きて、社会や理科といった教科がそれぞれ社 会的環境や自然環境を認識の対象としているの に対して、自己認識とはこれらの対象を認識す る自分自身を認識するわけであるが、これは何 も特別なことではなく、外界の対象を客観的に とらえようとする場合に、当然必要になってく ることがらである。例えば、物体の大きさを肉 眼で見積もるような場合にも、両眼視差だけで はなくて、自分自身と物体との距離、即ち自分 の位置についての知識 (認識)を無意識のうち に参照している。本米、対象の認識と認識者と しての自己の認識とは不日]分のものであろう。
このように考えるならば、正しい理科教育の 中には当然自己認識の訓練も含まれているはず である。従来の低学年理科の中ではこれが欠落 していたから「生活科
J
で補強するのだと言わ れれば、理科教育に携わる一人として返す言葉 がないが、逆に筆者が理解しているように自己 認識が「生活科」の主たる目標ならば、題材を 何も生活環境の中に求めなくとも自然環境の中 に豊富にあるだろう。②の「具体的な活動や体験を通して」という ことは、従来から理科はもちろん各教科でも小 学校低学年では考慮されてきたことである。
また、「生活上必要な習慣や技能を身に付け させる」という内容は、家庭における教育力の 低下という今日の日本の社会の状況を反映した ものであろう。どこかで誰かがこういうことも やる必要は確かにあるが、学校教育の貴重な授 業時間を(しかも理科の時間を)さいて実施し なければならないというのは正直なところ残念 でならなし、。
以上のような観点から、「生活科」が単に生 活環境の中から拾い上げた題材を中心に、とに かく児童が具体的な活動や体験をするといった 堕落した「生活科jではなく、自己認識に焦点 をあてながら題材を取扱う「生活科
J
、児童の 真の自立・自己学習力・生涯学習といったロン グ・レンジの目標に着実につながる「生活科J
となるよう祈るとともに、微力ながら協力して いきたい。
(東田充弘) 63
(I)Gallup. G. G. Jr. Self‑recognition in primates. Amer守
ican Psychologis. t1977. 32. 329 ‑338.
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生活科J
の教材内容の検討 (1)r
生活科J
教材としての 〈凧作り〉現在では教育、学術、芸術分野に限らず、現 実の社会のあらゆる分野において、便宜的な意 味から領域化、専門化が進んでいるが、本来、
それらは全て人閉そのもの、及び、人聞を中心 とする自然(環境)と生活空間(社会)の、あ りとあらゆるものの本質的あり方やかかわり方 と、人間の未来へ繋げるための展望(理念)に もとづく具体的研究、実践のためにあるもので あろう。
学校教育におけるカリキュラムにおいての教 科の独自性は確かにあるが、小学校低学年の理 科、社会を統合し、新たに「生活科jが創設さ れたねらいのなかに、双方の合科的な内容の指 導による日常生活へのかかわりについてを広く 体験を通じて考えさせ、理解させることを重要
なポイントにおいている点は、その意味からは 一応うなづける。
しかし、その考えに立てば、「生活科j関連 教科は単に理科、社会の問題にとどまらず、他 教科全てにまたがるものとみるのが自然であろ
つ 。
そこで、教科としての美術の立場から見れば、
現実的には、いわゆる図画工作とし寸枠組みの 中で対応することが考えられるが、統合的な教 科と言う観点から、広い意味でのデザインと言 う枠組みのなかで対応することも考えられる。 何故なら、デザインと言う行為は本質的に人 間と自然と社会との本来的在り方の実際を学術 的、技術的、芸術的に統合させ、計画し設計し て行く作業だからである。
具体的な例を挙げて言うならば、現在、各小 学校、中学校で教材や、部活テーマのーっとし てく凧作り〉がさかんに取り上げられているが、
これは単に造形的、遊び的要素にとどまらず、
流体力学(空力学)の基本的な内容を含んでい ると同時に、工学的内容と美的(デザイン的)、
伝統工芸的、民俗的(凧揚げは地域の生活の中 の行事として深く根づいていることが多い)、
気象学的内容を含んでおり、しかも、時代を超
えて子供達から大人にいたるまでの幅広い世代 に定着している「遊び
J
