富 胸 声 学 部 怒 夢 No.5 8 :2 7 ‑ 3 8 ( 平 成1 6年)
啓蒙 を め ぐ る バ ー バ
ー マ ス と フ
ー コ
ー
一
人 間形 成 の 潜 在 的 な 条件 と し て の
コミ
. ユ ニケ
‑ シ ョ ン的 関係
‑野 平 慎 二
(20 03年1 0月2 0 日受 理)
Zu r' A ufkl色r u ng v o n J. H abe r m a s u nd M . F o u c a ult
‑ K o m m u hi kativ e B e zieh u ng als late nte B a sis de r B ildu
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i N O BI R AE‑ m ail: n obira@ edu.toya m ?‑u.a cjp
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J. Haber m a s u nd M . F o u c a ult sind in de r A n alys e des K a nt:T e xtes
'Beantw ortu ng der F rage : W a s
ist A ufk l豆r u ng?‑ (1 7 84) tr otz gleich er textlichen V orail占s etzunge‑
n zu unters ch iedlichen R6sq ltat bezti glich K a nt‑s A ufkl畠r u ngsve r stand nis gek om m en . Beide identifizieren z w ar A ufk larung nit Mtin ‑
digkeit. W ahrend aber Haber m
?s M tindigkeit als Fahigk eit de r K o m m u nikatio n mit de n A ndere n
v ersteht', sieht Fo u c a ult Mtindigkeit in de r So rge .u m sich s elbst.
D ie s e r A ufs atz zeig t, da s s beide ‑ trotz 豆u s s erlicher Unte r s ch iede‑ k o m m u nikativ e Bpziehu nge n als
late nte V o r a u s s etzu ng ztl r Aufk larung ben6 tigen u nd die s e Be zieh u nge n zugleich B a sis de r B ildu ng u nd de r E m a nzipatio n de s Subjekts dar stelle n.
辛 ‑ ワ ー ド: ハ ー バ ー マス、 フ ー コ ー 、 カント, 啓 蒙、 成 熟、 人 間形 成
Key w o rds : H abe r m a s, F o u c a ult, K ant, A uf kl貞.r u ng , M tindigkeit, Bildu ng
は じめ
に「 啓 蒙と は、 人 間が自 分の未 成 熟 状 態か ら抜 け出る ことで あ る。 と ころで こ の状 態は、 人 間 が自ら招いたもの で あ る か ら、 彼 自 身に その責 め が あ る。 未 成 熟と は、 他
∧
の指 導が な け れ ば、自 分 自 身の 悟 性を使 用し え な い状 態で あ る」 (K ant 1 9 73 : 1 6 9).
文 「 啓 蒙と は何か」 の冒 頭で、 カン トは啓 蒙をこ
の よ うに規 定し た。 こ こ に見て取ることの で き る 図 式、 すな わち 他 律 的な未 成 熟 状 態たある者を自 律 的な成 熟 状 態へ と発 展 的に導 くという 図 式は、 近 代 教 育 学が自らの基 礎に据えて きたもの でもあ
る。
もち ろ ん、 こ の図 式に対して は、 す ぐさ まいく
つ かの疑 問が浮かぶ。 啓 蒙さ れて い る という自己
理解、 ない し は自らの 悟 性 使 用が適 切で あ る とい う自 己理解はいかに正 当 化さ れ るのか。 あ るいは、
よく 知ら れて いる よ うに、 1 7 84年に発 表し た論 他 人を未 成 熟と み な し、 指 導 的に介 入し よ う とす
1. r‥
ー
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る態 度はい かに正当 化さ れ るの か. ,
.これ ら は、 大 人と子どもの間の教 育 的な関 係の場におい て も、
ま た広 くは近 代 化を先 進 的に成 し遂 げた
国
と. 後 発 的に達 成しつ つ ある国 との間に お い て も、 実際に‑と り わ け啓 蒙さ れ る側か ら一 提 出さ れて い る疑 問
である。 とりわ け、 啓 蒙の名におい て な さ れ る指 導 的 介 入の た めに、 そ れ まで に存 在 して い た自 然 や文 化が破 壊さ れ、 約 束さ れ た幸 福がもた ら さ れ ない よ う な場 合に は、J.こ の疑 問は切 実なものとな る。
啓 蒙さ れて い る とい う自らの 自 己理解を、 再び 自 己 自 身で正 当 化 する とすれ ば、 そ れ は単な る循 環 論 法に終わ っ て し ま う。 同 様の理 解をもつ 他 人 ,A, ら.の正 当 化 をあて に し よ う とすればく 今 度は そ の他 人も含め た自 分た ちの自 己理解は何によ っ て 正 当 化さ れ るのか、 を考え な け
叫
ゴ な ら ないh. ましてや、 啓 蒙さ れ る側か ら.め 正 当 化を期 待 するこ と は‑ その た めの判 断 力 を もちあわ せ ない こと が 未 成 熟とい う こと なの だ か ら一 不 可 能であ る。
啓 蒙に内 在 するこ̀の問 題ゆ えに、 J .
