米国における病院原価計算の発展と価値重視の病院 経営
足立, 俊輔
Department of Economic Systems, Graduate School of Economics, Kyushu University
https://doi.org/10.15017/26407
出版情報:Kyushu University, 2012, 博士(経済学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
米国における病院原価計算の発展と 価値重視の病院経営
足立 俊輔
ABC Activity-Based Costing 活動基準原価計算
AHA American Hospital Association アメリカ病院協会
BSC Balanced Scorecard バランスト・スコアカード
CDVC Care Delivery Value Chain 医療提供の価値連鎖
CF Conversion Factor 換算係数
CQI Continuous Quality Improvement 継続的品質改善
DPC Diagnosis Procedure Combination 診断群分類(日本)
DRG/PPS Diagnosis Related Group/Prospective Payment System
診断群分類別包括支払方式
(米国)
GPCIs Geographic Practice Cost Indices 地域別診療費係数
HMO Health Maintenance Organization 健康維持組織
IHN Integrated Healthcare Network 統合ヘルスケアネットワーク
JCAH Joint Commission on Accreditation of Hospitals 病院機能認定評価組織 JCAHO Joint Commission on Accreditation of Healthcare
Organizations 医療機関機能評価認定組織
PPO Preferred Provider Organization 特約医療機構
PRO Peer Review Organization 同僚審査機関
RBRVS Resource-based Relative Value Scale 資源準拠相対価値尺度
RCC法 Ratio of Cost to Charges method 診療報酬基準率法
RVU法 Relative Value Unit method 相対価値尺度法
TDABC Time-Driven Activity-Based Costing 時間主導型活動基準原価計算
TQM Total Quality Management 総合的品質管理
UVA法 La méthode des Unités de Valeur Ajoutée 付加価値単位法
序章 保険者機能と病院原価計算
第1節 問題の所在 1.研究の背景
少子高齢化の進行、医療技術の進歩、財政負担の増大などを背景に、近年ではほとんど の先進諸国において「医療の質」の確保と並行させながら、医療費の適正化を目的とした 制度改革が行われるようになってきた。当然日本も例外ではなく、2003年の特定機能病院 等1)に導入された入院医療に対する診断群分類2)(Diagnosis Procedure Combination、 以下DPCと略)包括支払方式の施行以来、公立病院改革ガイドラインの導入など医療費の 適正化を目的とした制度改革が行われるようになっている3)。それは、新自由主義的な経済 政策のもと、社会保障費の削減が進められるなかで、少子高齢化、医療技術の進歩など様々 な要因が、社会保障費の中核をなす医療費を押し上げることに伴って、私たちの地域・社 会の基盤が大きく揺らいできていることを示唆しているのではなかろうか。
ただ医療が他の製造業やサービス業と異なるのは、医療サービスの対価である診療報酬 が、税金を財源とした制度の基で成立している点にある。そのため、将来的な保険財政の 安定を実現するためには、支出の抑制と財源の確保が必要不可欠となっており、医療にお ける無駄を極力排除し医療資源の効率的な活用を図るとともに、収入面では給付に見合っ た保険料の算定・徴収等により安定的な財源を確保することで、保険運営における財政の 画策が緊要となっているのである4)。こうした状況を、本稿では「保険者機能の強化」と総 称することにしたい。
1) 特定機能病院は、一般の病院などから紹介された高度先端医療行為を必要とする患者に対応する病院と して厚生労働大臣の承認を受けた病院である。
2) DPCの範囲は、主にホスピタルフィー的要素(入院基本料、検査、画像診断、投薬、注射、及び1,000 点未満の処置などの施設報酬)に限られている。
3) DPC制度については、松田[2007]に詳しい。また、DPC制度導入にあたり参考とされた米国のDRG
(Diagnosis Related Groups)は当初、診療報酬支払制度のためではなく、病院を対象としたマネジメン
トツールの開発で研究されていたことに注意しておきたい(川渕[2001]、27頁)。
4) 山崎[2003]、8頁。
この保険者機能の強化に伴い、個々の病院についても原価管理の必要性が生じるように なった。これは、市場原理のもとで医療が供給されている米国で特に強調されてきた。こ の背景には、連邦政府および企業の医療費負担が増大するにつれ、1983年にメディケア(米 国高齢者医療保険)の入院患者に対する診療報酬支払方式が、従来の出来高払いから診断 群分類別の定額払い 5)(Diagnosis Related Group/Prospective Payment System、以下
DRG/PPS と略)に移行したことをあげることができる。加えて、1980 年代から HMO
(Health Maintenance Organization)に代表される民間のマネジドケア6)(Managed care) が病院経営に強く影響力をもつようになったことも、保険者機能が強化された原因の一つ としてあげることができる。マネジドケアは、診療サービスごとの契約交渉を病院に要求 していることから、病院はマネジドケアとの契約交渉にあたり綿密な採算管理を行わなけ れば、医療サービスによっては採算割れを引き起こすことになった7)。
こうした病院を取り巻く経営環境の変遷が、「費用対効果」に基づく経営方針を病院に採 用せざるを得ない状況を作り出してきた。つまり、米国では他の先進諸国よりも比較的早 い時期から原価管理の必要性が生じており、結果、病院原価計算に関する研究が進められ、
1980年代から今日に至るまでに多くの著書および論文が発表されている8)。
一方、日本における保険者機能をめぐる議論についても、米国における HMO に代表さ れるマネジドケアに対する関心がその背景にある9)。なぜなら、医療のコストと質のバラン スを客観的に評価するための第三者機関として保険者を考えた場合、保険者機能は医療の 質を低下させずにコスト削減を担保する役割をもつことが可能となるからである 10)。こう
5) DRG/PPSが採用されている病院では、入院患者の診断を特定のDRG(診断群)に割り振り、該当する
DRGに対する定額の治療費がメディケアから支払われるといった償還額支払方式が採用されることにな る(河野[2003]、28頁参照)。
6) マネジドケアとは、保険会社と病院をセットにした民間医療保険会社と考えられる。そして、被保険者 と医療機関が治療行為を授受する際、それぞれが医療保険上の何らかの制限を受けることになる(河野
[2003]、23頁参照)。その制限の度合いは、保険会社の形態によって異なることに注意したい。
7) Toso, M. [1989], pp. 5-6.
