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天主教の原像 : 明末清初期中国天主教史研究

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Academic year: 2022

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天主教の原像 : 明末清初期中国天主教史研究

著者 桐藤 薫

URL http://hdl.handle.net/10236/11616

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論 文 内 容 の 要 旨

 本稿の目的は、中国において永きに渡って支配的であったキリスト教を邪教と見なす観念、その雛形とな る天主教(カトリック)邪教論の成立過程、及びその論理を解明することである。

 清王朝時代の宗教政策は、正統思想である儒教以外の諸宗教をその性質に応じて正教・異端・邪教に分類 した。その宗教集団の儀礼対象が儒教思想の天と同一存在であれば正統に準ずる正教の地位を与え、それ以 外の神々を儀礼対象とするのであれば異端の宗教とし、さらにその宗教集団が反政府勢力であれば邪教と位 置づけた。天主教は清王朝の時代に正教と認定され、その後に典礼論争を経て異端の宗教となり、最終的に 邪教と認定される経緯をたどる。よって本稿では前編「天と天主」において、天主教が正教となり、その後 に異端と認定される過程とその思想的要因を、中国宣教の嚆矢であるイエズス会宣教師マテオ・リッチがキ リスト教の神である「天主」(Deus)と儒教思想の「上帝」を同一存在と定義した「天主即上帝論」を焦点 に当てて考察した。後編「宣教師即侵略者論の形成」では邪教の認定条件である反政府勢力について、宣教 師とポルトガル人(仏郎機)との関わり方に焦点を当て、宣教師即侵略者論が形成される過程、およびその 論理を解明し、終章では前編と後編で導きだした結論をもとに、康煕帝より異端宣告を受けた後に天主教邪 教論が成立する経緯を明らかにした。

 前編では天主即上帝論を考察するなかで、先行研究におけるこれへの見解にいくつかの修正を試みた。こ れまで天主即上帝論は、儒教思想とカトリック教義を至高神レベルで一致させ、カトリック教義は儒教思想 に違背しないとして中国知識人の天主教への改宗を促進する理論と見なされてきた。しかしマテオ・リッチ の提唱した天主即上帝論は、儒教的世界観により解釈されている「天」や「上帝」の観念を、儒教思想を 解体してそれらの観念をカトリック的世界観に則して再解釈する理論であり、それにより唯一至高神である Deus の観念を漢語によって中国人に理解させ、神の福音をこの地に宣教しようと試みたのである。ところが、

儒教経典への批判を必然的に含むこの理論は、儒教経典に普遍的真理が含まれるとの価値観を持つ中国知識 人には一切通用せず、天主を儒教経典の上帝に附会させる教義一致の理論と見なされ、天主は上帝と見なさ れ、そして儒教思想では伝統的に天と上帝は同一存在であることにより、天主は天とも解釈されたのである。

こうして Deus は漢語では「天主」に加えて「天」と「上帝」と表記されることになり、この翻訳語自体が 天と天主が同一存在であることを示していた。しかしこれにより天主教は、清王朝において正教の認定を獲 得するに至ったのである。ところが典礼論争の結果、時のローマ教皇により Deus の翻訳語は「天主」のみ

学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目

論 文 審 査 委 員 (主査)

(副査)

桐 藤   薫

天主教の原像

 ―明末清初期中国天主教史研究―

博 士(歴史学)

甲文第132号(文部科学省への報告番号甲第463号)

学位規則第4条第1項該当 2013年3月2日

阪 倉 篤 秀 佐 藤 達 郎 土 井 健 司

教 授 教 授 教 授

(3)

