンを引き合いに出しながら、役者の自己と演じるべき役 柄のあいだに、「型(modèle)」という概念を持ち込んでいる点である。等身大の自己を 見せるのではない俳優は、型という客観的なコードの体系をつくりあげなければならな い。観客たちがすでに共有している知識に訴えることもあるだろうし、その想像力を刺戟 して新しいイメージを喚起することもあるだろう。すなわち、この型は、「歴史から借り てきたものか、あるいは想像力によって、巨大な幽霊のようにつくりだされたもの27」であ る。

闘いが過ぎ去り、幽霊の高みにまでいったん昇った彼女は、自己を把握し、感情を交 えずに台詞をいう。わたしたちも夢のなかでよくあることだが、頭が雲まで届き、両 手で地平線の両端を探そうとする。巨大なマネキンによって包み込まれた彼女は、そ の塊なのだ。稽古を通じて、彼女はそれを知ったのである。長椅子にだらしなく寝そ べり、腕を組み、目を閉じ、じっとして、記憶のなかの夢をなぞりながら、自分の声 を聞き、自分の姿を見て、自分の印象を判断することができる。このとき、彼女は二 重である。すなわち、小さなクレロンであり、かつ大きなアグリッピーナなのであ る28

この一節は、観客の視点というよりもむしろ、俳優の内部で起こっている運動の記述で ある。すなわち、同一の身体が観客から見て意味論的に二重の表象(俳優と役柄)を示 しているということではなく、直前の箇所でみたように、俳優の明瞭な意識と、俳優が 演じるべき役柄のあいだには、「巨大なマネキン」のような「型」を想定することができ る(想定しなければならない)というのが、ここでのディドロ(=第一の話者)の画期的 な主張である。この意味において、役者の肉体はもはや役者のものではなく、役者は意識 だけの存在となる(誤解を恐れずに言えば、幽体離脱の感覚ではなかろうか)。このよう な感覚は、夢の記憶によってヒントを与えられる。俳優は、われわれの誰もが体験してい る夢のなかの浮遊感、あるいは荒唐無稽さを土台として、感受性に左右されない冷静な俳 優、すなわちマネキンの「分身」となるのである29

4 20世紀における感受性問題

もちろん、「幽霊(fantôme)」や「分身(double)」という語彙だけから、ディドロがア ルトーと短絡するわけではない。ディドロの演劇理論は、ドイツの劇作家・演劇理論家 であるレッシングの『ハンブルク演劇論』(1767–69)を経て、19世紀のロマン主義演劇 へと継承されてゆき、『俳優についての逆説』という著作自体も、1830年以降に版を変え て刊行されつづけた。フランス演劇史における「演出の発明家」であるアントワーヌは、

この著者の影響を受けた世代の一人である。自由劇場を旗揚げする前のアントワーヌは、

1876年1月15日の手紙のなかで、ムネ=シュリに宛てて次のように書いている。先日、

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若い友人と『俳優についての逆説』をめぐって議論を戦わせたのだが、結論が出ずに困っ てしまった。だから俳優である君の意見を聞かせてほしい。「俳優は舞台のうえで自制し なければならないのか? ハムレットの胴衣やシンナの衣装を着ていったん舞台に出たら、

留保なく完全に役柄の感情に身をゆだねなければならないのか、それとも一種の節度をも ちながら、聴衆を見て判断した印象によって演技を変えてもよいのか?30

当時のフランスでは、職業としての俳優のための技術体系は存在せず(それは19世紀 的な中央集権化された教育制度を通じて中心的な座を与えられた古典主義演劇も例外では ない)、俳優養成のための学校も公立を除けばほとんど存在していなかったため、実力あ る俳優は、サラ・ベルナールやムネ=シュリを代表例として、個々人の「才能」に任せら れていたのが現状だった。それゆえ、アントワーヌ以降の演劇人たちに共通するのは、こ のような才能の神秘を解明して、演技を伝達可能なものへと開くということだったのであ る。そして、演技の教育可能性を切り開くための重要なテクストのひとつが、ディドロの

『俳優についての逆説』であり、アントワーヌの上記の問いは、「ルヴュ・ユニヴェルセ ル」誌にディドロ論が掲載された直後、1933年12月12日の手紙のなかで再確認される ことになる31。だが、注目しなければならないのは、先ほどの問いに対する回答自体ではな い。俳優が、あらゆる上演藝術と同様に、熱狂的でありかつ冷静でなければならないとい う逆説が真実であるとしても、実際にそれがどういう事態であるのかという問いは残され たままになるからである。むしろ、ディドロをめぐって展開される謎とは、論理的逆説で はなく、むしろその内的状態や身体的実感のほうなのだ。アントワーヌ自身も指摘してい るように、この逆説はアルフレッド・ビネ(1857–1911)のような医学的知見の持ち主の 興味を誘っていたのだから。