8) 例えば、Finkler, S. A.et al [2007]など参照。
9) 山崎[2003]、4頁。
10) こうした取り組みの例として、P4P(Pay for Performance)による医療の質に対する支払方式をあげる
して保険者機能を捉えると、保険者機能と病院原価計算との関連性が浮かび上がってくる。
つまり、保険者機能の役割は、医療を経済的に取り扱うという効率性の側面と、医療の質 を確保するという効果性の側面の 2 つの側面を有しているため、そのバランスの取り方が 困難なものとなっている。言い換えれば、「医療の質を確保する一方で、適切妥当な給付を 実現するため、保険者は権限と責任を一体のものとして保持する必要がある」11)のである。
保険者機能についての見直しがなされるようになるにつれ、日本の病院においても徐々 にコスト意識が芽生え始め、病院原価計算の必要性が指摘されるようになってきた 12)。し かし、従来の研究は保険者機能と病院原価計算の関係について触れられることはあっても、
そのほとんどが総論や病院原価計算の種類の紹介にとどまっており、実際に病院原価計算 の課題がどこに生じているかの議論は十分になされてこなかった。言い換えれば、これま での研究は、保険者機能が強化されるなかで病院原価計算の計算原理を精緻化させる必要 性を実証する研究が多いということに集約される。つまり、これら先行研究は、毎期継続 的な活動消費量の実測を必要とする活動基準原価計算(Activity-Based Costing、以下ABC と略)にみられる実行上の問題に対処しておらず、また、品質管理とコスト低減のバラン スを考慮する価値重視の病院経営 13)に対する視点が欠如している。しかしながら、日本の 病院原価計算研究の領域において、未だこの 2 点について明示的に取り組んだ研究は少な いのが現状である。
2.研究の目的
以上の研究背景を踏まえ、本研究は、米国の保険者機能の強化を背景とした病院原価計
ことができる。P4Pとは、医療ケアの質の高い施設に高い診療報酬のボーナスを与える支払方式のことで ある。医療の質は、臨床指標、患者満足度、IT指標の3つの指標の内、主として臨床指標で測定され、そ の成績に応じて診療報酬の上乗せが行われることになる(P4P研究会[2007]、8-16頁参照)。
11) 加藤[2003]、148頁。
12) 中村・渡辺[2000]など参照。
13) 本研究の価値重視の病院経営における価値の意味は、患者に焦点をあてた原価管理と品質管理のバラン スを図る経営手法を意味するため、企業価値(株主価値)とは異なる。
算の発展を、計算原理の精緻化の側面と計算合理性の側面から整理する。そして、品質管 理とコスト低減のバランスを考慮する価値重視の病院経営を支援する時間主導型の病院原 価計算の有用性について明らかにすることを目的としている。本研究の基礎に据えた理由 と合わせて、次頁の図表0-1に示す先行研究の体系図を説明しながら、上記の関係に注目す ることになった事情と意義について簡単に述べておきたい。
第一に、本研究では米国病院原価計算の歴史を紐解くことによって、保険者機能と病院 原価計算の展開を明らかにする。伝統的に病院では、診療報酬基準原価率法(Ratio of Cost
to Charges method、以下、RCC 法と略)と呼ばれる診療報酬を配賦基準とした病院原価計
算が用いられてきた。しかし、保険者機能が強化されるにつれ、個々の診療サービスに係 る採算性を管理する必要性が生じ、病院原価計算の計算原理の精緻化が進められるように なった。そこで、相対価値尺度法(Relative Value Unit method、以下RVU法と略)や活動基 準原価計算(ABC)など、個々の診療サービスに係るより詳細な原価情報が提示可能な病 院原価計算が提唱されるようになった14)。特にABCは、診療サービスに係る主要な活動の 設定や、そこから原価配賦を行う際のドライバーを独自に選定することができるため、診 療原価を算定するにあたり最適な原価計算手法とみなされていた 15)。また、ローソン
(Lawson, R. A. [1994])やベイカー(Baker, J. J. [1996])は、病院原価計算の実施状況に 関するアンケート調査を行い ABC を紹介しているが、彼らの主張は、ABC はアンケート 調査では利用状況が低いものの病院経営に有用なツールであることで共通している。荒井 は、こうしたローソンのアンケート調査を基に米国病院原価計算の体系化を試みている16)。 そして、荒井の米国病院原価計算の分析整理に基づいて、日本においても 2000 年頃から、
ABCの利用を想定した病院原価計算の研究がなされるようになった17)。
14) Baker, J. J. [1998]; Finkler, S. A. and D. M. Ward ed. [1999]など参照。
15) West, T. D.et al.[1996]
16) 荒井[1998];荒井[1999];荒井[2001];荒井[2007]
17) 例えば、中村・渡辺[2000];今中[2003];浅川[2006a];浅川[2006b];浅川[2006c];浅川[2006d];浅 川[2008a];浅川[2008b]など。
ABC
RVU法
TDABC 病
院 原 価 計 算
日本
ABC/TDABC
UVA法
(フランス)
価値定義に基づく 病院経営
Andrianos, J.
and M.
Dykan 相互協力
RVU法
Benson, K. J.
et al.
相互信頼関係 Michelman, J.
E. et al.
水平情報 システム Ross, A. and
F. L. Fenster 1995
TQMに基づく
科学的管理
West,T.D.
組織変化マト リックス表
Finkler, S. A., Ward, D. M.
and J. J.
Baker テキスト Finkler, S. A.
and D. M.
Ward ed.
ABC・TQM 論文集 Baker, J. J.
(博士論文)
原価計算実践 をアンケート調
査
Baker, J. J.
ABC/ABM 著書
Kaplan, R. S.
and S. R.
Anderson TDABC 紹介論文
Kaplan, R. S.
and S. R.
Anderson TDABC
著書
Kaplan, R. S.
and M. E.
Porter TDABCデータ
を用いた 競争戦略論 Demeere, N.
et al.
外来部門の TDABC導入 ケース Mahlen, K.
1988 RVU法の
分析
Glass, K. P.
and J. R.
Anderson
RVUを用いた
採算管理
Reiboldt, M.
and J.
Chamblee
RVUを用いた
採算管理 著書 Glass, K. P.
RVUを用いた
採算管理 著書 Berlin, M.F.
and T.H.
Smith
RVUを用いた
ABCの検証
West, T. D.
et al.
RCC法RVU法
ABCの比較
Bouquin,H.
