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エチエンヌ・ドレの翻訳論

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(1)

エチエンヌ・ドレの翻訳論

著者 北垣 宗治

雑誌名 主流

号 35

ページ 1‑17

発行年 1973‑09‑30

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014897

(2)

エ チ エ ン ヌ ・ ド レ の 翻 訳 論

~t 垣 にとァ刀て

フランスのルネサγス期に活躍した人文学者ー詩人・出肢業者

E t i e n n e D o l e t  ( 1 5 0 9 ‑ 4 6 )

のことは日本ではあまり知られていない. ドレの略歴,

思想,業療等については渡辺一夫教授の『フラシス・ルネサンスの人々』

(白水社,

1 9 6 4 )

の中の「ある出版屋の話一一一エチエンヌ・ドレの場合」

という章が好個の紹介の文章であるといえよう.渡辺教授はドレに関する 二冊の準古典的評伝をもとにして執筆されたのであり,そこにはドレが当 時のローマ・カトリ vク教会からも,また宗教改革者たちの陣営からも排 撃されたことの経緯が適切に叙述されている.

ドレはラテン語に精通した学者であり,ルネサンス期の文人らしし自 らキケロの弟子をもって缶じていた.彼はいわばウルトラ・キケロ主義者 ともいうべきキケロ的ラテン文体の賛美者で,このために時の人文学者と しての最高峰であったエラスムス

( 1 4 6 9 ? ‑ 1 5 3 6 )

にかみつく論文を書いた りしている.彼はフランソワ一世の勅許をえて印刷屋をいとなむこととな ったが,その認可は十年限りのもので,偶然にもその期県の切れる

1 5 4 6

年 に彼は刑死している.それはラテン語,ギリシア語,イタリア語,フラン ス語等のどの国語で出版してもよい,という条件を含んでいた. ドレが印 刷した書物は少くとも 84点まで知られている. 古典あり現代ものあり,

宗教関係のものあり世俗的なものあり,といった有様で,

C l e m e n t  Marot  ( 1 4 9 6 ‑ 1 5 4 4 )

F r a n c o i sR  a b e l a i s   ( 1 4 9 4 ? ‑ 1 5 5 3 ? )

の著作もあれば, ドレ 自身の著作・翻訳等も入っていた. この中には発売禁止になったものもあ

, もはや一冊のコピーも現存しないものもある.

(3)

2  エチエンヌ・ドレの翻訳論

1 6

世紀前半のヨーロッパにおいて,学力・批判力のある人文学者で,し かも印刷所を所有している人物は,驚くべき影響力を発揮することができ た.

1 5

世紀の後半に, 英国にはじめての印刷機を導入することにより,

William Caxton 

( 1 4 2 1 ? ‑ 9 1 )

が文化の飛躍的な発展にどれほど貢献したか を考えるとき, Caxtonよりもさらに半世紀のちのフランス人ドレが, す でにノレ少ターやカルヴァンによる宗教改革の火の手がヨーロ?パの各地に 上っていた時期に,どれほど強力な働ぎをすることが可能であったかは,

容易に想像できることである. (ちなみにドレの生まれた

1 5 0 9

年はカルヴ ァンの生まれた年であり,ドレの処刑された

1 5 4 6

年はルヅターの死んだ年 である.つまりドレの生涯は宗教改革の怒濡さかまく時代そのものであっ た.)同時に,印刷機という武器を握ったリベラノレな知識人は,時の「エス タブリヅシメント」たるローマ・カトリヅク教会の敵にまわるときには,

どれほど教会から恐れられたかも想像に難くない. ザレの劇的な最後は後 世に少なからず礼賛者を生んだ.すなわち,この礼費者たちは

1 5 4 6

8

月 3日,自分自身の誕生日にパリのモベール広場で火刑に処せられ,同じ火 で自分の書、物を焼かれたドレを,フランス・ルネサンスの最初の殉教者と 見倣しているのである. ドレに関して,少くともフランスで六冊,英国で

一冊の評伝が出版されている.

