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西芳寺の庭

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

西芳寺の庭

小牧, 健夫

https://doi.org/10.15017/2556526

出版情報:文學研究. 35, pp.137-146, 1946-03-30. The Kyushu Literary Society バージョン:

権利関係:

(2)

心巳写含

︲栂剛の雌師間に私は嵯峨に打った序で・花押び治西松尾

・に在る西方寺︵帯寺︶逓訪ひ︑布名・写での庭偶を一廻り

し一﹂来た︒この場合言梨どほり一辿りしないではゐら解

涯かつた︒なぜなら︑この朴泉は否剛の辿遊式庭隅の典

剛的施雌初のものといは爬悶の致槻は延逓打く一歩一

ログ

沙.に鍵化し︑塒だの地軸からのみ眺紫するやうに築辿さ■j如てゐないからである︒

4J

つづいた咽の後であるから答が美しい︑と住持は言つ

一﹂ゐたが︑帯の色はこの前秋の日に来たときぽど私の眼

を驚かさなかった︒一つには二度冊の躯で印象が溌刺と

しないのかも知れないが︑秋になって樋凌の梁が色づく

1

1 1

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西芳寺の庭

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11

0少

と︑︲一七の多様の色彩が緬蔭に映發し︑蘇背の錦統を一屑︒

引立たせるのであらう︒︑

許幽辿庭史上のⅢ壁夢窓剛帥によって榊築さ即たこの

庭脚は︑細別すれば四十稚にも近いといばれる答の美し

さによってのみ人の眼珪惹くのでなく︑泉石の趣致がい︲・

Jpj⑨かにもすぐれ一﹂ゐるので︑評叫名刷の一つと呼ぱ肌て今︲

も來槻の容が絶えないのである︒

廻遊式庭蝋がいばゆる眺紫式雄胤に比して複雑な構造

駐打つことはもとよりである︒前粁は後蒋のやうに一方

から︑もしくは二三の軸から眺める風峨でなく︑苑路を

歩みながら見てゆく風紮の效果な意伽し︑しかも庭園全

111FJ

牧腱

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一三七

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(3)

モァイーフ冊か︷一の作伽に從って桃成されなければならないからで

ある︒即ち動く風鍬として︑多中心的汰構剛とじて複雑

な様相逓辮ぴてくることは自然である︒

両方寺の庭は迦遊式庭閲の典姻的なものであるとM時

に︑祁院式庭悶の代表的なものと兄なされ︑上部と下部

︑ろに分れ︑西方洪應山と呼ば敗る脆肱に上部の庭凰

︑があつ﹀﹂︑柚山水の石組を術へ︑下部は蛍金池といふ心

宇池を中心として︒池泉辿遊の苑を成し︑岬院式庭蝋のい

ばゆろ二段術への様式を光全に疵現して︑H本の庭とし

一﹂は蚊も複雑性一筵共へたものの一つといはれ一名雌に池

泉の部分だけについて兄ても︑池の汀級の曲折︑大小の

〃幻■

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烏盈の布旺︑庭樹の杣栽の多純等︑賊一わ愛化児戯んでゐ て︑幾睡とい︑へぱいへるやうな印象を一堂けとる︒昔ほこ

