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82118 川西南の「西番」における民族識別(1)

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(1)

川 西 南 の 「西 番 」 に お け る民 族 識 別(1)

一プ ミ語 集 団 の 場 合

松 岡 正 子

目 次

は じめ に

1、 「 西 番 」 と民 族 工 作 (1)西 康 の 「 西 番」 と民 族 工 作 (2)「西 番 」 とい う用 語

2.プ ミ族 に な った 雲 南 の プ ミ 〈 西 番>

3.チ ベ ッ ト族 にな った 川西 南 の プ ミ 〈西番 〉 (1)木 里県 に お け る1950年 代 の民 族 工 作 (2)川 西 南 〈 西 番〉 にお ける 民族 識 別 (3)民 族 幹 部 ・穆 文 富

お わ りに 参 考 文献

は じめ に

四 川 省 西 南 部(以 下,川 西 南 と記 す)に 居 住 す る チ ベ ッ ト族 は,か つ て

「 西 番 」 と総 称 され,チ ベ ッ ト自治 区 や 青 海,甘 粛 の チ ベ ッ ト族 とは 異 な る 言 語 や 文 化 を もつ 。彼 らは,古 代 の 中 国 西 北 周 縁 部 で 活 躍 した 遊 牧 民 「 莞 」 の末 喬 と も い わ れ,長 期 にお よぶ 移 動 と他 民 族 との 融 合 を 経 て 青 藏 高 原 東 端 の 峡 谷 地 帯 に定 住 し,現 在 も複 雑 な 言 語 系統 や 民 族 構 成 を形 成 して い る

〔 松 岡2000:239〜246〕 。

本 稿 は,川 西 南 「 西 番 」 が 人 民 共 和 国 下 の 民 族 識 別 で ど の よ うな 過 程 を 経 て チ ベ ッ ト族 と され た の か,中 央 の 人 民 政 府 側 と現 地 の 民 族 側 の 間 で ど の よ うな 協 議 が な され た の か を 明 らか に し,川 西 南 「 西 番 」 に と っ て の 民 族 識 別 の 意 味 を 考 察 す る も の で あ る 。

一113一

(2)

チ ベ ッ ト族 は,総 人 口5,416,021人(2001年),西 藏 自 治 区 を 中心 に 青 海 省 や 甘 粛 省,四 川 省,雲 南 省 に 分 布 す る 。 こ の うち チ ベ ッ ト族 総 人 口 の 約 4分 の1を 占 め る 四 川 省 の チ ベ ッ ト族 は,言 語 系 統 の違 い に よ っ て2つ に 大 別 され る 。 一 つ は,漢 ・チ ベ ッ ト語 族 チ ベ ッ ト ・ビ ル マ 語 系 の チ ベ ッ ト 語 群 に属 す るア ム ド語 や カ ム 語 を話 す 集 団 で,省 内 チ ベ ッ ト族 人 口 の 約85

%を 占 め る 。 い ま 一 つ は,同 じチ ベ ッ ト ・ビ ル マ 語 系 の チ ャ ン語 群 に 属 す る言 語 を 用 い る集 団 で,さ ら に11の 異 な る言 語 グ ル ー プ に わ か れ る(図 1)。 川 西 南 の 「 西 番 」 と は,11の うち の康 定 以 南 の集 団 をい う。

1 2

ア ム ド

カ ム 82118ア ール ゴ ン、'ヤ ハρ 4515 3 ギ ヤ ロ ン 12019 ミニヤ ック 15

4

白馬

12110 ナ ム イ 15

5 ク イリ ャン 7111 ン ン ン 2 6 ア ル ス ー ziiiz チ ュ is

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川西 南 の 「西番 」 にお ける 民族識 別(1)

西 番 とい う名 称 は,時 代 や だ れ が 用 い るか に よ っ て 含 ま れ る地 域 や 意 味 が 異 な る。 広 義 に は,明 清 時 代 以 降,中 国 西 部 に 居 住 した チ ベ ッ ト系 の 集 団 を 総 称 し,「番 」 と も記 され た 。 ま た 民 国期 の 西 康 の地 方 志 で は,番 は 康 番,藏 番,西 番 の3つ に 分 け て 区 別 され た 。 これ に 対 して 狭 義 に は,川 西 南 の チベ ッ ト族 に 限 定 さ れ(以 下 で は 〈 西 番 〉 と記 す),す で に 晋 代 『博 物 志 』 に 記 され て い る 〔 松 岡,2003:420〜421〕 。

「 西 番 」(西 康 の 「 番 」)の 民 族 識 別 に つ い て は,1960年 代 の 第1回 目 の 識 別 で 康 番 と藏 番 が チ ベ ッ ト族 と され た の に 対 して,〈 西 番 〉 は チ ベ ッ ト 族,西 番 族,プ ミ族 の3つ の 民 族 に分 け られ た 。 しか し1980年 代 の 第2 回 目の 識 別 で 西 番 族 は チ ベ ッ ト族 に統 合 され,西 番 とい う名称 は 公 式 の 民 族 名 称 か ら抹 消 され た 。

本 稿 で は,第1回 目 の民 族 識 別 工 作 で 「 西 番 」 集 団 が ど の よ うな 経 緯 を 経 て3つ の 民 族 に な った の か,第2回 目 に西 番 族 が 消 え た の は な ぜ か,中 央 政 府 側 の 意 図 や 住 民 の 意 識,特 に 両 者 の 間 に あ っ て 大 き な影 響 力 を もち, 媒 介 的 役 割 を 果 た した 民 族 幹 部 の 動 向 を 分 析 して,集 団や 個 人 に お け る民 族 識 別 の 意 味 に つ い て 考 察 す る 。

な お 西 番 に 関 して は,〈西 番 〉の な か で 最 多 の 人 口 を もつ プ ミ語 集 団 と現 在 も な お 西 番 族 を 名 乗 る こ とを 望 む 九 龍 県 の ナ ム イ 〈 西 番 〉 に 分 け,本 稿 で は 前 者 に つ い て 報 告 す る 。 本 稿 で 事 例 と した プ ミ語 集 団 は,四 川 省 涼 山 イ 族 自治 州 木 里 藏 族 自 治 県 のT村 と雲 南 省 怒 江 リス 族 自治 州 蘭 坪 ペ ー 族 リ ス 族 自 治 県Q村 で,2001年7月 と2001年3月 に 現 地 調 査 を 行 った 。 前 者 は プ ミ ・チ ベ ッ ト族,後 者 は プ ミ族 が 最 も集 中 す る居 住 地 の一 つ で,ほ ぼ 自民 族 だ け で 構 成 され,伝 統 的 な 文 化 が 比 較 的 よ く保 持 され た 地 域 と され て い る 〔 松 岡,2003:420〕 。

1.「 西 番 」 と 民 族 工 作

(1)西 康 の 「西 番 」 と 民 族 工 作

チ ベ ッ ト人 は,自 ら の 土 地 を 西 部 の ガ ー リ ー,中 央 チ ベ ッ ト(東 の ウ ー と 西 の ツ ァ ン),北 東 部 の ア ム ド,東 部 の カ ム に 分 け る 〔奥 山,1989:182〕 。 西 康 は,こ の カ ム(康)の 地 に あ た る 。1939年1月 か ら1955年9月 ま で

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こ の 地 に は 西 康 省 が 建 て られ て い た が,55年10月 に 金 沙 江 以 西 は チ ベ ッ ト自治 区 に,以 東 は 四 川 省 に 分 割 さ れ た 〔 四 川 省 編 輯 組1985:1〕 。 西 康 省 は,総 面 積 が 約15万 平 方 キ ロ メー トル,大 渡 川,雅 聾 江,金 沙 江,瀾 槍 江,怒 江 の5つ の 大 河 が 南 北 に 貫 流 し,平 均 海 抜 が3000メ ー トル を 越 え る峡 谷 地 帯 で あ る 。 こ の うち 四 川 側 の 西 康 特 区14県 は,歴 史 的 に,こ れ ら の 大 河 に沿 って 複 数 の 集 団 が 移 動 と興 亡 を 繰 り返 した 地 域 で あ り,費 孝 通 は この 地 の 民 族 構 成 と言 語 の複 雑 さ を指 摘 して 「 民 族 走 廊 地 区 」 と名 づ け た 〔 費,1995:342〜345〕 。

西 康 の 民 族 に つ い て は,主 要 な 「 種 族 」 と して 漢 族 とチ ベ ッ ト系 の 「 番 」 が お り,清 代 以 来,「 番 」 の 下 位 は 「 藏 番 」,「康 番 」,「西 番 」 の3つ に 区 別

