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ルネ・シフェールの能楽論翻訳をめぐって : 鏡の 中の芸道論

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(1)

ルネ・シフェールの能楽論翻訳をめぐって : 鏡の 中の芸道論

著者 安永 愛

雑誌名 翻訳の文化/文化の翻訳

巻 6

ページ 1‑30

発行年 2011‑03‑31

出版者 静岡大学人文学部翻訳文化研究会

URL http://doi.org/10.14945/00005760

(2)

ル ネ 0シフ ェール の能楽論翻訳 をめ ぐって 一鏡の中の芸道論―

は じめに

2007年暮れ、520枚もの源氏絵巻のカラー図版を収めた『源氏物語』豪華仏訳 本全三巻1が上梓され、年明けに本邦においても華々しく報じられた。書物とし ての芸術的な美しさ、贅を尽 くした高価な書物の刊行に敢えて踏み切る出版社 の揺 ぎ無 き見識への称賛が報道の基調 を成 していたが、『源氏物語』のフランス 語訳者の名、ルネ 。シフェールRenё Sieffertを知 る人は、さほ ど多 くはないか も知れない。『源氏物語』の英訳者 アーサー・ウェー リーやエ ドワー ド・G・ イデ ンステ ッカーの知名度 には遥かに及ばないであろ う。しか し、ルネ・シフェー ルの名を措いて、フランスにおける日本文学、 ことに古典の受容史を描 くこと はで きない。 シフェールは、『万葉集』、『源氏物語』、『保元物語』『平家物語』、

芭蕉の俳諧、近松門左衛門、井原西鶴の諸作品、上 田秋成の『雨月物語』、谷崎 潤一郎の『 陰影礼賛』、川端康成の『眠 る美女』、井上靖の『天平の甍』にいた るまで、実に広範 にわたる日本文学の代表的な作品を訳出 してお り、訳業は高 い評価 を得ている。

本論文では、ンフエールによる世阿弥 (1363‑1443)の 能楽論翻訳に注目し てみたい。その理由は二つある。まず、世阿弥の能楽論仏訳が、シフェールに

とつて 日本古典文学翻訳 の出発点 にあた る仕事 であ る とい う点である。シフェー ル は能楽論 に続 き謡 曲を翻訳す る中で、 引用 され てい る形 しい和歌 に出会 い、

そ の 出典 ともな つてい る『万葉集 』や『源氏物語 』の世界へ と、順 次導 かれ て い った。 シフ ェール の能楽論翻訳 には、 フ ランス人研究者 として 日本 の古典 を

l  

Iurasaki Shikibu Lι

 I)グ″″

%Gι

π′

z,traduit du Japonais par RenO Sieffert:illustrё  par la

peinture traditionnelle japonaise du XIIe au Xヽ た

1le siOcle i direction scientifique de

l'iconographie et comentaire de Midori Sano. Introduction d'Estelle Leggeri―

Bauer. 

フエールの仏訳 自体 は、1977年 に

1帖

か ら

33帖

を収めた前巻が、完結 となる第二巻が 1988年 に上 梓 されている。

(3)

訳す とい う営為をどの よ うに捉 えるかをめ ぐる自己反省的な問題意識 が とりわ け鮮明に刻み込 まれてい る。おそ らくそれ は、 日本の古典の翻訳を初めて手が けるにあたつて、訳者 としての立ち位置 を自問 自答せ ぎるを得なかつた とい う 経緯 によるものであろ う。

本論文でシフェールの能楽論翻訳 を取 り上 げるも う一つの理 由は、彼 の訳 し た能楽論 自体が、芸道論であ り人生論であ り教養の書 とも言 うべ き存在 として、

我々の社会 に深 く浸透 しているよ うに見受 けられ る点である。作品 自体 を通読 したことがな くとも、た とえば 「秘すれば花」、「初心忘 るべか らず」、「離見の Jといった世阿弥のフレーズを耳にした ことがない人はいないだろ う。父観 阿弥 (1333‑1384)の教 えを次代の演者 に向けて残す とい う意 図の下 に、極 め て限定 された対象 に向けて書かれ始めた芸道論が、か くまで広 く国民的 ともい うべき広が りにおいて受容 されてきた第一の理 由は、優れて 「身体」の問題 を 深 く追求するテ クス トである点であろ う。世阿弥の語 る 「身体」は、抽象的な 無時間空間に置かれているものではない。世阿弥は 「身体」 を、生長 と老い と い う人生の変化の相の もとにあるもの として提 えようとしている。我々は 「身 体」を持ち、歳 を重ねつつ生 きている とい う一点 において、世阿弥の描 く能楽 師 とつなが り得 るのである。筆者が能楽論仏訳 に着 目す るのは、世阿弥のテク ス トの持つ、いわば 「身体論」的な問題意識 に対す る興味が根本 にあつての こ とであ り、世阿弥能楽論 を、 日本語 とフランス語 とい う合わせ鏡の中に置いて 仔細を考えてみることに、 この上ない知的なス リルを予感す るか らである。

本論文では、 日本 の美学の精髄で もあ り身体論的な理解が要求 され る世阿弥 のテクス トを、いかなる方針でシフェールが訳出 したのかを明 らか にす る とと もに、フランス語訳 にいかなる解釈の跡が示 されているのか、その様相 を辿 つ てい く。世阿弥の能楽論 とい う実 に豊かな鉱脈たるテクス トを一つの舞台 とし て、誤解 も合めた解釈

(翻

)の行為の中にある ドラマを描出 したいのである。

1.翻訳者 シフェールの位置

分析 に入 る前 に、 シフェールの略歴 に触れてお こう2。 シフェ̲ルは1923年、

2シフェ̲ルの略歴 については、2004年 2月 26日 付けのル・モン ド紙 に掲載 された 日本研究者のフ ランソフ・マセ

Frangois Mac6に

よる追悼記事を参照 されたい。他 に、シフェールの業績 に触れ たもの として、同 じくル・モ ン ド紙掲載の以下の二つの署名記事がある。RenO Lecatty《 RenO Sieffelt,uie vie par le Japon ancien:Le traducteur du《

Dit du Genji》

, 1998 rnars 14.