︑.Lに大櫻樹があり︑﹃夢窓幽伽年譜︑一には﹁堂前慾有犬櫻

︐花樹恭昨花蝋糊密殊妙鰯洛陽奇槻也﹂と誌さ卵︑﹃・蔭凉

│ |

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一三八

軒日鋒一にも︑牲時奔花秋葉の美によって遊覧の名所と

なってゐた礁槻か叙せられてゐろさうである︒京洛西方

の遊苑として華かな存在であったことが想像される︒今

日では規棋も狭小となり︑庭樹も貧弱となったが︑なほ

全船の腺形をとピめてゐろと像へられ︑牲昔の華泥をし

のぶことができろ︒〃

数年前の秋夕︑私が初め一﹂この苑を見たとき︑単に十

五個の石のみを以て築かれた﹁虎の兄渡し﹂とよばれる

かの瀧安寺の菰庭をぶと想起し︑拙い一詩を草したこと

ヴ呼ぶ︽︑

かわった︒この林苑の絢鯏とかの石庭の枯寂とを對比し︑

毛のいづ郎にも日本造庭の粘粋を見て︑この胴者に印し

で日本の藝術史をつらぬく二つの流を凪浮べたのであっ

たい

もとよりこの想念はとりとめの永い詩的幻想として私

の想像に描・型したにとどまり︑その後にもこの問題を追

部して發展せしめる暇を打たなかったけれども︑今度一巡

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(4)

れてこの庭に來仁へまたこの事を想州し︑さらにこがに

口j

︐場ばれて種だの随想がきれぎ虹に心に浮んで萱た︒

私は茶籠湘南卒の在るところに立って西に向って杢苑

を一望したuそこから眺められろ︑洪應山を背歎にとり

入飾た朴泉のたたずまひは蝿かな鍬致を私の前に展げて

︲ぬた︒蛎言てこに兄ら煎る木立も松杉椎樅などの大栃が

枝を交はして篭芳として茂り合ひ︑池の或ところは憂汀

になぞらへ︑或ところば曲洲をかたど︐︑黙在する小島

︲もそれ夢汎風怖を異にしてゐろ︒汀に治ふ苑路腫︑政は

深山の奥に通ふ剛裡の趣を兄せ︑或は郊野を検ぎる草し

げき小辿の妾を示してゐろJその上庭盈の布組みは趣向

逓凝らして巧みに獲化を施してあるから︑粘細に槻察す

ればするほど複雑多様の味ひを感受する︒それゆゑ龍安

寺和庭の簡椰に較べて對蹴的な様式の一範例を兇ろ凪ひ

もするのである︒ ︲111ⅡIII11●11トー1−11︐111.110ⅡIトー111IlIrlⅡIIllllllll

しかし升だが滴組みのみによって榊成された帖山水と

の對照によつ一﹂喚起されるこの庭の韮雌とか細燗の感じ

は︑獣米人または支那人にも通川する印象であらうかu

︒恐らく彼心は誰腿絢燗の感じはおろか︑升だの見るこの

︑庭の複雑多様性すら味得しないで︑むしろ耶洲またはあ・

まりに素朴の印象を受けとるのではないかと忠はれる︒

あらゆる色の花卉を杣栽して︑色彩の綾錦によって人逓︑0一魅了しようとするZフンス式庭州の華美を恩ひ︑奇岩怪

石︑また異術に.辿大なもの︑けばけばしい色訓によって態

.ノ

歴を刺戟しようとする支那式庭州の一仰刑を老へれば︑

彼らの多くが日本か庭に単捌寂奨を感じることはむしろ

自然であらう︒そ伽は獺い︑陰嘩な単洲ではないにして

も︑彼らの趣味伽向の大朏からいって︑城しい雌純さを・

そこに兄出すに祁述ない︒彼らが.日本の庭を兄て先づ際

立って悠するのはこの寂しさ︑物足りなさでわらう︒そ

のために彼らのうちには日本の庭の様式にたいして不浦

一三九

111

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(5)

