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社会統計に附き纒う誤謬について(1)

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(1)

社会統計に附き纒う誤謬について(1)

その他のタイトル Errors of Social Statistics (I)

著者 高木 秀玄

雑誌名 關西大學經済論集

3

4

ページ 20‑50

発行年 1954‑01‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/15826

(2)

社会統計に於ける誤謬の認識と把握は︑次の三つの意味を有する︒即ち︑その一っとして︑統計利用者にその統

計利用の各段階に附き編う数々の誤謬を示すことによって︑その利用をして︑より客観的︑科学的ならしめること

が挙げられる

0

その二つは︑理論統計学の立場より︑統計の作緩ー社会的集団観察ーと統計の利用ー統計解析ーに

陥入り易い誤謬が︑いかにして発生するか︑郎ち︑誤謬の根拠とその種類とを明確に理論的に規定し︑斯くするこ

とによって︑正しい統計の理論を体系づけることが︑これである°けだし︑ワーゲマンに従っていえば︑正しい理

論の体系づけは︑その理論が対象として有する現実の完全なる姿にせまることよりも︑むしろ︑その欠如態を分析

することによって果されるものなのである

0

例えば︑クレッチマーが性格学を体系づけるのに︑健全なる人間の性

格ではなく︑精神病者なる健全性の欠如態を分析し︑クナップをはじめとする名目主義者達が︑貨幣の本質を規定

するのに︑金貨を問題とせず︑紙幣という︑それそのものの素材価値を喪失する欠如態より出発したのである︒正

しい信頼し得る統計︑帥ち︑語るべきものを正しく語る統計ではなく︑むしろ︑斯る統計が陥入り易い︑又は︑そ

社會統計に附き纏う誤謬について(‑)

1 0  

(3)

社会統計に附色纏う誤謬について

れに附き纏い勝ちな談謬の発生の根拠と種類とを明確に︑理論的に規定することは︑正しい統計の作製と︑その利

用という統計の実賤過程の理論的根拠を与えることを課題とする理論統計学の重要なる任務なのである

0

従来の理論家は必ずしも︑この問題に体系的な説明を試みてはいないようであって︑唯︑ドイツ社会統計学派の人.

天の教科害に断片的に散見し得るに過ぎないのであって︑ひとりワーゲマンのみが彼の.

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F 

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げているのである

0

次に︑その三つは︵社会統計と自然統計との相異ば故に又︑それぞれの統計についての知識の

一体としての社会統計学と自然統計学との相異はーこれを規定することが︑現代統計学の重大な課題であるが

1

会統計に附き纏う誤謬を明確にすることによって規定することが可能である︒即ち︑社会統計の語る︑又は語る可

き社会的集団︵大量︶は︑それ自体が自然統計の基盤である自然的集団と本質的に異る所以は︑それぞれが対応す

る二つの統計方法にまで発展して来るのである

0

故に︑われわれは︑社会統計の本質︑あるいは︑その持つ特徽

を︑それに於て見られる誤謬の側面より明確にし得ることである

0

斯る理論の確立は︑社会統計であれ︑それぞれ

が集団を語るが故に統一的に︑むしろ唯一の理論を以て取扱わんとする近時の傾向の形式論的欠点を批判すること

が可能であると考えられるのである︒

以上︑要するに︑われわれの問題の所在点は︑実践的には統計作製者︑利用者に対しては︑統計の作製と利用に

その正しい指針を明示し︑

に︑故に一般理論として︑社会統計に於ける誤謬の所在と根拠とを規定し︑上記の実践の裏附けをなすこと︑更に

.二1

当つて陥入り易い誤謬を展開することによって︑統計理論の側面よりいえば︑理論的

(4)

によってなされた︒

進んでは、その誤謬の所在と根拠とを認識し、•かつ理解することによって、近時の統計認識論の混乱の解決に資す

われわれは︑本稿に於て︑上記の如き目的と意図を以て︑ワーゲマンの見解を述べるであろう

0

彼によれば︑統

計の誤謬の可能性には︑A︑統計大量の誤れる基礎づけ

(F eh la nl ag e de r  s t .   Ma ss e)

B

︑統計整理の誤謬

(F eh le r de r  s t.  

u

or dn un g)

C︑推計手続の誤謬

(F eh le r im   Sc hl lt zu ng sv er fa hr en )

の三つが分類可能であるとする︒

Wa ge ma nn ,  N ar re ns pi eg el  d er   St a t i s t i k ,  

1 9

5 0

.  