され た 。藏 番 は 現 在 の西 蔵 チ ベ ッ ト族,康 番(康 藏)は 現 在 の カ ム ・ チ ベ ッ ト族,「 西 番 」 は 土 司 お よ び 土 民 を さす 。 「 西 番 」 の 名 称 は,松 藩 鎮(現 在 の 阿鰯 州 松 藩 県)の 土 司(『 清 史 稿 』 巻525,巻513)や 同 地 の ア ム ドや カ ム ・チ ベ ッ ト族(乾 隆 『西 番 訳 語 』)に も用 い られ て お り,川 西 南 の 〈 西 番 〉 よ り広 範 で あ る。 〈 西 番 〉 につ い て は,甘 洛,漢 源 県 の土 司 の 項 にみ え (嘉慶 『 四 川 通 志 』 巻91),土 民 や 番 民 と して 登 場 す る 。 例 え ば 愁 功 県(現 在 の 四 川 省 阿煽 州 の 金 川 県,小 金 県)に は,漢,回,藏 の3民 族 以 外 に 「 番 民 」 と呼 ば れ る集 団 が お り,漢 回 藏 に 同 化 され て い て す で に 種 の 名 称 は な い,と あ る 〔 邊 政 設 定 委 員 会 編,1940:3〕 。 た だ し土 民 の 類 の 語 は 民 国 時 代 に 非 漢 族 と して 公 式 に認 め られ た 満,回,蒙 古,藏 に 含 ま れ な い 集 団 名 称 で あ る た め,記 述 は あ ま り多 くな い うえ に カ テ ゴ リー も曖 昧 で あ る 。 しか し西 康 の な か で 九 龍 県 は,か つ て も現 在 も特 殊 で あ る 。 民 国 の 「 西 康 特 区 十 四 県 最 近 調 査 表 」 に は,14県 の 「 種 族 」 の 記 述 の 中 で 唯 一 西 番 族 の 存 在 が 明 記 され て い る。 そ れ に よれ ば,九 龍 県 の種 族 は 番,漢,裸,苗, 西 番 の 五 族 か らな り,漢 民 は 全 人 口 の5分 の3,番 民 と1民 は5分 の2を 占 め,苗 民 と西 番 は わ ず か で あ る 。 この うち 番 と西 番 の 違 い は,言 語 と衣 服 に顕 著 で あ る 。 と もに ラマ 教 を 信 じ,火 葬 を 行 うが,言 語 が 異 な り,西 番 は,日 常 の 服 装 が 男 性,女 性 と もに 漢 族 に近 い,と あ る 〔 邊 政,1930:

100〜102〕 。 九 龍 県 の 〈 西 番 〉 は,自 称 を ナ ム イ とい い,〈 西 番 〉 の 中 で

も 自民 族 意 識 が 最 も強 い 集 団 で あ る 。彼 ら は,1980年 代 に 識 別 調 査 が 再 開

され る ま で 西 番 族 を な の って お り 〔 伍 甲,1985:56〕,Z村 の ナ ム イ は,チ

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川西 南 の 「 西 番」 にお ける民 族識 別(1)

ベ ッ ト族 と され た 現 在 も西 番 族 で あ る こ と を主 張 して い る 。 彼 らは 西 番 の 語 を 蔑称 で は な く,自 集 団 を象 徴 す る 名称 と して 意 識 して い る(ll。

現 在,西 康 の 「 西 番 」諸 集 団 は,下 位 集 団 の 分 類 に つ い て 諸 説 が あ るが, チ ベ ッ ト族,チ ャ ン族,プ ミ族 の3つ の 民 族 か ら構 成 され,さ らに チ ベ ッ

ト族 は ア ム ド,カ ム,ギ ャ ロ ン な ど13の 下 位 集 団 に 分 け られ て い る(図 1)く2》 。

で は,人 民 共 和 国 下 で は 西 康 の 「 西 番 」 に 対 して どの よ うな 民 族 工 作 お よび 民 族 識 別 工 作 が 進 め られ て き た の だ ろ うか 。 中 国 に お け る 民 族 政 策 は,① 民 族 間 の 政 治 的,経 済 的 平 等,② 民 族 区 域 自 治 政 策,③ 民 族 ・ 宗 教 リー ダ ー との 統 一 戦 線 の3つ を 基 本 原 則 とす る 。 民 族 識 別 工 作 は,こ の 民 族 政 策 の 基 礎 とな る 作 業 で あ り,国 家 は,民 族 を 認 定 し,各 民 族 の 発 言 権 の 保 証 を 目的 と した 各 級 の 人 民 代 表 の 定 員 を わ りあ て た(3)。 識 別 の 基 準 は, 共 通 の 居 住 地 域,経 済 生 活,言 語,民 族 の 意 識 と感 情 に 加 え て,民 族 名 称 や 民 族 の 来 源,歴 史 上 の 周 辺 民 族 との 関 係 な どが 考 慮 され た 。 ま た 族 称 は 自民 族 に 決 定 権 が あ る とす る 「 名 従 主 人 」の 原 則 に 基 づ い て,大 衆 と 「 愛 国 上 層 人 士 」 の 意 見 が 尊 重 され た 〔 黄 光 学 等,2005:81〜103,284〕 。

西 康 の 「 西 番 」 にお け る民 族 工 作 は,康 定 を境 と して 以 北 の カ ム,ア ム ドお よび ギ ャ ロ ン ・チ ベ ッ ト族 な ど の 集 団 と以 南 の 川 西 南 〈 西 番 〉 諸 集 団 とで は 特 徴 が 異 な る た め,違 っ た 過 程 で 進 め られ た 。両 者 の 大 き な 違 い は, チ ベ ッ ト仏 教 へ の 帰 依 の 深 さ に あ る。 前 者 は,チ ベ ッ ト仏 教 が 住 民 の 精 神 的 支柱 と して 日常 生 活 や 行 動 規 範 に 深 く浸 透 して お り,ラ マ 僧 は 冠 婚 葬 祭 に不 可 欠 で,寺 院 へ の 寄 進 や 男 子 の 出 家 も少 な くな い 。 そ の た め60年 代 の 民 族 識 別 調 査 時 に は 自己 申告 に よ って 自 らを チ ベ ッ ト族 で あ る と申 請 し て 認 め られ た 〔 松 岡,2000:239〜246〕 。 これ に対 して 後 者 は,民 族 や 言

(1)九 龍 県 の ナ ム イ 〈 西 番 〉 に つ い て は,2004年9,11月 の 四 川 省 甘 孜 藏 自治 州 九 龍 県Z村 に お け る調 査 に 基 づ い て 本 稿 第2部 で 述 べ る。 〈 西 番 族 〉 を 名 乗 る 集 団 は,九 龍 県 科 邦 村 や 木 里 県 水 洛 郷 に も現 存 して い る こ と を2001年3,4月 の 筆 者 の 現 地 調 査 に 基 づ く事 例 で 報 告 して い る

〔 松 岡,2005:175〜205〕 。

(2)「 西 番 」 諸集 団 の 歴 史 や 分 類 に っ い て は 〔 松 岡,2005:176〜180〕,言 語 分 布 につ い て は 池 田 巧(2002)「 西 南 中 国 〈 川 西 民 族 走 廊 〉 地 域 の 言 語 分 布 」 『 消 滅 の機 器 に 瀕 した 言 語 の研 究 の 現 状 と課 題 』(国 立 民 族 学 博 物 館 報 告39:46〜114頁)に 詳 し い。

(3)天 児 慧 等 編 著(1999)『 岩 波 現 代 中 国 事 典 』 参 照 。 民 族 政 策 は1200〜1201頁(毛 里 和 子), 民 族 識 別 工 作 は1199〜1200頁(横 山 廣 子)に よ る 。

一117一

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語 が 複 雑 で 統 一 的 な もの が な く,し か も 〈 西 番 〉 と して 藏 番 や 康 番 と区 別 され て きた た め にチ ベ ッ ト族 で あ る か 否 か,と い う点 か ら議 論 が 始 め られ た。

西 康 にお け る 識 別 工 作 は,上 記 の3つ の 基 本 原 則 に 基 づ い て 行 わ れ た 。 ま ず 第1の 民 族 平 等 政 策 に つ い て は,「 西 番 」 とい う名称 は 蔑 称 で あ り改 め な けれ ば な らな い と され た 。 これ は,差 別 的 な 民 族 呼 称 や 地 方 名 の 廃 止 を 目的 と した1951年 の 「 中 央 人 民 政 府 政 務 院 関 与 処 理 帯 有 岐 視 或 侮 辱 少 数 民 族 性 質 的 称 謂,地 名,碑1,°.一,,匠 聯 的 指 示 」 に よ る 。 改 定 後 の 名 称 は, 康 定 以 北 の 集 団 は チ ベ ッ ト族 と され た が,川 西 南 〈 西 番 〉 は 下 位 集 団 が 複 雑 で あ っ た た め統 一 的 な 名 称 を 確 定 す る こ とが で きず,暫 定 的 に ほ とん ど を チ ベ ッ ト族 と した 。

第3の 民 族 ・宗 教 リー ダ ー との統 一 戦 線 とは,民 族 を 代 表 す る 旧 来 の 上 層 部 を 「 愛 国 上 層 人 士」 と して 温 存 し,現 地 新 政 権 の トップ にす え て,解 放 後 も政 治 的,宗 教 的 に 大 き な 影 響 力 を も ち 続 けて い る 彼 ら に よ っ て 民 族 地 区 を 平 和 的 に 間 接 的 に 統 治 しよ う と した もの で あ る。 特 にチ ベ ッ ト仏 教 を深 く信 仰 す る 多 く の 「 西 番 」 に と って,仏 教 界 上 層 部 の 動 向 は 大 き な 意 味 を も って い た 。 よ っ て 民 族 工 作 に お い て 現 地 の 意 見 を 重 視 す る とは,実 は 民 族 上 層 部 の 意 見 を 聞 き,説 得 す る こ と で あ っ た 。 そ こ で 中央 政 府 は,

旧 上 層 部 の意 識 改 革 を は か るた め に 中央 か ら慰 問 団や 政 府 関係 者 を 派 遣 し て彼 らの 説 得 工 作 に あ た り,内 地 の 都 市 へ の 参 観 や 地 方 政 権 幹 部 へ の 登 用 を 進 め た 。ま た 中央 政 府 は,政 府 側 に つ い た 旧 上 層 部 に よ っ て 反 政 府 の 「 土 匪 」 の 壊 滅 を 進 め,同 時 に新 た な 民 族 幹 部 の 養 成,人 や 家 畜 に た い す る 医 療 と防 疫 の 提 供 の ほ か,食 糧 や 衣 料 の 無 償 配 布 な ど の貧 困 対 策 も実 施 した 。