足の術を表明するものもあ飯ぱ︑或は却てこの戦に日・本

︲︑庭刷の特色琵兄て珍飛するものもあるのである︒︵プル

ノi・タゥトは桂離桝の建物と庭苑に︑あらゆる日本的

︑なもの§韮訓をなす簡幸の美を認め︑﹁永逵なるもの﹂と

孵してゐる︒︶

日本の庭の械栽は多玲常雑椀が主となつ一﹂ゐる︒も

一日とより非花秋葉の芙槻もとり入れることを怠ってはゐな

いけれども︑色の竣化多彩といふことよりも︑むしろ紐

の表現を主とする談計は︑肱米及び支那の庭苑に比して

日本の庭に色彩の雌訓鷺朴の印象を典へ︽︒のである︒こ

の鞭は土佐光起の赫諭﹃末朝猷法大豊の一蒜諭秘訣一

の條に︐﹁それ識の要は純の一手にと回まるのみ・たとへ

ぱ眞の極彩色なりとも︑帷の意を忘るべからす﹂といひ︐

﹁すべて識をかくに雛繪ばかりによらず極彩色なりと

も︑大分あっさりと誉くぺL︲一といひ︑また﹃彩色﹃一の

條に﹁彩色は淺きを雌とす︑韮純也..・・・・彩色深ければ賎

4

.︲一側○

しくして死す﹂といふをはじめとして︑本朝洲諭の多く︲

が︑濃厚よりも淡汕を愛するわが災族の趣味感悩に立脚︲

して︑簡素淡泊を商唱してゐろことに雌雄するものでわ

※※る︒︵日本迭庭史上廻遊式庭關が發逹した峠期に至って

迭庭の手法が自然の納洲的表現に接近し︑自然を納識的

・に為すことを意岡するやうになったと言はれてゐるので

ある︒︶︐

︲一方また︑支那庭附の特色は洲和よりも對蝋を術び︑︐

戸一れに反して日本庭悶は何よりも杢慨の洲和を第一義と

・すろ.といふ説がある︵例へぱ岡崎文彬氏の﹃川本庭潤一︒︶.

これについては多くの例證︑蒲しい吟味筵鍔するとして︑

︲も︑・大たいの伽向を言ふものとしてば︑鋸慌の兄解で・あ︲

ろやうに老へられる︒さうして訓和を至上とす一つこの辿

鯛糖艸は日本の庭園に多様複雑といふととよりも︑むし

ろ単純︑平明︑簡淨といふやうな性格を典へ一つに通した︑

ものであることは説明を要しないであらう︒垂︑

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︒″私は近域伊東忠太博士つ.︐﹃法隆寺﹄を談み︑法雄寺の

建築が両濟式七堆伽蕊の一種でありながら︑外米の憲畦

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の拡倣でば芯くゞ日・本に於一﹂りづぱに畑作されたもので

あり︑その意匠柿紳にはH・不楜打の体統か蕪礎となっ

柚・一﹂ゐろ戸一と矛一識き︑建染の外槻か描秀であり八構造が棚

明で雌駄がなく︑いはゆる﹁純漢な椛造﹂であることを

縦焚し︑細部の手法や装飾もよく調和し︑一児極めて単

︲純なやうでその庇細心な注意か術き両方七寸分の遼恥の

左いととに驚嘆し︑細部も装飾も支那から傳來したもの

ではあっても︑日・本の粘紳を以て塵理してゐろので︑丈

︽郷風の濃坪薩趣味は少しも現は卯ない︑一言でいへば棚

素淡汕であるとし︑肌つ材料ば榊辿に必要なものばかり

/で︑一も椛造淀離れた純嫉飾剛なものはないと子法の紬

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瀞癬鰄を・刀説し︑要するにH本古米の建築の耐採︑紬が︑

淡拙︑庇庇の諦傾伽か法隆寺の雌染に兄事に迩現さ郡て

0ゐるとと莚閥明してゐる川航に典味を峰じた・・あのや

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うに外縦が複雑多様で七堂伽錐の乖美とつくしてゐるご

とく兄えづっ法隆寺の延染も︑伊勢紳窓の建楽の澗淨な様

式と同様に.︑十・分に日本の蘂術の特色を蕊押してゐると

いふのである︒戸一の事は延楽と秘密の關係にある日木造

庭の考塞にとっても打力芯挙考材料を提供するものでは

ないであらうか︒.

