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『大日経』にみられる諸儀礼について ―「五字厳身観」と「六月念誦」―

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『大日経』にみられる諸儀礼について

―「五字厳身観」と「六月念誦」―

蓮 舎 経 史

【はじめに】

『大日経1』の文章内容は理論部と実践部のふたつに大きく分けられ、記 述の大部分をしめるのは「具縁品」以下で説かれる実践行であり、その主 なものはマンダラ行であるといえるだろう。その説明は章品をまたいで繰 り返され、そこに加えて、教理的な解説などが散在している。

また経中には各種の観法や念誦法などの諸儀礼も散見されるが、それら が基幹であるところのマンダラ行とどのように関わり、位置づけられてい るのか判断しがたいことが指摘される2

このようにマンダラ行解説の構成やそこに多くの儀礼が介在することが 経典全体を複雑にし、その整合性や関係性を判じがたいものとしてしまっ ている。しかし、その構造を見極め、経文全体の一貫性や各章品の相関関 係などを検証することは、経典内容を整理、理解することとなり、『大日経』

の複雑で難解な行体系に統一性を見いだすものにつながるともいえる。

本稿では経中の諸儀礼に注目しその検討をすすめる。

『大日経』における諸儀礼は本経成立後にインドにおいては大きな展開 のないまま、早々にいわゆる「金剛頂経系」の儀礼にとって代わられたと いわれる。しかし一方で、後代の注釈書等によりその内容からいくつかの 供養法や成就法あるいは観想行等が整理され、特に本邦では諸尊への供養 儀礼や真言陀羅尼の念誦等が組み合わさり「五字厳身観」「三月念誦」「六 月念誦」などといった名を付けられ、『大日経』所説の同じ体系に属する行 法とされている。

先述したように本経における諸儀礼は複雑な構成となっており、ここで すべてをとりあげるのは困難である。そのため、特に「五字厳身観」と「六 月念誦」のふたつの修法を比較することとする。

「五字厳身観」は本経中の複数の行法を組み合わせて体系化した成就法 である。一方「六月念誦」は「持明禁戒品」に説示される成就法のみを典

(2)

拠とし、観想法を主体としながら戒律のような説示も加えられる行法であ る。

ふたつは並び称され、あるいは混同されもする。しかし「六月念誦」と

「五字厳身観」を同一体系に組み入れることには疑問を感じる。ここでは それを検証して、本経における儀礼の系列を整理することにつなげたい。

はじめにそれぞれの修法の概要を示し、のちにその次第構造や成り立ち などを本経および注釈書や関連儀軌などから確認する。その後ふたつを比 較し、その異同をあきらかにしたい。

1「五字厳身観」について

ここでは「五字厳身観」について確認を行いたい。しかしながらこの観 想法は『大日経』本経の中にみられるいくつかの修法がまとめられたもの であり、そのため主要とするべき資料を決めがたい状況にある。行法の概 要と詳細を後代に著されたいくつかの注釈書等をまとめながら確認してい きたい。

1.1 概要

「五大成身観」あるいは「五輪成身観」ともいう。

行者の身体に五大(地水火風空)を象徴する五つの字(a,va,ra,ha,kha あ

るいはa,vaM,raM,haM,khaM)を配当して自らを大日如来であるとする観法

で、『金剛頂経』における「五相成身観」に相対する『大日経』所説の修法 であるとされる。

本経中には「五字厳身観」という独立したかたちでの行法は明確に説か れてはおらず、「秘密漫荼羅品」や第七巻の「持誦法則品」などにみられる 儀礼が後代にひとつの修法として再構築されたものとされる。

修法手順やその解釈が記載されるおもな資料には『大日経疏3』『廣大軌4

『秘蔵記5』『玄法軌6』『青龍軌7』『胎蔵對受記8』『胎蔵界入理鈔9』『胎蔵次 第要集記10』『演奥鈔11』などがあげられる。

『廣大軌』は善無畏(637-735)により訳出されたとする『大日経』所説の 儀軌である。『秘蔵記』は空海(774-835)が撰述したとされ12、金胎両部にわ たり事相・教相のいくつもの項目を解説したものである。『玄法軌』と『青

(3)

龍軌』はともに法全(生没年不明)により著され、およそ同じ内容だが遅 れて著された『青龍軌』のほうが整理がすすんでいるとされる。『對受記』

は台密の安然(841

~915

)が記したもので、諸師から伝えられた多くの 修法を記録した伝授録である。『胎蔵界入理鈔』は賴瑜(1226-1304)により 著され、『胎蔵次第要集記』は杲宝(1303-1362)によって撰述されたもので、

ともに延命院元杲(914-995)作による『胎蔵界念誦次第』の注釈書である。

『演奥鈔』は杲宝により撰述された『大日経疏』の注釈書である。

また、本経に先行して『底理三昧耶王タントラ13』において種字が説かれ、

それがさらに『金剛手灌頂タントラ14』において行法として発展したものが

『大日経』に組み込まれたとの報告や15、『不空羂索経16』には「五字厳身観」

の原型と思われるものがみられるとの指摘もある17

これらの儀軌や注釈書のほかに多くの著作によって論述が繰り返され、

それらの展開により現行の「五字厳身観」という観法が形作られた。

安然の『對受記』以降の具体的な次第ではおよそ次のようにまとめられ ている。

①:腰下に a 字を安じて、その字を金色方形の金剛地輪と観ず。五股 印を結誦することによって金剛不壊の瑜伽座となる。そのうえに五股 金剛を観じ、金剛堅固な菩提心地に住する。

②:臍にva字またはvaM字を安じて、白色円形の水輪と観ず。蓮華 座印の結誦によって臍上に大悲水を加持する。これは大悲三昧である。

③:心にra字またはraM字を安じて、赤色三角火輪と観ず。法界生印 を結誦することによって心を加持して智火光とする。これにより諸々 の垢穢を除く。

④:眉間にha字またはhaM字を安じて、黒色半月の風輪と観ず。転 法輪印を結誦することによって額に自在力を加持する。これにより悪 魔を却く。

⑤:頭頂にkha字またはkhaM字を安じて、雑色團形の空輪と観ず。

大慧刀印を結誦すると頂上に大空を加持することとなる。これにより 自身は法界と等同になる。

1-2. 詳細

前述したように、『大日経』の経文中において「五字厳身観」を明確に独

(4)

