チカノ壁画から美術館のための「移動用壁画」へ : メキシコ系アメリカ人の抵抗の表現(素描)
著者 黒田 悦子
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 23
号 1
ページ 1‑34
発行年 1998‑10‑30
URL http://doi.org/10.15021/00004125
黒 田 チ カノ壁画か ら美術館のための 「移動用壁画」へ
チ カ ノ壁 画 か ら美 術 館 の た め の 「移 動 用 壁 画 」 ヘ メキ シコ系アメ リカ人の抵抗の表現(素 描)
黒 田 悦 子*
From Murals to Portable Murals:
Transformations of the Expressions of Resistance of Mexican-Americans
(A Perspective)
Etsuko Kuroda
本 稿 は メ キ シ コ系 ア メ リカ人 の壁 画 活 動 を 素 描 す る もの で あ る。 メ キ シ コの オ ロス コ,リ ベ ラ,シ ケ イ ロス は ア メ リカ合 衆 国 に お い て も制 作 し,シ ケ イ ロ ス の画 風 と技 術 が チ カ ノ(政 治 的 に 目覚 め た メキ シ コ系 の 人 々)に 影 響 力 を 持 ち,1960‑70年 代 に 独 特 の民 衆 の た め の壁 画 が 生 まれ た 。 こ の チ カ ノ壁 画 の伝 統 は80‑90年 代 に も受 け 継 が れ て い るが,早 く も70年 代 に は パ フ ォ ー マ ソス に よる 「歩 く壁 画 」 で壁 画 の 表 現 上 の 限 界 を 批 判 す る グ ル ー プが 現 れ,90年 代 に は作 家 は 「移 動 用 壁 画 」 を 描 い て 美 術 館 な どに 展 示 す る機 会 を え て い る。
This is a summary article on the murals created by Mexican- Americans from the 1960s to the 1990s. The purpose is to provide the
Japanese audience with a general perspective of the Mexican-American murals from their origin to the present-day forms, through a period of creative criticism.
1. The activities of Orozco, Rivera, and Siqueiros in the United States in the 1920s-30s are briefly summarized, with the tentative conclu- sion that Siqueiros may have had a major impact on the Chicano mural painters for three reasons: 1) political activism, 2) group painting in- cluding non-professionals and his taller in Cuernavaca in Mexico, and 3) newly developed techniques well fitted to the US environment.
に国立民族学博物館民族社会研究部
Key Words : mural, portable mural, Mexican-American, Siqueiros, Chicano キ ー ワ ー ド:壁 画,移 動 用 壁 画,メ キ シ コ系 ア メ リ カ 人,シ ケ イ ロ ス,チ カ ノ
国立民族学博物館研究報告 23巻1号
2. The major trends of Chicano murals in the 1960s-70s are sum- marized with references to the regional variations in Los Angeles, East L.A., San Diego, San Francisco, Chicago, Albuquerque, Santa Fe, Las Vegas (N.M.) , Denver, Tucson, Phoenix and Houston (Texas) . The continuation of Chicano-style murals in the 1980s-90s is also commented on.
3. The criticisms of stereotyped murals by Willie HerrOn, Gronk, and others, represented by their performance of "walking murals," are summarized.
4. The appearance of "portable murals" for museums is interpreted as an artistic development in murals which had existed as street art, and at the same time it is suggested that murals still exist as conveyors of cultural expressions of ethnic identity, and as decorations for Mexican- American neighborhoods.
I remain thankful to the SPARC (Social and Public Art Resource Center, Venice, California) for offering me two time reproduction rights for four copyrighted works. Photos 1 to 14 are all taken by the author.
は じ め に
1.オ ロ ス コ,リ ベ ラ,シ ケ イ ロ ス の ア メ リ カ 合 衆 国 で の 足 跡 と そ の 影 響 一 と く に シ ケ イ ロ ス に つ い て
2.チ カ ノ 壁 画 運 動(1960‑70年 代)と そ の
継 承
3.チ カ ノ壁 画 へ の批 判 的 動 向(1970‑80年 代) ・r歩 く壁 画 」 の 出現 4.「 移 動 用 壁 画 」 の 出現(1980‑90年 代) と壁 画 の現 状
は じ め に
ア メ リカ 合 衆 国 に 住 む メ キ シ コ系 ア メ リカ人 の 表 現 活 動 の 最 た る もの は 壁 画 で あ る。 母 国 メ キ シ コにあ る壁 画 の 伝 統 を 引 き継 い だ彼 らは移 住 先 の北 の 国 に お い て,政 治 的 抵 抗 や 自己 表 現 の た め に壁 画 を 活 用 して き た。 そ の活 動 の ピー クは1960‑70年 代 に あ っ た とは い え,今 も って 壁 画 は この民 族 集 団 と関 わ りの多 い 地 域 に 数 多 く見 うけ られ る。本 稿 の 目的 は,こ の 人 々の壁 画 の成 立 ち,発 展,変 容 を 紹 介す る こ とに あ る。
メキ シ コに は 先 スペ イ ン期 に 始 ま り,植 民 地 時 代 と19世 紀 を 経 て,1920‑30年 代 の 国民 文 化 形 成 の一 翼 を 担 った 壁 画 運 動 へ と至 る永 い壁 画 制 作 の伝 統 が あ る(次 節 の 紹 介 はEdwards 1966;Rodriguez 1969 V依 拠)。
黒田 チカノ壁画か ら美術館のための 「移動用壁 画」 へ
