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私立学校を設立する基本権についての一考察

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(1)

私立学校を設立する基本権についての一考察

 ードイツにおける議論を中心としてー

赤 川   理

はじめに第一章私立学校を設立する権利と私立学校制度の概観−基本法七条四項

 第一節 教育制度におけるラントと連邦との関係

 第二節 基本法七条四項の構造

  − 就学義務の存在と公立学校の優位

  2 私立学校を設立する権利と国の学校監督との関係

  3 自分の子供を私立学校に通わせる両親の権利

 第三節 代用学校という学校形態

 第四節 私立学校制度の正当性と国家と両親の関係

第二章国家と両親の関係

 第一節 進路指導学年制判決の検討

   私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二六五

(2)

二六六

 第二節 私立学校の自由の機能

おわりにはじめに

 未熟な存在である子供が︑自分の生活を有意義なものにし︑社会の一員として一人前に生活をしていくためには︑

知識や能力を身につけることが不可欠である︒また︑社会の側も︑社会を支えることができるだけの知識や能力を

身につけた人間を必要とする︒そういう意味において︑教育は︑単に︑個人の自己実現ということに資するだけで       ︵1︶はなくて︑社会が存続して発展するための前提を作り出すという役割をも持っていると言える︒

       ︵2︶ 現代の国家においては︑国家が︑公教育として︑教育を提供するということが︑一般的であるように思われる︒

しかし︑国家は︑自由な国家として︑個人の内面への介入や教化をしてはならないのであるとすれば︑学校教育の       ︵3︶場においては︑教育と教化の間で緊張関係が存在することになる︒

 ところで︑教育という営みにおいては︑国家︑両親︑子供︑教師といったさまざまなアクターが登場する︒それ

らのアクター相互の関係をどのように捉えるかということは︑たとえそれが意識されていないとしても︑教育に関      ︵4︶する具体的な問題を解決する際には︑常に基底に置かれていると思われる︒

(3)

 本稿では︑ドイツにおける私立学校の自由についての議論を素材として︑教育の場において︑国家と両親の関係

がどのように捉えられているか︑あるいは︑国家と両親の関係がどのように捉えられるべきかということについて

検討することを目標とする︒自分の子供に︑どのような教育を受けさせるかを決定する︑あるいは︑選択する自由         ︵5︶が︑両親に認められるとすれば︑自分の子供を公立学校へ通わせない自由というものもあり得るように思われる︒

実際に︑現在存在する制度として︑私立学校制度は︑国家の教育制度に対して︑ひとつの代替肢を提供していると

思われる︒すなわち︑私立学校という制度は︑国家の学校制度と両親の個別の希望との結節点にあって︑両者の調

整をはかるものとして見ることができると思われるのである︒そこで︑私立学校制度が︑憲法上︑どのように位置

づけられているかについての議論︑また︑私立学校を求める両親の自由についての議論を検討することによって︑

教育の場における国家と両親の関係の一側面について考察することができるのではないかと考えて︑右のような

テーマを設定した︒以上が︑本稿の問題意識である︒

︵1︶参照 長谷部恭男 ﹃憲法﹄︵第四版︶ 二八五−二八六頁 二〇〇八年

︵2︶ 長谷部恭男 ﹃憲法﹄︵第四版︶ 二八五−二八六頁 二〇〇八年

︵3︶参照 西原博史 ﹃良心の自由﹄︵増補版︶ 二〇〇一年 ︵学校教育については︑特に︑第二部参照︒︶

︵4︶本文のように考えることは︑旭川学テ事件最高裁判決︵最大判昭和五一年五月二一日刑集三〇巻五号六一五頁︶が示し

  た立場とも整合すると思われる︒旭川学テ事件最高裁判決は︑教師︑親︑国などの教育の担い手について︑それぞれ教育

  する自由や権能を分配するという考え方を採用しているように思われる︵刑集三〇巻五号 六三三ー六三七頁参照︒︶︒こ

  のような考え方からすると︑前提として︑教育という場に登場するアクター相互間の関係を明らかにすることが必要不可

 欠になるだろうからである︒旭川学テ事件最高裁判決のような考え方に対して︑疑問を投げかける論孜として︑内野正幸

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九−一︶ 二六七

(4)

二六八

   ﹃教育の権利と自由﹄ 一九九四年 二七頁以下参照︒

︵5︶ 自分の子供にどのような教育を受けさせるかを決定する両親の自由や権利は︑子供の権利に仕える義務的な性質のもの  でもあることが︑注意されなければならないものと思われる︒第二章冒頭の段落の注︵3︶も参照︒

第一章 私立学校を設立する権利と私立学校制度の概観ー基本法七条四項

       ︵1︶ 本章では︑私立学校を設立する権利などについて定めるドイッ連邦共和国基本法七条四項について︑また︑ドイ       ︵2︶ツにおける私立学校制度について︑トーマス・オッパーマンの議論などを参照することによって︑簡単なスケッチ      ︵3︶を試みることにしたいと思う︒

︵1︶ ドイツ連邦共和国基本法︵以下では︑単に基本法ということにする︒︶七条四項は︑次のように定める︒﹁私立学校を設  立する権利は保障する︒公立学校の代用としての私立学校は︑国の認可を必要とし︑かつ︑ラント法律に服する︒この認

  可は︑私立学校がその教育目標および施設ならびにその教職員の学問上の養成において公立学校に劣らず︑かつ︑親の資

  産状況による生徒の選別が助長されない場合に与えるものとする︒この認可は︑教職員の経済的および法的地位が十分に

  確保されない場合には拒否するものとする︒﹂ 本項の翻訳は︑初宿正典・辻村みよ子‖編 ﹃新解説世界憲法集﹄ 二〇〇

  六年 一五五頁︵初宿正典︶による︒

︵2︶ 弓9日知゜︒Ob罵自碧5o力合巨Φ已己9巨09︾5巨qξ巨⁚出碧巳ぴ已99︒︒oo古§訂﹃oo宮︒︒02Co烏己①︒︒﹃ΦO已げ巨︵O⑳巨︒︒6巨昌臼

  9日已゜︒o︒oσ︒oぴ自く8﹄oωΦ﹃討①5︒︒oo烏己㊥①巨腎o巨ジ9ロ昌伜≦N≦①詳Pq已6冨Φ︒︒各90︾巨品O心︒O呂乙﹂c︒切・

︵3︶ 私立学校を設立する権利︑また︑私立学校制度に関しては︑基本法七条五項もきわめて重要である︒基本法七条五項は︑

  私立の国民学校︵<σ片切m合巨Φ︶について︑次のように定めている︒﹁私立の国民学校は︑教育行政官庁が特別の教育的利益

  を承認する場合にのみ︑または︑親権者の申立てに基づき︑それが宗派共同学校︵○Φ∋Φ日ω○ゴ昌゜・°︒曾已①︶として︑︹キリス

  ト教の︺宗派学校として︑もしくは世界観学校として設立されるよう求められている場合で︑かつ︑この種の公立の国民

(5)

