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年度教育研究
学内特別研究報告書
「生活科」の教育内容・方法に関する研究
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滋 賀 大 学 教 育 学 部
活 科 運 営 委 員 会
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は じ め に
「生活科 j は、小学校の1.2年生だけの教科として新たに誕生した。1989年版「小学校学習指 導要領」の改訂で設置が決まり、 「教育職員免許法」の改訂により教育学部では必置科目となった。 週3時間の「生活科」ができる反面で、従来の低学年にあった社会科と理科の各2時間が廃止され たのである。しかも、「生活科jの設置は、十分な教育現場の意向を踏まえていたとはいえず、教 育課程論・教科論・発達論からの疑問や問題点を残したまま、急転直下決定されたものであった。 その後、教育現場では「生活科」の教科のとらえ方、教科の性格と本質をめぐる論議がたたかわさ れ、論争が起こっている。1992年 4月からの実施を迎え、「生活科」の教科としての内容・方法を 充実させるための実践が積み重ねられつつある。 教育学部では、 1989年 4月から「生活科運営委員会」を設けて、学部としての新教科への対応方 針を定めようとした。 ["生活科」に関係する 9研究室の代表により運営委員会を構成し(1990年に 10研究室に拡大)、 「生活科」に関する各種の調査・研究・学習会を実施してきた。 ["生活科運営 委員会」は、検討の結果を1990年 5月25日の教授会に「滋賀大学教育学部における『生活科』への 対応方針」として提案し、了承を受けた。1991年度よりは、この対応方針にもとづいて「生活科概 論J["生活科教材研究」を開講するに至っている。 小学校における「生活科」の問題状況、学部における講義の諸問題などを解決するために、 「生 活科運営委員会」は「新教科 『生活科jの教育内容・方法に関する研究」を行ってきた。この研究 にたいして、 1989年度より本年までの 3年間、教育研究学内特別経費の研究交付を受けた。 各年度ごとに研究成果を報告してきたが、本年は3年間の研究のまとめということで、ここに研 究報告書を刊行する。 1 992年 3月 滋賀大学教育学部生活科運営委員会 研究代表 木全清博(社会科教育)0870856764
滋賀大学附窟図書館
目 次
第l部 大学における「生活科」の講義内存 l 低学年社会科の実践と「生活科j….・..H ・..…...・H ・...・H ・..…… 木 全 清 博 …..・.H・..……1 2I
生活科」におけるく体験〉と時間 ・空間….・..H ・..……...・H ・..窪島 務 ……...・H ・..…7 3 家庭科へとつなげる「生活科」の学習…...・H ・..……松村京子・衣川免子 …..・.H ・..……11 4I
生活科」における健康教育の位置...・H ・...・..H・...・..H ・....・.H ・..林 正 ……...・H ・..…16 5 遊びと「生活科J
をつなぐもの……..・.H ・...・..H・..……...・H ・..… 小田 豊 …...・H・..……18 6I
生活科」と技術的 ・技能的要素の豊日な地域の生活…...・H・..木鳥温夫 …...・H・..……21 7I
生活科」の批判と創造を...・H ・....・.H・"…...・H・H ・H ・..………… 鈴 木 正 気 ……...・H ・..…25 8I
生活科」と自己認識..・.H ・H・H ・..……...・H・..….・..H・...・H・..… 東田充弘 …...・H・..……38 9I
生活科概論」における学生の意識分析…...・H ・...・..H・..……… 川本治雄 ……..・.H ・..…40 資料 1991年度「生活科概論J
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生活科教材研究」講義分担一覧表 ・…....・H ・...・H ・.44 資料2r
生活科」教科詐(12社)の目次一覧…...・H ・..……...・H ・...・..H ・....・H ・H・H ・-….48 第2部 「生活科」研究の歩み一一1989年度、 90年度 -生活科運営委員会 「生活科jの教育内符・方法に関する研究(第I報) ...・H ・....・.H ・...・H ・..…H・H ・...57(
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教育研究所紀要』第23号 1989.3) 2I
生活科」の教育内容・方法に関する研究(第2報)……・H ・H・...・H ・H ・H・...・H・..… 67 一「生活科」の研究課題と現代の子どもの生活一 3I
生活科jの教育内存 ・ブJ法に関する研究(第3報)…..・.H ・H・H ・...・H ・...・H ・...・H ・. 74 一 「生活科」の基本構造と生活教育論一 4I
生活科」の教育内容・方法に関する研究(第 4報)……...・H ・....・.H・...・H・...・H・.. 82 一 「生活科jの授業プランの計画と構成一 ( 2・3・4、 『教育研究所紀要』第24号 1990.3)滋賀大学教育学部
《
生 活 科 運
営 委 員 会 》 研 究 メ ン バ ー
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年度
。研究代表者 *講義及び執筆担当者 。 木 全iff博 (社会科教育)*
東田充弘 (理科教育)*
林 正 (健康教育)*
木島温夫 (技術科教育)*
松村京子 (家庭科教育)*
小 田 豊 (幼児教育)*
児玉典子 (教育.c.、理) 鈴 木 正 気 (社会科教育) 1990-91年 度 窪 鳥 務 (障害児教育) 1990-91年度 鈴木智恵子(理科教育) 1990-91年 度 村 田 昇 (教育哲学) 1990-91年度 堀 江 伸 (教育方法) 199 1年 度 秋山哲男 (美術) 1 989年度 橘 美 智 子 (美術科教育) 1990-91年度 〈研究協力者一実地指導非常勤講師〉 川本治雄 市永雄教 衣川免子 河瀬哲也*
*
低学年社会科の実践と「生活科」
一小
学校の生活教育の創造
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生活科教材J
,i,Yi義の概要 「生活科教材」の講義は、第1,芯から第5講 までの5回と、第 13講の言十 6回を担当した。こ こでは4月一 5月の 5回の講義について報告す る。今年度からの開"梓ということもあって、学 生が「生活科」について全くイメージがない段 階での講義で、あり、講義する側も手探りで行っ たものである。なお、担当部分にかかわるテキ ストとして、大阪教育文化センター編 『子ども を伸ばす生活科にJ
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月刊)を指定し て、適宜関連の論文を使って講義を行ったO 第l講 「生活科」とは何か 一一「生活科J誕生の背景、 〈文部省生活 科〉の問題点 第2,;j~r
生活科」の教科論的検討 一一明治以降の「教科」の歴史、低学年の 総 合 学 習 の 歴 史 、 教 科 理 論 か ら み た 「生活科J
