1.「感性学」の系譜
近年「感性学」と呼ばれる学問が提示され、その様々の可能性が展開されつつあ る。 「感性学」とは何か ? まだ世間に十分に周知されているとは言えないこの学問は、実は、従来から存在 している「美学 Ästhetik」を、その原点に回帰させざるを得なくなってきた現代 の状況を背景として、再構築あるいは脱構築することを通して、再生してきたもの である。 論理学や倫理学など古代以来の古い伝統を持つヨーロッパ諸学に比すれば、「美学」 はようやく十八世紀のドイツに生まれた相対的に新しい学問である1。ライプニッツ =ヴォルフ学派に属する哲学者、アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン (Alexander Gottlieb Baumgarten, 1714-62) が、1750 年 に『 美 学 』( Ⅰ ,1750, Ⅱ , 1758)を著わしたことに、斯学の端緒がある。 バウムガルテンの著作のタイトルである Aesthetica というラテン語はバウムガ ルテンの造語であり、その源はギリシア語のαϊσθησις(アイステーシス)にある。 αϊσθησις は「感覚・知覚・感性」という意味の語であり、元来「美」という意味 は持っていない。バウムガルテンは、その著書の冒頭で次のように述べている。 「美学」Aesthetica(自由な技術の理論、下位認識論、美しく思惟することの技術、理性 類似者の技術)は、感性的認識の学 scientia cognitionis sensitivae である2。
バウムガルテンの意図は、伝統的なヨーロッパ諸学が基盤としてきた理性的ある いは悟性的認識に対して、従来低級認識能力として顧みられることの少なかった感 性にもしかるべき場を空け、感性的認識の規則を学にまで高めようとする点にあっ
「感性学」覚書
井 面 信 行
た。したがって、バウムガルテンの著作のタイトルは、「美の学」を直接に意味す るような、例えば Kalologie ではなく、Aesthetica だったのである。 このようにして、Aesthetica は本来的には「感性学」の意味で理解されるべき 学問分野として登場したわけであるが、それにもかかわらず、Aesthetica はその 展開とともに、生まれ故郷であるドイツにおいても「美の学」としての性格を強め ていくことになる。その契機は、すでにバウムガルテン自身の内にあった。バウム ガルテンは、「Aesthetica の目的は、感性的認識のそれとしての完全性である。然 るにこの完全性とは美 pulcritudo である」3と述べ、実際のところは、感性的認識 の完全性を美として規定するのである4。 近代美学を確立したのは、バウムガルテンの次の世代の哲学者イマヌエル・カン ト(Immanuel Kant, 1724-1804)である。しかし、近代美学を基礎づけた立役者で あるにも関わらず、カントとは「美学 Ästhetik」というタイトルの著作を遺さな かった。彼の「美学」は『判断力批判』において展開されている。しかも、その中 でカントは「美の学は存在せず、存在するのは単にその批判だけである」(§ 44) と述べている。「美学」の確立者が「美の学は存在しない」と断言していることは 奇妙なことに思われるが、この主張はバウムガルテンの Aesthetica に対する批判 に根拠を持っている。 カントは『判断力批判』に先立つ『純粋理性批判』の中で、〔美的〕趣味の批判 を言い表すのに Ästhetik という語を使うのはドイツ人だけであるが、その根底に はバウムガルテンが抱いた誤った希望というものがある、と指摘する。すなわち、 バウムガルテンは美についての批判的判定を理性の原理の下にもたらし、その規則 を学にまで高めようとしたのであるが、美の規則や基準は単に経験的なものにすぎ ず、決してアプリオリな法則ではないがゆえに、その努力は無益であるというので ある。端的に言えば、カントからすれば、美の学を学として保証するような客観的 原理など存在しないというわけである。それゆえ、カントは Ästhetik という語を 「〔美的〕趣味の批判」の意味で使用することに反対し、古代ギリシア本来の用語と してのアイステーシス、つまり「感性」の意味で使用するべきであることを提示す る。 し た が っ て、『 純 粋 理 性 批 判 』 の 超 越 論 的 原 理 論 第 一 部 の 表 題、Die Transzendetale Ästhetik は、日本語では「超越論的(先験的)感性論」と訳され
