価値創造に向けての取引費用論的チャネル認識の再 検討
著者 崔 容熏
雑誌名 同志社商学
巻 64
号 5
ページ 600‑618
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学商学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013213
価値創造に向けての
取引費用論的チャネル認識の再検討
崔 容 熏
Ⅰ はじめに
Ⅱ 取引費用論的チャネル認識
Ⅲ 取引費用論的チャネル認識に対する批判と反論
Ⅳ 取引費用論的チャネル研究の内部矛盾
Ⅴ 価値創造に向けての取引費用論的チャネル研究
Ⅰ は じ め に
周知の通り,Coase(1937)によって提唱され
Williamson(1975, 1985)によって体
系化された取引費用論は,マーケティング研究に幅広く取り入れられている。その応用 分野は,海外市場への参入形態,流通チャネルにおける垂直的組織間関係,販売員の管 理・報酬問題,チェーンストアの類型選択,営業の組織形態,ブランド契約のあり方な ど多様性を極めているが,とりわけ本稿で焦点を当てるのは製造業者による前方チャネ ルの選択問題である。この問題は,製造業者が自社製品を最終顧客に提供するまでの過程で,中間の流通機 能を自ら担うのか(統合),それとも外部の流通業者に託すのか(市場)を選択するこ とに関わる。あるいは,外部の流通業者を利用する場合でも,内部組織に近い統合型チ ャネルを構築するのか,それとも純粋な市場取引に近い関係を活用するのかを選択する 問題でもある。
この問題を考える上で多くのチャネル研究者が依拠してきた理論的バックボーンの一 つが取引費用論であり,その理由は,取引制度選択の定式化という同理論の志向点が,
流通機能の統合か分離かというチャネル研究の問題意識にぴったり収まっているからに 他ならない。
その考え方によると,統合(あるいは統合型チャネル)か分離(あるいは市場取引型 チャネル)かという取引制度は,取引主体同士の相互作用によって生成される情報過負 荷を除去する装置として考えられ,取引主体が直面する取引の困難を克服するための手 段と見なされる(久保,2011)。マーケティング・チャネルの文脈においては,製品流 通に関する製造業者と流通業者の分業関係のあり方を,製造業者(もしくは流通業者)
自らが選択する局面として描かれることになる。
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これまで前方チャネルの選択問題に関しては多数の実証的研究が積み重ねられ,その 結果は,取引費用論の理論的妥当性を概ね支持している。しかしそれと同時に,同理論 の理論的限界点を批判する言説も多くなされており,また,その限界点を修正または補 完するための理論的試みも散見されるようになっ
1
た。
中でも批判の的になっている論点の一つは,取引費用論的チャネル論が描くチャネル 像では,取引を取り巻く外部環境に適応する受動的存在としての行為者が仮定されてお り,さらに,行為者は取引費用の最小化という唯一の基準を根拠に制度選択の意思決定 を行っているという点である。これらの指摘は,取引費用論的チャネル認識が,創造的 適応を目指すべきマーケティングの本質を度外視する結果を生むことを懸念しており,
そして,マーケティングにまつわる意思決定の根幹は価値の創出に置かれるべきであ り,取引費用の最小化という後ろ向きの志向点を目指すべきではないという警告でもあ る。
しかしながら,本稿では,取引費用論的チャネル研究に向けられたこれらの批判の多 くが適切ではないことを主張して行こうとする。取引費用論的チャネル研究で模写され ているのは,与えられた外部環境に受け身的に適応する存在ではなく,主体的かつ戦略 的意図をもった行為者なのである。さらに,取引費用論的チャネル認識では,取引費用 の最小化という側面だけでなく,価値創造に関する含意がすでに内包されている。
にもかかわらず,取引費用論の枠組みに組み込まれている価値創造の局面を,既存の チャネル研究が実証の文脈で十分に生かしきれていないこともまた事実である。このこ とは逆に,取引費用論の枠組みを堅持しつつも,価値創造の側面を分析の射程に取り入 れうる可能性が残されていることをも意味しよう。
本稿では,既存のチャネル研究に対する主要な批判とそれに対する反論を展開してい くことを通じて,取引費用論的チャネル認識を再検討し,価値創造というマーケティン グの本質的な局面をチャネル研究が包摂していく必要性を提案する。ただし,本稿はあ くまでも取引費用論をマーケティング・チャネルの選択問題に応用している経験的研究 を再検討するのが目的であり,基礎理論そのものを分析の対象としているわけではな い。
以下,本稿は次のように構成される。第
2
節では,取引費用論によってチャネル選択 問題はどのように解釈されてきたかを,既存の研究蓄積を振り返る形で紹介する。第3
節では,主に石井(2003 ; 2012)を中心として提起されている,取引費用論的チャネ ル認識の問題点を外部環境決定論的認識と論点先取の問題に分けて紹介し,それらの問 題提起が取引費用論的チャネル認識に対する誤解から始まったと主張する。────────────
1 その代表的なものとしてはLanglois and Robertson(1995)などによるケイパビリティ・アプローチ(ca- pability approach)などがある。
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製品