同質セクショ ン法とABCを
比較
Fievez, J., Kieffer, J. P.
and R. Zaya UVA法の 紹介、著書
de La Villarmois, O.
et Y. Levant UVA法と TDABCの 比較分析
Gervais, M. ed.
換算手法で TDABCとUVA 法を分析
Gervais, M., de la Villarmois, O.
and Y. Levant UVA法の ソフトウェア
紹介 荒井耕
米国病院 原価計算研究
(利用目的)
荒井耕 米国病院 原価計算研究
(手法紹介)
荒井耕
(博士論文)
文献調査・
アンケート調査
荒井耕 RCC法の
分析
荒井耕
英米病院原価 計算の体系化
荒井耕 RVU法の 検証 日本を対象
荒井耕 医療サービス
価値企画 日本を対象
Porter,M.E.
and E.O.Teisberg
価値定義 に基づく
Porter, M.E.
and E. O. Teisberg
医療提供 システム改革、
Porter, M. E.
医療提供 システム改革、
競争戦略論
Porter, M. E.
キャプランと の共同研究、
ABCの利用
Teisberg, E. O.
et al.
1994 価値定義なし Lawson, R.
1994 アンケート 分析調査
ABCベース
ABC/ABM志向の論文・著書
RVUを用いた採算管理の一環でRVU法を紹介するケース
Cooper, R. and R. S. Kaplan
1988 ABC 紹介論文
原価計算実践 マニュアル
患者別・DPC別 原価計算 マニュアル
原価計算研究 (ABC/ABM、 プロファイリン グ、営利病院)
(博士論文)
品質管理と 原価計算
しかしながら、ABCを導入するにあたりコスト面と人材面で問題があることは、病院に 限らず製造業においても、従来から指摘されてきたことである。そこで、クーパー(Cooper, R.)と共に1988年にABCを提唱者したキャプラン(Kaplan, R. S.)は、コンサルタント 会社(エイコーン社)を経営するアンダーソンの協力のもとABCの実行上の問題を克服す るために改善を重ねることになる。そして、彼らは2004年に時間主導型活動基準原価計算
(Time-Driven Activity-Based Costing、以下TDABCと略)を発表している18)。TDABC の特徴は、提供されたサービスに係る時間を基準として全社活動を把握する点にある。後 に詳しくみるように、TDABCのように提供されるサービスをある程度グルーピングした係 数があれば、計算コストを節約しつつ原価測定の方法を改善する可能性を見出すことがで きるのである。
こうした TDABC が提唱されることになった背景は、フランス管理会計の視点からみた
場合、付加価値単位法(La méthode des Unités de Valeur Ajoutée、以下UVA法と略)が 再認識されるようになった背景と共通している。つまり、フランスにおいても、同質セク ション法やABCにみられる企業の経済的モデル化、その核心である原価のモデル化よりも、
UVA法にみられる「取引」の次元で収益性を分析する手法が紹介されるようになっている19)。 言い換えれば、原価計算の計算原理の精緻化はある程度必要であるが、その利用目的は収 益性の判断を誤らない程度でよいのである。
ABC にみられるような、従来から原価計算に突きつけられてきた導入・運用に係る時間 やコスト面での課題は、診療報酬抑制の下で経営を続けていかなければならない病院にと っても避けて通れない重要な問題である。つまり、製造業と同じく病院においても、計算 原理の精緻化を進める側面と、TDABC登場の背景にみられる計算合理性を加味する側面が 存在しているのである。
18) Kaplan, R. S. and S. R. Anderson [2004]
19) 大下[2009]、94頁。
そこで本研究は、病院原価計算の配賦基準として時間概念に着目し、病院原価計算の計 算合理性の側面を明確化する。保険者機能が強化され、医療制度の仕組みが変化し、それ に伴って病院原価計算の利用目的が変化する研究は従来からなされてきたが、配賦基準と して、時間概念の有用性にまで分析を深めた研究はほとんどなされてこなかった。この病 院原価計算に係る導入コストと運用コストの側面で時間概念に着目している点に、本研究 の学術的な特色および独創的な点があるといえる。
第二に、本研究では、価値重視の病院経営と病院原価計算の新たな体系化を試みている。
戦後、特にメディケア(高齢者医療保険)とメディケイド(低所得者医療保険)が創設さ れた1965年以降、アメリカの病院では、医療の質を満たす患者のアメニティを確保するこ とを目的として、コストを特に意識せず経営を行うことができた。しかしながら、1983年 の診断群分類別包括支払方式(DRG/PPS)の導入を皮切りに、診療サービスにかかるコス トの適正化を目的として、保険者機能が強化されるようになった。こうした病院を取り巻 く経営環境の変遷が、「費用対効果」に基づく経営方針を病院に採用せざるを得ない状況を 作り出し、結果として、病院原価計算が発展することになったのは前述のとおりである。
しかしながら、人間の生命や安全を取り扱う医療分野では、他の産業以上に公共性や社 会性を有することが求められる。病院原価計算は、そうした公共性・社会性など医療の質 的側面からの課題を突きつけられているといわざるを得ない。その例として米国では、マ ネジドケアにみられる保険者機能の強化を背景に、保険者機能が再考されるようになった。
そこで、保険者機能を再考するにあたり有効な考え方の一つとして、1990年代から価値重 視の病院経営について議論がなされるようになった。この背景には、市場原理に基づき医 療における利害関係者が限られた医療財源を巡り、患者に焦点を充てずに医療システムを 構築してきた歴史が存在している。そこで、品質管理とコスト低減をバランスさせるため の第三の要素を組み合わせる医療経営のあり方を考察しようとするのが、価値重視の病院
経営が示唆するところである。
価値重視の病院経営に着目した研究は、米国ではベンソンら(Benson, K. J. et al. [2003]) が行っているものの、日本でそれを体系的に整理したものは未だ存在していない。これは、
病院に「経営」概念が導入されてそれほど時間が経過していないことや、日本と米国では 医療保険制度に違いがあり、日本においては利害関係者間の対立がそれほど深刻化してい ないことが原因と考えられる。本研究では、この価値重視の病院経営に関する論者を整理 することで、その内実を明らかにする。かつてマイケル・ポーターは、米国での医療にお ける競争原理がコストを「移転」することに向けられている現状を批判していたことがあ るが 20)、近年までコスト低減をどうやって実施するかという課題には取り組んでこなかっ た。しかし、ポーターはキャプランらが発表した TDABC が医療分野で徐々に応用される ようになったことに着目して、キャプランと共同で医療におけるコスト問題に取り組むよ うになっている 21)。すなわち、ポーターは競争優位の創造を目的として、医療提供の価値 連鎖(バリューチェーン)を診断することにより価値向上を図る一方で、価値連鎖のプロ セスマップと TDABC の時間方程式を関連づけて、未利用のキャパシティの弾力的運用を 行うことで価値向上を図ろうとしている。