ドレの主著 Commentαriilinguae latinae  (1536‑38)については渡辺教 授が扱っておられるのでここではふれない. ドレの最後の著作は

Le S e ‑

codEnjか (Lyon,

1 5 4 4 )

であり,これは沢山のエピソードがまつわりつ いている書物である.先ず『第二の地獄』という書名であるが,地獄は牢 獄をさす.第二というのは,彼の友人マロが獄中で書いた作品のタイトノレ が Enferであったことからくる.

w

第二の地獄』は十二篇の書簡体詩から 成っており, 特にフランソワ一世にあてたものは

1 8 6 8

年発行の翻刻版に おける頁数で

1 2

頁にわたる長いものである. ドレはこの中で,自分はい かに無実の罪で投獄されたか,いかにしてリヨンの獄から脱走して国外に

(4)

逃げたか, といった事情をのべている.その他の詩はオノレレアン公, ロレ ーヌの枢機卿といった, ドレの叫びに耳を傾けてくれそうな実力者にあて たものである.彼の友人にあてたものもある. この蓄には付録の形で,プ ラトンの二つの対話篇の翻訳がついている.一つは Axiochus, 今一つは Hipparchusで , ドレはこれらを手はじめとしてプラトンの全作品を仏訳 する計画であったらしい. この『アグシオコス』の訳文の一節は,不幸に

してドレの死刑を確定する契機となったといわれる.

パリ大学神学部は司法当局から依頼を受けて, ドレの『第二の地獄』の 中に異端の要素がないかどうかを点検した.御用神学者たちは書簡体詩の 中にそれを見出さなかったが 11アグシオコス』の訳文の中にそれを見出 したと主張したのである. ソクラテスがアクシオコスにむかつて, Prodi‑ cusの議論を説明しながら次のように言う箇所がある。 I生存している人

々について言うなら,死は存在しないし,また死者も存在しない.従って,

あなたに関する限り,死は今存在しない.あなたは死んでいないのだから.

かりにあなたが死んだ場合,やはりあなたに関しては死は存在しない. と いうのは,その場合あなたはもはや存在していないから.Jこの最後の箇所 をドレは etquand tu seras deced

ellen'y pourra rien aussi, attendu  que tu ne sera plus rien du tout."と訳した.その riendu tout (全然〉

という三語をもって,魂の不滅に関するプラトンの説の誤訳,従って無神 論者が馬脚をあらわしたケースである,というふうにこじつけられてしま ったのである. ドレが誤訳のために死刑jになった, というのは恐らく言い すぎなのであろう.なぜなら, ζれは誤訳というほどのものではないのだ からそれは強調のために追加された副詞句にすぎない.しかし『アクシ オコス』の翻訳はドレの敵に,彼の漬神罪を立証させ,彼の火刑を正当化 するためのきめ手を与えたということは言えるであろう.

ドレはすぐれたラテン語学者であったばかりか,フランス語の定着化に ついてもなみなみならぬ関心を抱いていた.ルネサンス期のユマニストと

(5)

4  エチエンヌ・ドレの翻訳論

して,またラブレーやマロの友人として,それは当然のことで、あったかも しれない. その関心は彼が OrateurFrancoys (W フランス語考~) ~乙いう 野心的な書物を計画 Lていたことに最もよぐあらわれている. この書物は 著者自身に之れば次の九項目から成る予定であった.1. La grammaire 2.  L' ortographe  3.  Les accents 4.  La purictuation 5.  La pronunciatIon 6.  L'origine d'aulcunes  dictions  7.  La maniere  de bienιtraduire d'une  langue en aultre 8.  L'art oratoire. 9.  L'art poeHque,このうち 13;アク セント論J,r4.匂読法論J;17.翻訳論」が7,4, 3の順序で,一冊の書 物にまとめられて, 1540年にドレ自身の印刷所で印刷・出版されたのであ った.著者が1546年に処刑されたために, 他の六部がとうとう日の目を 見るに至らなかったことは残念である.しかしこの目次は,ユマニストと しての,また啓蒙家としてのドレの面白をあらわすものである. この啓蒙 的ユマニヌトの精神は, ドレよりも 13歳ほど若い Pleiadeの詩人・批評 家 JoachimD

:   u

Bellay (1522?‑60)の Ladeffence et  illustration de la  langue francoyse (1549) などにも受継がれるものであったということが

できる. ところで,出版された三部ばともにごぐ短いもので, Harvard大 学の Houghton図書館所蔵の第二版 (1543)のテキストで翻訳論は6頁, 句読法論は

8

頁,アクセント論は15頁を占めるにすぎない.

次に掲げるものは翻訳論,すなわち La maniere  de  bien  tl'aduire  d'une langue en aultre"の全訳である. 上記1543年版をテキストとし

て用いた.

一 言 語 か ら 他 の 言 語 へ 正 し く 翻 訳 す る 方 法 エチエンヌ・ドレ

一つの言語から他の言語へ正しく翻訳するには,基本的に五つの条件を 必要とする.

