複数の医療過誤の競合 : 福岡高裁平成一八年七月 一三日判決を契機として
著者 橋口 賢一
雑誌名 同志社法學
巻 60
号 7
ページ 505‑537
発行年 2009‑02‑28
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011647
複数の医療過誤の競合五〇五同志社法学 六〇巻七号
複数の医療過誤の競合 ―福岡高裁平成一八年七月一三日判決を契機として― 橋
口 賢 一
(三五二三)
目 次第1章 問題の所在第2章 福岡高裁平成一八年七月一三日判決
第
1節事実の概要
第
2節福岡高裁の判断
第
3節中村哲也教授の見解
第
責転送元・転送先の況章関係に関する議論状任3第 4医師の連繋という節点を考慮する必要性視
第
1節裁判例の動向
第
2節学説の動向
複数の医療過誤の競合五〇六同志社法学 六〇巻七号
第4章 私見の展開
第
1節医師の独立性・自律性の尊重
第
2節転送元の過失と転送先の過失
第
3節
﹁た判性同共連関し一介を﹂程過の連断
第
4節
語第結章5 ﹁因﹂原内実誘しいな因の
第1章 問題の所在 医師ないし医療機関は、技術や設備などの理由から医療水準にかなった検査・治療等をみずからが実施できないとき、 患者を適切な医療機関に転送して適切な治療を受けさせるべき義務(転送義務または転医義務)、および患者に対して転医を指示する義務(転医勧告義務)を負う。今日においては判例 (
・学説 1)(
な認は論異にとこるめを務義たしうこにもと 2)
く、実務上も定着している (
。 3)
実際、医療機関の間で患者の転送が多数行われているのは周知のとおりであるが、そこで発生している問題に近時注 目が集まりつつある。具体的にいうなら、患者の受け入れが度重なって拒否された挙句その患者が死亡するに至った事例 (
う至いて患者が死亡するにっ基た事例がそうである。こづにの為転送元の病院と転送先病や院のそれぞれの過失行、 4)
した問題については、今後その法的対応が議論されていくものと思われる。
そうしたなか、後者の事例に関して、転送元の医師に過失があったとしても転送してしまえばその過失は不問に付さ
れるとの原則論を展開する下級審判決(福岡高裁平成一八年七月一三日判決︹判タ一二二七号三〇三頁︺、以下、﹁福岡
(三五二四)
複数の医療過誤の競合五〇七同志社法学 六〇巻七号 高裁平成一八年判決﹂という)が現われ、注目される。この判決に関しては、順次競合という共通点に着目して、交通事故と医療過誤の競合した事例について判示した最高裁平成一三年三月一三日判決(民集五五巻二号三二八頁、以下、
﹁最高裁平成一三年判決﹂という)と対比させ、福岡高裁がこのような原則論を展開したことに批判的な議論が見受けられるところである。
しかしながら、福岡高裁平成一八年判決が、順次競合という点では共通するにもかかわらず、この最高裁平成一三年判決の枠組みを用いずに上述のような原則論を展開したのはなぜなのだろうか。中村教授はその理由を前医の後医に対
する﹁役割期待﹂にあると見ているものの、著者にはそれだけで十分とは思われない。なぜなら、本件における順次競合という現象が転送義務を介して生じていることからすれば、むしろ転送義務を基点とした検討が必要だと考えられる
からである。言い換えれば、学説において従来転送義務の枠内でなされてきた若干の指摘や関連する裁判例をも踏まえたうえで、福岡高裁平成一八年判決が上述のような原則論を展開した意図を明らかにすることが求められるのである。
このような検討は、転送を通じて連繋する転送元および転送先の責任の本格的な検討を可能とするものであり、ひいては転送元の医療機関と転送先の医療機関との関係という観点をも視野に入れた転送にまつわる法的議論を一歩進める契
機となるものではないかと思われる。
以上のような問題意識から、本稿では、まず上述の福岡高裁平成一八年判決を詳細に押さえ、この判決に関する学説を見る(第
2
・係に関する判例学任説を概観する(関責章転)。次に、従来の送的元と転送先の法第3
章)。その後、こ うした議論を踏まえて、私見を展開することとしたい(第4 (章 5)(
)。 6)
(三五二五)
複数の医療過誤の競合五〇八同志社法学 六〇巻七号
第2章 福岡高裁平成一八年七月一三日判決 本章では、転送元と転送先の法的責任をめぐって争われた、福岡高裁平成一八年判決およびこれに対する学説の反応
を見る。少々長くなるが、これらは転送に関する新たな法的問題を浮き彫りにしたという意味で重要なものと考えられるので、丹念に見ていくこととしたい。
第
1
節事実の概要
A
成市鹿山、日三二月五年二一平(、は)士防消、歳八四時当(、部ローズドレーンを留置して創をペ閉鎖する手術を受けた。その後ンの摘めたの防予染感し出
Y1
が開設するを市立病院)受診し、右部の異物を膝A
は、手術創の痛みを訴えて同病院に入院していたが、様態が急変したため、同病院の
、び療機関での精密検査およ加次療が必要であると診断し医高てっ、
B
ま師は、急性冠不全症医たは性心筋こうそくを疑急A
を日本赤十字社(Y2
)が開設する日赤病院に移送した。その際、
あ交、にもととるれさ付が年﹂書供提報情療診﹁前にしたでしな要必の療治がれ心さ摘指を縮収外期性室た載を点の記
A
群こ筋心性急はたま症候そ冠性急てしと状症うのく明られこ、れさなが説がるすとどなるれらえ考った旨が申し送られた。
A
縮るなどした後、冠れん性受狭心症と診断されたがけをはに、移送された日赤病院お査いて、緊急冠動脈造影検、その翌日意識を消失するなどした。同病院の
、うろことたしか動をドッベと
C
いよ師はこの時点で肺塞栓症の疑しあ動移めたの査検医てし断診とり、A
停たじ生を脈徐度高、止吸は呼、し失消を識意び再。C
医師らは心肺蘇生措置を講じる一方で、肺動脈の血管造影検査を実施したところ、肺動脈内に血栓を確認し、肺塞栓症との確定診断に至った。これ
(三五二六)
複数の医療過誤の競合五〇九同志社法学 六〇巻七号 を受けて、
、月施したが、同年六四等日午前六時二四分を
C
るドす始開を与投の)パルPグ(剤解溶栓血は師)Bとルともに、大動脈内バ医Aンバンピング法(IーA
の死亡が確認された。A
肺たっあで症栓塞はの因原亡死の接直。