S .  

108  , 

s .  

1 1 0 )  

此処で彼の統計学についての基本的態度を一応︑明白にしておくことが必要である︒︵第一版の紹介は︑.故杉榮博士

彼によれば︑純粋直観の棚念のみが統計的把握に適し

ないものであり︑こ.れに対立する経験掘念︑しかも掘観し難い多様性を有するあらゆる経験掘念のうちで数量的な

ものは︑直ちに統計の基礎資料となるものであり︑斯る経験掘念の数的表現が統計大量となるのである︒即ち︑

ることが可能であると考えられるのである︒

社会統計に附き纏う誤謬について

(d ie   Korpo

ra ls ch af te n  a ea   Za hl cn he er s)

彼によれば統計大量は︑

掘念←経験掘念の表章である統計大量←統計学という一連の鎖は︑彼の統計学の基礎体系なのである︒このことに 経験直観←経験

ついての詳細なる説明は︑既に森田教授によって試みられたことであり︑此処では敢てふれないであろう︒ 以下︑そのおのおのについての彼の見解を述べるであ

( E

.  

(5)

I

1

社会統計に附き纏う誤謬について

ワーゲマンに於ては︑統計の誤謬の第一のものは︑既述の如く︑

るが︑これには︑更に次の二者が区別される︒

統計大量の誤れる形成

上述の通り︑統計大量は︑ある経験概念をその標識によって数的に反映するものであると共に︑それは経験科学の

概念を精確に区別する︱つの重要なる補助手段となり得るのである︒

さて︑上の如く棚念←統計大量←統計との関係よりワーゲマンは︑統計大量の誤れる基礎づけに次の如き誤謬の

統計大量の誤れる形成·…••1、誤れる掘念の基礎

統計大量の表現の誤謬•…

••1

、簡単な表現の誤謬

以下はその細分類と説明とである︒

誤れる掘念の基礎

2

︑既念の反映の誤謬

2

︑統計の解釈の誤謬

統計大量は概念をその標識に従つて数的に反映するものであることは既述の通りである︒然るに︑斯る堀念は︑

他の諸女の経験科学の諸概念と必ずしもl致しない

0

彼は﹁資本﹂なる掘念の多義性を以てこの事実を明らかにす

0

郎ち﹁社会批評家は︑資本は労働を搾取する手段であるという時︑彼は明らかに企業家︑金利生活者が国民所 特定の統計大量を支えるものは︑ある特定の経験概念である︒ I統計大量の表現に於ける誤謬 教授︑統計学汎論︑日本評論社︶

( W a g e m a n n ,   i b i d ,   a .   a .  

o .  

s .  

43)

故に︑ある ﹁統計大量の誤れる基礎づけ﹂によるものであ

(6)

ge mr

甘 ︑

u

i b i d , a .   a .   o .   s .  

42) 

正しく形成された概念の︑

0

概念がいかに正しく形成されたとしても︑これと対応関係にある統計大量が︑正しく語るべきものを語らざる 1

2

得の大なる部分を要求することを示そうとする

0

然るに統計学は斯る問題では︑職業調査︑経営調査及び所得の推

定をとりあげるのである

0

なお︑景気変動論の学者が︑資本欠乏の状態が除去されるときに恐慌は克服されるとい

う場合︑彼は資本を債務証害の買入れ︑他の形態の長期信用を支配し得る貨幣手段を理解しているのである︒この

場合に︑統計は株式発行高︑経営の資本投下量までを考慮に入れなければならないのである︒﹂

a . a .  

o .  

s .  

4 3 )  

. § j

ち︑統計に於ける棚念と他の諸経験科学の棚念とは︑そのま4で必ずしも一致し難いのである︒こ

のことはシャロッテ・ロレンツに於ても同様に指摘されている

0

計では︑職業なる概念を︑それより営利取得が発生し︑その上に職業習得者の社会的地位が依存する行為という如

く限定し︑主錮的な感情や職業活動の客観的な価値評価︑更にその生活環境に応ずる他の特質を考慮に入れない

し︑泄帯なる概念では︑その社会生物学的︑経済的及び文化的意義の全範囲を把握せず︑・事物的︑時間的見地に於

いて計数統計(N

l s t a t i s t i k )

の形成に本質的に相応するもののみをいうのである︒

(C ha rl ot te Lo re nz ,  Fo rs ch un gs le  

hr e  d er   So z i a l s t a t i s t i k ,   E rs te r  B an d,   Al lg em ei ne  G ru nd le gu ng n  u d  A u le i t un g ,  B e r li n ,  

1

9 5

1 ,

 

s .  