先 ス ペ イ ソ 期 に お け る 壁 画 の 普 及 は 考 古 学 遺 跡 に 明 ら か で あ り,古 典 期 マ ヤ (300‑900年)の ボ ナ ソ パ ッ ク の 神 殿 に あ る 楽 師 と踊 り手 の 壁 画(A.D.760)が よ く例 に 出 さ れ る 。植 民 地 時 代 に 入 る と,壁 画 も ス ペ イ ン の 描 法 と技 法 に 影 響 さ れ て 変 容 し, こ の 地 に 独 特 の 作 品 が 出 て き た 。 ク エ ル ナ バ カ の サ ソ ・フ ラ ソ シ ス コ修 道 院 に 残 る16 世 紀 の 壁 画 で 日本 で の 殉 教 シ ー ン を 描 い た も の は そ の 好 例 で あ ろ う。 そ し て,19世 紀 に はmカ ル な 作 家 が 多 く 現 わ れ,ア シ エ ン ダ(農 園),レ ス ト ラ ソ,プ ル ケ の 酒 店 な ど に 壁 画 が 描 か れ て い た 。 こ の よ う な 風 土 か ら 出 た 民 衆 版 画 家 の ホ セ ・グ ア ダ ル ー ペ ・ポ サ ー ダ は ポ ル フ ィ リ オ ・デ ィ ア ス 政 権 下(1877‑1911)で 批 判 的 版 画 を 描 き, オ ロス コ と リベ ラ に 大 き な 影 響 を 与 え た と い わ れ る1)0こ の 種 の 民 間 の 創 作 力 に 国 家 の 援 助 が 加 え ら れ る こ と で 壁 画 が 国 民 文 化 の 一 部 と な っ て い っ た 。 デ ィ ア ス 政 権 は 世 紀 末 か ら20世 紀 に か け て サ ソ ・カ ル ロ ス 国 立 美 術 学 校 の 学 生 を ヨ ー ロ ッパ に 留 学 さ せ た 。 こ の 中 に,ヘ ラ ル ド ・ム リ ー リ ョ(別 名 ア トル 博 士,ア トル と は ナ ワ語 で 水 の 意),
ロベ ル ト ・モ ン テ ネ グ ロ,デ ィ エ ゴ ・ リベ ラ が い た 。 こ の 三 人 の 内,ア トル 博 士 が 1910年 か ら政 府 の 要 請 に よ りグ ル ー プ で 壁 画 を 描 き 始 め,こ の 中 に オ ロ ス コ が い た と さ れ る 。1919年 に は,シ ケ イ ロ ス が 革 命 政 権 に 派 遣 さ れ て パ リ と イ タ リ ア に 行 き,当 地 の フ レス コ 画 に 接 す る機 会 を 得 た 。 そ し て,1922年 に は,ア ル バ ロ ・オ ブ レ ゴ ン政 権 下,ホ セ ・バ ス コ ソ セ ロ ス が 文 部 大 臣 と な り,壁 画 の 注 文 を 始 め る よ うに な っ た 。 1920‑27年 頃 が 壁 画 ル ネ ッサ ンス,カ ル デ ナ ス 政 権 下 の1934‑40年 頃 が 壁 画 制 作 の 第 二 波 と な っ た こ と は 周 知 の こ と で あ る 。
こ の1920年 代 よ り数 多 くの 壁 画 家 が 活 動 す る が,メ キ シ コ で 三 大 巨 匠 と 目 さ れ る の は オ ロス コ,リ ベ ラ,シ ケ イ ロ ス で あ っ た 。 こ の 三 人 は メ キ シ コ で 著 名 な 作 品 を 生 み だ した が,ア メ リ カ 合 衆 国 に お い て も 活 動 し,メ キ シ コ系 ア メ リカ 人 の 壁 画 制 作 に 多 大 の 影 響 を 与 え た 。
本 稿 で は,ま ず 第 一 に,三 大 壁 画 家,と くに シ ケ イ ロ ス の ア メ リ カ 合 衆 国 で の 足 跡 と影 響 を 考 察 し,第 二 に,1960‑70年 代 に 全 盛 期 を 迎 え た チ カ ノ(政 治 的 に 目覚 め た メ キ シ コ系 ア メ リ カ 人)の 壁 画 活 動 を 紹 介 し,第 三 に,表 現 媒 体 と して の 壁 画 の 限 界 が 指 摘 さ れ る 経 緯 を 追 い,第 四 に,1980‑90年 代 に 壁 画 が 街 路 を 往 来 す る 民 衆 へ 政 治 的 メ ッセ ー ジ を 伝 え る も の で あ る 度 合 い が 減 り,一 部 は 画 廊 や 美 術 館 向 け の 作 品 に 納 ま っ て い っ た 現 実 に つ い て 言 及 して い く。
メ キ シ コ 本 国 の 壁 画 に つ い て は 無 数 の 研 究 が あ り,日 本 で も 美 術 書 や デ ィ エ ゴ ・ リ ベ ラ と フ リ ー ダ ・カ ロ に 関 わ る 出 版 物 に か な り の 言 及 が あ る(加 藤1988;中 原 1994;後 者 は1930年 代 へ の 知 見 に 充 ち て い る)。 し か し,壁 画 の ア メ リ カ 合 衆 国 へ の
国立民族学博物館研究報告 23巻1号
波 及,と くに 壁 画 が メキ シ コ系 ア メ リカ人 の 抵 抗 の 表 現 媒 体 とな り現 在 に至 る過 程 に つ い て は近 年 や っ と研 究 が 出 て き た と ころ で あ り,日 本 で は論 文(加 藤1993)と 展 示 図 録(横 浜 市 民 ギ ャ ラ リー1992)が あ るが,他 に は あ ま り紹 介 され ず に きて い る。
本 稿 で は 私 が1997年12月 ま で に入 手 で きた 書 籍,展 覧 会 の 図録,教 育 用 ス ライ ドを 駆 使 して 上 記 の過 程 を素 描 し よ う とす る もの で あ る。
1.オ ロ ス コ,リ ベ ラ,シ ケ イ ロ ス の ア メ リ カ 合 衆 国 で の 足 跡 と そ の 影 響 と く に シ ケ イ ロ ス に つ い て
メ キ シ コ革 命 後 の1920‑40年 代 に お け る メ キ シ コ と ア メ リ カ 合 衆 国 の 関 係 は 相 互 に 実 り多 か っ た 。 メ キ シ コは 革 命 の 戦 闘 期 を 終 え,そ の 社 会 的 文 化 的 目的 を 成 就 しは じ め て お り,国 全 体 に 輝 き の あ る 時 代 で あ っ た 。 一 方,ア メ リ カ合 衆 国 は 第 一 次 世 界 大 戦 後 の 繁 栄 を 享 受 し な が ら も 社 会 経 済 的 矛 盾 は 高 ま り社 会 主 義 運 動 が 盛 ん と な り,ロ
シ ア 革 命 と ほ ぼ 同 時 期 に 革 命 を 成 し遂 げ た メ キ シ コ に 好 意 的 イ メ ー ジ を 抱 い て い た 。 そ こ で 様 々 な 相 互 交 流 が 起 こ る の だ が(Britton 1995に 詳 し い),こ こ で は 壁 画 に 限 っ て 両 国 間 の 交 流 を 探 っ て み よ う。
メ キ シ コ の 三 大 壁 画 家 オ ロス コ,リ ベ ラ,シ ケ イ ロ ス は ア メ リカ 合 衆 国 に お い て も 壁 画 を 描 き,こ の 国 の 芸 術 家 の み な ら ず 日本 人 画 家 と も接 触 し,な に よ り も メ キ シ コ 系 ア メ リ カ 人 の 創 作 活 動 に 影 響 を 与 え た 。 北 の 国 で の 三 人 の 活 動 を 検 討 し て み る と (Hurlburt 1989に 詳 し い),メ キ シ コ系 ア メ リ カ 人V' 番 影 響 力 の あ っ た の は シ ケ イ ロ ス で あ っ た と 思 わ れ る 。 オ ロ ス コ,リ ベ ラ に 比 べ て シ ケ イ ロ ス は ど の よ うな 点 で 魅 力 が あ っ た の だ ろ うか 。
オ ロ ス コ(以 下 の 記 述 はHurlburt 1989:26‑29,43,57,87;石 崎1980:122;中 原 1994:43‑50)の 仕 事 の た め の ア メ リ カ 合 衆 国 滞 在 は1927‑34年 の7年 間 に 渡 り,三 人 の 中 で は 一 番 長 い 。 し か し,メ キ シ コ系 ア メ リカ 人 と の 接 触 は あ ま りな か っ た よ うで あ る 。
1927年 に ニ ュ ー ヨ ー ク に 彼 が 来 た の は メ キ シ コ通 の ア ル マ ・ リ ー ド2)の 招 き に よ る も の で あ っ た 。 彼 女 は 五 番 街 の 下 手 に ア シ ュ ラ ム3)と い うサ ロ ソ を 開 い て お り,1928 年9月 に,こ の サ ロ ソ の 後 ろ の 部 屋 を オ ロ ス コは ス タ デ ィ オ と して 使 わ せ て も ら っ て い た 。
1930年,オ ロ ス コ は ロ サ ソ ゼ ル ス の40マ イ ル 東 に 位 置 す る ク レ ア モ ソ ト市 に あ る ポ モ ナ ・カ レ ッ ジ の 食 堂 に 壁 画 「プ ロ メ テ ウ ス 」を 描 い た 。こ れ は1924年 に ア ル マ ・ リー
黒 田 チ カ ノ壁 画 か ら美 術 館 の た め の 「移 動 用 壁 画 」へ
ドが ギ リ シ ャ 滞 在 中 に 心 酔 し た 詩 人 ア ソ ゲ ロス ・シ ケ リ ア ノ ス を イ メ ー ジ した も の で あ り,オ ロス コ が 彼 女 の サ ロ ン か ら受 け た 影 響 の 大 き さ が 伺 え る 。1930年 当 時,18歳 だ っ た ジ ャ ク ソ ソ ・ポ ロ ッ ク は こ の 「プ ロ メ テ ウ ス 」 を ポ モ ナ ・カ レ ッ ジ で 見 て,強