A
の遺族であるX
ら(妻および子三名)は、り疑栓塞肺、ずわをにれこていおに症対医らよにれこ、ず取すを置処な切適る師当担院各の
A
は肺塞栓見を疑わせる所見が症にられのに、市立病院および日赤病たA
を死亡させたとして、Y
らに対し、不法行為に基づく損害賠償を請求した。原審(熊本地裁平成一六年一〇月二一日判決、未公刊)は、概ね
Y
らの主張を容れ、
X
塞の各担当医師が肺栓病症を疑わなかったこ院赤らをの主張に沿う鑑定排日し、市立病院およびとにつき過失は認められないとして、請求を棄却した。これを受けて、
X
らが控訴した。第
2
節福岡高裁の判断まず、
Y1
の過失について。﹁B
前でまろこ時九午医日一月六、が師にA
、往既の術手の近最状に症(見所⋮るかか、心電図検査結果、肥満度)を得ていたからといっても、
が点血肺性急、もで時塞のろこ月六年二栓栓成つ療治な切適ずかが症断診、はていおに一平無、えいはと﹁。﹂るあで理
A
肺塞栓症に罹患としているが診断することで期待するのはま行われない場合には死亡の確率が高いこと、他方で、適切な治療がなされれば死亡率が顕著に低下することが知られて
いたのであるから⋮、
肺っなばれけなわいとたあなで能可分十はれそ、らいあっ①、はてしと師医たも。﹂をい疑の症栓塞肺﹁りで必がとこ要
B
で肺もとくな少、記点時栓上、はてしと師塞医症いつ持をい疑のとかなにはでのるいてし患罹塞栓症罹患の有無について確定診断をするべく、心エコー検査や肺動脈造影又は肺換気・肺血流スキャンの各検査を実施するか、②上記確定診断ないし所要の治療を得るべく、しかるべき高次医療機関に患者を移送するかしなければなら
ないというべきである。そして、②の措置を講ずるに当たっては、高次医療機関をして①の諸検査に円滑にとりかから
(三五二七)
複数の医療過誤の競合五一〇同志社法学 六〇巻七号
しめ、もって、適時適切な診断・治療を可能にするために、少なくとも、肺塞栓症に罹患しているのではないかとの疑
いを持っていることを高次医療機関に対して申し送るべきである。﹂﹁以上によれば、⋮各所見を得た
少なくとも
B
医師としては、A
措上記⋮の①又は②の置ちをとるべきであった、持がい肺塞栓症に罹患してるをのではないかとの疑いものといわなければならない。しかしながら、
B
医師は、、とれこ、らがなこのの然当、らから措あなは師医同。いも置ずはる得りとをるでたっかながとこの
A
患いてし塞罹に症栓の肺るがではないとの疑いを全く持つかA
の症状や心電図所見から、﹃急性冠不全症﹄又は﹃急性心筋こうそく﹄を疑って、高次医療機関での精密検査及び加療が必要であると判断し、日赤病院に対し、
A
しまるのである。たとがって、その際、どにのー受入れとドクタカたーの出動を要請し日赤病院に対して、肺塞栓症の疑いに言及することもなかったのはいうまでもない⋮。﹂﹁そうであれば、
。ばといわなけれなあらない﹂としたるが義記過たし反違に務失意注
B
上、はに師医 次に、よをか医前は者患、に境れ後そ、は合場のそ、がいら医くなにれこ、てっあでのるにのとこる移に下理管護保なな少も
Y2
機いてけ受を療診で関医療るあ。﹁ていつに失過たの患移とこういとるれさ送にが関機療医の次高りよ、者り、前医は患者に対する責任から解放される。したがって、仮に、前医に誤診など何らかの過失があるとしても、原則として、後医への移送を機に前医の過失は不問に付され、患者に対して責任を負うのはもっぱら後医であるということ
になる。﹂﹁もっとも、患者が後医に移送された後も、前医の過失がなお影響を及ぼしているという場合もないわけではない。例えば、(ア)前医の過失のために、既に手遅れとなり、後医としてはもはや手の施しようがない場合などは、
もっぱら前医の過失のみが問われることになるのは当然である。また、(イ)前医の過失が後医の過失の原因ないし誘因となっている場合には、双方の過失がともに問われることになるものというべきである。﹂そして本件は、(ア)に当
たらないことは﹁明白﹂であるが、(イ)については﹁微妙﹂である。﹁もちろん、後医としては、前医の診断とは別に、
(三五二八)
複数の医療過誤の競合五一一同志社法学 六〇巻七号 自主的に診断をすべきは当然であって、
C
医師としても、る下断内容や前医のにるあった間におけ診
A
りす現在の病状を自ら把握る、ことはもとよけおにの前医A
、に報情たれさ集収ていおに医前等の各病状の変化、種往検査結果、既ついても、できる限り客観的に(場合によっては批判的に)分析・検討した上で、
、うければならなかったといべしきである﹂。﹁しかしながらな施措しに切適時適を置実た
A
病態、を特定しのかつ、それ対応にA
の場合には、⋮ことは急を要する。そうであれば、
送がつか、りあで欠可不と最こるけ受をり送し申、も約本し申記上るけおに件、効てしそ。るあで的率の要報情療診の
C
っ各たれさ集収て医よにの前ていおに師種医診っるよに医前、はてた療当にるす得獲を情報り⋮のうち、最も重要な意義を有するのが、急性冠症候群又は急性心筋こうそくの疑いがあるとの
、こような情報も得られなかったとす、加えて、日赤病院に移送後る齬他要あることは齟言をし果ないところ、これとで
B
結断診るよに師医 改めて実施された心電図検査の結果が移送前と同様であったばかりか、エ ママルゴニビン負荷テストを実施したところた時また、それと同にれ胸部不快感を訴え、ら見めん縮性狭心症にら冠れるれん縮が認れ
A
にA
に対してニトロールを冠動脈内に投与したところ、同症状も上記れん縮の所見もともに消失したというのであるから、
C
医師が亡、﹂。﹁とはいえ、肺塞栓症は適あ切な治療が行われないと、死るが断と狭心症と診面したい縮うのも無理からぬ側性
A
んれ冠ていつに率は三〇%前後と高率となるとも指摘されるなど、可及的速やかな治療開始が大原則とされているのであるから⋮、医
師としては肺塞栓症と考えて矛盾しない症状が見られるときには、その可能性をまず疑ってみることが肝要である。そして、
C
医師としては、B
、されたものの市提立病院におけ供を医的師から⋮客観に果は誤った診断結るA
の症状や心電図検査の結果には肺塞栓症と矛盾するものはなく、むしろ、症状の発現に先立ち本件手術を受けていること、肥満体であることなど、肺塞栓症の誘因となり得るような要素も備わっているという類の情報も把握していたのであるから、