したがって、アルトーとディドロの接近という観点は、アントワーヌ以降の演劇史的必 然であると同時に、同時代の医学的な知と演劇の交錯の必然でもある。アルトーが「残酷 の演劇」の構想を練っていた1932年という時期、当時はまだ若き編集者であったロベー ル・ドゥノエル(1902–1945)がアルトー(および彼の主治医であったアランディ医師)

に生理学、精神医学、オカルトなどについての出版計画の相談を持ちかけていた折に、ア ルトーが書いたメモのなかには、古代の演劇人(アイスキュロス、ソフォクレス、セネ カ)から、バルザック、ド・クインシー、ネルヴァル、シュウォッブに至るまでの固有名 詞が列挙されているというが、そのなかにディドロの名前も含まれていることが確認され ている32。このことは、次節以降に見るように、ディドロが当時の生理学的知識を通じて演 技を語ったように、アルトーの演劇論においても生理学の知識が援用されていることから 傍証されることになるかもしれない。

演劇史的な観点から補足をしておくならば、1920年に演劇を志してパリに向かったア ルトーが本格的な演劇体験を得ることになったアトリエ座を主宰していたシャルル・デュ ラン(1885–1949)は、その著作『ある役者の仕事の思い出と覚書』(1946)に記されてい るように33、やはりディドロの演技論の影響を受けていた。そして、アルトーが演技におけ る感覚の問題をはじめて学んだのは、まさしくこの場においてであったのである。

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本当に感じて、生きて、考える、これが真の俳優の目標であるべきだ。ロシア人たち はずっと以前から、即興をメソッドに取り入れていて、俳優たちに深い感受性を伴っ て作業をさせ、このような本物で個人的な感受性を、その場で即興的につくられた言 葉や、態度や、心の反応を使って、外在化させている。抑揚の研究は、個性における 最大の障害物である。その即興的な訓練によって、本物の個性が生まれ、磨き上げら れる。抑揚は内側から、感覚の激しい衝動から押し出されるようにして、見つかるも のであって、模倣によっては得ることができない(II, 139)。

5 情動と感(受)性

とりわけ、『演劇とその分身』のなかでも、「情動の運動」(1935)は、アルトーが当時 のフランスで流通していた東洋思想やオカルトを援用しながら、俳優にとって必要な作業 を擬似生理学的に論じているテクストである。形而上学的なものを物理的に記述し、また 逆に、物理的な現象を形而上学的に記述するというテクスト戦略を採用するアルトーはこ こで、物理的な力や速度を競うアスリートとの類比によって、俳優の内的な活動を解明し ようと試みる。「俳優は、情動の筋肉のようなものをもっているということを認めなけれ ばならない。[……]俳優は心のアスリートなのである34」(IV, 125)。このテクストにおい ては、「心(cœur)」、「魂(âme)」、「感覚(sentiment)」といった語彙はそれぞれ区別さ れてはいないため、各々の言葉に詳細な検討を加えることはしない。あらゆる内的感覚が あたかも物質として存在しているかのように考えるべきだ、というのがアルトーの主張で ある。

レスリング選手が筋肉を使うように、自分自身の情動を使うためには、人間存在をひ とつの〈分身〉のようなもの、と見なければならない。〈エジプトのミイラの霊〉の ような、消えない亡霊のようなものなのであり、情動の力が発揮されるのはそこなの だ。けっして完結しない可塑的な亡霊、本物の俳優はそのかたちを真似て、自分の感 性のかたちやイメージを表現する。演劇が動かすのはそのような分身であり、演劇が モデル化するのはそのような亡霊的な形象であるが、あらゆる亡霊と同じように、こ の分身は膨大な記憶をもっている。心の記憶はなかなか消えない。確かに、俳優は思 考するときに心を使うが、ここでは心のほうが支配的なのである(IV, 126)。

ここで指摘しておきたいことは、ディドロの『俳優についての逆説』で主張されてい た、優れた俳優が外側から把捉できるような亡霊的な「型」が、アルトーにおいてもほと んど同じ論理で記述されているということである。一言でいえば、「俳優は〈亡霊=分身〉