(6)

第一に,翻訳者は彼の翻訳しようとする著作の意味・内容を完全に理解 していなくてはならない.完全な理解があってはじめて,翻訳のあいまい さが防がれうるのである.たとい原著者がいくらか生硬であっても,翻訳 者はそれを平明な,しかも完全に明快な翻訳とすることができるであろう.

そこで私は,これについて思いつくままに一つの例をあげてみたい.キケ ロのトヮスクラヌム談論 (Tuscula:τles)第一部の中に,次のようなラテン 語の一節がある Animumautemanimam etiam fere noridechlrant  nominari.  Nam & agere animam; & effiare  dicimus: & animosos

, 

bene animatos

,  & 

ex animi sententia.  1 eauteIi1 animus  ab  anima  d:ictus est

C

シカシナガラ, ワタシタチノ同国人ハ,フツウ,魂ハ息トモ 呼ノミレノレノダ、ト言vテイル. ナゼ、ナラ, ワタシタチハ I息絶エル」 トカ

「息ヲ引キトル」トカ, Iイキノヨイ連中」トカ「善意ノ人々」トカ Iワ タシノ魂ト良心ニカケテ」ナドト言ウ. ソノ上魂トイウ言葉ソレ自体ガ息

トイウ言葉カラ来タノデアル.]

キケロのこの作品を訳したとき,私は次のように述べたのであった.二 つの言葉 animusとanimaの相違を気にする必要は少しもない. なぜな ら, この二語から引出される通り,ラテン語の語法では両者がほぼ同じこ とを意味している, という風tこ思われるからでる animus(魂〉がanima

(息〉から出てくること, そLて animaがanimusの源であるζとは確 かである.それはちょうど超自然的な力と,生命の維持に必要な器官とは,

ともに心の源である,というのと同じである.そしで心は,上に述べた生 命の維持に必要な器官のもたらすものである.ラテン語を解する人にうか がいたいが,はたしてキケロを大いに理解することなしにこの文章を正し く訳すことが出来るだろうか? それ故, どの翻訳者でも,一つの国語か ら他の国語へと翻訳しようとするならば,原著者の意味を完全に理解する ことが必要不可欠であると知るべきである. これなくして確実に,そして 忠実に訳すことは出来ないのである.

(7)

エ チ エ ン ヌ ・ ド レ の 翻 訳 論

翻訳において必要とされる第二の点は,翻訳者が原著者の言語を完全に 知っていることである.また彼が翻訳にさいして用いる言語の運用にも等 しくひいでていなくてはならない.このようにしてはじめて,彼は両方の 言語の威厳を犯したり,おとしたりすることから救われるであろう.ラテ ン語とフランス語に通じていない人がキケロの演説を正しくプランス語に 訳すことができると考えられるだろうか? 各国語はそれぞれ独自の特性 を備えているのであって,その言語に特有の語句の相互関係,語法,微妙 ないいまわし,強調の仕方等があると知るべきである. これらの点を翻訳 者が無視してかかるならば,彼は原著者を傷つけるのであり,同様にまた 彼の国語をも傷つけることになる.なぜなら彼は彼の取扱う両言語の威厳 と豊かさを正しく言いあらわしていないからである.

第三の点は,翻訳にあたり,逐語訳のとりこになってはいけないという ことである.逐語訳は精神の貧困と欠陥から起ζる.なぜなら,彼は前記 の諸特質を備えており〈よい翻訳者であるためにはそうした諸特質を備え ている乙とが必要である), 語IJ買に特別な注意を払わないのであるから,

彼はむしろセンテンスに注意を向け,両言語の特性を注意深く顧慮しなが ら,原著者の意図があきらかになるように翻訳するであろう.このように して,文頭から訳し始めることは〈愚かと言おうか,無知といおうか〉大 いなる頑迷のなさせる業である.けれども,たとい語IJ慣を曲げても原著者 の意図をあらわしうるならば,誰もそのことで翻訳者を非難するわけには いかない.私はここで或る翻訳者たちの愚行について黙っているわけにい かない.彼らは自由の代りに奴隷となることを選んだのである.すなわち,

彼らはあまりにも愚かであるために,一行は一行に,一節は一節に訳そう と努める.そのあやまちにより彼らはしばしば原著者の意味をそこない,

しかも両言語の魅力と精妙さを表わすことが出来ない. この悪弊におちい らないよう,十分に注意すべきである.それは翻訳者の無知以外の何物を

(8)

もあらわさないのである.