立した行法としてあつかっている部分はないが、第七巻の「持誦法則品」

では「五字以厳身」という文言をともない成就法の説明18がなされている。

『玄法軌』および『青龍軌19』はこの「持誦法則品」を転載して、さらに本 経からいくつかの章品にわたり文章を引用して説明としている。このよう に第七巻は「五字厳身観」の検証に際して無視できない資料である。

ただしチベット大蔵経ではこの第七巻の部分は本経とは別の独立した儀 軌として収録20されていることはよく知られる。漢訳でもこの第七巻の原 典は本経とは別に請来された。このためこの第七巻の記述をもって『大日 経』の「五字厳身観」であると規定するのは注意が必要であろう。本稿で もその点は留意しておきたい。なお、第七巻の儀礼と「五字厳身観」の詳 細な比較検討は別稿において改めて報告したい。

次に本経の「秘密漫荼羅品」では、

(Tib)

དེ་ནས་ཡང་བཅོམ་�ྡན་འདས་�ིས་�ང་ཆ�བ་སེམས་དཔའ་�ག་ན་�ོ་�ེ་ལ་བཀའ་�ལ་པ།

གསང་བ་བའི་བདག་པོ་གསང་བའི་ད�ིལ་འཁོར་�མ་པར་དགོད་པ་�ྷ་�མས་�ི་གནས་ཡང་དག་པར་གནས་པར་བསམ་པ་

ས་བོན་དང་བཅས་པས་མཚན་པ་ཡོད་�ིས།དེ་ཉོན་ལ་ལེགས་པར་རབ་ཏ�་ཡིད་ལ་ཟ�ང་ཤིག་དང་།

21

〔そしてまた世尊が金剛手菩薩に告げられた。秘密主よ、秘密マンダ ラ建立は諸尊の場所に正しく位置すると思う。種子とともに幖幟有り。

それを聴き正確に憶えよ。〕

(漢訳)

於是大日世尊。復告持金剛祕密主言。祕密主有造漫荼羅聖尊分位。種 子幖幟。汝當諦聴善思念之。22

〔是において、大日世尊、復た持金剛祕密主に告げて言わく。祕密主、

漫荼羅の聖尊の分位と種子と幖幟を造ること有り。汝當に諦らかに聴 き、善く思い、之れを念ずべし。〕

との前置きからはじまり、つづいて下記のように身体の各部位に対して五 輪の布置が説かれる。

(Tib.)

།དང་པོར་�ྔགས་བས་ད�ིལ་འཁོར་དེ། །རང་གི་ལ�ས་ལ་དགོད་�ས་ཏེ།

།�ང་པ་ནས་ནི་ཆ�་སོ་ལ། །ཐ�ག་གི་བར་ད�་ས་ཡིར་བསམ།

།དེ་ནས་�ོད་ད�་�ྙིང་གའི་བ་ར། །�ྡོམ་བ�ོན་ཅན་�ིས་ཆ�་ཡིར་བས་མ།

།ཆ�་ཡི་ཡན་ཅད་མེ་ཡི་�ེ། །མེ་ཡི་ཡན་ཅད་�ླ�ང་ཡིན་ནོ།23

(5)

〔先ず真言者はその輪壇を、自らの身体に建立しながら、足から膀胱 にいたるまでを地と思え、そこから上に心臓部分の場所を、戒精進に より水を思い、水の上を火にして、火の上を風とするのである〕

(漢訳)

真言者圓壇 先置於自體 自足而至臍 成大金剛輪
 從此而至心 當思惟水輪 水輪上火輪 火輪上風輪24

〔真言者は圓壇を 先ず自體に置け 足より臍に至るまで 大 金剛輪を成じ 此れより而も心に至るまで 當に水輪を思惟すべ し 水輪の上に火輪あり 火輪の上に風輪あり〕

『青龍軌』ではこの建立の次第がよりくわしく増広されており25、第七 巻の「持誦法則品26」を基として本経の「入秘密漫荼羅法品27」「供養儀式 品28」「転字輪漫荼羅行品29」それぞれから抜粋した文を補足したと考えら れる偈頌が説かれている。

「入秘密漫荼羅法品」から加えられた部分30では秘密マンダラに入るあ らましが次のように説かれる。

解此平等誓 祕密漫荼羅 入一切法教 諸壇得自在 我身等同彼 真 言者亦然31

〔此の平等誓の 祕密漫荼羅を解せば 一切法の教えに入るに 諸壇 に自在なることを得べし 我が身彼れに等同なり 真言者もまたしか なり〕

これは秘密マンダラと仏と真言者の同一をしめしている。

「供養儀式品」から補足された部分32は囉字により自身や道場等を清め る説明と考えられ、この後仏との同一をはかる具体的な次第として、いわ ゆる「五字厳身観」がしめされる。

そこでは五字を身体に配当する観想行が説かれるが印相は述べられず、

最後につぎのような句(真言)が記される。

觀身同如來 復念滿足句 曩莫三曼多沒馱喃阿鑁覽唅欠33

〔身は如來と同じと觀ずべし 復た句を念じ滿足す

曩莫三曼多沒馱喃阿鑁覽唅欠(namaH samantabuddhAnAM a vaM raM haM khaM)〕

しかしこの句を本経に確認することはできない。

(6)

「阿鑁覽唅欠(a,vaM,raM,haM,khaM)」の五字については『佛頂尊勝心破 地獄轉業障出三界祕密三身佛果三種悉地眞言儀軌34』において詳しく説か れている。この儀軌は善無畏訳とあるものの唐末における中国撰述とされ、

「阿羅波遮那(a,ra,pa,ca,na)」「阿微羅吽欠(a,vi,ra,hUM,khaM)」「阿鑁覧唅 欠(a,vaM,raM,haM,khaM)」の三種悉地真言を説き、とくに「阿鑁覽唅欠」