B
わ見るべきであったといなっければならない。﹂﹁以上て疑医か師の上記診断結果にもかをわらず、やはり肺塞栓症に(三五二九)
複数の医療過誤の競合五一二同志社法学 六〇巻七号
よれば、市立病院における経過に関する情報に接し、かつ、日赤病院において得られた上記心電図結果や、同病院にお
いて再発した
A
の上記症状を見た、しすうそ、つか、たきっあで能可がとべでつなにるかし﹁。﹂い得あをるざわいとたっこ持をい
C
午日一月六、もくと遅、はてしと師後医一て疑の症栓塞肺、い時おに点時のろこ〇C
医師は、上記B
医師の診断結果を認識した後、もっぱらその疑いを念頭に置いて冠動脈造影検査、エルゴノビン負荷テストを施行したものであり、また、胸痛が持続する場合にはニトロペンを舌下投与すべき旨を指示しただけで、肺塞栓症を鑑別対象に入れ
ることは六月二日朝に至るまでなかったというのであるから、この点につき、
。がたしと﹂るあできべういとるあ
C
医意師には上記注義過務に違反した失 さらに、因果関係の存否につき、、ば可は命救に分十、れでれら得が果結断診能あとるばれあでうそ﹁﹂。きっでがとこういとたの症塞肺、し施実に栓
A
〇時のろこ時一一後午日で月六、点は、﹁しらさを査検たに肺象対別鑑を栓塞症C
医師の過失と
A
れしかし﹁。﹂るあで実確はとこるらの相死亡との間に当め因果関係が認、C
医師の過失の存在により、B
医師の過失とA
切いならなはにとこるれさ断にのち直が係関果因の間のと亡死。C
医師による診療は、前医であるB
医師から引き継ぎを要請された後医としてなされたものであり、しかも、
B
医師は、過失により、がをれ、そとこたいてし供提報情たっ誤
C
医はに的観客に師C
。いからである⋮きそうであればなで医因師の過失の誘と定なったことは否、B
医師の過失が、C
すさせたものと評価べ惹きであり、ひいては起を医が師をして同医師自身負反っていた注意義務違、B
医師の過失とA
め院病立市。﹂﹁るなととこきべる認のを係関果因当相もに間のと亡死のB
医師と日赤病院のC
医師は、互いに一方が他方のした医療行為そのものに共同して従事したわけではないけれども、
B
医師とて請し対に医後ていづ基に要の医
C
医前、は失過各の師A
るしたものであ上存、各過失のいず在てのれ診療が引き継がたい一連の過程におれについても
A
認ばれすらかとこるれらめがの係関果因当相の間のと亡死、Y
し、てし帯連、てとら者為行法不同共は上(三五三〇)
複数の医療過誤の競合五一三同志社法学 六〇巻七号 記各不法行為に基づく損害賠償義務を負担するものというべきである。もっとも、後医に対して患者を移送した前医は移送を契機に患者に対する責任から解放されるのが原則であるにもかかわらず⋮、本件においては前医である
B
医師の過失が後医である
C
たな、てしとるあで因誘し医起惹を反違務義意注の師お、る⋮らかるあでの
A
因相死亡との間の当果れさ定肯の係関をB
医師の責任はC
いるきでがとこういえさとき医大てっえかもりよれその師﹂。そして最終的に、﹁結果に寄与した
四といなた経も日一、こちたっあで当相は体うに送考を額害損、てし慮を容)とこたし変急が態自移へ院病赤日、情の
A
者側)者患(い害被はし諸な因素のの事い事な難困のてつ情にるす断診確﹂(定 割減額し、請求を一部認容した (。 7)
第
3
節中村哲也教授の見解福岡高裁平成一八年判決に関しては、高裁レヴェルの判決ということもあってか、評釈は中村哲也教授によるものし か見当たらない(二〇〇八年九月末現在 (
故し示判ていつに例に着目、た交通事事と医療過誤のし最合けるいてし開展を論議てつ高きひに決判年三一成平裁競 ( )。件医後・医前の本責、は授教村中の任﹂合点通共ういと競関次順、﹁きつに係 8)
。 9)
⑴ 前医の過失行為と因果関係中断論
中村教授は、福岡高裁平成一八年判決の上述のような結論じたいには賛同しながらも、原則として示された準則につ
き、それを凌駕的因果関係準則の変種と見たうえで、疑問を持つという。凌駕的因果関係とは、﹁相互に完全に独立していて先後関係にある二つの行為のそれぞれと結果との因果関係の判断に関する準則﹂をいうが、本判決は、﹁後医が
医療水準にかなった行為をしていれば結果が発生しないという意味で、前医の行為と結果との因果関係はなくなり、逆
(三五三一)
複数の医療過誤の競合五一四同志社法学 六〇巻七号
に、前医が医療水準にかなった行為をしていれば、後医による治療行為は不必要になるか或いは過失行為の可能性は低
下するというような条件関係﹂を有する事例であった。にもかかわらず、このような条件関係を踏まえることなく、﹁凌駕的因果関係と同じように直接的な原因のみが責任を根拠づけるという原則﹂を採用した本判決は、適切でないという。
なぜなら、交通事故と医療過誤の順次競合においては、﹁交通事故が直接の原因となった傷害については、医療水準に即した治療があれば完治すべきものが過誤によって完治しなかったという理由で、(重過失例は別として)交通事故加
害者を免責した裁判例・学説﹂も見当たらず、それどころか、﹁拡大損害を交通事故加害者に帰責させる裁判例があり(否定するものもあるが)、学説においても内容は様々ではあるが帰責可能性を説くものが多い﹂からである。このような
原則を採用するには、﹁先行行為が医療行為である場合に交通事故が先行行為である場合とは異なる準則を要請する理由﹂が必要であるにもかかわらず、それは示されていない。ここで中村教授は、この理由を﹁前医の後医に対する﹃役
割期待﹄﹂にあったと指摘する。しかし、﹁医療に対する﹃役割期待﹄﹂は、交通事故加害者においての方がむしろ大きいという。そして、﹁後医の施設がより整っている故に転送先となったというような事情は内部求償においては意味を
持ちうるとしても、対被害者との関係で前医の免責を原則とする準則の根拠にはならない﹂とする。
結局のところ、﹁本判決のいうような原則をおいたうえでその例外則を適用するという手法をとるまでもなく、先行
行為と後行行為が上記のような条件関係にあるものの間では、凌駕的関係の準則は妥当しないとすることで十分であったと思われる﹂とする。