製品+
流通サービス
顧客 製品の買い手
流通業者
流通サービスの 売り手 流通
サービス 製品の売り手
製造業者
流通サービスの 買い手
続く第
4
節では,取引費用論的チャネル研究の内部で,石井の指摘する問題とは別の 論点先取りの問題が潜んでいることを,とりわけ資産特殊性の概念を中心に,明らかに する。そして最後には,その論点先取りの問題が,チャネル関係における価値創造の軽 視という重大な結果をもたらした原因であることを示し,今後の方向性を提案する。Ⅱ 取引費用論的チャネル認識
Ⅱ.1 伝統的公準からの転倒
取引費用論の主たる関心事は生産要素の内製・外注(make or buy)の問題である。
この問題意識は,例えば,完成品の製造業者が特定の部品の生産に自ら乗り出すのか,
それとも外部の供給業者を利用するのかというようなコンテクストとは親和性が高い。
しかし,製造業者による前方チャネルの選択問題に適用する場合には,流通論の伝統 的な公準との間に転倒が起きる。伝統的な流通論が堅持してきた素朴であるが基本的と も言うべき公準とは,商業者は製造業者の商品に対する買い手であり,それを前提にし て商業者は消費者に対する商品の売り手たることができるということを意味する(風 呂,1987)。
他方,取引費用論的チャネル研究のプリミティブな問題意識は,製造業者が自社製品 を最終顧客に提供するに当たり,中間の流通機能(流通サービス)を自社組織で内部的 に遂行するのか(または内部組織に近い関係を流通業者と取り結ぶのか),それとも外 部市場を利用し流通業者に委託するのかということである。
この認識は,製造業者は必要とする流通サービスを内製するのか,外部の流通業者か ら購買するのかという問題に他ならず,そこにおける取引対象は商品ではなく流通サー ビスに置き換わることになる。よって,取引費用論的チャネル認識に立つと,製造業者 は流通サービスを買い求める買い手になり,流通業者は製造業者に流通サービスを提供 する売り手に転じるのであ
2
る(第
1
図参考)。────────────
2 より現実的には,製造業者は製品の売りであると同時に流通サービスの買い手になり,同様に,流通業 者は製品の買い手であるとともに,流通サービスの売り手としての役割をも担うという二義的性格を持 つ。この二義的性格が与えてくれる示唆は重要であり,取引の対象を商品と考えるのか流通サービスと 見るかによって,取引の性格は大きく変わってくる。取引費用論的チャネル論が想定する取引対象 !
第1図 取引費用論によるチャネル認識 同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)
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この見方は,製造業者が流通業者に製品を販売するという,常識的かつ伝統的な流通 論の公準からすれば,奇異に映るかもしれない(風呂,1987;久保,2011)。
Ⅱ.2 チャネル関係における取引の困難
もし製造業者が求める特定の流通サービスに関して,完全に競争的な外部市場が存在 するという仮定の下では,流通サービスの外部調達の優位性が成立する。この仮定の乱 れとして取引費用論が想定する事態が「市場の失敗」であり,その状態は,公共財や外 部性処理という例外的な現象を超え,市場利用一般に不可避な「取引の困難(transactional
difficulty)」から論じられる(風呂,1977)。このような乱れがなく,競争的な外部市場
が正常に機能する限り,製造業者は常に外部市場から必要な流通サービスを難なく調達 できることになる。このように取引費用論はあくまでも,「市場」を初期条件(default)として設定して いる議論であり(Anderson and Coughlan, 2002),企業組織(もしくは統合)という存在 は,市場メカニズムが取引を効率的に制御できなかった場合の代替的な制度と見なされ る。よって,取引費用論の発想に基づくチャネル研究がもっぱら想定しているのは,暗 黙的であろうが明示的であろうが,「市場は,いかなる状況下で取引を効率的に統御す るメカニズムとして機"能"し"得"な"い"の"か"」という要件を明らかにすることである。
市場を利用する際の取引の困難は組織内取引を用いることによって解決できるという
Coase
(1937)のこの新奇なアイディアを,操作化の可能な形に発展させたのはWilliam-
son(1975, 1985)である。Williamson
の貢献は,如何なる状況下で取引の困難が増幅されるかという条件を理論的に特定化したことにあると言える。
Williamson(1975, 1985)の分析枠組みは,人間行動の二つの特徴(限定された合理
性と機会主義)および取引を取り巻く二つの主要次元(資産特殊性と不確実性)の相互 作用に基づいている。彼によれば,取引を取り巻く状況の変化が激しく,事前にその帰趨を特定し難い場合 や(環境的不確実性),取引相手の成果が事後的に容易に測定もしくは評価できない状 況(行動的不確実性)において,取引の困難性は高まる。この問題は,人間の認知能力 と合理性の限界を意味する,限定された合理性の故に引き起こる問題である。
それに加えて,特定の取引関係でしか価値を持たない資産を多く必要とする場合(資 産特殊性)に取引の困難性は増幅する。特定の相手以外に対しては著しく価値が低下し てしまう特殊資産を抱えている取引主体は,当該関係に縛られやすいため,取引相手に