るのが正しいのであり、実際にそのように訳されているのである。カントが Ästhetik という名の著作を遺さなかった理由もここに連なっている。すなわち、 「美の学は存在せず」、美の問題は判断力の批判0 0という形でしか論じることができな いと考えられたからである。 しかしながら、カントの批判哲学において、「感性」つまり「アイステーシス」 はドイツ語で Sinnlichkeit と訳され、佐々木健一氏の言葉を借りれば「貧しい概 念」になってしまった5。すなわち、カント哲学においては、感性は、思惟する能 動的な悟性に対して、センスデータつまりいわば思惟のための材料を送り届けるだ けの受動的役割、言い換えると純粋な受容器官の役割しか持っていないということ である。けれども、この帰結はカント哲学の超越論的性格からして必然的でもあっ た。つまり、カントは、悟性と感性とを截然と区別し、それぞれの認識のアプリオ リな原理として、感性については純粋直観の形式としての空間と時間を、悟性につ いては純粋悟性概念を措定したうえで、この二つの認識能力の協働によって認識が 成り立つという図式を構想したからである。 こうしてカントによって「アイステーシス」 から「美」は切り離され、感性的認 識の持つ「豊穣さ」の可能性は消失していくことになった。ただし、いうまでもな く、カントが美 das Schöne の問題を無視したのではなく、美は、感性ではなく判 断力の問題へと譲渡され、美的趣味判断が快・不快の感情によって主観的・形式的 合目的性を判定することとして取り扱われたのである。
Ästhetik に「美の学」の意味が蘇ってくるのは、シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller、1759 ∼ 1805)においてであった。シラーはカントの『判 断力批判』に深く傾倒し、そこから進んで美を「美的 ästhetisch 教育」の問題へ と展開させ、人間を「フマニスト」へと陶冶する人間学を作り上げることを目論ん だ。その論攷「人間の美的教育について」は、彼の「美と芸術das Schöne und die Kunst についての研究成果」をデンマーク王子アウグステンブルク公に宛てた 書簡の形式で述べたものである。その中で、例えば次のように述べられている。
遊戯衝動の対象は、一般的図式でイメージするなら、生きた形態と名付けることがで きます。それは、現象のすべての美的性質 die ästhetischen Beschaffenheiten、一言でい
えば、最も広い意味で美 die Schönheit と呼ばれるものを指し示すのに用いられる概念で す。〔書簡十五〕6 ここでは、シラーが ästhetisch〔美的 / 感性的〕と schön〔美しい〕をほぼ同じ 意味で使用していることが分かる。シラーは、カントが美的趣味判断の問題を主観0 0 的0普遍妥当性にとどめて、美の学の不可能性を保持したことを踏み越え、美の概念 を客観的に基礎づけようとしたのである。
とまれ、シラーは、「美学」を、美と芸術 das Schöne und die Kunst を通して、 単に感覚的に充足されただけではなく、人格として洗練され陶冶された「美しい 魂」を実現するための学問と位置付けた。そして、シラーの美学は、この後に続く ドイツロマン主義思想の中で、少なくとも、体系的形式に重きが置かれたカントの 『判断力批判』には欠けていた美と芸術の関係が探求されていく方向性の出発点と なったのである。 「美学」が、今日一般に理解され、また展開されているように、美と芸術について の学問に特化されたのは、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770-1831) においてであった。ヘーゲルは、その『美学講義』の一般規定において、「美学」 を芸術美を対象とする学問として規定し、自然美は考察から除外すると述べてい る。