い 印 象 を 受 け た と い わ れ て い る。
次 の オ ロ ス コ の 仕 事 はi93a‑31年 の 二x一 ヨ ー ク で の 二x‑・ ス ク ー ル ・ フ ォ ー ・ ソ ー シ ャル ・ リサ ー チ に お け る も の で,ル イ ス ・マ ン フ ォ ー ドの 紹 介 に よ る も の で あ っ た 。 「革 命 と万 人 の 兄 弟 愛 」 を テ ー マ に し た 壁 画 で,ガ ン デ ィ,フ ェ リペ ・カ リ ー リ ョ ・プ エ ル ト(ユ カ タ ソ 半 島 の 改 革 派 政 治 家),レ ー ニ ソ な ど が 描 か れ た 。 こ の 頃, ニ ュ ー デ ィ ー ル のWPA(公 共 事 業 促 進 局)の 連 邦 美 術 計 画(ロ ー ズ1970:
132‑133;新 川1973:157‑158)4)に 関 わ っ て い た トー マ ス ・ハ ー ト ・ベ ソ ト ソ5)に 師 事 し て い た ジ ャ ク ソ ソ ・ポ ロ ッ ク は,ベ ソ トソ が オ ロ ス コ と共 同 制 作 した 際 に モ デ ル と な っ て 同 席 し た 。 こ こ で も オ ロ ス コ と ポ ロ ッ ク の 接 点 が あ っ た の で あ る 。
オ ロ ス コ の 最 後 の 壁 画 は ロ ッ ク フ ェ ラ ー 財 団6)の 教 育 資 金 援 助 に よ る も の で, 1932‑34年 の ダ ー トマ ス ・カ レ ッ ジ の 図 書 館 で の ア メ リ カ 夫 陸 の 文 明 の 叙 事 詩 を テ ー マ と した 壁 画 で あ っ た 。 こ の 大 事 業 を も っ て オ ロ ス コの ア メ リ カ 合 衆 国 へ の 主 要 な 関 わ りは 終 わ っ た 。
リベ ラ の 活 動(以 下 の 記 述 はHurlburt 1989:89‑194)は カ リ フ ォ ル ニ ア か ら始 ま っ た 。1930‑31年 に 株 式 取 引 所 昼 食 ク ラ ブ,ス タ ー ン 氏 私 邸,カ リ フ ォ ル ニ ア 美 術 専 門 学 校 に 各 々 有 名 な 壁 画 を 描 い た 。 し か し,よ り顕 著 な 制 作 活 動 は ニ ュ ー ヨ ー ク で 行 な わ れ,1931年12月 一32年1月 に は 近 代 美 術 館 で リベ ラ 展 を 開 き,1931年 の マ テ ィ ス 展 よ り入 場 者 を 集 め た 。 こ の 時,リ ベ ラ は 記 憶 に 頼 りつ つ 既 に メ キ シ コ で 描 い た 壁 画 の 部 分 部 分 を 「移 動 用 壁 画 」(portable mural)と し て 再 現 し た 。 ク エ ル ナ バ カ の コ ル テ ス 宮,メ キ シ コ文 部 省 な ど に 制 作 さ れ た リベ ラ の 壁 画 の 部 分 が ニ ュ ー ヨ ー ク で も 見
ら れ た の で あ る 。 そ して1933年 に は ネ ル ソ ソ ・ロ ッ ク フ ェ ラ ー の 依 頼 に よ りRCAビ ル に 壁 画 を 描 い た 。 と こ ろ が,「 人 間,そ れ は 宇 宙 を 制 御 す る 者 」 と題 さ れ た 壁 画 に 描 か れ た レ ー ニ ン 像 が 依 頼 主 の 意 図 に そ ぐわ ず,1934年2月 に こ の 壁 画 は 破 壊 さ れ た7)。1933年 に は 労 働 者 の た め の 学 校 ニ ュ ー ・ワ ー カ ー ズ ・ス ク ー ル に 自 ら の 資 金 を 投 入 し て 人 類 史 を テ ー マ に 大 き な 壁 画 を 制 作 した8)0
ニ ュ ー ヨ ー ク の リベ ラ の 活 動 が 話 題 に な る こ とが 一 般 的 に は 多 い が,私 に と っ て 興 味 深 い の は 彼 の デ トロ イ トで の 活 動 で あ る 。 そ こ で メ キ シ コ 系 ア メ リ カ人 労 働 者 と の 交 流 が 生 ま れ る か ら で あ る。
リベ ラ は デ ト ロイ トに1932年4月 か ら ほ ぼ 一 年 間 滞 在 した 。 デ ト ロイ ト美 術 学 校 の
国立民族学博物館研究報告 23巻1号 館 長 ウ ィ リ ア ム ・バ レ ソ タ イ ナ ー が 中 庭 に 壁 画 の 制 作 を 依 頼 し た か ら で あ る 。 テ ー マ は 「デ ト ロイ トの 産 業 」 で あ り,フ ォ ー ド社 社 長 が 資 金 を 出 し た 。 そ こ で,リ ベ ラ は
ア メ リ カ の 資 本 主 義 を 描 き,こ の 壁 画 は 現 存 して い る 。
こ の 滞 在 期 間 に リベ ラ は デ ト ロイ トと そ の 周 辺 で 働 く メ キ シ コ系 労 働 者 の 生 活 に 接 し,本 国 帰 還 運 動Y 力 し た 。 しか し,テ キ サ ス 州 ヌ エ ボ ・ラ レ ド経 由 の 帰 還 の 旅 は 順 調 に 進 ま ず,本 国 で カ ル デ ナ ス 政 権 が と りつ け て く れ る は ず の 農 業 協 同 組 合 も 機 能 せ ず,そ の 他 の 雇 用 も実 現 せ ず,労 働 者 は ま た も ア メ リカ 合 衆 国 に 戻 ら ざ る を え な か っ た(Vargas 1993:178‑187)。 リベ ラ の 非 現 実 的 な 理 想 主 義 は 労 働 者 の 生 活 を 救 う こ と は で き な か っ た の で あ る 。
シ ケ イ ロ ス の ア メ リ カ 合 衆 国 滞 在 は1932年5‑11月 に ロサ ン ゼ ル ス,1936年2月 中 旬 か ら の ニ ュ ー ヨ ー ク(1937年 に は ス ペ イ ソ市 民 戦 争 に 参 加)と 必 ず し も 長 くは な い が,ジ ャ ク ソ ン ・ポ ロ ッ ク に 与 え た 影 響 は い う ま で も な く,メ キ シ コ系 ア メ リ カ 人 の 壁 画 制 作 に 多 大 の 貢 献 を した と い っ て よ い だ ろ う。 な ぜ シ ケ イ ロ ス は こ の 人hに 意 味 深 い 存 在 と な っ た の だ ろ うか 。 三 つ の 理 由 が 挙 げ ら れ よ う。
第 一 に,シ ヶ イ ロ ス は 政 治 的 に 過 激 派 で あ り,抵 抗 を 繰 り広 げ る チ カ ノ の 心 情 に 合 う作 家 で あ っ た と推 測 さ れ る 。 彼 が1932年5月 に ロ サ ソ ゼ ル ス に 来 た の は メ キ シ コか ら の 政 治 的 亡 命 者 と して で あ り,同 年11月 に ア ル ゼ ン チ ンへ 去 る の も彼 の 芸 術 の 政 治 的 表 現 の 激 し さ の 故 の 追 放 で あ っ た 。 そ し て,ア ル ゼ ン チ ソ の 次 に 滞 在 した ウ ル グ ア イ か ら も追 放 さ れ た 。 さ ら に,1937‑39年 に は ス ペ イ ン市 民 戦 争 に 参 戦 した 。 そ して, 1940年5月 に は メ キ シ コ ・シ テ ィ に て ト ロ ツ キ ー 襲 撃 に 加 わ っ た と さ れ る(中 原 1994:136)。 こ の よ うな 人 生 を 歩 む 人 の 作 品 は 政 治 的 信 条 を 表 現 す る た め の も の で あ
っ た 。
リベ ラ も あ る 時 期 ま で 共 産 党 員 で あ っ た が,シ ケ イ ロ ス は よ り硬 派 の 共 産 主 義 者 で あ っ た 。 彼 は リベ ラ の 絵 に 見 ら れ る 「典 型 的 メ キ シ コ 」 に 反 対 し,自 ら の 作 品 は 「メ キ シ コ 民 衆 の 現 実 の 苦 悩 」 を 表 現 す る 芸 術 で な く て は な ら な い,と 考 え た (Hurlburt 1989:204)。 「弁 証 的 に し て 破 壊 的 芸 術 」 こ そ 自 分 の 目 ざ す こ と で あ る と 考 え た(Hurlburt 1989:206)。 こ の 姿 勢 は1932年 に ロ サ ン ゼ ル ス で 制 作 さ れ た 三 つ の 作 品 に よ く表 現 さ れ て い る 。 、
第 一 作 は チiイ ナ ー ド美 術 学 校 の 彫 刻 用 中 庭 に 描 か れ た 「街 路 で の 労 働 者 の 集 会 」 で あ り,人 種 差 別 と 帝 国 主 義 へ の 批 判 が こ め ら れ て い た 。 子 供 を 腕 に 抱xた 黒 人 女 性 と子 供 を 抱 え た 白 人 女 性 が 組 合 運 動 家 の 話 に 耳 を 傾 け る シ ー ソ が 描 か れ て お り,人 種 を 異Y'す る 人 々 が 互 い に ゆ っ た り と近 接 し て 立 っ て い た 。これ が 関 係 者 の 怒 りを 買 い,