学校が市町村内に存在していない場合にのみ認めるものとする︒﹂ 本項の翻訳は︑初宿正典・辻村みよ子11編 ﹃新解説世

界憲法集﹄二〇〇六年 一五五頁−一五六頁︵初宿正典︶による︵︹︺の中は初宿の翻訳による︒︶︒本章においては︑私

立学校を設立する権利︑また︑ドイツにおける私立学校制度について︑概観することを中心的な目的としているので︑基

本法七条四項を検討の中心に据えることとして︑私立の国民学校について定める基本法七条五項については︑可能な限り

で検討することにしたい︒

第︸節 教育制度におけるラントと連邦との関係

 まず︑ドイツにおける議論の前提として︑基本法が︑その七条一項で︑国の学校監督を定めているということが      ︵1︶踏まえられなければならない︒

 そして︑ドイツにおいては︑教育に関することがら︑また︑学校に関することがらは︑ラントの文化高権︵民巨巨

ゴ曇α・二鍵曇︶に属する・﹂とがらであり・まずは・ラントが権限を有圭・オッパ←ンによれば二学校と

職業教育の領域における立法管轄と行政管轄の重点は︑基本法三〇条︑七〇条以下︑八三条以下に従ってラントの      べ ものである︵⁝︶﹂︒つまり︑基本法七条一項で言われている国の学校監督という概念において︑国という言葉が意

味しているのは︑ラントであるということに変・こ︑つして・ドイツにおける学校制度にとっては・ラントの役割

がきわめて重要なものになる︒学校制度に関して︑ラント憲法︑あるいは︑ラント法が︑非常に大きな役割を担う

        ︵5︶ことになるのである︒

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二六九

(6)

二七〇

 右で見たように︑ドイツにおいては︑学校制度や教育に関して中心的な役割を果たすのは︑ラントであるのだが︑       ︵6︶このことは︑学校制度や教育に関して︑連邦が何らの役割も果たさないということを意味しない︒実際に︑基本法

は何らの原則も定めていないのではなく︑若干の本質的な原則は︑直接に︑また︑間接に連邦憲法上確定されてい︵孔︒オッパーマンによれば︑ラントは︑学校制度︑また︑養成制度においても︑教育上重要な基本権の領域におけ

       ︵8︶る基本法上の規律や︑憲法の構造原理を通して︑重要な連邦憲法上の準則を尊重しなければならない︒オッパーマ

ンは︑教育上重要な基本権として︑特に︑基本法二条一項︑四条︑六条︑七条︑一二条をあげ︑また︑憲法の構造      ︵9︶原理として︑法治国家原理︑社会国家原理︑民主政原理をあげる︒オッパーマンのこのような考えからすると︑ラ

ントによって尊重されるべき基本法上の準則の中には︑私立学校を設立する権利も含まれているように思われる︒      ︵10︶なぜなら︑それを保障する基本法七条があげられているからである︒こうして︑私立学校を設立する権利は︑ラン

トによっても尊重されなければならないことになる︒

︵1︶ ﹁全学校制度は国︹1ーラント︺の監督の下にある︒﹂ 本項の翻訳は︑初宿正典.辻村みよ子‖編 ﹃新解説世界憲法集﹄ 二〇〇六年 一五五頁︵初宿正典︶による︒︵︹︺の中は初宿の翻訳による︒︶<箪弓ゴo∋90bb魯∋日長o力畠巨①ピ5●げm邑合Φ

 ︾已゜︒昆ユ臼応巨⁚出酪5合已90Φ゜︒o力吟蚤゜︒苫6宮︒︒臼2回59・︒﹃8巨巨︵OΦ暮・︒o巨ふ5合冨日巨︒︒ぴ︒Φσ︒Φぴ呂<8﹄o︒︒o巳ω巴︒︒Φo已己田己日9ー

 ゴo﹃緬碧9≦ふ笥聲Pq自o冨Φ゜︒Φ9器﹀邑譜P心︒OO吉●一ωO°雪゜﹂心︒∴<笹・○巨︒︒註目oo・曽9這苫旨o戸ひ巨合2Q力白8ご50︒︒け8巨合o◎oo=巳︐

 ︐oゴΦ・日⁝写o芦Φ含ピ5ユ﹈⇒°︒法巨850PNOOぷo︒°°︒べや゜︵同論文の初出は︑○巨昌゜︒註自゜力§o方写Φ芦o巨oけ20力ひ8﹇巨ユ゜︒け§庄畠oc︒6庁巳︐

 ゴ9①苦巨⁚国c︒°︒巴Φ﹃Oo︒︒b轟9⑳N昌弓9日①o︒§古戸日q臣臼P冨﹃巨︒︒σaoo︒Φぴ巴く8﹄o︒︒obゴ寄知巨︒︒09﹂9ピ5巳=o巨雲忌餌胃ひ・

 ロユ゜Pおべ90︒°︒°㌣゜︒ふ本稿においては︑特に断らない限り︑二〇〇二年の著書に依拠することとする︒︶⁝<担09°︒寓自゜︒冨苫方

 9σ︒昌m巴﹂8号゜︒o︑巷5庄各①白o力9己笥Φ︒︒Φ自Z目おや◎Q力﹈ωま∴<旭・○巨︒︒ひ一碧oo吟曽oXo◎■8庄臼Φoo畠巳けo冨古冨9σ︒o笹︒︒9Φ

 呵﹃Φ旨Φ詳巨己日9コ弓06宮OO<一㊤やPoo°心oΦ㊤゜

(7)

︵2︶ 壱゜09Φ︹∋碧5三゜知b◆︸口白﹂一゜

︵3︶ O唇氏∋日5wPPP國5°心︒O°︵二〇〇六年の基本法大改正により︑連邦とラントの立法管轄の配分に変更が生じたが︑学校

  や教育に関することがらの重点がラントの側に置かれている点には変わりはないものと思われる︒︶砥゜勺9隅切豊烏P監゜

  や・口α乞︹心︒P巨 O巨5ユσq①︒︒Φ辞N民o日日⑦昌貝弓冨昆o﹃呂知§\○旨9﹃O旨信bOOO︵﹄巨︶°︵4︶ 本節注︵1︶であげた基本法七条一項の翻訳において︑﹁国︹‖ラント︺﹂とされているのは︑本文で述べたことを反映

  していると思われる︒

︵5︶ ラントが大きな役割を担うことには︑基本法七条四項において︑﹁公立学校の代用としての私立学校﹂が﹁ラント法律に

  服する﹂とされていることも関わっていると思われる︒基本法七条四項については︑本章冒頭段落の注︵1︶参照︒︵6︶連邦の役割が︑限界づけられていることは確かだと思われる︒謡ドロ毘巨PPPO°卵02︹心︒べ︵7︶o唇︒自曽目富P國ロ一p

︵8︶ ○廿駕b弓碧5三゜騨bこ勾⇒﹄べ゜

︵9︶○口Φ自③β富PP°心︒べ゜

︵10︶ ObOΦ馨日5三゜知゜○こ雪令じ︒や右

第二節 基本法七条四項の構造

1 就学義務の存在と公立学校の優位

ドイツにおいては︑ラントの法律によって・就学霧の詳細が︷疋められて窺・就学霧が定められている以上・

子供たちは︑就学年齢に達すると︑公立学校であれ︑私立学校であれ︑いずれにしても学校に通わなければならな

いことに仁孔・両親も・自分の子供が学校に通うことに三て配慮しなければならないこと息麗・

私立学校を設立する基本権についての一考察       ︵都法四十九ー一︶ 二七一

(8)

二七二

 こうして︑子供たちは学校に通わなければならないことになるが︑ドイツにおける現状として︑量的な観点から       ︵4︶公立学校と私立学校とを比較すれば︑公立学校の方が圧倒的に大きい︒しかし︑だからといって︑私立学校を設立       ︵5︶する権利︑また︑私立学校制度は︑軽視されているわけではないと思われる︒実際に︑私立学校を設立する自由が       ︵6︶基本法上に位置づけられていること︑すなわち︑基本法七条四項にその条文上の根拠を有することも︑私立学校を      ︵7︶︵8︶設立する権利や私立学校制度が重要視されている有力な証拠のひとつとなると思われる︒

