生活的観点における学校体育に関する基礎的一考察
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(2) . 平成5年3月. 北海道教育大学紀要 (第2部C) 第4 3巻 第2号 fEdu偽don( Secdonl IC)VO I i fHok 』粗doUD J ve矧げo omn副o .43 .2 ,No. Ma 3 l ch ,199. 生活的観点における学校体育に関する基礎的-考察 新開谷. 央. 北海道教育大学函館分校保健体育教室. Basic Considerations for SchooI PhysicaI Educat ion from h t e point of View ofDa ly Li fe i. 撞s a sms棚 圏 A Ph a bo i園 Edu t t { ユロonL i iけo i l fEdu s a o eConege y - γ ve r s { 頴江on ,Hakoda ,Ho姑園doUn H証 【 ( 主 a t o e040. Abst 『ac化 Thepu ft趣spaperistoes t lf or 苗ecロれdcu l fphys i園 edu‘盟don 安om 位e ab互 shamode = : poseo t 1 n lo into fview of霞l ay 砧e T h 恋 l f曲 d d l 晒 t i po h l e m e e m mo enso s e are e n sc oo 紅ldl oc組 comr ‐ n皿i鮒,at n 位e 垣ture Presentimdi .. Thesub i t ll j scussedtoes韻b丘sh せl 2edas: ec sd e mode 1 l ay besmnm観i Theconceptso for d 6 b qa 6 douts i deo d = = ロ 6 l eal r r ym e a l ym - l 道 Soc i司前回c l i f i h t t l c l u r e ag nsc oos ono . Schoo lc l 立山re Thecolrelabonofa甫ustmentbetween 並e physica ledu rd 叫um mdspor (韻bon dl t s 肺e .. は じ め に 教育がその機能を発揮するのにはタイムラグがある‐ しかし 教育に目的的継続性があれば 教 , , 育は近未来においても機能することになる. ここで問題となるのは 社会変動にともない教育の機 , 能も変化することである‐ そこで, 現時点における文化の学習と同時に児童生徒が成人 し生産活動 に参加する社会的メンバーとなる 次時代の社会に適応できる能力を獲得することが教育の課題とな )が問われることになる この能力は従来 る‐ 特に, 社会変動の激しい時代においては後者の能力3 ‐ , 高等教育機関に要求されている進歩的機能である‐ それに対して 従来の義務教育は将来必要とさ , (7 5).
(3) . 210. 開谷 ‐ 新開谷. 央. 2 1 ) れる基本的知識, 態度, 技能などを習得するというように卒業後の生活を前提 にしていた‐ そ こには児童生徒にとって将来の生活と現在の生活との間にイメージのギャッ プが存在している‐ こ こには今, 学習していること は自分の将来に役に立つ 立たないという形で表われ, 具体的に自分の 将来と現在の学習の必要性がイメージ出来なければ, 学習に対する意欲等 は低下し, その結果学校 に対する適応異常も問題となる. この自分の将来と現在の学習との間に明確なイメージが出来る条 件の一つとして 「生活」 という概念がある‐ 今の 「生活」 のすべてが将来のための準備としてでは なく今の自分にとって意昧のある内容であり, 社会にとっても十分に意味のある内容である必要が ある.. 学校という教育機関で多くの児童・生徒・学生が体育という教科の指導を受け, その中でス ポー ツを学習している. 教育が未熟な世代に対して多様な能力を身に着けさせる目的的な活動であるこ ) この能力は社会的価値と結び付き 教育目標 教育内容もこの社会的価値 とは言うまでもない3 , . , 2 } 体系から何らかの影響を受けている‐ 意義ある身体参加 としてのスポーツ活動も教科としての体 育のなかで, その時代その社会において望まれている価値と結び付いた教育目的に規定される側面 を持つ. スポーツが本来的に持つ価値と社会の価値体系との関係は学校体育の諸局面に反映し, 学 )として問題化している 校体育の現場において, 何らかの矛盾緊張4 . スポーツの本来的価値と社会の価値と は直接的に意識されることは少なく, その両者の間にはよ り具体的な一人ひとりのス ポーツ生活があり, そこにおける行為のなかに行為の全体性として両者 の価値が具現化する‐ そこで, 本研究はス ポーツ行動, 体育学習を含む学校体育において, 今の生 活の意味と将来の生活との連続性を考察する際の準拠枠について検討することを目的とする.. 