黒田 チカノ壁画か ら美術館のための 「移動用壁画」へ
壁 画 の 注 文 を し た ネ ル バ ー ト ・ チ ュ イ ナ ー ド は こ の 壁 画 を す ぐ さ ま 消 去 し た (Benavidez and Vozoff 1984:46;Goldman 1982;Stein 1994:76‑79)o
第 二 作 は 「ト ロ ピ カ ル ・ア メ リ カ 」 と 題 さ れ,ロ サ ソ ゼ ル ス の メ キ シ カ ソ ・タ ウ ソ の オ ル ベ ラ街 の 画 廊 所 有 者 の 依 頼 で 描 か れ た 。 こ れ は 屋 外 の セ メ ン ト地 に フ レ ス コ画 法 で 制 作 され た 壁 画 で,十 字 架 に は りつ け ら れ た 先 住 民 が 描 か れ,頭 上 に ア メ リカ 合 衆 国 の 鷲 が 付 い て い た 。 ラ テ ソ ア メ リ カ に お け る ア メ リ カ 帝 国 主 義 の 存 在 を 表 現 した も の で あ り,コ ミsニ ス ト的 と批 判 さ れ,鷲 の 画 像 は す ぐ さ ま ロ サ ン ゼ ル ス 市 の 権 限 に よ り 消 去 さ れ た(Benavidez and Vozoff 1984:46;Goldman 1984a;Hurlburt l989:209‑213)。 こ の 壁 画 そ の も の は 近 年 ま で 存 在 し て い た ら し い が,1997年lo月 に
こ の 場 所 を 訪 れ る と,壁 画 全 体 が ベ ニ ヤ 板 に 被 わ れ,何 も 見 え な か っ た 。
第 三 作 は サ ン タ ・モ ニ カ の 映 画 監 督 ダ ッ ド リ ー ・マ ー フ ィ ー(S.M.エ イ ゼ ン シ ュ タ イ ン の 友 人)の 私 宅 に 描 か れ た 「今 日の メ キ シ コの 姿 」 で,ブ オ ソ ・ フ レス コ(真 性 フ レ ス コ)9)で あ っ た 。 プ ル タ ル コ ・エ リ ア ス ・カ リ ェ ス 政 権 時 代(1924‑1930) の メ キ シ コ が 描 か れ,大 統 領 の 姿 が お 金 を 入 れ た 袋 の 前 に 置 か れ,ア メ リカ 合 衆 国 の 利 権 を 代 表 す る 駐 墨 米 大 使 ド ワ イ ト ・モmの 姿 も 描 か れ て い た 。 こ の 作 品 は 個 人 所 蔵 の 屋 内 壁 画 の た め か,今 日 で も 現 存 し て い る と い う こ と で あ る(Hurlburt 1989:
213‑215)0
さ て,シ ケ イ ロ ス が メ キ シ コ系 ア メ リ カ 人 の 役 に 立 っ た 第 二 の 理 由 は グ ル ー プ制 作 の 強 調 に あ っ た と 思 わ れ る。 壁 画 の 制 作 に は ど の 作 家 で も 助 手 を 必 要 と し,オ ロ ス コ も リベ ラ も セ ミ ・プ ロ の 助 手 を 使 っ て 集 団 で 仕 事 を こ な した 。 しか し,シ ケ イ ロ ス の 場 合,も っ と枠 を 広 げ て,学 生 か ら素 人 に 至 る ま で も 組 み こ ん で 制 作 し て い っ た 。 と に か く教 育 へ の 意 欲 が 盛 ん な の で あ る 。 ロサ ソ ゼ ル ス に 来 た の も チ ュ イ ナ ー ド美 術 学 校 で 教 え る た め で あ り,こ こ の 学 生 と 一 緒 に 既 述 の 第 一 作 を 制 作 し て い る
(Hurlburt l 989:206)。 こ の 学 生 た ち が ど の よ うな 人 々 で あ っ た の か は 不 明 で あ る が, シ ケ イ ロス の 教 育 上 の 貢 献 は 滞 米 生 活 の 始 ま りか ら認 め ら れ る の で あ っ た 。 ま た,後 年,彼 が メ キ シ コ の ク エ ル ナ バ カ に 工 房(La Tallera)を 持 っ た 時 に は,チ カ ノ 壁 画 家 の ジ ュ デ ィ ス ・バ カ が こ こ で 学 ん だ(Goldman 1993:25)。 こ の 年 代 は1977年 で (Rickey 1984:88),工 房 に は 大 型 電 機 昇 降 機 ま で 備 え 付 け て あ り,大 壁 画 の 制 作 に 適 し た 所 だ っ た の で(Stein 1994:316),後 に ロサ ソ ゼ ル ス で 大 壁 画 を 手 が け る バ カ は 学 ぶ と こ ろ が 多 か っ た に 違 い な い 。 バ カ と並 ん で 著 名 な チ カ ノ 壁 画 家 の ラ イ ・パ ト
ラ ソ も シ ケ イ ロ ス の 下 で 学 ん だ 。 シ カ ゴ,次 い で サ ン ・フ ラ ン シ ス コ で 活 躍 す る パ ト ラ ソは1966年 に メ キ シ コ で シ ケ イ ロ ス の フ レ ス コ画 制 作 に 参 加 し,以 降,彼 の 壁 画 に
国立民族学博物館研究報告 23巻1号 は シ ケ イ ロ ス の 画 風 が 色 濃 く 出 て き た の で あ っ た(Barnett 1984:89‑91)。
シ ケ イ ロ ス が メ キ シ コ 系 ア メ リ カ 人 に 限 らず ア メ リ カ 美 術 界 に 与xた 影 響 の 大 き さ の 第 三 の 理 由 と して 彼 の 技 術 面 で の 貢 献 が あ る 。 早 く も1922年 頃,メ キ シ コ で 彼 は 技 法 の 改 革 を 試 み て い る 。 エ ネ キ ソ(竜 舌 蘭 繊 維)製 の 布 の キ ャ ソパ ス に 土 地 の 松 や に,
コ パ ル(樹 脂),油 を 混 ぜ た 顔 料 を 塗 り,絵 の 効 果 を 高 め よ う と し た(Huriburt 1989:204)。 こ の よ う な 試 み は1930年 代 に ロ サ ソ ゼ ル ス で 制 作 を 始 め る と,さ ら に 度 重 な っ て い っ た 。 こ こ で は 外 気 と 太 陽 と雨 に さ ら さ れ る 外 壁,し か も セ メ ソ トの 上 に 描 く こ とが 多 く な り,室 内 や 廊 下 や 中 庭 用 の 壁 画 に 適 して い た フ レス コ画 法 が 向 か な
く な っ た か ら で あ っ た(Hurlburt l989:206)。
シ ケ イ ロ ス が ロサ ン ゼ ル ス で 最 初 の 壁 画 「街 路 で の 労 働 者 の 集 会 」 を 描 い た 時,耐 水 性 セ メ ソ ト,ス プ レイ ・ガ ン(早 く絵 の 具 を 塗 る た め),ス テ ソ シ ル(形 付 板),下 絵 の ス ケ ッチ 代 りの 写 真(中 原1994:42に よ れ ば,エ イ ゼ ン シ ュ タ イ ン か ら の 影 響 だ と さ れ る)を 使 い 始 め た 。1933年 に 滞 在 した 南 米 で は,自 動 車 用 デ ュ コ塗 料(ニ ト
ロ セ ル ロ ー ズ 顔 料),さ ら に 写 真 に も カ メ ラ と シ ネ マ 用 カ メ ラ の 両 方 を 使 い,全 体 構 想 の し っ か り し た 動 的 な 壁 画 を 制 作 し よ う と した 。 そ し て,1936年4月 に ニ ュ ー ヨ ー ク の ユ ニ オ ソ ・ス ク ウ ェ ア 近 く で 工 房 を 開 い た 時,さ ら に 実 験 を く り返 した 。 合 成 樹 脂 絵 の 具,ラ ッ カ ー も導 入 され,エ ア ・ブ ラ ッ シ 技 法,ド リ ッ ピ ソ グ 方 式 が 始 め ら れ た(Hurlburt 1989:207,218‑219,221‑225;中 原1994:50,56‑58に も詳 し い)。 こ の 技 法 に 影 響 さ れ た の が ジ ャ ク ソ ン ・ポ ロ ッ ク で(講 談 社1994:ジ ャ ク ソ ン ・ポ ロ ッ ク 年 譜),1936年24歳 の 時,シ ケ イ ロ ス の 工 房 に 出 入 り し て い た の で あ っ た 。 ポ ロ ッ ク は1947‑50年 頃,ア ク シ ョ ン ・ペ イ ン テ ィ ン グ を 始 め,ナ バ ホ の 砂 絵 か ら の 着 想 だ と さ れ て い る が(石 崎1980:126,X28),技 法 的 に は シ ケ イ ロ ス か ら 学 ん だ こ と が 役 立 っ た の で あ る 。 そ し て,ポ ロ ッ ク と は 別 に,シ ケ イ ロ ス の 技 法 を 受 け 継 い で 壁 画 を 大 量 に 制 作 し た の は,後 述 す る1960‑70年 代 の メ キ シ コ 系 ア メ リ カ 人 た ち で あ っ た