2 私立学校を設立する権利と国の学校監督との関係

       ︵9︶ それでは︑私立学校を設立する権利の保障と国の学校監督との関係は︑どのように捉えられるべきだろうか︒オ

ッパーマンによれば︑﹁社会のイニシアティブに︑学校制度における活動のための余地を開くところの基本法七条

四項の基本権は︑主として︑国家の介入に対する防禦権として理解され︑それにともなって︑基本法七条一項にお      ︵10︶ける︑国の学校監督に対する対蹴者として︑理解される︵原文注二五︶﹂︒オッパーマンのこの考え方は︑基本法七

条四項と基本法七条一項を︑対立するもの︑対極にあるものとして捉える考え方であるといえよう︒

 しかし︑オッパーマンのこの考え方は︑基本法七条一項と基本法七条四項がお互いに矛盾する︑あるいは︑単に

対立するということを意味しているのではない︑と思われる︒まず︑基本法七条一項という原則的な規範と︑基本       ︵11︶法七条四項とが結びついていることを指摘する論者もいることは︑注意されなければならないと思われる︒それか

(9)

ら︑実際に︑オッパーマン自身も︑次のように述べている︒﹁基本法七条四項における自由な学校制度の保障は︑

みずからを︑多元的で︑かつ︑寛容な公共態の構造の中に︑矛盾なしに︑はめ込む︒多元的で︑かつ︑寛容な公共

態の構造は︑厳格な公立学校の独占と一致しないだろうζ﹂ろのもの麓L・つまり・基本法七条四項の私立学校

を設立する権利は︑多元的で︑かつ︑寛容な公共態と整合するものである︑とオッパーマンはいうのであろう︒こ

の考えを発展させれば︑私立学校を設立する権利は︑多元的で︑かつ︑寛容な公共態のあらわれであり︑いわば・

畠な公共態のひとつのあらわれでもあるということにもな墨・ところで・国家の学校独占が存在已篭という

ことを前提として︑国の学校監督が認められているのだとすれば︑国の学校監督が認められていることそれ自体も︑

多元的で︑かつ︑寛容な公共態と整合的なものであり︑さらに進んで︑多元的で︑かつ︑寛容な公共態のあらわれ

と考︑えることもできよう︒このように考えると︑基本法七条一項に定められている国の学校監督と基本法七条四項

に定められている私立学校を設立する権利とは︑両方とも︑多元的で︑かつ︑寛容な公共態と整合するので︑そう

した公共態を媒介として︑結びつくことができるとも考えられる︒

 それでは︑国の学校監督と私立学校を設立する権利との関係は︑ただ単に結びつく関係にとどまるのだろうか・

オッパーマンは︑学校監督と私立学校の関係について︑基本法七条一項の学校監督概念が︑私立学校に対しては︑       制約されていることを指摘した上で︑次のようにも述べている︒﹁監督は︑とりわけ︑基本法七条四項︑および︑

五項において規範化された私立学校の国家の認可や承認の諸前提の保持に役立つ︒教育内容と教育方法に関する専         ユ門監督は︑行われない﹂︒つまり︑基本法七条一項に定められた国の学校監督は︑基本法七条四項や七条五項の自

由を実現する︑あるいは︑それらの自由を確保するための諸前提を確保する︑というのであろう︒しかし︑そもそ

   私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二七三

(10)

二七四

      ヨも︑基本法七条四項の自由がなければ︑国家が学校制度を独占することになってしまって︑これはこれで︑多元的       お で︑かつ︑寛容な公共態の実現という観点からすると︑問題であるということになりうる︒このような考え方から

すると︑基本法七条四項に定められている私立学校を設立する権利は︑基本法七条一項にとっても︑不可欠の前提

条件であることになろう︒そうだとすると︑オッパーマンの考え方によれば︑結局のところ︑基本法七条一項と基

本法七条四項は︑お互いに結びついているとみることができるだけではなくて︑さらに進んで︑一方が他方の前提

条件を確保する関係にあるということになるだろう︑と思われる︒つまり︑基本法七条一項と七条四項は︑確かに︑

「 ョ者﹂であるには違いはないが・単に対立するという関係にあるのではなくて︑対欝なものとして︑その緊

張関係が相互を支え合うという構造になっているものと思われる︒

3 自分の子供を私立学校に通わせる両親の権利

      び 基本法七条四項に定められた私立学校を設立する権利は︑次のような両親の権利とも密接に関連する︒オッパー

マンによれば︑﹁基本法七条四項の私立学校の設立の自由から︑間接的には︑自分の子供を私立学校に通わせる両      親の権利が帰結する︒この自由を侵害するだろうところの法律の規制は︑基本法と一致しない︵原文注二七︶﹂︒こ      お のことは︑先述した︑﹁多元的で︑かつ︑寛容な公共態の構造﹂との首尾一貫性とも整合的であろう︒自分の子供

を私立学校に通わせる両親の権利が認められるということは︑公共態が多様な考え方を受け入れているということ

であり︑公共態の多元性と寛容さのあらわれとして︑理解されることができるからである︒

(11)

︵1︶各ラントの法律を参照︒たとえば︑ベルリーンについて︑偏゜乙︒合巨需c︒Φ訂穿巳9↑芦ロロΦ﹃巨くo日まC碧已胃卜︒OO古麿ふ一

  ム⑰参照︑ヘルマン・アベナリウス︹著︺ 結城忠︹監訳︺ ﹃ドイッの学校と教育法制﹄ 二〇〇四年第九章︒

︵2︶ 就学開始は原則として六歳である︒たとえば︑ベルリーンについて︑謡一゜G︒合已o︒o°︒o冒富巳器↑§ユロΦ巨日くo日NΦ◆討目剖

  心︒OO♪㌧巨゜︽心︒°参照︑ヘルマン・アベナリウス︹著︺ 結城忠︹監訳︺ ﹃ドイッの学校と教育法制﹄ 二〇〇四年 第九章︒︵3︶参照︑ヘルマン・アベナリウス︹著︺結城忠︹監訳︺ ﹃ドイツの学校と教育法制﹄ 二〇〇四年第九章︒両親が自分

  の子供を学校に通わせない自由を有するかどうか︑すなわち︑就学義務を拒否する自由が両親に与えられるかどうかとい

  うことは︑原理的には問題になりうると思われる︒︵4︶弓ゴ︒§・・o§昌§w︒︒・巨・巨ぴ日邑・冨ξぴ旨ξ旨□碧巳ξ:Φ゜・°・§§曇゜・オロ巨Φ゜・﹃§覧o°昌6巨昌w

  巨2芦︒︒σQoo︒Φぴ巴<8﹄o︒︒Φh房巴︒︒oΦ戸59㊦③巳昏090抽udふ5創゜≦=N妻Φ詳P臼已○冨Φ゜︒Φ冨器︾巨③o︒O心︒OO一㌫﹂ωO°冒﹂ご呵白﹄︽°︵5︶ たとえば︑オッパーマンは︑私立学校を高く評価する︵○薯氏∋日5︾PPρ口⇒﹄心︒°︶︒