⑵ 福岡高裁平成一八年判決の共同不法行為構成
続いて中村教授は、本件のような競合を交通事故と医療過誤の順次競合と別異に扱う必要はないとし、本判決のいう
(三五三二)
複数の医療過誤の競合五一五同志社法学 六〇巻七号 ﹁共同不法行為﹂は競合的不法行為をも含めた使用法であって、民法七〇九条によるそれぞれの責任が並存(不真正連帯)すると考えるべきだという。すなわち、本判決における﹁一連の過程﹂は、最高裁平成一三年判決の﹁不可分の一
個の結果﹂とは異なる。本件においては、﹁最判平一三と比較すると、
Y1
・ のを同共﹁たし介念法概たしうそ、不行﹂論るけ付由理を結為の件本は成構がい一程が﹃易連の過﹄行にあると言い為Y2
こに引継ぎがある間とによって、二つのに必要なものとはいえない﹂とする。
さらに、本判決が﹁各過失のいずれもが
X
らてげあをとこういとるれめの認が係関果因当相と亡死、﹃Y
らは共同不法行為者として、連帯して、各不法行為に基づく損害賠償義務を負担する﹄とした﹂ことに関して、このような構成は﹁最判平一三にもみられる。最判平一三の法的構成は、結果の不可分+それぞれの行為の相当因果関係↓共同不法行為
↓全部連帯責任となっていた。しかし、競合行為者はそれぞれの行為の責任の範囲に応じた全部或いは部分的連帯責任を負うのであるから⋮、最判平一三でも結論は競合的行為の責任の並存が肯定されたことと変わらない。同じことは本
判決の共同不法行為構成についてもいえる。ここでも﹃一連の過程﹄としたことは実質的な意味を持たず、七〇九条によるそれぞれの行為の﹃相当因果関係﹄に基づく責任の並存が肯定されたことと変わりない﹂という。
第
4
節医師の連繋という視点を考慮する必要性中村教授は、福岡高裁平成一八年判決が、前医の後医に対する﹁役割期待﹂を考慮して、前医の過失が後医への移送
を機に不問に付されるとの原則を採用したことを批判し、最高裁平成一三年判決で問題となったような交通事故と医療過誤の競合事例と、本件で問題となったような複数の医療過誤の競合事例とは、その扱いを異にする必要はないと指摘
する。また中村教授は、因果関係判断に用いられた﹁一連の過程﹂という概念も本件の結論を理由付けるに当たって必
(三五三三)
複数の医療過誤の競合五一六同志社法学 六〇巻七号
要はなく、競合的不法行為を認めることで足りたとする。
このような中村教授の指摘によれば、複数の医療過誤の競合事例 000000000000という事案の特徴は法的にあまり意味を持たないことになりそうである。しかし、福岡高裁平成一八年判決は、順次競合の事案ではあるものの、高次医療機関に対して現
実に転送がおこなわれたという事実を踏まえて、﹁一連の過程﹂という概念を用いた因果関係の判断をしているのであり、このことに鑑みれば、そこで問題となっている過失の具体的内容をも見ながら、前医と後医の連繋という観点が法
的にどのような意味を有するかという検討も必要なのではなかろうか。検討次第では、中村教授のいう﹁役割期待﹂の持つ意味合いも、交通事故と医療過誤の競合事例とでは変わってきうるのである。
以上からすれば、転送元・転送先の医療機関が責任法上どのように扱われるべきかという問題について最終判断を下すのは、ひとまず転送義務の議論の枠内で従来なされてきた指摘や関連する裁判例を見てからでも遅くはないであろ
う。
第3章 転送元・転送先の責任関係に関する議論状況 福岡高裁平成一八年判決が現われるまでにも、転送元と転送先の責任関係を検討するうえで参考になりそうな裁判例や学説は存在した。
第1節 裁判例の動向
ここでは四件の裁判例を取り上げ、それぞれについて簡単なコメントを付することとしたい。これら全てはいうまで
(三五三四)
複数の医療過誤の競合五一七同志社法学 六〇巻七号 もなく、最高裁平成一三年判決以前のものである。
【
1
】長崎地裁佐世保支部昭和四八年三月二六日判決(判時七一八号九一頁)
X
は、肺結核の治療のためY1
病院に入院してY2
医師により診療を受けた後、Y2
の紹介によりY3
の診療所に通院して治療を受け全快したが、両病院で服用したストマイの副作用により聴力障害を来し、極度の難聴に陥ったという事案において、
Y
っを完全に履行しなかた債﹂としてその過失を認務きらのが﹁できる限り副作用少べない抗生物質を選択すめたうえで、﹁
X
の本件難聴は、⋮生み発が果結てっよにのし為行の人各はていお生な為為発が果結てし合と行いの他もていおに合場に行不同共るす定法
Y
投っよに体全与スイマト生の連一のてらじ民規に条九一七法、﹁たしとるあでのも﹂し、かつ当該行為がなければ結果が発生しなかったであろうという関係があれば各人の行為と結果との間に因果関係があると解すべきで、しかも共同不法行為の被害者において、加害者側の行為に客観的な関連共同性があり、右共同行為
によって結果が発生したことを立証すれば、右の加害者各人の行為と結果との間の因果関係が法律上推定され、加害者において各人の行為と結果の発生との間に因果関係が存在しないことを立証しない限り責を免れないと解する﹂とし
て、
Y
責たし容認を任為ら行法不同共の。【コメント】本件は、副作用の強いストマイを投与した過失が、前医および前医の紹介を受けた後医に対して認められた事案である。本件難聴が﹁一連のストマイ投与全体﹂によって生じたとし、前医の過失行為と後医の過失行為との間
に客観的関連共同性が認められていることは注目される。この判決については、國井和郎教授が本件の理由付けを一歩押し進め、﹁
Y2
え連共同性を認定した的﹂と指摘している関観のあ紹介による転院でる主ことに着目して、 (。他方で、 10)
結論に賛同しつつも、転送という事例の性質に即した過失判断を指向すべきであったとする見解が見られる。すなわち、
(三五三五)
複数の医療過誤の競合五一八同志社法学 六〇巻七号
塩崎勤教授は、﹁後医を紹介した前医には、自ら行った診断・治療内容⋮等の情報を後医に提供すべき義務とその懈怠
による過失を、後医には、前医の行った診断・治療内容等の情報を引継ぎ・確認すべき義務とその懈怠による過失を認めることが可能であるから、前医と後医の責任を肯認した本判決の判断は、結論として妥当である﹂という (
。 11)
【
2