(Cockcroft 1988:189),
オ ロ ス コ,リ ベ ラ,シ ケ イ ロ ス の 作 品 に 代 表 され る メ キ シ コ の 壁 画 が ア メ リカ 合 衆 国 に 影 響 力 を 発 揮 し た の は1930年 代 の こ と で あ っ た 。 こ の 時 期 に は 二s一 デ ィ ー ル 政 策 に 支 援 さ れ 公 共 壁 画 が2500以 上(メ キ シ コ 系 の 人hに よ る も の とは 限 ら な い)全 国 で 制 作 さ れ た(Cockcroft and Barnet‑Sanchez l993:7)。 しか し第 二 次 世 界 大 戦 が 始 ま る と壁 画 熱 は 冷 え こみ,大 戦 後 の40‑50年 代 に は 壁 画 は 時 代 の 好 み で は な く な っ た 。 そ れ が 復 活 す る の は1960年 代 に メ キ シ コ 系 ア メ リ カ人 の 政 治 的 抵 抗 が 始 ま っ た 時 で あ っ た 。
黒 田 チカノ壁画か ら美術館のための 「移動用壁 画」 へ
2.チ カ ノ壁 画 運 動(1960‑70年 代)と そ の 継 承
1960年 代 に 公 民 権 運 動 が 全 国 的 に 高 ま っ た 頃,メ キ シ コ系 の 人hも 各 地 で 立 ち 上 が り地 方 ご と に 復 権 運 動 を く り広 げ た(黒 田1989;1998)。 そ し て,こ の 復 権 運 動 を 視 覚 的 に 表 現 す る も の と し て 壁 画 が 各 地 で 描 か れ た 。 政 治 的 に 目 覚 め た メ キ シ コ系 ア メ
リ カ 人 は チ カ ノ(メ キ シ カ ンか ら 由 来 し た と さ れ る)と 呼 ば れ,1960‑70年 代 に 彼 ら が 創 造 した 壁 画 は チ カ ノ壁 画 と称 され,激 し く高 揚 した 時 代 精 神 を 表 現 し て い た 。 チ カ ノ 壁 画 の 表 現 上 の 躍 動 感 と社 会 へ 投 げ か け た メ ッ セ ー ジ は 一 定 の ス タ イ ル を 持 っ て お り,こ れ は1980‑90年 代 に も 一 部 は 引 き 継 が れ て い る。 これ ら の チ カ ノ 壁 画 に つ い て の 資 料(文 献 リス ト参 照)を 検 討 し,地 域 ご と に 素 描 し,私 が 気 づ い た 幾 つ か の 傾 向 性 を 記 して い こ う。
1960年 代 に 描 か れ た 初 期 の 壁 画 の 好 例 は ア ン ト ニ オ ・ベ ル ナ ー ル 作 の 「デ ル ・ レイ 壁 画 」(1968年,壁 画1)(SPARCス ラ イ ド1990:1)だ と さ れ て い る 。 デ ル ・ レイ と は カ リ フ ォル ニ ア 北 部 に あ る 小 さ な 町 で,劇 作 家 の ル イ ス ・バ ル デ ス の 創 作 活 動 の 拠 点 と な っ た と こ ろ で あ る 。 バ ル デ ス は セ サ ー ル ・チ ャ ー ベ ス10)率 い る 農 場 労 働 組 合 運 動 に 協 力 し て 農 民 劇 場 を 始 め,組 合 活 動 の 拠 点 デ ラ ー ノ で 実 演 し て い た が,創 作
壁 画1 ア ン ト ニ オ ・ベ ル ナ ー ル,「 デ ル ・ レイ 壁 画 」,1968,カ リ フ ォ ル ニ ア 州 デ ル ・ レ イ 農 民 劇 場 文 化 セ ン タ ー(◎SPARC)
国立民族学博物館研究報告 23巻1号
に 専 念 す る た め に デ ル ・ レ イ へ 拠 点 を 移 し た の で あ っ た 。 そ こ に 農 民 劇 場 文 化 セ ン タ ー が 建 て ら れ,そ の 質 素 な 木 造 の 建 物 の 扉 の 横 の 壁 面 に 描 か れ た の が デ ル ・レ イ 壁 画 で あ る 。 扉 の 方 に 顔 を 向 け て 一 連 の 男 女 の 立 像 が 描 か れ て お り,ま る で ボ ナ ン パ ッ
ク の 楽 師 の 壁 画 の よ うな 雰 囲 気 を か も し 出 し て い る 。 先 頭 の 女 性 は メ キ シ コ革 命 期 の 女 性 兵 士 ア デ リー タ,次 い で,パ ン チ ョ ・ ビ リ ャ,エ ミ リア ー ノ ・サ パ タ,ホ ア キ ン ・
ム リエ ッ タ(カ リ フ ォ ル ニ ア の ゴ ー ル ドラ ッ シ ュ 期 の メ キ シ コ系 の 反 乱 指 導 者),統 一 農 場 労 働 組 合(UFW)の 旗 を か か げ た セ サ ー ル ・チ ャ ー ベ ス,グ ア ダ ル ー ペ ・イ
ダ ル ゴ 条 約 を 両 手 に 持 っ た 土 地 返 還 運 動 の 指 導 者 ラ イ エ ス ・テ ィ ヘ リナ,銃 を 持 っ た マ ル コ ム ・X,そ し て 最 後 に マ ー テ ィ ン ・ル ー サ ー ・キ ン グ が 立 っ て い る 。 壁 画 の 場 所 が 記 念 す べ き 建 物 で あ る こ と に 加xて,極 め て 素 朴 な 筆 致 が 見 る 者 に 忘 れ が た い 印 象 を 与xた に 違 い な い 。
次 に ロ サ ン ゼ ル ス に 移 る 。 こ こ で は チ カ ノ 壁 画 の 流 行 以 前 か ら壁 画 は メ キ シ コ系 住 民 の 間 に 定 着 し て い た 。 バ ー,レ ス ト ラ ソ,酒 店 の 壁 に フ レス コ 画 を 描 く こ と が ご く 普 通 の 慣 習 で あ っ た(Gonzalez 1982:155)。 そ こ へ1960‑70年 代 に チ カ ノ 壁 画 の 全 盛 時 代 が 訪 れ,80年 代 に も 制 作 が 続 き,今 な お,そ の 活 動 が 見 られ る の が 同 市 の 特 徴 で あ る 。
同 市 で は 壁 画 制 作 の 大 プ ロ ジ ェ ク トが 次hと 進 行 した 。1974年,市 の プ ロ ジ ェ ク ト が 始 ま り,シ ケ イ ロ ス の 流 れ を くむ ジsデ ィ ス ・バ カ が 指 導 者 と な り,市 内 に250も の 作 品 が 描 か れ た 。 こ れ は チ カ ノ の も の と は 限 ら ず,ア ジ ア 系,アフリカン ・ア メ リ
カ ン(黒 人)の 作 品 を も 含 ん で の 数 で あ る(Goldman 1993:13)。
1976年 か ら は 「ザ ・グ レー ト ・ウ ォ ー ル ・プ ロ ジ ェ ク ト」(大 き な 壁 プ ロ ジ ェ ク ト) が 始 ま っ た 。 こ れ は ダ ウ ン ・タ ウ ソか ら見 て 北 西 に 位 置 す る サ ン ・フ ェ ル ナ ン ド ・バ レ ー の テ ィ フ ソ ガ 排 水 用 堀 割 の 氾 濫 制 御 水 路 に カ リ フ ォル ニ ア 州 の マ イ ノ リテ ィ の 歴 史 を 描 く と い う計 画 で あ っ た 。1976年 夏 に ス タ ー トし,ジ ュ デ ィ ス ・バ カ の 監 督 下, 80人 の 青 年,10人 の 芸 術 家,5人 の 歴 史 家 が 協 力 した 。 こ の プ ロ ジ ェ ク トは8年 も続 き,1983年 夏 に は1950年 代 の 歴 史 を 描 く に ま で 至 っ た 。 「大 き な 壁 」 の 長 さ は2,435フ
ィ ー ト(1フ ィ ー トは30.48cm)と な り,制 作Y'参 加 し た 青 年 の 数 は215人 に も な っ た 。 初 期 の プ ロ ジ ェ ク トに 同 市 の 犯 罪 司 法 省 が ス ポ ソ サ ー の 一 員 と な っ て い る こ と か ら 察 せ ら れ る よ う に,壁 画 制 作 は 非 行 青 年 の 救 済 を も 目 的 と し て い た の で あ る
(Goldman 1993:13‑14;SPARCパ ン フ レ ッ ト1983)。
「大 き な 壁 」 の 最 初 の 部 分 に は 考 古 学 時 代 や 先 住 民 を 描 い た 壁 画 が あ り,ネ イ テ ィ ヴ ・ア メ リ カ ン の 青 年 が 素 朴 な 絵 を 描 い た(SPARCパ ン フ レ ッ ト1983:5)。 しか し,
黒田 チ カノ壁画から美術館 のための 「移動用壁 画」へ