その理由は、芸術美は人間の精神から生まれたものであるゆえに、自然美より 高級なものであるという点にある7。端的に、ヘーゲルにおいて「美学」は「芸術 哲学」になったのである。 かくして、美学の生まれ故郷であるドイツにおいて、ドイツ観念論の展開ととも に「美と芸術」を主題的に論究する学問としての美学の性格が次第に固定されて いったといえる。つまり、芸術は、美術 Fine Art として理解され、「美しい」もの であるということが当たり前の観念となり、美と芸術は分離不可能な関係にあるも のとみなされるようになったのである。 しかしながら、19 世紀の末、ドイツに一人の芸術理論家が現れ、美と芸術の関 係を截然と切り離すことを主張した。コンラート・フィードラー(Konrad Fiedler, 1841-95)である。フィードラー以前の美学は、ヘーゲルを嚆矢として、美の問題
を探求するに際して、芸術に現れた美のみを取り扱ってきた。言い換えれば、芸術 の本質を美に求めてきたのである。しかし、フィードラーは、主著『芸術活動の根 源』(1887)の冒頭で、次のように述べる。 芸術活動の本質と意味を説明しようとする人々は、芸術作品によって人間の精神状態 や感覚生活に引き起こされる作用から出発するのが常である。しかし、この出発点は明ら かに誤っている。芸術の、経験上きわめて多種多様な作用の中から、芸術活動の本質にか なった作用をひとつだけ限定することができるためには、何よりもまず、芸術活動の本質 が認識されていなければならないであろう。しかし、このことが可能なのは、芸術活動の 成果から生じるあらゆる作用を度外視して、芸術活働そのものが人間の本性からどのよう に生じてくるのかを見て取ることができる場合だけである。すなわち、人間という有機体 が好んでめざす精神的−身体的な豊かな現れのなかから、やがて発展していけば芸術活動 と呼べるようなひとつの活動が分岐しはじめる点を知ることができたとき、はじめて我々 は実際に芸術活動の内部世界に通じる唯一の通路を獲得したことになるのである8。 フィードラーの芸術論の根本的な問いは、「芸術的形象世界の客観的妥当性は何 に基づくのか」という問いであった。すなわち、芸術は人間の勝手気ままで気まぐ れな活動(現代アートの混沌とした状況を目の当たりにして、少なからぬ人々がそ う感じているかもしれない)ではなく、人間の認識能力から生まれる必然的認識活 動であることを理論的に基礎づけることがフィードラーの課題だったのである。こ の課題に取り組むにあたって、フィードラーは、芸術作品が人間の心に及ぼす美的 ないし感情的効果から芸術の本質を探究することに反対した。なぜなら、まさしく カントが『判断力批判』で解明したように、美的判断は客観的普遍妥当性に従えら れるものではなく、主観的な判断であり、趣味がそのつど新たに下す判断にすぎな いからである。それに対して、フィードラーは、作品が生み出されてくるプロセス である芸術活動そのものの構造と意味を問うことから出発して、芸術の本質を見極 めなければならないと考えるのである。端的に言えば、フィードラーは、芸術に関 して美の問題を論じることをやめ、芸術を認識論の問題として探求する「芸術学 Kunstwissenschat」の基盤を作ったのである。 フィードラーの芸術論は、芸術活動を自律的な感性的認識活動0 0 0 0 0 0 0として捉えようと
するものである。そして、その手本となったのは、カントの認識批判の方法であっ た。カントは、『純粋理性批判』において、人間の認識の真理内容を確立するため に認識の源泉と限界を問題としたのであったが、その際、認識の対象を問うことか ら認識の作用を問うことへの転換が行われた。フィードラーは、カントのこの転換 を自らの芸術論に応用した。そうすることによって、カントが数学および自然科学 の客観的妥当性を証明することができたように、彼の目指す「芸術的形象世界の客 観的妥当性」も証明できるはずだからである。その際、フィードラーにとって問題 となったのは「感性」の捉え方であった。すでに佐々木氏の指摘について触れたよ うに、カントは感性を外界の感覚データを受容するだけの受動的器官とみなした。 