の五字を上品悉地の真言として解説する35。金剛頂経系の要素が強いとさ れるが36

地水火風空五輪之種子。阿鑁覧唅欠五字37

〔地水火風空の五輪の種子、阿鑁覧唅欠の五字〕

といった記述などは各種字の五大への転換をしめしており、「五字厳身観」

の理論構築にこの儀軌が影響を与えたことは十分に考えられる。

善無畏訳出のものには『廣大軌』があげられる。これは『大日経』より 編み出された供養法儀軌で、訳出時期は本経訳出と大きく変わらないと考 えられる。

文章は全体的に真言を交えながら印相や観想対象等が偈頌のかたちで示 されている。内容は次第のような体裁をとっており、説明は加えられてい ない。そのため冒頭にみられる「応教授戒」「建立、大悲蔵等妙円壇」「召 入曼荼羅」等の文言38に対しどのような所作が求められるのか判断しがた い。「五字厳身観」について説かれる個所39は、第七巻よりも詳細であり、

観想対象、その相貌、種字と色形、加持をなす部位、最後に真言が説かれ ている。

はじめの阿字についての「次に阿字輪を観じて一切仏を加持する40」と いう記述は「悉地出現品」での阿字による「一切所尊の仏を思念せよ41」と いう内容を連想させる。いっぽうで五字を身体の各部位に配当する所作42 がそれぞれが独立しているように思える。

この段階ではいわゆる「五字厳身観」という独立した観想行として成立 していたとは言い切れにないだろう。しかし一連の所作は整備されており、

本経第七巻の存在もあわせて考えると『大日経』訳出のとき43にはこの儀 軌にあるように次第としてすでにある程度の完成をみていたことが確認で きる。

つづいて本邦への修法導入を『秘蔵記』および『對受記』からみていき たい。

(7)

『秘蔵記』は率都婆の建立に五字厳身をもってする。まず五輪に五字を 配して率都婆を成し44、つぎに身体の各部位に「阿字地輪」から始まり「劔 字虚空輪」にいたる五字五輪を布置し、それを五大へと展開し、これを五 字厳身とする45

また一方で「この率都婆光を放って法界に遍じて毘盧遮那の身と成って、

種々の荘厳あり46」とさきに建立した率都婆を毘盧遮那とする。さらに、

これをもって率都婆を介して自身と毘盧遮那および諸仏との相融をなす三 平等の義47であると解説される。

このように『秘蔵記』においては、五字と五輪と五大とを通じて自らを 毘盧遮那へと合致させる理論が成立しており、さらに身体の各部位に五つ の字輪を布置していくいう所作がそれぞれに独立した観想法のように見え ていたものが、この理論を軸としてまとまり「五字厳身観」というひとつ の修法としての認識が確立されていることがみてとれるのである。

『對受記』では「五字厳身」あるいは「五輪成身」とも表記して、次第 の形式を多くとりながら、当観想行による本尊瑜伽の理論を説いている。

まずa,vaM,raM,haM,khaMの五字の解説として、それらを自身に布置する、

いわゆる「五字厳身観」が説かれる。これまでの資料にみられない特徴に、

字輪の観想において「明誦三遍」と説いていることがある48。遍数まで指 定してくるのはこれまでみられず、ここにおいて次第の形態が完成したと いえるのではないだろうか。

さらに自身への五字の布置が五大をへて大日如来にまで展開する説明が つぎのようにみられる。

即此五字以為地水火風空五大也。是内法性五大与外五大無二無別。此 法界身転成率覩波。率覩波即法性也諸仏如来悉有其中。此率覩波変成 大日如来坐大宝蓮華。観了誦五字明(加帰命)一一加持五体49

〔即ち此の五字を以って地水火風空の五大と為すなり。是れは内の法 性五大と外の五大と無二無別なり。此の法界身転じて率覩波と成る。

率覩波即ち法性なり。諸仏如来悉くその中にあり。此の率覩波変じて 大日如来と成り大宝蓮華に坐す。観了し五字明を(帰命を加え)誦し て一一を五体に加持すべし〕

このように『秘蔵記』における記載と比べても直接的な記述がなされて おり、五字から本尊瑜伽まで展開する理論というものが安然の『對受記』

(8)

に到って大きく整理が進んだことがうかがえる。

さらに後代においては、賴瑜の『胎蔵界入理鈔』や杲宝の『胎蔵次第要 集記』をみると、「五字厳身観」は『胎蔵界念誦次第』という大きな次第を 編成している一部の観法とされていたようである50

1-3. まとめ

「五字厳身観」をひとことでいえば、本尊大日如来との瑜伽を目的とし た観想行である。そしてその過程で本尊を直接的に観想するのでなく、五 字を身体の各部位に布置することにより間接的に本尊との瑜伽が成される 点を大きな特徴としている。

『大日経』本経では次第が示されるが、それはいくつかの章品にまたが り記載されまとまっているとはいえない。第七巻において「五字以厳身」

との言葉とともに所作の説明がされるが、この巻が本経とは別の独立した 儀軌である点を考慮する必要はあるだろう。

本経以外にひとつの修法として認められるのは『廣大軌』等の儀軌にお いてである。

『青龍軌』ではこの第七巻も含めたいくつもの章品から引用をしている が、次第の形式に整理されてはいない。

しかし『青龍軌』よりも古く成立したと考えられる『廣大軌』において は五つの種字それぞれを用いた独立した行法のようにも思える記述となっ ている。関連する儀軌やさらに本経に先行した経典等に種字を用いた観法 がみられることなどから、『大日経』訳出時には少なくも種字を観想するな んらかの修法が行われていたと推測することができる。

いっぽうで先に述べた五字から五大さらに本尊との結びつきは『秘蔵記』

以降にそのような主張がみられ、おそらくこの「五字厳身観」の理論的展 開は本邦に導入されてから強く意識されたと考えられる。安然の『對受記』

ではこれらの記述がより明確に整然と記されており、このような理論が遅 くともこの時点で確立していたと思われる。

2「六月念誦」について

「五字厳身観」と異なり「六月念誦」はその原形が本経のなかで明確に

(9)

説かれている。修法としての後世での大きな展開はみられず、この修法に ついて書かれた注釈書等の数も多くない。

本経における「六月念誦」の記載内容は簡略であり、他の修法に対する 追記のようにもみられる。また戒律的な指示をする記述もあり、それがこ の修法の特徴といえるだろう。