民 族 識 別 工 作 の 具 体 的 な 過 程 は,大 き く4つ の 段 階 にわ け られ る。 第1

段 階 は,人 民 共 和 国 成 立 か ら1954年 まで で,「 名 従 主 人 」 の 原 則 に そ っ て

53年 の 第 一 次 人 ロセ ンサ ス 時 に 申 請 され た 民 族 は400を 超 え た。そ こ で 中

央 は 各 民 族 地 区 に 訪 問 団 を 派 遣 して 民 族 識 別 の 宣 伝 と民 族 調 査 を行 い,ま

ず38の 民 族 を 認 定 した 。第2段 階 は,54年 か ら64年 ま で で,広 範 な 民 族

調 査 と識 別 工 作 が 進 め られ,15の 民 族 が 追 加 認 定 さ れ た 。 雲 南 側 の 〈 西

番 〉が プ ミ族 に 認 定 され た の が こ の 時 期 で あ る 。第3段 階 は,65年 か ら78

年 ま で で,65年 に ロ ッパ族 が 認 め られ た 後 は,文 化 大 革 命 に よ って 識 別 工

作 は10数 年 間 中断 した 。第4段 階 は,78年 か ら90年 代 まで で,こ れ ま で

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川 西南 の 「 西番 」 にお け る民族 識 別(1)

の 識 別 工 作 にお い て 未 解 決 で あ っ た 数 十 種,百 万 人 を こ え る 集 団 の 再 調 査 が 開 始 され た 。 〈 西 番 〉 の プ ミ語 集 団 で あ る 四 川 の プ ミ・ チ ベ ッ ト族 と雲 南 の プ ミ族 につ い て も重 点 課 題 と して と りあ げ られ た。また 少 数 民 族 へ の 様 々 な 優 遇 政 策 の 実 施 を 背 景 に,民 族 地 区 の 漢 族 を 中心 に 少 数 民 族 へ の民 族 改 正 を 求 め る 者 が 激 増 し,82年 か ら90年 ま で に 約500万 人 が 民 族 回帰 した 。 例 え ば 四 川 で は,チ ャ ン族 の 人 口が82年 に は 約10万 で あ っ た の が90年 に 約20万,2001年 に は 約30万 に 達 した 。 ま た チ ノ ー 族 の 認 定 に よ り55 の少 数 民 族 が 確 定 した 〔 黄 光 学 等,2005:104〜117〕 。

(2)「西 番 」 と い う用 語

「 西 番 」 とい う用 語 は,時 代 や 地 域,誰 が 用 い る か に よ っ て 様 々 な カ テ ゴ リー を もつ 。 特 に,人 民 共 和 国 下 の民 族 識 別 で は 蔑 称 で あ る と して 公 的 な 名 称 か ら排 除 され た 。 しか し九 龍 県 の ナ ム イ ・チ ベ ッ ト族 の よ うに,西 番 の 名称 を 自集 団 の 象 徴 と して 現 在 も誇 りを も っ て 伝 え て い る グル ー プ も あ る。 で は,な ぜ こ の よ うな 全 く逆 の 評 価 が あ る の だ ろ うか 。

蔑 称 の 意 味 は,「 番 」 の語 に 由 来 す る 。 「 番 」 は 「 蕃 」 と も記 す 。 山 口瑞 鳳 は 「 吐 蕃 」に つ い て つ ぎ の よ うに推 測 す る。唐 代 の 漢 人 は チ ベ ッ トを 「 吐 蕃 」 と呼 ん だ 。 「 吐 」 は 「 南」 を い う 「lho」の音 訳 で あ る。 「 蕃 」 は,元 来 の 「 嚢」 の 代 わ りに,彼 らが 「 ボ ン」 教 徒 で あ っ た こ とか ら蔑 称 と して 採 用 さ れ た も の で あ る 。 「 嚢 」 は 「ピ ャ ー 」(rPhyva」 不 夜)の 音 訳 で,チ ベ ッ トの 支 配 階 級 が 用 い る 部 族 名 の 美 称 で あ る 。 ヤ ル ル ン の 王 は 階 に 朝 貢

した 「 附 国 」 か ら 「 南 の ピ ャ ー 」 と よば れ,音 訳 で 「 吐 獲 」 とされ,Tuppt か ら 「 チ ベ ッ ト」 にAり,蔑 視 の 意 味 を こ め た 「 吐 番 」 に い い か え られ た, と 〔 山 口,1987:xvi〜XVII〕 。

ま た ス タ ン は,「 蕃 」 は 古 音 が 〈Biwan>で あ る こ とか ら,「(Bodは)チ ベ ッ ト人 が 自分 た ち の 国 を指 して 呼 ぶBod(今 日,中 央 チ ベ ッ トの 口語 で

は プ ゥ と発 音 され る)の 称 」 で 「 七 世 紀 以 来 チ ベ ッ ト人 に 関 す る 情 報 に非 常 に くわ しか った 中 国 人 た ち はBodを 蕃(古 音B'iwan)と い う文 字 で 音 訳 した 」 とす る 〔 ス タ ン,1987;16〕 。 現 代 チ ベ ッ ト語 で は,「ba(pa)」 は

〈… の 人 〉 を 意 味 す る。 『木 里 県 志 』 に よれ ば,藏 族 とい う名 称 は 漢 語 の 呼 称 で あ り,藏 族 の 自称 は 「 蕃 」 あ る い は 「 博 」<baあ る い はbo>で,統 称

一ils一

(8)

を 「 蕃(博)巴 」 とす る 。

以 上 に よれ ば,「 西 番 」 あ る い は 「 西 蕃 」 とは,元 来 「 西 の ピ ャ ー,西 の 人 」 を 意 味 す る 音 訳 で あ り,自 称 のboあ る い はpoの 音 を 「 蕃 」 「 番 」等 の 文 字 で 音 訳 した こ とに 漢 族 側 の蔑 称 の意 図 が 示 され て い る。「 西 番 」 とい う 名称 の 文 献 に お け る 初 出 が 晋 代 ・張 華 『博 物 志 』 の 蜀 の 〈 西 番 〉 で あ る こ とか ら考 えれ ば,「 番 」 はboの 音 訳 で あ った 可 能 性 が 高 い 。 以 来,狭 義 の 川 西 南 〈 西 番 〉 は,宋 代 の 『宋 史 』 巻49蛮 夷4の 沈 黎 郡(現 在 の 四 川 省 甘 洛 県)に 「 西 蕃 」,元 代 の 『異 域 志 』阿 丹 に 四 川 省 塩 源 県 や 木 里 県 の 〈 番 〉

と して 記 され て い る。 現 在 の 九 龍 県 の ナ ム イ に とっ て 西 番 族 はxiboで あ り,「西 の 人 」 の 意 味 を伝 え る もの と推 測 され る 。彼 ら は,シ ャ ー マ ン が 葬 式 の 時 に読 む 「 帰 路 経 」 に よ って,ナ ム イ の 祖 は 西 方 か ら移 り きた 人 々 で あ り,西 藏 の チ ベ ッ ト族 と敵 対 して い た こ と,彼 ら こそ チ ベ ッ ト仏 教 伝 来 以 前 の 真 の チ ベ ッ トで あ る と語 り伝 え て い る(4)。

3.プ ミ族 に な っ た 雲 南 の プ ミ 〈西 番 〉

プ ミ語 集 団(51は,川 西 南 〈 西 番 〉 の下 位 グ ル ー プ の 一 つ で,プ ミ語 を 共 通 の 言 語 とす る。 〈 西 番 〉 の 中 で は 最 大 の 人 口 を 有 し,か つ て は 「 大 西 番 」 と も よ ば れ た 。1990年 の 統 計 に よれ ば,総 人 口 は 約5万 人 で,金 沙 江 を 挟 ん で 西 側 の 雲 南 に23,634人,東 側 の 四 川 に 約26,700人 い る 。 しか し言 語 や 祖 先 を 同 じ くす る 集 団 で あ りな が ら,1950〜60年 代 の 民 族 識 別 で は 雲 南 側 は プ ミ族,四 川 側 は チ ベ ッ ト族 に 分 か れ て 異 な る 民 族 集 団 と され た 。 プ ミ語 は,漢 ・チ ベ ッ ト語 族 チ ベ ッ ト ・ビ ル マ 語 派 チ ャ ン語 群 に 属 し,

〈 西 番 〉諸 語 の 中で 最 もチ ャ ン(莞)語 に近 い 。北 部 と南 部 の2方 言 に 大 別 され る 。 北 部 方 言 は 四 川 プ ミを 中 心 に 約33000人 が 使 用 し,南 部 方 言 は雲 南 プ ミの 約9500人 が 用 い る 。 しか し四 川 プ ミの ほ ぼ 全 員 が プ ミ語 北 部 方

(4)ナ ム イ 〈 西 番 〉 は,雅 騨 江 流 域 の 冤 寧,木 里,九 龍 の 県 境 の 山 間 に 集 中 して 居 住 す る。 筆 者 の1994年 か ら2004年 まで の 調 査 に よ れ ば,ナ ム イ に は 筆 波 派(黒 教)と シ ャ ーマ ン 「 パ ピ」

を 主 と した 土 着 の 信 仰 が み られ る が,前 者 の 「 和 尚 」 や 後 者 の シ ャ ー マ ン は す で に激 減 し,木 里 傑 波 郷 周 辺 に は 一 人 しか い な い 。 彼 は 最 も偉 大 な 大 パ ピ の 息 子 で,現 在 は 主 に 葬 式 を と り行

う。 葬 式 で 唱 え る 「 帰 路 経 」 には ナ ム イ 〈 西 番 族 〉 の 由 来 を描 い た 絵 巻 物 が 伝 え られ て い る。

(5)プ ミ語 集 団 に つ い て は,〔 松 岡,2003:419〜475〕 に よ る 。

(9)