をもっている」という仮説である。古代エジプトの宗教で死者の傍らにとどまっていると 考えられていた霊の話がでてくるから、ひとまずは背後霊のようなものを想像すればよい だろう。俳優は、この「分身」の模倣をすることによって、情動の力を発揮することがで

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きるようになる、とアルトーは主張するのである。

このとき、ディドロにおいては俳優の正気を乱す要因となると考えられていた「感受性

(sensibilité)」は、アルトーにおいてどのように捉えられているだろうか。「けっして完結 しない可塑的な亡霊、本物の俳優はそのかたちを真似て、自分の感性(sensibilité)のか たちやイメージを表現する」。アルトーのテクストにおけるsensibilitéという語のなかに、

18世紀的な意味を読みとることは困難である。むしろ、現代における「感性」という意 味の拡がりのなかで(「刺戟に応答する身体化された記憶の活性」という意味で)用いら れていると考えたほうがよいだろう。この点で、アルトーが亡霊の記憶について語ってい ることは興味深い事実である。この記憶はもちろん、役者個人の一般的な記憶のことでは ない。われわれの知っている現実の裏側にあるまったく別の現実についての「記憶」であ る。アルトーは「情動の運動」のなかで、危機の徴候を感じとってしまった子供の直観を 例にとって説明する。この亡霊的な直観がめぐり合うのは、「日常の現実よりも恐ろしく、

生が予想だにしなかった現実36」(IV, 128)なのである。あるいはまた、「熟し切っていなが らそれまでは抑えつけられていた力、現実のなかでは用途のなかった力の前兆37」(IV, 27)

である。

アルトーにおける感性とは、知覚を通じて対象の新しさを捉えることであり、逆にい えば、対象を既知の存在へと還元しないようにすることである。「残酷の演劇」において

「重要なのは、感性が確実に深くて細やかな知覚状態に置かれることであり、これこそが 実は魔術や儀式の目的であり、演劇もそれら魔術や儀式の反映にすぎないということなの だ38」(IV, 88)。アルトーにとっての演劇の目的は、魔術や儀式と同じように、存在しない もののイメージを与えることであり、そのためには、明晰な分節言語に必ずしも拠らな い、肉体言語(俳優のしぐさ、身振り、動作など)や舞台言語(照明、音響、小道具な ど)といった物理的な演劇をつくらなければならない。そのようなさまざまな物理的な言 語は、観客の知覚を通過して、すなわち生理的な仕方で、われわれの現実のなかでは抑え られている力を与える。この存在しないもののイメージは、「形而上学的」である。しか し、それは観念論的、抽象的という意味ではない。むしろ、通常の意味で観念論的、抽象 的にしか考えることができないことによって抑えつけられていることを、具体的な事例に よって考えさせうる。この意味において、「演劇は、具体的なものと抽象的なものが深い ところでは同じであることについての実験的証明の一種となるべき」(IV, 104)だとアル トーは論ずるのである。

したがって、感性によって未知のものを認めるという行為は、人間のなかに非人間性を 認めることであり、善のなかに悪を認めることであり、生のなかに死を認めることにほか ならない。このような二重性(double)の内部における反転は、「残酷」の定義において、

きわめて重要な意味をもっている39。アルトーの演劇に表象=上演不可能性を託すのは困難 であるとしても40、固定化された二項対立に流動性を与える運動、すなわちデリダの「脱構 築」と、アルトーのテクストに書き込まれた論理的戦略が部分的に合致することは認めな ければならない。しかしながら、上記に見てきたように、アルトーの俳優論は、ディドロ

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のそれを継承しているようにも思われる。決定的に両者を隔てているのは、18世紀にお いては道徳的、倫理的なものとしての精神的感受性と、感覚的な敏感さとしての身体的感 受性が完全に分かたれていたのに対して、アルトーにおいてはこのような旧主的な区分が 見られないばかりか、身体と精神は一連の運動のプロセスとして不可分なものだと考えら れていることである。

むしろ、ここで確認しておかなければならないのは、テクストの標題にも含まれてい る「情動的な(affectif)」、あるいはその派生語である「情動性(affectivité)」という語彙 であろう。感覚、感情などのメカニズムを科学的に探求する領域(生理学、精神医学、神 経学など)を一括して「情動科学(sciences affectives)」と呼ぶことからも推察されるよ うに、この語は20世紀に入ってから頻繁に用いられるようになった言葉である。社会的 に分節化された(喜怒哀楽のような)「感情(émotion)」に対して、「情動」には一般的 に(快不快、不安感などの)微細な興奮が含まれる。言い換えれば、情動とは生理学的な 意味における生理現象であり、個人差は原則として考慮されない。「悲しいから泣くので はなく、泣くから悲しい」という言い方で人口にも膾炙している理論、すなわちジェー ムズ=ランゲ説の提唱者ウィリアムズ・ジェームズ(1842–1910)は、『心理学の諸原理』