︵6︶ Ob駕ヨ曽5三゜③゜O﹂ロロミ゜

︵7︶ 基本法七条四項一段については︑制度的保障︵卑邑6宮ξ゜︒o︒曽碧註o︶を含むとされている︒ロo畠o田円9ゴ\ヒ︒Φ昆5昆乙︒6巨巨︵

  O昌日貸Φ畠9co富巴︒︒苫合ひロ曽こづΦ已亘β巳Φ︷99>巨譜P卜︒OO◎二d戸自ごΦOq⊃°同書第一五版の翻訳である︑ボード・ピエ

  ロートーーベルンハルト・シュリンク著 永田秀樹・松本和彦・倉田原志訳 ﹃現代ドイッ基本権﹄ 二〇〇三年﹇初版第二

  刷﹈ 二四五頁︑二四三頁参照︒

︵8︶ 私立学校制度にとっては︑一方では︑本文で述べたように︑基本法七条という基本法上の規定も重要である︒しかし︑

  他方では︑前述したように︵本章第一節参照︶︑ドイツにおいては︑学校や教育ということがらについて︑ラントが中心的

  な役割を果たすので︑ラント憲法やラント法もきわめて重要である︒謡↑勺Φ需﹃ロ巴已P巨゜や゜臣Z5巳Φこ日⁚O旨日絃ΦωΦ訂

  民o日ヨ①昌貝弓庁8ユo﹃呂㏄§\C旨需﹃O旨信bOOぺ︵9︶基本法七条一項参照︒︵本章第一節注︵1︶も参照︒︶

︵10︶ OU廿o自碧戸P知゜○こ國戸一N原文注二五では︑ロ箒邑国Nべ﹂漂︵卜︒OO∀があげられている︒

︵11︶ 切毘烏P③◆餌゜○こ﹀巨゜や.印ユZ5㊤心︒°

︵12︶ ○目o自碧5三゜餌゜O﹂雪﹄心︒°

︵13︶<担目①80﹃呂知已屓麿ご゜國皇︹忠こ巨⁚O§昔Φω゜訂内o§2古貸穿8qo﹃呂①∈日\O旨需﹃O巴岳L㊤゜︒ρ

︵14︶ 私立学校を設立する権利が認められれば︑国家の学校独占が排除されることになるのは︑当然であろうと思われる︒謡一゜

  ㊦含零99N︹芦創困芦c︒呵菩oお担o宮戸巨3ピ5亀Φ﹃Φ目gユo功Ω旨5絃Φ乙︒Φ冒Φ゜︒富合゜︒bo印巳已お︒︒≦Φ゜︒o戸巨⁚口昌合¢合号゜︒

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二七五

(12)

二七六

 <σ§°︒ξ゜︒苫99q2曽日9°︒﹃目已ぴ巨︵OΦ暮ωo巨芦Pト︒°ち巴げΦ§m戸需需︹日qΦ毫Φ﹂甘詳Φ巨認Φ゜云2芦oo︒Φσ︒①σΦ5く05国日︒︒ひロ雪ユP

 壽目円呂昌o甘♪出m5°︒占ooゴo⇒<σσqoポ︹日需﹃冨︹菖犀ξ<o目民o自③江出o︒︒mP垣σ痔竃国Φ司qP一q⊃Φ♪口巳Z門一Φ゜

︵15︶ 国家の学校独占が存在しないことの歴史的な検討について︑砥゜09°︒註碧o力声苫貫写Φ日o巨゜庁20力冨巴巨ユ゜︒■§庄畠Φ゜力6ゴ巨

 ゴoゴo戸戸巨呵﹃o旨Φ客烏己甘c力試古暮8目ΦP心oOO押oQQ力゜ωo◎︽ーωo◎ロ

︵16︶ Ob駕昌日5三゜③゜○こ穿﹄一゜

︵17︶ ObUΦ自胃5三゜餌゜○°雪﹄一゜

︵18︶ <担Oδ訂巨己呵9Φ﹃三゜騨゜Oこ國臼Z門一q⊃°

︵19︶私立学校が制度として認められるということは︑多様な考え方が公共態によって受け入れられているということになる

  だろうからである︒前の段落参照︒

︵20︶ Ob駕昌曽5三゜③bこ口5°﹃°

︵21︶基本法七条四項一段が︑制度的保障も含んでいることについて︑本節注︵7︶参照︒

︵22︶ Ob弓Φ目胃戸③POこ雪﹂や゜原文注二七では︑ロぎ﹃お国ω♪﹂Φm︵一Φ゜︒︶°があげられている︒

︵23︶ ObbΦ自日5三゜知゜○こ雪﹄N°

第三節代用学校という学校形態

       ︵1︶ 基本法七条四項においては︑﹁公立学校の代用としての私立学校﹂について定められており︑これは︑代用学校       ︵2︶

(]

冝wo力餌けNooOけ巴PO︶と呼ばれる︒連邦憲法裁判所によれば︑﹁代用学校は︑その設立でもって追求された全体目的によ

って︑ラントにおいて︑現に存する︑あるいは︑原則的には予定された公立学校のための代用として︑仕えるべき

       ︵3︶︵4︶︵5︶ところの私立学校である﹂︒

オッパーマンは︑私立の代用学校と公立学校との関係について︑次のように述べる︒﹁私立の代用学校は︑基本

(13)

法七条四項二段にしたがって︑公立学校と等価値性︵臼Φ﹂︒冒㊦詳鱒Φ邑がある場合にのみ与えられるところの国

家の認可を必要とする︒等価値性が意味するのは︑私立学校での養成が公立学校の要求よりも劣っていてはならな        ︵6︶いということである﹂︒オッパーマンによれば︑等価値性の要求は︑たとえば︑教案︑あるいは︑教師の養成の︑       ︵7︶公立学校との﹁同種性︵臼Φざ冨詳鱒Φ芭﹂の要求ではない︒同種性の要求は︑﹁⁝公立学校システムに対する教育      ︵8︶︵9︶上の代替肢としての私立学校という基本思想に矛盾するだろう﹂︒すなわち︑私立の代用学校は︑その教育におい

て︑公立学校と同種である必要はないが︑価値的に劣っていてはならないというのである︒そして︑私立の代用学

校の公立学校との等価値性は︑国の認可によって︑担保されるというのである︒

 私立の代用学校に国の認可が与えられるためには︑ほかにも条件が存在する︒オッパーマンは︑次のように説明

する︒﹁私立の代用学校の認可のためのこれ以外の前提条件は︑基本法七条四項において︑その両親の財産状態に       ︵10︶︵H︶基づく生徒の選別が避けられていること︑また︑教師の法的社会的な地位の確保である﹂︒いずれも︑基本法七条

      ︵12︶四項に根拠を有している︒

︵1︶基本法七条四項の翻訳については︑本章冒頭の段落の注︵1︶を参照︒

︵2︶穿︒§c・○目①§§︒︒・巨︒巨;Φ邑︒9巨゜・ぴ法ξu5︒亘碧合8え︒°・m§胃Φ合古゜・書b︒巨qΦ゜・﹃Φ日げ穿o︒巨・巨目P

 ゴ魯芦乙力o︒oσ︒oぴo⇒<o⇒㌔o︒︒o﹃H︒力05ΦΦピ日口勺図已昏o巨8︹ロ碧q°≦N笥ΦはP●自o冨Φ゜力ΦゴoロΦ巴邑躍obOOど●一ωα゜閲5°一〇︒∴<魑゜弓冨o−