全 体 の 中 で 目 立 つ の は ジ ュ デ ィ ス ・バ カ の 画 で あ る 。 た と え ば,「 ズ ー ト ・ス ー ト暴 動 」(1981年)(ア メ リ カ海 兵 隊 の 暴 力 に 対 して メ キ シ コ 系 の 青 年 が 起 こ した 暴 動)の 中 で 描 か れ て い る,か が み こ ん だ 裸 の 青 年(Ybarra‑Frausto 1993:68の 図 版),「 ユ
ダ ヤ 人 亡 命 者 」(1981年),1950年 代 に 起 こ っ た ドジ ャ ー 野 球 場 建 設 の た め の メ キ シ コ 系 居 住 区 の 売 却 に 反 対 す る 女 た ち を 描 い た 「バ リオ の 分 割 と チ ャ ー ベ ス ・ ラ ビ ー ン地 域 」(1983年,壁 画2)(SPARCス ラ イ ド1990:14)に は 人 々 の 激 し い 表 情 と抵 抗 の 姿 勢 が 表 現 さ れ て い る 。
1988年 か ら は 「グ レ ー ト ・ウ ォ ー ル ズ ・ア ン リ ミ ッテ ィ ド」(限 りな き 大 き な 壁) プ ロ ジ ェ ク トが 始 ま り,ロ サ ソ ゼ ル ス の 各 民 族 居 住 区 に70以 上 の 壁 画 が 描 か れ た 。 こ の 一 例 と し て イ レ イ ナ ・ セ ル バ ソ テ ス の 「供 げ 物 」(1989年,SPARCス ラ イ ド 1990:20)が あ る 。画 の 中 心 に 統 一 農 場 労 働 組 合(UFW)の 創 立 に 寄 与 し た ド ロ レ ス ・ ウ ェ ル タ(セ サ ー ル ・チ ャ ー ベ ス の 友 人)が 描 か れ,中 央 ア メ リ カ の 女 性,エ ル ・サ ル バ ド ー ル の 亡 命 詩 人 の 詩,祭 壇 な ど が 加 え られ て い る 。 人 物 の 表 情 は 平 盤 に 描 か れ て い る の で,人 物 名 や 詩 の 内 容 を 知 っ て こ そ,絵 の メ ッ セ ー ジ が 読 み と れ る 。 こ の メ ッセ ー ジ を 感 じ とれ な い 人 に は,こ の 壁 画 が 周 囲 の 街 路 を 装 飾 す る た め の も の と 見 え る だ ろ う。 「供 げ 物 」 以 前 に 制 作 さ れ た ジ ョ ン ・バ ラ デ ス の 「ブmド ウ ェ イ 壁 画 (1981年,SPARCス ラ イ ド1990:15)は 衣 料 会 社 の 内 部 に 描 か れ た も の で,パ チ ュ ー
壁 画2 ジ ュ デ ィス ・バ カ,「 バ リオ の 分 割 と チ ャ ー ベ ス ・ラ ビ ー ン 地 域 」,1983,Rサ ソ ゼ ル ス 近 郊 サ ソ ・フ ェ ル ナ ソ ド ・バ レ ー の テ ィ フ ン ガ 排 水 用 掘 割(◎SPARC)
国立民族学博物館研 究報告 23巻1号 コ風(1940年 代 の メ キ シ コ系 ア メ リカ 人 の 若 者 の ス タ イ ル か ら 由 来 し た 言 葉 。 貧 し く と も そ れ な りに お し ゃれ を した ス タ イ ル)の 女 性 と 黒 人 が 描 か れ て い る 。 街 の 情 景 を 描 い た も の で,政 治 的 メ ッセ ー ジ は 感 じ ら れ な い 。 同 様 の こ と は フ ラ ン ク ・ ロ メ ロ の
「オ リ ン ピ ッ ク へ 行 く」(1984年,SPARCス ラ イ ド1990:18)に も 感 じ られ る 。 ハ イ ウ ェイ の 壁 画 に 描 か れ た も の で あ ろ うが,ナ リ ソ ピ ッ クへ の 人 々 の 期 待 を 担 っ て 車 が 走 っ て い る 情 景 が 描 か れ て お り,セ メ ン トの 壁 の 飾 りに な っ て い る 。 元 来,壁 画 を 描 く 目的 に は 街 路 や 町 の 装 飾 と い う こ とが あ っ た の で あ り,こ の 種 の 壁 画 も 生 き 続 け て き た と い え る だ ろ う。
ロサ ン ゼ ル ス の 壁 画 を 紹 介 し て き た が,1970年 代 の 好 例 を 出 し か ね て き た 。 資 料 に 適 当 な も の が な か っ た か ら で あ る 。 しか し,同 市 の 中 で も メ キ シ コ系 人 口 の 集 中 す る 地 域 と して 知 ら れ る イ ー ス ト ・ロサ ン ゼ ル ス と な れ ば,こ の 期 の 社 会 情 況 を 表 現 した 壁 画 は 多 い 。
イ ー ス ト ・ロ サ ン ゼ ル ス に 描 か れ た 最 初 の 壁 画 は1970年 に4人 の 作 家 に よ り制 作 さ れ,こ れ 以 降,連 邦 政 府 や 市 の 資 金 援 助 に よ り次hと 制 作 さ れ,近 隣 居 住 区(バ リオ) の 青 年 が 参 加 した(Kahn 1975:117)。 ウ ィ リ ー ・ヘ ロ ソ と グ ロ ソ クの 「黒 と 白 の 禁 止 令 壁 画 」(1973年,壁 画3)(SPARCス ラ イ ド1990:3)は 連 邦 資 金 に よ る エ ス ト ラ ー ダ ・コ ー ツ住 居 プ ロ ジ ェ ク トのmと して 描 か れ た90枚 の 壁 画 の 一 つ で あ る 。 べ
壁 画3 ウ ィ リ ー ・ヘ ロ ソ と グ ロ ン ク,「 黒 と 白 の 禁 止 令 壁 画 」,1973,イ ー ス ト ・ ロサ ン ゼ ル ス (OSPARC)
黒 田 チカ ノ壁 画から美術館のための 「移動用壁画」へ
トナ ム 戦 争 時 の 反 戦 デ モ,警 官 の 暴 力,ロ サ ンゼ ル ス ・タ イ ム ズ の チ カ ノ ・ レ ポ ー タ ー で あ った ル ー ベ ソ ・サ ラ サ ー ル の 死 な ど を 描 い て い る(Benavfdez and Vozoff 1984:
48)。 黒 白 の モ ン タ ー ジ ュ で,ニ ュ ー ス の 一 コ マ ー コ マ を 次 々 と 見 て い る よ う な 効 果 が あ る 。 こ の 作 者 は 常 に 新 し い 試 み を 実 行 す る 人 た ち で あ り,次 章 で 詳 し く紹 介 した い と思 う。
同 じエ ス トラ ー ダ ・コ ー ツ住 民 プ ロ ジ ェ ク トに よ り描 か れ た マ リオ ・ ト レ ス と そ の 仲 間 の 共 同 作 品 「私 た ち は マ イ ノ リ テ ィ で は な い 」(1978年,SPARCス ラ イ ド 1990:4)は ポ ス タ ー の よ う な 作 品 で,チ ェ ・ゲ バ ラ の 顔 が 語 りか け る よ う な 表 情 で 描 か れ て い る 。
カ ル ロス ・ア ル マ ラ ス が バ リオ の 青 年 の 協 力 を 得 て 描 い た 「ガ ー リ ョ農 場 の ワ イ ソ を 買 わ な い で 」(1974年,壁 画4)は,当 時 セ サ ー ル ・チ ャ ー ベ ス が 率 い た ぶ ど う ・ ス トラ イ キ を 支 援 す る 図 柄 で,こ ぶ しを 振 り上 げ て 叫 ぶ 女 性,鎖 に つ な が れ た 労 働 者, 警 官,骸 骨 な ど が 描 か れ て い る 。
メ キ シ コ 国 境 に 近 い サ ソ ・デ ィ エ ゴ で は ロ ー ガ ソ居 住 区 が ハ イ ウ ェ イ ・パ ト ロ ー ル の 駐 車 場 に な る 計 画 が 進 ん だ が,メ キ シ コ系 住 民 の 反 対 運 動 が 効 を 奏 し,チ カ ノ公 園 と して 使 わ れ る こ と に な り,こ こ に 多 く の 壁 画 が 描 か れ た 。 こ の 頃,サ ク ラ メ ン トか ら 来 た ロイ ヤ ル ・チ カ ノ ・エ ア ー ・ フ ォ ー ス と 名 付 け ら れ た 青 年 の グ ル ー プ と ホ セ ・
壁 画4 カ ル ロ ス ・ア ル マ ラ ス と青 年 た ち,「 ガ ー リ ョ農 場 の ワ イ ソ を 買 わ な い で 」,1974,イ ー ス ト ・ロ サ ソ ゼ ル ス(◎SPARC)
国立 民族学博物館研究報告 23巻1号 モ ソ トヤ が 壁 画 制 作 に 活 躍 した 。 た と え ぽ,モ ソ トヤ と こ の グ ル ー プ は 上 記 の 公 園 を 通 る ハ イ ウ ェ イ の 支 柱 に 「農 場 労 働 者 の 家 族 」(1975年,SPARCス ラ イ ド1990:2)