154)~

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竿

統計的思惟外に成立する誤謬が忍び込んで来る可能性が存在し︑抽象的に規定される他の科学の既念が︑そのま4

統計大最の基礎とはならないのであって︑具体的に計数可能なるもののみがその資格を有してくるのである︒しか

(s al op pe  A l l ta g s lo g i k. )

によるものである︒

(W a, .  

も︑斯る混乱はワーゲマンによれば﹁きまりのない日常の論理﹂ 社会統計に賄き纏う誤謬について

. 

統計大量による誤れる反映は

な純粋なる統計的誤謬であ ロレンツによれば政府統計に於ける職業統

(W ag em an n,   ib i d ,  

ニ四

1 1

 

(7)

社会統計に附き纏う誤謬について

一歩も前進することは不可能である︒これを救う道は︑ をどう使うか︑昭和二十六年︑青木文庫︶ 氏によって詳述された通りである︒ ときは︑先づ第一の誤謬が成立する

0

その根拠が統計大量の側に存在するが故に︑ワーゲマンは︑これを﹁基礎的

な純粋なる統計的誤謬﹂

(g ru nd le ge nd e r ei n  s t a ti s t is c h e  Fe hl er )

というのである︒

(W ag em an n, i b i d .   a .   a .   o .   s .1 0 9 ) 

斯る誤謬には︑次のものがある︒

( Wa g e m: 1 0 .0 . ,  i b i d .   a .   a .   o .   s .  

51)~

はいかなる文明国にも

a

︑統計大量表章する数字が故意に誤らせしめられる場合︒

b

︑統計大量を概念が誤つて結合せられる場合︒

a

はたとえ正しい堀念に裏附けられ︑調査が正しく実行されたとしても︑これを表章する統計に作為的な加減が

加えられ︑虚欺のものが公表される場合をいうのであって︑斯る統計の恣意的な加減がなされるや︑.彼の言葉によ

;

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Al le s 

h~rt

. a u f !  

斯る性格の誤霞の存するのを知らないという

0

然るに︑われわれは︑むしろ彼のこの言葉は一穏の皮肉又は反語と

しか受けとれない

0

現実には︑このような作為こそは大にしては一国の為政家が︑小にしては一企業が︑その国民

を︑労働者を欺購するのにとられる手段である︒資本主義社会に於ける斯る統計的欺購の実際については既に上杉

(上杉正一郎著「マルクス主義と統計」第二章・統計の階級性•第三章・支配階級は統計

然るに︑'虚偽の持つ足は短して︑はるかなる地まで達すべくもない3斯る統

計の誤謬もまた︑軽晟と嘲笑とを浴びることなくしては︑

当該の統計に関係のある者をして︑その作蓑に出来る限り多く参加せしめ︑かつその結果を批判せしめることであ

0

ワーゲマンはアメリカ合衆国の穀物予想収穫高調査の結果を発表するに際して︑穀物変動の利を得るため投機

的穀物取引業者が統計作製者を買収することによって虚偽の予想高を公表せしめた事実を以て︑この種の誤謬の一・

(8)

例としている。

(Wa~emann.

i bi d .   a .   a .  

o .  

s .   51

s ,5 2)

斯る誤謬は社会統計の調査者︑被調査者が利害関係にに立つ

限り避くことを得ない誤謬ともみなされるものであり︑此処にこそ︑われわれは社会統計と自然統計との基本的相

異を発見し得るのである︒

(V er sc hi eb un g)