したがって、認識が成立するためには、感覚データを秩序付ける能動的器官すなわ ち悟性が必要となる。料理に準えて言えば、食材を集めるのは感性であり、それら を一皿の料理に仕立てるのは悟性であるということになる。 しかし、フィードラーは、悟性的思惟活動に依らずとも感性が自律的に認識を成 り立たせる力を持っていることを示し、それを原理として芸術活動を基礎づけよう とする。否むしろ、芸術活動が初めて感性的認識を可能にするものであることを理 論づけようとするのである。もっと簡明に言えば、感性的認識活動はどこにあるの かと問われれば、芸術活動において、というのが答えになるのである。ここではそ の論証の過程を詳述する余裕はないが、彼の結論を敷衍して言えば、芸術活動は、 人間有機体の身体活動を通して、新たな感性的現実、新たな感性的世界表象を産出 することである、ということができる。ここでもっとも重要な役割を担うのは「人 間有機体の身体活動」である。つまり、感性的認識は、純粋悟性の思念のように脳 といういわばブラックボックスの中で作用するのではなく、身体による外面的表現 活動として展開しなければ成立しないということである。彼の念頭にある絵画の場 合でいえば、画家の「眼と手」の働きこそが世界を可視的形象として捉える力であ る。誤解を恐れずに言えば、画家の「眼と手」がはじめて世界を形に変え、そのこ とによって、今までどこにも存在しなかった新しい現実が産み出されるのである。 そして、その新しい現実が生産されたことが、感性的認識が成立したことと同義な のである。 フィードラーの芸術論において確認しておかなければならないことは、彼の芸術
理論において、バウムガルテンが“ ”において目論んだ「感性学」、す なわち「感性的認識の学」としての性格がはじめて純粋な形で示されたということ である。「美学」が「感性学」へと展開する近代の0 0 0発端はフィードラーの芸術理論 にあるということができるのである。
2.日本における Ästhetik の受容
「美学」の生まれ故郷であるドイツにおいて、本来「感性学」である Ästhetik が どのように「美の学」の性格を強めていったのか、そして、十九世紀末にフィード ラーの芸術理論がどのようにして再び「感性学」の可能性を開いたのかを、ごく簡 単に概観してきた。 それでは、日本における Ästhetik の受容は、どのような経緯をたどったのであ ろうか。我が国における Ästhetik の受容史は、ヨーロッパにおける Aesthetica の 解釈史を二重に複雑にする事情がある。それは言うまでもなく、この語をいかに翻 訳するかという問題である。 これまでの論述では、 Aesthetica を「感性学」の意味で理解するのか「美学」の 意味で理解するのかということを軸にしてこの学問の変遷をたどってきた。しかし ながら、ヨーロッパの斯学界においては、この学問を「感性学」と「美学」という 二語に分離して考えるという事態は、当然ながら生じない。語としては aesthetica (Ästhetik、aesthetics、esthètique)の一語があるだけにすぎない。しかし、この 外国語を母語に翻訳しなければならない日本においては、訳語によって学問のイ メージが変化すると言わざるを得ない。 Aesthetica は、他の西洋諸学問と同様に、明治期に日本に移入されたのである が、西周(1829-1897)の「百一新論」(1874)の中に現れる「善美學」が最初の訳 語であったとみなされている。しかし、その後も西は Aesthetica に「佳趣論」「詩 樂論」「微妙學」等様々の語を当て、訳語は一定していない。 Aesthetica を日本に学問として定着させるにあたって功績があったのは、森鷗 外である。鷗外はドイツ留学時代にエドゥアルト・フォン・ハルトマン(Karl Robert Eduard von Hartmann, 1842-1906)の「美学」の講義を聴講して、この学 問の必要性を認識し、帰国後、ハルトマンの美学を基礎にして外山正一や坪内逍遥と美学的な論争を展開した9。その鷗外は Aesthetica に「審美学」の訳語を当てて いる。いずれにしても、Aesthetica が日本に移入された明治期には、おひざ元で あったドイツにおいて既に Ästhetik は「美の学」のとして展開されていたわけで あるから、西周や鷗外が訳語に「美」を用いたとしても無理はないと言わざるを得 ない。 