を 描 い た 。 こ の 作 品 は セ メ ソ トむ き 出 し の 支 柱 を 絵 で 飾 る と 同 時 に メ ッ セ ー ジ を 発 し て い る。 ソ ソ ブ レ ロを 被 っ た 農 場 労 働 者 が 十 字 架 上 の イ エ ス の よ うに 描 か れ,頭 上 に は 統 一農 場 労 働 者 組 合 の 旗 の シ ン ボ ル で あ る 黒 鷲 が 黒 々 と 塗 ら れ て い る。 労 働 者 の 下 部 に は 女 性 と児 童 が 立 っ て お り,子 ど も は 手 に 法 律 書 を 持 っ て い る 。 同 じ チ カ ノ の 公 園 に ビ ク トル ・オ チ ョ ア,ラ ウ ル ・ジ ャ ッケ ス と青 年 た ち が 「ヴ ァ リオ,シ ー,ヨ ソ ク ス,ノ ー 」(1978年)を 描 い て,ハ イ ウ ェ イ の 支 柱 を 装 飾 した(Barnett l984:384 ペ ー ジ の 右 カ ラ ー 図 版)。
サ ン ・デ ィ エ ゴ の バ ル ボ ア 公 園 に は チ カ ノ公 園 壁 画 プ ロ ジ ェ ク トに よ り多 く の 壁 画 が 制 作 さ れ た 。 ビ ク トル ・オ チ ョ ア の 「ジ ェ ロ ニ モ 」(1981年,SPARCス ラ イ ド 1990:13)は1970‑80年 代 の ネ イ テ ィ ヴ ・ア メ リ カ ン と チ カ ノ の 連 繋 を 象 徴 的 に 表 現 し た も の と さ れ て い る 。踊 る 男 女,銃 を 手 に した ジ ェ ロ ニ モ,骸 骨,女 性(ド ロ レ ス ・ ウ ェ ル タ か?)と 楽 隊 が 描 か れ て い る 。 最 も大 き な 姿 は ジ ェ ロ ニ モ で あ る 。1980年 代 末 に は,オ チ ョ ア は タ リ ェ ー ル ・デ ル ・ア ル テ ・フ ロ ン テ リ ソ(国 境 芸 術 工 房)を 開 き,サ ン ・デ ィエ ゴ と テ ィ ワナ の 芸 術 家 を 集 め 移 動 労 働 者 や 不 法 移 民 の テ ー マ を 描 こ う と した(SPARCス ラ イ ド1990:13の 解 説)。
次 に サ ソ ・フ ラ ン シ ス コで あ る が,こ の 都 市 は ロ サ ン ゼ ル ス よ り メ キ シ コ 色 が 少 な く,ラ テ ィ ノ ー 般 の 壁 画 活 動 の 中 に メ キ シ コ系 の も の が あ る,と 理 解 し た 方 が よか ろ う。 代 表 的 作 品 は マ ル テ ィ ・エ ス ニ ッ ク な 制 作 陣 に よ る も の で,マ ル テ ィ ・エ ス ニ ッ ク な テ ー マ を 描 い て い る 。
壁 画 は と くにミッション ・デ ィ ス ト リ ク トに 集 中 して い る 。 こ こ の 居 住 者 が ア イ リ ッ シ ュ 系 か ら ラ テ ソ系 に 移 りだ し た の は1930年 代 と さ れ,最 初 の 壁 画 は1973年 に ジ ェ ー ム ズ ・タ ウ ン ・セ ン タ ー に グ ル ー プ に よ り描 か れ た 。 テ ー マ は ヴ ェ トナ ム 戦 争 に よ る 人 間 破 壊,警 官 の 暴 力,ド ラ ッ グ の 弊 害,ラ テ ン起 源 と 青 年 へ の 祝 福 で あ っ た (Drescher l994:19)。 そ の 後,壁 画 は サ ン ・フ ラ ソ シ ス コ中 に 次 々 と制 作 さ れ た 。 こ れ ら を 収 録 した 文 献(Drescher l994)を 見 て,印 象 的 な 作 品 は 次 の よ うで あ る 。 1973‑75年 に 活 躍 し た ム ヘ レス ・ム ー ラ リ ス タ ス(女 性 壁 画 家)と 称 す る 三 人 の グ ル ー プ は 闘 う チ カ ノ の テ ー マ よ り も,よ り 自 由 で 人 間 的 な テ ー マ を 描 い た 。 「市 場 の た め に 」(1974年)で は 楽 し い ラ テ ン 世 界 の 市 場 を;「 ラ テ ィ ノ ア メ リ カ 」(1974年 SPARCス ラ イ ド1990:11)で は メ キ シ コ,ペ ル ー,ボ リ ビ ア,グ ア テ マ ラ,ベ ネ ズ
エ ラ の 家 族,儀 礼,収 穫 が,「 子 供 の た め の 幻 想 世 界 」(1975年)で は 人 間 と 自然 が 描
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か れ た 。 ち な み に,メ ソバ ー の バ ト リ シ ア ・ ロ ド リ ゲ ス は テ キ サ ス 生 ま れ の メ キ シ コ 系 で あ る が ペ ル ー と ボ リ ビ ア ま で も 描 き,グ ラ シ エ ラ ・カ リ ー リ ョは メ キ シ コ系 で あ っ た が グ ア テ マ ラ を 描 き,コ ン ス エ ロ ・ メ ソ デ ス は ベ ネ ズ エ ラ 人 で あ っ た (Cockcroft and Barnet‑Sfi.nchez eds 1993:69‑‑76;University Art Museum, Berkeley 1977:14‑19)o
同 じ く女 性 の 感 性 で 美 し く描 か れ た 作 品 は̀:1年 代 に も あ り,プ ア ナ ・ア リ シ ア の
「レ タ ス を 収 穫 す る 女 た ち 」(1983年,SPARCス ラ イ ド1990:16)が そ れ で あ る 。 元 気 に 働 く女 性 労 働 者 の 一 人 は 妊 娠 して お り,そ の 胎 児 が 透 け て 見 え る よ うに 描 か れ て い る の が 印 象 的 で あ る 。
女 性 壁 画 家 に 次 い で 注 目を 惹 くの は ラ イ ・パ トラ ソ で あ る 。 彼 は シ カ ゴか ら1970年 代 に 移 っ て き た 作 家 で,メ キ シ コ の サ ン ・カ ル ロ ス 国 立 美 術 学 校 で ア ー ノ ル ド ・ベ ル キ ン に 学 び11),既 述 の よ うに シ ケ イ ロ ス の 制 作 に も 参 加 した 経 歴 を 持 っ て い る 。 シ カ ゴ で は 後 述 す る よ う に 多 くの 壁 画 も 制 作 して い る が,多 面 的 才 能 を 持 っ た 人 ら し く, ワ ン ・パ タ ー ソ で は な い 仕 事 を 残 した 。 サ ン ・フ ラ ン シ ス コ で の 代 表 的 作 品 は 陶 芸 家 の メ キ シ コ系 と お ぼ し き 女 性 と二 人 の 非 チ カ ノ 作 家 と の 共 同 制 作 に よ る 三 次 元 的 壁 画
「統 一 の 歌 」(1978年,SPARCス ラ イ ド1990:12)で あ る 。 バ ー ク レ ー の ラ ・ペ ニ ャ文 化 セ ン タ ー(ラ テ ソ系 文 化 セ ソ タ ー)の 正 面 の 壁 面 全 体 を 被 う よ う に 描 か れ た も の で,チ リの ピ リ ノ チ ェ ッ ト政 権 時 代 に 殺 害 さ れ た 抵 抗 派 歌 手 の ビ ク トル ・バ ラや フ ォ ー ク ・ ミ ュ ー ジ ッ クを 奏 す る 南 米 の 人 々 が 描 か れ て い る 。 チ カ ノ で は な く ラ テ ソ ア メ リカ 全 般 に 関 わ る 政 治 的 テ ー マ が 中 心 に す え ら れ た の で あ る 。 あ ま りに も有 名 な こ の 壁 画 と は 別 に,ラ イ ・パ ト ラ ソ の 多 面 性 を 表 わ す 作 品 に,「 ブ イ ム ・タ イ ム/ノ ー
・タ イ ム」(1980年 ,Drescher 1994:カ ラ ー 図 版104)が あ る。 これ は カ リ フ ォル ニ ア 新 法 律 学 校 の 内 壁 に 制 作 さ れ た も の で,ジ ャ ガ ー な ど メ キ シ コ文 化 の 表 象 の 入 っ た 図 形 的 処 理 の 顕 著 な 壁 画 で あ る 。
次 に 中 西 部 に 目 を 転 じ て み よ う。 こ こ で メ キ シ コ 系 人 口 の 多 い の は シ カ ゴ で あ り, こ の 都 市 に は1930年 代 か ら ニ ュ ー デ ィ ー ル 時 代 の 壁 画 が 存 在 し た 。 制 作 者 に は シ カ ゴ 美 術 学 校 卒 業 生 や そ こ で 学 ん だ 人 が 多 か っ た よ う で あ る(The Mexican Fine Arts Center・Museum 1987a)0
1960年 代 の 最 初 の 壁 画 は 「メ タ フ ィ ジ ク ス(平 和)」(1968年)で マ リ オE.カ ス テ ィ ー リ ョ と高 校 生 が ピル ゼ ソ ・バ リオ(メ キ シ コ 系 人 口 の 集 中 し て 住 む 地 域 。 市 の 中 西 部 を 占 め る)内 の サ ウ ス ・ハ ル ス テ ッ ド街 に 制 作 し た 。 カ ス テ ィ ー リ ョに よ る と, 北 西 海 岸 イ ン デ ィ ア ソ の デ ザ イ ソ と 先 コ ロ ソ ブ ス 期 の モ テ ィ ー フ を 借 用 し た