ここではそのような本修法の独特な側面を意識しながら、本経を中心に 検証を試みたい。

2-1. 概要

現行の「六月念誦」は「六月念誦成就」ともいわれ、「持明禁戒品」を典 拠とする成就法であり、a,va,ra,ha,khaの五字とさらにkhaM 字を観じて胎 蔵五仏の悉地を成就するための秘法であるとされる。「五字厳身観」が五字 を一時に重立するのにたいして、この「六月念誦」は前後異時、つまり六 つの月に分けて一字づつ順番に観想し成就する修法である。

『大日経』の本経ではおよそ簡略にしか述べられおらず、漢訳の訳出と 同時期に編纂された『大日経疏』では「六月持誦法51」と名付けたうえで詳 細に所作が説明される。『広釈52』においては「“住処とはいかなる処か” という問いの答え53」として六月に渡る行法が説かれたと注釈が加えられ ている。

「六月念誦」についてある程度まとまった内容が説かれたものは、東密 では浄厳(1639~1702)の『大日経持明禁戒品中六月成就秘訣54』があげられ る。これは「羽陽の海慈闍梨55、起草」のものに浄厳が本経や他の経、あ るいは注釈書等からの引用を加え整理したものである。そのなかでは本修 法を「是、胎蔵五佛の悉地を成ずる秘法56」といい、さらに「五大成身観 の如し57」とあるように、真言宗の根幹にかかわる極めて重要な修法とし て捉えられていたことがわかる。

しかしながら現在では「六月念誦法」という名前のみが知られ、独立し た行法として伝承されていないようである。

また浄厳より時代を大きく遡り、台密の安然が記した『對受記』では「六 月修法」と項目をとり修法次第が詳細に解説されている58。安然は『對受 記』を含む儀軌や関連の印信を道海大徳および權僧正大和上(遍照, 816~

890)から授かったとしている59

(10)

なお、この道海大徳がいかなる人物か詳細は不明60であり、浄厳のいう 海慈闍梨と同一の人物であるという可能性も考えられる。しかし、安然の 海大徳伝とする記述と浄厳の海慈闍梨記とする記述には種字の空点や真言 を誦す遍数の有無や観想する壇の形状などに大きく相違がみられる。さら に『對受記』では第五月第六月において印を結ぶとするが、『六月成就秘訣』

では印を用いずその理由まで明記している。このような違いがみられるこ とから浄厳のいう海慈闍梨と安然に修法を伝えたとされる道海大徳が同じ 人物であるとは、すくなくも断定はできない。

浄厳の『六月成就秘訣』によると具体的な次第は以下のようになる。

①:初めの月は金輪(大因陀羅)の観。まず内五股の印を結び方形黄 金色の壇を観じて全身a字となって壇中に遍満する。a字を臍より出 し鼻より入れ気息を整える。乳を飲んで食とする。この月の修法は東 方宝幢仏の三摩地である。

②:第二月は水輪の観。八葉開蓮印を結び、身を円形白色のva字とす る。出入息をva字としてこれを食とする。この月の修法は西方無量寿 仏の三摩地である。

③:第三月は火輪の観。大慧刀印を結び、三角赤色の火輪を想い、自 身と呼吸をra字に観じ、施与された物かra字を食とする。この月の 修法は南方宝生仏の三摩地である。

④:第四月は風輪の観。轉法輪印を結び、黒色半月形を観じて自身を ha 字とする。呼吸はha 字として、これを食とする。この月の修法は 北方天鼓雷音仏の三摩地である。

⑤:第五月は金剛輪と水輪の観。kha字61を出入の息としてこれを食と する。印は組まない。この月の修法は修生の大日の三摩地である。

⑥:第六月は風火輪。khaM字62を誦しこれによって身をたすく。この 月の修法は本有の大日如来の三摩地である。

2-2.「持明禁戒品」について

「五字厳身観」がいくつかの章品に典拠がもとめられるの対して「六月 念誦」は典拠を「持明禁戒品」ひとつにしぼることができる。この章品は 比較的短く、世尊が禁戒を説く内容となっている。文章の多くがその説明 にあてられ、これがいわゆる「六月念誦」にあたる。

(11)

「持明禁戒品」は秘密マンダラに関わる説示がなされるいくつかの章品 に続いて記され、それらの章品は秘密マンダラの作壇からそこに弟子を引 き入れるまでが説かれている。

漢訳では秘密マンダラに用いる最秘密の八種の印とそれらに相応するマ ンダラの相と真言が示される「秘密八印品」の次に編入されているがチベ ット訳では漢訳でいう「秘密八印品」と「入秘密漫荼羅位品」が入れ替わ って編纂されている。

「持明禁戒品」に続く「阿闍梨真実智品」では持金剛が大日世尊に諸マ ンダラの真言の心髄と、阿闍梨とはなにかを問う。これに応え大毘盧遮那 はいわゆるa字より諸真言が流出し、これを本初と説く。そして、この教 法において広大智を解せば阿闍梨と為すと説く。

「持明禁戒品」では、まず金剛手から大日世尊に「持明禁戒63」が請問 され、それに対し薄伽梵毘盧遮那が返答するかたちで六つの月に区分した、

いわゆる「六月念誦」が説かれる。

この「月」という明記について、『大日経疏』では時月のことではなく成 就の可否により期間を区切ることを「幾月」とする64、と解説される。な お『広釈』では「六ヶ月において、時間等を得ず65」と説いている。

経本文では、請問として具体的な禁戒の説明を望んでいる。その禁戒と はマントラを唱えるにたる資質の者、すなわち真言行者となりうるために 行う禁戒ということになる。

『大日経疏』における戒についての説明では

然戒。西方音有二。一者尸羅。二者沒栗多。戒有二。謂本性戒及制戒 也。尸羅性戒。謂淨諸根。此是修行戒也。謂淨身故須行之。是長時所 持之戒。今沒栗多須成就。故制之也別後服風等也。如律因事制也。今 課中戒是禁戒。或云制戒。皆是沒栗多也。沒栗多是有時願之戒66

〔然も戒というのは、西方の音に二有り。一は尸羅、二は沒栗多なり。

戒に二有り。謂く本性戒及び制戒なり。尸羅の性戒は、謂く諸根を浄 む。此れは是れ修行の戒なり。謂く身を浄むるが故に須らく之を行ず べし。是れ長時所持の戒なり。今沒栗多というは、須らく成就すべき が故に、之を制するなり。別に後に風を服する等なり。律の事に因っ て制するが如きなり。今課の中の戒は是れ禁戒なり。或は制戒と云う。