ここで私が与えたいと思う第四の規則は,洗練されていない言語の場合

』こ一層心して守られなくてはならないものである.洗練されていない言語 とは,安定した, 一般に受容れられるような様式にまだ達していない言語,

つまりブラシス語, イタリア言書,

現代語のことである. 従って,

スペイン語, ドイツ語,英語,その他の もし或るラテン語の書物をこれらの言語 (フランス語でも同様〉に訳すときには9 ラテン語に非常に近接した言葉 や, これまでに殆ど用いられたことのないような言葉を用いることを慎し むべきである.その場合には,愚かにも新造語を発明したり,非難に値い ずるような好奇心にたよることなく, よろしく一般に使われている言葉で もって満足すべきである.たとい誰かがそういうことをしても, その点で 彼らのまねをしてはならない. なぜ、なら彼らの散慢は無価値であり,学識 ある人々の間では堪えがたいものだからである. だからといって,翻訳者 は一般に用いられている言葉以外の使用は一切差控えるべきだ, という風 にとってはならない. なぜなら, ギリシア語やラテン語はフランス語にく

らべて用語の点では実に豊富であって, これをフランス語に訳すとなると,

殆ど用いられることのない語を用いざるをえない場合がしばしば起こるか らである. しかし, これはどうしても必要なときに限つてのみ許されるべ きである.その上なおこういう風に論じる人々もあることを私は承知して いる. フランス語の単語の大部分はラテン語から派生したものであり, 自 分たちの先輩がその使用に認可を与えた以上は,現代人や後輩にも同じこ

とをする資格があるのだ, と. こういったζとはすべて鏡舌家たちの議論 にまかせることにしよう. よりよい道は, 一般に用いられている言語に従 うことである.私は『ブラγス語考』の中でこの点を一層十分に,詳細に わたって扱う筈である.

このようにして, 良い翻訳者が守らなくてはならない第五の規則まで来

(9)

8  エチエンヌ・ドレの翻訳論

た.それは一つの偉大な特質に関するものであって,それなくしてはあら ゆる文章は重苦しいものとなり,面白味を欠くのである.それは何か?

すなわち, リズムと調和を守ることにほかならない.それは或るすばらし い仕方で言葉の関係を知り,言葉を配列することであり,それでもって魂 を満足させるだけでなしそのような言葉の配列によって耳の方も悦惚と なり,飽くことを知らないのである.このリズムと調和については,私は

『フランス語考

J

の中でもっとくわしく述べるつもりである.それ故ζこ でそれについて長く論じることはしない.私はζこで再び翻訳者にこの点 で用心を怠らないよう警告しておきたい.なぜなら, リズムと調和を守る ことなくして,どのような作品であろうと称賛に値いするようなものは書 けないからである.それなしには文章は重厚でありえないし,必要かつ正 当な品位を保つことができないのである.適切で上品な言葉さえ集めれば 十分であって,単語と単語の聞のすぐれた結合などはどうでもよいと考え てよいだろうか? 言うなれば,これはさまざまな宝石を乱雑に積み上げ た山のようなものだ.配列よろしきをえないために,せっかくの宝石も光 らないのである.あるいは,いろんな楽器が,音調もリズムもわからない へぼ音楽家たちによってやたらに合奏されるのと同じである.要するに言 葉というものは,然るべき順序と配列を与えてやらないと,輝きを発する

ことが殆ど出来ないのである.特にこの点において,昔ギリシアの雄弁家 イソグラテスは高く評価された.デモステネスも同様だった.ラテン作家 の中ではマルグス・トヮリウス・キケロが, リズムと調和の偉大な遵奉者 であった.しかし, ζれは歴史家にもまして一層雄弁家が守るべき規則で あると考えてはならない. ともあれカエサルやサノレストスは, リズムと調 和の点で必ずしもキケロにひけを取らないのである. この点に関する結論 はこうである. リズムと調和を守らない作家はゼロに等しい. このリズム と調和に加えて,言葉を同様に正しく選び,文章に重味をもたせ,論旨が 精妙であれば,雄弁術において名声を博することは疑いの余地がない. こ

(10)

9  れこそが完全な雄弁家,すなわち真に雄弁の栄光に満ちた人の資質念ので ある.

このようにエチエンヌ・ドレは,翻訳者に対して五つの規則を与えた.

それをここにまとめた上で,それぞれの要点に光をあててみよう.

1.翻訳者は原作の意味・内容を完全に理解していなくてはならない.