、自他の未分化論 ・自己認 識論の批判的f
食言す 第3議 低 学 年 社 会 科 実 践 史 (1 ) 一一1
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年代の石橋勝治「のりものj実践1
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年代の久津見宣子「パンの授業J
実践 第4講 低 学 年 の 社 会 科 実 践 史 (2 ) 一一1
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年代の倉持祐二「地図たんけんj 実践、長沢秀比古「絵本の世界を現実 へ」実践 第5講 「生活科」実践の創造 一一「生活科」授業論と教材論の視点と方 法、森脇健夫論文「生活科へのlつの 提案j と野名龍二論文「日常の自然 ・ 社会・人間の事実から学ぶ」 木全清博(社会科教育) 2.r
生活科jの批判と創造 「生活科教材」の講義の開始にあたって、第I 講目に「生活科とは何か」をテーマにしてこの 教科誕生の経緯、成立の背景に関する問題点を 取りあげた。1
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年頃にさかのぼる小学校低学 年の合科指導論の提起があり、理科・社会科の 合科指導がめざされていた。だが、1986-87
年 の教育課程審議会の “低学年の教科構成の見直 し"提案から以降、急速に理科・社会科の廃止、 新教科「生活科jの誕生に進んできたことを、 年表風な整理をもとにして説明した。この教科 を成立させた背景として、文部省の政策として 「しつけ強化j という道徳的態度主義の強調が あり、 「社会科解体J
にみる社会認識教育の解 体 ・抑圧があったことを知らせた。(資料1) つぎに、第2講では日本における教科の理論 からみた「生活科jの問題点を考えさせた。明 治以降の教科の成立を、名f岡別の教科がいつご ろ、どのようにして成立してきたかを説明した。 表lは各教科の成立年を示したが、講義では 「教科」成立にはその教科を基礎づける個別科 学の深まりがあったことや、科学(学問)と教 科との関連を考えさせた。教科の背後には、そ れぞれに固有な文化領減があり、科学、芸術、 身体文化などの他とは区別される固有の理論を もとに成立し、発展をとげてきている点を強調 した。もちろん、教科の内容 ・方法は子どもの 側から、学習者としての子どもの発達の論理に もとづいて組織されるべきであって、教科の成 立にあたってはこの点も重要な観点であること も説明した。(資料2) 1-表i 教科の成立(1872年=明治5年以降) 国語 -1900(明治 33)年│これ以前は「読書
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作文」 「習字J
1941年「国民科国語J
算数 -194l(昭和 16)年│以前は「算術」、 1941年「理数科ti
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数」 理科 -1886(明治19)年│以前は「↑専物H物理H化学」 「生理J
1941年「理数科理科J
音楽一胤l(昭和 16)年│以前は「明歌JH鑑1'tJ
、 1941年「芸能科白楽」 体操 -1900(明治33)年│以前は「体術」、 1941年「体練 体育 -1947(昭和22)年│科体操H体練利武道J
社会一 1947(昭和122)年│戦前の「修身H歴史H
地理」 「公民jを統合 家庭一山7(昭手1122)年│戦前の「家事H裁縫jを統合 さらに、低学年の教育課程に関して、戦前か らの低学年の合科学習 ・総合学習の系譜を講義 した。大正期の合科学習として奈良女高師附属 の試み、太平洋戦争中の国民学校期の総合学習、 戦後のコア・カリキュラムの実践などの概要を 説明した。教育課程の問題は当然ながら、低学 年の子どものとらえ方、子どもの発達観にかか わることになるので、「文部省生活科jに見ら れる発達観を検討し、批判的に検討した。 3.低学年社会科実践と「生活科」授業 第3講から第5講では、 「生活科jと社会科 との関連を考えるために戦後の低学年社会科実 践史を取りあげて講義した。戦後の低学年社会 科実践史の豊かな蓄積をふまえて、あるべき 「生活科」授業を考えさせるためである。明治 10年代の 10年間を除けば、戦後になって初めて 低学年から社会生活を見たり・考えたりする教 科として社会科が成立してきた。近代日本教育 史の上で画期的な意義があったわけだが、低学 年の子どもに新しい社会科をどう教えるかにつ いてさまざまな困難を克服しながら、実践が杭 み重ねられてきたのである。そこでの苦闘に満 ちた実践と理論の追究を、戦後の低学年社会科 実践史の代表的な実践記録を読む中で考えさせ、 問題点をはらんで出発しようとする「生活科」 を、真の生活を創造するような教科にする手が かりを与えようとした。 (資料3) 第3講では、戦後直後である 1940年代後半の 石橋勝治r
1年生の教室記録j中の「のりもの」 実践と、70年代の 「社会科の授業を創る会」 『ものをつくる授業j中の久津見宣子r
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パンj の授業」実践とを取り上げて、授業の記録を読 み進めた。石橋実践にみる子どもの〈自治的な 芽をのばす> <集団づくりと自治意識を育てる〉 授業や、久津見実践にみる〈生産労働の基礎を つかませる〉 くからだを通して生産や労働を学 ばせる〉授業は、低学年教育において重要な観 点を提起していると押さえた。久津見実践につ いては、学生に第2講目につづいて感想文を:古: かせたところ、 「ものをつくる授業」への驚き と体験的授業への共!惑を述べる者が多かった。 (資料4) 第 4,溝では、 1980年代の 2つの低学年社会科 実践を取りあげた。倉持祐二実践では、 『から だで学ぶ地図の学習J(1989年)中の l年生の 「地図たんけん」実践と「学校オリエンテーリ ングJ
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石鹸箱で学校をつくろうJ
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骨折史地理 教育JNo.441-442 1989 年 4~5 月)の実践記 録を読ませ、学生問で討論させた。20歳代の若 手の実践者の意欲的な教材づくりと授業づくり を学ばせ、〈空間認識の基礎を育てる〉絵地同 学習の典型的実践であることを説明した。倉持 実践は、 3年生以降の社会科地図学習を意識し た空間認識を育てる指導であり、 l年生の子ど もに家庭と学校、学校付近の空間を絵地図に表 現させている。倉持実践が低学年の社会認識に 十分に注意を払った実践であることは、次のよ うな提案の方向に合致していることからも明ら かである。 低学年の社会認識を育てる観点として、土井 三郎さんは 4つの視点を提案している。 1.空間認識を育てる、 2.労働認識を育てる、 3.時間や肢史的認識を育てる、 4.民主主義 や自治の働きに気づかせる(r
子どもを伸ばす 生活科にJ60-61頁) もうlつは長沢秀比古「絵本の世界を現実へ (小 2)J