としての要素を併せ持っ ている等、非常にトータルな内容を持つことが 評価されているからであろう。これらの点から、〈凧作り〉というテーマは、
学級のなかでの学習者個々に対してはもちろん のこと、たくさんの人数がかかわる形でもつく ることができるし、それぞれが、いろいろな道 具を使いながら絵柄や形を工夫して作ることの なかで、適度な期待感とスリルと輿容もあり、
体も動かし、適度な季節感もあるところから、
「生活科」の教材としての基本的条件を幅広く 備えていると考えられる。
凧を自分で(連凧や大凧の場合はみんなで協 力して)作って空に揚げて楽しむためにはその 絵柄、形を工夫することも大切であるが何故凧 が風に乗って空に揚がるのか、凧を安定して高 く揚げるためにはどうすればよいのか、「糸目
J
や「反りjの調節が大切なのは何故か、等々、
これらの流体力学的(空力学的)意味を理解し、
現実の状況に適切な対応ができることが必要で、
ある。
したがって、〈凧作り〉というテーマは、こ れらの諸要素を「つくる」、「あそぶjなかで主 体的な学習体験、活動体験として獲得して行く
ことにより、自然に対する認識や、工夫してつ くることのおもしろしさ、遊ぶこと楽しさを確 かめて行くことができる点から「生活科
J
の教 材としての意味は充分にあると考えられる。(秋山哲男) (2) 栽培・飼育学習と「生活科」
「生活科
J
の内容構成から栽培・飼育学習は、「自分
J
と「自然とのかかわりJ
で、「野外の 自然を観察したり、動植物を飼ったり、育てた りするなどして、自然との触れ合いを深めるこ とができるようにする。(身近な自然との触れ 合い) J
に属するように捉えることもできるが、もっと広い位置づけで展開される可能性を持っ た、あるいは展開されるべき内容であると考え ている。
自分一食事一食積一生産あるいは、自分一食 事一食事を作る人一農業生産と言った、自分と 農業生産の関係を自然、に認識していく過程を初 等教育にどのように位置づけていくかが、今問
‑64‑
われているとも言える。これまでは、社会科の 授業として、実践された貴重な例もおおくあり、
理科として取り組まれた実践もある。これらは、
社会科であっても、理科であってもその従来の 領域に同定されず、総合学習的に展開された時 に、上述のような関連づけが可能であった。
しかし、一般には理科としての栽培、社会科 としての農業と個別の展開であり、この一連の 認識の過程が途切れて、個々ばらばらに存在す るために、いっこうに自分と農業生産が結びつ かず、農業生産は自分とはまったく関係ない世 界のこととして、知識としてのみ理解されてい ることになる。
今年の大学l年生150名に主要な食絡の外つを に関してどの程度の理解があるかを知るために いくつかの調査をしたが、豆腐の原料純物を当 てさせると95%の正解になるが、ダイズの栽塙 時期
1
を尋ねると 5%の正解にとどまってしまっ た(1989年9月調脊)。また高等学校3年生を 対象とした調査では、 40名にムギから作る食縦 品を尋ねると100%答えられるが、ムギが栽培 されている時期を知っているのは10%未満で あった (1989年10月調査)。これは高校・大学 生の例であるが、小学生であれば、トマトやキュ ウリがスーパーで作られていると言う認織に なっているのが現状である。自分と農業生産とのかかわりは、小学校低学 年から、あるいは、幼児教育の段階から、それ ぞれの発達段階に応じた内符で、教育の中に位 置づ けられていなければならなし、。しかしこれ までの理科や社会科では、十分に教育効果を上 げていたとは言いきれない。それは、農業生産 は、自然科学の側面と社会科学の側副を共に 持っているからであり、その両面が合わさった 時に、初めて理解されるものだからである。だ からこそ合科的あるいは総合的教育の展開が以 前から主張されてきたのである。
自分と農業生産のかかわりを認識するため に、先ず自分と食事を考え、その食事を作る家 族や給食調理人さんを考え、作る人が使うJhl料 即ち食糧を考え、その食糧を作る人を考える。 この過程は、家庭科の分野でもあり、社会科の 分野でもあり、理科の分野でもある。さらに言 えば小学校の教科には繁いが校術科の分野でも
ある。またこの過程は自分から地域へと認識を 広げる過程でもある。
栽培 ・飼育は小学校低学年では、特に好奇心 や興味のわく題材であり、幼児教育における「土 あそび」等の「自然あそびjの発展でもあるが、