(内容理解の問題〉

2.翻訳者は原作の書かれている言語に精通しており,また翻訳する言 語の運用にも堪能でなくてはならない. (媒介としての言語把握の問 題〉

3 .

翻訳者は逐語訳を避けるべきである. (言語聞の相違の認識に基く 翻訳技術の問題〉

4.翻訳者はできるだけ一般に使われている言葉を用いるべきである.

(用語選択の問題)

5.翻訳者はリズムと調和に留意することによって,すぐれた文体を打 出すべきである. (文体の問題〉

この五つの規則は何でもないI}買序に並んでいるように見えて,実はそこ に論理的なつながりが見出されることに気付くのである.

第一の内容理解の問題であるが, ζれは単に翻訳者だけに限られた問題 ではなく,書物を読んで何かを学ぼうとする者が一様に前提としなくては ならない基本条件である. ドレはキケロの一節を引用じ,その中心におか れている animus,animaというこつの単語の異同を論じているが, これ はこれらの重要語をコンテクスト,ひいてはキケロの全作品にさかのぼっ てはじめて結論を下すことができる問題なのである.翻訳者は部分をおろ そかにすることはできない.しかし部分に関する疑問に答えることができ るのは,常に全体なのである. ドレが原作の意味・内容を i完全に」理解

(11)

エチエンヌ・ドレの翻訳論 10 

というとき,はたして作品の完全な理解とは何か,

していなくてはならぬ,

しかし,翻訳という作業について言える恐ろしいこ とは,出来上った翻訳が,逆に,翻訳者の原作理解の程度,原作に対する 態度,語学力,そして彼の自国語による表現能力がどのようなものであっ

という問題が起こる.

ということである.翻訳者は常にその仕事によって裁か たかをあらわず,

れるのである.

この場合,披が翻訳者であ 第二は媒介としての言語把握の問題である.

一つの外国語 自国語と,少くとも一つの外国語が含まれている.

る限り,

に通じているだけでは翻訳者としてはまだ半人前であるにすぎない.彼は 一世紀半のちに英

「完全な翻訳者であるためには,

自国語の運用にも堪能でなくてはならない.

国の JohnDryden (1631‑1700)が,

全な詩人でなくてはならぬ」と書;いたことに通じるものがある.

この点は,

ドレはノレ 一つの言語にはその言語に個有 この特性という言葉はドレの原 ネサンス期のユマニストであっただけに,

の特性と威厳があることを理解していた.

しかし英語には 英語の proprietiesに当る.

語では propriet白であり,

それをさらに強く表現する geniusという言葉もある.翻訳のさいに特に 犠牲になりやすいのは,受容れ側の言語の方である.なぜなら,受容れ側 の言語はもとの言語の影響をうけて,歪んでしまう恐れが常にあるからで ミルトンにおけるラテン語的表現の多用は有名であるし, わが国に ある.

は漢文調や翻訳調という文体が出現したのであった.

という戒めは,古くから翻訳論の中 いつの時代にも逐語訳を主張する人 意訳を主張する人がいたようである.神の言葉を伝えようとする聖書 第三の,逐語訳のとりこになるな,

心に執按!に居続けてきたものである.

と,

ルネサンスと これに対して,

は,大体において直訳される傾向があった.

ともに続々とあらわれるようになったギリシア・ローマの古典作品の現代 語訳では,翻訳者が野心的であればあるほど意訳の方向を辿ってきたとい

えよう.要するにドレの場合,各言語はその言語にイ固有の特性があり,

(12)

れは逐語訳という方法ではとうてい他の言語に移せるものでないζとを見 放いていたのであって,慧眼というほかない.読むに値する訳文,読者が 繰返し読みたくなるような訳文は,原語に奴隷のようにしがみついている 翻訳者のベンからはとうてい生まれるものではない. ドレの考え方の基礎 には,フランス語をギリシア語・ラテン語のように豊かな,深い思想、を盛 ることのできる言語に高めたいという意欲が燃えている.翻訳作品が芸術 性豊かなものでなくてはならないことは当然である.なおドレは,ここで,

逐語訳は一切いけない,といった偏狭さにおちいってはいない. もし逐語 的に訳して, リズムと調和を打ち出すことができるならば,それにこした ことはないからである.

第四の用語選択の問題は,数多くの,豊かな語棄の中から適切なものを いかに選ぶかという問題ではなしむしろ古典語の中の或る特定の単語に 対応する語ないし訳語をどうして見つけてくるのかという問題である. こ れは古典語の権威に対して,現代語の有用性を主張する場合に必ず出てく

る問題であって, ドレはこの点についてはむしろ保守的な立場を取ってい る.つまり,続々と新語を造っていく ζとはあくまで避けるべきであって,

出来る限り一般の人々の用いる言葉の中に訳語を見出すべきだとしている.