‑F .
Lリ オ タ ー
ル に代 表さ れ るポ ス トモ ダン思 想は、 近 代にお け
′ る啓 蒙の理念に対して懐 疑 的な立 場を取る。 そ し
て、 啓 蒙さ れ た唯 一 普 遍の主 体の あ り方では な く、
む し ろ相互に異 質な他 者ど う しによ る闘 争 的な関 係を政 治、 社 会の基 礎に置 く。 これに対して、 他 者との コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を通し た合 意 形 成の な かに正 当 化の根 拠を求め、 留 保っ きで は あ れ啓 蒙
の理 念 を 擁 護し よ う とするのが Jノ、 ‑ パ ー マ ス で
あ 右。 自 他の異 質 性と多 様 性、 そ して 闘 争 的な関 係を過 度に強 調
す
るこ と は、 社 会 的 連 帯の構 築よりも 解 体を招き か ね ない か らであ る 1 )0
ところ が、 ‑ ー パ ー マ ス とも、 そ して ポス ト モ ダ ン思 想とも異な り、 他 者 性を引き合い に出 すこ と な く現 代にお け る啓 蒙の意 義を探 究し た思 想 家 がい る。 M .フ ー コ ー が その人で あ声。 フ ⊥ コ ー
は その最 晩 年に、 ハ ー バ ー・7 ス と同じ よう たカ ン
ト の小 論
、
「 啓 蒙と は何か」 を主
要
な研 究 主 題の ひ とつと し た が、 そこか ら導き出さ れ たのはハ ー バ ーマ ス と は正 反 対の啓 蒙理解で あ っ た. ハ ー バ ー マ ス の最 大の論 敵の ひ とりで も あ る フ ー コ ー に おい
て、】啓 蒙が どの よ うに捉え ら れて い るの か、 ‑ 」
パ ー マ ス との対 立 点は何に起 因し、 そ して その こ
と‑は人間 形 成 論 的に見 てどの よ う な意 味をもつ の か。 本 論で は こ の点に一ちい て考え たい。
7̲
‑ コ ‑ の啓 蒙理解は
.、
一 般に私 的な 「 自 己の 自己自 身に対 する関 係 」 の次元 で考え られ て い る が2)、 そこ に は や は り自己 と他 者の コ ミ ュ ニ ケ ー
シ ョ ン的な関 係 ‑ し かもリ オ タ ー ル にお け る闘 争 的な関 係とも ‑ ー パ ー マ ス に お け る合 意 形 成 的な 関 係とも 異な る関 係 ‑ が前 提と なっ て い る と考え ら れ る。 その相 違の な か に、 近 代 的な人 間 形 成 ( 未 成 熟な者に 対 する啓 蒙 的、 目 的 論 的な形 成)
のイ メ̀‑ ジ と は異な っ た人 間 形 成の イメ ー ジを ど
の よ うに見て取るこーとがで き るのか を探り たい
.と 思う。
Ⅰ.