Philippe pons《 Un entretien avec RenO Sieffert,traduction《

Dit du Genii》

,1988,aott

12また、フランスにお ける 日本研究に占めるシフェールの位置に触れたアカデ ミックな論文 とし

(4)

フランス・モーゼル県のア∵ヘ ン生まれで、アルザス・ス トラスブール大学に て数学を学んだのち、 日本古典研究の先覚者であるアグ リエルに出会い、 日本 文学研究 を志す。1946年 にパ リの東洋語学校 を了え、1950年 か ら1954年 にかけ ては、 日仏学館長 として 日本 に滞在 しているρその間、柳田國男 との共同研究 調査 に従事す る機会 を得、 これをきっかけに日本の古典芸能、殊 に能楽への関 心を強めることになる。1954年、 フランスに帰国する と東洋語学校 の教員 とし て奉職 し、国立東洋文化研究所

INALC03の

初代所長 を務めた。2004年 に死去す るまで、生涯 を 日本文学研究 と翻訳 に捧 げ、多大な足跡 を残 した。

シフェールの事績の中でも、翻訳論の観点か ら特筆すべ きこととして、フラ ンス東洋学出版 P O F4の 設立が挙 げられ る。編集者や出版社の都合 に振 り回さ れ ることな く、真正なる 日本文学の翻訳 を読者 に届 けたい とい う思いか ら、シ フェールは このよ うな思い切 った行動 に出たのだった。

本論文で分析の対象 とするシフェールの訳書 (Zeami,Zα ιzグ グθπ

 sθ

ε″′θ グ〃πδ,Gallimard/Unesco,1960)は、フランス初の能楽論仏訳である。能楽 論紹介者のパイオニア としての責任感 も手伝 ってのことであろ うが、シフェー ルは400頁弱の本訳書の うち五十数ページを序文 とイン トロダクシ ョンに割いて いる。まず シフェールは、1910年 1911年か ら1920年 にかけての能楽研究先駆者 ノエル・ペ リNoёI P6riによる10の謡曲翻訳の試みや、1926年 か ら1933年 にかけ てのM.G.ルノン ドRenondeauによる謡曲14作品の翻訳や仏教 と能の関係に関 す る研究5など、フランスにおける能楽研究の前史を手短かに紹介 している。そ して、 日本語テクス トに関す る文献学的進展 もあ り殊 に能楽作品の英訳 も数々 為 された にもかかわ らず、序文執筆 に先立つ50年前の1910年 に『 フランス極東 学雑誌』β

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ルιπル ′

οルπ

たθグE対″物θθ′物πノに掲載 されたノエル・

ペ リの「能研究序説」物′ηα

θπ′′ゼι%ル J%Aりを超 える能理解 は見 られな い西欧の現状 について言及 している。それ に続 けシフェールは 「今 こそ、ノエ

て以下の2編がある。上 田真木子 「日本研究セ ンター とフランスの 日本学」『 アジア遊学』勉誠出 版社、2007年 、レジュ リー=ボエール・エステル 「フランスにおける『現時物語』め受容」『比較 日本学教育研究セ ンター研究年報』第

5号

。 また『講座源氏物語研究第十二巻 源氏物語の現代 語訳 と翻訳』

(お

うふ う、2008年 )所 収の畑中千晶の論文「源氏物語の仏訳について」にもシフェー ルのプ ロフィールが紹介 されている。

パ リの東洋語学校が改編 され 1971年 に創設されたパ リ第七大学所属の組織。

Institut national des langues et civilisatiOns orientales.

Publications Orientalistes de France.INALCOを 財政母体 とし、現在 に至 るまで 300を 超 える 東洋の作品の仏訳 を出版 している。

M.G.Renondeau,Lθ

 Bθ

%ノ″力お解ι″α

/2s々 A●

(5)

ル・ペ リも言及することのなかつた世阿弥の能楽書 を検討すべ き時である

6」

高 らかに宣言す るのである。シフェールは、数ある刊本の中でも能勢朝次著『世 阿弥十六部集評釈上・下』

(岩

波書店、1940‑44年)を筆頭 に挙 げているが、同 書は、世阿弥の能楽論の原文 ワンパ ラグラフに続 き、能勢 による現代語訳であ る 「口訳」、続いて原文の語注である 「語釈」、世阿弥の断章への踏み込 んだ解 釈や能勢 自身の感想 を随意記 した 「評」が最後 に添え られ る とい うパタンの繰 り返 しによつて構成 されてい る。 この実 に懇切丁寧な刊本が、 シフエール を鼓 舞 したであろ うことは想像 に難 くない。シフェールは同書 の上巻 に収め られた 伝書の うち、最後の三篇 「能作書」「六義」「遊楽芸風五位」を除き、全て訳出 している。シフェールの序文 には、世阿弥のテクス トの真正 さへの確信が法つ ている7。 翻訳 には困難が伴 つたはずだが、シフエールは 日本人の知 己に恵 まれ ていた。本の扉 には訳稿閲読の労を執 った渡辺一夫の名が記 されてお り、序文 末尾 には、「訳稿のために、まだ発表 していない研究成果をも伝 えて くれた1954 年の冬のあの晩のことは忘れ られない

8」

との言葉が能楽研究者田中允への謝辞

として記 されている。

本節 においては、ことに翻訳者 としてのシフェールの位置 を見定めてみたい。

シフェールの訳書は、上述 した とお り、五十数頁の序文 とイ ン トロダクシ ヨ ンを合み、世阿弥の能楽論の うち以下の六編が収め られている。

「風 姿花伝」《 Ftshi―

kaden.De la transnlission de la fleur de

l'interprёtation》,

「花鏡」《Kaky6.Le mirOire de la fleur》

      :

「至花:道書」《Shikad yo.Le livre de la voie qui rnё ne a la fleur》

「二曲三体絵図」《Nikyoku santai ezu.Etude illustrOe des deux 61ёments

et des trois types 

「遊楽習道見風書」《Ⅵ聴aku shado kempa sho.Lel市re del復 ude et dcl'effet visuel des diveltissements musicaux》

0ク

α′解″励 π sθθ″ιθン

2屯

Avant‐

propos,》 p.7.以 下、シフェールの能楽論仏訳書の 引用 に際 してはTSN.の略号を用いる。

7世阿弥のテクス トの真正 さへの確信 を語 るシフェールの序文の触れ、2010年

12月

4日 に静岡で行 われた リー ビ英雄氏の講演会での 「僕たちの前の世代の人たち

(欧

米の 日本文学研究者)にとつ て、 日本文学のテクス トは、宝の山、それ こそ別の宇宙、星を見つ けたような、そんなものだつ た と思 うのです。」 との言葉を思い出さないわ けにはいかなかつた。

8 TsN,p.58.

(6)

L位次第」《Kym Shidai.L'ёchelle des neuf degrOs》

以上 の能楽論原文の仏訳 に120頁が充て られ、付録 賄旨の一 日」《Une journOe de N6》 として、終 日の演能のモデル を示す9謡9作品「岩舟」「石神」「実盛」

「武悪」「夕顔」 釉局牛」「蝉丸」「姥ケ酒」「殺生石」の翻訳 に130頁が割かれて いる。更 には60頁にわたって充実 した注記が付 され、巻末 には能楽論の要 とな る用語の 日仏対訳表が添え られている。

       .