ドレは殊に,ラテン語がフランス語の母語であることからして,翻訳にさ いし,ラテン語を「乗取ろうとする」誘惑を避けるよういましめている.

どうしても一般の人々の用いる言葉の中に適切な訳語を見つけられない場 合には,やむをえず新語を造ることを認めざるを得ない. この議論は現代 口語に対する自信と,深い責任感に基いたものであって,さらに言えば,

詩人は現代口語の中から新しい生命を汲み取ってくるのだという, ドライ デン,ワーズワース,パウンド,

T .  S .

ェリオヅトらの,詩の革新の思想 につながる考え方でもある. ドライデンの如きは,詩人の機能の一つは言

語を洗諌することであるとさえ考えていた.

第五の文体の問題まで来ると,これはひとり翻訳者だけの問題でなく,

(13)

12  エチエンヌ・ドレの翻訳論

およそ文章を書くほどの人がすべて留意しなくてはならない点であること を見出すのである.訳文中に「リズムと調和」とあるのは, ドレのフラン ス語では nombresoI'atoiresである. ζの nombresは,英語の場合では Without true Number no Man trulie mai sing.円という

OED

の記 録している1477年の用例からもわかるように, 詩や音楽におけるリズム を指すのである.そして,この文体に関する美学は,ギリシア・ローマ以 来の修辞学の伝統から来る.翻訳者が,自分の訳文について修辞上の配慮 を怠るならば,それは翻訳者の名に値いしない,とまでドレは考えていた.

いいかえれば,ここにドレの,翻訳芸術に関する抜きがたい信念がうかが われるのである. Iさまざまな宝石を乱雑に積み上げた山Jというイメー ジはきわめて効果的である.宝石が整然と配列され,そこに或る必然的な 秩序が形成されるとき,詩が出来る.それは thebest ¥Yords in the best  order円といえるものだからである.

以上, ドレの翻訳論の特質を論じたのであるが,最後に彼の翻訳論を,

翻訳論の歴史の中に位置付けることによって小論を結ぶことにしたい.

現在知られているところでは,世界で最も古い翻訳論はキケロの

De 0 ρ

timo genere oratorumと呼ばれる短いエヅセイであって, これはギリ

シアの雄弁家 AeschinesとDemosthenesの間の論争のラテン語訳のた めの序文として書かれたものである.キケロのその翻訳は現存していない ので,実際にはその翻訳は完成しなかったろうと言われている.キケロは はっきりと逐語訳を斥ける立場を取り,ラテン語のイディオムに忠実であ りつつ,原典の力強いスタイルをとどめるよう留意したことを述べている.

そして,ウルトラ・キケロ主義者であったドレがこのことを知らなかった とは考えられないのである.

キケロ以外ではホラチウスの l詩論」の中の次の一節が非常に有名にな った.

(14)

エチエンヌ・ドレの翻訳論

1 3   Nec verbum v e r b o  c u r a b i s  r e d d e r e

d u s

I n t e r p r e s .   [Ars P o e t i

' c a , 1 3 3 ,  1 3 4 J  

(忠実な翻訳者のように,逐語的に,卑屈なやり方でうつしかえては ならぬ)

この一節はホラチウスがホメロスの詩からの翻案の問題を論じている部分 に出てくるのであって,彼はここで翻訳の問題を論じているわけではない.

しかし, これを逐語訳のいましめに関する重要なモヅトーとして定着イじさ せたのは, ラテン語聖書

V u l g a t a

の成立に重要な役割をはたした学僧

Hieronymus ( 3 4 7 ? ‑ 4 1 9 ? )

であった. ヒエロニムスは自分の翻訳した聖書 の各巻に序文をつけ,その中でしばしば翻訳の方法,それにまつわる困難 等を論じているのである.彼の翻訳論としていちばんまとまったものは,

いわゆる第

5 7

書簡

AdPammachivm d e   o p t i m o   g e n e r e   i n t e r p r e t a n d i  

と呼ばれるもので,この中に彼はキケロとホラチウスの,先ほと、触れた箇 所を引用しているのである.