皆是れ沒栗多は是れ時有りて願するの戒なり67

(12)

として、戒には尸羅(ZIla)と沒栗多(vrata)のふたつがあり、ここで説かれて いる禁戒は時月を限った制戒であり、また願いが叶うまで課す戒めとして の沒栗多であるとする。つまりこの説明によって「持明禁戒品」の禁戒と はvrataであるといえる68

チベット語では vrata に対して བ��ལ་ཞ�གས という訳語が用いられることが

『翻訳名義大集』で確認できる69。本章品でも漢訳の禁戒にあたる箇所は

すべてབ��ལ་ཞ�གསという訳語が用いられており、བ��ལ་ཞ�གསとはvrataすなわち

禁戒であるとみなすことができる。なお、『広釈』ではབ��ལ་ཞ�གསに対するく わしい解釈は記されていない。

vrata には様々な語意があり、禁や戒等のほかに生活様式、宗教的儀式、

あるいは義務や掟あるいは苦行や断食、節食等をさす。望みをかなえるた めの誓いや戒めでもある。仏教以外での戒を示すことばでもあり、インド 文化に根ざした社会的秩序や道徳ともいえるようである。これらのことを とりまとめるならば、vrataとは聖俗の別なく何らかの望みがかなうまで自 らを律するきまりとその実行、ということができるだろう。

漢語の「禁戒」とチベット語の「བ��ལ་ཞ�གས」がまったく同じ概念であると はいえない、しかし「禁戒」という用語の原語であるvrataの語義の多様性 や、後世の著作による観想行としての扱いからも、漢訳における「禁戒」

という用語を戒律と限定することはできないだろう。つまり、禁戒(vrata) とは、観想行を主体とした宗教的儀礼であるといえる。

さて「持明禁戒品」では金剛手からの (Tib.)

།དེ་ནི་ཅི་�ྟར་��ར་ད�་འ��ར། །ཆད་�ང་འ�ེན་པས་བཀའ་�ོལ་ཅིག། །གང་གིས་དངོས་��བ་ཐོབ་འ��ར་བ།

།སངས་�ས་�མས་�ིས་�ྔོན་བ�ན་པ།70

〔それはどのように速やかに成ずるか 過不足を導師よ教えたまえ どうすれば悉地を得るのか 諸仏により昔説かれたるを〕

(漢訳)

云何而速成 願佛説其量 先佛所宣説 令得於悉地71

〔云何んが而も速やかに成ずる 願わくは佛其の量を説きたまえ 先 佛の宣説したもう所なり 悉地を得せしめたまえ〕

という請問に対応して

所説殊勝戒 古佛所開演 縁明所起戒 住戒如正覚 令得成悉地72

(13)

〔所説の殊勝の戒 古佛の開演したもう所なり 明に縁って起こす所 の戒は 戒に住すること正覚の如くにして 悉地を成することを得せ しむ〕

と悉地を成就するための戒を説くこととなる。漢訳ではこのように悉地を 得るための戒とは、「明に縁って起こす所の戒(明より生起した戒)」であ り、この戒に正覚の如く住することで悉地成就すると説かれる。これはこ の章品の主題そのものということになる。

一方チベット訳において上記の漢訳に相当する部分は次のようになる。

།�ྡོན་�ི་སངས་�ས་�ིས་གས�ངས་པའི། །བ��ལ་ཞ�གས་དམ་པ་བ�ན་པར་�འོ། ~中略~

།རིག་པའི་བ��ལ་ཞ�གས་ལས་��ང་བའི། །བ��ལ་ཞ�གས་སངས་�ས་བཞིན་ད�་གནས།73

〔昔の仏により説かれた 殊勝なる禁戒を堅固になすべし~中略~明 禁戒から生じる 禁戒に仏のように住する〕

すなわちチベット訳は漢訳と異なり①のརིག་པའི་བ��ལ་ཞ�གས(明の禁戒)から

②の བ��ལ་ཞ�གས(禁戒)が生じることとなる。この章品で最終的に目指され

るབ��ལ་ཞ�གསは仏の如くに住する②のབ��ལ་ཞ�གསである。

このようなやりとりの後に六月にわたる具体的な所作が説明されている。

しかし一般的に戒律といわれるようなことは食べ物に対する規制などわず かな記述しかみられず、第五月第六月においてはそのような行為は言及さ れていない。

さらに第五月においてはつぎのような記述がみられる。

(Tib.)

།དེ་ནས་�་བ་�ྔ་པ་ལ། །�ྙེད་དང་མ་�ྙེད་�མ་�ྤངས་ཏེ། །�ྔགས་པ་ཀ�ན་ཏ�་ཆགས་མེད་ན།

།�ོགས་པའི་སངས་�ས་བཞིན་ད�་བ��ར།74

〔そして第五月において 得と非得とを遠離しながら真言者は固執な くば 円成仏の如くなる〕

(漢訳)

是為第五月 遠離得非得 行者無所著 等同三菩提75

〔是れを第五の月と為す 得と非得とを遠離して 行者著する所無く して 三菩提に等同なり〕

このようにこの段階ですでに成仏することを示唆していることがみとめ られる。

以上のような「六月念誦」の説明につづきその功徳が説かれる。人、天、

(14)

神などから恭敬され守護を受け、障者、羅刹等を遠ざけたうえでこれを随 わせ、さらに大執金剛のように調伏をなし、観世音と同じく諸生を饒益す るという剛柔両相が顕されるとする76

これらの功徳を得たうえで、常に自他を悲愍して救護するようにと結ん で「持明禁戒品」は終わっている。

2-3. まとめ

「六月念誦」は典拠を「持明禁戒品」ひとつとすることがいえる。

章品冒頭では金剛手から大日世尊に対して成就を求める請問がなされ、

それに応じて漢訳では明より生起した「戒」を説くこととなる。いっぽう でチベット訳は རིག་པའི་བ��ལ་ཞ�གས(明の禁戒)から生じたབ��ལ་ཞ�གས(禁戒)を 説くとする。