以上 に示 した構成か らわかるとお り、本訳書 には、日本古典の研究者 として、

また能楽 とい うフランスの読者 に馴染みのない芸術の紹介者 としての、積極的 な 「編集」の姿勢が反映 されている。 シフェールは、世阿弥の能楽論 を翻訳す る理 由について 「能の起源 と、稽古を導 く主導理念 をよ りよく知 ることができ

10」

か らであると述べているが、本訳書が、読者の能理解が深まるようにとの 周到な配慮 により編集 されたものであることが察せ られ るであろ う。

シフェールはこの序文 において、世阿弥の能楽論 を外国人 として翻訳するこ との意義 について触れ、その困難 とメ リッ トの両者 について、以下のように述 べている。

謡 いや仕舞いを実践 したことがなけれ ば、能 を 「内側か ら」理解すること は外国人 にとっては困難ない し不可能である。 しか し、謡いや仕舞を実践 す ることで能の心理的・美的 メカニズムの主観的把握が可能 になる場合、

批評的実践の方はおろそかになるのも否めない。能 に関す る主観的観点 と、

外部か ら出発する客観的な能の吟味の摺 りあわせ を行 う必要があろ う。 こ うした摺 り合わせ にあたつて、外 国人は 日本人専門家 より有利な立場 にあ るのかもしれない。それが、おこがましくも映りかねない試みを宜う唯一 の理 由である。 ともあれ、世阿弥の能楽論翻訳 は、テクス トの検討が、絶 えず 日本人の専門家が提示する解釈、時に主観的な解釈 に支えられるので なければ成功 しない

(略 )H。

9現代 においては、一度 につき2、 3曲上演 されることが多いが、江戸時代頃までは、一 日をかけ て様々な性格を持 つた演 目が

9〜

10ほ ど演 じられるのが通例であつた。シフェールは、古来の能 の上演の慣行を再現するかの ごとく、終 日上演分の謡曲の訳文を

紹′燿′θχ sιε″′ιごππうに収 めたのである。

10 TSN.,p.7.

1l TSN.,pp.7‑8.

(7)

シフ ェール は、「お こがま しい

(思

い あが つた)」 prosomptueuxとい う形容詞

を用 い る こ とで、「外 国人 に能 な ど理解 で きるはず がない」とい う日本 人 のステ レオ タイ プな反応へ の予防線 を張 つてい るので あ ろ う。 シフ ェール は、 日本人 か らしば しば発 され た とい う質 問 を、以下 の よ うに書 き付 けて い る。

能 は 日本 独特 最 た る もので、 日本 人 で さえ長 い修 練 を経 て よ うや く理解 で

きるようになる芸術です。それになぜ外国人が興味を持つのですか?f

日本に滞在経験があり、日本文化の研究に一生を費やす人が能に惹かれた としても、能 を理解 もできない しその価値 を知 ろ うともしない西洋人の心 に、 どうやつてアプローチ しようとい うので しょう

13。

おそ らく、シフェールは苦々 しい思いで何度 もこ うした質問を聞いていたの であろ うが、 こうした質問のステ レオタイプに対する反発が、能の普遍性への 確信 を強める結果 に繋がつたのか も知れない。 シフェールは 「教養のある人で も、最初はまった くな じみのない能 とい う芸術 に興味 を持つ ことさえできない のは当然だ」と認めた上で、賄ヒにおける普遍的美学の原理 に由来す るものを解 釈者が明 らかにして くれ るにいたつて、能 に魅了 され ることになるのだM」 と述 べている。

シフェールのこの よ うな見解 に関 しては、あま りにブッキ ッシュだ との感想 を禁 じ得ない し、その 「普遍的美学」なるものの存在への確信 には若干の違和 感を覚えないでもない。 ともあれ、 これが 日本で演能 に幾度か触れ、能楽 にま つわる東西の書物 をひ もといてきたシフェールの言葉なのである。 どうや ら、

この頑ななまでのシフェールの能楽観 には、短 日の うちに為 されたフランスで の能の公演を絶賛 し全てを分かった気 になっているスノップたちへ の侮蔑の念 も関係 しているよ うである。シフェールは1957年にパ リの国民劇場ThOatre des Nationsで行われた能の上演への反響 について、「結局観客はエキゾテイツクな 側面 に惹 きつ けられただけであ り、能の秘教主義 を長々語 ることで無知 を糊塗 してぃた

15」

、 とぃたって醒めた評価 を下 している。シフェールは、能 にイ ンス

12 TsN,p.8.

B乃

2.

■ 乃 グごιπ

.

5乃

αι物

.

(8)

ピレーシ ョンを得た と称 される西欧演劇の種々の試み に対 しても冷ややかであ り、ポール・アーノル ドの作品 「九つの 日本の能」にいたっては、「滑稽」であ り、 アラブやペルシアか ら借 りてきた 「いかにもな」東洋のイ メージでテクス トをまさに 「窒息」 させている 、 と容赦ない。

能の普遍性 に対す る確信 と、能 を安易にわかった気になつた り取 り込んだ り す る西欧人への疑義 と。 この両者が、 シフェールの能楽論訳出の原動力になつ てい るのではないだろ うか

17。

ある意味でシフェールの能楽論翻訳 には、 こ うした情動的 とも言 える動機が あるのだが、シフェールは 自らの訳 について 「暫定的なもの

provisoire」

であ る との言葉 を繰 り返 している`。 これは、世阿弥のテクス トに対する敬意 と、研 究者 としての謙虚 さに由来すると見て よいであろ う。 シフェール 自身は、 自ら の翻訳が暫定的なものであること、すなわち限界があると言明するのは、文脈 か ら切 り離 して要素要素 を軽率に利用するな どといった ことを慎んで もらいた いか らである、 と記 している