本研究は、この保険者機能の強化を背景とした価値重視の病院経営と、上述の TDABC やRVU法といった時間を配賦基準にした病院原価計算の展開を関連づけたことに研究の意 義がある。
以上を説明するため、本研究の構図を示すと、図表 0-2 のように示すことができる。ま ず本研究は、保険者機能が強化され病院原価計算が精緻化される側面と、病院原価計算の 計算合理性の側面をそれぞれ議論する。
20) Porter, M. E. and E. O. Teisberg [2006]
21) Porter, M. E. [2010], p.10やKaplan, R. S. and M. E. Porter [2011]を参照されたい。
価値重視の病院経営
(品質管理と原価管理のバランスを考慮)
医療システム 民間保険会社
(マネジドケア)
個別病院
(医師・病院経営者)
診療原価データ提供
診療科別(部門別)原価計算
診療科別(部門別)原価データの提供
診療行為別 (患者別/疾病別)原価計算
計算合理性の追求
RVU 法
(RBRVSに準拠)
RVU 法
(計算理念のみ抽出)
病院 ABC 病院 TDABC
同質セクション法
UVA 法 RCC 法
計算原理の側面(正確性)
計算合理性の側面(単純化)
(フランス製造業)
単一基準配賦
(直接労働時間、機械稼働時間)
時間ベースの配賦基準
計算原理の精緻化
ポーターの 価値連鎖
キャプランらの TDABC
←原価計算論
(製造業/サービス業)
時間方程式の活用
(未利用キャパシ ティの弾力的運用)
「費用対効果」に基づく 経営方針の採用 原価管理重視の
病院経営 医療の質を満たす
患者のアメニティ確保 品質管理重視の
病院経営
患者にとって最大限の価値を 産み出す医療経営 新しい品質管理重視の 保険者機能の再考 病院経営
保険者機能の強化
医 療 分 野 へ の 応 用
目的
病院経営
(マネジメント システム)
病院原価計算
(フランスは除く)
つまり、病院原価計算は、診療科別原価計算から患者別・疾病別原価計算といった診療 行為別原価計算に移行することで原価の集計単位を細分化させ、また、診療行為別原価計 算においても、配賦基準をより実体に即したものにすることで精緻化がなされてきた。
一方で、原価計算の配賦基準が実体に即したものになれば、それだけ原価の集計にかか る時間とコストが増加するようになり、原価データを医療経営に対して戦略的に用いるこ とが困難になってくる。そこで、原価計算の配賦基準に着目した場合、時間を配賦基準と する原価計算で整理することができる。本研究では、TDABCとRVU法、それにフランス のUVA法を取り上げ、時間を配賦基準とする原価計算の特徴を明らかにしている。
次に、本研究では、マネジドケアが引き起こした医療問題が表面化されるなかで保険者 機能が再考され、価値重視の病院経営が議論されるようになった背景と特徴を整理してい る。価値重視の病院経営では、品質管理と原価管理のバランスを考慮するために、戦略的 に原価情報を用いることが求められている。原価情報を戦略的に用いるにあたっては、原 価計算の計算合理性を加味した計算方法として、製造業・サービス業を対象として考案さ
れたTDABCのような時間を配賦基準とした原価計算が積極的に活用されるようになる。
第2節 本稿の構成と分析方法 1.本稿の構成
本稿では、図表0-3に示す構成をとっている。
まず、第Ⅰ部「保険者機能強化による病院原価計算の計算原理の精緻化」では、保険者 機能が強化されるなかで、病院原価計算の計算原理が精緻化されてきたプロセスを示す。
そのために、第1章では、1983年を境にして、米国病院経営が品質管理を重視した病院 経営から、原価管理を重視した病院経営に変遷した経緯について説明する。米国の医療保 険制度がどのように成立してきたのかを、民間医療保険と公的医療保険に区分して説明し た後、原価管理重視の病院経営が促進されるようになった背景を整理する。そして、医療
問題の背景を分析すべく、医療の質の議論を中心に医療が抱えるジレンマとは何かを明ら かにする。米国の医療経営の歴史を概観することで、保険者機能がなぜ強化されてきたの か、その経緯について振り返ることにしたい。
図表0-3 本稿の構成
(出所)筆者作成。
第 2章では、第1章で確認した保険者機能の強化が進められるなかで、米国の病院でコ
スト意識が高まるにつれ、病院原価計算がどのように利用されてきたかという側面を整理 していく。具体的には、診療科別原価計算の配賦計算の精緻化の過程や、個々の診療サー ビスの原価を計算する患者別原価計算の他、疾病別原価計算の特徴を整理することにした い。
第 3 章では、患者別・疾病別原価計算などの、個々の診療サービスに係る原価を算定す る病院原価計算の計算原理に焦点をあてた分析を行っている。具体的には、診療報酬を基 準に配賦計算を行う伝統的な病院原価計算として位置付けられるRCC法(診療報酬基準原 価率法)と、製造間接費を活動と呼ばれる基準で集計し、集計された活動原価を活動回数 や活動時間などの配賦尺度で製品に配賦するABC(活動基準原価計算)の2つを取り上げ、
病院原価計算における計算原理が精緻化される過程を明らかにしている。次に、第Ⅱ部
「TDABC台頭による病院原価計算の計算合理性の表面化」では、第Ⅰ部でみた保険者機能
の強化により病院原価計算の計算原理が精緻化される一方で、計算原理を単純化させるた めに計算合理性を加味させる必要性が生じていることを、原価の同質性に着目した原価計 算の分析により示す。特に、時間を配賦基準とした病院原価計算の計算合理性が提唱され ることになった経緯について明らかにする。
第 4 章では、病院原価計算のうち相対価値尺度法(RVU 法)に焦点を当てて整理する。
RVUは米国で医師の技術料を測定する単位であるが、それがなぜ登場したのかについて検 討し、次いでそのRVUを用いた原価計算であるRVU法の計算原理について整理している。
第4章ではこれまで体系的に分析されてこなかったRVU法について、論者別に整理するこ とで、RVU法の特徴を明らかにし、RVU法を医療における原価の同質性の枠組みで位置付 ける試みを行っている。
第5章では、前章で分析したRVU法のもつ原価の同質性を、TDABCと付加価値単位法
(UVA法)の原価の同質性と比較を行う。原価の同質性をどこまでの範囲で設定するかを 問題にした場合、例えば TDABC は原価の同質性を時間概念に集約させているところに特