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係史地理教育JNo.460 1991年 8月) 実践を紹介した。絵本の読み聞かせから入って、 l学期のパンづくり編 (自然と人間との関係、 人間の生活の知恵を知る)、 2学期のミルク編 (自然と動物と人間との関係、人間と人間との 2-関係を知る)、 3学期の人の体編(人そのもの を知る)という i年間をかけた長丁場の実践で ある。麦畑の見学、麦刈り体験、製粉、パンづ くりなどl学期の実践は、単に体験をさせるだ けでなく、麦の観察やスケッチ、麦と米との違 い調べのような子どもの調査・見学・観察をて いねいに指導している。
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生活科j を体験だけ の教科から、低学年の認識力を育てる教科にす るうえで、貴重な観点をだした実践といえよう。 第5講では、 「生活科」を真の生活教育の教 科として創造するための視点と方法について、 2論文を取り上げて考えさせた。低学年の子ど もの作文を紹介した野名龍二論文と、低学年理 科・社会科の実践をふまえて生活科プランを積 極的に提案した森脇健夫論文である。 故初に、野名論文にある1.2年生の 5つの 作文を読ませ、低学年の子どもの身のまわりの 自然 ・社会 ・人聞を発見する力、感動を表現す る仕方を討論させた。ついで森脇論文が提案す る生活科の内容をとらえさせた。そこでは「意 味のある教材・活動」として、 ① 穀物の栽培・ 収穫・食、②「からだ」の授業、 ③ 「モノ」に 満たされた空間としていろいろな場所を地図に してみる、 ④ 「モノ」観察 ・集め・分類、 ⑤ 時をli昔るモノ、 ⑥ モノ作り ・モノ解体、 ⑦ モ ノを通して人はつながっている、を欲しい単元 に列挙している。森脇提案は、この単元をあげ た根拠として次の4点を出している。 1.1
モノ」に関わった活動は低学年の認識の 発達に即しており、またその発達を促すと考 えられる。 2.1
モノ」認識は自然、社会認識の基礎とな る。 3.生活科プランの立て方として、「モノ」を 軸にした融合プランは有効である。 理科的なものと社会的なものを融合するリン クとして、場所、活動、モノが考えられるが、 モノを軸にする。 4. 認識の方法、そしてその結果獲られる内容 が、このプランのj菱得目標である。 -モノとモノとを比較してみる ・モノを 数量的にとらえる ・モノとモノをつなぐ人 間関係がある。 モノの背後に見えない人間、 人間の労働があるなど。 u子どもを伸ばす生活科にJ73~81 頁) 森脇論文の提案に依拠して生活科を創り変え るべきであると説明し、生活科の内容 ・方法を 創造する方向についての講義を終えた。 最後に、評価は400字原稿用紙 10枚のレポー トで行った。レポートテーマは、1
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子どもを 伸ばす生活科にj中の5論文を読み、生活科の 問題点を指摘して、あるべき生活科授業の扱い 方を論じなさいj ということで、 1カ月の期間 内に提出させ評価した。 資料 r生活科」誕生の経緯 1986年7月27日 「小学校低学年の教科構成のあり方」 a(
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小学校低学年教育に関する調査協力会議J
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「従来、低学年において社会認識や自然、 認識の芽を育てることは、独立の教科であ る社会科と理科で行うこととしてきた。し かし、低学年児童に未分化な発達状況がみ られ、またこの時期は具体的な活動を通し て思考する段階にあることから、これらの 教科のねらいは、児童の具体的な活動や体 験に即して指導する方が一層有効に達成で きると考えられる。 そこで児童が自分たちとのかかわりにお いて人々(社会)や自然をとらえ、児童の 生活に即した様々な活動や体験を通して社 会認識や自然認識の芽を育てるとともに、 そのような活動や体験を行う中において自 己認識の基礎を培い、生活上必要な習慣や 技能を身に付けさせ、自立への基礎を養う ことをねらいとする総合的な新教科として 生活科(仮称)を設ける。 ところで、 1986年10月の教課審の「中間まとめJ
は「生活科」について次のように述べた。 b …低学年の教育全体の充実を図る視点 から低学年新教科として生活科(仮称)を 設定し、体験的な学習を通して総合的な指 3-導を一層推進するが適当であると考える。 生活科(仮称)は、児童が自分達とのかか わりにおいて人々(社会)や自然をとらえ、 児童の生活に即した様々な体験を通して、 社会認識や自然認識の芽を育てるとともに、 そのような活動や体験を行う中において自 己認識の基礎を培い、生活上必要な習慣や 技能を身に付けさせ、自立への基礎を養う ことをねらいとして構想するのが適当であ ると考える。なお、社会科及び理科はその 中に統合することとする。 ここでは先の「協力者会議」の見解はそっくり 生かされた。 1987年 11月27日に公表された教育課程審議会の 「審議のまとめ」では、次のように記されてい る。 C 低学年の教育全体の充実を図る観点から、 低学年に新教科として生活科を設定し、体 験的な学習を通して総合的な指導を一層推 進するのが適当であると考える。生活科は 具体的な活動や体験を通して、自分と身近 な社会や自然とのかかわりに関心をもち、 自分自身や自分の生活について考えさせる とともに、その過程において、生活上必要 な技能を身に付けさせ、自立への基礎を養 うことをねらいとして構想するのが適当で ある。なお、これに伴い、低学年の社会科 及び理科は廃止する。 資 料2 教科論について 「教科」とか「教科論
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について、従来の教 育学研究の蓄積は決してゆたかであるとはいえ ない。しかし、わたしは少なくとも次のような ことだけは共通に理解されてきた、と考える。 (1) 教科の背後にはそれぞれ固有の文化領域 がある。たとえば、言語や数、あるいは音 楽や美術、さらには体育に関する教科には、 言語文化や数学、芸術、身体文化がそれ ぞれ他とは区別される固有の理論をもって 成立、発展をとげてきている。その意味で、 社会科や理科の背後にも社会や自然に関す る認識の科学の発展があったことは留意さ れるべきだろう。 (2) とはいえ、教科では学習者の立場からそ の内符が組織され、学習方法が研究きれな くてはならない。固有の文化領域があれば それがただちに、どの学習段階でも教科と して成立するとはかぎらない。ある場合に は、未分化、総合的に学習される内符があ るし、学習の始期にしても固定的には考え られではならない。それは文化に内在する 理論にもとづくと│吋時に、あくまで学習者 としての子どもの発達の理論にもとづいて 組織されるべきなのである。 (3) 各教科における教授=学習の過程では、 単なる知識・技能の伝授ではなく、真実探 究の方法を学びとらせ、学習への意欲を主 体の内面に育てることも求められる。その ことができないようだったら教科は成立し ないのだ。 (4) もちろん、教育課程は各教科だけで組織 されるものだはなく、教科ごとの学習だけ が学習ではない。教科外活動 (Extra-curr icular activities)の中にも学習があるし、 子どもたちの生活そのものも広い意味での 学習としてとらえられ、教科はそのことを 基底として成立すべきである。 (5) 教科には必ずしも教科存が必要ない、と いうことは当然である。重要なことは学習 主体がいかにして教科教育の目標に到達し ていくか、という過程である。評価にして もそのために奉仕しなければなるまい。 教科についてこのような原則を確認したとき、 「生活科」は、まことに不可思議な“教科なら ざる教科"というほかない。文部省の「協力者 会議jや教課審の中閉まとめの段階まであった 「社会認識や自然、認識の芽を養うj ことがその ねらいに含まれていたのならまだしもであるが、 それが削除されて「生活上必要な習慣や技能を 身に付けるJ