一
カ
ント
「啓蒙 と は 何 か
」① 啓蒙
の条件
と時代 状
況‑ 相 反 する 理解が そこか ら導か ttた T 啓 蒙と は何 か」 といぅテ クス ト
ー
は、 そもそ も どの よ う な内 容、
そ して問 題を含んで い るの か占 まず 最 初にその要 点を確 認して お き たい. テクス ト の 主 題と な・T ' て
い るの は、 啓 蒙を可 能にする条 件と は何か」 その
条 件と当 時の
政
治 状 況と は どの よ うにか か わ るの か、 で あ る3 )。まず、 啓 蒙の条 件に つ い て、 カン トは個 人の場 合と公 衆の場 合 を 区 別 する。 そ して、 個
人
の成 熟は、 本 人の怠 惰と臆 病、 お よ び そ れを
嘩
強 する後見 人の配 慮の た めに困
簸
であ̲る のに対し、 公 衆の
啓
蒙は む し ろ容 易で あ る とい う。 公 衆の啓 蒙に必要と な る条 件と・は、 少 数.の啓 蒙さ れ た個 人の存 在、 そ して理 性の 公 的 使 用の自 由で あ る。 理 性の私 的 使 用と公 的 使 用とい う奇 妙な区 別を説 明 する た め
にカ ントが挙 げるのが、 次の有 名な例で あ る。
「 こ こ で私が 理性の公 的 使 用 と.いうの は、 あ る人が学 者と して、
一 般の 読 者 全 体の 前で彼 自 身の 理性を使 用 する こと を指して い る。 ま た私 が 理性の私 的 使 用とい うの はこうで あ る一 公 民 と して あ る地 位 もしく は公 職に任ぜ ら れて い る 人は、 その立 場に おい て の み彼 自 身の 理性を使
啓 蒙をめぐる ‑ ー パ ー マ スと フ ー コ ー
用 すること が許さ れ る、 こ の よ う な使 用の仕 方 が、 すな わ ち 理性の私 的 使 用なの で あ るq
・ ・ ・
上 官か ら、 何か あ る こと を為せ、 と命じ ら れ た 将 校が、 勤 務 中に。も か か わ らずその命 令が適 切
で あ る
\
か ど う か、 あ るい は有 効で あ る か ど う か な ど と あ か ら さ まに議 論し よ う とする な ら、 そ れ は甚だ有 害であろ うー 彼は あくまで服 従し な け れ ば な ら ない。 し か し彼が学 者と して、 軍 務
に お け る欠 陥に つ い て所 見を述 べ、 ま たこれ ら
の所 見を公 衆 一 般の批 判に供 すること を禁じ る
の は不 当で ある」 (K a nt 1 97 3 : 1 71)
理性の私 的 使 用は、 現 実の共 同 体の公 益の た め に制 限さ れ う る。 その場 合、 自 由な議 論は許さ れ
て お らず、 服 従あ るのみであ る。 これに
対
し、 現 実の立 場 を 離れ た自 由な議 論こそ、 公 衆の啓 蒙を 促 進 する条 件と な る。次に、 こ の よ う な啓 蒙の条 件と当 時の政 治 状iR・
との 関 係に つ い て、 カ ン トは、 同 時 代は 「 啓 蒙さ れ た時 代」 で は ない が 「啓蒙 p 時 代」 で あ る と
.い
!
う。 その こと は、 当 時 甲 政 治 的 統 治の原理 を示し た次の標 語に表さ れて い る。 「 君た ち はいくらで
も、 ま た何ご とに つい ても、 意のま まに議 論せ よ、
た だ し服 従せ よ! 」 (I bid∴ 1 75)。 すな わ ち、 君 主で あ るフ リ ー ド
I
T) ヒニ世は自 身が啓 蒙さ れ た人 物で あ り、 ま た国 家の安 寧 を 保 障で きる軍 隊 を 保 持して い る が ゆ え・に、 公 衆に議 論■
の自 由を与え啓 蒙を促進 する と同時に、 彼が制 定 する法律へ の服 従を要 求 すること が できる。 こう し た政 治 形 態こ そ、 「 啓 蒙さ れ た時 代」 が出 現 する た め・の前 提 条 件だ とカ ン
、
トは考え るのiEtあ る。
服 従が 理性甲公 的 使 用の自 由の 条 件と な る、 と
いう言い方は奇 妙で あ る。 し か しカ ン トは、 その よ う な制 限の もとで初めて、 「 自 由に思 考 し よ う とする心 的 傾 向と使 命 感」 (I bid.: 1 7 6)ーが個 人の な かに生ま れ るの だ、 とい う。 自 由に思 考し、 行 動、し ようとする公 衆の意 志と立 法 意 志との 一 致こ そ、 「 啓 蒙の時 代」 の特 徴に はか な ら ない。 テク
ス トは次の ような言 葉で結ば れて い る。 (その使 命 感は) 「 徐 々に人々 の意 識 ( これ に よっ て 人々 は、 次 第に唱 由に
行
動 すること ができる よ うになる) に作 用を及ぼ し、 つ い に は統 治の原 則にすら
影 響を与え るので あ る。 する と政 府 も、 今で は機 械以上の存 在で あ る とこ ろの人 間を、 その品 位に
ふさ わ し く過 することこそ政 府 自 身にと っ て有 利
で あ ること が わ か る よ うにな るの であ る」 (Ib id.)