『大日経疏』における禁戒の説明はこれを沒栗多(vrata)であるとし、チ ベット語のབ��ལ་ཞ�གསもvrataの訳語である。

vrata には様々な語意があるが、要約すれば望みがかなうまで自らを律す るきまりやその実行あるいは宗教的儀礼といえる。

このような禁戒(vrata)の説明が「持明禁戒品」での主題となっている。

その内容は漢訳とチベット訳とに大きな違いはみられず、観想をし印を 結び節食をして念誦するといったことを六ヶ月間にわたり行う所作を説明 するものである。

六ヶ月という長い月日は節食の面からも現実的ではないが、注釈書や儀 軌などでは各月それぞれに壇と種字と自身とを相合させる観想行のような 解説とともに、この六つの月という期間については成就までの区切りであ り、「月」というのは便宜的な表現であるとする解釈がされている。

すべての月を通して説かれる所作は地水火風それぞれの観想である77。 後世の資料では空の観想も加えて五大に仕立てているが本経では第五月に 地と水、第六月には風火輪を観想するとする。また『大日経疏』と『広釈』

にも空輪観想の記述はみられない。

第一月から第四月までには使用する印相と食事の注意が明示される。

第五月では成仏が示唆され、以降は印相も食事も記述がなく、このこと から第一月から第四月までにおける修法と第五月第六月の修法の二部にわ けることも想定できる。

(15)

以上のように漢訳の「禁戒」とチベット訳の「བ��ལ་ཞ�གས」はともに原語は

vrataであり、それは厳密に戒律を意味することではない。vrataの様々にあ

る語意の中には、宗教的生活様式といったものもあり、さらにこの章品の 記述内容からも「持明禁戒品」が戒律について解説する章品であるとは確 定できない。

この章品の主題である「持明禁戒」とは六ヶ月に区切られ節食等の自己 を律する規定を伴いながら、観想行が前面に出された儀礼であることがい える。

3.「五字厳身観」と「六月念誦」の比較

「六月念誦」は簡略ではあっても本経において説明がみられ、また沒栗 多(vrata)という側面からもひとつの修法として認められる。いっぽう「五 字厳身観」は種字、特に五字を以て厳身をなすという行為自体は先行経典 にもみられる。また『大日経』訳出前後の儀軌にも説明がみられ、本経訳 出の時代にはすでにひとつの儀礼として形作られていたことが予想される。

しかし、ひとつの観法として『大日経』における明確な記述はみられない。

修法としての確立をみるのは本邦での展開の後である。

このようなふたつの修法の根本的な違いに注意してここでの比較考察を すすめていきたい。

3-1.「五字厳身観」と「六月念誦」の共通点

「五字厳身観」と「六月念誦」との共通点としてまずあげられるのが、

それぞれの後世の完成された次第では両修法とも a,va,ra,ha,kha あるいは a,vaM,raM,haM,khaMの五字を用いる点である。

『大日経』本経では「五字厳身観」「六月念誦」ともに五字の使用は指定 されていないが、「五字厳身観」は第七巻や『廣大軌』などの儀軌において 使用が指示されている。また先行経典でも「五字厳身観」につながる五字 が説かれている。「五字厳身観」では元々このような種字の活用が次第とし て組み込まれていたとも考えられる。いっぽうの「六月念誦」では『大日 経疏』をはじめとする本経以外の資料に到って初めて五字についての指摘 がみられる。とくに『對受記』ではa,vaM,raM,haM,khaMの五字を用いる伝

(16)

えも記載している。

また観想する対象である五大輪の色と形は、第一の金剛輪方形金色から 第四の風輪黒色半月形までが一致している。「五字厳身観」「六月念誦」と もに『大日経疏』においてすでに五大輪の色と形を指定する記述がみられ る78

3-2.「五字厳身観」と「六月念誦」の相違点

「五字厳身観」と「六月念誦」の大きな違いは両次第の構造を形作る素 地であるところの区分である。

「五字厳身観」は五字並びにその観想対象域である腰下、腹、胸、額、

頭の身体の各部分の五つに分けられている。

「六月念誦」は区分を六つに分けている。この区分は月という言い方を しているが、それは便宜的なもので、成就いかんで時月を待たずとも次の 修法を行えることが説かれる。つまり、段階的な成就による区分といえる。

なお観想対象域の相違についてだが、「五字厳身観」は身体の各部位に五 字を布置して、その状態から五大を介して大日如来との合一をはかるので ある。つまり自身がなぜ仏と同じであるかを突き詰めていく観法といえる。

たいして「六月念誦」は自身全体を五大の輪と観じて仏との合一をみて いる。注釈書では各月を五仏の三摩地にも配当しており79、行者自身への 直接的な瑜伽は「五相成身観」を連想させる。

観想対象の色と形も完全には一致せず、「五字厳身観」にみられる第五團 形は「六月念誦」では指定がない。『六月成就秘訣』では第五区分における 観想対象の形状も明記しているが、その形は、方形の上に球を乗せたあき らかに異なる形状を示している。

五大と五字との関連を「六月念誦」に見いだすことは難しい。本経では 五大のなかの空輪はその言及がなく、第四月までの地(金輪)、水、火、風 に続くのは第五月では地と水、第六月では火と風というようにここまでの 輪をまとめたものとなっており、正確には五大ではなく四大が説かれてい る。また五字については全くふれられていない。「六月念誦」における五字 の使用は『大日経疏』以降に記述がみられる。

いっぽう「五字厳身観」における五大と五字の理論的構造は、注釈書を 追っていくと本邦に流入してから明確に構築されたことが予想される。し

(17)

かし五大や五字を用いた修法の記述は本経訳出時には関連儀軌や先行経典 にすでにみられる。

さらに「六月念誦」には「五字厳身観」ではみられない調息や食に対す る規定も説かれる。そもそも「六月念誦」は観想行としての性格もあるが、

禁戒すなわちvrataとみなすこともできる。はたして観想行か宗教的生活規 範としてのvrataかは判断しがたいが、すくなくも「六月念誦」が「五字厳 身観」とは異なる独自性を有していることは指摘することができるだろう。

3-3. まとめ

「五字厳身観」と「六月念誦」はともに結果として大日如来であること の自覚を得ることを目的とするが、その経路はまるで異なるものといえる。

しかし、後世の資料では共通の五字の使用ということで「五字厳身観」と

「六月念誦」を同じ観法と見なそうとしていたように思われる。たとえば

『青龍軌』における「五字厳身観」の記載は秘密マンダラでの行と関連さ せた引用となっており、これは本経における「六月念誦」の説明が載る「持 明禁戒品」が秘密マンダラに関わる章品に続いていることを意識させる。