Aesthetica の訳語は様々であったが、それが「美学」という語に定着したこと については、1899 年、東京帝国大学文学部に「美学講座」が開設されたことが契 機になったと思われる。その初代教授は、漱石の『吾輩は猫である』に登場する美 学者・迷亭のモデルとなったとも言われている大塚保治であった。1906 年には、 京都帝国大学にも「美学」の講座が開設され、ケーベル博士とも交流のあった深田 康算が最初の教授として就任した。 その後、日本においても美や芸術を巡る学問は展開され、1949 年、「哲学的美学 や芸術哲学、音楽学・演劇学・映画学などの芸術諸学、そして美術史などからな る、 広い意味での美学・芸術学・芸術史の研究促進を目的」として「美学会」が設 立され、今日に至っている。 しかしながら、日本において「美学」という学問名称が確立したことは、「美 学」という学問が何をする学問であるかということについて様々の誤解を生む原因 にもなったと思われる。すなわち、「美学」は文字通り「美」についての学問であ り、美学を勉強すれば「美」のことがなんでも分かる―美の学問的定義は何か、美 を生み出す法則は何か、云々―と思われている節がある。さらにまた、美の主観主 義化が進んだ近代おいては、「美学」に対する不信感は増していると感じられる。 美的趣味については文字通り「十人十色」、「蓼食う虫も好き好き」であり、「美」 を論理の網ですくうことなど不可能なのであるから、「美学」という学問の存立そ のものが疑わしいのではないかという意見である。 しかし、このような状況は、欧米の美学界にも当てはまる。ヴォルフガンク・ ヴェルシュ(Wolfgang Welsch, 1946- )の『感性の思考』10やリチャード・シュス ターマン(Richard Shusterman, 1949- )の『ポピュラー芸術の美学』11などは、 「美の学」としての Aesthetica を、いわば脱構築しようとする試みの一つの成果で あるといえる。Aesthetica を「美の学」から解き放ち、原点である「アイステー
シス」に立ち戻って再考しなおそうとする気運は、このような状況から生まれてき たのである。
3.「美学」から「感性学」へ―「実践知」としての「感性学」
1997 年、岩城見一12編による『感性論―認識機械論としての〈美学〉の今日的 課題』と題する、13 篇の論文からなる論集が出版された。編者岩城は、その「ま えがき」で、「美学」という訳語によって定着した学問のイメージが強いため、そ れが思考のいわば枷となって研究者の意識が限界づけられていること指摘し、「美 学」の今日的課題として、「従来の美や芸術の学としての「美学」を越えて、この 学を政治、教育、環境、異文化理解等々の問題との連関で捉え直すこと」13の必要 性を述べている。また、副題を「認識機械論としての(美学)の今日的課題」とし たことについて、「感性論」としての「美学」は、人間の経験の感性的性格の変遷 を現象的に記述するだけではなく、感性的経験の変化の隠れた〈メカニズム〉を明 らかにし、それを通して執筆者たち自身の思考の無意識的な枠組みに反省を促すこ とを願ったからである、と述べている。そして、「このような「感性論」の視点か ら考察が加えられることで、過去の思想や芸術作品は、従来の「美学」において理 解されていたのとは異なる姿をとって現れうる」14ことへの期待が表明されてい る。 筆者も『感性論』に執筆する機会を与えられ、芸術活動を一種の認識活動、つま り感性的認識活動であると考える立場から、「芸術的形象世界=像 das Bild」が新 たな現実が産出される場であることを論じた。その点において「感性学」の一つの 展開を示すことができたものと考えている。「感性学」のひとつのテーマは、カン ト哲学以来の伝統にしたがうなら悟性にしか与えられていなかった認識能力を、感 性もまた独自に所有しているという可能性を探求することにあると考えるからであ る。 このようにして、欧米でも日本でも「美学」から「感性学」への流れが強まりつ つある。