②啓 蒙
の両義性
現 実の共 同 体の 「 員と して 理性を私 的に使 用 す る個 人は、 いわ ば共 同 体に とっ て の機 械で あり 道 具である。 これに対 して、 個 人が成 熟し、 現 実の 共 同 体の あり 方 一 最 終 的に は その政 治 的な統 治 形 態 ‑ を反 省 し、 そ れに つ い て自 由に議 論 すること ができる場 合に初めて、 理想 的な 「 目 的の王 国」
が実 現 する。 ‑ こ の よ う な議 論に は、 し か し な が ら、 は か らず も 両 義 性が含ま れて い た。 オ ー ウ ェ
ン に よ れ ば、 そ れ はカ ン ト に よっ て 区 別さ れ た叡 知 界 / 現 象 界の二元 論に端 を 発して いる (オ⊥ ウ ェ
ン 2 00 2 : 17ff.)。
すな わ ち、 カ ン トは、 テク ス ト の最 初で啓 蒙を 広く成 熟と同 一 視し、 自己自 身の悟 性に従 っ て行 為 する能 力と して 規 定 する が、 結 末の部 分で は啓 蒙 を 狭 く 道 徳 的 自 律と同 一 視し、 道 徳 法 則の理性 的な召 己 立 法と し.て規 定 する。 これ は、 カ ントが 仮 象の現 象 界と して の 理論 理 性の領 域と、 物 自 体 ゐ叡 知 界と して の実 践 理 性の領 域を区 別し た上で、
理 論理性の領 域が自 然 法 則に規 定さ れ るの と同じ よ うに実 践理性の領 域は道 徳 法 則に支 配さ れ る と
考え、 自 己 自身の意 志 を 指 向 すること と道 徳 法 則 を 指 向 するととを 同 一 視し た、 という 文 脈のな か
で捉え るこ と がで きる。
し か し な が ら、 歴 史 的、 経 験 的に条 件づ け ら れ た現 実の な か で道 徳 的に行 為し よ う とすれ ば、
一
方で は 理性は その経 験 的 現 実を捉え るために現 実
の外 部に超 歴 史 的に措 定さ れ る もの でな け れ ば な ら な く な る。 け れ ども 他 方で は、 理性は その経 験 的 現 実を道 徳 法に支 配さ れ た自 由の領 域へ と変 化 さ せて いく もの でもな け れ ば な ら ない ( つまり 理 性は歴 史をもつ もの で な け れ ば な ら ない) の で あ る。
人 間を自 由な存 在で は なく 機 械や道 具と同 類と み なす 決 定 論、 な ら びに道 徳 を 現 実の幸 福や快 楽 とい う目 的か ら規 定 する目 的 論 的な道 徳 論を克 服
し、 自 由とい う人 間の条 件を叡 知 界と現 象 界とい う 二元 論の導 入によ っ て基礎づ け よ う と し たカ ン トは、 は か らず も 因 果 性の ア ンチノ ミ ー・と同 型の
ア ン チ ノ ミ ー に陥る こ とに な っ た. そ して そ こ'
bゝ ら、
‑ ‑ ゲ ルによ る自 由と決 定の弁 証 法の み な ら ず、 ニ ー チ ェ によ る自 由と必 然の闘 争 主 義 も 生ま れ ることに な っ たの である。
Ⅱ. フ ー コ ー の
啓蒙 理 解
①
差 異概
念として の啓蒙
周 知の ご と く、 ア ー コ r‑ は初 期の 代 表 作で あ る
『言 葉と物』 (1 9 66年) に おい て カン ト に み ら れ る 人 間 主 義を批 判し た ( フ ー コ ー 19 7 4, 与りわ け 第9 章、. 第1 0章)。 九 ン トは、 その 理性 批 判の 作 業に よ っ て人 間理性の 限 界 を指 示し た が、 そ れ は 同 時に、 神なき 後の
世
界に お け る諸 学 問の∧
間 主義を規 定 すること
■
にもな っ た。 そ して、
・ その 諸 学
問. ( 人 文 諸 科 学)・ は、 人 間の起 源に つ い て の問い を立て る代わり
.に実 体と して の人 間の本 質 を 追 究 し、 そ れに合 致し ない者の排 除、 抑 圧を生み出 す 結 果を招い たの で.あ る. け れ ど も フ ー コ ー は、
1 98 3年に行な っ た二 つ の 講 義. ( 「カ ン ト につ い て
の講 義」 お よ び 「 啓 蒙と は何か 」)
し
の一な か で
、 カ
ン'ト の 「 啓 蒙と時 何か」 がもつ も う ひ とっの意 義
に光を当て た. すな わ ち、 カン トは その論 文で、
「 哲 学 的 考 察の場に ま っ たく 新しい タ イ プ.の問い を出 現さ せ」 ‑ ( フ ー コ ー ー2oo 2b : 1 7 2) た と 理解 するの で あ る。 その 間い と は、 「 現 在に つ い て の
問い† 現 実 a ctu alite につ い て の 問い」 (I bid. : 1 7 3) である。
フ ー コ ー に よ れば、 カ ント が その論 文で示そ う と して い るの は、 発 展 図 式を前 提と し た段 階 概 念 ない し は. 時 代 概 念と して の啓 蒙で は な く、 差 異に か か わ る概 念と して の啓 蒙で あっ た。 「カ ン トは、
ひ とっ の全 体や、 将 来の成 就か ら出 発 して、
.< 現
在> を 理解し ようと は し ない。 彼は< 今日> は、
< 昨日.> にたい して、 いか な る差 異を導 入 するも
の なの か、 ひ とつの差 異を求め るの であ る」 (フ ‑
= ‑ 20 02a : 6).