好奇心や興味を動機づけとして、自然科学に裏 付けされる社会科学の芽を育むものである。
また教育が人格の形成・発達に資するもので あるならば、自然認識や社会認識に加えて、情 意的成長を促す教育が不可欠であるが、栽培・
飼育はそれにも応える総合的な取り組み・実践 が可能で、ある。
(木島温夫) (3)
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生活科J
の構成内容と健康教育「生活科」の構成内平等の①には健康で安全な 午前がとりあげられている。内容的には、健康 や安全に気をつけて遊びゃ生活が出来るように することが示されている。さらに具体的な活動 や体験によって育てたいものとしては、以下の 3点があげられている。1)自分の身体に関心 をもち、健康に気をつけて生活ができる。2) 学校や近所などで安全に遊び、生活ができる。
3 )通学路などにおいて、安全な歩行ができる 等1である。
既に実践された記録ーによると、これらは生 命作屯と健康、安全として位置づけ、健康なく らし万、生き物への接し方、安全な行動のしか た、遊具や物の安全な使い方ー等の価値内容の領 域に分けて考えた報符もある。健康で安全な生 活については、社会とのかかわりで位置づけら れているため、十:1会認識を育てる社会科領域と も考えられるが、 (後で社会認識を削除して
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主 泊料」のねらいは生活自立への基礎を長うに 変っている。)ここでは健康で、安全な生活と健 康教育の関連を右干検討した。1 )小学校で、の健康認識(健康教育)の位置づ け
現行の小学校における児童の健康認識(知識、
理解、態度、習慣)の位置づけは、体育科5年、 6年において年間11時間程度(体育の年間実施 時間の10%)が位置づけられている。そしてそ の学習内容としては、 5年では①身体の発育、
②けがの│坊止、 6年では③病気の予防、④健康 の保持増進に必要な生活行動とよい環境等であ
る。 小学校高学年(女子では思春期前)で健康 に関する知識、理解と態度、習慣化や行動化(実 践)が期待されている。
しかし、これの実践の実態調査の結果からは 殆ど実施されておらず州、小学校における保健 学習はRainyday lesson (雨ふり授業)と呼ば れ、雨がふったら保健学習をするといった程度 で、体育はやっても保健の学習は皆無に等しい という現実がある。また健康にかかわる指導は 保健指導という学級指導(特別教育活動)の一 部としての位置づけがある。これは健康の短期 的目標を設定して、自分の健康状態についての 関心をもたせ、身近かな日常生活における健康 問題を自分で判断し、処理できる能力や態度を 養い心身の健全な発達を促し、健康の保持増進 に資することになっている l。
一般に小学校の健康教育は系統的な保健学習 (小5、小6)、と短期的目標を中心とする保 健指導で構成されているが、保健学習の実態か らは不十分であり、小学生の健康認識が各年令 段階において育っているとの理解は少なし、。
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生活科」に健康で安全な生活が位置づけ られた事と関連して現行の小学校での健康教育の位置づけは、そ の実施の実態には問題はあるが、小学校l、2 年の「生活科」で健康で、安全な生活がとりあげ
られる事に異論は聞かれなし、。中学年の3、 4 年での位置づけがなされていないが、一応小学 校では l、2年、 5年、 6年で健康的な健康教 育の場ができたことを、健康教育の充実として 理解する立場である。
健康教育(学校保健)の学校教育上の任務の 位置づけを考えると、 lつは教育基本法第 l条 にみられる心身ともに健康な国民の育成であ り、もう一つは教育基本法第3条、第 10条に求 められる。即ち教育を受ける権利(学習権、発 達権)の保障であり、教育保障の前提として、
子どもの生存権、健康権の保障が考えられる。 森氏削は子どもを守る仕事は子どもへの働きか けを通して、子どもの内的の成長や発達に直接 的にかかわってくるもので、守る仕事(福祉的 機能)と育てる仕事(教育的機能)を統一する ことの重要性を指摘している。
学校保健法では学校保健の目的を次の2つに
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