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不文基本権に関する一考察: 沖縄地域学リポジトリ

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Author(s)

武市, 周作

Citation

沖縄大学法経学部紀要 = Okinawa University JOURNAL

OF LAW & ECONOMICS(6): 17-27

Issue Date

2006-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/5971

(2)

【論説】

不文基本権に関する-考察

武市周作 Lはじめに

2006年、憲法公布60年を迎え、政治的に憲法改正論議が喧しい。その動きについては周知の通り

であるが、衆参両議院に設置された憲法調査会の発足と、調査会による調査報告が最近の憲法改正

論議の大きなきっかけとなった。調査会報告は、あくまでも「調査」の報告に過ぎないはずが、内

容を読む限りでは、「改憲」の方向』性を示しているように受け止められる。新聞社や政党、あるいは

個人から、憲法試案や憲法草案、憲法私案が出され、さらには、憲法改正国民投票法案が国会に提

起されそうになるなど、憲法改正がいよいよもって現実味を帯びた問題として扱われてきている。’

このような流れに憲法学界が何らの反応も示さないわけもなく、各法律雑誌でも特集を組むなどし

て、憲法学界からの声も少なからず公にされている2゜

言うまでもなく、憲法改正論争の中心は、憲法9条の問題になるだろう。それは、読売憲法改正

試案に始まり、自民党による憲法草案なども同じである。しかしながら、他方で、忘れてはならな

いのは、人権規定の改正である。憲法調査会報告書でも、「新しい人権」については、一応の言及は

されているが、議論の浅さは指摘されなければならない3。「新しい人権」が憲法改正の具として用

いられるとするならば、その問題点は指摘される必要がある。

「新しい人権」論が憲法研究者によって広く説かれるようになったのは、1970年代に入ってから

で、この議論は、「環境権」をはじめ、「知る権利」や「平和的生存権」などの、「人権規定では明記

されていない権利」を保障しようとするという文脈で説かれた4。「新しい人権」については、近年

の憲法体系書等では、包括的人権や幸福追求権として扱われるか、各「新しい人権」の性質に応じ

て、該当箇所で扱われるようになっていると指摘される5。「『新しい人権」の承認は、人権理解と

不可分であり、人権…の本質と呼応しなければならない」と指摘されるように、「新しい人権」につ

いては簡単に整理することはできない。

本稿では、包括的基本権や新しい人権について議論の整理をすることを目的とはしていない。本

稿の目的は、HansHeinRuppの「基本法における不文の基本権」6を踏まえて、不文基本権一「基

本法の基本権カタログにおいて導出されない権利7」-について再考する機会を提示し、憲法改正の

流れに乗って「新しい人権」を単純に条文化するという安直な作業に終始せず、人権保障における

現行憲法の人権カタログの可能性を探ることにある。しかし、H,HRuppの議論は、広く基本法に

おける不文の基本権を考察して、基本権条項の解釈のあり方を提起するものではなく、現行基本法

下で考えられる不文の基本権を提起するにとどまっていることは指摘しておく必要がある。 Ⅱドイツ基本法における不文の基本権

1.市民の民主的共同決定権(DasdemokratischeMitbestimmungsgrundrechtdesCitoyen)

H・HRuppは、不文の基本権について、「市民の民主的共同決定権(Dasdemokratische 17-

(3)