19。

さらにシフェールは、「い くつ もの字義解釈 において 日本人研究者間自体にお いて論争がある時期 に、未だ校訂が完全 とはいえないテ クス トに則 つて」の翻 訳である との異議 を 「至極 もっともな」 ものであるとした上で、 このタイ ミン グで能楽論仏訳を上梓する理 由について、近年 フランスで出版 された能研究 と 日本演劇総論 に世阿弥の能楽論 を 「解説」す る と謳 つたものがあ り、能楽論の 真の難 しさも真の射程 もわきまえない 日本人インフォーマ ン トによるいい加減 な訳 によるぶつ切れのフレーズがそ こに幾つか引用 されている例 を見、世阿弥 能楽論 とい う重要なテクス トの真の姿を、能 に興味を抱 くフランス人 にできる だけ早 く伝 えなければな らない と感 じたか らである、 と述べている

20。

序文 には、仏訳者か ら見た世阿弥の文体の特徴が述べ られている。 シフェー

6 TSN.,p.10.

17シ

フェ̲ルは、安易なエキゾチズムやオ リエンタ リズムに対 して手厳 しい。興味深いことにシフェー ルは、世阿弥の 「風姿花伝第二、物楽條々」所収の 「唐物」の項の世阿弥の記述 に触れて、以下 の ような注記 を付 している。「この「地方色」に対する徹底 した軽視は、奇妙 にもシェークスピア や ラシーヌの異国物 に対す る態度 を思わせ る。興味深いのは、世阿弥 自らの態度 について解説を 加 えていることだ。すなわち演技はある種の異国風 を示 さなければな らないが、真正なる 「地方 色」は観客の気を逸 らし「お もしろきこと」を殺 して しま うだろ うとい うのだ。世阿弥の態度は、

19世 紀の西欧における 「中国趣味」 とはまるで異質の ものである。」

(TSN,pp.318‐

319。

)

18 TSN.,p.7,p.48.

D乃ノι

20乃

グι2.

(9)

ルによれば、 日本語 はテ クス トによつては乗 り越 えがたい障害 として翻訳者 に 立ちはだかって くるよ うに感 じられ るものだが、世阿弥の能楽論はそ うしたも のではない とい う。世阿弥の能楽論の文体は飾 り気がな く、 日本人が堪能 し、

世阿弥 自身、謡由において駆使 している文学的暗示や言葉遊びや隠喩 といった ものもなく、禅の逆説によつて断ち切られはするものの完膚無き論理に従つて

展 開す る もので あ って、世 阿弥 に とつて秘伝 は思 考 の明晰 さも言 葉 の厳 密 さも 排 除す る もので はな い理、 との印象 をシフェール は得ている。ところが奇妙な こ とに、 この明快 さが翻訳者 の仕事 を困難 な もの にす る と言 うのであ る。 とい う の も、テ クス トに対 して少 しも自由が利 かないか ら、 とい うのが シフ ェール の 答 えで あ る。 シフ ェール は、解釈 が は つき りしない部分 につ い て は、 あや ふや な解釈 を押 し付 ける こ とを避 け、解釈 に留保 をう け、注 に解釈 を示唆 す るに留 め た とい う。

上記 の ご とき慎重 さで訳 出 して も、や は り世 阿弥 の能楽論翻訳 に微妙 な問題 は残 るのだが、そ うした問題 の 中で は、繊細 で捉 えがたい陰影 を帯 び フ ランス 語 の文法 的カテ ゴ リー には合致 しない言語 で書 かれ たテ クス トを、イ ン ド=ヨ ロッパ語 の堅 固な鋳型 に流 し込む

22と

ぃ った こ とは、実 に些細 な問題 にな るのだ とシフ ェール は言 う。それ は、ただ 「若干 の注意 と多大 な る忍耐 が要 求 され る ス リリングなゲーム

23」

に他 な らない。能楽論仏訳 において、もっ と手強 いのは 別の こ とであ る。 それ が どんな こ とで あ つたか、 シフ ェール は次 の よ うに記 し てい る。

一 見 した ところは01染 み のはず の単語 が、文脈 の中で、新 たな、通 常 な ら ぎる、 い かな る辞書 にも説 明 され ていない意味 を帯び て くる よ うに思われ て くるのだった24.

こ うした、訳 出時 の経験 か らシフ ェール は、 日本人研 究家 の間で も議論 が あ り結論 が避 け られ てい る こ とにつ い て、思 い切 つた見解 を提 示 す る。

端 的 に言 つて、世 阿弥 は能楽論 において、少 な くとも百 ばか りの用語―狭

理 TSN.,p.49.

22シ フェ

̲ル

は序文 の別 の箇所 で 、能 楽論仏訳 の営為 について 「あま りに厳密 な ヨー ロ ッパ の言語 に、極 めて動的で微妙 な現実 を翻 訳す る こ と」 とい う言葉で説 明 してい る。

Cf.TSN,p13

2〕

TSN.,p.50.

24乃 グ」ι

2.

(10)

義 の技術的用語は算定 しない― は、日常語や禅の神秘的用語か ら借 りられ、

その通常の用法か らず らされたものである

25。

シフェールは、 こ うした世阿弥の独特の用語 を翻訳す ることの困難 を前 にし て、注を付す ことで埋め合わせ をし、 さらに巻末 にそ うした用語の対訳表 をつ け関連頁や関連注記 の番号を記す ことで、読者の注意 を喚起 しよ うとした。 こ の対訳表のおかげで読者は注 に辿 りつ くことが容易 になるわ けだが、対訳の提 示 は訳があ くまで 「か りそめ」のものであることの 「無力」を示す ものでもあ

る と、 シフェールは謙虚 に認めている

26。

本節では、序言お よび序文 に見 られるシフェールの翻訳者 としての姿勢、そ の立ち位置 について検討を加 えてきたが、シフェールがいかなる知的良心に従つ ていたかが浮かび上がってきたのではないだろ うか。 シフェールは己れの訳業 の意義 を確信 しつつ も、その限界を冷静 に測る自己相対化の眼を常 に働かせる 翻訳者なのである。

2.シフェールの能楽論理解

前節で、翻訳者 としてのシフェールの位置 について考察 したが、本節では、

彼の能楽論理解 の特質 について一瞥 しておきたい。前述 した通 リシフェールの 能楽論仏訳『能の秘伝』ια ι額グ′ιθπ

 sθ

ε″″ ル π∂は、フランス人の読者 に向 けて能楽論 を差 し出す とともに、能 とい う芸術 の何たるかを語 る懇切丁寧なイ ン トロダクシ ョンを付 した書物であ り、そ こには、スタンダー ドな能解説 とも 言 うべ きものが合 まれているが、随所 に仏訳者な らでは、あるいはシフェール な らではの独特 の見解が見 られ るので、本節ではそ うした部分 に注 目していき たい。