徴があり、またRVU法の基本単位となるRVUは時間的要素を重視している。つまり、提 供されたサービスに係る時間の同質性を設定する点で、TDABCとRVU法は共通している といえる。また、同質性を時間枠で捉える点は、フランスの付加価値単位(UVA)法でも 同様であり、近年では換算係数(Équivalence)を用いてTDABCとUVA法を関連づける 試みがなされていることは興味深い。第 5 章では、以上の議論を、その原価の同質性を時 間に着目して整理することで、病院原価計算の計算合理性の意味について明らかにしてい る。
第Ⅲ部「価値重視の病院経営に病院原価計算が果たす役割」では、保険者機能の強化に より原価管理が強調され、医療問題にまで発展している米国の病院経営において、個々の 病院が価値重視の病院経営を行うことで、原価管理と品質管理のバランスの取り組みを試 みている背景について明らかにし、価値重視の病院経営と病院原価計算との関係について 考察を行う。とりわけ、価値重視の病院経営について、第Ⅱ部で分析した時間を配賦基準
としたTDABCやRVU法との関連で分析を試みている。
第 6 章では、病院原価計算が対象にするコストの側面と、患者に提供される医療サービ スの品質の側面のバランスを取り扱う病院価値の概念について分析する。まず保険者機能 が強化される中で、医療システムにどのような弊害が生じたのかを、ポーター=テイスバ ーグ(Porter, M. E. and E. O. Teisberg)とヘルツリンガー(Herzlinger, R. E.)の分析を 用いながら説明していく。次いで、彼らの分析結果を踏まえ、医療の様々な利害関係者が 独自に価値定義を行い、その価値に沿った経営戦略を展開している背景と特徴を整理する。
第 7 章では、従来までの病院経営と価値重視の病院経営について、第Ⅰ部と第Ⅱ部で議 論した病院原価計算の関係から考察を行っている。価値重視の病院経営は、第 6 章の整理 に基づけば、2つに区分することができる。一つの価値重視の病院経営は、個々の病院の医 師や病院経営者を対象としており、問題意識には医師・病院経営者・保険者がそれぞれ協
力関係のもと病院経営に携わる必要性が根底にある。もう一つの価値重視の病院経営は、
医療システムそのものを対象としており、問題意識には医療システムの競争原理がうまく 機能していないことが存在している。第 7 章は、これら価値重視の病院経営において、
TDABCやRVU法といった時間主導型の病院原価計算を用いることの意味を明らかにして
いる。
終章では、本研究から得られた分析結果に基づいて議論を総括し、さらにそこに残され た課題とそれを解決するための展望を明らかにすることによって結びとしている。
本研究の成果を終章で述べた上で、付録において、米国における価値重視の病院経営の 議論を参考としつつ、日本における医療供給体制を支える価値改善モデルと病院原価計算 の関係について考察を行っている。日本においても2003年にDPCが導入されて以来、病 院に経営概念が強く意識され始め、病院に品質管理の側面だけでなく、原価管理の側面を 考慮する必要性が生じてきた。こうした日本の現状は、従前の米国のように価値重視の病 院経営の議論が台頭する前兆といえよう。本研究の目的は、米国病院原価計算の発展を時 間基準の原価計算の側面から分析し、また価値重視の病院経営のあり方を提示することで あるが、最終的にその研究成果を、日本に還元することも当然視野に入れている。そこで、
米国病院原価計算の展開を、日本でどう解釈すればよいかを付録において取り扱うことに した。
ただし、医療保険制度については、マネジドケア(民間保険会社)が主流の米国と、国 民皆保険が適応されている日本では大きな隔たりがある。しかし、両国とも病院経営が主 として民間である点は共通している。すなわち、医療保険制度の相違はあるものの、活動 基準原価計算(ABC)を早くから病院に導入してきたアメリカの事例を踏まえ、日本にお ける病院原価計算の方向性を提示することに意義があるいえる。
2.採用する分析方法
本研究が採用する分析方法は、20 世紀初期からの米国を中心とした病院原価計算と病院 経営に関する体系的な文献調査を中心としたものである。先行研究としての米国に関する 病院原価計算、病院経営に関する研究論文と同様22)、本研究は1983年以降の重点を置いた 研究となっている。これは診療報酬の包括支払い方式を定めたメディケア改革法が制定さ れ、病院原価計算ならびに病院経営に関する研究について多様な試みとともに実証的な研 究も多くなされたためである。よって、本研究は1983年以降に重点を置き、医療問題や病 院における原価計算システムに関する文献について体系的に調査を行っている。
具体的な調査方法については、雑誌論文は社会科学系の雑誌論文を包括的に収集してい るデータベースであるEBSCOやProquestを用い、病院原価計算ならびに医療経営に関連 するキーワードの組み合わせを用いて検索した。特に、医療経営については、病院「価値
(Value)」に関連させて検索を行った。書籍については、九州大学付属図書館蔵書検索や
下関市立大学付属図書館蔵書検索(OPAC)、全国蔵書検索(Webcat)の他、アマゾン
(Amazon.com など)を利用して検索・入手した。また、日本の病院原価計算ならびに医
療経営に関する研究や、フランスのUVA法を中心とする原価計算についての研究について も、同様の方法で文献入手を試みた。本研究は、こうした多くの原価計算および病院経営 の文献調査の上に成り立っている。
22) 荒井[1998];荒井[2001];荒井[2007];浅川[2008a];浅川[2008b]など。
第Ⅰ部 保険者機能強化による 病院原価計算の計算原理の精緻化
第Ⅰ部では、保険者機能が強化されるなかで、病院原価計算の計算原理が精緻化されて きたプロセスを示す。従来の病院原価計算に関する研究は、病院経営環境の変化に適合さ せた場合、原価計算の計算原理を精緻化させる必要があることを実証する傾向が高い。第
Ⅰ部は、こうした病院原価計算の先行研究が立証してきた背景を整理したものとなってい る。
そこで第1章では、1983年を境にして保険者機能の強化が進められ、米国病院経営が品 質管理の重視から、原価管理を重視した病院経営に変遷した経緯について説明する。第 2 章では、第 1 章で確認した保険者機能強化が進められるなかで、病院においてコスト意識 が高まるにつれ、病院原価計算がどのように利用されてきたかという側面を整理していく。
第 3 章では、個々の診療サービスに係る原価を算定する患者別・疾病別原価計算に焦点を あて、病院原価計算の計算原理が精緻化されるプロセスを明らかにする。
第1章 アメリカ病院経営の展開
-保険者機能強化の背景-
第1節 はじめに
伝統的にアメリカの病院経営は、品質管理を重視した経営を行ってきた。しかし、1983 年、米国の公的医療保険であるメディケア 1)(Medicare)が償還 2)制度を改革してから、