前章の最後に触れた W・ヴェルシュはその傾向を主導する一人であり、 フィードラーの理論をさらに人間の多様な文化活動の領域にまで拡大して適用した 議論を展開しているといえる。ヴェルシュは、感性の意味を原初的次元において再考し、これまでの枠組みを越境することを要求している。そして、この越境が 「アイステーシスへの越境」15である限り、哲学によって遂行されることは困難で あり、まさしくそれ自身アイステーシス的な方法によってしか実現できないと考え る。それは、言い換えれば、感性の意味の実験場、感性的思考の実験室としての (現代)芸術もしくはデザインといった「自らを創造し続ける文化」16によってし か実現できないということを意味しているのである。 以下、ヴェルシュにしたがって、「感性の思考」の具体的展開を示す一つの例を 見ておくことにしよう。 現代社会の特徴的状況が現代アートという感性的思考において顕現している一例 として、ヴェルシュは、シンディ・シャーマンの "Untitled Film Stills" などのセル フ・ポートレート作品を取り上げ、そこに現代社会の多元化に伴う個人のアイデン ティティの多元化を読み取る。ここでは、シャーマンは単に変装しているのではな く、様々の人間のタイプを引き受け、それぞれのアイデンティティを体現してい る。すなわち、彼女は、自分の人格の豊かさを誇示しているのではなく、ありうる 可能なアイデンティティの多重性を提示しているのである。 シャーマンのセルフ・ポートレートのシリーズが、アンディ・ウォーホルのマリ リン・モンローのシリーズに代表されるような繰り返されるイメージから成る作品 を決定的に超えていることも、ヴェルシュは指摘している。すなわち、ウォーホル の作品では一人の映画スターが自己を体現するのではなく、イメージ / 仮象を体現 しつつ、むしろ恒常性が表現されているのに対して、シャーマンの作品では同一の 人物がいかに様々の異なったアイデンティティを引き受け、体現することができる かが示されているのである。つまり、現代社会の「諸条件の下で生きることは、複 数のあり方において生きることである。ということは、すなわち生のさまざまに異 なった形体のあいだを移行しつつ生きるということである」17ということの認識成 果として、シャーマンの作品が産み出されたということである。 ヴェルシュは、将来のデザインのための展望についても言及している。アドル フ・ロースが、18 世紀が科学からの芸術の解放の時代であり、19 世紀が工芸と芸 術の明確な区別の時代であると理解したのに対して、ヴェルシュは、ロースの認識
とは逆に、二十世紀が「芸術としての科学」の時代、つまり科学が芸術となる時代 に向かうことを示唆している。そして、その体現の場はデザインである。そして、 ヴェルシュは、ポスト近代において必要とされるデザインのパラダイム転換の基本 線を、以下のように提示している。少し長いが引用しておこう。 1.デザインは意識的に多数のさまざまな道を歩んでいかねばならない。デザインは多 元性を尊重し、それを分節化して表現することを学ばねばならない。 2.デザインは社会的、民族的、地方的、あるいは企業的アイデンティティを顧慮せね ばならないだけでなく、さらにさまざまなアイデンティティを横切っていくような(つま り「横断的」な)新しいアイデンティティが結晶化していく地点をも創出せねばならな い。わたしたちの生活は、外的にも内的にも、ますます「多元的な生活」すなわちさまざ まな社会的・文化的コンテキストの内部での生活、また数多い構想を内部で消化し、それ らをむすびつけ取りまとめている生活となっている以上、デザインは現存する基準(地方 的・民族的・社会的等々といった種類の基準)に注意をはらわねばならないだけでなく、 混合的な(多層的・多価的な)造形をも産みだしていかねばならない。 3.近代においては合理主義的で機能主義的な側面が強調されたのにたいして、虚構 的・情緒的・感覚的・図像的な価値がとりわけ重要となる。このことはデザインにとって は都合のいいことである。というのはデザインの領域はもともとイメージ性と想像力の領 域であるからである。デザインは、根強いイメージや欲求や期待を呼び覚まし変化させる ことによって効力を発揮する。デザイナーは意識の図像的な層によって仕事をし、またそ うした層を仕事の対象とするのである。 