】札幌地裁昭和五三年九月二九日判決(判時九一四号八五頁、判タ三六八号一三二頁)精神病患者
X
は、精神科医Y1
の診療を受けていた。Y1
は、 医たくまた経験技能が十分でないめもに、日頃協力関係にある脳外科な設はで院病の施X
ボーミトにロは適療治がの切であと判断したが、自己るY2
にロボトミー実施を依頼した。
Y2
がロボトミーを実施したところ、X
いは術手件本、﹁ていおに案事うとがたっ被を症遺後の群状葉頭前、あ法を逸脱したものとして違た範ることを免れないもので囲のの採状に対する治療手段量用記につき医師としての裁症
X
前のり、
Y
のーミトボロはで下情ら事右、てしと師医はをは過いとたっあが失にべ点たし行施を術うき件協ていおに係関力ので間医門専﹁。﹂るあ手本とにれた⋮約制反して漫然
X
でのいなは対きべす為しロににボトミーを用るにつき定めらい一般的抽象的には互いにその診療行為につき信頼を寄せ、これに基づき行動することが必要であるけれども、他の専門医の具体的診療経過につき明らかに相当性を欠いている場合には、自己の診療行為の追行につき更に自らその適否を確
認すべき注意義務を負担する﹂。﹁しかるに
Y2
はY1
から れロを施実ーミトボ然受漫、ずさら廻を引け考侵こ、性大重の襲のたーミトボロはとこ慮な重不診断過の程備につき慎X
ーとだ当相つミトボロきてしにその施行の依を受けた際、右頼をめぐる精神医学界における深刻な議論を考えるとき、余りに安易であって、
、任てしと﹂いなれ免は
Y2
怠意おいてその注義っ務を責失過にたY
らにおいてX
きたしとるあが務義べがす償賠を害損たっ蒙。【コメント】本件は、高次医療機関への転送ではなく、専門医間での転送の事案である。学説においては、両医の責任
(三五三六)
複数の医療過誤の競合五一九同志社法学 六〇巻七号 関係をめぐって様々な指摘がなされている。たとえば、稲垣喬弁護士は、本判決につき、両医につき﹁診断・治療上の独自な地位を肯定したうえで、他医
Y1
ま白な誤り、つりの、明らかに相明ての―
判断の不適正本い件手術適応につ当性の欠如することが予見できる場合に絞って、後医
、定し
Y2
診否よる設を務義きべす認確を適療のにら自、きつに行施の等そY2
について、Y1
場制禦者としての立をい強調している点がしなに従対する無批判な追で者なく、最終的な判断注 目され、かつ、両者の立場の認識のうえに、十分調和のとれた解決を計ったもの﹂であるという (権う同不法行為が肯定されるとい。らすなわち、﹁本件は﹃各自当該共かに両は、本件﹂いてはお医的の同共性観主﹁ 。授教明達田前、たま 12)
利侵害以外の目的を目指してそのために他人の行為を利用し、他方、自己の行為が他人に利用されるのを認容する意思がある場合﹄で、﹃過失ある共同不法行為﹄として民法七一九条に該当する (
判新本、は授教文育美、で方他。るすと﹂ 13)
決は民法七〇九条に基づく責任が各自に認められたに過ぎないとする。すなわち、
Y2
の義務が﹁、﹁すばれすとだ﹂務義るクッェ
Y1
のチに的働受を断判Y2
の責任を単純にY1
たしと﹂るじ感をいらめにのとこう扱に様同⋮と任責、﹁Y2
の損害関与の態様からして、
Y1
に主位的な責任、Y2
のてしそ。るすと当妥がるにめ認を﹂任責な的足補、﹁、こばらなるれ入に慮考をとるあで体主の施
Y2
が実ーミトボロY2
的やや、はとこるせさ映反でまに外の対、てえ捉に的任責証保を任責適切さを欠く﹂ことから、﹁
Y2
責でえうたえ捉と任条の九〇七法民を任責、Y1 Y2
負まロゼが分部担はので係関部内の間たはそれに等しい不真正連帯債務を
X
るすと﹂当妥がのえに考とう負てし対 (る 14)(
。 15)
【
3
】東京地裁平成五年六月一四日判決(判時一四九八号八九頁)腹痛を訴えて
B
病院にて入院治療を受けていたA
症の術手、めたたれらめ認が状のが等ゼーノアチ、直硬の肢四、設備の整った
Y
おたという事案にい亡て、転送を受けし死病の院に転院したもので、急性出血性膵炎たY
病院のC
医師が(三五三七)
複数の医療過誤の競合五二〇同志社法学 六〇巻七号
初診時において重症急性膵炎と疑診することなく、急性腹症等と診断した点に過失を認めたうえで、
B
病院は急性膵炎を全く疑っておらずその責任は重大であることから自己に過失があるとしても
の相と当
A
すす亡に対がのるとる割死は力因起三Y
の主張に対して、﹁たとえB
償、もてしとるあが任責賠病害損りあが失過もに院⋮B
病院とY
は民法七一九条に基づく共同不法行為責任を負い、
B
病院と。る害賠償債務が割合的に分割されも各のと解すべきではない﹂とした損、てっ
Y
は帯連正真不債務償賠害損各債の務して並存すると解されるのであと【コメント】本件は、福岡高裁平成一八年判決に類似した事案であるが、被告となっているのは後医のみであり、引用した箇所は傍論にすぎない。しかしながら、
B
病院およびC
す岡福、てえま踏を失過る関医に点たっかなし診疑の師高裁のような原則論を展開することなく、共同不法行為責任を負うことを当然の前提としていることには注目される。
【
4
】大阪高裁平成八年九月一〇日判決(判タ九三七号二二〇頁)生後六个月の男児
X
と業開の科児小・科内てえ訴るがいてい泣てし落転らかドッベ医Y
を訪れたところ、異常所見がなかったことから
Y
は、、が異常に外側に開いており右左後頭部が腫れていたことから足
X
く再にきとたけ受を診、、がたせさ宅帰旦一は顔、あ意識もなを状態でり面、荒も吸呼で白蒼いY
急べう行を術手頭開に緊は、い疑を血出内蓋頭きであると考え、脳外科治療ができる
B
病院に転送した。しかしながら、医め科外脳の院病同、に
Y
性の緊急な開頭手術可を能たたっかがえ伝なC
案遺症を残した事にるおいて、﹁本件は後よがし治療の時期を失、に患者に硬膜外血腫、Y
の専門領域外の脳外科へ転院させる場合であり、開頭手術等の脳外科的治療が必要かどうかは精密検査を行ったうえでの脳外科専門医の判断によって決定されることになるので、
Y
において、B
必断のとるあで要が病術手頭開し対に院定的判断までを伝える義務はないものの、当時は土曜日の午後という時間帯であって、二四時間体制の救急病院であり、
(三五三八)