MitbestimmungsgrundrechtdesCitoyen)」、「国家による不法行為に対する基本権上の除去請求 権(DergrundrechtlicheAnspruchaufBeseitigungindividuellenStaatsunrechts)」、「基本権の 犠牲補償請求権(DergrundrechtlicheAufopferungsanspruch)」を挙げている。ドイツにおいて も、「不文の(ungeschrieben)」基本権に関する議論は、日本のそれと同じように、基本法2条1 項における包括的基本権(Auffanggrundrecht)と関連して議論されている。ドイツの憲法学説に おいては、日本とは異なり、一般的自由権説が通説となっている。 一般的自由権説の立場にたつと、広く一般的な不文の基本権が、基本法2条1項によって保障さ れることになり、結果、不文の基本権について論じる余地はなくなるようにも思われる。にもかか わらず、RUppは「そのような基本権は存在するのである8」として問題提起をしている。 市民の民主的共同決定権について、Ruppは、「共同体の運命を共同決定する主観的な権利こそ が、国家構成員(MitglieddesDemos)としての市民の最も重要で、最も基本的な政治的基本権で ある9」としている。 このような共同決定権を含む基本権として容易に思いつくのが選挙権規定であろう。もちろん、 ドイツ基本法においても、38条2項で選挙権について定めを置いているが、38条2項は、「満18歳に 達した者は、選挙権を有し、成年に達した者は、被選挙権を有する。'0」と規定するだけで、Rupp の提起する民主的共同決定権を、この選挙権規定が含んでいるとは考えられていない。 Ruppによると、基本法カタログが共同決定権を取り入れていないのは、結局のところ、ヴァイマ ル憲法自身が、その直前に挫折したフランクフルト憲法や、あるいは、他の各ラントの憲法に依拠 していることからくることであり、それはそのまま、ドイツ基本法がヴァイマル憲法に引き寄せら れているからである。基本法より前の「憲法」がドイツの君主制としての伝統に縛られている限り において、自由権についても、国家によって与えられた自由と考えられた限りで、民主的共同決定 権が導出されることは考えがたい。結局のところ、ドイツにおいては、民主制という伝統は、決し て自明のものではなく、その基盤もないことにその原因が考えられる。反対からいえば、アメリカ やフランスのような、民主制の伝統が根付いている国家においては、市民の政治的共同決定権が自 明であるとされるとRuppは指摘する。ドイツが統一された今であるからこそ、Ruppは、国家の運 命を決めるのは、決して、政党や団体などではなく、「国家権力の正統性は、匿名の拡散した総体と しての国民(Volk)だけでなく、民主国家の構成員であり担い手でもある個別の市民の政治的意思 と行為に基づくことを明らかにする」ためにも、民主的共同決定権が重要となることを示している。 ドイツには、このような共同体の伝統がないとされつつも、ドイツ統一後の「新」ラントである、 テューリンゲンとプランデンブルクは、それぞれラント憲法において、次のようにRuppのいう政 治的共同決定権を規定している。 テューリンゲンラント憲法9条'1(政治的共同決定権)「何人も自由国家における政治的生活を 共同して形成する権利を有する。この権利は、この憲法の枠内において、とりわけ、政党と市民の 活動の協力によって、政治的自由権を行使する中で用いられる。」 ブランデンブルクラント憲法21条1項12(政治的形成権)「政治的な共同形成権は保障されている。」 18-

(4)

しかしながら、「新」ラントがこのような規定を持っていることから、民主的共同決定権が拡大の

傾向にあるとまで考えることはできないであろう。Ruppも、ドイツの学説の傾向からみて、市民

の自由権を実現することを、国家・ラントの役務とし、その役務の`性質に応じて判断し、政治的参

与を求める手続的権利と解釈するのが一般的であるとしている。これは、連邦憲法裁判所も同じ立

場であり、以下では、Ruppの挙げる判例をまとめ、連邦憲法裁判所の立場をみていくこととする。

「兵士は殺人者だ」判決'3において、連邦憲法裁判所は、意見表明と兵士の名誉について判断を下

している。この事件は、兵役拒否をした学生が、「兵士は殺人者だ(Asoldierisamurder)」と赤

字で書いたシーツを横断幕として掲げたことで、刑法185条の侮辱罪で逮捕・起訴され、有罪とされ

たことについて、提起した憲法異議である'4.

連邦憲法裁判所は、「兵士は殺人者だ」と掲げた行為について、意見表明として、基本法5条1項

1文によって保護されることを前提とし、他方で、留保なしに、絶対的に保障されるものではない

としている。まさに、その点で、刑法185条の侮辱罪は合憲であり、意見表明が人間の尊厳を侵害す

るような場合には、制限されうるのである。しかし、意見表明の内容が、「公共に本質的に関わる問

題」であれば、議論は異なる。すなわち、「重要であるのは、意見表明の基本権が私的論争の枠内で

自己の利益の追求のために行使されたのか、それとも公共に本質的に関わる問題との関連で行使さ

れたのかである。問題の表現が公的意見形成への貢献である場合には、連邦憲法裁判所の確立した

判例によれば、自由な言論への推定が認められる'5」。そして、「兵士は殺人者だ」と意見表明する

ことは、「個人的名誉への攻撃と、基本法5条1項1文がまさに保障する社会的現象、国家的・社会

的制度、社会的役割および役割の期待に対する批判とのあいだの厳密な境界を画することはできな

い。その種の表現を理由とした処罰は、意見の自由を過剰に制限する危険を常に内包している'6」と

述べた。連邦憲法裁判所は、結論として、原判決の意見表明の評価は誤っており、したがって、原

判決は基本法5条1項1文に違反するとした。

Ruppは、この連邦憲法裁判所の判決をみる中で、自由権のうちに、民主制の政治的な討論.決

定プロセスへの参与や、民主国家における市民に与えられた直接的な共同決定権の補充を見いだす

のは難しく、自由権的基本権こそが、民主制の本来的な自由主義的なのであり、「絶対的な本質部分

を形成」し、また、自由で構成された社会と公共の福祉のためには必須となるという。 さらに、Ruppは、マーストリヒト判決17を検討し、この判決において、「連邦憲法裁判所は、…