ことが目標にされるとすれば、そ れは教科の教育ではない。子どもであれ、大人 であれ、生活習慣や技能を身につける必要があ ることは当然であるが、それらはまさに生活そ 4-のものの中でおこなわれるほかない。生きるこ とは生きることを通して学ぶ必要があるのだか ら。 中 野 光「われわれが創る生活科」
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子どもと創る生活科j民衆社, 1990) 資料3 低学年社会科の原点 社会科は生活指導と密接に関連する。けれど もそれは、知的認識の形成が道徳的なものと切 断できないためであって、知と分離された道徳 に学習の場をかすのに好都合な事情があるから ではない。たしかに低学年の社会科では、人間 関係が重要な題材になりはするであろう。しか しそれが単なる人間関係に堕するときは、もは や修身にひとしくなるのである。すなわち抽象 的な助けあいの説教となるのである。それでは やらなければならないしごとは登場してこない。 アクセサリーとしての平板なしごとしか出てこ ない。わたくしは j夫して、ある人々のように、 しごとのみじめさをことさら誇張する必要はな し、と思う。しかし、らくらくとし、かないからこ そ、しごとは問題となるのであり、それが人間 関係にも、具体的な影響を与えるのではないで あろうか。人間関係をただ美化しようとすると き、しごとの理解は必然的に抽象化され、道徳 と知識は分断される。このような、しつけ的抽 象思考的低学年社会科は、いかなる意味でもまっ たく不要である。現在の学習指導要領は、はた してこの点の弊をまぬかれているであろうか。 低学年の社会科を生活科に変えたいという主 張がある。生活科とよばれるものの内符が明ら かではないけれども、もしそれがしつけを中心 としたものであるならば、いうまでもなく幸庁し い教育の立場を再定するものであり、社会科と は遊離するであろう。うたがいもなく、道徳的 なものが知的なものと分離してねらわれるにち がいないからである。またもし生活科の根拠が 低学年における統合的指導の必然性にもとづく ものである場合は、理論としてはたしかにー案 たるを失わないけれども、現実的にはかえって その趣旨を裏切る結果をきたす公算が大きいと 考えられる。なぜなら、理科的な内符と混合さ れることにより、ただでさえとらえにくく、無 視されやすい社会科本来のねらいは、いよいよ;
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与をうすめることが予想されるからである。そ してそのあいまいさのために、しだいに前記の しつけとしての生活科へと転じていくおそれが、 きわめて強いからである。 低学年の社会科は明確に知的な学習でなけれ ばならない、俗説としての基礎学力が意味する ような知識ではなく、矛盾を手がかりとしてど こまでも発展しつづける具体的思考の有機的な 一環としての知識を形成する場でなくてはなら なし、。社会科のなかに、情操的な指導をもちこ もうとする動きがある。しかしわたくしがここ にのべたような知的学習は、いわゆる基礎学力 とちがって、それ自体情操を含んでいるのであ る。矛盾から矛盾へ、固定化されない矛盾を媒 介としてどこまでも追究していくことは、きわ めて情操的であるといわなくてはならない。こ のとき情操は知と結合する。もし知と切断して 情操を与えようとするならば、それは知的なも のをゆがめ去勢するとともに、情操そのものを 動物的な低いものへとおとしこむことになるで あろう。このことは決して低学年だけについて、 いえることではないであろう。 上 回 燕「低学年社会科について」(
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カリキュラムJ
N.O,101,1951年5月) 資料4 低学年「ものをつくる授業」の学生の反応 ① 私は小学校の時、パン工場ではないけれ ども、ガラス工場を見学に行ったことがあ ります。その時は “ガラス工場で働いて いる人は熱さに耐えていて、大変そうだ" ということは感じましたが、結局どういう 過程でガラス製品が作られていくのかわか りませんでした。 パン作りを経験してからガラス工場に行 くというのは、本当に意味ある社会見学だ と思います。パンは、何から作られるのか、 どのようにして作るのかを知っていると知 らないのとではパン工場に行って、得るも のが全くちがうでしょう。特に低学年では、 見て学ぶのではなく、体験して学ぶのだと いうことが重要だと思いました。 一5-② 頭で理解したように思っていても、実際 にはどれくらい分かったのか疑問である。 まして小学校低学年である。全身全霊をあ げて対象にぶつからねば労働の理解に到達 しえないのも納得いく。それだからといっ て体験学習、体験学習とむやみにするのも 良くない。子どもたちが熱心に取り組み、 理解をしてくれるような十分な授業計画が 必要となってくる。さらに、その場だけの 体験におわることなく、後々残るよう経験、 記憶に変換させることがポイント 1そのた めの作文というのは私も大切なことだと思 う。思考を文字にという形にすることで自 己の中で再度認識できるから。 ③ 私自身過去をふり返ってみると、田植え の授業で小2の時田んぼの中に入ったこと や、太陽堂のパン屋さんへ見学に行ったこ とや、ゅうぴ‘ん局へ行ったことのようにな にかの体験をとおして学習したことは、今 でもよく覚えている。だから、低学年の子 どもたちにとっては黒板の前で椅子にすわっ てという学習より、体全体を使った学習の ほうがとけ込みやすいし、子どもの想像性、 行動力も豊かにするのではないかと思う。 私は、生活科だけではなく、他の教科に も体験というものを大切にしていってほし いと思う。
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パンづくり」は低学年の子どもたちに とって、大変興味のもてる授業であると思 います。先生の話だけによってパンづくり の様子を理解するには限界があると思われ るし、まず始めにパンの実物が出てきたと きに、きっと生徒全員がそれに興味を集中 させると思います。また、体験する、観察 する、作文を書く、などの生徒たち自らが、 目、手などを働かせるといった授業のほう が、子どもたちが退屈することなく、知ら ず知らずのうちに、色んなことを身につけ ていいと思います。 ⑤ パンの授業は単に社会科の授業にとどまっ ていないと思う。パンはどのようにして作 られるかを知ることは家庭科にも及ぶだろ う。又、実際にパン工場に見学に行った際 -6 -には、そこで働いているおじさんやおばさ んはどのようなことをしているのか?を考 えることは、広い意味での道徳(労働の大 切さを考える点で)にあてはまるのではな いだろうかと思う 又、一粒から千粒への 授業にも共通したすばらしい点は、言葉が 表面上の理解でとどまっていないところで ある。これこそまさに授業に対する先生の 熱意のたまものだと思いました。このよう な授業は子どもにとって一生心に残るだろつ