生活について 生活するということ は生存して活動すること, 世の中で暮してゆくこと, またその手立て (広辞 苑) であるよう に, 最も現実的世界である‐ 生活することは僕とあなた, 一人ひとりの暮しという ように基本的には個人ないし個 人的つながりのなかで考えられる. また, 生活の捉え方は時代と捉 5 ) える本人の生活気分によって規定されるから主観的理解をま ぬがれない . つまり, 生活すること はその時代をリアルタイムで経験することであり, 個人的であり, 主観的である. したがって, 今 ある自分の生活が自分のものとしておかしいと思い始めなければ, なかなか自分の生活空間を取り 巻く社会を意識できない. もし意識できるようになるとそれは社会意識となる. )がいうように 社会的現実からの要請が何よりもそこでの生 「生活」 が意識されるのは, 副田9 , 活の破壊, 非人間化に根ざしてし ることによる‐ つまり, 生活の破壊, 非人間化 が現実的になった 9 ) とき, 自己の存在基盤である 「生活」 がいろいろな角度から問い直さ れてきた. 副田 は生活構造 を生命と物質とが生産, 消費される循還式と捉えるなかで, 生命と生活との関連を次のように説明 して いる‐. 生命とはひとの存在の全体をさすものである. それは身体と心理の双方をさしている. 生命とは ひとの存在と意識の全体をさすものだといわなければならない‐ それは, また, 生活の内実である 活動を作り出していくものとしての 「能力」 ともいいかえることができる. この能力は 「肉体的能 力」 と 「精神的能力」 とからなり, 人の実体に実存する‐ それら能力 が作り出す活動はもっとも広 い意味で理解されるものであり, 労働から睡眠まで含む‐ この 活動 の な か に 運動 を す る こ と や ス ポ ーツ を す る こと も含 ま れ て いる. そ して, ス ポー ツ を生 (7 6).
(4) . る 生活的観点における学校体育に関する基礎的-考察. 211. 活との関わりから捉えるとき, これら活動を支える能力は生命であり, それは人の全体的存在のう えに成立すると捉える必要がある.. 非日常性としてのスポーツ活動と日常生活との関連 スポーツの本質的価値はプレイの時空的限界内において意味をもち, その時空的世界における規 範に大きく逸脱しない限り, 多くの人によってこの価値は支持される‐ この価値の支持はプレイの 世界における内部的支持であると同時にプレイの外部からの支持でもある‐ 両者は非日常性-日常 性という性格を持ちながら両者の関係は相互に独立しているのではなく何らかの関連性を有してい る. この関連性の一つとして, 非日常的であるが故に日常において意味を持つということがあげら れる‐ 例として気晴らし等のもつ意味がその効用として意識されることなどがあげられる‐ これら を問題とする前に非日常性-日常性を人間が生活するという意味から見直してみたい. 非日常性は日常性との対比において時空的に限定された世界であるが, その世界にいる人は日常 ) 性である 〈現実へ舞い戻る7 〉 ことを前提している. すべての限定された意味領域は日常生活の現 実からのまなざしの転換によって特徴づ けられるというように, この移動可能な二つの世界を統合 しているのが日常世界の現実である‐日常生活は一貫性を持っ た世界として人々によって解釈され, ) (p かつ, ま た そ う し た も の と して 彼 等 に と っ て 主 観 的 に 意 味 の あ る 一 つ の 現 実 と し て 現 わ れ る7. 33) ‐ また, 日常生活の現実は他者とともに共有され, 対面的状況の中での他者との経験が起こり, )(P48) このように日常生活は他者との間の主観的 これが社会的相互作用の原形を成している7 ‐ な意味の交換過程 (P5 0) という意味において個人と社会との関係におけるミクロな構造を成し ている‐ 関係がミクロであることは日常生活は彼等にとっては主観的であり, 他者との関係におい ては間主観的である. またひとはこの多くのミクロな関係を形成しながらより大きい社会へコミッ 0 )は 「カイヨワは遊びの主要な活動 領域の一つを社会機構の外部にある文化形 トしている‐ 田中1 態としているが, 少なくともわが国の現実においては遊 びといえども社会機構の内部である」 とい うように遊びも生活を構成する-要素として社会との関連の中で捉える必要性を述べている‐ さら o )(P17 に人々はみずからの日常性という窓□を通して現代史に参加するl 2) というように, 生活 過程とは形式から言えば <関係の自立化〉 現象の結果形態である社会諸関係と対面している諸個人 の日常的な生産-消費の統一 であるとしている‐ そして, <生活過程〉 概念の位置づけは第一の契 機 (労働) 第二の契機 (く欲求, 欲望〉) が 〈生活過程〉 という第三の契機によって社会関係へと媒 1 )(P75) と して いる 介 さ れて いる1 .. 生活はひとが生命を持つ全体的存在として個人意識を持ち活動し, 諸関係を自律化できる空間と 時間であり, ここでの生活過程は生活意識の平面においてマクロな社会関係に連続していることに なる. したがって, 全体的存在として人を捉える立場に立つとき, プレイ空間における非日常的活 動としてのスポーツと日常的活動との関係は生活過程・生活意識の平面において止揚される必要が ある. スポーツ場面同様に優れて社会的存在意味をもつ学校教育における体育活動においてはこの 生活過程の意味を具体的にカリキュラムのなかに顕在化する必要がある.. (77 ).