具体的に、共同体の政治的な原理問題において、市民の直接的政治的共同決定権の問題に直面した」

としている'8゜

この判決は、ヨーロッパ連合の創設に関するEU条約が調印されたことに基づいて、ドイツ連邦

議会・参議院が同意法律を可決し、さらに、基本法改正法律が施行されることとなったが、これに

ついていくつかの憲法異議が申し立てられ、そのうちの二つについて下されたものである。

連邦憲法裁判所は、「基本法38条の保障する、選挙によって国家権力の正当化に参加し、国家権力

の行使に影響を及ぼす権利は、連邦議会の任務と権限を委譲することによって、基本法79条3項が

不可侵とする民主制原理を侵害するような形で、この権利を空洞化することを禁ずる'9」として、

選挙権規定から、市民の政治的基本権を導出することで、憲法異議の適法性を-辛うじて-認めて

いる。しかし、結論としては、連邦憲法裁判所は、EU条約とそれへの同意法律を合憲としている。

その検討の中で、連邦憲法裁判所が、EUの民主的正当化が、構成国であるドイツの議会に基づくこ

19-

(5)

とにあり、国民こそが、国家権力の出発点となると言及している点は、共同決定権を論じるに際し て重要ではあろう。しかし、連邦憲法裁判所は、憲法異議について、憲法38条1項に基づいて適法 である判断したとしても、同条項の中に共同決定権が含まれると考えているわけではなく、結局、 共同決定権について言及することなく、終わっている。 Ruppは、マーストリヒト判決を踏まえて、現行の基本法が、憲法改正について、「憲法によって作 られた力(pouvoirconstitu6)」による手続しか認めず、それゆえ、基本権における明文上憲法異 議が認められることを模索するのは無駄に終わるとしている。 これらの検討に基づいて、Ruppは、次のように結論づけている。すなわち、「市民の政治的共同 決定権については、不文基本権のカテゴリーに属する真性の基本権が問題となり、それは基本法38 条2項において結果的な効果が現れるのみであり、-今日の政治上の計画を裏付けるように-連邦 レベルでも、国民投票による構成要素を必要とする。」 このようにして、Ruppは、共同決定権の重要』性を強調しつつ、それが少なくとも明文上は認めら れていないものの、連邦憲法裁判所判決が、意見表明の政治参加的役割を強調したり、他方で、国 家共同体の運命を決定する憲法改正という重要な場面において国民が共同して決定する権利を認め ることなく終わったりしていることを踏まえ、最終的にはまさに不文の基本権として保障すること が求められるとしている。確かに、共同決定権の重要性を前提にするならば、それが何らかの形で 導出されることは憲法上欠かせない作業となるであろうが、はたして、それは直接的な明文規定が ないからと悲観することはなく、むしろ、基本法38条2項の解釈問題に帰するように思われる。い ずれにしても、共同決定権が、一般的自由のうちに含むことができないことを考えるならば、不文 基本権として考えるか、他の明文規定一基本法38条2項一から導出するかが問題となるが、ここで は、38条2項の解釈論を分析することはできず、今後の課題としなければならない。 2.国家による不法行為に対する個人の基本権上の除去請求権(DergrundrechtlicheAnspruch aufBeseitigungindividuellenStaatsunrechts) 次に、Ruppは、国家による不法行為に対する基本権上の除去請求権を問題とする。 ドイツにおいてもわが国においても、除去請求権は、行政法上論じられることが多い20が、行政 法上も、基本権上も、国家による個人に対する違法行為の除去請求権に関する一般的な規律は存在 しない。他方で、少なくとも行政法上の(公法上の)結果除去請求権については、国家責任法 (Staatshaftungsgesetz)でいったんは規定されることとなり、明文の根拠を有することとなった。 もちろん、この場合にも、基本権上の除去請求権については別途考察が必要となる。しかし、周知 の通り、国家責任法は、1982年に連邦憲法裁判所によって憲法違反とされて無効となり、その後、 まさに、無効とされた点を克服すべく、すぐに基本法74条1項を改正し、その25号で、国家責任に 関する立法権限を規定したものの、今日まで同法が制定されるには至っていない。このような流れ を踏まえるならば、結局、行政法上の結果除去請求権も含めて、基本権上の除去請求権の根拠を考 察する目的は残されることになる。この点、Ruppは、公務に基づく損害賠償について定めた基本 法34条を根拠とすることはできないとしている。 結果除去請求権とは、「違法な行政活動に対する法秩序の反作用」と関連し、高権的な主観的権利 に対する違法な侵害が継続しており、違法な行政活動の除去が事実上可能で、法的に許容され、行 -20-