川西 南 の 「 西 番」 にお ける民 族識 別(1)

言 を 日常 語 と して い る の に 対 し て,雲 南 プ ミで は す で に40%以 上 が プ ミ 語 を 話 す こ とが で き な い 。 そ れ は,四 川 プ ミが 木 里 県 に80%以 上 の 人 口 が 集 中 し,主 要 な民 族 と して ほ ぼ 自民 族 だ け で 集 落 を 構 成 した の に対 して, 後 発 の 民 族 で あ った 雲 南 の プ ミ族 は,先 住 民 族 の ペ ー 族 や ナ シ族 等 の 政 治 的 支 配 を受 け,そ の言 語 を 習 得 して 共 住 す る とい う道 を選 ば ざ る を え な か っ た か らで あ る。

伝 説 に よれ ば,祖 先 は 古 代 民 族 「 莞 」 の 一 支 で,2回 の 大 移 動 に よ って 四 川 と雲 南 に2つ の 集 住 地 が 形 成 され た 。 第1次 の 移 動 は紀 元 前 か ら7世 紀 頃 ま で で,中 国 西 北 部 か ら雅 磐 江 に 沿 って 南 下 し,木 里 や 塩 源 の 木 里 河 流 域 の 山 間 部 に 集 落 を作 った 。 これ が 現 存 の 四 川 プ ミで あ る 。第2次 は13 世 紀 に 元 の フ ビ ラ イ 軍 が 金 沙 江 を 超 え て 雲 南 西 北 部 に 入 っ た 時 に四 川 プ ミ の 一 部 が 従 軍 して 雲 南 の 永 勝 や 麗 江,維 西,蘭 坪 な ど に 定 住 した もの で,

これ が 現 在 の プ ミ族 で あ る 。 こ の うち 四 川 プ ミは,後 に 吐 蕃 の 支 配 を 受 け て チ ベ ッ ト仏 教 を 受 容 し,自 民 族 だ け の 閉 鎖 的 な 社 会 を 形 成 した の に 対 し て,雲 南 プ ミは 後 発 の弱 小 集 団 と して 先 住 の ナ シ族 や ペ ー 族 の 支 配 を うけ, 衣 食 住 や 言 語 な ど に 大 き な影 響 を受 け た 。

雲 南 プ ミの 民 族 識 別 は,1954年 か ら10年 余 りに も及 んだ 。識 別 工 作 は, 4つ の 段 階 を 経 て進 め られ,第1,2段 階 で は 現 地 調 査 を ふ ま え た 現 況 の 分 析,第3,4段 階 で は 族 称 問 題 が 検 討 され た 〔 胡 文 明,2002:1〜7〕 。 第1段 階 で は,1954年5月,中 国 科 学 院 語 言 研 究 所,中 央 民 族 学 院 研 究 部,雲 南 大 学 、西 南 民 族 学 院,雲 南 省 民 族 事 務 委 員 会(以 下,雲 南 民 委)な ど7単 位 の46人 で 組 織 され た 雲 南 民 族 識 別 研 究 組 が29の 集 団 を調 査 した 。 プ ミに 関 して は 蘭 坪 と寧 痕 が と りあ げ られ,方 国 喩 らが 『蘭 坪,寧 痕"西 番"族 識 別1J、 結 』 を報 告 した 。 第2段 階 は,同 年8月,中 央 民 族 事 務 委 員 会 が 派 遣 した 雲 南 民 族 識 別 調 査 組 が39の 集 団 を 調 査 し,永 勝 と麗 江 の プ

ミに つ い て 林 耀 華 らが 『永 勝,麗 江 両 県 西 番 識 別 小 結 』 を 報 告 した 。 2つ の 報 告 に よれ ば,プ ミ語 は チ ベ ッ ト語 の方 言 で は な く,単 一 の 言 語 とみ る べ き で,チ ベ ッ ト ・ビ ル マ 語 派 の チ ベ ッ ト語 と チ ャ ン語 と並 ぶ も の で あ る 。 移 住 経 路 につ い て は,祖 先 は北 方 か ら南 下 し て 西 康 の 木 里 に 定 住 し,元 代 フ ビ ラ イ の 時 に さ らに 寧 痕 一 麗 江,魯 旬 一 蘭 坪 の順 に 移 住 した と し,四 川 プ ミ と祖 先 が 同 一 で あ る こ とを 示 唆 して い る。 ま た 雲 南 の 寧 演 プ

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ミは,当 時 も四 川 の 木 里 プ ミ と も 日常 的 に 往 来 が あ り,通 婚 関 係 が あ っ た。

プ ミの社 会 は 父 系 親 族 集 団 の 結 び つ き を基 礎 と して お り,同 族 内 で は 相 互 扶 助,族 長 に よ る揉 め 事 の 調 停,一 堂 に会 して 新 年 を 迎 え,3代 の 祖 先 の 名 を 唱 え る な どを 行 う。 葬 礼 で は,シ ャ ー マ ンが ヤ ギ を犠 牲 に して 「 指 路 経 」 を 唱 え る。寧 漬 と永 勝 で は 火 葬 を 行 い,骨 壷 は 同族 の 洞 窟 に納 め るが, 蘭 坪 や 麗 江 で は 土 葬 が 主 流 とな って い る 。ま た13歳 の 「 入 社 式 」(成 年 礼) や 独 自 の シ ャ ー マ ン,山 神 や 水 神 の 祭 り,新 年 の 時 に 犬 に 食 事 を 先 に 与 え る な ど に共 通 した 独 自の 文 化 的 要 素 が み られ る。 た だ し衣 食 住 や 宗 教 に は 先 住 のナ シ,ペ ー,リ ス 族 な どの 影 響 が 強 くみ られ る 〔 方,林 等,2002:

6〜11〕 。

以 上 の よ うに言 語,移 住 の 歴 史,葬 礼,成 年 式,山 神 祭 り,シ ャ ー マ ン な どの 基 層 の 歴 史 や 文 化 に お い て 隣 接 す る 同省 の 中 旬 チ ベ ッ ト族 とは か な り異 な っ て お り,一 方,四 川 の 木 里 プ ミと は類 似 性 の あ る こ とが 明 らか に され た 。 そ の 結 果,両 報 告 と も,雲 南 〈 西 番 〉 は チ ベ ッ ト族 で は な く,か つ て の西 康 省 の西 番 と も違 い が あ る こ とか ら,単 一 の民 族 とす べ き で あ る

こ と,族 称 に つ い て は,か つ て の 〈 西 番 〉 に は 蔑 視 の意 味 が ふ くまれ て お り,し か も従 来 の 〈 西 番 〉 で は 広 義 の 西 番 と紛 れ や す い とい う理 由 か ら,

〈 西 番 〉 を改 め て,共 通 の 自称 で あ る 「 普 米 」(プ ミ)を 正 式 の 民 族 名 称 と す る の が 妥 当 と した 。

第3,4段 階 で は,こ の2つ の報 告 書 を うけ て 族 称 に つ い て 討 議 され た 。 まず 第3段 階 で は,1960年1月,雲 南 民 委 が 麗 江 専 署 を設 け,2月14〜

17日 に 全 区 少 数 民 族 代 表 座 談 を 開 い て 族 称 問 題 を 討 議 し,西 番 代 表 の 同 意 を得 た うえで,自 称 に 基 づ く 「 普 米 」(白 人 の 意)を 族 称 に 決 定 した 。 さ ら に第4段 階 で は,1961年5月,雲 南 民 委 が 民 族 識 別 総 合 調 査 組 を組 織 し, 雲 南 省 委 と 中 央 民 委 の 同 意 を 得 て 雲 南 省 人 民 委 員 会 に 『関 与 将"西 番 族"

改 称 為"普 米 族"的 報 告 』 を提 出 し,6月 に プ ミが 正 式 に民 族 名 称 と して 承 認 され た 。

族 称 の 決 定 に は,原 則 と して住 民 の 意 向 や 希 望 が 重 視 され た。 しか し実

際 は 住 民 代 表,す な わ ち そ の 集 団 の 上 層 部 の 意 見 に よ る もの で あ った 。 多

く の 住 民 に と って 族 称 とは 生 活 圏 内 の 異 な る 集 団 との 違 い を 明確 に す る も

の に す ぎ ず,国 家 レベ ル の 民 族 名 称 と い う意 味 が 理 解 され る に い た って い

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川 西南 の 「西番 」 にお け る民族 識別(1)

な か っ た。50年 代 初 期 に西 昌 専 区 協 商 委 員会 副 主 席 で あ っ た穆 文 富 に よれ ば,80年 代 以 降,雲 南 寧 漬 の プ ミ族 が 親 戚 を 訪 ね て 木 里 県 に た び た び 来 た が,現 地 の プ ミ ・チ ベ ッ ト族 を み て 自分 た ちが プ ミ族 に な っ た こ と を後 悔 して い た,と い う。彼 に よれ ば,プ ミ族 は55の 少 数 民 族 の 中で も人 口3万 人 以 下 の22の 弱 小 民 族 の 一 つ にす ぎ ず,独 立 した 民 族 と して の 発 言 権 は あ っ て も大 民 族 の チ ベ ッ ト族 に 較 べ て 全 体 へ の影 響 力 は極 め て 小 さ く,享 受 で き る も の が 少 な い か らだ とい う。

ま た 前 述 の2つ の報 告 で は,雲 南 の プ ミは 西 康 の プ ミ と も異 な る と報 告 され た が,当 時 は まだ 西 康 の 西 番 に つ い て 詳 細 な 実 態 が 明 らか に され て い な か っ た 。 複 数 の 言 語 を 異 に す る 集 団 が あ る こ とは わ か っ て い た が,い く つ の 下 位 集 団 が あ る の か,分 布 や 人 口 も特 定 され て い な か っ た 。 特 に プ ミ に つ い て は,木 里 の プ ミ と の 関 連 が 問 題 と して残 され た ま まで あ っ た た め, 80年 代 に 民 族 識 別 の 再 検 討 が な され た 時,木 里 プ ミの 民 族 と して の所 属 は