とは︑それによって支えられる統計大量その 

﹁すりかえ﹂の例として︑ワーゲマンの挙げる例を籍りるであろう

0

フランスがその国の軍備縮少を統計的に立

000

人に縮少したと発表したが︑この数はあたかも国防力の減少を表示するかの如くであるが︑そ

れは何処までふ国防力の量的側面のみより考察しての結果であって︑

一九︱︱︱一年の師団数の一八九を一九三一年には一〇六に︑更に一ケ師団の有奴兵力を一八︑000

現実は︑質的には強化されていたのである︒

一九一三年より一九=二︑二年の期間に於て︑下士官の数は四二︑000

000

人に︑佐

官級は約一︑七

00

人よ也一︑五

00

人に増員されていたのである

0

この場合の如く︑・﹁兵力﹂という集団そのも

4

棚念が内容的に変化を来しているのである

0

斯る例は腿た行われる労働者一人当りの生産高による労働の生

産力の測定に於てもみられるものである

0

例えば︑一八六

0

年には労働者一人当りの原鉄の生産高は二六.︱︱︱トン

であったが︑一九一三年には四

0

0トンである︒これより直ちにこの期間の一人当りの生産高は飛躍的に増大した

とは断定し難い

0

郎ち︑期間中に於ける企業の生産設備︑技術の改善をも考慮に入れるべきであり︑

既念を﹁労働者一人当りの生産高﹂なる掘念に﹁すりかえ﹂たがための誤謬である

0

語るべき社会的集団を正しく

語らざることより結果する誤謬であって︑ワーゲマンによれば﹁このような誤謬の一連のものは︑根本的には︑統 ものをして誤らせしめるのである︒ 棚念の﹁すりかえ﹂

(U nt er sc hi eb un g)

社会統計に附き纏う誤謬について

二六

(9)

統計大量は数によって表現されるのであるが︑その数そのものは総和又は平均値の形態をとるし︑更にこれを統

計系列を以て表現するのが普通である

0

この場合にもいかなる総和︑平均値を以て表現し︑又は表現すべきかは︑

その根底にある棚急によって規定されるのであって単なる形式論理によっては解決され得ない︒もし︑斯る掘念と

統計大量の表現との間に食い違いが生ずるときは︑此処に﹁表現の誤謬﹂が生ずるのである︒

大量の最も簡単な表現形態は︑大量を樽成する単位に︑それぞれ

1

なる数値を附加し︑その数え上げによる総和

を以てする

0

例えば人ロセンサスは一人一人の人口を構成する単位に

1

なる数値を附加して︑その単位を数え上げ

育 上

. I 

社会統計に附き纏ぅ瞑謬について

一 七

計的誤謬ではなく︑多少の差こそあれ︑無意識に棚念を誤りすりかえる︑きまりのない日常の論理による数の使用

( W a g e m a n n ,  

i b i d .  

a . ̲   a .   o .  

s .  

42) 

次に﹁掘念のづれ﹂.についてであるが︑それは﹁統計大量の根底に存在する掘念が暗六裡に拡大又は縮少される

ことより発発する﹂ものである︒︵

W a g e m a n n ,

i b i d ,  

a .   a .   o .  

s .  

42)

例えば︑一国の穀物収極高を出米る限り小さく発

表するには︑その国の農民の自家消糞のための保有高を総収穂高より除くという操作が行われる

0

論理学でいう﹁概念内容の拡大﹂に相当するものであって︑.﹁穀物収穫高﹂なる掘念と穀物市場へ販売されない可

能性のある﹁農民の自家消費のための保有高﹂なる棚念内容の二分化は掘念の範囲を縮少するのであり︑斯る慨念 の典型的なものである﹂

を表章する統計総体は事実よりも小とならざるを得ないのである

0

反対に︑棚念内容の限定は︑その範囲を拡大す

o .

例えば︑﹁ホテル業﹂なる掘念を本賃宿・居酒屋なる棚念で以て限定すれば︑あらゆる接客業をまで包括する

ようになり︑これを表章する統計大量は不当に大とならざるを得ないのである︒

統計大量の表現の誤謬

̀  

. I 

(10)