に限定され、「天」と「上帝」が禁止されることにより、天主教は正教の認定を失い、異端の宗教へと転落 するのであった。

 後編では明末期のイエズス会宣教師とポルトガル人との関わり方を焦点に当て、その事跡を追うことで宣 教師即侵略者論の形成を解明した。イエズス会の中国宣教は中国人との対話および中国の伝統習慣の尊重を 基調とする適応布教を宣教指針として展開した。そのなかで、宣教師が中国人に侵略者との疑惑を抱かれる と宣教活動が侵略行為の一環として捉えられるため、侵略者疑惑を抱かれることを宣教活動上の最大の障害 と位置づけていた。ゆえに東南アジア諸国を蹂躙した経歴を持ち、中国人から侵略者と警戒されたポルトガ ル人(仏郎機)との接触を極力避ける必要があった。しかし宣教資金についてはマカオのポルトガル人によ る送金に依存せざるをえず、宣教師は定期的に彼らと接触していたのである。南京教案において中国当局が 宣教資金の補給ルートを調査することによってマカオのポルトガル人の存在を割り出すと、宣教師は仏郎機 であるとの嫌疑をかけられ、万暦帝の詔勅によりマカオへ強制送還される。徐光啓は時の懸案であった満州 族対策として明王朝の軍隊の武装強化を図るため、ヨーロッパ式大砲を軍隊に導入し、その技術指南役とし て宣教師とマカオのポルトガル人を推薦する強兵論を献策した。この強兵論が裁可されることで宣教師の強 制送還は解除され、宣教師はポルトガル人とともに中国へ再入国する。これにより中国宣教は息を吹き返し たものの、以後、宣教師は中国人からポルトガル人と一体に語られるようになる。こうして仏郎機の持つ侵 略者像が宣教師に投影されることになり、宣教師即侵略者論が形成されたのである。

 終章では、天主教が康煕帝から異端宣告を受けた後の時代に焦点を当て、天主教邪教論の成立過程を考察 した。雍正帝が即位して間もなく福建省において天主教弾圧事件が発生する。この事件自体は雍正帝が天主 教を国家の統制下に置くことが目的であり、雍正帝は宣教師を反政府勢力と見なすことはなかったため、天 主教を邪教と認定することはなかった。ところが1748(乾隆11)年の福安教案において、福建巡撫周学健が 宣教師即侵略者論により宣教師を呂宋(仏郎機)と繋がりを持つ侵略者とし、国家存続を脅かす反政府勢力 とする論旨で論駁する。これが乾隆帝によって裁可されることで宣教師は反政府勢力と判断されることに なった。それにともなって天主教は邪教と認定され、天主教邪教論が形成されたのである。

 すなわち、天主教邪教論とは「何者によって説かれているか」が論点となっているのである。アヘン戦争 以後、仏郎機はヨーロッパ帝国主義諸国に置き換えられる。ヨーロッパ帝国主義諸国による中国侵略が展開 するとともに天主教は侵略者の宗教と認識され、天主教邪教論が中国国内において定着することになる。そ の後、中華ナショナリズムが覚醒し、反帝国主義運動が中国各地で巻き起こると、天主教会においても欧米 人から自立した教会形成を志すムーブメントが沸き起こる。これが達成されることで中華民族よる天主教会、

すなわち中国天主教愛国会が成立した。こうして天主教邪教論は過去に欧米人によって教会形成がなされた 時代の天主教観として人々に記憶されることになったのである。これが天主教の原像である。

 

論 文 審 査 結 果 の 要 旨

 本論文は、序章・前編・後編・終章によって構成される。序章においては中国キリスト教史の概略と、パ ラダイム・シフト以前と以後に分けて中国におけるキリスト教史研究の特徴を手際よく整理しつつ、本論文 の研究史における位置づけを示している。

 前編では、マテオ・リッチによって提唱され、以後、教義一致論の中核と位置づけられた「天主即上帝論」

を取り上げる。デウス Deus の漢語訳として「天主」が採用されるが、この天主をめぐる中国知識人の理解 について具体的史料をもとに整理検討し、そこに抜きがたい誤解が生じていたことを指摘したうえで、マテ オ・リッチの「天主即上帝論」に焦点を合わせる。ここで筆者は、リッチの「天主即上帝論」が形成されて いく過程を追うなかで根幹的な検証を加え、リッチのいう「上帝」は儒教思想によって形成された「上帝」

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とは異質の唯一至高神で、これに対して天は空間的観念であるとするなど、カトリック教義による再解釈を 施し、ヨーロッパ的神観念を漢語を駆使して中国人に理解させる意図を持っていたことを解明する。これは、

今日の学界において共通認識となっている教義一致論としての位置づけに見直しを迫るものとして大きく評 価できる。さらにリッチの「天主即上帝論」については正しく理解されず、同じイエズス会宣教師、さらに は中国知識人のキリスト教信仰者「奉教士大夫」によってキリスト教宣教における有効性に鑑みて、教義一 致論として扱われ、この流れは、朱子学・陽明学に代わる実学的儒教思想として出現する「天学」に引き継 がれ、固定化するに至ったことを指摘する。これは明清交替時にも受け継がれ、これあってこそ清朝初期の 康熙帝時代に天主教は正教の認定を受け、さらにリッチの『天主実義』は教義一致論の書としての評価を受 けたこと、さらにその後の典礼論争において天主と天・上帝は切り離され、教義一致論としての天主即上帝 論は否定され、ここに天主教は正教の位置づけを失い、一転して異端宣告を受けたと結論付ける。この一連 の論考は精緻に構成されており、史料についても漢文のみならず、ラテン語をはじめとするヨーロッパ言語 による史料も積極的に活用されており、筆者が漢語のみならず広く言語読解能力を涵養してきたことを確認 することができる。