 合﹃呂③∈目﹀詳べ゜口巳Z汽べ㏄゜u日⁝Ω旨5猪o°︒o訂民o§o暮章弓巨①oqo﹃呂知§\○旨8﹃O旨信L⑩○︒O∴遣゜窪6#㊥o需﹃ロ豊巨旬

 ﹀詳゜べ゜國qZ5一一bO°u日 Ω巨5島Φ︒︒①訂民o§Φ昌③♪弓庁8qo﹃呂③已日\C旨古20§卜︒OOべ゜︵3︶ロ︒箒自圏⊃﹂㊤る05○唇Φ自§SP穿昂

︵4︶代用学校としての資格を有しない私立学校は︑補完学校︵国品鍵自ξ゜︒°︒合已Φ︶と呼ばれる︒ロoユo国20書\ロΦ巨巨ユo力6巨巨︵

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二七七

(14)

二七八

  Ω55脅o合8Q力ひ富胃Φ︒宮︼一心︒一こづΦ已げ︒旬書︒﹂甘8>邑認P心︒OO◎自U口゜Φ品゜同書第一五版の翻訳である︑ボード・ピエロートーー

  ベルンハルト・シュリンク著 永田秀樹・松本和彦・倉田原志訳 ﹃現代ドイツ基本権﹄ 二〇〇三年﹇初版第二刷﹈ 二四

  六頁参照︒たとえば︑語学学校などは︑私立の補完学校として︑公的な申し出の欠けている部分を充填するものとして位

  置づけられる︵ObbΦ自§u知゜知゜○°∨國づ゜﹂o◎°︶︒砥゜bo豊巨P知PO°︾監゜や゜口9Z︹ご心︒°

︵5︶ 基本法七条五項については︑次のように言われている︒﹁民主的な社会的な考慮から︑基本法七条五項における国民

  ︵⁝︶学校のための国家の認可について︑基本法は︑とりわけ︑厳格な要求を立てる︒私立の国民学校は︑世界観的な︵宗

  派的なものを含めて︶理由からだけ︑設立されることができる︒すなわち︑たとえば︑宗派学校として︑あるいは︑宗派

  共同学校として︑または︑私立の国民学校について特別の教育的な利益の存在する際に︑たとえば︑保養所における学校

  の際に︑ハンディを負った人の学校において︑また︑新しい授業方法を確かめるための実験学校として︑設立されること

  ができるのである︵原文注三〇︶︒﹂︵○廿b魯日碧5PPO°ロロ一⑩゜原文注三〇では︑巴日昌民9含5①おO①゜︒げΦ︒︒o⇒OΦおG毘−

  譜oσ゜ξゴ①︶甘・o話゜°切Φ㌔5b99Φ⇒ま片︒・°︒合巨Φ戸日 國巴ロ一Φ◎︒四ω゜品Φ隅があげられている︒︶︒<担呂知§pPOこ巨゜S自d巳Z︹

  oo卜o∴︿担③已O戸ロ㏄合弓靭P①゜Oこ﹀昌゜ぺ國亀Z門一Nco°︵6︶8駕§碧β§°P冒﹂Φ゜

︵7︶○唇①目自戸き゜○°痴ロ峯

︵8︶ ○.Φ§5三゜①bこ閲5°一Φ゜

︵9︶ 以上について︑壷゜艮20書\o力6巨巨︻PPOこ國PΦ︒︒O同書第一五版の翻訳である︑ボード・ピエロート‖ベルンハルト・

  シュリンク著 永田秀樹・松本和彦・倉田原志訳 ﹃現代ドイツ基本権﹄ 二〇〇三年﹇初版第二刷﹈ 二四六頁参照︒

︵10︶ O苫窪∋碧戸PPO°u冒゜一Φ゜

︵11︶砥゜艮①﹃o日\°︒︒巨巨︵>PPO°∨智゜Φ゜︒ρ同書第一五版の翻訳である︑ボrド・ピエロートHベルンハルト・シュリンク著

  永田秀樹・松本和彦・倉田原志訳 ﹃現代ドイッ基本権﹄ 二〇〇三年﹇初版第二刷﹈ 二四六頁参照︒

︵12︶本章冒頭の段落の注︵1︶を参照︒

(15)

第四節私立学校制度の正当性と国家と両親の関係

 これまで検討してきた議論によれば︑基本法七条四項において保障された私立学校の自由は︑多元的で︑かつ︑       ︵1︶寛容な公共態という観点からも正当化され︑また︑自分の子供を私立学校に通わせる両親の権利という観点からも    ︵2︶正当化される︒

 ここで︑これまでの議論を︑教育という場に登場するアクターとしての国家と両親との関係という観点から捉え       ︵3︶直してみることにする︒国家は︑国の学校監督の担い手であり︑両親は︑自分の子供を私立学校に通わせる権利を   ︵4︶有していた︒ここで︑自分の子供を私立学校に通わせる両親の権利は︑間接的にではあるものの︑私立学校を設立         ︵5︶       ︵6︶する権利に基礎づけられ︑しかも︑両親は︑私立学校を設立する権利の担い手のひとつでありうる︒そうだとする

と︑国家と両親の関係を︑国の学校監督と私立学校を設立する権利の関係と対応させて捉えることもできるのでは

ないかと思われる︒そうすると︑国の学校監督と私立学校を設立する権利は︑第一次的には︑対庶的なものとして     ︵7︶捉えられていたことから︑国家と両親は︑まずは︑対立するものとして捉えられると思われる︒

      ︵8︶ しかし︑国の学校監督と私立学校を設立する権利には︑お互いに結びついているものとしての側面もあり︑さら      ︵9︶には︑お互いの前提条件を創出するものとして捉えられることもできるとすると︑国家と両親の関係もそれに対応

して︑お互いに結びついているもの︑そして︑お互いがお互いを必要とするという関係として捉えられることもで

   私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二七九

(16)

二八〇

きると思われる︒

 こうして︑国家と両親は︑確かに︑対蹴的なものであるには違いないが︑対蹴的なものとして共存する関係とも

捉えられることができるように思われる︒また︑さらに一歩を進めれば︑両者の関係をお互いがお互いを必要とす

るという関係として捉えることもできるように思われる︒

︵1︶謡↑目︒日知︒︒O暑︒昌自戸︒力曾巨Φ巨ユぴ︒ξ︒9旨゜・巨ユ巨品巨=曽合巨合9°・°・吟8古゜︒苫6け富合20d巨9°︒苫唇ぴ巨OΦ巨゜︒°巨碧ρ

  ゴ2芦・︐o︒oσ︒oぴΦ5<05き︒︒o⌒冨ロ︒︒ΦΦ戸5臼認巨民胃穿o門ロ呂q◆≦N零Φ⌒けPq烏o冨Φc︒o冨⇒Φ︾巨冒σ︒P心︒OO古●一ωO°u國5﹄心︒°本章第二  節2参照︒

︵2︶謡一゜○薯Φ自自5︑PPO°閲⇒﹂べ゜本章第二節3参照︒

︵3︶ 基本法七条一項参照︒ここでは︑﹁国家﹂や﹁国﹂としては︑ラントのことを考えている︒本章第一節参照︒

︵4︶砥゜○暑Φ昌§PPOこ閲戸一べ゜本章第二節3参照︒

︵5︶○暑Φ目碧戸餌゜PP冒゜一べ゜本章第二節3参照︒

︵6︶ 基本法七条四項参照︒私立学校を設立する権利は︑両親以外の個人の権利でもあり︑また︑団体の権利でもある︒ロ︒ユ〇

  四20昏\切Φ邑田昆゜力6巨巨︵∨Ω5日臼Φ98°︒﹇§■°︒お︒ゴニ一b亡目o已ぴΦ曽げ99①︾邑③o︒P心︒OO9穿゜Φベペ同書第一五版の翻訳で

  ある︑ボード・ピエロート‖ベルンハルト.シュリンク著 永田秀樹・松本和彦・倉田原志訳 ﹃現代ドイツ基本権﹄ 二

  〇〇三年﹇初版第二刷﹈ 二四五頁参照︒基本法一九条三項は︑次のように定めている︒﹁基本権は︑その本質上内国法人

  に適用しうる限りにおいて︑これにも適用する︒﹂ 本項の翻訳は︑初宿正典・辻村みよ子11編 ﹃新解説世界憲法集﹄ 二

  〇〇六年 一六〇頁︵初宿正典︶による︒また︑基本法七条四項一段が制度的保障を含んでいることについて︑本章第二

  節注︵7︶参照︒

︵7︶○唇︒目餌目騨゜知゜P穿゜≒

︵8︶ 本章第二節2参照︒

︵9︶ 本章第二節2参照︒

(17)