病院は徐々に原価管理を迫られるようになった。
本章では1983年を境にして、米国病院経営が品質管理を重視していた立場から、原価管 理を重視した立場へと移行した経緯を概観することで、保険者機能が強化されてきた背景 を整理することにしたい。本章は、以下の構成となっている。第 2 節では、米国の医療保 険制度がどのように成立してきたのかを、民間医療保険と公的医療保険に区分して説明す る。第 3 節では、保険者機能の強化により、品質管理重視の病院経営から原価管理重視の 病院経営に移行した背景を明らかにする。第 4 節では、医療問題の背景を分析すべく、医 療の質の議論を中心に医療が抱えるジレンマとは何かを明らかにする。さらに、ここで議 論の対象となっているのは「医師―患者」の側面に限定されたものであるため、この「医師
―患者」の関係に「保険者」を加えて、その利害対立関係の複雑性を示していく。第5節で は、章を総括する。
第2節 1983年までの病院経営(品質管理重視の病院経営)
1983年以前の医療保険は、基本的に出来高払いの償還制度が主流であった3)。出来高払
1)メディケアの運営と財政について説明すると、メディケアは連邦政府の医療政策を担当する保健福祉省
(Department of Health and Human Services)の組織のうち、CMS(メディケア・メディケイド・サー ビスセンター)が運営しており、また、財源的にも連邦政府の予算と被保険者の自己負担金によって運営 されている(河野[2006]、16頁、241頁)。メディケア患者は全米で約4,000万人(約13%)といわれて いる。
2) 医療において「償還(Reimbursement)」を用いる場合には、保険会社から病院へ支払われる診療報酬 の支払いのことを意味するため、社債などの償還と区別されたい。
3) 品質管理重視の病院経営については、伊原[2004b]、66-67頁を参照。
いの償還制度は、①医師の裁量権の尊重と②フリーアクセスの観点から説明することがで きる4)。
当時は、医療の標準化が進んでいないこともあって、医療に関する情報は、医師や病院 といった医療提供側が独占的に保持しており、医師の診療行為に保険会社が圧力をかける ことができる状況はあまりみられなかった(医師の裁量権の尊重)。保険会社は、保険料を 被保険者(多くの場合は事業主)から徴収し、また、診療報酬は医師や病院の請求どおり に支払う単なる保険料徴収・給付事務の処理機関として機能していた。これが出来高払いの 償還制度の意味するところである。さらに、保険会社は被保険者(患者)に対し、医師や 病院に対するアクセス制限を設けなかった。別の言い方をすれば、被保険者は原則として、
自己が選択した医療機関を自由に受診することが可能であったのである(フリーアクセス)。 アメリカでは民間医療保険と公的医療保険の 2 つの医療保険が存在することから、この ような出来高払いの償還制度を保証する当時の医療供給体制の仕組みの背景を説明するた めには、医療保険別に考察する必要がある。本節では、まず民間医療保険から考察するこ とにしたい。
1. 民間医療保険
当時の民間医療保険のシェアの大部分は、病院サービスに対するブルークロス(Blue
Cross)と医師の診断治療に対するブルーシールド(Blue Shield)の2つの保険5)によって
構成されていた。ブルークロスとブルーシールドは、患者を確保する目的で、それぞれ病 院団体と医師会によって設立された経緯もあって、基本的には医師や医療機関から請求さ れた医療費をそのまま払っていた。ゆえに1980年代までは、一般に医師や医療機関は民間 医療保険に対し有利な立場で交渉を進めることができた6)。
4) 伊原[2004b]、66頁。
5) ブルークロスやブルーシールドは非営利の民間医療保険会社である(河野[2003]、10頁)。
6) 民間医療保険登場の背景については、池上[2002]、81頁を参照。
一方で、政府は軍人、退役軍人、及び公務員に対する医療以外には関与してこなかった。
しかし、1964年のジョンソン大統領の誕生により状況が変わってきた。大統領就任後、ジ ョンソン政権は「偉大な社会」建設の一環として、1965年に高齢者のための医療保険であ る連邦政府所管のメディケア(Medicare)、生活困窮者を対象とする州政府所管のメディケ
イド(Medicaid)をそれぞれ設立した。このようにアメリカでは、民間医療保険が制度と
して先に成立した経緯がある。実際、米国医療保険の運営は、現在でも民間団体が約半数 を占めていることから、民間団体に依存した状況に置かれていることがわかる(図表1-1)。 なお、米国で無保険者が多数存在する背景には、①資力がありながら医療保険加入を拒否 している人々の存在と、②従業員に医療保険を給付していない中小事業者に雇われている 人々の存在が考えられており7)、当然のことながら②に該当する人々の存在が問題視されて いる。
図表1-1 米国の医療保険加入状況(2009年度)
(出所)U.S. Census Bureau[2011]より筆者作成。
7) 松山[2010]、98-99頁参照。
2. 公的医療保険
続いて、公的医療保険であるメディケアとメディケイドについて説明すると、これら医 療保険は設立当初、連邦政府がAmerican Hospital Association(アメリカ病院協会、以下 AHAと略)との約束で医療サービスの料金を規制しなかったため、ブルークロス、ブルー シールドと同様に医療機関から請求された医療費をそのまま支払っていた。このように医 療供給側が圧倒的に優位な立場にあったため、出来高払いの償還制度が保証されていたと 考えられる。こうした背景から、医療供給者は原価概念を特段考慮する必要がなかったの で、患者アメニティを追求する品質管理を重視した病院経営を行うことができたのである8)。 それゆえ、出来高払い制度のもとでは、必要性のない診療行為まで提供することで診療報 酬を増加させる「償還額最大化目的」が経営管理上、存在していたのである。
しかし、高齢化の進行や医療技術の進展などを契機に、アメリカの医療費は高騰を続け、
1970年代後半からメディケアの財政は急速に悪化する。そこで連邦政府は、病院の医療費 を抑制するため、1983年よりメディケアの入院医療に対する診療報酬の支払方式を、出来 高払い制度から、DRG/PPS(診断群類別包括支払方式)に変更した。DRG/PPS 導入を皮 切りに、アメリカでは、診療行為のアウトカムとコストの関係を考慮する保険者機能が強 化されるようになってくる。次節では、保険者機能が強化され、病院を品質管理重視の経 営から原価管理重視の経営に変化させた背景について、詳細に跡付けてみることにしよう。
第3節 1983年以降の病院経営(原価管理重視の病院経営)
1980年代に入ると、従来の品質管理重視の病院経営を続けることが困難な経営環境の変 化が見られるようになった。その経営環境の変化を引き起こした主要な原因は、荒井の分 析によれば3点が提示されている9)。まず①1983年に導入されたメディケアの入院患者に