(5) . 212. 新開谷. 央. 生活と運動の関係 太古の昔から身体的に活動的な生活を送ってきた人類の身体的機能は, 適度に働かすことによっ てその諸機能 は維持されあるいは増強するが, 働かさないでいると衰えるという特徴を備えるよう ) ここ か ら 人 間 は動 か な け れ ば生 き て い け な い と い う 命 題 が成 り 立 つ こ の 命 題 に 対 し にな っ た1 . ‐. て動くことイコール生産すること, 生活を維持することという時代では生活と運動の関係は労働生 活のオーバーワークという特徴を持っていた‐ 具体的生活場面の身体的関心は細菌などによる病気 )としていた このような状況では運動文化としての活動の社会的意味は未知数で の予防を中心6 ‐ あった‐ 近年生産のための文化 が急速に発達し, 生産場面や生活場面から身体的移動行動や活動が 少な〈なった結果, 上の命題は人の生存のための身体的活動に多様な意味を付与してきた. 身体的 生存危機感, レジャーとしての運動などである. 学校体育は現代的傾向である生産のための技術的 文化の拡張と身体的活動の意味変化の二つの速度変化の差から生じた問題を解決する機能を少なか らず持っている. 学校は, その発生の当初から伝達されるべき, さらには創造されるべき文化とそ ) 前述したように生徒は の伝達者である教師集団とそれを獲得する生徒集団とで構成さ れている3 ‐ 文化を獲得し文化を今ないし次の時代において変容しうる存在であり, 時間的位相において前述し た矛盾を解決しうる存在である. 彼等は場面的には多くの問題を生活する二つの場, 一つ は学校で あり, もう一つは学校を含む地域社会で具体的に解決する存在である‐ つまり, この一つの生活空 間と時間において彼等 は個人意識と社会意識を統合しこの一つの平面において個人と社会の関係を 彼等の全体性のなかで確認することができるのである‐. 学校体育における運動と生活の関わり 上述した二つの変化速度による差から生じた問題を具体的に解決するためには学校における生活 を空間的特徴と時間的位相の差異的特徴からの検討を要する. 健康な大人の生活循環式が生命の生産-生命 の消費-生活手段の生産一生活手段の消費一ふたた び, 生命の生産であるのに対して, 児童生徒の学校生活におけるそれは生活手段・サービスの消費 )(P5 3一5 4) -生命の生産一生産の消費ということになる9 . このように生活手段を生産しない彼 等には次の世代において労働の生産過程に参加し豊かな生活を営むことが期待されている, その期 待作用を社会 は学校に託しているのである. 学校は次の世代をになう子供を教育するという意味で 近未来的であり, 社会において理想的であり, その意味において他の生活とは異なる独特な文化を 有する場として区別さ れる. つまり, 児童生徒は今という 時間を基本として近未来を予測した時間 的なおさえの中で, そして空間的には学校文化を環境的特徴とする学校生活空間と帰宅後の家庭を 中心とした地域社会における生活空間の中で具体的生活をおくっている. )の状況にある 学校教育はこの文化遅滞を解決する 現代社会 はオグバーンの仮定した文化遅滞3 . 機能もある‐ つまり物質的文化と非物質的文化との調整と均衡を近未来において児童生徒の生活の 中に確保するという意昧がある. 技能, 知識優先の学校教育 がもたらした弊害の修正が試みられて いる. 体育においても運動を手段とした学習から運動を目的とする学習に変わりつつあり, この学 習効果が生活の中で実現することが要望されている. これらはオ グバーンのいう文化遅滞の仮説へ の挑戦でもある. 図1は以上の点をふま え地域生活と学校生活, 現在と近未来という二つのファク ターから成る学校体育のカリキュラムを検討する際の基盤となるマクロな視点からのフレームワー (78).