第二章国家と両親の関係

 国家と両親を対立する存在として捉える観点からすると︑私立学校という制度は︑国家と両親の緊張関係の場と       ︵1︶して位置づけられることができる︒すなわち︑一方で︑国家は︑統合を目指して︑公立学校制度を設置して︑それ

      ︵2︶を維持管理する︒他方で︑両親は︑自分の子供をどのように育てるかということについて︑権利や自由を有してお

︵3︶

り︑国家の学校以外の場で︑自らの権利や自由の実現をはかることもできると思われる︒そのような意味において︑

私立学校制度は︑両親の権利や自由の実現をはかる制度として︑国家と両親の緊張関係の中に立つことになると思

  ︵4︶われる︒

しかし︑笙章で検討したように・国家と両親の関係は・対立関係につきるものでは遼・また・私立学校とい

う制度は︑国家によって・制度として認められ・国家の認可を受けて・成り立っているものでも離・このように・

複雑な構造を有する国家と両親の関係は︑どのように捉えられるべきだろうか︒本章では︑私立学校制度をめぐる︑

国家と両親の関係に三て・クリスティアン゜シュタルクの翫謝をたどりながら・検討することにしたいと田心う・

︵1︶ 第一章第二節2︑第一章第四節参照︒

︵2︶ それが最もよく現れているのが︑第一章第一節で取り上げた国家の学校監督︵基本法七条一項︶という概念である︒

︵3︶ 基本法六条二項参照︒基本法六条二項は︑﹁子どもの育成および教育は︑両親の自然的権利であり︑かつ︑何よりもまず

 両親に課せられている義務である︒この義務の実行については︑国家共同体が監視する︒﹂と定めている︒本項の翻訳は︑

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二八一

(18)

二八二

 初宿正典・辻村みよ子11編 ﹃新解説世界憲法集﹄ 二〇〇六年 一五五頁︵初宿正典︶による︒この条項にあらわされて

  いるように︑両親にとって︑自分の子供をどのように育てるかということは︑権利としての側面だけではなくて︑義務と

  しての側面も有している︒

︵4︶ ただし︑ドイツにおいては︑公立学校制度の規模の方が圧倒的に大きいので︑公立学校制度と私立学校制度の緊張関係  は︑量的な観点からすれば︑限定的なものにとどまるものと思われる︒第一章第二節1参照︒

︵5︶ 第一章第二節2︑第一章第四節参照︒

︵6︶ 基本法七条四項︑五項参照︒

︵7︶ シュタルクの議論として︑臼巨゜︒江碧゜︒け胃o村w写o旨Φ﹂呂︒ゴ隅゜力§ご50玲§巨o庁Φo力6ゴ巨o冨古巨⁚写Φ芦Φ富巨己甘゜︒け﹇言百﹂050P

 心︒OO心︒°︒°力゜ωぶーお一゜︵同論文の初出については︑第一章第一節注︵1︶参照︒︶を中心的に取り上げる︒

第一節進路指導学年制判決の検討

       ︵1︶ まず︑ヘッセンの進路指導学年制についての連邦憲法裁判所の判決についての検討から︑シュタルクは議論を展

︵2︶︵3︶開する︒シュタルクは︑次のように述べる︒﹁ヘッセンの進路指導学年制についての連邦憲法裁判所の判決によれ

ば︑﹃学校制度における国家の決定権は︑基本法六条二項一段において保証された両親の教育権︵両親の権利︶に      ︵4︶よって︑限界づけられている﹄︵原文注一〇二︶﹂︒この局面においては︑両親の権利は︑学校制度における国家の

決定権と対立することになろう︒

 国家と両親が対立するとすれば︑何らかの調整が必要になるはずである︒シュタルクによれば︑﹁連邦憲法裁判      ︵5︶所は︑学校条項を︑基本法六条二項一段の両親の権利との実践的な調整の中に置く︵原文注一〇三︶﹂︒それでは︑

基本法七条一項と基本法六条二項一段は︑実際には︑どのように調整されるのだろうか︒﹁⁝連邦憲法裁判所の判

(19)

決によれば︵原文注一〇五︶︑教育の全領域の内部で︑個人権的な契機が強められ︑そして︑教育が学校において

行われる限りでさえ︑両親には︑基本法六条二項一段において︑基本権上保障された立場にまで強められていると

言われているところの影響が認められる︒自分の子供を教育する﹃両親の自然的権利︑かつ︑何よりもまず両親に

課せられている義務﹄と︑基本法七条一項がそこから出発しているところの学校における国家の教育委託を︑連邦

憲法裁判所は︑同位に見ており︵原文注一〇六︶︑そして︑以下のように︑実践的な調整を定式化する︵原文注一

〇七︶︒﹃子供の︿ひとつの﹀人格の教育を目標とするところの両親と学校のこの共同の教育委託は︑個々の権限に      ︵6︶解体されない︒それは︑有意義にお互いに関連する共同作用において︑果たされる﹄﹂︒つまり︑連邦憲法裁判所の

進路指導学年制判決によれば︑両親と国家は同位であり︑両者は︑子供という﹁ひとつの﹂人格の形成を目指して         ︵7︶協力しなければならない︒このような考え方に基づいて︑具体的な調整がなされることになろう︒

       ︵8︶ シュタルクも︑国家と両親の関係についての連邦憲法裁判所の考え方を出発点として︑その意義を認めるが︑連       ︵9︶邦憲法裁判所の右のような考え方だけでは︑懸案となっている問題が解決されないことも指摘する︒シュタルクに

よれば︑懸案となっている問題は︑次のような問題である︒﹁⁝ωどの程度︑国家は︑個々の両親の具体的な教育

の願いに︑従わなければならないのか? どの程度︑国家は︑その願いを組織上の措置によって実現しなければな

らないのか? ②国家は︑両親︑あるいは︑両親の代表者を内的な学校事項において︑ともに作用させ︑あるいは︑      ︵10︶その上︑ともに決定させなければならないのか?﹂︒

シュタルクによれば︑連邦憲法裁判所は︑ωの問題について︑ヘッセンの進路指導学年制判決において︑部分的

  私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九−一︶ 二八三

(20)

       二八四

       ︵11︶      ︵12︶な答えを与えている︒シュタルクは︑次のように述べる︒連邦憲法裁判所によれば︑進路指導学年制の導入は︑両       ︵13︶親の権利を侵害しないけれども︑学区外の上級学校や私立の代用学校への通学は許可されなければならない︒つま

り︑進路指導学年制が導入されている学校に︑自分の子供を通学させたくないという両親の希望を叶える余地は︑      ︵14︶残されなければならないというのである︒シュタルクが︑連邦憲法裁判所のこの判決を︑﹁部分的な答え﹂と言う