国立 民族学博物館研究報告 23巻1号
(Barnett 1984:69)と さ れ る が,図 版 を 見 た だ け で は 理 解 しに くい 。 次 の 作 品 は 「兄 弟 愛 の 壁 」(1969年)と 称 さ れ,同 じ く カ ス テ ィ ー リ ョ と 高 校 生 に よ り18番 街 と ・・ル ス テ ッ ド街 の 交 差 点 に 描 か れ た(The Mexican Fine Arts Center・Museum 1987a:カ ラ ー 図 版 参 照)。 装 飾 模 様 の 中 心 に は 平 和 の シ ン ボ ル が 描 か れ,先 コ ロ ソ プ ス 期 の 神 殿 の 輪 郭 部 が 描 か れ て い る と解 説 さ れ て い る(Barnett 1984:70)。
1970年 代 に 入 る と,壁 画 制 作 が 増 え た 。シ カ ゴ 大 学 か ら見 て 西 方 に 広 が る ピ ル ゼ ソ ・ バ リ オ の べ ニ ト ・フ ア レ ス 高 校,サ パ タ 公 園,「 ア ス ト ラ ン の 家(文 化 会 館)」 に ラ イ ・ パ トラ ソ と バ リオ の 青 年 た ち が メ キ シ コ 系 ア メ リ カ人 の 歴 史 を テ ー マ と した も の や そ の 他 の 作 品 を 制 作 し た(Barnett 1984:90ペ ー ジ の 最 上 段 の 図 版)。 パ ト ラ ソ は ピ ル ゼ ン ・バ リオ で 育 ち,10歳 よ り毎 年 メ キ シ コ に 行 き,1966年 に は シ ケ イ ロ ス の フ レ ス コ 画 制 作 に 参 加 し て お り,彼 の 作 品 に は シ ケ イ ロス の 構 成,ダ イ ナ ミズ ム が 反 映 さ れ て い る(Barnett l984:89‑91)。 た だ し,こ の 印 象 はBarnett(1984)の 図 版 を 見 て の こ と で,こ の パ トラ ソ の 作 品 は マ ル コ ス ・ラ ヤ に 修 正 さ れ て し ま っ た り,火 災 で 消 失
し て し ま っ た(Sore111984:106)。
1974‑75年 に は シ カ ゴ大 学 の 南 に 位 置 す る ブ ル ー ・ア イ ラ ソ ド と カ ル メ ッ ト ・パ ー ク地 域 に ビ セ ン テ ・メ ン ドー サ,ホ セ ・ナ リオ,ラ イ ・パ トラ ン に よ り 「メ キ シ コ系 ア メ リ カ 人 の 歴 史 」 が 制 作 され た(Sorell l984)。 こ の 作 品 は, Sorellの 掲 せ た 図 版 か ら判 断 す る と,ロ サ ン ゼ ル ス の 「大 き な 壁 」 の よ うな 壁 画 で,メ キ シ コ 系 ア メ リカ 人 の 歴 史 の 重 要 な 時 点 の 情 景 が 描 か れ て い る 。
シ カ ゴ の 壁 画 に つ い て は 文 献 が 少 な く(Barnett l984;The Mexican Fine Arts Center・Museum 1987a;Sorell l 984),そ の 全 貌 を 私 は 把 握 し て い な い 。
次 に 南 西 部 に 目 を 転 じ,ニ ュ ー メ キ シ コ州 を 見 て い く。 同 州 に は ス ペ イ ン 系 ア メ リ カ 人 と称 す る 人 々 が 多 く,チ カ ノ 復 権 運 動 に も容 易Y'同 調 し な い 状 況 が あ っ た 。 そ の こ と も 一 因 と な っ た の か,こ こ に は 壁 画 の 数 も少 な く,チ カ ノ 壁 画 が 大 プ ロ ジ ェ ク ト に 乗 っ て 次 々 と描 か れ た わ け で も な い 。しか し な が ら,ア ル テ ス ・ グ ア ダ ル パ ー ノ ス ・ デ ・ア ス トラ ソ(ア ス ト ラ ソ の グ ア ダ ル ー ペ 芸 術)と 名 づ け られ た レ イ バ 兄 弟 と そ の
グ ル ー プ の 活 動 は 注 目 に 価 す る(以 下 の 紹 介 はGarduno l984に 依 拠)。
レイ バ 兄 弟 は サ ン タ ・フ ェ の バ リオ に 住 ん で い た が,ヘ ロ イ ン依 存 症 か ら抜 け 出 す た め に1971年 に 壁 画 を 描 き始 め た 。 州 や 市 や 二x一 メ キ シ コ博 物 館 の 資 金 援 助 を 得 て 制 作 を 続 け,1975年 ま で に17の 壁 画 を 完 成 した 。 画 廊 の 多 い サ ソ タ ・フ ェ市 を 支 配 し て い た ア ン グ ロ芸 術 家 と対 立 し た が,ネ イ テ ィ ヴ ・アメリカン の 協 力 を 得 な が ら描 い た 。 全 国 的 な チ カ ノ 壁 画 の 流 行 と は 離 れ て,別 個 に 活 動 し て い た 。 そ の 活 動 が 結 果 的
黒 田 チ カ ノ壁 画 か ら美 術 館 の ため の 「移 動 用 壁 画 」 へ
に は 全 米 に み ら れ た チ カ ノ 壁 画 活 動 の 一 翼 を 担 っ て い た の だ と 自 ら 気 が つ い た の は 後 日 の こ と で あ っ た,と グ ル ー プ の 一 員 が 語 っ て い る 。
ア ス トラ ソ の グ ア ダ ル ー ペ 芸 術 グ ル ー プ が 制 作 し た 壁 画 の 代 表 作 は サ ン タ ・フ ェの
・・イ ウ ェ イ の サ ン ・ フ ラ ソ シ ス コ通 りに あ っ た が(写 真1),後 ほ ど 消 さ れ た 。1976 年,同 州 で フ ィ ー ル ド ワ ー ク 中 の 私 が 撮 っ た 写 真 に よ る と,ア ス テ カ 時 代 に 支 配 者 に 牛 耳 ら れ た 民 衆 と 手 を た ず さ え た 現 代 の 労 働 者 が 立 ち 上 が っ て い る,と 思 え る よ うな
図 が 描 か れ て い る(Garduno l984:95の 図 版 も参 照 の こ と)。
1970年 代 に チ カ ノ 研 究 セ ソ タ ー の あ っ た ラ ス ・ベ ガ ス(ニ ュ ー メ キ シ コ州)の ハ イ ラ ン ド大 学 で は レ イ バ 兄 弟 の 制 作 は 拒 否 さ れ 学 生 に よ り壁 画 が 描 か れ た(Garduno 1984:96)。 大 学 の 建 物 の 外 壁 に 見 ら れ た 壁 画(写 真2)の 意 味 は よ く分 か ら な い が, 教 会,ピ ラ ミ ッ ド,支 配 者,黒 鷲 と と も に 民 衆 が 描 か れ て お り,圧 制 へ の 批 判 が 表 現
さ れ て い る の だ ろ う。 屋 内 の 壁 画(写 真3)に は 見 物 者 が 向 っ て 左 手 に は 統 一 農 場 労 働 組 合(UFW)の 旗 と 群 衆 が 描 か れ て お り,ス トラ イ キ の 様 子 を 表 わ し て い る の だ ろ う。 右 手 に は,ア メ リ カ合 衆 国 の 国 旗 が 炎 の 中 に 見 え,機 械 の 横 に は 苦 悩 して い る ら し き 人 の 顔 が 見 え る 。
サ ン タ ・フ ェ と ラ ス ・ベ ガ ス で は 上 記 の 三 点 しか 私 は 見 物 して い な い が,こ れ ら の 作 品 に は 共 通 点 が 認 め ら れ る。 政 治 的 メ ッ セ ー ジ,そ して 素 人 が 一 つ 一 つ 描 い た 迫 力
写 真1 1976年 撮 影,ニ ュ ー メ キ シ コ州 サ ン タ ・フ ェ, プ 作(現 存 せ ず)
ア ス ト ラ ソ の グ ア ダ ル ー ペ 芸 術 グ ル ー
国立民族学博 物館研 究報告 23巻1号
写 真2 1976年 撮 影,ニ ュ ー メ キ シ コ 州 ラ ス ・ベ ガ ス,ハ イ ラ ソ ド大 学
写 真3 1976年 撮 影,ニ ュ ー メ キ シ コ 州 ラ ス ・ベ ガ ス,ハ イ ラ ソ ド大 学
で あ る。 絵 が 動 い て い くよ うな 力 が こち ら に伝 わ って くる。 レイ バ 兄 弟 と仲 間 は コ ロ ラ ド州 デ ソバ ーを 訪 れ,チ カ ノ指 導 者 コー キ ー ・ゴ ソサ ー レス の創 った組 織 「正 義 の た め の 行 進 」 の 事 務 所 に行 き,こ の組 織 が 経 営 す る学 校 トラテ ロル コの芸 術工 房 に偶 然 なが ら壁 画 を 制 作 す る こ とに な った。 こ の経 験 に 触 発 され て,レ イ バ 兄弟 は 同 じ よ