本論文の分析対象 とす るシフェールの訳書r%グθ%sθε″ιθル πδにおいて は、前節 に示 した とお り、分量か らす ると謡 曲の翻訳 にむ しろ多 くが割かれて いるのだが、 シフェールがフランスの読者 に是非 とも届 けたい と願 つたのは、

訳本の題名に示 されている とお り能楽論 の方である。 シフェールは、テクス ト としての謡曲はそ もそも能の舞台を見た ことのない人 には理解 し得ない ものだ と考 えてお り、また謡曲の作者 としての世阿弥 より理論家 としての世阿弥を高 く評価 している

27。

世阿弥の理論 には、能楽 とい う一つのジャンル に収ま り切 ら

25f夕

j∂2,22

26 TsN,p.52.

(11)

ない普遍的な意義がある とシフェールは考 えているのであるも謡曲 より能楽論 を重要なテクス トと見る点、そ して能楽論がジャンルを超 えた普遍性を持つ と の主張。 これは、 日本の能研究者 にとっては明快 に打 ち出 しがたかつた見解な のではないだろ うか。 シフェールは序文 において、次の よ うに述べている。

…世阿弥の理論書における美学的概念は、西欧の諸芸術に有益な影響を与 える可能性 を秘めている。 こう言お う。演濠

1の

みな らず、諸芸術 に影響 を 与 え得 るのだ と。 とい うのも、 この舞台のレオナル ド・ダ・ヴィンチは詩 人 にして音楽家、演出家にして歌手、振 り付 け師にして役者なのであ り、

己の経験か ら普遍的原理 を抽出する術 を心得てお り、それは演劇 において はもちろんの こと、 ことに絵画、彫刻、建築の分野 に適用の場 を見出す こ とが可能だろ うか らだ。ま さにこの点 において、能の研究は能楽 とい う日 本の限 られた芸術 を超 え、普遍的射程 を有す る典型的価値 を帯びることに なるのである

28。

シフェール は、世 阿弥 を 「舞 台の レオナル ド・ ダ・ ヴィンチ」 とい う意外 な 比喩で提 えてしヽるのだが、確 か に、能楽 の一座 を率 いていた世 阿弥 の人生 は、

シフェールが列挙 す る とお りの多彩 な活動 で成 り立 ってい る。 その よ うな人生 か ら生み 出 され た 「理論 」 が持つ普遍性 に目を向 ける よ う、 シフ ェール は読 者 に注意 を喚起 して い るのである。

この よ うに能 の持つ普遍性、世界性 に触れ たの ち、西欧 において もことにフ ランス において能へ の関心 が高い理 由 につ いて、 シフ ェール は次 の よ うに述べ てい る。

実 際、能 は本質的 に古典主義的 な芸術 で あって、劇作家世 阿弥 の古典主義 はアイスキ ュ ロスや ラシーヌの古典主義 と同様 のキ旨標 に よって定義 され る のだ。す なわ ち表 現手段 の無駄 のな さ、均衡、せ りふ の明確 さ、正確 に計 算 され た効 果 を 目指 す技 、 といつた指標 によってであ る。 こ うした観点 に つ いて は、世 阿弥 の著作 を読 めば納得 され るであ ろ う。世 阿弥 は能楽 の理

27 TsN.,p.10。 「能 の 日本 人愛好家 をがつか りさせ るか もしれないが、私 は、西洋人 に とって、能 の 理論 家 として の世 阿 弥 は、能 の作者 として の世 阿弥 よ り興味深い し、重要 で あ る と断言 し得 る と 思 って い る。」

28 TsN.,p、 9

(12)

論家であ り、絶 えず観客の反応 を考慮 しつつ、実 にこまやかな技 をも見逃 さず丹念 に分析 している。世阿弥は、せ りふや解釈 に度を越 した ところが ある と躍起 にな り、わずかで も役者が誇張すれば容赦な く諌める。 これは ま さしく、古代ギ リシヤにおける中庸

(節

)の観念 に重なるものである。

中庸 の観念 は、現在でもフランス において、芸術家の名 に値す る全ての人々 にとって、常 に目指 されなが ら稀 にしか到達することのできない理想 とし て時 に存在 している。能は中庸の理想の完全な表現であ り、まさにここに、

能が我々 に及ぼす魅力の秘訣があるのだ

29。

実 に興味深い指摘である。能 については、

 

リア リズムを追究 した西欧の近代 演劇 とは対極の、抽象化 と夢幻のあわいに表現 の射程が置かれた芸術であるこ と、そ してそれが西欧の演劇人を引きつ けた魅力であるとの説明が しばしばな され る。 しかるにシフェールは、古代ギ リシャにまで遡 るフランス文化の底流 にある古典主義 と通底す るものがあるか らこそ、能がフランス人を牽 き付 ける のだ と指摘 しているのである。確かにこのよ うな指摘 は、一度や二度、能の舞 台 に触れて、その劇的装置や コンセ プ トが 自文化のもの とは丸 っき り違 う、 と エキ ゾチズム と好奇の眼差 しを向けているだけの観客 にはなし得ないものであ ろ う。 シフェールは、世阿弥の能楽書か ら、能の作者 と役者が 目指す もの、そ の方向性、そ して彼 らが直面す る困難 をつぶ さに知 り、能楽 とい う芸術の底流 にある理想の本質が、フランスの古典主義 に重な り合 うものであることを看破 するに至 つたのである。

前節 に述べた とお り、シフェールは西欧 における能 にインス ピレーシ ョンを 得た と称 され る数々の演劇の試みの安易 さに厳 しい眼 を向けているが、能 の創 造者の美学的 コンセプ トの実践的適用 として能楽論 を提 えるな らば、西洋の能 を創始す るだの能の翻案 を西洋の舞台 にかけるだの といつた表面的な レベルで はな く、もっと本質的なレベルで重要性 を帯びて くると指摘 している

30。

そ して、

シフェールは次のよ うに述べている。

日本 において、 この世阿弥の教訓的テクス トは能の解説書 として捉 えら れているが、西洋 においては、 この関係 は逆転 し得 るし、また逆転 される べきなのだ。すなわち、世阿弥の能楽論が ヨー ロッパで知 られるようになっ

29乃

グθ

2.