社会統計に附き謳ぅ膜諺について

によるものである

0

然るに︑総和は︑それで語るべきものを総て語り尽すわけではない

0

その内的構造を明白にす

ることによって︑より多くの事柄を把握し得るのである︒例えば︑人口の総数のみでは︑未だその国家の潜在的な

国防力を把握することは不可能であるが︑これを性別構成︑年令別構成と照合して︑初めてその目的を達し得るの

である

0

なお︑此処でいう総和は勿論︑単位を異る数値として把握し︑更にこの数値を合計することが可能なきと

き︑より多くの事柄を語ってくれるのである

0

例えば︑国民所得は︑斯る形態をとる︒郎ち︑財政統計によって︑

ある一定期間の個々の所得の大きさを計数するのである︒この場合に注意すべきことは︑総和としての国民所得そ

のものが大切なのではなく︑それが︑いかなる分布状態をとるかということである

0

郎ち︑相異る所得階級の有す

る商品購入力とその性向に重要なる意味が存在するのである︒

斯くしてワーゲマンは上述の統計大量の表現の誤謬を次の如く分類する︒

a

誤れる総和の形成

2

︑統計の解釈の誤謬

1

︑総和と平均値とが最も簡単な統計大量の表現の手段であることは︑既述の通りである︒この両者にいかなる誤

謬がみられるかを上の細分類について述べよう︒

d

誤まれる総和の形成

今日の国民経済に於ては︑国民財産の一部分は︑有価証券に投資されるのが常である°有価証券の全体は︑日女

1

︑簡単な表現の誤謬

a誤つて行われ系列の形成

i

形式的分布および分散度の誤謬

b

不適当な平均値の計算

u

C

一 八

(11)

る ︒

社会統計に附き縞う誤謬について の相場によって計数し得るし︑

叉しなければならない

Q

いうまでもなく︑この相場は証券市場に於ける需要と供給

との作用によって決定される

0

個々の相場は貨幣の所有者と証券の所有者の両市場参加者間の交換関係を示すもの

である

0

斯る交換関係を計数する場合には︑それぞれの士地の重さを︑他の土地の引力によって決定する地球の重

さを合計によって計算すると同じ方法をとるのである

0

なお︑この場合に︑地球の重さをプラスとマイナスとが相

殺されて零になる如く︑ある国民経済内の証券の全部が同時に売却されるとぎは︑その総価値は零となるという甚

だしく仮構的な数字しか得られない

0

地球の重さが零であるということ同様に︑これもまた非現実的な大きさであ

更に︑インフレーション期の二時点の紙幣価値の合計もまた︑上の如き非現実的な無意味な数字であり︑ワーゲマ

ンは次の如きューモアたっぷりな例話を以てこのような数の遊戯をいましめている~CE.Wagemann,

i b i d ,   a .   a .   o .  

s .  

65)

ある肉屋の広告に﹁半分は馬肉︑半分は鶏肉のソーセーヂはいかが﹂とあるに対して検査官が店主に次の如く質

問した︒﹁一キログラムの馬肉と一キログラムの鶏肉であるか﹂°答えは﹁いや︑一頭の馬と一羽の鶏とより作ったソ

ーセーヂで御座います﹂であった︒これは恰も﹁一頭の象と一羽の蚊とで二動物﹂というような形式論理による総

和の形成の無意味さを衝くものである°此処で再びワーゲマンの基本的態度について述べる必要がある

0

彼によれ

ば﹁数学は純粋数字を取扱い︑統計大壷は経験数字を包括する﹂

0

純粋数字は信頼し得る精確な規則に従って合計

( a d d i e r e n )

されるが︑経験数字は数の挙げ

(Z

u

m m g z 已

l g )

られる﹂のである︒

( E . W a g e m a n n ,   i b i d   a .   a .  

o .  

s .  

6 6 )  

即ち︑統計大童がその背後に経験数字と結合される限り︑それの表現は単なる形式的な総和を形成して事足るもの

ではない°統計大董を構成する単位を標識によって数え挙げ︑部分大量を正しく構成することによって総和又は統

(12)

平均値の諸機能及びその性格については︑拙著﹁統計と

推計の理論﹂昭和二十六年・︱︱五頁ーニ︱︱六頁を参照され度い︒特に筆者は其処でフラスケン︒ハーの考え方を紹介しておいた︶

以上は算術平均についてであるが︑系列の項を大小順に配列し︑その中央に位する値としての中央値については︑

もし項数が奇数であれば︑それより誘導される中央値は現実的な大きさを語るのであるが︑偶数の場合には中央の

位置を挟む二項の算術平均が中央値とみなされ︑これもまた彼によれば抽象的な計算による数字となる

0

次に大量

中︑最も頻りに出現する数値︑たとえば

1 ;

i .

  3 ;

.  1

  3 ;

1  

.   3

;  

2 . 

3

;  

に於ては

1 .

3

が並数であるといわれる

0

併し︑こ 結果が導かれることになる︒

( E .  

W a g e m a n n

i b

i d

  a .

  a .  

o .   s .  