4.それゆえこんにちデザイナーにとって数学的な論理よりも重要なのは、図像的・情 緒的な論理である。表現や透明性という古典的・近代的原則はその意義をうしない、その かわりに対比や発見やパラドックスといった戦略が登場する。この戦略のみが交錯と不安 定性とに満ちた現代の「カオス的な」世界を顧慮する。錯乱や雑種的な形成物がポスト近 代の生活経験に呼応しているのである。 5.こんにちのデザインにとって、一般的に好まれ優勢となる一種の型のようなものが あるとすれば、それはマイクロエレクトロニクスの領域に求めることができよう。いずれ にせよこの領域においてはデザインにとって新たな課題が生じている。ハードウェアの超 小型化とともに「形体は機能にしたがう」という原理に基づく造形がますます不可能に なっている。このことによってデザインの活動はいっそう自律的で、責任の重い、また創
造的なものとなる。いまや「ユーザー向けの外装」とソフトウェアとがデザイン活動の本 来の領域となる。こうしたプロセスは建築にいたるまで確認することができる。たとえば パリのラ0・グランド0 0 0 0・アルシュ0 0 0 0の外観は、伝統的な意味での建築の外観であるよりはむし ろデザイン・モデルのそれである。外装面の造形は、わたしたちがコンピュータ画面で見 るような視覚的な型を手本としている。 こうしたマイクロエレクトロニクスの潮流は自明でもあり意味深くもあるが、しかしそ れはふたたび単なる画一化におちいってはならない。これまで表現に課されていた制約や 表現上の可能性から外面が自由になっていくということば、メタファーや幻想や虚構で企 図的に満たすという新たな種類の造形方法にとっては、チャンスと考えて利用することが できよう。そうすることによってデザインは、人間の片面だけしか見ない、古い近代の合 理主義的方法を克服することになる。 6.最後に、こんにち、また将来において、もっぱら分析可能で媒介可能なもののみが 許容されうるわけではもはやなくなる。デザインは、その職業性や規格性にもかかわら ず、理解しえないものの領野にもあえてつきすすんでいかねばならない。画一化する近代 世界にたいしてポスト近代においてはまさに、構造化されていないものの経験を可能に し、見えざるものを作りだし、出来事の精神において対象を造形するといったことが課題 となる。これはけっしてディレッタントにのみ許されたことではなく、むしろ職業的な勇 気を要することである。同様のことをかつてテオドール・W・アドルノがユートピア的展 望を示した文章のなかで語ったことがある。すなわち重要なのは「それがなんであるかわ たしたちの知らない事物を作りだすこと」である、と18。 このような主張の妥当性の問題はさておくとして、ヴェルシュが考えていること は、デザインというものは「政治における「さまざまな構想」から家庭生活にいた るまで、またこんにちの交通システムからちょっとした身振りや一瞬の知覚にいた るまで」19浸透しているのであり、いわゆる狭い意味での「デザイン」を作成する だけではなく、生活状況の整理や行動様式の形成の中でデザインはすでに始まって いるということである。それは、ポスト近代という時代においては、対象のデザイ ン/造形から枠組みのデザイン/造形への移行、つまりあらゆる次元における造形 的転換が要請されているということでもある。 このようなヴェルシュの考えを敷衍するならば、それは同時に文化全体の新たな 形成、創造を意味していることにもなるであろう。そして、重要なことは、これら
人間のすべての行為、行動には「感性・アイステーシス」が貫かれているというこ とである。すでに遠く古代において、アリストテレスは人間の「真を認識する」能 力として技術(テクネー)・学(エピステーメー)・知慮(フロネーシス)・智慧(ソ フィア)・直知(ヌース)20を並列的に言挙しているが、これらの能力すべてには 原初から感性 = 感官知覚(アイステーシス)が浸透していると考えている。アリ ストテレスは、『形而上学』の冒頭部分で、すべての人間は生まれつき知ることを 欲する存在であることを述べ、その証拠として感性 = 感官知覚(アイステーシス) への愛好を挙げ、特に視覚の優位性を主張しつつ、感性 = 感官知覚(アイステー シス)には我々に物事を認知させ、その差異を識別する力が備わっていることを はっきりと認めているのである21。 