TSN.,p.10

(13)

た暁には、能 とい う日本 の芸術は、世阿弥の理論書の例証 として捉 えられ ることになるはずなのだ。それゆえ私 は、普遍的なものを引き出す ことが できるだろ うこの世阿弥の理論書 に、賄ヒの一 日」の翻訳を付 したのである翼。

シフェールがいかに世阿弥の謡曲自体 より能楽論 を高 く評価 しているか、そ の文化的な浸透力を認めているかが伝わって くるだろ う。 シフェールは、能楽 論を能の解説書 としてではな く、別のジャンル にも応用可能な要素を秘めた も のとして、フランスの読者 に届 けよ うとしているのである。

シフェール による能理解 は、フランス古典主義 との通底性 といつた大胆な指 摘 を生み出す とともに、慎重 さも兼ね備 えている。シフェールは、能 とは何で あるか、 と言い切 る前 に、能 とは何ではないか、 について言葉 を積み重ねてい る。フランスにおいて、能が仏教 との関連 において研究 されてきた歴史 に触れ た上でシフェールは、能 を宗教的スペ クタクル として捉えることはできない し、

エソテ リックなものでもない と述べている。エソテ リックだな どとい うのは、

む しろ能 をまった くわかつていない 日本人が述べ る頭 ごな しの評言 を鵜呑み に しているに過 ぎない のだ とシフェールは指摘す る

32。

しか し、 この 「能 とは〜ではない」 とい う記述 に続 けて シフエールは、改め て大胆な評言 を提示す る。「能 とは典礼的芸術である

33」

と。ジフェールにとっ てこの言葉は、「美学 とは宗教的現象である」とい うことを読者に理解 してもら うことを前提 にしては じめて言い うる言葉 としてある。 しか し、シフェール も

「美学 とは宗教的現象である」 とい う言葉の真の説明は困難 と自覚 したせいも あろ う、結局、「典礼的芸術」との言葉ではそれ こそエ ソテ リックである と見た シフェールは 「典礼的芸術」 との表現の内実 には踏み込まないまま、能 につい て 「伴奏を伴 って歌われ る長い詩。大概、テーマ とは何の関係 もない こともあ る幾つかの舞によつて区切 られ る

34」

との機能的で素っ気無い定義 を与えること になる。「典礼的芸術」との定義 と、素 っ気 もない機能的定義 との間には、おそ らく無限のスペ ク トルがある。 シフェールは、要素に分害

1し

漏れな く数 え上げ る分析的な知性 と、場の雰 囲気 を丸 ごと受け止め 「典礼的である」 と評す るシ ネステジックな感覚を備 えているのだろ う。

31乃 グ″ι解

,2 TsN.,p.14.

り島jttπ

.

34 TsN.,p.15.

(14)

シフ ェール の能 定義 に触れたが、 シフェール による世 阿弥能楽論 の評価 の間 題 に話 を戻 そ う。シフ ェール は、世 阿弥 を観 阿弥 の忠実 な る速記 者 で あ る

35と

し、世 阿弥 と観 阿弥 の関係 を、ソクラテス とプ ラ トンの関係 になぞ らえている。

中世 日本 と古 代 ギ リシャ とを大胆 に繋 ぐ発想 だが、 シフ ェール の脳 裏 に 自然 と 浮 か んで きた もの なので あ ろ う。そ もそ もシフ ェール は、世 阿弥 の能 楽論 を「中 世 日本」 とい う狭 い枠組 み の 中で捉 えて はいな い。世 阿弥 の能 楽論 に世 界の知 的遺 産 と しての位 置 づ けを与 えてい るのである。 シフェール の仏訳 の序文 の 中 で も、そ の こ とが殊 に明確 に記 され てい る部分 を掲 げ よ う。

西 欧 か ら見 て(世阿弥 の能楽論 の位置 は、ま さに第一級 の もので あろ う。

日本 文学 のあ らゆ る傑 作 の 中で、普遍 的ユ マニスムの共有財産 に最 も多大 な貢献 を もた らしたのは、世 阿弥 の能楽論 であ る。 た とえばア リス トテ レ スの『詩 学』 と比較 してみた り、両者 の比較 か ら結論 を導 きだ した りす る のは、読 者諸 賢 にお任せす る としよ う

36。

以上 に見て きた とお り、 シフ エール の能楽論理解 には、 フランス人 としての 文 化 的背景 が反映 され 、 日本 の研究者 たちが為 しえなか つた大胆 な捉 え返 しが 含 まれ てい る。

3.世阿弥能 楽論 の鍵 概念 仏訳 をめ ぐつて

1節で取 り上 げた シフェール の言葉 にあ る とお り、世 阿弥 の能楽論 は、 ある 意 味 でフ ランス語 に乗 りや す い、論理 的な骨格 を供 えた もので あ るが、 日常語 や禅 の用語 か ら取 られ たお よそ百 ばか り用語 が、世 阿弥 の立論 の 中でいかな る 辞書 に も掲載 され て い ない独特 の意 味 を獲得 してい くこ とに、 シフ ェールは と りわ け翻訳 の困難 を覚 えていたので あった

87。

シ フ ェ̲ルは、そ うした用語 の対

35 TsN.,p.43

36 TsN.,p44.

37能

楽論がフランス語の分訳 に乗 り易い論理的な骨格 を祖合 えたおのであるために、キータームに 対 して適切な訳語を見出す難 しさを除 くと組 し易い ものであったのに対 し、謡曲の翻訳はシフェー ル にとり、フランス語の構文の限界に挑むかのような試み と映つた。本論文では能楽論の翻訳の 問題 に焦点 を絞 るが、謡曲の翻訳 について シフェールが興味深い見解 を記 しているので、 ここに 引用 しよ う。「この謡山の翻訳 には、近代的な言語の探求、敢 えていえばシュー リレア リスム的な 語 の探求の痕跡があることに気付かれ るであろ う。そ うな らば、 自分 の翻訳 は成功だつた と思 う ことにす る。なぜな ら能は、うわべを超えた現実、すなわち「超―現実」、言語 における「出来事

J

の表現 を旨とするものであ り、それは往々にしてシュール レア リス トたちの言語 に奇妙 にも交差

(15)

訳表 を末尾 に付 して い るので、 どの よ うな言 葉 が挙 げ られ て い るのか、 見てお きたい。 対訳表 は、左 か ら順 にフ ランス語 、 日本語 のアル フ ァベ ッ ト表記、該 当頁お よび該 当注記番号 の