古典的な翻訳論の多くは,自分の翻訳に対して加えられた非難攻撃に対 する弁明である. ヒエロニムスの第

5 7

書簡の場合にはこの色彩が特に強 い.自分が逐語訳をしなかったことについての弁明を,キケロやホラチウ スや,さらには使徒パウロの権威さえも借りながら展開しているわけであ る. ヒエロニムスの翻訳論の特色として三つの点を挙げることができる.

(1)聖書のラテン語訳が議論の中心であること.(2)聖書の本文校訂,ないし 聖書のテキストの確立の問題が,いかに翻訳すべきかという問題に劣らず 重要であり,しかもそれが翻訳技術の問題とわかちがたく結びついている

こと.(3)逐語訳をいましめ I意味を意味に」移すことを主張しながらも なお神の御言葉のもつ神秘性にてらして,語1)買を尊重し,逐語訳すること の重要さをも十分に認識していたこと.一一この第三の点は実に歯切れの 悪い表現であるが,それでもなお,聖書の翻訳にはげしく一生涯を打ちこ

(15)

14  エチエンヌ・ドレの翻訳論

んできた学僧の経験から出た意見として,尊重すべきものを含んでいると いえよう.翻訳論は数学や物理学の公式のようなものではなく,あくまで 経験に基かざるをえないからである.翻訳に王道はないのである.

ヒエロニムスは中佐の翻訳と翻訳論に深い影を投げかけているように思 われる. 大胆な意訳をする人はよくヒエロニムスをひきあいに出して,

「意味を意味にJ訳出したのだと主張した.ところでヒエロニムスと同一 線上にあった筈のホラチウスの fidusinterpres"というフレーズが,二 つの相反する意味で用いられるようになったのである. ヒエロニムスにお9  ける人文主義的な学問精神は,絶えず正確を期するよう彼をうながした.

しかし「逐語訳」がそのまま正確の別名であると信ずるには,彼はあまり にもラテン語散文の巨匠でありすぎたのである.神の裁きの座に立たされ fこ一人のキリスト者として,彼はたしかにキケロ主義を否定した.しかし,

いくらキケロ主義を否定しても,キケロの散文によってつちかわれたラテ ン語の文体に対する感覚は,一挙に消えうせるものではなかったからであ る.

ドレの翻訳論の立場は,このようにして,広い意味でのキケロ主義であ る.そのことは特に第三の規則である逐語訳のいましめと,第五の規則で ある文体への配慮が証明する. ドレはヒエロニムスのように聖書翻訳に専 ら縛られる必要はなかった.彼の目がギリシア・ローマの洋々たる古典世 界に向けられていたことは事実である.それは,いうなれば,新しい植民 地を求めて大航海に乗出そうとするルネサンス人の気慨に近いものであっ たろう.その大航海のための海図のスケヅチに当るものが, ドレの翻訳論 であった.

英文学の場合, 16, 17の両世紀聞に,ギリシア・ローマ文学,イタリア,

フランス,スペイン文学から英語へ翻訳された作品の数はおびただしいも のがある.その中には Chapmanの Homer,ドライデンのVirgil,North  の Plutarch,Florioの Montaigne,そして AuthorizedVersionとL、つ

(16)

1 5  

た古典的名訳も含まれており,訳者たちはそれぞれの序文や献辞の中で翻 訳の方法を論じているけれども,どちらかというと彼らの翻訳論は断片的 であり,当該翻訳作品にのみとらわれる傾向がある.その上おざなりのも のもしばしば見受けられる.翻訳者のアポロギアにも

c l i c h

おが出来上っ

てしまった.たとえばホラチウスの ~ec

V e r b U l l l  v e r b o

…を引用するこ とは一種の流行となっていたように思われる.自分の翻訳の方法を定義す るのに最も情熱を注いだのはドライデンであったが,そのドライデンにし ても, ドレほど組織的に順序立てて,翻訳論の重要事項を提示していると はいえない. ドライデンの同時代人である

E a r lo f  R O S C O l l l l l l O n

An E s s a y  on T r a n s l a t e d  Verse" ( 1 6 8 4 )  

という訳詩論を

v e r s ee s s a y

の形 式で書いている. ロスコモンの問題意識はドライデンとほぼ共通であって,

訳詩が芸術であるζと,あらねばならぬことを少しも疑っていないのであ る.

1 8

世紀には

T h o l l l a sF r a n c k l i n

T r a n s l a t i o n :a  P o e l l l

( 1 7 5 3 )

という

v e r s ee s s a y

が出たけれども,書物の形で世に問われたはじめての 本格的な翻訳論は

A l e x a n d e rF r a s e r  T y t l e r

のEssayon the Principles  of Translation (1790)である.