────────────
! は,あくまでも流通サービスである。この認識に起因する取引費用論的チャネル研究の限界を克服する ための,有益な示唆をケイパビリティ・アプローチから得ることが出来るが,この点に関しては稿を改 める。
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よる搾取の危険性に晒されることになる。この搾取の危険性は,狡猾な自己利益の追求 を意味する機会主義という人間固有の性向と結合して取引の困難性を高める要因にな
3
る。
改めて整理すると,市場の失敗をもたらす取引の困難は,(1)環境の変化に対する不 適応の結果,(2)成果評価の困難性,および(3)資産特殊性に由来する機会主義的行 動の可能性,によって増幅すると考えられている。
Ⅱ.3 取引費用論的チャネル研究
Williamson
によるこの分析枠組みを,どの分野よりも精力的に実証しようと試みたのがマーケティング研究であり(Anderson, 1996),中でも製造業者の流通チャネルの選択 問題について膨大な研究が蓄積されてきた。取引費用論に依拠したチャネル研究の目論 見は言うまでもなく,取引にまつわる人間の特徴と環境要因を実証可能な形に操作化し た上で,取引の困難性が高い状況下で,製造業者は流通サービスを外部の流通業者から 必要な度に調達するよりは,自らの内部組織に流通機能を包摂する,もしくは,内部組 織に近い統合型チャネルを流通業者との間に構築するという事実を確認することであっ た。
現在に至るまで,環境不確実性に関する実証結果に関してはやや混乱する結果が提示 されているとはい
4
え,資産特殊性と成果測定の不確実性に関しては,概ね取引費用理論 の分析枠組みをサポートする数多くの実証研究を輩出した。つまり,資産特殊性が高く 取引相手の機会主義的行動の可能性が顕著な場合や,取引相手の成果を事後的に測定す ることが難しい状況で,製造業者は必要とする流通サービスを内製するか,もしくは統 合度の高いチャネル関係から調達することが経験的に証明されたのであ
5
る。
Ⅲ 取引費用論的チャネル認識に対する批判と反論
Ⅲ.1 外部環境決定論
取引費用論を用いたマーケティング研究についてはその影響力の大きさだけ批判も多
────────────
3 このほかWilliamson(1975)では取引の次元として取引頻度も含まれているが,取引頻度に関しては,
実証研究の文脈ではほとんど取り上げられることがなかった。取引費用理論とそれを応用したチャネル 研 究 に 関 し て は,Anderson(1996),Rindfleisch and Heide(1997),John and Reve(2010),高 田
(2010),久保(2011)などいくつもの優れたレビューが存在するために,より詳細な内容についてはそ れらを参照されたい。
4 環境の不確実性と統合度の因果関係には正の関係と負の関係を表す研究がいずれも存在する。この点の 説明は高田(2009, p.46)に詳しい。
5 資産特殊性仮説と成果測定の不確実性仮説を支持する実証研究としては,Anderson and Schmittlein
(1984),Anderson(1985), John and Weitz(1988)など数多く存在する。
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岐にわたっているが(久保,2011),中でも近年,石井(2003, 2012)によって痛烈な 批判が浴びせられている。石井の批判は,環境決定論的認識と論点先取りの問題という 二点に要約することができる。前者から順に見ていこう。
まず,石井(2012)では取引費用論的マーケティング研究に対して,その環境決定論 的な分析視覚を厳しく批判す
6
る。石井(2012)によれば,取引費用論は「組織外部環境 のありようが内部組織のありようを規定するという関係に着目する。(中略)他組織と の「取引の特異性」に応じて,その取引が組織の内に統合されるかどうか,つまり,
「組織のありよう(make or buy)」が決まると考える。」という(92項)。
石井(2012)はその理由について,「組織(人)の外部にある取引困難の程度や負荷 される情報量という分析可能な実態があり,それが観察できる」ことと,「情報を負荷 し取引困難をもたらす環境は,組織(あるいは人)による認識以前にすでに存在し,認 識がどうであるかに依存しない」という二つの基本的仮定が,取引費用論的マーケティ ング研究の背後に置かれているからだと説明する(93〜94項)。
そのため,意思決定者という主体と,外部環境という客体が完全に二分され,「客体 があらかじめ存在し,他方でそれを認識する主体がいるという「主客二分」の論理を基 礎としている(94項)」と続く。
同様の批判はほかにも存在する。Ghosh and John(1999)は,取引費用論的考え方 が,一組の交換を取り巻く外生的な環境変数に基づく単なる費用最小化の発想にすぎな いため,取引費用論的マーケティング研究は,企業レベルの戦略的差異を識別する上で 有益な洞察を与えないという一連の主張が存在すると述べる。その一つの
Hunt and Morgan(1995)は,取引費用論の発想に従うと,同じ市場に属しているすべての企業
は,同一な外生的環境に接しているが故に,すべて同じ統御様式(例えば,組織内統 合)を選んでしまうという帰結になると批判している。Ⅲ.2 取引費用論的チャネル研究の説明メカニズム