(1890)のなかで、すでにこのような意味でこの語を用いているが、この名著は1913年に パリで翻訳が刊行されており、アルトーもまたこの書物に目を通していたことが明らかに なっている41

アルトーにおける情動とは、おそらく、多分に当時の生理学などの科学領域からの影響 を受けている。そのため、18世紀の「感受性(sensibilité)」がきわめて受動的な意味を もっていた(それゆえ、ディドロの演劇論においては、それはゼロであるべきものと考え られた)のに対して、アルトーの感性は、存在しないもののイメージを把握するためにむ しろ鋭敏であるべきものだと考えられている。そして、そこで把握すべきものこそが「情 動」なのだ。情動とは言わば、まだ分節化されていないアモルファスな対象である。逆か ら言えば、アルトーにとっての演劇とは、この対象化以前の対象をつかむための「感覚

(sens)」である。そして、これは生理学的な知見に基づいているがゆえに、個人的なもの ではなく、きわめて一般的、普遍的なものを志向する道を辿る。

アルトーが『演劇とその分身』のなかで繰り返し述べているように、彼の演劇は「特別 な人たちのためのものではない」。「残酷の演劇」においては、第一宣言に書かれていると おり、「一種の受動的で中立的な要素」であり、「あらゆる個人的自発性が厳禁されてい る42」(IV, 95)が、1931年の植民地博覧会においてアルトーが「体験」したバリ島演劇の 神秘的な象徴性は43、同時代の科学とこのようにして出会うのである。「こうした生理学の 知見によって、俳優なら誰でも4 4 4 4 4 4 4、まったく才能に恵まれないものでも4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4内的な密度を増し自 己の感覚の量を高めることができる44」(IV, 131)。ここで、ディドロにおける「演技のむら をなくす」という問題意識が、19世紀の国立音楽演劇学校やコメディ=フランセーズのよ うな国家的演劇の「慣例主義」や、演劇的要素を追い払った自然主義的演劇、あるいは俗 物的なブールヴァール劇を経て、アルトーにおいては当時の科学的知見とともに結びつく

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ことになる。『演劇とその分身』というテクストの網目のなかには、このようにさまざま な感覚論に対する応答が反響しているように思われてならない。

6 観客の感受性

ところで、「残酷の演劇」では、「観客の感性にあらゆる面から訴える45」(IV, 84)ことが 目指される一方で、「とうとう感性が摩滅してしまったところ46」(IV, 82)にわれわれは位 置しているという。アルトーが戯曲として書かれた演劇に反抗するのは、それが感覚を放 棄してしまった、文学的な戯曲である限りにおいてである。では、演劇における「傑作」

とは何だろうか。この問いに対して、アルトーは次のように回答する。

アイスキュロスやソフォクレスやシェイクスピアについて、今日わたしたちが適切な アイデアを与えることができないのは、おそらく当時の演劇の生理的なものの感覚を 失ってしまったからでしょう。朗唱、動作、舞台のリズム全体がもつ直接に人間的で 行動的な側面がわからなくなっているからでしょう。そしてこの側面こそ、登場人物 たちの心理的な台詞による見事な解剖と比べて、それ以上ではなくても、少なくとも 同じくらいの重要性をもっていたはずなのです(IV, 103–104)47

心理主義に包囲された現代における戯曲は、それが書かれた当時の観客を生理的に震撼 させる度合いに応じて、傑作かどうかが決まる。なぜならば、この点において劇場で起 こっていることは、現実の再現でもなければ、虚構でもなく、すべての観客の身体のなか で起こっていることとなるからである。観客の感性が「摩滅」しているのは、演劇の素材 が心理的な感情へと傾いていることと同義である。したがって、たとえば「あらゆる舞台4 4 上のもの4 4 4 4は、観客の主観的な感情に対して示される」(V, 212)とアルトーが書くときに も、喜怒哀楽のような日常的な感情は想定されていない。ここで言われている「主観的な 感情(émotion subjective)」とは一体何であろうか。