要するにエチエンヌ・ドレが,

1 5 4 0

年という時期に,古典的翻訳論(現 代には,現代の言語学に基〈翻訳理論が存在する〉を見事に綜合するよう

なエヅセイを書いたということは,翻訳論の歴史をふりかえってみる場合 には驚異的な出来事であった.そこには経験を旨とするイギリスの知性の どろくさいのろさと,明澄そのもののようなフランスの知性の相違がある,

といえるかもしれない. しかし, ドライデンのエγセイの,あの慢歩風の スタイルは,彼の告白によると,モンテーニュからくるといす.このよう にして,翻訳論の歴史という小さな分野においてもまた,イギリスのルネ サンスを研究する者は,フランスのルネサンスを研究しなければならぬ,

という平凡な真理に逢着する次第である. (完〉

(17)

16  エチエンヌ・ドレの翻訳論

ドレの評伝の著者の一人である Ric注hardCopley Christieはドレの生年を1508 年と主張しているが,大概の著者は1509年としている.

渡辺教授は「モベール広場には,現在エチェγヌ・ドレの銅像が立っています」

(11フランス・ルネサンスの人々

I J

p.  70)と書いておられるが,私の調べたとこ ろではこの鏑像は第二次大戦中の戦火で破壊されたとのことである 1970年8 月に私はパリのモベール広場を訪れたが,銅像はやはりな〈ョ残っている台座に は過激な政治ピラがいっぱいはってあった.

3 私の知りえたものを出版年のII震にあげると,次のようになる.

i)  Nee de la  Rochel1e.  Vie d'Etienne Dolet

, 

lmprimeur a Lyon. . . Paris

, 

1779. 

ii)  Joseph Boulmier.  Estienne Dolet, saie,ses  oeUVl・'es,son martyre. Paris:  Aubry, 1857. 

iii)  E. O. Douen. Etienne Dolet, ses opinions religieuses.  Paris, 1881.  iv)  Richard Copley Christie.  Etienne Dolet, the lVlartyr 01 the Renaissance. 

London:  Macmillan, 1880.  Revised Edition, 1899. 

v)  L. Duval Arnould.  Etienne Dolet:るtudehistorique.  Paris, 1904.  vi)  Octave  Galtir. Eti・'enne Dolet:ie,oeuvre, caractere, croyances. 

Paris : Ernest Flammarion, 1908. 

vii)  Marc Chassaigne.  Etienne Dolet.  Paris:  Albin Michel, 1930.  なお渡辺教授がドレに関する「準古典的な」伝記ないし著作と呼ばれるものは,

上記の ivとviiである.

金 現在では AxiochllSも 昂'pparchusもプラトンの著作の canonに含まれてい ない.ちなみに Axiochusをはじめて英語に訳したのは EdmundSpensぼ で あ った.

ドレの翻訳論は何回となく翻刻されているということである.私の知る限りで は,最も新しい翻刻は FIT(La Fedration Intrnationale des  Traducteurs)  が UNESCOの援助で出版している BABELという雑誌の創刊号 (1955年9 月〕の pp.18‑19にある. ところがtranscriptionはまことにお粗末で, p.19  には重大なミスが少くとも三つあり3 そのままでは正しく意味を取ることができ ないほどである. これに FITの事務総長の EdmondCaryが Doletに関する 短い introductionをつけている.

η15Clanes1, ix, 19.なおドレの用いたテキストiま,現代の票持主的なテキスト

(18)

と多少異っている.殊に最初の文章は LoebClassical  Library版では animum autem alii  animam, ut fer巴nostri‑declaratnomen"となっている.

ち Sothat to be a thorough translator

, 

hmustbe a thorough  poet."  W. 

P. Ker (ed.), Essays of John Dryden, Oxford Univ巴rsityPr巴開,1900, Vol. 1,  P254.

上記批評論集の中で,特に Defenceof the Epilogue; or, an Essay on th巴 Dramatic Poetry of the Last Age"  (Vol. 1)にこの考え方が顕著である.

9)  Cf. TernerSchwarz, The Theory  of  Translation  in  Sixteenth.Century  Germany", Modern Language  Review, Vo l.40  (1945), pp. 289‑299.  10)  ヒエロニムス,第22書簡,

11) 

c f .

北垣宗治

r

二つの翻訳論一一ロスコモンとブランクリンの場合」あぼろ ん社『季刊英文学Jl11. 3 (1965年春), pp. 125‑143. 

12)  Essays of John Dryden, II, 255. 

参照

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