重 要 な課 題 の 一 つ と して提 起 され た 。

4.チ ベ ッ ト族 に な っ た 川 西 南 の プ ミ 〈西 番 〉 (1》木 里 藏 族 自治 県 に お け る1950年 代 の 民 族 工 作

四 川 側 の プ ミ 〈 西 番 〉 は,木 里 藏 自治 県 ⑥ に 集 中 して 居 住 す る。 彼 らは 60年 代 の識 別 で 暫 定 的 に チ ベ ッ ト族 と され た が,そ れ に は 木 里 が チ ベ ッ ト 仏 教 を 深 く受 け い れ た 地 域 で あ る とい う特 異 な 事 情 が あ っ た 。

『木 里 県 志 』(1995年)に よれ ば,木 里 に お け る 人 民 共 和 国 成 立 後 の 民 族 工 作 は つ ぎ の よ うに 進 め られ た。 人 民 共 和 国 成 立 以 前,木 里 は 塩 源 県 の 一 部 で,政 治 上 は 八 爾 土 司 の 領 地 で あ った 。 世 襲 の土 司 制 度 は 明 代 万 歴 年 間 に 始 ま り,共 和 国 成 立 前 ま で 続 い た が,土 司 と な る 者 は 一 族 中 の 年 少 の 男 子 か ら選 ば れ て 出 家 し,ラ マ に な らな けれ ば な らな か った 。 す な わ ち 政 教

(6)木 里 は,16世 紀 以 降,チ ベ ッ ト仏 教 格 魯 派 の3っ の 寺 院 に 分 割 統 治 され,元 来 の 住 民 で あ る チ ベ ッ ト族 は チ ベ ッ ト仏 教 を 深 く信 仰 した 。 イ 族 は この100年 余 の 間 に 冤 寧 な ど か ら移 入 し, 漢 族 は 清 代 中期 以 降,軍 と と も に 移 住 して きた 。1953年 の 木 里 藏 族 自 治 県 成 立 時 に は,す で に チベ ッ ト族,イ 族,漢 族 の 順 で この3民 族 が 人 口 の 大 部 分 を 占 め た 。 チ ベ ッ ト族 は,チ ベ ッ ト 支 に 属 す る 言 語 を もつ ガ ミ とチ ャ ン 語 支 に 属 す る 言 語 を も つ プ ミ,シ ュ ミ,プ ー ラ ン,リ ル, 西 番 族 か らな る。

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一 致 体 制 の も とで 土 司 は 大 ラ マ を兼 ね ,衛 門(役 所)の 官 吏 も ほ とん どが ラ マ で あ り,領 地 もチ ベ ッ ト仏 教 格 魯 派(黄 教)の 木 里,康 均,瓦 爾 塞 の 3つ の 大 寺 院 が 分 割 して 治 め た 。

1950年4月,人 民 解 放 軍 は 初 め て 木 里 に 入 り,ま ず 宗 教 界 上 層 部 へ の 工 作 を始 め た 。1951年1月,中 国 人 民 解 放 軍 西 昌軍 事 管 制 委 員 会 は1951年

1月 に 西 昌 専 区協 商 委 員 会 副 主 席 の 穆 文 富(星 寧 ナ ム イ ・チ ベ ッ ト族)ら を 派 遣 して 木 里 の 大 ラマ と会 談 さ せ,塩 源 県 で 開 催 され る 第2回 各 族 各 界 人 民 代 表 会 議 に 代 表 をだ す こ と,民 族 代 表 を 西 昌 の幹 部 学 校 で 学 ば せ る こ とへ の 同 意 を得 た 。2月 に は宗 教 界 上 層 部 が 中 国共 産 党 へ の服 従 を表 明 し,

「 烏 拉 」 制 度 や す べ て の 租 糧 な ど33の 負 担 を 廃 止 し,6月 に は大 ラマ や 牟 文 富 らか らな る 木 里 藏 族 自治 区 準 備 委 員 会 が た ち あ げ られ た 。51年9月 に は 大 ラ マ らが 成 都,重 慶,武 漢,南 京,上 海,天 津 な どを 参 観 した 。1953 年2月,「 木 里 県 藏 族 自治 区 人 民 政 府 」が 成 立 し,8月 に 民 族,宗 教 界 上 層 部 お よび す べ て の ラマ 層 に 食 糧 の 定 額 補 助,9月 に 民 族 小 学 校 を 開 設 して チ ベ ッ ト語 文 課 を加 え,110人 の 学 生 を 入 学 させ た 。 上 半 期 で 救 済 した 者 は78万8961人,救 済 米 は7万5105斤,貸 借 金3899万3千 元,11月 に は 約130人 の 上 層 部 と1,141人 の ラマ 層 に3億 元 の 生 活 補 助 を 与 え た,と い

う 〔 木 里 藏 族 自治 県 志編 纂 委 員会 編,1995:2〜3〕 。

しか し1953年3月 か ら反 政 府 暴 動 も表 面 化 した 。 「 木 里 県 平 叛 始 末 」 に よれ ば,東 朗 や 麦 日だ けで は な く全 県 に 広 が る 土 匪 が 康 均 大 寺 や 木 里 大 寺, 各 地 の ラマ 僧 と共 謀 して 反 政 府 派 を 組 織 し,政 府 機 関 を襲 撃 して 役 人 を殺 害 した 。 結 局,59年9月 の 収 束 まで に 討 伐 され た 反 政 府 派 は4,251人,主 犯 格 の うち 死 亡 は33人,負 傷6人,捕 虜27人,投 降84人 に 達 した の に 対 して,政 府 側 は 人 民 解 放 軍 と警 察 が1,215人,県 の 幹 部 と民 兵400人 が 動 員 され,う ち 死 者52人,負 傷 は49人 で あ っ た 〔 木 里 藏 族 自治 県 政 府 弁 公 室,1992:195〜200〕 。

以 上 の よ うに 木 里 で は,16世 紀 に チ ベ ッ ト仏 教 黄 教 が 伝 来 して 以 来,住

民 は チ ベ ッ ト仏 教 に深 く帰 依 し,政 治 的 に も精 神 的 に もチ ベ ッ ト仏 教 の 寺

院,大 ラマ が す べ て を 管 轄 した 。 そ の た め 人 民 共 和 国 の 成 立 は,政 治 的 変

化 のみ な らず,宗 教 上 の 規 制 あ る い は 禁 止 を意 味 す る もの と と らえ られ た 。

チ ベ ッ ト仏 教 へ の 対 処 は,現 在 もな お 大 き な 課 題 で あ る。

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川 西南 の 「 西 番」 にお け る民族 識別(1) (2)川 西 南 〈 西 番 〉 に お け る民 族 識 別

川 西 南 〈 西 番 〉に 関 す る民 族 識 別 調 査 は,60年 代 と80年 代 に 行 わ れ た 。 第1回 目は,1960年 に 雲 南 西 番 が プ ミ族 と認 定 され た こ とを 受 け て,1961 年 に 四 川 省 民 委 工 委 が 組 織 した もの で,張 全 昌 「 四 川 西 番 識 別 調 査 小 結 」 (1962)が 報 告 され た 。 張 報 告 に よれ ば,当 時 の く 西 番 〉 は 約24000人 で, そ の70%が 木 里 県 に 集 中 し,残 りは 塩 源 や 甘 洛,越 西 な どに 分 布 す る 。四 川 〈 西 番 〉 と雲 南 プ ミの 間 に は,言 語 や 宗 教 に 明 確 な 違 いが あ る。 例 え ば 雲 南 側 が プ ミ語 や プ ミ とい う自称 を 共 有 す る の に 対 して,四 川 側 に は10以 上 の 異 な る 言 語 と 自称 を も つ 集 団 が あ る。 ま た 宗 教 に お い て は,四 川 側 は た び た び 吐 蕃 の 支 配 を 受 け,18世 紀 半 ば 以 降 は チ ベ ッ ト仏 教 黄 教 が 伝 来 し て 人 々 の生 活 に 深 く浸 透 した 。 た だ しな お チベ ッ ト仏 教 伝 来 以 前 の 宗 教 や 西 藏 の チ ベ ッ ト族 とは 異 な る 独 自 の 生 活 習 慣 が あ り,そ れ ら は 雲 南 プ ミ と の 類 似 点 で もあ る と して,よ り深 い 調 査 の 必 要 性 を 提 言 して い る 。 しか し 四 川 側 に お け る ラサ に 直 結 した チ ベ ッ ト仏 教 寺 院 の 宗 教 的,政 治 的 支 配 は 住 民 自身 の チ ベ ッ トへ の 帰 属 意 識 に大 き く影 響 を 与 え て お り,識 別 時 に は 住 民 の 大 部 分 が 自 らを チ ベ ッ ト族 で あ る と 申請 した 。

しか し80年 代 の 民 族 識 別 の 再 調 査 まで は,な お 複 数 の 集 団 が 西 番 族 の ま ま で あ った 。 第2回 目の 識 別 調 査 は,こ の 西 番 族 か ら の 要 請 で 始 ま った と い う。 劉 輝 強 の 「 談 川 西 南"西 番"人 的 識 別 」 に よれ ば,涼 山 地 区 と雅 安 専 区 の 一 部 の 西 番 族 が 党 の 指 導 部 な ど に 自 ら の 民 族 識 別 を た び た び 求 め た 。 そ こで 雲 南省 民 委 や 四 川 省 民 族 研 究 所,西 南 民 族 学 院,涼 山 州 の 関 係 機 関 は 工 作組 を 組 織 して1981年8月25日 か ら10月27日 ま で 西 昌 や 晃 寧, 甘 洛,越 西,喜 徳,塩 源,木 里,石 綿,漢 源 な ど の 県 で29の 生 産 隊 を 調 査 し,〈 西 番 〉 の 民 族 幹 部 や 住 民 ら と20数 回 の 座 談 会 を 開 き,1143人 と 会 った 。