 後編では、明末期のイエズス会宣教師とポルトガル人との関わりに焦点をあて、宣教師が侵略者とみなさ れる「宣教師即侵略者論」の形成過程を追う。イエズス会の中国宣教は、ヨーロッパ帝国主義諸国の軍事的 圧力行為に先行して行われた点に特徴があり、そのこともあって中国の伝統習慣をあくまでも尊重する、い わゆる適応政策がとられたが、なにより問題とされたのは宣教師と帝国主義諸国との関わりであった。従来 から中国ではキリスト教を信仰するヨーロッパ人、特にポルトガル人を仏郎機(フランキ)と呼ぶ慣わしが あったが、スペインによるルソンなどへの軍事行動が合体したイメージで捉えられ、侵略者としての疑惑が 内包されていた。そのこともあって宣教師はマカオに拠点を置くポルトガル人との接触を極力隠蔽するよう 図るが、こと宣教資金の補給については、彼らに依存せざるを得ないことも事実であった。この点に楔を打 ち込んだのが1616(万暦44)年の南京教案で、キリスト教宣教師の動きに警戒感を募らせる南京礼部右侍郎 による三度の意見書提出(上奏)とそれにまつわる調査によって、資金補給にポルトガル人が介在している ことが明らかとなり、ここに宣教師と仏郎機は一体視され、万暦帝によって宣教師はマカオに追放される結 果となった。この間の事実関係を確実に押さえた論の展開は説得的であり、特に宣教師側の対応についてヨー ロッパ言語史料を駆使して活写している点は、中国史として漢文史料のみに頼っていてはなしえないことで、

高く評価できるところである。

 宣教師追放の動きに対し、奉教士大夫による弁護論が現れるが、筆者はなかでも徐光啓による「強兵論」

に焦点をあてる。当時の明朝においては喫緊の課題であった満州族への防衛に宣教師を軍事顧問としてヨー ロッパ式大砲を活用するという、この強兵論には、当初反対論もあったものの実行に移され、宣教師の中国 への再入国が実現したことを指摘し、強兵論が果たした歴史的役割を一定評価すると同時に、これによって 宣教師と仏郎機の一体視、ひいては侵略者疑惑がより強く印象付けられることになったと指摘する。いわゆ る功罪あわせ持つ強兵論であったが、その後に起こる福建での反キリスト教運動などもあいまって、結果的 には宣教師は侵略者であるとする「宣教師即侵略者論」の定着を見たと結論付ける。

 前編の「天主即上帝論」の推移と後編の「宣教師即侵略者論」の形成という結論に基づき展開される終章 は、清朝に入ってからの康熙帝による異端宣告と雍正帝による対応を確認したうえで、乾隆帝時代に天主教 が邪教と認定される経緯を、批諭旨などを利用して詳細に追跡し、最後はアヘン戦争後の道光帝時代にキ リスト教宣教の自由が認定されたことを確認する。ここでは天主教が正教に認定され、その後異端宣告を受 け、さらには邪教とされる過程が再確認されるが、ここにいう正教・異端・邪教の定義は清朝における宗教 政策での評価であり、その線引きは一筋縄ではいかない側面もあるし、また現代の宗教に関する一般的観念 と一致しがたいところもあることは、口頭試問時にも指摘され議論となった点は付記しておきたい。

(5)

 最後に全体的な問題点をあげておきたい。前編と後編は、それぞれ Deus の翻訳語の天主と上帝の関係理 解、宣教師の中国人からみた位置づけ論が主題とされるように、扱う課題の性質は異なるものの、時代的に は明末清初期で重なる点を顧慮するならば、相互の関係性を明確にまとめておくべきだし、そうすることで 筆者が意図した論文全体の整合性を補強できると考える。また論理の展開に大きな影響を与えることはない ものの、漢文訓読において誤読、ないしは誤読とまではいえないが通例の訓読からはずれた読みが散見され る。今後の研鑽に期待し、あえて指摘しておきたい。

 従来の研究成果を十分踏まえたうえで、史料に基づく実証的な論理展開がなされ、現代中国におけるキリ スト教のあり方をも意識下に置いた本論考は、総合的に高い評価を与えることができ、博士学位(歴史学)

にふさわしいと考える。

参照

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