(6)

政にとって期待可能である場合に、法効果として、「もとの状態の回復が、違法な行政活動の結果の

除去により、始まる21」とされる。

Ruppのいうところによれば、行政行為との関係では、結果除去請求権について、行政裁判所法

113条1項1文を援用することになる。同条文は、「行政行為が違法であり、かつ、原告がそれに

よって権利を侵害された限りにおいて、裁判所は、行政行為あるいは裁決を差し止める」と規定を

置くだけで、ここから、違法な行政行為の除去だけでなく、行政機関のあらゆる権利侵害も含んで

除去請求権を導くことになる。注目されるべきは、行政裁判所法上の規定が「相応の実体法上の請

求権の制度の存在を前提としているのであって、実体法上の請求権を、それ自身何も規律してはい

ない」にもかかわらず、「今日のドイツの公法学および判例において一般的に認められた-つの法制

度になっている」22ことである。

これに対して、Ruppによると、「憲法上の次元では、とりわけ基本権侵害に対するサンクション

として、基本権そのものから、一部は除去請求権が導出される」とする見解もある。すなわち、基

本権によって保障された個人の自由こそが、「不作為請求権の根源」とされ、基本権そのものが、ま

さに、この結果除去請求権であると考えるのである。Bruggerの考察23によると、基本権を除去請

求権の根拠とする見解は、自由的地位(statusliberatis)は、「憲法の自由権の持つ防禦権の次元に

おいて表現され」、「自由権は多くの個々の、人格の発展にとって重要な諸活動および諸領域を保護

するものである」。したがって、「基本権は、包括的な意味で市民の統合性(IntegrittitderBurger)

を保護して」おり、さらに、「基本法2条1項は、実に一般的な活動の自由をも保護している」こと

を併せ考えるならば、基本権は、「市民が利害を有するすべての発展の様式を保護して」おり、「自

由権の中に、形を変えるベルト(Transformationsriemen)が備わっており、それが、まだ明らか

にされていない行政の義務、そしてこの義務は現行の憲法に対する違反から、関係市民に対する主

観的な権利を作る」という論理となる型。

しかし、Ruppは、自由権そのものは、自由権侵害に対するサンクションは予定しておらず、自

由であることと、現実の不作為請求権が対応しきっているわけではない点を指摘する。国家の介入

抑制義務によって守られた自由の地位から、不作為請求権を導こうとする見解は、「主観的権利なし

には主観的義務が存在しないことは疑いないが、対応した主観的義務なしに主観的権利が存在する

ことはない」として退けられるとする。不作為請求権は、権利侵害が迫っている場合には、成立す

る場合もあり、それゆえ、権利侵害が発生した事例においては、結果除去請求権を前提とするので

あり、そう考えると、ここでの不作為請求権は、予防的な権利保護に過ぎない。このように、自由

権自身から除去請求権を導くことは難しいことになる25.他方で、Bruggerが指摘するように、基

本権保護領域に対して侵害されない請求権という考えは、「その都度の脅威に対する相応の法効果

を定式化」するが、この中には時期的に分かれている「予防的な不作為請求権と結果除去請求権」

が含まれることになる。このように、「基本権上の保護地位から帰結するのは、危険状況および傷害

の状況に応じて、予防的不作為請求権が登場したり、通常の不作為請求権が出てきたり、あるいは

結果除去請求権が出てきたりする」というのは、確かに「魅惑的なものである」かもしれないが、

他方で、「基本権的構成には法効果の点で具体化をなおも必要とさせうる」という一般性が跡を残し

てしまうのである。結果、基本権によるだけでは、「傾向的には、基本権侵害に際し、下位形態とし

ての不作為請求権、原状回復請求権、および保障請求権を伴う一般的な復善請求権へと行き着いて

-21-

(7)