︾〆

さらに否幽迭庭史莚概槻するのに︑鎌倉時代に至つ亡

祁の趣味が生涌の各億面に没透するやうになってから

従来術はれてゐたいはゆろ艇殴式庭倒は巌れ七︑廻遊式

庭鯛や和庭が興った︒殊に仲价夢志疎狗か林永の築造に

心と符せ︑閲方寺︑錐倉の端呆寺のごとき名幽を築き︑ま

た内方寺逓校し一﹂趣つた慈蝋寺︵銀樹寺︶︲の庭幽が洗統

さ卵た廻迦式庭倒の晩例を示すに及んで狼この様式は造

庭界筵瓜脈する肱態とな↑つたJ

もともとかやうに岬家によって創如さ︑卯︑岬趣味を松 01■114■■j

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↑であらうO︲..・凸B一しかし今この際謀にとって問題となる獣は︑茶禅の趣

︑味が神通化した︾|の昨代になって︑一方課院庭のやうな

・燕雌の様式と他方茶庭の耐衆議様式とが︑並九︽﹂發逹し

たといふ率宵である︒ところで︑了一の剛つの對照的な様

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︲ゆ式餓向の川には何ら内而的關係は存しないのであらう・

か︒推腿といつ一﹂も︑浮誇︑識弱︑巧繊に走る﹄|とな︲︐︑︑

脈僻︑洲脱︑剛雌や趣孝一帯びたこの期の誠浦稚式に岡川

澗逹と術ぶ茶迩赫味に通ふものが認められ︑この剛力に

0■■一共通する文化的韮礁が老へられ雄いであらうかJすでに

室町時代に興った唯敷繪は︑一華腿荘厳﹂とも排せられる

やうな︵雌渉軒︶糠式として︑豪韮絢燗な桃山時代搬式

の先駆をなすものとも肴ばれてゐるが︑戸一の装飾饗術は

ログ

岬僻の従鵬建築に随作して發生したとい鼻郭庇から延い

ゅ一旬

て︑抑家の生沿環境には︑主洲である枯淡性の外に︑華

腿を愛する伽向も群らしく現郡てゐることを指抽すら満

もある︒︵嬬伸幸癖錨誌荊︶︒脱圏症さらに拡大してこれ産

日本の蕊術一般に及ぼし命一見對蹴的なこの師つの傾向

の關係を蕊術史的老漆對象とすることはでき・ないであら

うか︒この考蕊は脈と側・不文化との關係といふ問題にと

って祢迩義であるばかりでなく︑また側水藻術の様式典

の諸問題にとっても︑生雄的な役割をつとめるであら

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前に︑H本の塞術にはたとへ裡雑の美︑華腿の趣をい

はれる場合も︑他凶の藝術と比すれば︑なぱそこに日本

的な美の松本緋色である簡圭性を否疋する戸一とができな

いことを兄たのである斑またこ肌と逆に︑茶榔の眞髄

が川本的な柚淡︑浦寂どいふやうな性斑を典へてゐるた

・いっても︑それば決して枯痩でも・なく︑戒災でもなく︑

内に冴えて深い合薪を満し︑蝋かた生命を私へて生動し

てゐることか兇逃されないの駐考へなければならない︒

︐この称得の上に乙乏前記の二つの流れの對雌も成立つ段

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恩ふのでああ︒︲口に一小門がわって︑向上開と題した肺糊が掲げられイ