主旨は︑連邦憲法裁判所のこの判決は︑個別の両親の具体的な願いを︑消極的な形で実現するという側面にかかわ

るものであって︑積極的な形での実現がどの限度においてなされうるのかということの答えにはなっていないとい

うことだと思われる︒

      ︵15︶ それでは︑シュタルクの提起した②の問題については︑どのように考えられるだろうか︒この問題は︑学校にお       ︵16︶ける国家と両親の共同決定についての問題ということができると思われる︒共同決定に関しては︑シュタルクは︑      ︵17︶比較的否定的な態度を示していると思われる︒シュタルクによれば︑まず︑両親には︑選挙を通して︑議会制民主      ︵18︶主義の枠内で︑教育政策に関与する可能性が与えられている︒また︑シュタルクは︑責任という観点から︑共同決

定について︑次のように述べる︒﹁国家の学校決定における︑また︑市町村の学校決定における︑両親の代表者の

資格を付与された共同決定権は︑責任を抹殺するだろう︒国家の領域においては︑統治の議会的な責任が︑裏をか

いて効果を失わせるだろう︒市町村の領域においては︑二重の代表が発生するだろう︒その二重の代表は︑学校政       ︵19︶策について︑とにかく誰かが責任を負わされることができるということを阻止するだろう﹂︒また︑両親の権利は︑      ︵20︶個人的な要素が強いため︑代表ということになじまない︒以上のような考察を踏まえて︑シュタルクは︑両親の参       ︵21︶加には限定的な意義しか認めていないように思われる︒

(21)

︵1︶ロ箒邑国c︒♪一Φ㎝は進路指導学年制判決について︑参照 飯田稔 ﹁国家の学校監督権と親の教育権ー進路指導学年制判決

  1﹂ ドイッ憲法判例研究会編 ﹃ドイッの憲法判例﹄︵第2版︶二〇〇三年 二三六頁ー二四一頁

︵2︶ 09°°註碧゜力﹇曽o方印Φ旨Φ﹂巨6ゴ零Q︒■8百巨巳゜°8彗陪けm°︒°ゴ巨o庁゜宍日⁚呵冨貯o詳巳己甘ω葺巨oづΦP卜︒OO押゜︒°ωO心︒は︵同論文の初

  出については︑第一章第一節注︵1︶参照︒︶

︵3︶砥・巨・・§︒︒§良留富昌・冨︒・畠曇︒ゴ︒ζ§°・︒管冨呵曇゜當巨巴富§°プも皇§p°・°心・や︽°

︵4︶ 乙︒8冨大PPO⌒芦∋°心︒°︶︒︒°ω㎏心︒°原文注一〇二においては︑ロ<O詳◎国ω古宗◎一゜︒心︒°があげられている︒

︵5︶ Q力富8方PPO◆︵ξ゜心︒°︶︒力゜c︒⑩ト︒°原文注一〇三によれば︑弓ゴΦo烏自呂知§巨゜N國昔門吟P巨⁝○目日●oαΦ゜︒°訂民o日∋Φ昌餌﹃︾弓冨O−

  △自呂知§\Ω旨古20葺σ︒︸一⑩Φ⑦゜が相互作用について語っているが︑筆者は一九六六年のマウンツのこのコンメンタールに  接することができなかった︒

︵6︶ ︒︒88方PPOこ§∋N°︶︒︒°ω⑩心︒°原文注一〇五においては︑ロ箒﹃お国ω古﹂Φ◎﹂°︒°︒°があげられている︒原文注一〇六におい

  ては︑進路指導学年制判決︵一九七二年︶より前の論文である︑国冒o力冨旦日9巨合o昌昔9︒蠕ピ日o︒戸∋qo巨︒︒畠Φ⇒乙力合巨笥?

  ︒︒⑦ロ品一⑩㎝べ︒︒ヒはが︑あげられている︒原文注一〇七においては︑ロぎ昧Ω回ω♪宗◎一゜︒°︒﹄5ユいΦ﹂ひω魯N︽°があげられてい

  る︒また︑︿ ﹀の中は︑原文イタリック体であるが︑これは︑原文注一〇七にも記されているように︑連邦憲法裁判所の  判決においてもイタリック体である︒︵7︶ 完全に国家から独立した教育制度を構想することも︑原理的には可能であるように思われる︒ただし︑本稿で取り上げ

  るシュタルクの論孜に関する限りでは︑国家から完全に独立した教育制度というものは構想されていない︑と思われる︒

  つまり︑両親が子供を学校に通わせないということ︑あるいは︑就学義務そのものの拒否というところまで原理的にさか

  のぼった議論は︑本稿で取り上げるシュタルクの論孜においては︑なされていないように思われる︒︵8︶ シュタルクは︑国家と両親の関係を連邦憲法裁判所が定式化したことに大きな意義も認めている︒°︒ひ胃゜大PPρ︵﹃°卜︒°シ

  のめぼり

︵9︶︒︐§6方餌゜pρ︵§°ト︒°︶°・°°︒㊤c︒°

︵10︶ ooけ胃爵b°㏄b°§°ト︒°︶QQ°ω㊤ω゜

︵11︶ 留βo方PPO曾日゜心︒°︶︸ω゜ωΦω゜

︵12︶︒︒§︒方③゜PO°︵雪゜ト︒°ピ゜力◆ωq⊃ω゜進路指導学年制については︑本節注︵1︶にあげた飯田評釈参照︒

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二八五

(22)

二八六

︵13︶ °◎声冨封PPρ︵§Nシ︒力゜ωq⊃c︒°ロ<Φ鳳O国ω古一昂﹈︒︒㎝拝一⑩Φ旨

︵14︶ ooけ曽o村P知゜ρ︵﹀臣∋°b︒°ソ乙o°Q︒㊤o︒°

︵15︶ o︒け胃oX知゜PO°︵旨日゜N°yoo◆c︒Φc︒°

︵16︶ <唱o︒辞胃o置③゜Pρ︵§°N°︶ち゜c︒⑩ω゜

︵17︶ <担ω§9三゜餌゜O°︵§°ω゜︶亘゜心︒8°

︵18︶ Q︒■胃o村P知b°﹃°心︒°︶Q︒o︒°ωΦω1ω逡゜

︵19︶ o︒・曽9三゜旬゜ρ︵§°心︒°ソo力゜c︒忠゜

︵20︶ o︒冨苫方9°PO°︵旨∋°N°ソ◎力゜ω逡゜

︵21︶ シユタルクは︑両親の参加について︑次のような意義は認める︒﹁市町村.国家のレベルで︑助言し︑提案し︑質問する

  活動をするところの両親の委員会は︑有意義である﹂︵︒Q§︒方ppO°︵§Nシ゜︒°c︒㊤ロ゜︶︒そうすると︑両親の委員会は︑助

  言︑提案︑質問といった限定的な機能は︑果たすことができるということになろう︒壷゜°力富苫村pPρ︵旨日゜ωシ゜力゜心︒誤゜

第一一節 私立学校の自由の機能

       ︵1︶ シュタルクは︑私立学校の自由を︑﹁自由な学校システムの不可決の礎石﹂として評価する︒﹁両親が︑一般的な

国家の教育構想に満足しておらず︑あるいは︑両親が︑教師によって具体的に行使された教育の自由を受け入れら

れないと考えるならば︑両親は︑自分の子供を︑自分の教育構想に歩み寄るところの私立学校に入れることができ       ︵2︶る︒この可能性は︑憲法から存在する︒しかし︑適当な私立学校がないので︑常に実現されているわけではない﹂︒