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自分の社会見学の経験なんかをふり返っ てみても、実際の行動と見学がセットになっ たものはなかったように思います。 ⑥ “パンづくり"の時にも出てきたように、 何かを学習するときは、やはり子どもの関 心を向けることは大切だと思います。です から、実物のパンをもってきて、さらに子 ども達に与えたことは、すごく効果的だっ たと思う。 自分で体験したり、見学したりすること で、あやふやな言葉だったものも、しっか り記憶されていく。 子どもたちの考えや発見を大切にしなが ら、授業をすすめていくのは、なかなかた いへんなことだと思いますが、そこに教flW としての役割が問われるようになるし、や りがいのある仕事ではないかと思います「生活科」におけるく体験〉と時間・空間
1.はじめに 子どもは体験を通していろいろ学んでいく、 といわれる。近ごろ、子どもは知育ばかりで徳 育に欠けるので、具体的な体験を通じての行動 の仕方、人間関係への処し方を教えることが重 要だという議論が、生活科と結びついて行われ ている。 そもそも、日本の学校は知育をどのように扱っ てきたのだろうか。よく言われるように、学校 は知育過剰であったのか。明治 10年代、小学校 令が改訂されるについて、徳育を重んずべきと するときの政府の動きに対して、福I峯諭吉は、 古来日本の教育は「徳あまりありて智足らざる なりJ
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小学教育の事J、1879年)と論じた。 最近の学校論などでの指摘を考慮にいれると、 学校が知育を重視してしてきたかどうか、まし て偏重してきたかどうかについては、よく事態 に即して観察する必要がありそうだ。こうした 議論には、冷静で客観的な判断よりは、より政 治的なある種の意図が隠されていたりするが、 その点については他の文献に任せることにして ここでは省略したい(三上和夫ほか 『これから の教育を読む』労働句法社、 1987年)。知育か 徳、育か、という問題の立て;
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にはすでに、問題 の所在を誤らせる論法が潜んで、いる。いかなる 知育が行われ、いかなる知育が行われていない か、いかなる徳育が行われて、いかなる徳育が 行われていないか、これが問題である。 2. 教育としての体験 「子どもは自ら体験する中で学ぶ」という周 知の命題は、こと学校教育においてはよほど注 意しでかかる必要がある。というのは、第iに、 学校における授業の中での体験はほとんどすべ てが組織されたもの、すなわち特別の条件の下 でのものであるからである。第2に、子どもは 窪島務(障害児教育) 自分の経験も含めて外界を、自分の目を通して、 ある意味ではゆがめて受け取るからである。こ の心理学的な事実はピアジェが子どもの「自己 中心的心{生jとして明らかにしたものである。 「自己中心性」という概念には、ヴィゴツキーや ワロンからの批判もありさまざまに議論されて いるが、ピアジェが指摘した事実は否定できな い。子どもの体験を教育的に組織しようとする とき、これまでの社会科、理科という教科の枠 組みにおいてであれ、新しい「生活科」という 枠組みにおいてであれ、十分に考慮されなけれ ば、教えているはずのものを子どもはまったく 違ったものとして受け取っていたり、ある一つ の体験から大人の感覚から当然のこととして期 待しているものとはまったく違った内容を子ど もは学んでいるということが生じてしまう。 小学校時代の時間 ・空間概念の発達を事物に 即した認識の発達という観点からみても、事物 に向かっていく一人の主体としての内面におけ る時間的・空間的な発達においても、一つには、 事物 ・出来事を目の前にあるがままに(不変の 相において)しっかりとらえることができると いうこと、 二つには、事物 ・出来事を本質にお いて、つまり、物事にはいろいろな違いがあっ ても同じであるとか、同じものそのままでもい ろいろな角度からみると違って見えることがあ るなど、多様性の中で(変化の相において)物 事をしっかり見つめる力を培うことが課題とな る。そしてそれらは小学生時代を通じてかなり ゆっくりと、時間をかけて発達していくもので ある。 体験から学ぶというだけではそれらの力を十 分に育てることはできない。結論を先取りして 提示すると次のようになろう。そのためには、 まず、体験の内容が子どもにとって意味のある こと、それなりの必然性のあるものであること、 7-第2に、物事としっかり見る力と習慣を身に つけ、観察しあったことをいろいろな方法を用 いて表現し、子どもどうし、また先生を含めて 交流すること、つまり、話言葉を駆使して、体 験への認識を深めたり、お互いの感じ方に共感 しあったり、自分とは違う見方があることを知っ たりすることが必要で、あり、第3には、書き言 葉によって、一人一人の個性的なとらえ方をよ りふかめ、確かめあっていくというプロセスが 必要である。いずれの局面においても、見える こと、感じること、考えることについて、子ど もたちひとりひとりのとらえ方が大切にされ、 言語的交流、すわわち、コミュニケーシヨンを 通して高まり合うことがもっとも大切にされる べきことであって、教師から一方的な見方が押 しつけられたりしてはならない。 3.小学校低学年の時間・空間概念 (1)就学能力と時間 ・空間概念 ここでは、時間 ・空間概念という言葉を、子 どもが時間的、 空間的な理解をどのようにし ているか、というぐらいの意味で広く使うこと にする。たとえば、「あした、きのう
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という ことを子どもはどのように理解していくのだろ うか。これを考えるときには、「あした、きの う」という言葉を知っている(はなし言業とし て使うことができる)ということと、意味を正 しく理解していること(言葉の意味にあわせて 適切に使用できる)こととは違うということを 知っていなければならない。「きのう、おばあ ちゃんのところへいったよ」という話は、すで に3、4歳の子どもでもできる。 ところが、 「きのう」というのは、一昨日で、あったり、一昨々 日のことであったりする。つまり、 〈今〉を基 準にしてく今よりまえ〉、 〈今よりあと〉はわ かっているが、 〈きのう、今日、明日〉という l日単位の時間の分節化がまだできていないた めにこういうことが生じてくるのである。子ど もの理解がくまちがっている〉のではない。ま してくうそ〉をついているのではない。子ども は自分の知性をせいっぱい働かして、子どもな りに生活の時間をそのようにとらえているので ある。 <きのう、きょう、あした〉がそれぞれ 分節化してわかってくるのは、通常(平均的に) 5歳半頃である。ちょうどこのころ、空間的に も、よく知っている場所、たとえば自分の家な どへの道順を他人が何とか理解iJJ