複数の医療過誤の競合五二一同志社法学 六〇巻七号 かつ脳外科を主たる標榜科目としている病院であっても、常に緊急に開頭手術等の脳外科的治療を行える態勢がとられているとは限らないから、
B
病院に対しX
こ急患者であるとい⋮を確実に告救高が術緊急の開頭手をが要する可能性知し、その準備態勢についても重々の依頼をするなどの義務があった﹂として、
Y
たため認を失過しの反違に務義右。【コメント】本件は、一審の判断を覆し、転送元の説明義務違反を認めたものである。転送元の説明義務については、
従来から学説においてもその重要性が指摘されてきたところであるが (
患任いとるれ免が責も療医のてべす、うのれ関てっなと体一が機で療医両、くなはばすの行医元医療機関は、転医を実 、もて教いつに件とた授えば、森脇正、は、﹁転本 16)
者の治療に従事するとの観点(共同診療)に立てば、転医元の診療情報、特に緊急かつ重大な診療情報は、それらが転医先が医療行為をするうえで有用であると判断されれば、それらのことを積極的に説明すべき義務が発生すると考える
べき﹂として、その結論を支持している (
。 17)
第
2
節学説の動向学説においては、転送義務の議論のなかで転送元と転送先の責任関係に関する言及が見られる。
原則として、前医と後医との責任関係につき、共同不法行為とは捉えないとする見解が多い。たとえば、朝見行弘教
授は、﹁同一医療機関内において担当医の交代が生じた場合﹂と﹁転院が行われた場合﹂とはそれほど異なるものではなく、﹁転院の場合においても、原則として、前医が後医の医療行為によって生じた医療過誤の責任を負うことはなく、
また後医が前医の医療行為によって生じた医療過誤の責任を負うこともない﹂としている (
るのれぞれ異な行医師独﹁自の判断と責任におそがて﹂るあが慮配のへとこる為れわ提には、医療行い ( 前の摘指たしうこ、てしそ。 18)
。 19)
とはいえ、例外的に両者の共同不法行為責任が問われうる場合もあるとされている。具体的には、﹁転院にあたって、
(三五三九)
複数の医療過誤の競合五二二同志社法学 六〇巻七号
症状等からして、前医において治療中の患者の症状や治療内容についての後医に対する情報提供義務がとくに認められ
るケースとか、転院の申し送り事項等で記載された症状が不十分であったり、または、誤っていた場合﹂や﹁後医の問診が不十分であった場合など問診義務違反があった場合 (
の前院病両の前従、もてしと提を立独の関機療医﹁てしそ﹂、 20)
関係と状況上、患者に対する診療の延長として、前機関の依頼により共診しているとみられる場合 (
﹂が挙げられている。 21)
また、稲垣弁護士は、転送がなされる場合の具体的状況を踏まえて、共同不法行為責任が認められる場合の注意点を
挙げている。すなわち、﹁転送は、自らの診療に代わる他の医療機関による診療の開始を予定するものであるから、その医療機関において患者を長期的に抱えることなく、患者の状況によっては他の医療機関へ早い機会に転送すべきであ
り⋮、このことが医療機関の特性と格差を前提として最善の医療をなすべき医療機関の義務﹂であるとし (
おの転送されることが多く、そ状に況によっては後の医療機関にも合悪又﹁患者の病状が場し化はれるあ悪が虞るす化 、、け受をれこ 22)
いて最早処置の限界であることも問題﹂であり、﹁この間の発生結果に対する責任については、このような患者の転送時の病状、医療機関間の連絡の充分性などを考慮し、転医を求める側のいわゆる抱え責任と、新たな医療機関でのその
病状を所与とする診療の限界ないし相当性の程度によって相関的に決せられるべき﹂であり、その結果、﹁両者に医療水準違反による責任が肯定される場合には、民法七一九条の連帯債務性﹂が問題になるという (
。 23)
第4章 私見の展開 福岡高裁平成一八年判決が、﹁仮に、前医に誤診など何らかの過失があるとしても、原則として、後医への移送を機
に前医の過失は不問に付され、患者に対して責任を負うのはもっぱら後医であるということになる﹂との原則論を展開
(三五四〇)
複数の医療過誤の競合五二三同志社法学 六〇巻七号 した意図はどこにあったのだろうか。そしてその意図はどのように評価すべきであろうか。以下、順を追って検討を加えることとしたい。
第
1
節医師の独立性・自律性の尊重従来の学説においては、原則として、前医が後医の医療過誤の責任を負うことはなく、また後医が前医の医療過誤の責任を負うこともないと指摘されてきた。こうした学説の指摘の背景には、前医・後医の独立性や自律性への配慮があ
った。前医と後医とがともに独立した法主体であり、たとえ転送という事実があったとしても患者に対する診療はなお別個におこなわれる以上、こうした考慮がなされるのは理解できよう。一見すると、福岡高裁平成一八年判決で示され
た原則論は、こうした従来の学説の指摘と似ているように思われる。しかし、従来の学説は前医の過失が不問に付されるとまでは指摘していないのであって、各自の過失行為については各自が責任を負うべきとの当然の指摘をしたにすぎ
ないと考えるべきである。とすれば、福岡高裁は、従来の学説よりも一歩踏み込んだ言及をしたものと理解できる。
福岡高裁の原則論において、後医の負う責任は、前医の医療過誤までをも含めたものと想定されている。このような
従来の学説における指摘よりも幅広い責任領域を後医に想定するということは、逆にいえば、その拡大された責任領域
に対応するだけ、後医に対する独立性や自律性を福岡高裁は認めているということになる。このことは福岡高裁の示した例外を見ればより明らかとなる。
まず(ア)の﹁既に手遅れ﹂の場合とは、もはや患者の救命可能性がない場合、つまり後医の結果回避可能性がない状態をいうと考えられる。ここにおいて後医への責任を担保するところの独立性・自律性はほとんど観念することがで
きない(中村教授は﹁順次競合でない﹂とまでいう)。次に(イ)の﹁前医の過失が後医の過失の原因ないし誘因とな
(三五四一)
複数の医療過誤の競合五二四同志社法学 六〇巻七号
っている場合﹂についていえば、そこでは結果への﹁原因ないし誘因﹂が語られているのであり(﹁原因ないし誘因﹂
の内実については第
・。こしいな渉干なうよのる障きでがとこるえ考とは害い対性立独の医後てし応にがれ、そそこらかるす存うをこの面と