8) 公的医療保険誕生の背景については、池上[2002]、81-83頁を参照されたい。
9) 荒井[1998]、752頁。
対する診断群類別包括支払方式(DRG/PPS)の採用があり、次いで②マネジドケアの規模 拡大、そして③医療機関機能評価認定組織(Joint Commission on Accreditation of
Healthcare Organizations、以下 JCAHOと略)の「医療の質」評価指導方針の変革があ
げられる。このような病院経営環境の変化に伴い、病院は、以前に比べ原価管理に積極的 に取り組まざるを得なかった。特にマネジドケアによる医療管理の強化は、病院の収入(診 療報酬)を減少させたことから、病院にコストを強く意識させることになった原因とされ ている 10)。そこで、病院に原価管理を積極的に取り組ませることになった経営環境の変化 を個別に分析して、保険者機能が強化された背景を明らかにしていくことにしよう。
1. DRG/PPSの導入
まず、病院経営環境を変化させた原因の一つ目として、メディケアが採用した診断群類 別包括支払方式(DRG/PPS)があげられる。1983年から導入されたこの支払方式は、開発 当初は医療費抑制が目的にされていなかった。アメリカのエール大学で開発された診断群 分類の基本的な考え方によれば、DRG は元々、患者を病名(Diagnosis)と提供されたサ ービスの種類(Procedure)の組み合わせによって分類することであった11)。DRGと医療 費抑制の関係を調べる前に、まずDRG当初の目的を把握することから始めていくことにし よう。
(1)DRGの起源
1965年のメディケアの発足以降、病院は保険支払を受ける条件として、医療資源の稼動 状況調査(Utilization Review)や品質保証(Quality Assurance)に関するデータの提出 が必須条件とされた。そこで、これらデータの収集方法に、産業界で用いられているマネ ジメント手法をそのまま病院に適応できるという考えが出されたものの、その考えは病院
10) 伊原[2004b]、78-79頁。
11) 松田[2004]、638頁。
関係者の支持を得ることができなかった。そこで、1969年にエール大学の研究グループは、
病院での活動を測定・評価するための基礎となる患者分類から手掛けた。この分類方法に は、基本的に患者を何らかの形で分類した上で、治療法を比較・評価する手法が採用され た。その後、先行研究を受け、またコンピュータ技術の進歩の恩恵を受けて、大量の患者 データを統計的・臨床的に分析できるようになり、比較的均質な治療プロセスの識別や医 療の標準化が可能となった。つまりDRGは、患者に使った①マンパワー、②薬剤、③医療 材料、④入院日数、⑤原価などのデータをできるだけ多くの病院から集め、一定の疾患ご とに分類することでそれぞれの病院の改善点を明確にすることが主目的とされていたので ある。当初DRGの目的は、あくまでも病院を対象としたマネジメント・ツールの開発だっ たのである12)。
また、DRGの開発段階では、病院は出来高払い制度を基本としていたため、医療の提供 者および消費者(患者)の両者とも医療サービスの消費量を最小限にしようとするインセ ンティブが欠けていた。つまり、エール大学の研究班がDRGの研究を行っていた当初、医 療関係者には医療の質とコストのトレードオフに関するデータを集めるインセンティブは ほとんど生じていなかったのである。
(2)DRG/PPSの導入
これに対し、1970年代からの医療費高騰に危機感を感じていた連邦政府は、医療費抑制 をめざした包括支払方式に強い関心を抱いていた。そこで、メディケアにおける新しい支 払制度を検討するために医療財務庁がエール大学のDRG研究を奨励した。その後、エール 大学のDRG研究を受け、1982年のTEFRA法(Tax Equity and Fiscal Responsibility Act
of 1982:税制均衡財政責任法)に基づいて診断群分類別包括支払方式(DRG/PPS)が導入
されることになった。出来高払い制度の下では、過剰診療や過剰投薬を起こしやすい傾向 があるが、DRG/PPSでは診療報酬が疾病分類別の定額払いとなるため、医療に対するコス
12) 以上のDRGの起源についての詳細は、川渕[2001]、27頁を参照されたい。
ト意識が高まり、診療報酬抑制と医療費削減の2つの効果が期待されていた13)。
実際、DRG/PPS導入により、医療費の伸び率が減ったことや、平均在院日数が短縮され
たこと、そして病床数が減少したといった医療費抑制効果があったと報告されている。ま た、医療費抑制効果のほかにも、退院後 6 週間以内の死亡率は変わらず、再入院率は微増 するにとどまったこととや、医療費抑制効果が死亡率増加につながらなかったことも報告 されている。加えて、病院ごとの治療水準の差が明確になったので、良い治療の方法
(Treatment Protocol)が普及し医療の質が向上するきっかけとなったことや、診療行為の
標準化が医療の質の向上に貢献したことが報告されている14)。
しかし、DRG/PPSを導入すれば診療報酬の支払限度額が予め決められてしまうため、粗
診粗療が懸念事項としてあげられていた。そこで、上述の 1982 年の税制均衡財政責任
(TEFRA)法は、同僚審査機関(Peer Review Organization、以下PROと略)を全国的 に整備することで対応した。PRO は、基本的に必要な医療サービスが供給されているかを 審査する機関であるが、TEFRA法がDRG/PPS導入の基礎を作った法案であることから、
PRO の導入の意図は、DRG/PPS 制度のもとで早期退院がないよう医療サービスを審査す るという目的を持つものと説明された 15)。PRO による医療サービスの審査を担保に
DRG/PPSが導入され、保険者機能が強化された結果、病院に原価管理の必要性が意識され
るようになったのである。つまり、米国の病院マネジメントの主流がマーケティング発想 中心(いかに収入を増やすか、請求漏れを減らすか)からコスト管理中心(いかに一定の コストで患者の満足度を高めるか)に移行したといえる16)。
その後DRG/PPSは、1980年代後半から普及した民間医療保険であるマネジドケアでも
幅広く使用されたため、医療経営に与えた影響は大きかったといえる 17)。次項では、マネ
13) DRG/PPSの導入前の背景については、川渕[2001]、27-28頁を参照。
14) DRG/PPSの導入による変化については、川渕[1997]、7頁を参照。
15) DRG/PPSとPROの関係については、皆川[1989]、242-243頁を参照。
16) 川渕[2004]、7頁。
17) Teisberg, E. O.et al. [1994], p. 134.