しかし同時に、逆の意味から、すべての感性活動 = 感官知覚活動(アイステー シス)には知性が貫いているということも重要なことであると言わなければならな い。 もとより「感性」にせよ「知性(= 悟性)」にせよ、あるいはアリストテレスの 言う技術(テクネー)・学(エピステーメー)・知慮(フロネーシス)・智慧(ソフィ ア)・直知(ヌース) せよ、すべて人間の実際的行為・行動を整理整頓し、見通し 良く秩序付けるために、端的に言えば「学問」を成立させるために必要とされる 「概念」にすぎない。「概念」は、どこまで行ってもアナログ世界でしかない人間の 現実的生の世界を、ロゴスによってデジタル化することで、捉えやすく操作しやす くするための方便である。「感性」が単なる操作概念ではなく、原初から実践的生 の中に渦巻く力であるならば、新たな息吹を吹き込まれるべき「感性学」は、実践 知として行為されること自体において成り立つべきであろう。したがって、新たな 文化を創造する知能としての文化デザイン、文化プロデュースといった実践知の場 こそ「感性学」の実現の場であると考えられるのである。
注釈 1 もとより、美や芸術についての思想はプラトン以来絶えることなく展開されてきた。 Aesthetica という学問の成立が 18 世紀まで遅れたということである。 2 バウムガルテン『美学』松尾大訳、玉川大学出版部、1987 年、15 頁。A.G.Baumgarten, , Georg Olms Vlg. 1986, p.1 ただし、原語の挿入は筆者。 3 バウムガルテン前掲書、20 頁 4 の邦訳者である松尾大氏も、Aesthetica に「美学」の訳語を当てるのは適当 ではなく、「感性学」の方がよいかもしれないことを吐露しているが、この書ではもっ ぱら感性的認識の完全性すなわち美が問題とされているがゆえに、「美学」という訳語 を採用すると述べている。 5 参照。佐々木健一「感性は創造的でありうるか」、『アイステーシス―二十一世紀の美学 に向けて―』(京都市立芸術大学美学文化理論研究会編、2001 年、行路社)所収。 6 Friedrich Schiller, Über die ästhetische Erziehung des Menschen,
www2.ibw.uni-heidelberg.de, S.28
7 参照、ヘーゲル『美学 第一巻の上』竹内敏雄訳、岩波書店、昭和 31 年、3 頁以下 8 Konrad Fiedler, Über den ursprung der künstlerischen Tätigkeit, “ ”
München, 1971, S.187 9 参照、神林恒道編『京の美学者たち』晃洋書房、2006 年、神林恒道著『近代日本「美 学」の誕生』講談社学術文庫、2006 年。 10 邦訳、小林信之訳『感性の思考』(勁草書房、1998 年)。原題は (1990) である。ここで ästhetisch を「感性の」と邦訳した小信之氏は、現在、日本の「感性学」 を主導する学者のひとりであり、早稲田大学において「感性論」を講じている。 11 邦訳、秋庭史典訳『ポピュラー芸術の美学』(勁草書房、1999 年)( , 1992) 12 岩城見一(1944 −)京都大学文学部名誉教授、元京都国立博物館館長。専攻は美学。 13 岩城見一編『感性論』晃洋書房、2007 年、ⅰ頁以下。この指摘は、2007 年にフィンラン ドで開催された第十三回国際美学会のテーマ「美学の実際問題(Aesthetics in practice)」 についての議論と重ねあわされている。 14 前掲書同所 15 W・ヴェルシュ「『アイステーシス』序説」小林信之訳、『アイステーシス―二十一世紀 の美学に向けて―』(註 5 参照) 94 頁 16 前掲論文、94 頁
17 ヴェルシュ、前掲書、223 頁。 18 ヴェルシュ、前掲書、276 頁以下。 19 ヴェルシュ、前掲書、279 頁。
20 参照。アリストテレス『二コマコス倫理学』高田三郎訳、岩波文庫、220 頁 21 参照。アリストテレス『形而上学』出隆訳、岩波文庫、21 頁以下。