つまり︑シュタルクは︑私立学校の自由︑また︑私立学校制度を︑両親の権利という観点から︑非常に重要なもの       ︵3︶として評価するわけである︒

(23)

 ところが︑私立学校制度は︑対立する評価が存在する︑論争的な存在でもあるので︑シュタルクは︑私立学校制       ︵4︶度に否定的な見解を紹介する︒

シュタルクは︑私立学校の自由に対する肯定的な見解の例として・連邦憲法裁判所の判決をあげて境・シュタ

ルクによれば︑連邦憲法裁判所は︑﹁⁝授業の自由の保障の中において︑﹃国家の学校独占の拒否﹄︑そして︑﹃種類

の異なる教育形態︑また︑教育内容という理由だけで︑対応する国家の学校に対して︑等価値である代用学校を不

利に扱うことを禁じているところの価値決定﹄を見る︒﹃学校が︑その中において︑描き出されることができると

ころの形態と内容の多様性に対して︑国家がこのように開かれていることは︑人間の尊厳を認め︑また︑宗教的中

立性と世界観的中立性を認めるところの畠で量的な基本秩序の価値観念に対度縫﹄﹂・つまり・私立学校の自

由の根拠は︑究極的には︑自由で民主的な基本秩序という価値観念に求められる︑というのであろう︒

 ここで︑シュタルクが︑﹁私立学校の自由の保障は︑いかなる内容の国家の影響をも排除しているのではない︒

私立学校は︑国家から自由な学校ではない︵原文注=二二︶︒すなわち︑私立学校は︑代用学校として︑国家の認

可を必要とし︑ラントの立法︵基本法七条四項二段︶と・国家の監督︵基本法七奎項︶の下に紮﹂ということ

を指摘していることは重要であると思わ江㏄つまり・シュタルクの議論においては・私立学校は・あくまで・国

家の制度の枠内のものとして構想されているのであって︑国家の枠外におけるものとして構想されているわけでは      ︵9︶ないということになるのである︒

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二八七

(24)

      二八八

右の段落で引用した駈においては・次の三つのことがらが問題として取り上げられていた︒まず竺は︑私立

の代用学校に対する国家の認可であり︑第二は︑私立学校がラントの立法の下にあるということであり︑第三は︑

私立学校が国の監督の下にあるということであった︒それぞれについて︑シュタルクの述べるところを見ていくこ

とにする︒

 まず︑シュタルクは︑国家の認可の性質について︑次のように述べる︒﹁基本法七条四項三段に基づいて︑﹃私立

学校がその教育目標および施設ならびにその教職員の学問上の養成において公立学校に劣らず︑かつ︑親の資産状      況による生徒の選別が助長されない場合﹄︑認可を求める法律上の請求権がある﹂︒つまり︑基本法七条四項の条件

を満たしたものには︑認可が与えられなければならないということになる︒

 第二のラントの立法の下にあるということについて︑シュタルクは次のように述べる︒﹁﹃ラントの法律の下にあ

る﹄ということは︑私立学校の一般的な1学校に関連しない−法秩序への拘束︑また︑私立学校の自由についての       ヨ憲法条項を実施するところのラントの法律に対する拘束を意味する﹂︒このことは︑すでに述べたように︑ドイツ

においては︑教育や学校ということがらについて︑ラントが中心的な役割を担っているということにも関わってい

︵13︶る︒

 私立学校が国の監督の下にあるという第三の点について︑シュタルクは︑おおよそ︑次のように述べる︒国の学      き校監督は︑法的監督としてのみ行われることが許される︒もし︑専門的な監督が行われるならば︑私立学校の自由

(25)

の保障は︑空洞化されてしまうだろうか三紮・そして・シュタルクは・国の学校監督によって・私立学校の授

業が︑公立学校の授業と同種のものにされてはならない・という王旨の指摘を莚・

 以上の議論を踏まえて︑シュタルクは︑私立学校の自由の機能について︑次のように述べる︒﹁ひとが︑私立学

校の自由を︑両親の教育権︵基本法六条二項︶と︑国家の学校高権︵基本法七条一項︶の緊張の場においてみるな

らば︑私立学校の畠の二つの本質的な機能が判明範﹂・

 シュタルクは︑私立学校の自由の第一の機能について︑おおよそ次のように説明する︒両親は︑公立学校の組織

や︑教育内容︑規範の伝達が正当でないと思えば・自分の子供を公⊥掌校に通わせないことがで弘・この︑﹂とか

ら︑公立学校と私立学校の間で競争が生じ︑それは畠を促進する役割を果範・両親は・基本的には・選挙を通

してしか︑学校政策に対する影響を及ぼすことはでき㌻・しかし・自分の子供を私立学校に通わせるということ

で︑国家の学校政策に対する反対を表明することがで弘・このことを・シュタルクは次のように表現する二私

立学校は︑国家において責任のある政治的な力が︑両親によるその学校政策の受け入れを︑それに基づいてはかる

ことができるところのバ・イ7で五%L・そして・その意義をより積極的に・次のように位置づける二私立学

校は︑国家による統合的な学校の形態づけ︑また︑多元主義的な学校の形態づけについての目印となる知らせであ

 お る﹂︒こうして︑私立学校の自由という基本権は︑国家の権限を導くという機能を︑︵国家の学校政策に対して批判

的な︶両親によって︑果たすこと足挺・これが・シュタルクの指摘する私立学校の畠の機能の竺のものであ

る︒

私立学校を設立する基本権についての一考察      ︵都法四十九ー一︶ 二八九

(26)

二九〇

 しかし︑右に述べた第一の機能は︑代替肢となる私立学校が存在しなければ︑そもそも発揮されない可能性が高

い︒両親にとって︑現に存在する私立学校の教育方針とみずからの教育方針が一致していなければ︑国家の学校政      ゐ 策に対して批判的であったとしても︑結局のところ︑公立学校に子供を通わせる可能性もあるからである︒シユタ      ルクによれば︑このことから︑より長期的に見ると本質的な︑私立学校の自由の第二の機能が明らかになる︒﹁あ

らゆる時代に拘束づけられた抗議に左右されずに︑現実化可能な教育構想を発展させること︑それは︑公立学校の

教育構想に基づいてはかられなければならないだけではなくて︑それに基づいて︑公立学校もはかられなければな       ︵27︶      ︵28︶らないところのものである︵原文注=二八︶﹂︒すなわち︑発展させられるべきなのは︑﹁現実化可能な教育構想﹂

なのであって︑現実化不可能な教育構想ではないというのであろう︒その意味で︑私立学校は︑現実に根ざさなけ

ればならないし・責任を負うことが可能なの穀棚・そして・私立学校が提起する警構想は︑今度は︑公立学校       れ をはかる尺度としても機能するのである︒すなわち︑私立学校の教育構想は︑みずからをはかる尺度であると同時

に︑相手としての公立学校を測る尺度でもあるのである︒

        ところで︑シュタルクによれば︑私立学校は︑ラント憲法上の教育目標に義務づけられている︒﹁・.・学校が統合

をなしとげることは︑そのような教育目標の承認に左右されるだけではなく︑むしろ︑授業の具体的な形態づけ︑

また︑教師によって︑生き方の範を示された態度に左右される︒その態度は︑確信されているだけで︑そして︑教       育上の作用を約束されているところのものだが﹂︒ここでは︑具体的な授業という現場も重視されているのである︒       ま そして︑私立学校のもたらす統合は︑今度は逆に︑公立学校をはかる基準ともなりうるであろう︒

参照

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