・ 5

9 ,

 

均して五十万長者を生ずる﹂ 総和に次ぐ統計大量の表現手段は値には算術平均︑幾何平均︑調和平均︑中央値及び並数がある︒このいづれもが︑ワーゲマンによれば抽象的な非現実的な大きさを語る数字であり﹁現実に具体的に無関係な純粋に計算的な大きさ﹂(ee

r e i n

e   R e

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( E .  

Wa

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b i d

,   a .  

a .   o .   s .  

66

)

0

もし︑このことを忘れるならばたとえば﹁百万長者と無一文とを合計すると平

( H a b

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Bd

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1 9 3 0

)  

社会統計に附き纏ぅ誤謬について

計大量の総和による表現が意味を持つてくるのである

0

﹁単位の同穂性﹂の問題としてドイツ社会統

0 ( F . N  

i z e k ,  

G l e i

c h a r

t i g k

e i t ,

 

H o m o

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  G l e i c

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d e r  

S t a t i s t i k ,  

計学派の好個の理論対象となったものである

A l l g

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Statitisch~Arcliiv,

i s   : a d .  

1 9

2 8

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S応号ヰ召

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19 

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1929•F.N

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B e g r

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d e r   , G l e i c h a r t i g k e i t  

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S t a t

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Allgemeines• •

S t a t

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s c h e

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i v ,  

20 

不適当な平均値の計算

1 0

 

(13)

れとても両極値たる

1

2 . 3

とが無視される限り︑非現実的な数値としか受けとられない

9

よれば︑並数が誘導されるのは︑ある項の席数が著しく他の度数より大なるものでなければならない︒即ち︑ある

若干の場合が﹁系列より踊り出る﹂

( a u s d e r   . R e i h e   t a n z   g )

ようなものに於てはじめて意味を持つてくるのである︒

然るにこの場合に於ても出現の度数のみが問題となるのであって︑それによって簡約に表章される統計大量との関

係は依然として空しいものがある︒

要するに︑ワーゲマンによれば︑平均値は正しく︱つの^^

F i k t r o n  

̀

"

( E . W a g e m a n n ,   i b i d .   a . a . o . s . 6 8

)

同様の

立場をとるものとして︑エップシュタイソがある︒

(P .

E p p s t e  

E r ̀  

D i e   D u r c h s c h n i t t s f i k t i o n ,   J a h r b i i c h e r   f i i r

 

a t i o n a l   0 1

9  

k o n o n i i e   u n d t a   S t i s t i k ,  

B d .  

1 3 1 ,   1 9 2 9

̀ 

 

s . 1 9

1 5  

)

劫 5L2

立 ' 晶

r

m

t R

U

n

ZJ

のいかなる

ip

これまた単に各種の平均値の計算方法がどうであるかという形式的な算術理論で解釈されることはなく︑その根底

をなす統計大量の持つ意味︑それに対応して誘導される平均値の持つ意味と一致するや否やの吟味こそ大切なのである°既述の

(Habenicht~+

M i l l i o n a r )

2    + 

1 1

H 巴

b m i l l i o n a r

流の平均値の誘導は彼によれば︑正しく﹁お道化た決

0(P. 

F l a s k a m p e r ,   B e i t r a g e   z u r  

L o g i k : d e . s r   t a t i s t i s c h e n   M i t e l w e r t e ,   A l l g e m e i n e t a t   S i s t i ‑

( p o s s i e r l i c h F 

e t s t e l l u n g )

である.

h g A r c h i v

B d .  

,   2 1 ,   S :   3 7 9

0 回四題の饂 5

決に會=要な一吟﹃文である︒︶

2

︑統計的解釈の誤謬

統計大量は︑統計的に詳細に﹁解釈﹂しなければならない

0

その場合に︑われわれは与えられた統計大量を何等

. 