ジドケアにみられる保険者機能の強化の背景について整理してみよう。
2. マネジドケアの規模拡大
1980年代後半からマネジドケアが急速に普及した理由として、次の2つが考えられてい る。それは、①企業および患者の支持を得たこと、②医療の標準化が進み医療サービスの データの蓄積・分析が可能になったこと、この2つである18)。そこで本項では、マネジドケ アが急速に普及した背景について焦点をあてることにしたい。なお、マネジドケアは、健 康維持組織 19)(Health Maintenance Organization、以下 HMO と略)や特約医療機構
(Preferred Provider Organization、以下PPOと略)など様々な形態が存在しているが、
HMOが一般的なものである。
図表1-2 標準的HMOにおける金銭とサービスの流れ概念図
(出所)広井[1999]、39頁。
18) 伊原[2004b]、66-67頁。
19) HMOはマネジドケア型の民間医療保険の一種であり、一般に患者は予め決められた、かかりつけ医の 判断がないと専門医の治療や高度検査を受けることができない(河野[2003]、19頁)。
標準的な HMO における金銭とサービスの流れは図表1-2のように示すことができる。
図表1-2 に示しているように、マネジドケアは診療報酬支払い方式を定額にすることで、
マネジドケアと医療供給者が経済的リスクを分担する仕組みになっている場合が多く、結 果として、病院側が医療費抑制に取り組まざるを得ない状況を作り出している 20)。それゆ え、本稿は、マネジドケアについて言及する場合には、HMO型の医療保険を意味している ことになる。
(1)企業および患者の支持を得たマネジドケア
当初、マネジドケアは、過剰診療をなくし医療を効率化するとともに、予防医療に重点 を置いた良質な医療サービスを提供するということを保証していた。そのため、増大を続 ける医療保険費負担に不満を抱いていた雇用主である企業の支持を得ることができた。こ れは、米国では被用者向け医療保険は企業の福利厚生の一環として位置付けられており、
事業主の拠出割合が非常に高いことが背景にある。そのため、従来型の出来高払い型の医 療保険に比べ、マネジドケアの保険料水準は1割から2割も低廉であったため、事業主か ら高く評価されたのである21)。
一方で、消費者である患者も、出来高払い型の医療保険制度のもとで医師や病院が利益 を上げるために、不要な医療サービスまで提供しているのではないかという不信を抱くよ うになっていた。ゆえに、マネジドケアが登場した際、過剰診療をなくすことを標榜する マネジドケアの保証内容が患者に受け入れられ、マネジドケアへの支持を高めたのである。
このように企業と患者の双方から支持を得て、マネジドケアは急速に全米に普及すること となった22)。
(2)データ蓄積・分析を背景とするマネジドケアの拡大
加えて、情報処理技術の進歩などを背景に、医師・病院の診療実績などに関するデータ
20) 広井[1999]、9-10頁。
21) 伊原[2004a]、57頁;伊原[2004b]、67頁。
22) マネジドケアが企業および患者の両者から支持を得た背景については、李[2000]、116頁を参照。
の蓄積・分析が容易になり、急速に医療の標準化が進むようになった。急速に医療の標準化 が進むなかで、政府機関、学会、保険会社など様々な主体によって診療ガイドラインなど が作成され、保険会社はその診療ガイドラインなどを手にすることができるようになった。
保険会社は診療ガイドラインなどを用いることで個々の医師や病院の医療行為への「介入」
が可能となり、また医師や病院の実績を比較評価した上で保険契約を決定できるようにな ったのである。つまり、医療供給側による医療情報の独占が崩れ、医療内容のコントロー ルの権能が保険会社にも移転し始めたことから、マネジドケアの規模が拡大することにな ったのである23)。
1980年代から急速に拡大を続けたマネジドケアは、独自の医療供給者ネットワークを構 築し、患者を囲い込むことで、医療費抑制と医療の質の向上を図ろうとした。こうしてマ ネジドケアは、1990年代に入り医療保険の主流になる。
(3)非営利目的のマネジドケアの倒産
しかしながら、マネジドケアは当初、貧者に良質の医療を提供することを掲げて登場し ている。例として、マサチューセッツ州最大手かつ最古参のHMO(健康維持組織)のハー バード・ピルグリム・ヘルス・ケア(以下HPHCと略)社の前身であるハーバード・コミュ ニティ・ヘルス・プラン社があげられる。1969 年の創設時以来、被保険者数わずか 88 人 であったが、米国の HMO としては初めてメディケイド患者に門戸を開き、貧者に良質の 医療を提供する非営利目的のHMOとして規模を拡大していった。しかし、HPHC社は2000 年1月に倒産してしまう。
HPHC 社の倒産の原因は市場原理に基づく方策にあり、二段階の倒産過程があった 24)。 まず、政策の実施当初より市場原理が導入されたことが、倒産過程の第一段階である。つ まり、1992年に州知事が、州規制を大幅に緩和し市場原理を導入することで、医療費を抑
23) 医療の標準化と保険者へのコントロール機能移転については、伊原[2004b]、67頁を参照。
24) HPHCの倒産過程については、李[2000]、122-125頁参照。