1贋

になつてお り、フランス語 の見出 しはアル ファベ ッ ト順 にな ってい る。 イ タ リックの ま ま残 した もの は、 日本語 の音 をそ のま まア ル フ ァベ ッ トで表記 したまま になつてい るもので あ る。以下 に該 当頁お よび該 当注記番号 の記述 を省 略 して対訳表

38を

転 記 し、翻 訳論 の観 点か らこ とに興味惹 かれ る部分 に下線 を付 してお く。

acteurシ

/actes技

/action働/allure風/ampleur嵩/appels du pied足踏み/arts de divertissement遊

/brio達

/capaci /causes

et effets因 果/charme subtil幽/classe位 /concordance本目応/danse

舞 い/dObuts,dObutant初/degrO位

/degr 

ё

 61ё

mentaire曲 /

liquescentじめ りた る/d"eloppement破 /diapason du temps時の調 /distinction /divertissement musical 遊 楽/effet visuel  見風/

61ё

ments(deux)曲/Omotion感/6vanescentし おれ た る/extёrieur仕 /facult6s能

/iger(se)住

/final急 /fleur花 /fonds(inn6)下/

fous,folles物狂い/forme absolue無 /geste手/grace cuvonile)幽/

grands traits鷹/habile,habilёt6上/力αια%滋

/imp6tueux怒

れ る/

initiation(confёrer a)ゅ るす/insoliteめづ ら し/intelligence正 /

intё

rOt,intOressant面 白 し/mattre cOnfirmё 名 人/malhabile下/

maniёre風/matu五

degr6 dela)関たる(位)/merveilleux妙/mimique

物真似/mOde智/modole que(1'auteur)pOrte dans son esprit意 中の形/

modulation曲 /m011esse弱 き こ と/morceaux choisi転 /mOyens手

/moyen d'expression能

物 δ/nOn―conscience(degro de la)無/

ouverture,d針eloppement,finale序破 急/patineさ/perfection成/

piё ce能

、 曲/pilier棟/prOcOdёs(d6vouverte des)考/prOcё

dё s

OprouvOs故/puissance強 き こ と/rOceptacle気 /rёpertoire物/

rOsonance余/ressource工

/rOleか

か り/s力J%″お笏/signifigation

するものであるか らである。

それゆえ、世阿弥のように語 るために 「異化す る」のは、まった く無駄な配慮な どで はない。

世阿弥 によって私は、以上の ごとき方法 を選ぶ に至 つたのだが、それ以上 に優れた能研究者であ る土岐善麿の指摘 によつて 「フランス語は、能の印象を正確 に表現できる唯一の言語だ」 とい う ことに気付かされたのだった。」(TSN.p56)

38 TsN.,pp.371‑373.

(16)

いわれ/souffle気 /style風/style aberrant異装 の風/style abs01u無風′/

style accompli 達 風 //style absole  満 風//style fondamental 本 風 //style

impersonnel無 主 の風 /style inspirё 随風/substance¨ effet second体 /sujet義/tOnalitё かか り/types(trOis)三/vanitё 常識/宙sage

couvert直面/vision ObjectivOe離見の見/vision subjective我 見の見/

voie道/ωα力′ツルイ

以上のように、シフェールの挙げた用語の多 くが、能楽を論ずることに由来 する特殊性を担つたものであるが、またこれ らは、フランス語に置き換えてし まつては原語の持つ意味合いと雰囲気を伝えきれないとシフェールが感じた用 語でもある。シフェールの訳語の選択には、納得させ られるものと疑間の残る ものとがあるが、筆者が付した下線は、そのどちらにもある。成功したと思わ

れ る翻訳 にも違和感 の残 る翻訳 にも、 それ ぞれ翻訳論 的 な思考 を誘 うものがあ る。 これ か ら行 う分析 においては、下線 を付 した ものの うち以下 の用語 の翻訳 の問題 に順次照準 してい きたい。

①幽玄

 

②花

 

③遊芸、遊楽の「遊」

⑥しほれたる

 

⑦時の調子

④無風、無主の「無」 ⑤序破急

① 「幽玄」

云 うまでもな く、この言葉

39は

世阿弥の能楽論 にお ける最重要 タームであ り、

「花」 と並んで能楽 とい う芸術のひ とつの理想の境地を名指す言葉である。 さ すがにこの言葉の翻訳 にシフェールは苦労 した と見え、文脈 によってchttme subtil(繊 細な魅力)と訳 した り、grace iuvonile(み ずみず し優美 さ)と訳 し た りしている。シフェールは、能楽論序文 において この 「幽玄」 とい う言葉 を

"世阿弥の能楽論の主要理念 として、あま りに著名 となった この 「幽玄」 とい う言葉は、そもそも 仏教や老荘思想の用語であったが、藤原俊成 により歌論 の分野でも多用 されるようにな り、能、

禅、茶道、俳諧、連歌な ど中世、近世 における多様な芸術文化の主導的美学 となってい く。世阿 弥の後世 における神秘性 に偏つた 「幽玄」理解 を前 に、世阿弥のテクス トに立ち返って、幽玄が む しろ華やかな美 しさを持つ ものであることを 1960年 の時点で指摘 したシフェールの着眼は、日 本の能楽研究の歴史の中で も、先駆的な意味を持つてい る。1986年 に初版の出た松岡心平の『宴 の身体― バサ ラか ら世阿弥へ』

(岩

波現代文庫 に再録)において も、「幽玄」の意味の持つ本来的 な華やか さへの指摘が見 られる

(同

書 175「 178頁 参照

)。

裏 を返せば、この段階に至つても「幽 暗」「神秘」の 「幽玄」 といった捉 え方が趨勢だつたことを伺わせ る。

(17)

そのままアルフ アベ ッ トで記 し、観阿弥が田楽か ら引き継 ぎ、猿楽再興 に与 っ た最高度の洗練の ことであるとしている

40。

シフェールは、「幽玄」の訳語 とし て充てたcharme subtilは逐語訳ではない と断っている。その訳は文脈か ら浮 かんできたものであ り、 自身の観能の経験 に照 らし合わせて選んだ ものである