われわれは、感覚を自分以外の誰かと共有することができない。言い換えれば、感性と は絶対的に内的なものである。たとえば、痛がっている人間を見たときでさえ、その当時 者が本当に痛いかどうか、あるいはどのように痛いかは、内側から感覚することは不可能 である。このような哲学的な意味において、われわれは他人の意識の存在を認めることさ え、困難だということに気づかされる。

私は私の感じる「痛み」や「酸っぱさ」や「不安」や「憂鬱」をみんな共通に体験で きるものと比較して描写することができないのと同様に、私の見る「家」や「空」や

「酸っぱい顔」や「他人の脳の物理的状態」を、みんな共通に体験できるものと比較 して描写することなどできていない4 4 4 4 4 448

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この永井の指摘は、「みんな共通に体験できるもの」が存在しない世界でコミュニケー ションが「成立」しているという当然の事実をわれわれに教えている。アルトーの伝記を 紐解くまでもなく、幼い頃から病気の後遺症と治療のための阿片服用によって「みんなに 共通に体験できるもの」の外で苦しみ続け、「私は私の内にあるものの、唯一の審判者な

のだ49」(I, 67)と宣言するアルトーが、公共的な記号としての感情を批判するのは、当然

だったのではないだろうか。ヨーロッパで主流な心理主義的な対話劇に対するアルトーの 批判は、このようなコミュニケーションそのものに対する批判として読み替えることも十 分に可能である。このような意味で、「主観的な感情」とは、すでに見てきた「情動」の ことであると見なしてもよいだろう。逆に言えば、あらゆる情動は主観的であると命題化 してもよい。しかしながら同時に、そして逆説的なことに、情動は一般性が保証されてい ることによって、主観的にもかかわらず、客観的なものである。これは、「客観的な感情」

のような公共性とはまた異なる道筋によって得られる公共性である。というよりもむし ろ、アルトーは後者のようなかたちでしか、本当の公共性は獲得できないと考えていたの ではないだろうか。

結語  残酷の私性

最後に、もう一度アルトーの「残酷」について振り返っておこう。わたしたちの出発点 は、残酷が「無欲で純粋な感覚」、あるいは「冷酷で純粋な感覚」と記述されていること の真意を問うことであった。

今日のわたしたちには、何もかも低俗化する悪い癖があるので、私が〈残酷〉という 言葉を口にすると、誰もが〈血〉という意味に理解する。だが、〈残酷の演劇〉とは、

第一に、私にとって残酷で困難な演劇のことである(IV, 77)50

ここで言われている「低俗化」とは、内的で感覚的なものを、分節言語によって公共的 に理解する(理解したことにする)ことの好例である。しかし、ここでもまた、情動一般 が「主観的にもかかわらず、客観的なものである」のと同じように、アルトーの残酷もま た自身の内的感覚であると同時に、きわめて一般的で原理的な運動なのではないだろう か。その証拠として、アルトーはこのようにつづけるのだ。「そして、上演の次元におい ては、[……]事物がわたしたちに働きかける遥かに恐ろしい、遥かに必然的な残酷のこ とである。わたしたちは自由ではない。いつ大空が頭上に落ちてくるかわからない。そし て、演劇はまずそれを教えてくれるためのものなのである」。

1 アントナン・アルトー『演劇とその分身』、安堂信也訳、白水社、1996年、130頁。訳語は

(12)

必要に応じて手を加えてある。また、原書はガリマール社から刊行されている『アルトー全 集』(Antonin Artaud, Œuvres complètes, tome I à XXVI, Paris, Gallimard, 1956–1994)を参照し た。引用は慣例にしたがって、巻数をローマ数字で、頁数をアラビア数字で本文中に示して ある。

2 Pierre Brunel, Théâtre et cruauté ou Dionysos profané, Paris, Librairie des Méridiens, 1982, pp.12–13.

3 Ibid., p.12.

4 Ibid., p.13.

5 Ibid., p.152. 

6 Aristote, La Poétique, trad. Roselyne Dupont-Roc et Jean Lallot, Paris, Seuil, 1980, p.53, 49b28.

7 Brunel, op. cit., p.13.

8 Aristote, op. cit., pp.188–193.

9 Ibid., p.53, 1449b, 28.

10 Ibid., pp.189–190.

11 Brunel, op. cit., pp.125–155.

12 アルトー、前掲書、140頁。

13 Camille Dumoulié, Nietzsche et Artard—pour une éthique de la cruauté—, Paris, PNF, 1992, p.60.

14 Jacques Derrida, L'écriture et la différence, Paris, Seuil, 1967, p.344〔邦訳、ジャック・デリダ

『エクリチュールと差異(下)』、梶谷温子、野村英夫、三好郁郎、若桑毅、阪上脩訳、法政大 学出版局、1983年p.125〕.