以上の言説で共通しているのは次のような論旨である。取引費用論的チャネル研究が 市場の失敗の原因として着目している「取引の困難」は,資産特殊性と環境不確実性の ような外部環境の状況に応じて生成する。
しかし,それらの外部環境は所与として存在するものであって,意思決定主体が恣意 的に操作を加えられるものではない。そのため,意思決定主体にできる精一杯のこと は,その外部環境を観察し,分析する行為である。ここで描かれる意思決定者の姿は,
自分の意志で新たな環境を作り出す主体的なものではなく,与えられた外部環境に対し
────────────
6 石井(2012)第4章では,類似な分析視覚を持っているとし,取引費用論とともに情報処理論をまとめ て議論しているが,ここでは混乱を避けるために取引費用論に関する言及だけに絞る。
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て適応していく受身的な存在でしかない。
しかしながら果たして取引費用論的マーケティング研究に浴びせられた,以上のよう な批判は妥当であろうか?それは取引費用論的チャネル研究が実証の文脈でどのような 説明メカニズムを背後に置いているのかを検討して見ることで明らかになる。
製造業者は自社商品を最終顧客に提供していく過程で流通サービスを不可欠に必要と する。その際に製造業者はその流通サービスを,統合型チャネルを用いて提供するか,
それとも市場取引に近い形で調達するかの選択問題に直面する。仮に製造業者が必要と する流通サービスが,次の段階への単純な転売のような汎用的かつ標準的な性格のもの ならば,製造業者はそれを提供してくれる流通業者を低費用で市場から探し出し,委託 することができよう。
しかし,製造業者が求める流通サービスが,高度にカスタマイズされた内容を含んで いるならば話は変わってくる。例えば,顧客に対する製品説明に相当の専門知識が必要 であったり,単純な販売だけではなく,充実したフォア・サービスやアフタ・サービス が必要な場合もあるだろう。また,特別な販売設備が必要な場合もあれば,販売員に対 する高度なトレーニングな必要なこともあろう。特定の製造業者に対して流通業者がこ の類の流通サービスを提供するためには,その製造業者だけにカスタマイズされた特別 な投資が必要になる。
しかし,流通業者にとっては,特定の製造業者のためだけに,他では価値を持たない 投資を抱えることは危険なことである。そのような高度に特殊な投資は,サンクコスト 化する性質を持っており,投資が行われてしまった後に,製造業者の機会主義に振り回 され,自分の利益を不当に搾取される可能性が高いためである。これは一般にホールド
・アップの問題(hold-up problem)として言われる(Klein et al, 1978)。
よって,市場における流通サービスの潜在的な供給業者(つまり,流通業者)の大多 数が,特定の製造業者だけのために特殊的資産を形成することを断念する事態が生じう る。その結果,製造業者はもはや自分が必要とする特殊な流通サービスを外部市場から 調達することが困難な状況に逢着する。この帰結として,製造業者は流通サービスの内 製もしくは統合度の高いチャネルを選択するのである。
以上が
Williamson(1985)のストーリーを元に,高い資産特殊性がもたらす取引の困
難によって,統合型チャネルが選択される経緯の素描である。製造業者の前方統合の問 題を実証的に検証するチャネル研究は,この説明メカニズムを背後に敷いてい
7
る。
このストーリーの要点は明らかである。すなわち,ここで強調されなければならない のは,取引の困難を生み出す資産特殊性が,意思決定主体(=製造業者)にとって外生
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7 例えば,Anderson(1985, 1996),John & Weitz(1988),久保(2003),Ono and Kubo(2009)。
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的に与えられる環境ではなく,自らの主体的かつ戦略的な意思決定の結果としてもたら されたという点である。
例えば,製造業者が単純な販売のような標準的な流通サービスを求めたのであれば,
そのような汎用サービスを提供してくれる流通業者を,高い取引費用を払わずに市場で 容易に見つけることはできるだろう。そのことによって取引の困難は顕在化せず,高い 取引費用の発生も抑制できる。が,その代わり,最終顧客に対して高度にカスタマイズ された流通サービスを提供するという,戦略的目標を放棄しなければならないという,
いっそう深刻な問題が浮上することは簡単に推測できるだろう。
環境の不確実性という要因に関しても同様の反論が可能である。環境の不確実性をど う定義するかは依然として多くの議論があるが,需要予測の不確実性を例に挙げて説明 しよう。例えば,同じアパレル産業でもファッション性が極めて高い商品を生産する製 造業者とファッション性を強調しない定番商品を主に提供する製造業者があるとしよ う。Fisher(1997)の分類に従えば,前者を革新的商品,後者を機能的商品と呼ぶこと ができよう。
革新的商品の場合は,市場の撹乱性が高く事前に需要の動きを予測することは極めて 困難である。市場の反応を見る前には,多様な製品ラインの中でどれが売れ,どれが売 れ残るのかを予測することも厳しい。他方,毎年デザインの変更をあまり加えず定番の アイテムを中心に展開する場合であれば,過去のデータの分析結果に長年の経験などを 照らし合わせ,ある程度安定した需要予測が可能である。この文脈に,取引費用論的説 明を加えると次のような理解が可能になる。