しま」い、「それは、ひろく行き渡る結果のゆえ、ただ立法者のみがもたらすことができるとされな

ければならない26」。

Bruggerの指摘する点を克服することはRuppの論稿からは読み取れない。とはいえ、不文の基

本権という意味で「基本法上の除去請求権」を探るという方向性からは、基本権上の根拠づけをす

ることが目的となり、その限りにおいて、とりあえずは基本権上の根拠づけを行なうことは有意義

である。また、他方で、Bruggerが、根拠づけをBGBに求めるのは、自身が指摘するように、基

本権による根拠づけにはない法効果の明確`性と法的安定性が得られるかもしれない。しかし、「基

本権と民法の関係」について考えるならば、それを、「結果除去請求権の公行政主体間への適用の問

題において、平等秩序のレベルでの法的紛争の類推」で片付けるのは根拠づけの不安定性を克服で

きていないようにも思われる。

さて、Ruppが、基本法上の除去請求権を根拠づけるにあたって、注目するのは、公権力による

権利侵害の際に裁判所に対して出訴することを保障した基本法19条4項や公権力による基本権・権

利侵害を受けた際の憲法異議を認めた93条1項4a号である。もちろん、そこから直接導出できる

のであれば、「不文」ではなく、「明文」の基本権となるが、どちらの規定も直接的な根拠とは考え

がたく、Ruppも、「間接的に」援用するに過ぎない。すなわち、これは、先に述べた、行政法上の

結果除去請求権を行政裁判所法113条1項1文から導出する方法と同じである。

以上より、Ruppは、「19条4項・93条1項4a号の手続法的規定の裏側に、不文の基本権を見い

だし、いわゆる明文規定を補充する27」としている。単純に、「除去請求権の根拠論」からみると、

Ruppのこの結論はいかにも説得力に欠けるところがあるように映るかもしれない。しかし、自由

権のうちにそれを根拠づけることが問題であり、他の明文規定から直接援用できない限りにおい

て、不文の基本権として認めるのであるから、問題設定からするとむしろ分かりやすい。もちろん、

Bruggerのように、根拠づけについて、これまでの議論に止まらず、新たな視点を提起することは

重要であろうが、「基本権理論をさらに武装させること28」も同じく欠かせない作業であろう。

3.基本権上の犠牲補償請求権(DergrundrechtlicheAufopferungsanspruch)

最後に、Ruppは、犠牲補償請求権を、基本法における不文の基本権として非常に簡潔に論じてい

る。Ruppの論の展開に合わせて、ここでも、犠牲補償請求権については短くまとめるにとどめる

が、先の結果除去請求権と同じような整理はできるように思われる29.

この権利は、プロイセンー般ラント法からこのような請求権を導くことについては慣習法上根拠

づけられているとRuppは述べる。そして、連邦通常裁判所が、1953年の段階で、「基本法2条2項

によって保護された権利利益である生命と健康は、財産的価値の権利よりもその保障が弱められな

い」と述べている。そして、「DUrigは、さらに進めて、連邦法上、犠牲補償請求権の憲法上のラン

クは、基本法14条3項の公用収用による損失と比較して、基本法3条1項から結論づけられるとし

ている」。そして、連邦通常裁判所は、国家による精神的な利益に対する侵害から発生する財産的損

失に対する補償として、また、Diirigは、基本法2条2項を根拠に、「精神的な痛み」に対する経済

的補償としても認めている。犠牲的損害を求める不文の基本権は、このような補償も包括するので

あると結論づけている30。 -22-

(8)