とい う。

シフェールは、現代の能の愛好家が世阿弥 に望む唯一の ものが この 「幽玄」

であるとまで言 う。実際には世阿弥 自身は、彼の同時代 において さえ、 あま り に「幽玄」 に強調がおかれすぎることを嘆いていたのであったが、後世 の人々 はこうした世阿弥の 「幽玄」 に対する留保の思いを付度せず、長 きにわたって 世阿弥 を「幽玄」の師匠であるとみなしてきたのだつた。そ うした事情をシフェ十 ルは踏 まえている4。 シフェールはt能の信奉者の人数がわずかになる と、「幽 玄」 とい う言葉が ことのほか能の愛好者の神秘への趣味をあおるよ うになった 経緯 にも触れている。「幽玄」とい う言葉 には実際禅の趣 きがあるのだが、「幽」

と「玄」の二つの漢字の意味によつてますますそれが強調 されている、とシフェー ルは言 う。シフェールは、「幽玄」とい う言葉 を秘教的な もの として捉えがちな 能の愛好者は、 これ以上、秘教 めか した意味を 「幽玄1に付 け加 えるべ きでは ない、 と述べてい る。江戸時代 にあっても現代 にあっても、人々は 「幽玄」 と い う言葉 に世阿弥が託 したものを本当には知 らないままに、 この言葉を濫用 し てきたのではなかったか、 とい うのがシフェールの見 るところである。

シフェールは、後世の人々がやた らにあ りがたがる、いかにもエ ソテ リック な 「幽玄」のニュアンスは、世阿弥の能楽論本来のものではない として退 け、

文献的手続 きによって、世阿弥 にとって 「幽玄」 とはまず、幼い踊 り子の身体 的な 「優美 さ」に他な らない ことに喚起を促 している

42。

40 TsN.,p.53.       1

41「

風姿花伝 第六´花修伝 三」 における 「幽玄なものを賞玩す る面物衆の前 においては、強い 方面 をば、少 々物真似か らはずれて も、幽玄 に傾 くよ うにす るがよい」 との主 旨の世阿弥の言葉 に、シフェールは、以下の通 り注釈をつけている。「こ うした観客の「幽玄」への好尚が決定的で あったのであろ う。今 日、 この 「幽玄」は能の真髄 と受け止め られている。だが、観客の幽玄ヘ の好尚を導いたのはけつして世阿弥ではなかったのではないか と思われる。 とい うのも世阿弥 自 身は、常 に二 父観阿弥の流儀 とは対照的に一主な レパー トリーである上品で優美な能を好 んでい たか らである。世阿弥は力とい うものを受け入れ られなかつたのだ と結論する論者もいるが、そ れは間違いである。世阿弥の作品は啓蒙的かつ詩的なものであ り、 こ うした見解への反証 となっ ている。」

(TSN.pp.329‑330)

42幽

玄 に関 しては、世阿弥の遺著の中では、「風姿花伝 第六 花修」・「至花道書」、「二曲三体絵図」

お よび 「花鏡」に詳 しい説が見 られ るが、「風姿花伝」においては優美可憐な稚児の歌舞、女舞の 舞姿 に、また 「花鏡」 においては 「公家の御たたずまひの位高 く人ば う世 にかはれ る御有様」 に

(18)

シフェールが提示 した 「幽玄」 についての二つの訳charme subtil,grace juvOnileには、確かに秘教的な響 きはない。漢字 によって醸 しだ されていた禅的 なニュアンスも当然の ことなが ら伝わ らない。 しか し、エソテ リックな とい う よ り、童子の身体の よ うなむ しろ清新で華やかな魅力が世阿弥のい う「幽玄」

だ とすれば、世阿弥の本意 に近い とも言 える。charmeと い う言葉はもともと古 い意味では魔力、魔法 とい う意味 もあったのであ り、観客 を引き付 ける有無を 言わせぬ力を表すのにいかにも相応 しい。エ ソテ リックな趣 きはな くとも、理 に落ちた平板な訳だ とい うわ けではない。また、graceと ぃ ぅフランス語 は、神 の恩寵・感・優美 といった、 日本語ではお よそ一つ にま とめよ―うもない三つの 概念 を担 う言葉であるが、三つの概念 に共通なのは、何 らかの動 きを伴 ってい ることである。すなわち神の恩寵 とは神か ら人間への働 きかけであ り、感謝は 主体か ら客体への感情の動 きであ り、優美 とは殊 に身体の動 きにまうわ る美 に つながるものである。したがって、舞台芸術たる能の評言 としてgraceはいかに も相応 しいものであると言 えるだろ う。

ただ、おそ らくこれ ら二つの訳語の問題 は、能空間の拡が りを喚起す る力に 乏 しい とい うことであろ う。「幽玄」 とい う言葉 に接するとき、我々は 「幽か」

であるとい うところか ら空間を、殊 ににその奥行 きを感 じ取 るのではないだろ うか。それが漢字の喚起力であるとい うべきだが、chame subtil,grace juvonil とい う訳語は、そ うした喚起力を持たない ように思われ るのである

43。

② 「花」

世阿弥の能楽書の題名それ 自体 をとって も 「花」 とい う言葉が多 く見 られる

(「風 姿花伝 」「花鏡 」「至花 道 」「拾 玉得花 」「却 来華 」)こ とか らも明 らかな と その例 を求めている。世阿弥の生涯の中で 「幽玄」観は揺 らぎを見せてお り、時には自己矛盾 と 取れる一筋縄ではいかない ものである。しか し「幽暗」「神秘」といった漢字の印象か らくる印象 とは違 った華やか さ、優美 さを備えたものであることだけは確認できる。

43「

幽玄」の訳語の問題を考察する中で思い出されたのは土屋恵一郎『能 現在の芸術のために』

(新

曜社、1989年)所収の 「観世寿夫 私の記憶のなかで」 と題 された文章である。 これは、1977年 5月

13日

に行われた、観世寿夫 とジャン・ルイ=バロー との競演の感想を述べた ものである。土 屋は、観世寿夫が能の基本動作である 「構 え」「運び」「サ シ込 ミ開キ」を演 じてみせ、それだけ で 「相拮抗する無限への力の均衡の うちか ら身体が動き、そ して、無限の力のなかの均衡へ と帰 る」

(同

書 61頁 )様 を見事 に示 していた と述べている。それ に対 しバ ローのマイムに関 しては、「超 絶的 に素晴 らしく遅 しい身体」

(同

62頁)をあ らわ にしなが ら、「設定 されている空間を一つの世 界 として構築す ることに失敗 していた」

(同

箇所)と 述べている。「幽玄」とcharme subtil,grace

iuV6nilを

並べて眺める とき、身体を空間の中にコス ミックに位置づ ける能 とい う芸術の独特の力

とい うものに思いを致 さないわ けにはいかない。

参照

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