かの見地より部分大量に細分しなければならない

0

例えば︑時間的︑場所的区分原理︵標識︶によって区分しなけ

.ればならないのである

0

然るに︑此処に一っの限界が存在すことを注意しなければならない

0

この限界を超えると

社会統計に附き纏

3

誤謬について

ワーゲマンに

(14)

類が有意義となるかとの問は︑ワーゲマンによれば︑ ぎ謂う所の統計的解釈の誤謬の一っが発生する

0

次に上述の平均値を中心とする統計系列の分散度の解釈の形式化

に附き纏う誤謬が考えられる

0

以下︑これらについてのワーゲマンの見解である︒

誤つて行われた系列の構成

これは•ある統計大彙を甚だしく事物的に細分するこどより発生する誤謬である

0

平均値の計算に於ても、単位

数が極端に少なる場合の無意味さについては既述の通りであるが︑斯る誤謬は統計大彙を構成する単位の数が甚だ

しく少なる場合の比率についてもみられ得るのである

0

例えば︑家畜調査の結果︑ある田舎町の家畜状態は五〇疹

の騒馬と五〇彩の山羊より成り︑ある都会では一頭の襲馬と一頭の山羊より成り︑この田舎町でも都会でも共に五

〇彩づつあると解釈することは︑形式的には正しいとしても︑実質的には甚だ不都合なことである︒同様に︑ある

農村に二人の出生児があり︑その一人は公生児であり︑他の一人が私生児であり︑この農村では五〇彩の私生児出

生がみられ︑そ.の道徳状態は甚だ低いと判断することと軌を一にするものである

0

併し︑単位の幾許より︑その分

( E . W a g e m a n n ,

 

i

b i

d ,

 

a . ‑ ‑ a

.   o .  

s .  

70)

統計による現象の把握が集団が集団として有する性格である集団性

の認識を︑その終極目的とする必然的な結果である

0

郎ち︑集団の存在しない所より集団性を求める誤謬である︒

h

形式的分布および分散度の誤謬.

統計大董の総和︑平均値による表現を補完するものが分布および分散度の計算である°統計大量が経験掘念の量

的性格を表章するものである限り︑それは平均値を中心にして︑ある分布をなす°統計大量の解釈は斯る型と︑そ

の分布を語る特定の数値である分散度を求めることによって︑

a .  

社会統計に附き纏う誤謬について

﹁恰も幾粒の砂の堆積より砂山というか﹂との問に等しいも

より充分なものとなつてくるのである︒

(15)

と分析的考察との都合よき混合﹂

上述の通り︑分散度は平均値による統計大量の解釈を補完するものであつて︑ワーゲマンによれば﹁綜合的考察

( g l i i c k l

g  i  

e n i   M s c お h日

S 甘

t h e t i s c h e r u n d   a n a l y t i s c h e r   B e t r a c h t u n g )

の機能をなす

即ち︑平均値による綜合`更にその平均値を中心とする各項の

分散の度合を語るという機能を有するものである

P

.併し︑統計大量の極度の細分が誤謬をもたらすと同様に︑この

場合に於ても﹁穿竪すぎることよりの危険﹂

( Q }

f a h r   d e r   H a a r s p a l t e r e i )

が存在する

0

ワーゲマンは︑このことを人

口密度問題によって説明する

0

( •

E . W a g e m a n n ,   i b i d .   a .   a .   o .   s .  

77)

面積と人口数の綜合としての人口密度は必ずし

も人ズが信用するような数値︵一種の統計比率と

L

ての︶ではない

0

その理由は︑相異る国籍又は民族を気候・土地

の性格及び交通状態等相互に甚だしく異る面積なる公分母に結合し︑その大きさを比較して︑その人口状態につい

て一云父することは全面的に妥当ではないというものの︑これを諸条件ごとに細分して複数的な人口密度を求めるこ

より妥当であることの論拠ともならない

0

むしろ斯る人.口密度の計算こそ︑彼のいう﹁穿睾すぎること・

い ︶ ︒

( E .   W a g e m a n n , b i   i d .  

a .   a .   o .   s .  

77) 

分布の標準的な型は︑ヶトレーによって発見された﹁ベルギーの新兵の身長﹂の分布に於てみられるものであ

( 8

u s s s c h

  g 

G l o c

k   g 

k u r v e )

叉は正規曲線

( N o r m a l k u r v e )

A l

称せられるものであ

0

次に分散度とは︑統計大量の平均値を中心とする分散の度合を語る数値であって︑範囲︵極大値と極小値との

差︶︑平均偏差︵平均値と系列の各項の偏差をその代数的符号を無謁して平均したもの︶︑標準偏差

G

の偏差を自乗したものの平均値の平方根︶及び四分位偏差︵系列を四等分し︑第三四分位と第一四分位の偏差を二等分し

たもの︶等によって測られる︒︵その各々の数学的公式およびその数学的性械については︑初歩の統計学の教科書を参看され度

 

.. 