劉 報 告 で は,自 称,人 口 分 布,言 語,歴 史,経 済,宗 教 と習 俗 に つ い て つ ぎ の よ うに ま とめ て い る 。 〈 西 番 〉 に は,納 木 依(ナ ム イ),多 須(ト

シ ュ),里 汝(リ ル),爾 蘇(ア ル ス),魯 須(ロ ス),木 尼 洛(ム ニ ロ),須 迷(シ ュ ミ)の7種 の 自称 が あ る。 他 称 に は,漢 族 が 呼 ぶ 西 番,西 教,イ 族 が 呼 ぶ 俄 祖(オ ツ)が あ る。 総 人 口 は20862人(プ ミ と ボ パ は 含 ま な い),主 に 大 渡 河 以 南 か ら金 沙 江 以 北 の 地 域 に 自 称 集 団 ご とに 集 落 をつ く

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り,イ 族 や 漢 族 と共 住 す る 。 各 県 の 分 布 は,石 棉7000,木 里3200,冤 寧 3584,甘 洛2748,越 西1800,漢 源1695,西 昌600,塩 源159,喜 徳76人, 九 龍 に もア ル ス,ム ニ ャ,リ ル,ナ ム イ,シ ュ ミが い る が 詳 しい 調 査 は ま だ な され て い な い 。

言 語 は,そ れ ぞ れ の 自称 集 団 が 固 有 の 言 語 を もっ て お り,複 雑 で あ る 。 ア ル ス,ト シ ュ,リ ル,ロ ス,ナ ム イ は チ ベ ッ ト ・ビル マ 語 派 チ ャ ン語 支 に 属 し,暫 定 的 にア ル ス 語 とす る 。 ム ニ ロ もチ ャ ン 語 支 に 属 す が,康 定 の ム ニ ヤ ック の 方 言 で あ る 。 シ ュ ミは チ ベ ッ ト語 の方 言 で もプ ミ語 の方 言 で もな く,更 な る調 査 が 必 要 で あ る。 ま た どの 言 語 に も 固 有 の 文 字 が な い 。 チベ ッ ト文 字 は ラ マ 僧 と少 数 の 上 層 部 の もの が 使 うだ け で あ り,一 般 人 は こ れ を 「 ラ マ 字 」 と よぶ 。 宗 教 は,か つ て は 主 に 筆 波 教 と 「 原 始 宗 教 」 の 2種 で あ っ た 。 これ らは 並 存 して い る が,木 里 や 九 龍 に 隣接 す る昆 寧や 石 棉 で は 筆 波 が 主 で あ り,そ の他 の 県 で は 「 原 始 宗 教 」 が 主 で あ る。 ま た ど

の 地 域 で も 白石 神 を 祀 り,祖 先 を崇 拝 す る。

社 会 の基 本 単 位 は 父 系 の 家庭 で,家 庭 ご とに 姓 が あ る。 複 数 の 同姓 が 血 縁 関 係 を紐 帯 と した 一 族 を構 成 す る。婚 姻 は 一 夫 一 婦 制 で,父 母 が き め る 。

イ トコ婚 を 優 先 す る 。 葬 礼 は 火 葬 と土 葬 が あ る が,元 来 は 火 葬 で あ る 。 女 性 の 衣 装 は,白 や 黒 の 布 を頭 に 巻 き,額 に は 銀 の 飾 りを つ け,耳 飾 を す る。

衣 服 は 白,黒,赤 な ど の 色 の コ ン トラ ス トが 鮮 や か で あ る 。 刺 繍 や 切 り紙 が 巧 み で あ る。 歌 舞 に優 れ,儀 式 で は 法 螺 貝 を 吹 く。 誠 実 で 素 朴,よ く働 き,浪 費 は しな い,開 放 的 で 明 る く,客 を よ く もて なす 。 集 団 は共 通 した 強 い一 体 感 を もつ 〔 劉,2002:14〜18〕 。

政 府 工 作 組 の 学 者 た ち は 以 上 の 調 査 結 果 を ふ ま え て,〈 西 番 〉に は,隣 接 す る カ ム ・チベ ッ ト族 とは や や 異 な る特 徴 が み られ る こ と,特 に 言 語 が チ ベ ッ ト語 の方 言 で は な く,む しろ チ ャ ン語 支 に 近 い こ と を指 摘 した 。 しか し民 族 を決 定 す る に あ た っ て最 も重 視 され た の は住 民 の 意 思 で あ り,そ れ は す な わ ち住 民 の 意 思 に 大 き な影 響 力 を もつ 民 族 幹 部 の 意 向 で あ った 。 結 局,住 民 お よ び 住 民 代 表 の 希 望 を 尊 重 して 西 番 族 は チ ベ ッ ト族 に な った と され る 。

当 時,西 番 族 の 民 族 決 定 に際 して 最 も大 き な 発 言 力 を 示 した 一 人 が,涼

山 州 政 治 協 商 会 議 副 主 席 の 穆 文 富 で あ っ た。 穆 文 富 は,学 者 が 指 摘 す る言

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川 西 南 の 「 西 番 」 に お け る 民 族 識 別(1)

語 の 違 い に対 して 強 い 反 対 論 を も っ て お り,チ ベ ッ ト族 とす べ き 理 由 につ い て つ ぎ の よ うに語 っ た 。

涼 山 州 に は 約6万 の チ ベ ッ ト族 が お り,11種 に 下 位 分 類 され,そ れ ぞ れ が 独 自の 言 語 を もつ 。 こ の うち 木 里 に は シ ュ ミ,ガ ミ,プ ミ,リ ル,ナ ム

イ が 約3万 人,冤 寧 に は ナ ム イ,ト シ ュ,ミ ナ,廟 頂(リ ル)が 約2万5 千 人 い る。 これ らの 下 位 集 団 は,地 理 的 原 因 か ら長 期 に わ た っ て そ れ ぞれ

が 隔 絶 され た 状 態 に お か れ て い た た め 独 自 の 言 語 が 形 成 され た 。 例 え ば ナ ム イ の言 語 は,前 藏 ・後 藏,甘 孜 の チ ベ ッ ト語 とは異 な り,「 地 脚 話 」(地 方 の 方 言)と い わ れ る。 言 語 の 差 を い うの で あ れ ば,チ ベ ッ ト語 に も漢 語 に も複 数 の 下 位 集 団 が あ り,違 い が あ っ て 当 然 で は な い か 。 む しろみ な ラ マ 教 を信 仰 して い る こ とが 重 要 で あ る。 た だ し冤 寧 の よ うな イ 族 や 漢 族 と の 雑 居 地 区 で は,寺 院 は す で に清 朝 期 に は な くな っ て,50年 代 に は 冤 寧 の 廟 頂 に しか 残 っ て お らず,信 仰 の 程 度 は 異 な る。 ま た 民 族 名 称 につ い て い え ば,か つ て 「 西 番 」 の 「 番 」 に は 侮 蔑 的 な 意 味 が 含 まれ て お り,ナ ム イ は 「 西 蕃 」 と呼 ば れ る こ とに 反 感 を持 っ て い た 。 漢 族 は 我 々 を 「 燗 西 番 」

と呼 ん だ が,我 々 は 漢 族 を 「 燗 漢 族 」 と呼 ん だ 。 西 番 の 用 語 は 改 め る べ き で あ る,と 。

穆 文 富 は,学 者 に よ る 言 語 差 を 重 視 した 見 解 が 現 地 の 住 民 感 情 に あ わ な い,と 強 い 反 感 を 表 した 。彼 の 認 識 で は 〈 西 番 〉 は チ ベ ッ ト仏 教 徒 で あ り, 彼 自身 もチ ベ ッ ト仏 教 を 篤 く信 仰 して い た か らで あ る。 しか し筆 者 の 調 査 に よれ ば,大 西 番 と よば れ た ナ ム イ の 中 心 地 の 九 龍 県 子 耳 郷 で は,自 民 族 独 自の シャ ー マ ン を擁 して 葬 式 や 治 病 に は 独特 の 経 文 や 儀 式 を伝 え て お り,

自分 た ち こ そ チ ベ ッ ト仏 教 成 立 以 前 の 固 有 の宗 教 を も つ 本 来 の チ ベ ッ ト族 で あ り,西 番 族 とい う名 称 は そ れ を表 す も の で あ る とす る 。 しか しそ の 一 方 で 晃 寧 県 木 耳 郷 の 老 人 は,か つ て 出稼 ぎ に 出 て 喧 嘩 し た 時 に 漢 族 か ら 「 お 前 た ち は 藏 番 で は な い,西 番 か 」 と蔑 まれ た とい う(7)。〈 西 番 〉 の 居 住 地 は,一 般 に2000〜3000メ ー トル の 閉 鎖 的 な 山 間 に あ っ て,現 在 もな お 往 来 が 不 便 で あ る 集 落 が 少 な く な い 。 漢 族 との 接 触 頻 度 の 違 い に よ っ て 西 番 を蔑 称 と して 体 験 した か ど うか に 差 が あ った と思 わ れ る。 穆 文 富 の よ うな

(7)2004年9月,冤 寧 県 木 耳 郷M村 で の 聞 き 取 りに よ る。 西 番 と い う語 に つ い て は,60数 歳 の 男 性 が か つ て 街 で い わ れ た こ とが あ る と語 っ た が,す で に 多 く の 者 が ほ とん ど知 ら な か っ た 。