4
の性立自・性立独は医後のれこ)、るじ論でへ節一害場るいてし成形を障定はしいな渉干の上以自律性への配慮が揺らぎ、前医への責任の契機が生じてくることになるわけである。
こうした医師の独立性・自律性を考慮した﹁原則
―
例外﹂という手法の採用の裏づけには、転送先が高次医療機関 であり転送元よりも高度な医療水準が要求されることとなる以上、転送先の医療機関が自己に要求される医療水準にかなった診察をしさえすれば、通常前医による誤診が見過ごされるはずはなく (ととだずはたっかなもこるす亡死が者患、 24)
いう想定があるのは想像に難くない。しかし、最高裁平成一三年判決においても同趣旨の判示がなされているものの (
すいる可能性につてには何ら言及されな問い事いそこでは交通故不加害者の責任をて ( 、 25)
村現中、きつに象転逆たしうこ。 26)
教授は前医の後医に対する﹁役割期待﹂をその理由として指摘していたが、この﹁役割期待﹂が﹁医療水準ないしそれへの違反の程度﹂という意味で用いられているとすれば (
の因もるな重と断判の無有の﹂誘しいな因原﹁にさまはれそ、 27)
にすぎないのであって、なぜ複数の医療過誤の競合事例の場合に後医の独立性・自律性への配慮の要請が強く働くことになるのかが明らかになるわけではない。
これを明らかにするためには、前章で概観した裁判例・学説を手がかりにして、本件の事案の特徴を押さえていくしかないと思われる (
うれ失が問われ、それぞのな過失の関係がどのよ過うによこでまずは、本件お。いて具体的にどのそ 28)
に捉えられているのかという検討をすることとしたい。なぜなら、福岡高裁においては、他の競合事例(たとえば、交通事故と医療過誤の競合事例)とは異なった特有の過失判断がなされているからである。
(三五四二)
複数の医療過誤の競合五二五同志社法学 六〇巻七号 第
2
節転送元の過失と転送先の過失ここでまず押さえておきたいのが、従来の裁判例・学説における過失の判断枠組みである。たとえば、︻
、︻べた過失の認定を指向すき介旨の学説の指摘が見られしを義務、転送元の通知務おてよび転送先の確認義は
1
いおに︼2
︼においても、転送元の情報提供義務と転送先の確認義務をもって過失判断がなされていた。また、学説においても転送元および転送先の﹁情報提供義務﹂や﹁医療機関間の連絡の充分性﹂を考慮すべきとされていたのである。
このように従来は、情報提供を介した前医および後医の義務に着目して転送元と転送先の責任が判断されてきたといえる。そして福岡高裁においても、前医に対して、﹁肺塞栓症に罹患しているのではないかとの疑いを持っていること
を⋮申し送るべき﹂とされ、後医に対して、﹁前医において収集された情報についても、出来る限り客観的に(場合によっては批判的に)分析・検討﹂すべきとされていることから、従来の裁判例・学説の流れに沿ったものといえるだろ
う。したがって、福岡高裁の事例を検討するに当たっては、従来の分析枠組みが大いに参考になる。
ただ、福岡高裁は、後医の過失判断において、上述のような﹁分析・検討﹂にとどまらず、さらにもう一つの要因(﹁病
状を自ら把握すること﹂)について言及している。そして、このような二つの要因が相俟って、この判決をわかりにくいものにしている。すなわち、
⒜
れく依拠して﹁冠ん大縮性狭心症と診きに前(医による申送りと)りわけ診断結果断したことにつき無理からぬ側面﹂があるといいつつ、
そ栓る見てっ疑を症塞き肺おな、ずらわべでかでおはれこ。るあのあるいてれさとたっかもにっ観的に誤はた診断結果
⒝
率にさ高の塞亡死の症栓み鑑肺、前医によっ申し送られた客てらく、
てなしそ、を)とこるいてっ
⒜
害損に対する﹁誘因﹂にと過為行失過の医前てっよ失のと(の間の相当因果関係ひ医いては前にの過失が後医⒝
め関係を認めるたに因、このような判果当に失よって後医の過行相為と損害との間の断がなされたのであろうと推測される。
(三五四三)
複数の医療過誤の競合五二六同志社法学 六〇巻七号
そもそも、後医は、前医によって情報提供(診断結果を含む)を受け、その情報を参考にしながらも、検査等により 独自に情報を収集した後、すべての情報を総合的に 0000考慮して最終的な診断を下すはずである。にもかかわらず、最終的 000
な診断結果に関する責任判断 0000000000000をなすにあたって、一方で無理からぬとしながら、他方で疑いを持つべきであったとする
のは、﹁一連の過程﹂を指向していながらも、確定的な診断に至るまでのプロセスを十分に反映したものとはいえないだろう(すなわち、連繋する両医師の負う諸々の過失の関係を十分に意識していない)。ここでは、前医の行為から後
医の行為に至るまでのまさに﹁一連の過程﹂を踏まえて、それぞれの医師がその過程のなかでどのような注意義務を負わされていたのかという判断をすることこそが必要であるように思われる。
またここで、前医の情報提供義務違反を認定しながらも
任のなとから明がかた。し開展を論則原るすうに責の医前るけお例な事の送転、ちわなよかの述上ぜなが裁高岡福、ら
⒝
ような要因に医基づいて後のの責任を認めこうした判断る判断においては、転送したことじたいに重きを置くべきであって、情報提供義務違反は﹁原因ないし誘因﹂に該当しない限りあまり重きを置くべきでない、それよりはむしろ後医の独立性・自律性への配慮の方こそ重視されるべきである
との態度表明と考えられるのである(実際、福岡高裁が移送したことじたいを減額理由として掲げているのは示唆的である)。そしてそう考えることが、転送義務が認められた趣旨にかなうと考えているのであろう。しかし、上述のよう
に医師の連繋という視点から双方の過失を一連の過程において判断すべきとの観点に立つならば、このような情報提供義務の位置付けでよいのかについては疑問なしとしない (
。 29)
そうすると、﹁一連の過程﹂のなかで前医・後医の行為評価を行い、その結果両医ともに(とりわけ前医には情報提供義務違反の観点から)過失が認められたとき、両過失行為と損害との因果関係はどのように捉えられるべきかが問題
となる。そしてこれは、とりわけ両過失行為を競合的不法行為として捉えるべきか、それとも民法七一九条一項前段に
(三五四四)