能な程度に教 えることができるようになる。あまり身近でな い場所などについては、 「あっちのほう。知っ ているけど、口でいえない」というようなこと は小学校3年生ぐらいでもある。 5歳半頃は、 時間 ・空間分野だけでなく、子どもの発達全体 が新しい質をもち始める時期として知られてい る。 さらに、学校教育を受けるにふさわしい時期、 そのための能力の準備が備わってくる時期とし て、 ドイツでは古くから「就学能力J(
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学齢成 熟J
という人もいる)問題として論じられてい ることである。ピアジェのいう系列化が視覚的 な面ででき始めるのもこのころである。大きさ や高さの少しずつ違うものを小さい順に並べる ことができるようになる。 (自問的な傾向のあ る子どもが、モンテッソリー教具にある棒入れ などができることがあるが、その場合には単に 感覚記憶のレベルで並べていることがあるので、 慎重に判断する必要がある)。このころの発達 の力が、就学能力といわれたりするのは、主に、 文字を獲得し、文字を書き言葉として使用する 前提的な力がそのころ備わってくるからである。 日本語は、日本語表記(ひらがな)の特性から もっと早くから習得可能で、ある。平仮名の読み は 4歳半でかなりの子どもが読めるようになっ ている。教えれば、 4、 5歳の子どもでも、単 文は書けるようになり、 2行ぐらいの日記なら、 発達年齢4歳前後で書いている。このことから、 就学前で文字を教えるべきであるという保育論 が生まれてくることがあるが、文字を教えるべ きかどうかは発達全体にかかわることであるし、 またどのように指導すべきかを十分検討してか らでなければ、結論を出せるものではない。 ( 2 )はなし言葉の発達と因果関係の理解 内田伸子氏がf
子どもの文章一書くこと考え ることJ
(東京大学出版、 1990) で 、 幼 児 に 「どうしてかっていうと、さっき・・・したからJ
とか、「なぜなら・・・だから」という理由を表現 8-する接続形式を使う訓練をして、興味深い結果 を報告している。この課題は
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歳半以後の子ど もにたいして効果が絶大であり、行動が劇的に 変化するとしている。もちろん、それ以前でも、 会話の中で、そうした言葉を使うことはできる 子どもがいる。しかし内容を伴って使えるかど うかというと、やはり、 5歳半という年齢が取 り出される。 内田氏は、 5歳児前半と後半の子どもの認知 発達の区別を次の点にみている。第lは、物語 産出の自覚化ということである。自分が何を話 そうとしているかについての「構想」、自分が 何を話したかについての「モニター」と「制御」 ができ始めるということである。相手の反応を その手がかりに用いることもできる様になる。 第2は、因果関係の枠組みを、 「前から後ろへj に加えて、 「後ろから前へj、結果から原因へ の逆戻りができるようになることである。時間 空間を可逆化する能力である。 子どもはこれらの力を 5歳半頃に完成して小 学校へ入学していくのではない。むしろ、入学 後の組織的な教育によって、これらの能力は人 格全体の発達と関係しながら、十分にのばして いくべきものである。個人差や乳幼児期の子ど もの身体的、精神的発達の状況や環境的要因を 考えれば、こうした発達の段階に入らずに小学 校へ入学してくる子どもがいることも十分考え ておかねばならなし、。 (3 )描くことと空間の理解 立体をいろいろな角度からみて、反対側から みればどのように見えるかなどの課題ができる ようになるのは小学校高学年である。美術教育 では、 4歳頃から 8歳頃までを「知的リアリズ ム期」といって、「イメージによる表現操作の 獲得とその展開J
の時期といわれている。(美 術教育を進める会編 『人格の形成と美術教育3 障害児の美術教育jあゆみ出版、 1991)。自分 が思っているように描く時期、したがって、定 型的な絵になりやすいとも言われている。小 学 生に学校の平面図を描かせたらどうであろうか。 いくつか個別的に子どもにさせてみたことがあ るが、まだ多くの子どもに実験的にさせたこと はない。その経験からみると、学校という日常 的に子どもがよく知っている(はずの)場所で あっても、一枚の画用紙にうまくはいるように、 運動場やプールを含めて学校全体の配置をバラ ンスよく描くことはなかなかむずかしい。3年 生でも突然描かせると日常よく知っている教室 やトイレあたりはよく描けるが、職員室、給食 室などはうまく描けない、運動場と後者の配置 もバランスが悪い。「ここはよく知らないJ
と か「ここがおかしい」といいながら描いたり、 何回も消して書き直したりするがやっぱり同じ ようになってしまう。 教育相談では、「家から学校までの道順を描 いて教えて」という課題を出すこともある。最 近では、マンションの見取り図を入学試験に出 した中学校があるという報道があった。段近、 自分の家の見取り図を描けない中学生、高校生 がいることが若者の生活感覚の希薄さの一例と されるともある。そのように、描くということ は発達段階だけでなく人格的なあるいは生活感 覚などさまざまな面に関連があるようである。 小学校l年生が「学校たんけんj をして、学 校の地図をつくっていく実践を鈴木正気氏は 『支えあう子どもたちJ
(新日本出版、 1986)で 報告している。この実践の前提には、前の学習 指導要領のl年社会科の「学校J
単元が、「学 校生活を支えている先生やその他の人々の仕事 の様子に気づかせるjや「学校や公園にある道 具や施設を人々が共用していることに気づかせ るj というように、いきなり「人と人」の関係 に始まっている事への批判がある。1:年生には 「人と人jの関係は見えにくく、たいへんとら えにくいものだからである。そこで、鈴木氏は 社会認識にとって欠くことのできない空間概念 を育てる場としてこの単元を「学校たんけんj と位置づけなおした。「学校たんけんj は1ヶ 月にわたり、指導計画は「第l次、どんなお部 屋を知っているかJ
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第2次、その部屋にいっ てみよう」。ここで、いった部屋でいちばん気 に入ったものを絵にかいてくる、部屋の配置図 をつくらせるなどが子どもに課せられる。「第 3次、知らない部屋を探険してみようJ
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第4 次、学校全体の配置図をっくり上げさせる」と 9-なっている。 鈴木氏は、子どもたちが発見し、 確かめた学校は、日常世界にある学校でありな がら、すでに「日常の世界の学校とは異なる新 しい空間の世界(科学の世界)
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であった、と している。 こうした実践を小学校低学年から小学校高学 年まで一つの系統として発展させる事ができれ ば、子とともにとっても、教師にとっても楽しい ものとなろう。 子どもの体験はそのままであるなら、子ども を具体的な体験そのものに子どもを縛り付け、 子どもの世界をかえって狭いものにし、そこか ら呼び起こされたせまい情感の中に閉じこめる 事になりかねない。体験が刺激的で情感に訴え る力が強ければ(生活科はそれをねらっている のであろうが)それだけ、かえって縛り付ける 力は強くなる。生活科の内符を発展的なものと して構想する事が大切であろう。 -lO一家庭科へとつなげる生活科の学習