革新的商品の場合,製造業者は流通段階との綿密な情報交換とコミュニケーションを ベースに,実需の動きを見極めながら,追加受発注や追加生産を試みる必要がある。そ のためには,製販間の情報共有に基づく濃密な摺合せが必要であり,生産と販売を有機 的に結合する統合度の高いチャネル関係を構築する必要があろう(岡本,1995)。流通 業者にしても,その製造業者に特化した商品管理システムの導入や販売員の教育,また はリアルタイムの売場情報の開示など,特殊度の高い資産を形成しなければならないだ ろう。
逆に,機能的商品を提供する場合であれば,製造業者が求める流通サービスは,一定 の店舗スペースの割当と最終顧客への販売といった標準的なもので十分かもしれない。
機能的商品の製造業者がこのような標準的な流通サービスを市場から調達することは,
それほど難関ではないだろう。
この簡単な例からも需要不確実性の度合いに応じて,チャネル形態の選択は異なりう るという取引費用論的チャネルは模写できるが,その際に需要不確実性という次元は外 部環境として与えられているのではなく,企業自身の積極的かつ戦略的な選択の結果で
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あることが分かる。需要不確実性が高い革新的商品を選択したのも,それを提供してい く上でリアルタイムでの製販の連携ができるように,高度にカスタマイズされた流通サ ービスを求めるのも全て,他ではない企業自身の選択の結果なのであ
8
る。そこには,所 与としての外部環境を受身的に観察し,適応するのではなく,不確実な環境の中に自ら 突き進んでいく意思決定主体の姿があ
9
る。
Ⅲ.3 論点先取りの問題
石井(2003, 2012)は取引費用論的マーケティング研究が外部環境決定論的であると いう以上の言説を前提とした上,流通系列化を引き合いに出しながら論点先取りの問題 を追及する。その主張を少し詳細に見てみよう。
流通系列化を取り入れている自動車メーカーや家電メーカーは,商品を売ってくれる 相手なら誰でもかまわないというのではなく,自分の指示を受け入れる相手を選ぶ。そ してその相手との間で種々のサービス取引の契約が交わされる。そうした契約を通じ て,流通業者の行動を統制するのがメーカーの流通系列化に他ならない。こうして流通 サービスの取引に特異性が生まれると,取引相手はなおさら限られるようになり,その 取引に限った特異な資源を持つことになるために,相手の機会主義的な行動が目立つよ うになる。
このような形で取引の困難が生成すると,取引相手の機会主義的行動の可能性の故 に,市場を利用するには高い取引費用が懸念される。その結果,指令命令を含んだ,よ り組織に近い統合型チャネル(つまり,流通系列化)という制度が生まれる。しかし,
こうして系列化の深度が高まるにつれ,両者間の取引に特異性はいっそう高まり,それ が再び取引相手を限定させ,相手の機会主義的行動を誘発しやすくなるという機制が潜 んでいる。その結果,取引相手の行動を統制・制約するための更なる施策が必要にな る。つまり,系列化が系列化を呼ぶという機制が働くのである。
石井(2012)はこの問題について,「取引費用論が想定したのは,取引困難のありよ うが系列化を導くという一方向の関係であったが両者は実は強化し合う関係にある」と
────────────
8 ちなみに,例え,客観的にまったく同じ水準の環境不確実性という非現実的な仮定を置くとしても,す べての企業が同じチャネル形態を選択するとは考えられない。なぜかというと,需要が予測しやすいか 否か,あるいは競争が激しいか否かは,という知覚は,企業固有の情報処理能力や認知能力,または市 場地位の違いなどによっても,多かれ少なかれ影響を受けるからである。したがって,環境不確実性と いう概念自体,至って主観的な概念であり,誰にでも一律に観察できる普遍的かつ客観的な環境という のは,そもそも存在しえないだろう。したがって,取引費用理論の発想に従うと,同じ市場に属してい るすべての企業は,同一な外生的環境に接しているが故に,すべて同じ統御様式(例えば,組織内統 合)を選んでしまうというHunt and Morgan(1995)の批判には無理がある。
9 外部環境決定論に関しては久保(2011)からも同様の反論が提起されている。久保(2011)は,高い水 準の資産特殊性を選択するのは,外部環境に対する適応の結果ではなく,経営者が事前に想定する戦略 的意図(strategic intent)に他ならないという。
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指摘する。石井はさらに「相手の機会主義による取引困難の増大が流通系列化の強化を 促すという取引費用論の論理は,「循環する関係」の一面でしかない(98項)」と述べ,
「系列化は高い取引費用の結果というよりは,高い取引費用を生み出す原因でもあるの だ」,と主張する(97項)。
つまり,取引費用論的チャネル認識においては,説明されるべき変数(取引困難とそ の結果としての取引費用)が説明変数として入ってしまっているとう,論点先取りの問 題を孕むことになり,そのため「取引費用の増大が流通系列化を促すという取引費用論 の論理はここで転倒する」(石井,2003, 19項)という。
Ⅲ.4 取引制度は取引の困難を高めるのか?