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旧 上 層 部 で 民 族 幹 部 で もあ る 者 は,早 い 時 期 か ら漢 族 と接 触 して お り,西 番 と呼 ば れ る こ とが 蔑 視 で あ る と感 じて い た の で あ ろ う。 民 族 幹 部 と一 般 住 民,ま た 住 民 の 中で も漢 族 との接 触 度 の違 い に よ っ て 西 番 の 名 称 に対 す る 認 識 に 大 き な 差 が あ っ た と思 わ れ る 。

(3)民 族 幹 部 ・穆 文 富

民 族 幹 部 穆 文 富 は,西 康 の冤 寧 県 の 旧 上 層 部 出 身 の 〈 西 番 〉 で,西 康 に お け る 人 民 共 和 国 革 命 に 尽 力 し,涼 山 州 や 甘 孜 州 の 政 府 の 要 職 を歴 任 した 。 彼 は,冤 寧 や 木 里 で は 地 元 の 人 々 か ら 「 穆 大 爺 」 と よば れ,絶 大 な 信 望 を 得 て い る。2004年9月7日,四 川 省 涼 山 イ 族 自 治 州 西 昌で の 聞 き 取 りに よ れ ば,穆 文 富 は,自 身 の 略 歴 に つ い て 次 の よ うに 語 った 。

穆 文 富 は,80数 歳,星 寧 出 身 の ナ ムイ 人 で あ る。 祖 父 は冤 寧 県 濾 寧 区 の 土 司 で,か な りの 名 声 が あ っ た 。 父 は 国 民 党 政 権 下 で 郷 長 を 務 め た 。3人 兄 弟 の 長 男 で,弟 の うち 一 人 は 当時 の 習慣 に従 っ て ラマ に な った 。 省 立 小 学 校 を卒 業 し,家 内 の私 塾 で 多 くの 古 書(経 書)を 学 んだ 。21歳 の 時 に 国 民 党 政 権 下 で 自衛 団 を 組 織 した(『 昆 寧 県 志 』16頁 に は 西 南 自衛 団 副 団 長 とあ る)。しか し人 民 共 和 国 成 立 以 前 か ら 当地 の 共 産 党 指 導 者 鄭 某 の 紹 介 で 解 放 軍 と連 絡 を と って 冤 寧 の 解 放 を助 けた 。 人 民 共 和 国成 立 後 は,進 学 を 希 望 した が,党 か らの 要 請 で 地 元 の民 族 地 区 の指 導 者 を歴 任 した 。1950年 11月 まで 民 族 幹 部 学 校 の 責 任 者,同 年12月 か ら罷 寧 県 の 協 商 会 副 主 席,

さ らに 木 里 県 に移 って51年2月 まで 民 族 和 解 工 作,同 年3月 に冤 寧 に も ど り,再 び 木 里 に 戻 っ て 木 里 で の 和 平 工 作 に 従 事 し,民 委 副 主 任 を 務 め た 。 53年 に 木 里 藏 族 自 治 県 人 民 政 府 成 立 後,州 都 の 西 昌 に も ど っ て 州 人 民 政 府 工 商 科 副 科 長,54年 に 民 政 科 第 一 副 科 長,省 政 協 委 員,55年 に 省 民 委 副 主 任 とな っ た 。66年 か ら の文 化 大 革 命 で は 批 判 を 受 けて 馬 の 飼 育,運 搬 等 を した 。 文 化 大 革 命 終 了 後 復 帰 し,76年 に 省 政 協 常 務 委 員,78年 に涼 山 州 政 協 副 主 席,副 州 長,州 人 民 代 表 大 会 副 主 任 等 を歴 任 して 退 職 した 。

以 上 の よ うに,穆 文 富 は,主 に 出 身 地 の 星 寧 県 と隣 接 す る 木 里 県 で 民 族

幹 部 と して 一 貫 し て現 場 で 民 族 工 作 に従 事 して き た。特 に 自 らが 属 す る 〈 西

番 〉 に 関 して 人 民 共 和 国 下 の 四川 省 西 南 部 に お け る 民 族 工 作 の 状 況 を最 も

よ く知 る 人 物 の 一 人 で あ る。 穆 文 富 に よれ ば,プ ミ 〈 西 番 〉 の 民 族 識 別 に

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川 西南 の 「西番 」 にお け る民族 識別(1)

関 して 政 府 の 調 査 組 と現 地 の 民 族 幹 部 との 間 に つ ぎ の よ うな 激 しいや り と りが あ っ た と い う。

1980年 代 に 民 族 識 別 に 関 す る 再 調 査 が 行 な わ れ た 時,四 川 省 民 委 の 工 作 隊(隊 長 は 馬 金 輝)は,四 川 プ ミは 雲 南 の プ ミ族 と言 語 を 同 じ くす る こ と か ら,雲 南 〈 西 番 〉 が プ ミ族 を民 族 名 称 と して い る こ と に な ら って プ ミ族 に 改 め,木 里 藏 族 自治 県 も木 里 プ ミ族 自 治 県 に変 更 す る こ とを 中央 に 提 議 した 。 国 家 民 委 が1982年5月11日 に 出 した 「 関 与 民 族 識 別 工 作 的 幾 点 意 見 」 で は,当 時,識 別 が 必 要 と され た 数 十 種 の 集 団,約100万 人 は① 漢 族 か 少 数 民 か,② 単 一 の少 数 民 族 か 別 の あ る 少 数 民 族 か,③1つ の 民 族 か2 つ の 民 族 か とい う3つ の 状 況 に 分 け て提 起 され,四 川 木 里 の チ ベ ッ ト族 と 雲 南 寧 痕 一 帯 の プ ミ族 に つ い て も③ の 同 一 民 族 か 否 か とい う事 例 と して と

りあ げ られ た 。

しか し四 川 の プ ミ 〈 西 番 〉 は,60年 代 か ら 「 暫 定 的 に 」 チ ベ ッ ト族 を 名 乗 っ て お り,80年 代 に 政 府 側 の 調 査 組 か ら言 語 の 一 致 を 理 由 に プ ミ族 に 改 め る べ き とい う提 議 が な され た 時,地 元 側 か ら強 い 反 対 が お き た 。 穆 文 富 は,地 元 の 意 見 と して つ ぎ の よ うに語 った 。

ま ず,プ ミ 〈 西 番 〉 出 身 の 当 時 の 木 里 県 書 記 が 不 満 を もち,反 対 した。

なぜ な らプ ミは,実 は 「 蕃 米 」(bomi)と い い,boは チ ベ ッ ト族 で あ る こ とを 示 す もの で あ る 。 す な わ ち プ ミは か っ て は チ ベ ッ ト族 で あ り,言 語 は チベ ッ ト語 とは 異 な る が,生 活 習 慣 や 婚 姻 習 慣 は チ ベ ッ ト族 とほ ぼ 同 じで あ る 。 中 央 政 府 は,言 語 の 違 い に 依拠 した 学 者 達 の意 見 を 取 り入 れ て プ ミ を チ ベ ッ ト族 で は な く独 立 した プ ミ族 とみ な そ う とす る が,そ れ は 間 違 っ て い る。 言 語 の 差 とい うの で あ れ ば,チ ベ ッ ト族 内 に も漢 族 内 に も複 数 の 下 位 分 類 が あ る。 確 か に 言 語 の 差 は 大 で あ る が,ス ー 油 茶 に 代表 され る 飲 食 習 慣 の 一 致 や チベ ッ ト仏 教 に対 す る 深 い 信 仰 とい う点 か らい えば,チ ベ ッ ト族 とみ な す べ き で あ る 。 特 に 木 里 の 大 ラ マ の 地 位 は,ダ ラ イ ・ラ マ,パ ン チ ェ ン ・ラマ に つ い で 第3位 で あ り,プ ミ族 に 改 め る こ とに つ い て は, パ ン チ ェ ン ・ラ マ も反 感 を も っ て い た,と す る。

結 局,四 川 の プ ミ 〈 西 番 〉 は,地 元 の 反 対 に よ って チ ベ ッ ト族 とな る こ とが 正 式 に決 定 され た 。T村 に は 村 全 体 み お ろす 山 上 に 木 里 黄 教 派 の 総 本 山 で あ る 木 里 大 寺 が そ び え て お り,400年 以 上 に 及 ぶ チ ベ ッ ト仏 教 の 支 配

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を 象 徴 して い る。 チ ベ ッ ト仏 教 の 信 仰 は 依 然 と して 彼 らの 精 神 的 支柱 で あ り,民 族 識 別 に よ っ て チ ベ ッ ト族 で あ る こ とが 決 定 した こ とは,彼 らの 信 仰 が 認 め られ た こ とを 意 味 す る も の で あ った 。

おわ りに

四 川 省 西 部 は,4つ の 大 河 が 南 北 に貫 流 す る峡 谷 地 帯 で あ り,大 河 に 沿 っ て 歴 史 的 に様 々 な 集 団が 移 動 し,複 雑 な 民 族 構 成 や 言 語 系 統 が 形 成 され た

「 民 族 走 廊 区 」 で あ る 。 こ こに 居 住 す る チ ベ ッ ト族 は,明 清 以 降 「 西 番 」 と よば れ,民 国 期 に は 康 番(カ ム ・チ ベ ッ ト族)と 川 西 南 の 〈 西 番 〉 の 区 別 が あ った 。 しか し 〈 西 番 〉 の 語 は,す で に 三 国 期 の 文 献 に 初 出 して お り, 明 清 以 降 の 「 西 番 」 よ り も古 い 。 ま た 〈 西 番 〉 は チベ ッ ト語 の 方 言 とは異 な る チ ャ ン語 支 に 属 す る 言 語 を もち,チ ベ ッ ト仏 教 伝 来 以 前 の 独 自の 白石 信 仰 や シ ャ ー マ ン,冠 婚 葬 祭 の儀 式 を伝 え て い る。 そ の た め 人 民 共 和 国下 の 民 族 識 別 で は,1950〜60年 代 の識 別 で 暫 定 的 に チベ ッ ト族 と され,未 定 の 集 団 に つ い て は 西 番 族 の ま ま で あ っ た が,80年 代 の 識 別 で は 最 終 的 に 西 番 族 は 抹 消 され,す べ て が チ ベ ッ ト族 とな っ た 。