Ⅲ、わが国における不文基本権の考え方 1.日本国憲法13条に関する学説

以上、Ruppの述べる不文の基本権についてみてきたが、上で挙げられた権利は、どれもいわゆる

「新しい権利」に分類されるようなものではない。そして、また、他方で、今日のわが国の基本権

議論の下で、どのような重要性を持っているかについては、議論の余地があることは指摘しておか

なければならない。

しかしながら、一般的行為自由説を採用しながらも、不文の基本権を認めることを強調する論理

は、今日の日本国憲法13条に関する学説の傾向からみても重要な視点といえないだろうか。

すなわち、13条について、わが国では、一般的に、人格的自律権説が通説的見解とされてきたが、

これに対して、そもそも13条で「新しい人権」なるものを認める必要があるのかが問題提起された

り、13条以下の個別の条文の解釈を再構築し、保障の領域を明らかにする中で、いわゆる「新しい

人権」を、これまでの基本権カタログのなかに見いだすといった傾向がみられる。そもそも、先に

述べたように、「新しい人権」という問題設定そのものが、憲法13条の解釈にすぐに結びつけられた

ことで、各基本権の内容に関する議論の停滞を引き起こしたように思われる。もちろん、他方で、

このようにいうからといって、13条の役割がなくなってしまうわけではない。例えば、松井茂記教

授が指摘するように、いわゆる自己決定権の一部については、他の基本権カタログにその根拠を求

めるのは困難であり、その場合には、幸福追求権が援用されることはむしろ認められなければなら

ない31.

13条の解釈が、単純に、人格的自律権説と一般的自由権説の対立を超え、幸福追求権が、他の基

本権カタログを、まさに補充する役割を果たすことができて、はじめて明文規定のない不文の基本

権を議論する価値が出てくると思われる。その意味で、ドイツにおいて、一般的行為自由説が通説

であり、森で乗馬する権利から情報プライバシー権まで保障される中で、それでも不文の基本権が

あるのだとして、その重要性を強調するRuppの議論は基本権カタログの更なる繊密な解釈を求め

る視点であるということができる。

Ruppの議論と、日本国憲法における基本権カタログを照らし合わせるならば、民主的共同決定

権が選挙権や憲法改正国民投票の中に、結果除去請求権が裁判を受ける権利の中に、そして、犠牲

補償請求権が13条の中に見いだされると結論づけるならば、まさに、それは基本権カタログの解釈

として重要な意味を持つことになる。これまでにも保障されてきたと考えられる限りで、Ruppの

議論を整理したのは、不文の基本権の内容を検討することよりも、不文の基本権という考え方を改

めて提示することに他ならない。 2.基本権カタログに関する憲法改正の不必要性

9条を中心に論じられる日本国憲法の改正論が、アメとして、基本権の充実を調うことはこれま

でも行なわれてきたし、最近の憲法改正論議でもやはり同様に「使われて」いる。その中で抜け落

ちている点は、改正案や草案でいう「新しい人権」、「拡充された人権」の内容は、はたして権利論

として十分な基礎を持っているかどうか省みていないことである。

例えば、「新しい人権」を、「普遍性」、「無条件性」、「条文根拠」、「特定性」、「基本的重要性」と

いった要件の下に認めるとするならば32、はたしてこれまで新しい人権を論じる際に、そして、ま

-23-

(9)

た、憲法改正案を提示する際に、これらの要件がどこまで突き詰めて議論されてきたかは反省され なければならないだろう。その意味では、日本国憲法13条からどのような権利でも導出してしまう -もちろん、これは一般的自由権説がどのような権利でも保障するとしているわけではない-とい う解釈は反省されなければならないし、他方で、基本権カタログにある個別の基本権条項の保障領 域を再度吟味する作業が欠かせない。もちろん、これは終わりなき作業となるだろうが、それこそ が憲法学の任務であり、それを抜きに、「新しい権利条項」を創設したところで何ら効果はないよう に思われる。決して、「条文に書けば許される、条文がなければ許されない」というものではなく、 「紙の上に書いただけでは、何も実現され」ないという指摘は重要であろう33。そもそも、現行憲 法の基本権カタログが、「古い」として、足蹴にされる前に、その基本権の内容を再度検討し直し、ア メとして吊されている権利のみならず、広く重要な権利が現行基本権カタログから導出される可能 性を再検討しておく必要がある。それでもなお基本権カタログに「手を入れる」必要があるとすれ ば、それから改正されるのでも遅くはなかろう。本稿では、各基本権の内容について、一つ一つ検 討することはできないが、Ruppの論じた不文の基本権といういわば「当然の」考え方を再出発の 起点とすることは重要である。 Ⅳ.おわりに 本稿の目的は、不文の基本権の可能』性を探ることにある。その背景には、今日急速に憲法改正が 現実味を帯びて政治的に議論される中で、「新しい人権」と称して、新しい人権条項が提示されるこ とに対する疑問があることは繰り返し述べてきた。Ruppの提起する不文の基本権に関する議論 は、一般的行為自由説が通説であるドイツの憲法学において、しかし、それでもなお議論の余地が あることを示している。その内容と議論の展開が、わが国における憲法改正における人権条項の新 設と直接結びつくものではない。憲法改正についてこのような問題意識を持つのであれば、例え ば、環境権や、知る権利などのいわゆる「新しい人権」に分類されてきた権利について検討してい くことは欠かせないことである。その意味では、本稿の問題意識がRuppの議論をうまく活用でき ているかは反省されなければならない。しかし、Ruppの提起する「不文の基本権」の可能性を、 今後の日本国憲法13条の解釈や、基本権条項の保障領域の議論に取り込むことはできないだろう か。また、他方で、Ruppの挙げる「民主的共同決定権」、「基本権上の結果除去請求権」、「基本権 上の犠牲補償請求権」は、憲法学において重要な論点を提起しており、それぞれについて議論を深 める余地は十分にある。これは今後の課題として残されている。 最後に、日本国憲法9条の改正問題について検討するつもりはないが、9条の改正が、本当に必 要なのであれば、それだけを集中的に取り扱えばよい。9条改正があまりにも直接的な目標となる ことを避けるために、国民の誘導装置として、十分な議論を経ないまま基本権条項の新設・改正を 用いるのは、弊害こそあれ、何の益もないことである。そのことに、憲法改正後に気付いても手遅 れであることを我々は十分に承知しておく必要があるのではないだろうか。 圧 他方で、少なくとも、憲法調査会の報告を見る限りでは、個別の条文に関する改正について、 意見の多寡を示し、それが改正の布石になりうることが問題であるものの、新たな改正案が提起 -24-