統合度の高いチャネル形態(流通系列化)が取引費用を増幅させる働きをするとい う,以上の主張は適切ではない。取引費用論でいう,取引費用とは,特殊な財やサービ スを市場取引から購入しようとする際に発生する費用のことを指す。
一方,流通系列化とは,市場一般を利用する際に発生するであろう取引の困難を制御 するために,統合度の高い取引制度を製造業者自らが選択し,流通業者がそれを受け入 れた結果であると解釈できる。それゆえに,特殊性の高い取引が市場メカニズムを基盤 にして取り交わされる際に予測される取引困難及び取引費用が,すでにその抑制の機制 を含んでいる取引制度(流通系列化)の下で増幅されるという主張は不適切であると言 わざるを得ない。
しかし,先述の取引費用論的チャネル研究の説明メカニズムを再び引用することでよ り重大な問題が浮き彫りになる。繰り返すが,自社製品を標準的流通サービスではな く,特殊度の高い流通サービスとの組み合わせで提供しようとする製造業者は,外部市 場ではそのようなサービスを簡単に調達できない問題に直面する。
流通業者が高度に特殊な流通サービスを提供するためには,当該製造業者向けの特殊 な投資を行う必要があるが,投資後にホールド・アップに見舞われることを懸念する流 通業者は,投資を断念するか,もしくは,過少な投資しか行わない可能性がある。この 問題は,製造業者にとっては必要な流通サービスに関する入手可能性(availability)の 問題でもある。
この際,製造業者にとっての課題は,(究極の場合,自ら直営店を設置するという選 択がなされるだろうが)自分が望む水準の流通サービスの創出に必要な特殊的投資を,
流通業者から引き出すための誘因を用意することであろう。つまり,流通業者が特殊的 な投資を敢行しても,それが将来的に搾取されないだろうという公式的・非公式的制度 を配備する必要が生じるのである。
それは流通業者に対して一定の商圏における排他的な販売権を保証するテリトリー制
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のような公式的な制度かもしれないし,評判や信頼のような非公式的な制度かもしれな
10
い。例えばテリトリー制は,特定商圏におけるブランド内競争を排除することによって 流通業者を助ける働きをし,流通業者側の特殊的資産を引き出すための,製造業者自ら の先行的なコミットメントの役割を果たすのである(Fein and Anderson, 1997)。
その結果,流通業者からの特殊的投資が実行されれば,さらに,長期協調的な関係を 担保するための種々の(再販売価格維持や一店一帳合制のような)制度的装置が加わ る。この帰結として存在するのが一般的に流通系列化と呼ばれる制度であり,そこには 確かに石井が言うような,制度が資産特殊性を高め,それがさらに制度を強化するとい う循環関係が見受けられる。
しかし,以上の模写から分かるように,石井の論点先取りの議論が見落としているの は,流通系列化という制度選択は,取引費用を高める要因として動員されるものではな く,高度に特殊な流通サービスというポジティブな価値を創り出すために動員される制 度的工夫であるという点である。
取引の困難とそれに呼応する取引制度が,意思決定主体自らの戦略的意図を反映した 結果として存在するならば,取引の困難が系列化を深化させ,それがまた取引の困難を 高めるという負の堂々巡りが予想される中で,取引主体は系列化という統合度の高い制 度を選択しないはずである。人間は限定的ではあるが,合理的なのである。
系列化が取引困難を高め,さらにそれが系列化を深化させるという論点先取りの議論 は,資産特殊性が取引困難を引き起こす働きをするという前提から出発しているが,そ れは資産特殊性の一面でしかない。資産特殊性には取引の困難性を高める側面と同時 に,それが形成されなかった場合に被る機会費用という,価値創造の局面を最初から含 んでいるからである(Rindfleisch and Heide, 1997 ; Ghosh and John, 1999)。それは,取 引困難を敬遠して,特殊な流通サービスを創り出せるほどの特殊的資産が形成されなか った場合に失われる価値の減少を意味する。論点先取りの議論には,資産特殊性が持っ ているこの価値創造の局面に対する考察が欠落しているのである。
しかし,石井(2003, 2012)に代表されるような批判の動機を提供したのは,取引費 用論的チャネル研究の内部に存在する。そこには,石井が指摘するものとは別の論点先 取りの危険性が内在している。
────────────
10 評判というのは取引当事者自らが選択したものではないために制度とは見なせないという指摘があるか もしれない。しかし,取引当事者の評判を調べ,将来的な取引困難の可能性を低めるための,事前検証 を行うことなどは,取引当事者自らが選択した制度として考えることもできる(Heide and John, 1990 ; Stump and Heide, 1996)。
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Ⅳ 取引費用論的チャネル研究の内部矛盾
繰り返し強調してきたように,取引費用論的チャネル研究が依拠する説明メカニズム の骨子は,高度に特殊な流通サービスを市場一般から調達することが困難であるという 入手可能性の問題を解消し,高次の価値を創造するために,統合度の高い取引制度が選 択されるということであった。
ところが,取引費用論的チャネル研究には,以上とは似て非なる説明メカニズムに基 づく一群の研究が存在する。その研究群では,すでに形成されてしまった特殊的資産に 対する防御(safeguarding)という問題を切り口に議論が展開される。これらの研究は 統合度の高い取引制度の成り立ちを次のように説明する。
特定の取引相手に向けた特殊な資産の形成は,自らをその関係にロックインさせる効 果を持つために,取引相手はその交渉的地位の優越性を利用して,取引関係から生まれ る利益を不当に搾取しようとする。つまり,機会主義の可能性の高まりである。
特殊的資源を抱える投資主体は,取引相手の機会主義的行動から自らの資産を守るべ く,防御メカニズムを配備する必要性に駆られることになる。この帰結として選択され るのが,統合度の高いチャネル形態である。離散的な市場取引ではなく,組織に近い,
統合度の高い関係を取引相手との間に構築することによって,長期協調的な関係が担保 され,取引相手の機会主義は抑制されると考えるのである。