段 階 概 念・ない し は時 代 概 念と して啓 蒙を捉え る
な ら ば、 未 成 熟 状 態は、 そこか ら 一 旦 抜け出て し ま え ば消え去 っ て し ま う・。 成 熟 状 態こそ価 値をも
つ のあり、 未 成 熟 状 態は せい ぜい成 熟 状 態の前 提 と して の消 極的な役 割を 果 たすに す ぎな い。 こ れ に対して、 差 異にか か わ る概 念と して啓 蒙を捉え る な ら ば、 未 成熟状 態か ら安 定 的、 恒 常
的
な成 熟 状 態 へ と抜 け 出ること、はあ りえ ない。 達 成さ れ た よ うに み え る成 熟 も、・・ つね に新 しい未 成 熟 状 態の 始ま・り かもし れ ない の で あ るb 現 在の自 己 をっ ねに問い 直し、 つ ねに新しい自 己の あ り方 を 創 出 す る過 程と して啓 蒙を捉え ること‑ そ れ は決して弁 証 法 的 発 展と して は 理解さ れ ない‑ 、 これ が フ ー
コ ー の示 す 啓 蒙理解で あ る
こ
フ ー コ ー に よ れ ば、 現 在に対 するこ の よ う な態 度こそ近 代の人 間 像の特 徴で あり、 そ れ は例え ば ボ ー ドレ ー ル におい て典 型 的に示さ れそいる (フ ー
コ ー 20 0 2a : 1 2f.)o け れ どもフ ー コ ー は、 ‑ i
パ ー
マス の よ うに、 こ のよ う な自 己 反 省の態 度を 人 間 主 義 的に錘解し よ う と は し ない. ハ ー バ ー マ ス は、 芸 術を科 学、 .法 ‑ 道 徳と並ん で、 近 代にお
い て確 立さ れ た価 値 領 域の ひ とつ に割 り 振る。 そ して そ れ ぞ れの領 域にお け る制 度 化さ れ た専 門 文 化と 日常 的な生 活 実 践との帝 離、 専 門 文 化に
羊
る日常 実 践の抑 圧を批 判し、 両 者の往 還 関係を構 築 するこ とで解 放と啓 蒙を推 進し よ う とする。 'その
プ
ロ セ ス の原 動 力が、 自 律し た主 体の 問の相 互 行為で あ るコ
/
s ユ ニ ケ ー シ ョ ン的 行 為で あ る。 フ ⊥ コ ー が疑 問 視 するの は、 ま さにその解 放さ れ自 律 し た主 体とい う想 定で あ る。 18世 紀 以 降、 人 間 は 神&=
.代わ っ て自らすべて を対 象 化して批 判し、 真 理の探 究 を 通して進 歩 すること が可 能に なっ た‑
こ の ような人 間 像は は た して何の留 保 もなく 主 張 しうるもro なのか.
‑ ‑ パ ー マ ス は、 人 間の コ ミ ュ
ニ ケ ー シ ョ ン自 体の な かに合 意と真理 という.目 的
が内 在 して い る と主 張 する が (H aber m a s 19 8 1,
B d .1 : 38 7)、 それ は証 明 す べき
当
の もの を あ らか じ め前 提と し た説 明であり、 人 間 主 義の正 当 性
の根 拠づ け と は な っ て い ない の でiま ないか.
・ フ ー コ ー に よ れ ば、 課 題とすべ き は、 人 間 主 義
の立 場 に立 っ て権 力か ら自 由なコ ミ ュ キ ケ ‑ シ ョ ン の あ り方を提 示 すること な どで&