(10)

されるまでには、議論が熟していないことを露わにしている。「《座談会》憲法調査会報告書の検

討とこれからの課題一改憲動向を注視しつつ」法律時報77巻10号(2005)6頁、戸波江二発言参

照。

2特に最近の法律雑誌の特集として、「特集・憲法『改正』動向をどう受け止めるか」法学セミ

ナー612号(2005)5~52頁、「特集・憲法調査会報告書を検証する」法律時報77巻10号(2005)、 全国憲法研究会編『法律時報増刊憲法改正問題』(日本評論社、2005)、「特集・憲法改正論議の 現在」ジュリスト1289号(2005)2~129頁。

3奥平康弘「憲法調査会報告書の意味」法律時報77巻10号(2005)33頁以下。「権利も義務も法

規範も政治綱領も、ゴッチヤにして怪しまない括り方になっている」という指摘は非常に重要で

ある。 4これまでの「新しい人権」と保護義務論の「誤解」などからくる「今日の『新しい人権」」を 説いた憲法調査会報告書の問題点については、石村修「『新しい人権』」法律時報77巻10号(2005) 85頁以下。 5前掲注4・石村「新しい人権」88頁。

6HansHeinRupp,UngeschriebeneGrundrechteunterdemGrundgesetz,JZ2005,S157-160.

7H、H・RuppUngeschriebeneGrundrechte,S、157.不文の基本権がこのように定義づけられる

ならば、わが国におけるこれまでの「新しい人権」と同じものと考えることができる。 8H、H・RuppUngeschriebeneGrundrechte,S157. 9H,H、RuppUngeschriebeneGrundrechte,S、157. 1oドイツ連邦共和国基本法の訳については、ボードー・ピエロート/ベルンハルト・シュリンク (永田秀樹・松本和彦・倉田原志訳)『現代ドイツ基本権』(法律文化社、2001)による。 、原条文は次の通りである。JederhatdasRechtaufMitgestaltungdespolitischenLebens imFreistaat・DiesesRechtwirdimRahmendieserVerfassunginAusUbungpolitischer FreiheitsrechteinsbesonderedurcheineMitwirkunginParteienundBUrgerbewegungen wahrgenommen l2原条文は次の通りである。DasRechtaufpolitischeMitgestaltungistgeMihrleistet・ l3BVerfGE9a266、小山剛「意見表明の自由と集団の名誉一『兵士は殺人者だ』事件一」ドイツ 連邦憲法判例研究会編(栗城壽夫・戸波江二・石村修編集代表)『ドイツの最新憲法判例』(信山 社、1999)149頁以下参照。 '4この事件は、4件の異議申立が併合されたものであり、それぞれ、「3件においては連邦国防軍

所属の兵士が刑事告訴し、他の1件では、兵士個人に加えて連邦国防省が告訴している」。前掲注

13・小山「意見表明の自由」149頁。 '5前掲注13・小山「意見表明の自由」150頁。 16前掲注13・小山「意見表明の自由」151頁。 l7BVerfGE89’155.西原博史「ヨーロッパ連合の創設に関する条約の合憲性一マーストリヒト判 決一」前掲注13.『最新憲法判例』331頁以下。 '8前掲注6.H・HRupp,UngeschriebeneGrundrechte,S、158. 19前掲注17・西原「マーストリヒト判決」332頁。 -25-