ただし「持明禁戒品」すなわち「六月念誦」が秘密マンダラにどこまで関 係しているかは疑問が残るところである。

「五字厳身観」と「六月念誦」では五字の使用や観想対象の形状で共通 するところもあるが、それを本経に確認することはできない。「六月念誦」

において五字の使用は『大日経疏』以降に指定される。また「五字厳身観」

の所作が明確に記載されるのは儀軌等から確認されはじめる。よって両修 法が五字を共通して使用した、あるいはどちらかが転用したという判断は 難しいだろう。また、観想対象の五大輪についても一致するのは第四区分 までであり、第五以降はむしろふたつの違いが際立っている。このように 二つの修法の五字と五大をめぐる扱いは明らかな相違が認められるのであ る。つまりここにあげた共通性をもってふたつの修法が同一体系に属する ことや異名同体であることを示すことはできないのである。

『大日経疏』も『秘蔵記』もふたつを同じとする明言するところは当然 みられない。『對受記』には第五月第六月での印相により「六月念誦」が所 説の修法とは大きく異なるとの言説もみられる。さらに最後に「これをみ だりに修するべからず」との文言80が、「六月念誦」と「五字厳身観」とが

(18)

別の修法であることを強調しているようにも思える。

【結語】

経典から導き出される「六月念誦」と「五字厳身観」の所作の相違点は、

観想対象域が「六月念誦」では行者の全身であり、「五字厳身観」では腰下、

腹、胸、額、頭の身体一部位とすること。また修法期間の違い、とくに「六 月念誦」ではその期間を六つに区分している点などがあげられる。

観想対象域については「六月念誦」において指定が無い。これは記述が 省略された可能性も考えられる。時月の指定は「五字厳身観」に無く、ひ とつの観法にいくら時間をかけてもかまわないことにもなる。また『大日 経疏』等では「六月念誦」の月というのは譬えであり成就を為せばそこで 区切りとする旨を示している。さらに六区分については第五月において「三 菩提と等同」との記載等から、第五月第六月を仏の境界としてひとくくり にまとめ実質五区分とみることもできるだろう。

一方、後世まとめられたところでは「五字厳身観」は第五番目の観想で 頂上を雑色團形の空輪として、印は「六月念誦」第三月で使用される大慧 刀印を配当している。五字の使用、観想する壇の色形など一部で共通点も みられ、「六月念誦」を「五字厳身観」と同質の観法と見なしていたように も考えられる。

ただしこれらの共通点はあくまで後世の著作によるものであり、本経で はむしろ相違点のほうが明確である。また理論構造における五大介在の有 無から、「五字厳身観」と「六月念誦」が基底理論において異質であること が認められる。

さらに「六月念誦」は観想行が前面に出ている儀礼であるいっぽう禁戒 (vrata)でもあり、自己を律する規定を伴うという点で「五字厳身観」との 違いは決定的といっていいだろう。

以上、「五字厳身観」と「六月念誦」は本来は観想対象域も違い、期間も 異なる。さらに具体的な所作の共通点を『大日経』本経では確認すること ができない。五字から五大をへて大日如来へと展開するという理論も「五 字厳身観」では本邦で確立したものと認められ、いっぽう「六月念誦」に おいては本経では五字の記述はなく五大にしても空輪が言及されないこと

(19)

から、このことを共通する理論とすることは困難である。

これらの相違点により、『大日経』においては「五字厳身観」と「六月念 誦」はまったく異なる修法であるとひとまず結論としたい。また『大日経』

において「五字厳身観」の系統とは異なる「六月念誦」という禁戒(vrata) を説く別の修法系統があるのでは、という新たな疑問を呈示し今後の研究 につなげたい。

(大正大学綜合仏教研究所研究生)

1 チベット訳は、デルゲ台北版(以下、D)[東北目録 No.494]を使用。和訳については[遠藤 祐純『蔵漢対照『大日経』と『広釈』』ノンブル社2011][栂尾祥雲『大日経の研究』臨川書店 1984]を参考に訳出した。漢訳は、大正新修大蔵経(以下、正蔵)第18巻 No.848を使用。書き 下しについては主に新国訳大蔵経を参照した。

2 大塚伸夫「『大日経』の曼荼羅行」『密教学研究』No.25, 1993

3『大毘盧遮那成佛經疏』以下『大日経疏』正蔵 No.1796, vol.39

4『大毘盧遮那経廣大儀軌』(善無畏訳)以下『廣広大軌』正蔵 No.851, vol.18, p.90-108

5『秘蔵記』(空海撰)弘法大師全集第二輯, p.11-12

6『大毘盧遮那成仏神変加持経蓮華胎蔵悲生曼荼羅廣大成就儀軌方便會』(法全撰841-6)以下『玄 法軌』正蔵 No.852, vol.18, p.108-143

7『大毘盧遮那成仏神変加持経蓮華胎蔵菩提幢幟普通真言蔵廣大成就瑜伽』(法全撰847-859)

以下『青龍軌』正蔵 No.853, vol.18, p.143-164

8『胎蔵界大法對受記』以下『對受記』(安然撰882)正蔵 No.2390, vol.75, p.54-115

9『胎蔵界入理鈔』(賴瑜撰1300)正蔵 No.2534, vol.79, p.145-173

10『胎蔵界念誦次第要集記』(杲宝撰)真言宗全書第25巻

11『大日経疏演奥鈔』(杲宝撰)正蔵 No.2216, vol.59, p.1-569

12 不空三蔵説・恵果和尚記、恵果和尚説・空海記など異説あり。

13 D, No.502, 181a2-247『Trisamayavyūharāja-nāma-tantra, དམ་ཚིག་གས�མ་བཀོད་པའི་�ལ་པོ་ཞེས་�་བའི་��ད』KRSNa PaNDit, Tshul-khrims rgyal-ba

14 D,No.496,1b1-156b7『Ārya-vajrapāṇyabhiṣeka-mahātantra, འཕགས་པ་ལག་ན་�ོ་�ེ་དབང་བ�ྐ�ར་བའི་��ད་ཆེན་པོ ZIlendrabhodhi, Ye-śes sde