複 数 の 下 位 集 団 か らな る 〈 西 番 〉 の民 族 識 別 に 関 して は,3つ の 問題 が あ っ た 。 第1に,西 番 の 用 語 は 蔑 称 で あ る た め族 称 と して は 使 え な い が,

〈 西 番 〉 内 に は 少 な く と も4つ 以 上 の 言 語 を 異 に す る 下 位 集 団が あ る た め, 新 た な 族 称 を 決 め る の は 難 し い,第2に,〈 西 番 〉 で 最 多 の人 口 を 擁 す る プ ミ語 集 団 は,雲 南 側 の プ ミが1961年 に プ ミ族 に認 定 され た こ とか ら,四 川 側 の プ ミもプ ミ族 とす る べ き とい う政 府 調 査 団 の 動 き が あ った,第3に は,〈 西 番 〉 の ナ ム イ の よ うに 〈 西 番 族 〉 を 名 乗 って き た 集 団 を ど う識 別 す る のか,族 称 を ど うす る か,と い う問 題 で あ る 。

西 番 の 用 語 に つ い て は,蔑 称 で あ る と して 改 称 が 決 定 さ れ た 。 しか し

「 番 」は 元 来,人 を 意 味 す る 「bo」の 音 訳 で あ り,旧 来 の 意 味 を伝 え て きた

とみ られ る 九 龍 県 の ナ ム イ の よ うに,漢 族 と の接 触 が 少 な か った 〈 西 番 族 〉

の 中 に は 「 西 番 」 の 名 称 を 蔑 称 とはせ ず,む しろ 中央 チベ ッ ト族 と区 別 す

る 自集 団 の 象 徴 とす る集 団 もあ っ た。 た だ し この 主 張 は ナ ム イ に と って 西

蔵 の チ ベ ッ ト族 に 対 す る もの と して の 意 味 は あ って も,漢 族 社 会 の 中 で は

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川 西南 の 「 西番 」 にお け る民族 識別(1)

蔑 称 で あ り,「名 従 主 人 」 と い う原 則 の 下,住 民 の 意 思 に 大 き な 影 響 力 を も つ 民 族 幹 部 の 主 導 で 西 番 の語 は 抹 消 され た 。

プ ミ語 集 団 は,金 沙 江 を境 に 雲 南 側 の 寧 藻,蘭 坪 県 な ど と四 川 側 の木 里 県 に ほ ぼ 同 数 の 人 口が 分 布 す る 。雲 南 側 で は,10年 余 りに お よぶ 政 府 工 作 組 の 民 族 調 査 や 民 族 幹 部 お よび 住 民 との 話 し合 い を 経 て,チ ャ ン語 支 に属 す る 言 語 を もつ こ とや 独 自 の新 年 や 成 人 式,シ ャ ー マ ン を 伝 え る こ とか ら 自称 の プ ミを族 称 とす る 独 立 した プ ミ族 が 誕 生 した 。 決 定 に は 政 府 工 作 組 の 提 言 とそ れ を 受 け入 れ た 民 族 幹 部 の意 向 が 大 き く働 い た 。

四 川 プ ミの 民 族 識 別 に つ い て は,60年 代 に チ ベ ッ ト族 と され て い た が, 雲 南 プ ミが す で に プ ミ族 と して 独 立 して い た た め に80年 代 に 再 調 査 が 行 わ れ た 。 政 府 工 作 組 は 民 族 名 を プ ミ族 に改 め,木 里 藏 族 自 治 県 を 木 里 プ ミ 族 自治 県 に 変 更 す る こ と を提 案 した。 しか し これ に は 穆 文 富 に 代 表 され る 地 元 の 民 族 幹 部,住 民 お よ び 宗 教 界 が 強 く反 対 した。 木 里 は,16世 紀 に チ ベ ッ ト仏 教 黄 教 が 伝 来 して以 来,チ ベ ッ ト仏 教 が 深 く浸 透 した 地 域 で あ り, 木 里 仏 教 界 は ダ ライ ・ラマ,バ ンチ ェ ン ・ラ マ に つ ぐ第3位 に 位 置 して い た 。 宗 教 界 上 層 部 や 民 族 幹 部 が 反 対 す る の は 当 然 で あ っ た 。

四 川 プ ミ自 身 も,す で に400年 以 上 もチ ベ ッ ト仏 教 を 深 く信 仰 して お り, チ ベ ッ ト仏 教 徒=チ ベ ッ ト族 で あ る との 意 識 が 強 い 。 彼 らは チ ャ ン 語 支 に 属 す る プ ミ語 を用 い,新 年 や 冠 婚 葬 祭 の儀 式 な ど に プ ミ独 自の 文 化 が 雲 南 の プ ミ族 よ り濃 厚 に 維 持 され て お り,隣 接 す るチ ベ ッ ト族 の そ れ とは 明 ら か に 異 な っ て い る が,チ ベ ッ ト仏 教 の 信 仰 に お い て ラ サ の チ ベ ッ ト族 に 強 い 連 帯 感 を も っ て い る 。 彼 らに とっ て 政 府 工 作 組 の意 見 を 受 け入 れ て チベ ッ ト族 で な くな る こ とは チ ベ ッ ト仏 教 を 否 定 す る に 等 しい 。 四 川 プ ミは,明 らか に 祖 先 と言 語 を 雲 南 プ ミ と共 有 す る 集 団 で は あ っ た が,数 百 年 に お よ ぶ チ ベ ッ ト仏 教 へ の 信 仰 は す で に 精 神 的 支 柱 とな っ てお り,自 民 族 意 識 の 形 成 に 大 き く作 用 して い た 。 チ ベ ッ ト族 で あ る こ と を 強 く主 張 した 民 族 幹 部 の 判 断 は,最 も よ く住 民 の 意 思 を反 映 した と もの で あ った とい え よ う。

〔引 用 文 献 〕

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川西南 の 「 西 番」 に お ける民族 識 別(1)

川 西 南"西 番 族"的 民 族 識 別(1)

一以 普 米 語 集 団 為 例

松 岡 正 子

四 川 西 部 是 眠 江 、 大 渡 河 、 雅 碧 江 和 金 沙 江 四 条 大 河鍬 貫 南 北 的 高 山 峡 谷,是 因歴 史 上 几 介 民 族 集 団 沿 河 遷 徒 而 形 成 民 族 構 成 与lt,言系 銃 極 為 複 雑 的"民 族 走 廊 区'1。川 西 藏 族,明 清 以 来 被 称 力"西 番"。 従 悟 言 上 看 、"西 番"使 用 着 両 種 語 言,1介 是 属 漢 藏 語 系 藏 緬 語 族 減 語 支 的 語 言,男1A為 同 一 語 系 同一 語 族 但 却 是 莞 語 支 的 語 言 。 使 用 后 一 語 言 者 集 中在 川 西 南,由 於 在 語 言 上 和 信 仰 上 和 使 用 前 一 語 言 者(在 晋 代 文 献 上 被 称 西 番)不 同,為 区 別 起 見 而 称 之 為"西 番 族1'。

"西 番 族"分 為 普 米

,多内木 又,木 雅 等11介 下 位 集 団,毎 介 集 団 都 有 其 固 有 的i吾言 和 自称 。 其 中普 米 活 集 団 在"西 番"中 人 口 最 多,迭 介 集 団 又 以 金 沙 江 為 界 分 成 四 川 普 米 和 雲 南 普 米 両 部 分 。 雲 南 普 米 是13世 妃 由 四 川 遷 到 雲 南 的,傍 保 持 着 原 先 的 語 言 和 習 慣 。 但 是 在 信 仰 上 二 者 有 所 区 別,四 川 普 米 信 仰 藏 傳 佛 教 、 而 雲 南 普 米 価 保 存 原 始 宗 教 。

雲 南 普 米被 政 府 工 作 組 在1950年 代 識 別 為 普 米 族 。但 是 川 西 南"西 番 族"

由 干 有11介 下 位 集 団 而 不 能 決 定 銃 一 的 族 称,暫 時 被 帰 入 藏 族,四 川 普 米 也 属 藏 族 。1980年 代 進 行 第2次 民 族 識 別 時,鑑 於 四 川 普 米 所 用 語 言 併 非 藏 活 、 而 雲 南 普 米 已 被 承 認 為 普 米 族,政 府 工 作 組 建 議 把 四 川 普 米 従 藏 族 改 為 普 米 族 。 四 川 普 米 対 此 建 議 甚 為 反 感,因 力 他 伯 長 期 已 受 到 藏 傳 佛 教 的 影 日 向 併 形 成 了 和 西 藏 藏 族 同祥 的 民 族 意 識 。四 川 普 米 和 雲 南 普 米 錐 有 一 致 的i吾言, 但 在 精 神 上 没 有 共 同 悟 言 。 在 反 対 政 府 工 作 組 建 議 的 活 動 中,穆 文 富 等 老 民 族 干 部 作 出 了 恨 大 貢 献 。 中央 政 府 遵 照"名 従 主 人"和"和 愛 国 上 層 人 士 結 成 銃 一 戦 線"的 民 族 政 策 的 原 則 ,承 認四川 普米為藏 族。

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