15 Ibid., p.343.

16 高橋信良「アルト―の「残酷の演劇」私註」、『中大仏文研究』第25号、中央大学仏文研究

会、1993年、33頁。

17 アルトー、前掲書、189頁。

18 Jacques Derrida, L’écriture et la différence, Paris, Seuil, 1967, p.350〔邦訳、前掲書、p.133〕. 19 Michel Foucault, Les mots et les choses, Paris, Gallimard, 1966, p.339〔邦訳、ミシェル・フー

コー『言葉と物─人文科学の考古学』、渡辺一民、佐々木明訳、新潮社、1974年、p.348〕. 20 George Didi-Huberman, Ouvrir Venus, Paris, Gallimard, 1999〔邦 訳、ジ ョ ル ジ ュ・デ ィ

ディ=ユベルマン『ヴィーナスを開く』、宮下志朗、森元庸介訳、白水社、2002年〕. 21 Camille Dumoulié, Antonin Artaud, Paris, Seuil, 1996, pp.155–161.

22 佐々木健一『日本的感性─触覚とずらしの構造』、中央公論社、2010年、8–9頁。

23 前掲書、13頁。

24 アンヌ・ヴァンサン=ビュフォー『涙の歴史』、持田明子訳、藤原書店、1994年、97–130

頁。

25 井田尚「「身体的人間」と「精神的人間」─ディドロにおける二つの感受性概念」、『仏語

仏文学研究』、第22号、東京大学仏語仏文学研究会、2000年、53–70頁。

26 Denis Diderot, « Rêve de d’Alembert », Œuvres complètes, tome 17, Hermann, 1987, p.179〔邦 訳、ディドロ『ダランベールの夢』、新村猛訳、岩波書店、1958年、91頁〕.

27 Denis Diderot, « Paradoxe sur le comédien », Œuvres complètes, tome 10, Hermann. 1987, p.430

〔邦訳、ディドロ『逆説・俳優について』、小場瀬卓三訳、未来社、1954年、12頁〕.

28 Ibid, p.428〔同書、12–13頁〕.

29 この点については、以下の文献も参照のこと。Edmundo Morim de Carvalho, Le paradoxe

(13)

sur le comédien ou la comédie de l’imitation: Diderot, Jouvet, Brecht, Lacoue-Labarthe, Valéry, L’Harmattan, Paris, 2009.

30 André Antoine, Antoine, l’invention de la mise en scène, Paris, Actes Sud, 1999, pp.53–54.

31 Ibid., p.251.

32 Florence de Mèredieu, C’était Antonin Artaud, Fayard, Paris, 2006, p.450.

33 Charles Dullin, Souvenirs et notes de travail d’un acteur, Odette lieutier, Paris, 1946.

34 アルトー、前掲書、215頁。なお、この箇所は引用部分を見やすくするために、改行に手

を加えてある。

35 アルトー、前掲書、221頁。

36 同書。

37 同書、42頁。

38 同書、149頁。

39 坂原眞里「アルトーの残酷演劇と分身doubleについて」、『仏文研究』、第16号、京都大学

フランス語学フランス文学研究会、1986年、13–28頁。

40 拙論「上演不可能性という「伝統」─「アルトー事件」をめぐって」、『演劇映像学2009』、

早稲田大学演劇博物館グローバルCOE、2009年、73–86頁。

41 William James, La théorie de l’émotion, L’harmattan, Paris, 2006, p.IX.

42 アルトー、前掲書、160頁。

43 アルトー、同書、93頁。「これらの機械化された存在を見つめていると一種の恐怖に襲わ

れる。その喜びも悲しみももはや彼ら自身には属さず、彼らは訓練の経た儀式に従っている だけで、高い叡智の意のままになっていると思われてくる」(IV, 56)。

44 アルトー、同書、226頁。なお、傍点は筆者による。

45 アルトー、同書、140頁。

46 アルトー、同書、137頁。

47 アルトー、同書、177–178頁。

48 永井均『なぜ意識は実在しないのか』、岩波書店、2007年、24 頁。

49 アルトー『神経の秤・冥府の臍』、現代思潮社、1977年、98頁。

50 アルトー『演劇とその分身』、前掲書、130頁。なお、傍点は筆者による。

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