(6) . . 生活的観点における学校体育に関する基礎的-考察. 213. 〈社会平面〉. =. 〈生活平面〉 〈地 域 生 活〉. --実社会 (家庭・地域生活)- - o運動文化を含む生活文化の ‘. -一-- 豊な理想的社会 o文化的矛盾のない調和的社会. 無意図的、 意図的教育 o文化的矛盾の顕在化. o社会変動に対応でき るメ ン. o正規メンバーの具体的生活. o正規メンバーの豊かな生活. 保守. 』. バーの確保. ぬ “. 進歩的機能 進歩“機能. 一〈現在〉. <近未来〉-. 未来. o新しい学校文化 (学校運動文化) の形成と意図的教育 。児 童 生 徒、 教師から成るメンバー 教 師 か ら成るメ ン バー o児童生徒. ず ,. 牛. .想的. 」. 。伝達されるべき既成文化の精選と 十 意図的教育. 言略書 ;罷喜 義 寡驚誓 蔓 ナ. 社. ビ ジ ョ ンの提 供. 一. 篇 葦 簾 謝瞥 。鋤. 櫛“る 。選も 組織的 成. ン. -の. 育. 〈学 校生 活〉. 図1. 生活平面と生活時間との関連による学校教育カリキュラムのための基礎的モデル. ク である.. ま. と. め. このモデルから分析検討が可能と考えられる課題を提示してこの小論のまとめとした . ◎実社会における運動文化と学校文化の一つとしての学校運動文化の比較検討. ただし運動文化は )としての把握であり この比較により学校運動文化精選 観念の体系から物的用具まで含む構造8 , の新たな視点が見出せる可能性がある. ◎実社会における運動生活および運動者行動と学校体育における運動学習場面での児童生徒の学習 行動との比較分析のための下位モデルの設定. この下位モデルにより学校運動文化の特徴と運動 場面の違いによる学習効果としての学校体育の機能の再検討の可能性がある ‐ ◎広義の運動文化における技術的進歩と観念的体系の理解との関連分析 特に文化的遅滞の原因と , 考えられるこれら二つの文化の調整均衡に関する分析. この点についての課題解決に指向する学 校体育のカリキュラムを検討する下位モデルの設定が可能となる. (79).
(7) . 214. 新開谷. 央. ・最後に未来における社会生活と運動生活の理想的モデルと実現可能性の高いモデルとしての現在 と近未来における理想社会である学校生活と学校運動生活との連続性の検討.. 引用・参考文献 2 98 7 1) 池上晴夫, 健康のためのスポーツ医学, 講談社,1 . ‐1 ,p 9 9 2 0:1 p1一7. 2) 片岡暁夫 「スポーツ教育の課題-意義ある身体参加の実現に向けて」 スポーツ教育学研究,2 ,p 0一17 1 9 6 9 3) 牧野巽, 大浦猛・菊地幸子, 学校社会学, 協同出版,1 p ‐ .17 ,p 98 2 . p202‐235 4)宮淑子‐小田尚, 体罰事件と裁判, 牧柾名・今橋盛勝編, 教師の懲戒と体罰, エイデル研究所,1 ,p 9 8 1 5) 仲村祥一, 日常経験の社会学, 世界思想社,1 , p5. 5 9 6 7 6) 野辺地慶三, 公衆衛生概説, 光生館,1 p29-3 ‐ ,p の構成, 新曜社, 1977 . 7) P , pp33一166 .バ ー ガー・ T ル ッ クマン, 山口節郎訳, 日常世界 ‐L. 1‐44 9 7 5 p4 8) 佐伯聡, 体育と文化, 菅原麓編, 体育社会学入門, 大修館書店,1 ‐ ,p 7一5 4 9 7 1 p4 . 9) 副田義也, 生活構造の理論, 青井和夫・松原治郎・副田義也編, 生活構造の理論, 有斐閣,1 ,p 7 2 7 4一1 4 10 ) 田中義久, 人間的自然と社会構造, 勤草書房,19 p8 ‐ ,p 9 7 4 8 1 1 ) 田中義久, 社会意識の理論, 勤草書房,1 . , p7 6一2 7 9 9 2 p2 ‐ 2 1 ) 宇土正彦・高島稔・永島厚正・高橋健夫編, 体育科教育法講義, 大修館書店,1 ,p. (80).
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