この明快なロジックに基づき,多数の経験的研究が出現した。その詳細は他に委ねる
11
が,取引相手の顧客と太いパイプを構築する相殺投資(offsetting investment),関係的 規範の形成,関係的契約,情報の共有,モニタリングなど,実にバリエーションに富む 多様な防御メカニズムが仮説として提示され,そのほとんどが経験的に支持を得てい
12
る。
この一連の研究の出発点は言うまでもなく,特殊的資産の存在である。そして,先行 的に行われてしまった特殊的資産を防御するための制度として選択されるのが,統合度 の高いチャネルというのである。
しかし,ここで当初の取引費用論的説明メカニズムとの間に論理的な齟齬が生じる。
それは,搾取の可能性に見舞われることを十分に予測できる意思決定主体が,なぜ特定 の取引相手のためだけに特定的投資を形成してしまうのかという素朴な疑問である。防
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11 防御研究の包括的レビューに関しては,崔(2003),(2006),(2010),Rindfleisch and Heide(1997)な どを参照されたい。
12 Heide and John(1988, 1992), Gundlach et al(1995), Kumar et al(1995), Jap and Ganesan(2000), Haugland and Reve(1993), Lusch and Brown(1996), Noordwier et al(1990), Stump and Heide(1996)など枚挙に いとまがない。
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御の問題を取り扱っている諸研究では,この疑問が捨象された上で,議論が展開されて いる。そこではすでに特殊的資産を形成してしまった意思決定主体のチャネル選択を問 題視しており,特殊的資産は予め与えられている外生変数として取り扱われている。こ こに論点先取りの可能性が潜んでいる。
流通系列化の話に戻ろう。流通業者の特殊的投資がほしい製造業者は,流通業者が安 心して特殊的資産を形成できるような工夫(つまり,取引制度)を用意する必要があ る。その制度的装置のバックアップがあってはじめて,流通業者は製造業者のホールド
・アップに見舞われることを心配せず,その関係にコミットすることができる。
このストーリーのポイントは,防御のメカニズム(つまり,取引制度)が特殊的資産 の形成に先だって構築されている可能性があるということである。繰り返すと,特定的 資産の存在が取引の困難を高め,それに対する対応策として統合度の高いチャネルが選 択されるのではない。むしろ,統合度が高いチャネルがすでに防御メカニズムとして用 意されてはじめて,取引相手からの特殊的投資が執行されるという因果関係の逆転がそ こにはある。そして,それがさらに統合度の高いチャネルを支えるための制度を深化さ せるという循環を強化するのである。
特殊的資産は自らを関係に束縛する行為(コミットメント)であると同時に,将来的 な共同価値の上昇を約束する性格を持っている。だからこそ,それは取引相手の関係継 続志向をも高め,コミットメントがコミットメントを呼ぶ正の連鎖反応を引き起こすの である(Ono and Kubo, 2009 ; Anderson and Weitz, 1992 ; Fein and Anderson, 1997)。
そこで生まれるのは,自らを関係に束縛することによって短期的な利益を犠牲にして 関係を継続しようとする志向であり,機会主義を働かせ単発の利益を追求しようとする 意図ではない(原
2011 a)。防御の問題を取り扱っているチャネル研究においては,特
定的資産の存在が予め仮構されており,それを出発点として,特殊的資産をいかに防御 するかという問題を議論の俎上に載せている。説明されるべき変数が,説明変数として 想定されている。まさに論点が先取りされていることになる(石井,2012)。以上のような研究スタンスの最も深刻な弊害の一つは,それによって特殊的資産の持 つもう一つの側面,つまり,価値創造の機能を議論の舞台から引き下ろし,もっぱら機 会主義のトリガーとしての働きだけにフォーカスを当ててしまう結果をもたらしたこと に他ならない。
Ⅴ 価値創造に向けての取引費用論的チャネル研究
以上の議論の含意は,統合度が高いチャネルという取引制度には,取引困難に対する 対応策としてではなく,取引相手から特殊的資産の形成を引き出すための促進剤として
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の役割が付与されているということである。そして,その帰結としての特殊的資産の内 には,機会主義の可能性を高め,取引困難を誘発する存在ではなく,関係の価値を増大 する起爆剤としての機能が含まれているのである。
そもそもチャネル関係は,共同の利益を大きくするという価値創造(value creation)
と,共同の利益の配分や取引条件に関連する交渉を意味する価値専有(value claiming ;
value appropriation)という二つの側面をあわせ持っており(原,2011;風呂,1968 ; Gosch and John, 1999 ; Wagner et al, 2010),この両側面を切り離して議論することは出
来ないのである(風呂,1968)。取引に参加する各当事者は自分に配分されるパイの大きさに最大の関心があるはずで ある。そのため個々に分配されるパイの大きさは,パイ全体の大きさに影響を与える。
資産特殊性による問題として議論されてきたホールド・アップの問題はその典型である
(原,2011 ; Foss and Foss, 2004)。
別言すれば,取引主体は,特殊的資産の形成後に自分の資産が取引相手によって不当 に搾取されることを憂慮するからこそ,特定的投資を控えるようになる。その結果とし てもたらされるのは,もし十分な投資が行われたならば創り出されたはずの共同の価値 が,毀損されてしまうということである(Ghosh and John, 1999)。しかし,特殊的資産 は負の側面を含意しているのではなく,正の側面も持っているのである(浅沼,1997)。
製造業者の製品に流通業者のカスタマイズされた流通サービスが加味されることによっ て,製品に対する最終顧客の知覚価値が上昇することは,容易に予想できるはずであ る。