(11)

2Oわが国でも、行政法学の立場から結果除去請求権を論じた考察がなされている。比較的新しい ものとして、太田照美「ドイツにおける公法上の結果除去請求権の範囲に関する一考察(1.2 完)」民商法雑誌125巻6号.126巻1号(2002)、太田照美「ドイツにおける公法上の結果除去請 求権の根拠について(1.2完)」民商法雑誌122巻1号・'22巻2号(2000)、村上武則「ドイツに おける公法上の結果除去請求権と他の国家責任請求権、特に生活妨害に対する不作為請求権との 関係」高田敏・畑博行編『憲法と行政法の現在-伊藤満先生米寿記念」所収(北樹出版、2000)、村 上武則「ドイツにおける公法上の結果除去請求権の内容について-ZurKlaerungdesInhaltdes oeffentlich-rechtlicheFolgenbeseitigungsanspruchesimdeutschenRecht」佐藤幸治・清水敬 次編『憲法裁判と行政訴訟一園部逸夫先生古稀記念」所収(有斐閣、1999)、村上武則「わが国の 行政介入請求権とドイツの結果除去請求権」阪大法学47巻4.5号(1997)、村上武則・太田照美 「ドイツにおける行政庁の不作為による侵害と結果除去請求権による救済」阪大法学47巻3号 (1997)、村上武則・太田照美「ドイツにおける第三者効力を伴う行政行為における公法上の結果 除去請求権について」阪大法学47巻1号(1997)、太田照美「ドイツにおける行政法上の結果除去 請求権の法構造一ZurStrukturdesverwaltungsrechtlichenFolgenbeseitigungsanspruches imdeutschenRecht」民商法雑誌115巻3号(1996)、村上武則「ドイツにおける公法上の結果除 去請求権と実現請求権について」阪大法学46巻4号(1996)、折登美紀「結果除去請求権の法的`性 質」法と政治(関西学院大学)47巻1号(1996)、折登美紀「ドイツ行政裁判における結果除去請 求権一違法な行政活動に対する救済」民商法雑誌112巻2号(1995)。 2’前掲注20・太田照美「結果除去請求権の根拠(1)」45頁。 22以上、前掲注20・太田照美「結果除去請求権の根拠(1)」44頁。 23WinfriedBrugger,GestaltundBegrundungdesFolgenbeseitigungsanspruchs,JuS1999, S625ffこのBruggerの考察については、前掲注20・太田照美「結果除去請求権の根拠(1) (2.完)」に詳しく、ここでのBruggerのまとめについても、太田論文によることとした。 型以上、前掲注20・太田照美「結果除去請求権の根拠(1)」65頁以下。ただし、Brugger自体 は、この基本権理論による根拠づけに止まらず、さらに「四段階根拠づけ」として、BGB民事 上のBGB12条、862条、1004条を挙げており、基本権による基礎づけにおける問題点を克服しよ うと試みている。これ自体は、結果除去請求権に関する根拠としては重要な示唆であり、その点 については、まさに太田論文が指摘するところであるが、本稿では、議論を深めることはできな い。 霊以上、前掲注6.H、HRuppUngeschriebeneGrundrechte,S・'59. 妬前掲注20・太田照美「結果除去請求権の根拠(2.完)」208頁。 27前掲注6.H・HRupp,UngeschriebeneGrundrechte,S、160. 麹前掲注20・太田照美「除去請求権の根拠(2.完)」222頁。 羽なお、結果除去請求権と犠牲補償請求権の違いについては、村上武則「結果除去請求権と他の 国家責任請求権との関係」97頁以下に手短にまとめられている。 30以上、前掲注6.H、H、Rupp,UngeschriebeneGrundrechte,S、160. 3’松井茂記『日本国憲法〔第2版〕』(有斐閣、2002)568頁以下。 32松丼和彦「「新しい人権」の憲法的保障」法学セミナー612号(2005)13頁以下。この要件自体 -26-

(12)

}ま、竹中勲「『新しい人権』の承認の要件」法学教室103号(1989)33頁で提起されたものである。

33江島晶子「続憲法を考える⑨書くだけでは実現されない具体的に丁寧に議論を」琉球新報

2005年12月22日、11面。

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