松村京子(家庭科教育)、 ※衣川免子(実地指導非常勤講師) 家庭科教育として生活科の講義を担当する立 場から、「生活科概論J
、「生活科教材研究j の 講義を、 (1 )生活科と家庭科、 (2 )学習指導 例で構成した。それぞれの内符について次に述 べる。 (1)生活科と家庭科 ここでは、生活科と家庭科の学習目標とその 内容について述べる。 生活科の学習を進める上での視点として、 ① 具体的な活動や体験を通すこと、 ②自分と身近 な社会や自然とのかかわりに関心を持つこと、 ①自分自身や自分の生活について考えること、 ④生活上必要な習慣や技能を身につけることの 4つがあげられているが、これらは家庭科にも 当てはまるものである。但し、生活科では、学 習の対象が社会や自然、まで広く含むので、そのq
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の家庭生活に関する学習が家庭科の内容と共 通しているといえる。 また、生活科では、「自立への基礎を養うこ と」を目標とし、良き生活者になることを目指 しているが、家庭科ではそれを一歩;進めて、 「家庭生活をよりよくしようとする態度を養う ことJ
を目標としているつつまり、生活科で家 庭生活や家族のことについて知り、自分ですべ きことができるようになり、家庭科でさらにそ れを発展させ、自分の家庭生活をもっとよくす るように積極的にかかわっていこうというので ある。言いかえると、生活科は家庭科の素地作 りでもあり、小さい頃から生活者として家庭生 活を見つめる目を培うことを目指すものである。 具体的には、家族や家庭について知ること、 生活習慣を身につけること、物を大切にするこ と、季節や行事に応じた生活を工夫すること、 自分で出来る家庭の仕事を見つけること、買物 やお使いをすること、自分の成長と家族との関 係に気づくことなどである。そして、児童が具 体的な活動の中で、自分とのかかわりで学習対 象を捉え、自分なりの実感を持ち、自分なりの 問いを持って、学習に取り組んでいくことが望 まれる。知識や技能の習得が目標ではなく、家 庭生活に関する学習を行うことによって、自分 と家族とのつながりに気づき、児童自身の内面 世界を成長させるように働きかけることが大切 である。 ( 2) 学習指導例 学習指導例として次のような題材を取り上げ た。 ① わたしのうち (家族を紹介しよう) ② 家族とわたしのしごと (P1 2参照) ③ 上靴を洗おう ④ 冷蔵庫のたんけん ⑤ サラダをつくろう 生活科では、思考力、判断力、表現力などの 能力を育成し、自ら学習意欲を高め、主体的な 学習の仕方を身に付けることを目指している。 教師の役割は児童の主体的な活動を援助するこ とにある。したがって、一人一人の児童を的確 に把握し、適切な対応ができるようにしなけれ ばならない。そのためには、児童の物の見方、 こだわり方、生活習慣や生活技能、学習対象に ついての興味・関心の傾向や程度などを把握す ることが大切である。どのような刺激を与えれ ば、子どもはどのように動くかを見極めること が生活科の活動の出発点と考える。 しかし、それは児童と接する経験が非常に少 ない学生にとっては大変難しいことである。 そこで、学生達に実際の授業風景をピデオで 見せて、小学I年生、 2年生、それぞれの様子 を知らせ、教師の働きかけに対する子どもの動 きを観祭させる。また、児童が書いた作文など 句 E ムを紹介して、児童の観察力、理解力、表現力に ついて知らせる。このような体験の積み重ねが 子どもの状況を正しく理解し、適切に対応でき る教師となるために大切であると考える。 実践例 I 毎日、お母さんは何をしているのかなあ 一 家 族 と わ た し の し ご と 一 自分のくらしを見つめ、自分のできることを 自分のやり方でやってみるとういう経験を通し て、生活に働きかけ、さらに切り開いていこう とする子どもを育てることを目ざす学習である。 1.対象学年一 2学年
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題材について 毎日の生活を振り返ってみたとき、家庭 にはさまざまな仕事があることに気づく。 しかし、子どもたちは、その中にいながら、 あまり意識せずに過してしまっていること が多いのではないだろうか。 そこで、まず母親の一日の仕事、すなわ ちお母さんはどんなふうに働いているかを 万歩計を使って運動量的にみることによっ て、その内容や、たいへんさに気づかせよ うとした。そこから、自分のできる仕事に は何があるか考えて、自分のおもいに従っ て、自分のできる仕事を実行していこうと いうものである。 このように、生活を見つめ、生活に働き かけ、生活を切り開いていくことを繰り返 していくと、子どもたちは、新しい視点で 生活を見つめ直したり、家族の一員として の役割を果たそうと自分から進んで動き出 したり、周りの人々を思いやる心が育って いったりすると考える。 3.指導計画 (1) お母さんの 1日の仕事には、どんなもの があるのかなあ。 ーだれがいちばんよく動いて いるのかなー(気づく) (2) お母さんは、 一日何をしているのかなあ。 (見つめる) (3) おうちの仕事をやってみよう。 (やってみる) 4. 学習の流れ(次頁) 5. おわりに お母さんの仕事量を万歩計を使って調べ、 グラフに表わすことによって、子どには分 かりやすくなり、意欲を持たせることがで きた。 また、ある家庭の仕事の実態をビデオで 見ることで、家庭の仕事としていろいろあ ることに気付かせるとともに、自分でやっ てみたい、自分にもできそうと仕事への興 味づけができたと思う。ビデオの中に同年 齢の子どもがお手伝いしている様子が映っ ていることにも、子ども達は大いに感化さ れ、仕事をするきっかけとなったようであ る。 自分の生きている家庭に視点を向け、何 が自分の家で役に立ち、自分の力になるか を考える。(難しいことであるが、考えさ せたい)そして、やってみようと実践する。 さらに、自分の実践した仕事が生活の上で 役に立つことを実感させる。これが持続し て5年生の家庭科へと発展すれば、すばら しいと思う。 内 〆 十 ︼戸│だれがいなんム働丙叫
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I同 i 家族の巾で、だれが いちばんよくうごい -け ん か を よ く す 初から夜までしごと 朝から夜までしごと。 ているだろう。 るよ。 -おそくなることが多い -ハンカチ作り かんごふきん お 父 さ ん と い っ よ。 -赤ちゃんのせわ 2.しらべてみよう。一十「 し ょ に あ そ ぶ と 長い時間、しごとをし -赤ちぞんが生まれる手つだい き、お父さんより てL、るよ。 しごとに出かけて、帰って 3 なぜ、お母さんがい も、たくさんあそ -ねないでしごとをし からまたしごと ちばんおおいのだろ ているよ -アイロンかけ せんたく つ。 んでいるよ。 -夜中のしごと -しょくじのようい 11 -休けい時間がみじか -お父さんが ねてからも 4 家の仕'Jiには、どん いよ。 しごと なものがあるだろう。 ‘朝早〈出かけるよ。 朝早くおきる -日曜日も朝からうごいている 5. お母さんは、家の'11 しごとが多u、。いろいろな で、どんな仕事をどの しごとをしている。 ように(どんな顔で、 どんな動き方で)して いるか、見てこよう。 (図1) l お母さんは、どんな ことをしていたかな。 2.お母さんの仕事を見 てみよう。 (ビデオを見る) 仕 お た 合 主 、 し て話 山 山 て a ι・