_

(16)

入る危険にさらされるのである︒ よりの危険﹂の一例である︒並数よりの分散が甚しい場合は︑

としての国民経済に関聯するが故に︑総体数の方が個別数よりも︑

ge

ma

nn

,  i b

i < 1

.   a .  

a .   o .  

s .  

7 7 )  

.総体として把握し難い場合は︑上述の論理は妥当し得ないことは当然のことである

0

ともかく︑分布︑分散度の検

討を天邪鬼的に穿堅することは︑総体観によって保証される意味の喪失を招来する擢れを内在するものであり︑彼

なお︑これと同様のことは︑属々︑統計の利用に当つて陥入る誤謬に於てみられる

0

郎ち︑総体数より極端に多

︑数の構成的比率︵総大量と部分大量との間の比率︶を誘導する場合に於てもみられる︒﹁面積比較の網の目は余

c b

く引きしめられてはならない﹂のであって

(E .W

ag

em

an

n,

  a .

  a .  

o .   s .  

7 7 )

︑ある一国の任意の一平方キ

P

の人口密度を多数求めても何事をも語らないのである

0

われわれの知り度いのは︑これが都市︑農村︑その他の地

方を代表するか否やということである

0

郁ち︑﹁何等の自然的全体に呼応しない形式的に計算せる分散が意味を持つのではなく、ある一定の自然的分散が意味を有するのである」(~-

Wa

ge

ma

nn

̀   

i b i d

.   a .  

a .   o .  

s .  

7 7 )

勿論︑われわ

れでは︑ワーゲマンの自然的全体・自然的分散という条件は狭きに過ぎるもとの考え︑社会的条件に重点を置くも

. ︵ 高 木

(E

.W

a  , 

勿論︑その内的構造が甚しく多様のものであって︑生物学的にも社会学的にも一ケの

要するに︑統計利用の上より︑形式的に分布︑分散度を求めることは︑ともすると木を見て山を見ざるの弊に陥 の所論は︑この限りでわれわれの記憶にとめるべきである︒

社会統計に附き纏う誤謬について

その語る所が大なる場合があり得る︒ ﹁一ケの生ける統一体﹂︵e

l e b e

i g e

E

e i t )

一 四

(17)

a.  社会統計に附き纏う誤謬について

経験的世界のあらゆる対象が数え挙げられると同様に︑それは叉︑ある一定の条件のもとに相互に数的関係にお

かれ得る

0

統計に於けるこのような操作は恰も化学やその他の自然科学の実験室内に於て行われる発見と同様の操

(E .W ag em an n,   ib i d .   a .   a .  

O .  

S  •.

81)

その代表的なものとして︑

統計による研究の第一段階を︑既述の統計大量の形成に求めらるとすれば︑此処で述べる統計大量の比較︑結合に

よる﹁統計的認識﹂は︑その第二の段階とみられるものであって︑形式的側面と共に実体的側面とを有し︑更に︑

彼が統計の結合の誤謬として挙げるものには︑次のものがある︒

ー︑結合の形式的誤謬

1

︑︒^ランス構成︑比率および糸列構成の誤謬

2

︑系列の組合せの誤謬

系列の融合の誤謬

a︑系列の選択の問題

B︑指数の基準の問題

T

︑加重の問題

数学的側面と共に論理的側面を有するのである︒ 時系列を相互に比較し︑

一 五

それより相関係数を誘導する場合が挙げられる︒ 作であり︑ワーゲマンによれば﹁統計的実験﹂

( St a t is t i sc h e   E xp er im

 

t )

(18)

h  d  .  : > .  

異種大量の誤れる結合

a

︑虚偽の環境の選択B︑無関係な大童の疑わしき結合 a︑外的公分母の不統一性B︑不当な内的公分母

a .  

役に立たない公分母を適用しての同種大彙の対立 量的構成の誤謬質的構成の誤謬

2

︑統計大量の比較と結合の誤謬

a .  

1

︑非組織的な構成

b .

系列の比較の誤謬

 

︑平均値計算の問題

8

a︑不自然な相関関係

¢︑虚偽の比較

I︑結合の事物的誤謬

時間的構成の誤謬

場所的構成の誤謬 社会統計に附き纏ぅ誤謬について

一 六

参照

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