複数の医療過誤の競合五二七同志社法学 六〇巻七号 いわゆる共同不法行為として捉えるべきかという問題と大きく重なってくる問題である。
第
3
節 「一連の過程」を介した関連共同性判断中村教授は、福岡高裁平成一八年判決において、両医師の責任は、民法七〇九条の競合として捉えるべきであったと
いう。これは、最高裁平成一三年判決につき学説においてそのように捉えるべきとの見解が有力になっていることを受けたものであろう。すなわち、最高裁平成一三年判決が、﹁本件交通事故と医療過誤とのいずれもが、
A
の死亡という一個の結果を招来し、この結果について相当因果関係を有する関係にある。したがって、本件交通事故における運転行為と本件医療過誤事故における医療行為とは民法七一九条所定の共同不法行為に当たる﹂としたことにつき、交通事故
と医療過誤の異時性、異質性に着目して競合的不法行為として捉えるべきとの主張が学説上なされているのである。たとえば稲垣弁護士は、﹁交通事故による受傷が先行し、医療過誤がこれに続くという意味でその間の異時性は明らかで
あり、また、その受傷を所与として独自に診療が開始されることから、この間に意思の連繋・承継のないことも明らか﹂とし、また、交通事故においては、﹁交通法規等による具体的義務に反する運転操作上の過誤による人体に対する物理
的衝撃﹂が問題とされるのに対し、医療過誤においては、﹁診療目的の実現のため医療水準に即して施行される現実の
診療の過程から目的外の悪しき結果が発生したとき、その侵襲についての過失﹂が問題とされることから、﹁この間の行為の類型ないしは義務違背の態様が著しく異なっており、これらから両者につき共同の行為性を導くことは困難﹂と
する。そして、医療過誤は、﹁診断・療法の選択等の診療そのもの、及びその結果を確保するための療養指導ないし診療の補完としての転送﹂のみならず、﹁説明義務の履践﹂の﹁全部又は一部が賠償請求の根拠事実とされる場合﹂があ
ることを踏まえれば、﹁交通事故と医療過誤とを共同の行為と認めるには障害がある﹂という (
。 30)
(三五四五)
複数の医療過誤の競合五二八同志社法学 六〇巻七号
このような交通事故の過失態様と医療過誤の過失態様の相異に着目した稲垣弁護士の指摘には説得力がある。そし
て、このような指摘は当然ながら複数の医療過誤の競合事例には当てはまらないといえる。現に稲垣弁護士自身、共同診療と評価すべき事例でなくとも、共同不法行為の認められる余地がある旨指摘していたし、その旨主張する学説も散
見された。これらは、前医と後医は転送を通じて時間的に前後して医療行為をおこなうことから異時性じたいは認められるものの (
何り転送されたからであ、者そうすると両者の間にが患のて医が医療行為を行うは、前医から要請を受け後 31)
らかの意思の連繋・承継があると考えられ、また両者の行為の類型ないしは義務違背の態様は前述のとおり情報提供をめぐって対応するものであるから、この間に﹁関連共同性﹂を認めてもよいと考えてのことであろう (
。そして前節でも 32)
述べたように、本件にいう﹁一連の過程﹂が、前医と後医の連繋を踏まえたものだとすれば、これは関連共同性を判断するにあたって有用な概念だといえる。
転送義務がこれまで認められてきたのは、転送を通じて、患者に対して高度な医療を提供することを確保するためである (
療れめて可能となる。とすばは、本件のような複数の医じて転れしてそれは転送元と送。先の連繋がうまくなさそ 33)
過誤の競合事例においては、双方の過失行為は別個に判断されるべきではなく、このような連繋という視点を考慮して、﹁一連の過程﹂の判断を介した関連共同性判断こそが指向されなくてはならない。したがって、交通事故と医療過誤の
競合事例において関連共同性を認める見解においてはもとより (
医療療事故防止に向けた医シ﹁ステムのネットワーク化 ( 、いはうではない見解におて、も、このような場合にそ 34)
条共九一七法民れらめ認が性同連関、ばらなるれ入に慮考を﹂ 35)
一項前段に基づき両医師が不真正連帯債務の関係に立つ場合があると考えるべきである。福岡高裁平成一八年判決においては、前医の過失行為と損害との間の因果関係判断のプロセスが明快ではないが、こうして﹁一連の過程﹂を介した
共同行為を観念すれば、共同行為と患者の死亡との間の因果関係を判断することが可能となり、前医の因果関係判断に
(三五四六)
複数の医療過誤の競合五二九同志社法学 六〇巻七号 つきまとう困難性は回避できる。このような判断は、前医と後医の各行為を民法七〇九条責任の競合としたのでは困難である。
それではどのような場合に共同行為を観念することができるだろうか。福岡高裁平成一八年判決が﹁原因ないし誘因﹂を充足したことをもって共同不法行為責任を認めたことからすれば、この内実が大きな手がかりとなる。
第
4
節 「原因ないし誘因」の内実それでは﹁原因ないし誘因﹂はどのような内実を有していると考えるべきだろうか。
まず﹁原因﹂について。福岡高裁が﹁原因﹂を認めた事例ではないためここから読み解くことはできないものの、学
説において指摘されていた共同診療していると評価すべき事例や、︻
。を。ここでは容易に関連共同性観れ念することができそうであるるわに思とのもるす当該
1
のような両作医師の︼為不法行為事例がこれの 次に﹁誘因﹂について。福岡高裁の事例は﹁急を要する﹂場合であった。稲垣弁護士は、﹁患者の転送時の病状、医療機関間の連絡の充分性など﹂を考慮して、前医の﹁いわゆる抱え責任﹂と、後医の﹁その病状を所与とする診療の限界ないし相当性の程度﹂によって相関的に両者の責任を判断すべきと指摘していた。﹁急を要する﹂場合とはまさにこ
うした判断が強く迫られる典型例といえるだろう。
このような「急を要する」場合、まさに﹁診療の限界ないし相当性の程度﹂によって、後医に負わされる義務は限定
的なものとならざるをえない。そうすると、後医が診察するにあたっては、前医により提供された情報に依拠する割合が必然的に大きくなることから、後医の過失行為に前医の過失行為が大きく﹁影響﹂する、つまり﹁誘因﹂となると考
えられるのである。︻
4
なあり、前医に高度情の報提供義務が負わでも︼をもこのような﹁急要るする﹂事例におけさ(三五四七)