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ち の お母さんがこんなにうごいているとは恩わなかった。 ぼくのうちでは、きっと、お父さんはもっとうごいているよ。 わたしのお母さんは、あんなにうごいていないと思うんだけど…。 ぼくはあそんでいるだけだけど、お父さんもお母さんも、ぼくたち のためにはたらいていてくれるんだね。 こんなにうごいていたら、お母さん、しんどいやろなあ。 戸 戸 や っ て み たい アイロンかけ (弟や妹がし、て、せんたくものがたくさんある。あぶないか らと、させてもたったことはないけれど、気をつければ、で きそう。) ぬいもの (ハンカチ作りをしているお母さんを助けてあげたい。) ・草むしり、水やり(簡単だからすぐできる。学校でもやっている。) . <つあらい (学校でやったから上手にできる。自分のことは、自分でし ょう。) (学校でしっかりできるようになった。) そうじ ・あらいもの (あぶなくない。ゃったことがないからやってみたい。 ごはんのあとはお母さんもつかれている。) (g分でできるものもたくさんある。) せんたく せんたくもの (エプロンをたたむときに役に立つ。せんたくものを取り入 たたみ れるお母さんと同時にできる。) -おふろあらい (お母さんは、いつも腰がし、たいと言っている。お母さんを 楽させてあげたい。) q dは
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における健康教育の位置
l 健康で安全な生活についての考え方 健康で安全な生活ができるようにすることに 焦点をあてた健康教育の位置づけを考察する。 低学年児童に健康で安全な生活ができるよう にするためには、具体的な活動や経験を通して、 自分のからだの成長に関心をもち、健康に気を つけて生活ができること、学校や近所などで安 全に遊びゃ生活ができること、また登下校時に おいても安全歩行ができること等があげられて いる;具体的には①自分の身体に関心をもつこ とは、目、耳、鼻等に関心をもって大切にする こと。②健康に気をつけることは、自分の身体 の調子に関心をもち、食事や睡眠、排便などが 規則正しくできること。③学校、近所や登下校 における安全性の確立に向けての基礎づくりを すること等が学習目標として考えられている。 ここで留意すべきことは、生活習慣や技能を 身につけさせることだけが前面におしだされ、 児童を受動的な型にはめないことである。児章 の発育、発達の段階では社会環境の変化や、地 域の実情に合わせて適切に対処し、当然、身につ けておかなければならないことを、しそびれな いように学校、家庭と地域が協力して適切な指 導体制を位置づけることが必要である。 図l子どもをとりまく環境 林 正(学校保健) 図 iに示したように、子どもをとりまく環境 として、人間的(文化)、社会的(ことに自然 的(もの)環境の三者があるが、これらの相互 交流のなかで子どもの発育、発達が促進される と考えられる。具体的な目標としては人間らし い人間の育成のための健康教育を子どもの人間 的自立の基礎づくりとして位置づけられる。 ① 自然、文化、人々と手を結び地域、家庭 の教育力を高める、地域に聞かれた健康教 育でありたい。 ② 自分の意志をコントロールできる柔軟な 身体の発育、発達をめざす、身体を聞く健 康教育でありたい。 ③ 他者からの共感が連帯に支えられた豊か な人間的感性の育成をめざす、心を聞いた 健康教育でありたい。 上記の②と③は心身ともに健康な国民の育成 の理念とも合致するものである。 現在の子どもをとりまく環境の中での健康問 題(いじめ、保健室登校、登校拒否、暴力…etc.) の深刻さの根源にも配慮し、問題解決への展望 をも見据えたものが必要である。 子どもの感性は知的な発達と同様に、ひとり でに自然に発達するものではなく、子どもをと りまく自然、社会、人間的(文化)環境の相互 の中で発達すると考えられる。子どもの能力を ひき出すと同時に与えることも重要な役割であ る。子どもの豊かな感性を発達させ育てるため のは、環境としての自然(もの)と、社会(こ と)や人間(関係)との関わりをしっかりもつ 事が必要である。もしこの関わりが欠けておれ は¥積極的な関わりを持てる場を与えてやるこ とが、教師の指導性として求められる。やさし い心や思いやりのある心を育てるのは、人間の 生活現実における喜び、悲しみ、楽しみや苦し みの実態についてのリアルな観察や経験を汁念 p o 可 E A実践例(案)② 潜在危険の予防能力を高める。 子どもの登下校や学校の中で、危ない物を発見 する活動。(校庭での石ころ、ガラスの破片、 室内での破損した遊具類、ホッチキスの針、押 しピンなど)また、ケガの校内、登下校時にお ける地図づくり(屋内や校外でケガをした場所 の地図を作成し、学級としてまとめる)どうし てケガをしたかを確認させる。あわてていた (自分自身による)、気をつけていたが友人が押 した(第三者による)、きっちり行動していた が穴があいているのに気がつかなかった(環境 と自分自身による)等の原因をわからせる。ケ ガのほとんどの部分が子ども自身の不注意によ るものなのか、第三者のふざけ等に起因するも のなのか、あるいは環境の不備によるものなの かの原因は不明瞭な場合が多い。事故頻発傾向 児の解明とあわせて、今後の研究課題でもある。 低学年児童のケガのほとんどの部分が、安全を 確認するゆとりをもった行動(子どもの側から 実践例(案)①安全な行動ができる能力を育 は、何事もあわてないようにしています)の定 てることについて 着化への学習が必要で、あり、学校、家庭、地域 にくり返す必要がある。人間らしい人間の育成 のための健康教育の問題を、子ども達の人間的 自立の基礎づくりとして位置づけ、生きる喜び ゃ学ぶ楽しさを心底から味わえるような教育実 践を進める必要があるのではなかろうか。上記 の理念を生かした実践例で参考になるのは付属 養護学校における教育実践がある。 2 授業実践への視点 低学年の認識発達のはじまりは、モノからモ ノへ、次いでモノとヒト、ヒトとヒトへの認識 の順次性が実践のなかで確かめられている。そ して授業展開の上では、モノとモノを色々な観 点から比較する。モノを数量的にとらえること ができる。モノとモノをつなぐ人間関係がある。 モノの背後に見えない人問、そして人間の労働 があることに気づかせる等のプランは一つの参 考になる例である。 ( 子 ど も 家 庭 、 地成j (家庭、地域j 検 境 占一環 司ll ﹂ の の 1 1 ﹂ 一 理 一 具 外 一 導 一 一 管 一 周 内 一指 一 一途一設校鳴 一途 一 一 安 一 施 ? 整 一安 一 制 覚 力 統 性 感 断 己 ち 衡 判 円 巧 干 ま だ た ら あ か 、 え の 生 動芽 れ ゆ 全 - K 年枚、家庭 地成の連携 て い て し 行 L 通 し へ と を 返 化