15 酒井真典『大日経の成立に関する研究』図書刊行会1962

16『不空羂索神變眞言經』(菩提流志訳)正蔵 No.1092, vol.20, p.227-398

17 大山公淳「密教観法の研究」『密教研究』第七号,密教研究会編1922

18 正蔵 vol.18, 52b13-c12

19 以下は『青龍軌』による。

(20)

20 D,vol.31, No.2664, 116b1-132a5『MahAvairocanAbhisambodhisaMbodhapUjavidhiH,

�མ་པར་�ང་མཛད་ཆེན་པོ་མངོན་པར་�ང་ཆ�བ་པར་གཏོགས་པའི་མཆོད་པའི་ཆོ་ག』Dpal-bzaG rab-dgaH造, PadmAkaravarma, Rin-chen bzaṅ-po

21 D, vol.17, 205b4-5

22 正蔵 vol.18, 31a21-a23

23 D, vol.17, 205b6-7

24 正蔵 vol.18, 31a25-a28

25 正蔵 vol.18, 146a20-b29

26 正蔵 vol.18, 52b13-c2一部文言が変えられているが文意は同じである。

27 正蔵 vol.18, 36a21-b5

28 正蔵 vol.18, 47c25-48a2

29 正蔵 vol.18, 24a18『玄法軌』ではこの引用句がない。

30 正蔵 vol.18, 146a20-b4

31 正蔵 vol.18, 146b1-3

32 正蔵 vol.18, 146b5-11

33 正蔵 vol.18, 146b28-29

34 正蔵 No.906, vol.18ほかに異本が二種あり、ともに三種悉地について阿鑁覽欠の説明がな されている。特に『三種悉地破地獄転業障出三界秘密陀羅尼法(正蔵 No.905, vol.18)』は覚鑁 (1095-1143)の『五輪九字明秘密義釈』への引用がみられる。

35 正蔵 vol.18,913c10-27

36 三崎良周『台密の研究』,p.504, 4-p.505, 11 創文社1988

37 正蔵 vol.18, 912c23

38 正蔵 vol.18, 90c10-12

39 正蔵 vol.18, 91c15-92a27

40 正蔵 vol.18, 91c15

41 正蔵 vol.18, 20a5

42 正蔵 vol.18, 91c15-92a27

43 ただし『廣大軌』訳者が善無畏というのは仮託であるともされ注意が必要である。

44 弘法大師全集第二輯, p.11,4-9

45 弘法大師全集第二輯, p.11,9-p.12,3

46 弘法大師全集第二輯, p.12,5

47 弘法大師全集第二輯, p.12

48 正蔵 vol.75, 57c6-58a15

49 正蔵 vol.75, 58b20-25

50 『胎蔵界入理鈔』正蔵 vol.79, 149b17-c19,『胎蔵次第要集記』真言宗全書第25巻 p.91-94。

51 正蔵 vol.39, 753b9

52 D, vol.30, No.2663, 65a3-vol.31, 116a5『Rnam-par-snaṅ-mdsad mṅon-par-byaṅ-chub-paḥi rgyud chen-poḥi ḥgrel-bśad �མ་པར་�ང་མཛད་མངོན་པར་�ང་ཆ�བ་པའི་��ད་ཆེན་པོའི་འ�ེལ་བཤས་ལ་སོགས་པ་ལ་མི་བ�ྟོས་ད།』SaGs-rgyas gsoG-ba造, Gshon-nu dpal

(21)

53 D, vol.31, 80b4「གནས་ནི་གང་ད�་བ་�ི་བ་ལགས།།ཞེས་�ིས་པའི་ལན་ཏེ」

54 浄厳による解説書。風宣揚會遍、『大疏秘記集巻下』p.149-154以下『六月成就秘訣』。

55 生没年、経歴不明。起草されたとされるものも確認できず。

56『六月成就秘訣』p.149.5

57 同上

58 正蔵 vol.75, 106c-108b

59 正蔵 vol.75, 54a5

60 円仁(794-864)の門下とされるが、生没年等不明。

61 a字とva字を合成した字とさせる。

62 ra字とha字を合成した字とされる。

63 チベット訳では「རིག་�ྔགས་�ི་བ��ལ་ཞ�གས」〔明真言の禁戒〕D,vol.17, 216b3

64 正蔵 vol.39, 753b20-23

65 D, vol.31, 82b1「�་བ་��ག་ན་ད�ས་ལ་སོགས་པ་ལ་མི་བ�ྟོས

66 正蔵 vol.39, 751c12-19

67 乱脱あり。書き下しは『大日経疏』下, 真言宗豊山派宗務所編 p915を参照し、漢文もそれに よって修整した。なお原文は次の通り。「然戒。西方音有二。一者此是修行戒也。謂淨身故須 行之。尸羅。二者沒栗多尸羅。戒有二。謂本性戒及制戒也。性戒。謂淨諸根今沒栗多須成就。

故制之也別後服風等也。如律因事制也。今課中戒是禁戒。或云制戒。皆是沒栗多也。是長時所 持之戒。沒栗多是有時願之戒。」

68 遠藤祐純「禁戒(vrata,brtul-shugs) ―「大日経」「金剛頂経」を中心として―」智山学報19, 1971, p.48

69 尸羅ZIlaすなわち戒に対してはཚ�ལ་�ིམས་という訳語が用いられる。

70 D, vol.17, 216b5

71 正蔵 vol.18, 37b26-27

72 正蔵 vol.18, 37c4-6

73 D, vol.17, 216b7

74 D, vol.17, 217a6

75 正蔵 vol.18, 37c27-28

76 正蔵 vol.18, 38a2-15, D, vol.17, 217a7-217b4

77 地輪については漢訳とチベット訳で表記が異なり、漢訳では金剛。チベット訳では大自在 (དབང་ཆེན)となる。

78 正蔵 vol.39, 727c12-14「五字厳身観」,正蔵 vol.39, 753b9-c18「六月念誦」

79 浄厳の『六月成就秘訣』によると、第一月を東方宝幢仏、二月を西方無量寿仏、三月を南方 宝生仏、第四月を北方天鼓雷音仏と配す。第五月第六月はともに大日如来とするが、第五月は 修生の大日、第六月は本有の大日とする。

80 正蔵 vol.75, 108b27-28

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