︵しかし︑一たい或は単純といひ︑或は複雑といひ︑側ゐる︒山花糸ろ迦逓向上の一路に擬したものであるが︑

業とい唖多彩といふことがはたしていかなる意味と有そ郡にし一﹂も多彩に兄える下部の境地から上部の石庭の

ってゐ︾っのであらうか︒汗為にとつ一﹂複雑を極めるもの枯淡な枇界へ通ずろ路に向上の一關が設けら伽てゐろと

が彼呼の眼には飛砿戦闘であり︑彼らにとつ一﹂絢鮒類ひいふのは︑・汁糞の問題にとつ七象柵的な︑興味蕊かいこ

姫宣ものが︑将掩にとつ一﹂この上もなく簡単に恩はれるとで吟心と忠はれ一名︵昭和二十年七月初旬︑沸西長側

・ことも曹名そもそもまた絶對粁より見て︑箪純と椹維〃の価届に於遥

と︑術と紫とは何によって分蹴るか︒

衿苔寺にて それはそれとし奄私はこの域よく紳的な単調といふこ心︽の池あり〃

と逓老へるJ凹然界を兄るのに︑人間の想像症絶した精・池承建︑てか裡如じ

歩々に奇岩あり巧複雑の生命の現象か認められると同時に︑一方驚くぱ︐●また鍔組かの妙へなる丘には

かりの肌捌の支剛鞭蒋収し符ろ︒アーれにたいする驚嘆荘︑

満水湧け〃︑魂洲の水と呼ぶ

︑私は別の機禽に表現したいと川心ふのであるが︑秘疫ばか︑湛牌の︾祁隷にまじる楓楓

の複雑にのみ心莅球はれ︾曾甚なく︑この単調にふ︑かい地に敷けるとりどりの苔は

幾色と知らず紅紫の丈を成す.︐饗敬の念逓搾げなは煮ばならない︒︶胡

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黄金池逓一巡して洪應山の上部庭偲にさしかか﹄勾壷り

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(10)

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さきまたここにして想ふ︑前の日訪れて

その含薪の深さに心打たれし

虎の鬼渡しと呼ぶ積川水・〆・

露はなる向砂の坪に

ただ+ま刑ゐ詞雅きし

︲かのお庭のめでたさと 私なほ嵯峨野に早き夕ぐれを訪ふ人もなき数寄屋に憩ひて

ひじ0仁くみ

古への聖のすぐれし構想を思ひ いみじき糸石のあしらひを愛づ

し全や急褒む・へきかなとの林恐

さはれ︑かの禰淨と︑この燦醐と

いづれなる唱を問ふなかれ

かれと.これと

いづれか日本造庭の梓ならざる

われらいづれをも讃へ誇らむ

j︾仏にわ誌謹術の惇統をつらぬく二柊の流れに

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︲咲きいでし美の箱華なれば

骨曇我幽の議論に斌韻嘩重説を多く見ることは脚ねく知られ

.るとほりで︑魂は風刺といひ・設致とよび︑海生よりも甑.意︑

形似よりも紳似と何塁ことは日木舞の停統の誰傾向である︒

しかしこの主張は繪識那論としては南齊の謝赫が笹永六法の

罪一に澁いた無韻生動の識から旧てゐ一・﹄︑特に日本的といふ

より︑むしろ弘く東洋的な結卿の現はれである︒しかるに光︑・

起の議論中︽識諭秘訣﹄の催に﹁約は質朴な一幻をよしとす:..:﹂

といひ︑﹁何にても十分に喪さず芥/ぃ・迄を︑つふ︒事少なにし

て意一ぱいなるをよしとす︒⁝・・﹂といひ︑﹁詩歌の心をかく

ともみな出す写へからず︑おもひ入れを含ます・へし︑向紙も模

糀の一けなれば心にてふさぐぐへし⁝・・・﹂といふごとを︑硬証を

愛し聯侭諏.侭怖を垂んじ︑令蕃一理向ぷⅡ才説細川の粘碑の

〃表現といふぺく一︲暴岡︵支那︶の喪は丈の.ごとく︑本朝の我は詩

のごとし﹂といふ意味深い語を以て緒ん富ゐる︒吾閏の談論

中で朧州する王洲の論述及びその他の多くにも︑沖貯・簡讓

の嚇祁を凋調してゐる︒骨号署妙蒋庵は近噸具準する椴倫を秘ためでお︾郵町限られ

た狭小の場所に洗喝︑没﹂.よく茶壷.茶腱の粘洲を強・輝なく

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