統合度の高い取引制度を配備することは,価値の創造に不可欠な特殊的資産を導き出 すための戦略的手段であると同時に,その結果として形成される特殊的資産はさらなる 価値を創造していくための基盤になる。特定的資産の形成は,取引困難を増幅させる逆 機能を潜めていると同時に,共同の価値を高める順機能を併せ持っていると考えるべき であろ
13
う。
特殊的資産の形成によって価値の増分が見込まれる限り,取引主体は代替的な取引を 望まないはずである。その意味で特殊的資産とそれを可能にする取引当事者間の合意は
────────────
13 Ghosh and John(2010)では,特殊的資産の順機能を共同ブランディングという文脈で描いている。こ
の研究によると,部品の製造業者が完成品の製造業者向けにカスタマイズされた投資を行う場合,部品 製造業者は取引先の機会主義に露出されるとされる。その際に,両者の間で結ばれる部品ブランド契約
(branded component contract)は,部品製造業者からの特殊的資産を促すための制度として機能するとい う。部品ブランド契約とは,完成品そのもの,または,完成品のマーケティング諸手段(例えば,広告 や販促資材)に当該部品ブランドを明記するよう,両者間で結ばれる契約のことを言う。この部品ブラ ンド契約が結ばれることによって,部品の製造業者は特殊的資産の搾取を恐れずに,カスタマイズされ た資産を形成することが出来るという。このシナリオから,部品ブランド契約という制度は,完成品ブ ランドと部品ブランドのコラボレーションによる共同価値を高めるために,特殊的資産の形成を促す役 割を果たしていることが分かる。
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価値創造の局面 価値専有の局面
既存研究の射程
資産特殊性
取引制度
自 己 強 化 的(self-enforcing)な 働 き を す る(Klein, 1996;崔,2009 a, b ; Ghosh and
John, 2010)。しかし,関係全体としては価値の上昇が期待されるとしても,各当事者に
配分される増分のシェアが自分の貢献に比べて少ないだろうと予想される場合に,取引 主体は特殊資産の形成をためらうことになるだろ14
う。
この価値専有の問題を有効に処理できる取引制度の考案なしには,価値創造に否定的 な影響が出ることは避けられない。それは取引主体による特殊的投資の断念もしく縮小 という行動をもたらすこともあれば,不確実性に対する消極的な適応や,事後的に評価
・測定されにくい行動を敢えて控えるという行為として表れるかもしれない(Ghosh and
John, 1999, p.133)。
既存のチャネル研究が注目してきた部分はもっぱらこの価値の専有の局面であり,特 殊的資産の自己強化的側面,換言すれば,価値創造の局面に注目が集まることはあまり なかった(第
2
図)。特殊的資産と取引制度の織り出す循環性を度外視し,全ての論点 を機会主義の発生源としての逆機能のみに還元してしまうことによって,チャネルは,「ポジティブのクリエータ(a creator of the positive)」ではなく,「ネガティブの回避者
(an avoider of the negative)」として描かれるようになったのである(Jap, 1999)。その 理由は,説明されるべき変数である資産特殊性が,あたかも予め存在しているような説 明変数として取り扱われているという,取引費用論的チャネル研究の論点先取りにある
(Zajac and Olsen, 1993 ; Ghosh and John, 1999)。
本稿の批判のポイントは,取引費用論自体にあるのではなく,その理論に依拠する多 くの実証研究が,理論に内包されている価値創造に関する含意を,実証の場面で十分に 生かしきれず,もっぱら費用最小化の論点だけを取り扱ってきたという点である。
以上の議論が今後のチャネル研究に与えうる含意の一つは,取引制度を特殊的資産の
────────────
14 最近,チャネル研究では,社会心理学の衡平理論(equity theory)などを用いた,公平性(fairness)や 公正性(justice)に関する議論が散見される。そこでは,価値創造による利益の増分に対する,自分の 貢献と取り分のバランスから,取引主体が公平(正)感を知覚するか否かの問題を取り扱っているの で,価値の専有局面に関わる議論である。例えば,Brown et al(2006),Kumar et al(1995)などが参 考になる。
第2図 資産特殊性と取引制度の循環関係 同志社商学 第64巻 第5号(2013年3月)
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被説明変数としてではなく説明変数として想定する因果関係の逆転の発想であろう。そ れによって,特殊的資産は取引困難の初期条件としてではなく,価値創造の原動力とし ての役割を果たすことが期待される。
この視点の転換によって,特殊的資産の形成を促す要因は何であり,その特殊的資産 の形成がどのような価値を,如何に創造していくのかという,新たな方向へとチャネル 研究者の関心が向けられてしかるべきであろ
15
う。それによってはじめて,チャネルは,
製造業者の製品を顧客に単に仲介するだけの中間業者(intermediary)ではなく,付加 価値を創出する共同生産者(value-added co-producer)として位置づけを与えられるこ とになろう(Vargo and Lusch, 2004)。
*本研究は科研費基盤研究(C)の助成を受けたものである(課題番号24530539)。
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15 資源ベース戦略論(Resource-Based View)では,企業という制度の本質について,取引費用論的チャネ ル研究とは違い,価値創出の側面に焦点を合わせて議論が展開されている。そこでは,ある活動を内部 化することは,企業特殊的な技術,言語,ルーティンの開発を促進し,模倣の困難性を創り出すため に,優れた価値の創出に貢献するという認識がなされている(Ghoshal and Moran 1996)。
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